はてなキーワード: タブーとは
息子は幼い頃からNHKスペシャルの人体、人体Ⅱを録画して繰り返し見るくらい、身体の成り立ちや仕組みに興味を持っている。なので、基本的なことはだいたい理解しているのだと思う。
そんな下地があるからか、月経とそれに伴う身体の不調について説明した時もすんなり理解して、私が月経の間は子どもだけでお風呂に入ってくれるようにもなった。
自分が性の話題はタブーとされた家庭で育ったから、月経を恥ずかしいことでもなんでもない、当たり前の身体の仕組みなんだと息子に伝えられたことは良かったと思ってる。
そんな息子が未だに解けない謎がどうやって卵子と精子が受精するのかということ。子ども向けの図鑑には、受精については説明があっても、セックスについては当然説明が無い。まだ幼稚園の頃から何度も質問されたし、今でもなぜ結婚していないのに子どもができるのか、などと聞いてくる。だいたいのことは理解できているのに、きっとそこだけぼんやりしてるんだろうな。それは知りたくもなるよね。
これまで子どものいろんな質問に真摯に向き合って答えてきたつもりだけど、セックスについては自分の中の抵抗が強すぎる。とりあえず、もう少し大きくなって適切な時期になったら説明するね、と毎回逃げている。
だけど、子どもが真正面から質問してきたことに目を背けてしまったことがずっとひっかかっている。これで良いんだろうか。
当たり前の生の営みをフラットに伝えたいのに、なんでこんなに抵抗を感じてしまうんだろう。結局のところ、私はセックスを恥ずかしく隠すべきことだと考えていて、息子に知られたくないし、想像されたくない。性をタブーにしたくないとは思っていても、ここが自分の限界らしい。
まぁでも、自分が子どもの頃に親からセックスについて真正面から説明されたら嫌だっただろうし気持ち悪く感じてしまっただろうなとも思う。
テレビ、新聞、週刊誌は、政治報道に強いが科学技術については弱い。
Webメディアは米メディア記事の翻訳なので国内はあまり取り上げない。
大学の報道能力が低いという問題もあるだろうが、難しいことは取り上げない。
取り上げても内容よりも研究者の人格にフォーカスする。もしくは懸念事項を取り上げるだけ不安を煽る。
報道されないので、国内投資に繋がらない。アメリカ企業は報道されるので海外投資は拡大している。
投資をした時点で外部にどこに注力しようとしているのかわかるので嫌う企業もあるだろう。
スパコンの富岳のように成果を出したとしても、日本の他社にお金を払うなんてとんでもないという状況もあるだろう。
経産省などの資料を見ていると、ヤフーニュースなどで話題になっていることにアンテナを張っているのはわかる。
国が科学投資をしているが、成果を省庁が把握しているかがわかりにくい。文科省が悪いのか?
日本の研究アセットについて把握できてるのか。優秀な人はいるはずだが。
紫綬褒章などで表彰はしているが、メディアで広がった後。未踏はあるが取り上げられる人数が少なすぎる。
アルファベットがスーパーシティに投資してるから、これからはスーパーシティだ!というようなキャッチアップだけに注力している気がしてならない
SNSもヤフーニュースやtogetterで話題になったものしか広がらない。
共感されるものが広がるので、より共感される内容を!ということで、難しい科学技術の内容は広まらない。
広まらないので省庁の人も把握できない。
科学技術について情報強者はいるのか?(政治やGAFAについては日本の報道をほぼ見ている人はいるだろうが)
アメリカが強いのはリンクトインやGoogleなどで人の流れと成果を把握しているしているからではないだろうか。
人口が減っていくのを見越して、イスラエルのようにお互いけん制しあうより、ビジネス的に助け合う方向に変わった方がいいと思うがどうだろう。
みんな炎上情報に魅かれてしまうが、SNS上ではメンバーや意見の相違があり過ぎるし、そもそもSNSは意思決定の場ではないのに、意思決定をしようとしてより炎上し、一向に解決などしない。
政治や炎上に関しての研究者が毎日ウォッチするのはわかるが、他の専門家や技術者が毎日数時間時間を費やしている状況はどうなのか
「海外のコンテンツ(アイドルでも映画でもテレビでも芸能人でもなんでも)はスタイリッシュで豪華でかっこいい、それに比べて日本のはクソ」っていうパターンの言説、100万回聞いたけど、人の好きなものをダサいとか言うな。
昨今ようやく自分の好きなもん上げるために他を下げんなってかなり言われてきてんのに、この言説だから許される風潮が理解できん。民度を疑うし、言われて気分の良い人はいないだろ。
日本はもともとkawaii文化が完全に浸透してて、徹底的にスタイリッシュに振られても人間の熱量や立体感を感じられない人の方が多いんだ。日本人が常に人間性を重視すんのはドラッグで捕まるとそいつの作品がタブーになることからもわかると思うけど、人間の温度が伝わらないサイボーグ的なものは日本ではウケづらい。
そして仮にこの考えが間違ってたとして、日本で海外コンテンツが爆発的に流行るときが来るとしても、それまでの日本コンテンツをぶっ叩いていい理由にはならんし、それを好きだった奴は何年経ったってクソと言われればお前を憎む。日本で何が流行ろうが、人の好きなものを尊重できない人間に何かを好きになる資格はない。感性が違う人間もいて当たり前だろうが。お前らの大好きなダイバーシティはどこ行ったんだ。
それに最近のそういう奴らが言うスタイリッシュはミニマリストみたいなただのシンプルで少ないだけだったり粗末なだけで日本にないから良し悪しもわからずただ有り難がってることもめちゃくちゃ多い。これも本当にウザい。お前のは単に外人コンプだ。
日本のエンタメ界がこれでいいとは思わない。問題点は山ほどある。ただ、日本のエンタメの批評は根本的に日本のエンタメを好きな奴だけがしろよ。ハナから好みじゃない奴は海外モノを追ってればいい。日本人のムラ社会根性丸出しでぶっ叩くのがキモチイイ奴に限って海外コンテンツをやたらageるのはなんなんだ。やっぱ外人コンプか。お前のコンプを他人の好きなものにぶつけんな。
こっちからすりゃ、サイボーグみてーに同じ顔した言葉もわからん外人がスチャスチャした薄くてチープな音で踊ってるMVをスタイリッシュとは思わねーよ。そんなこと普段言わないだけだぞ。こっちが言わないんだから、お前らも言うな。お互いに言うな。
20年近く前の話。
高校の部活の先輩のネット友達の大学生の文章が好きだった。彼のことも好きだった。
まだテキストサイトがあった頃。村上春樹にかぶれつつダメなオタクの匂いがする彼の日記が好きで繰り返し繰り返し読んでいた。
少しメールのやりとりもしたけど、あんまり覚えていない。うれしかった反面自分が彼に相手にされていないのを感じてかなしかった。
高校生なりたての私からしたら大学生はとてつもなく大人で、扱い方のわからない子供として扱われているのを感じた。
でも文章のリズムがとてつもなく好きで、何度も繰り返し読んでいた。
高校の先輩はその大学生でないネット友達と彼氏になってはしゃいでいた。
性交渉をしたんだろうな、とおもわれる日記を書いたりしていた。私はまだ処女だったけど舞い上がりすぎている先輩には正直ひいていた。
文化祭の日、先輩は彼氏とネット友達を部活の展示に連れてきた。
会ってみたい、話してみたい気持ちはあったけどウブウブのウブなので顔なんて合わせたら一瞬で好きなのがばれてしまうのがこわかった。
私は展示のバックヤードに逃げた。女子校なので、パブリックに見えないところは女子更衣室みたいなものだ。私は複雑な気持ちにぐらぐらしながらも安心していた。
でも、先輩はあろうことかバックヤードに彼らを案内した。複雑な気持ちのエントロピーが全部恐怖と怒りになり、頭が真っ白になった。
私はたまたま手元にあったカッターを手に取って、たぶんものすごい勢いで先輩ごとバックヤードに入ってきた男性たちを恫喝した。
彼らは逃げ、私は先輩に「浮かれるな」とかそんなことを言った。泣かせてしまった。ほかの先輩が慰めていた。
今考えても彼女は実際浮かれてタブーを犯したんだけど、とはいえ思い人に引き合わせてやりたい気持ちもあったんだろう。
誰がどんな気持ちでどんな思惑を持ったかは置いておいて、とうぜんだけど大学生からは連絡が来なくなった。とてつもないものを壊してしまった。
私はあの日どうしていたらよかったのか何年か繰り返しあの日を思い返して苦しくなっていた。
今朝夢に大学生だった彼が出てきて、気持ちがツーンとして久々に思い出した。増田に流して供養する。
あの時普通に会えなくてごめんなさい。男の人を過剰に怖がるあまり、あなたを傷つけてごめんなさい。私はあなたに会う価値なんてないおかしい女の子でした(今もおかしいけど)
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追記:
> 読み直してようやく人間関係がわかった。ABCD使ってくれていいんやで。
昨今感想屋とか、おけパとか面白い単語が流行っているのだけど、その中でも「こっち側」の人間の意見を見つけられなかったので自分用のメモとして書いておく。
好きな推しCPが出来て、親しい仲間内で同時に作ったアカウントだった。
当初は親しい身内だけフォローして他には誰とも繋がらず、互いに推しの絵を描いたり各々の好きな話をしてキャッキャと遊んでいた。
今思うと、私はこれが好きだった。私の求める二次創作は、好きな絵を描いて、好きな妄想をして、親しい友人と分かち合って、原作を考察したり。それで充分だった。
なので同人誌とかを作る気も起きなかった。神の絵や同人誌を読むのはもちろん好きだったけど、仲良くしたいなんて微塵も思わなかったし。何しろ住む世界が違うので。
ただひたすらそうやって友人と楽しく過ごしていたら、フォロワーが増えていた。
他の友人も新しい友人を作って遊んだりしていたので、楽しそうだなあ、と思いながら絵を見た事がある人を探してフォローを返した。
相互フォローを増やして、楽しく会話した。もちろん以前からの友人とも同じように話した。
フォロー外からリプライも来るので、それなりに返事をした。漫画や絵をアップすれば感想が来るので、ありがたく返事した。
そんな中で、友人から「クソマシュが来た」という報告を受けた。
今思うとこれは「おけパ現象」だったんだけど、つまり私と親しくするな、お前が親しくしていい相手ではない みたいな内容だったらしい。
全然意味がわからなかったが、私は友人が傷つくのは嫌だし、ツイッターで会話するのをやめた。ディスコードで喋ればいいし。
程なくして、私はそのクソマシュを送った相手が最近相互フォローになって楽しく会話をしていた相手だという事に気づいた。
なんでああいうのって匂わせツイートみたいのしてしまうんでしょうね。
「あの人にはいいねするのに、私にはいいねがないのは実力不足なんだな・・・」
今まで自分の事だなんて微塵も思って居なかった謎のツイート群が、友人とツイッターで絡まなくなったら途端に消えたので察した。
ちなみにTLが高速で流れていいねができないなんて普通だし、親しい人間は脳直でリプライできるからすぐ返してしまうだけです。
私が何だかツイッターに違和感を感じ始めていた頃、別の友人が最近始まったソシャゲにハマっていた。
序盤だけでいいからやって!と言われ、推しの論を説かれ、普通に面白かったので面白かった、とツイートした。
友人が描いて!というからちょっと絵も描いた。友人はとってもとっても喜んでいたので私は嬉しくなった。
が、まあこれは予測できた事態なんだけど、「もう〇〇は描かないんですか?!」「ジャンル移動するなら垢消せ」みたいなリプやマシュマロが届いてしまう。おけパ現象も発生した。
意図がよくわからないけど、「〇〇のジャンルは落ち目だから早く覇権の〇〇に移動した方がいいですよ!」とかも来る。
私は自分のジャンルや推しを捨てる気は更々ないし、覇権だから好きになるなんて言う事は全くないので普通に気分が悪い。
ただ、私も不注意だったなあ、と思い、今後一切そのジャンルの話や絵は出さない事に決めた。友人とは鍵垢で喋ればいいし。
それでも推しCPの事は好きなので、絵を描いたりしていたものの、様々な要因から喋りづらいのは事実なので日常ツイートをした。
日常ツイートでタイムラインを流されるのを嫌う人が居るのはわかっている。なので1日2、3ツイート程度。
内容も「好きな服セールで買った」「このお菓子うまい」「髪切った」とか毒にも薬にもならないツイートだった。
ただ不可解な事に、そんなどうでもいいツイートにすら大量にいいねやリプライがついてしまうし、
あげくの果てには「私も同じ服を着たい」「あなたがこのお菓子を食べていたので私も食べた」「同時に髪を切りたい」などとのリプライが届いた。
最初はギャグだと思っていたのだけど、どうやら本気のようで、なんだか私は肝が冷えた。
ライフハックを真似る事は私もあるけれど、私のそれはただの日常行動で、インフルエンサーとして生きている訳でもないし、ただのオタクです。
きっとこれが嬉しい人もこの世には居るんだろうけど、私は単純に怖かった。
なんとなく怖くなってきた私は信頼できる相手だけいる鍵垢にこもり、最終的にインターネットも見ないで過ごした。
私は多趣味な方で、絵を描くのも一つの趣味だと思っている。お金を稼ごうとか、命をかけようとか全然思っていない。
インターネットを見なくても、絵を描かなくても、お菓子を作ったり、DIYをしたり、筋トレをしたり。コロナの中でも楽しく生活をしていた。
親しい人間とはLINEとか、別の媒体で会話をしていたし孤独も無かった。そもそも孤独を厭う方でもないし。
そういう訳で数日後久しぶりにツイッターに顔を出した所、怒涛の勢いで自分の事を心配するリプライがフォローフォロー外問わず届いた。
「死んだかと思った」「あなたが居ない間毎日毎日寂しくて辛かった」「あなたがツイートしてくれないと生きる意味がない」みたいなあまりにも重たい文章が並び、私はちょっと青ざめた。
これが家族とか恋人なら仕方ない部分もある。しかし顔も本名も知らない私にどうしてそこまでの感情を持つのか、理解できなかった。
もうツイートはやめて、鍵垢で過ごそう、絵も鍵垢にアップして最初みたいに、仲間内だけでキャッキャしよう・・・。
そう思って鍵垢で過ごしていたものの、なんと鍵垢を捜索され「どうしても心配だったので鍵垢を見つけて、生きている事がわかって救われた」などとDMを貰った。
ああ、もうだめだ・・・と思った。私がインターネット上で生きている事がもはや義務だった。そんな義務のためにツイッターを始めた訳では無かった。
きっと皆私よりツイッター自体を重たく所持している。そんな中で私がツイッターを軽んじすぎているのかもしれない。それなら尚更よくない。
私が数日間居なくなっただけで大騒ぎしている人々が、私が垢消しした時どんな反応をするか想像できたけど、結局私からしたら顔も名前も知らない人でしかない。
自己中心的と言われればそれまでだけど、私は自分のためにアカウントを消した。
きっと半年もすれば皆新しい神を得て私の事は忘れてくれると思う。
実はこれ、はじめての事ではなくてもう何度も繰り返している。
どうしてこうなるのか自分ではわからないし、人にも相談し続けて来たけれど、皆首をひねるばかりで同じ立場の人間が居なかった。
実際最近の諸々の件を見ても、こっち側の悩みを持つ人は探せなかったし、まあ、言えないよね・・・という部分もある。
ただ少数派でも居るには居るんじゃないかと思うし、あと、もうツイッターのアカウントを作るのはやめよう・・・という誓いを込めて記した。
多分大多数のひとは私の気持ちがわからないし、羨ましい!身勝手だ、享受すべき、なんて考えると思う。
でも私がアカウントを消してしまったのは事実なので、もしアカウントを消して欲しくない神が居る人は、こういうケースも考えて欲しいな、という話。
最後のDMの件だけ説明不足だったので追記するけど、DMは開放してない。
すべてを実行する必要はないが、費用対効果が高いものをリストアップしていく。
娯楽が多いという魅力のほかに、明らかに就職活動での面倒さが異なるので大学は東京一択。理系は文系より忙しいのがネックだが、現代は明らかに理系出身のほうがチャンスが広い。
四則演算ができないなどの学習障害がなければ、多少数学や理科が苦手でも理系を選んだ方がいい。大学入ってしまえば、微積の計算がクリティカルになることなんてないのだし。
就活を見据えると、どういうわけかインターン経験は強い。プログラミングでもデザインでもなんでもよいから、「業績は伸びているが人が足りていない」ところに潜り込んでおく。Twitterとかでインターン探してます!とか言えばどうにかなる(食い物にしてくる人もいるから、そこだけは気をつけよう!)。一度インターンで働いたことがあるというのは、バイトやサークル活動とは比べものにはならないほどバリューがある。
有名企業のインターンは高学歴とかで埋まっていることが多いが、自分の実力で無理そうなら有名企業にこだわる必要はない。猫の手も借りたいようなベンチャーも存在する。大事なのは、とにかく次の項目で述べる大企業に入るための面接での材料にすることだ。
就職活動時にはとにかく大企業に行くことを考えよう。人によっては新卒カードを使えるこの時期だけが有名企業に入れるチャンスだったりする。
大企業に確実に採用をもらえる方法はないが、確実に不採用になるタブーを踏まなければいつかなんとかなるのだから、とにかく心を折ることなく数を打つ。
有名企業に新卒で入ったことは後々の人生でプラスに働く。あなたがいかに不甲斐なくても、「大企業出身」のブランドを永続的に手に入れるチャンスだ。
大企業であれベンチャーであれ、新卒社員には給与テーブルが存在する。つまり、入社からの年数で年収がほとんど決まってしまう。
ごくまれに仕事で成果を出しまくって抜擢されるような場合もあるが、このページを読んでいる自堕落なあなたは想定される給与レンジを上回ることはないだろう。このように新卒のラベルが付いているうちは、給与テーブルを逸脱することができない。そのため、転職によって不連続的に年収を高める。
転職をする方法はいくらでもあるので割愛する。大事なのは、「多少高くてもいいから人が欲しい」業界や企業をリサーチしておくことと、いくら年収が上がるオファーなら引き受けるかを決めておくことだ。
社会人になって自由に使えるお金があると使ってしまうので、すぐに使わないお金は運用に回しておく。必要になったら現金に戻せばいいだけなので、実際には自由に使えるお金が減るわけではない。
確実に上がる株を見つけられるわけがないので、全額SP500で良い。減ることもあるが、とにかく気にしない。生活は定収入により賄い、投資は長期的(必要になって現金に戻すまでに)に勝てばよい。
人間は賢くないので、孤独のままでいると偏った思考に陥ったり愚かな選択をしてしまったりする。ここまでの経験してきた学生・インターン・同僚のうち、信頼出来るヤツや、コイツになら信頼されたいと思えるヤツを大事にしておく。これは仲間でも恋人でも同様だ。
各種のステージでの選択を行う際に、それが実現可能かをジャッジしてもらうとよい。
・田舎に住んでた時、投票所の受付に顔見知りの役場のおじさんがいた。投票の帰り、「今日誕生日だったんだね、おめでとう」とLINEが来た。グループLINEでの交流だったので連絡先を知ろうと思えばできた。誕生日は受付表でチェックした時に知ったんだろうなーと…このゆるさ、田舎だもんな、と。何かしらの情報がこうしてお役所さんでも漏れていくんだろうなと感じた。
・4年前夏の参院選、職場のグループLINEで40代男性の先輩が「この人を支持する」とアツイ一人議論を展開。その候補者はないでしょ(もちろん落選)、って感じだったので未だに選挙がくると思い出す。15人くらいのグループなのに特に誰も反応してなかった。やっぱり宗教観や政治の話ってリアルにするとどこか気持ち悪さ、居心地の悪さを覚える、タブーだよな。わたしの考え変じゃないよな、と安心。数人がグループを抜けたのでわたしも安心してグループを抜けた。
…
先程TwitterTLで「組織から特定の候補者への投票指示には従わなくていいよ!」を見かけて「自分の意思以外で投票するやつなんているわけないやろ!」と思い返した次第です。
Black Lives Matter運動、違和感がありつつもうまく言語化できなかったんだけど、色々読んでいくうちに違和感の正体がわかった気がした。
たとえばロヒンギャへの支援を訴える運動は、ビルマ政府のロヒンギャ弾圧はひどいよね! ビルマに圧力をかけてロヒンギャ弾圧をやめさせよう! というものであり、世界中でひどい扱いを受けているイスラーム教徒として連帯しよう! みたいな運動ではない。
ウイグル人やチベット人の抑圧を訴える人たちも、中国政府の扱いはひどい、中国政府は弾圧をやめろ、と言っているのであって、全世界的に仏教徒やテュルク系民族は弾圧されてる! ということが言いたいのではない。
本来、Black Lives Matterもそういう運動、つまりアメリカの黒人はアメリカ政府やアメリカの警察に弾圧されている、アメリカ政府ひどいよね、世界のみんな、アメリカに圧力をかけてくれ! という話だったらよく理解できるんだよね。
でも、全世界的に黒人がひどい扱いを受けてる! それぞれの国でBlack Lives Matterを叫ぼう! 日本でもBlack Lives Matterのデモをしよう! って言われると、は? ってなる。
確かに日本にも黒人差別はあるし、オコエ瑠偉とか大坂なおみとかが差別された体験を語ってるから、日本にそんな問題はない! って言うつもりは毛頭ないけど、警察官が特定人種ばかり狙って射殺してくるとか、無抵抗の被疑者の首を押さえつけて窒息死させたとか、若い黒人男性が刑務所にブチ込まれまくってて黒人コミュニティが崩壊してるとか、そんなんはアメリカだけの問題だろ!
10年以上前にFree Tibetが盛り上がってて日本でもデモをやってたけど、あれは中国はチベット人への弾圧をやめろ! 日本からも中国に圧力をかけるのを手伝うぞ! という運動であって、日本のチベット人差別はけしからん! という訴えではなかった。
でもBlack Lives Matterは、少なくとも東京で行われたデモは、アメリカは黒人差別をやめろ! 日本からもアメリカの警察に圧力をかけるぞ! という運動ではなく、日本の黒人差別はけしからん! という運動になっている。
なんかおかしくね?
なんでアメリカ人って自分たちの問題=世界の問題だって思い込んじゃうの?
こういう、自分たちの問題=世界の問題、アメリカの差別事情=世界の差別事情だって思い込むアメリカ人の自己中心性っていうかアメリカ中心主義、見事にアメリカおよび英語圏の持ってる権力に由来するものだし、非英語圏出身のアジア人からすると「け、権力勾配~~~!!!」って感じがすごいするんだよね。
ローカル事情を自分たちの母語で叫んでるだけで全世界に訴えを聞いてもらえる身分の人たち、肌が白いか黒いかを問わず普通に特権階級だと思うんだけど、どうも連中にはその自覚がないらしい。
まずは自分たちの特権を自覚したらいかが? 日頃自分で言ってることなんだからできるでしょ? としか言えない。
それでもってそのローカル事情に基づいて出来上がったローカル基準をまるでグローバルスタンダードみたいな風に装って他国にも押し付けてくるし、押し付けることのできる権力を持ってるわけでしょ。アメリカ人が自国内でブラックフェイスをタブーにしてる分には知ったこっちゃないけど、全然文脈が違う日本にそれを持ち込んで、褐色キャラのコスをするレイヤーさんに文句つけてるのとかもうわけがわからんよ。
繰り返しになるけど、日本にも黒人差別はあるし、それは是正されるべきですよ。でもそれはアメリカにある差別とは違うものだし(日本の方がマシと言いたいんじゃなくて、歴史的背景も社会の人種間関係も違うんだから当然問題点も処方箋も違ってくるでしょという話)、アメリカ大使館に向けてならともかく日本社会に向けてBlack Lives MatterとかI Can't Breatheとか言われても日本の警察に捕まった外国人はちゃんと息しとるわお前らの国の警察とは違うんじゃという話になるわけで(日本の警察の人質司法や外国人差別を無視していいとは言ってない)。
というか日本では白人も「ガイジン」として差別されてて、黒人とのハーフだけじゃなく白人とのハーフだっていじめやからかいの対象になるんだから、日本の黒人は日本の白人と連帯して非日系のエスニック・グループとして日本人による差別と闘った方がいいんじゃねーのと思うんだけど、まあ彼らは“全世界的な白人至上主義”(これ指を頭の横でクイクイしながら言うフレーズね)と闘う方が重要らしいから、白人と「同じマイノリティ」として連帯する気はなさそう。あのね、知らなかったかもしれないけどこの日本では白人もマイノリティなんだわ。お前らの国のローカルな人種間関係を無邪気にヨソの国に適用するのやめてくんない? というか、グローバルな白人支配を問題にするなら、まずその英語帝国主義をやめてくれない? っていう話。
東京のローカルニュースでもそれに価値があるなら全国放送で流せばいいと思うし(たとえば、香港やパレスチナや西パプアの弾圧もローカルニュースだけど、国際的に注目されるべき人権問題だよね)、災害とかで都民が苦しんでいるなら「都民がんばれ!」みたいなムーブメントが起きてもいいと思うんだけど、都知事や都庁だけがめっちゃ腐敗してるという話なのに、「都庁けしからん」ではなく「日本の政治腐敗は深刻で」みたいな話にされたり、東京だけが被災した災害で「がんばろう日本」ってスローガンが掲げられたら他地方の人はカチンと来るよね、という話。
「こうこう、こんな選挙制度にしたらより民意の反映と国家の繁栄がうまくいく」というのが科学的に示されても、選挙制度は絶対に変わらない。
だって制度を変えることができる立法府の人たちは、「いま」の制度で議員を勝ちとった人たちだから。
だからどんなに学者が「とてもいい制度」を提案しても却下されてしまう。
最近の傾向になりつつある容姿について言及する発言は不謹慎風潮が嫌いだし納得できない。
そもそもなぜ容姿のみ?いやわかるよ。容姿って一番目につく部分なのに生まれ持っての差が明確だもんね。わかるんだけど…それ容姿だけじゃないよね?
生まれもって足が速い人もいれば遅い人もいる。記憶力がいい人もいればそうじゃない人もいる。歌唱力や画力、その他でも生まれながらの差ってあるよね?なのになんで容姿だけ言及は不謹慎になるの?
どれも能力に差はあれど、努力でも変えられる部分が大きいのは同じじゃない?
でもこう言うと 私がどんなに努力したって橋本環奈みたいにはなれない とか言われそうだけど、どんなに努力したってイチローみたいにはなれない人も多いだろうし、どんなに努力したってピカソみたいになれない人、バッハみたいになれない人、アインシュタインみたいになれない人…と、どんなに努力しても○○みたいになれないのは全てに当てはまる話だと思う。
容姿も他の才能と同じでしょ。ただ外見か中身かの違いで。
なのになんで容姿だけ言及がタブー?外見が綺麗と言うのがタブーになるなら内面についての言及もタブーにしろよ。てかどっちも言えばいいだろ。言われたくないなら自分は言われたくないと相手に意思表示をすればいい。それがコミュニケーションだと思う。ただ嫌だと伝えた上でその気持ちを無視するやつはダメだ。付き合いをやめろ。
話が逸れたけど、日本は美への同調圧力が云々…てよく言われがちだが、美への追求をしたくて容姿への言及が欲しい人を排除する傾向になってない?と感じる。
恐らくそんなことはないと言う人が殆どなんだろうが…"容姿"に限定されるのがどうしても納得できない。その人を構成している全てが生まれもった才能ばかりなのに、なぜ容姿だけ…?
今までAだったけどBをする!という行動は凄く大切で素晴らしいものだと思う。だけどAを排除しなくても良くない?
この時代に〜てよく目にするけど新時代になったのなら尚更多様性を求めて多くの人がそのままでいられる環境に変えていけばいいんじゃないの?
新しい流れが以前の流れを殺す方向になるのは必要な部分もあるのかもしれないけど私は少し違和感があるし納得できない。
でも、容姿への言及を無くしたいって考えを持った人を否定したいわけじゃない。だからその人達はこれからも元気に主張を続けてほしい。私も元気に違和感を抱き続けるから。
社会制度への恨みつらみなんて欠片もないので行間に何かを読み間違えられましたかね?
単純にどんなに長年付き合っても結局破局止まりなだけなのめ痛みもないよねって話でしかないです
一応指摘しておきますが、同性婚を受け付けている市区町村はありません
パートナーシップ制度を誤解されているのかなと思いますが、同性婚とは全く異なります
あと、養子縁組の話を同性愛者に持ちかけるのはタブーとなりえる場合があるのでご注意ください
今後同性婚が万が一に認められた時に解消できないので今は選ばなくなっている人も多数いますね
制度的な話はどうあっても揉めますし、最初にお話した通り制度を憎んだりしていないのでこれくらいにさせてください
「あいつもしかしてゲイじゃないの」というフレーズは、飲みの場でイジリ・ネタとしてありそうだけど、「あいつもしかしてザイニチじゃないの」というのはありえない。イジリになんて絶対ならない。タブー感すごい。口から出せない。出した瞬間、こっちが破滅する、というより、自分自身に抵抗感があって発声することができない。
それぞれの所属するコミュニティの雰囲気にもよると思うけど、自分はそんな感じ。大卒ホワイトカラー職場。ちなみに「ゲイじゃないの」もたぶん、一瞬、笑いになるけど、あとで怒られるというか、たしなめられるくらいはあると思う。「そういうこと言うもんじゃないよ」とか。
「アスペ」「キモオタ」「DQN」は内輪ではいうけど、職場関係の交友では言わない。通じないと思うから。ネットジャーゴンだと思ってる。でもそういう言葉遣いをしないだけで、飲みのネタにはしてると思う。なんか別の言い方で。
関西なので、特定の地域に対して、歴史的に在日韓国朝鮮人が多いとか、かつての被差別地域だとかそういう認識はある。それについて話をすることは職場でもある。でも、たいがいが社会条件とか歴史的経緯についてのことで、個別具体のことは絶対に人前で話すようなことではないという認定。ゆえに、「同和」「ナマポ」「池沼」みたいなのは、「在日」同様、どんな場面でも、自分の口から発したことはない。なんかできない。これらはネットジャーゴン以前に、書き言葉だと思っている。とはいえ生活上、思うことはいろいろあるので、内輪では話のネタになることはないでもない。でも、よくないなーと思いながら話している。