はてなキーワード: 媒介とは
絵を描くのはいいことだよとは違えないで伝えたほうがいいとは思う、せっかくのウデマエだし、本人もとてもかしこくてなかなかできることではないと思う、すごいことだよ。
二次創作の何がどうなのかは著作権法の説明をしたほうがいい、公式が許可している場合も多い。
最後に、お金のやり取り自体がだめなのではないが、未成年は法的に契約ができないことから、金銭を媒介してはいけない、もしもするなら成年であり、親権のある保護者を介してやらないと、不都合が生じたときにどう責任をとるのか、依頼が出来上がらなかった場合は?相手が気に入らないとごね始めたら?もらったギフトカードが違法な場合は?と色々ややこしいことになるので、親と一緒にするくらいでないとだめだろうと思う。保護監督責任になると私なら考える。
海外のニュースなどを見てると割と悲惨な結末になりそうだなってのが分かって来たと思う。
コロナに感染して死ぬというのが最悪の結果ではあるけど、仮にコロナに感染しなくても生きてるのが苦しくなりそうだ。
今後時間が経ち誰もがワクチンを打てる状態になるほど、職業によっては、ワクチンの接種が採用の条件になるのは予想できる。
医者(鍼灸師、整体師、薬剤師)、看護師、教師、保育士、接客業務のある人、小売業 etc
不特定多数と接してウイルスを媒介しうる企業、団体においてワクチンの接種を拒む人間を雇用するリスクは大きすぎるだろう。
公私を問わず団体として採りうる手段を採ったかと感染の責任を問われる場面で、反ワクの権利を保障したので・・・という言葉は弱い。
一人の権利と自由は、不特定多数の命を脅かすに値する価値があるか?と問われれば俺はNOだし、多くの人の答えもNOだろう。
こうなると反ワクチンの人々は、就職するにしてもかなりの制限を受ける事になる。
人と接する機会が極めて少ない職業で、かなりの専門性を必要としない、誰でも出来る様な仕事がどれほどあるだろうか?
そういった仕事でも業務によっては出来ないことが増える。例えば警備員。
道路交通整理の警備員は野外だし一人で立ってるだけだから出来るかもしれないが、イベント警備のような仕事は任されないに違いない。
多くの仕事で複数の応募者が来た場合に、ワクチンの接種をしている人と、それを拒む人がいれば、企業は自然にワクチンの接種をした人を高く採点するだろう。
こんな風に就ける職種が減り、収入が減り、ますます追い込まれていくんだろうなというのは容易に予想が出来る。
反ワクチンの権利を守る事も大事だけど、彼らの為に不特定多数の多くの人間の命が脅かされる事は全体の不利益でしかないし、社会は自分たちが死にやすくなる不利益は受け入れないのも容易に予測できる。
もしかしたら店によっては、客として入店する事すら拒むようになるかもしれない。多くの他の客の安全を、個人の身勝手な自由が犯す権利があるのか?という問いへの答えは残酷なものになるに違いない。
世界中で傾向は決して変わらんだろうし、就職の際にワクチンの接種の有無を聞いてはならない的な施策は受け入れられない。ワクチンを進んで打った多数派は、誰も反ワクチンを守ろうとはしない。
もともと反ワクチンは愚かだけど、その代償を病気で死ぬのではなく、仕事を失うという形で払っていく事になるという予想は外れないと思う。
誰も無理やりに接種を求めることは出来ないし、打たないという意思を尊重しても、仕事をする上でワクチンを接種した人が優先されるという当然の流れが、反ワクチンを追い込むだろうな。
そして、反ワクチンの貧困可哀想物語がたくさん生まれて、自業自得と石を投げられることになるんじゃないか。
まぁその覚悟を決めて生きてってください。
偽相関って言いたいのかな?
でも男女の別が腕力の有意な差を示し、腕力の高い方がDV加害者になりやすいということまで認めているなら
今年からまた少しずつ行けるようになって。
で、第5波が来て。
関東に住んでる友達は結構行ってるレポ見るけど地方の子はほとんど自粛してるんだよね。
大っぴらに言えないからしてないだけかもだけど。
そういう私もめちゃくちゃ感染対策して気をつけて行くつもりだったけど、自分が感染しなくてもウイルスを媒介する可能性あるんだと気付いて萎えてる。
ワクチン2回打ったけどインフルと一緒で打ったって重症化が防げるだけで罹患するかもだし。
前に働いていた会社でクラスターが起きて、知ってる人が亡くなったり中等症で入院してる話を聞いてからめちゃくちゃ怖いんだけど。
みんなどうやって心に折り合いつけてるの?
考えるの本当にだるい。
あれだけ広告打ちまくって、それなりに人気あるような作品とガンガンコラボして、どこからその金が出てるんだ……?
自分の観測範囲内にやってる人間がいないだけで実はそれなりに人気があって儲かってる…のか…?適当でもスマホゲームの売上出してるサイトで調べてみようとも思ったけど、AppStoreやGooglePlayストアとかの媒介サイトでアプリ出してないから全くわからない。でも売れなきゃこの規模で展開できないよな。下手したらモンストパズドラFGOとかの売れまくってるスマホゲームより広告出して、ソシャゲコラボ数ランキングがあったらトップを走るやり方やってるんだから。
それとも何処かの石油王が道楽でやってるとか?そっちの方がまだ納得できる。昔から続いてて固定ファンが強いわけでもないゲームが、何億とか何千万ってかけて開発したゲームでも速攻で死んでいく戦国時代にここまで生き残ってるってどうしても納得できないんだよな。そんなに実は面白いのかと軽く触ってみたけどこの広告費とコラボ代を払えるほどのパワーは全く感じなかった。
本当にどこから金が湧いてるんだ。知ってる人いたら教えて欲しい。地味にずーーーっと気になっている。
人口数について簡単に解説したけど、そのついでというかこんな話も。
ホロコーストは誤解が多いというか、そんなに簡単でも無い話なのは間違いない。日本人にありがちな多くの誤解の一つが「アウシュヴィッツがドイツにある」というものだろう。日本人に取って縁遠い話だし、義務教育の世界史でも大して詳しく教科書に書いてあるわけでも無いから仕方ないが、ドイツ本国ではそんなに沢山のユダヤ人は殺されていないだとか、強制収容所と絶滅収容所は違うだとか、ソ連でも現地虐殺部隊(映画では例えば『炎628』は有名だが、あんな風なことが実際にあったかもしれないけど、その多くはピットを使った銃殺である。現実の現地虐殺は映画にしたら正視に耐えないだろう)でたくさん殺されたとか、細かい話をし出すと訳がわからなくなるかもしれない。
そんな多くの無理解や誤解の中でも、「ヒットラー・ナチスドイツは計画的にユダヤ人を大量虐殺した」なる言葉に対する誤解があると思う。「計画的」とあるから、何やらナチスドイツはユダヤ人絶滅のために綿密なプランを策定してから絶滅計画を推し進めたかのように捉えられがちだが、実は全然違う。むしろ、最初から計画されたものではなかったと、今ではほとんどの歴史家が同意している。昔は意図派と機能派と呼ばれる歴史家グループが盛んに論争したそうだが、最初から計画的=意図的にユダヤ人絶滅を進めたという説はこの論争に敗れ去ったようである。私個人は、ナチス内部の権力争い・主導権争いがユダヤ人絶滅を引き起こした原因だと考えているが、ユダヤ人絶滅がヒトラーの夢でもある事は間違いなかったと考える。そうでなければ、親衛隊だけでなく、ナチス全体、国防軍までユダヤ人絶滅に協力するなんてあり得なかったろうからだ。
しかし、ユダヤ人絶滅は、当初は確かに単なる支配地域からのユダヤ人の排除だった。そして当初のユダヤ人排除のマスタープランであったマダガスカル作戦がバトル・オブ・ブリテンでのドイツの実質的敗北によって実行できなくなった為、ドイツ人地域を東方へ拡大するというヒトラーの目論みと共に始まったバルバロッサ作戦、すなわち独ソ不可侵条約を勝手に破ってソ連領へ進撃すると、今度はヨーロッパのユダヤ人をソ連地域へ追放するという東方移送計画が生まれる。ところが、この独ソ戦の見通しの甘さから、最初こそ快進撃だったものの、1941年末には戦線が拡大しすぎて膠着状態に陥ってしまう。
しかし、ユダヤ人のポーランド地域などにあるゲットーへの移送(要するに狭い地域に押し込めることによる排除政策)がずっと続いため、とうとうゲットーは悲鳴を上げ始めた。で、ゲットーに集めておいて、さらに移送させるなどという面倒な事はやめて、ユダヤ人を殺すべきだ!との声が実際に上がり始めたのである。現実には、共産主義と結託していたとみられたソ連地域のユダヤ人は危険と見做され、ドイツ軍の進撃とともに、現地で絶滅させられる動きが既に始まっていたからであろう。
このような流れの中、1939年頃から既に始まっていた障害者絶滅作戦であるT4作戦を、ユダヤ人絶滅に流用する形で、ガス殺による大量殺戮が実施されていくのである。だから、毒ガスの代表格であるとされる青酸ガス=チクロンBは最初は用いられず(実験的に使用されたという説もある)、T4作戦を引き継いだ形での一酸化炭素ボンベから始まったのだ。もっとも、最初はポーランド・ポズナンでの精神障害者虐殺からスタートしたものをその辺の地域のユダヤ人殺害に転用しただけのことである。そのうちに、ガスボンベ積載車で地域を移動してガス殺を行うようになり、それがガソリンエンジンの排ガスを使えば手っ取り早いということで、本格的なガス車へと移行していく。
このガス車によるユダヤ人殺害が、その近くにあったリッツマンシュタット・ゲットーでの「ユダヤ人なんか殺すべきだ!」との声に呼応する形でヘウムノ収容所で利用されるようになっていく。こうしてまず最初の絶滅収容所であるヘウムノ絶滅収容所がガス車を持ちた形で稼働し始めたのである。リッツマンシュタット・ゲットーのユダヤ人を絶滅させるために。ヘウムノは一旦1943年中に活動を終えたのちに、1944年に短期間だけ再稼働され、トータルで15万人以上のユダヤ人が虐殺されたと言われる。
これがいまいちよくわからない。ベウジェツ・ソビボル・トレブリンカはラインハルト作戦収容所として、ユダヤ人絶滅目的だけのために建設された収容所であり、かなり計画的なものであった事は間違いない。しかし、アウシュヴィッツはラインハルト作戦の収容所ではなく、そもそも一般の強制収容所・捕虜収容所であり、絶滅の機能はあとで追加されたものであった。ではどのような経緯で絶滅収容所に設定されたのか? これが司令官だったルドルフ・ヘスの証言の中にしか出てこない話で、ヘスは記憶を誤って証言したりしており、はっきりしない。最初のガス室はアウシュヴィッツの基幹収容所で始まったのであるが、最初にガスで殺されたのは、1941年当時大勢いたロシア人捕虜だった。だが、この時確かに毒ガスを、アウシュヴィッツでは他の絶滅収容所とは違ってチクロンBで行くと決めたのである(チクロンB自体はマイダネク収容所も使っていたが、マイダネクでは一酸化炭素ガスやガス車もあるようで、これについては実態が不明瞭ではっきりしない)。
そして、アウシュヴィッツ・ビルケナウで本格的なガス室によるユダヤ人大量虐殺が始まったのは、実はアウシュヴィッツ基幹収容所のガス室(観光用に公開されているガス室)でもなければ、有名なビルケナウのクレマトリウムでもなかった。ビルケナウの敷地外にある農家を改造した、日本語ではブンカーと呼称されるガス室からだったのである。このガス室は二箇所あったが、一箇所は既に影も形もなく、もう一箇所はほんの少しだけ土台を残す程度であり、おそらく一般にはあまり知られていないだろう。ここで、おそらく1942年3月頃から1943年3月頃の一年の間に15〜20万人程度のユダヤ人が虐殺されたと考えられる。なお、同時に基幹収容所の第一火葬場のガス室も使われていたようであるが、ここでは併設の火葬炉を死体処分に使っていたのだが、この火葬炉の数が少ししかなかったため、一度のガス室での殺害人数の少なさや焼却処理能力に問題があり、毎日使うなどは全く無理であり、トータルで一万人もガス殺はされていないと言われている。このガス室は1942年末で使われなくなった。
では有名な、ビルケナウのクレマトリウムはどうだったのか? 実は当初はこのビルケナウのクレマトリウムにはガス室は設定されていなかったのである。元々は純粋にビルケナウの囚人用のために設定された火葬場であり、のちにガス室となる場所はただの死体安置所であった。これが、どうしてガス室に変わったのかは、事情は複雑である。この謎については、実際にはとっくの昔にルドルフ・ヘスが自伝にその理由を書いていたのだけど、細かく解き明かしたのは、1989年に発表されたJ-C-プレサックという薬剤師(プレサックは当初はホロコーストを題材にしたSF小説を書こうとしていたのである)による『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』である。
ヘスは自伝で、ブンカーのガス室殺害遺体は、最初は単に近くにピットを掘って、埋めていただけだと書く。ところが、この大量遺体の埋葬が衛生的な問題を引き起こしたので親衛隊トップのヒムラーの命令で、アウシュヴィッツを含めた各地の大量埋葬地の遺体をもう一度掘り起こして、焼却処分することになった。だがアウシュビッツでは焼却の始まる夏の終わりまでに10万体もの遺体を埋めていたため、これを焼却し切るには昼夜を問わず延々と焼却をし続ける必要があった。これが問題化する。夜でも煌々と光る焼却の炎は何キロも離れたところから見えるほど目立ち、ものすごい煙で悪臭が周辺数キロにまで漂い、地域住民は全員がアウシュヴィッツで大量殺戮を知ってしまう事態へと発展してしまう。すでにある程度はガスによる大量虐殺の情報は外部へ漏れてワルシャワの地下組織などに伝わっていたが、この焼却はなんとニューヨークタイムズで報じられるまでになってしまう。
実は、ビルケナウのクレマトリウムにガス室を併設する案は、これが原因だったのである。野外焼却をこのまま続けるのは秘匿性の観点で問題がありすぎるので、ビルケナウの焼却場で遺体焼却を行い、それなら基幹収容所のガス室同様、焼却等に併設してしまえということになったのだと考えられる。そして、ソ連やアウシュビッツ博物館の資料から大量の図面を入手していたプレサックは、クレマトリウムに重大な設計変更がなされていることを見抜く。1942年の夏頃の図面にはあったはずの地下死体安置所に死体を下ろすための死体シュートが1942年12月19日の図面から消え去っていたのだった。これはどう考えても、死体が地下へ自分の足で降りていくことを意味するとしか考えられない、とプレサックは自著に記述したのである。他にも、死体安置所の扉は内開きだったのが外開きに変更されていたり、その後の図面では外開きの一枚扉に変更されていたりと、結論としてプレサックは、やはり多くの証言どおり、図面には死体安置所としか記述されていないそこは、ガス室である事は間違いないと決定付けたのだった。なお、証拠はそれだけではないのだがややこしくなるのでここでは省く。
修正主義者達はどんなことがあっても、ガス室だけは絶対に認めない。知恵の限りを絞り尽くしてでも、ガス室を否定する論拠を導き出し、それがどんな出鱈目でも採用しようとする。有名なアルフレッド・ロイヒターなる死刑技術コンサルタント(当時彼1人しか全米にいなかった)がカナダの修正主義者、エルンスト・ツンデルの扇動罪に関する裁判で、有名なロイヒター報告を裁判に提出した(しかし裁判所から証拠採用されなかった)。曰く、アウシュヴィッツのガス室とされる場所の採取サンプルを分析すると、極めて微量のシアン化成分しか検出されず、ガス室などなかったと結論付けられると。「極めて微量」というのは、チクロンBの合法的な使用方法である害虫(疫病を媒介するシラミ)駆除をしていた害虫駆除室のサンプルと比較して、という意味である。しかし、これは分析のルール違反であった。なぜなら、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンBの使い方は同じガスを使うというだけで全く異なる使用方法であり、さらに、害虫駆除室はガス処理は二十四時間が基本(ガス殺は1日あたり一回で30分程度)、その使用状況の違いから害虫駆除室ではプルシアンブルーという極めて安定したシアン化合物を生成しており(殺人ガス室にはなく、通常の壁表面などに浸透したシアン成分は安定度が低く、水などで大半は洗い流されてしまう)、これをロイヒターはサンプルにしているのだからほとんどインチキなのである。なお、余談的ではあるが、このロイヒターのアウシュヴィッツにおけるサンプル採取は完全に違法であり、無許可である。その上、ロイヒターらは入ってはいけない施錠された部屋の施錠を勝手にぶち壊したりして入ったりもしており、無茶苦茶であった(それをあろうことかロイヒターのチームはビデオに収めて堂々と公表しているのだから呆れてしまう)。
その数年後に、ポーランドのクラクフ法医学研究所がアウシュヴィッツ博物館側の正式依頼でロイヒター報告に対する対抗調査を行なって、プルシアンブルーを除外した上で分析した結果、殺人ガス室であると断定できる濃度のシアン成分を殺人ガス室から検出している。しかし、修正主義者は、クラクフの調査方法の方がインチキであるとして全く譲る気配はなかった。ともかく、修正主義者は、ほんとに知恵の限りを絞り尽くしてでも、そこはガス室絵ではなかったという結論を無理からにでも捻り出して、断じて認める気配はない。プレサックの死体シュートの話だって、実際には設計変更が工事の進捗状況に間に合わず、死体シュートが作られてしまっていたことを理由に「死体シュートはあったのだから死体シュートは実際に使われたのである」などと、設計変更のことを無視したりしている。だが、その死体シュートが使われた証拠は何もない。
そう簡単な話でもないという事は少しは理解してほしい。もしホロコーストを勉強したいのなら、修正主義なんかから入らず、まずは普通のホロコースト関連書籍を読むべきである。どうしてユダヤ人迫害がホロコーストに発展してしまったのか、あの時代はどんなことがあったのかなど、先に歴史を学ばないと、修正主義にコロッと騙されると思う。ガス室ひとつとっても、述べたようなさまざまな経緯の中で成立したものなのであって、予断を可能な限り廃して、普通の真面目な歴史学者・研究者達の記述内容に従うべきだろう。
消費社会において、クリエイターと消費者を取り持って金を媒介として作品を流通させるのはブローカー/プロデューサーであって、彼ら商売人こそが主宰者なんだよ
クリエイターは商材であり、本人がちやほやされるのはアイコンとして販売促進にプラスだからである
芸術が王侯貴族のものであった時代から、商業芸術全盛の現代にいたるまで、芸術家が主宰者であったことはほとんどない
もちろん主宰者となる芸術家も多くいるがそれは既に商売人といえるだろう(M.T氏など事例はいくらでもある)
ブローカー/プロデューサーなくして芸術など存在しない、認知されない
一般消費者の受容なくして商業ベースにのることなどないのだから、集合知を通して一般消費者こそ芸術の創作者であるともいえる
映画を撮るのは金がかかる。かといって小説として書くのにもある種の困難が伴う。
だって同じ文に対して同じような反応がいくつも得られたとしても、その反応を示したそれぞれ読み手の頭に浮かんだ心象風景はだいぶ異なっているかもしれない。
漫画でいうならそれこそ絵で読者の反応を操作させるようなことが、小説だと文から心象風景(漫画でいうなら絵に当たる)を媒介してしか反応を操作できない。
しかもその心象風景さえ読者の頭の中のブラックボックスになってしまっていて、その好感触や悪い反応がどういう心象風景に基づくものかもわかりようがない。
ある文を書けば万人が唯一の心象風景を思い浮かぶということだったら、しかもそれが書き手の目に見えるものだったら、反応に多少のばらつきがあったとしても、文と心象風景が連動しているのだからフィードバックさせられる。そうやっていけばいずれ心象風景とともに反応を理想のものへと収斂させることもできる。そういう意味では漫画は書き手と読者で同じ絵を共有しているわけだから随分やりやすい。
だけど小説は文も心象風景もそれに対する感想も何一つ一対一に対応しない。しかもブラックボックスなのである。
映画なら「迫力がない」と言われればとりあえずエキストラを増やしてみればいいかなと見当のつきそうなことも、小説では読者がそもそも心の中において何を見ているかが分からないから立つ方策も立たないのである。
だからといって映画は資金(調達)力がないとだめだし、小説のような長編化もスターウォーズ並に売れないと無理って意味でハードルが高いわけだけど。
まだ子供は幼児なので想像になりますが、人間関係は子供を媒介とした新しい繋がりもあるようで、悪いことばかりではなさそうです。
妻につられて、表に出さないまでも、自分も感情の起伏が激しくなったのは感じます。
人の態度がゴロゴロと変わるのは勘弁してほしいと思いつつ、子供いなかったらスッと過ぎてしまう人生を考えると、バシバシくるのもアリなのかなとは思ったり。でも二人もいたらキツいなと思ったり。
今朝は喧嘩しましたが、一昨日は2人で子供が寝静まった後に修学旅行の夜みたいに話しました。人生が何なのかよくわからなくなりますね。
少数の人間が富を貯め込めないということは富を貯め込むためのツールであるお金だとかの価値が暴落するってことだから世界規模で平等を図ろうとするととんでもないインフレが起きる気もするんだよね。
要は貧しい人間が本当に分配を求めている資源というのは食糧であったり、住む家であったり、製造業で使われる各種原料であったりしてお金はそれを媒介するためのものでしかないわけだ。
そういうものに対する先進国の購買力が落ちないことには途上国の人間がそういう富を得ることはない。
つまり先進国の人間がお金をちらつかせて途上国から安く物を買い占め、その代わりに現地の人間には買えないくらいに価格が上がってしまうという現象が起こらなくなる必要があり、その過程で先進国の貨幣価値は激減する必要がある。
まずは『集団感染で集団免疫を得る』とかほざいてたカルトどもを吊るしてからにしようぜ
■ 2020-11-10 (anond:20201110102709)
アメリカのネトウヨを輸入してる日本のアホはワクチンは無意味・開発出来ないって騒いでたがな
割と日本のアホは配慮が必要な域にあると思う。ネトウヨと明確に区別してよい
見本 ↓
さすがにワクチンに期待するのはノー天気過ぎると思うが・・
■2020-06-28 anond:20200628132752
しかし副反応のないワクチンなど無いことだけ理解出来ればいいよ
[ナショジオ] MERSワクチン、開発が進まない理由
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9272/?ST=m_news
コロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院、ジョン・スノウ冠教授で同大学院感染症・免疫学センターのディレクターを務めるW・イアン・リプキン(W. Ian Lipkin)氏は、
「もし世界中の全ての人にワクチンを接種するとしたら、ある人がワクチンに対して副作用を起こす可能性は、MERSを発症する可能性よりも高いだろう」と話す。
◆予防の鍵はラクダ
SARSのときにはウイルスを媒介する動物の駆除が制圧を早めたように、MERSのさらなる感染拡大を止めることが何より望まれるという点では誰もが一致している。
リプキン氏は、最も有効なのがラクダだと期待する。MERSの予防ワクチンを人に接種するのではなく、感染拡大の鍵を握っているらしいラクダへの接種に焦点を移した方がよい。「宿主としてのラクダを根絶すれば、MERSを抑え込む合理的な一撃になるだろう」とリプキン氏。
ラクダ用ワクチンの開発であれば、人間用ワクチンの開発よりも安く、早く、容易に実現するだろうし、人間の場合に比べて安全性の懸念も小さいとリプキン氏は話す。
anond:20210605232432 anond:20210613003020 anond:20210615130655 anond:20210615134531 anond:20210620145240 anond:20210627164730 anond:20210627165930 anond:20210722120156 anond:20210728211540 anond:20210728211832 anond:20210829112603 anond:20210829113328 anond:20210829114355
「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団、新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
武漢研究所は長年、危険なコロナウイルスの機能獲得実験を行っていた|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ニューズウィークが新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)の武漢ウィルス研究所(WIV)起源説をぶち上げているがひどくお粗末だ。
なぜお粗末かと言うと、ほぼデバンク済みの『コロナウィルス人工説』である上にその中でも完全に粉砕されている『RaTG13起源説』を提唱しているからである。
RaTG13は新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)と最も近縁だが、これをいじってSARS-CoV-2を作ったという主張は既に反証済みなのだ。
詳しく説明しよう。
SARS-CoV-2とRaTG13のゲノムの相同性は約96%。しかしそれでは遠すぎる。
SARS-CoV-2の最も近い親類は、武漢ウイルス学研究所に保管されていたRaTG13という名前のコウモリウイルスです。このウイルスがSARS-CoV-2の起源であるという根拠のない憶測がいくつかあります。
ただし、
(i) RaTG13はCOVID-19が最初に発生した武漢(湖北省)とは別の省(雲南省)からサンプリングされました。
(ii) SARS-CoV-2とRaTG13の間のゲノム配列の相違のレベルは、平均50年(少なくとも20年)の進化的距離に相当します。
実際、Boni et al. (2020)の推定ではSARS-CoV-2とRaTG13が共通祖先から分岐したのは約39~71年前であった。さらに言えばSARS-CoV-2とRaTG13は祖先と子孫ではなく同じ祖先をもつ兄弟である。
研究室でRaTG13を培養して進化させてもSARS-CoV-2にはならないし、仮になり得るとしてもそれにはうん十年かかる。
WIVがRaTG13を見つける前、何なら研究所設立前から培養してなきゃいけないねえ。
Gain-of-Function research (GOF,機能獲得研究)には培養だけでなくゲノムを切り貼りしたキメラウィルスを作製する方法がある。これだ!
ゲノムを組み替えてキメラウィルスを作った場合、組み替えた部分だけ違っていて他のゲノム領域はほぼ同一になる。仮に組み換え後に培養を経ても変異の分布に痕跡が残る。
しかし、RaTG13とSARS-CoV-2の相違(変異)はゲノム全域にわたりほぼ均等に分布している(Zhou et al., 2020)。これはRaTG13のゲノムを組み替えてSARS-CoV-2を作ったとする主張の決定的な反証である。
これはRaTG13に限った話じゃないが、SARS-CoV-2は近縁のコロナウィルス(CoV)が持っていない特徴をいくつも持っている。
やつのスパイクたんぱくのRBD配列は2019年時点では他に類似の配列を持つものがいなかったし、フューリン多塩基切断部位とO-結合型グリカンも近縁のCoVでは見られなかった。
仮にSARS-CoV-2を研究室で作製するなら、これらの当時未知だった特徴をどうやって組み込んだのか説明できない。
意図的に組み込んだのではなく、培養中に進化して偶然できたと答えようにも、2020年に野生動物(センザンコウ)から発見されたCoVのもつRBD配列はSARS-CoV-2とほぼ同じだったという事実が立ちふさがる。
研究室の選択圧のもと進化した配列が、自然環境下で進化してできたそれと偶然一致するのはまずあり得ない。
あり得たとしても、『自然環境にはSARS-CoV-2に類似した特徴を持つ未知のCoVが色々いる』可能性の方がはるかに高い。
以上から、RaTG13に限らず当時の地球においてSARS-CoV-2を人工的に生み出すためのバックボーンウィルスを人類は持っておらず、このウィルスは自然環境下で進化したものだと考えるのが妥当である(Andersen et al., 2020)、と言うわけだ。
『RaTG13起源説』は科学的に完膚なきまでに粉砕されている陰謀論である。
“証拠がない”ではなく“否定する証拠がある”レベルの仮説である。WIV起源説に好意的な研究者ですら肯定していない。
ニューズウィークの記事の前編のタイトルは『「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団、新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!』であるが、『RaTG13はSARS-CoV-2の始祖ウィルスではない』という科学的事実の前には滑稽と言うしかない。
“「研究所流出説」を甦らせた”と言うのも嘘で、最近のWIVへの追及は『研究所経由説』とでも呼ぶべき新しい(本当は古いけど陰謀論に隠れて無視されてた)説による。
ニューズウィークの記事の前編も後編も、あれが怪しいこれが怪しいと疑惑をてんこ盛りにしていたが、その怪しさを全部『RaTG13起源説』に紐づけしたせいで、台無し。
過激な陰謀論がピックアップされてしまえば、類似のしかし陰謀論とはとても言えない“あり得る仮説”でさえ、十把一絡げに陰謀論扱いされてしまうという危機感を持ってほしい。
『RaTG13起源説』みたいな糞陰謀論で『研究所経由説』をつぶそうとするのはやめてくれ。
Andersen et al. (2020)やLiu et al. (2020)、Hakim (2021)など、SARS-CoV-2を研究室内で作り出すのは合理的に考えれば不可能であることがわかり、初期の雑い陰謀論(含『RaTG13起源説』)はだいたい駆逐された。
そのおかげで『ウィルスは自然起源だが拡散にはWIVが関わっているかもしれない』という元々あった穏当な仮説が台頭してきた。
SARS-CoV-2は野生動物に起源をもつが、WIVの研究員がそれを武漢に持って来たかもしれないと言う説です。厳密に言えば研究所起源の説ではありません。
最近の、WIVを追求する流れは主にこの説が念頭に置かれています。
SARS-CoV-2の起源に関する現在の最有力な仮説は以下ですが、
宿主(起源):祖先ウィルスの宿主。人との接触が少ない野生動物。コウモリが有力。
↓
中間宿主:人との接触が頻繁な動物。ウィルスを媒介するほか、感染中にウィルスが進化する場合も。SARSの時はハクビシン(有力)、MERSの時はラクダ(確信)、COVID-19では……?
↓
ヒト集団
中間宿主のポジションあるいは中間宿主とヒト集団の間のポジションに“研究員/研究所”を置いたのが研究所経由説です。
『ウィルス探してフィールドワーク。コウモリひしめく洞窟で、SARS-CoV-2に感染して武漢に帰ってきました』と言うわけです。亜種として『サンプルをラボに持ち込んでから流出しちゃった』バージョンもありますが大意は変わりません。
この説の利点は『まったく無理がない』ことです。ウィルス学的なエビデンスと競合することもなければ未知のウィルスをでっちあげる必要もない。
ウィルスに感染しているかもしれない動物やウィルスを含んでいるかもしれないサンプルを採取する立場の人が、その途上でウィルスに感染したかもしれないと言うのは非常に合理的な考えです。
もちろん、食卓に並ぶべく中国各地で採集された野生動物たちによって武漢の生鮮市場にウィルスが持ち込まれた可能性も当然あります。
あるいはミンクなどの家畜の群れでウィルスがサーキュレートしていたかもしれません。
たまたま山歩きをしていた市民がコウモリとバッティング(激うまギャグ)して感染した可能性もあるでしょう。
重要なのは、これが“あり得る仮説”であり、検証が可能であることです。
そう、検証が可能なのです。中国側が研究所職員・学生の血液サンプルや、武漢の血液銀行のサンプル(19年12月より古いやつ)を提供してくれれば、非常に多くのことがわかるはずです。
WIVの職員が皆陰性であれば、選択肢が一つ消え、他の仮説がより確からしくなります。
陽性であれば、その陽性者の行動を追跡することでわかることが多々あります。野外採集には行かず生鮮市場を訪れていれば、感染源は市場かも知れません。野外採集に行っていれば、その行先に祖先ウィルスがいるかもしれません。
あるいはWIVとは関係なく12月よりずっと前からCOVID-19が蔓延していたことが明るみに出るかもしれません。
WHOは19年12月よりずっと前に武漢でCOVID-19のような症状を出した人を見つけました。それも90人以上。
アメリカはWIVの職員3人が11月にCOVID-19のような症状で入院したのを明らかにしました。バイデン大統領は継続調査を求めました。
今、中国やWIVに対しての批判とはつまり、検証への非協力への非難であるともいえましょう。
何故データを出さないのか?出しさえすれば否定できる仮説に対して、何故データを出さずに否定しようとするのか?何を隠しているんだ?HEY!!
『研究所経由説を選択肢から外しはしない』という各国の研究者やWHOの声明は、ほっかむりは許さんぞという宣言なのです。
野生動物起源一本やり(WIVの関与は無視)にすると、どうしたって武漢の血液データへの追及は弱まりますからね。
親愛なるブックマーカー諸氏におきましては、同じラベルでも中身は違いますので糞(『RaTG13起源説』等)も味噌も一緒くたにしてしまわないようお願いいたします。
はてブを媒介にしてブログで長文を書き、金にはならない(そういう意味では無益な)論争が繰り広げられていたのはもう10年は昔と思うが、ああいうのは基本的に体力×時間が揃わないとできないのかもしれない。増田の長文も同様。30代くらいまでは長文を書き連ねてやり取りする余裕があるが、体力は下り坂に向かうにもかかわらず仕事に子供に介護に忙殺される40代以降は、物書きが飯の種だとか、物書きがライフワークみたいな人以外は長文族から脱落していく。
はてブを介したブログでの論争遊びはユーザーの高齢化と他媒体の発展によって衰退したが、増田への長文投稿には辛うじて新陳代謝がある。また、比較的高齢となったユーザーもはてブでコメントする程度の体力や時間はある。現状はこんなところではないだろうか。