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はてなキーワード: 大人の女性とは

2019-01-24

anond:20190124173101

いやいや、そういう事言いたいんじゃなくて、

女性主人公アニメたことない!男性優遇だ!」と「ジェンダー観はクソくらえですわよ!」と発狂しつつ、

かといって男向けのアニメはだめ、女児向けのアニメはだめ、「大人の女性主人公活躍するアニメ」を求めるのは破綻してねーかって思っただけ。

 

って書いてて思ったけど、求めてないな。むしろ存在しないほうがフェミさんにはたたける項目になるのだから都合がいいのか。

anond:20190124145614

あたし女だけど男性の影がない自立した大人の女性とか言っちゃう女の人って…

ここまで条件つけといて選り好みするくせに

自分で書いて発表するって選択肢がない時点で

女オタから見てもクソむかつく非生産オタクわよね〜

しかもこの条件からするに作品を楽しみたいんじゃなくて作品を盾に自分の振りかざす権威が正しいと言い張るタイプ政治屋系くさいし同族として迷惑から女性代表面やめろってお仲間にも伝えといて

@quzi23「この条件に該当するアニメってある?」

・自立して男に頼らない、主体的に動く女性主人公アニメ

サポートする男性キャラクターがいない、男の影が無い

女の子が戦って格好良いのが見たい(例:ドラゴンボールワンピースナルト七つの大罪スポーツ物でも可)

聖闘士星矢北斗の拳みたいに何かの為や世界の為に戦うというのが望ましい

戦闘時に技名を喋ったり、気合の掛け声が入るようなのは男性視点が入っているかダメ。例としてキルラキルの纏流子はダメとのこと。

恋愛要素が無い。あっても恋愛至上主義ではない

男尊女卑が無い

大人の女性が見て楽しめる

プリキュアのような女児向けは「女性向け」ではないのでダメハイターゲット向けのフィギュア大人向けグッズが出ているアニメ男性ファンが見るからダメ

・メインターゲット層が男性ではない。「女性も楽しめる男性向け」アニメダメ

男性原作者男性制作者といった男性視点が一切入らない「女性が考える女性向けの女性主人公」でなければダメ男性が考えた女性主人公名誉男性主人公となるのでダメ

・・例えばけいおん!監督シリーズ構成キャラクターデザイン、作画監督とメインスタッフ女性が起用されており演出絵コンテにも女性もいるが、原作者男性でメイン視聴者男性なのでダメ

萌え絵はだめ。「萌え」の基準空の境界約束のネバーランド魔法使いの嫁ヴァイオレット・エヴァーガーデンキノの旅リトルウィッチアカデミアOKまどマギひだまりスケッチラブライブ!NG

ベヨネッタキルラキルのようなセクシー系の格好はOK

進撃の巨人ミカサのような準主人公ダメ

・「幼女戦記」のようなタイトル気持ち悪いのはダメ。中身おっさんからダメ

群像劇女性主体ではないのでダメPSYCHO-PASSダメ。明確に女性主人公が良い。

魔法少女趣味じゃないかダメ(CCさくらセーラームーンなど)

・深夜帯放送じゃない、大衆受けしたメジャー作品だとよい

・2クール以上あるのは長すぎて見る気がしないらしいので短めがよい

理想バイオハザードクレアRDGレッドデータガール精霊の守り人ちはやふる攻殻機動隊パトレイバー

該当する作品なら漫画小説ゲームOKアニメ博士増田ならすらっと出てくるかな?

(追記)

・発端曰く「ドラマ女性主人公が多いのにアニメには少ない」が問題らしいので、実写コンテンツは除外

・「今流通しているアニメ女性主人公が少ない」のが問題らしいのであまり古すぎるのはダメ

・「じゃあ自分が作ってみればー」は「そういう作品が少ないのが問題という感想なので、自分で作れは論点ずらしでしかない」からダメ

(追記2)

質問内の矛盾理想作品がまず条件から外れているというツッコミは@quzi23にしてください。自分はこの人の発言から条件を抽出してまとめただけです。

2019-01-18

アメリカにおける童顔女性の扱い

こんまり流”片づけ術に米紙「君のときめきは間違ってる!」 _ きちんと整理された本棚なんて退屈なだけ _ クーリエ・ジャポン

https://courrier.jp/news/archives/149776/

この記事ブコメメイクの件が書かれているけどアメリカでは童顔女性は「大人メイク」しないと認められないみたいな社会的圧力というか童顔差別みたいのがあったりするんだろうか。というか勝手イメージだとありそう。例えばアメリカおひとりさまに厳しいみたいな話はちらほら聞くじゃん。友達いない恋人いない人の肩身が異常に狭いみたいなやつ。そのへんを背景にインセル社会問題になってたり。要するに「こうあるべき」みたいなのが強大すぎてそこに乗っかれない人に対する差別がやべーみたいな。んで、話戻って童顔女性。例えば記事こんまりは元々は日本人として見ても幼い顔立ちだし西洋においては小中学生くらいに見られてもおかしくないかもしれない。そういう童顔の大人女性にはすっぴんではガラス天井があったりするのかなと。

アメリカ在住の日本人女性とか、アメリカまれアメリカ育ちでいわゆるアメリカ人ぽい顔だけど童顔の女性とか、実態として童顔差別はあるみたいな話があれば聞いてみたい。

2019-01-16

胸が切なくなる増田文学5選

増田文学個人的な楽しみ方として、甘酸っぱい恋愛エピソードを掘り起こすというものがある。

アカウントが紐づけされてしまSNSブログでは小っ恥ずかしくて開陳できないようなエピソードでも、増田であれば気兼ねなく書くことができる。そのためか、何度も読み返したくなるような、読んでいてこちらまで胸が切なくなってくるような増田文学が眠っていることがある。

そこで、ブクマはそこそこ付いているものもっと広く読まれてほしい、恋愛エピソード系の増田文学を5つ紹介したい。


評判イマイチなアニメ映画観たらピンポイント直撃を食らい時が飛んだ

中学生時代の切ない恋心と別れ。アニメ映画打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と絡めて示される、まさかラストエピソード。当時好きだった人をSNSを介して確認できてしまうのが現代社会

書道教室のお姉さん

書道教室に通う小学生少年と、少し年上のお姉さんたち関係を綴った増田文学個人的にはこういうテイスト増田文学大好物なのだが、ブコメを読んでいると色々な感想があるのだなと思う。

鼻緒を直した話

古典作品の影響もあって「足フェチ」になってしまった高校生。彼が夏祭りで偶然出会った同級生は、草履の鼻緒が切れており……。一風変わった形のボーイミーツガール普段直接目にすることが稀だからこそ、素足の魅力は一層輝く。

黒ギャル

できるだけ増田文学100選には載っていない比較マイナー増田文学を取り上げる方針だったが、これは特に気に入っている作品なので敢えて紹介したい。

人生のふとした局面に現れる黒ギャルとの淡い思い出。個人的には2つ目のエピソードがとりわけ好み。この空気感を味わうことができる増田文学もっと読んでみたい。

あまりにも好みの男の話

ここで取り上げた他の増田文学主人公(書き手)が少年(男性)だが、この増田大人の女性側の視点で書かれている。そして他の増田文学キスもしないようなプラトニック関係に終始するのに対して、この増田ではセックスまで描かれる。でもどういうわけか、不思議童貞処女心を擽られる構成になっている。質の高い短編小説を読んでいるかのような感覚


気になった増田文学から是非読み進めてみてほしい。

2019-01-10

anond:20190110155653

異性愛同性愛も、死が二人を分かつまで愛し合えるから問題無いんですよ。

ところが、ロリコンは、美幼女は愛せても成長して大人になった美人は愛せないという致命的な欠陥を持ってるんです。

これこそまさに「治療必要がある」疾患そのものですよ。

離婚するカップルはみんな致命的欠陥ですなぁ

少なくとも、ロリコンには大人の女性を愛せるように「治療」してあげるべきなんだ。

少なくとも同性愛者には異性を愛せるように「治療」してあげるべきなんだ。

こんな話がかつてありましたねぇ。

anond:20190110155317

異性愛同性愛も、死が二人を分かつまで愛し合えるから問題無いんですよ。

ところが、ロリコンは、美幼女は愛せても成長して大人になった美人は愛せないという致命的な欠陥を持ってるんです。

これこそまさに「治療必要がある」疾患そのものですよ。

少なくとも、ロリコンには大人の女性を愛せるように「治療」してあげるべきなんだ。

子供向けコンテンツの死

子供が減ってる

今の40歳の2/3が今の20歳、1/2が新生児

まり子供だけを相手おもちゃを売ってたら、20年前から75%程度に規模が縮小してるってことだ

俺が幼児だったころ、ミンキーモモ犯罪者大人が見てて話題になったそうだ

あの頃はまだ、アニメ子供のものだったか

そこから徐々に、大人アニメを見るものってのは定着してきて、1998年ごろからエヴァスレイヤーズなんかが流行って、完全にアニメ大人オタクは見て当たり前になった

ハルヒなんかが流行ってきた頃は完全にファッションオタク普通になり、秋葉原観光地化して、アニメはただのポップカルチャーになった


それに比べて、完全なる子供向けコンテンツはどうだろう?

ドラえもんポケモンプリキュアは当初は完全に子供のものだったはず

でもドラえもんは30年以上、ポケモン20周年、プリキュアも15周年を迎え、かつての子供を完全にターゲットに捉えている

ドラえもん映画はかつての子供の同窓会がコンセプトで、大人映画館に来てもらおうとしている

ポケモンも君に決めた以降は完全に大人ターゲット

プリキュアは、相変わらず幼児向けだけど、今年の映画は初代を大きく打ち出したものだったし、かつてプリキュアに触れた人なら誰でも戻りやすいように、全プリキュアが登場する作りになっている

ハグプリの社会問題踏み込む姿勢はてブでも何度も話題になった

大人への影響を意識してるのは明らかと思う

コナン安室大人の女性に大人気で、ファッション誌とコラボったりしてるそうな

信じられない!


子供向けではありながら、もはや子供だけを対象にしたコンテンツ経済活動として成立しなくなると判断しつつあるわけだ

これは子供向けコンテンツが死んだことを意味するのだろうか?

失敗した作品は、そう言わざるを得ない

ただ、子供騙しは子供にすら通用しないもので、大人が楽しめるクオリティのものを、子供でもわかるように落とし込んだ作品は上質な作品になる

から子供向けで、今もなお子供向けなのに、たくさんの大人の愛好者がいる作品は本当に上質なのだ

ディズニーアニメは最たるもの

ただ、真面目過ぎても、ね、という感じがするし、何にも残らないようなくだらない作品コンテンツも、もっと沢山沢山あってもいいものだとは思う

それが文化的多様性だしね

それは、webマンガ深夜番組には今も残っているけど、夕方四時のくだらないアニメなんかは今の子供たちには馴染みのないものになってしまったようだ

その点は少しさみしい


あと、最近気になるのは、子供をダシに大人射倖心煽り、単価を引き上げるコンテンツもあるということ

ガオーレなんかそうだよね

アイカツ、プリチャン、ガオーレ、ゲーセン担体と結び付けて、市場が減った分を客単価を上げて稼ぐ方法

こっちにいくとあまり上質とは言えない

大人を引き込む、客単価を上げる、もうひとつある手は、海外展開

ポケモンはもう完全にグローバルだよなあ

まあ、なんだ

子供が4歳近くなってきた俺にとって、もう一回子供として遊べる、親としての今を、なかなか楽しんでいる

これが孫の時代になっても、また孫と一緒にポケモンプリキュアで楽しめる日本であってほしいと思う



追記:

最後まで読むと、子供向けコンテンツは死んだものもあるが、長く続くものは死なずに老若男女広く受け入れられるもの進化している、という論旨で書いてるのに、「いや死んでないだろ」「今はこんな子供向けコンテンツあるぞ」と書かれるとは結構衝撃です

かに、死んだコンテンツをさみしく思っていたり、肯定的表現で「くだらない」を使ったりはしてて、斜め読みとか、タイトルに引っ張られたまんまの人には読みにくいのかもしれないけど

釣らずに正確にタイトルつけるなら、「子供向けコンテンツは死んだのか?」か、「子供向けコンテンツの変容」なんだけど、ここまで読めずにタイトルに釣られっぱなしになるとは思わなかった

まあ、釣ったから伸びてるんだけどさ

次回から気をつけよっと

だいたい、「名作劇場はよかった」ではなく、「奇面組とかトンチンカンはよかった」が正しく読めた反応とも思うんだけどなあ

あとは、もう20年後に子供向けコンテンツが、上述の三要素により存続できているのか?ってのも大きな興味でした

昔のコロコロみたいな要素は減ったよね、とか、YouTubeかにはにくだらない方面の子供向けコンテンツごまんとあるぞ、ってのは正しく読んでくれた上での正しい指摘と思いますし、むしろ大人けが減ったとか、嗜好はそのままで年をとってるだけ、みたいなのも正しいご指摘と思います

2018-12-22

初めてガンダム観たけど「アルテイシアにしては強すぎる」って台詞

めちゃくちゃ笑っちゃったんだけど、よくよく考えると悲しい台詞だ。

旦那に勧められ、最近ガンダム00と初代ガンダムを並行して観た。両方ともアニメとしてすごく面白かったし、自分ガンダムに対して抱いていた偏見(パイロット少年たちは戦争兵器であるモビルスーツに憧れて乗っているものだと思っていた、ガンダムテーマ性を全く理解していなかった)が解消された。どちらかと言うと初代ガンダムの方が話も絵柄も好みだった。今は引き続きZガンダムを視聴している。


以下、初代ガンダムを観て思ったこと。

・あのOPから想像できないくらい、全編にわたって重い話だった。もっとマジンガーzみたいな感じかと思っていた

ガンダムの表情が豊か(ロボットの描き方が今ほど安定していない)。たまに鼻の下が伸びまくったガンダムを見ると可愛いなと思う

シャアは「仮面グラサンを使い分けるクールイケメン」というイメージだったが、視聴後は「悲しい過去を持つ、心がぐちゃぐちゃのイケメン」になった

アムロ想像以上にいい奴だったし、正統派主人公だった。特にカツレツキッカがホワイトベースを離れるかもしれない時の「小さい子が殺し合いを見るの、よくないよ」みたいな台詞が忘れられない

・一番好きなキャラはカイさん。きっと子どもの頃観たら嫌いだったんだろうなと思う(でもタイプの男はブライトさん)

ミライさんに対して「皆はセイラさんやマチルダさんに夢中だろうけど、オレはお前の魅力を“理解“ってるぜ…」的な感情を抱いていたので、元恋人スレッガー中尉ブライトさんへのアレコレを見てショックを受けた。勝手に恋して勝手失恋した。今はセイラさんが好きです

ジオン側だとランバラルさんが誰よりもカッコよかった。今Wikipedia見てたら35歳と知り腰を抜かした

ニュータイプであることにアムロは驕っているものだと思っていた。全然そんなことなかった

最初の方で頻繁にあった、シートベルトがぐわんぐわんするシーンが大好きだったのに後半なくなったのが悲しかった。でも00でその演出が使われていたのを観て「やっぱり皆好きなんじゃん!!!」と嬉しくなった


一番印象に残ったのが、記事タイトル台詞

シャアって「スマートでかっこよくて白い歯を輝かせながらいつも余裕の表情で笑う爽やかなイケメン」ってイメージ(偏見)だったから、二話にして「アルテイシアにしては強すぎる」って台詞をかなりマジのトーンで言っていたので、はちゃめちゃに笑ってしまった。

でも話が進むにつれシャアの生い立ちやセイラさんの過去が少しずつ明らかになっていくと、その台詞全然笑えなくなった。シャアの中でのセイラさんが、全く成長していないことに気がついたからだ。

全編見終わってから振り返ると、この台詞シャアいつまでも過去に囚われていることを端的に表現した言葉なんだなと思う。シャアの中のアルテイシアは、きっと今でも「キャスバル兄さん」と無邪気に笑いかけるような、優しくて美しい妹なんだろう。幸せだった時代を共に過ごした存在(過去象徴)なのだから彼女の成長にシャアの心が追いつけないのも仕方ない。

これだけなら「悲しい過去を背負ったイケメン」にイメージアップデートされていたと思う。でも後半、彼の目的が「ザビ家に復讐すること」からニュータイプ世界を作る」的なものに変わっていったと分かった回で、私のシャアに対する印象が変わった。そこにララァという、昔の作品に描かれがちな「男性にとっての理想的女性」がシャア大事な人として登場したことによって、さらに混乱する。

単なる復讐だけなら、私の感性でも理解できる範囲人間だった。でもかつて父が目指した理想体現しようとしたり、ありのまま自分を受け入れてくれる少女(※大人の女性でないところがポイント)に心を許してるっぽいシャアを見て、「シャアってもしかして、めちゃくちゃねじ曲がってるんじゃないか戦争が彼をこんな風にさせたのか?」と、なんとも言えない気持ちになった。

ララァ女性像についてや、精神的に未熟な年頃の少女を寵愛するシャア批判がしたいわけじゃない。そういう描かれ方は、意図的ものだと思っている。

ただ戦争に巻き込まれたことによって、生き方や人の愛し方が変わってしまったシャアララァのことを思うと、本当に悲しい。シャアララァの互いを想う気持ちと、ランバ・ラルさんとハモンさんの想い合う気持ちって絶対違うじゃん。前者は歪みを感じるけど、後者はそれほど感じないっていうか…ハモンさんが自立した大人の女性っぽく描かれてたのが大きいと思うんだけど…何が言いたいのかだんだんからなくなってきた。


とにかく、ガンダムはめちゃくちゃ面白かったです(雑なまとめ)。43話とは思えないボリュームだった。

昔のアニメって、思わずそのキャラバックボーンを考えちゃうような演出台詞が多いような気がする。それが物語に奥行きを持たせて、いつまでも人の心に残る作品になるんだろうと思った。エンタメとしての完成度も高いけど、感性に訴える面もある感じ。

マジで何が言いたいのか分からなっちゃったから終わりますZガンダムNetflixのあらすじ見たらカイさん登場するらしくてワクワクする。ていうかZになったら急に絵が上手くなっててびっくりした。あと全然書いてないけど、00もめっちゃ面白かった。絵が苦手で当時見なかったことを後悔した。大好きなコーラサワーさんが大好きなカティさんと結ばれてハッピーだった。変わっていくことがテーマだったろうあの作品の中で唯一(たぶん)初志貫徹した彼が、私にはなぜだか一番眩しい存在に思えた。おわり

2018-12-21

アラフォー専業主婦の没落

先日、結婚前にお付き合いをしていた女性から突然Facebookメッセがあった。付き合っていた期間は半年ほど。

もともとモデルなどをしていた女性だったが、当時お互い三十路になろうかというところで結婚意識し始めていたのだが、結婚直前にモデル撮影会と称した若干いかがわしい撮影会に参加していたことがわかり、それがきっかけでこちからお断りした。

 

その後数年たってこちらも記憶の彼方に押し込んでいたが、いまさらメッセで、あのときの恨みつらみを述べられた。

 

まぁ、こちら妻子いる身なので特段相手にもしなかったのだが、彼女SNSを見てみるとその後そこそこ年上の大手企業役員クラスの方と結婚されたようで、専業主婦としてそれなりに裕福な暮らしをされているよう。

高級スポーツカーを買ってもらい、毎日エステジムに友人とのホームパーティにと自分磨きを欠かさない模様。

 

モデルをしていたこともあるからオーディションに参加したり、ライブ配信などもされているようだが、

たまたまツイッターを見つけたところ、書いているのは旦那への罵詈雑言。そしてなぜ自分が愛されないのかといういじけ。

自分意見や考えに合わないユーザに対しての攻撃などもあり正直大人の女性がすることではないなと。

上記はかなりオブラートに包んで書いているが、言わせてもらうと40近いババア10の子が出るようなオーディションに参加しているなど傍目から見ても痛々しいし、ライブ配信アーカイブを見ても私が知ってることとは比べ物にならないくら容姿レベルも落ちているのに、自己満足の陶酔にひたり夫の給料で買い与えてもらっている高級品をこれ見よがしにアピールしながらも自分は誰からも愛されないなどとよく書けるなぁと。

私は振った側なので、今後どうとということはなく、結婚しなくてよかった、と安堵するところではあるが、

やはり専業主婦で暇で時間を持て余しながらも自己顕示欲が強く未だに過去を捨てされない人間こうもゆがんでいくものかと、毎日楽しみにしながら彼女ツイッターを眺めている。

2018-11-29

anond:20181129131157

うんうん、

セクハラは止めろ!なんて口うるさくいったら男性に反発されるから逆効果

大人の女性なら角を立てないようやんわり指摘したり上手くかわしたりしましょうね」なんて言ってるのも沢山いたよね

でもそれじゃ世の中なーんにも変わらないんだよね

世の中を変えたのは、それは断固許さないと言って裁判まで起こしてきた女たちだよ

2018-11-12

職業柄、少女大人の女性になっていくのを観察してしまうことがある

そんなときに、ファウストの一節を思い出す

「時よ止まれ、お前はいかにも美しい」

こういったのも理解できる

2018-11-02

anond:20181102125927

えっ、少数派は何かを自称しちゃ駄目なの? 意味が分からない。

名付けがないことが気に入らないなら、大人の女性プレイヤーが好きに何かを自称すればいいんじゃないの?

anond:20181101205330

アメリカだと峰不二子系の「セクシーで、賢く強く自立しているヒロイン」でも「男に媚びている」と言う事で女性には割と嫌われるらしいね

でも日本だと、「セクシーで、バカで弱くて男に頼るヒロイン」か、

「賢く強く自立しているが、性的には異常に未熟・或いは貞淑ヒロイン」がデフォルトから

前者は「女をバカにしている」、後者は「性的に抑圧されていて息苦しい」と考えている女性一定数いて、

そういう女性が「セクシーで、賢く強くて自立しているヒロイン」を好む。

「賢く強くて自立していて、更に過剰に色気もふりまかないが男が好むような『未熟さ・貞淑さ』もなく大人の女性として自然な性行動を取る」ヒロイン

そもそもなすぎるので。

女性向けであれば普通にいるが、男性向けだと少ない)

まあ最近時代が変わって、男性向けでもそういうヒロインも出てきてるけど。

2018-10-27

anond:20171106015657

子どもセックスをしたいと言う欲望は、私にとって「人を殺して食いたい」と言っているのと同じくらいおぞましく感じられます

主さんが言ってる事をよく考えましたが、

LGBTロリコンは全く違う問題です。

同じ文脈で語らないでいただきたい。

腹が立ちすぎて初めてこんなところに書き込みしました。

子どもセックスをするということは、殺人レイプと同じ、名前がついた犯罪なんです。

同意があるとか無いとかそういう次元問題ではありません。

それを、何歳からなら同意できる、理解できるなどと言って社会的にセーフにしようとする風潮がおかしい。

このエントリーについているコメントだけを見ても

子ども自分恋愛関係をもって幸せセックスをすることが可能だと信じているくそが多数存在することがよくわかりますね。

全員ちんこを切り落として山に埋めてやりたい。

大体の子どもはセックスの事なんて知りません。

知らないことをやりたいと思う事はありません。

もし女児性的欲求を持ったとしても、

その対象となるのは、同世代相手か、あったとしても誰が見てもかっこいいと思える若めの男性くらいでしょう。

幼かろうが、何歳だろうが、女性きもいおっさんセックスをしたいと思う事はありません。

小児性愛者は、大人の女性に拒絶されるのが怖いか

子どもを性欲の対象とすると言われますよね。

それが全てでは無いとしても、

意味を分かっていない子どもは、大人キスされても

体を触られてもなにも言えない

怖くて嫌だと思っても、どうしたらいいのかわからず、笑うことだってあるかもしれない。

それを同意ととらえる、都合よく解釈して

子どもの体を傷つけて自分快楽のために搾取する

男性は、その時気持ちよかったらそれでいいですよね。

女性は、入れられたからと言って

絶対気持ちよくなれるとは限らないんです。

多分大人にいれられたら、痛くてたまらないと思います

怖い、グロい、気持ち悪い、痛い、

女の子は一生忘れられません

一時も頭を離れることは無いんです。

私は大人になってからやめとけばよかったなと

思うセックス経験しました。

私がばかだっただけですが、言いくるめられて、

いかなとその時は思って、同意しました。

自分意思ではっきり同意しても、やっぱり後悔して、気持ち悪くて

忘れられなくてこれからも一生思い出すんだと思います

私の経験から主観的意見にすぎず、

そんな事は何の意味もないと批判を受けるかもしれません。

でもこうしている間もそんな目にあっている子どもがいる事がかわいそうで悲しくて涙が出てきます

BBC記者子どもサイズセックスロボットを見て涙を流したのは、「子どもセックスがしたい」と言う欲求日本では社会的容認しているんだ

と言うことがわかったからでは無いでしょうか。

私も同じ気持ち日本社会には心底絶望しています

ロリコンでは無い人からしたら

人殺して食いたい」と言っているのと同じ

恐ろしい、おぞましい欲望が、普通の事として認められている。

それを批判されたら、逆にめちゃくちゃ多くの人が擁護するためにバッシングする。

おかしいですよ。

小児性愛者への差別はなくなりません。

だって差別ではないもの

それはおかしいんです。

社会からなくならないといけないことです。

ほんの一部の人間ではありますが、

小児性愛者がいて、発言権がある、なんとかセーフに持っていこうとする。

そういう人間が堂々と存在することが最悪です。

2018-10-21

anond:20181021111030

当時のインタビュー漁ってみたけど

「コンセプトは子供からおじいちゃんまで」ただし「特に大人の女性ターゲットに」ということなので確かに子供向けとは言い切れないわ。

あとレイトン企画脳トレブーム以前から進んでいて、むしろ脳トレブームを見て急遽差別化を図ったと言ってるから脳トレにハマった大人狙いというのは違うな。

2018-10-10

[]若おかみは小学生!

若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこ作品書籍漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。

総評

これは120点っすな。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。

演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思いますふるぼっこドン

この映画に関してはTwitter児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。

喪失を乗り越えるという話

じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。

初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいますトランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイト挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります

若おかみは小学生!』って言うタイトルから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。

「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽美術演出あいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術レベルは高かったです。

でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。

小学生児童にとって、両親を失うというのは、最愛家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界崩壊かいレベルでの悲哀なわけですよ。

にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。

異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故フラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。

あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。

自分自身と居場所を見つけるという話

そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます祖母である旅館経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。

事実おっこの若女将雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的社会人価値からすれば)行き過ぎな面もありました。

でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。

たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。

おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから女将をとりあげて、じゃあ不安定彼女精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。

だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてもの現代社会において、大学卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。

そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点傲慢物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。

おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います

ふたつの話の交差点

おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去ある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます

幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデル出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。

まずは旅館女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女個人人格職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとロリしました。

二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います

(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)

三番目は宿泊客である占い師グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこ宿泊客は、都心部事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています

抑制的な演出描写される彼女鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女着付けを手伝います浴衣経験のそんな彼女艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。

ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?

私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来自分」「目指すべき形」です。

祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師自分仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。

別れ

ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊少年やおませな幽霊少女出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこ幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます

でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。

見終わってから気づいたのですが、この作品幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています

おっこは自分の中の勇気かしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。

すべてのフィクションファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。

でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチューム身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います

ps.おう真月ちゃんパート書き足したで!

anond:20181010132614

何を想像しているのかわかりませんが、女の子じゃなくて女って言ってるんだし、相手成熟した大人の女性です。

2018-10-07

anond:20181007184850

嘘だと思いますよ。

創作物でもAV女優でも、自分相手と実際に関わるわけではないのに「自立した大人の女性が怖いから」なんておかしな話だと思います。。

痴漢などの犯罪にしても相手との関係を築くわけではないでしょうに。

ついでにいうと、子どもと関わるのはロリコン批判者が言うほど簡単ものではなくて、成人相手以上に気を使う覚悟でないとやっていけないものだと思います

anond:20181007184850

世間一般が思い描くロリコン像は

ロリコンは自立した大人の女性が怖いから、ロリコンになるのだ」

なんだけど、実際に犯罪で捕まるロリコンは、

既婚者が大半なんだよね。

宮崎勤のように、確かに大人の女性との付き合いが出来なくて、猟奇的ロリコン殺人に及んだのではと思われる事例もあるけれど、

どうも先天性というか、生まれつき、ロリコン欲求を持ったまま普通に成長している男もいるのが現実

anond:20181007184850

癒されロリ漫画を読んでる層は大人の女性を恐れてそうだけど

ロリ凌辱系の人は純粋ロリで性欲を満たしたいだけに見える

ロリコンは自立した大人の女性が怖いから、ロリコンになるのだ」

これって本当?

日本ロリコン男が多いとか言われてるけど、最近共働き世帯が増えて、男性女性に自立を望む人が増えたように思うけど社会健全化してるってことなのかな。

2018-10-05

anond:20181005123649

大人の女性が、自分意思で選んだ服が、ボディコンなのは、その人の意思尊重するという大義名分があるけど、2次元の絵とかヴァーチャルものは、作られたものから意味合いが違うよね。

anond:20181005115236

リアルで言う、「超可愛い子」にしか許されないリボンカチューシャ

リアルだと「幼児」にしか許されない、だよ。

大人どころか小学生でもあんなのつけてる奴いない。

幼児だったら幼児ってだけで可愛いから、誰がつけてても可愛いんじゃない。

オタク幼児ですら顔の良し悪しを見て「可愛い子でないから許せない」とか言うかもしれないけどまともな大人のする事じゃないよな)

幼児の格好を大人の女性にさせたがる、ってのもオタクロリコン呼ばわりされる所以だと思う。

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