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2017-05-16

DMM同人でさんざん抜いた後でエロゲが売れなくなった理由に気づいた

賢者タイム(真の意味で)に色々考えてだいたい理解できた

エロゲってほんの一時的ブルーオーシャンだったんだな

萌え絵は出回り始めていたが需要供給が追いついていなかった時代に、一番早くエロと結びつけて売り出せたのがあの業界だった

それからお話をちゃんと作れるやつが偶然在籍していたメーカーストーリーものエロゲを作って、萌え絵ストーリーという組み合わせの供給不足に飢えていた消費者さらに呼び込めた

 

んで現在の話だが

DMMでフルプライスのもいくつか買ってみましたけどね、今はそりゃ売れねえよこんなもん

萌え絵エロを求めてる人間エロ漫画エロ同人ソフトを買うし、萌え絵ストーリーはもう漫画でもラノベでもアニメでもいくらでもある

翻ってフルプライスエロゲは、シナリオだの変なオープニングだの音楽だのつけてボリュームがあるように見せかけてるだけで、すさまじくコスパが悪い

キロバイトいくらで請け負ってる木っ端ライターが書いた寒い台詞とかどうでもいいから抜けるシーンさっさと出せよって感想しか出てこない

ネット上で全CG全シーンコンプしたセーブデータが出回ってるのも当然

なんで嵩上げのための不要物でこっちの手間をさらに増やすわけ?

二千円未満でエロシーンだけがっつり入っててしかアニメーションするような同人作品ごろごろあるのに、3倍4倍の値段でごてごて張りぼてだらけのソフトなんて買うわけねえよ

ていうか好きな絵師原画やってる作品に関しては涙を呑んでその値段出してもいいですけど最初からCG・シーン閲覧モード全開放にしといてください

(実際にワンボタンでいきなり全開放できるソフトがあって、このメーカーわかってるじゃねえかと思いつつも、それって自己否定じゃないのかと複雑な気分)

 

から正確にはエロゲが売れなくなったんじゃないな

同人の良質なCG集とかヌキオンリーゲームダウンロード販売で売れまくってるから

ブルーオーシャンにあぐらをかい張りぼて満載のものを作り続けていたら供給が増えてきたところで売れなくなったっていう、当たり前のことが起きただけ

 

エロゲメーカーのみなさんに言いたい

あんたらが保有している、価値あるものは「絵」だけだ

原画さんと彩色担当さんけがあんたらの財産、それを水増しして五千円以上で売るようなビジネスモデルはもう終わったって気づいてくれ

そしてもっとコンパクトものを作るか、あるいは解散して原画さんを別業界に解き放ってあげてください

マジでお願いしま

2017-05-13

極端な人間になってしまった。もう無理

甘えだと言われてしまうのはわかってる。現実から逃げてるのもわかってる。でももう生きていける気がしない。普通になれない。ボロボロで恥ずかしい。

中学とき、真面目すぎるあまり周りにドン引きされた。でもそれしか自分アイデンティティが無かったのでその努力評価して貰うために必要以上に頑張っては色んな意味ボロボロになるということを繰り返していた。体育祭ダンスで異常に張り切ったり合唱オーバーに歌ったりしていた。笑われてもなぜか手を抜くことなくやり通した。

高校では私を見かけるたびにみんなが笑っていた。クラスメイトはいつもニヤニヤしながら馬鹿にしたように私に話しかけてきた。高校では目立たないようにしていようと思っていたのに目立ってしまっていたようだった。中学からの癖もあっただろうし、世間知らずだったので女子高生にしては変な振る舞いをしていたと思う。さすがに辛かったので散々普通になろうと容姿やら挙動発言に気をつかっていたが最後まで普通の人とは見てもらえなかった。ストレスがかかりすぎて逆に感情がなくなっていた。

大学に入ってから人間関係で散々トラブった。私が我慢できないことが原因であることが多かった。まだ挙動おかしいのか後輩に笑われたりもした。何にも馴染めなかった。

他人に認めてもらえなかったか自己否定感と承認欲求が入りまじっていてどうしようもない。自分を守るために怯えたり自己顕示したりと極端なことしかできなくて結局何にも得られない。

人を信用できない。人が怖い。だから気に入られるように謙虚無難に接しようとするが、素の自分を認めてもらいたいという欲求が勝って嫌われてしまったりする。私はおかし人間だ、普通にならなきゃという気持ちと、どれだけ努力しても普通になんてなれなかったと投げやりになりありのまま認めてもらいたいという気持ちのせめぎ合いだ。

どうしたら認めてもらえるのか。病的なほどに人の顔色を伺って自分を抑えて周りに適応しようとしたけれど駄目だった私は、逸脱することでさらに認められることから遠ざかっていく。中学時代に逆戻りだ。あの頃は普通でいることに関心がなかったけれど今はもう普通に生きて認められたいという気持ちが大きいから前よりもっと苦しい。このままただでさえ異常な承認欲求肥大していけばもっともっと私はどうしようもなくなるだろう。私はどうすればいい。

2017-05-11

靴下ぬぎ子『ソワレ学級』

いわゆる展開の妙という意味では上手いも下手もない作品。ただ淡々日常系文脈の中で綴られてゆく倦怠感のある空気主人公及び周囲の人物定時制高校に通学しており、その中で誰かをそれとなく見下したりいなしたり、正面から衝突せずに嫌な気分になったり、かまってほしかったり、といった空気をいつも発散する。この憂鬱モラトリアムの中で他校の生徒はまたもやんわりと彼らを馬鹿にする。

まり平穏無事に見える彼・彼女らの生活はいつも不穏で、振り切れるほど喧嘩腰でもなく、やる気もなく明るくもない、というどこまでもだらしない普通空間が広がっている。メッセージ性をあえていえば自己承認とそれにまつわる立場物語であり、柔らかく傷つきやすい全体をそのままパッキングするほどの器用さも伺えない。描写が突き放されているから、という理由もあるかもしれないが、むしろこの乾きはウェットを押し殺して諦めてしまった彼らの過去にあるようにも思える。実際登場人物過去は退屈な現在よりも暗く、その傷によって多くを諦めているように描写されるのである。行く先はブラック企業か野垂れ死に、格差社会で何者にもなれない嫉妬や引きずり下ろしの中で諦める、という構図はそのまま若年層に当てはまることで、ある意味背景を感じ取った若者としては刺さるのかもしれない。ここで舞台のものが大きな人格性を持って、後退的自己否定、つまり積極的にではなく惰性での自己否定ぼんやり提示するのである

こうした何もしない空気は一巻半分を超える辺りから急に緩和されてくる。それはヒロインの内「るり」と「べに」の百合関係の食い違いから発生するものだ。一生懸命な姿へと変化してゆくるりに対してべには次第に距離を感じるようになってしまう。つまり急速に生活環境漫画から百合漫画へと態度を変えるのである普通漫画場合ここで寂しさから怠惰に走るべにが悪い男に引っかかる、などの方向に舵を切りがちだが、ゆるゆるとした世界観を持つこの話では流石にそれをやらない。理由は急激な構造化にある。物語の後半で早見啓、主人公柳千草、ゆり、べにの四名で四角関係形成されるのである

どうも日本の連載作品の悪癖で、世界設定の紹介からストーリーラインへの組み込みという悪い流れが存在しており、世界設定紹介時点で票が取れるかどうかを編集が目配せしているのではないか、と思える。この悪癖は少年少女漫画に限らず週刊連載の特徴と限界であり、考証をよほど練ってスタートしないとこのように継ぎ接ぎスタートを切らざるを得なくなってしまうのではないか、と感じてしまった。無論大御所ともなればこの傾向は緩和されるが、ツギハギ、継ぎ足しの問題が作者だけに依拠しているようには思えない。しかしそれとこれとは別で、この作者から今後の可能性は感じない。百合漫画にしたいのかモラトリアム漫画にしたいのか、そのどちらにも舵を切ってアンチテーゼを投げ付けたいのか、趣旨すらもぼんやりしているのは問題がある。

2017-05-09

モテたい。

というか彼女ができて欲しい。

しかし私は不細工、そして容姿や卑屈な性格・皆無な自己肯定感・並々ならぬ自己否定から溢れ出る不審者感のお陰で友達も少なく、そんな友達にもモテたいと言うことができない典型的ダメ人間だ。

もちろん就活にもこの不審者感は多大に影響しており、未だにES面接以降なにも進まない状態である

こんな人として劣った人間に、好かれる方・法人に多大な迷惑がかかるのでそろそろ自殺でもしようと考えている最中である

そんな私でも誰かに愛されたいとか思ったのである

以上です。

http://anond.hatelabo.jp/20170509021634

今敏押井守現実と夢の混在が好きなのはディックなどの影響が大きいので、来歴とは一概に言えない。

宮崎富野特に現実に根ざしたというわけではなく、不器用からこそ現実バックボーンにしなければ描けない性質から

特にハゲの方は自分思想オブラート無しで、そのままチンチンぶらぶら状態で見せつけてくるので始末に負えない。

あのハゲがなにかうまい表現代替したところを見たこともない。ハゲ作品には「お前ら俺が教えてやる」しかない。

宮﨑駿は高畑勲からあんなのファンタジーじゃないですか」、と釘を差されたが、

そうしなければ毒物がひどすぎて人様に見せられたものではないので、宮崎監督場合あれで問題ない。

あのごまかし具合がこそがむしろ武器であり真骨頂なのだから

(かく言う高畑イマジネーションの欠片もない、くさみのあるポンポコでお茶を濁している)

分類するならハゲ宮崎押し付けがましさをどう表現するか、という派閥であって、

庵野自己否定世代に向けて抱えるヘドロををぶっ放し、自分自身への疑問を噴出させただけ。

俺はこう思う、ではなくこう思ってる自分なんか正しいわけ無いじゃん、という悲しみだよあれは。

居心地が悪いのはなく自分自身が好きなものへの最大の嫌悪。良くも悪くも閉じてんだよ。

来歴というか世代相に近いし、世代というよりも世代を捕らえた彼自身と言い換えてもいい。スタジオの来歴とか関係ない。

おじいちゃんたちが社会性の強いものを作りたがるのは、学生運動とかの怒ってた世代からじゃないのかね。

こっちもアニメ遍歴ではなく世代相。

ぶっちゃけ他の増田が言うとおり虚構であることを全員が熟知していて、そうした漫画少年ベースの上で説教したり自己否定したり概念いじりしてるだけ。

トラバミスったので元増田差し替えた。

2017-04-30

anond:20170430152954

昭和生まれ発見器にひっかかってる。

 

コンビニコーヒーでもスターバックスよりいい豆つかってるし、いわゆる合成保存料ももう何十年もつかってない。地元弁当屋さん・総菜やさんに仕事をあげて、産地直送(よほど遠くても隣県)で、もちろん髪の毛全部覆ってマスクして手袋してエアーフィルター通した空気の中で、非常に清潔につくってる。

 

家庭で毎回そこまでやってるかっていう話。均一さではプロに勝てる家庭料理なんてない。コンビニパンも、地方ではあなたのいう「地元パン屋」さんが焼いて納入してることがあるからよくみてね。

追記

あと、「お母さんが無理したからおいしい」、って理屈日本人特有自己犠牲を尊ぶ精神おかしいのよ。

母親の頑張りがとおといのは本当だけど、コンビニを使っても母親母親、別のところでがんばってる。

大げさにいうと生んだあとも産褥熱で死なずに生きてるだけですでにがんばってる。

コンビニ飯をつかう母親」の後悔、そして「コンビニ飯で育てられた上に後悔までされた子供」の自己否定につながりかねない風潮は早く消えてほしい。

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419111251

そりゃ小学4年なんて結構でかくなった後だし、その時に降って湧いて出て来た赤の他人の男なんて

思春期差し掛かった女子からしたら嫌悪対象しかないのは当然だろう

金出してくれるのは器でかいとは思うが

子供からしたら嫌悪対象しかない相手に金出して貰っても

金で飼われてるような気分にしかならないだろうね

「そんな相手に金を出して貰わなければ生きていけない自分」と言う自己否定にも繋がっていそうだ

再婚するならその再婚相手子供の間を取り持つの母親責任だとは思うが

再婚相手母親では母親の方が圧倒的に弱い立場だろうから(何せ相手は初婚なのに自分再婚だし連れ子の養育費まで出して貰ってる、相当気を遣ってるだろう)

娘より再婚相手の肩を持つのもこれまた仕方ない事だし、恐らく妹の方が優遇されてたりもするんだろ

母親は(自分再婚した事を肯定する為に)再婚子供の為にもなったという認識否定する事はないだろうが

子供にとっては、金はなくとも安心できる家庭で育つ方が良かったのか

将来的にその金のお陰で学歴身に着けられる方が良かったのか

そんなのは今後どうなるかによっても違うし、人によっても違うだろうな

何とも言えないわ

2017-04-12

隠れゲイ就活ものすごく強いのかもしれない、という話

ゲイ自殺率自殺未遂率はとても高いという。

ゲイである私(多くのゲイが多分そうであるように、私はカムアウト=ゲイであることを公表すること、をしない、

まり普通の人」を装って生きると決めた人であることを前以て伝えておく。)からすれば耳の痛い話であるし、同時に身に覚えのある話でもある。


なぜ死にたいのか?ゲイから死にたいわけではない。ゲイというのは、生きていく上でものすごく大量の「嘘」をつかなければならない場合が多いために、それに耐えられず死ぬのだろうと私は考える。

例を挙げて説明しよう。

ゲイである」という事を偽るためには、「私はゲイではないです」と言えば良いのか?

否。

ゲイですか?」と聞かれることなどあろうはずもないし、多分皆さんにもそんな質問の心当たりはないだろう。

「好きな女性タイプは?」「AKBなら誰推し?」

クラスの○○ちゃん、かわいいよな」「昨日のガッキー見た?超可愛い

AV女優誰が好き?」「風俗でさあ・・・

このミクロ情報、そしてこれを見る男性諸賢がおそらくは簡単に応答できる日常の会話、この全てに我々は嘘をつかなければならない。

全てに、嘘をつかなければならない。


これが、ゲイの生きづらさ=死にたさの本質ではないかと私は感じている。

ゲイである」ということに嘘をつくために、ゲイは幾重にも嘘をつかなければならない。

ゲイである」ということを隠して生きてゆくと決めた昼間の星のような人々は、「ゲイではない自分」の構築というアイデンティティ否定しかない行為を、しか思春期に必ず経験しなければならない。

中学時代には初めてのエロ動画とかに興奮し、AKBにハマり、人並みの青春みたいな恋がしたかった。

ゲイではない自分」に、憧れているゲイ自分自己否定ルーティーンはここに完成する。

嘘の自分と実際の自分との乖離に死にたくなる。分かりやすくないですか?


表題に至るまでが随分長くなってしまった。

こうして、ゲイであるということを自覚した日から(そして「他の人はどうやら女が好きらしい」と気付いた日から)、ゲイは生きているだけで嘘をつくようになる。

親を欺き友人を欺き、時には自分好意を寄せてくれた女性(時として恋人体裁を取る)さえ欺きながら年を重ねるとどうなるか?

平気で嘘をつく人間になる。そして嘘の作り込みが異常に細かく、顔色ひとつ変えずに平気で嘘をつく、人をだますプロみたいになるのだ。


就活とは即ち騙しあいである第一志望でもない御社への熱意をまがりなりにでも作り込み、企業を騙しきったら内々定の運びだ。

しろこちとら21年生きてきて、物心ついてからの大多数の時間を嘘だけで過ごしてきた男であるものすごく喋れる。嘘が。真実のように。

親を騙せて面接官を騙せないわけがなく、ということなのだろうか。就活が始まって、面接まで進んだ企業に未だ落とされたことが、ない。

この時点で、内々定は8社。全て一部上場企業だ。だれでも名前を知っているような企業も多い。


まさか就活を始めてみて、こんなことが起こるとは思っていなかった。

喜ばしいことかどうかは分からないが、隠れゲイ就活に多分強い。

結論の付け方も分からないが、とりあえずそうやって、生きている。

2017-04-10

のび太道徳教科書問題で問われる「ダメさ」の解

日本サヨク的な「ダメさ」の解は「ダメだという世間空気否定である

これは二重に悪手。

まず第一に、世間空気などそうたやすく対抗できるものではない。

どんなにネットで勇ましく吠えてみたところで、

現実空気効果のある反撃はできず、せいぜいグチをこぼしてその場限りの溜飲を下げるだけにすぎない。

第二に、仮に万一どれだけ周囲が100%配慮をしてくれたとしても、

自分自身の心のなかにある自己否定的な感情解決されない限りは、

周囲の配慮すらも疑心暗鬼によって否定されることになろう。

あるべき「ダメさ」への解は「ダメ自分ダメさの受容」である

俺ってダメ人間だな、でもそれでも俺は生きていくぜ、という態度である

未熟で中途半端でも、そんな自分自分から仕方がないというある意味諦めの境地である

これができずにもがき苦しんでいる人間が多い。

2017-04-04

親が二人ともADHD適応障害ぽいんだよな…

俺もたぶんそうだと思うけど克服してきてる。

 

父親エピソード

買ってきた掃除機を開けて使うかと思いきや、手で開けられないケースだったか放置

それを子どもの俺がハサミ持ってきて開けて使う。

人の話を聞いて自分意見を一度も曲げたことがない。

説得とか相談とかまるで無い。

クルマ公道部分的に120キロ出すけどどうやったら捕まらないで済むか知ってるのでなかなかつかまらない。

酒飲んで飲酒運転。注意しても聞かないからもう二度と会ってない。

現場みたら警察通報して突き出すつもり。

気に入らない飯がきたらキレる。

暴力は一切振るわないが説教の1つもしないが、決めたことは曲げないのでコミュニケーションが取れない。

金の使い方がおかしい。

口ばっかりで理想主義者のくせに行動が伴ってない。

自分より能力の高いやつは周りに置かない。

友達がいない。

自分仕事ができると思っている。

これでも日本で上から数えたほうが早い大学出てるので変なプライド持ってる。

勉強などの記憶はいいが人格破綻してるので成果が得られない。

 

母親エピソード

まり事を自分で作れない。ルールを作れない。

時間を守れない。

同じく相談や説得が無い。

とにかくヒステリー持ちだった。

解決策を考えるよりも感情で殴ってくる。

喧嘩になるとすぐに家を出て行けという。

実際、全員出ていくと今度は戻ってこいと言う。

子ども達の態度が悪いと消えろって勢いで批判してきたのに

手が掛からなくなり寂しくなるとすり寄っていくスタイル

失敗するの目に見えてるからやめろって忠告しても聞かない、

実際失敗してだから言っただろというと逆切れする。もちろん反省しないので後日同じ失敗をする。

他人を見下して特に男を見下すが女兄弟にも人格否定に近い侮辱的な言い方を平気でする。

自分仕事ができると思っている。

被害者意識強すぎ。今でも自分だけ酷い目にあったと思ってる。

記憶力が悪いが発想力はある。

 

それで離婚してる。

親とはほとんど接触することなくなったが連絡を取るたびに障害者と会話してる気分になって気が滅入る。

こいつらの血を受け継いでるのかと思うと本当に不幸だと思う。

優秀な人間塩基配列が欲しかったと常々思っているが仕方ないと半ば諦めているところで、

こうやって再認識させられると辛い。

今の周りの人間がみんな仕事できるし人格しっかりしてる分、思い出させないで欲しい。

このせいで昔の自分は本当に不幸だったと思う。

親が駄目だから子もダメになってるのに要らない自己否定を繰り返してた。

そもそもの話、俺を教育するべき人間が単にクズなだけだったというオチ

俺を教育すべき人間を俺自身が見つけないことには助かる道がなかった。

2017-03-29

自己否定拗らせたメンヘラは最終的に彼氏をフるって話

要するにただの自分語り

高校一年とき、ある男と知り合った。

2つとなりのクラス学級委員長をやっている、見るからにまともではなさそうな男だった。

聞けば1年生になって少しして、すぐバスケ部をやめて少し噂になっていた男らしい。

そいつちょっとしたきっかけで夏に連絡先を交換して、1ヶ月くらいして告白されて付き合い始めた。

そいつにも私にもメンヘラの気があったのもあり、そりゃもう頭の悪そうなカップルになっていたと思う。

けれど私にとっては人生で一番幸福時間だった。

放課後に人目の少ない道を選んでは手を繋いで帰ったし、休日はだいたい彼の家に行って遊んだセックスしたりしていた。

行事ごとのたびに贈り物もしていたし、毎晩のように電話をしながら値落ちしていた。

もちろんメンヘラ同士であるのですぐぶつかり合った。私も彼も気持ちを伝えるのが壊滅的に下手くそだったし、自虐的物事を捉えるのが上手かった。

彼が自虐的に物を捉えて悲観するたびに私は彼に「あなたは素晴らしいひとだから自信を持ってくれ」と言い続けていた。

彼が私の言葉で元気を取り戻してくれるのが何よりも幸福だった。

彼は私の書いたひどい絵をLINEアイコンにしてくれた。

私の知らないところでも私のことばかり話していたそうだ。

私達が付き合い始めたあと、彼は学年全体でも20位くらいの成績だったのがメキメキと伸びはじめ、模試があるたび毎回のように1位を取るようになっていた。

2年生の前半までは私もそれなりだったので、彼と一緒に1位と2位を抑えることもしょっちゅうだった。

本当に楽しかったし、幸福だった。

彼は、彼の自虐癖に対して少しずつ改善兆しを見せていたし、友達がいなかった筈がいつの間にか友人達と良く話すようになっていた。

けれど私の自虐癖は治らなかった。

高校二年の後半に差し掛かるにつれて、彼と私の実力差は目に見えるようになっていた。

別にそれは全然構わなかったしむしろかなり嬉しかったのだけれど、彼は国立大を目指していた。

それも理系結構レベルの高い、いわゆる宮廷と呼ばれる大学だった。

私も最初の頃は彼と似たような大学を目指していたが、ある日ふっと私の学力じゃ努力しても行けないなと気づいてしまった。

私は行けない。そもそも学問にそこまで熱中できる人間じゃないし、おそらく地方ほとんどF欄みたいな国公立に行くことになるだろう。この学校で上位を取れていたのもこの学校が基本バカ高校からだ。

対して彼は本当に頭がいい男だ。このまま努力すれば絶対第一志望くらい余裕で行けるだろう。理学に対する情熱だってある、だってあんなに楽しそうに数学を教えてくれるんだから

じゃあ私はきっと彼の足を引っ張ることになるんだろう。そう思った。

そんな思考半年ぐらい突き落とされて、結局3年生の5月に、適当理由でっち上げて彼をフった。

その半年あいだ、彼と心中してやろう妊娠してやろうとこっそりゴムを捨ててセックスしようとしたり、自殺することで彼の足枷にならないように、かつ彼の心に大きな爪痕を残せるようにしてやろうとしたりもした。

でも結局無理で、いい大学にちゃんと行くべきである彼が合格できるようにするためには私を忘れてもらうしかないとフった。

その後卒業するまで、ちょこちょこ彼から連絡が来た。

でも秋の私の誕生日電話が来たときに、私はひどい態度でそれすらも拒絶した。

その結果、彼は無事に大学に受かったらしい。

噂で聞いた話ではあるが、まず間違いなく受かっていると思う。かくして私の気付きは正しかったらしい。

対して私は受験した大学に全て落ちた。

浪人もやめた。就活こそしているが、4月になれば正式ニートだ。

なんで落ちたかって、彼と別れて一年、ずっとべそべそ泣き続けていたからだ。好きあらば自己嫌悪に溺れて布団の中で一日を過ごした。起き上がることもできなかった。前だったら悲しくなったら彼に電話をかければたちまちに元気になれたのに、ねだればいくらでも撫でてもらえたのに、という具合で。

その生活は未だに続いている。

私の判断絶対に正しかった、でもその代わり私は二度と彼に顔向けできない。

彼は今後の人生でまた恋人を作り、妻を貰い、子を育てることになるのだろう。

私には絶対に無理だ、どんな男に対しても遊びとしてしか付き合いを持てなくなった。

からもう私はこれから死ぬまで、彼のくれた贈り物や写真をたまに眺めては罪悪感と喪失感でべそべそ泣いて生きるのだと思う。

今も、彼のLINEアイコンが、なぜか私が書いたあのひどい絵に戻っているのに気がついて、ぐずぐずに泣いている。

あんなフりかたしかできなくてごめん。ごめんなさい。

お願いだから忘れて、希望をもたせるようなことしないで。ごめんなさい。

2017-03-01

[増田社説] 道徳教育子ども感性尊重せよ

 小学校では2018年度、中学校では2019年から道徳教育が「特別の授業」として教科化する。道徳科の指導評価方法も変わり、文部科学省はその在り方の一例としてノートやワークシートを用いた教員子どもとの人格対話を挙げている。

 このような対話では子ども教員に自らの感性価値観普段は口にしない本音などをさらけ出すことになるため、教員子どもの間の信頼関係が欠かせない。しかし、教員もまた一人の不完全な人間であることから、両者の相性によっては子ども人間性道徳性否定につながりかねないと感じる。とりわけ狭い世間に生きる小学生教師の考えを絶対視しやすく、「先生価値観」と「自分価値観」を相対的に捉えることが難しい。そのため、子どもに「自分価値観感性は間違っている」という自己否定的な感情を抱かせてしまうかもしれない。

 また、前述のような対話指導では、子どもが「先生に読ませることを想定した文章」を書く可能性もある。子ども大人世界本音と建前が存在すること、学校で教わる自由平等などの理念大人がかならずしも重んじていないことを知っている。彼らがその矛盾に気づいていながら教員の求める「模範解答」を汲み取り、自らの感想として書き記すということになると、子どもが早くから欺瞞を覚え、言葉を信じない態度を身につけることにもなりかねない。

 もちろん授業中の活発な議論多面的視点を養い、自己他者への理解を深める点で道徳の授業は意義深い。しかし、そこで得たもの子どもひとりひとりの胸のうちで咀嚼されるべきものであり、生徒に感想を書かせて評価するやり方は危ういと感じる。

 教員指導力向上を含め、新しい道徳教育の導入には慎重を期さなければならない。素直な子どもが素直なまま育ち、同時に素直でない子ども否定されることのない社会であってほしい。(N)

2017-02-27

死にたいが治らない

昨年春社会人になってから毎日死にたい死にたいと思うようになった。穏やかだった大学までの人生に比べて、あまりにも体育会系の(自分にとっては)理不尽性質会社に入ってしまった。もちろん自己責任だと思う。入社するまで社風なんかわからんけど、福利厚生とかに目が眩んでそういう会社を最終的に選んでしまったのは自己責任だと思う。

入社半年自己肯定感ゼロになり、何をするにもビクビクして、朝晩の通勤電車では気づくと涙が出てしまってほんとに辛い。でも客観的に見てもブラック企業ではないから、こんなことで辛いと感じる自分社会不適合者なんだと痛感させられてまた自己否定感が強まる無限ループ

死ぬ勇気欲しい。死のうとすると無駄に具体的に死ぬことをイメージしてしまって思い切りがつかない。あと死にそこねて障害者になるのが怖い。自殺した人って勇気あるなあ。すごいよ。計画的練炭自殺とかする人すごい。どうやって死の恐怖乗り越えたのかな。

2017-02-19

離婚をするべきか、踏みとどまるべきか

妻のDVが原因ですったもんだありつつ妻側から離婚調停を起こされ進めています。小さい子供がいます

妻は戻っても良いと言ってますが、私は拒否しています可能な限りのことをしても、それでも全く関係がよくならなかったからです。

ですが子供のことを考えると戻るべきなのでしょうが生来内気な私は戻ったら戻ったらDVが再開されることは目に見えています

しか子供のことを思うと踏ん切りがつきません。この間面会交流子供と会いました。とてもうれしそうにしてました。ふざけてたのでツッコミしてたくさん笑わせました。とてもうれしそうにしてました。

戻るべきなのかもしれません。ですが戻ったらまた殴られたりアイデンティティを壊される日々が始まります。情けない父親の姿を子供晒すことになり、子供にとって最悪の影響となるでしょう。

でも私が一緒にいることで今度は子供をずっと見守ることができます。まだ可愛い盛りの子供ですが、自我がついて妻に反抗したら殴られるようになるかもしれません。そうなったらでは遅いです。

ですが見守るだけなら面会交流継続して行い、客観的立場にいることの方が結果的に良いようにも思えます。というのは私も洗脳状態になり、妻のいうことが絶対になってしまたからです。妻と一緒にいると、自己否定しかできない苦しい日々になります。妻が折れてくれたりすることは期待できません。

ですが、子供のこれからの日々を思うと父親がいないことが苦悩の元にならないか心配です。

分かりません。

どうすればいいか本当にわかりません。

妻に対する愛はもうないです。愛そうという気持ちにもなれません。

妻への愛がないのに子供のために戻ることが子供にとって良いこととはとても思えません。

だれかよかったらアドバイスしてくれませんか?

管理職研修 ブラック

某所でブラック研修を受けた

その中身を書く

場所

会社ではなく、別の研修施設。泊まり込みで行う。

俺の場合は最寄り駅から徒歩1時間程度。

日常演出するため。

宿泊は一人部屋ではなく、複数人が一部屋になることが多い。

内容

座学

精神論が中心。

やる気と気合があればなんでもできるみたい。

修了条件

一定試験クリアしないと修了しない。

素読

企業理念電通鬼十則のような文章を全力の声で音読

暗証しないとクリアできないが、暗証中は講師視線を合わせないといけない。

反抗的な態度の相手には視線を外したと言いがかりを付けて認定しない。

運動

体操筋肉痛になるレベル。穴掘りや行軍を課す場合もあるそう。

恐怖で支配

大声で恫喝人間て、恐怖で支配されると思考しなくなる。

最初

会社上司から、全権委任されている。生殺与奪自分にある。

途中で研修放棄するということは業務命令違反から、帰るんなら辞表を書け」

と釘を刺される。

反抗的な返事をすると、大声で恫喝する。

恫喝すると同時に「なんだその目は」

文句があるなら帰れ、金なんて返す」

思考停止

朝は早朝、夜は深夜まで。

睡眠を奪うことと運動思考力を停止させる。

座学中に大声で相槌を要求。できないと恫喝

質問には解らなくても挙手を要求。できないと恫喝

指名され、返事ができないと恫喝

考えずに動くようになってくる。

考えられないから失敗すると恫喝

失敗すると、周りにも「なんでお前らが注意しないんだ」と恫喝

スピーチ

徹底的に自己否定させる。

取り繕うものであれば、恫喝

恫喝して、思ってもいない方向に誘導

声に出すと、「そうだったのか」と思い込んでしまう。

だいたい泣きながらスピーチさせる。

アメ

言うことを聞くと優しくなる。

そのうち、講師の顔色をうかがいだす。

最終日には最終課題として出したモノを発表させるが、その段階で上司TOPを呼んでいる。

終わったら泣きながら抱き合うなんて普通

講師とも泣きながら抱き合う。

得たもの

辛い内容をクリアしたという達成感、高揚感、仲間との連帯

まあ、すぐに元に戻るけどね

2017-02-14

涙が止まらない

自己否定ってどうしたら抜け出せるの?

自分を受けいれるって何?

健常者の言葉からからない。

もっとかみ砕ける人いる?

2017-02-13

宿題が終わらなくて自殺する」子の気持ちが少しわかる

すこし前に宿題が終わらなくて自殺しちゃった中学生のこと皆バカにしてたけど、私はその子気持ちちょっとわかるよ。自死理由は目下の宿題だけじゃあないんだよ、きっと彼は、(憶測だしほとんど妄想だけど、)そのときに限らず「計画的ものごとを進められなかった結果ギリギリになって大変な思いをした、あるいは実際に間に合わなかった」っていう経験を何度もしていたんだと思う。締め切り直前に必死課題をやってるときって単に追い込まれて大変ってだけじゃなくて、どうして直前まで放置してしまったんだろう、どうして自分はいつもいつもこうなんだろうって50トンくらいの自己否定が上から降ってきて精神的にマジでゲロしんどいんだよね。そんなのを何度も繰り返していると次第に、みんなが当たり前にできている中学宿題すらまともにできない自分高校でも大学でも仕事でもずっとずっとずっとこんな調子で何ひとつ成し遂げられず周囲の人を失望させながら生きていくんだろうなっていう絶望が100トンくらいに膨れ上がって、まあ傍から見れば不確定要素の多い将来に関して中学生がこんなふうに悲観するのはまったくもってバカバカしいんだけど、でも本人にとってこれはものすごく深刻なことだから、彼の自死という選択に対して単に思慮が浅いとか馬鹿だって言葉で切り捨てる気にはなれない…ということ……

2017-02-12

3回目 ラスト 印象と感想

一旦投稿


毬が転がった後の暗転が、すごく暗闇。DVD撮影日、最前列、と見たので、今まで実はそんな暗くなかった。

ほぼ最後尾だったので、暗闇がすごかった。

その暗闇から「不幸という言葉が…」という一説(長い)(日本どうこうまで入るよ)が聞こえると、井戸の中で亡くなったものの嘆きに聞こえます

場所紀州の孤島。「ここが最後場所」と言う。物語最後場所であるらしい。

ちなみに舞台では紀州の孤島の諸戸屋敷改装しているとやはり最後に言っている。

亡くなられた方が、私たちのいる現代に帰ってこられて、語られているようす。

鬼のことは姿が見えないという。

どうにも諸戸の最後手紙に苦しんだという旨かのような発言に聞こえる。暗記できない…

なんというか簑浦と諸戸やはりお亡くなりになっていて一緒にいる。

私は学生時代の簑浦が「あつい手だね」と言ったこと、~`,+@~若いから嫌悪感なかったということなど、『私』の簑浦は諸戸との恋愛にどうしても繋げてしまう。

というか、学生時代の終わった恋の簑浦、諸戸との友情箕浦というのは、状況的にはスッキリする。いや心理的にもそうなのだけど、後半の解釈がうまくゆかぬのだ…

箕浦「ここからは僕の物語」が、おそらくセリフとして正しいはず。毎日稽古しているようだけどセリフ変わってたらどうしよう…見る回によって難易度違うのは勘弁してほしい…

役者以上に完全に登場キャラクターだよなあこれは。

から結構衝撃だった。

よくよく聞いてないと本当に流してしまう…

諸戸との再会は初代さんちで深山木さんもいる時でしたね。

作中で声が重なるのは4回。

  • あつい手だね
  • ヒグチ?
  • 早くないですか?
  • 僕の(お前の)母親だよ

最初最後はわかる。まん中二つがわからん

「早くないですか」は、もっと諸戸と話したかった(のに邪魔された)という意味

ヒグチは初代と秀子…あ~

言葉に二重の意味がある時に同時に話すのか? いや、私は原作からも「あつい手」を二人が同時に感じる相思相愛エロチシズム表現だと解釈している。これはハッピーエンドを目指すとき絶対に揺るがせない。

私>箕浦って世界への権力差は確実にある。これがな~どこまでを私とし箕浦とするか、というのが厄介にさせている。

いや逆か。おそらくどこかに数式の解があって、それであるならすべて説明可能になるように設定の証拠が上演されているのだ。

『私』と諸戸だと共犯関係のような雰囲気を感じるけれど、箕浦と諸戸は親しく親密にしていてもどこか絶対の別個体感があったんだけどなぁ。う~ん…印象に補正かけている気もする。

諸戸と箕浦萌えるのって、それこそ不倫の恋のように感じて抵抗がある。初代から秀ちゃんに心変わりすることを「恥はないのか」と責めることと、まったく同じ事象が「箕浦が諸戸に心変わりした」という場面でも発生すると思うのだ。

諸戸と箕浦身長であるとか、近い距離感であるとか、激情を秘めた哀しみのHSK×鈍感素直な陽属性ノンケという組合せだとか、萌えなくはないのだけど…ってあーーーー!

これが「諸戸と簑浦は何かへんだぞ」か! そして箕浦完璧ノンケの態度しかとっておらず、盗み見たり接触しようとしたり近い距離にドキドキしていそうなのは、変なのは諸戸の方だ!

学生時代の再来ではないか

そうだ、二回聞いたなと思っていたのはここだ。学生時代の思い出語りで諸戸の友愛や親切に感謝していると『私』は言い募るのだ。セリフの仔細はちがうだろうけど、井戸で襲われかけている時も『私』はそう募る。

どうにも『私』は諸戸と恋愛できる可能性を抱えているように見えてしかたなく…やはり手を握り返さな箕浦に驚いて『私』を見るシーンの解釈が…

あれは握り返すより握り返さない方がエロくないか…?

あれ?もしかして再会してから、諸戸が初めて『私』を見たのがあの時か!?

ねえそれなら、諸戸は「手を握り返されられない」ことに『私』=簑浦の中にある恋の種に気付いたのではないか

から諸戸に見られた『私』は顔を背けその瞬間箕浦は手を握るんじゃないか

恋する人格から初代さんの名前も呼ぶ…?

ああそうか、もし諸戸が自分の身を恋に燃えるイドと美しい友情超自我に分けられたなら…

箕浦が居ないときに『私』と話していたり、

五郎滞在していけと言われた時、諸戸は先に『私』を見て「だってさ。」と言い、それから箕浦を見ている。

秀ちゃんが吉ちゃんの手を自分の胸にやるシーン。あそこは死んでしまいたいというセリフだっけ? 井戸の中で諸戸と死ぬことを受け入れた箕浦は、抱き締める諸戸の手をどうした?

あの時は吉ちゃんは発情していなかった。だから胸に手をやるのは凌辱表現ではなく、秀ちゃんによる吉ちゃんの受容だったのでは。セリフはなんだったか

《みのうら》している箕浦は、諸戸の回想とか見えていない。だから語っている諸戸を見ている。『私』には諸戸の回想が諸戸と同じように見えている。

そう、秀ちゃんに恋したところを見咎める諸戸、めっちゃ非難する諸戸、あれって諸戸よりももう一人の自分みたいだったんだ。ある意味箕浦に似ていた、諸戸とは少し違わなかった?

私、簑浦が同性愛否定するようになったのはあの夜以降で、その倫理形成は諸戸だったのではと思うの。超自我教育で培われるでしょ、簑浦の同性愛嫌悪はそのまま自己否定する諸戸のようだと思うの。

「君は嫉妬しているの?」ってセリフ、あれはああ言うしかない会話の流れででもそしたら嫉妬しているって答えるしかなくてじゃあ今こそ受け入れてくれるの?って流れになるに決まってて…って思うんだけど、そこでも簑浦は友情しか受け取らない…「うん秀ちゃんが無事で嬉しい」って言えばよかったの?

あさましい!」と叫んで振り切って、「(原作セリフ) 死んでたまるか!まっぴらごめんだ!」と

2017-02-09

読むとイライラする日記

メンヘラってめんどくさい。

めんどくさいけどなってしまうとなかなか苦しい。

わたし希死念慮がある20代前半メンタルヘラヘラ人間(女)だ。

大学までしっかり通い、就職も決まっている。

昨日はバイトでにこにこと接客をした。接客したお客さんたちからは病んでいる人間には見えなかったと思う。

しかし一昨日のわたし電車を待つ際に最大限ホームから離れて、電車が来ても飛び込まないよう足を踏ん張りながら俯いて目を瞑っていた。

最近いろいろあった。

いろいろを一つ一つ説明して行くとまた長くなるので省略させていただくけれど、一言で言うと死に触れる機会が多かった。

わたし自己肯定感があまりない。

何か明確なきっかけがあるわけではないけれど、気付いた時には自己否定しかできなかった。

何かトラブルがあった時、その時の精神状態にもよるけれど気持ちがもともと沈んでいる時にトラブルが起きるととにかく自分を責め、自己否定自己否定を重ねていかないと逆に気持ちが落ち着かない。

先回りして自分否定して最大限叩きのめさないと居ても立っても居られない。

自己肯定感の育ちには家庭環境が深く関わってくると言うが、家庭環境は良いほうだと思う。

この歳にしては仲も良く家族で出かけることもある。

わりとどんな話もしている。

唯一わたしメンタルヘラヘラな件についてだけは話していないけど。

でも十分愛情を注いでくれているが故に、今話したとしてもわたしが望んでいない対応や反応をしてきそうなのでまだ当分話すつもりはない。

話が逸れたけれど、とにかく最近いろいろあった。

いろいろあったからなのか、最近希死念慮がどんどん強まってしまい困っている。

この「困っている」はチャンネルを変えたいのにテレビリモコンが見当たらないから困っている程度の「困っている」なのでまあ言うほど困っていない。

けれどこのままだと本格的に困ることになりそうなのでどうにかしたい気持ちがある。

わたし自分の顔も身体性格も声も何もかもがコンプレックスだけど、何が1番コンプレックスかと聞かれると間違いなく人との関係を保つ能力の低さだと答えると思う。

コミュニケーション普通に取れる。

人と話すのは好きだし人と関わることも嫌いではない。

というか人と関わる仕事に就くことが決まっているし好きな方なのだと思う。

人と関わって、距離を縮めて、関係を築くこともできる。

が、その築いた関係を上手く継続して守り続けることができない。

仲良くなった人となんやかんやあって仲違いし、今まで築いて来た関係が壊れてしまう。

そんな経験をしたことがある人はいると思うし少ないわけでもないと思う。

長い人生の中で経験する可能性は大いにある、だからそこまで気にすることはないと言われたことがある。

確かにそうだけど、20数年生きて来てすでに何度もその経験があるとなると気にもなってくる。

だいたいはわたし精神状態不安定だったり、ひどい気持ちの落ち込みや悲観的な考え方が原因で、勝手に考えすぎて勝手に落ち込んで勝手に病んで離れるというまあめんどくさい形でそれまでの関係を壊してしまうことが多々あった。

相手の行動にイライラした時、疑問を感じた時、不安になった時。伝えるべきタイミング自分気持ちを伝えられず、伝えるべきでないタイミングで抑えきれなくなってだーっと伝えてしまう。

自分に自信がなく、人からどう思われているのかもマイナスしか考えられない。

そんな経験を繰り返しているからより自信がなくなる。

直接ではなくても、SNSで散々しんどいしにたいもう疲れたと鬱々としたツイートばかりしていて引かれて離れられてしまうこともある。

自分でもここまで書いていてなんてめんどくさい人間だろうと思う。

ツイートに関してはただのかまってちゃんである

そりゃあ周囲の人も離れるだろう。

こんなわたしを…こんなカスを…と自己否定フィルターがかかって純粋物事を捉えられないため、相手友達だと言われていても堂々と友達ですと言い切れない。

信じてくれていないのかと言われると申し訳ないけれど、きっとどんなに深く心を通わせられたとしてもわたし友達ですと真っ直ぐ前を向いて言えるようにはなれないと思う。

それはわたしわたし肯定できるようになれなければ無理なのだと思う。

何が言いたいのかわからなくなって来た。

文章が拙くて引いているけどもう吐き出したいだけだと思うので気にせず乱文を失礼したい。

何ってもう自己肯定感がないのだ。

自分では否定しかできないため人から肯定してもらえないと自分を保てない。

春休みに入って1人でいる時間が増えた。

自分友達のいなさに、いついつ会おうと約束できるほどの関係性をもっている相手がいないことに、メンタルヘラヘラわたし絶望を感じている。

3月もきっと誰とも遊べないままインスタグラムで楽しそうに旅行の思い出を語る同級生を見なかまら過ごすことになるのだと、考えるだけでしにたくなる。

とてもめんどくさい。

メンヘラってめんどくさい。

だったら数少ない友人(あちらがそう言ってくれている)を誘えばいいのだけれど、毎日しにたいと騒ぐわたしに引いているだろうと思い踏み出せない。

かわいそうなわたしと遊んでと頼み込んでお情けでも遊んでもらえば少しは気持ちもマシになるのだと思うけれど、何よりその友人たちにはわたしより優先するべき人たちがいると思うと意地でも予定を合わせて遊んでもらうことは気がひける。

健全精神を持つ人からたらこの程度でと思うだろうがこんなことで毎日生きるのがしんどい

メンヘラってめんどくせえなと心底わたしも思う。

自己肯定感はなくなるばかりで、そこに友達がいないという現実と誰にも必要とされていないという気持ちが相待って、ゆるやかに希死念慮が強まっていた中人事故に遭遇した。

その瞬間は見ていないけれどそれ以来電車ホームであと一歩前に出れば終われると思うことが増え、座りたいがために最前列に並ぶタイプだったわたしは序盤に書いたように最大限ホームから離れた場所電車を待つようになった。

ここで飛び込まないようにしている点で結局はしにたくないのではと考えたが、飛び込むことを防いでいるのは親に迷惑をかけたくないか電車でという方法は避けたいというだけの理由だった。

ここから飛んだら終わる、ここで一歩踏み出せば終わる、薬を買うお金はないかODはできない、ならどうすれば。

毎日こんなことばかり考えている。

確実なのはやはりホームに飛び込むことだけれど、人身ほど迷惑な死に方はないと言うし、あのマジかよ…というホーム全体の雰囲気イライラをぶつけられる駅員を見てしまうとするべきではないと思う。

もしここまで読んでくださっている方がいたらわかると思うがわたし死ぬことに対してこの程度の考え方だ。

しにたいけれど社会のことを考えて悩む。

メンヘラはいえ軽い感じのメンヘラだと勝手に思っている。

だがめんどくさいことは確かだし、しにたい気持ちがあるのも確かだ。

けれどたぶんどこかでしぬよりも誰かがわたし肯定してくれて、自分自分を少しでも肯定できるようになればそのほうがいいだろうと思っている。

まだわたしにとってはしぬことが全てではない。

それは良いことなのか、しにたいと考える時点で良くないのか。

最近のしにたい気持ちの強まりは今までと違う。

昼間から憂鬱気持ちになったり、一日中憂鬱だったり、鬱々とした気持ちでいる時間は圧倒的に長くなっている。

うつ診断を試してみたらどの診断でも中程度のうつ状態だと出た。

ここで専門医に診断してもらうことが大事で、この時点での対応でこの先うつ病になるかならないかが左右されるらしい。

でもわたしよりしんどい人は世にたくさんいるだろうし、黙れファッションメンヘラと真のメンヘラの方々に怒られそうだし、結局はただのかまってちゃんなのだからそこまで大げさに捉えることはないと思っている。

メンヘラってめんどくさい。

メンヘラってしんどい

メンヘラってくるしい。

もっと毎日元気に過ごせたら、友達とどこに行こうかと旅行の予定を立てられたら、人生もっとしかったら。

たらればばかりだ。

でもそれは全てわたし自己否定しかできないから、友達を信じきれないから、承認欲求が強すぎて拗らせてしまうから結論自分のせいなのだ

わたしが今仲良くしてくれている人の中でとくにこの人たちは好きだなあ、一緒にいると楽しいなあと思っていた人たちはその人たちだけで旅行に行くらしい。

一緒に行きたいとは言えない。

いいね楽しんできてねと言うと、○○も今度一緒に旅行行こうねと言われた。

そんな日は訪れないことは百も承知だけれど、そうだね一緒に行こうね、大阪とか楽しそうだなと返した。

くるしい。

しにたい。

ここまで読んで大多数の人はイライラするだろうけど、もし共感しかないという人がいたら友達になってほしい。

わたしあなた肯定するからあなたわたし肯定してほしい。

メンヘラってめんどくさいねと笑いながら話せたら、明日ホームで足を踏ん張らずに済むのかもしれない。

2017-02-08

若さ無知暴力

勝手に懐いて、どんどん近づいてきて、

自分の思いと違っていたら手のひら返し距離を置く

こちらは仕事仲間以上になるつもりもなかったのに

ずけずけ踏み込まれ挙句勝手失望されて

よく分からない自己否定感に悩まされる

こちらの身にもなってほしい

人口抑制があまり議論されない理由を教えてくれ

ぐぐってもよくわからんから頭の悪い俺に教えてくれ。とりあえず人口抑制に関する俺の考えを書く。

日本では少子化がどうとか言ってるけど、地球規模で考えたら今の人口ってどう考えても多すぎると思うんだ。仮に今総人口が1/100になって今後もそのまま推移するなら大抵の問題消滅すると思うんだけど、違うのかな?

それで、人口を減らすには今生きてる人間を殺すかこれからまれてくる人間を減らすしかないけど、前者より後者がいいのは明らかだよな。例えば今から世界一人っ子政策実施したとすると、世代ごとに出生数が1/2になるんだから人口1/100なんて余裕で達成できるよな(その後は二人っ子政策を続ければいい)。

これが現実的でないことは俺でもわかるが、正直そこまで子供って欲しいか?これが現実的でないのは、今のところ子供が2人以上欲しいという人間が大多数だからなんだろうが、それだけの理由ならいつかコロッと変わってもおかしくないんじゃないかと思う。俺は自分が生きてる間に第三次世界大戦(核使用含む)は割と現実的確率で起こりうると思ってるんだけど、それってつまりさっき言った前者、今生きてる人間を殺すことで人口を調整することだよな。じゃあその後の世界で(人類が生き延びたとしてだが)それを繰り返さないための議論がなされてもおかしくはないと思うんだが。

ここまでが俺の考えな。これに対してはいくらでも異論はあるだろうけど、俺が疑問に思うのはそういう議論のものほとんど見かけないことなんだ。

それで頭が悪いなりに考えてみたんだけど、端的に言うと「俺らがこれを議論するのは自己否定になるから」ってことだと思うんだが、合ってるだろうか。

まり先進国(日本はそうでなくなりつつあるが)では既に人口頭打ちになっているが、一方で資源を大量消費していて、その資源ってのは人口を増やしつつある国に依存しているわけだから、その状況で人口がどうのと言うのは自己否定に等しい。人口がどうこう言うなら、まずお前らが今のシステム根本的に考え直せ(場合によっては資本主義自体をやめろ)、というツッコミが入ってもおかしくない。皆ここまで読めてるから人口がどうのとかは基本的に口にしない。

って感じかと考えたんだけど、他人の考えてることなんてわからんし、全然的外れなのかもしれない。考えられる他の理由があったら教えてくれ。

2017-02-06

自分がなぜ弱者なのかようやく分かった

周りに比べてどうもゴミみたいな人生送っていて最近その理由が分かった。

まず、非常に消極的

自分気持ちをどんな所でもほとんど言わず、周りとの関わりを避ける。

仮に気持ちを言うとしても恐縮しながら回りくどい事を言ってしまう。

から、当然周りも不気味だと敬遠する。

そしてストレス発散に都合のいいサンドバッグにされてしまう。

そんな事があっても1人で抱え込み

じっとしてやり過ごそうとしてしまう。

これが二番目の欠点だ。

どういう点かというと、プライドが高い点だ。

客観的に見て自分社会的弱者なのに

自分普通境遇だという謎の中流意識を持ってしまう。

体は非常に細く、慢性的精神病にかかっている。 学歴高校中退

信頼できる人は0で(親はあまり頼りにならず忍耐または自己否定提案する)ひどい時は誰かに襲われるのじゃないかと怯えている。

こんなスペックなのに危機感を持たず

道徳心を持とうだの、他の人よりマシと考えて怒りを抑えようとする。

自分がいつまで立っても上手くいかない理由はこの二つにあると痛感した。

こう大人しくなってしまったのは様々な要因があるが、メソメソ泣いていても周りは変わってくれず容赦なくいじめ抜く、または見て見ぬ振りをされる、哀れに思って意思を汲み取って配慮してくれる人は少ないという事を実感したのであった。

ああ、なんて厳しい社会だ。

2017-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20170125115956

頑張って変わってみるよ。瞑想、できてないかもね。

自己愛も、たぶん強すぎるという指摘はそうなんだと思う。

自己否定は良くない、と思ってるうちに、自己愛が強くなりすぎたのかもしれない。

2017-01-20

鬱の脱出の仕方 漫画うつヌケは意味ない

知人が鬱になったっぽいのと、

ブックライブで「うつヌケ」なる漫画が出てきてそれをチラ見したら分析してるようで大したこと書いてなかったので

この日記を書くことにする。

 

結論から言うと

自己肯定することで解決する。

 

もう1つ加えるとしたらこ自己肯定を外的要因に一切頼らずに形成することができれば解決する。

どういう意味か?

「周りが認めるから自分は認められているのだ」

これは外的要因を必要とする自己肯定感であり、

自分を認める他人がいなくなった時点で瓦解する。

なのでこれで一時的回復したとしても、無くなればまた鬱に戻る。

必要なのは

例え個室に一人でぶち込まれ他者と一切コンタクト取れなくとも、

70億人が自分批判否定してきても揺るがない「自己完結肯定感」の「自己肯定」だ。

 

これを自力で作るのは非常に難しい。

大抵の人間自己肯定自己完結型のようでいて、

今までの成功例や他者から評価自分経験や実績の積み重ねにより形成されているため、

ほとんどが外的要因による自己肯定だ。

ここが無意識破壊されると知らずに鬱になり、

また脱出する手段も分からない(治療部位が分からない)ために治すことができなくなる。

自己完結型の肯定を手に入れれば変革のための自己否定ストッパーを設けることができるので、

土台不可能努力目標客観的是正できる。

結果として無理をしなくなり心身ともに守られることになる。

ただし、自己肯定による非変質部位によって発生する無知や非学習能力によるリスクも付いてくるので、

自己肯定を作り出す際は十分注意して取り組まなければならない。

 

自己完結型の肯定を作り出すには、

まず他者評価によって変わらない物をリストアップすること。

例えば「納豆ソースかけて食うのが最高に美味いのに同意してくれる人がいない」という事実があったとして、

もう一度この事実を見つめ直す。

自分にとって最も大切なことソースをかけて最高に納豆を美味い状態で食うことであって、

そこに他者が介在する必要性はそもそもないのだ。

目の前に大統領がいたら食いづらい気はするだろうし、

大好きな恋人家族と食うなら楽しいだろう。

でもそれは納豆ソースをかけて食うのが好き、という事実に対しては何ら影響がない。

まり本来他者から評価や影響を考慮せずともいい事柄なのに他者から評価肯定を求めているという、

まるで無意味行為に執着しているのだ。

土台、大多数からそんな食べ方を同意されるはずがないのだ。

ならひっそりと自分だけで楽しめば良いではないか

この単純な自己完結型の肯定の簡潔さすら知らない人間が世の中に溢れかえっているという事実から

まだまだうつ病患者としての予備軍は水面下にタンマリといるであろう。

 

大事なのは他者批判否定非難評価があったからといって

自分が出す答えと評価を変える必要性があるのかということだ。

そもそもの話、多数決でいえばこの世に1人しかいない自分の力ではどうやっても他者に数で勝つことはできない。

なので多数決によって自分趣味嗜好をコントロールするというのは自分抹殺するのと同じことだ。

例え誰一人賛同者がいなくとも自分が心からそう思ったならそれに従うことが個としての尊厳であり自由だ。

もちろんその結果、社会から反発が返ってきたとしても甘んじて受け入れるもよし、斜めに弾いてもよし、だ。

もう少しマイノリティであることが自然だと気づくべきだし、

自分マジョリティ比較していたずらに評価を下げることもまた無意味だと気づくべきだ。

必要なのは自己完結だ。

 

追記するかも

2017-01-05

戸田奈津子尊敬されるための唯一の方法

インタビュー字幕翻訳者戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」

https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e

 

を読んだ。全体的には一方的自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。

 

「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。

 

それは時代というか当時の映画産業要請でもあって、戸田個人責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもの自分を虚飾したい一心で、本質的には作品奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事表現されている「字幕翻訳女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳師匠発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。

 

せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから個人の早業を自慢するよりも、字幕質的向上のために制作・配給側が用意する時間予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分大事からだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者なっちゃった人で、その上根っからダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。

 

戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているもの脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語ちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。

 

どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体のものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト時間人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである

 

そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品ファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕女王」を産んだのだ。それは映画というもの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。

 

多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由ほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアけが字幕翻訳者理解不足を責めているのではない。字幕スクリプト情報量100%伝えろという不可能要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事競争できているか問題なのだ

 

そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品最後工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品無理解字幕がつけられていることに耐えられない」という作品ファン心理考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画ファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンル仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間リソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?

 

戸田字幕映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田字幕翻訳単独作業である理由として、「セリフ言い回しリズム統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフ言い回しリズムを敢えて変えることで、登場人物心理的変化や場面転換を表現する映画原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフ統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数視点必要になることだってある。脚本演出意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。

 

ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作翻訳者スクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田字幕作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。

  

現在洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体戸田翻訳者待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフ聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身字幕翻訳質的向上のために翻訳者待遇改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道言い訳を垂れ流している場合ではない。

 

さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである

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