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2024-03-18

小説ドラゴンクエストって面白かったな

いのまたむつみ訃報を聞いて思い出した。

7までと、精霊ルビス伝説も全部読んでたよ。

ドラクエ11ルビス伝説の設定が全部無かったことにされたのはちょっとしかった。まあ、あれを二次創作じゃなくて何で公式設定として認めてたのか、その辺の事情もよくわからんけど。そして何故だか「まおゆう」でルビス伝説の話に触れられてるのがよくわからん。さすがにルビス名前は直接は出てこないけど、カリティクスだかルビス名字が出てきてたな。

 

1~3はそもそも原作シナリオがあっさりしてるからオリジナル設定もりもりで、普通にエンカウントするようなモンスター幹部の設定だったり、ガルチラ、ガルドといったらやたらとシナリオガッツリ関わってくる謎のオリキャラが多かったな。2の小説版結構好きで、敵か味方か謎のポジションを取り続けるオリキャラガルドが結構いい感じだった。典型的メアリースーとか言わんといて。

3は魔法使いの仲間のリザと、血の繋がりがあるゾーマの部下のチコとの確執面白かった。小説版ではオルテガを倒したのはチコという設定になってる。このキャラはいのまたむつみお気に入りなのかわからないけど、小説版の復刻版では仲間キャラ差し置いて、3の勇者チコが描かれてる。

4の小説は全4巻で長い。4からゲームでもシナリオが濃くなってるけど、小説版はそれを上回る濃さを提供してくれたな。なにせ序章と題してピサロロザリーエピソードを延々と読まされるもんだから、俺は一体何を読んでるんだという気分になる。エビルプリーストが実は黒幕という小説版設定は、リメイク版4に採用されてたな。さすがにジャコーシュのいう名前採用されんかったけど。第五章第一部で、各々キャラ視点勇者出会うまでのエピソードが語られるのは好き。

小説ドラクエ最高傑作はやはり5。ゲームエピソードをだいぶ重視するようになったけど、元の話も良いし、さらにそこにプラスアルファで乗ってくる小説版独自の設定が良い。小説版スライムナイトの設定は公式でも採用されたけど、その後やっぱりなかったことにされてる。やけにあっさりしてる結婚描写から砂漠での逢い引きや、過去に戻って主人公パパスや幼い頃の自分と会う描写は名シーンだと思う。

6の小説は4と5の小説暴走しすぎたせいなのか、結構あっさり気味。あっさりしすぎてて、あまり印象に残ってない。ただ、黄金竜の正体はバーバラであることを語ってたりとか、ゲーム設定の補完としては良かったと思う。ちなみに漫画版と違って小説版主人公ミレーユといい感じになる。

7の小説は……全然覚えてないな。つーか、7が長すぎたから、小説版の端折りっぷりも尋常じゃなかったし、会話システムのおかげでゲーム内のテキストも多くて、原作の補完というポジションも取れなかったからねえ。ドラクエ小説が7で止まったのは必然だったか

車椅子を押す側 の ぼやきと一部の生活

車椅子を押す側のとある所感、一例として書いてみる。

あんまりまとまってないけど、ご容赦ください。

  

――――――――

  

自分車椅子押す側の健常者。

身内が車椅子。元は歩けてたけど、病気車椅子になった。

押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。

から押す側はだいぶ神経使う。重いし。

  

で、身内は結局あんまり外に出たがらなくなった。

繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。

  

――――――――

  

そんな身内の言い分を聞いてちょっと唸ったことがある。

例えば、人混みを通らなければならないとき

介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、

乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。

  

そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。

大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。

で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。

それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、

そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味から、受け取り方が違うよ!」と慰めた。

  

そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。

よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。

  

――――――――

  

人間というか生き物は、自立したい生物だと思う。

金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、

身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。

自分身体が突然制御不能になったら嫌でしょ。

最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。

周囲だって毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。

  

でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。

傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。

本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。

自分要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。

いくらこっちが善意でも、いや善意からこそ。

  

まり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、

「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安

それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初言動のものになってるのかなと思った。

  

――――――――

  

いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。

だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。

これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。

外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。

  

でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。

  

簡単な例でいえば、トイレだ。当然多目的トイレしか使えない。

から多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。

車椅子トイレ使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。

ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。

いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。

しかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。

かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレセックスをするアホもいたりするからな…。

健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。

  

車椅子の人だって介助者だって別に自分関係なければ許せるかもしれない。

本来なら…病気になったり、事故に遭わなければ…。

そういうありもしない未来過去がそのたびに去来し空しくなる。

心の許容範囲の在り方、理不尽に変わってくる。必死だ。

  

――――――――

  

他の例だと、地方美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。

外出の選択肢として楽なのはアウトレット舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。

海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。

  

エスカレーター階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。

エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。

一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。

見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。

降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。

  

実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。

障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。

若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。

  

ただ「使える」バリアフリーかっていうと難しいときもある。

とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。

エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。

(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)

  

施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。

でもまあそれは「平等サービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。

美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから

コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。

たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。

  

本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分パイプ椅子…なんてこともあった。

クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。

「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。

楽しむために行くのに、悲しい気持ちになるのは本末転倒だ。

  

――――――――

  

マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。

自分車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。

望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分いるから存分に楽しめなかったりする。そもそも自分の行動や欲求に付き合わせている。

そういった事実によって生まれ葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。

そういう立場体験していない自分が、その感情否定することはできない。

  

ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。

身内の気持ちは身内にしかからいから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。

  

当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。

だって事実事実で動かしようがない。

すみません」って言わないと通れないんだから

  

――――――――

  

設備が悪い!とか周りが悪い!って文句もあるときはあるけど、

社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。

人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離コミュニケーションをとる。

これは最近トランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。

自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。

平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。

  

からまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、

なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。

  

身体不自由だろうと身内には元気でいてほしいから、

色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。

無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。

  

――――――――

  

そういうわけで(?)

車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。

助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。

舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。

  

こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。

  

――――――――

  

おまけ

  

これは最近の空しかった話。

テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。

  

「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。

いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。

かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。

でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルそもそも高い。そこに行くまでの道程ハードルも高い。

立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。

何より、身内と自分の体力や精神力が持つとも思えない。

そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェス非難してるわけではない。

  

でも行きたいなって気持ちは誰にだってわくもんだし。

「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子から無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。

から「行きたい」じゃなくて「行きたかったなあ」になる。

  

介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。

  

こんな無力なこと、ある?

自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。

身内はこの先あの景色体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。

  

――――――――

  

やっぱりあんまりまとまらなかった。

2024-03-16

地雷」に代わる言葉を考えたいのに

いつだか

「出くわしただけでダメージを負うレベル表現地雷」って表現、なんか「自分側に要因」があるのになんか違くない?」

というのを見て

「確かに……」と思ったり


自分は「見かけるだけ」でキツい、意図せず「それ」を含む作品を読んじゃった(見ちゃった)場合は数日ダメージを引きずるもの、を

そう呼んでた」

「一方「こういうの好きじゃないな」くらいの温度感で使っている人もなんかいるっぽいぞ、最近……」

「好きじゃないな、くらいの話は『段差』って呼ぼう」

みたいなムーブメント

「なるほどな……」と思ったり



そんな時の流れを見ているとさ

もしかして地雷」って表現、使われすぎて減衰(言葉から受ける印象が軽くなる現象)してきてるのかな

そのうち上位互換的な表現が出てきて廃れるのかな

って感じてたんだけど


なんか全然廃れなくてびっくりしてんだよね

地雷」、長生きじゃないか……?言葉として



「この表現自分としては苦手どころではなく生活に影響出るレベルダメージを負います」という物は誰しも在って不思議じゃないのだし

言葉としては「必要」なんだと思うから 必然なのかもしれないけども


でも「地雷」って「現実に人を傷つけている兵器」でもあるから

それを日常で会話に組み込むの、あんまり快い事じゃないな〜 とも思うんだよな 最近

タヒね、をあんまりポンポン言うのやめたいな、というとの似た感情




そんな訳で「代わる言葉が生まれものかな、、なんか考えたいな、、」とぼんやり思い続けて何年目??みたいな月日が経っている


アレルギー」とか意味合い的に合致してるんじゃないかと思ったけど

食べ物とか物質に対する「アレルギー」と混同することで何か不都合ありそうだし

アレルギー」を採用して本来の「アレルギー」の意味が減衰し始めたら普通にアカンので悩む



ずっと悩んでる

2024-03-13

にけつッ最新回でコバが「2023年年末に初めてBTSDynamite聴いたんですよ。それ言ったら周り中が驚いていた」と言っていて

自分も未だに聴いていないので、人類として異常なのか?と思った

しかし、昔と違って現代は「興味のないもの」を排除して生活出来るので、こんな状態になるのは必然だと思うのだ

昔はテレビくらいしかメディアが無くて、それを見ている限りは否応なく「流行り」を浴びることになるけれども

ネットにこもったり配信だけ見たりサブスクで聴いたりして暮らせる現代自分の嗜好のみに従えるので、どうしたって「要らないもの」は排除される

ぶらぶらと繁華街を歩いたりする住環境や嗜好が無い限り、流行押し付けられることもない

それは幸せな反面、全く流行を取り入れない暮らし

つっても、何ら問題は無いので改善する気も無いが

そうやってどんどん洞穴暮らしみたいな状態になってく現代人がこれから更に増えていくかもしれんな

まりにも流行から取り残されて「本当に現代人ですか?」状態なっちゃ

つーか、そうなったらもう「流行」って何?って話だけどな

万人が知っている様なものが「流行」だとしたら、「知ってる人」がどんどん減ってく場合はもう成立しないよな

非常に未来的な状態だな。多様性っつーか

それよりも一つ言いたいのは、「流行」なんてもんは「先鋭的」ではないよなってこと

「今現在流行っている歌・歌手」は「10数年前にネットの一部界隈で持て囃されてたもの」なんだから

今頃かよって話だ

2024-03-12

風俗業で自分を取り戻した話

人生地獄はきっと誰にでもあるが、自分にとっては「健常な社会」こそが人生地獄だった。

「健常な社会」に適応するくらいなら犯罪を犯すか自死した方がまだ自分人生を手に入れられる。そう思う人間が生まれ必然は「健常な社会」を維持するシステムに組み込まれており、つまるところ何をしても堂々巡りな訳で、やっぱり世の中の未熟さと本能のどうしようもなさに揺さぶられながら、忘却を繰り返して日和見主義他人干渉しすぎず生きていくのが幸せなんだろうなという結論に達する。

自分虐待を受けて育った。

健常な社会が設けた「児童養護施設」というシステムは、内部で虐待が横行しており、児童の中でもイジメがあり、「何のための施設なのだろう」と気を病んだ私に何度も「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」と声をかける健常な社会であるところの職員は、気を病んだ私から見てもキチガイであった。

養護施設では勉強時間が確保できないので勉強して逆転するような子は少ない。

施設規則に従って規律正しい生活を送れば、自由時間などほとんどないに等しい。

自分の部屋でダラダラ夜更かししてゲームしたり、本を読んだり、そんな時間個人の発達には必要であることも全く理解されていない。家畜囚人以下の扱いである。一般家庭の人間特権が羨ましくて仕方ない。

さて、こんなひねくれた性格であったせいか、基本子供嫌いな施設職員からも取り分け嫌われていた私は、さらに人に対する恨み辛みを募らせて、どんどん人格が歪んだ。

信頼できる人間に悩みや苦痛を打ち明けても、「辛かったね、大丈夫だよ」と声をかけられても救われない事は明白で、というかあの時の私にアドバイスをするなら「悩み相談をするなら優しい人間ではなく、態度が悪くても解決する能力を持った人間を見極めて選べ。それ以外は屑のようなもの」という事だろうか。こういう境遇人間は頷くと思うが、「人に優しくしよう」なんて考える人間にロクな奴はいない。

自死を何度も考えた。正直、世に生きる価値があるとは全く思わなかったし、自分より恵まれ人間から受ける説教ほど価値のないものはなかった。恵まれ人間に、人を救済できるだけの知性があればこんなことにはならなかった、肥えただけだろうが。頼むから今後、人命に関わる組織運営は全てAIかにやらせて欲しい。その方がまだマシな社会になるだろう。

普通人間」にアレルギー反応が出てしまった私は、行政福祉一般就労のようなものからなるべく遠い所で生きて行きたいと思い、案の定水商売を始めた。

あらゆる業種を転々としたが、1番面白かったのは性産業で、取り分け「客もキャストもどんな職種人間でも脱げば同じ」「美人でもブサイクでもどんな人間にも扉が開かれている」という世界が、私に人間性を取り戻させた。ここは誰に対しても優しく、最も平等で、寛容で、安心をくれる社会のものだ。

私の在籍していた店は多様で、子供に当たり前の生活を渡すために稼ぐシングルマザー奨学金を返すために働く高学歴大学生障害があるけど作業所で働きたくない女の子銀行に頼らず起業資金を集めたい50代の女性若いうちに好きに海外に行きたいアラサー女性など、あらゆる年齢の人が自分自由と自立のために働いていた。そんなキャストさん達と話す穏やかで豊かな時間が私は好きだ。

ネットでは風俗業の過激さに目が当てられがちな為、ふとこういう話もしてみたくなった。

死ねば同じ、脱げば同じ」

この仕事で体得したそんな精神は、私の人生にとって大きな慰めであり、今は生きる意味にもなっている。

私の指名客は官僚からホームレスまで様々だ。普通人間なんて、私の幻想だった。

幼い頃の痛みも恨みも悲しみも、きっと一生癒えることはないけれどしばらくここで頑張ってみようと思う。

来月で24歳になるので記念の投稿でした。

2024-03-11

anond:20240311102242

20年前の時点で既にいくつも大ヒット作品があったんだから

その当時に「少年漫画誌ではウケない題材だった」はずもないし

ファンタジー漫画はウケないという前例を打ち砕いたようなターニングポイント」は

必然としてそれより前になるだろうが。

日本語よめねーのか。

もっと漫画読んで勉強しろ

2024-03-10

anond:20240309171028

「役に立たない人はいなくていい」だと、その先は選民思想になって息苦しい世界になるんよ

 

粛清世界だよ

後進国でも働けない人は乞食なり、見世物小屋なりで自活してるから生きていてもいいけど、

日本で働けない人って社会補償で支えないといけないじゃん?そう言う連中はやっぱり生きてちゃ駄目だと思うんだ。

下手な後進国より幸福度が低く、物価考慮した実質的可処分所得も低い日本人が、

なんで生きてちゃ駄目な人間にだけ先進国レベル福祉提供し、

健全労働者がその為に、給料の6割を持っていかれるんだから不満は当然のものだと思うし、

そんなお荷物社会から切り捨てよって意見は今後ますます強くなっていくのも必然だと思う。

男子校あるいはそれに準ずる環境出身者が男の娘が好きなのは必然なのか?

必然なのか?

2024-03-09

物理学にも擬人化コンテンツがほしい

教育効果とかもあると思うが、何より個人的擬人化が好きなので、ほしい

よく高校選択科目として比較されがちな生物学は『はたらく細胞』などガッツリ擬人化コンテンツがあり、俺は嬉しい

これは「酸素を運搬する赤血球」「傷口を塞ぐ血小板」のように、自然界が勝手キャラ付けをしているため、擬人化必然とも言える

同じく理科科目の化学元素というビッグコンテンツがあり、これも嬉しい

それに対し物理学偉人の顔くらいしか人っぽいものがない

有機化学では炭素は4つの手を持ってる」みたいな比喩表現すらできない

俺は教科書に、各分野の擬人化が書かれている様を妄想をしたいのだ(教科そのもの擬人化ではない)

物理学擬人化コンテンツに詳しいお方、頼みます 何卒

2024-03-06

バイアスについて

結論から述べると数学を始めとする学問世界にはバイアスを断ち切る事が重要です。

時にはリーダーという観点でも必要能力です。

しかしながら残念な事に今まで培った経験を基に物事を述べたり行動する方は研究機関でも非常に多いです。

人間から社会形成し生きてゆくのだから

必然なことかもしれません。

即ちなんとなく流れに、任せて非協力的であったりするのは仕方のない事かもしれません。

2024-03-03

古文漢文国体護持のために必要

日本国天皇を中心とした国家であり

日本国民が天皇に仕える臣民である以上

義務教育天皇を中心とした日本文化を学ぶための基礎となる

古文漢文が必修なのは必然である

なぜこんな簡単なことが理解できないのか

2024-03-02

anond:20240302031029

まあねw

でも、開戦するしかなかったとも思ってるんだよね

人生と同じで、いつだって起こっちゃったことは必然なわけだし

2024-03-01

anond:20240301011935

あじゃあ、松平の三男坊でもいいよ

死ぬリスクが高い時代ってストックとして子供たくさんいるか必然NEETになるやんて話がしたかったんよ

2024-02-28

anond:20240228165001

これは皮肉とかじゃなくマジレスなのだが、リベラリズムっていうのは「社会侵害している自分弱者権利保障を求める」思想

人権侵害を甘んじて文句も言わずに受けているのが全員だったから、これからちゃん文句を言おうぜ!というのが基本方針だ。

 

最初のうちは、本当に必要文句だけを言っていたので良かったが、時代が進めば進むほど、文句を言う内容が先鋭化して、言い過ぎが増えてくるし。あと、思想に傾倒するヤツの性質が「虐げられてたけど今まで黙ってきた奴」ではなく、「文句言うだけで自分は手を動かさないやつ」になっていく。

そういうわけで、左翼って自称している人たちが、文句ばかり言うような存在なのは必然ってもんなのだ

BL腐れフェミうざいきもい

俺は環境的に「優秀な女」が回りにいっぱいいたので(家族や友人に弁護士医者数学の得意な女が沢山いる)その人たちを尊敬しているし、まったく「アンフェ」でも何でもないのだが、「フェミニズム」をBLだの下らないロマンス幻想と結びつけて無能な女の最後の砦にしてるクソフェミ我慢ならない。

メルケルも言っているように、「女である限りフェミニストであるのはある種必然」という言い方もあるが、それでも「フェミ」を自称することに躊躇いがある女が(まともな人ほど)多いのは、こういう低能女のすがるフーリガン的な「フェミニズム」と一緒にされたくないからだろう。

ネットで声のデカ自称フェミニストは、まともな愛郷心すら恥ずかしいもののように感じさせるネトウヨ同類のものであると断言できる。

結局、右も左もどんな運動にも、ある程度の規模の集まりになるとこういうのが集まってくるし、世の中には無能ほど多いので、そういうのが主流になっていってしまう。

残念な話だ。

2024-02-25

理系って読解力低いなあ!

それともわざとやってるの?↓

微分方程式の重ね合わせの原理物理波動分野に出てくる重ね合わせの原理は何か関連があるんですか

というより、波動で起こる重ね合わせの原理による現象を定式化したとき微分方程式の重ね合わせの原理の形が出てくるのかなと勝手に思ってるんですが。調べても出てこないので…

微分方程式原理ではなく、重ね合わせができる線形微分方程式とそうではない方程式があります方程式性格による区別です。

波の場合記述する波動方程式線形なら重ね合わせができるのは原理でも何でもなく必然ですが、波動方程式が具体的に与えられていない段階でも波なら重ね合わせが成立する、と考えるのが波動の重ね合わせの原理です。

ちなみにですが、誰も微分方程式原理だなとと言ってはいません。

微分方程式の重ね合わせの原理と~」と書くと、そう読む人もいるということなのでしょうか…

かといって「微分方程式の、重ね合わせの原理と~」って書くのはあまりにも露骨で逆に読み手の読解力を疑ってバカにしてるように見えませんかね。

あなたたならどう書きます

難しい証明をきちんと理解できるのにこんな程度の普通とはずれた読み方をするの見てるとわざとじゃないかと思えてくる

閃光のマスダ

 本好きの高じた結果、その購入物によって汚染された室内は、積読現象によって室内の壁際を、二周ほど周回したこから、家主は、危機意識をいだいた。購入欲求から出発した恒常的な床不足と家計破壊は、室内に家主の生息をゆるす状況ではなくなり、電子化必然であった。

 だからといって、本当に床が抜けてからでは、家主は、裁断機運用し、自炊する力もなくなってしまうだろう。

 電子書籍リーダーの導入は、家主は部屋とともに死にむかうのではないかという認識が、本好きからひろがった時に生まれて、電子書籍の購入が開始された。

 電子化が開始されれば、すべての蔵書を均一に電子化させる、という家主の決意は、まちがいではない。

 しかし、特例事項があったことが、その後の過ちをうんだ。家主が必要と認めた書籍は、部屋に蔵書できるという規定である

 条件はあった。

 入手が困難な希少本と、画集のような今の形に意味がある書籍という規定である

 規定は、理想的にその理念行使するということはないし、一般的な人びとの視点からみれば、床が、抜けていると見えないことが、この規定拡大解釈して、運用されたのも当然である

 さらにいえば、本好きからまれビブリオマニアが、紙とインクフィーリングを忘れることができるものではないからこそ、そこに、無条件に規定無視したくなる思いがうまれた。

 その欲求は、正しい。

 しかし、ビブリオマニアもっとも深い罪業は、積読の増殖が、室内環境家計にとってもっと危機的なものであるという認識認知しないことにあった。

 しかし、電子化は、その代償を家主みずから支払わなければならない時代であり、電子書籍時代とは、技術革新時代でもなければ、祝福された時代でもないのである

 その認識からまれフラストレーションは、ますます本好きの人びと、ビブリオマニアたちに、物理回帰欲求に火をつけるのは、逆説的ではあるが、当然の帰結であった。

 増殖した積読という本が、たえず回帰する形は、物理本でしかないという欲求は、ビブリオマニアの二重の罪業である

 しかし、床を完全に再生させるためには、千冊以上は処理しなければならないだろうし、千冊処理するあいだに、積読は、さらに増殖するだろう。

 つまり家主は、すでに、蔵書全部が部屋におくことはできないと、覚悟をしなければならないのである

 これも、本好きには、容認できる認識ではないのだ。

 しかし、現代は、すべての例外規定排除されて、ビブリオマニアは、電子書籍リーダーに逼塞しなければならないのである

『……でなければ、版元が起こした反乱も、あの時、死んでいったストアたちの霊もなぐさめられない……』

 マスダは、そう思う。

2024-02-23

anond:20240223015454

リスク取れない なんとかなるしなんとかするっていう気力も体力も足りない人は親になるべきじゃないからちょうどいいよね

子供産む人は自分勝手!っていうのもさ、やりたいことを成し遂げる力がある力がある人が生き抜いていけるからその遺伝子子供必要じゃん

といつも思う

それはそうかもしんないけど、その考え方で行くなら少子化必然なので甘んじて受け入れるべきなんだよな。

2024-02-22

キングクリムゾン能力って、発動中に周りの意識が飛ぶならその間行動のとりようもねえだろ。停止するかその場で立てずに崩れ落ちるだけだろ。それとも意識慣性のようなもので動いてんのか?って不思議に思ってた。

過去情報しかないし未来はただ言葉で表されるだけの概念で、この世に存在するのは常に現在だけ。おれはそう思ってるし、それはこの作品においてもそうだと思ってた。

ジョジョ世界においては確定した未来というか運命的なもの存在するという世界観を理解してから、初めてちょっと納得がいった。

というかそれって「眠れる奴隷」に集約されてるように、5部と6部のテーマ理解するにあたって極めて重要な事であると気が付いた。運命は全部決まってるけど、それでもその過程を誠実に生きようというのが話の軸になってる。

でもそれが利他の心である黄金精神自分のためなら他人を陥れる事も厭わない吐き気を催す邪悪とどう繋がってくんのかはいまいち分かってない。

真実に向かおうとする意志」とか「真実から出た誠の行動」とか、多分一般的意味とは異なるジョジョタームとしての「真実」の言わんとするニュアンスも掴みきれてない。

運命存在を認めるなら信じるも信じないもなく全部決まってるじゃんと思うけど、ジョジョにおける運命は一直線ではないんだろうか。予め決まった選択肢しかないけど、いつかに枝分かれしたそれを選び取る事は出来る、みたいな感じだろうか。基本的には流れが決まっていて、それと向き合う事が正義であり「真実」に向かおうとする意志。でもスタンドとか使って多少ズルする事は可能で、それを行使する各部ボス邪悪存在、みたい事なんだろうか。

運命と向き合う事と、(どちらかと言えば一般的意味での)真実に向き合おうとする事と、黄金精神を持つ事はそれぞれ全然別な気がするんだけど、ジョジョ理解していてればそれらが重なり合うんだろうか。

ジョジョ世界観はまだ完全に捉えられてないけど、おれの人生解釈として似たような事を考えたりする。

物理法則なり化学法則なりが一切の例外なく神様が決めた通りに働くのなら全てはドミノ倒しみたいに必然連鎖な訳だし、そうなると全ては自然法則の掌の上で踊ってるだけじゃん。そう薄々思いつつ、それでも自由意志というか、脳が生み出す形なき魂の囁きに従って生きているのだと信じたいと思ってる節がある。そんな感じなんだろうか。

でもやっぱ運命存在を認めてしまうのなら、意志を信じる気持ち疑念も信念も何もかも全て運命の筋書き通りじゃねえか、結局掌の上じゃねえかって思ってしまう。

メタフィクション作品キャラ自分は作り物の存在だと気付いたとて、それは結局作者がそう言わせてるパペットに過ぎない。仏陀の掌の上で舞い踊る孫悟空。そんなような感じだ。

理屈でそれを否定出来る気もしないし、した所で幸せに近づけそうな予感もないのでおれは考えるのをやめるようにしてるけど。それすらも運命の筋書き通りだったりしてな……って思ったり思わなかったりするのでやはり蓋をして忘れ去った方が良いように思えてならない。これは真実に向かおうとする気持ちから逃げているんだろうか。でもそれすらも運命の……(無限ループ)ってなるし、こんなん考え続けてたら気が狂うで。

2024-02-21

anond:20240220145005

あまあまあまあ、お気持ちお察しします。

ただ、敢えて言うなら、そいつが「多様性」の実態ってやつですね~

「多様」であるとは、同質ではないということであり、不快が当然に含まれることでもある。

 

結局のところ人類は、そういうキモが冷えるぐらい不快なもんを受け取っても、ガッツり防御力で受け切って、タフであるしかないんですわ。

世界は多様であるのが現実であり、これを拒否したり修正したりしようとするのは、ただの現実無視なんだから

 

特に配信者みたいな仕事となると、世界全体と繋がろうとするもんですからね。

必然現実と直面することも多くなりますわ。

せいぜい頑張っていくしかないですし、増田愚痴りながらも実際にはそういう決意を固めておられるのことと思います。お互いタフに生きてまいりましょう。

さんぴんcampラメルジーについて語ってる所とかultimatebeatsの寄稿の内容とか半端なかったから売れるのは必然

2024-02-20

anond:20240220225452

原理的にそうなるのは必然でしょ

フェミ思想に感化されてるのが多いというか。

フェミ思想があってこそのアンチフェミ

しろ殺しあうというよりはお互いを修正し合う共生関係

2024-02-18

anond:20240217234910

俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。

俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。

物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?

なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?

そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草しかない。

俺だったら、むしろ逆。

「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。

そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。

買い切りゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能から、この「やり直したい」ネタにはならない。

必然、こういう感想を持つべなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営ゲーム、ということになる。

サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。

そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。

例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけて駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。

ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆるオンラインゲームをやってきたが、

そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営ゲームほとんど出会わなかった。

物語が素晴らしいと感じるネトゲスマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。

99%の運営ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。

質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなものや、物語の展開にあわせた実質上位レアリティキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……

そういったもの物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語スキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……

そうしてスカスカな作りになるのが運営ゲーム限界だと思っていた。

ところが最近になって、運営ゲーム業界イレギュラーが現れた。

原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営ゲームになる予感がある。

一応同社の崩壊3rdサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。

7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。

この作品SF的なテイスト難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、

ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。

こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営ゲームの「縛り」要素ではある。

この「縛り」を目立たなくするために、物語実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。

実際MMORPGなどではそうした形態で作られるものほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。

膨大でカッチリした物語構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、

おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。

ただこれはあくまで「ゲームとして」の形を求めるならの話。

例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作ファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。

ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。

結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語運営ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。

何の話だ。しらんけど。

2024-02-17

anond:20240217171907

俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。

俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。

物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?

なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?

そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草しかない。

俺だったら、むしろ逆。

「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。

そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。

買い切りゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能から、この「やり直したい」ネタにはならない。

必然、こういう感想を持つべなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営ゲーム、ということになる。

サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。

そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。

例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけてメインシナリオを駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。

ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆる運営ゲームをやってきたが、

そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営ゲームほとんど出会わなかった。

物語が素晴らしいと感じるネトゲスマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。

99%の運営ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。

質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなもの物語の展開にあわせた実質上位レアリティキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……

そういったもの物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語スキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……

そうしてスカスカな作りになるのが運営ゲーム限界だと思っていた。

ところが最近になって、運営ゲーム業界イレギュラーが現れた。

原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営ゲームになる予感がある。

一応同社の崩壊3rdサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。

7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。

この作品SF的なテイスト難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、

ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。

こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営ゲーム特有の「縛り」要素ではある。

この「縛り」を目立たなくするために、物語実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。

実際MMORPGではそうした形式で作られるものほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。

膨大でカッチリした物語構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、

おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。

ただこれはあくまで「ゲームとして」の形を求めるならの話。

例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作ファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。

ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。

結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語運営ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。

何の話だ。しらんけど。

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