はてなキーワード: アンモラルとは
このJapanese town walk ch【街を散歩】ってチャンネルは街歩きを謳っておいてその実は終始女子高生のケツを追いかけ回してる。
https://youtu.be/bEamoj6Eh2Y?si=swr-GTOx3bzqE9Qy
鎌倉は絶賛オーバーツーリズムでアジア系の外国人観光客が多く、鎌倉ではスラムダンクの影響で外国人旅行客による日本の女子高生のコスプレが流行っているらしいので、リアル女子高生以外も映っている可能性はあるが。。。
暇を持て余していたのでこの手の海外向け日本街歩き動画を色々と観察したところ、その殆どのサムネが女子高生であることに気づいた。
そしてこの手の動画で最も再生されているタイムスタンプを確認すると女子高生のケツであることにも気づいた。
リンク先のチャンネルのように終始ケツを追いかけ回すチャンネルは他に見つからなかったが、ノルマの様にどの街歩き動画にも女子高生のケツが登場するから驚いた。
この手の動画の需要や勘所が何処に設定されているのかを示唆している様に思うし、今の日本に興味関心を抱いている外国人男性が何を期待しているのかもまた想像してしまった。
最近の日本は買春目的の気味の悪い外国人のお祭り会場になりつつある気がするが、個人的には日本のJK文化の問題点を強く意識するきっかけになったなぁ。
ぶっちゃけ俺自身も学校制服系AVでも抜いてるわけだけど、この外人が日本の女子高生に強く性的関心を寄せている状況が気持ち悪すぎて困った。
なんか日本人がJKに性的関心を寄せるのも気持ち悪いのは理解しているんだけど、日本人はリアルDK時代のリアルJKとの接触を通しての性的関心だから、外人と比較した場合にJKの解像度は高いと思うんだよね。
一方で外人は学校制服系AVとかエロ同人エロゲエロアニメでJKの生態を学習したつもりになってる人が多そうで、円安で不良外国人が大量入国している現状は女子高生とそのご家族にとって危機的状況なのではないか?
日本のJK文化はスタイリッシュかつクールである側面(紺碧の夏空に制服JKみたいなやつ)もあるが、非常にエロティックでアンモラルな側面もあり、後者の問題点を改めて考えさせられました。でもこれからも学校制服系AVで抜きます。すみません。。。
読んでる人には説明不要だから読んでない人にざっくり説明すると
アニメも絶好調の少年ジャンプ連載大人気漫画呪術廻戦の展開にウンザリしてるって話。
作者の力量やセンスは疑ってないんですけど
なんかこう、大漫画家・岸本斉史の提唱した高等テクニック「ずらし」を乱用し過ぎてる気がする。
主人公達に苦しい展開があるとかギリギリの場面があるとかじゃなくて
もうずーーーーっと強制負けイベントの連続って感じなんすよね。
・主人公は敵の親玉が自分の目的のために生み出した装置みたいなもん
・ナルトにとってサスケに当たるサブ主人公は九尾の狐的存在に体を乗っ取られる
・サスケの唯一の目的は姉を守ることだったけど九尾の狐的存在によって殺害される
・主人公達の先生で最強の存在もサスケの身体の九尾の狐的存在によって殺害される
・日本は完全に破壊されてて敵の親玉による人類補完計画的な何かが進行しててたぶんみんなイデオンみたいになる
・サクラちゃん的な存在は顔の半分と脳が吹っ飛んでギリ生きてるらしいけど出てこない
・主人公の先輩女子は全身ケロイドで片目失ったうえに親含めて親族を皆殺しにした
・(あとこの倍ぐらいなんかあったけどもう飽和してて覚えてない)
主人公チームにはずーっとこういう敗北とか喪失とかアンモラルだけがぼへーー――ッて続いてて
一般人は普通に大虐殺されてて、カカシ先生死んでサクラちゃん廃人でサスケの姉死んでサスケも破滅してて
いやこれなんのために戦ってるの?って感じなんだよね。
一応まだ人数的には一般人が残ってるけど
設定的にはともかく感情的には一般人守るってことがそれほど重要なミッションでもなくてさ。
「人類の為に俺達はあきらめないぜ!」みたいなノリでもないわけ。
なんか一個一個は本来もっとショッキングなイベントの筈なんだけど
ずーーーーっとそういうイベントばっかだからもう何も感じずにウンザリがあるだけ。
それでしょっちゅう主人公が色んな相手から嘲笑われてるんだけど
実際主人公はこの戦いの中では無能すぎて「お前なんでいるの?」 レベルで
とっくに読者も誰1人として主人公に期待してないわけ。
いやーここから覚醒パワーアップされても引くし(ずっと馬鹿にされてたヤムチャが突然悟空より強くなっても寒いだけで燃える人いないでしょ)
このまま最後まで嘲笑われて翻弄されてる主人公でも「一体何を見せられてるんや?」って感じだし
作者のバトルやエモ描写の力量は突出してるんだけど呪術廻戦と言う漫画にはもうかなり前からついていけないというか。
あと余談だけどハンターの真似をした頭脳系能力バトルしようとするとマジで大惨事になる。
日記として増田を書いていると、極稀にそれが少し伸びて反論がつく事がある
自分は自民党やその支持者のアンモラルであったり失政に繋がりかねない行動や言動を批判する内容の増田も書くことがあり
そうした内容が伸びるとその反論は自然と所謂ネトウヨ系の物が多くなるのだが
まず書き込み時間が平日の深夜から16時の間、更に普通に働いている様な人達の生活サイクルから逸脱した時間帯の物が多い
これは恐らくまともな環境で働いていないか、または職に就いてすらいないのだと思う
そして彼らが書き込む内容も酷くて、その殆どが
といった内容である事が非常に多い
たまにだが自演を行い自分で自分を擁護している様な呆れる物もあったりする
こうした人達を見ていると、少なくとも増田に生息しているネトウヨは
本人の人格的な問題によって社会から孤立し、まともな人間関係や職を得ることが出来ない人々なのだろうなと思ってしまう
こうした人達が己の身勝手な解釈の愛国心を声高に叫び、他人に押し付ける事が昔から珍しくなかったからこそ
サミュエル・ジョンソンは愛国心をならず者の逃げ場とし、アインシュタインはナショナリズムを幼児の病気であり人類の麻疹と評したのだろうか
彼らの生きていた時代から現代まで、こうした人々の内面は殆ど変わらないのかもしれない
だからこそ自分はそれらの人々を説得したり、まともに取り合おうとするのは時間の無駄だと思う為、直接反論する様な事は出来るだけ控えている
ゲーマーのゲームプレイ中に品行方正を求めるほうがどうかしている・・・
https://anond.hatelabo.jp/20220516092547
プロゲーマーの差別発言を擁護する記事に対し、「じゃあ解決するまで表に出なくていいよ」という意見が人気だ。
アホか、お前が表に出てくるな。
野球選手のように身体の接触が多い世界では、肉体によるコミュニケーションが多いから、暴力事件が起きやすい。
衝動的な生き方が大事な音楽や芸能の世界では、ドラッグや不倫の事件が起きやすい。
同じように、ネットの音声コミュニケーションが多いゲームの世界では、言葉の暴力が起きやすいってだけ。
言いたいことわかる?
その職業で起きやすい現象を無くそうなんて、まったくバカげてるってこと。
実際に金を払う客が求めるのはレベルの高いゲームの試合であって、品行方正な発言じゃない。
性犯罪で逮捕された音楽家に対し、「作品に罪はないから引き続き楽しみたい」とコメントする奴がいて、マトモな奴もいるなと安心した。
音楽家なら作品、プロゲーマーなら試合、大事なのはそれら本質的なコンテンツなわけ。
アンモラルな意見に対して不快になると不貞腐れて「じゃあ一生、表舞台に立てないね」とか言う。
いくらお笑いから暴力的な表現を排除しようが、ネット配信から暴言を排除しようが、
表に出てこなくて良いのはお前の方だ。
追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすくしました。文章自体は改めていません。簡単に趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブルは戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題のトラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。
長野市の遊園地の問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。
自分は長野市の住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。
まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものである。NIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償は特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的な視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である。簡単に例えよう。
あなたが限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなたは限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子どもが可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)
別の例で例えると、ベビーカーで子どもを載せて電車に乗る行為は問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在は邪悪である」という信念を持っている。
こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストがフェミニストと名乗るようなものである。普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分に利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符でしかない。
誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子どもを排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想な子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子どもの騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単にすり替えてくるからだ。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。長野市で言えば多くの車の長時間のアイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子どもの騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市の問題については自分は意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子どもが可哀想であるのはそのとおりだと思う)
子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話は不可能である。そもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明なクレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマーを擁護したいわけでもない)
「子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつうに暮らしているだけなのに、騒音を解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である。
これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体も警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。
「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見も散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかるものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万円単位で金が変わってくる。つまり、人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通は我慢ならないだろう。
そして、トラブルが悪化すると、人生で最も嫌いな存在が自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音で存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。
「死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。
もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロな個人単位の我慢で解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしまう論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。
「近隣トラブルが戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子どもの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもだからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。
これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。
ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分や自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。
つまり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」と戦争することになる。
結局、それまでの物語の蓄積があるのが大きいと思う。
「源氏物語」なんかはまさにそうだし、近世になっても「伊豆の踊子」なんかはまさにロリコン文学だけど、非常に爽やかな読後感を残す名作だし、日本語には美しいロリコン物語の蓄積がすごくある。歴史に名を残した人だって 11歳で最初の子供を生んだ前田利家の正室とかが有名だけど、「昔の人は思春期になるともう結婚してセックスしてた」って事実が刷り込まれてる。
アニメだの漫画だのでロリコンを助長するとか言われてるけど、今更そんなの規制してももう手遅れだと思う。
過去のロリコン物語を全部アンモラルなものとして焚書し、児童婚した偉人を顕彰するのをやめるとかしないと「アップデート」なんてできないんじゃないだろうか。当然そんなの無理だけど。
いやまあほんとにその通りで、立憲の議員さんはその辺超えちゃいけないライン踏み越えたなあと思うんだけど、自民党の数々の超えちゃいけないラインを超えた人たち(安倍ちゃんとか)が選挙で落ちてないのを考えると、「アンモラルな事をしたら落とされる」ってほんまか?と思う
まあ、高校球児の尻でシコるのがモラルに反するか反してないかは一旦置いとくね。
仮に高校球児の尻でシコることがモラルに反していたとしても、あなたみたいな人が少数派であって、あなたみたいな人のほとんどが隠れてやってる限りはまあ公教育側の勝ちなのよ。
大日本帝国やソ連みたいな頭のおかしい国でない限り、大多数の人がなんとなく公教育に近い価値観を「まあ正しいよね」くらいに思う以上のことは出来ない。
そのうえで、元増田はその公教育が発してる価値観を変えてほしいって言ってる。
元増田が望む世界でも、多分外れ値のアンモラルな人はそれなりにいる。んだけど、今主流とされている考え方が傍流に追いやられて、今傍流となっている考え方の一つ(ここでは元増田がいろいろ言ってる話)が主流になる。もちろんその変化によって得する人もいれば損する人もいる。高校球児の尻でシコってる増田はたぶん損する側だろうね。
俺はSPIDDM患者だ
日本社会は、コンビニ棚に並ぶ菓子パンや弁当などの炭水化物、ピザ持ち帰り半額、スイーツ・グルメ特集やフードバトルなどに溢れている。
摂食制限下で大盛りやおかわりが人生から予め失われており、美味そうな食事を見ても食べても、高血糖とインシュリン量の増加そしてケアドーシスの恐怖とのバーターであり虚無感が常に勝るIDDM患者に対して生き辛さへの配慮が絶望的に足りない。
生命保険に加入できず、加入するとしても高額な保険料がかかる、難病指定されておらず年間医療費は軽く10万を超えるなど、これを差別と言わずしてなんというのか!
コンビニ棚から美味そうな菓子パンの撤去、またはゾーンニングをし、IDDM患者への配慮を徹底すべきだ。
ピザ屋や他の飲食店もIDDM患者への嗜虐を避けるよう過度に美味そうな広告を自主規制し、CSRに殉ずることで企業の価値が上がるはずだ。また国民の健康も向上するという副次効果も高い。
俺は愛国者なので、これ以上あるべき社会を壊さないよう、IDDM患者が規制委員会などを設立して、食環境を取り巻く広告や表現のあり方を正さなければならない。
例えば猫に熱湯をかけたり髭を引っこ抜いた虐待して、最終的に殺すような動画をアップロードするようなチャンネルがあったとして
それで何十万再生も稼いで、広告収入で新しい犬猫買ってきてさらに虐待を繰り返すようなことをしていたら自分は看過出来ないな、などと考えていた。
犬猫を殺す奴は人間にいくぞ、と言うのはよく聞く。何十万の視聴者の中には動画を見て真似する奴が数百人ぐらいはいて、ついには殺人まで発展するような奴が出てくるんじゃないだろうか。
個人的には、実際に事件が起こる起こらないに関わらず、モラルの維持のため社会として許してはならない表現にあたるのではないかと思う。(文化はその文化に属する人間によって常に監視され批判されながら緩やかに変化すべきものと認識している)
「YouTubeで動物虐待チャンネルが大人気」という状況は、特別動物が好きでもないし(むしろ嫌いだ)、野良犬猫なんてさっさと処分してしまえと普段思ってる自分からしても、おぞましいし、受け入れ難い。
と、ぼんやり考えていて、じゃあ人間はどうなんだと思った。例えば痴漢やレ○プを再現したAV。先の動物虐待動画の件から考えると、これらも真似したくなる人間、実際に真似する人間を産むはずだ。R18のものは普段表に出てこないが、再生回数は凄まじい。きっとYouTubeの何十万よりもずっと多い。社会に悪影響かどうかはわからないが、良い影響はないことは確かだ。
しかし、動物虐待動画の件に比べると断然許せてしまう。「いやいや痴漢AVみたからって痴漢はしないでしょ」と言える。多分する奴もいるにもかかわらず。何故だろうか?
人間の方が動物より手を出しにくいから?セックスファンタジーはあくまでもファンタジーで、動物に対する嗜虐心とは根本的に異なるから?
いろいろと理由を考えてみたがどうにもしっくりこない。最終的に行き着いた仮説が、「性暴力AVが既に社会に浸透しているから」である。既に性暴力AVが世の中に浸透していて、それに影響を受けてから受けてないかはわからないが犯罪に及ぶ人間もいて、しかし及ばない人間も大勢いる。既に浸透してしまっているから、これ以上何かが変わることはない。既にそういう結果が出ているのだ。人間は、文化に順応しようとする、そういうものだと言われて育てば耐えられるように出来ている。体罰が当たり前だった時代に生まれた人間は、今の子供よりずっと体罰に対するストレスが小さいだろうし、未だに体罰を支持していたりする。「もしそれらが無ければ」という空想は常人には不可能なのだ。
となると、動物虐待動画が蔓延するという仮定への嫌悪は単に変化への恐怖に過ぎないのかもしれない。保守的に、開国を恐れているに過ぎないのかもしれない。もし動物虐待動画が解禁された世の中であれば、このような嫌悪は全く感じなかったろう。動物虐待動画がYouTubeで人気を得る世界は、動物虐待がほんの少し多いかもしれないし、暴力的な嗜好を持つ人間がほんの少し多いかもしれない。でも、「もし動物虐待動画がなければ」という馬鹿馬鹿しい仮定はされないだろう。
きっと現代日本で、動物虐待動画は是か否かと問えば殆どの人間が否と答えるだろう。それは、現代日本に動物虐待動画が存在しないからだ。人々は文化を保守的に、留まらせようとするだろう。
逆に言ってしまえば、動物虐待も浸透させてしまったものがちである。「インターネットのアングラで共有されていたはずがいつのまにか世間皆の知るところになっている」という状況が現代ではよくある。そういう戦略をとればなし崩しに、開国させられるのだろう。ネットは誰にでも、そしてこっそりとアクセスできる。そして人はアングラが表舞台に出てこないことを望みながら、こっそり覗きに行くことをやめない。そうしてアングラは公然のアングラとして共有され、隠すことべきと知らぬ若い世代によって「抑圧から解放された自由な表現」として表に引っ張り出され、文化として定着するだろう。
表現の自由の問題は、単に性的搾取やジェンダーの問題ではなく、文化の革新・保守の問題として広く重要な意味を持つのではないだろうか。そしてどんな(現在の規範からして)アンモラルな表現でも一度浸透してしまえば、その是非を問うことは難しいだろう。誰もがインターネットにアクセスする時代になったことによって、文化の変容はより早く、コントロール不可能になりつつある。この先どうなるのかは検討もつかないが、個人的には過激な表現はメインカルチャーに合流しないで欲しいものだ。
俺は犬猫の権利は認めない方針なので、演技のAVと犬猫の虐待動画の比較は何の違和感もない。俺にとって動物のぬいぐるみをいじめる場合と動物をいじめる場合で異なるのはどれだけモラルに反しているかであって、苦しむ動物がいるかどうかではない。違和感がある人は好きに納得できるものと比べてくれや。
俺にとって動物虐待動画と性暴力AVの共通点は、社会的に逸脱した嗜好を満たすコンテンツであること、で相違点は現社会で許容されてるかどうかだ。なぜなら俺の中では動物には権利が存在しないからだ。
返信
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「犯罪行為を演じてはいるが、現に映っているのは犯罪行為ではない」と「現に映っているのが犯罪行為」というところ(動物にもよる)、R18か否かには違いがありそう
→これはそう。
→そうだね。俺はそう思わないけど君はそう思うんだね。うんうん。どうして許さないかは「人それぞれ」ダネ!
・
矢印「AVは納得して撮ってる」はあなたが信じているお約束に過ぎない。個別の事象に関して事実を確認を済ませるまでそれは単なる思い込みであり虚構です。
・「単純影響説」に基づく規制論
→規制論ではないですね。自由精子はこれだから嫌いです。お茶の間でレイプAVも動物虐待映像も流れて欲しくないのは個人的な好き嫌いですね。
・
過激でエシカルではない表現があたかも革新であっていずれ許容されていくかのように言ってるけど、むしろ昔は許容されていたような人種差別、性差別表現が倫理的ではないとして受け入れられ難くなってるのが現実なので、性暴力的なフィクションが今受け入れられてても将来的にはマジョリティから拒絶されて消えていく可能性は十分あると思うよ。
→前半同意。ただ性暴力的なフィクションが消える可能性は低いと思う。
・
→ だからあらゆる表現は許されてないっつう話ししてるだろハゲ。
その時々の社会にとって「都合の良い表現」が許容されてきただけにすぎない
犬猫の虐待は人間の暴力性を刺激して(それこそ真似するやつが出てくるので)、社会に悪影響を与える可能性がある
ただしレイプ系エロに関しては、性欲のはけ口として一定の秩序維持の効能が見込まれる(欲求不満のオスは暴力的になる場合がある)
・
→動物はモノと同じ感覚で生きていたのでそこに違いを見出す必要を感じていませんでした。どっちでもいいです。
・
AVと比較するならハッピーツリーフレンズやろな。思考実験として議論したいなら非実在生物相手のゆっくり虐待あたりが適切では
確かに。
イケメンと、じゃなくて巨チンと、なの?
女性が巨根を好むというのは男性のファンタジーだと思ってたが違うのだろうか。
ところで自分は今は月2のペースで女性を買ってるんですけど毎回すごく幸せで癒されますね。
肉付きがいい体質で全身がむっちり(脂肪でだるだるではなく)してて
裸で抱き合うだけで本当に幸せ。
あ~~~~~ってなる。
下着を脱がされたあと下着を脱がせて、互いに全裸になって抱き合ってキスして幸せ。
そこまでで何度も幸せがあって
挿入とか以前のところが最高。
コスパと言っていいのかわからないけど買春のコスパってよすぎると思う。
だから感謝を示すために精一杯清潔にしていってマナーよくしてるし
折々に少し料金以外でもお金渡したりしてる。
アンモラルなのかも知れないけど
そういうお店があって、簡単に女性を買えて、はだかで抱き合ったりセックスしたりさせてもらえるって
イスラム圏だったらありえないしね。