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はてなキーワード: 修士とは

2017-03-18

理系特に工学系の電気電子情報学科でてスンバラシイエンジニアになるのが素晴らしい道

とか言ってる高学歴はてなー大学院博士前期課程とき

まともなレールから踏み外した底辺やーいとか罵倒するとか矛盾していないかそれ。

工学系でスンバラシイエンジニアって修士じゃないといけないって聞いたけどデマなの?

どうせ学卒で、大学レベルに合ってないようなところに就職したらそれはそれで叩かれるってのに。

この前自分

修士は普通なのか

って記事増田愚痴を書いた所

大学院博士前期課程修士だと思ってない人が多いという反応が得られたか

修士で周りに文句言われた人ってそういうのがなきにしもあるんじゃないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20170318205905

修士が前提の大学とかだと

学卒ではまともに就職できないみたいに

そういう大学の人から聞いたけど、親戚にフルボッコされて修士行かせて守らない人って

それはそれで底辺職に就くハメになるだろうにそれは親戚になにも言われないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20170318205905

場所によるんじゃないか

田舎出身だけど、修士行ったら地元ではエリート様扱いだったぜ

そのあと博士行ったらニートカス扱いされるようになったけどな

http://anond.hatelabo.jp/20170306045849

田舎だと修士普通なんてことないぜ

同期で修士行こうとしてたら親を含めた親族からフルボッコにされて

諦めて学卒で地元戻った奴いたし

俺も修士行くときにアレコレ言ってくる農家やってる親戚がいたけど、

親は好きにしろやって感じだったから助かった

http://anond.hatelabo.jp/20170316211211

大学院博士後期課程満期退学助手論文博士号取得

のように、修士学位だけでアカデミックポストを得て、働きながら論文博士を目指すのが文系では最近までは普通だったから、物語の中では未だにその価値観を引きずってるってことでは?

助手になった時点で博士号を持ってないことが昔は多かったわけで。

その場合博士のほうが上でも可笑しくないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170227134234

文句を言わず研究する奴隷がほしいってハッキリ言ったほうが楽になるよ。

学生にとって、2年で終わる研究よりも定年まで続くサラリーマン生活を左右する就活大事なのは日を見るより明らかじゃん。

あんたが学生を利用して研究成果を絞りだそうとする下心で動いているのと同じように、学生だって研究室修士という肩書を利用したいという下心があるってことだよ。

キレイ事言っても下心見え見えだぞ。

どうしても研究してほしいなら、「この研究室で真面目に研究していれば、コネで有名企業就職できる」くらいのメリットを与えられなきゃ学生はついてこないよ。学生会社責任転嫁しないで、あんたのコネ能力不足を認めなよ。

あと、研究者という職業研究という行為は誰にとっても最高の天職とは限らないんだから学生対応するときそれだけ忘れんなよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170316211211

いま助手研究しない教育系の職名になってるよ

から

博士(無給研究員

助手修士卒)

ってパターンもあるよ。

2017-03-07

そもそも文系理系をいちいち厳格に分けようとするのがナンセンス

学部だろうが学際的に学び、色んな学問の叡智を自分の専門分野に活かしていくべき。

修士でも博士でもなんでも行けるのが許容される社会であるべき。

http://anond.hatelabo.jp/20170307083736

一部のエンジニアとか企業研究職とかだと修士じゃないといけないって言ってる人はかなりよく見るけど。

専門職修士要求するところって理系では割とあるイメージだし

高校教員本来は上位の教員文系でも修士であるべきって建前だった気が。

そういうのを目指す人が多ければ、院進学率も高くなるのでは。

http://anond.hatelabo.jp/20170307082801

修士課程と呼ぶところもある。

博士課程」という5年間の過程の内、「前期」二年を修了すると修士が得られるという仕組みになってるところもある。

一方で一貫制博士課程だとか、4年制博士課程だとか、専門職大学院かいろいろとややこしそうなのもある。専門職学位修士と同等とみなされる場合もある。

あいろいろと「そういう場合もある」の連発なので、とにかく多様なものだ、という認識がされればいいか個人的には感じた。

まあゴチャゴチャ書いたけど、なにがいいたいかって、

その上で、自分ときとは違うような仕組みで学習したり、学位を得たりした人を見たとしても、それだけを持って叩いたりしないでくれるとありがたい。

http://anond.hatelabo.jp/20170306215714

よく分からんけど、俺の行ってた大学理工学部生は6割だか7割が修士(今は博士前期って言うの?)に進んでた。なのでそういうもんだと思ってたんだけど、うちの学校だけ?

2017-03-06

修士普通なのか

工学部出の人が、学部卒で就職せずに大学院工学研究科博士前期課程に進んだぐらいのことで

研究者を目指す」と勝手にみなして正業放棄しただの、リスクが高すぎるだの、人の道を踏み外しただの的なことさんざん言ってくるような人達

どうにかしてほしいんだけど。ある程度以上の理工系なら修士ぐらいは普通っていう自分感覚は異常なの?



追記

すみませんトラバ返しで弁解したはずが、見てもらえてないようなのでこちらにも書きます

正業放棄しただの、リスクが高すぎるだの、人の道を踏み外しただの」と自分研究者に対して思ってるわけではないです。

そのように言われるのが嫌である、という意味で、研究者馬鹿にしたいわけではないです。

見返してみて確かに誤解を招く表現でした。すみません

http://anond.hatelabo.jp/20170306193848

理系就職が良いってのはそういう学科もあるってだけの話で

理系なんだから就職が良いんだって思ってバイオ系とか純粋数学とか理論物理とか

進んだら後悔するぞ。これは声を大にしていいたい。そういう所行くぐらいなら、経済学部とかのがマシ。

文系就職が悪いってのも、工学部機電系とかの楽勝さに比べればの話であって

就職理学部とかの不人気学科と比べてそこまで悪いってわけでもないとは思う。

あと、楽勝に就職するには、工学系は修士が基本ってのがネックと感じる人も考えられる。

というか文系のほうが出来る人なら、文系で上位大学行ったほうが

理解で下位行くより良い進路になることはいくらでもあり得るぞ。

……まあ、法学部理系かいい出す人がこういう事考えてるわけ無いだろと言われればそれまでだけど。

世代が変わるごとに普通学歴が上がっていくということは

エリートとかじゃなくてあくまでも中間層下位の話だけど

祖父母の時代は中卒も割りと普通

親の世代高卒も割と普通

自分ときだと大卒普通



ということは、自分の子世代には修士普通、孫世代博士普通になるのだろうか。

既に院進学率は昔よりかなり増えてるし、昔は修士なんて必要あるはずなかった職業修士が求められるようになってるし、あり得る気がしなくもない。

祖父母の同級生で、中卒の人がやっていた職業を、自分の孫世代博士がやるようになるのだろうか、とかトンデモなことを考えてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20170306043900

昔の話は知らんが

流石に今だと修士ぐらいはわりと「普通」の範疇に入れられることが多いと思う。

2017-02-27

夢を持ち続けた男の話

同級生に、夢は自分で作った人工衛星をあげることという男の子がいた。



大学ロケット工学を専攻するために某有名国立大へ行ったが、

日本ではなかなか自分の望むようなロケットが作られないことがよくよく分かり、

途中で進路を宇宙工学へ変更した。

この違いは音大を出た私には分からない。



結局、宇宙工学修士を取り、有名な企業へ修飾したが事業の再編成ということで、

毎日会社の畑で植物品種改良をすべく、水やりをしていると苦笑いしていた。

彼は実家の花農家を継ぐのが嫌で、宇宙に関わる仕事をしたいと常々言っていたかである


最後に会った時に、「最後にもう一花咲かせたい」だったが、

その口グセがあだになったようで、もうひと花どころか、ひとつも花をさかせることはなく、

はなつまみ者になっているということである

2017-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20170226141101

修士博士過程しかなったのは昔の話だと思うが……。

過程しかない時代が終わったからこそ、博士を行かなくてもできることが増えた一方で、

それでも流石に修士必要だとか、必要資格修士代替できるとか、そういうのは増えた印象があるよ。

実際はともかく、世の中の風潮がそういうものから、現に院に行ってるのなら、修士だけなら特に無駄にはならないような気もする。

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170207021216

修士なんて無理矢理でも修了しちゃえばオッケーよ

期待なんて口だけで誰もしてないか大丈夫

放置研究室だったら教授も居残られても面倒だろうし、「このまま何もやらなかったら卒業延期だぞ?良いのか?ん?」って脅してるんだろ(教授指導のつもりだったり笑)

すみません自分語り良いですか?

大学院1年生です。

なんか辛い気持ちなので吐き出させて欲しい。

高校卒業後、1年の浪人を経て大学入学した。

そして今、学部4年間と修士1年間を終えようとしている。

自分の通っている大学偏差値ランク付けすると日本で上位5つに入っていると思う。

ここでは日常茶飯事のように「君たちに期待されてるのは〜」といったエリートからどうのといった口説文句を聞かされる。

また、地元高校など周囲の人間からもめちゃくちゃすごい人だと思われていたり、そういう期待が押し付けられる。

自分自身今の大学には浪人してなんとか入った程度だし、学部時代もこれといって目立って秀でていたものもなかったことを自覚しているので正直このような期待や義務を背負わされるのはしんどい

学部時代まではさほど難しいことをやってこなかったこともあり、さほど壁にぶち当たる経験もなかった。可もなく不可もなくの典型だったので、こういった期待についてはぼんやりしか受け止めておらず「自分程度でそんなにすごいことできるものなのか大学ネームバリューすげえ」というレベルだったのだが、大学院で色々と環境が変わった今、周囲の期待、それに応えなければならない義務自分にはしんどい

大学院はいわゆる放置型の研究室所属することとなった。もともと分野に興味があったところで、希望して入ったもの特に研究へのモチベーションが湧かないことと放置研究室の相乗効果で何もしないまま日々が過ぎた。そして発展的な内容の講義に付いて行けず出席すらもできなくなった。

気付けば学部時代サボりきっていた頃よりも単位取得数が下回っていて、いまだに研究テーマすら決まっていないという状態だ。

とうとう先日切り出された卒業を延期するかという教授から提案にはこの上なく動揺した。

自分には正直留年や退学をする勇気すらもない。親からの期待の裏切り、知人や友人から評価暴落、そのどれもがこわい。

それに退学したところで新卒ベルすらない自分なんかを雇う企業いるかも分からない。



なんとか勉強して期待に応え続けるしか道がないことに改めて絶望している。

ここまでの人生自分よりも楽をして生きている人たちを見てなんで自分の方が頑張ってるのに辛いことが多いんだと感じることは少なくなかった。もちろん楽してるかどうかなんて他人である自分にはわからないし、今の人生を選んだのも自分なのは分かっているんだけれど、どうしてもこう感じてしまう。

もうニートになりたい。

あと使えない人間に過度な期待するのはやめてくれ頼む。

スマホで思ったままに打ったので乱文でごめんなさい。

2017-02-05

こんなやつがなんで東大卒ブランド纏ってんだ。経歴抹消してくれよ

http://anond.hatelabo.jp/20170204225930

こんなこと増田しかかけないが、なんでこんなやつより俺の評価低いんだよ。いやこいつのことは全く知らないが、なんで学ぶことの意味目的もフワフワしてるような奴が「東大卒」とかいブランドで着飾ってられんだ?おかしいだろ。俺は学ぶ意味を、喜びを知り、就職してから学びまくった。学問は最高に面白れぇ。夜間大学に今も通ってる。トータルでみたら東大勉強やめたこいつより俺のほうが評価されるべきじゃねえかな!?でも結局、こいつは東大卒、俺はFラン卒だ。夜間大学修士をとっても、学歴で見られるのは「18歳時点での学歴」だ。俺なんか「学歴ロンダリング」扱いだぞ。なんなんだよ。

学問自分世界を広げてくれる」ってのは真実だが、そのパワー、そのすごさ、その感動は全然人に伝わらねえんだよな。

勉強知識インデックスを付けて回る行為だ。そして学問とは、そのインデックスを掘り起こして整理し、組み合わせ、関連に気づくことだ。今まで解かれてきた数学の難問はほとんどこういう経過で説かれてる。人生も、仕事も同様だ。隠されたつながり、関連に気づくことがすなわち価値のあるアイディアだ。何も知らなけりゃ組み合わせねぇ。ラマヌジャンみたいな異次元天才はまずいないからな。

そして、勉強とは「もの名前を知ること」でもある。現象、状況、歴史物体、あらゆるもの名前がついている。名前を知るということは、そのものに関する歴史を知るということだ。世の中の99%のものは、すでに先人が発見済みだ。車輪の再発明を防ぎ、無駄に迂回する必要もない。

単に映画を見るのでも、視点が全く異なってくる。世の中の創作物というのは、製作者が全霊をかけて「うまいこと」を言おうとしている。通常、その「うまいこと」は5割も気づいてもらえればいいほうだ(実際に創作してる人ならわかるだろう)。学べば、その6割、7割、もしかすると8割を気づけるかもしれない。その瞬間の感動は、3割の理解に100倍する。そして、もっと学びたいという欲求生まれる。死の間際まで学びたいと思う。任天堂岩田社長も死の間際まで勉強していたらしいしな。あこがれるわ。

明日死ぬとしても学びたい。知らないことを知りたい。このエネルギー、この興奮は、いかなるものよりも価値がある。俺はそう思っている。

正直こいつを殴りつけたい。俺のほうが価値のある人間だと信じている。たとえ金がなく、配偶者を一生もてずとも。もちろん、「俺のほうが~」なんてのは傲慢だし、そんな風に思ってはいけないと賢人たちもいっているが。俺はこいつに嫉妬している。なぜだ、なぜ、と、理不尽な怒りがこみ上げてくる。こいつは国内最高の大学を出ているのに学問への尊敬がないからなのか。先人たちから受け取った最高の財産を軽視するばかりか、次代に伝えようともしていない。腹がたつ。

先日、地元図書館から市民講座の講師やらないかと誘いが来た。最高に楽しみにしている。どうやって面白さを伝えようか、緊張もするがそれ以上にワクワクしている。不評だったらどうしようと思うが、それを糧にまた学んでいきたいとも思う。

すげぇむかつく。18歳で成功しただけのマンダリンが。まぁその努力はもちろんわかるし尊敬もするが、納得は行かねぇ。俺のことも尊敬しやがれこの一発屋が。くそが。ちくしょう。納得できねぇ。

追記

ルサンチマンだよ!承認欲求だよ!悪かったよ!

あーもー!ままならねぇ!

2017-01-30

僕が研究室を変える理由

現在、僕は修士1年。

修士2年では研究室を変えようと思っている。

学部から修士に上がった時に研究室を変更するというのはよくある話だけど、

修士2年で変えるというのは周りではあまりいたことがない。



じゃあなんで僕が変えるのかというと、それは指導教員が嫌いになったからだ。

不満が積もり積もって、「もう限界」というところまで来てしまった。



その不満というのは主に「時間」に関することだ。

僕の指導教員は非常に時間ルーズである

打ち合わせを予定していたのに平気で1時間、2時間遅れてくる。しかも謝らない。

理由は様々だが、一番腹が立つのは「前の打ち合わせが長引いた」だ。

しかに、そういうことはあるかもしれない。

1回、2回なら「仕方ない」で済ますこともできるが、これが増えてくるとそうもいかない。

僕たちが打ち合わせのために報告書を書き、そのために準備をしているのに気づいていないのだろう。

学生時間や予定はフリーいくら変更しても構わないとでも思っているんだろうか。



次に指導方針だ。

まずなんでこの研究室に入ったのかというと、それは指導教員

「この研究室では、勉強会もやるし、ソースレビューもする。gitも教えるし、ちゃんと研究の面倒もみる。」

と言ったからだ。

純粋だった学部3年の僕は、この研究室に入れば論文書いて学会にも参加して、という風に理想研究生活が送れて圧倒的成長ができると思ってしまった。

実際に蓋を開けてみれば、風呂敷をできるだけ広げるタイプ人間だった。

勉強会にはやソースレビューには遅れてくるし、学生だけでやることもあった。

gitはまぁ使えるようにはなったがほとんど独学だ。



じゃあ研究の面倒は見てくれたのか。

これは見てくれたほうなのだろうか。ほかの研究室を知らないので何とも言えない。

しかし僕が嫌だと思ったのはそこではない。

打ち合わせの時の口癖が「俺にもわからない」「教員も3割バッター」など。

「じゃあ大学准教授ですらあまり分かってないことをぺーぺーの学生ができんのかよ」と無駄不安にさせられる。

研究結果はどうだったかというともちろんネガティブな結果になった。

ネガティブな結果は往々にしてある」と言われたが、もう「はいそうですか次は頑張ります」とは思えなくなってしまった。

次の研究ネガティブな結果で学会には1つも参加せず卒業するという未来が見えてしまったのだ。



「変えたい」から「変える」に変わったのはつい最近だ。

研究方針がよく分からなくなってるから打ち合わせがしたい」と送った連絡が無視されてる時に、就活系のガイダンスがあった。

就職が決まっている1つ上の先輩が面接で何を話したかについて教えてくれた。

主に研究の話だそうだ。自分がどういう研究をしてどういう結果が出て、そういう話だ。

その時僕は思った。

じゃあ僕はどうなのだろうか、研究について話せることはあるのだろうか。

2年間やってきて何もない。

これは僕の能力不足が多く含まれるだろう。

しか教員との相性もあるだろう。

2年間二人三脚でやってきて(すくなくとも僕はそう考えている)何も生まれなかったら、それはもうあと1年やっても意味ないだろう。



から僕は研究室を変える。




研究室に迷っている学部3年生に言いたいことは、

研究室を決めるときは、自分のやりたいことでも、先輩の話でも、教員大風呂敷でもなく研究成果を見よう。

WEBページなどに先輩の論文が実績として掲載されているかどうが指標になる。

WEBページが毎年更新され、実績も掲載されていれば、少なくとも研究の面倒を見てくれる研究室であろう。

2017-01-29

産休育休による昇進差別禁止

うちの会社は、新卒なら学士でも修士でも博士でも31歳で昇進試験を受ける。

浪人留年していたらその分は遅くなる)。

試験合格率は七割くらい、落ちたら次年度以降に再試験

試験を受けるのに上司の推薦が必要だが、著しく能力や勤務態度に問題があった人(50人いて1人いるかいないか)以外は基本的試験を受けていた。

さて、私も本来なら昇進試験を受ける年齢なのだが、推薦されなかった。

入社以来、毎年の査定では10段階のうち8か9(高い程良い)なので、能力に著しい問題はないと思われる。

私は今年度の4月出産し、来年度(今年)の4月まで育休を取得している。

これは妊娠出産による不利益な取り扱いなのだろうか?

育休中に試験を受けさせることが問題なのだろうか。

それはありそうだ。

それなら、復帰して試験を受けて、合格したなら、昇進を一年分みなしで前倒しして欲しい。

昇進が一年遅れると、次の段階の昇進試験も遅れていく。

能力問題がないのに育休のみを理由にして遅れるのは不公平ではなかろうか。

育休中は仕事をしておらず、その期間を控除するのは当然なのだろうか。

しかし、うちの会社はそもそも育休を取得する人間がまだ少ないし、女性しか取得しない。

男性は数日の「育休」を取得し、書類上で育休取得率を上げているだけだ。

男性の「育休」取得は、昇進試験に影響はない。

妊娠出産の負荷は女性しかない以上、産休の取得は避けられない。

そして、「社会的圧力」により、育休もほぼ女性しか取得しない。

そして、産休育休を取得すると昇進が遅れる。

これは間接的女性差別ではないだろうか。

男性の育休取得が女性並になるなら、育休による昇進の遅れは少なくとも女性差別にはならない。

現状はそうなっていない。

子どもを産まなければ女性も昇進できる」って?

から少子化になるんでしょ。

男性の育休取得率(期間ファクター込みで)が女性と同等になるまでは、産休育休による昇進差別禁止するべきだ。

2017-01-23

いい加減童貞を捨てようと思う

来週で23歳になる理系大学院生修士1年童貞。その辺によくいるやつ。

童貞のご多分に漏れず、彼女は当然いない。

なので風俗適当童貞から素人童貞ランクアップ(もしくはランクダウン)しようと思う。

そこで、童貞を捨てるに当たり、おすすめ風俗店を教えてほしい。

予約とか指名とかすると待合室とかで後悔しそうなので、勢いで入れるようにハズレの少ない店情報が欲しい。

あとおすすめ時間とかあれば。

関西関東、もしくは札幌福岡辺りなら嬉しいけど、正直どこでもいいです。

個人的な目処として5万ぐらいを目処としてるのでそれぐらいでお願いします。

2017-01-17

修論を終えた感想

 無事に修士論文を提出し、諮問の日程も決まった。


 大学によると思うが、ウチの場合修論を提出した段階で、博士後期課程への進学と学位発行がほぼ決まる。逆に提出した段階での差し戻しを食らう場合は、修士論文撤回の憂き目となる。教授も出せるように指導するし、学生も間に合うようについて行かなくてはならない。とりあえず提出できたので問題がなければ、このまま無事に修了、進学となる。良かった。


 よくある適当私大阿呆学部卒業したので、司法試験を受けるでもないのに卒論は書かなかった。留年もかました典型的マジメ系クズ学部時代の禊ぎをすませることができ、うれしく思っている。ウェーイでもDQNでもオタクでもなかったあの頃の残念さ、大学卒業してから放浪にも似た十年を、期せずして総決算する機会となって良かった。


 文系修士博士無意味だと騒がれて久しいが、そんなことないと思う。そもそも社会的無意味無効な誤差として処理される人間にとって何かしら一つをやり遂げた記念が、社会的認証されることは自信を得る機会になる。もともと無意味人間には、意味のあるものだ。


 幼少期から思春期青年期にかけて自信を育む機会を生かせなかった人間には辛いことが多い。自信の無さが生活態度、言動に現われるし、結果、多少の理不尽なり違和感を周囲に与えて暮らすことになるからだ。その齟齬が対人関係軋轢となる。


 もちろん修士号をもらったところで、身に染みついた挙動の滑稽さ、可笑しさが拭えるわけではない。聖痕のように残るものだろう。それでも、何かをやり遂げたという実感が、ありふれて大したことではない修士論文の提出という事柄に込められていて、少しだけ自信を得ることができた。


 4月から博士課程に進む。同時に研究分野の珍しさと新しさもあり、ある企業研究員として雇ってくれることにもなった。学振は落ちたけれど、博論を書きながら、研究員という願ってもない形だ。

 もう若者ではない。朝、鏡をみると、残念なおっさんが寝ぼけてくたびれている。老いつつある両親に会った際、母に結婚について聞かれたが、それはあきらめている。でも、覗いてみたい世界があり、その世界研究員という形で足をつっこんで暮らしていけるのだ。悪くない。

 21世紀も後半になる頃には、僕はこの世界からログアウトしているだろう。それでも、自分が残した浅薄で僅かな研究や記録が、後継の偉大な天才と俊英たちのいくらかの踏み台になり、また諸俗凡人の皆さんに少しでも益するならば、それでいいじゃないかと思っている。百年後に一度、次の誰かが少しだけショートカットできるための一行を書く仕事、それが僕の務めだ。


 修士論文を書くということは、最低限、その分野の歴史の全体が見えており、研究史の中で自分立ち位置を把握した上で、浅彫りの僅かながらも確実な成果を置いていくことを意味する。そうすることで、今までぼんやりと見えていた世界がくっきりと鮮明に見えてくる。ザルだった視点が、精細さをもってくる。それが世界他者自己の精彩さに変わってくる。分野によるし一概にも言えないかもしれないが、僕はそういう経験をした。


 修論を出し終えて、本当にやって良かったと思っている。

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