はてなキーワード: 登場人物とは
残念ながら増田に人を変えるような力は無い。
聴いていて僕はどのフルーツなんだろうとふと思った
そもそもOR条件でなく、AND条件なのかな
僕はキウイでかつパパイアでかつマンゴーだと指摘されているのか
「君たち=曲を聴いている人」想定でない歌詞とも考えられるな
南国での恋っぽい歌詞だから「南国にいる人=キウイ、パパイア、マンゴー」という指摘なのだろうか
果実はたとえとして若さや性的要素を想起させる意図で使っていると考えるのが容易だけど、歌詞中で言及されるのは「咲かせましょうか果実大恋愛(フルーツ・スキャンダル)」くらいだ
「咲かす」は「話を咲かす」のような「話が盛り上がる」という意味合いだろうか
スキャンダルは醜聞だから「咲かせましょうか果実大恋愛(フルーツ・スキャンダル)」は「荒れたコイバナしようよ」くらいのことなんかね
そうなると「キウイ、パパイア、マンゴー」は「荒れたコイバナの登場人物」となる
ここで固有のコイバナについて語っていると想定すると「キウイ、パパイア、マンゴー」は同じ恋愛騒動の渦中にいた三人となる
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」は「あの恋愛騒動の三人だ!」というパパラッチみたいな指摘になる
ただ「咲かせましょうか果実大恋愛(フルーツ・スキャンダル)」は「噂になるくらいの恋をしようよ」というようにこれから起こる恋愛について歌っているとも解釈できる
その場合は「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」は「お、恋しそうな三人じゃん!恋しようよ」みたいなおせっかいな指摘になる
この場合、「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」と指摘した人の立場が問題となる
「恋しようよ」と解釈した場合、その恋に指摘した人は参加する意図があるのだろうか
歌詞中では指摘した人物の恋や恋愛観について触れていることが多い
恋への参加意図がない場合は「私、こんな恋してて楽しいから、君たちも恋しちゃいなよ」みたいなウザってえ提案になる
恋への参加意図がある場合は「おっいい感じの三人じゃん、私と恋しようぜ」という一人で三人に声をかけるみたいな大胆なナンパになる
もう深夜3時だからここで考えるのを止めて、寝ることにする
登場人物が作中で同意しててもそこに現れる作者の意図が有害だから規制を、と言われたら、勝手に表象される一方のゲイの立場はどうなんの、て話は分からない?
まあ普通は、両方良くはないけど具体的な誰かの人権が侵害されているわけじゃないから許容範囲だとするものじゃん?ナマモノBL以外はさ。
既に歪んだ価値観の持ち主には分かりにくいだろうが、あれは信頼関係じゃないんだよ。セクハラを必ず見過ごす人物たち、グルーミングだし、登場人物の心理描写もかなり不自然
物語や心理描写も含めて、男性をうっかりしただけの善良な存在であるかのように描写して(しきれてないが)、男性の暴力的欲望を全肯定して能動的に応じてくれる一方的な愛と性の提供者を作るための舞台装置でしかないことはわかるはずだ
いまだに引きずっているというか、しこりになってて消えていかないから書かせてくれ。
当時同人活動をしていて、何人か気の合う人と知り合いになれた。
その中でも、イベントに参加する時に部屋に泊まらせてもらったり、けっこう仲良くなった人(Aとする)がいた。
ある日、Aから私に連絡が来た。
Aが仲間内のBさんを未遂ではあれど、襲いそうになってしまったという内容。(今から考えたら私の気を引きたいAの嘘だったかもしれない)
それ以降、私はそのグループとは一切連絡を取らなくなり、ジャンルからはフェードアウト。作品も発表しなくなった。
でもカプ自体は好きだったから、その後もツイッターをカプ名で検索したりしていた。
すると同ジャンルで活動していたCさん(有名字書き)に対し、激重感情を爆発させているアカウントを発見。
イベント会場で私も挨拶されたことあるから、そのアカウントの中の人については知っていた。
Cさんが大好きだけどネトストがうざくて拒否されて、失恋して未練タラタラって感じのツイートしてた。
大抵の人がR18表現をしてるせいで、作者への好意が性欲とまじりあった結果、疑似恋愛感情を発生させてしまうんだろうか。
なにより恐ろしいのは、ここに出てくる人たち、全員もういい歳した大人。
お前、作者が描き分けできないせいで女にしか見えなくなった男or男にしか見えない女が好きなんだろ!!登場人物が性別に言及して初めて本来の性別に気がついたんだろ!!その時の萌えが欲しい!目の前のゴツいゴリラが女である事実が判明した時の感情は忘れない。
「(キャラA)は無関係な人間を巻き込んで殺しても平気なことにモヤモヤする」だの「(キャラB)は偏見が強くて、本当は許されないとわかって読まなきゃ」だののコメも、それに対して「(キャラA)は本当は心を痛めてたんじゃないかな」だの「(キャラB)は過去の嫌な思い出が癒えてないから仕方ないんだと思う」だの擁護するコメも、ご立派すぎてヒェ~ってなったわ。
あの漫画の登場人物はだいたい精神が黒ずんでて現代倫理には反してて、それが格好良さなんだよ。
そこで脳内倫理チェッカーがサイレン鳴らすような奴が、なんであんな不道徳殺し合いサツバツ任侠ウエスタンアクション漫画を序盤で切ってないんだろうな。
逆に無理筋擁護する奴も倫理チェッカーがビンビン過敏なんだけど、それがウーウー言いださないよう、読み方を歪めてでも「悪い人じゃない」って思いこもうとしてる。
たまに人情を発揮することはあってもどいつもこいつも悪人だっつの。そして悪人だからいいんだっつうの。
「常識的正義感」にうんざりして物語を楽しんでる俺からすると、あの作風の中盤までついてきてる読者にも結構そういう人間らがいることにげんなりせざるをえない。
まあ気まぐれでコメ欄覗いた俺がアホだったし反省してもう見てないんだけど、二、三回覗いただけで胃もたれしちゃったわ。
否定的感想はダメ!not for meなら黙ってブラバ!みたいな話じゃねーぞ。
それもまた風紀委員だ。
(脳内倫理チェッカーがうるせえなら序盤切りしろって書いたからそう取るやつがいても仕方ないか……)
常識的な正義感がまだ世の中では支配的なんですな~、むしろコンプラ意識でガチガチにしたがる人間が増えてすらいそうですな~、超オモロ作品を書いた作者と出版社への報酬に繋がるんだから倫理系読者も好ましい存在ですが、それはそれとして人間は愚かですな~っつー、どうしようもない現実への嘆きの吐き捨てだよ。
まぁあまりに人気マンガだから仕方ないことで、他のほどほどのマンガは頷けるコメの率がもっと高いんだと思うわ、知らんけど。往年のニコ動でも、人気歌い手動画はイケボにうっとりと崇拝と年齢自己紹介とファン民度誇りと自治とでコメヤバかったけど、他の動画はおもろいコメもあったみたいなもんだろ。
この増田自体はダサい愚痴でしかねえけど、でもイキった偽悪とだけ片づけられるのは傷いたよ。
金原ひとみが「小説というのは、間違っていることを正しい言葉で語る側面があると思うんです。小説というのはある程度、誰からも共感されず、みんなから『死ね』と思われるような人たちのためにあると思っています」と言ってるのだが、漫画もそうだろうよってこと。
アラサーになってから本格的にジャンルにハマれなくなって同人ED
次のジャンルを求めてコンテンツ接種しまくるが悉くハマれず虚無
萌えるかと思って某カプをピクシブでカプ検索したけど「飛影はそんなこと言わない」状態になった
「令和のカカナルってことね」で読んだ
サカモトデイズ→原作読んだ
死ぬほど今更だけど最近のジャンプ漫画家さん画力というかスケール感の大きい戦闘シーンバンバンかけるのすごすぎ
大逆転裁判→後半途中までやった
キャラクターみんないい人だなあって思ったけどハマれず
原作で満足
登場人物みんな賢い…
しかし原作から接種できる量だからこそできる萌って感じで二次創作するとコレジャナイ感がある
映像すごーとか俳優さん女優さん美しかっこよ〜ってなったけど萌えとかはなかった
原作のキャラの魅力とかが「この状況で恋愛的なやりとりしてたらそのキャラの心のあり方→魅力 と違うだろ…」ってなりやすくなってる?
最初に二次創作にハマったきっかけの「この原作の続き・行間をもっと見たい」って気持ちが少なくなって
それはそれでいいことなのかもしれんが
アラサーになってから本格的にジャンルにハマれなくなって同人ED
次のジャンルを求めてコンテンツ接種しまくるが悉くハマれず虚無
萌えるかと思って某カプをピクシブでカプ検索したけど「飛影はそんなこと言わない」状態になった
「令和のカカナルってことね」で読んだ
サカモトデイズ→原作読んだ
死ぬほど今更だけど最近のジャンプ漫画家さん画力というかスケール感の大きい戦闘シーンバンバンかけるのすごすぎ
大逆転裁判→後半途中までやった
キャラクターみんないい人だなあって思ったけどハマれず
原作で満足
登場人物みんな賢い…
しかし原作から接種できる量だからこそできる萌って感じで二次創作するとコレジャナイ感がある
原作のキャラの魅力とかが「この状況で恋愛的なやりとりしてたらそのキャラの心のあり方→魅力 と違うだろ…」ってなりやすくなってる?
最初に二次創作にハマったきっかけの「この原作の続き・行間をもっと見たい」って気持ちが少なくなって
それはそれでいいことなのかもしれんが
予想以上に面白かった
なんだこれ
ワイの知ってるBLは妹が職場の腐女子から押し付けられてくる何十冊とある国産BLぐらいだ
あとはパプワくんぐらい
セックスセックスセックスセックスセックスばかりの国産BLはタイトルも内容もよく覚えてない
どれも同じに読めるので3冊ぐらいで読み終わった
だが夜画帳はセックス以外の要素が強くて惹かれた
最新話102話が終了して半年の休養期間に入ったのだが、
コミPO!で脳内整理を兼ねて画像を作り始めて、正直、夜画帳にハマりかけてる
BLも娘にするとまた違った百合百合しい魅力が発生するものだな
(ネタバレ start)
主人公が貴族三人を斬殺して犯罪者になったところで102話終了
元々敵が多かった主人公だがこれで遺族会が発生して三面に+一面されて四面楚歌状態になった
逃げ続けられるのかを考えていると楽しすぎて時間が矢のように過ぎていく
(ネタバレ end)
しかしワイは再就活をしなければならず嵌って時間を無駄にするのはどうなのだ?!
だめだだめだだめだ
こんなんじゃんだめだ
働かないとお賃金がギンギンになれない
遠くに住む妹とも何年も会えてない
漫画にハマるのは他人に任せて彼らの感想文や考察文を読んでる方がワイには一番の利益になる
ワイは漫画と決別せねばならない
もう月末だし時間がない
とゆうわけでこの日記を書いて夜画帳熱を沈めて社会復帰への一助としたい
歯を磨いて寝る
細田守監督といえば「時をかける少女」や「サマーウォーズ」で有名だし、
近年でも金曜ロードーショーで何度もリバイバルされたり、サブスクで定期的に見放題になるので知っている人も多いだろう。
私は細田守監督作品が好きだ、出会いは1999年の劇場映画「デジモンアドベンチャー」(20分映画)、
それに続く2000年の「ぼくらのウォーゲーム!」(40分映画)だ。
どちらも非常に短い上映時間にも関わらずそれを感じさせない魅力が多く、本当に大好きだ。
「サマーウォーズ」は「ぼくらのウォーゲーム!」のセリフリメイクとして、デジモンアドベンチャーを見ていなかったひとにも勧められる高品質な映画として大変嬉しかったし、絶対に映画館で観続けてやるぞと思うようになった。
しかし、「おおかみこどもの雨と雪」を皮切りに、細田監督はスタジオ地図という独立スタジオを立ち上げて映画を作るようになったのだが、どうにも様子がおかしい。
様子がおかしいというのは語弊があるかもしれないが、なんだか「感動路線」や「国民的映画」というのを意図して作り出そうとしている印象を受けた。
そして「バケモノの子」「未来のミライ」といった映画を世に送り出したわけだけれど、クレジットを見ると「時をかける少女」〜「おおかみこどもの雨と雪」まで脚本を担当していた奥寺佐渡子氏の名が消え、細田守氏が直接脚本を書くようになっていた。
おそらく観た人の評判から「未来のミライ」のことはご存知の方も多いと思うが、その他も脚本の質としてはかなり低品質に思えた。
具体的には登場人物の感情曲線が支離滅裂で、動機と行動に一貫性がなにもない。
作りたい展開を作りたいように継ぎはぎしている。
そういった印象を受けた。
そして、満を辞して公開された「竜とそばかすの姫」は極力期待しないようにして公開日に劇場へ足を運んだ。
だが、自分は少しは期待していた、なぜなら舞台が「ネット上の仮想世界」ということで、原点回帰のような面が伺えたからだ。
独立後は自然派やファンタジーに寄った作品が多かったので、監督のオタク的心理を取り戻してくれると少しは期待してしまっていた。
しかしいざ観た内容は、「時をかける少女」と「サマーウォーズ」を足して薄く引き伸ばして再生産し、モヤモヤっとしたまま〆て終わりのような作品だった。
最後のスタッフロールで全国の日本テレビ各局番宣スタッフが長々と列記されている部分だけが色濃く脳裏に残っている。
もちろん、場面の絵作りとしては高品質なところもあるし、単純にミュージックビデオとして見ればそう悪くない場面もあることはあった。
しかし、それらを踏まえても、一本の映画として観た場合に違和感やモヤモヤばかりを劇場の外に持ち帰る脚本はいただけないなと思った。
「感動路線」「国民的映画」を目指しているそぶりは続いていたが、感情移入できるキャラクターも「観てよかった」「おもしろかった」と太鼓判を押せる要素も消え失せていた。