はてなキーワード: 登場人物とは
メシ漫画、色々出ているがさすがにうんこ食うやつだけはまだないのか。あるのに知らないだけか。エロ漫画としてじゃなくて、もっと淡々と食うやつ。ってそれはすでにスカトロじゃないのか。わからんが。
アニメ登場キャラの髪色とは別の話になるけど、肌の色もそろそろ気にして欲しいかな。少なくともアメリカのアニメ作品なら、全登場人物が白人・黄色人種なんてことは少ないでしょう。でも、日本の人気キャラ投票では有色人種は皆無。色黒の女性主人公といえば、ナディアぐらいしか思いつかない。
いちおうネタバレも若干含む。
立ち位置示しておくと、40代オッサン。オタク趣味はあるけどもっぱらラノベやマンガ方面で、特撮はさっぱり。
邦画の特撮最高傑作はガメラ2であると認定している。ゴジラはシンよりFINALWARSの方がバカっぽくて好き。
ウルトラマンについては、見たことないわけじゃないにせよ「ウルトラマンは喋る」と言われて「そうだっけ?」と思う程度。
ウルトラマンがゴジラと戦った事があるというのと、ウルトラマンが仮面ライダーと握手したことがあるのはトリビアの泉で知ってた。
知ってる怪獣はゼットン、カネゴン、ジャミラ、レッドキング、キングジョー、エースキラー、バードン、バルタン星人、ゴモラ、エレキング、ジャッカル大魔王。
登場人物がウルトラマンやヒロインも含めて何考えてるのかよく分からなかったが、ウルトラマンが献身的に地球人を護ってるのがなかなか可愛い。本作の見所は、このウルトラマンの健気さと言っても過言ではない。
怪獣もキャラ立ってたし、2時間でウルトラマンを登場から退場まで全部やれと言われたら、これは最善に近いのではなかろうか。
カラーマイマーも無いけど、そんなに時間かけずに倒してる事を考えれば、なくてもいいという判断は理解できる。
ザブラ星人やメフィラス星人が、地球で一儲けを企んで結果的に大損して居なくなるのを見ると、なんか日本市場に手を出して損して撤退していく外国企業を見ているようで、なんかゴメンねという気分になる。
日本政府はザラブで痛い目に遭ったばっかりなのにメフィラス速攻で信用しちゃってて、この人達馬鹿なのかな、という気分になった。
不満点を挙げると、ゴジラのときも思ったけど、登場人物がみんなスーツ姿のビジネスマン(官僚をビジネスマンと呼ぶかはともかく)なので、画面超暗い。
ほぼお葬式の色調。
科学特捜隊はオレンジのスーツと銀色のヘルメットで良いと思うだけどね。「いい年してなにあの格好w」という第一印象から、なんかあれが格好よく見えるようになるように活躍させるのが腕の見せ所だろうに、スカした黒スーツで現場に行ってもヘルメットすら着けないのが逆にバカみたいだ。
あと、めっちゃ早口。ペラペラしゃべり倒す漫才のような芸風。もう少し落ち着け。
あと、ロマンス出す気無いのに年頃の男女出してどーすんの。オッサン同士の友情でも濃厚に描いた方がドラマとしてはアリだろう。
あと、本音で喋りすぎ。官僚ならもう少し寝技使え。馬鹿に見えるぞ。
そんなこんなで、怪獣(なんか当て字のやつは白けるだけなんでどうでもいい)との戦いは95点。
総評70点。
1度見るのは悪くないけど、2度見る気にはならない。
ドラマを出すなら、ザブラはメフィラスに倒させるなどして、「悪と功利主義の違いは何か」みたいな所で葛藤を作っても良かったんじゃないかと思う。
以上。
ある意味話題になってる「バブル」をネトフリで見たけれど、これは相当に厳しいと感じた
ストーリーにケチを付けたりもできるんだけれど、この手のアニメで売れるかどうかはストーリーじゃないと思ってる
「君の名は」だってストーリーだけ見たら大したことないんだから
「世界中に泡が降ってきて東京で泡の爆発が起きて水没した結果、パルクール少年達の遊び場になった」
なんだが、これを聞いても「何故?」って感じで意味不明だと思う
ただ、この手の無理矢理な世界観とか設定は別に良くあるので、それ自体が悪いとは思わない
この手の世界崩壊系のストーリーの演出はゲームにしろドラマにしろ2種類しかなくて
のどちらかしかない
バブルは恐らく詳細かつ納得可能な設定があるのだろうが、シンプルに説明できそうにない
なので前者の「全く説明しない」という手法を取るべきだったのに、中途半端に説明してしまった
その結果、「なぜにパルクールしてるの?」とか「泡は結局なんなの?」というモヤモヤが残って消化不良に陥った
そのあたりは全部説明せずに登場人物の内面なりに重きを置いた演出にすれば
とか
「東京タワーがこんなことに?」
みたいな感じで視聴者を引きつけられたと思う
ネトフリで同時公開されただけでなく、ジャンププラスでの連載も始まっていた
ただ、この漫画が良くない
ストーリーは同じなのだがコマ割りを始めとした見せ方を含めて低評価が凄い
本来ならジャンプラで認知してもらった上で映画への動線をイメージしただろうが完全に逆効果になっている
ネトフリでの同時公開も意味不明で、ネトフリの契約があれば映画館で見ることは無い
せめて期間限定での公開とかにすれば、見逃した人が映画館、というのもあっただろうにもったいない
まずタイトルが「バブル」とカタカナだけで書かれていてはっきり言って安っぽい
作中にも出てくるとおり、人魚姫の現代版なのだから、そのまま人魚姫とかでも良かったのでは、と思ってしまう
またキャラデザが小畑健なのだが、ぶっちゃけ小畑健の女の子は(リサリサ以外)そんなに可愛くない
男キャラはイケメンなのでかなり強いポスターに作れるだろうが、女キャラをメインにするのは間違えている
手を触れたら泡になってしまう、という設定は分からなくは無いけれど、手袋とか服越しでもダメなの?とか他の人は?とか疑問がつきない
って思ったら本当にそのままで捻りも何も無い
パルクールを推してるけど、ゲームでやるのは面白くても見てても特に面白くない
せめてルートの説明とか蟻地獄とか重力変化の影響とか説明しないと何がチャンスでピンチなのかさっぱり分からない
世界観は説明しなくてもいいけど、ルールに関しては説明しないとただ見てるだけになってしまう
最後に念のためだが全然駄作では無い作品で、映像は綺麗だしそんなに悪くは無いと思う
ただ上述のような少しずつの歪みが悪い形で蓄積した結果、映画館での大爆死に繋がっている
不幸なことに裏にはシン・ウルトラマンもいるし、かなり厳しい戦いになるだろう
じゃあレイプもののエロ漫画に向かって「後から登場人物にちゃんと罰を食らわせろ」とかわめいてた奴らがバカみたいじゃないですか
一方的に勧善懲悪押し付けてくるのですら大概業腹なのに、結局出すこと自体ダメってゴールポストずらすんなら、もう最初からそう言ったらいいだけの話でしょう
さらにセリフの退屈さを補うためか、妙なカメラアングルを多用するのだけど
より退屈さを際立たせてしまっていると感じた
あれに関しては初期ウルトラシリーズにおいて
変な角度から、物体をなめながら撮るアーティスティックな手法。
ウルトラマン・ウルトラセブンを見た人なら「ああ、これこれ」ってなるやつ。
↓こんなん。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/namerukarada/20211109/20211109223049.jpg
ちなみに俺は増田と同世代かつ特撮オタ(≒ウルトラオタ)だけど、ほぼ同じ感想だったね。あれは俺も諸手を挙げて喜べない。
平成ガメラ(特に1・2)やシン・ゴジラは「現実」部分が堅牢に出来てる分、荒唐無稽さを少しでも中和する為の理由付けとしてやむなく説明が多かった。
でも今回は相変わらず同レベルの説明過多なのに、その説明が無駄骨に終わる程の原理不明かつ荒唐無稽な事象(主に外星人周り)が次々展開される。
しかも登場人物達は感覚が麻痺してるのか、一つ一つの事象にそこまで驚かない。だったらもうその長ったらしい説明全部要らんやんけ・・・ってなったね。
難しい公式書き並べて最終的に「変身直後に殴りつけろ」ってなんやねん。ヤシオリ作戦には確かに存在した「もっともらしい感」は何処へ、って感じ。
登場人物達も狡猾(と言ってもそこまで賢くないような...)な外星人の前に右往左往するだけの、単なる書き割り感が凄かったな。
そもそも田村班長にそこまでリーダーシップを感じなかったし、他のメンツもシン・ゴジラメンバーの薄味版程度の存在感。
シン・ゴジラでは各々が得意なスキルや性格の方向性の差はあれど、一様に置かれた立場で最善を尽くそうと奮闘してた。
スポットが当てられて当時二次創作でも人気だった矢口や赤坂さん、志村に泉、尾頭に安田あたりはもちろんのこと、
大河内総理も里見臨時総理も、花森防衛大臣や想定外大臣、仕事ですからおじさんや片桐はいりおばちゃんに至るまでね。
それぞれ印象深い行動やセリフはせいぜい一つ二つなんだけど、みんな個性的でキャラや方向性の重複もあまり無くて良い塩梅に配置されてた。
そもそもあの人物達のピースが少しでも欠けてたら、ヤシオリ作戦が結実してゴジラ凍結に至らなかった可能性が非常に高いしさ。
でも、今回の劇中の禍特対程度の活躍では、滝くんが言ったように「もうウルトラマンさえ要れば良いんじゃね?」感が最後までどうしても拭えなかった。
手錠や拘束具外して脱出したり、メフィラスの特殊器具を探し当てて奪取や破壊するなんて、天下のウルトラマンに掛かれば朝飯前にも思えるし。
ベータカプセルが無いと全く丸腰の人間になるのは原典準拠なんだけど、他の外星人は人間体でも荒唐無稽な能力を発揮してた分、幾分説得力に欠ける。
ま、禍特対もウルトラマン出現以前には数多の怪獣を倒してるっぽいけど、冒頭に文面と止め絵で一瞬のうちに説明されるだけで実績があまり掴めない。
あと、庵野の原典に対する愛が深い故に様々な原典要素と独自解釈を詰め込みすぎたせいで、未整理でとっ散らかったままに
なってしまってる印象を受けた。ウルトラマンの一話完結の独立した4話分(約30分*4=120分)のエピソードを無理矢理引っ付けただけみたいな脈絡の無い感じがする。
過去作のパッチワークに自家製の癖の強いドレッシングぶっかけて「どうだ!これが俺の創作料理だ!」と言い張ってる感じ。
出来上がるまでの過程は全く異なるんだけど、俺は賛否両論を呼んだ「ゴジラ FINAL WARS」を思い出したね。
「うわ!マトリックス!」「ドン・フライ!」「ヘドラにエビラにX星人!」「こいつ結局ギドラかよ!」「ゴジラがサッカー!昭和かよ!」みたいなね。
要素・独自解釈山盛り、観てる間は確かに退屈せんかったけど、映画としては欠陥だらけで正直なところ佳作と言えるかも相当怪しいラインだと思う。
シン・ゴジラが面白かったのでシン・ウルトラマンも期待出来る!
と思い初日に観てきました。
参考になれば幸いです
・アラサーの男
・ウルトラマンほぼ未見
特に、自分みたいにシン・ゴジラで期待値を高めた人には合わないだろう
禍特対の連中は怪獣の襲撃中でも軽口を叩いているし
戯けた演技で怯えたり喚いたりしている
全てに「本気感」が見えるし、そこが観客のストレスをなくして良かったと思ったんだけど
シンウルトラマンではノリの軽さからか「本気感」が見えず観ててイライラしてしまった
説明が説明としか機能しておらず、ストーリーの動きを兼ねていないので退屈に感じる
話している内容そのものが興味を引く部分ではなかったりして
登場人物が意味ありげに喋りだすと「止まってしまう」感じがある
さらにセリフの退屈さを補うためか、妙なカメラアングルを多用するのだけど
より退屈さを際立たせてしまっていると感じた
(この辺りはもしかしたら自分の分からないコンテクストがあるのかもしれない)
シンゴジでは(特に序盤の会議シーン)そのあたりの処理が非常に上手く
矢継早に状況の説明をしながら登場人物の立ち位置、物語の動きをスマートにこなしていて
当然構図や絵面なんかも演出意図に応じてビシッとキマっているから
これはエヴァでもそうなので庵野監督の力量によるところが大きいのかな…と
樋口監督、進撃の実写でも説明シーンやセリフが退屈に感じられたので…
禍特対の面々も、いかにも変人でございってなセリフや演技をしてキャラクター性を作ろうとしてるんだけど
いかんせんそれが物語で登場人物がこなす役割と一致していないので「ただ変なことを言う人たち」でしかない
極端な話、神永以外の禍特対の面々の性格が全員違ってても物語が成り立ってしまう
主要人物がその内面性故に物語の役割を果たす場面がとても少ない
怪獣や異星人の行動に驚いたりするくらいで、それも皆一様に同じ反応
禍特対の面々って終盤まで単なる驚き要因でしかないんですよ
当然キャラクター同士のアンサンブルも生まれないし、物語の動きも生まれないし
それが前述のセリフの退屈さにつながってくる
おまけに端役の愚かなキャラが順当に愚かな行為で足を引っ張るので
「強大で狡猾な異星人の策略に右往左往する地球人(日本人)」でしかなく
取り付く島もない異星人同士の喧嘩が終盤までずっと続く
ゴジラの襲撃という受動的な立場ながらも人が話を動かしていく様子がちゃんと描かれている
職務としての役割をメインに描いてるので一般的なキャラクター作劇とは少し違うのかもしれないけど…
人間ドラマなんてなくても良いものは作れる、という評はシンゴジ放映当時しきりに聞かれたことではあるけど
それはよほど上手く作られた群像劇だからこそ成り立つ手法であって
作品との兼ね合いが悪ければただ単につまらないだけのモノになってしまう
無いからこそどの登場人物にも思い入れを持てないモノになっている
ただ物語自体は理解しやすいし前知識も要らないので間口を広く作った映画だとは思っている
ただ作劇の本質的な部分で弱さや粗さを感じて残念だったし
舞台は江戸時代の下町、猫が一番威張っている長屋、通称「鯖猫長屋」。猫描き絵師の拾楽は、故あってオスの美三毛猫のサバとともに細々と暮らしていた。
ある日、鯖猫長屋に一人の若い女性が越してきた。彼女の名はお智。独り身の若い女の独居なんて胡散臭いと、長屋の女達はざわつく一方、男衆はお智の美貌にそわそわ。ところがやはり、お智は厄介な事情を抱えていたようで、ひと悶着起きるのだった!
江戸時代小説を読むのなんてたぶん人生初なので、知らない単語が沢山あって、ググりの手が止まらない。そんなに長い小説ではないのに、読了まですごく時間がかかってしまった。でも、ここまで調べたんだから、もう江戸時代小説どんと来いや! って感じだな。問題は、私の記憶力が物凄く悪いってことだけど。
長屋に表と裏があるなんて知らなかった。時代劇に出てくる貧乏長屋は「裏長屋」なんだな。なるほど。
江戸時代ハートフル人情物かと思って読み始めたら、なんか思ってたんと微妙に違った。猫のサバのいばりん坊具合が想像の斜め上を言っていた。飼い主の拾楽に対するあしらいが杜撰でどS。つよい。そして猫なのに何でも解りすぎぃ。リアル寄りかと思ったら幽霊は出てくるし、拾楽はただのうらなりかと思ったらなかなかのチートぶりだし、成田屋の旦那は存在自体の浮世離れ感がすごい。
ふつうに下町人情が挟まってきつつ、ハートフル人情物とは思えない少年漫画的な活劇シーンがあったり、まあ退屈はしなかった。
登場人物のかけ合いがメインで、情景描写はほぼ死んでるぶん、知らない単語が頻出するとはいえ、頭をパァにして楽しめた。
人気シリーズだったらしく、図書館に文庫本が10巻までずらりと並んでいたから、後で続刊を読んでみよう。
今回はたまたま急展開な作品が多かった。そして人気作のいくつかが連載再開されて豪華な感じだが、全部で11作品しか載っていない……。私がこの雑誌を買い始めてそんなに長く経っていないけれど、今までで一番掲載作品が少なくないか? 大丈夫なのかCanna……。
前々回から主人公のアポロもフィーもそれぞれ人知れず悶々と悩むばかりなので、ちょっとストーリーが中弛んでいる印象かも。その前の話(2巻収録分)がかなり盛り上がっていたので、落差が激しいというか。(単行本でまとめて読むぶんには気にならないほどの弛み感かもしれないが)
で、やっと二人が劇的って訳でもなくベタに再会したのだが……、おや、なんだか道を外し始めたぞ。それはやっちゃダメなんじゃなかろうかという事をフィーが思いつき、窮状に陥って元気のなかったアポロがずるずると引き込まれてしまった。
テンションダウンしたところからこの流れは、楽しんで読めるかどうか微妙だ。共感力とモラルガン無視力を試されつつあるのかもしれない。じつに不安だけど続きが気になる。
うーん、第一印象よりは悪くない。でもいいとも思えんなあ。雑誌で推し作品のついでに読むぶんにはいいが、前情報無しで単行本を買って読んだら、膝から崩れ落ちそう。バンドマンBLが好きなら他をあたった方がいいと思う。『ギヴン』とか。
グループ交際回。すっごい、王道の少女漫画だなぁ。毎回読んでそう思う気がするのだが、王道過ぎてさっぱり記憶に残らないので、第1話どんなんだったっけと思って読み返した。王道の第1話だった。王道から一歩たりとも道を外したくない少女漫画好きの人にはおすすめできる、たぶん。
前回までずっと、ドロドロな昼ドラみたいな鬱展開が続いていたので、主人公の悠生が可哀想過ぎて読むのが辛かったのだが……。
うひょーー!! ついに悠生がブチキレたwwwwww しかも、ぷっつんした時の心の中の第一声が、
「くっっ……さいな」
(※攻めの恭悟が他所のΩの匂いをぷんぷんさせて帰宅したので)
って最高wwwww
キレにキレて反撃に出たところで次回に続く。頑張れ悠生ちゃんwwwww
しかし、悠生のモノローグで、元々自分はこういうキャラじゃなかったなどとあり、えっそうだったっけ? と思って第1話を再読。すると、子供時代の悠生は確かに成績優秀スポーツ万能で自信に満ち溢れていたようなのだが、第1話冒頭、恭悟と婚約した時にはすでに、昔の面影など全く残っていないほど暗いしもべ的なキャラになっていた、とのこと。恭悟は自信満々時代の悠生に惚れ込んで、多額の結納金を積んでまで悠生を手入れたのだが?
あれれぇ、これってもしかして、ハッピーエンドの予感じゃない???
はぁ、ネコチャンは癒し……のはずなのだが、今回はピリピリ回。いまぢの元同級生女子がほづつみを陥れた性悪サイコ女だと判明し、温厚ないまぢがガチギレ。こわい。しかし、ネコのサンの正体が宇宙人であることが何ら関係ない感じの展開で盛り上がってしまうのか? それはなんか微妙だ。
あぁ……私の最推し作品……。どうやら次回が最終回の模様。学生時代回想回、温泉回、頑張ってほにゃらら回と、エモーショナルな話が続いていて、主人公の佐田がゾンビで間宮がマッドサイエンティストだということを危うく忘れかけそうになっていたところ、今回は冒頭からふつうにに二人で殺人を犯していた。
めっちゃ突き付けられてからの急展開きた。本当にこの漫画、次回で終わってしまうの……?
学生時代回想回の盛り上がりがあまりにも凄かったために、最終回が尻切れとんぼになったらやだなとビクビクものでもある。しかも今回のラスト、すごい引きが強いし。どんな最終回になるのかなあ。佐田と間宮が実にいいキャラをしているので、終わってしまうのは残念なんだけど。
思ってたんと違うー! 全然ハードボイルドじゃないー! と衝撃を受けてから、もう7話も過ぎてしまった。今回も絵柄がハードボイルドな恋愛漫画だった。すごくほのぼのとしていた。今回のCannaは全体的に不穏展開が多めの中、この漫画だけがほっこりしている。まさかこれに癒される日がくるとはね……。
これもまた衝撃の展開。手に汗握っちゃうな……。ネコ耳獣人達がただのネコ耳獣人ではなかったと、初めて知った。
かなり久しぶりの本誌再登場。ちなみに、『石橋防衛隊(個人)』の方はpixiv漫画で無料で読めるはず。
今回も某衛大ネタ盛りだくさんというか、もはや某大が舞台のBLというよりは某大漫画となっている気が。今回も国分寺榛名は頑張っていた!
私は至極興味がないのだが、このシリーズは商業BL漫画の中ではとても人気がある。何故そんなに人気なのか、読んでもいまいちわからないのだが、少女漫画の王道みたいなところがよいのだろうか。
今回も私にはわからないが、これが人気なのか……と思って読了。
あれ? なんか一つ足りないような? と思ったら硯遼先生の『MADK』が休載だった。次が最終回らしい。
次回は『コントラスト』のitz先生の新連載が始まるらしい。『コントラスト』もすごく人気のある作品だ。まあ好みではないがわからなくもない。確かpixiv漫画で無料で読めるはず。『スリーピングデッド』が終わって『MADK』も終わるとなれば、新連載が1、2本始まっただけでは間に合わないと思うが。誰か推し作家さんの連載が始まらないかなー。
効果音(こうかおん)とは、映画・演劇・テレビドラマ・ラジオドラマ・アニメ・ゲーム等において、演出の一環として付け加えられる音。舞台環境、状態を説明するための具体的な環境音(戦場の銃撃音、格闘の打撃、刀で斬る音、街頭の雑踏、駅の発車アナウンス、犬の鳴き声、海辺の潮騒等)や、登場人物の心象を象徴させるための音などがある。また、ノックの音を切っ掛けに、室内にいる役者が人を招き入れる芝居を始めるなどのように芝居の切っ掛けとしての使用法もある。音響効果(おんきょうこうか)、サウンドエフェクト (sound effect)、略してSEともいう。音楽コンサートにおいては開演前に客席に流す音楽や歌曲もSEと呼ぶ。
少年誌のうちは読者の成長に従ってめまぐるしく読む漫画誌の対象年齢が変わっていく
子供のうちは生活環境や心の変化が大きいから出版社として自明な対処なんだろう
少女漫画なんかりなチャより上の層の漫画雑誌なんかすごい数だろ
それが高年齢向けとなると対象年齢という観念がざっくりしてくるんだよな
子供に対して1年刻みだったのが5年から10年ぐらいのきざみになる
でも還暦前と還暦後じゃリタイアして生活環境とか大きく変わるんだから、せめて60歳以上向けの雑誌は必要なんじゃないかと思うわ。
高年齢向け漫画は4,50代向けを最後として、それ以降の読者は全て現行の一番の対象年齢が高いその高年齢向け漫画を読んどけって態度はちょっと雑すぎるだろう。
ま、80~100歳以上の期間での心の変化なんか微々たるものだから、この年代層に対して対象年齢を細分化してきめ細かにいろんな対象年齢向けの漫画を出すっていう必要もないだろうけどな。
あとは対象年齢と作品の主人公の年齢も比例してる傾向があるはずで、これは読者が感情移入できるかということに考慮したことだと思うけど、還暦向けだから中年や前期高齢者風に登場人物の容姿を描くっていうのはどうもあまり受けがよくない気がする…。
高年齢向け漫画にありがちな、平凡的というかのっぺりしたルックスの中年以上の登場人物が現実的な世界観で過ごす漫画。
漫画の魅力ってそれが二次元とメタファーされるように、非現実的な美少女やイケメンを出せることだろう。
あるいはシグルイみたいなアクロバティックな構図で魅せるようなことではないか。
(スナッフ映画だと偽物っぽく見えるみたいなのも漫画だと漫画として見てるからリアルに感じるという効果もある。一般化すれば物理法則とかを非現実的に描いても漫画なら漫画だからで済ませられるという効果か。普通の登場人物が普通のことをする漫画はこの効果すら活かせていない)
高年齢向け漫画にはそのどちらもない。釣りバカ日誌みたいなのが典型。あれ作者自身師事してた漫画家に下手だから漫画家の道には進むなって言われてたようだしね。
やっぱヘタウマみたいな概念でゴタク並べてみても、漫「画」としてのうまさ下手さは結局登場人物の容姿を魅力的に描き込めているか難しい構図を正確に描けているかのどっちかに尽きるわ。
高年齢向け漫画はその両方から逃げている。俺は逃げていると表現したが、作者的にはプロットで魅せたいという心意気なのだろう。
でもプロットで魅せたいならドラマでいいじゃん。っていうのが俺の考え。なんか間違ってるか?
映画監督が夢だったような奴が経済的に無理と諦めて金がなくても映像作品と同様「物語」で楽しませられる漫画という媒体に逃げたようにしか見えんのよ。
だから俺は高年齢向け漫画は読まん。青年誌かTLまで。ドラマは見るけど。
dorawiiより
今話題になっている例のアパレルブランドの火種とたわわに対して、Twitterの鍵垢でずっと色々考えていたことのアウトプットとぼやきです。人間なので矛盾してたり、破綻してるところもあるかもしれない。あくまでも自分の意見をまとめてアウトプットする形になるので、こういうこと考えとる人も居るんだろうな、くらいの気持ちで見ていただけたら幸いです。
まず、たわわの作品そのものに対しての意見は黒澤さんに概ね同意です。自分自身も時と場合、相手でそうすることがあるように、胸を自分の魅力として着飾ること、振る舞うことは"個人の自由"でもあるし、そういう女性の自己表現のかたちがあっても良いと思います。
なぜ彼女の発言があそこまで燃えたのかは、"心の中で性的だと思われることも嫌だ"という層が一定数存在することにあると思っています。
増田は、公序良俗に反さない限り、谷間が見えたり、ボディラインのはっきりした服を着ることは個人の自由ですが、「エロく見られたくて着るわけではない(服が好きできているなどの理由な)のだからエロく思うな」と他人の内心まで制限するのは非常に傲慢な行為だと思っています。同時に、心の中でエロく思うことは自由でも、他者が着ている人の意図を想像して「媚びている」「OKサイン」などとジャッジを下すことも傲慢だと思います。
現状フェミニストが「ハトクロを着る女性は男性にエロく見られたい女性だ!」と行なっている主張は、後者の傲慢さも含んでいると感じるので、(彼女たちが本当に原義的にフェミニストなのかは置いておいて)ハトクロに対しての過度な叩きは女性の身である増田からしてもかなり傲慢に映ります。
エロい服を着るのに必要なのは、エロく思われない社会ではなく、そう思っても表に出したり、相手をそういった視点からジャッジしないという社会だと思うのです。(これはエロい服に限らず、ゴスロリやパンク、どんな服装において言えると思います。)
黒澤さんは、ハトクロ着用の写真は性的な目的の写真ではないので、そう言った言葉を投げかけることは制限していますが、心の中でどう思うかまでは制限していないことが、"心の中で思われることも嫌だ"という層からしたら裏切りに感じられたのかもしれない、それが火種になったのだと考えています。
■内心と言動の話
ではなぜ心の中で思うことまで制限したい人が出てくるのか、と考えると性犯罪の認識が内心にまで及んでいて、男性の性欲に対して潔癖なのだと思います。
自分も勿論男性からのそういった行動や言葉で傷ついたり、嫌な思いをしたことはありますし、被害者としてそういったトラウマや負の感情を抱える気持ちも理解できるし、そこには同情しますが、男性の性欲が"原罪"だとは思っていません。
自分はいわゆる腐女子であり、バイセクシャルで、男性同士の恋愛に対する幻想や女性に性的な気持ちや欲求を抱いたりします。というかどういった人であれ、そのような欲求は誰しもが当たり前に持ち得るものだと考えています。
問題は、その欲求を相手に言葉や行動としてぶつけたり、相手の意図を自分の欲求をものさしに解釈してジャッジしたり、そういった行動に起こすことです。悪いのは相手の服装や仕草でも、欲求そのものでもないと考えています。
そこに対する考え方が、黒澤さんと今回ハトクロを誹謗中傷している方で違うのだな、と思いました。
ですが、国際女性機関(でしたっけ)の「あの作品は女性に対する、異性を性的魅力で応援するというシンボルの押し付けである」という意見にも同意できません。
増田はたわわが好きです。(増田が絵を描くので)絵としてのクオリティも尊敬していますし、胸の大きな女性は現実でも創作でも好きなので、毎週更新を楽しみにしています。何度も言う通り現実でたわわのような女性の自己表現があってもいいし、ああいう男女の関係性があっていいとも思っています。
黒澤さんの「自分の魅力で異性を応援したって良いのではないか?」という作品の中で起きている関係性や、女性の自己表現の自由に対する意見にも同意します。
ですが、たわわの登場人物ではなく、作者様や(自分も含め)それを楽しむ人たちによる、性癖やフェチに基づいたコンテンツの作成意図とその性的な消費が存在するのも事実だとも思っています。
たわわはあくまでも作品で、たわわに向ける印象や作品に対する言葉が女性を性的にジャッジしたり、それを基準として女性像を縛りつける社会を作る!とは思っていませんし、当たり前ですが、現実と創作は違います。もちろんそれを理解している方が大半だとは思いますし、たわわと性犯罪はイコールにはなりません。
ですが、新聞という老若男女、そう言った切り離し方ができない人まで目にする可能性がある場に、元々性的な目線を向けられたり、少なからずそういった欲求から作られている作品を載せる、というのはなかなかリスクのある行為だと思いました。
私たちは1人の人間で、そういったことを期待されるコンテンツではないことも事実です。
(ただ、女性の"シンボル"としてたわわと対局の女性が描かれるのも、またアイちゃんのような女性の自己表現を否定になり得るので本当にメディアと表現と現実の切り離しはセンシティブで難しい問題だと考えています。)
これに関しては自分が女性向けジャンルにおいて、創作物が原作やそれに関わるものに与える影響にとても敏感で、"検索避け"というのにとても気を遣っていたという増田自身のちょっと偏った考えもあるかも知れません。
創作物と現実はイコールにはなりませんが、お互いがお互いに与える影響もゼロではないと思っています。ので、増田というただの人間にはそれが良いとも、悪いとも言い切れません。
■最後になんか色々
性別や年齢、どんなことに関わらず自分以外の人間に対して、相手の立場や考えを噛み砕くことはできても、完全に理解してその立場になることは無理だと考えています。
私はあくまでも私の立場でしかものを語れないし、自身も性被害にあったことがあるので、作品と性被害の切り離しが完全に行えているかというとかなり怪しいことも自覚しています。
また、そういう人間が第三者として完全に冷静に話すことは難しい、とも思っています。
被害者や弱者が何かに対して発言する時、行き過ぎればその立場を振りかざした暴力にもなり得るので。
なるべくそういう個人的な感情は省いて考えているつもりではありますが、正直完璧に第三者視点で公正にものを考えることはかなり不可能に近いです。正直自分にできている自信はありません。
なんか話があっちこっちに行った気がするのですが、初めにお話しした通り、こういう気持ちを抱いている人もいるんだな、くらいの気持ちで捉えて頂ければ幸いです。