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はてなキーワード: 宣伝とは

2024-06-08

そういや例のタコハイ、超満員で入場規制らしいな

圧力がちょうどいい宣伝になったわけか

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


anond:20240607191531

ローキの宣伝かと思うくらいひどい話だし、うまく解決できてよかったなー。

パチスロにハマるような人とは思えないほど意味の通る文章なのも感動した!

2024-06-07

anond:20240604225603

お客様は神様です」で勘違いした馬鹿客と同じで「夢の国」では夢が叶う(自分わがままがまかり通る)と勘違いする客もいるってこった

性善説でなんとか成り立つ宣伝の仕方してたんだから今は大変だよね

2024-06-06

anond:20240606234825

民間利益追求があると、恋愛強者宣伝して恋愛弱者が養分になるだけだからな。

予備校と同じ。有名高校特待生として優遇して合格実績に計上、バカに貢がせて利潤を得る。

アプリ目的少子化対策による国力増強に絞るためには、非営利にする必要がある。

anond:20240606163631

民間婚活業者が女が過剰なのは男だけ入会条件を厳しくしているか

(真面目な婚活目的とするもののみ。ただのヤリ相手探し目的の場は当然男が過剰になる)

男の入会条件を厳しくして「うちは良い男揃えてまっせ」と宣伝する→女が増える、って構図

でも官製だと男にだけ厳しい条件をつけられないと思われるのでそうはいかない

しろ民間で入会出来ないような低レベル男殺到するようなら女が集まらないだろうな

anond:20240605092246

円安金利が安いとき住宅ローン組ませたくないか

あんまり宣伝されてなかったんよな

https://anond.hatelabo.jp/20240606010445

トヨタの売上優先で円安維持して少子化とか

アホだな

法人税安いくせに

2024-06-05

anond:20240605141219

サクラ犯罪者巣窟から絶対近づくなって言われてたのに

つの間に元から健全でしたよみたいな顔で宣伝するようになったんだろうな

2024-06-04

anond:20240604222731

原作宣伝になるから作者の損にはならんよ

ドラマが糞だったから今まで買ってた原作もう買わない!」って人はいないしな

原作買ってた人は(原作の質が落ちたり飽きたりしない限り)買い続けるし

糞だとか言ってもそのドラマ好きな人ってのも必ず一定数発生するのでそこから原作買う人も出るし

ただ「ドラマ化」の帯がついて書店で目立つ所に並べられるだけでも売れ行きは上がるし

「試し割りはトリック」と言ってる奴ら、格闘技のことを何も分かってない

格闘技とは「技」つまりは「技術」だ。

努力だの、肉体だの、心だの、そういったものは全て技術のための手段であり、目的は格闘のための技術しかない。

そして格闘のための技術もまた、人間破壊する、もしくは破壊されないようにする、ひいては「壊される前に壊す」という目的のための手段である

試し割りが結果として、「何年もかけて鍛えなくても、コツさえ掴めば素人でも人間を壊せる」ということを証明しているなら、それは空手という技術価値証明していることに他ならない。

空手別に毎日頑張って鍛錬をして、物凄く頑張っているから凄い」というものではない。

そんな「ラジオ体操スタンプシート100枚埋めたぜ!」のような所に空手の目指すものはない。

空手の目指す究極とは「ついさっきコツを教わったばかりのチビが、大男をいとも簡単にやっつける」にある。

肉体という格差、鍛錬の時間、そういったものを如何に容易にひっくり返せるのかという部分にこそ技術価値は宿るわけだ。

試し割りというある種の手品が見せているのは、「空手家はこんなに頑張って鍛えているから頑張っているんだぞ」ではないのだ。

試し割りという姑息トリックの目指すものは、「物を壊すのに必要テクニックについて俺達は日夜勉強しているんだ」という研究成果の発表なのである

10枚20枚の瓦を一度に叩き割るのは、師範代腕立てしまくってムキムキになったことを自慢しているのではなく、「瓦の数が増えた所で、空手にとってはちょっとした応用問題にすぎないぜ(ただしある程度の鍛錬は要するものとする)」というパフォーマンスなのだ

武闘家宣伝しているのはいだって技術なのだ

俺達の身につけた「技術」はこんなに凄いんだ。俺達のやってきた勉強は正しかったんだ。そう言いたいのである

anond:20240603141025

アイサイトは静止物に弱くてダンボールテストで止まれなかったと見たが

あとCMの印象が最悪すぎる

アイサイトとアイサイトXを混同させるような宣伝手法邪悪さは日産並みだと感じる

まぁホンダが新型フリードで1カメラのみとかやりだしたので(ソナーはあるだろうが)、もうこの辺は技術的に枯れて差がないのかもしれないが

そういえば、ソナーといえばスバルは近接ソナーないらしいじゃないですか

運転下手くそからぶつけちゃうな〜

和牛ブランド名上司にしなよ

snsバズるだろ。

yotuberとか宣伝するよ、売れる売れる

anond:20240604062150

物語人物は卑屈だろうが本人以外(それこそ書き手太宰治)がちゃんと魅力を発信してくれるだろ?

現実ではそんなことないのそれとも隣でかーちゃんにこの子はこんなにいい子で~って宣伝してもらうか?なぁ

そもそも君にとってキャラクターに向ける好きと実在人物に向ける好きはイコールなのか?

現実見ろよ

2024-06-03

anond:20240603141420

アピールの場に使ってる時点で供託金払って宣伝してるような奴らと大差ないんよ

スバルを買えスバル

水平対向だとかAWDだとかはどうでもよくて

死にたくないならスバルを買え

自動ブレーキ搭載車が増えてきたときに国が試験したんだけど

最初試験合格したのスバルだけだから

トヨタですらレクサスとか一部の車両合格しただけで他は全部止まれなかったからな

パナソニックカメラみたいなカワイイ偽装なんてもんじゃなくて

実際には全然まれないのに「自動ブレーキで止まれます!」みたいに宣伝して売ってたからな

これは自動ブレーキの性能どうこうの問題じゃ無くて企業倫理がしっかりしてるかどうかっていう話なんよ

他のエアバッグとか車両剛性とか品質とか

そういう部分も割と適当に「試験さえ通ればいいや」で自動車作ってるってことなんよ

自動ブレーキで止まれるかどうかが問題じゃ無くて企業倫理がしっかりしてるかどうかであって

そういう意味スバル買うのがいいぞ

学園アイドルマスターの「どんどん上手くなる」を実感することあるか?

だってキャラセレクト画面で「一つの夢~~♪叶えたい思いは~~♪」ってもう普通に歌っちゃってるじゃん。

そんでストーリー始まって最初にすげーわざとらしく下手な歌い方されるけど、なんで篠澤以外のやつまでカラオケ未満の歌い方しとるねんそうはならんやろと。

んでまあダンス・ビジュ重視でボーカル400でTRUEエンドまでいったら普通に歌えてるわけですよ。

イオイ育成度合いで歌唱力が変わるという設定はどこに行ったんや。

マジでなんなんこのゲーム

ゲームとしてはウマ娘に比べたら全然面白いと思う。

アイドルゲームとしての没入感を半分横においてローグライクに徹している割り切った作りが功を奏してる。

真剣に考え出すと篠澤が試験の最終ターンまで0点でそっから6000点取って合格してる時に観客や審査員の目に何がどう見えてるのとかどういう光景なのか誰にもイメージ出来ないんだけど、それを割り切ることにしたスタッフが正しいと思うよ。

ゆーてまあゲームとしては既に煮詰まり始めてると思うね。

満を持してなのか単に納品遅れただけなのか、妹ちゃんが追加されたわけだけど、これがまあ「どうやって運用するねん」状態で驚く。

元気玉を大きくする所まではやってくれるけど、それをぶっ放せるかどうかは引き次第ってしんどすぎるやろ。

メモリーで補おうにも最初の3回ぐらいのレッスンが運ゲーすぎて笑う。

高いポテンシャルはあってもアイドルとしての経験値が0ってことを再現してるってことなんやろけど、にしたってこの使いにくさはヤバイで。

一方でアイヴイは安定感と強さを両立しててこれは逆にアカンやろって状態

センスはともかくロジックはまともにゲームバランス取れるとは思えない作りになっちゃってる。

シャニの新作なのにいきなりローグライク始めてしかもどうやってプレイしたらいいのかもよくわからんかったシャニソンに比べると、全体としてマイルドだし新作だからルール変わるってのも分かりやすいし色々成功してるとは思う。

でも「一緒に育てて成長していく」っていう所に重きを置こうとした初代リスペクトな作りは今後足を引っ張っていきそうかな。

そもそも初代ってプリンセスメーカーときメモを遊びまくった経験のあるそれなり以上にオタクな人たち向けな作品からさ、全体として作りがハードなのよね。

理不尽は当たり前だけどそれを楽しむ構成っていうか。

対して学園アイドルマスターはヌルめの作りにはしてるけど上振れ狙うと大変ですよぐらいの作りじゃん?

その辺りでコンセプトの「成長させる」という部分が薄れてるっていうか、クセの強いアイドルと共に伸るか反るかの大勝負に出るってアイマス物語から外れてる感じがするんだよね。

勝つことまでは概ね分かりきってる状態ってのはアイマスらしくない気はしてさ。

ゆーてそれを緩和し続けたおかげで成功したっていう、高難易度ハードコアへの反省もまたマスの歴史ではあると思うわけでさ、そっからの正統進化が慣れたらクリアは安定であとはスコア狙いするだけのゲームっていうのはまあ納得しないわけじゃないよ。

でも何度も言うけどその安定感の高さと「成長」はやっぱ噛み合わないっていうかさ、「成長」が尊いのは失敗する可能性があってこそだと思うわけよ。

報われないかも知れない努力に挑む挑戦心はやっぱ物語の根幹として描かれてると思うんだけど、それがいつから成功して当たり前の天才をただ育てるだけのプレイフィールになっていくのは違うんじゃないかなと。

まあ今の時代にスタミナ使って失敗するようなゲームをそうそう出せるのかって気はするけどね。

でもウマ娘はそれやって成功させたわけだし、学マスもあとちょっと攻めて良かった気がするんだよね。

まあ其の辺は新シナリオが出てからの話になるのかな。

「初」は文字通りのチュートリアルシナリオだし、ローグライクに初めて触れる人でもなんとかクリア出来る所に抑えてる感じはあるかもね。

ゆーて次のシナリオを出してくるとしてそこでもまた「成長」をテーマにするのかは疑問だよね。

もうとっくに成長したあとの世界で「活躍」や「挫折」や「特別」を描く方向に舵を切ったりした方が飽きられなさそうって気もするわけよ。

じゃあもう「成長」をやる機会は今だけじゃねって思いつつも、まあ俺がスマホゲーに多くを期待しすぎただけだという諦めもあるわけ。

手に取らせたら勝ちみたいな感じであちこちで同じ宣伝して回ってるだけで、単にインパクトが有るだけの導入口にあーだこーだ言ってもしゃーないのかも。

じゃあ本当のウリはどこなんだよって話をそろそろして欲しいよね。

2024-06-02

原作を求めるというのは宣伝費の節約以外に思いつかない

テレビ脚本家の言い分を見てると思います

脚本家オリジナルが描きたいのに書かせてくれない

テレビコケたら困るから一定の支持者がついてるのしかやりたくない

オリジナル作ってそれをバンバン広報して推すのがめんどくせえしカネもかかるしかったるい

それで適当原作を狩ってくるのをやめない限り、どうにもならんのではないか

2024-06-01

number_iとかいうのがインスタの広告で出てきたけどコムドットかと思った。衣装(私服?)ダッサいし、顔もコムドットレベル

結局ジャニーズって凄かったんだな。ショボい男も衣装宣伝キラキラアイドルプロデュース出来てたけどバラバラになって個々で好きな事させたら没個性ユーチューバーみたいになる。

定年まで勤めたサラリーマン自分の夢だった自営業を始めたけどサラリーマンしかした事ないか自己プロデュース出来ず失敗するのと同じやな

投資ジジイなんで急にウクライナの女の人のサービス作ってんの

サービス作るのは別にいいけど宣伝の仕方がエロジジイ感があってちょっとキモい

映画館に割と行ってる方だと思う。

劇場応援したいとかそういう気持ち全然ないので、スナックを買ったりはしない。ただただ暗く閉ざされた空間のイスに腰を据えて、デカスクリーン映画を観るという体験が好きで行ってる。

でも視覚の中を占める画面の割合としてはスマホで観るのとあんまり変わらん気がする。そもそも集中して観てる最中は視聴環境ってあんまり気にならんと思う。強いて言えば、暗いシーンは映画館だと見やすくてストレスがない。暗い部屋で輝度を上げた液晶凝視してると目に悪い事してるような罪悪感がある。

どっちかって言えば音の方が大事な気がする。ゴジラの咆哮はやっぱり腹に響く轟音で聴きたい。

全身でズッシリと響く音を受け止める体験はどんなに高性能なヘッドホンでも無理だし、スピーカーでやれば近所トラブルものだろうし。

宣伝が15分以上あるのは冷静に考えると凄いと思う。そういうもんだと思ってるから普段は気にしてないけど。Youtubeじゃ10秒のハズレ広告引いた時ですら舌打ちモノなのに。

Youtube広告最後まで見るのが道理だなんて事言う人はほとんどいないだろうし、テレビレコーダーにもCMスキップ機能がついてる。

それなのに映画館ときたら、本編開始の時間を読んで遅れて入るのはマナー違反だ。なんて言い出す人も居かねないよなって思う。共同の空間という性質を強く意識する人がいるのも、映画館欠点の一つだと思う。観客同士の一体感とかも別にないし。まあおれもギャーギャー騒ぐのがいたら勘弁してくれよとは思うけど。

神官戦士レドマツこと赤松健議員って結局なにがしたかったの?

最大のロビー活動拠点ともいえるマンガ図書館Zクレカ会社白旗を上げてる。

https://x.com/tanigutikei3/status/1796502652504908023

まり赤松自分の所に火が付く前になんらかの対処を打つことが出来ずに終わったということ。

クレカ会社から要請がつい最近始まったばかりとも思えないし、赤松の耳にはとっくにこの情報は入ってるはず。

もしもDLサイトひよこババア騒動かについて一切知らないって言うなら、それはそれで表現の自由について戦うという旗印を裏切っているとしか言えない。

国ごとの規制基準の違いなんて何十年も前からあったし、海外クレカによる圧も5年ぐらい前からドンドン強くなってた。

海外では無修正漫画バンバンあるけど、ロリエロケモナー禁止されているのでpixivまでやってきてそういうの描いたり見たりしていく外人がいるのは前から話題になってたよ。

生成AIによる児童ポルノ投稿について日本法規制の緩さがカモにされていたってニュース最近はあった。

そういった国ごとの規制基準の違いについて考える時間、準備する時間はいくらでもあったのに結局なにもせずに手をこまねいていたのが赤松

本来であればDMMとかと連携した先んじたバリアを貼るとか、「クレカ以外の決済方式もあるってことを周知して戦っていこうぜ」とかの旗を振ることも出来たはず。

でもダンマリを決めたわけ。

お前は表現の自由戦士最前線(を走る連合国聖騎士ヤマーダの仲間)ではなかったんかと。

本人としては色々と頑張ってきたつもりなんだろうが、一人の一般人視点から見ると「コイツ、結局何の役にも立たずに終わったな」としか思えないんだよなあ。



この人って結局何がしたかったんだろうね。

クールジャパンコンテンツを守るために立ち上がったみたいなこと言ってたけど、それで何か成果を上げているようには見えないんだよね。

どっちかというとオタクコンテンツ界隈の政治利用を促進したり、裏金利用のために抜け穴整備に協力したりで、界隈から見たら「売国」的な活動ばかりにしているように見える。

本人としては今後を見越した下地づくりのつもりかも知れないけど、最初貢ぐ側に回ったら簡単にはひっくり返せないのが交渉事ってもんでしょ。

赤松がやったのは結果としては「漫画アニメ政治家様の宣伝をお助けするための奴隷です。お金儲けのための小間使いです。どうぞご自由にお使いください」と勝手オタク代表を気取って売り渡しただけでは?

何がしたかったんだコイツ

まさか本当に自分を育ててくれた界隈を売り渡してチンケな名声を得たかっただけなん?

UQホルダーが面白くないって叩かれすぎたことへの復讐か?

しょーがねーだろ実際面白くねーんだから

anond:20240601093131

少なくとも「〇月〇日にこの辺でこの番組ロケします」って宣伝地域向けに事前にしてるはずだよな

無許可勝手ロケしてたら苦情来そうだし

それ見てテレビに出たい人が出てきたりしてるんだと思う

脚本家が書いた内容とやったことはこうだぞ

事実だとわかるのは、

該当の脚本家指揮権のあるュー困惑や苦い気持ちSNSで伝えたわけでもなく、

ドラマ制作のあり方を批判したわけでもなく、

何故か2次創作者の立場でありながら同業者原作者SNS批判したこと
日テレプロデューサー出演者もそれを放置したこと、 

 

ただこれだけだぞ

 

 

そこに検索バーがあるじゃろ?脚本家のインスタでの奇行貼っておきますね、気になるなら魚拓検索しよう

魚拓より

最後脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、

過去にも経験したことのない事態困惑しましたが、残念な

がら急きょ協力という形で関わることになりました

魚拓より

最終回についてコメントDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。

 

(中略・気になるなら魚拓見て)

 

脚本家存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています

 

どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。

魚拓より

(『個人的にはあり得ないと思っています。どんな経緯があろうとです』という同業者のリプに対して)

はい脚本家として生きるすべての人に関わることだと思います

 

 

そこに検索バーがあるじゃろ?どんなコメント脚本家が『いいね❤️』をつけていたか魚拓で見れますよ。脚本家・文業者奇行

脚本家

○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺

1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、

10 でほぼ初期状態に戻ってしまった感じでした。

お見合い相手に断るシーンが無く、○○さんならちゃ

んと描くだろうなと思いながら観ました。

あかりの踊りも少しづつよくなってなかったけ?と

か、2年経ったのにスーパー記号的に使ってるだけ

で、その時間経過も描けてなかったですね。。

重ねてきた登場人物たちの厚みが最後に薄くなってし

まったのが残念でした。😢

私もこの事、胸に刻んでおきます

脚本家

個人的にあり得ないと思っています。どんな経緯が

あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし

た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ

までした!良いお年を迎えてください

 

(これに対して『はい脚本家として生きるすべての人に関わることだと思います。』と該当脚本家はリプ)

文業の人

はじめまして。毎週楽しみにしてました。

最終回に向かって、急に世界観テンポも変

わったので不思議でした💦そして、えっ、

ここでふんわり終わり?と。

でも訳がわかりました。

そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ

けられたお気持ち、お察しします。

素性不明

脚本素人に変更していたなんて初めて知っ

て驚きました。素人でも書けるものなのか

な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した

のでは?

 

他にもドン引きコメントいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね

 

 

誰も得しないので黙っているが正解だったけど、何がなんでもなにか申したい、危ない橋を渡ってでも『私じゃないもん』やりたかったなら

せめて下記のように発言すれば、よかったよね、これなら表立っては誰からも責められずに『私が書いたんじゃないから』をできた

最後の2話は、な…なんと!!!原作者様がご自身脚本を書いてくださいました!サプライズプレゼント🎁🎄でしたが、原作ファンの皆様にも喜んでいただけるような作品に仕上がったと自信を持ってお伝えできます

こう言っとけば、ゴタゴタが取り沙汰されても、下記のように言えば全部問題片付いた

『このドラマ製作過程では、チームメンバーの間で様々な意見が飛び交いました。それは、原作ファンドラマ視聴者に、最高の作品を届けたいという共通の想いがあったからです。原作者の方にも、貴重なご意見やご協力をいただきました。おかげさまで、素晴らしい作品に仕上げることができました。ぜひドラマをご覧になって、製作チームの情熱を感じてください』

 

それすらもしないで、2次創作者の立場原作者ドラマ出演者と一緒の写真を添えて非難という傲慢奇行、そりゃ燃えるよね🔥

とりあえず『著作権法20条』を音読すると良いと思う

どこぞの脚本協会だって、『著作権法20条』が大事だって言ってるだろうよ

日本シナリオ作家協会脚本契約7原則

(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。

(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合著作者である脚本家任意に利用できなければならない。

(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。

(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。

(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者負担しなければならない。

(6)氏名表示に関して著作権法19条規定を遵守し、宣伝広告活動の際にも配慮されなければならない。

(7)著作権法20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本改訂してはならない。

 

著作権法20条が理解出来てるなら、勝手オリジナルしちゃダメだし、攻撃しようなんて通常考えない

2024-05-31

パナソニックストックフォト問題カメラファン解説する

パナLUMIXユーザーです。

この件、新聞各紙やNHKも報じて思ったより大ごとになって驚いていますが致し方ないと思います

カメラ好き・写真趣味の界隈でも概ね「明らかに機能説明や性能イメージ認識される画像はともかく作例と誤認させる画像はアウト。しかも他社機による写真だったとはカメラメーカーとして情けない」という見解です。

ごく一部アレなLUMIXファンがめちゃくちゃな擁護をしたり他社ユーザーに当たり散らしたりしてお恥ずかしい限りですが(ゲームハードみたいにカメラでも熱狂的なファンがいるのです…)ほとんどのユーザーはまともです。

イメージ」と「作例」

例えば機能紹介の小さな画像ストックフォト(素材画像)で問題なかったでしょう。

こうした画像は機種が違っても使い回されることがありますユーザーあくまイメージであることを認識しています

一方でカメラ写真を撮る製品ですから大きく扱われた画像は作例と捉えられるのが普通です。

腕前はともかくユーザーも同じ写真を撮ることができるということですね。

作例は炊飯器なら実際に炊いたごはん試食化粧品なら無料サンプルのようなものです。

今回はその作例が借り物で、その機種では撮れない写真が含まれていることが問題本質です。

いわゆる景品表示法優良誤認にあたってしまうと思われます

以下、その観点で具体的に見ていきます

画像

LUMIX商品サイトでのストックフォト使用新機種以外にもあったと認める パナ「認識の甘さを反省」(1/2 ページ) - ITmedia NEWS

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2405/31/news098.html

More bad news for Panasonic: Lumix S9 product page controversy and the use of stock photos *UPDATED* - Photo Rumors

https://photorumors.com/2024/05/28/more-bad-news-for-panasonic-lumix-s9-product-page-controversy-and-the-use-of-stock-photos/

犬の写真:セーフ

https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic01.jpg

当該機種で撮影してない点はさておき、これはセーフと考えます

パナソニックオートフォーカス性能(ピントを合わせ続ける力)はソニーキヤノンに比べ弱いのでたやすく撮れるかはわかりませんが、同じ写真撮影可能からです。

山や夜景写真:セーフ

https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic05_w480.jpg

https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic07_w360.jpg

これらも同じ写真は撮れます

記事解像度の違いが指摘されていますが、とはいえサイト掲載するサイズに縮小した範囲では問題になりません。

鳥の写真:アウトかも

https://pbs.twimg.com/media/GOki_m9aAAAtt-e.jpg

これは微妙です。

というのもこの新型機LUMIX S9はメカシャッターという機構を省いて小型化を実現しています

スマホで目の前を通過する電車や車を撮影すると斜めに歪んで写る現象を知っている方も多いと思いますが、メカシャッターがないカメラも同じことが起こるのです。

そのため鳥の翼がこのように写せるかはわかりません。

歪んでも直線的な人工物と違って気にはならないかもしれませんが。

子供写真:アウト

https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic03.jpg

これが一番問題だと思います

光学的な説明は省略しますがこのレンズでこのような背景がきれいにぼけた写真は撮れません。

一眼(レンズ交換式カメラ)はレンズとボディで構成されますが他のボディを使っても不可能です。

このレンズメーカー希望価格4万円台と安くライトユーザーターゲットにしたレンズですが、この画像を信じて買って「なぜかサイト写真みたいに撮れない…」とガッカリした方もいるであろうと思うと胸が痛みます

詐欺と言われても仕方がないと思います

Q.ダミー画像差し替え漏れでは?

複数の機種で同様の問題があり、パナソニック自身ミスではないことを認めています

Q.なぜこれまで取り沙汰されなかった?

わかりませんが、新型機に注目が集まったことが一因でしょうか(たまたま画像を知っている人の目に触れた、など)。

またカメラファンほどサイト画像だけで判断しないので「実害」がなくあまり問題視されなかったのかもしれません。

Q.他のカメラメーカーはどうなの?

産経記事にもあるように他社はちゃんとしていたようです。

問題が発覚してから界隈では各社のサイト検証する動きがありましたが今のところ特に見つかっていません。

パナソニックについて

一般の方からするとパナソニック家電メーカーかもしれませんが、ミラーレス一眼においては派手さはなくとも堅実な良い製品を作り続けている立派なカメラメーカーです。

シェアは小さいですが動画分野で定評があり製品自体は悪くありません。

それなのに広報宣伝ユーザーを騙すような形になって結果的に自社製品に泥を塗ってしまったのは大変残念です。

市場が縮小しカメラ事業の存続がたびたび不安視されている中、これが致命傷とならないことを祈ります

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