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2024-04-23

anond:20240423160027

それは認知が歪みすぎ

現地人の家とか遊びに行ってる?

アメリカホームドラマ韓流上流階級闘争みたいなの見過ぎとちゃう


ホコリだらけでガレージはめちゃめちゃやし

家に洗濯機いから服は臭うしヨレヨレで靴はドロドロ、ボロボロ

髪をセットする、朝顔を洗う、シャワーを浴びるなどの習慣も皆無

清潔"感"という概念すら消し飛ぶでホンマ

2024-04-22

anond:20240421170643

そりゃそうだ。もともと闘争病気でオスはもっと減ってちょうどいいのだ。

2024-04-21

anond:20240421112638

アホみたいな設定だけど、なんでいつも良い年して闘争だの言ってんのコイツということに対する解答でもあるんだよね

作中でコイツまれつき病気なんだよ闘争をやめられないのも周りがメスに見えるのもってやったの

異論余地も挟まない解答だしなんとも言えない間抜けさもあるし凄い作品だよね

anond:20240421020056

ネットアンチフェミ闘争に毒されすぎよ。

友達にもいるけど、ごく普通の人たちです。

2024-04-20

anond:20240419212531

こういう風にパワハラ受けておきながら自分ICレコーダーで録音して戦わないやつも害悪なんだよね。後から女々しく被害者面して、よしよししてもらいたいのか?

俺はもう糞フェミとべったりの共産党には入れないが、労働者自身闘争しなければ労働環境よくならないよね?みたいなことを共産党関係者が言ってたけどそれは正論だと思うよ

結局お前は負けてしっぽ巻いて会社辞めて、そいつ会社に残ってんだろ。社会ごみをお前が片付けなかったっていう意味でもお前は社会にうっすら迷惑かけてんだよ。創作か否かなんて関係なくこの文章に宿る精神批判するべきだと思うね

よーし俺たちがこいつの名前検索してお前の代わりに叩いてやるぞ!とはならんだろ。お前の戦いなんだからお前が戦えよ。

2024-04-19

anond:20240418212609

孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。

サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身一人二役して会話していた。

それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまり一面的すぎる。

それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。

だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。

これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。

仮に合意形成の結果から相手心理状態類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。

復讐意図弱者男性が持ってるかは動機主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。

そして主観的には人間自己幸福を測り間違える。

これはデイヴィッド・ベネターが統計引用して例を挙げてるが人というのは身体障害知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。

どの立場であれ心理抑制環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。

隷属か破壊かはニーチェが扱っている議論だが、

ニーチェ正当防衛についてこう述べている。

━━正当防衛一般正当防衛道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義ほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまり人間的』

そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価正当防衛基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。

一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造寄与している。よって社会機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者価値付けの基礎となる社会進歩前進はありえない。

社会弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在搾取する主体である強者必要としてるからこそ残り続ける。

まり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマ流行規定するモード存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)

万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態規制しているのは社会報酬である。それが除かれた場合上記行為当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。

しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群智慧である

2024-04-17

まあその人達の根っこにあるのが「和解協調」なのか、それとも反対の「闘争支配」なのかは見てりゃ分かるよね

後者だと見抜けたらその人やコミュニティには近づかないのが一番かと

一時的勝利したとしても永久に次の攻撃目標を探しだすのが後者なので

2024-04-13

anond:20240413092502

警察との武力闘争に勝てないからでいいじゃん。

この理屈なら法律殺人禁止されてなくとも殺人をすべきでない理由説明出来るぞ。

2024-04-08

ツイッター見てるとヒラリーみたいな思考の裕福なアメリカ日本人みつけられるけど、あの辺見てると典型的アメリカ人は精神面はあんまり成熟してる感じはしないね

金と個人主義闘争こそ正しい価値観 みたいな偏りは顕著

日本とは違う形だけどマウント癖も性根の奥の奥まで張り付いてるし

それでうまくいってるならまだしも、バランスの良い国とは全く言えないし病んだ国という評価は正しいと思う

マッチョイズムが過ぎて辟易するし、LGBTだの多様性だのは米国の行き過ぎた偏りを正す意味においてだけは存在価値があるかもねえ

まーそれでも法にそってるだけ全くマシで、中露なんかは愚連隊が収める規範なき人治主義国家から代替にはなり得ないし

日本企業人権侵害しがちなところはともかく民度は悪くないなと思う

暇空茜VS日本保守党

内輪揉め感は面白いんだけど、結局口喧嘩で終わりそうなのがなぁ

開示請求とか法廷闘争とかのガチバトルしてほしい

2024-04-07

東京4大学 家系闘争

か 東京科学大 (いえ 医科歯科、工をエと読む)

けい 慶応

とう 東京

そう 早稲田大

2024-04-06

転職したら望んでもなかった「やりがい」が手に入った

去年転職をした。

ブラック企業渡り歩いてきたが、問屋なんてのはそんなもんだと思ってた。

だが、1社目は新卒には辛すぎたし

2社目は営業所長が横領パワハラを繰り返してたし

3社目は新社長バカなのと社員バカしかも仲が悪い上に派閥闘争して(わずか40人そこそこの会社でだ)中がズタズタになった。

阿呆臭くて辞めて色々あって今の会社に入った。

やっぱり問屋だ。食品問屋

入った理由はそこが土日休みだったから。

一般には日曜と水曜が休みなのが多い。

で、どうせ問屋だ、どこも大差ないだろうと思って怒鳴られる前に…と倉庫掃除してたらやたら褒められた。

怒鳴られる前に…と思って先輩や上司に割と丁寧に接してたら妙に信頼された。

やって当然だろうと思って見積作成とき現物に見入ったらやたら感心された。

なんのこっちゃと思いながらも独り立ちして営業しててもやたら褒められた。

なんてことはない。ただお客をこまめに回るだけ。んで、注文引っ張ってくるだけ。

特別なことといえば前の会社取引先をひとつ飛び込みで取ったことくらい。

あとは普通に回って普通にお客とコミュニケーションとって、せいぜいデッドストック売ってた。

そしたらこデッドストック販売評価されたらしい。いや、問屋営業なら当たり前だろとしか思わなかった。

よくよく聞いたらそれまでの営業は凹缶ひとつ満足に売れなかったらしい。なんだそれは。

そんな具合で仕事は非常に順調だった。

別に残業しなくてもいいし、出社は定時が8時だが7時ころ。

けどこれはトラックに積み込みもあるしそりゃ問屋なら当然だろとしか思わなかった。

さらに去年の4月新卒で入ってきた女の子がやたら可愛かった。

これがめっちゃ可愛い。超可愛い

んで、まあなんとなく見てたりはしてたんだが、不覚にもあるときドキッとしてしまった。

まりやられたわけである

困ったことに一回りも離れてる。

いやこれはないだろうと気持ちを抑えようとしてたんだが、なぜか今度はその子仕事上の打ち合わせが必要になった。

いやこれはどうなんだ、と思ってたが仕事ときはそんな感情も出てこず冷静に会話もできてる。なんか助かってる。

そんな具合で仕事普通にできるし、可愛い娘と会えるしで会社に行くのが楽しみになってる。

朝起きて会社行くときも、あの娘に会いに行くかって具合になってる。

んで、普通に営業も頑張れる。上手くやれれば格好つけれるから

やりがい。あるもんですね。

anond:20240406072038

何が正しいのかよくわからん

女湯入らなきゃ死ぬってわけでもないし揉め事起こして良くなった事例なんて昭和の古臭い闘争ぐらいしかないだろ

令和の時代でやるとか逆効果だわ

2024-04-03

静岡県知事

県全体の人口360万人で、大井川流域に限ると60万人。

6人に1人は、リニア工事被害関係者関係者になりえるのだけど、

逆に考えたら6人に5人は、工事がどうなろうと関係なくて、特に問題視していない。

県民の大半は、JR交渉して有利な条件を引き出したうえで工事が始まれば良いと思ってる。

のぞみが止まる駅や頻度が増えたらありがたい。

お膝元の静岡市工事について条件付き賛成を示している以上、

県知事選で、リニアが争点になることはもはや考えづらく、

賛成派と反対派の一騎打ちで、反対派が勝利して民意がうんたらかんたらなんて到底あり得ない。

下手すると、立候補者全員が、条件付き賛成派になるかもしれない。

野党泡沫候補絶対反対で騒ぐとニュースに取り上げられるくらいはあるかも。

いずれにせよ、県民の最大の関心事は、次の知事がどの市から出るか?ということ。

無駄東西に長い県だけあって、県の東部中部西部のどこから知事がでるか?

でその後の県政が大きく変わる。県政とは利権のものであり、

血で血を洗う骨肉の選挙闘争が水面下で始まりつつある。

2024-04-02

ユダヤ教悪魔はいるのか

簡単に言うと、「悪魔」といった考え方はユダヤ教には存在しません。

サタン (שטן - これはもともとヘブライ語) の概念はタナハ (ユダヤ教聖書) やさまざまなユダヤ教資料存在しますが、サタン肩書きであり、役割であり、人格ではありません。

サタン破壊をもたらす使命を与えられた天使であり、G_dの前で特定人物またはユダヤ人全体に対して検察官としての役割を果たし、場合によっては誰かを誘惑したりして悪を犯すこともあります

しかし、彼らはG_dと戦っているのではなく、命令に従っているのです。

ユダヤ教神学ほとんどは、キリスト教悪魔と同一視できる特定天使悪魔については語っていません。

まり悪魔はいません。

しかし、(特にカバラでは)特定天使サマエルについての話があり、サマエルはすべての有害天使を統括し、人間を誘惑する者として描かれています

しかし、再び彼は G_d の対象となり、命令に従います

ユダヤ教には「反キリスト」に相当するものはありません。

G_d から独立した力や、G_d に反抗し、彼の意志に反する力という概念はありません。

世界で互いに戦う善の勢力独立した悪の勢力について語るようなこの種の二元論は、ユダヤ教では完全な異端として広く考えられています

G_d は 1 つだけであり、反 G_d は存在しません。G_d は争ったり闘争したりすることはなく、完全かつ絶対的存在です。

ユダヤ教では、人間けが悪と戦いますが、それは人間行為であり、主に人間の内部で行われますカバラでは、悪い行為有害天使を生み出し、悪を増大させるものであり、善行を行うことでそれらに対抗します)。

そしてもう一度言いますが、形而上学的悪と「戦う」という観点から宗教議論するのは、ユダヤ教の一部の派閥だけです。

天使悪魔と戦うという概念は、異世界でもこの世でもありません。

もちろん、ユダヤ神学には、悪魔邪悪天使についてすべて書き、善の傾向と並んで人間の中にある悪の傾向についてのみ語る伝統全体があり、悪の傾向とは、人間がそれを克服することによってG_dの奉仕者になることを可能にするものである

タルムード賢者たちは反対である悪がなければ善の概念存在しないとも捉えています

天上の戦い、反G_d悪魔、G_dの意志に反して行われる世界の災いなどの概念は、歴史の中に存在するとしても、教えとしてあるわけではないのです。

2024-03-31

静岡JR社員ストライキなどはしないんだろう

リニアが出来るまで闘争をするなんてほのかに旧国鉄な感じがするから

そろそろ真剣に、日本における「ポリコレ」への反動検討されるべき

反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判意思抵抗を突き進める立場として私は評価している。

曖昧定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。

SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレ配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。

日本より立場の弱いアフリカでもラテンアメリカの各国でも、しっかりと「ポリコレ」に対する大衆反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。

定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。

我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?

本当にその芸能人過去や起した事件舞台を奪われるに相応しいのか?

なぜ「子ども」が関わると様々な表現規制されなければならないのか?

アングロサクソンプロテスタントの一部の道徳基準とその差別歴史からしか発していない基準をなぜアジア日本人が採用する必要があるのか?

地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?

芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?

そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者尊重される日が来るのか?

その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?

上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧ものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関機関銃のような物である

原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。

そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧もの拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。

個別の「昔はよかった論」「弱者男性女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。

そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。

数ある「炎上騒動の中でも、自活できる基盤のある会社個人は、そもそも圧力無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。

そしてポリコレへの反動大衆マジョリティのためのものだけではない。マイノリティのためにもなる。例えば障害者障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。

我々を取り巻いている曖昧空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館交通機関における障害者権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。

障害の不便さを笑う芸と、障害者権利異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微ポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。

2024-03-29

anond:20240329180728

確定申告納税者闘争の末獲得した権利なのでそれを放棄するという選択歴史を振り返る限りありえないんやで

2024-03-26

『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』

単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。

その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である

たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジム所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。

対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイド生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。

でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。

持つ者はいいよな~?

それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから

畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガン綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。

金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。

じゃあどうする?

正攻法じゃ勝てねぇから、腹を決めてぶっ壊れるしかない。

そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――

とても悲しい事だが、持たざる者努力をすると、自律神経が乱れ、情緒不安定になり、ノルアドレナリン闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキー毎日突入やすい。

怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。

そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。

しかしながら、試行錯誤――破壊再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。

そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。

一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップワードだろう。

ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生でろでろに腐ってゆく。

からこそ、ファイトクラブ名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしくフルスイングで開き直って、「人生自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫びハイリスクな一歩を踏み出すしかない。

というのも、代表的弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。

そんな絶望境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギー必要になってくる。

寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。

そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。

であるからハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。

いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。

その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。

その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。

そして、精神コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。

やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズ人生渡り歩ける訳じゃない。

人類社会に立ち向かって、一所懸命努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。

とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。

すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。

そうなれば必然的に、こちらの心も殺伐としてしまう。

そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である

といった流れで、『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』という、悲しき物語が広がってゆく。

2024-03-23

アンチフェミ過激派が反「反AI過激派になっている。

アンチフェミ法廷闘争政治闘争経済戦争倫理戦争のあるとあらゆる戦いにおいて驕兵必敗・全戦全敗で、

それのみならず、アンチフェミにすり寄られた界隈や企業作品キャラクターは全て甚大なイメージ被害を被っている。

アンチフェミが、反「反AI」の立場を取るなら、AI生成原則禁止と言った、厳しい規制がかけられることは明らか。

う~ん、無能な味方は有能な敵より怖い…。

https://imgur.com/JNq8EhV

2024-03-22

anond:20240322120511

そこまで闘争的にならなくても、と自分は思ってしまうなぁ

争いが好きな人は確かに居るんだろうなぁと思う、共感は出来ないけど

2024-03-21

誰も野生のギャル曽根想像していない

ことについて私はちょっと怒っていた

焼肉食べ放題タン50人前」の件についての話

正確には黄金頭さんは野生のギャル曽根や食べ盛りの運動部員他…までちゃん想像していて、なんか救われたような気持ちになった

https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/03/16/171118

私自身は私の持つマナー常識や、自信を持って他人マナーをどうこう言えるほどに誇れる自身品位なんかの問題でなく単に他人に「この人間社会をやれてない」と思われたくないがための必死で卑屈な小心ゆえに、

かつ自分空気を読めない部類の人間であることを知っている不安から状況を深読みしすぎるゆえにお店のきりもりや他の客の感情のことを勝手に考えてこの条件なら一人1.5人前程度はいいだろう…などと余計な思考を巡らせて実際そのように行動しているタイプなので

最初あの話題が盛り上がりかけたとき一人での来店なら1皿追加、二人なら3皿くらいまでいいかな…などと考えていたのだけど、正直自身でも「適切」で「常識的」な範囲は実際何皿なのか?ということはわからなかった

からブコメが盛り上がるうちにそれはおのずと浮かびあがってくるものだろうと思って追っていた

こんなにも「常識的な範囲」「迷惑でない範囲」ということを知っているだろうブクマカがいるっぽいんからそうならないはずはないと

しかし実際ブコメでこの件の価格でのやり方なら○○皿が適切だろうという具体的の例示がなくて、でもじゃあ実際何皿ならいいかな?という素朴な疑問もなく、ただただ件の人を愚かだマナーがない品位がないハックだバグ(ハックとバグこれらはさすがにびっくり、全然違わない?と思った)だ店への嫌がらせだというコメントばかりあったかだんだんモヤモヤしてきた これが分からない私という人間も、果たして非常識迷惑な側として斯様に断じられるのだろうか?

中には「知人なら距離を置くかも、嫌かも」「夫がこういうことをしたら指摘するかも」というようなことを書いている人も何人もいたけど、

えっ、いや、そこでなんで「わたしの思う常識的な食事量の人が欲を出している」想定をするんだろう、そこは「旧知のギャル曽根」か、あるいは「もえのあずきくらい日常的に食べることをこっちもよく知っている夫」を想定しないと思考実験にならなくない?と思った

実際無名時代ギャル曽根お好み焼き店?だかで出禁(この辺はまさにお店の裁量だろう)を食らった話をかつて本人がしていたと思うけれど(その後和解はされたようだ)、

無名時代大食い人間が近くにいたらこの人たちはそうやって自分常識で黙ったまま相手断じて勝手軽蔑したりするんだろうな……って気持ちになってなんだか暗くなった

(まあ現在ギャル曽根さんはきっと自分自身で学んできて自分に課したルールに従ってお店ではバランスよく加減しながら大食するだろうタイプの人だとは思いますが)


私は人生において幼稚園から一緒の無二の友人がhttps://anond.hatelabo.jp/20240320101739この増田のようなタイプ(友人の両親もそう)で、

病院にも行って体に問題はないとわかったもののとにかく日常生活において人より大食してエネルギーをとらないと動けなくなるタイプ燃費の悪い高級車みたいな人間もいることを知っているから、悪意やハックなどという意識がなくてもそのくらい食べる人間はいるし、そういう人間について自分の思う範囲の「常識的な食欲・食すべき量」は当てはまるものではないということを知っていたか自然とそういう想像をした

私が今回のことですごく嫌だったのは、「大抵の人間は似たような食事量のはずで、だから自分の知っているまあ常識的な範囲の皿の数以上を食べ放題で頼む人間の行動は、必ず悪意か欲得づくである」というごく「自然」な発想に基づいて、たくさんの人が件の人や食べ放題で同メニューを大食する人をマナーがない、迷惑だと非難している点だった

(50皿同種のものを頼むのさすがに私もだいぶどうやろ…って思うけど、3皿が基準の人ならそれ以上だし5皿が基準の人ならそれ以上になればもうそれでその人は「非常識」「迷惑」な人の範囲に入っちゃうんだよね?

ルール内にはそれだけ幅があって、でも誰も自分のそれを語らない、そんな調子であるならばこの話は「ルールになければ何をしてもいいのか」がテーマでもなければそれで紛糾する以前の話なのではって私は感じたんだけど……)

まあ発端の人についてだけ言うのなら書き方がイキリっぽいとこもあったり読み手勘違いさせたりわざとしたいのかなって感じもあったりでそういう気持ち理解できるけど、

食べ放題で悪意や欲得づくでなく大食する人」を自分のとなりに置く想定もしないほど自分想像力がないのに、その小さな想像力で実際にはないかもしれない悪意を見出してはその想像力の及ぶ範囲での「常識」を正しいととらえて他人品位を論評することについてなんの衒いもない人がたくさんいることについては本当に悲しくなった

「知っている飲食店ご飯キャベツのおかわりがなくなった、回数が少なくなった。これもこういうバカがいたからだろうな~」といったブコメもいくつか見たけど、確かに中にはそういうお店もあるかもしれないが、

ほとんどの場合普通に原価高騰の状況で削れるところから削っているだけだと思う……なぜなら家族飲食店で働いていてそういう状況の複数の店の話題をたくさん聞いたから……

実際には状況や原因がわからない現実事象について、似た場所で何かが起こったらそこから答えを引っ張ってきて当てはめて、自分の思いたいような嫌いな悪人想像して納得するの、あんまりよくないと感じる

こういうのも上に書いたのと同じで、自分はそうではない(ここ大事から堂々と他人マナー違反を咎めたり人の間違いを指摘するのって結局気持ちいからそういう欲求に負けてしまうことって情けないことに結構あるけど、

実際それってすっごい意地悪なことじゃないかと思う

なにかあったときに外側の人や状況について「悪意」や「迷惑」の方からまず想像するの、なんかしんどい

(まあ私もこの増田でだいぶやっていると言えるので情けないが、違和感や怒りや非難の表明はせめて世間常識に基づいてのものではないごく個人的ものとしたいと思う感情からこの増田は書く)


黄金頭さんが怒りたいのもそういうところだったんじゃないのかなって勝手に私は受け取って思ってしまったので(多分違う上に話題に出してごめんなさい)、「回避能力高ければそもそも触らない」っていうのも違うんじゃないかなって

(このエントリブクマで見たコメについてhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/278501/1/1/

自分エネルギーを多量に消費しようが返ってくるもの苛烈であることが確実であろうがそれでも怒らなきゃならないこと表明しておかなければならないことが時には個たる人間には生じるもので、このことは本当にそうだったんだと思う

その後車いす映画館話題でも侃々諤々があり、似た無理解構造があると感じた

自分が多数の側にいると思われるとき、その自分想像できる範囲常識普通って実際のところかなり狭いということはいつもよく自分に言い聞かせておかないといつでもどこでもすぐさま傲慢人間になってしまうということについてよく考える

できてないけどやっていくしかないんだよな…


”べつに上のツイート全部が嘘の書き込みであったとしても、思考実験の材料にはなる。そして、おれはこう思った次第であるあんたはどうだろうか。”

私も空気読みができる人間でも社会的に強い側にいる人間でもないので

今回の件では今回のようなこととは他のあらゆるシーンにおいてもこのような状況は生まれ、誤解されたり断じられたりが数多発生していることへの想像自分意志とは関係なく脳のリソースを使い、

なんだか自分や他の立場の人が置かれている状況や場を想像しては悲しくなったり不安になったりして上のようなことをいろいろと私は考えました

ブクマ戦争闘争プライドの場と思っているのでない限り、ただ素直にこれに応えればいいだけなのだと感じた

(私は3皿かなあとか俺は5皿くらいかな?…とかも普通に答えてよくない?いろんな人の「だいたい」知りたかったよ…黄金頭さんのエントリブクマは200ブクマ超えたあたりでしんどくて読むのやめちゃったから書いてる人いるかもだけど)

0か100かのブコメがたくさんで落ちこんだよ……

2024-03-20

anond:20240320000215

乙武さんと隠れ家的レストラン闘争では今回と同じような感じでどっちが悪いのかなんやようわからんうちに忘れられたんでは

よく覚えてないけど

2024-03-19

車椅子福祉の敵はそれ以外の福祉

なぜなら、福祉ゼロサムゲームから

一方の障害者福祉リソースを増やしたら、もう一方の福祉は減らさないといけないんですよね。

そこには福祉を奪い合う闘争があるわけです。

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