はてなキーワード: 実力主義とは
個人的に0から1を生み出す「くりえいたー」になりたい。憧れてる。
そういう人結構多いと思う。
でも多いからか、何か「くりえいたー」じゃないのに「くりえいたー」的な事言いはる偽物も多い。
純血を貶める、なんちゃって「くりえいたー」ども。
純血の「くりえいたー」と一緒にしてはいけない。
歌うだけのヤツは偽物。純血ではない。作詞だけ、作曲だけも同じ。
最終アウトプットが歌である以上、一人でそれを構成しなくてはいけない。
曲も歌にするなインストで売れ、歌うだけの奴はオペラとか古典歌って歌声だけで戦え。
それができない格下だから徒党を組んでいるのに純血ヅラするな。
・漫画家
こちらも同じく最終アウトプットが漫画なので、一人でそれを構成してこそ純血。
原作が純血ヅラしたければ小説家になれ。作画家は絵描きになれ。
一人で漫画家になれないから徒党を組んでるくせに純血ヅラしてはいけない。
また、一人で書いていたとしても企画先行モノは論外。
受注制作しているものは純血ではない。ビジネスに飼われた負け犬。
・絵描き
最近数多いる有象無象の商業イラストレーターの多くは純血ではない。
二次創作は純血どころか、かなりの劣等種。なぜかそのくせ声はでかい。
その多くが純血。
0から自分の体だけで感動を生み出しているので「くりえいたー」と言っていい。
己の体をくりえいとしている。
・写真家
どちらかと言えば「くりえいたー」の成果を掠め取る、「ぷろでゅーさー」に近い。
シャッター押して出来合いのフィルタかけるだけで作った気になれちゃうインスタグラムがいい例。
・映画屋
・アニメ屋
・ゲーム屋
勘違いされがちだがこいつらも偽物。
なぜならば、これら全て産業が巨大で一人で作り上げるのが不可能だから。
商業に染まり、多人数で創るものはどうあがいても純血ではない。
ただ、産業が巨大なので中にいる人間のプライドは高く純血ヅラするものが多い。
でもたまに一人で作っている人も少なからずいる。
純血の定義は一つ。
それ以外は すべて偽物。まがいもの。
純血ヅラしている人間は、今一度胸に手を当てて考えてもらいたい。
そして、
純血は純血のみとしか通じ合えない。
尊敬と畏怖と共に、肝に銘じなければいけない。
「もう日本は女尊男卑」ってよく聞くけれど、東京みたいな大都会に住んでる人や、
実力主義の世界で生きてるエリートだけがそう感じてるんじゃないかと思うよ。
とくにこの男性が優秀というわけではなくて、
取引先の偉い人はほぼ男性だから男じゃないと交渉がうまくいかない、という理由らしい。
日常のこととして笑って受け流さないとやってられないくらい多い。
家庭に入ったら飯炊き女やりながら働かないといけない。
母親が子供のころは女衆と男衆の食卓が違った、というような地域なので
(男はテーブルでご飯を食べて、女は台所の床に簡易テーブルを置いてご飯を食べる)
だいぶマシになってきたとは思うけれどね
私は某関西ジャニーズJr.を担当している。
その子は俗に言う、ダンスがうまい子である。そもそも私はダンスがうまい子にしか興味がないわけだから、その子が好きなのも自分で納得している。
「担当」以外にも好きで応援したり、担当以外にも、ダンスがうまい子をコンサートで見たりもする。私の言うダンスがうまいは、彼らのファンからも、そうでなくても彼らを知っているファンからも言われていることだから、決して的外れなことを言っているわけではないと思っている。
関西Jr.はいま、グループはないものの前列にいる子が決まっている。私はそれが気に入らなくて悔しくてムカつく。前列にいる子が嫌いなのではなくて、実力がある子が後ろにいることがとにかく許せない。私が好きだと言ってる子たちは、関西Jr.の中でも歴が長い子たちばかりで、ダンスでいえば東京の人たちにも負けていないと思っている。だけど関西Jr.でコンサートをしたり舞台をしたりすると、後ろではないけど前列ではないという状況だ。いつも思う。なぜこの子はたいしてうまくもないのに前にいるのだろう。この子たちが前列にいるせいで、私が好きな彼のダンスがかぶって見えないのが悔しかった。どうして実力主義にしてくれないのだろう。なぜさしてうまくもない子のダンスを見せられなければならないのだろう。私はお遊戯会を見に来ているのではない。ダンスがうまい子のダンスが好きでそれを見に来ているのだ。だからといって、私が好きな彼らに前列に来られない何かがあるとは思えない。モンペだと言われたらそれまでだが、前列にいる子たちがなぜ前列にいるのかもわからない。なんども言うが、その前列にいる子たちは嫌いではない。ただ、まったく興味がない。2時間コンサートしたとしても、私は本当に担当とその周辺あるいは他のダンスがうまい子しか見ない。「○○はダンスがんばってる!うまくなってる!」と他担に言われてもわからない。過程を見たことがないから。その子の中で比べたらうまいは、世間でいううまいに入らないのでは?とも思ってしまう。本当に、頼むから邪魔をしないでくれと思う。全員でやる群舞が関西Jr.の醍醐味となっているが、正直下に合わせるダンスを踊っている上の子たちがかわいそうと思ってしまった。現に、ある曲が別のコンサートでいつもより少ない人数でやったとき、わざわざ振付をし直したと聞いた。結局、全員でやるには上が下に合わせるしかないのだと絶望した。そのダンスは嫌いではなかったしむしろ好きだった。だけど、その別バージョンを見たらきっともっと好きだと言っていたと思う。
最近では、嫌いじゃないのに興味がない子たちに嫌悪感を抱く自分が悪いのでは?と思ってしまうようになってきた。もっと踊る場を提供してほしいし、東京のJr.と絡む機会をガンガン作ってほしい。私の好きな彼らのダンスを、関西Jr.という箱だけに閉じ込めないでほしい。踊ることが好きだという彼らに、汗をかきまくって疲れるまで踊ってほしい。どうか、彼らの存在を、彼らを好きなファンを無下にしないでほしい。
「Ubuntu」とは、「他者への思いやり」のことです。この単語自体が、人間としての精神を体現しています。
我々は、生産的で、幸福で、複雑な領域における新しい発想を歓迎できる柔軟性を持ち、また、あらゆるプロセスを常に改善し、さらに、各々が全く異なる要求や関心、能力を持つグループの間の協力を促進するコミュニティを希求します。
我々は、メンバーの多様性によってコミュニティを強靱なものにするために、多様な参加者を活発に探します。このUbuntu行動規範は、多様なグループがお互いの利益と喜びのために協調することを確実にするために存在しています。我々は、誰であっても、プロジェクトへの参加に障害がないよう努力します。
行動規範は一般的に、公的であれ私的であれ、我々がどのように振る舞うべきかを統率します。我々は、プロジェクトの代表者(公式・非公式を問わず)、関係者、そして直接の参加者が、このUbuntu行動規範を尊重することを望みます。
我々は、下記に真剣に努めなければなりません。
我々の成果物は他者によって使われるでしょうし、また逆に他者の成果物にも依存しています。いかなる決定であっても、利用者や関係者に影響を与えることを頭に置いて、決定をするときにはそのことを考慮する必要があります。
意見に相違があるからといって、無礼な振る舞いをとってはいけません。衝突を解決するために協働し、他者が善意で行動していると仮定し、親身になるよう努力しなければなりません。苛立ちが個人攻撃に発展することがあってはなりません。不快感を覚えたり脅威を感じるコミュニティは、生産的ではありません。
間違いを犯すことは誰にでもあります。そのときには、責任を取らなければなりません。もし誰かが傷つけられたり攻撃されたときには、注意深く、そして思いやりを持って意見を聞き、間違いを正すよう行動しなければなりません。
我々が作り上げようとしているものは複雑で、それぞれに想いが込められたたくさんのパーツでできています。各々が違ったゴールとビジョンを持つチームの間での協調は不可欠です。ただのパーツの組み合わせ以上の成果物を作り上げるには、各々のパーツが全体を理解するよう努力しなければなりません。
協調して取り組むことで、冗長な作業を減らし、品質の向上につなげることができます。プロジェクトの内外を問わず、協調することは大切です。可能な限り、アップストリームのプロジェクトと共同で作業し、フリーソフトウェアのコミュニティと協調することが必要です。透明性を確保し、その作業に関心を持つ人とはなるべく早期から協働するのが良いでしょう。
社会的な、あるいは技術的な意見の不一致はよくあることです。しかし、意見をまとめずそのままにしたり、何を合意したのかを不明確なままにして他の人を悩ませることがあってはなりません。
プロジェクトの参加者は、意見の不一致を建設的に解決することが期待されています。もしも合意に至らなければ、あらかじめ決められたリーダーに仲裁を依頼し、透明性 (clarity) と指示を求めます。
誰であっても、完璧であることを求められてはいません。誰かに質問することは、後で発生するであろう問題を回避できるので推奨されます。ただし、適切な場所で質問してください。質問を受けた人はすぐに反応し、手助けしてあげてください。
プロジェクトを離れるときには、与える混乱を最小限にするよう動くことが求められます。プロジェクトから離れることを他の人たちに伝えて、離れる人が作業を中断した地点からほかの人たちが再開できるようにしてください。
我々は、実例と議論と行動によって動かされます。新しく参加した人は、もしプロジェクトの改善につながる新しい考えがあれば、ぜひ人々を率いて、行動を起こしてください。リーダーシップは、行動を起こすことだけで誰でも実践できます。その機会があれば、誰かの許可を待つ必要はありません。
プロジェクトに関する責任は「慈悲深い独裁者」を頂点として、そこから特定の範囲について責任と権限を委任されたコミュニティ・カウンシル、その下にいるチームや委員会 (councils) 、個人に委任されていきます。コミュニティ・カウンシルまたはその代表者が、争いごとの解決を行います。
我々は実力主義に基づいて、意思決定や統率、リーダーシップを、長く参加している人から、能力があって関心の高い候補者に委任していきます。
評議会 (boards) や委員会 (councils) への任命は、コミュニティ・カウンシルが決定権を持ちます。ただし、事前にコミュニティに対してインプットを求めるものとします。
リーダーシップは、表彰や権利や肩書きではありません。リーダーシップは権限であり、そこには責任が生まれます。リーダーシップはコミュニティから委任されたものです。リーダーの権限は、委任するコミュニティから支持されている間だけ得られるものです。
我々は何かものごとを決める前に、意見やデータ、関係者からの意見表明を集めます。リーダーの役割として、チームが決定を遅滞なく行う手伝いをし、ガイダンスを与え、合意に至らなかったときに決定をし、決定の実施に責任を持つことが期待されています。
何かを決めないことには、先に進めません。明確な指示には価値があります。ときには、データが足りなかったり、合意が得られがたいこともあるでしょう。それでも、何らかの決定を下さなければなりません。いつでも完璧な決定を下せる保証などないのです。決定を先延ばしにするより、失敗して、失敗に学び、将来の役に立てることが大切です。
我々は、問題をより把握しているチームを信頼して決定を下してもらうことで、プロジェクトはよりよいものになると認識しています。もし決定に不満があれば、それを下したチームと調整します。調整が付かなければ、その決定についてレビューする統治機構 (governance structure) があります。つまるところ、責任を持つ人が決定を下し、それがプロジェクトの統治 (project governance) に支持されていれば、その決定は有効であるとします。我々はある決定について納得しないこともあるかもしれませんが、それでもプロジェクトを信用し、たとえ内心では違うほうがよいと思っていたとしても、プロジェクトとしてその決定が実施されることを支援します。
誰であっても、どの組織に所属していようとも、どのようにプロジェクトに関わろうとも、我々は参加を歓迎します。コミュニティは開かれたものであり、能力や適性を持っていることを示せれば、職責を負うことができます。
「名演奏家はその演奏によって評価され、リーダーはチームの行動で評価される」リーダーは、行動すべき・身を引くべきときを知っています。チームは、リーダーに権限を渡したりそれを取り戻すべきときを知っています。
良きリーダーはスポットライトを浴びようとせず、他のメンバーの活躍をたたえます。リーダーはチームメンバーの中で目立つ存在でしょうが、良きリーダーはその注目を他のメンバーの優れた活動に対してスポットを当てるために使います。
リーダーはときに、理解されず、合意に基づかず、一般的ではない冒険的な決断を下す必要があります。我々は、完全な合意を得るよりも物事を進めることを優先し、勇敢にもそのような決定を下すことを評価します。とはいえ、冒険的な決断には十分な検討が必要です。ある人にとっては頭の痛いことになるかもしれないことを肝に銘じ、影響を抑えるようにしなければなりません。変更について、その理由を明確にして、そして早めにコミュニケーションをとることは、その変更を実施するのと同じくらい重要です。
もしもリーダーが自身の雇用関係や他のプロジェクトとの関わりによって利益相反状態になっている場合には、それに気がつくことが期待されています。そして、私利私欲のためとみなされることのないよう、棄権したり決定を誰かにゆだねたりすることが期待されています。リーダーに限らず全てのプロジェクトメンバーにも、私利私欲のためではなく、ユーザーの暮らしをよりよくするために決定を下すことが期待されています。
もしも利益相反が疑われる場合には、誰かにセカンドオピニオンを求めてください。利益相反状態にあることを明らかにすることが、解決への道筋にとって重要です。リーダーは、たとえ一般的ではない、あるいは特定のグループに有利・不利となるように思われるものであっても、決定が信用できるものとなるよう行動すべきです。
このUbuntu行動規範は、網羅的でも、完全なものでもありません。ルールブックでもありません。協調的で共用の環境 (a collaborative, shared environment) とゴールに関する、我々にとっての共通の理解を引き出すためのものです。
このUbuntu行動規範は、クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植ライセンスのもと配布されます。あなた自身のプロジェクトにこれを再利用することができます。また、好きなように改変することもできますが、あなたの改変を他の人が利用することも許可し、Ubuntuプロジェクトの著作権表示を付けるようにしてください。
付き合っている彼の親が実力主義者で、私が正社員でもなく派遣でやってきた事や、特にこれといった資格を持っていないことを理由に私を人として完全に見下している。
持っていったお土産にも、施しになるからと一切手をつけないでいる。仲良くする気はないらしい。
このまま結婚するような事になったら、今後介護の話とかだって出てくるだろうと思っていて、私は全然構わないくらいの気持ちだったのに「お金目当てだと思われると思う」とか言われてしまった。気持ちはわかるけど、よくそれ言えたな。
彼には「仲良くして欲しいと思ってる」とか言われたけど、無理でしょ。仲良くする気のないやつと仲良くするのがどんだけ大変だと思ってんの。
今、仕事で必要な資格取得に向けて勉強中だけど、それで資格が取れればじゃあ仲良くしましょうって、なるわけないじゃんね。
あっちが認めてくれたとしても、それで私がニコニコ家族付き合い出来ると思ってんのかな。いや、表面上なら出来るだろうけどさ、なんかすごい悔しいよね。
頑張るの私だけかよ。別に親に認めてもらえなくても私構わないけど。あなたは親の認める人としかお付き合いとか出来ないの?って言いたくなるよね。
一緒に住む話はどうなったんですか。親が認めてくれなかったから無しになるんですかね。私いい加減、引っ越しの算段したいんですけど。
っていう人たちって、なんで素直に官民総出で見合い婚とか出会いのサポート体制が必要って発想にならないんだろう。
あ、俺がここで攻撃しているのは、はてブとかにいるフェミ姉御じゃなくて、60代以降を中心とする老害世代ね。
奴らってどういうわけか非モテは自己責任っていうところから全くブレないの。
別に学がなくたって、非モテの増加→未婚率の増加→少子化の助長が一線でつながっているってわかるでしょ。
とにかく何でもいいから未婚率下げて少子化を食い止めようって発想があんまり出てこない。
どうして老人世代まで「そこまで面倒みなければならないのか」って考えてるのがわからない。
今の高齢夫婦なんて半数近くが見合い婚でしょ。それって大多数が非モテ男女ってことでしょ。
でも、当時の見合いって完全に地域や親族なんかの自助努力で完遂してるから、
見合い婚の当事者たちも「国が携わることじゃない」って思ってるのかもね。
でも、今は地域社会も血縁社会も瀕死状態だから、国や営利企業の協力が不可欠なんだよなあ。
「出会い→恋愛→結婚は市場原理の実力主義で達成すべきだ。低スペは死ね。
でも、結婚したら市場原理は緩和して国がサポート(保育園とか)してね(ハート)」
っておかしいでしょ。最初から最後までサポートすればいいじゃん。
なんで富裕層にだけ年金支給しよう、みたいな謎の逆福祉的発想になるんだろう。
もう対策諦めて人口縮小社会に適応していこうって意見が出るならわかるよ。自分もそれが良いとおもう。
長引く消費低迷とか見ていると、もう普通の人たちすら
少子化=経済縮小を前提として生きていこうとしているんじゃないかしら。
単純に言って、みんなが結婚していた時代って非モテが自己責任じゃなかったんだよ。
本人が嫌がっても無理やり結婚させられた。だから、老人たちには非モテが理解できない。
でも、今は非モテが自己責任になった時代だし、結婚を無理強いできないんだから、
もう少子化対策なんてできないってことだよ。
企業での入社筆記試験では女子が圧倒的に点数が高く、筆記試験の結果だけを見ると新入社員は女子だけになってしまう。だから、面接で男子に下駄をはかせて採用しているのだという。
この話の疑わしいところはそういった話をよく聞くで終わっていて明確な証拠がないことだ。
こういった話は10年以上前から繰り返されてる。最近の女子は元気。男子は元気がないとかね。(元気に男女差なんかあるのか)
名古屋市採用試験や一部の公務員試験では筆記試験では男子のほうが点数がいいのに、面接で女子に下駄をはかせて数を調整している。
http://www.j-cast.com/2014/12/01222160.html
http://www.gloriousblogger.net/entry/2015/06/08/155334
日本の大学進学率は他の先進国と違い男が上回っている。東大京大等の最難関大学は男子の割合のほうが多い。司法試験や医師試験などの難関国家試験も男子の合格者のほうが多い。幾つかの学力調査でも男子の点数のほうがいい。
大企業が優秀な男性を抱え込むから、残った男性と一部の優秀な女子を比べてるという説もあるけども。
そういった意味では日本は純粋な実力主義ではないのかもしれないが。
俺が伝えたいのは決して男性は劣ってないし、優れてるところがたくさんあるので、つまらない偏見には負けずに頑張ってほしいですね。
※あらかじめ断っておきますが、職業の貴賎の話であり、法律上または社会通念上問題となる事柄は議論の対象外とします(PCデポの騒動など)。また、職業の話であるので、雇用形態(正社員や派遣社員など)も対象外とします。
職業に貴賎があるという考えでいくと、貴いとされる職業に就けたら仕事に適正が無くても貴、卑しいとされる職業に就いたら仕事に適正があっても賎という事になってしまうと思います。
それでは競争主義・実力主義と言うより、世渡り主義になってしまう。
本来は、職業の貴賎では無く、本人の技術力・成果で待遇に差が付く事が全てであるはずです。
個人の努力や、競争主義やそれに伴う格差を肯定するなら、職業に貴賎が有ると言ってはいけません。
仕事のステータス性は、その人の仕事における成果ではありませんから。
あくまでも、職能と、仕事の成果で個人単位で計るべきだと思います。
以上。
指摘等あれば下さい。
■ 経緯
1年目 100万 新卒3ヶ月で不本意ながら退職+個人事業主+ニート
2年目 240万 バイト
〜中略〜
一昨年 380万 2社目
去年 580万 3社目
今年 1300万 フリー(※年収じゃなくて年商、なお借金200万)
■ 思うこと、意外だったこと、気づいたこと
・思ったより幸福度が薄い
・周りの反応は変わらない(そもそも知らない)
・飲みに行く暇もないので、奢ることもない
・医者や弁護士くらいの稼ぎらしいが、医者や弁護士ほどに偉い感じがしない
・大企業や安定を信じないで実力主義を貫いてきたが、多分間違いだったと思う。自分の場合はゴリ押しただけ
・大企業でのほほんとしてる奴ら、楽しそうだなと傍から見てて思う
・まあどうせ受からないんだけど
・受からなかった会社の奴らより給料高いのは少しだけ溜飲が下がる
・でかい組織というのは本当に煩わしい、何であいつらは出世ゲームを作りたがるのか
・FF7でマスターしたぜんたいかのマテリアを売った時の不思議な虚無感を覚える
・5年後も1000万以上稼いでる自信がない
・常に求人チェックしてるが「チームリーダー 600万〜800万」とか書かれても上限からして今より下でなんとも言えない気持ちになる
・高時給バイトのメールが来ると「いいなこれ!行きたいな!!」と思う
・同じくらい稼いでるITエンジニアは大体私生活が破綻しててどうなのと思う
・さっさと法人化したほうがいいよと言われるが、昨日の今日すぎて何とも言いがたい
・不労所得がほしいと思ってサービス作りを頑張る → 不労じゃないんだよなあそれ
・3000万くらい稼ぎたいけど普通に働いてるなら無理だ
・移動時間がもったいない、この移動時間があれば◯円稼げるのに!と思ってしまう
・はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり 意味:働きまくると時間がなくなるから楽どころか辛くなる(違うか)
・金持ちキャラはやっぱ資産家じゃなきゃ無理だと思う(金持ち+時間がある+派手な遊び)
・お金とか年収とかって、ゲームで言うところの点数やレベルみたいに思ってたけど
そんないいものじゃない気がしてきた
・稼ぐというのはあくまで長期戦で、短期でバッと上がっても大したことがない
・社会的信用度は、1000万のフリーランス<<<300万の正社員 という現実
・給料が高いところ=成長できる場所 とは限らないので、高年収を保つには高いところに居続けてはいけないという矛盾が生じる
・そのおかげで「3年は同じ会社で頑張れ」とか言いつつ自分は1年で転職してる
・たぶんだけど、事業タイプの人は途中から金を使うより稼ぐほうが楽しくなってくるのではないだろうか
・タックスヘブンはまだ興味が無い
・2500万以上稼いでる人が日本に15万人以上居るらしい。キモい
・1000万は、アメリカのITエンジニアだと底辺クラス。キモい
・億の遠さを感じる
・多いと言ってもせいぜい3人分くらい、無力感がある
・年収というのは個人の頑張りや優秀さと別の要因が大きすぎてどうかと思う(特に最近)
・BIって程度によっては有りなんじゃないかな、と思いつつ別にどうでもいい
・ITエンジニアの一番美味しいところは、エンジニアでありながら様々なビジネスに関われるというコンサル的な面も含んでいる点だと思うが、
これをきちんと活かしているエンジニアは3%も居ない
・「あー金ほしい」という口癖が言いづらくなった 最近はもっぱら「あー死にたい」とつぶやいている
・納期が怖い
・1月あたり手取り換算で70万くらいだと考えると、PCをホイホイ買うのは躊躇われる
・年金を信じないとすると、月20万くらい貯金しないといけないと気づいて絶望する
・「人月は入れ替えてはいけない」は知ってたが、金と時間も入れ替えちゃいけないと気づいた。両方大事だ
・年収の1/4を家賃に当てるなんて不安でできない→結果平均的な暮らしになる
稼いでる人が貯めこむ理由が分かった気がする。重要なのは将来に対する不安の解消だ
・1000万目指すより600万で幸福を追求した方がいいと思う
・しかし仕事の虫になって、全力で成長していないと600万を保つのが厳しい
仕事の虫になって全力で成長を目指すと600万など越してしまうが不幸になる
バランスが難しい
・結局のところ、いい商品というものは規模の経済で限界まで安くなるから、良いものは基本常識的な値段になる
・つまり金が増えても生活の質は大して上がらない(これは誰でも高品質を享受できるわけで、良いことだと思う)
・でもライザップとかああいうのに少し興味が湧く(でも高すぎて引く)
・お手伝いさんってどうなんだろうと検索したが、そもそも部屋が荒れ放題で任せられない
まあ金無くても不健康なんだけど
・昔、「金額とか貯金を気にしなくても生きていけるくらいに稼ぎたい」と思ったが、まだそこまで至れていない
・ちびっ子とくだらない遊びがしたい
・世の中、貧乏暇有りと金持ち隙無ししか居ないなら、一体誰が幸せなのかと思う
・あんハピ♪ 泣ける
というのがちらほら見受けられる気がする。特にここ数年。
高学歴(特に理系修士卒)ならば今後の成長を見込めるだろうという事で人事は採用していたようだが、
新卒から数年が経過したところで、彼らの能力は十人並、他の同期と変わらない。
話してみると確かにどこか知性を感じさせるような一面もあるが、それは職能として生かされるようなコミュニケーション能力というほどではない。(俺は学歴コンプのきらいがあるので認知バイアスがかかっている可能性がある)
そして肝心のコードの生産量と品質はごく普通だ。むしろ生産量に至っては少し平均より低い気がする。
このまま続けても彼らの能力は大して向上しないだろうし、実力主義のこの業界では大幅な昇給やキャリアアップも難しいだろう。
彼らのキャリア選択が「もったいない」のかどうかは分からないし、他人が決めることでは無いのは確かだが、しかし何かもやもやする。
底辺と書いたのは言い過ぎかもしれないが。
自分としては人並み以上に仕事にも趣味にも邁進してきたつもりだったが、35過ぎたあたりでふと、自分が大した実績も社会的に誇れる立場も無いということに気がついた。具体的に書くと、
・未婚・彼女無し
・見た目:歳相応にオッサン化が進行中
俺と同じで若干オタク寄りだが、みんな明るいし、自分の趣味に邁進してて毎日が楽しそうに見える。
ただ、上であげた項目が完全に共通で、社会的見地にしたがって見れば良い点がなく、むしろ詰んでいるように思う。
俺も友人も学は無いが機転が効き現場では重宝されているタイプだと思う。
ただ、上手く使われてるだけで出世は出来ないようだ。
世渡りが下手なのかもしれない。
時代も悪かったと思う。少し歳上の連中が役職を占め出世するにも席がない。
若い時、仕事ができる奴は勝手に出世してるさ!!と中途半端な実力主義を標榜していた結果、このザマだ。