はてなキーワード: 祖父母とは
まあいい
家族制が近代的になりつつある明治時代から昭和後期までで説明しよう
明治から昭和にかけても大家族と言っても様々であったようで、この形態が必ず
とは限らない
(昭和の時代に祖父母やってる世代なら複数子どもがいるだろう?)、
彼らの中には生家でもある実家で自分たちの両親(子供世代には祖父母)と同居していた者がかなりいたんだよ
昭和後期にはかなり減っていったので増田は知らんのかもしらんが
それと「高等遊民」って調べてみてほしいな
「大学を卒業するという超エリートにも関わらず、経済的に不自由しないために賃金労働につかない者(小説や随筆を執筆したリはする)」
という定義が明確にある
マジで。
農家ではないが、ド田舎なので、価値のない土地家屋が何ヶ所もある
父方の祖父母が民宿をやっていたのでその土地建物があるが、産業廃棄物になる機器類も多くてマジでどうしたら良いのかわからない…
今はほぼ誰も立ち入ることがなくて廃墟になってる(年に1〜2度草刈りに行く)
祖父母が宿を畳んだ後で暮らしていた土地建物には寝たきりの祖父と祖父の世話をする父が住んでいるが、広い庭で祖父が老後の趣味に畑をやっていて、こちらも処分に困ってる
自分たちが育った家は、祖母の実家にあたる建物で、こちらは昨年きょうだいで金を出し合って処分した(ゴミの処分、家屋の解体等で大体三百万かかった)
母方の祖父母の家もあり、祖父母共に既に亡くなっているため近くに住む母が時々掃除したり風を入れに行ったりしているが、母の姉に当たる人が身体を壊してほぼ寝たきりの完全介護状態になっていて片付けに参加しない&その夫が主導して建物財産の権利を主張しているので処分が進められない
現在母が住んでいるのは、母が退職金で祖父母宅の近くに建てた母だけが住む家屋で、帰省先になるのも基本的にはその家だけど、兄弟全員実家地方に戻るつもりがないから早めに建物を処分して施設とか探して入ってほしいけど、まだ元気でパートや趣味で残りの人生楽しんでる感じ
特に宿の跡地の処分は父に何度も頼んでるけど、祖父が存命だから〜とかなんだかんだ理由つけてのらりくらり20年以上何にもしてもらえないでいる
まず、消費税は
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=363AC0000000108
消費税の収入については、地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする。
(これらの予算のための国債の支払いにも使われているので国債の償還にも使われているのでそこを勘違いしてよくそれ以外にも使ってるじゃないか!という人がいるけどまぁ気にすんな)
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/d05.htm
詳細は上でも見てみてくれ
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-09-07.html
推移がこれで
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21509.html
でまぁ、消費税って非現役世代にも社会保障負担をさせられるっていう意味があるんだけど、それは分かる?消費税は社会保障に使われてるからね。
消費税を減税したらどうなると思う?公費負担維持するのに国債の発行を増やすのはまぁありえそうだね、その上で足りないなら社会保険料上げるしかなくなるよね?
どっちがいい?消費税減税して社保上がるのと消費税を現状でどうにか維持しつつ社保も挙げないようにバランスとる戦略とるのと。
(最近あった65歳以上の高齢者の社会保険料負担させるっていう議論もバランスとる戦略の一環)
でさ、社会保険料を考えてみるとね
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/~/media/Files/shared/hokenryouritu/r4/ippan/r40213tokyo.pdf
まずは健保、若者によくいそうな17等級195,000 ~ 210,000で全額が19,620円、労使折半で9,810円
これが18等級210,000 ~ 230,000になると全額21,582円、労使折半10,791円になる
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/hokenryo/ryogaku/ryogakuhyo/20200825.files/R05ryogaku.pdf
14等級195,000 ~ 210,000で全額36,600円、労使折半18,300円
15等級210,000 ~ 230,000になると全額40,260円、労使折半20,130円
賞与については千円未満切り捨て年金も健保もかかるのでまぁ額が増えれば負担額も増える
なのでまぁ2万円一気に昇給すると仮定した場合に会社の負担金額としては23000円増える
これが面白いことに3000円ずつ昇給していった場合に残業なしと仮定すると超えた年の456月を過ぎた後に昇給分打ち消しちゃうんだよね
更にねんきん定期便をちゃんと見てる人ってあまりないと思うんだけど、会社負担分があるにも関わらず
支払って積み立てたと計算される分は本人負担分だけで会社負担分は積み立てた扱いにならないんだね
どこに行ってるか?それは今の年金支給の補填にガンガン回されてるよ!
ちなみに、それだけじゃ足りなくなってきたから本人負担分も補填に回すって議論もされてるよ!
【ここから本文】
私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲の北区で、今は海側の住宅街に住んでいます。
他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています。
子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園と須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。
この夏は本当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。
神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります。
こないだ、三宮でコーヒーと紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。
山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれてしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたらなあ。
湊川商店街は学生の頃と変わらずにぎやかで元気があります。湊川公園の、ちょっと怖い通路も実は好きです。
ずーっと下って新開地まで歩くと、西方面に大開通という道があって、とても懐かしかったです。高校生の時の通学路でした。
別の日。山に行きたくなって北区に行きました。
といっても地下鉄一本抜けたとこ周辺です。六甲山と丹生山系に挟まれた地域です。大切な風景です。
空が高くて、藁葺の屋根と田んぼの彼岸花を見ているとギューッとした気分になります。水路には赤とんぼがいました。
別の日。川に行きたいと思ったので住吉川を歩くことにしました。この川は地域の人達の協力もあってとてもきれいな川です。カモとかサギとかがのんびりしています。夏は子供さんが水遊びしてます。
別の日。山歩きがしたくなったので、少しだけ六甲山に入りました。新神戸駅の横から入ったけど、運動不足が祟って1つ目の滝をみてギブアップです。また、登りに来るねえ。
その日はフロインドリーブの焼き菓子を買ってバスで帰りました。
別の日。山に行ったら次は海!と思っていたので、海へ一目散。着いたのは六甲アイランドのマリンパーク。久しぶりに動いているガントリークレーンを見ました。子供のころはこれをキリンと思っていました。
阪神淡路大震災で、港は随分元気をなくしてしまったけど、まったく機能しなかった時からすれば、よく動いてくれてるなあと思うんです。
この日は帰るのが少しめんどくさくて、石段に座ってボーっと夕日が落ちていくのを見てました。
その日の夕飯は、スーパーで買ってきたコロッケと、作りおきの切り干し大根、卵のお味噌汁にしました。
お風呂に入っていると、夜、ボーーーーッという大きな汽笛の音が聞こえます。
昔祖父母の家に泊まった時も聞こえました。
別の日。買い物でハーバーランドへ行きました。神戸駅は東海道線の西終着駅です。大阪の梅田が終着駅だと思ってる人がいるんだとか。
それにしてもまた海です。ここはできた時からガラッと変わった部分が大きくて、まだ慣れません。
「かつてデートで来ていた二人がファミリーになってもう一度来る場所に」という感じのコンセプトでリニューアルしたそうですよ。
私、大きなモールの西側入口にあるディンドンというからくりが子どもの頃から大好きで、うっかり立ち止まってしまうとずーっと眺めてます。
ホールの東出入り口の近くに、モザイクに行くためのエスカレーターがあります。このエスカレーターは途中で平らになるんですよ。私のお気に入りです。
買い物を済ませて高浜岸壁に行くと、大きな船が入ってきていました。コンチェルトだったでしょうか。
夜は花火が上がるとのことだったので、混雑に巻き込まれないよう、早めに帰りました。
別の日。友達が来ることになったので、自分でパウンドケーキを焼きましたが、いまいち地味に仕上がってしまったので、急遽ケーキを買いに出ました。
日が落ちると友達が「今から夜景見に行かへん?!」というので、車に乗せてもらって、六甲山から夜景を見ました。お車代は断られたから、作ったパウンドケーキの半分をお渡ししました。
別の日。旦那と喧嘩しました。些細なことです。お箸たてにお箸をさすとき、どっちを上にするかで喧嘩しました。
現実逃避したくて、ずーっと部屋で犬を飼う構想を練っていました。朝起きるのが苦手な自分のことは棚に上げました。
犬がいたら、一緒に色んなところに行けそうなのになあ。
別の日。異国の寺院が見たくなって北野へ行きました。最初に頑張って北野神社に参りました。階段でいきなり足ガタガタです。
北野にはイスラム教寺院があります。とてもきれいな建物ですが、いまいちきれいに撮れるポイントがないです。でもここのモスクは日本で一番古いモスクなんですよ。
ジャイナ教の寺院があるのは日本でここだけです。どうしたらいいのか分からない度がすごいです。
輸入食品店でハルヴァという中東のおかしを買って、ちょっと西にそれながら坂を下って栄光教会を見上げました。この教会は阪神淡路大震災で崩れた煉瓦をもう一度組み立てて再建したという根性エピソードがすきです。
生田さんにお参りして終わりです。日本の神様は、他の神様にも参ったことを褒めてくれたらいいなあ。
この日は早めに帰って旦那と家で食事をしました。鶏モモを照り焼きにしたやつと、スーパーの高野豆腐と、トマトサラダと、卵の味噌汁です。
旦那の出身は神戸ではないので、こっそり、早く神戸好きにならんかなあと思っています。無理強いはできないけどね。
嫌な事件も多いし、どないなっとんねん!と思うこともあるけど、まあまあのどかで楽しいですよ。
ここまで読んでくれた人に、平和さが伝わってたら嬉しいです。
いろんな反応やコメントがあって嬉しいです。ありがとう。夜中に日記を読み返しながら書いたものなので、恥ずかしいはずかしい。
今日はいい天気なのもあって、嬉しかったし、なんとなくレスしたい気分なので、レスさせてください。
・固有名詞全部わかる~の人
→ありがとう。摩耶埠頭は私も好きです。県美のりんごには一人ではたどり着けません。なぎさちゃんもです。
・住んでたから分かる~の人
→ありがとう。住んでると身近なものばかり書いてしまいました。
・箸立て~の人のひとたち
→お箸の先が底になったら底の汚れが先に付きますよね。でも上にしてたら空気中の汚れが付きますよね。
そんな感じです。蓋付きのお箸立てを買えばいいことに気づきました。先端恐怖症ではないんですよ。
→怖い人とは関わりたくないなあと思いながら暮らしています。中学校は遠い昔の話ですけど、全員坊主はアカンかったなあと思います。関西弁、ごめんねえ。他地域の人にわかりやすく話したいとは思ってるんですよ。
・センタープラザ~の人
→カード屋も多いけど、最近はガチャガチャコーナーも増えてますね。うっかりすると小銭すぐなくなっちゃう。
シャッター、寂しいです。昔はもっと中古CDとか古本とかの店が多かったですね。
・イノシシの人
→ありがとう。夜道で遭遇すると「あれ?犬?」ってなります。うりぼうは可愛いけど近づきません。油断大敵です。
たまに小さい川の方に降りてきててカモと一緒にいると、鍋コンビやなあと思ってます。
・長田に行って~の人たち
→悲しい気持ちになるのは嫌だけど、切ない気持ちにはなります。シューズプラザの赤い大きなハイヒールを高校生の時に見て、もっと子供だったらすべり台にしてそう、と思ってました。
靴の青空市場で、一袋靴詰め放題1000円!というのがあって、さすがケミカルシューズの町!って思いました。
歌は謎だけどそばめし美味しいよね。長田は美味しいお好み焼き屋さんも多いんですよ。
・良い街なんだけど~の人
→ごめんなさい。そういう話し方をしたいわけではないんですけど、兵庫の言葉は押しというか、圧が強いみたいです。
敵意も悪意もないんです。私が話すのは神戸弁ですが、怖がらせてたら申し訳ないです。
・生まれ育った街が~の人
→いろんな街に住んで、それぞれの魅力が知れるのは、嫌だなと思う経験があったからかもしれませんね。
死ぬほど羨ましいと思ってくれるのはちょっと鼻が高いけど、でも死なないでください。いつか神戸に遊びに来てください。
・移住者だけど~の人
→住んでこそ楽しい街、本当にそうです。移住してきた方に言われると嬉しくなってしまいます。嬉しいなあ。
一緒に神戸に骨を埋めましょう。でも時々、生まれた街のことも思い出してくださいね。
あまりこういう日記を書かないので読みづらかったらごめんなさい。
エスカレーター、間違ってた!いやー!はずかしい!
【16:55 再追記】
こんなつたない散文がホットエントリに入ってしまったようです。念のため身バレを防ぐためにいくつかの箇所をいじりました。
内容は若干虚実入り交じっているし、別の日なだけで、時系列は過去未来様々です。
ブコメで懐かしいと思ってくださる方、良い文章だと言ってくださる方、本当にありがとうございます。
あまり他の都市のことは書かないようにしたいですが、神戸は近くに京都や大阪という大きな都市がある分、そしてそれ以外にも周辺に魅力的なまちがたくさんある分、旅行で神戸だけに長く滞在してもらうにはむつかしいのかなと思います。
でも暮らしていると、まあまあ平凡でぼんやりできるとこですよ、ということが書きたくて日記を読み返しました。
書いてない区のこと(西、垂水、須磨などなど)もちゃんと神戸です。読み返した分の日記の中には偶々なかったり、書くと身バレの危険がある部分だったりしたので内容には入りませんでした。
名谷駅のタイルの壁がなくなったの、ちょっとさみしいですよね。でも地下鉄の駅前はどこもにぎやかになっててすごいですよ。
書いていたら本当にキリが無くなるのでこの辺で。
子供は欲しい。
しかし、普通に俺が結婚できる(俺と釣り合う)レベルの女性と結婚して子供を作ったところで子供が辛い思いをするだけ。男の子が生まれれば尚更、俺と同じ辛い目に合わせてしまう。
両親は元気なので祖父母ありのシングルファザー家庭として育てられると思う。
ただ、非東アジア人との間に子供を作り日本で育てることについて勉強面の不安もある。例え容姿の良いハーフ顔の男の子が生まれても、微分積分なんかに躓いて理系に進めなかったら詰むわけだし。
うーん。
とはいってもわざわざ好むわけではなく炊飯器に入れたまま保温が終わって品質保持のまま電源が切れた冷たい米飯を食べるときにわざわざ温め直すことをせずにそのまま食べるのです。
冷たい飯美味いですよね?
そりゃあ炊きたてのも美味しいですし、保温したもの(外食で食べるたいがいの米飯がこれ)も好きです。それと同じくらい冷たい飯も美味しいということです。
弁当のご飯も冷たくても美味しい。おにぎりもそう。もちろんホカホカご飯でも美味しい。
なんだってこんなことを書くのかというと家族がご飯が冷たいことにありえないくらい否定するからです。
それがわかってるから温めて出すけど、温めが足りないと再度の加熱を要求する。
私はレンジの加熱により熱くなった器を持つのと包んだ熱いラップを取るのと吹き出した蒸気が熱い状態が嫌いです。親の仇より嫌いです。
アレに触るくらいなら冷や飯でいいというのが正解なのかもしれません。
そう思ったのは幼少期にあると思い出したのです。
両親も祖父母も家で働いてましたから、早い段階で保育所に預けられてました。
保育所は弁当で、町内をバイクで移動する事が多い祖父が毎日昼時になると、おれに弁当を作って持ってきてくれました。自分たちの昼にあわせて炊いたご飯に作ったおかずをつめたのを持ってきます。
祖父がヘルメットを被ったままニコニコと現れて保育所の先生に渡すのは日常でありますし、だれもイヤミや妬み嫉みはいわずに羨ましがりもされてませんでしたが、たまに思いついたように先生が「毎日温かいご飯でいいねえ』と言われるのが幼心にみんなとちがい恥ずかしくもあったし、みんなの冷たい弁当のほうが美味しそうにみえたんですよね。
その感情が根元にあったから冷たい飯に憧れに似たようなものがあるのかもしれないです。
そう思い出したので記しておくことにしたんです。
以前「これから出生率を上げるのはかなり厳しい」という文章を書いたことがあったので、この機会に乗じて投稿します。
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戦時中は全体の半数ほどあった第一次産業が、平成17年では5%、つまり10分の1ほどに減少しています。
https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm
農家にとって子供を産むと言うことは明確な動機づけがありました。
しかも、その労働力は、学力などの「投資」を行う必要がありません。
ですが、現在、日本の労働構成の多くを占めるサラリーマンにとってみれば、子供を産む動機づけが農家などよりは低いのは否めないかと思います。
つまり、昔の農村部の人にとって子供は「資産」であったものが、現代の人にとっては「投資対象」になってしまったということであるかと思います。
また、そうして第一次産業が減少することで、人々が地元から離れ、都市部に移動します。そうすることで核家族が増えたのも、ひとつの要因かと思います。
核家族になる前は、子育てを祖父母、近所の親戚、近所の人たち等で負荷して、その負担を分散させていましたが、核家族になってその負担が親に集中してしまった。そうなると以前のように多くの子供を育てるのは物理的に困難になるでしょう。
ちなみに、人間は閉経後の寿命が他の哺乳類に比べてかなり長く、「おばあさん」の存在があるのは人間だけだそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%95%E3%82%93%E4%BB%AE%E8%AA%AC
次の原因としてあげられるのは、「見合い結婚の減少」ではないかと思う。
お見合いが減少した理由として考えられるのは、若者が農村部を出ることで、核家族が増え「ご近所付き合い」や「親戚付き合い」等が減少したこと。価値観の変化で「自由恋愛」の価値観が向上したことなどがあるかと思われます。
では、なぜ「見合いが減ったことで少子化になったか」の理由です。
恋愛結婚は、個人の自由意志で結婚できると言う側面がありますが、もう一方は「弱肉強食の世界」であると言う側面を持ちます。
https://neputime.com/wp-content/uploads/2020/07/20200722_1.jpg
これはマッチングアプリの縮図を表したものですが、だいたい現実もこんなもんかと...
つまり所謂「非モテ」の人たちは、ある程度の妥協をしないと結婚することは結構難しくなっている。
しかし、「じゃあ妥協して結婚しよう!」と簡単にそうならないのが現実ではないかと思う。
テクノロジーや娯楽が発達した現在、結婚せずとも有意義な時間を過ごす方法はたくさんあります。
「独身貴族」と言う言葉があるように、むしろ結婚しない方が幸せに暮らせると言う考え方も一理あるでしょう。
以上のように、少子化になっていったのは、元は「第一次産業が減少したのがそもそもの始まり」と言えるかもしれません。
しかし、それも元を正せば、18世紀にヨーロッパで起こった産業革命が起源と言えるでしょう。
つまり、少子化は世界の歴史の流れの中での必然の出来事なのかもしれません。
https://president.jp/articles/-/49555
この記事によれば、原因のひとつとして「子供の死亡率の改善」を上げています。
つまり、「子供の死亡という不幸な出来事が減ってきたことが結果的に少子化につながった」と言うことです。
「幸福を追求した結果、少子化につながった」とは皮肉なことです。
以上、まとめるとこうなります。
②技術の進歩や、娯楽の充実、個人尊重の流れが少子化を加速させた
②に関してですが、別に個人の尊重を否定しているわけではありません。
そもそも、価値観に絶対は無く、時代や文化や環境など様々な要因によって変わるということを言っておきたい。
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以上
多くの日本人の意識が「個人の尊重より国の発展が大事!」みたいな「そういう空気」になったら少子化は止まる可能性はあると思うよ。よっぽどの事だと思うけど。
共働きがこれだけ増えても男性の育休取得率も期間も子供を育ててる人とは思えないレベルだし家事の分担も全然だがな
男性の労働時間は長いままだし女性が仕事を抑えるか辞めるか祖父母に助けてもらわないと複数の子供を育てるのはまず無理な社会のままだし
本棚が足りない
10畳1K
電子書籍も試したけど合わなかった
なるべく漫喫や図書館で借りたりして読んでるが、好きだった本は手元に置いておきたくなる。
同人?個人出版?の本や漫画はもう二度と出会えないかもしれないので捨てられないし、好きな本は問答無用で買ってしまう
技術書は古いの定期的に捨ててるがずっと残しておきたいのもあるし、図書館には無い。
会社で借りたり買ってもらったり出来るが技術書は読むのに時間がかかるので返却日に追われず色々並行しながらゆっり読みたいのでやはり自分の本として欲しい
引越しすればいい
まあそうなんだけど……
引っ越すのも面倒だから家建てようかなと思って書庫がある家とか、書庫まで行かなくても本専用部屋がある家とか見てるんだけど面倒くささが勝って行動に移せてない
国会図書館は?
出不精すぎて行くくらいなら買ってしまう……
国会図書館すごいよね。
親が親(私の祖父母)の思い出?をかきあつめてたんだけど、親も生まれてない、祖父母が若い頃投稿した雑誌とかヒットしてた。
床が抜けそうなので、とりあえず追加を買わないことにした
昨日過去一でド不快な増田を見てしまって寝て起きたら忘れるだろうと思って朝見たらクソバカで愚かな元増田がゲボのような追記をしてさらに不快だったので書いておく。
まず俺は愚かで浅はかな元増田が触れていた千鳥と同じ備後圏出身の人間だ。テレビを普段見ないので千鳥がどのようなノリ・状況で「なんよ」を使用しているかは知らないが、「なんよ」はごくごく普通に日常会話として使う。なんなら方言として意識したことさえないくらい当たり前に使う。当然俺の父も母も祖父母も使う。
その言葉がどうやら非常に残念な元増田にとっては不快らしい。いや、別にいいよ不快であるとか表明しても。好きにしたらいいさ。
でもこれはなくないか?
これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒い。ネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないかと懸念を抱く。
お前は一体何様なの? 『この言葉遣いをした時点で』って俺含む西日本地域のこの言葉を当たり前に使ってる人間がネイティブかどうかお前のうっすいリテラシーでは当然ながら判別ができないのだけど、「なんよ」を使った時点で他者を『メタ認知能力に欠けたアホ』カテゴリに入れるらしい。お前に十全に備わっているらしい自前の「メタ認知能力」とやらでそんな自分を認知してみてくれ。
『ネイティブは別にいい』とか相当腹立つし何俺が故郷の言葉を使うのにお前にいちいちお伺いを立てないといけないのかとかマジでこいつ何様何目線だとかあるけどまあいいわ。
「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい
1. なぜ自分がそのような言葉遣いを選んでいるのか? 1で無意識に流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?
そうだよ。無意識に家族の、地域の地元の人たちがしゃべってる言葉を模倣したんだと思いま〜す。やめてはどうか?だって。カスが。お前今何言ってるかわかってる?
次の段も腹立つわ〜。
ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなたは一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?
大学進学で上京したとき方言からかってくるやつら当然いたけど、こういうメンタルだったんだな。首都圏にいるからには方言なんてしゃべったら「お里が知れる」し周囲に配慮できないのはアホなんだと。『自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか』お前自分の主張がある特定の属性の人間にどういう印象を与えるかもう少し意識的になれば?お得意のメタ認知でさぁ。
人のふるさとの言葉にケチつけといて、その根拠が結局徹頭徹尾文系特有のポエティックなお気持ちに終始しているから始末が悪い。「理知的な俺が言葉の使い方について啓蒙してやる」みたいな手触りの文章ゲボ吐きそう。ダメ押しでgoogleサジェスト出してくるのびっくりしたわ。ダサすぎでしょ。データ笑を用いて客観的な俺すごいって?
「ぼくだけじゃなくてぇ〜、なんか他にも気持ち悪いっていう人がいるみたいなんでぇ〜、やめたほうがいいと思いますぅ〜」
お前さぁ、「広島弁」でサジェストかけたら「汚い」とか「気持ち悪い」とか出てきますけどお前の理屈でいえば広島弁喋んない方がいいんですかね。いいんですよねきっと。
ほらほら警鐘鳴らしちゃってくださいよ、広島弁が汚くて気持ち悪いことにさぁ。
なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。
はーっ、てめえの根拠の浅い快不快の感情はだれかが故郷の言葉を使う理由にも優先されるらしい。故郷の言葉を使うのに理由なんかねぇよボケ。
俺個人で言えばべつに一部で流行りの言葉になっているらしい「なんよ」を非ネイティブが使おうがどうでもいいわ。地元の方言で色々いじられたりしたことあったけど過去ここまで方言のことでムカついたことはないわ。リアルめの倍率で表現すると方言いじりの30倍くらい不快。
だからといって元増田は主張を取り下げることを俺は望まないです。
首都圏に住む人間がどれほど無意識に無自覚に軽率に浅はかなノリで傲慢に地方の文化を見下し、下賤なものとして見ているかを示す貴重なサンプルであり証拠なので消さずに残しておいてください。望むとしたらそれくらい。
それはそう。みんなFIRE目指しとるしな
でもみんな親がいてみんなやがて老人になるので
まさかの庶民があたおか上級国民が社会保障費を削る口実作りの手助けするのはやめよう
もし子供ができなかったら子なし夫婦でいたいけど夫はもし子供ができなかったら養子縁組希望らしかったので、きっと夫の希望を尊重して養子縁組していたと思う。「私は養子縁組をしたくないので離婚してください」なんて言えなくて
とよくいうが、私はやっぱり自分と夫の遺伝子を受け継いだ子供が生まれるという奇跡が見たくて、
養子でもいいよという人は本当に純粋に「子育て」がしたかったんだろうな
私はやっぱり自分の産んだ子供以外の子供を育てるなんて考えられなかったから
自分の子供が祖父母から親戚の○○に似ているなんて話題がでると嬉しくてたまらない
不妊治療がうまくいかずに苦しんでいる人に「養子でいいじゃん」って簡単に言える人はなんなんだろう
脳が雑にできてるやつらは単純でいいな。
たとえば
育児ではなく出産だし、出産自体ではなく出産するという見込みな。
雇用する側は、女性は出産でキャリアが断絶する見込みがあるので、男性にするような期待をかけず、その結果としての賃金格差が生まれる。
また、女性自身の側でも、将来そうしたことが見込まれるので男性ほどガチガチにキャリアに投資せず、それがさらなる格差を生む。
育児が原因なら、保育園なりシッターなり祖父母のヘルプがあればいいじゃねえかということになるが、それでは格差は埋まらない。
出産自体が原因なら、生まない女性には差がつかないということになるが、それでも格差は埋まらない。
女性が生む計画自体を人生設計から外せば差は埋まるかというと、雇用者側の見込みにも格差を生む原因があるので、それでも格差は残る。
そんな当たり前の研究結果でノーベル賞を取れるのかというやつらもいるが、数ある可能性の中で統計データで実証された格差の原因がこれだ、ということに意義がある。
そういうことを全部すっ飛ばして適当につまみ食いして参照するだけの雑な脳味噌の連中は、ほんと、簡単な世界に生きていて羨ましい。
昨年度公務員試験を受けるために会社を退職し、合格して来年度からの任用を待っているため現在ニートの身である。
小さい頃から過度な受験戦争にさらされてきた私は、従兄弟や祖父母の住む田舎町に憧れていた。
週末は畑や田んぼをし、きれいな景色を見ながらのんびりと暮らす、受験戦争とは無縁の世界。いつかはこんなところで一生を送りたい。そう思いつつも、なんとなく周りの価値観に流されてしまい、都会の大学、都会での就職ルートを辿り、慌ただしい日々を過ごしていた。
公務員試験を受ける際、私はチャンスだと思った。ここで田舎の市役所を受ければ一生田舎で暮らせる。ついに憧れの田舎ライフだ。私は意気揚々と出願をし、受かったら一緒に住もうと祖母に連絡を取り、夜行バスで説明会や試験に通った。
そして迎えた面接。私は通り一辺倒の質問をされてあっさり落ちた。都心の官庁や自治体は合格できたのに、ここだけあっさり落ちた。
「年齢が行きすぎてる女なんて採用するわけない」
との言葉が口々に投げかけられた。
そこで初めて気がついた。
私は田舎の嫌な面に目を瞑っていたということを。
よそ者に対する風当たりの強さを。
田舎民からしたら、私は何処の馬の骨ともわからないただの行き遅れの無職なのだ。
そりゃ返り討ちになるに決まってる。