はてなキーワード: 山月記とは
仕事が暇なので書きました。後悔はしていない。
3遊 しあわせの理由(グレッグ・イーガン)
5右 シェイヨルという名の星(コードウェイナー・スミス)
7捕 たんぽぽ娘(ロバート・F・ヤング)
9投 たったひとつの冴えたやりかた(ジェイムズ・ティプトリー・Jr.)
「SF版『山月記』。大好きなので。短いページ数ながらも切れ味のある読み応えと広い守備範囲を考慮して、1番センターで起用しました」
「星新一については、小粒ながら小技の利く選手が多いため、当初は2番セカンド『宇宙の男たち』で起用するつもりだったのですが、タイプの似た選手であるレイ・ブラッドベリとの兼ね合いから、比較的長打力のある『午後の恐竜』をサードで起用することにしました。終末SFとしての情景の美しさは随一ではないかと思います」
「説明不要、大正義グレッグ・イーガン先生の代表作。抜群の身体能力と懐の深さを備えた守備、勝負強いバッティングを考慮した結果、3番ショートでの起用となりました。全盛期のジーターみたいなもんです」
「コメディータッチの導入部から、突然ホラーに変わる異色の短編です。放射能に汚染された島に生物学者が調査に向かう話。筒井先生が『結末を考えずに書き出してみて、途中でオチ思いついた感』満載なのが笑えます。大好きなので入れました。一応星雲賞をとっているのですが、大変読む人を選ぶ短編で、ハマる人はハマる。ダメな人はダメ。アダム・ダンのような味わいがあります。最後の植物の名前は作中で明記されていませんが、おそらく『カリクビ』なのでしょう」
「囚人たちが地獄を思わせる惑星に送られる話。4番がバクチ性の強い打者なので、ある程度確実性のある、コードウェイナー・スミス先生の代表作を5番に選びました。結果、3番大正義からの4番・5番は『この世の地獄』つながり、という大変邪悪なクリンナップが形成されたのではないかと思います」
「認知症患者の看護をするアンドロイドの話。連作短編『アイの物語』の中の一編です。5番打者としての起用も考えたのですが、下位打線を『ハートウォーミング』つながりにしたいと考えたため、6番に繰り下げました。率も残せて長打もある、将来の4番候補。『アイの物語』は、他にも読み応えのある短編の多く、お買い得感があります」
「『悲運の少女』つながりで投手陣を起用しているため、彼らの球を受けるキャッチャーには、ロマンチックSFの代表作を起用しました。タイムマシンで未来からやってきた少女と出会う話。一時期、『ビブリア~』効果で価格が高騰しましたが、新訳が出たので価格は落ち着いた様子。プレミアがついてるうちに売っとけばよかったかな、という邪まな思いが頭をよぎります」
「タイムマシンで未来を見てきたという男と、彼にインタビューをするアナウンサーの話。『霧笛でも万華鏡でもなく、なぜこの作品なのか』と不思議に思う方もいらっしゃるかと思います。ひいき起用です。SF界の吟遊詩人がつづる『嘘とはなにか』という大演説にしびれます。なお、個人的ブラッドベリの最高傑作は『ウは宇宙船のウ』の序文。
「『悲運の少女』その1。少女と、彼女の脳に寄生したエイリアンの友情。説明不要の大投手。怪我さえなければ300勝できます」
「『悲運の少女』その2。人間そっくりなアンドロイドと、彼女を教育する科学者の話。唯一の漫画からの選出です。マナカナが若いうちに、世にも奇妙な物語で実写化するべきだと思います。オルセン姉妹ならなお良し」
「『悲運の少女』その3。隔離された世界から飛び立つことを夢見る聡明な少女の話。連作短編『キリンヤガ』の中の一編です。ヒューゴー賞・ローカス賞・SFクロニクル賞・SFマガジン読者賞・ホーマー賞受賞作の鉄壁のクローザー。是非とも沢村賞サイ・ヤング賞を取っていただきたい」
こちらからは以上です。
自分の能力がそのまま社会に反映されれば社会は一気に良くなるのにという、尊大な考えを持ってるのか、
自分と同じような考えに行きつかないこの社会はどうしようもない、と悲観に暮れているのかは分からない。
一つだけ言いたいのは、そこまで個々人のレベルで人類全体に責任感じなくてもいいんじゃない? ってこと。
人類全体にフォーカスした人生から降りたとしても、誰もそれを責めることはできないよ。
だから、人付き合いをしないという選択をしても(少なくとも増田周辺の)社会が維持できてる限りは問題ないと思う。
細かい承認欲求をチラチラチラチラ出してるから、ストイックにフォーカスしてる印象はないんだけどね。
どういう風に社会を変えるかよりも、変えた後の評価を求めている感じはあるかな。
揚げ足取りたいわけじゃない。
むしろその欲求を叶えて欲しい。
それがあなたの求めてやまなかった、社会で生きる喜びになると思う。
最近のはてなの釣/非釣論の傾向からしたら、小町風にアレンジして
「前略。ところで私の旦那の年収は…」みたいなコメントが飛んできそうなところ、
こういった文章を書いていってほしい
どっちにしてもなんか気持ち悪くて、思わず筆をとっていた。
でもこの記事書いたあとにもう一回見てみたら
http://anond.hatelabo.jp/20131124221427
http://anond.hatelabo.jp/20131124222252
この2つを読んで、
ネットであらすじを読んでみた。
かなーり、かんたーんにまとめると、
自分の才能を信じて、役人辞めて詩人を目指すけど、結局うまくいかない。
そんな中、自分の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」に気がつく。
という感じか。
大雑把すぎるか。
自分自身、臆病な自尊心と尊大な羞恥心に悩まされていることに気がついた。
どうやって、臆病な自尊心と尊大な羞恥心と向き合っていけばいいんだろう。
そもそも、向き合ってどうにかなるものなのか?
結局は、
妥協?あきらめ?
満足すること?
考えることを放棄すればいい?
抽象的すぎるかもしれないが、
扱い方を教えてほしい。
あなたは何もわかってない。
http://anond.hatelabo.jp/20130720072435
先日読んだある山月記の評論では、「李徴が虎になったのは虫がよすぎる。人間であった時の所業を反省するなら、それこそ虫けらにでもなるべきだった」とか、「もし袁參ではなく妻子と出会っていても妻子のことより詩業のことを先に気にかけるだろうか」とか、「どうして虎としての最初の体験が兎を食うのでなく人間を食っていた方が衝撃度が大きくて面白いのに」とか無責任に書き放ってあった。
読んでいて面白い発想であるとは思ったが、かなりこいつは歪んでいる、こいつこそハイエナが何かになってしまえなどど思った。
これらの設定は、元にした『人虎伝』を踏襲しているので仕方がないことなのだ。
『人虎伝』にはなくて『山月記』に書き加えられているものである。
一つ目は、依頼の順番が詩の伝録の次に妻子のことという順に入れ換えられていること、二つ目は、李徴が詩人になろうとしていること、三つ目は、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」の登場、四つ目は運命論である。
これら書き加えられた部分は、中島敦が『山月記』で書きたかったテーマと密接である。
そして、これらが「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」「李徴が虎になった理由」を考える糸口になる。
まず、「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」について考えよう。
妻子の事より自分の詩業を気にかけるような愛情不足や人間性の欠如という考え方がある。
本当に人の深い所から揺り動かすような作品は、作者が全てを犠牲にし命を削ってこそ始めて生まれるものである。
李徴の場合、なまじ妻子のことを気づかっているからこそ第一流の作品にならないのだと私は思う。
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」とか言っているが、結局は心理と態度の不一致、何やかんやと理由をつけて、詩業に専念しようとしない怠惰が「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」であると私は思う。
自尊心なら自尊心、羞恥心なら羞恥心を描ききれば、それはそれで第一流の作品になったのではないだろうか。
次に、「李徴が虎になった理由」について考えよう。
李徴は最後に妻子への愛情不足だと言っているが、妻子の為に詩業を諦めて再び役人になろうとしているのだから充分に愛情一本のチオビタお父さん振りを発揮している。
その前に、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と意味ありげな言葉を弄しているが、授業でも考えたようにこれを自分の詩業に当てはめて語っている部分は理路整然としているようで全く矛盾に満ちていた。
それに、「自尊心」と「羞恥心」、「心理」と「態度」など矛盾するものが同時に存在することこそ、人間が人間である証拠なのである。
それは、先週の『探偵ナイト・スクープ』の越前屋俵太の調査でも明らかである。
その矛盾が飼い太った結果虎になるというのは可笑しい。
李徴は色々考えようとするがどれ一つとして理由になっていない。
とすれば、残ったものは「理由もなく押しつけられ、理由もなく生きている生き物のさだめ」、つまり「運命」としか説明がつかない。
人間は主体的にありたい自分の意志に生きたいと思う気持ちが非常に強いので、「運命」などというものを認めようとせず、あれこれ屁理屈を考え出すのである。
項王のように全て天命のせいにし天命に逆らわずに生きる生き方をする以外、この内部矛盾から解放されることはないのである。
多くの人が気にしていた問題は、その後の李徴は人間に戻れたかという点であった。
この答えは、虎になった理由の延長線上にある。
最後に李徴が袁參に虎になった己の醜悪な姿を見せることによって、李徴は内部矛盾から解放されたありのままの自分になることができた。
もとの「臆病な自尊心」などが復活した時にこそ再び「人間」に身を落とすのである。
賢明な人はもう気がついただろう。
「虎」になることが不幸で「人間」になるのが幸福と考えるのは、思い上がったいかにも「人間」らしい発想なのだ。
「人間」とは矛盾に満ちた不条理な生き物であり、「虎」こそが純粋なありのままの自分でいられる生き物なのである。
また、最後の部分が「再びその姿を見なかった」であって「その姿を見せなかった」ではないことを指摘している人がいたが実にスルドイ。
「見せなかった」の主語は「李徴」であるが、「見なかった」の主語は袁參であり読者である。
そして、『人虎伝』にあったその後の様子を中島敦が書かなかったのも、中島敦にとって問題が解決していたからだろう。
女学校の教師を続けるか作家になるか、文学を取るのか妻子の生活を取るのか、自分の中にある「二つの私」をどう処理するのか、これら中島敦自身の問題が、一応解決した、あるいは再び深い絶望の淵に陥ったのか、いずれにせよもはやこれ以上書くことは必要なかったのだろう。
偉大なる先増田様
http://anond.hatelabo.jp/20130430134002
俺は芸人だからジャンル違いだって言われたらそれまでなんだけど。
元増は、脳内で構想練ってる時のイメージと、現実に作り上げた時の作品のギャップに萎えちゃうんじゃないの?
頭の中で考えてる時って一番楽しいけど、いざそれを形にしようとすると考えてもなかったハードルがボコボコ現れたり、
地味で面倒くさい作業の連続だったりするじゃん。
それで「あれーこんなはずじゃなかったのになぁ」っつって未完のまま投げ出しちゃうパターンって、
延々と1を1.1にするような作業を繰り返して、いつまでも完成しない。
お笑いの養成所なんか行くと、一本もネタ披露せずに辞めてくやつゴロゴロいるよ。
みんなお笑いが好きで、こんなネタがやりたい、アイディアは豊富にあるんだっつって夢持って入ってくるけど、
いざコント一本書く段になって、理想と現実のギャップに耐えられなくなるのよ。
でもその脳内イメージと現実作品のギャップって、どれだけ技術が向上しても埋まるものではないからね。
埋まってなくても、どっかで見切りをつけて披露しなきゃいけない。
個人的には、そのギャップが埋まらないと分かりつつ、ギリギリまで地道な作業を続けて戦えるかがプロと素人の違いだと思う。
立川談志ですら、高座終わって袖に引っ込んだときに「死にたい」って言うんだぜ?
でもちゃんと発散させて、人の評価に晒されるって事をしないと、
「俺は才能ある」って勘違いした、こじらせたオッサンになっちゃうよ。山月記の虎みたいな。
http://anond.hatelabo.jp/20130209124403を書いた元増田だけど、いくつかのブコメへのレスを元に補足説明してみる。
山月記で言うところの「虎」を捨てきれてないから自分も他人も認められないんじゃないのかな?見たもの全てに対して理想が高いから自分も他人も足りない存在に見える。すごいことなんてそうそうないのにね
自覚している「持って生まれた独善的な性格と非言語コミュニケーションの壊滅的なダメさ」をとっととなおせばいいんでないの?なおらないのは言いよってくる女性と同じってことで。
理想なんてない。
自分はただ、社会性とかコミュ力がせめて十人並になればなーと思っているだけ。
しかしながら社会的成熟には個人差があって、一生成熟しないまま終わる人もいることは歴史が証明している。
「一生ピークは来ないかも」と書いたのは、その事実を重く受け止めているから。
なんとか十人並になるためには・・・とか、そんな自分にマッチする人を探すとかね。
「あー俺ダメな奴だなーでも頑張らなきゃなー」という感じ。
いまどき薄汚いとかみすぼらしいなんて印象を持たせる若い女などめったに見ないがなあ。なおかつ積極的に男に言い寄るなんてのは。
薄汚いとかみすぼらしいなんて印象を持たせる若い女なんてコミケですら、そうそう見かけないんだけど、どこにいるんだろう・・・。自分の美的感覚を疑った方が早そう。
そうなんだよ。そんな女は今時本当に珍しくて、自分もコミケ界隈では見たことがない。
そして実際のケースとしては男女逆パターンの方が圧倒的に多いだろうね。
でも女におけるこうした存在がゼロではない以上、遭遇する確率もゼロではないということを、自分は身を以て教えられたわけで。
今でも夢であって欲しいと思う。
ちなみにこういう人達の中でも酷いのになると、自身が変な女であることを自覚しつつも、世の多数派と折り合いを付ける気がなかったりする。少なくとも付けようとしているようには見えない。
そこが自分との決定的な違いの一つで、とても気に食わない。折り合い付けないつもりなら一生一人で暮らせよって思う。
ある時そのうちの一人がこんなことを言っていた。
「私は小さい頃から、親からも友達からも、色んな人達から変な人扱いされてきた。それで自分が変なのは認めるけど、でもそれが悪いことだとは思っていない」
自分はその発言を、バツが悪そうに下を向いて聞いていたのだが、どうやらその反応には気づかなかったらしい。
いや、変なのはいいよお互い様だから。でもそれで他人に迷惑かけちゃダメだろ!?っていう。
もっと自分とその周りの現実を受け止めなきゃ何も前に進まないと思うけど、生まれてから今までの境遇が境遇だけに無理だろうなあ・・・。
これは余談だが、上の発言主は都内の、山手線から数駅下った辺りで実家暮らししていて、聞けば超金持ちのお嬢様らしい。
もうそれだけでお洒落を含めてメチャクチャ恵まれた環境にいるのだが、あの身なりではとてもそう見えないというか、仮に「悪い男避け」であってもあり得ない格好(スルーされるを通り越して味噌っかすだと思われるだろう)だったり。
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=count&url=http://www.aozora.gr.jp/
『青空文庫 Aozora Bunko』 の人気エントリーからチョイス。
paperwhiteが手に入ったらインストール(?)
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「大人は読書をする時、それまでの経験を踏まえ、解析を試みながら”読む”。つまりは半ばその是非を疑いながら読むのである。」
「子供は読書をする時、経験が無い為に移入する。そのものに成り切ってしまうように。その世界観に染まるのである。」
これも極端な話だ。読書中に大人がスキゾで子供がパラノとはね。
と考えると、ワタシは「読書中に限り」子供でパラノイアだ。自分で言うのもアレだが、移入の鬼だろう。
小説のキャラクターの台詞をパクってそのものに成り切ったりとかね。コスプレだよコスプレ(笑)
しかしながら、普段のワタシはそれを否定する。裏切る。
『網状言論F改』だろう?「オタク」の奴。アレは当初物凄い没頭した。
でな、2年前に裏切ったんだ。呆気なく。切っ掛けはスラヴォイ・ジジェクだった。(例の東さんもお好きなようですが・笑)
要するに「裏切りの過程」を全部見せていた訳さ。ひょっとすると、今までに無いパターンだったのかもしれない。
「そのものに移入し、それが後になって全否定される。」という強烈な振り幅。
因に『身体なき器官』の冒頭に有った「対話こそ哲学に対する最も際立ったアイロニーである。」は今でも正しいと思っている。
『山月記』の詩人は人と一切交わらず虎に成っただろう?虎のままで居たければ人と交わらない事しか無いんだろうか?
哲学とコミュ/非コミュ、詩人/虎、大人/子供。それにな、今は「メディア」が介入する。
情報公開/非公開という要素は案外無視出来ない。過去の日記は非公開にしている。
最近じゃ「自分の所有物である」という主張すら止めた。だから増田。それも今年で終わりにしようと思う。20世紀が終わったからだ。
でもこの状況でも「怪物」と言えばマイルス・デイヴィスだ。エヴァンゲリオンの方がネタとしては解り易いかもしれない。
TV版の最終回は単なる「悪戯」だ。だが「通過儀礼」でもある。
アニメという強シンクロ、「見たまんまが総て」という全能感からたった2晩でそれを総て裏切る。
と言っても所謂「酷いオチ」では無く、総てへの裏切りである。失恋に近い感情を抱いた人が多かったのだろう。
(これ実際有りましたよそりゃ。良い歳こいた大人が「はぁ〜」とか言いながら人生語ったりするのよ。エヴァ語りながら・笑)
で、次の映画版のラストは前も言ったけど「中途半端な破滅願望」な。
「失恋すると世界が終わるような幻想を抱く事で自分の精神を防衛する」これはアンナ・フロイトが言っていた事だけど、
世界が終わっても結局シンジとアスカが残っていた訳。これは新しいパターンだよ。「破滅した。だが人類は滅亡していない。」
後輩の女の子がエヴァ劇場2作を振り返ってこう解釈していた。「あれはアダムとイヴなのだ。」とね。
で、次だよ。今のシリーズ。
「アニメは言わば強シンクロの世界だ。そこに映る物で総てが説明出来る。」とは『アフロ・ディズニー』のネタなんだけど、
先の『破』はとてつもない強シンクロの世界。シンジは男らしく、レイは女らしくなった。恋をして、守ろうとした。言うなればただそれだけ。
それだけに素晴らしい。監督が自分の望む世界を雄弁に語った。それに尽きると思う。
評価は分かれたな。移入出来れば、まるで自分が恋をしているかのような感情すら抱くと思うし、
出来なければアレだ。「今更庵野と手を組む気は無い」とか言ったりする。両方ともファザコンに近いなぁもう。
東の新作は実はコッソリ読んでみようと思う。哲学談義が現在大パニック状態なだけに多分面白い。(好事家なので)
やっべ。クソ長ぇ文に成っちまった。多分こんなのまともに読まれないだろう。
(まぁ、誰か読んでくれるかもしれないからこのまま落とす。)
http://anond.hatelabo.jp/20090503233005
これは二次裏でもimg鯖でまとめられたオススメ本一覧2008年度バージョンだったらしい。
元は「中高生のため」と限定したわけじゃなく単純に他の人に薦めたいというものだとか。
1年毎にまとめられているようで、これの2007年度バージョンを見つけたので貼ってみる。
4 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン
9 風が吹くとき レイモンド・ブリッグズ
10 黄金の法 大川隆法
15 パンセ パスカル
20 シブミ トレヴァニアン
22 もの食う人びと 辺見庸
26 愛に時間を ロバート・A・ハインライン
30 マルドゥック・スクランブル 冲方丁
32 薬菜飯店 筒井康隆
34 変身 カフカ
35 チリの地震―クライスト短篇集 ハインリヒ・フォン・クライスト
40 恋のかけひき他11篇 マルキ・ド・サド
44 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
47 最悪 奥田英朗
50 泥流地帯 三浦綾子
57 魂の駆動体 神林長平
60 エルマーとりゅう-Elmer and the Dragon ルース・スタイルス・ガネット
65 一万一千本の鞭 ギヨーム・アポリネール
66 暗闇のスキャナー フィリップ・K・ディック
67 夏草冬涛 井上靖
68 家守奇譚 梨木香歩
72 アリス―Alice in the right hemisphere 中井拓志
74 かめくん 北野勇作
76 てのひらの闇 藤原伊織
77 極大射程 スティーヴン・ハンター
78 初秋 ロバート・B・パーカー
84 インスマス年代記 スティーヴァン・ジョーンズ
85 鬼麿斬人剣 隆慶一郎
90 サムライ・レンズマン 古橋秀之
92 死者の代弁者 オースン・スコット・カード
95 ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち リチャード・アダムズ
98 されど罪人は竜と踊る 浅井ラボ
国語で習った山月記を思い出せ。増田は李徴だ。「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」ってやつだよ。
プログラミングが得意な奴が組んだら、瞬時に解けるところを俺が1時間ぐらいかかって悩んでいるから、バカにしているのか。こうやって無能な人間を有能な人間があざ笑って楽しむんだろうなぁ。知能や人格を否定されたように感じる。「そんな簡単なところで悩むなよ。頭が悪いんだよ、バカ」と言われている様に感じる。
「他人にこう思われているのではないか」と思うときは、大抵「自分がそう思っている」というだけですよ。
増田が勝手に「プログラミングできない俺バカすぎる」と自己嫌悪して、できるヤツに勝手に劣等感抱いてるだけ。
でも自己嫌悪するのはしんどいから、他人が自分のことを嫌悪していると脳内変換して、他人のせいにする。
シャドーボクシングっていうか、自分で自分を殴ってるだけなのに、自分の拳を他人の拳だと思い込んでいる。
こうやって他人のせいにして他人に攻撃性を転化していること自体、温厚ではないんだけど。
「俺プログラミング下手だよなぁ…(´・ω・`)」って思うだけに止めておけば良い。
他人はそんなに、増田のことには興味ない。
そうだよな。15年間は長すぎるよな。今の俺は今のお前よりも15年先にいるが,意見は変わってない。長すぎる。もうやりたいこともない。疲れた。深夜,やめるタイミングを見失ったゲームみたいに,もう腕も目も痛いのに何となくだらだら続けてる。明日死ぬとしても,そりゃ生物だから本能的な恐怖はあるけど,別にいいやという気がしてる。
俺はあと半年で30だ。ここで遭ったのも何かの縁だ。お前のあと15年間を教えてやるよ。もちろんこれは嫌がらせだ。先の展開を知っていると疲労感も5割増しだろうからな。お前は俺だが俺じゃない。俺は俺の気晴らしのためにお前をいたぶりたいんだ。
お前は高校1年生まで平穏に過ごす。部活にも入るよ。熱心とは言えないまでもわりと「忠実に」(これはお前のキーワードだからメモっとけ。お前は意欲に欠けるが義務には忠実だ)こなし,それなりに先輩や同級生とも波風のない関係を作る。高校2年から部活を休んで大学受験の準備を始める。最初の模試では偏差値61でちょっとショックを受けるが,最終的には70後半まで行くから安心しろ。受験勉強を始めると,とたんに友人や教師が馬鹿に思えてくる。俺は将来に向けてこんなにがんばってるのに,あいつらは俺を理解しようとしない。馬鹿なんだ。ハハハ。態度もはっきりと嘲笑的になって,もちろん周りからは嫌われる。孤立すればするほど奮起するのが俺たちの性だから,むしろ好都合ではあったんだけれど。授業をさぼって図書室で勉強することが多くなる。2年の秋だったかな,図書室を根城にしている現代文の教師が近づいてきてカミュとかいうフランス人の本を読めと薦めてくるよ。さっぱりわからないがとりあえず読んどけ。そいつは2回目に読み返したときが面白いんだ。お前の忠実さは大したもんだ。大学で特に何がやりたいわけでもないのに,義務感だけで2年間の受験戦争を勝ち抜く。塾でも学校でも試験成績は上位常連,ついに全国模試1位にも手が届く。ただそのうち,自分の欲望を抑えること,自分をコントロールすることの快感にはまっちまって,拒食症に陥るよ。体脂肪率1桁台で貧血をよく起こすようになる。数年後にリバウンドして過食に陥り,今度は激太りするんだが。今でも俺は,自然な食欲とはどんなものだったか,よく思い出せない。
話がそれた。成績面で目立っていたこと,容姿が華奢な激ヤセで当時の流行りふうだったこと,あとは孤高な演出(笑)が利いたのかね,ともあれ高校後半で数人の女子にアプローチをうけるよ。校舎裏での告白とか一緒に帰宅とかお弁当とかその手のイベントもある。それなんてエロゲ。でもお前は人と付き合うのが怖いから全員お断りする。セックスもしないし乳も揉めない。大学以降も何人かからそれっぽいサインを送られるが全部逃亡。お前は30年間童貞。魔法使い決定。別に性欲がないわけじゃないが(というか知ってるよな,俺たちはエロ大好きオナニー大好きだ),なんつーか本当に恐ろしいんだよな。誰かと関係をもつってことが。
いろんなものを犠牲にした甲斐あってお前は東京の某大学に入れる。意外に思うかもしれないが法学部だ。刑法って法律があってな,そいつの解釈が数学の証明問題みたいでなかなか楽しいんだ。それに人の罪と罰を考えるってなんか哲学的な感じがするしな。大学の司法試験サークルにも顔を出してみるが,あまりの人臭さと馬鹿騒ぎにすぐやめてしまう。別に司法試験を受けようとも思わないし。高校時代とあまりかわらず,図書館で黙々と勉強する日々が続くよ。刑法とあとフランス語な。お前はフランス語を第二外語として選択して,わりと熱心にそいつを勉強する。1ヶ月くらいフランスで研修受けたりもする。でもそのうち自分をコントロールし続けることができなくなって,上で言ったとおり過食に陥って何も考えたり学んだりできなくなる。すぐ回復するけどな。3年次からゼミを選択する。学習の遅れで希望の刑法ゼミは手が届かなかったけど,別の良い先生にあたることができるから安心しろ。その先生について,お前は大学院にまで入っていく。意外だろ? 大学院は5年制で,最初2年が修士,あと3年が博士課程って言われてるんだ。お前は当初,学者になるつもりで院に入ったけど,すぐ学者に向かないことを自覚して修士で辞めることになるよ。俺たちはたしかに勉強は得意だが,別に何か研究したいものがあるわけじゃない。言われた課題を解くことはできるが自分で課題を考えるのは苦手だ。知ってるよな?
就職氷河期で進路には相当苦労するが,就職浪人とかにはならずにすむ。大学院を出たあとは誰もが知ってる大企業に入れる。就くのは今のお前が想像もできないような仕事だ。企業自体は優良なんだが,運悪く配属されたところが激務部署でな,毎日2時3時まで働くようになるよ。残業代はしっかりもらえる。法律でもフランス関係でもないけど,仕事の経験値もどんどん溜まって,それなりに使える奴にはなる。愛想笑いとかビジネストークも上達して,表面的な社交性は抜群になる(信じられるか?)。それでも童貞なんだけどな。社長賞とかもちょくちょくもらったりする。同僚は基本的に馬鹿ばっかりでうざい。飲み食いと車とゴシップしか話題がない。上司は明るくて指導熱心で情に篤い善人なんだが,その明るさや情が俺の中の暗くて湿った部分を刺激する。ガンガン稼ぐし表面的にはにこやかな演技がうまいから同僚の女が寄ってきたりするが,やっぱり逃げる。カミュ読むとかエロゲでも遊んでたほうが楽でいいじゃん? オナニーばっかりしてるからいつのまにかチンコが曲がるよ。どっちに曲がるのか楽しみにしとけ。
ある程度職歴と金が溜まったら,それを元手に転職活動して,今のお前が聞いたこともないような企業に移る。前の職場より規模も知名度も小さいとこだ。給料はけっこう良い。毎日定時上がりで,同年齢の平均値よりだいぶ上をもらえる。といってもエリートとは言えない微妙な水準だけどな。この会社には,頭は悪いが勉強ができる,つまり俺たちみたいな男や女がたくさんいる。皆それぞれ歪んでいて劣等感と優越感の入り混じった自意識を垂れ流していて,お前は毎日うんざりするような同属嫌悪に苛まされることになる。上司はそこそこ頭が切れて,滅茶苦茶プライドが高い割に傷つくのが大嫌いっていう『山月記』の李徴みたいな奴。扱いにとっても気を使うけど,こういう鬱屈だらけの人たちの間にいて,乾いた0円スマイルを交わしながら暮らすのってなかなか悪くないよ。仕事は特に難しくない。ルーティンワークではないが独創性あふれるアートでもない。つまり普通の仕事だ。定時に帰って都心のアパートで夕飯を自炊して本を読んで寝て,また起きて背広を着て仕事に行く。金は貯まるが使い道がない。養育費を親に渡すくらい。恋人も友達もいないが別にさびしいとは思わない。たまに犬を飼いたいと思うことはある。
お前のあと15年間ってこんな感じ。お前がどう思うかは知らない。実際生きてみた俺の感想としては,生きる価値あるとは言えないかな。生きててよかったと思う瞬間はない。殺されないから,なんとなく生きてきた。今のお前が,あと15年を生きることを拒否したとしても俺は非難しないしむしろ合理的判断だと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090306125720
自分の事が好きな人は他人にどれだけ否定されても自己否定には走らない。
あんたバカぁ?って言われてもいちいち傷つかない。だって自分の魅力は自分が認めてるからそれでいい。自分の判断で足りないと思ったら他人の批判を素直に受け入れてより素敵な自分に進化させる。
そういう心境に至れる人かな。基本的に人に褒められなくても自己肯定してる。自分の事を大切にするから他人の肯定もある種の否定も自分の糧にしようとする。
自分が嫌いな人ってのは、それが出来ない人。他者評価(学歴とか)に拠らない素の自分を肯定できない人。
だから他人から否定されると自分を嫌いになると同時に他人を憎む人。山月記で言う虎になった人。
要は余裕の有無だけど。
非モテに限らず、自己否定のサイクルに陥っている人って「自分が素敵」と思える点が見つけられないから苦しんでるのじゃないかなあ。
仮に自分を素敵と捉えられる人がそんなに多いなら、リストラで首切られたり閑職に回されて苦しむ人ってそういないはずだよね。仕事を失おうと冷や飯を食おうと「自分は素敵」なんだからさ。
女性だと結婚まだ?子供はまだ?って見られるのがすごく辛いと聞く。これも「自分は素敵」なら全然平気のはずでしょう。
結局、誰しも余裕なんて持ってない。でも評価軸が一つも無いって人は余りいなくて、職場なり友人なり家族なり恋人なりが複数の評価軸を作ってくれているから助かるんじゃないのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090306080431
何でも器用に出来る完璧超人でなきゃ自分を好きになれない訳じゃないってw他人が与える評価なんかどうでもいいんだから。
http://anond.hatelabo.jp/20090306104616の人が言ってるけど、自分の事が好きな人は他人にどれだけ否定されても自己否定には走らない。
あんたバカぁ?って言われてもいちいち傷つかない。だって自分の魅力は自分が認めてるからそれでいい。自分の判断で足りないと思ったら他人の批判を素直に受け入れてより素敵な自分に進化させる。
そういう心境に至れる人かな。基本的に人に褒められなくても自己肯定してる。自分の事を大切にするから他人の肯定もある種の否定も自分の糧にしようとする。
自分が嫌いな人ってのは、それが出来ない人。他者評価(学歴とか)に拠らない素の自分を肯定できない人。
だから他人から否定されると自分を嫌いになると同時に他人を憎む人。山月記で言う虎になった人。
要は余裕の有無だけど。