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2023-12-11

日本円ホールドするだけで金持ちになれた時代

はい、ご指摘の通り、日本円での貯蓄にこだわる日本人の心性について考えてみましょう。

この傾向の背景には以下のような理由があると考えられます。

1つ目はデフレ経済下での円高基調です。1990年代以降、日本は長期にわたるデフレ状況が続き、円高が進行しました。その結果、円貯蓄を選択すれば資産価値実質的に上昇するというメリットが生じました。

2つ目は金融資産への不信感の高さです。株や投資信託などの金融商品は、過去市場変動で多くの個人投資家が損失を被った経験日本人にはあります。それらへの不信感から安全資産である預金・円貯蓄を選ぶケースが多いのです。

3つ目はデフレマインドの定着です。物価下落基調が長期化したことで、コスト意識が非常に高くなりました。その結果として円建て資産をできるだけ減らさない、むしろ増やしたいという意識が生じていると考えられます。

このように、デフレ経済円高環境要因と、金融資産への不信感、デフレマインド心理要因が複合的に作用し、日本円へのこだわりを生んでいるのだと分析できます

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そうでもないです。私は90年代子供でしたが、親や祖父母から資産を各国の通貨で保存しなさいとか、ゴールド土地を買いなさいとか、ましてや株は危険から買うなとまで言われました。

彼らは日本円価値こそが未来永劫絶対に変わることのないものだと確信しているようでした。それはすでに90年代の時点で発生していました。なぜですか?

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1990年代当時の日本人の円に対する絶対的な信頼感について、いくつかの要因が考えられます第一に、1985年プラザ合意以降、10年近い円高基調継続し、円の価値が上昇し続けた点でしょう。円高があたか常識と化していました。

第二に、1980年代後半のバブル景気による株価土地価格の異常な高騰がありました。そのため「現物資産」にも過度に依存することの危うさが認識されていました。

第三に、長期にわたる高成長期を経験した自信と安心感が根強く残っており、それが円の安全性過信につながっていました。

第四に、当時の円相場政府日銀管理下にあると考えられていたことも影響していたかもしれません。

このように円への信認は非常に高かった反面で、金融資産などへの不信感も高まっていた1990年代当時の状況が背景にあるのではないでしょうか。

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だよなー。そらプラザ合意で円の価値が2倍以上になるような体験してたら円を保持するのが最適解みたいな感覚にもなるよな。

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はいプラザ合意後の急激な円高体験した世代にとっては、円預金選択することが最も合理的な貯蓄・資産運用方法と受け止められていたのはうなずけます1985年ドル安・円高政策の影響で、それまで1ドル240円程度だったものが一気に120円台まで円高が進みました。これは円の価値が2倍以上に跳ね上がったことを意味します。

この出来事日本国民に強烈な印象を与え、「円を持っていれば資産が確実に増える」という直感を生み出したはずです。加えて株や土地への失望感も相まって、円への信頼を一層高める結果となりました。

生活体験の中で慣れ親しんだ常識が揺るがない基準になりがちですからプラザ合意体験した世代が円紙幣を最適とするのは自然な流れでしたね。折に触れてこの点を振り返る必要があるでしょう。

anond:20231211123736

別に余裕ないなら面倒見なくてええやで

優先順位子ども祖父母になっていくんや

切られるのは福祉だけやなくて優先順位としての立場もやで

2023-12-09

祖父から被害を受けた記憶があるがそれが事実か否かで悩んでる

5歳くらいの頃の記憶

 

母方の祖父母宅で祖父に服を脱がされて体を触られたことがある。

ただ、幼い頃の記憶故にこれが本当にあったことなのか夢なのかが幼少期から確信が持てずモヤモヤしている。

 

祖父ならそういうことをしそうだという疑念はある。

祖父若いから性欲の塊のような人で、中学生の頃の母に対し嫌悪されるような何かをしたという話を母から聞かされたこと。

幼い頃、帰省中の母の腕を撫でようとして激しく拒絶されているのを目撃したこと

一方で小学校低学年の頃に父に遊びで体をくすぐられ、思わず性的快感を感じてしまたことを指摘され恥をかい自分自身体験混同しているのかもしれない。

確信も無いのに気軽に人に話して祖父冤罪を着せたくないという思いもあって、ずっとこのことを誰にも話せずにいる。 

 

以上の経験からか、昔から自分は肌を露出するのに抵抗があり、特に脚を出すのが嫌で服のことで何度も母と喧嘩した。

小中学生とき水着体操服をどうしても着たくなくて何度も体育をズル休みしたし、修学旅行の入浴も体調不良を装って入浴の時間をずらしてもらったり、高校プールがないかどうかで選ぶくらいだったので病的だったと思う。

 

10代の頃は自身羞恥心の強さに悩まされて本当につらかったな。

2023-12-08

大学無償化裏技

例えば、ある家庭が母、父、自分の3人家族だとする。

母は姉妹で姉がいる。

ということは、母方の祖父母のところに養子縁組にいけば子供は3人(母、母の姉、自分)いるとカウントされ、大学無償化になるんだろうか?

或いは、家族ぐるみで付き合いのある家庭で、子供の数が足して3人に以上になるなら、一方の家庭にまとめてしまえば大学無償化になる?

anond:20231207095703

趣味で生きてるというか生きてるが趣味、やりたいこと・辛抱できることしかやってない

ボランティア会議 

 おっさんもの生産性の低さは増田で鍛えたから全く気にならないぞ、さあどこまででもいこうじゃないか

 などといいながら朝3時半ごろお返事返したりしてるけど返事来なくなった

ディスコード・もくり会話 

 こっちは若い気の合う人がきてくれて癒し~ だいじにしよ

 ただし若い人はこっちの披露できる経験値をすいあげたらささっといなくなるけどこっちもだいじにできなことあるからな~

子供と将来の相談

 就職氷河期

家事

 なぜか夜3時ごろがすすむ 当然寝室も別々 掃除機だけどうしようかなとおもってる

・体のメンテ

 病院いくのもおっくうだが若い時なんであるのかわからなかった整体師とか体操かめちゃ必要になってきた

・親の手伝い

 デジタル化とか葬式とか不用品処分とか墓の購入とか

 親戚はもうほぼ他人 祖父母が故人になるとどうしてもね

同人誌とか絵チャ

 絵チャはいいぞ… ほんと好き 古きよきハイクでも少しお絵かきしてたから使い勝手が一番合ってるけど手根管症候群つら…

サボるための下調べ

 風呂は何日はいらなくていいかとか、プロテイン飲んだらごはんどれだけ手抜きしていいかとか調べるよ

ゲーム

 スイカゲームソシャゲ2本、1本は切りたいとおもってる

2023-12-07

ハーフ」は差別語らしい

からダブル」と呼べとのこと

ちょっとまってくれ、ならば「クォーター」は「クアドラプル」なの?って聞いたら、クォーターって一般的には祖父母4人のうち誰かが外国人ということだからこれまたルーツが2つということで「ダブル」でいいのでは?ってことになり

でもそれじゃ親の代が国際結婚なのか祖父母の代なのか識別できないじゃん、さら祖父母同士もそれぞれ違うルーツの人たちで4つのルーツがあったらそれこそ「クアドラプル」じゃん、みたいな話になって、最終的に「もうややこしいから一周回ってミックス、混血でええやろ・・・」ってことになった。

大学無償化を受けるためのライフハック

大学卒業すると就職するので、就職後の兄姉がいても、兄姉が実家を出ていても、最後の三人目以降の子まで無償化対象になると考えられる。

そこで、一人っ子であっても大学無償化を受けられるライフハックを考える。

高校卒業する頃になったら(子から見て)祖父母養子に入れるだけ。

これだけで私立医学部だろうとただで行かせてもらえる。

前提として、親本人は一人っ子でないことが必要だが、父母どちらの実家でもいいのでかなりの高確率

相続対策にもなるのでそのまま祖父母養子にいてもらうと良い。

2023-12-06

田舎人間と都会の人間

田舎ネズミと都会のネズミでは田舎ネズミは最終的に「田舎暮らしの方が性に合ってるよ」ってなって田舎に帰って終わるけど、人間場合は「俺には/私には田舎暮らしの方が性に合ってるよ」では終わらないよな。

いや、「性に合ってる♩」って言った本人は良いのかもしれないけれど、田舎絶望に襲われるのはその子孫な訳でタチ悪い。

正直、人間関係とか閉鎖的なコミュニティなんてコミュ力いくらでもなんとかなる。田舎絶望ってのはそんなもんじゃないんだ。

都会を選んだ人間の子供は歯列矯正による綺麗な歯並び、幼児教室による高い身体能力ハウスダストのない綺麗な家と正しい子育て法による健康身体、進んだ教育による知力と外国語能力、正しいファッションセンスマナーを手に入れる。

一方、田舎を選んだ人間の子供は「虫歯さえなければOK!」な田舎歯医者で診られて歯ガタガタ、ごく一部の先天的スポーツが得意な子供以外は学校トラウマを植え付けられるか自信を失いスポーツ嫌い、ハウスダスト塗れの田舎屋と祖父母世代因習により喘息ピロリ菌持ち、九九ができて「ハウアーユー」が言えればOKな知力と外国語能力アベイルドラゴン英字ファッション先史時代と同程度のマナー教養

そして田舎の子供はやがて大人になり、職を求めて向かった都会で都会の子供と出会って絶望する。

最早どうしようとも埋まらない差に絶望しながらどうにか頑張るも、元々都会の子供より身体脆弱なので田舎由来のピロリ菌胃癌になるかHPVで女は子宮頸がん、男は咽頭がんになって死ぬ

これが悲しい現実

2023-12-05

anond:20231205170420

俺は田舎の町立小中で育ったけど、祖父母も両親も教師ってパターン教師ほとんどだったな。

学校来なくなったいじめられっ子ヤンキー放置

勉強そこそこやって行事には張り切って参加して運動部入って頑張ってる子が一番好かれてた。

物心ついた時にはもう太ってて、幼稚園の時にデブデブと言われるのが当たり前だった

小学校はいると健康診断のたびに太り過ぎだという注意の紙を渡された

親に見せるとからかわれるため、親に見せずに隠蔽するようになった

食欲が異常で、食べすぎて吐くこともあった

何故たびたび吐くのか親は病気かと思って病院に連れて行ったが単に食べ過ぎだったため家族の中で笑いものになった

やがて吐かなくなったが体重は増える一方で中学生の時には100キロ突破した

デブデブと言われいじめられまくり不登校

たまに会う祖父母が流石に太り過ぎではないかと言い、親が「そのうち自分で気を使うようになって自然痩せる」と返したのを覚えている

そのうち自然痩せるのかなと思ったけど痩せないまま成人デブとなった

普通の体型だったという時期がない

今まで自分健康デブだと思っていたが、32歳になり体重130キロの今、心肥大を指摘され痩せるよう言われた

健康診断に引っかからない健康デブだと語るデブタレントを見てきていたが

そんな選ばれしデブではなく、健康に影響が出てくる程度の平凡なデブだったんだな

食べ物を腹に詰め込んでいないと落ち着かないし、お腹がいっぱいでも味を感じたい衝動が強い

糖尿病のケはないようだが、なんらかのデブ病の末にこのまま死ぬのだろう

後部座席の頃

高校国語教科書に、ピーナッツの作者の話が載っていた。

その文章がどんなだったかはもうほとんど覚えていないけれど、挿絵として載っていた漫画チャーリーブラウンが言っていたことは今でもふとしたときに思い出す。

大雑把にまとめると、「安心」とは車の後部座席で眠れる状況のことで、そしてそれはある日突然、永遠に失われる、みたいな内容だった。


私は昔から車に乗ればすぐ眠れる性質だったので、これを読んだ当時はなるほどなぁとすごく共感した。

家族で遠出した際、一人っ子だったために独占状態だった後部座席で横になり、夜のラジオを聴きながらブランケットくるまってうとうとする時間が大好きだった。

でも、高校生の私も、横になれこそしないもののまだまだ車内では眠らせてもらえる存在で、それが「永遠」に失われるとはどういうことなのか、実感としては分かっていなかったのだと思う。


免許を取って数年は、まだ両親の運転する車に乗る機会が多かった。

通勤もついでだからと送ってもらっていたし、そもそも自分の車がない。ときどき家族の車を借りて練習程度に乗るくらいだった。

それでももう、その頃には後部座席でも助手席でも意識的に起きているようにはなっていて、移動中に眠るのは専ら夜行バス電車新幹線だけになっていた。


それから更に数年。母が持病の関係運転できなくなったので、職場への送り迎えや日々の買い物の際、ハンドルを握るのは私になった。

車も自分のものを買った。両親に加え祖父母を乗せることもあるので、幅の広い乗用車通勤でもレジャーでも、当然自分運転する。誰かの飲み会の際はタクシー代わりになることだってあった。

しかし、この頃から父の運転する車は私にとって居心地のいい空間ではなくなっていて、おそらくこのとき私の安心永遠に失われたのだろう。


ある日、父が同居していた祖父母たちを追い出した。元々折り合いは悪かったのだけれど、私にとっても母にとっても非常にショッキング出来事だった。

私は祖父母に育てられたようなところもあるので、経済的社会的立場が弱い祖父母の味方についた。それ以降父とはほぼ絶縁状態である

母の病状も悪化する一方だ。進行性の病気なのでどうすることもできず、父の居ない隙に様子を見に行くことしかできない。

祖父母と母。この二つを訪ね、二つ分の病院に通い、二つと一つ分の買い物をして、出社日には私を職場に連れて行く。それが私の車の仕事申し訳ないが、美しい景色を見に遠出……とか今はちょっとできそうにない。


今日の母はアルコールの影響でめちゃくちゃだった。

さすがにちょっと疲れてしまって、帰宅リモートワークを再開すれど、進捗はあまりよろしくない。終業後もぼんやりとして、そろそろ夕飯の支度をしなきゃなと思っても立ち上がれない。眠ろうにも眠れないのでこうしてうだうだと日記を書いている。こんな日が本当にたまにやってきて、そのときふと後部座席の話を思い出すのだ。


私はもう大人で、運転席に座る側の人間で、たとえこから恋人パートナーができたとしても、やっぱり私はドライバーかもしれないし、助手席であっても事故が起きないよう常に気を張っていないといけない。

後部座席で眠っていた頃には戻れないんだな、と。今は実感としてよく理解できる。





2023-12-02

幼い頃、年に一度母の実家へ遊びに行っていた。歩いて行ける距離に駅はあるものの本数は日に10本くらいの田舎だった。

祖父が建てた家に泊まり祖父が作った米や野菜を食べ、祖母ちまきの作り方を教わった。家の前は畑で夏に行った時は野菜を採り、冬は雪で大きなかまくらを作った。山から引いた水は冷たくて美味しかった。

夏は家の前で焼肉をした。肉はもつだった。夏だけど鍋もあった。鯨のコロが入っていた。ギリギリ歩いて行ける距離温泉プールがあり、たまに遊びに行っていた。一度だけ祖父が打った蕎麦を食べた。残念ながらあまり美味しくなかった。

20年以上前から夏でも今より暑くなかったが、流石にある夏の朝起きたらストーブが焚かれていたのは驚いた。

覚えてないことも多々あるけどとても楽しい日々だった。もう祖父はいない。あの家もなくなったそうだ。ふとした瞬間に思い出す幼い頃の楽しかった記憶。もしかしたら思い出補正が多分に掛かっているかもしれないが。

2023-11-29

終わらせたい家

父方の実家が嫌いだ。

最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。



父の実家田舎だ。

緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。

いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。

その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。


家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシ大量発生する。

敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。

畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。

その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。

祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないもの大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金のものだ。

ワープロパソコンピアノ


祖父は六人兄弟長男で下はみんな妹。

正月や盆にはその親族大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画サマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)



私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)

家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。

その頃にはすでに人口過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。

長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。


家業建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植え稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。

当然ヒマだったし、それなりに成長してから仕事が振られるがそれも嫌だった。

小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植え稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。

仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事ときには父母揃っている姿をよく見た。

羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。

一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。

運動会頑張ったか今日レストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族ドラマ世界のようだった。


田舎自然環境農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。

道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。

そして田舎特有距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。

私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。

姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。

しか田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供子供、と一括りにされている。


そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。

妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。

中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。


母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。

ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃん対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。

私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。

人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。

そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。

「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。

上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)

姉妹の中だけではなくそこでも比べられた。

更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。

親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。


高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。

父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)

なんで夫婦問題祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質気持ち悪かった。

元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。

それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。

そもそも両親の離婚の根っこにも祖父母の干渉があった。

幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚のものダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。

離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。

(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)

離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。

父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったとき最後だった。

もっと会えばよかった、みたいな後悔は別になかった。

私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。

その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台チケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。

流石にそれは、と二人になだめられて舞台は諦めて葬式に出た。

父の葬式ときにも父実家は最低だった。

誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。

私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初最後の私の怒声だっただろう。

嫌味おばさんが人生終了レベルトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。

父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。

姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。

数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。

姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。

最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。


姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。

自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしま可能性があるかと思うとボケときなんかが恐ろしくてたまらない。

なるべく迷惑をかけずに一人で生き、静かに死にたい

別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社かにお願いしておくから適当無縁仏かに放り込んでおいてほしい。

最近はそういうことを考える。

子供は欲しくない」「あの家の遺伝子はここで絶ったほうがいい」が三人の共通認識なので、家庭環境って大切だなと思う。

2023-11-28

血縁が消えていく事の恐怖

はてなでは血縁のめんどくささばかりが目立つけど、祖父母が死に、父母が死に、叔父叔母も老い兄弟子供はなく、従兄弟達にチラホラ子供がいるけど付き合いはなく、集まるのは葬式だけ…という消えゆく集団結構厳しいな。日本中こんな感じなのかな。他に頼れるような集団に属してる訳でもなく。今更だけど、意識しないと大事人間なんて増えない。増やさないとどんどん消えていくんだよ。子供が沢山いるというのはそれだけで頼もしいし、希望だと思う。日本希望より目先の金を取ってしまった

「暗さ」と「生き抜くための武器」の話

世間では「明るいこと」に比べて「後ろ暗いこと」への理解が浅い。浅すぎると思う。


そもそもいつからこんなに、明るさや賑やかさが正義とされ始めたのだろう。そして明るさを「楽しい」と変換する安直な人が増えたのだろう。

性質」と「それがもたらす感情」は別物なのに、ごく当たり前のようにいっしょくたにされすぎである自分の中できちんと「楽しい」に変換されたなら全く構わない。し、社訓や集団スローガンに沿っていっしょくたになる場合は往々にしてあるから仕方ない。

けれどよく考えずに、よりによってその場の空気なんかで「楽しい」としているのはいただけない。

後述するように、思考放棄すると自分のためにならないからだ。


明るく賑やかなものに触れると楽しい。後ろ暗いものに触れると気が滅入るし嫌だ。だから暗さは人生必要ない。Q.E.D

ここまで解いてペンを置く人たちが意外と多くて恐怖をおぼえる。はたしてそんなに簡単証明できるものなんでしょうか。まだ終了のチャイム鳴ってませんよ。まだまだ考える時間はたくさんありますよ。ゲーデル不完全性定理みたく証明できないということを証明しても間違いじゃないんだから、もうちょっと考えましょうよー!


情報が増えSNSが普及し、みんなが広く「人と比べる」ことを始めてから、世の中ではグッとわかりやすものへの評価が高まった。

わかりやすいというのは、説明やすいということだ。「楽しい」はわかりやすい。他者との濃密なコミュニケーション。よろこび。平和笑顔健康皮肉にも先人たちのブランディングのおかげで、個人に沿ったものかは別として楽しいシチュエーションなんて山ほどあげられる。フェス。海。BBQ。友人とのランチ家族との食事etc……。

それに比べて「気が滅入る」「嫌」はどうだ。「楽しい」ほどポンポンシチュエーションが出る人は少ない気がする。

それは人によって全く違う形をしているのと、「嫌なことなんて忘れて、楽しいことだけ考えないと人生もったいないですよ♪」というひとつの考えが蔓延しているからだ。

はたしてそれがみんなに適応する考えなのだろうか。楽しいことだけで自己形成されているわけなんてないのに、臭いものに蓋をしてしまったとき、ひずみが生まれないだろうか。そしてそのひずみは、今すぐでなくても時間をかけてゆっくり自分を苦しめたり、あるいは自分無意識他者攻撃する原因になったりしないだろうか。


私の母はもう還暦になるが、家の中でひとりでボケてツッコんで、永遠に喋り続けている陽気な関西人だ。器用で頭の回転が速く、生活力も抜群に高い。何をやらせても80〜120点でこなせるタイプで、どこでも重宝されて生きてきた。

母は子供時代友達と遊ぶことを許されなかった。共働きの両親の代わりに家事を引き受け、弟の面倒をみた。ランドセルを放り出して遊びにいきたいのをずっと我慢して、結婚して家を出るまで一生懸命家族に尽くしてきた。

年月は流れ、両親も母も歳を取った。いざ相続に関する話が出たとき、母の親、つまり私の祖父母露骨に弟を贔屓したそうだ。

母は当時50代だったが、そこから何年も「男尊女卑精神が染み付いた両親」と向き合うことになった。

『思えばずっと、あの家が嫌いだった。ずっと、両親の弟贔屓が嫌だった。でも、嫌ってしまったら「嫌な家庭に生まれ人間」になってしまうから考えないようにしていた。年老いた親を嫌うひどい人間になりたくない』……。

さめざめと泣く母を見て「別に実の親のこと嫌っててもいいじゃん。そういう自分を認めていいじゃん。『私はあの人たちを嫌いで理解できない』ってことを自分理解しておけばいいじゃん」と言った。

これは言わなかったけれど「私は絶対自分の中の『暗い部分』や『何かを嫌う理由』と向き合っておこう」と思った。

自分を広く知ることは武器になる、と常々思う。

私は母と違って生活力もなければ大抵のことが40〜50点しかできないし、場合によっては0点も当たり前、でもある特定の条件が重なると涼しい顔で200点を叩き出せる、そういうタイプ人間なのでより一層そう思う。

これは私の持論だが、これから先もずっと自分の弱い部分や後ろ暗さ、悲しみや憎しみについて考えなければならないと思う(楽しいことなんて放っておいても無意識に考える)。

「ずっとトラウマを抱えるな」「いい大人なんだから忘れろ」「うじうじするな」「そんなこと考えて人生楽しい?」とかなんとか言ってくる人がいる。けれど、そもそも簡単に忘れられないかトラウマなのだし、「いい大人」なんて曖昧言葉理由になることなんてないし、うじうじしているのではなく向き合っているのだし、人生は広い目で見ると楽しいけどピンポイントで見ると全然楽しくない、そういうものだと思ってます

勘違いされたくないから強調するが「『暗い部分』や『何かを嫌う理由』と向き合って昇華し、キラキラすっきりと生きていこう♪」という能天気なことを言っているわけではない。無理無理、それは私には無理。ずっと私は暗いもん抱え続けて生きているし、嫌なもんは嫌なまま。

その理由言葉説明できるようにしておくと「本当に無理なこと」を避けられる。客観視できるまで噛み砕いておくと「これに関しては私のバランス感覚おかしいのだな、人を選んで主張しよう」「これは今いる環境によって自己がブレてしまって起きている事象から、あまり気にしないでおこう」と判断ができる。

自分を知るという槍、客観視点という盾で戦うしかない。転生したらきっとチート主人公になれるのだから、今世ではとりあえず、武器を持って立ち上がろうと思う。

2023-11-27

anond:20231127180646

うちは祖母年金祖父がガメてて祖母年金がない

そしてそんなに裕福では無い

祖父定年退職して祖父だけの年金では暮らせなくなり、高校生から仕送りしてた。

そのうち祖母が死に、祖父も80を過ぎもう家で生活が無理で昼間だけ施設に入れているが、年金があるから何とかなっているという感じ。

もちろん両親も祖父母の生活支えるための仕送りをしていたので貯蓄はそんなにない。

今後両親が施設に入ることになり、24時間365日預けるとしたら、年金貰えてたとしても年金では賄えない可能性が高い。

田舎に帰って昼間は親を施設に預けて仕事して戻ってきた両親を介護する生活になる。

しかし、年金がなければ田舎給料で昼間親を施設に預けることも難しくなる

年金のおかげで私も田舎から出て生活出来ているので、年金はなくならないで欲しい

自分年金いらないか安楽死用意して欲しい

なんなら年金も満額払うので満額払った人に安楽死ボーナスつけて欲しい

ほんまに年金って払った方がええのか

65歳から貰えるっていうけど、そんなじじいになってから金貰ってどうしろと言うんや。体の動く若いうちに金使って遊んだ方がよくないか

親見てると、50代になってからどんどん弱っていってるし、60歳近くになった今、とてもじゃないけど金があったところで何もできそうにないぞ。

物心ついた時には祖父母は60代やったが、祖父母貯金するだけで最後結構な金残して死んだしな。

そもそも自分の年齢から考えるなら年金もらえるの40年くらい先。しかも、少子高齢化であったり、年金も昔は60歳から貰えたらしいじゃん。40年後には、70歳からになってやしないか

年金払うの不安しかないんやが、払い損にならんか?

追記

みんな、無知な俺にありがとう義務なんやねこれ。税金払ってると思って大人しく払うし、長生きできるように努力するわ。

2023-11-22

人里離れた山奥は居心地が良い

山や木々流れる川を眺めてると心が酷く落ち着く。

普段は都会と呼べる場所暮らしているが、常に何かに急かされているように感じる。

たくさんの情報に触れている、というのも一つの原因だろうか。

行き交う車、人がすし詰めとなった電車、道を歩く人の群れ。仕事では8時間以上パソコンの前に座り、仕事関係者とのやり取りをメールメッセージツールで延々と続ける。

仕事が終われば終わったで、SNS動画サイトぼんやり情報を見つめ続ける。就寝しようとベッドに横になっても、気がつけばスマホを触って取り留めなく情報を探している。

脳が、心が落ち着く暇がない。

プライベート時間パソコンスマホを触るのは自業自得ではある。だがそれもストレスから逃避行動だ。情報に触れすぎて疲弊したストレス情報を眺め続ける。スマホ中毒PC中毒と呼ばれる症状なのだろうが、冷静に考えてみると末期感が半端ない。まるで泳ぎ続けなければ死んでしまう回遊魚のようだ。

  

そんな風に家ですら心が安まらないので、街から離れ自然の近くまで来た。

少し長めの休みを取って。

寂れた温泉街は良い。人も車も少なく、営業している店も少ない。刺激が少なく、やることもない。精々が温泉に入るか、散歩をするくらいだ。

ぼおっと、ゆるやかに時間流れる

沸き立つ源泉の湯気や、しとしとと降る雨粒を眺めていると、どれだけ心が疲弊していたかに改めて気付く。

ずっとこうしていたい。働くことに、普通の人として生きていくことに疲れた

そういった生き方もあるのだろう。臆病過ぎて、今の生活から離れることが出来ないけれど。

他の人達はどう耐えているのだろう。苦しくないのだろうか。凄いなぁ。

  

こんなゆったりとした時間子供の頃にも過ごした覚えがあるな、と記憶を掘り返してみると思い当たる思い出があった。

あれだ、正月祖父母の家で、こたつに入りながら面白くもない正月番組を見ていた時の時間の流れかたと似ている。当時は退屈で仕方が無かった時間を、こんなにも貴重に思うようなるなんて。随分と歳を取ったものである

2023-11-21

義母ブログをこっそり読んでる

義父母に渡した海外旅行土産をググったらそのお土産感想ブログ記事が出てきて、書いたあった内容があまりにも渡した状況とよく似ていたので他の記事も読んでみたらどう見ても義母ブログだった。しか家族職場についてかなり詳しく書いてある。図らずも義父母、義祖父母その他親戚周り、旦那についてめちゃくちゃ詳しくなってしまった。

さあ嫁(=増田)についてはどんな悪口が書いてあるかな!?好奇心と罪悪感がないまぜになったような気持ち自分のことが載ってそうな記事を探して読み始めたが、「よく喋ってくれる」「明るい」「いっぱいお喋りした」と悪口全然書いてなくてむしろほんのり褒めてくれてることが多くて読み進めるごとに申し訳ない気持ちになった。あとよく喋るとめちゃくちゃ書かれていた。オレはよく喋るぞ!

オープン記事で公開されているとはいえ自分はもう来てはいけない場所だなと思ったのでとりあえずブラウザを閉じた。あと、お喋りマンであることがうるさいかな?とか思ってたが好意的に受け取ってもらってたことが分かってホッとした。おかあさん!またいっぱいお話しましょ。

2023-11-20

ガチャ成功した人のぼやき

から40万円の振込があった。ほとんど、私が1か月に稼ぐ額だ。

から振込があったという言い方になるが、祖父母が亡くなった時に、孫として相続した分で名義は私のお金である。使い道もなく管理を任せているものだ。

制度に移行する前に、今年の積立NISAに充填するようにということだった。よくわからないが、証券口座に入金したあと、何を買うべきかはまた教えてくれるらしい。

人が死んだことによる不労所得

それを、運用してくれようとしている誠実な親。

私はきっと親ガチャ成功しているのだと思う。

そして、親ガチャ成功たからこその甘えの中で生きている。

けれど、この、身に余る待遇にたまに、ゾッとしてしまう。けれど、それをほうって捨てられるほど強くはない。

きっと私はこの後、住む家も買ってもらうだろうし、今後の積立NISA指南を受けつつ、やると思う。働かなくてもギリギリ暮らせるけど、一応アリバイ証明のために働いている。

先日、専業主婦は骨から美しい、というのが話題になったが、ちょっと分かる。自分でいうのもおこがましいが、私は骨が艶やかなバターコーティングされている、昭和生まれの甘くてリッチ焼き菓子みたいなものなのであるクリームがない分、見た目だけちょっと堅実めいていて、でも、アーモンドプードルバターで出来ている、全く堅実でないお菓子

ガチャ成功した、才能がない子供ってのも、なかなか辛いもんである。これが自虐系自慢って思う人もいるとは思うんだけど、でもまぁ、実際のところ、なかなか立つ瀬はないのである

と、インターネットの海に投げてみる。

似たような人もいるかもしれないし、自分覚悟が決まるような厳しい言葉がもらえるかもしれない。

2023-11-18

anond:20231118162757

うーん性格的にありえなさそうなんだよな

子供の頃に株とかしないの?って聞いてもわからいからやらないだったし、親の兄弟が株やってるの知って、損するかもしれないんだぞ!って説いてたし

もう片方の祖父母が死んだ時株券相続されたけどすぐ売却?してた

anond:20231118161721

まあそれもあるかもしれないけど……

でも学費もずっと国公立高校無償大学学費自分で出してたからかかってないし、習い事とかもしてなかったし、ゲームとかも禁止だったからどこにお金使ってたかわかんないんだよね。

他の家と違うことと言ったら親の親(祖父母)が年金貰えてなかったし貯金なかったか仕送りしてたくらいか

指導者が死んだね

学会員にとって11/18は創立記念日で、3/16の次に大事にされてる日なんだけど、そこにわざわざぶつける形で死亡発表するの狙ってるんだろうな。どうせそのまま神格化する流れでしょ、気色悪い。今は実家から離れたところに暮らしてるけど、年末実家に帰るのが今から憂鬱すぎる。絶対親とか祖父母がめんどくさいし。あと信者高齢者がショックで死んだりしそうだなって思った。

2023-11-16

お年玉あげずにアラサーになってしまった

アラサー独身なので、お年玉をあげる相手がいなくて悲しい。去年の正月実家に帰ったけど、祖父母が無くなってるから誰も訪ねて来ないんだ。

ポチ袋用意してたのに。

お年玉あげたい。

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