はてなキーワード: 槍玉とは
彼らは子孫のよい生活というのが最大のモチベーションだし、どんなに金があっても、地球で災害が吹き荒れていたらひ孫は困るだろう。
これは間違いなくそのとおりなんだけど、その富裕層の守りたいブツとして「地球」はややおっきすぎないかなって。
イーロン・ラスクさんとかジェフ・ベゾスさんとかが異常なまでに宇宙に入れ込んでるのはSDGsの考えと表裏をなすもんだと思ってて、連中は「自分および係累が維持される最低限の生態系を地球外に作る」が最大の目標で
自分に利があるのはSDGsの方なんだけども、このSDGsの推進スピードと環境のぶっ壊れるスピードの競争でたぶん競り負ける段になったら、富裕層群は自分たちだけ助かるほうに離脱するんじゃないかなあ、と思ってる。
アメリカの自動車労組だったか、とても維持できない高利率の退職者年金が槍玉にあげられて潰されてたのを見ると、キレイゴトで約束してても実際に回らなくなった時に潰されるのは弱い側だな、というのは見聞きするのでいまいち信用がおけんな、と思う。つかアメリカの自動車労組なんて強いはずだったのに資本の都合であっという間に潰されてるんだから、先進国の下層労働者たる俺なんか一捻りだよな、って。
今年9月24日から26日にかけて中国・北京で開催された「北京国际游戏创新大会(北京国際ゲームイノベーション会議)」の内部資料がインターネット上で流通し、議論を呼んでいる。同大会は、政府主導で年に一度開催されるカンファレンスであり、テンセントをはじめ大手ゲーム会社が参加した。ここでのプレゼンテーションに用いられた資料が、インターネット上に流出したと見られている。
話題となっている文書に含まれるのが、「ゲーム出版コンテンツレビューの要点と分析」とされる資料だ。中国総局の監査専門家、Chen Zhenyu氏による文書となっている。文書のなかでは、実際にコンテンツ規制の対象となる内容が列挙。いくつかの項目に章立てられて、禁止の対象が挙げられた。非常に多岐にわたる規制対象が挙げられているが、興味深いのは、いくつかの中国内外のコンテンツが名指しで挙げられていることである。文書に含まれる広範な内容のなかでも、特定のタイトルを挙げて規制対象が示されている部分を中心にピックアップして見てみよう。
第一の対象が、「価値観」にまつわる規制対象である。ガチャやPay to Winなど金銭至上主義のデザインや、退廃的・アウトローな世界観などが、不適切なコンテンツとして挙げられた。「プレイヤーに善悪を選択する権利を与えること」も推奨されないとされている。さらに、「日本的な二次元文化」も規制対象とされる。ここでは漫画作品「NARUTO」やスマートフォン向けアプリ『陰陽師』『アークナイツ』などが高い市場シェアをもっている例として挙げられた。
続けて価値観的に不適切なコンテンツとして挙げられるのが、「反社会的・反人間的」とされるコンテンツ。疫病による人類滅亡を目指す『Plague Inc.』や戦争シミュレーション『This War of Mine』も槍玉に挙げられている。また「耽美、耽改」と呼ばれる、いわゆるBLジャンルも取り締まりの対象とされる。さらに注目したいポイントは、「女性的に見える男性」が不適切なコンテンツとして挙げられていることだ。判断基準としては「主観的に見て性別の判断に混乱をきたすこと(説明を見ないと男性だと分からないこと)」が挙げられている。ここでは『原神』における男性の多くが女性的に描かれているとされ、ウェンティが代表例として挙げられた。
第二の対象が、「文化性」にまつわる規制対象。ここではゲームタイトルなど名称にまつわる注意や、取り扱う題材に関する規制対象が挙げられた。例の一つとしては、日本の新選組や武士道精神などは不適切なコンテンツに相当するようだ。
第三の対象が、「歴史観」にまつわる規制対象。事実を歪曲したり、センセーショナルにしたり、歴史的人物を改変することが規制対象になるという。ここでは第二次世界大戦における“悪の勢力”を美化することのほか、日本・ドイツ軍の武器・装備を使用することや軍服を使った表現、歴史上の人物への言及も挙げられた。具体例として『アズールレーン』『ブラック・サージナイト』が挙げられている。このほか『信長の野望』は軍国主義的であるとして、「他国の歴史の過度な美化」に相当するそうだ。ほか、多数の歴史的な題材についての規制が挙げられた。
そして第四の対象が、「宗教」にまつわる規制対象。宗教上の人物を不適切に引用する例として『真・女神転生IV FINAL』が挙げられた。
こうしたコンテンツにまつわる規制対象のほか、技術的要件も含め、さまざまな規制の基準が明かされた。文書で挙げられた内容のなかには、先日中国でゲーム業界団体が発表した「自主規制ガイドライン」と重複する部分もあるように感じられる(関連記事)。しかし、先述のガイドラインでは解釈の余地が残されていたのに対し、今回公開された文書ではより厳しい規制基準が設けられていることが明らかとなった。
今回明らかになった当局における規制基準の厳粛さは、中国ユーザーにとっても驚きをもって受け止められたようだ。また中国国内SNSでは、本文書にまつわる投稿がのきなみ削除されたとも伝えられている。まだ資料段階の話であるが、中国国内のコンテンツ取り締まりはますます厳しくなっていきそうだ。『原神』をはじめ人気IPも苦境を迫られる可能性があり、今後の先行きは不透明となっている。
ハンパナキモチハキライヨーッス 椎名へきる/September RAIN ( 最近電話もしてない ハンパな気持ちは嫌いよ あなたがメールくれても 待っていたなんて言えない )
そういえば先日、あの事故の主犯だー!みたいな人が「いやアレは実はホントはこれはやってなくて強がりで」みたいな話をしてるのを聞きました。
でも数十年以上も前から指摘されてきたことを槍玉に挙げられたタイミングで今更訂正されても普通の人は聞かないんですよね。まぁ言いたいことはわかります。
でも、当事者がほとんど消え去ったり現場が時間経過によって状態が変わってから検証が行われたりしたら信憑性がないんですよね。
ですので皆様は何か異常がございましたら早めのご報告をお願いしております。基本的に『仕様です』で返答する予定です。
適度な報告よいか!適度な報告ヨシ!
誰か教えてほしい。
具体的な失策は Go To Eat, Travel を進めて経済回復をコロナより優先させたというところは混乱したのは事実だと思う。
ただそれ以外で本当に駄目だったところ、失策は何なのか知りたい。
デルタ株を予見してたのに、ワクチン以外の解決策を持たずにオリンピック、パラリンピックを強行したところを非難されがちだけど、逆に現時点でワクチン以外の解決策ってあるの?
オリンピックは正直槍玉に挙げられること多いけど、じゃあやってなかったらデルタ株来ても蔓延してなかったと「本当に」みんな思ってる??
正直オリンピック関係なく蔓延してたと思うんだよね。スタジアムも無観客で密集を作らないようにしてた訳だし。
オリンピックはコロナと関係なく、そんな失策じゃないと思ってる。
さらに言えばワクチンを接種して、一気にワクチン2回接種率を40%以上に短期間で引き上げているところは評価してもいいと思う。
まんだらけ=アダルトショップではないしオタクやサブカル=アニメやエロだけのものでもないし今までメディアが取り上げてきた中野ブロードウェイを自分の中で都合よく解釈しすぎていないか。オタクの聖地でカオスでディープ=アニメとエロしかないってことではないです。
「オタクの聖地でカオスでディープ=アニメとエロしかないってことではない」は表現の自由戦士なら誰一人否定していないと思うよ。
否定されてるのは「アニメとエロの陳列に”配慮”という名の規制を施せ」だし、もっと言えばアニメとエロに限らず「”配慮”という名の規制を施せ」という主張。
「カオス」は「配慮」の対義語で、どこにでもなんでも陳列できる無秩序無配慮無遠慮な状態を指す(と、少なくとも私は解釈しているし、突飛とも思わない)。エロもグロもファッションも来る者拒まず、拒む者拒む。
この人たちの守りたい表現の自由とは何なのか。
ファッションという表現は守らなくていいのか。そもそもSpank!のファッションだって少なからずアニメや漫画の影響を受けて発展したカルチャーだ。なぜ共存を促さないのか。
ファッションという表現は守る必要がある。そして共存を促しているし、だからこそSpank!が槍玉に挙げられている。
表現の自由戦士の教義では「ファッションは守るに値しないからSpank!は閉店しろ」などとは言わない。
逆に、「すべての表現の自由を守ると意気込んでいる」し「共存を促す」からこそ、「アダルトショップの向かいで子供を客層に含むファッションショップを開いてはならない・することはできない」という声と戦う。
その声を今回挙げたのはSpank!の店主だ。
こんなに衆目に晒されてしまっては今まで通り穏やかに同じカルチャーを愛する人の方だけを向いて経営していくことが困難なのは想像に難くない。
同じカルチャーを愛さない人が後ろや横から見てくるのを妨げることはできないけれど。
一旦エスパーを辞めて冷静に考えてみて欲しい。禁書房のディスプレイが法律違反じゃないからといってあれはあの場にふさわしいのか。
はい。カオスこそがあの場の売りなので(少なくとも、複数の客からそう認識されている)。
少なくとも出歩けて文字が読める年齢の未成年に対しては、見せて大丈夫でない表現などない。
…っていうか正直な話、一度でも2021年に生きる未成年の気持ちになったことある?自分が子供の時綺麗な言葉だけを浴びて育ってきた?小学生が興味を持ちそうなトピックをスマートフォンで検索したことある?元増田で言うところの「目も背けたくなるような言葉」を見たこと聞いたことがない未成年が実在すると思う?それを見て聞いてしまった彼らは大丈夫でないとでも?
上述の通り。
少なくとも「子供のうちは過激な・不愉快な表現を目にしない権利」ではないことは確か。
違う。
仮に今回の問題が「Spank!が営業を続けていたが、『アダルトショップの真正面で子供向けの店を営むなんて何事だ!』というクレームでSpank!が潰されそう」という問題だったなら表現の自由戦士はSpank!擁護一色だっただろう。
エロだからや男性向けだから、ファッションだからや女性向けだからではなく、常に「表現を世に出そうとする人」の味方で「表現を世から消そうとする人」の敵。
当時を考えて見ても思う
ロスジェネ世代のおっさんたちは自分たちは当時から哀れな被害者だったって言ってるけど嘘ってわかるから
自分らが無知のくせに無限の可能性があるとかアホな勘違いして恵まれた立場や地位をかなぐり捨てただけ
2000年の有効求人倍率1を割った時点で国が財政出動して救うべきって論調を
自己責任論喚いて要らぬ世話だと言ったのもこいつら当時若者だったロスジェネ世代
今になって人生の取り返しがつかないことに気がついて竹中のせいでとか目についた目立った人間のせいにしてるだけだよ
仮に竹中がいなくともあの時代に代わりになるような別のやつが同じようなこと言ってて
そして今になって槍玉に挙げられるだけ
自分らの無能と無知による失敗をいつまでも他人のせいにしてるその性根と民度の低さが経済衰退に直結してるだけじゃねえの?としか思わないのよな
えっ、乗ってるの?
じゃあお前だよ。お前のせいだよ。
満員電車を作り出してるのはお前!
お前のせいなの! お前が当事者なの!
当事者なのになんで他人事みたいに言ってんだ。いますぐ満員電車を作り出すのをやめろ。
テレワークでも、時差出勤でも、徒歩出勤でも、自家用車や自転車での出勤でも、職場近くへの引っ越しでも、あるいはストライキでも転職でも、この一年以上の時間でできることはあっただろ。それをやってないのは他ならぬお前なの。他人のせいにすんな。日本社会の構造的問題を変えるのは難しくともお前の行動を変えることは容易いはずだ。それすらしていないやつがあれこれ言う筋合いはない。
当初は鳴り物入りで立ち上げられたデジタル庁が、今や「干したる庁」などと嘲られ、国民や同庁の原動力となるはずだったITエンジニアからの期待を惨めにも失墜させるきっかけとなった平井大臣によるNECへの恫喝発言問題だが、それを受けて「疑惑を晴らす」として始められたオリパラアプリの発注プロセスに対する調査結果が公表された。
内容については東京新聞の記事に問題点の概要がまとまっているし、7月初旬の時点で日経クロステックが報告書の内容に繋がる記事を書いている。ではなぜ、平井大臣にとってこの調査が「疑惑を晴らす」ことになるかと言えば、「和泉首相補佐官らが、デジタル行政を仕切る自分に断り無く進めた不透明なプロジェクトを俺が止めてやった」という意識があるからだろう。先月末に、その辺りの詳細を新潮が報じている。
確かに、この辺りの事情を勘案すると、平井大臣の言っていることに決して理がないわけではない。では、平井大臣の恫喝は不公正な調達に対する適切な苦言だったのか?そうはならないだろう。オリパラアプリの受注金額は NTT が圧倒的だった(73億円中の45億円)のに、自分は自分で NTT から繰り返し接待を受けているからって、そこを問題にせずに NEC を槍玉に挙げて排除したり、挙げ句に自分と親しい会社をねじ込もうとするのは道理に合わない。そもそも、公正であるべき行政の責任者が、民間に対して「見せしめを作る」などと言いながら権力を振りかざすような態度を取ること自体がありえない。結局、これは政府内での「デジタル利権」を巡る醜い争いに過ぎない。
ところで、この新潮の記事を今から見返すと面白い点があって、それはデジタル監(デジタル庁の事務方トップ)の任命問題に言及していることなんだよね。どうも、7月くらいまではこの件で槍玉に上がった神成淳司氏が有力候補だったらしい。つまり、平井大臣としては「政敵」が推している人物ということになる。それが、オリパラアプリの問題を受けて辞退した。これが7月20日頃の出来事。
「確かに最高幹部のひとりとして神成さんの名前は挙がっていました。和泉首相補佐官と官僚トップの杉田和博官房副長官が推薦していたんです。ただ、日本のインターネットの父と言われ、内閣官房参与でIT分野のアドバイスをする慶應大学の村井純教授は反対していました。そうこうするうち、7月20日前後のことですが、神成さん本人から辞退の申し出がありました。週刊新潮でNECと共同研究を行っていることなどが報じられたので、幹部に就任すれば辞任に追い込まれる可能性もあります。自ら傷つく前に辞退したのでしょう。それにしても、“疑惑”の渦中にある人を幹部に据えようとするとは、和泉さんや杉田さんは何を考えているのやら」
その3週間後の8月5日にデジタル監に伊藤穰一氏を据えるという話が出てきた。
結局、ご存知の通りこの話は撤回されることになった。その原因である、いわゆる「エプスタイン問題」については文春の記事が詳しいので繰り返さないが、一方で、同様の内容を報じた新潮の記事に以下のように書かれている。
「今回の人選については、デジタル改革担当大臣の平井卓也氏が進めてきました。菅首相の肝いりの政策ですから力が入っており、平井氏も意中の人がいたようですが、何人かにフラれて伊藤さんにお鉢が回ってきたといいます」
結局、政敵の送り込んだ人物を排除して、自分の肝いりの人物を重要ポストに据えようと企んだものの、行政の責任者としての基本的な適正すら見抜けずに失敗した(そもそも、もっぱら投資家からの資金調達を得意としている人物にデジタル庁の何をやらせようとしていたんだろう)。この人たちは、本当に何をやっているんだろうか。ため息しか出ない。
このところ常に死にたいとうっすら考えているような感覚で生きている
楽しいことがあってもふと「そういや死にてえな」と思い返して楽しさが冷めていく感覚。
そしてそれは大体みんな同じような感覚を抱いているんだろう、死にたいと思っていない奴はむしろ相当の楽天家か馬鹿の少数だけと思っていたが、どうやらむしろ死にたいと思っている人の方が少数派らしい。
別にいじめられているとかブラック労働がとかじゃない。それなら別にそうじゃない人は死にたいと思わないだろう。理由はSNSを始めとする社会に蔓延する憎悪があまりに重苦しく苦痛だからだ。
最初に断っておくとこれから出てくる加害者たちを擁護する気は無い。
もちろん悪い事をした人が悪いのだが、ことある事に槍玉にあげてその都度完膚なきまでに叩く多数をみて「ああ嫌だな」と何となく感じた。
スキャンダルに対してその当事者がネットで槍玉に上がったことはそれまでにもいくらでもあった。
思い返せば小保方氏や野々村議員もその例だろう。ただ彼らは音MADにされたりクソコラを作られたりと、もちろん本人してはたまったもんじゃないだろうが、スキャンダルをコメディとして消化しようとするものだった。
もちろん、ひき逃げの加害者を音MADにしろという訳では無い。こちらは明確に被害者がいる以上そんなことが許されるわけが無い。
それでも、一人の人間が憎悪の対象として消費されるのを見て擁護はなくても同情はしてしまう。
あまつさえ、上級国民とかいうこれまでなかった言葉まで使って高齢者富裕層まで主語を広げて叩く日には、「フランス革命でラボアジェを処刑した国民はこういう人達だったのかな」と思った。
オリンピックの諸問題の方々、金メダルを噛んだ市長それがし、不倫した芸人なにがしや声優なにがし等々。取っかえ引っかえの回転寿司状態だ。そしてその度に地獄のようなコメントが溢れる。これを書いてる途中に声優それがしが死にかけているらしい。書いている途中に知ってめちゃくちゃ偶然だが、遅かれ早かれそういうことが起きるのは明白だっただろう。
なぜそんなことになったかといえば、これらの人達は「わかりやすい自分と関係ない悪」だからだ。
家族や上司などといといった簡単には解決できない問題、更にはウイルスなどといった実体のない敵によるストレスは人類全体に重くのしかかってくる。「正義をもって悪を誅す」というのはそのはけ口としてとてもよく働く。自分のストレスや不安から目をそらすことに精一杯な人達はますます想像力が欠如して盲目になり、ましてや、加害者の心情なんて想像しない。
要はストレス解消のために叩いてもいい大義名分を持った人が求められているのだ。
こういう人達が活動を自粛したり降板したり表舞台から退いたり、ましてや自殺したら「責任を果たせ」だとか「逃げるな」だとか言われる。
そして決まって「被害者を思うと…裏切られたファンを思うと…」とかがくっついている。その綺麗事、大義名分になんの意味があるのか。
「次の悪者が現れるまで後腐れなく叩かせ続けろ」って言え
大体そういう人たちは何を以て責任を果たしたと認めるのだろうか。謝罪しても当事者でもないのに「誠意が足りない」だの「被害者には許さない権利もある」とかいうくせに。じゃあ目に見えればいいかといえば「金で解決しようとしてる」とか「上級国民が」とか言い出すくせに。
そして死んだら「責任から逃げるな」とかいう。むしろ自分が死の遠因になったという責任から逃げているのはそっちだろう。
開会式のいじめがどうとかいうミュージシャンそれがしを集団で叩くといういじめの構図をもって成敗した気になっているのは、悪趣味すぎるコメディかと思った。
もちろん自分が知らないずっと前からこういうことはネット、リアル問わずあっただろう。でもそれはメインストリームではない。
しかし、一億総発信社会/コロナ禍となってユーザーが生成するメインコンテンツが憎悪になってしまった。
そこに需要が存在すれば当然供給も発生する。メディアも問題があった人たちが如何に極悪人であったかを強調するために過去を漁って露悪的な記事を量産する。
もう現代においてピカソやワーグナーのような人はもう出てこないんだろうな。そして悪事はバレたら社会的に抹殺されるのだからますます陰湿になるか一撃必殺になるかのどちらかだろう。
膨れ上がった憎悪は関係ない人をも蝕むようになる。こんな社会に耐えるくらいなら消えた方がいい。いわんや当事者にしては想像を絶するものだろう。
こういうことを言うと起こりそうな意見に先に返しておく
・「悪いことをしたのは向こうなのだから当然だろう」「報いは受けるべき」
別に自分は「誹謗中傷はやめよう」とか「加害者にも人権はある」とか道徳の先生みたいなことを言うつもりは無い。これは絶望の言語化であって啓蒙ではない。
そもそもそんなことずっと言われ続けているのに悪くなる一方なのだから無理なのだろう
個人的にその原因は、歴史的に人類は「罰する」と「赦す」を神に丸投げしてきたからじゃないかと思う。
シャリーアを引き合いに出すまでもなく、法とは神が定めた道徳を人間にわかりやすくしたものだ。神の代弁者・執行者として悪人は裁かれ断罪された。逆に言えば、刑期を終えるとは「神が赦したのだから私達も赦そう」という理屈だろう。私刑が許されないのは、同じ理性の範疇内の人間が人間を捌くこと自体傲慢で歯止めが聞かないからだろう。
それが現代になって神が死に、ネットによって「罰する」と「赦す」が急に個人個人の人間の与えられたら上手く使いこなせるはずがない。何を以て許せば良いのかも分からない。だからこそ憎悪はどこまでも増幅し、終わりがないのだろう。
・「確かにクソなことはあるがネットにもリアルにも善意や楽しいことだってあるだろう」
それは確かにそう。実際自分もある程度いわゆるオタクなので「次のイベントが生きる糧」だの「2期を見るまで死ねない」だの思っていた。
でも最近ふと、なぜそれらが好きか理由を考えたら、自分は死にたいという感情を麻痺させる麻薬に過ぎないと思っていたことを悟った。一回そう思ってしまったらもうその麻薬は直ぐに効き目が切れるようになった。
これも確かにそう。ジャコモ・レオパルディという人も「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人どもの同盟、あるいは寛容な人たちに対立する卑怯者どもの集まりだということである。」とか言っている。その通りだと思う。でもネットをやめたとてこの社会に逃げ場なんてあるのか。分断と対立・不寛容が加速するこの世界でネットのような憎悪が現実にも染み出していることはキャンセルカルチャーなんかを見るまでもなく明らかだろう。情報自体から隔絶された世界で仙人のように生きればいいのか。そうしたら確かに死ななくても良いかもしれないが、憎悪を撒き散らす人達が野放図に暮らして、そうでない人が隠れていきなければいけない世界ならますますこの社会はクソだろう。
・「この恨みにまみれた投稿だって憎悪を増やしているだろうブーメランじゃないのか」
その通り。だけど今更ネットにデブリがひとつ増えたとて誤差だろう。
繰り返すがこれは現実への諦念であって啓蒙ではない。だからこそ聞きたいのは、どうやってこの憎悪の中死にたいとも思わずに生きていられるのだろう?
以下支離滅裂
わたしに買ってくれた服とか靴とか成人式の道具とか全部それから出てたみたい。もちろん全額じゃないけど、今期の学費は払えないみたいな話をしていた。
父親も言ってたけれど、わたしは大学生で、たぶん同年代の人で働いていてもおかしくない。学費も家賃も生活費も払ってないだけめぐまれたご身分だと思う。成人式も出られなくても仕方ないかもしれない。仕方のないことだ。
父がおかしくなったのが多分わたしが国立大を諦めた高3のころで、そのころから貯金を始めたらしい。わたしのために。
父は怒っていた。嫌な思い(仕事)をして稼いできた金を黙って使うのが許せない。母は受け流してばかりでとても真摯な対応とは言えなかったが、繰り返し父親の態度を槍玉に挙げた。わたしにはどう考えても父親が正しくて、母親は理不尽な逆ギレをしているにすぎないように思えた。
けれども母もわたしも父親には散々傷つけられた。物心ついたころから物音に怯え、父の機嫌を伺い、罵倒されないように何も喋らなかった。子供らしくないと訳の分からない理由で問い詰められたこともあった。それを思い出すとどうしても父の味方にはなれない。
学校で全員受験必須の共通テストの受験料を何時間も出し渋られながら罵倒されたことも、あの人がわたしのことを母の前で「奴」と読んでいることも思い出しただけで苦しくなる。
感情が理論を追い越して、どうしても頭が痛くなる。母みたいに感情的になりたくないと思いながらも、父のことを受け入れられない。
泥棒じみたこと(実際うち数万は彼女の働いた給料から返してたらしいのだからこう言うのも失礼かもしれない)をした母を許せないのは事実だが、そのお金で贅沢をさせてもらっていたのはわたしだ。責める資格などない。
父が正当に怒っているとは分かっていても、またわたしの学費絡みかと思うと死にたくなる。
そもそも全部最初からうちに金はないと言ってくれればわたしだって弁えたし、母が勧める贅沢も断った。実際彼女自身に使ったそのお金は微々たるもので、ほとんどはわたしの病院代とか贅沢品に使われていたみたいだから、わたしさえ断ればこんなことにはならなかったはずだ。
けっきょく、父も母も見栄を張って東京のこんなマンションの払えもしないローンを組んで、わたしを私立大学に入れてくれたのだ。日本のよくある中流家庭で、父も母も娘もぜんいんどうしようもない子供なだけの。
自室で震えてるだけの自分が情けないが、父の前に出ると足がすくむ。グラスをテーブルに叩きつけられるだけで全部自分が悪かったかのように思える。
父はわたしの良いところは全部自分の遺伝だと、悪いところは母の教育のせいだと決めつける。わたしがなにかヘマをすると全部母親が怒られる。理不尽な罵倒を受ける。たぶん今回もそうだ。
何も考えずに贅沢を享受するような人間に育ったことを母はきっと責められている。ごめんなさい。わたしの悪いところはぜんぶわたしのせいなのに。
わたしの学費はおそらくどちらかの祖父母に借りることになりそうだ。
奨学金の話をしても所詮は借金だからお前の考えることではないと突っぱねられる。
いまこの状態でわたしができることがなんなのか全く分からない。父親に己の不出来を謝ることか、母親に同情して長らく願ってた離婚を成立させることか。はたまたバイトで資金を貯めて家を出て少しでも食い扶持を減らすことか。分からない。
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これ見るとブクマカってさんざんコロナについて偉そうな事言ってるのにもう飽きてるよね?