はてなキーワード: 武力行使とは
私はまともな人間であり損するのも嫌なので、ボイコットなどはせずに確定申告は済ませたが、
「#確定申告ボイコット」というハッシュタグを使う人間を馬鹿にする気にはなれない。
ある程度収入がある人間はこういった類のポストをする人を馬鹿にしがちだが、本来は非難に加勢すべきだ。
ボイコットが馬鹿らしいなら、他の方法を使えば良い。舐められているのだから、反撃しなければならない。
裏金議員に投票しなければいいだけという人もいるが、間違いである。
二階が書籍代で3500万を申告しているように、彼らは過去の経験から、この程度の問題は選挙結果に影響しないと確信している。現行の選挙制度の欠点である。
対抗手段としての武力行使はあってはならない。現状で最も効率がいいのは炎上である。
半年間みっちり非難し続ければいい。誹謗中傷などによる法的リスクを侵さずとも、個々人が半年間ほどリプライや引用ポスト等で継続的に非難し続けるだけでよい。何とコスパが良いのだろうか。
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
はてなでも人気の小泉氏もウクライナの領土割譲及び停戦が(たとえそれが割譲地内での更なる「地獄」に繋がるものである可能性があっても)一つの選択肢であることを明示する中で、はてブにおいてもウクライナの全面勝利以外を認めないという論調はだいぶ弱くなってきているように感じる。
これについて、従前、停戦派の主張を馬鹿にしていた人たちからすれば、欧米諸国の支援の遅さを理由に、ウクライナの「勝ち目」があったのになくなったもので、このような事態になることが想定できなかった言い訳をしたり、領土割譲による停戦はウクライナの「民意」ではなかったという言い訳で、自身の態度を擁護するのだろうと思われる。
しかしながら、現実にウクライナにとって非常に厳しい状況になっていること、つまり、現実を読み切れていなかったことに変わりはなく、少しでも命が失われないよう、早期の停戦ができないかという主張をしていた人たちを馬鹿にしていい理由はなかったことは明らかだろう(民意で言えば今でも民意は停戦を受け入れないかもしれないが、それでも小泉氏は「国民の支持があれば」という条件をつけて、停戦も現実的に考えられるとしている。)。
そもそも日本は国際秩序の安定において軍事力を供与することでこれを維持するという選択肢を取ることができない。仮にウクライナでの戦争の結果が国際秩序に大きな影響を与える(武力行使による現状変更を肯定する)結果になるとしても、それを阻止するために戦争を維持するということは、自分たちの手を汚さずにウクライナ人の血を使って、自分たちの平和を維持しようとする行動に他ならない。
無論、日本の国防はそういうタダ乗りを前提としているのだということは現実でもあるだろう。しかしながら、その現実を肯定するために、戦闘行為で奪われていくウクライナの人たちを少しでも減らすべく停戦という選択を呼びかけている人たちを馬鹿にするというのは、極めて卑怯で、米国の傘の下ででぬくぬくと暮らす日本人特有の酷さであったように感じる。
「國體社会主義大和民族の怒り」という政党を作ろうと思ってる。
政策は
・戸主権の確認や相続法など民法改正とそれによる家族の連帯強化
・國體を基盤とし、官と民、臣民同士の連帯感による社会主義の実現
・防衛及び国際社会から求められる軍事貢献を果たすための再軍備
・売春、二次元と三次元を問わないポルノの規制、マッチングアプリの規制などによる道徳と倫理の強化
・女子を「帝国の淑女」「帝国の母」に育てるための道徳教育課程導入
他にすべきことある?
在日系や外国人の排斥とかは嫌いなので断固拒否する。「排斥」なんて器の小さい人間のやることであって、我々大和人と帝国は全ての民族を包み込んで導くべきだと思っている。
再軍備は国際協力を行いやすくし、現自衛隊員の士気や他国将校からの信頼を高めるために行う。再軍備したとしても武力行使の要件は国際社会に準じて厳しい制限と手続きが必要だと思う。右翼はよく不審船などに対して「撃て!ロシアなら撃ってる!」と言ってるがロシアとアメリカの警官が異常なだけであって人民解放軍や海警、米軍だって武力の使用にはかなり慎重なわけだし。
ガザの病院の爆発は誰がやったのか、いまだに決着がついてないらしいが、そんなことはどうでもいいんだよ。
湾岸戦争以来、いろんな戦争やら紛争やらをニュースで見てきたけど、確かなことがひとつある。それは、武力行使には必ず民間人の死傷者が伴うということだ。悪者だけをピンポイントで殺せるような攻撃ができると思ってる人がいるかもしれんが、そんな都合のいいものはないんだよ。だから、戦争反対で平和を願うのであれば、武力行使があった時点で全員が負けなの。戦闘員じゃない人が必ず死ぬんだから。人が死んで悲しいと思うのに、ユダヤ人もパレスチナ人も関係ないでしょ?
それなのに、イスラエルが悪いとか、ハマスはテロリストだとか、そんなことにこだわって、お前たちがやりたいのは悪者を吊るして意趣返しをすることだけだ。それで、死んだ人が帰ってくるか?遺族の悲しみが晴れることがあるか?中東問題の解決に資するものが少しでもあるのか?
いつまでもそんなこと言ってるから、彼の地がちっともおさまらないんだよ。お前らのお気持ちのために彼らの命が削られていっていることに早く気付けよ。
https://anond.hatelabo.jp/20231007213757
戦争とは何かといえば、古典的定義はクラウゼヴィッツ的な「政治の延長線上の実力行使」だし、
当世の建前としては国連憲章的な「現状変更を企図した武力行使というルール違反行為」になるのだろう。
定義の仕方は文脈により様々あれど基本的にはユニフォームを着た戦闘員同士の戦闘が戦争であるはずだ。
その限りにおいて戦略爆撃や無制限潜水艦作戦や無差別ロケット攻撃は戦争ではなくその副産物としての戦争犯罪だ。
いまイスラエルとハマスがやっているのは戦争ではなく純粋な「相互虐殺」だ。
なんともいいようがない。
まあしかし。ここ数十年少なくとも我々日本人は戦略核による抑止のもたらす平和に浴して来たわけで、とっくの昔に戦争は「ユニフォームを着た兵士の戦闘」などではなくなっていた。
ロシアの侵攻後、近代史においてはアメリカのほうが圧倒的に侵略戦争をしているという議論がある。
アメリカが武力介入をする際、それは侵略戦争ではなく、国際法に則った正義という裏付けがあるため、日本国内においてはアメリカがロシアのような扱いを受けることはない。
ただ、この国際法を作ったのは誰なのか?というのが凄く難しくて、法律が強者の理論になっているのではないか?と思うことがある。
もしも世界大戦の戦勝国と経済的に強い国がキリスト教ではなくてイスラム教の過激派だった場合、国際法に「女は勉強するな」っていうのが定義されていて、それが全世界共通の正義になる可能性がありえるのではないか?
関心のある分野:日本がNATOとの関係をどのように強化しているか
2023年7月8日 01:30アレクサンダー・カルポフ、エリザベタ・コマロワ
日本の岸田文雄首相は7月11日から13日まで欧州を訪問し、NATO首脳会議にも参加すると日本の内閣が発表した。専門家によると、日本は最近、北大西洋同盟との協力を積極的に拡大している。先に、アジア初の軍事ブロック代表事務所が東京に誕生することが明らかになった。政治学者によると、日本はNATOへの帰属をますます強めており、アジア太平洋地域における同盟の利益の指揮者になりつつあるという。
日本の岸田文雄首相は来週ヨーロッパに到着し、NATO首脳会議に参加する予定であると松野博一大臣内閣事務総長が記者会見で述べた。
「キシダ首相は7月11日から13日までビリニュスとブリュッセルを訪問する。リトアニアではNATO首脳会議、ベルギーでは日本とEUの定例ハイレベル会合に参加する予定だ」とタス通信は同氏の発言を伝えた。
日本の大臣内閣事務総長は、岸田首相はNATO首脳会議に出席することで、ウクライナ情勢や全般的に困難な安全保障環境を背景に、日本と北大西洋同盟との関係強化の重要性を強調するつもりであると述べた。
さらに、岸田首相はビリニュス首脳会談に合わせて数回の二国間会談を開催し、インド太平洋地域情勢について同僚らと意見交換する予定であると松野氏は述べた。
ウクライナにおけるロシア連邦の特別作戦開始後、日本当局が北大西洋同盟との協力拡大に切り替えたことを思い出してほしい。2022年6月末、岸田氏はNATO首脳会議に出席するためマドリッドに飛んだ。日本の政府首脳がこのような軍事同盟行事に参加するのは初めて。欧州訪問前、日本政府首脳は日本とNATOの関係を新たなレベルに引き上げるつもりだと述べた。
その後、日本の外務省は、この同盟の下に別の在外公館を設置し、ブリュッセルの大使館から分離することを決定し、その地位を高めた。
ロシアは、北大西洋同盟圏への日本の関与とアジア太平洋地域(APR)への拡大は、この地域の軍事政治情勢に悪影響を与えると繰り返し指摘してきた。特に2022年11月、セルゲイ・ラブロフ外相はプノンペンでの東アジア首脳会議の傍らでこれについて警告した。
「西洋人はここで主導的な役割を果たしていると主張しています。「防衛線」はすでに南シナ海に移されている。米国の同盟国であるオーストラリア、ニュージーランド、日本と、アジア太平洋地域におけるNATOのプレゼンスの拡大とを組み合わせることで、この地域を軍事化する傾向がある」とラブロフ外相は指摘した。
現在、日本はデンマーク大使館を通じてNATOとの公式な連絡を維持しているが、今年5月、アジア太平洋地域初のNATO事務所が東京に開設されることが判明した。このテーマは、1月末に岸田文雄氏とNATO事務総長イェンス・ストルテンベルグ氏が日本の首都を訪問した際に議論された。これまで、ブロック外の同様の機関はウクライナとグルジアでのみ開設されていた。
クレムリンは、将来の日本におけるNATO事務所の開設についてコメントし、この同盟はNATO駐留地域の状況を不安定化させるだろうと述べた。
「NATOは平和と安定をもたらさない。NATO は、NATO が存在する地域の状況を不安定化させる可能性がより高い構造です。これが我々がこのプロセスをどのように見ているかである」とロシア連邦大統領報道官のドミトリー・ペスコフは語った。
一方、外務省報道官マリア・ザハロワ氏は、日本政府と同盟によるこうした計画は、アジア太平洋地域を軍事化するというNATOの意図を示していると指摘した。
「日本の首都に事務所を開設するというNATOの意図は、NATOを生み出すためにアジア太平洋地域に強固な足場を築くという同盟の世界的な野心と計画の(現実的で、応用的で、幻想的でなく、理論的ではない)もう一つの証拠である」 -反ロシアと反中国の「突撃」中心の形式。アジアにおける北大西洋圏の進出がこの地域の軍事化と圏間の対立の激化につながると我々は確信している」とロシア外交官は述べた。
特別代表事務所の開設を通じて同盟をアジアに誘致するという東京の意図も、 中国では極めて否定的な反応を示した。中国外務省はこうした動きに反対を表明し、日本当局に対し平和的発展路線を堅持するよう求めた。
「アジア太平洋地域は地理的に大西洋に属しません。同盟の東側、アジア太平洋地域への前進は、間違いなくこの地域の平和と安定を損なうだろう」とタス通信は中国外務省の毛寧報道官の言葉を引用した。
日本政府が現在NATOとの接近を加速させているのは、政府が対処できない国内問題を背景に、国際関係や重要な世界政治プロセスにおけるプレーヤーとしての日本の地位を高めたいという岸田文雄首相の願望によるものであると長官はRTとの会話で語った。中国現代アジア研究所日本研究センターRASヴァレリー・キスタノフ。
「岸田首相は、日本が国際舞台でより大きな声を上げ、国際情勢における日本の重要性を高めるために多大な努力を払っている。これは、問題、スキャンダル、経済減速など、国内の政治状況がうまくいっていないという事実によるものです。こうした対外的な成功もあり、岸田氏は評価を高めようとしている。日本の首相の家族の出身地である広島でG7サミットが開催されたこともこれに関係している」と専門家は説明した。
さらに、岸田氏は中国への懸念から、NATOの利益の範囲に日本を積極的に含めているとキスタノフ氏は付け加えた。
「中国は今や日本にとって安全保障上の主要な脅威の地位に昇格した。2022 年 12 月に新たな国家安全保障戦略が採択され、中国に大きな注目が集まっています。それによると、北京は東京にとって前例のない課題を突きつけていると言われている。しかし、そこではロシアも懸念国としてマークされている」と政治学者は指摘した。
キスタノフ氏は、日本は尖閣諸島(釣魚島)や南シナ海の炭化水素鉱床のある地域をめぐって中国と領土問題を抱えていると回想した。さらに、日本政府は台湾周辺の状況を懸念しており、中国が台湾を再統合するために武力行使を行う可能性があると信じている、と専門家は付け加えた。
「もし米国がアジア太平洋地域で中国に対して軍事行動を開始すれば、日本は間違いなくそれに巻き込まれるだろう。なぜなら、ワシントンは自国の領土をある種の不沈空母として利用するからである」と政治学者は説明した。
このため、日本は欧州とアジアの安全保障は不可分であるという主張を積極的に推進し、NATOとの関係を強化している。同時に、同盟自体が地域の他の国々を積極的に勢力圏に引き込んでいるとキスタノフ氏は付け加えた。
「今回のNATO首脳会議にはオーストラリア、韓国、ニュージーランドの首脳も出席する予定だ。そして彼らもカルテット内でNATOとの行動を調整するだろう。東京に開設される予定の同盟の代表事務所は、日本のみならず、これら諸国との行動を調整するだけだ」と専門家は述べた。
したがって、日本はアジア太平洋地域におけるNATOの指揮者となる、と政治学者は強調した。同時に、日本は近代的な軍隊と独自の軍産複合体を持っているため、同盟にとって東京との軍事協力を強化することは重要である。
「日本の自衛隊は名目上のものにすぎません。実際、これはあらゆる種類の軍隊と最新の武器を備えた本格的な軍隊です。同時に、彼らは米国との安全保障協定に依存しており、必要に応じて米国が支援してくれるはずだ」とキスタノフ氏は語った。
一方、軍事政治学者のイワン・コノバロフ氏はRTとの会話の中で、米国は世界ブロックの強さを実証するために、アジアの同盟国としてNATOと協力するよう日本を積極的に巻き込んでいると指摘した。
「日本は米国の保護国だ。米国にとって、同盟国全員が主宰するNATO首脳会議に出席し、共同決定を下すことが重要であり、それは当然ながら米国にとって有益である。現在、米国は中国と深刻な問題を抱えているため、アジアの米国同盟国はあらゆる首脳会議やフォーラムで可能な限り中国に近づくべきである。これは、ロシアと中国と対峙する上での彼らの主張される団結を強調している」とアナリストは述べた。
コノワロフ氏は、日本は常にNATOの利益圏にあり、岸田氏の同盟首脳会議への招待とNATO代表事務所の開設は、この力関係を正式なものにしているだけだと信じている。
「何も変わりません。日本は米国の従順な同盟国であり、米国政府が計画するすべての行動に参加します。これは新しいAUKUS同盟とNATOの両方に適用される。すべてはワシントンが東京から何を必要としているか次第だ。そして東京は従順にそれを行うだろう」とコノワロフ氏は結論づけた。