はてなキーワード: キュゥべえとは
Twitterにいる「みんな」がタコピーの話をしはじめて、とにかく衝撃的!毎回えぐられる展開!と聞いてワクワクしながら読んだら感想が「フーン」しか出てこなかった。
描き込まれている絵なのは分かる、構図が凝っているのも分かる。これでもかとセンセーショナルな要素を詰め込んであるのも分かる。ドラえもんってあんなに上手くいかないよ実際はこんなもんだよ、みたいな読み方も分かる。作者が何を意図しているのかは伝わってくるのに、ついていけなくて気持ちは凪いだまま。好きでも嫌いでもない、よくある話だとしか思えなかった。読みやすかったけど、波に乗り損ねて取り残された感じ。
やっぱり歳をとったからなんだろうな、あと「可愛い絵柄で残酷な展開」の作品を幾つも読んで慣れてしまったからだ。
思えば1stシーズン1話を観たときはリゼロのみ未見の状態だった。
他の3作品が好きで、それらとミックスされてるのだからリゼロもきっと面白いに違いないと思い、2話までの間に一気見し無事ハマる。レムは正妻かわいい。
そしてヴィーシャ好きとしては2期でとっても活躍してくれてうれしい限り。
百合脳なのでヴィーシャとターニャが一緒にいるだけで盛り上がってしまう…。
ヴァイス中尉は完全にいじられキャラと化してしまったけどそのままの路線で行って欲しい。
オバロ勢は双子もうちょっと活躍して欲しいな。マーレとベア子の図書室でのやりとりとか観たい。
このすばはアクアのオチに(安定してるけど)ちょっと飽き始めてきてるので、次期はもうちょっと違うシーンも期待。
折角盾勢が馴染んできたところだし、ここに慎重勇者まで本格投入すると収集つかなくなりそうだから2期みたいなちょい役に留めて欲しいところ。
基本的に愛されチート主人公がチートしていく話なので、暗い要素もなくふわっと安心して観れたからかも。
敵対チームのキャラクターも嫌味なく書かれていて、イベントが終われば皆仲良くやってたりするシーンも良かった。
今期一番ハマったのがこれ。
推理物は苦手なんだけど、キャラデザがブラッドラッドの小玉さんということでとりあえず観始めた。
1話では、こんな若そうなキャラクターに津田さん!?違和感アリアリでは!?そして世界観がさっぱり分からん…と思いつつ観ていたものの、ラストの引きがめちゃくちゃ上手くて2話が楽しみになってしまっていた。
毎週毎週続きが楽しみになるアニメは久々だったし、人に勧めたのも久々だった。
謎の少女「カエルちゃん」の存在も面白く、1話からずっと出演しているのに毎回死んでいて、一体どういう存在なのか?と考えながら観るのも楽しかった。
最後はかなりあっさりというか、きれいに収まってしまった感があった(悪い意味ではない)。
コミカライズの今後の展開が楽しみ。
ネトフリで一気に先行配信されており、観終えたのが大分前なので記憶を辿りながら。
観ていてとってもお腹が空くアニメ。でも同じものはどうやっても食べられないジレンマ…。
特に2話の小悪魔風が美味しそうで美味しそうで、とりあえず次の日鶏肉で作った(美味しかった)。
ムードメーカーの元気っ子とクールお姉さんの組み合わせは良い。
アニメでは深掘りされなかった乗組員のストーリーも気になるので、原作を買おうか検討中。
途中までは、みらとあお微笑ましいなーすずちゃん頑張れーとゆるーく愛でていた。
きらチャレと同じく、サマチャレと略すのでちょっと笑ってしまった。
これに学部生の頃参加し、みら達と同じく色んな勉強をし徹夜で実験をし最終的に成果発表をした。
きらチャレに没頭するみら達に、つい自分を重ねてしまったのだ。
その時できた友人達とは10年以上経つ今でも連絡をとり、仲が良い。
友人の中には学者になった子もおり、そんなところもそっくりだった。
そう考えるとみら達は昔の自分であり、遠藤先生が現在の自分なのだ。
今自分は、どんな夢を持てているだろうか?あの時の気持ちを忘れてしまってはいないだろうか?
まさかきららアニメの最終話でボロ泣きすることになるとは思わなかった。
願わくばみらとあおがいつの日か小惑星を見つけて、アオと名付けられますように。
ソマリの性格がちょっと苦手で、度々ウーン…となりながらも観終えたのは、周りのキャラクターが魅力的だったからかも。
人間とゴーレム、人間と鳥、種族が違っても過去にどんなことがあっても、本人達がそうだといえばそれは家族である。と、家族定義について思いをはせたりした。
昔友人に漫画を勧められていたものの読めてなかったのでアニメ化嬉しい。
独特の世界観もそうだけど、OPとEDが凝っていてかっこよかった。もしかしてこれがエモいというやつか。
ケムリを出すことで魔法が使えるとか、使える魔法が個々人で違うという設定が面白かった。
心と能井のコンビが微笑ましくて好き。
能井とニカイドウが友達になれたらいいのになぁと思いながら観ていた。
2期あるのかな。観たい。
ちっちゃくてもキュゥべえはキュゥべえなので、コイツめ…何を企んでやがる…ッ!って思いながら観てた。
やはり1期メンバーが出てくると盛り上がるな。
2期ありきという感じなので、今後に期待。
悪魔だけどベースがギャグなので今の所一番不穏なのが校歌の歌詞くらいという平和感。
キリオ先輩回はヒヤヒヤしたけど、無事にバトラパーティが終わって良かった〜
夕飯を食べながらゆるっと笑いながら観るのにちょうどよく、次期も楽しみにしている。
色々話題になってたので視聴中。
身構えすぎてて、言うほどエグい感じではなかったなと思うのと同時に、地上波版だとしばらくほぼ何も見えない状態のシーンとかあって、流石にもうちょっとどうにかならんのかなと思っている。
スルーしていたけどアマゾンビデオの「架空の理系人物だけど、証明手法は理系」みたいなレビューを読んで興味を持ち観始めた。
なるほど確かに証明手法は理系である。はたから見るとバカップルだけど。
身の丈にあった生き方をする、これは格言的であり、立派なように思えるが、文科大臣の発言への反応を見るに、教育ということになれば話は違うようである。
私はどのような生き方にも価値があるように思えるし、人生のどのような瞬間にもある種の価値を認めたい。しかし、この考えが危険なのは、アフリカで今まさに死んでいく子供の生命をも肯定してしまう点である。そして、それは自明に間違っており、ここに私の思考は矛盾する。
この矛盾は社会が個人を丸々包摂できないことを原因とする。どのような人生でもその一瞬一瞬意味があるが、主観を離れた社会的な観点から見れば、社会を成立させるために無意味であると捨象しなければいけない要素になってしまう瞬間もあるのだ。
最近まどかマギカを見たのでそれに照らし合わせてみる。キュゥべえは視聴者から毛嫌いされているらしく、それは地球の少女をこの宇宙というプラットフォームを維持するための捨て駒としてしか見ていないからである。
私たちがアフリカの子供の存在を社会問題だと考えることは同様の構造に当てはめられる気がする。アフリカの子供が死んでいくのを肯定でいないのは、社会の根底を人権という概念が支えているからだ。アフリカの子供はそんな概念が存在しないことをあからさまにし、私たちは社会に対する疑念を抱く。いや、抱くべきなのだが、社会という存在なしに生きられない私たちは社会ではなく、アフリカの子供達の存在に疑問を抱く。果たしてそんな命あっていいのか、いいはずがない、と。
アフリカとまどマギがどう一致するのか。まず、結果において、まどマギでは少女は消費させるが、アフリカの場合には救われつつある。一見相反するようにも見えるがそれはyes/no、on/offのどちらかということであって構造は一致している。魔法少女が消費されてしまうのは、宇宙という社会のためであり、キュゥべえが少女を消費することを躊躇わないのは少女の主観に重きを置かないからである。そして、アフリカの子供が救われるのは、ひょっとすれば当人のためというよりは我々の社会のためであり、子供を救うことが完全に肯定されるということは、子供の主観的人生を否定することである。
果たして、上記の文章で構造が一致していると説明できているかも、果たして本当に一致しているのかも不明であるが、ここで一つ加えておきたいのは、アフリカの子供の命を救うことはその子本来の主観的生を否定している、故に子供を救うのはやめろと言いたいのではないし、私の主観ではそのような活動は勇ましいものであると思う。最近netflixで公開されたビルゲイツの映像は面白かった。今年のノーベル経済学賞もそんな感じだったしね。
話をアフリカから比較的平和な日本に移すと、私たちの生活には当たり前に人権が備わっている。まあ虐待されている子供や、台風でも避難所に入れてくれないホームレスの存在はあるが、アフリカとの比較対象ではないだろう。そしてその人権は、政府に私たちを生存させ教育を施すことを要求するわけだが、果たしてそれはどの程度が妥当なのだろうか。
アフリカに関しては上記のように、子供を救うことはその子供の主観的人生を損なわせるものだと私は主張した。社会というものが守られるべきものであるとすれば、個人の主観を損なうことは、少なくとも生命を維持するというレベルでは非難されるべきことではない。しかし、それを推し進めていった人権は私たちにとって幸せなのだろうか。
人権が担保する領域が増えるに従って、我々は主観的な存在の領域を社会的な存在に明け渡す。人権の肥大化が極値に達せば人は単なる社会の歯車であり、キュゥべえが非難されたように、おそらくこれも望ましくはない。
人権を肥大化させる仮説もアフリカの例も極端である。前者は極端に社会的であり、後者は極端に主観的である。
落合陽一が何かで、プラットフォームは個人より優先されるということを言っていた気がする。これはキュゥべえ的発言である。この発言を肯定できるか否かは、各人が、その存在を社会的な領域と主観的な領域にどのような割合で分割しているかによるのではないだろうか。
問2 136
問3 ない
問4 ブーディカ 星4以上なら金ピカに貰ったエミヤ
問5 きよひー、ネロ
問8 ①エレナでNP貯めて宝具3発撃って終了 種火とかはこれ 術エレナは絆10になったから最近は弓エレナ
②霊子譲渡でニトの宝具撃って即死で1WAVE掃討 ニトのスキルで宝具撃って2WAVE掃討 この2回の間に大抵はアーツチェインが可能なので、有利クラスと頼光の宝具で3WAVE ストーリーとかはこれ
問9~11 ない
問13 提督は半引退で昨日イベントを始めた 後は司令官でちびキュゥべえでラブライ部員
今年前半はポケモンマスターで決闘者で召喚師(FEH)だったが飽きて引退
問14 単純にゲームとして遊んでるのでそういうのはない
答えといて何だが徐々に飽きてきてはいる。クリスマス復刻は完全にログボ勢だった。
今年面白かったのは新宿とCCC、まあまあだったのが剣豪で後はあんまり…。
戦力的にも十分整っちゃったしねぇ。
待望のエレちゃんだけど、今後も冷めてくであろうことを考えると課金どうしようかなぁ。
新卒採用期間中によさ気な企業に入社できても、それが必ずしも幸せとは限りませんよ。
私は大学入学から大学院修了に至るまでぼっちで過ごさざるを得なかったレベルのコミュ障だったので、素のままで就活に挑んだら無い内定でフィニッシュすることは確実でした。
だから、就活対策をしっかりとやって、時にはキュゥべえのような論法まで持ちだして、辛うじて高給なIT系大企業に雇ってもらえることになりました。
でも、実際に入社してみたら、そこはIT企業にも関わらず「技術力はどうでもいいから、コミュニケーションスキルを磨こうぜ!」と技術職に要求するような所でした。
そのせいか、1mmでも対人コミュニケーションのスタイルが日本的な「普通」から外れている社員はたとえ技術力が高くともハブり倒され、ただただ煩いだけで技術力も人間力も薄っぺら人々が持て囃される社風が定着しています。
同期は出世意欲ばかりが高くて、「コミュ力!コミュ力!!」とバズワードを連呼し、互いにコミュ力のマウンティングを繰り返しているような質の悪さです。
当然、コミュ障でしかも技術力で勝負をしていきたいと考えていた私とこの企業の社員・同期との相性は最悪で、入社3ヶ月目のこの時期に早くも浮き始めました。
今では入社したことを後悔し始めるようになりましたが、入社1年も経たずに辞職するような人間を雇う企業は業種・職種を問わず皆無ですので、身動きを取ることも叶いません。
このよもやま話から何が言いたいのかというと、「自身の適性を無視して就職したとしても直に後悔するから、たとえ今焦っていても上っ面の対策をして新卒採用の波に乗るより、マイペースに就職先を探したほうがいいよ」ということです。
経団連指針に沿って新卒の正社員を採用しようとしているような企業は、その多くがある程度の体面的な真っ当さを有している企業です。
でも、世の中にはいろいろな企業や職種があります。それらは必ずしも社会的なステータスや待遇が良好とは限りませんが、経団連所属の企業よりもユニークさという意味では幅が広いので、あなたに合う企業だって見つけられるはずです。
安定性やステータス、待遇を諦めきれないというのなら、ある程度実力を身につけてから転職すればいいだけの話です。ここであなたを宥めている増田たちの中にもそのような経験をされた方がいらっしゃるようですし、採用率だって新卒後直ちに離職した人よりは遥かに高いはずです。
また、ご自身に合う企業に入社することが出来ていたのであれば、転職に見合う実力を身につけるの日まで耐えることだって難しくないでしょう。
ですから、新卒採用期間中にご自身に合う企業が見つけられなければ、そんなものは一旦無視してエージェントなりハローワークなりに頼って地道にご自身に合う企業を見つければ良いのです。
ましてや気に病んだり死んだりする必要などありません。
私もあなたのように、就活中には内定が取れずに暗澹とした気分になったことがありましたが、今現在感じているこの辛さはその比ではありません。
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http://www.goodsmile.info/ja/product/3200/キュゥべえ+ソフビフィギュア.html
http://blog.livedoor.jp/nobuno88/archives/1020768891.html
http://www.goodsmile.info/ja/product/293/白河ことり.html
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来年のプリキュアが「魔法つかいプリキュア!」になるらしいとのニュースを聞いてなんとなく思ったこと。
魔法少女モノもそろそろ一周まわって原点に回帰してきたかな?ってこと。
まあ魔法少女の定義とかから話し始めたら本当にキリがないので最近の話しかしないんだけど。
21世紀で魔法少女を語るのに外せないのは「プリキュア」「なのは」「まどマギ」とかかな。あと邪道魔法少女とか。
(少女漫画ものとか「ジュエルペットてぃんくる」とかもあるけど、本当にキリがないので言及しない。)
00年代に入ってきて魔法少女ってのはその概念をひたすら壊され続けてきたと思うんだよね。
深夜アニメ全盛の時代になって、それまでの少女向けってのが少なくなってオタク層向けの作品が魔法少女モノの主流になったのが大きいのかな。
少女の憧れとしての魔法少女じゃなくて、エンターテインメントの装置、つまり「設定」としての機能が重視されるようになったというか。
その典型的な例が「魔法少女まどか☆マギカ」で。
いわゆる「視聴者を裏切る」ってやつ。設定を利用してどれだけ衝撃的な展開を作り出せるか、みたいな。
社会現象、とまでは言えないかもしれないけど、確実に「まどマギ以後」っていう作品はあると思う。
「結城友奈は勇者である」なんてまどマギがなければ絶対に生まれていなかった作品だと思うし。
完全に二番煎じだと思われることをわかっていて、それでもあえてやって、さらに高評価を得ることが出来たという稀有な作品。素直にすごいと思う。
それで、冒頭の話に戻るが、「そろそろ一周するかな」っていうのを考え始めたのが今年の「放課後のプレアデス」という作品を見たときで。
この作品は、魔法少女でありつつSFジュブナイルでありつつ、という感じの「衝撃的な展開でびっくりさせる」タイプじゃない作品なんだけど、
プレアデス星人と名乗るマスコットキャラ的な存在がいて、いわゆるまどマギでいうキュゥべえみたいな立ち位置なんだけど、
視聴者諸賢は「いつ裏切るかな」と疑惑の目を当然のごとくプレアデス星人に向けていたのである。
魔法少女になることで支払うことになる代償はなんだろうなあ、と自然に考えてしまっているのである。
この時点で自分は「ああ、もうこういうのは陳腐化したんだな」と思った。
こういうの、とは魔法少女の設定を利用して衝撃的な展開を作ることである。
「放課後のプレアデス」という作品は、実際は少女たちの成長を真摯に描いた作品だったわけで。
しかももともとこの作品は「まどマギ」と同時期くらいにはプロジェクトが進行していた作品で、べつに「まどマギ」へのアンチテーゼとかは全く意識されずに作られたものだったのである。
プリキュアは、00年代以降の混沌とした魔法少女モノの中でずっと少女向けの王道を突っ走ってきた存在である。
とはいえ、セーラームーンなどからの流れの「戦闘魔法少女」的な感じで魔法少女といっていいのかはよくわからない感じなのだけども。(プリキュアファンには大抵魔法少女じゃない、と怒られる)
ミストバーンと暁美ほむらと鷹野三四という愛着障害者が物語における敵になる理由 - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20140209/1392025251
邪悪とか漆黒の意思とかそういうちゃちなもんじゃねえ……もっとドス黒い吐き気を感じるッ!
ブコメを見てみるとあの人の事をどんな奴なのか知らない人もいるようで纏めてみる。
名前の由来はジョジョ第五部のゲスこと「チョコラータ」が元ネタだって昔バカッターで言ってた。
原作ジョジョを知らない人に説明すると虐殺を楽しむクズ野郎であって、こいつの数ページにわたって無駄無駄ラッシュがかまされタコ殴りにされるというキャラ。
でも結局は自分に自信がない現れらしい。
口を開けば母親への恨みをしょっちゅう吐いてる。あの人と少しでも絡んだ人なら「母親を憎んでいる人」という事はよくわかるんじゃないかな。
ぶっちゃけまどかマギカ(特にほむら)に執着してるのも、その碌でもない母親を投影してるらしい。溜まったもんじゃないけどな。
そのせいでミソジニーもこじらせてる。昔の作品に拘るけど「強い男、弱い女」がいいらしい。
今までよくTogetterとかで炎上しなかったなこの人……。
最初に言っておくけど、あいつの見てるほむらは原作のほむらじゃない。
「ゼロ年代セカイ系的な糞ヒロイン」としてのテンプレを詰め込んだモノらしい。
だから叛逆で見せたマミさんや杏子に対する捨てきれない情とか、さやかやなぎさを蘇生させた部分があるという「功利」はない。
からくりサーカスやフェイスレスみたいに改心して反省して後悔のままくたばらないと許せないらしい。
その一方でまどマギ以外の虚淵作品にはどうもそれほど執着してないらしい。
Phantomや鬼哭街、沙耶の唄やFate/Zeroとかもそれほど執着してない。男が活躍するから。
サイコパスの槙島の方がよっぽど「愛着障害者」だと思うんだが、多分あいつクレイジーサイコホモだし。
でも狡噛からある種の友情みたいなもの向けられてるからどうでもいいらしい。
それが多分見てないか、ぶっちゃけあいつが見てるのは「俺の理解出来るもの」であってそうしたものから逸脱してる作風にも興味ないんだと思う。
ちなみに彼にとって虚淵は藤田和日郎先生に似てるらしいが、俺は全く思わんけどな。
少年漫画は大なり小なり「悪い奴は反省させるか後悔させるかして負けなければいけない」という要素があるのもわかるし、荒木飛呂彦先生や藤田先生がそういう人なのは分かる。
別にそういう作風が好きでもいいさ。問題はそれを虚淵に押し付けるのを当然だと思ってるからその妄言に吐き気を催すわけで。
母親ほどではないけど父親やお姉さんにも複雑らしい。
姉だか忘れたけど(もしかしたら母親かもしれないけど)「ナウシカ原作は気持ち悪い。アニメの方が好き」という家族の意見に対してキモオタ的な蔑視のコメントを吐いてたと思う。
他に好きな作品はジョジョ・ダイの大冒険・藤田和日郎作品・荒川弘作品・トライガン・ヒラコー作品あたりはよく引き合いにしてるね。
あの人どうも最近の作品についてこれない節があって、作品の引用は70年代~90年代が多い。
別にジョジョネタや懐古ネタだけに特化してれば結構面白い人だと思う。そこは彼の強みだと思うし、ほんと勿体ない。
問題は嫌いなキャラはかなり多い。
まどマギキャラ全般(特にほむら)・ドラゴンボールの悟空はしょっちゅう叩いてるし、絶対に彼らを認める発言はしないどころかジョジョや藤田作品の下衆キャラと同類扱い。
エヴァのアスカを初めとした暴力ヒロイン全般・母性キャラ全般もしょっちゅう叩いてる。怖いらしい。
嫌いなものに対して絶対に認める事とかしない。(例に出すなら、彼がほむらや悟空に抱いてる「憎悪」はエターナル東方が艦これに対して抱いてるような「憎悪」に近い)
しかもエヴァ時代のノリをまどマギに投影しちゃってて、しかも虚淵とかシャフトとかと全く無関係の「俺が好きな作品の方が作風は上なんだ!」「虚淵先生だって俺の好きな昔の少年漫画と同じなんだ!」って偏執性がある。
虚淵が昔の少年漫画好きなのはわからんけど(多分好きだと思うがわからん) それが作風に投影されてるかっていうとね。
「悪いことした奴は苦しむか反省しなきゃいけない」という倫理に囚われてるんだと思う。
そういう善悪も結局は流動的なのにね。
『ドラゴンボール』の悟空と碇ゲンドウの共通性について - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659
こんな記事描いてたけど、こういう時期はまだ楽しめてたよ。
あんまゲンドウの事触れてないけど、少なくとも悟空のキャラ性はあながちブレてなかった。
問題は彼の思考は90年代くらいで止まっちゃってる所でね。
ただ今思えばあのマンガの「正義」「邪悪」の倫理が彼が頭おかしくした原因なんだと思う。
まどマギ10話ですごい勢いでぶちギレたらしくて、その日に「ほむらはキュゥべえの同類だった」とか言い出してすごい剣幕でほむら叩き出してなんだったんだと思った。
賛否分かれるのは分かるけど俺はあの話すごい好きだったし、何言ってんだこいつと思ったよ。
しかもどんどん「邪悪なほむら」像が蔓延して行って、「まどかがほむらをキモがってる」とかそういう前提でね。
ほむら=フェイスレスという説 - tyokorataの日記 - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110313/1300032043
いやほんとこの人何言ってんだろ。
つーかこの人まどかも嫌いなはずだけど、エレオノールと一緒にしていいのだろうか。
だからほむらは「反省するか倒されるしかない」と思ってるのかもしれんけど、それキャルとルイリーと沙耶と切嗣と槙島とシドさんの前でも言えんの?
別にほむら叩いてもいいんだけど、あの人のほむら像って「自分の中で知ってる作品で培われたもの」だからな。
叛逆ほむらが民間人に直接的な危害を加えることしなかったし使い魔にもさせなかったこととか都合の悪いものを無視してるでしょ。
そして織莉子さん(スピンオフ「おりこマギカ」の主人公)を引き合いにしてほむらdis(笑)か、織莉子さんも可愛そうだな。
>ジョジョや少年漫画に埋め込まれた意図や作者の描いた哲学を掘りだすことがモットーです
要するにtyokorataに感じる「吐き気」は「邪悪」なんかそんなものでもない。
ですよ。
> 自分しかここにいないのよ! その自分も好きだと感じた事ないのよ!
ほんと、この人はまどかマギカに触れておかしくなったと思うのでそういう意味ではすごい同情してます。
別にほむらがどうとかじゃなくて、彼の言う「暁美ほむら」への自己投影がうんざりするというだけです。
「碇シンジは俺なんだ!」的なそういうノリなのかもしれませんけども、あれは自己投影するようなキャラでもないし、
そもそも「自己投影しやすく屈折したほむら」なんですよね。ヘイト創作でキャラをゆがめる手法そのもの。
他の漫画は見れてるけど、まどかマギカに関しては間違いなくあの人作品を見てないし、自分しか見ていない。
もうちょっと他人を認めてもいいのに。
しかしどうも日々に張りが無い。日々の過ぎるのが遅い。
一ヶ月の過ぎるのがこんなに遅いなんて知らなかったよ。
自分も気づかない間にそうだったのだなぁ。
こーゆー時に別れた報告を、するのが面倒ですね。
大丈夫?って聞かれても心配を掛けないように空元気出すしかできないし。
大丈夫?って聞く人にはじゃあ大丈夫じゃないって言ったら何してくれるの?ってたまに思ってしまう。
自分のことを心配してくれる人にそんなことを思ってしまうほどに、余裕がないのかもしらんね。
なんつーか、可愛い。ありがとって素直に思える。
コンパには何回か顔を出したけど、気疲れするばっかりだ。
そこからようやくお付き合いが始まるなんて面倒過ぎる。
その手順を踏むのが面倒だ。業者挟んで簡略化して欲しいす。
そんなことを言いながらも一人の女の子を振ろうとしてるし、
一人の女の子に振られようとしてる現状です。
寂しさを埋めるためにインスタントな安っぽい恋愛してる自分に自己嫌悪。
ほむらの欲望が~とかいう考察をしている人があまりにも多くて驚いてる。
もしかして自分がトンチンカンなだけなのかもしれないけど、なんかスッキリしないから
とりあえず文章にまとめて増田に投下することで落ち着くことにする。
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徹頭徹尾、ほむらの行動原理は"まどかを守る"ということに尽きる。
まどかが守れるのであれば、まどか以外がどうなったって構わない。
それはほむら自身についても例外ではなく、まどかから恨まれようが恐れられようが
劇中終盤、ほむらとキュゥべえがこんなやりとりがあったと思う。
ほむ「まどかを支配するつもりね」
QB「観測さえ出来れば干渉できる。干渉できるなら、制御もできる」
ほむ「まどかの秘密がバレるくらいなら私はこの空間にあなたを閉じ込め魔女となって死ぬ」
この後どうなったか。
ほむらはそのまま殻に閉じこもろうとするが、魔法少女達の妨害?により目論見は頓挫して、
つまり、放っておけばインキュベーターはいずれ円環の理の真実にたどり着いてしまうわけだ。
そして問題のシーン。まどかが2つに分かれる様子がハッキリと描写される。
その後のさやかのセリフにもある通り、ほむらは「円環の理の一部をもぎ取って」、
まどかの世界に戻ろうとするキュゥべえを無理やり引きずり込んで。
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…と、これだけ材料があれば、この"叛逆"が"まどかを守る"ための行動だったと考える人が
ほむらの目的は、インキュベーターからまどかを守ることでしょ?
観測を許してしまった以上、消えてしまう前に、少しでもインキュベーターと円環の理を
引き離しておきたい。
インキュベーターが隔離フィールドに閉じ込めてほむらをまどかから隔離したように、
ほむらは自分が作った世界にインキュベーターを閉じ込めることで円環の理から隔離して、
まどかへの干渉をできないようにした、と。
キュゥべえを連れて行くにあたって近くの魔法少女も若干巻き添いを食らったみたいだけど、
ほむらはまどかさえ守れればいいんだから別に大した問題じゃないよね。
http://www.youtube.com/watch?v=nwxxtYCVOR4
汚れとる とろくさい ビョーキになっとる
(サテ)
世間じゃマミさんをバカにするけどよ
無理に大人ぶってる証拠だでよほだよ
いきなりやったろみゃーか ティロ・フィナーレ
マミさんはええよ もう、何も怖くないがね
(やっとかめ)
(ハイ!)
待ってりゃあよ 見てりゃあよ 天下を取るでよ!
じわり、じわり、とマミさんファンが増えつつあることを!
もしも、ほむらのソウルジェムが変化し魔女化したとしたら、そう!
終わっとる たるくさい 魔女になっとる
(サテ)
もしもマミさんが怒ったらよ
弱いとか狂っとるとか たわけにするけどよ
マミさんは何をやっても才能あるでね
杏子を仲間に従えてよ
まあいっぺんやったろみやぁか魔獣退治
(やっとかめ)
(ハイ!)
待ってりゃあよ 見てりゃあよ 天下を取るがね!
ちょっとでも分かる人ならこれがネタだとすぐに気づくものだが、案外引っかかってる人が多くてビビる。
言語を翻訳することで意味が変わってしまったり、元の言語に遡ることができずにネタを真実と勘違いしてしまう、
そしてそれが真実であるかのように発信力の大きなものが喧伝することで、周知されてしまう。
震災以降有名無名問わず多くの人間がデマ発信機に成り下がり、それが拡散され、共通知として常識と化し、事実に漸近した。
しかしそれはどれだけ近づこうが真実にはならない。どれだけ近づこうが虚偽なのだ。
虚構新聞は虚構新聞という体裁であるから許されるのである。朝日新聞が同じ内容でデマを流してもいいということにはならない。
ネタをネタと興ずるのは構わないが、それを無知を言い訳に真に受けることが問題なのだ。
今回デジマガはこれがどういう動画なのか、おそらく検証していなかったのだろう。
※5月3日、16:24UPDATE。公式な吹き替えではなくファンが作成した同人作品だったようです。お騒がせしてすみませんでした。公式キュゥべえの声は加藤英美里さんほどではありませんが可愛かったですよ!→过去的小圆脸弱爆了!_嗶哩嗶哩<URL:http://www.bilibili.us/video/av75411/>
で、この書き込みを見て分かるだろうが、指摘を受けてオウム返しのように訂正してるのだ。クレーム対応として企業は往々に同じ手法を取るケースがあるが、その指摘自体が誤りだということを、彼らは考えはしないのだろうか。彼らに間違いなくアニメ文化の理解はない。
こうした無理解が既成事実を推し進め、閉じた世界が外部の理解を妨げる。そしてさらに言語まで閉じてしまうというなら誰が真実を知ることができよう。
分かったこと
まどかが撃った不思議矢で最初に撃たれた緑の子がワルプルギスの夜の魔女化前の魔法少女
ただし、その魔女の性質が「他の魔女や魔法少女を取り込んで巨大化する」といった性質を持つなら、複数魔女とも考えられる
ほむらやまどかの魔女化後の姿だとしたら、同等同量の因果を持つはずだからループでの強さ増減はないと思われる
まどかの願いは「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で(原文そのまま)」だ
この願いに至ったのは、もちろんQBが「魔法少女が歴史に居なければ文明はなかった」と言ったのも一因としてある
ただ、それだけだったら「文明を残しつつ、魔法少女システムを消して、全宇宙全時間の魔女と魔法少女を全て消したい」と願うはず
なんでも叶う程の魔力量、因果律をねじ曲げるほどの力なら都合の良い改変だって可能だったはずだ
それをせずに、あえて魔女化する前に消す願いをしたのは、魔法少女の祈りを無駄にしたくなかったからだろう
「今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる、変えて見せる(原文そのまま)」
さやかも杏子もほむらも(巴マミは自身のために願ってるので少し違うが)
「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない」運命を背負ってしまった
まどかは願いを叶える事とその代償である魔法少女化(魂のSG化と戦う運命)は否定しなかった
願いと祈りを無駄にしたくなかったし、その代償を背負うのはしょうがないと思ったのかも知れない
それは契約直前の「絶対に今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」という台詞からも推測できる
その願いによって、まどかは「全宇宙と全時空の魔女を"生まれる前に"消せる」ようになる
それが願いだから、それが叶うまではSGの穢れと関係なしに全ての魔女を"生まれる前に"消せる
具体的な描写からすると、SGの穢れを吸収した上で、魂の入ったSGを消しているようだ
そして、消すと言っても肉体は残るようである
穢れを吸収するのは、そうしないと魔女が生まれてしまう為だろうと推測する
かくして全ての魔女分の穢れを吸収したまどかは魔女化してしまう
だが、まどかの願いが"全ての魔女"なので、自分自身すら消す事が出来た
(生まれる前に消せるのだから、まどかが魔女化したのは演出上の問題だと思われる)
まどかの願いが叶ったあと、まどかは誰にも認識されなくなり、ほむらの記憶の中にしか存在しなくなった
これは推測であるが
(もちろん、ほむらによってある程度の時間軸は集約されているが、時間軸は無限なので物の数ではない)
その為に、まどかは通常の時間軸や因果律が存在しない次元に存在せざるを得なくなったのだろう
なので、まどかは誕生の時点から存在することが出来ず、その為に誰の記憶にも存在しないのだと推測される
では、まどかは具体的にどのような振る舞いをするのだろうか
通常の時間軸や因果律がない世界にいるのだから、当然実世界における実体はない
それでも、魔女化する前に消す願いは有効であるため、意思に関わらずそれは遂げられる
結果として、まどかは物理法則や自然現象と変わらない存在になり、まさに概念の存在となる
再度書くが、まどかの願いは「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で(原文そのまま)」だ
まどかは概念体になり実世界には存在しなくなってしまったので、まどかを認識出来る存在は居ない
(アニメにいおいてまどかの存在を魔女化直前の魔法少女が視認出来ていたのは、まどかが概念体になる前である為だと思われる)
「穢れが一定量溜まると、SGが消える」という現象に認識される
もちろん、SGが消えるだけなので肉体はそのまま残る(魂はSGに入ってるために肉体は残る)
インキュベーターは、穢れを吸わせたGSを摂取したり、魔法少女が魔女になるエネルギーを回収していた
しかし、まどかが概念体となった世界ではGSも魔女も存在しない
魔女化する際にはまどかの願いの効果(以下、まどかシステムとする)によってSGが浄化された上で消滅する
また、GSをを生み出す魔女が存在できないので、GSを回収する事も不可能となる
世界に何の変化もなければ、インキュベーターは魔法少女システムによるエネルギー回収が不可能であるため、人類に接触する意味を失う
(ここからは例の流出した画像を元に推測するので、不正確である可能性が高くなる)
そこで、魔獣という存在が新たに生まれたと思われる
例の画像に記載されている文章の一部をそのまま書くと
「マジュウ
小粒グリーフシードは四角い
魔法とは違う力で動いている
ぐねぐねになった世界のバランスを戻すため、グリーフシードを集めている
とされている
12話において白いローブのような物を羽織った"マジュウ"と呼ばれた存在の説明だと思われる
「例え魔女の生まれなくなった世界でも、それで人の世の呪いが消え失せるわけではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている」とはアニメにおけるほむらの言葉だ
世界の歪みとはつまり、人の世の呪いが生み出すマジュウだと思われる
悲しみや憎しみなどの負の感情、穢れが世界に溜まるとそれが魔獣となるのではないだろうか
SGの穢れが魔女を産んだように、この世界ではそういう法則と成ったのだろう
おそらく、まどかシステム以前も魔女はそういう形でも生まれていたのかも知れない
キュゥべえは「願いから産まれるのが魔法少女だとすれば、魔女は呪いから産まれた存在なんだ」 としている
魔女が魔法少女システム上のみの産物ではなく、自然発生的に生まれるものだとするのなら、ほむらの表現が自然な形となる
つまり、まどかシステム後の世界では魔女に変わり魔獣がその役割を担っていると考えるのが自然だと思われる
3.魔法少女はインキュベーターと契約し、絶望→希望の相転移によるエネルギーで願いを叶えて貰う
6.浄化をして穢れのたまったGSをインキュベーターが回収し、エネルギー回収をする
変わったのは、魔女化の消滅と魔獣の出現だ
分からなかったこと
あの描写はまどかシステムごの世界だろうか、それ以前の世界だろうか
まどかシステム後の世界であるなら、さやかはまどかを認識できないし、友人として知り合ってもないはずだ
にもかかわらず、さやかとまどかは知り合いのように会話をしている
しかし、その後の描写ではさやかが魔獣と相打ちになったとされているし、マミも杏子もまどかの事が誰だか分からないとされている
(ここでさやかの肉体自体がないと描写されてるが、魔獣のいる空間に取り残されたと解釈)
「さやかちゃんを救うには何もかもなかったことにするしかなくて。そしたら、この未来も消えて無くなっちゃうの。でもそれは多分さやかちゃんが望む形じゃないんだろうなって(台詞そのまま)」
また、二人の会話とコンサートがが終わり、魔獣が燃え尽きる描写の後にほむらが目覚めるような演出がされた
以上から、流れを推測する
有史以前からの魔女化を食い止め始める(ここでは自分を消してないので概念体ではない)
魔法少女になってない、何の因果もないまどかが誕生し、成長しさやかと友人となる(魔法少女となったまどかは別に存在する)
さやかが相打ちで魔女化、魔法少女まどかが出現しさやかと会話し、その後消滅(アニメのシーン)
まどかは概念体となり認識されなくなり、初めから居なかったものとして扱われる
ほむら目覚める
矛盾を少なくしようとすれば、この説明が適当だと思われる
ただし、杏子とマミとまどかがケーキ食べるシーンはどう考えてもあり得ない光景なので演出だと思われる
もしくは、死後の世界にまどかが行けるようになったと仮定するのが自然か
まどかがあれほどの力を持てたのは、ほむらが時間軸をまどか中心に束ねたからだ
時間軸と因果律を無視した領域に存在しても、その力の根源であったほむらは時間遡行者であることも相まって特別とされたのかも知れない
もしくは、奇跡が起こったのかも知れない
合理の対極、感情の暴走で、一見最悪の状況でしかない、さやかの魔女化が
そのあたりの、合理を越える不合理の積み重ねによる奇跡はテーマだと思うよ(まどかwikiのレスを引用)」
合理的でない、不確かでぐねぐねした無秩序な世界だからこそ、時としてあり得ないとされることでも起こってしまうのかも知れない
それは、秩序化された世界では存在できない"可能性"というものなんだろう
だからこそ悲しみや憎しみから呪いが生まれ、願いや祈りからマホウが生まれる
インキュベーターの文明において魔法少女システムが使えず、エントロピーを凌駕できなかったのは
理性や合理化の世界であるが故に、あらゆる法則をねじ曲げる"可能性"が存在出来なかったからだろう