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はてなキーワード: 自己否定とは

2024-04-25

生きづらい哀れなオス

29歳男性のこじらせ日記。よかったら読んでって。


直近こじらせたきっかけは多分2つ。

1つめは大学来の親友結婚報告を受けたこと。

2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまたこと。


それぞれのきっかけと自分精神状態思考方法思想、そういったものを絡めながら言語化していく。


大学来の親友結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。

洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。

そいつ彼女いるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。

から聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。


先週あたりにその連絡がきた。普通にしかったし、本当にめでたいことだと思った。

ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。


匿名で書き込んでいるか説明しておくと、私は一昨年末離婚している。当時27歳だった。

1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。

そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。


ただ自分あさましいというか、自分が叶えられなかった幸せ他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。

どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情コンタミする。それに端を発し、また自己否定フェーズに入る。


我々はそれなりにいい大学卒業した。もっと自分留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。

学歴至上主義否定できない現代日本で、母校の新卒カード結構な効力を持っていることを、今なら知っている。

ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社雰囲気が良い小企業入社した。

社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。

ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業就職して、それなりに稼いでいる。

経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。

ただ、自分生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。

社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。


からそうだ。

第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。

弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモア大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。


幸い、頭だけは良かった。特に物事法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。

から勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校大学に進学した。

そこで出会う友人たちは、どことな自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。


ただ、社会進出孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚

特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。

俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。

頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。


自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。

まあ、優秀な同級生自分の対比はよくやってる内省テーマから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。





続けて、先日の飲み会の話。

その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。

酔っぱらうと、男との物理的な距離ゼロになる。

自分飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。

ただ席が割と離れたので、なんとなくその子の周りを見ていた。


案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。

それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。

どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。

もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。

自分よりイケてない(と自分勝手に思ってる)やつが、その子イチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。


の子彼氏いるんだけど、なぜこんな行動がとれるのか。

たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。

この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論

自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的昭和チックな価値観を持っていると自覚している。

からこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい


うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。


他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。

なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。








最近は金の事ばかり考えている。なぜか。

やはりモテる男は顔がいいか金を持っていると思うので。

ならば自分モテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。


モテたい。もっというとセフレが欲しい。

離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックス普通に好きなので。

自分セックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。


恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。

死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。

同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、

結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、

子供が生まれました」は「NNしました」にしか聞こえない。


おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって

どこでこんなにこじらせた??????

男子中学生レベル100か???

男子中学生男子高校生も、ここまで人生観やライフステージ愛について解像度は高くないと思う。

からこの拗らせ方は、セックスコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。


風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。

からこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。


言語化しなくても気が付いている自分本心直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。

から漠然と「モテたい」と、万人にも分かる言葉で言い直す。


色々努力したつもりなんだ。

元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。

そのへんの1000円カットからカットパーマで15000円する美容院鞍替えした。

眉毛の処理は欠かさずするようになった。

爪磨きを買って爪を磨くようになった。

風呂上りには化粧水とか美容液を付けるようになった。


こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。

ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。

結局、自分でもコンプレックスがある金にとりあえず行き着く。


マッチングアプリモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。

女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。

ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。


…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。

自分が好きになるような同年代女性の大半には彼氏がいる。

正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバいしかいない思っている。

からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。

そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性修正仕様がない。

もしくは高望みしすぎか。





学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。

ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか???

というか、自分モテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。

なんのために「努力」してきたのかもも分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せである


弱者男性言動思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバー引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。

自分の性欲が本当にノイズしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。

去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。

なんかもう詰んでね?


追記

書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。

ブクマコメント言及の中で、特に結婚離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分コンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。

ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。

から離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。

勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。

それから、一部「本心全然書かれていない」的な意見散見された。

これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。

自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?

まあ壊滅的に他人軸で生きている自覚はあるよ。

そもそも人間は少なから他人から評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソースhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html


いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫び評価してくれた人には改めて感謝を。

みんなの言語能力が高くてちょっとビビる読書量の差を感じた。

書くことでストレス発散できることを知ってるからぶつけてみた。だから今日は割と元気。

今日も無害な市民を演じて生きています

2024-04-13

anond:20240413155813

イケメンじゃなくて雰囲気イケメンやな

努力してるから努力してない奴が許せないというか、努力せずに伸び伸びしてる人間存在自己否定に繋がってるんや。

2024-04-12

anond:20240412033254

それ接客に向いてない店員の話で

どこがどうしてお前が人間に向いてないというところに着地したのか

わけがわからないよ

ウラァ!あの糞店員接客に向いてねえだろ!辞めてしまえ!ってとこで止めとけばいいのに

なぜ自己否定に結び付けてしまうのか

これが自動思考認知の歪みってやつ?

2024-04-08

サウナ推し活、筋トレ

最近は、時間ができると「サウナ行きたい」と思うことが多くなった。

中年にさしかかった年齢のせいなのかもしれないが、最近世間的にもブームになっているから、きっとみんな、昔より、サウナに行きたがっているということなのだろう。だが「行きたがっている」というのは本当だろうか。みんなただ単に、やることがないだけではないのか。

現代自分を含めたある種の人々には、やるべきこと、欲しいもの価値のある行為が何もない。SNS時代にはすべてが細分化され、相対化されてしまう。映画音楽文学も、たくさんの人がそれを見たり聞いたり読んだりすることで名作になるのではないかしかし、そういうことはもう望むべくもない。あらゆることは、単なる好みの問題しかない。

それが楽しめるなら、幸せだろう。しかし誰も自分の好みだけで生きていけるはずがない。「推す」なんていうのも、すべてが相対化されてしまったあとに何かを信じるために、自分を「推し」に明け渡す、ある意味宗教的自己犠牲のような行為だと思う。

「推す」というのは、自分を信じられない人間が考え出した、自己否定による「好み」の止揚だ。

そして、現代におけるサウナとは「推す」ことの裏面ではないだろうか。

「推す」が、自己否定から他者を経て創造される「生きる意味であるとすれば、「サウナ」は、自己否定自体の緩やかな肯定である

あらゆる価値が相対化され、何も信じられなくなった人間には、本当の意味欲望がない。やりたいことも、欲しいものも、行きたい場所もない。しかし、そのことに向き合ってしまうのはとても危険だ。それ自体フィクションに過ぎないとはいえ「生きる意味」がなくなってしまうからだ。

そこでサウナとは「何もしない」ということであり、サウナに行くとはつまり「どこにも行かない」ことだ。つまり欲望すべきものがないということを、「何もしない」をすることで、無理なく肯定する。「すべきことがないので、何もしたくない」という恐ろしい事実に目を背けつつ、何もしないままで何かしたような安心感が得られる。そういう効果サウナにはあると思う。

自分は縁がないけれど、おそらく筋トレにも近いものがあるだろう。「筋肉は裏切らない」というキャッチコピーがあるが、それは、ほかに確かなものが何もないという絶望しか聞こえない。

信じるに値する価値がないということを、他者を通じた自己犠牲で埋め合わせるのが「推し」、信じないこと自体を信じることによってやりすごすのが「サウナ」、自己をモノとして信じようとするのが「筋トレ」といった感じだろうか。

なんでもいいから何かを信じて生きたいと思っているが、とても難しい。

2024-03-23

anond:20240323181437

AIはこう回答したけど、どうでしょう

 

下記の感想になる人に説明するアイデアはありますか?

キーアイテムの話の所がよく分からない。努力教信仰してしまう話とどうつながってるのか不明瞭。』

 

キーアイテム」と「努力教」の関連性について 

1. キーアイテム:困難の原因と解決策の象徴 

キーアイテム」は、困難な状況にある人にとって、現状を打破するための希望解決策を象徴するものとして用いられています努力教信徒たちは、自分たちが苦しんでいるのは「必要キーアイテムを持っていないから」と考え、そのアイテムを手に入れれば幸せになれると信じています

 

2. 努力教キーアイテム信仰落とし穴

しかし、努力教は、困難の原因を個人努力不足にの帰結し、社会構造環境などの外部要因を軽視する傾向があります。そのため、努力教信徒たちは、キーアイテムを手に入れるために過剰な努力を強いられ、結果的自己否定精神的な消耗に陥ってしま可能性があります

 

3. 具体的な例:学歴社会階層

例えば、学歴を「キーアイテム」と捉える場合高学歴であれば社会的に成功できるという幻想を抱きやすくなりますしかし、実際には、学歴以外にも、家庭環境経済状況、人脈など、社会階層に影響を与える要素はたくさんあります努力教信徒たちは、これらの要素を無視し、学歴さえあれば成功できるという考えに固執することで、不必要自分を追い込んでしまうことがあります

 

4. 真の解決策:多角的視点社会変革 

困難な状況を克服するためには、個人努力だけでなく、社会構造環境などの外部要因も考慮する多角的視点必要です。努力教信徒たちは、キーアイテム信仰から脱却し、社会不公平に対して声を上げ、社会を変えていくことも重要です。

  

5. 結論:多様な解釈批判的思考

キーアイテム」と「努力教」の関係は、単純な因果関係ではなく、多様な解釈可能です。読者は、批判的に読み解き、努力教落とし穴と真の解決策について考察することが重要です。

2024-03-20

もうアラサーなのに未だに自己否定感が高すぎる

たまに人に求められると自分なんかこんなんなのに気を遣われてんじゃないか申し訳なくなる

頻繁に遊びに誘ってくれる知人とか、自分と遊んでて楽しいのかなと不安になる

2024-02-28

これは圧迫面接

この間転職面接受けたんだけど、コレって圧迫面接かな?と思った質問があるんだけど、どう思うか聞いてみたい。

28歳の男性(俺)と新卒、どっちを企業は求めると思う?」って質問

答えにくかったし、圧がやばかった。

「いままで勉強で良い成績を収めてきたか?」って質問に「並みです」って答えたら、

「じゃあなんで並みの点数しか取れなかったの?」

「……要領が悪かったから、ですか?」←ここで精神ちょっとやられる。

「じゃあ君を取ろうという気にはならないし、新卒をとるよね」

から最初言った質問

転職面接ってこんなもん?続けられない気がしてる。この企業おかしいだけならいいけど

追記

コメントありがとう

かに新卒より自分採用すべきメリットを話せれば良かったんだけど、自己否定に入らざるを得なかった分、頭が真っ白になっちゃって…

感じ悪いって言い方が正しいのかもしれん。

合格はあり得ないと思ってるんだけど、もし合格したら辞退していい?する気でいるけど

2024-02-12

anond:20240212175752

自己否定になるような妄想ダメだと思うの

 

たとえば、何かの習慣化とかささやか妄想ならいいんじゃないの?

2024-02-10

精神障害発達障害を抱えつつも生きていたい生活保護受給者

回答やアドバイスが欲しい訳じゃなく、ただ吐き出させてくれ。
  

若いから鬱病などあって通院をしながら年をとっていった。

病気が酷くなりパートナーのための家事などが困難になり治療に専念するため離婚をして一人になった。

離婚した後パートナーはご両親がご健在で今は実家暮らしてる。自分の両親は自分若い頃に亡くなっている。

自分はその後障害年金受給し足りない分を生活保護受給して生活費としてる。

またヘルパーなどいくつか福祉サービスに支えてもらってる。

福祉に支えられなければやっていけない人間など死んでしまえというような書き込みを見ると胸が痛い。

精神病を抱えての生活社会に何も貢献出来ず生産も出来ない。社会に何も役に立ってないだろう貴様と言われても反駁できない。

でも死ぬのが怖い。病気は大変だけれど死にたくない。自分が消えるのが怖い。生きていたい。

お願いします。どうか福祉に支えられて生きる事を許してください。

そして精神障害身体障害発達障害知的障害の病名など(メンヘラ糖質、ハッタツ、境界知能等)をつかって他人卑下するような事をネットで書き込むのは止めて欲しい。

障害や重い病気を持つ苦しみ、辛さ、理解して貰えない悲しみ、患者家族の苦しみ、本当に辛いんだ。
 

LGBTQ+の方々が少し羨ましい時がある。

様々な障害者を馬鹿にしてこけおろし死ねと書き捨て、病名症状名等をつかって他人卑下するような事を書いても誰もとがめないし強く否定する声を上げる人もいない。
 

精神障害者が全て自己否定が強く希死念慮に苛まれている訳じゃない。

100年200年それよりもずっと先まで生きていたい自分がここにいる。

どうか、伏して乞い願う。100年先は無理だろうけど、限界まで生き続けることを許してほしい。
  

生活保護受給であることを普段伏せているのでここじゃなければ吐き出すことが出来なかった。

読んでくれてありがとう。どうか心身を大事に生きてほしい。

2024-02-02

ラジオ東アジア反日武装戦線とその時代を振り返り、見えてくるもの

2024/1/31(水) 20:10

TBSラジオ荻上チキ・ Session」#ss954

メインセッション

東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの

https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782

初見(初聴)の固有名詞略語も多かったので振り返ってみる。

(約3600文字

青木理氏:

最近判決が出た大坂正明被告渋谷暴動事件)は中核派だった。

中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。

島聡「さん」

田原牧氏:

(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。

私は急に森田童子を思い出した。

荻上チキ氏:

「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師主題歌)の。

田:

もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。

荻:

時代を振り返っていく。まず60年代

田:

戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス

60年代学生運動日本戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。

(「戦線設立1972年1975年まで事件を繰り返す)

田:

60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。

運動竹竿ゲバ棒火炎瓶爆弾となり、'71には三里塚東峰十字路事件警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。

荻:

まず全共闘から

田:

60年安保の頃は大学生の数も少なくエリートだった。

大学に行くことと政治活動をやることが矛盾しない世代だった。

その後、大学入学率があがり、全共闘運動が起きてきた。

男子大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)

田:

東大全共闘リーダー山本義隆氏が、闘っているに自分たち特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。

田:

60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国責任は問われなかった。

田:

入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本新左翼党派は頭を下げた。

田:

60年代は「黙っているのは加害」(ベトナム

70年代は「日本の安定自体アジアへの加害」

この自己否定の流れと「戦線自体アナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。

荻:

今振り返った時代の前半、大学自治学費問題から階級闘争安保闘争反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。

その後「戦線」に行くまでの時代の流れは?

青:

戦後の一時期共産党武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争放棄した。同時期にソ連スターリン批判が起きた。

共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派革マル派赤軍派などの母体となる。

全共闘は当初セクト党派)ではなかったが最終的に合体していく。

青:

学生たちはベトナム日米安保三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。

このあとよど号大菩薩峠連合赤軍などの事件がおき、さら爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線活動もこのころ。

田:

戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。

青:

狼煙を見よ」や「腹腹時計から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。

荻:

60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配反省中で農村コミュニティ市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織反省攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。

青:

戦線」の事件肯定はしないが、アイヌ在日コリアン沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。

また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。

荻:

戦線」はなぜ闘争攻撃を選んだのか。

田:

原罪性を持つ日本人への落とし前だと思う。

また時代の流れが、新左翼国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たち武装する、という意識が強かった。

昭和天皇暗殺未遂朴正煕暗殺未遂文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識暴力時代を切り開く意識があったのではないか

青:

松下竜一狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂しょんぼりしていたときに同世代文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。

お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道将司は痛切に反省をした。

荻:

今の若いからすると左翼マルクス主義だというイメージが強い。

新左翼マルクス主義距離、「旧左翼」とマルクス主義距離、「戦線」の立ち位置はどうか?

田:

新左翼の各党派マルクス主義に基づく綱領路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクス時代的に当然読むが、全共闘学生たちと同様に倫理から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに水俣山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。

荻:

分かりやすイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが

田:

戦線」は革命ではなく落とし前国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方問題ある意味ものすごくピュアな人たち。

CMと前半の振り返り)

荻:

この半世紀どうか。

青:

ドイツ戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカ基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。

荻:

現代の「反日」は、歴史に向き合う人への罵倒語になった。

青:

皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。

青:

新左翼セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊リーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺評価している。こういう流れが新右翼ムーブメントを生んだ。

リスナー

戦線」は何をしたかったの?

田:

将来構想はなかった。個々人の落とし前三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理日本国家転覆まで。

太田竜という、世界革命世界赤軍を唱えたイデオローグ理論指導者)は、第三世界革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。

荻:

今後の公安国家の語りは?

青:

反共左翼対策としての公安役割は終えた。

ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代必然

今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。

荻:

テロ正当化はしないが歴史と向き合うことの課題

そして、マルクス主義はなくなっても、性教育性的マイノリティ権利保護選択夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。

青:

妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本左派というかリベラルへの大きなダメージマイナス面になっていると思う。共産党左翼へのアレルギーヨーロッパでは緑の党や旧共産党政治ムーブメントを作っているのに。

荻:

理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズム空気のようなものは残ったかもしれない。

田:

今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代河野談話村山談話につながっていると思う。

荻:

振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。

2024-01-27

anond:20240126192913

しろ日本左翼はみんなこんな感じじゃね?

正直こんな異常な自己否定強要してきたせいで、ネット普及以降に反発的に右翼的言説が広がったんだろ。

最近はある程度フラットになってきてるけど、2000年代ネトウヨ全盛期があったのは、それ以前に左翼による抑圧的な自己否定強要があったからだろう。

日本ではネットによる抑圧から解放右翼のものになってしまたことを左翼は深く反省すべきなんだけど、今の左翼キャンセルとか表現規制とか相変わらず抑圧方向の活動ばかりなんだよな。

2024-01-26

島聡容疑者ってこれもう半分はてな民だろ

反日亡国論

反日亡国論(はんにちぼうこくろん)は、日本新左翼1970年代に主張した思想

単に「明治以降日本帝国主義が為した悪行」を批判するのでもなく、

歴史はるかに遡って日本国の建国日本民族による歴史のもの否定し、

反日」の立場から、「日本を滅亡させる」べきと主張し、その絶滅を主張した。

いわゆる「日本人」は、

己が「抑圧者・犯罪民族」たる日帝本国人であることを充分自覚し、

自己否定していかなくてはならない。

日本は償いきれない犯罪を積み重ねてきた反革命国家であり、

醜悪な恥晒し国家民族であるので、

日本を「祖国」と思うこと自体が最大の反革命思想であり、

積極的民族意識・国民意識を捨て去って「非国民」になれと説く。

そして反日亡国論全面的に受け入れて反日闘争の闘士となることで、

初めて「抑圧者・犯罪民族」という「原罪から解放されるとする。

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-04

『私が受けてきた虐待とその影響。家族環境。そして私の将来について。』

私は20代女、大学生

これまでずっとどこかに書き残しておこうと思いつつ、なにかと手が進まなくて書き残せなかったことを、今回こそ残しておこうと思う。

~~テーマ

『私が受けてきた虐待とその影響。家族環境。そして私の将来について。』

私は父親から身体虐待心理的虐待を受けてきた。物心ついた時からだ。

今は身体虐待ほとんどないが、心理的虐待は続いている。

一番古い記憶幼稚園生の頃に、深夜3、4時に突然起こされ、母、弟と並んでリビング正座して、ひたすら「ごめんなさい」と土下座して謝ったことだ。

詳しい理由はわからなかったが、両親の喧嘩に巻き込まれて起こされたんだなと思ったことははっきりと覚えている。

その時にすでに、「お父さんをこれ以上怒らせないようにしなきゃ」と必死だったから、それ以前からから虐待はあったと考えられる。

すでにこのエピソードを書いただけで泣きそうだし、なくのを堪えようとして喉が痛い。でも書き残したい。

~~虐待の具体的な内容

「バカ」「アホ」「マヌケ」と鬼の形相で怒鳴られる(必ずついてくる基本セット。もはや戦隊ヒーローの名乗り的な。)

幼稚園の親子参観で父親が私に恥をかかされた(と思った)ので、帰宅後に殴られたり怒鳴られたりした。

幼稚園に登園中、(当時すでに嫌いな)父と手を繋ぎたくなさすぎて、幼稚園前の泥道を走った結果、転んで制服を大々的に汚す。このことに父が怒り、その日は仕事に行かず、帰宅後に父にめちゃくちゃ怒鳴られる。

・顔や腕、足を殴られる(父は極真空手経験者)

・顔を叩かれる(父は極真空手経験者)

お腹や足を蹴られる(父は極真以下略

・買ってもらったコートをすぐに見せなかったのでマグカップで殴られる(すぐに見せれば良かったな〜)

ゴルフクラブ背中を殴られる(直前に布団を被ったのでセーフ)

ゲーム機破壊して見せしめのようにリビングに置かれる(「「見せしめ」」)

ノートPCで頭を殴られそうになり、腕で頭を守った結果、PCで腕を殴られる(守ってなかったらどうなってたんだろう)

数学問題理解できず罵倒されたり殴られたり

・「◯ね」、「とび◯りろ」と罵倒される

・何かと「金を出してるのは誰だと思っているんだ」と言われる。(中学までは公立無料で入れるのに、なぜ早くから私立に入れたの?と思ってやみません)

コロナ禍の時に学校に行けないので家にいなければならず、余計父と顔を合わせるタイミングが多くて衝突することが増えた

大学受験に失敗し、「低学歴」と罵られる。(大学生になってから心理的虐待メインで、ほぼこれ。)

・私が洗濯物を干し忘れたので、鬼の形相で罵倒

他にもたくさんあると思うが、忘れてることも多い。なにかをきっかけに思い出すこともあるが、たぶん脳が忘れようとしているのだろう。

すでに書くのが辛い。でも、今まで辛くて書くのをやめてきたから、今回は最後まで書き切りたい。

~~身体虐待の影響

学校が終わるのが怖い、家に帰るのが怖い、金曜日が終わるのが怖い。

・父が帰ってくる時間が近づくたびに怖くなる

・いつ死んでしまうのか不安

・いつか刃物で刺されて殺されるんじゃないかと、頭のどこかで常に考える

・頭に3-5cmの傷ができて血が止まらない。のちに跡が残る(髪で隠れてるのでセーフ。尼さんじゃなくて良かった。)

・10cm以上の傷あとが残る

・足を捻挫し、小学校階段が昇れなくなったのでエレベーターを使わせてもらう(学校先生には病院に行きなさいと何度も言われた)

・その他、傷、あざ、捻挫、などなど

なぜ病院に行かなかったのかと思う人も多うが、その理由は後述。

~~心理的虐待の影響

・どんなに人前でポジティブに振る舞っていても、心の奥底では強い自己否定をする

・家に帰るのが怖い、金曜日が終わるのが怖い

DVを扱っている映画ドラマ問答無用にボロ泣きするので見れない

・なぜか大学受験を控える高3の時、学校の授業中や塾の自習室でそれまで受けてきた虐待のことを思い出し、泣いてまともに勉強ができない。友達に(受験に対して不安だと思われて)慰められる。(大学受験の失敗は私の勉強不足もあったから、そのせいにはしたくないけど。)

大学で取った授業のテーマDV家庭内暴力)で、毎回紹介される具体的な例を聞いて大号泣する。(オンライン授業というだけでテーマも調べずに取ってしまいました。恥ず。)

・やっぱり自己肯定感がめちゃくちゃ低い

割と内容がハードめだと思っているので()おちゃらけコメントとか入れてみたので、読みやすかったかもしれません(?)

このままもう少しお付き合いください。

~~虐待の影響(その他)

男性が怖い

・どんなに優しい人でも裏の本性はやばいのではないかと思い、信頼するのに時間がかかる。

男性が怖いので、疑り深くなり、彼氏ができたことが一度もない。(まあ今時そういう子が少なくないのは救いですが)

・将来結婚して子供を持てても、私が子供虐待をしてしまうのではないかと思い、将来の選択肢結婚を入れにくくなる。

・でも、親は選べない分、自分で選んだ家族は持ちたいか結婚はしたいし、子供に恵まれたら子育てもしたい。(超ジレンマ

~~病院に行かなかった理由

特に中学生までは医療費がタダだったので、病院なんて保険証を持っていけば一人でも行けたかもしれない。

でも、まず母が病院に行こうと(たぶん一度も)言ってくれなかった。

母は父の暴力をあまり止めることができていなかったし、怪我をしても病院に行こうと言ってくれることは(たぶん一度も)なかった。

正直、これに対してすごく怒りがある。

それは、傷跡が残ったからだ。

から出血して血が1時間たても止まらなかった時や、10cm以上も傷ができる怪我した時ですら、母から病院に自ら連れて行ってくれなかった。

病院なんて近所にいくらでもあるのに。

1ヶ月後くらいに、私がようやく母に病院に行きたいと言い出せて皮膚科に行ったが、おじさんの皮膚科から「なぜすぐに来なかったんだ」「一生傷跡は残る」と言われた。

すごく悔しかった。泣きそうだった。

だってすぐにでも病院にいって手当してもらいたかった。でも、理由をどう説明すれば良いかからなかった。

「父から殴られた」なんて言ったら児童相談所通報されると思った。児相に連絡が入ったら、親が仕事をなくすかもしれない。

そしたらまた「金を出してるのは誰だと思ってるんだ」的なことを言われるかもしれない。

「お前が黙ってれば良かったのに」と言われるかもしれない。

そんなことを想像してぐるぐる考えていたら、1ヶ月が経っていた。

結局、適当理由を思いついて皮膚科医のおじさんに説明した。

傷跡は今でも残ってる。

最近その傷跡を消したいと思い傷跡レーザー的な治療見積もりに行った。20万以上すると言われた。

それでも傷跡は完全に綺麗には戻らない。

悔しい。

~~母について

ただ、母は専業主婦で、仮に児相相談したりして別居になったり、離婚でもすることになったら私と弟を引き取ることになり、2児のシングルマザーになってしまう。

一度だけ、母に「なぜ離婚しなかったのか」と聞いたが、「離婚してほしいと思ってたんだ」と返された。たぶん心理学のバックトラッキングとかオウム返し的なことをして共感表現したつもりなんだろうけど、私には共感や同情どころか、離婚なんて選択肢があったんだという驚きに感じられた。

事実かどうかはおいておいて、離婚絶対に嫌だったのだろうと思う。

それは幼稚園小学校低学年の時に、母は「玉の輿に乗った」のだと気づいたからだ。

父はそれなりに社会的地位が高くて収入の高い職業に就ているし、将来も有望だ。(実際、結婚して20年以上経った今でも高収入

しかもお互いに海外旅行好きとあれば、(出会った時は想定外だったであろう)DVにさえ耐えれば、毎年海外旅行に行けるし、ブランド物のバッグや服やジュエリーが手に入れられるし、一生安定した生活が望める。

そんな人生を捨ててまで一人で子供2人を育てながら再び働くなんて考えにくかっただろう。

~~私の将来について

ただ、物心ついた頃から虐待を受ける経験をしてきた私は、もし母の立場なら即刻子供を連れて離婚する。

子供金銭的に不自由で肩身の狭い思いをさせることにはなるかもしれないが、少なくともこれ以上父親から虐待を受けさせずに済む。

やっぱり、虐待子供に与える精神的な影響は根深くて、一生レベルで続くと感じているからだ。

これは、まだ彼氏すらできたことのない私だから言える理想論かもしれない。

でも、真面目に結婚できるか相手基準は「良い"パパ"になりそうだと思える人」、つまり子供虐待をせず、子供愛情を注げそうと思える人だ。

それを見定める基準は今のところ

店員さんやタクシー運転手さんへの態度

イラッとした時の対処

普段の考え方がポジティブ

・その人自身意見の伝え方

かなと思っている。

本当に信頼できる、安心できる相手が見つからなければ、結婚しなくていい。

私が結婚する時は、世界中に自慢できるくらい素敵な人と縁があった時だと思う。

~~もし児相相談していたらどうなっていたのか(想像

先ほど「「お前が黙ってれば良かったのに」と言われるかもしれない。」と考えたと記したが、実際に公的な人や機関相談していたら、どうなっていたか想像してみる。

児相保護される

②父は警察に取り調べを受ける(傷害罪的な?)

仕事は失わないかもしれないが、どこからか噂が流れて仕事は減っていたかもしれない(噂はどこからともなく広がるのがこの世の不思議なとこ)

保護されて金銭的にはそれまでよりは恵まれない環境に身を置くかもしれないが、それ以上父から虐待を受けることは無くなったかもしれない。

要するに、金銭的には裕福ではなくなっているかも知れないが、身体的・心理的にはそれ以上悪影響を受けずに済んでいたかも知れない。

~~将来の私が虐待をしないようにするためにやってきたこ
~~読書

物心いたこから人と比べて怒りやすいところがあると思っていた。また、大学受験の時に結構自己肯定感が低いなと気づいた。そしてどちらもその原因に父の虐待は大きく影響していると思っていた。

なので、特に大学に入ってからアンガーマネジメントの本や自己肯定感の本など、いわゆる自己啓発系の本を読むようになった。

もう定番の本から図書館の貸し出し回数が少なさそうなものまで、くまなく読んだ。

その中で、次第に、少しずつではあるが、アンガーマネジメントができるようになってきたり、自己肯定感を上げられるようになってきている。

まだ、将来に対して大袈裟なくらいの不安を抱いたり、自分可能性を信じられなかったり、人に頼るのが苦手なところがあるが、毎年少しずつ精神的な成長を感じる瞬間がある。

ただ、こういう精神的なものは一生かけて育てるものだと思うので、定期的に読書勉強を続けていく。

~~教育バイト

特に小学生対象にしている中学受験塾や家庭教師バイトをした。

これは、私が特に小・中学生の頃に父親から勉強を教わるたびに暴力罵倒を受けてきていたので、そうではなく理性的に、子供が納得するような指導方法を身につけたいと思ったからだ。

私は少し算数数学が苦手で、問題の解き方がわからないと、それだけで罵倒暴力を振るわれてきた。

勉強がわからないだけで虐待されるなんておかしいと思いつつ、将来私が子供を育てることになった時、子供が「(私にとって)簡単なことすらできない」と感じた時に、父と同じように怒りに任せて罵倒したり手を出したりしてしまうのではないかと恐れていた。

そこで、子供気持ちがまだわかる大学生のうちに、教育に携わることで少しでも正しい教育の仕方を知っておきたいと思った。

バイトの中で1番に気を配ったのは、言葉の選び方だ。特に小学生男子はいたずらをしたり、全然勉強しなかったりする子が多い。そんな子に対しても、怒るのではなく、「周りの子勉強を頑張っているから、それを妨げるようなことはしてはいけないよ。私と一緒に問題解いてみる?」など、その子のしていることが良くないことだと伝えつつつ、本人の勉強サポートする意思があることを提示するような声掛けをした。また、問題が解けなかったとしても、必ず褒めるポイントを見つけている。「ここまでの計算は合ってたからあと少しで正解するよ」とか伝えたり、「難しいと思っても頑張って解こうと考えてたのが良かったよ」と伝える。そして。結果よりも過程を褒めるようにしている。

とにかく、父のようにできないことを怒るのではなく、少しでもできたことを褒める方針をとっている。

教育系のバイト経験することで、少しでも私の伝え方や教育の仕方を上げることができたらと思っていたが、我ながらその成果は得られていると思う。

でも、いざ自分の子供を育てることになったらどうなるかはわからいから、怖い。

~~影響を受けた2つの動画

私は大学生になってから、私がこれまで受けてきた虐待にしっかり向き合おうと思い、色々と本を読むことに加え、関連する動画を見るようになった。

やっぱり、見るたびに大号泣するし(普段はそんなに泣けるタイプじゃないに)、過去を思い出して辛くなるし、悔しさや怒りが込み上げてくる。

それでも、私はこれから人生を少しでも明るくするために、過去に向き合って原因を見つけたり、思考の癖を見つけて改善したいと思っている。

その中で、特に影響を受けた動画が2つある。

~~『ねほりんぱほりん』「わが子を虐待した人」 | Eテレ

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019103761SA000/

この回は、加害者である父親が、虐待を振るう心境や、本人の養育環境を語っている。

簡単にいうと、虐待を振るっている時、理性は存在しないらしいし、虐待をすることは「教育」であり「正しいこと」だと信じてやまないらしい。

この父親は、妻から児相通報されたことで、子どもから離された。

そして、虐待加害者が集まる「更生プログラム」に参加しているという。

加害者側の心境を知る機会など多くないと思うので、この番組はすごく参考になった。

有料だが、こんな内容の番組他にないと思うので良ければ見てほしい。

私の父も同じ心境だとは断言できないが、普段生活の時と虐待をしてくる時との豹変ぶりから判断するに、自分が悪いことをしているとは思っておらず、むしろ教育にあたっって正しいことをしていると思っているかもしれないと思うし、理性でもって父親自身の行動止めるなんてこともできないだろうと考えた。

私は父親に、そのが集まる「更生プログラム」して、少しでも自分の行動と言動反省してほしいと思うが、簡単に言い出せない。

~~[ハートネットTV] 「子どもと向き合うのが苦しい」虐待の“後遺症”に苦しむ | NHK

https://www.youtube.com/watch?v=zSCNXWIQ0Js

から虐待を受けていた女性のことが取り上げられている。

6分ほどで誰でも見れるので、ぜひ見てほしい。

この動画で1番印象的なのは女性には子供が2人いるが、虐待したことがないことだ。

女性の長女が「よく自分暴力を振るわなかったな」、「よく自分を止めた」、「私に愛情を注いでくれた」と言っているのをみるたびに、必ず号泣する。

私はずっと、「将来の自分の子供に暴力を振るってしまいそう」と考えていたし、虐待を受けて育った人は、虐待以外の教育方法を知らないのではと思っていたからだ。

でも虐待を受けて育ったとしても、子供にその経験をさせない人がいた、と知れたことで、自分未来に少し希望が持てた。

また、女性自分で色々な本を読んだりして自分感情との向き合い方を探っていて、そこも参考になった。

~~父に対して思うこと

物心ついた頃から虐待されてきたので、正直殺したいと思ったことは山ほどあった。

その気持ちは、怒りよりも不安からくるものが大きかった。

キッチンにある包丁を見て、親が寝てる時にこれで殺したら、もう虐待されずに済むのかな、刺すならどの位置が確実なのかな、なんてサイコパスみたいなことはまあまあ考えた。

そんなことを考えるくらい、命の危険を感じることが身体的にも精神的にも多かったと思う。(ゴルフクラブとか、、)

でも、ニュースとか小説とかで少年法を知って、14歳から少年法適用されて、人を殺したら少年院に入れられると知った。

警察にお世話になるのは時間人生全体の無駄になるので、14歳誕生日前日夜に、「絶対に父を(もちろんその他の人も)殺すことを考えるのは辞めよう」と決めた。それからは一度も父を殺したいとは思っていないし考えてもいない。

ただ、なるべく早めに死んでほしいとは正直今でも思う。

父さえいなければ、と思うことが数えきれないほどあるし、これからもそうだと思う。

一度父が大きな病気をしたが、看病になんて1ミリも行きたくなかった。父は物凄く来て欲しがってたらしいが、私は、子供が看病に来ないことに気を病んで寿命が縮まらいかなとか考えてた。(サイコパス?)

でも、父が一定期間家にいなかったあの時期ほど、安心して家にいられた日はない。あと、父と母の海外旅行中。

父の年齢で既に亡くなってる人だっているのになんで父みたいな人が生きているのだろうか。元日石川地震も、翌日の海保機の事故も、父より若い人も亡くなってる。

神様不公平だ。

遺産なんて私は1円もいらないので、私たち子供が母に仕送りなどしなくて済むようなお金を残して死んでほしいとか考える。

考えるだけなら罪ではない。

~~弟について

弟も虐待被害者だが、これは私が書いているブログなので、弟が受けた虐待については書かない。

弟とは、小学生までは喧嘩が絶えない間柄だったが、今ではお互い成長して、喧嘩ほとんどしなくなった。

しろ、私が父から虐待され始めると止めに入ってくれたり、後で父に対して客観的な態度で「あの発言が良くない」など言ってくれるようになった。結構それに心が救われている。ありがとう。(このブログ知らないけど)

そんな良い感じの関係になってきたので、弟と、父の虐待について話すことが増えてきた。

続きはこち

https://anond.hatelabo.jp/20240105203944

2023-12-26

anond:20231224205818

何なのこれ釣り

オタク仲間を作ろうとして失敗してきたってなんなんだ…

スクールカーストの最底辺にいたら自然オタク仲間"しか"できないだろ…!

ていうか私がそうだった

物心ついたときから友だちがいなかったから、絵を描くことと漫画を読むこととアニメを観ることとゲームすることが生きがいで、それ以外に生きる術がなかった

庵野監督が「現実に帰れ」とアニメ映画でわざわざにオタク説教かましたり…他ならぬアニメカントクから糾弾迫害されるような、そんな存在だっただろ、オタクってやつは…

そんなこんなで16歳のころにはオタク自分ほとほと嫌気がさし、アニメ漫画もすべて観なくなり、メイクを覚えてオシャレも覚えてオタクとは無関係世界に行ったけど、まったく楽しくはなかった

おかげで今もそのころ流行った作品(主にONE PIECENARUTO)に関する知識がすっぽり抜けてるせいで苦労してる

○○さんも漫画とか読むんだ?!と驚かれるくらいの人間になったし世界は広がったけど、やったことはただの自己否定だったので辛かった

そんなわけで、オタクは「なってしまう」もので「なる」ものじゃない気がする東京在住アラフォーおばさんからのお便りでした

2023-12-17

最近フェミニズムを正確に理解してる中高年男性も増えたよな

年齢を重ねてから過去常識客観視・内省して新しい概念理解するのは、長年常識だったことを疑う意味でも、自己否定になりがちだったりする意味でも、機会やモチベーション意味でも、難しいと聞いたけど

すごい、見直し

2023-11-25

世界一エンジニア思考法のさくらレビューやばい

一言からマイクロソフトマイクロソフトマイクロソフト

ブログもまずそこから書籍もまず肩書からで有名な人の書籍

虎の威を借る狐、ここにあり

でも評価めちゃくちゃ高い。え?

べた褒めレビューだらけ。まじで引くくらいべた褒めだらけ

dicelog.

5つ星のうち5.0 応用の効く思考

2023年11月19日日本レビュー済み

Amazonで購入

本を読んで久しぶりに「効いた〜」って感じがしました。

私自身がたまたまタイミングが合っていただけで、他の方が同じような印象を受けるかは全く分かりません。

ただ、今の私にはものすごく刺さる本でした。

本書はタイトル通り、世界の一流とされるエンジニアがどう考え行動するかを「思考法」という言葉でまとめて紹介してくれています

具体的なTipsのような内容からマインド、そしてAIとの関わり方など、多岐にわたる一流エンジニアの捉え方を垣間見ることができます

私自身はエンジニアでもなんでもなく、デザインを主軸とした小さな個人自営業者なのですが、畑違いの仕事をしている私にも本書の内容は非常に参考になり今後の仕事に活かせると感じましたし、子育て人間関係などにも活用していこうと思います

何より心打たれたのは、本書の最終章、締めとなる文章言葉です。

「私の人生は私のもの。働き方は自分で決めて、もっと楽しもう。自らの手で選択して、幸福になろう。」

たまたま仕事人生とのあり方に悩んでいた折に出会い、色々と考えさせられました

Amazon カスタマー

5つ星のうち5.0 初めて腑に落ちた

2023年11月18日日本レビュー済み

Amazonで購入

この手の書籍は無数にあるが、最も心の底から理解できたと思う。

Masafumi330

5つ星のうち5.0 根本的な価値観が180度変わる、素晴らしい本でした

私自身、周りの人は上手くやっているのに、なんで自分は上手くできないんだろうという自己否定にとらわれたソフトエンジニアでした。

ただ、自分が上手くできないと感じる理由は、脳の使い方にあるということが分かって一気に視界が開けたように感じます

また、最後の章で、日本批判文化についても言及されてて、ここが一番私には刺さりました。

自分自身、他人や他の物事の悪い部分だけをクローズアップして揚げ足取りをする部分があるかもしれません。

1人じゃこの国の批判文化を変えることはできないかもしれませんが、まずは自分の手の届く範囲で、失敗を受け入れる習慣をつけていこうと思います

まじでソフトエンジニア必読です。

ほんまか?

フェイスポットAmazonレビュー分析したら最悪のF評価

Fって中華製品以外で始めてみたぞ。。。

ブレないなあ。。。

2023-10-28

自分を責めるあまり涙が出てしまうことについて

 社会人になって2年目も後半に差し掛かる23歳の女だが、とにかく打たれ弱い。それはもう、とてもひどく。

 

 たとえば、仕事ちょっと失敗をして、他部署の方に迷惑がかかってしまったときそもそもベースとして「私のせいで迷惑をかけた」という申し訳なさを、人一倍強く感じる性質で、これだけでもズン……と見るからに落ち込んでしまうのに、そこに相手から「本当だよ、気をつけてもらわないと」などとほんのりチクッと言われた日には、もう、この世の終わりである。「本当にそうですよね」と自分を責めて責めて責め倒す、精神崩壊ピタゴラスイッチが始まってしまう。

 

 1人で勝手ピタゴラスイッチしている分にはまだ良くて、私の何が面倒かって、涙も勝手に出てきてしまうのだ。これがとにかくたちが悪い。私が「ごめんなさい」と泣いてしまうことによって、本来私が悪いはずなのに、相手方に「自分が泣かせてしまったのではないか」という罪悪感を抱かせ、かえって気を遣わせてしまう。これが本当に困っている。相手パワハラセクハラ常習犯だとか、そんな人間性に難のある人ではなく、ごくごく一般的な良い人だと分かっているので、尚更申し訳なく思う。

 

 相手からしたら知ったこっちゃないだろうが、このとき私としては本当に泣くつもりはなくて、気を遣わせてしまっている最中には、ただただ感情コントロールできない自分に対して嫌悪感を強めている。

 そのくせプライドが高く、いつだって良い子だと思われていたいから「すぐ泣く奴だと思われた」「会社で泣く面倒な奴だと思われた」「今後何かあってもコイツには強く言えないなって思われた、腫れ物のように扱われるかもしれない」というマイナス思考をひたすら誘発し、そのまま「どうして私はこんな人間なんだろう」と自己否定が止められないでいるのだ。

 

 言ってしまうと、この話は昨晩会社で起こったこなのだが、一通り謝罪をしてその場を去り、家に帰ろうと車に乗った瞬間、迷惑をかけてしまった自分が情けなくて、仕事のできない自分が嫌で、涙が出てしま自分も、それで気を遣わせてしま自分も許せなくて、更に激しく涙が溢れ出てきた。そのまま過呼吸になってしまい、手が痺れて動かなかったので暫く運転ができなかった。めちゃくちゃにも程がある。

 

 

 仕事でここまで酷いケースはこれまでなかったが、過去には恋人に対して私の言動で嫌な気持ちにさせてしまったり、困らせてしまったりしたとき上記のような過剰反応を起こしている。

 今はもう別れているが、当時はこんなに不安定彼女相手をさせて、本当に可哀想だったと思う。実際、このような状況に陥ったときには「俺はどちらかと言うと(迷惑をかけられたという意味で)被害者なのに、そっちが泣くから俺が悪いみたいになってる」「あなたにそのつもりがなくても、勝手にそうなっちゃってるんだよ」と、大正論をかまされていた。

 

 ここまで来ると、流石に何らかの病名や症状名がついてしまうような気がして、調べてみたが専門的な用語が多くていまいち自分が何に当てはまるのか、よく分からなかった。ただ拒絶過敏性だとか、白黒思考のようなものは、そのまま私のことだなと思ったけれど。

 病院に行って、診断?を下されたら、この性格を治す方法が分かるのだろうか。涙ばかり溢して人に気を遣わせたり、困らせたりしたくない。自分を責めすぎずに生きられるようになりたい。何から手をつけて、現状を改善していけばいいのかな。

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