はてなキーワード: 山月記とは
思えばずっと甘やかされて育ってきた。
以下、かなり長い自分語りが続くので注意。
先に今現在の話をしておく。
現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身である。クズと言っても差し支えないだろう。実家が田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額を仕送りとして貰っていた。
私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。
特に母は本当に私に優しく接してくれた。
私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。
当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。
母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。
私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかごちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である。
関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトのスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達はほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである。母親に泣きついたりしていた。
母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園を卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲームが人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。
そんな小学校低学年を送った。
中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独な生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。
悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。
高学年になると、県内の進学校目指して中学受験の勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的に勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強は苦痛だったが我慢してやれていた。
この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。
小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ。矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである。友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…
そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種のいじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。
無事志望校に合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベや漫画を読むのではあるが、一つの作品やキャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。
相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。
この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiでパラパラマンガ的アニメーションを作れるソフトが配信されていたのだか、これが使いこなすと結構なクオリティの物が作れる。これをインターネットに投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモは一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立である。クオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。
あまりにやめようとしなかったので、ついにそのDSiは永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。
一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。
中2のときに初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかいう根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。
そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活は女子の方が多いのだが、部のほかの男子は女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。
こういう学校のことは、親にはあまり話さなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。
高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的に勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ち悪いからだ。
まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である。部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。
ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。
そういえば中高生のときは携帯やスマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEとかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。
親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である。自炊などもってのほか。仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである。友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。
少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、
着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす
偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう
風呂入る順番と時間に文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)
などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。
あまりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである。喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。
最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。
ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である。過去が孤独だからだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心と尊大な羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。
さて、どうしようか。
ひさびさに中島敦『山月記』を読んだら、だいぶ読み方が変わって驚いた。
以前は、強烈な自尊心ゆえに友人や先生に教えを請えないエリートが没落した様を描くことで、「つまらないプライドは捨てて生きていかないとロクなことにならないよ」という教訓を言う話だと思っていた。
が、この読みはどうも浅薄というか、人生の敗北者にとっては厳しすぎるのである。というか結論だけ抜き出せばそこらの自己啓発本と変わらないような気がしてきて、作品の価値を矮小化しているような気さえしてくる。
そこで、もう少し人生の慰めになるような読み方はないか。と考えていたら、これは「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈な自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないか、と思い始めた。
中学生の頃に読んだときは、李徴は周囲に教えを請いたりできないプライドの高い男だな、と思ったが、(浅い)人生経験を積んだ今、改めて読むとそうでもない。
李徴が詩人を志したのは、(功名心もあっただろうが)第一には心を揺さぶる先人の詩があったからだろう。そうなると、そうした詩を書く者が周囲にいれば、これに師事したり教えを請いたりしたはずである。
それにもかかわらずそうしなかったのは、自分の追い求める詩人像に値する者が周囲に居なかったからだろう。
①自分の追い求める理想像と、②世で「名を成す」者とがズレることは、現実社会でもしばしばあることである。
李徴は、このズレに気付かないまま自分の理想像を追い求めていったことで、世で「名を成す」ことができなかったばかりか、周囲の人間と折り合いがつかなくなり、「努めて人との交を避けた」結果、「一匹の猛虎」となった。
他方、周囲にいた「己よりも遥かに乏しい才能であ」る者は、世で「名を成す」道を「専一に磨いたがために」、「堂々たる詩家」となった。
李徴は理不尽な世の中に自分を合わせられず、ひたすらに理想を追い求めた結果、社会的に失敗してしまったのである。
これはカフカ『変身』で、社会の求める市民像──(ⅰ)家庭の善良な息子、(ⅱ)有能なセールスマン──を演じていたグレーゴルが、自己の本来性の自覚を持ってしまった瞬間、褐色の虫に変身してしまったのと似ている。
現代社会のルールでは、人間が自己自身の本来性を保持することを許さないのである。
そして、李徴が不幸であったのは、上述した社会のルールに、他ならぬ李徴自身が支配されていた点にある。
李徴としては、徹底的に社会を突き放し、自分の理想像を追求するという途もあった。
しかし、「元来詩人として名を成す積りでいた」李徴は、世で「名を成す」努力をできなかった自分を徹底的に断罪するのである。
李徴の詩を聴いた袁の評価によれば、李徴の詩は「長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである」とある。
「第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがある」とは言え、この自己評価は言い過ぎである。
それに、はっきり言って実社会でこんな話は”よくある”ことなのである。
神の手により不幸のどん底に落とされる義人ヨブを、自己責任論に基づいて徹底的にこき下ろす友人エリファズの話だが、どうも李徴の中にはヨブとエリファズが同居しているように思える。
さらに、上記のヨブ記のラストにおいて、ヨブは「仲保者」(=キリスト?)の存在を確信することで救われるが、李徴にこのような仲保者は現れない。
ただ、「向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。」というだけである。
これも社会のルールに合わせられないムルソーという男の不幸を描いた作品である。
ムルソーは物語のラストで、このような自分を排除せず「優しい無関心」を示す自然の存在に気が付き、幸福を得る。
他方、李徴は「獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。」というだけである。
ここに来て、山月記という作品は「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈な自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないかと思うのである。
東京大学総合図書館を、平成29年度の一年間閉館する計画が決定されたという。
新図書館の開館に合わせ旧図書館の改修工事を進めるという段階的な予定が、なぜか、いつのまにか前倒されたらしい。
人々が書き残した文章から過去の社会に迫る。そうした人文学を志す私にとって、何よりも思考の源泉となる場所がこの図書館であった。
一年間閉館という自己否定の暴挙を取ろうとするのは、畢竟、図書館や大学当局内ですら図書館の価値が共有されていないからだろう。
議論になるような大きなことを言うのは苦手なので、ここでは私が総合図書館の書庫をさまよった話を記したい。
ある日、昼食から総合図書館に戻った私は、三島由紀夫が「灯台のようだ」と表現した階段を4階まで登った。
進まない研究から目を背けようと手に取ったのは、『中島敦全集』第一巻(筑摩書房、1977年)。
「山月記」や「名人伝」といった誰もが知る短編を読むつもりだったが、「斗南先生」という作品が目に入った。
斗南先生とは、中島敦の伯父にあたる無名の漢詩人中島端のことである。
幼少より秀才の誉れ高く、「にもかゝはらず、一生、何らのまとまった仕事もせず、志を得ないで、世を罵り人を罵りながら死んで行つた」。
その遺稿集『斗南存稿』(文求堂書店、1932年)を帝大・一高の図書館に寄贈するよう、中島敦は親戚に頼まれる。
気質が似ているとも言われた伯父の晩年の姿を思い出し、躊躇しながらも、遺稿は郵便小包で寄贈することにした、という私記の体をとっている。
一通り読み終えた私は、寄贈されたというその遺稿を確かめに、がたがたのエレベーターで一階に下り書庫に分け入った。
私の歩みに合わせて明りの点く書庫を、請求記号を書きとめた紙をたよりにさまよう。
書庫のなかでもとりわけ人気のない、和装本の並ぶ一角でそれを見つけた。
中島敦が寄贈してから80年余が経つその本は、周りの本とともにわずかに埃っぽく並んでいた。
案に違い、他人が頻繁に開いたような跡も、ましてや書き込みもない。
それと知らねば目立つこともない一冊の本にも、一篇の物語がある。ろくに読めない漢詩に目を通しながら、そんなことを思った。
もし反対運動が実って来年度の閉館が撤回されたとしても、数年もすればあの暗い書庫をさまようことはできなくなる。
本を求めてさまよい、手にとって過去を思うといった行いは、ありふれていながら何と贅沢なものだったのだろうか。
知に触れる日々を、願わくは、私から奪わないで欲しい。
30過ぎたのに非正規の職しか付いたことないし年収は300万を超えたことが無いでござるよ
単純作業も沢山やったでござる
もう酒の勢いで自殺するか、ホームレスになるか、精神病院の閉鎖病棟に一生閉じ込められるか刑務所送りか単純作業で一生過ごすかの五択しかないでござるよ
まあ40くらいまでは体力もあるし、どうにかなるとは思っているでござる
にんにん
勉強ばっかりしてると拙者の様になるでござるよ
にんにん
のう、勉強しなかった元増田の提言と、勉強しまくった拙者の提言、どちらが信頼に足るか、よく考えるでござる
にんにん
バカなコメントをされても黙っていようと思ったが流石に後輩(らしい)からこう言われると黙っておれんでござる
まず一つ目、これはコミュ能力と勉強どちらが大事かという議論に何か関係のある情報でござるか?
「中退になってる人」が、就職できていなかったら、勉強は大事だ、ということになるかもしれぬが、そのような言及もない
ついで、能力が足りなかったから就職できなかった、働くのは嫌いだ、それでも何とか働いて生計を立てている人間に
もしかしてこれが”人の話をきちんと聞く”という勉強が出来なかった人間でござるかな
だとすると、やはり(就職というものに対する)勉強のプライオリティーは駄々下がりでござるな
ああ、こんなのが後輩とは、なさけないなさけない
おっといやいや、きちんと就職しているだけ立派でござる
京都大学も、拙者か彼かどちらが卒業生としてふさわしいかと問われれば、彼を選ぶでござろう
バカかもしれないが立派でござる
拙者自分のプライドが高い(+性格が悪い)のは否定しないでござるよ
でもそこを上手く隠して人付き合いできるのが、コミュ力だと思ってござるよ~にんにん
(というかブコメの君たちは、自分はプライドもとりたてて高くないし、性格も良いと思ってござるか・・・?)
角増殿なら、増田殿はうぃざーどりぃというゲームを御存じでござるか?
と書き始めるでござるな
death6coin 単純作業で一生過ごせよ。趣味があれば生きていける(はず)。自分が一番きつかった単純作業は10キロの髪の毛の中から白髪とフケだけを分けて黒髪を残すような作業を一週間かな・・・・・・もうやりたくないでござる
命令すんなでござる
お呼びでないでござる
皆「ちゃんと就職するにはどうすればよいか」という話をしているのでござろう・・・
そこに「ちゃんと就職しなけりゃそりゃダメだろうな」とは・・・
まあこんな頭の悪いブコメをする輩でもちゃんと就職できている(であろう)だけ立派でござる
これも拙者の説を補強するものでござろうな
baikoku_sensei 何がござるだ。そのふざけた物言いをやめろ
命令すんなでござる
にんにん
penguaholic 勉強って、本当は人の話をきちんと聞く力が必要なのに、バカ真面目に反復練習することが勉強だと思い込んでる人がたまにいて、そういう人はいい学校に入れてもそれで終わりだったりするね
人の話をきちんと聞くのと反復練習は受け身と言う点で大差ないと思うでござるよ・・・
ikanosuke 派遣→正社員で職歴ロンダリングしてもだめなのかな。テレオペやってたときは、ミュージシャンや格闘家の夢やぶれた人が、就職の足がかりにしてたけど。
職歴というより面接が決定的に駄目なんでござるな
というか、ぶっちゃけ
これにてオチでござるよ
にんにん
◆綺麗にオチたと思ったのに、何でござるかこの頭の悪いブコメ共は
akikonian 増田で律儀にレスしたり反論してる辺りに空気の読めなさというか、TPOのわきまえなさを感じる。面接で落とされる要因はそこかと。
それがコミュ力というものでござろう・・・だからコミュ力が重要と何度言えば良いのでござるか
NemuiNemui プライドがすごく高そう。自分より頭が悪そうで学歴が下の人が実際にはうまくやってるたりするのをみて悶々としてる。もう開き直るしかないのでは
プライドが高くなったのはなまじ学歴が高くなったであろう故、もしそうなら勉強はプラスになってないでござるな
mohno 京大卒なんて、そりゃ大いに働きに期待されそうな気がするけど、企業だって「働きたくない」という人を雇いたくないだろうよ。面接で互いの意思の疎通ができてるってことじゃないか?
他のブコメを見るでござる「働きたくないのに生きるために働いている」人間は多くいるでござろう?
つまりは就職時点、もしくは就職してからも「働きたくない」を上手く隠して働けているのでござろう
それはコミュ力のなせる業ではござらんか
要するにこれは拙者の説を補強するものでござるな
40とはこの人は誰に何を言っているでござるか・・・30過ぎたと言っているのだから30代前半だということくらい読み取って欲しいでござる・・・
また、下にいる「働きたくない」と言っている人たちにも同じように言ってやるでござるよ・・・
京大に入って無ければもっといい人生がなどとは言ってないでござる
(プライドが高いので就職できないという意見の人もいるようだが、あまりそうは思わないでござる)
勉強のリソースをもう少しコミュ能力向上に向ければと言っているのでござる
誰と戦ってござるか
勝手に資格や専門技術が無い人間扱いしないで欲しいでござる・・・
結論として思ったのは
刺身タンポポより拙者が不快にならないためにお前らはもっと勉強すべきでござる
呆れて苦笑しか出てこないでござる
つまるところ、ベースラインの知力や学力はよりよい社会を作っていくうえで必要でござろうね
「刺身タンポポ屋になりたくないならもっと勉強しろ」と脅すのも、一つの方法かも知れんでござる
他
sofa220 恋愛やセックスしても別にコミュ力なんて伸びませんが・・・。自分のコミュ力に問題があると思う人が向かうべきはセックスじゃなくて、病院。専門医のカウンセリングと投薬を受けてください
これは「セックスしたってコミュ力なんてつかないだろう!」→「いやいや、セックスはコミュニケーション。エロい人がそう言っていた」
というやり取りを想定した多重ギャグでござるな
申し訳なく候
拙者正常位派ゆえ・・・
大学の勉強は受験勉強より面白いから、早く入学すると良いでござるよ
では
これにて本当にドロン
「何かお困りですか?」
って親切な人が着たら、詐欺師を疑うべき。
「ATMはどこか教えてください。」
「タクシー乗り場を教えてください。」
と聞いていくべき。
歳をとって金目当ての女性に言い寄ららるっていうけど、ホントそう。
自分から相手を探さなかったから、都合のいい相手として食われるのだ。
ハンパな人が多いと思う。
成功体験がなさそう。
例のエントリのボス猿とある意味で似てて、ボス猿が根拠のない自信なら、非モテは根拠のないプライド。
負けるのが怖くて、自分からは勝負に出ないで、あれは酸っぱいブドウだと言ってプライドを守ってる。
たまにどうせ俺なんてと自虐るけど、たいした負けは経験してないんでしょ?
モテる男を馬鹿にしてるでしょ?それについていく女を馬鹿にしてるでしょ?
中島敦の山月記の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という表現そのもの。
「ダサいのは嫌だ!でも、色気つきやがってとは思われたくない!」
ビクビクしないで、お洒落すればいいじゃない。
そうかと思ったら、わざわざ
「これはネタです!」
みたいな格好をしたりして。
そういうエクスキュース、痛いよ。
なんで素直に生きられないのかな?
一緒にご飯が食べたいなら、そう誘えばいいのに。
好きな服を着ればいいのに。
「モテは諦めた。好きなことをして生きる」
今日は初めてデートでプールに行った。楽しかったはずなのだけど、デートの終わりで彼氏と話した内容が図星すぎて、泣いてしまった。人前で泣くのは嫌いだったのに。
言われたのは自分のやってることに関して。いや、前期は遊びまくって忘れようとしていたことだから、逃げ続けてやっていなかったことか。
私はそれなりのレベルの美大に入っているけれど、入れた要因は正直運だけ。褒められたい一心で絵を描いていただけで、デッサンは向上してないし塗りも人並み。予備校にも通ったのに基礎的なことはまるでできていない。
応用的な課題も基礎が出来ていないから全然出来ないんだけど、いまさら基礎からやり直す気にもならない。こんなに後悔するなら予備校での基礎課題を今の課題意識でこなしていればよかった。
彼氏がいろいろ話を聞いてくれるのは優しいけど、話せば話すほどボロが出る。こんな奴に付き合うことないと思う気持ちと、でも別れたくない気持ちがごっちゃになってる。
そして彼氏が言うには、私は自己顕示欲が強すぎで、承認欲求が強すぎるんだそうだ。自分が不甲斐ないことは晒したくないし、みんなには自分のことを優秀だと思っていてほしい。だから、助けようとしてくれる手をはねのけてしまう。
じっさい、周りのみんなだって自分よりは才能がありそうだけど、才能だけでやっていけてるわけじゃない。努力したり、悩んだり、みんなに頼ったりしている。自分はそれすら出来ないってことだ。
なんだか、死にたいほど追い詰められている。
http://anond.hatelabo.jp/20150803235127
まあつまり
人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非あらざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
http://anond.hatelabo.jp/20150507012413
上記を書きなぐった増田である。4日経ってようやく落ち着いた。
思ったよりも読まれ、思った以上に言われ放題言われていた。
その方々に届くとは思えないが、目についたところだけ、間違いのないように補足を、そして意見や提案を頂いた方々に感謝を述べるべきだろうと思い、本記事を書いた。
フィクションだったらどんなに良かったことか。俺が素面で感情のままに書き殴った本心である。釣り行為は俺は好まないし、創作文を書けるほど文才はない。
なお、増田はこれまでに数回見たことがあるだけで、前記事が初投稿、本記事が2回目の投稿である。
一から十まで書いて間違いのないように伝えたい性分なので、長いのは勘弁して欲しい。
背景を書かなければ誤解されると思ったから、書いた。
就職先はメーカー系の電気系設計職である。プログラムも多少は読み書き出来る。これ以上は書かない。
価値観が勉強をして褒められるという点しかなかったため、勉強はしていたし、成績だけを見れば大学3年までは優秀なほうにいた。
しかし、研究や社会では、勉強ができれば褒められるという観点は存在しない。あるのは、仕事ができるかできないか、の一点である。俺はできなかった。
勉強したことで就職でき、結果的に現時点では生活に困っていないことだけは勉強に感謝している。
・意識高いメンヘラ乙、高すぎるプライドと目標を捨てろ、五月病乙
たぶん五月病ではないと思う。
高すぎるプライドと目標を捨てろ、は全くそのとおりである。だができずに何年も経っている。後述する。
・お前は本当に死にたいのか死にたいならこんなところへ書いてないで死ぬだろ、生きることから逃げてるだけじゃねえの、死にたいじゃなくてモテたいだろ、ハワイでゆっくり気晴らししたいだけだろ、構ってちゃん乙 など
本当に死にたいのか、と言われると、「褒められもせず認められもせずに惰性で生きている現状から逃げ出したい」というほうが正しいのかもしれない。
更に正確に言うなら、「自分の性格のクソな部分を投げ出して心機一転楽しく生きたい」だろう。
「死にたい」のは「今のまま生きたくない」からであり、生きられないなら死ぬしか無い、という思考である。
問題は、
>俺の性格の本質は、自己中心的な完璧主義、そこそこの努力で他人に賞賛されたいと願っているゴミである。自分の思い通りにならないと泣きわめく子供である。
と書いたとおり、俺の性格の本質がこうであるということである。
高すぎるプライドなども含め、このクソな性格を変えようと10年近く悩み、負の面を出さないように腐心した。が、一向に改善せず、追い詰められると上記の問題点が出てきてしまい、台無しになる。何もしていない、ということはない。
このクソな性格を後何十年も抱えて生きて、どうして苦しみよりも楽しみのほうが大きいだろうと推定できるだろうか。
これを俺自身が受け止めきれないから、「生きたい」と思えないのだと思っている。
・さっさと死ね
投稿後、時間を置いて読みなおして、言われるだろうと覚悟はしていた。が、さっさと死ね、と言われるのを見ると堪えたし、書いた人のイライラ発散以外で言う意味ないし、ぶっちゃけ今後俺が本当に自殺に踏み切った時に、匿名だろうと自殺幇助とかと見なされるかもしれないんで、何かの拍子で捕まりたくないなら遊びでも気晴らしでもやめといたほうがいいと思った。
おせっかい乙。
・グダグダ言ってないで行動しろ、受け身の人生やめれば 系、ボランティアしたら、創作したら など
自発的に行動したことは何度かあるが、いずれも実のないものにしか感じられなかったため、精力的になれない。
ボランティアをしても自尊心が満たされるとは思えないので自発的に行く気があまりない。
これまでに創作活動などをしたりもしてみたが、受け入れられたり褒められたことはない。それよりも何より、やっていて心から楽しいと思ったことがなかった。結果、三日坊主で終わっている。
文才はない。絵心もない。あるとすれば音楽センスだろうが、創作はできない。
意識高い系だったことは間違いないので、ある程度のことは試し、失敗し、上手く行かなかったことがトラウマになっている。上手くいく保証がないと動けなくなってしまっている。これもダメな性格の一部分である。
・運動したら、肉食ったら など
一応、運動は会社の人と月数回テニスをやったりしているし、食事は十分とれている。どちらかと言うと過食気味である。
これらは一時的な逃避行動として気分を上向けるにはいいが、それ以上の解決法を与えてくれなかった。せっかくの意見に対し申し訳ない。
気力が出たら、行くだけ行ってみようと思う。
猥談も中学から避けてきて、一人で二次元エロをこじらせてしまったため、全くの無知であるが。
・こんなテーマ語り尽くされている、隣の芝は青い、俺もそうだなんという俺 等、山月記を読め、三木清を読め 等
少なくとも、他の人はこういうことを言わない、言ってくれない。言ってくれても、自分が体験したことでないので、どうしても信じられない。これはそのまま他人を心底から信用していないのだ、ということになってしまうが。
ただ、これだけあるある的な感じで広まった事実はきちんと受け止めたい。
山月記は久しぶりに読んだ。なるほど、授業で習ったあの時とは受ける印象が全く違った。
嫌われる勇気は読んだが、突然の改心で置いてけぼりになってよく分からなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20141208003341 は読んだ。とても参考になるが、まだ自分は堂々と生きる自信はない。
文豪が140年も前におおよそ似たような思考ループに陥っていたことは初めて知った。
何故生きるか?に論理的に答えは出せないこと、信仰によって意義を与えられるのだ、そして神とは自分自身の生のことであり、それを信仰することが生きる意味なのだ、という風に読み取った。
まだ心底からの理解には及ばないが、何故生きなければならないのか?に対しての一つの答えを得られたと思う。
そうすると、死ねないとすると、否応にでも自分のクソな性格をどう対処するか、になるのだろう。
もうこれだけ手を尽くしたのだから俺自身では変えられない、宗教かクスリか、いつか出来るだろう科学による洗脳・人格交換技術に頼るしか無いと思っていたが、諦めて受け止めるか、どうにかしないといけないのか。
とても辛い。
書きたかったことは概ね書き終わった。
純文学って言ってもいろいろあって、ここでは娯楽性がほとんどない、主題を訴えることが主眼にある小説を指す。
んで、そういうやつは作者の訴えたい主題をつかみ取るのがそれを読む意味だと思うんですけど、
主題をつかみ取れない難解な小説あるじゃないですか。まぁ直接問題にしたいのは三島由紀夫の『金閣寺』なんですけど。
これ俺最近2回読んだんですけど、何言いたいのか全然分からない。南泉斬猫って何すか、みたいな。
しかも長い。一読するのに1週間かかる。
そうなると、2週間かけて得たもの何もなしってことになって、徒労感がすごい。
『金閣寺』について論じた論文読めよってことになるかもしれんのだが、そうなると『金閣寺』って論文とセットではじめて読む意味が生まれるんすか?って疑問が生じる。てか大学図書館行くのだりぃし。文学部出身じゃないから用語も多分分からない。
そう考えてくると、『山月記』とか『羅生門』とかの、短くて主題が(一面的にでも)つかみやすい小説を多く読んだほうがよくないすか?って思うのです。
(これつきつめると主題のはっきりした映画観た方がよくね?とも思うのです。)
これもまぁ極端な立場かと思うので、この辺はてなの諸賢はどう考えておられるのか。
それを聞きたくこんなエントリを書いた次第。
去年の僕のtwitterプロフィールに一時期掲載していたのをまとめた。誰のためでもない。自分の為でもない。
参考
僕のtwitter
前編:http://anond.hatelabo.jp/20130522180321
後編:http://anond.hatelabo.jp/20130522180539
題名:無題
何のために大学にいくのかと問われて、即答できる現代人は少ないだろう。かつて大学が数えるほどしかなかった頃、人は大いなる志と目標、夢を抱いて大学の門をくぐった。しかし、昨今の少子化と飽和状態と化した大学数のミスマッチは大学全入時代を招き、結果として「何と無く」「みんな行っているから」「学歴のため」といった本来大学に不要n
幼い頃からKO大学に行くことが夢でした。福沢先生の著作を読み漁り、キャンパスに何度も足を運び、大学の授業にも何度も潜り込みましたが、なぜか勉強できませんでした。そうこうしているうちに、僕は大学でやりたいことがないことに気づきました。KOに入ること、それだけが全てだったのです... (自伝「信者の目録」前書きより抜粋)
題名:何も産み出せない
TSFにしても、今まで3年間やってきた無駄な行いにしても、共通しているのは情報を消費しているだけで、何一つ産み出せていないことです。もちろん生きている限り全くということはないのでしょうが、その全てが自己満足で他人から評価されるようなことが全くと言ってないのです。まるでカルト宗教の信者のように。
なぜ虎になったのか。自分は周りの声を無視して上京した。親はそれを傲慢だと言ったが、実は臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の為せる業だったのだ。本当はただ勉強したくなかったからという理由を自ら認めるのを恐れ、そうかと言って、苦労して勉強以外の才を磨くのもできなかった。それが心中の虎であり、ついに本当に虎になったのだ。
養老孟司さんの著書によると、今後生命科学分野の進展によって「進化の遺伝子」が抽出される可能性が出てきたようです。分かりやすくいうと天才のDNAですかね。それが抽出された瞬間、我々凡人の存在意義は無くなります。何事も遺伝。例えば代々東大出身の家系の人はそれまで全く勉強してなくてもたった一年で東大合格したりしますからね。
養老孟司「我々がどんなに頑張ってもイチローにはなれない」by痛い信者
自分は何のために存在しているのかという疑問は、実は地元の高校に入学した時から持っていました。その後その負担に耐えきれずに、自分探しと称して学業を放り投げ東京へ。後は増田の通り。自分なんて東京のどこにもいませんでした。結局今の自分は、勉強の他にもこういった「超えるべき壁」からも、ずっと逃げ回った結果なのかもしれません。