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はてなキーワード: 祖母とは

2024-03-08

anond:20240308084247

祖母の兄は能力者で、手をかざすとろうそくに火が付く人だった。

宗教教祖になれるような実力者だったが、人格者だったので、普通の人として生きて亡くなった。

2024-03-07

小父の家売却顛末記 - 全ては良い不動産屋に出会えるか-

梅宮アンナさんが梅宮辰夫さんの別宅を売却した話を読んでいて書きたくなったので書く。

ワイは田舎限界集落の看取り人を自覚しながら、もうすぐ消滅自治体になると予言されている山奥で暮らしている。しかし、父の弟、つまり叔父地元を出て外で暮らしていた。

中堅企業なれど、ニッチ特殊プラントを作れる唯一の会社で、そこのエンジニアとして働いており、最後は三代目社長ボンボンぼんくら)を支えるNo2として技術の面から支えていて、結構な金を稼いでいたようだ。

田舎農家を継いだお人好しの兄貴……つまりワイの父がトラクターが壊れたと修理していたら、突然新品の35馬力の巨大なトラクターを手配してくるような豪快な人だった。

ところが、役員定年を迎えた翌年、ものが旨くたべられないと病院受診したら進行した食道癌がみつかり、一応手術をしたもののあれよあれよという間に死んでしまった。小父は独身でもちろん子どもはおらず。内縁奥さんといっていいぐらい長い間お付き合いをしていた女性がいたらしいのだが、ずいぶんと年が離れていたためか、籍は入れなかったようだ。

そして残ったのが叔父資産である。その最大の資産は、会社がある地方都市結構いいところにある広い家であった。

家との遭遇

ワイと父は一度も小父の家に行ったことが無かった。いつも小父は呼ぶより帰って来たがったし、当時はまだ祖母がまだ生きていたので。

さらに、小父の最後は、ワイらが住んでいる家の近くのがんセンター引っ越してきていて、そこのホスピスに転院すると言う話をしている間に亡くなった、ということもある。

そこで小父は「中身は全部捨てて空にしてくれ」「空にしたらあとは好きにしてくれ」と遺言を託していた。

で、行ってみたところ、びっくり。そこは結構な高級住宅が並ぶ一帯だった。庭は狭かったが、駐車場は3台楽々止められる広さがある日本家屋建物自体はかなり立派。

小父はこれを中古で買ったらしく、築40年ちかくたっていたが、最低限のメンテナンスは行われていて、雨漏りしているとか致命的なことは無さそうではあった。

家終い

中は、絵に描いたような男の一人暮らしで、ゴミの山とかはなかったものの、物だらけ。小父の趣味のものがあちこちに詰め込まれている状態だった。

まずはこれを処分。それだけで一年近くかかった。全部捨てろとのことだったが、それもなんか心苦しくて、形見分けに欲しがる人に渡す、古物屋に売る、などをやっていた。

そうしながら、親父の兄弟で話し合いをもったところ、兄弟の家から結構離れていることもあって、売却する方向で話を進めること担った。

当初、飛び込みでそこらの不動産会社などに相談していたのだが、いずれも「上物には価値がない。値段は土地だけ」と言われた。まぁそんなものなのかなと思う一方で、なんかもったいない気もしていた。

そうして片付けに通っている間に、近所の方ともなんとなく挨拶するようになって、お土産を交換するぐらいに仲良くなってきていた。

そこで、最終的には維持できないので、売るつもりではいるんです、と言う話をしたところ、なんと、その方が別の不動産会社を紹介するので、そこと相談してみないか?とおっしゃってくれた。

そして売却へ

そうして、別の不動産会社の方と面会すること担ったのだが、その方は一通り家を見て、図面を見たあと、今までの業者全然別の事を言い出す。

そのため

の4つとなった。当然最後にいくほどこちらの取り分は大きくなるが、必要な金とリスクが大きくなる。また、不動産業者は利益関係から最初コースにするなら不動産会社が買うと行っていた。

が、小父は現金でもかなりの遺産を残してくれていたので、祖母相続した分でも相当な金額になっていた。それを定期預金に預けるよりは、と言うことで、4番目のコースで行くことにした。

これが大正解結論から言うと、リノベの改装が直後に複数の買い手がついた。不動産会社が「最終的にこれぐらいの価格であれば確実に売れると思います」としていた価格よりも500万円ぐらいは高く売れた。

そしてその後

祖母兄弟それからワイが入って相談し、売却した不動産お金は、最後まで小父を支えててくれていた内縁の妻と折半し(売却のためのリノベ費用こちら持ち)贈与することにした。

他にも金融資産を中心にしっかりと金はあったのだが、女性は受け取れないと受け取ってくださらなかった。

ただ、どうも小父とお付き合いをしていたために婚期を逃したようなところがあることから、家を売却したお金からと改めてお手紙を書いて、お願いして受け取ってもらった。

また、その時にお世話になった不動産屋さんは、ただ不動産を売却するのではなく、古い家をリノベして高付加価値化して売ったり、貸し出したりすることを得意にしている開発型の不動産屋さんで、そのノウハウを使って地方空き家問題にも取り組まれているところだった。

そこで、ワイは今、そのノウハウをいただいて、小父さんの遺産を元手に、地元空き家をリノベして活用する事業を進めている。

遠距離経済格差のある彼女との結婚

3年付き合った彼女結婚したい。

スペック

自分(28)

一般的サラリーマン家庭育ち、姉と妹に挟まれ長男職場名古屋中小企業一人暮らし

実家資産は両親と祖母の家の建物土地、墓くらい。

過去大学中退祖母の家に世話になった期間あり。今の企業コロナ禍直前に拾ってもらい5年目。

彼女(23)

父が勤務医で母は薬剤師独身の姉(32)がいる。職場関西実家相続税対策で父名義と祖母名義の小規模マンションが計6-7軒。

SNSを通じて知り合い、付き合ってからは月に1-2回のペースで会って現在3年目。

そろそろ結婚と言わずともはやく同棲をしたいと彼女が言っており、私も同意見ですが遠距離なので拠点をどちらに置くかが問題に。

大学中退からやっと経済基盤が落ち着いたところであり、学歴高卒資格もないため転職スムーズに行くとは考えにくい。名古屋に来てほしいと言うのが当初の私の意見

若いうちは名古屋拠点でも良いが祖母や父が死ねマンションを継ぐことになる。その管理を考えると結局関西に戻ることになり、それならば今から関西に住んだ方が良いのではないかというのが彼女意見

であるならば10-20年後転職するよりも、30歳手前の今の方が転職やすいのではないか?と考え、話し合いの結果私が関西に行った方が合理的だという結論に。

しかしこれをまず母に伝えたところ、以下の懸念事項を挙げて「反対ではないがかなり心配」と難色を示された。

彼女と上手くいけば良いが、病気事故破局など上手くいかなかった時に失うものがあまりにも大きい選択ではないか

・その条件では私の立場婿養子に等しくとても弱い、彼女義実家に対しモノが言えなくならないか

結婚するにあたり私ばかりが譲歩しているように見えるが関係は対等か?大丈夫か?

大学中退したとき祖母に助けてもらって持ち直した人生の重みをわかっているか

・親の老後の面倒を見ろとかは言わないし継ぐものもあまりないが、とにかく上記のことが心配

親の言うこともわかるし、今まで心配をかけてきた自覚もあるが私もも28。心は関西に行くと既に決めている。気持ちよく送り出してもらうにはどうすれば良いのか……。

追記

早速コメントがついていて少し驚いている。

マンションは数棟あるものの、修繕や建て替え費用を考えると大家業だけで暮らしていける収入には意外と(?)ならないようだ。

同棲タイミングについては私の転職タイミングにもなるが来年4月がキリが良いのでは?という話で、結婚すること自体はお互い決めている。同棲後にいい日付で籍を入れようかと話している。

相手の親は姉も独身のまま放任しているし、彼女に関しても基本的放任主義のようだ。

ちなみに私の父はリスク提示はするがそれでもいいなら好きにしろという方針。まあ今どき許可を得なきゃいけないものでもないと思うが実家との円滑な関係は維持しておきたい……。

覚書

2月の半ばにあなたが咳をし始めてから、それとなく「死」の一文字を思い浮かべることが多くなった。

それ以前、あなた散歩を厭うようになったのを感じ始めてから、考えていたことが明確に姿を見せたともいえる。

日に日に食欲が失せていき、妙におなかが膨らんだのを見て、なにとはなく「あぁ」と思った。

2月14日まではたしかに芋を食べていたが、以降はそれも徐々に食べなくなって、それから一週間ほどでほとんどなにも食べなくなっていたと思う。

26日に薬を飲み出してからも、あまり改善したような様子はなく、そればかりかとうとう水も飲まなくなった。

それからというもの、いつものようにそのつもりはなくソファで夜を明かした私が朝方することといえば、あなたの部屋のドアを開けてあなたが出てくるのを確認することになった。

でもしばらくしてあなたは部屋の中だと苦しそうに呼吸するようになったので、私は一度部屋に入ったあなた独断で出すことにした。

そうしたらあなたはいもの場所で伏せて、静かに寝息を立てたので、私は安心してその日はベッドで寝た。

翌朝、部屋にいるはずのあなたが出ていたことを両親が驚いたと言っていたので、昨夜のことを話した。狭い場所がいけないのだろうとみんななんとなく思ったのでしょう。その日からは、夜になってもあなたを部屋に入れなくなった。

しかそのころは夜が妙に眠かったので、私はたいてい日が回るより先に眠っていたと思う。

けれど3月1日から3月2日の夜中、私はたしか3時くらいまで起きてリビングにいた。1時頃にソファタブレットをいじっていたら、こたつの向こうであなたが吐いた音がした。黄色いドロドロした吐しゃ物で、幸い敷いたペットシーツから漏れはいなかった。あなたの足にもかかっていたのでウェットシートで拭いたけれど、だいぶしつこくて5枚は使った。空腹由来の嘔吐だったので、注射器ミルクを飲ませた。ほんの雀の涙程度だっただろうけど。

3月2日から3月3日にかけての夜中、その日はちゃんとベッドで寝ようと思って、夜中の2時に一度布団に入った。けれど、眠気が強くなる前にリビングに降りた。いつも父が明かりを点けたまま寝落ちているので、そうであれば明かりを消さないといけないと思ったし、前日の夜中にそうだったように、あなたがまた吐いていたらいけないと思ったからだ。

そうしてみたら、案の定明かりは点いていたけれど、予想と違って父は起きていて、リビングのドアの近く、あなたがいつもいる場所(それよりは少しドアに近かった)にあなたがいて、突然降りてきた私を見ていましたね。

事情はわからなかったが、あなたを父が構っていて、でも危惧していたことはなかったので、私はあなたの頭を撫でてベッドに戻った。

そうして翌朝の8時ごろに私は目を覚まして、すぐには起き上がれずにいたら、8時24分に一階から大声で母が私を呼んだ。

私はそのとき、至極冷静に「逝っちゃったかな」と思った。そんな気がした。そうだった。20分に逝ったらしかった。すぐに起きていればよかったかとも思ったが、そのおかげで私が記憶している最後あなたは穏やかだった。

あとひとつなにか悔いがあるならば、兄に伝えなかったことだ。母はそう思っていなかったようだけれど、私は正直なところ、死ぬのだろうと思っていた。積極的には思っていなくて、痩せて骨の浮いた背を撫でて「そのうち戻るかな?」と考える頭もあった。けれど、意識的に先のことを考えたときは、やはり死ぬのだろうと考えていたように思う。

命日の約一週間前が私の誕生日だったので、兄は実家を訪れていた。そのころはまだなにかしら食べていたころだったと思うので、ある意味ではまだ元気なころだったと思う。それを良しと捉えるか悪しと捉えるかは人によるだろう。

離れて暮らしていることを思えば、命日の一週間ほど前に会っていたのはよかったといえるのかもしれないが、なんにしても私が決めることではない。ただ、それらを自己決定に委ねるのであれば、一緒に暮らす者の所見としてその可能性を事前に提示すべきだったとも思う。

からきっと、あなたが近く亡くなることを高い可能性として最も想定していたのは、実のところ私だったんじゃないかと思う。あなたが息を止めたとき、私はその場にいてもあなた蘇生しようとはしなかったでしょう。あなたが咳をし始めてから二週間と少し、あなたものを口にしなくなってから一週間弱、それだけ続いた苦しみがようやく終わったんだと安堵した。死んでほしくはなかったが、それ以上に苦しんでほしくなかった。

そう、3月2日の午後に、母があなたに薬を飲ませようとしたときあなたはそれをいつも喉に押し込むようにして与えられていたので、それを嫌がったのか、やや機敏に立ち上がって逃げようとしましたね。でも窓を向いていたの180度回って、ドア側に歩こうとして失敗して、こたつの布団に倒れ込み、再度立ち上がってカーペットを降りて、けれど結局テレビの前で伏せましたね。

それを見て、たしか私は先が短いことの確信を得たんだ。次の日とは思わなかったけれど、日曜の特に用事がない日の朝8時に、母が私を一階から大声で呼んだ、ただそれだけであなたの死を覚る程度には。

犬の寿命だとかを思えば覚悟をするべきだと思って、この数年、特にこの一年間はあなたをすぐに撮るようになっていた。そのおかげで、写真動画は私が2018年あたりから撮ったもので800個以上ある。

ただ、私が一番好きだったのは、あなたがあったかくて、重くて(12kg~13kg程度だった)、大きかったことだ(体長はきっと85cm~95cmほどあった)。けれど不思議なことに、あなた寝床を用意して、そこに入ったあなた身体が敷き詰めた氷のように冷たくなったのを、私は良いことだと思った。亡くなったのは8時20分、兄が来たのは昼ごろ、それから寝床に入るまで、あなたの腹はあたたかかった。あなたが朝まで生きていたことの証明で、あなたがこのままでは傷む一方であることの証左だった。

そのほうがらしいからといって、あなたの舌を少し出しておくことになった。はじめ1時間くらいはいものピンク色だったけれど、それ以降は紫色になった。目は昼ごろになってようやく閉じた。鼻が乾くのは早かった。散歩中、エチケット袋が開かないときによく借りていた鼻だった。

きっとそのうち、こういう些細なことは思い出せなくなる。思い出さなくなる。人間脳みそはそういうふうにできていて、当たり前のことだから、悪いこととは思わない。ただ、残しておきたかったのでそうする。

命日当日中には兄のほかに父方の叔母と祖母が来た。近くに住んでいる近親者が全員来たということだ。叔母は手紙を残してくれた。住所を書いたそうなので、一緒に燃して、あっちで読んだら来てもらうそうだ。

3月4日の19時に火葬することになった。祖母祖父の看病が終わり、さら退職して自由時間を持て余しているようで、参加してくれた(たとえそうでなくともきっとそうしてくれたと思う)。義姉も参加してくれた。叔母は仕事が空けられないので参加できなかったが、予期しておくことなどできないのだから仕方がないという外にない。

車の店でもらったひざ掛けのサイズがちょうどよかったのであなたの冬のブランケットにしていたが、最期までこうも役立つとは思わなかった。あなた身体寝床に入れたり、火葬のための設備に収めたりするときに、担架のように使った。焼かずに残っているが、なにかにリメイクでもしたほうが良いのだろうか。

あなたの骨は思っていたよりも丈夫だった。納骨袋の側面に小さな遺影を入れられるスペースがあって、けれど遺影ではなく、火葬の直前に切り取った遺毛を入れることになった。アクセサリを入れるための小さなジップつきクリアポーチに入れたが、サイズがちょうどよかった。桐の箱などに入れたほうが保管状態としては良いそうだ。検討したほうがいいかもしれない。

火葬した日の夜中に、私は遺骨ペンダントを注文した。驚いたことに翌日には届いたので、あなたのおそらく爪と目の周りの骨を少しもらった。由来のわかる(想定できる)骨のほうがなんとなく良い気がした。目の周りの骨は大きかったので少し砕いた。あなたに私が行く先を見ていてほしかったので、目の周りの骨にした。

これを書いているのは3月7日の夜1時だ。あなたが逝ってもうすぐ4日になる。私は泣くとき、いつも喉になにか手のひら大の球が詰まったように痛くなる。けれど、あなたを惟て泣くときは、喉は痛くならずにただ熱い涙が出る。理由はわからない。悲しいわけではないと思う。どうなんだろう、あなたがいないことを考えるとそうなる。これを悲しいというのかもしれない。

書いているそばから嘘になったかもしれない。今は少し喉が痛い。けれどそれでも息ができないほどではないから、やはりなにか違うらしい。

こたつの中で足先になにか触れると、一瞬あなたかと思う。私はいつも発作的にあなたに飛びついて構い倒す癖があったので、今もふとした瞬間に無意識あなた名前を言いそうになる(すんでで止まる)。私がいつもの椅子に座っていたり、廊下洗面所キッチンでしゃがみこんでタブレットをいじっていたりすると、いつの間にかあなたが足元にいましたね。あれがとっても好きだった。あなたは私によくついてきてくれた。

これからは私があなたを連れまわす。一緒に行けなかった旅先にも連れて行くし、3月いっぱいで契約満了を迎える今の出向先にもひっそり連れていってみよう。遺骨ペンダントは失くしてしまいそうで怖いが、そうなったときあなたがきっとそこを気に入ったということなのでしょう。そもそもあなたは昔から衣服やらカバンやらに毛として引っ付いてきていたので、今さら真新しいことはなにもないのかもしれないけれど。

2024-03-05

anond:20240305174011

それはひどいな。

俺も母親と叔母がひどい介護をしていて、その結果祖母

骨折して入院したんだけど、老人って環境変化に弱いか

様態が急変して亡くなったんだ。

母と叔母は一生許さないと決めている。

怒り続けるのをやめたい

親戚にずっと怒っている。

施設に手を回して祖母との面会をさせなかったこと。

亡くなっても知らせず、葬式にも呼ばなかったこと。

3ヶ月くらい怒っているがまだまだ怒りが収まらない。

でも向こうは気にせずへらへら生きてるんだろうな〜!悔しい!!怒りでこっちばっかり神経すり減らしてるのも馬鹿みたいだからいい加減怒るのやめたい。親戚のことなんか最初からいなかったみたいに忘れたい。あん人間この世に存在しなきゃ良かったのにな

anond:20240305121805

元増田一人暮らししている

祖母急逝したので帰省した

実家ゴミ屋敷になっていた

・父母も妹も臭い

ニートの弟は失踪しており警察は弟の居場所を知っている、妹もニート

一家揃って精神疾患持ち父母(掃除できない障害持ち)・ニート弟(パニック障害の疑い)・ニート妹(不安障害の疑い)

これ弟さんはどういう状態なんだろうな

家族辟易して独立してて肉親との連絡を断ってる状態なんかな?

10年ぶりに帰った実家ゴミ屋敷だった

帰ったと言っても10分くらいだけど

 

 

祖母急逝したと朝イチで電話たからあわてて葬儀のため帰って

田舎に帰ったの10年ぶり 親戚と会うのはそれ以上ぶりなんだけど

まさかの弟が行方不明祖母葬儀の話も知らんらしい

警察行方を知ってるらしいが場所聞かせてくれんらしい

どういうことよと思ってたんだけど、通夜の前に荷物取りに行く母について行って絶望したしなんとなく理解した

 

 

ゴミ屋敷●ートナーズでいうLv4くらいな感じだった

ドア開けた瞬間カビの匂いがお出迎え 玄関からすぐ見える弟の部屋はゴミか服かわからんもの入口雪崩起こしてる

最後に寝泊まりした10年くらい前の時点で夜響くGの音にストレスMAXだったのにいらん方向にメガシンカ

何がひどいってそんな環境の中で犬2匹飼ってるところだよ 虐待だよほんま

葬儀場で会った妹から異臭がしたから嫌な予感はしてたんだけどさ いや父母から異臭しなかったから妹が単品でヤバかったのかもしれん

 

 

どうやら祖母の供養が一段落したらその祖母宅に移り住むらしいのであの家を見ることはもうないんだろうけど

ソシャゲ親の金使い込んだからとすべての娯楽を取り上げられたニート妹(不安障害らしい)

警察しか行方を知らないニート弟(パニック障害らしい)

そんな弟に「自分はあれよりマシ」とか言われたらしい自分(双極Ⅱ型)

 

 

親になにかあったら地獄じゃねえか

百歩譲って親に何かあった時の葬儀関係は手伝わんでもないが、それ以外ではもう心の底から関わりたくない

少なくとも弟のことは許さな

自分家族愛猫だけだと思ってこれから生きていくことにする ある程度事情は濁して恋人とも別れようと思う

 

 

帰りの飛行機待ちが長いから吐き出し

明日出社して慶弔休暇申請しないといけないのだるすぎるが、同僚と部下に詫びの土産渡したいしな

あと生活リズム変に崩して躁転鬱転しても困るしな

 

 

シッターから届く愛猫写真が一番の癒やし

率直な意見欲しいんだが俺冷たい?

片道5時かかる遠方に住んでる祖母が亡くなったんだが、俺は葬式がすごい嫌いで、親戚と会うのも酷く疲弊するし、疲弊しすぎたのがトラウマぶっちゃけ葬式に行きたくなかった。

だが祖母の顔は最後に拝みたく、別れの挨拶はしたかったので、通夜前の弔問にいってお別れをしてきた。

葬式に行くと周りがガヤガヤしててひどく疲れるので、弔問できてよかったと思った。落ち着いてお別れが出来た。葬儀には参列しないので、相場より多めに包み、香典を渡した。俺は静かに祖母とお別れ出来てとても満足だった。

が、葬式が終わったあと、孫の俺が不参加だったので、親戚からは「冷たい」、「世話になったのに恩知らずだ」と非難があった。

親戚がそう思うなら、祖母もそう思ってるのかな。って思った。やっぱり個人の納得よりも、冠婚葬祭ぐらきでしかあわない、親戚付き合いを優先させるべきなんだろうか。

2024-03-04

何でのび太の家には仏壇がないのだろう

今は亡きのび太祖母が同居していたのは確かなのに、のび太の家に仏壇存在しないのは何故だろう。

死ぬ前に他の親戚に押しつけたとかだろうか。

2024-03-03

うちの実家は太かった

古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しか戦後農地改革ほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族墓地くらいのもの田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。

少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公訪問する田舎一族イメージとしてはアレに近い。正月一族で集まり当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族健康繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。

しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。

父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。

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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキー釣りを楽しんでいた。

自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道ピアノ幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。

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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。

他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。

世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。

これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。

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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。

子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族墓地には入っていない。

2024-03-01

anond:20240301075928

実母でよくね?

ってか現実でも孫育てすんのは母方祖母ばっかで父方祖母はやる気なしっての多いぞ

こういうのはただ「女への嫌がらせがしたい」一心で敢えて(実母ではなく)姑と同居しろと言いたがるけど

現実だと姑の方だって嫁となんか同居したくないんだよ、実娘なら別だけどな

孫育てだって普通に大変で年寄りの間で孫疲れだのという単語が使われている今、「赤の他人(嫁)のため」になんかしたくないのが普通

かわいい実娘の為なら別だけどな

2024-02-29

母親祖母上司や後輩、あとコンビニスーパー従業員くらいしか女と話したことないけどセックスだけしたい

でもクッソ面倒くさい人付き合いはしたくないし赤の他人に対して金も時間もできるだけ使いたくない、売女なんてもっての外

これはもう犯の罪をするしかねえのか

2024-02-28

ギャンブル依存症2世が想うこと

論破王で有名なひろゆきさんの妻、ゆかさんの記事を読みました。

彼女母親は、ギャンブル依存症だったとのことで、同じ境遇だった私は、亡くなった母や、子供時代の苦かった過去を思い出します。

中学生の時。

実家の小さな印刷工場で、コピー取りのお手伝いをしていると、知らないおじさんが来て、奥の部屋にいるように言われました。

借金取りです。

世間的にはイレギュラーかもしれません。

ナニワ金融道や、ウシジマくんの世界現実で、家族に手を出されたくなかったら一万でもいいから返済しろ!と迫ってくるのです。

家族被害が出ないように、親は離婚しました。

実は、借金を抱えた理由面白いほどたくさんありますw

⚪︎創業者のおじちゃんが半身不随になる

⚪︎2代目で経営どうにもならず印刷業が赤字

⚪︎嫁(母)がギャンブル

⚪︎2代目(父)が友人の連帯保証人になり逃げられるw

⚪︎母方の祖母宗教にはまる

そんな家族

今なら、親ガチャ失敗〜ざんねん💦となるところなのですが。

意外とその塩辛記憶があってこそ、生きてこれた安堵感ありましたw

その経験はほんと宝だなーと😊

どんな困難にも、光はあると信じて生きるしかないな🤭

ギャンブル依存症2世が想うこと

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中学生の時。

実家の小さな印刷工場で、コピー取りのお手伝いをしていると、知らないおじさんが来て、奥の部屋にいるように言われました。

借金取りです。

世間的にはイレギュラーかもしれません。

ナニワ金融道や、ウシジマくんの世界現実で、家族に手を出されたくなかったら一万でもいいから返済しろ!と迫ってくるのです。

家族被害が出ないように、親は離婚しました。

実は、借金を抱えた理由面白いほどたくさんありますw

⚪︎創業者のおじちゃんが半身不随になる

⚪︎2代目で経営どうにもならず印刷業が赤字

⚪︎嫁(母)がギャンブル

⚪︎2代目(父)が友人の連帯保証人になり逃げられるw

⚪︎母方の祖母宗教にはまる

そんな家族

今なら、親ガチャ失敗〜ざんねん💦となるところなのですが。

意外とその塩辛記憶があってこそ、生きてこれた安堵感ありましたw

その経験はほんと宝だなーと😊

どんな困難にも、光はあると信じて生きるしかないな🤭

ギャンブル依存症2世が想うこと

論破王で有名なひろゆきさんの妻、ゆかさんの記事を読みました。

彼女母親は、ギャンブル依存症だったとのことで、同じ境遇だった私は、亡くなった母や、子供時代の苦かった過去を思い出します。

中学生の時。

実家の小さな印刷工場で、コピー取りのお手伝いをしていると、知らないおじさんが来て、奥の部屋にいるように言われました。

借金取りです。

世間的にはイレギュラーかもしれません。

ナニワ金融道や、ウシジマくんの世界現実で、家族に手を出されたくなかったら一万でもいいから返済しろ!と迫ってくるのです。

家族被害が出ないように、親は離婚しました。

実は、借金を抱えた理由面白いほどたくさんありますw

⚪︎創業者のおじちゃんが半身不随になる

⚪︎2代目で経営どうにもならず印刷業が赤字

⚪︎嫁(母)がギャンブル

⚪︎2代目(父)が友人の連帯保証人になり逃げられるw

⚪︎母方の祖母宗教にはまる

そんな家族

今なら、親ガチャ失敗〜ざんねん💦となるところなのですが。

意外とその塩辛記憶があってこそ、生きてこれた安堵感ありましたw

その経験はほんと宝だなーと😊

どんな困難にも、光はあると信じて生きるしかないな🤭

2024-02-27

お前様たちドラストとかでよく売ってるコンロで調理する安い鍋焼きうどんおすすめの食べ方教えて。(追記しました)

アルミの容器に入ってる味噌煮込みうどんとかチャンポンとかバリエーションがあるやつね。

なんかやけに食べたくなる時、ある。(確信

そのままでも美味しいんだけど、あわよくば簡単野菜とかもプラスしちゃって食物繊維とか栄養も取りたい!

今のところ乾燥わかめニンジン銀杏切りしてレンジでチンしてから入れるとかしか思いつかない…。

彼ぴーが普段料理しなくてインスタントしか食べないから、隙あらば野菜とかをぶち込みたい。

追記

みな様ありがとう〜!一晩でこんなに知恵が集まるとは思わなかった🥲

しかタンパク質足りないから卵たすのもいいし、最初から切ってある野菜買うのもいい!

切り干し大根とかひじきとかは調理した事なかったけど、多めに作って冷蔵庫に入れといたら食べてくれるかな…。もはや祖母??

彼ぴー(タコピー発音)の家にはまず塩コショウが無いので、買おうと思います…。

え!今更ちゃんツイッター?のほうのコメントも見たけど、ドラストってみんな呼ばないの??!

そこをツッコまれるとは思わなんだ。

2024-02-26

赤子は愛しさと希望でできている

昨年、33歳で初めての子どもを出産した。子はもうすぐ4ヶ月になる。

20代の頃は子ども人生責任が取れないと考え、子どもを持つことに否定的だった。

でも30代を迎えて「自分は何にもなれない」ということがわかり、かつ「自分人生はこんなもんだろう」という先がぼんやり見通せるようになってきた。

このおかげで楽に生きることができるようになった反面、自分人生がつまらないものに思えてきてしまった。

変化をもたらすには子どもを持つくらいしかないな、と考えてゆるっと妊活をして、幸運なことに子どもを授かることができた。

赤子は想像していた以上に素晴らしい存在だった。

どう素晴らしいかを、的確な文章にするのは難しい。

が、とにかく愛しいのだ。愛しさのかたまり

赤子は自力では何もできないので、とにかく親を信頼して全力で頼ってくる。

親の腕の中で1ミリの警戒心も持たずに脱力しきって眠る

それらがかわいくて愛しくて仕方ないのだ。

育児は相当大変で寝不足で疲れているのに、赤子のことがこんなに愛しいなんてどうかしている。

親に快感を与える麻薬物質か何かが赤子から放出されているのかと思うくらいである。

そして希望に満ちている。希望のかたまり

赤子は毎日、できることが増えていく。

頭を動かすことができるようになる、声を出せるようになる、物を掴むことができるようなる、など。

この成長を積み重ねた先は、親である自分と違って無限未来がある。

赤子も成長すれば、私と同じ「何にもなれない者」になっていくと、理性ではわかっている。

でも、「末は博士大臣か」的な妄想をしてしまう。してしまえるほどに、赤子は白紙なのだ

(話が逸れるが、世の祖父祖母が孫を喜んぶのもこの理由なのだろう。)

優しさでできているのがバファリンなら、愛しさと希望でできているのが赤子だ。

毎日、大真面目にそう感じるくらい、赤子は素晴らしい存在だ。

2024-02-25

anond:20240223223202

わーわー!元です!トラバいっぱい、うれしい!うれしい!ありがとう

反応遅くてごめんご。

  

介護職のひともいるっぽいな。いつも本当にお世話になっております

プロケアしてくれると家族側は魂までケアされます感謝しかないです。

本音を書いてくれてありがとうございます

  

動画あるよって書いてくれた人もありがとう

動画普段まり見てないから知らなかった!ちょっと怖いけど、みてみます

 

訪問サービス業者にもよるだろうけど、通所や入所よりも100倍はまさるよね

人を人とも思わない食わせないクソ施設は消えてほしいと思ったで

  

おつかれさまです!!家に来てもらえるの安心だよね、いいな!

うちの場合は家に人を上げるのを家族が嫌がって、訪問サービスは受けたことないんだ…えーん

クソ施設はまじ滅ぶべし

 

  

ここで面倒なのが介護施設の世話になりたくないって親は多いってことだな。

うちの場合父親の方が、認知症母親の面倒をまだ見れると言い張るからその辺の説得に1年くらい掛かったぞ(父親の方も衰えてきたから、やっと納得してくれた)。

あとはデイサービス探し。近所の方が良い。俺の場合は、俺の掛かり付けの病院デイサービスもやってたか、通院するときに状況も聞けるから、意外と助かる。

  

うおーーーおつかれさまです!

うそう、 病院施設の断固拒否、、、説得するのもツライよね。

ほんとに現在進行形で困ってる、はー(ためいき

祖母とき医者にもほとんど行ってなかったから、かかりつけ医がなくて、それも困った。

初診で認知症外来に連れて行ったら診断しぶられて(そりゃそうよね)困ったよ…(結局出してくれたけど)

  

50代以下で親介護してる場合はほぼ癌だよね

家族周りは出てくる

  

そうか!そっちは明るくない私。ありがとう。癌はまたつらかろうね。。考えただけで泣きそう。

てか、親の介護のメインは60代以降なのかー、そうだよな、

やっぱり私はまあまあ落ち着いているヤングケアラーとして語っていかねば…

    

介護についてのインターネッツ

ないよ。障害者と老人はこの世界から消されたよ。

そーいうことだよね、透明化されてる〜〜。もっと語ろ〜〜〜

  

   

よく子育て比較をされるが明るい未来や先の楽しみを見出せない営みなのはやっぱしんどい

  

ほんとそう。そうなの。ぜんぜんちがうよね。確かにしんどい

だし、ほんとに渦中にいると、書いたり読んだりしてるばあいじゃね〜となるよね。

おつかれさまです。

  

  

でもでもやっぱり、友達や身近な家族に話すのも難しいときインターネッツになら愚痴れることもあるかも?

  

そんで子育て界隈みたいに、介護話でマウント合戦になってもよくない? そういうのをヲチしながら人は学んでいくこともあるじゃんね?

 

   

  

たとえば家族認知症で、ティッシュ(未使用)を集めまくってて、

きれーに畳んでポケットやらカバンやらに入れてたり、ベッド脇に大量に溜めこんだりしてて、汚く見えるし、洗濯してぐちゃぐちゃになったり、わけわからん行動すぎて、地味にイライラして、イライラする自分にまた自己嫌悪みたいな、、、

でもケアマネさんとの会話で「ティッシュ集め、あるあるですねえ〜(苦笑い)」って言われて、

そうなんだ!!うちだけじゃないんだ!って

   

   

そんな些細なあるある、本には書いてなかったからさ、目からうろこですよ

どーでもいいことだけど、それだけでイライラは少し軽くなる。

そういうのがインターネッツもっとあると助かるかなって

  

  

あと晩婚化で高齢の親が増えてるし、今後はヤングケアラー増えるよね、きっと。

そしたらやっぱり、もっともっと、いろんな言葉があるといいよね。

(もちろん、ネットだけに頼るのよくないけど)

(あと先立つものも超々々々々々大事だけど)

  

きれいごとじゃなく、介護は生きることと同義みたいなもんで、人間が生きてる以上いつかはぶち当たるし、どこまでもついて回ると自分は思ってて、

(もちろん、しない&させない選択肢もあって然るべき!ですが)

  

終わった〜と思ったら、また始まったりするしさ、、、

わたしは今のところ、とにかく低空飛行でも、落っこちないようにだけ、がんばってる感じ

  

  

とにかく、ケアラーのみなさん、本当におつかれさまです!!!

そしてどうもありがとうございます!うれしすぎて長くなった!

  

みんなであーだこーだ言ってこ〜〜〜〜〜〜

  

  

  

  

2024-02-24

遺品整理

思い出した・かつ気力体力のあるタイミング祖母遺品整理を進めていて、

今そのどちらもないが時間だけあるからやらねばならぬ…と対応していたら、

亡くなる数年前の分の、丁寧にまとめられた領収書群に折り重なって自分七五三写真が出てきておお…となった

 

祖母血縁的には大叔母にあたる人で、自身子宝には恵まれなかったんだけど、

養子に入った両親のこと、そしてその娘息子である自分達のことをちゃん子供として孫として大事にしてくれていたんであろうこと、

整理していると感じる場面がとても多くて気恥ずかしいやら情けないやらで困る

寡黙で、幼少期の自分には何を考えてるかわからず少し怖いような印象があったけど、繊細で愛情深い人だったんだろうと思う 

ちゃんと整理を進めるくらいしか返せるものもないな〜と思って今日も荷解きを進めてる

2024-02-22

ド級田舎暮らしの思い出

かなりの田舎の、さら集落からも離れた家に住んでいた。

周りには山と森と田んぼと畑だけがある。木苺やアケビがなっていて、道を外れると古い文字が刻まれた石碑があった。山の中で迷子になり、でかくて怪しい雰囲気の池を見つけたりした。そのまま適当に歩いていたら集落に出たためその辺の人に助けてもらったことを覚えている。その後何度山に入ってもあの池に行けたのはその一回だけだった。よく無事だったな

逆に山を探検していた同級生が裏庭に転がりこんで来たこともある。裏庭には蓋を開けちゃいけない穴?みたいなのがあるから危ないところだったかもしれない。その時は祖父が送っていった。

牧場でもないのに牛を何頭か飼っていた。出産に立ち会い、子牛に名前をつけて育てていた。人生で唯一ペットと呼べる存在だ。最後トラックに乗せられドナドナされていくのを見送った。子牛はオスだったから多分お肉になっただろう。

どこに行くにも遠くて、小学校へ通うのも一苦労だった。小学三年生まではスクールバスがあるけど、スクールバスの来る場所までがまず遠い。毎朝五時に起きなきゃいけなかった。四年生以上で自転車通学解禁されたけど、朝早く起きないと学校に間に合わないのは変わらなかった。

給食の白米が持参だったのは農家ばかりだからだろうな。月・水・金曜日が米の日で、皆のご飯が保温器で温められていた。

茶色くてフサフサの毛虫を筆箱で飼うのがクラス中で爆流行りしていた。虫が嫌いな人間は生きていけないだろう。

学校がある町の方では春と秋に祭りがあって、色んな店が出ていたけどいつも行く店は決まっていた。いじわるなお婆さんの飴玉屋。先に飴を選べとか先に金を払えとか毎回言ってることが違ったんだよな。怖かったけど、その飴玉は特別に美味しく感じて大事大事に食べたのを覚えている。

町というのはとにかく特別場所だった。

人間は面倒だったな。繋げた和室に集まる酔っぱらいのおじさんは何を言ってるのか分からないしうるさいし。離れた集落の子の家にこっそり遊びに行ったのにどこからかバレて電話がかかってきて、すぐ帰ってこいって怒鳴られたし。祖母からすればあそこは遊んじゃいけない家の子、とかそういうのだったらしい。

こうして書き出してみると、良い思い出も嫌な思い出も同じくらいあるもんだ。今は離れた地方都市に住んでるからこそ良い思い出だったなと思える部分もあるし。子どもから受け入れてたけど、もう一度あそこで暮らせって言われたら絶対無理

田舎というのはぼんやり記憶にあるくらいがちょうどいいよ。

anond:20240222190714

児童への性犯罪逮捕された人の内訳表に母や祖母もあるからあるんだろう

2024-02-21

他人病気自分に移して治す能力がある

から共感性が高いと言うのだろうか、友人に大腸がんが見つかると自分も憩室炎になるというようなことがあった。

そして自分が憩室炎にかかり通院しているうちに、友人は元気になっている。

クラスメイトが脚を骨折した怪我をした際もそうだ。

何故か自分が転び、左手を打撲した。無論、自分が苦しむタイミングクラスメイトギブスも取れ、順調に回復している。

この能力を使うには心から相手の痛みを理解したいと思う必要がある。弟や祖母が腕を怪我した時は理解したいという気持ちになれず、駄目だった。

そして今度は、母の臓器に大病が見付かった。当然のごとく自分は治る事を望み、自分犠牲になっても構わないと思った。

母の手術が成功して一年が経過し、私の身体には予兆が訪れていた。大きさにして実に母の二倍の腫瘍。これは自然に退縮することはない。

そう、私は誰かの傷を自分に擦り付けることで近い誰かの肩代わりが出来てしまう。思いが大きければ大きい程に影響力は強く、自分へのダメージはでかい

救えた達成感を得た事は一度もなく、平気な顔をしている彼らから寧ろ蔑ろにされることすらある、自分には何らメリットの無い能力だ。

ああ、自分腫瘍がどうにもならないのはきっと力を使いすぎたからだ。無闇に共感なんざするもんじゃない。

2024-02-20

anond:20240217234914

葬儀火葬も終えて少し吹っ切れたと思ったけどやっぱつれぇわ…

祖母存在が大きすぎたらしい

祖母はこの家のかすがいであり癒やしであり太陽だったんだ

この先生きていける気がしない

竹串家の一族

竹串もも … 長女

竹串ささみ … 次女

竹串つくね … 三女

竹串かしら … 父

竹串ねぎま … 母

竹串ヤゲン祖父

竹串ハツ祖母

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