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はてなキーワード: 肯定論とは

2024-03-04

anond:20240304172525

都合が悪いというか、EV狂信者意図してEV肯定論を盛り上げたいのか、アフィブログがまとめ用に炎上させたいのかどっちかだろ。

どっちにしろ、クソみたいな思想によって炎上狙ってるから、水かけ続けないと火付けが続くよ。

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2023-12-29

anond:20231229201925

ここで使われてるよーな私的制裁肯定論法は

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231229030535

フェミ表現の自由戦士に向かって言ってた理屈と同じなんよな

やはり俺の考えた通りだ

フェミの考え方は広まってきて、いまや世間コンセンサスとなりつつある

2023-10-31

anond:20231030180655

もう「自民公明維新」の時代は確定ですね。

コロナ禍がそれを決定的にしました。

https://twitter.com/ShortShort_News/status/1718256982917030064

  

リベラル派が中心となって推進したmRNAワクチンは、今や害だらけ。

  

もともと風邪ウイルスワクチンなんて、変異の速度から有効ワクチンが完成するわけありません。 

  

それにも関わらず、そんな医学の基礎すら知らない人間が多数。

特に反自民を掲げるリベラルの連中は圧倒的に無知でした。

  

今回ワクチンに反対を唱えたのは保守派です。

  

そして、自民党・岸田総理は、ワクチン接種は薦めるも「ワクチン任意接種」を貫きました。

コロナ禍で大騒ぎの中、他国ワクチンパスポートを導入する中、我々のリーダーは「任意接種」の貫いたのです。

    

はてなブックマークをはじめとする、自称リベラルの連中のワクチン信者ぶりを振り返ってください。

もし政権自民党でなければ、ワクチン強制接種は実現され、今よりももっと多くの犠牲が出ていたでしょうね。

  

後で「岸田が悪い」とか言うアホリベラルが湧きそうなので、もう1度言いますが「政府ワクチン任意接種」を貫きました。

ワクチン接種の圧力をかけたのは企業であり、無知個人です。

  

ワクチン強制接種を求めて、コクランレビューでは「有意差なし」と出ているマスクの着用を求め、行動自粛を求めたのは全てリベラルです。

  

https://twitter.com/ShortShort_News/status/1718256982917030064

この動画の通り、これからmRNAワクチンの害はさらに明らかになります

その被害想像を超えるレベル次世代にも影響はあるでしょう。

  

もはや、はてなブックマーク中でのワクチン肯定論は全く見る価値のない「子供レベル」なのを感じてる人も多いことでしょう。

無知無知。圧倒的無知人間だらけなのが、はてなブックマーク

  

残念ながら、ワクチン推進派がどれだけ叫ぼうが、ワクチンの害が覆ることはありません。

リベラル派のほとんどは無知であり、選択を間違え取り返しのつかないことをしたのです。

  

これから先、選択を間違えたリベラルに、信用は皆無。

時間を追うごとに、リベラルから見切りをつけて政権与党を支持する人は増えていくでしょう。

  

なぜなら自民党は感染症対策を進めながらも、最後最後防波堤であるワクチン任意接種」を守ったのですからね。

  

本当に自民党が悪の巣窟なら、ワクチンなんて強制接種ですよ。

どれだけ死者が出ようが因果関係不明です。

  

岸田総理をはじめ、自民党の中の保守派はきちんと現状認識して、ギリギリラインで止めていたんですよ?

  

自民党は完璧政党ではありません。

これから、どんどん弱者切捨てのようにもなっていくでしょう。

それでも大衆から信用を失わないラインで、良い仕事はしているわけです。

それを見抜いてる人は、多いと思います

  

故にこれから自民党の時代です。

自民公明維新」が中心となり、時代を作っていくでしょうね。

他の政党は信用性ないし、リベラリストなんて信用ないですから

  

リベラリストは完全に自滅をしたのです。

自民党憎しなんて、言わせておけば良いですよ。

彼らの数も時間が経つごとに減っていきますから(笑)

  

PS

こんなことを書いている私は反自民です。

しかし、コロナ禍で自民党の中にも「真の保守がいるのだな」と気づかされました。

今回は、あまりにも反自民が酷かった。

もう再起不能レベルです。

米国のような二大政党制は夢のまた夢の夢です。

政治家を選ぶ国民ダメですからね。

2023-08-08

anond:20230808173453

言われる側にも問題があるとかすごい擁護だ  

今時こんな一昔前のいじめ肯定論者みたいな奴がいるとは驚きやで

2023-07-07

anond:20230707033029

おい、ここにじゃーにーさん肯定論者がいるぞ。

2023-05-29

anond:20230528115712

アトキンソンやそのシンパはずっと無視している

でも2000年代半ばから最低賃金は延々と上がってるけど問題になるような事態になってないじゃん。

それに最低賃金引き上げ肯定論クルーグマンノアスミスetc.も言っててアトキンソンだけじゃないし。

https://i0.wp.com/econ101.jp/wp-content/uploads/2021/01/noahsmith.png

2023-05-27

anond:20230527141130

でも、革命憲法記載のない政治的プロセスであり、非民主主義的かつ反民主主義プロセスだよね? 現代において選挙システムが整備されている以上、革命によって政府を打倒する必要はないよね? 選挙政権を打倒すればいいだけだもんね?

そのような非民主主義的かつ反民主主義的かつ反憲法的なプロセスをgpt4が称揚していることは問題だよね?


革命肯定論者=暴力肯定論者=民主主義否定論者であり、それはファシズムと何が違うんだ?

煎じ詰めると革命肯定とは「暴力を使って良い」ということだが、それは何によって保障されるんだ? 「非民主的暴力保証する根拠自然法です!」ってヤバくないか


死刑軍隊民主的暴力運用システムだが、少なくとも革命民主主義的なシステムを経ないじゃん?


そして、2014年以前のウクライナ政府は間違いなく民主主義国家だったにも関わらず、現政権革命というプロセスを使って成立した国家ってところがヤバくない?

2023-02-04

anond:20230204225339

海外でなぜ代理母禁止されているかもろくに知らずに思いつきで代理母肯定論をダラダラ書く馬鹿には付き合えないわ。

2022-09-25

まずは憲法改正からだな。

日本共産党みたいに「自衛隊違憲だが、違憲のまま活用する」なんて政党が、国会議席を持ってるのがおかしい。

これが「我々は憲法なんて守る価値はないと思ってる」と主張してたり、あるいは「憲法違反だから自衛隊解散させる」ならまだ分かるのだが、当人も支持者も「我々は日本における憲法守護者」とか本気で思ってるし、「自衛隊必要だ」って事も認めてる。

なのに、憲法を変えることは拒む。いや、それどころか、民主主義担保する制度の一つである国民投票法にすら反対姿勢を取る。

ここまでルールに関する議論を拒むのは、もはやカルト宗教の粋だし、「ルールが好きな割にルール自体議論は嫌い」な日本人そのものだ。しかし、なぜか共産党とその支持者は「我々は日本人に真実を教えるスーパー日本である」と自らを定義している。

滑稽の極みの極みだし、IQが低すぎて「憲法違反を容認する護憲派」という意味不明存在に成り下がってる。

そもそも自衛隊違憲だが、違憲のまま活用する」って理屈は、極論すると「憲法違反の武装集団が、人を殺してもOK」ってことで、もはやテロ肯定論者に近い。

anond:20220925035947

2022-08-09

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

2022-06-16

anond:20220616072147

そもそもインボイス肯定論自体が「自分が苦しいからって他人も苦しめないと気がすまない感情」そのものなんだよなぁ。そして苦しくした分が自分のところにもやってくるって話

2022-04-09

コメントデザインについてきちんと説明させていただきたい

コメントデザインというのはTogetter用語で、まとめ作成者コメントを削除する権限を使って自分に都合が悪いコメントを好き勝手削除することを言う

この書き方であんまりまともな所業ではないと理解してもらいたいところだが、どうやらこの感覚はそこまで一般的通用するものではないようなので詳しく説明する

要点は

である。あるいは

反論者のコメントを「荒らし」として消したり、都合の悪いコメントを全消しした挙句最初からそんなものなかったかのように振る舞ってる”

ことに対する批難である

 ◇ ■ ◇ ■ ◇

コメントデザインとは何か? まずはgoogle検索してみよう

google:コメントデザイン

Togetter用語なので当然最初に出てくるのはTogetterのページである

コメントデザイン」のタグが付けられたページの一覧なのだが、僕が見た時点で一覧の先頭にあったのがこのまとめだ

いわゆる「コメントデザイン」を批判する人は利用規約に関して無知なだけである - Togetter

続いてgoogle検索に登場するのは、人力検索投稿された「コメントデザインとはどういうことか?」という質問と回答である

Togetterでの「コメントデザイン」について端的に説明したページ… - 人力検索はてな

後はwebデザインに関するページが並ぶばかりでコメントデザインとは関係が無い

これを見て僕は頭を抱えた

上記のページはどちらも、コメントデザインと呼ばれる行為がどうして問題視され反発されるのか、ろくに理解しないままコメントデザイン肯定論を述べたものから

そこでもう少し一面的でない理解ができるようなものをここに書くこととした

 ◇ ■ ◇ ■ ◇

そもそもwebサイトへの投稿管理者権限で削除する行為の是非というのは、かなり普遍的議論である

インターネット開始時点から存在するんじゃないか?)(投稿と削除自体が滅茶苦茶普遍的なんだから当然である

そして上記人力検索で指摘されているように、Togetterコメントデザインと呼ばれるような行為もまた普遍的であり

web全体としては概ね問題なく受け入れられていると言っても良いだろう

それも当然の話で、例えばジャニーズファンサイト所属芸能人スキャンダルを紹介する書き込みをしたら

サイト管理人の胸先三寸でそれを禁止・削除したりしなかったりするだろうから

ファンが見たくないから他でやってくれというスタンスも、逆にファンはそういう情報も知りたいから歓迎というスタンスも、どちらもあり得る)

そもそもサイト管理人自分意思コメント欄を閉じたり、サイト自体を閉鎖することも当然できるわけだからして

 ◇ ■ ◇ ■ ◇

とはいえサイト利用者管理者の決定に何も言わないとは限らないのも当然の話である

ちゃんねる(旧2ちゃんねる)やふたばちゃんねると言った大手電子掲示板では

数十年(!)にわたって管理者に対して要望批判が続けられている

この手のサイト管理者は絶大な権力自在に振るっているように見えるがまだまだ序の口である

まとめブログのようなサイトでは管理者がより「独裁的」に行動している

悪名高い「やらおん」がそうしているように、禁止されたサイトから転載コメント欄で指摘すると削除され、

転載元の名称NGワード指定され、何も知らない利用者管理者の悪行が目に付かないよう「管理」がなされている

 ◇ ■ ◇ ■ ◇

長くなってきたので小休止を入れよう。先述の通りここまで(&ここから先も含めて)の要点は

とまあ、簡単に言うとこの程度の話だ

(逆に言うと人力検索ベストアンサーはこの程度のことも理解できずにコメントデザイン批判馬鹿にしていて呆れるのだが)

最後に、何故Togetter於いてコメントデザインなる用語誕生するほど、この手の行為問題視されているのか

分かりやす理解できるよう、Togetterに横行する愚かなコメントデザイナーコメントデザインを行うまとめ主)の一例を示すこととしよう

 ◇ ■ ◇ ■ ◇

上でリンクを貼った2つはどちらもTogetter利用規約引用してコメント削除の正当性を主張している

重要なのは9条2項だ

第9条 本サービス機能運営

1. ユーザーは、自己作成したユーザーコンテンツ管理義務を負うものとし、他のユーザーからの削除・非公開などの要求に対して迅速かつ誠実に対応するものとする。

2. ユーザーは、自己作成したユーザーコンテンツに関する他のユーザーコメント投稿に対しても、管理義務を負うものとし、また、そのような投稿についても、ユーザー自身投稿編集したまとめ又はコメントと同様の扱いがなされることを承諾する。

利用規約 - Togetterより)

この規約根拠に「ユーザーコメントを削除する義務が有る」ので「ユーザーコメントを削除する裁量が有る」との主張である

ちょっと待ってほしい。どう考えても論理の飛躍がある

規約は「問題のあるコメントは削除しろ」と言っているだけであって「コメント自由に削除して良い」かどうかには何も答えていない

(逆に言えばそれこそが裁量を与えているということだと解釈できるが、規約から自明にそう結論づけるのは難しいのではないか

そもそも利用者裁量制限するための項目だと言うのに…)

特にTogetterまとめの方は、まとめ主が削除したコメントは全て「ルールを守らない人」だという主張であり

規約拡大解釈するために上記論理の飛躍を行ってる節があって、

詭弁の予感がバリバリしていたのだが、案の定だと明らかになるページにすぐ辿り着いた

 ◇ ■ ◇ ■ ◇

彼が尻尾を出したのは「コメントデザイン」のタグが付けられたTogetterまとめの一覧で2番目に出てきたこちらである

【注意】コメントデザイン対抗まとめは今後公開停止、削除される可能性有り - Togetter

コメント欄を読むに件のまとめ主がコメントするも反論を食らって自らのコメントを消したらしいことがわかる

作成したまとめ一覧のリンクが貼られているので、同名の別人でないことが確定)

そしてコメントで彼やその他のコメントデザイナーに対する批判がなされているわけだが、下記のものが端的で秀逸だろう

反論者のコメントを「荒らし」として消したり、都合の悪いコメントを全消しした挙句最初からそんなものなかったかのように振る舞ってる

2022-03-28

anond:20220328165909

そんな暴力肯定論あり得ない

傷ついた

俺は暴力否定するけど、お前が肯定するんだからものは試しだ

傷ついた分殴らせろ

いいよな?

2022-02-23

anond:20220223175354

酒飲んで酔っ払ってないと馬を美少女化して走らせるなんて思いつかないとかトップが抜かしてほんだから顔つき合わして開発せんといかんのよという飲みニュケーション肯定論へと繋げていった昭和体質を脱しきれない道玄坂の緑の会社系列ゲームをそんなにフォローアップしたいかというと僕は別にそうでもないです公営賭博にも興味はないですし競走馬というのも人間エゴにすぎず美化しすぎだと思います美少女無罪?いいえギルティ美少女やりたいなら素直にオリジナル美少女にすればいいんですよDMMでもあるまいしなんで既存のナニかと美少女悪魔合体させるナンセンスが好きなんですかね捻くれてるというかナニかにかこつけてどっかと癒着することを期待してる腹黒さが透けてみえる気がしませんかねほんとにもう、はい

2021-07-25

はてなってオリンピック肯定論で埋まってるし

パヨク」とか言う品性を疑う用語が当たり前のように飛び交っているのに

どうしたら「はてな左翼ばっかり」という誤解が生まれるんだろう

私には寧ろ右翼ばかりに見えるが

2021-06-28

anond:20210628075114

ナチスは良いこともした論法自体は、危うくなりがちだし、

高須みたいなホロコース否定論にも繋がりやすものだと思う。

ナチス経済復興すごい→収奪経営でメフォ手形がどうこう、とか、安易肯定論に、個別議論をあてていくのも、労多く面倒でやるせない作業であろうけど、

絶対悪としてあつかうのは、逆の方向に振り切れててよくないよな、平凡な人間凡庸な悪って視点必要

ただ、バカは、ナチスは良いこともしたんだ!と、極論に飛びつくので、

地味なカウンターを、どう効率的に、アクセスやすい形で広げるかってのは、大事なのだが、

そのときにこそ、絶対悪だ!とやると、反発買う論理の隙になるのでよくない。

2021-06-27

anond:20210627182721

ナチス自体政治的正しさはこのさいどうでもいいと思う。

問題ナチス肯定論を語るという「行為自体が正しいかどうかではないかと。

2021-02-23

残業代未払い肯定論モンスター客に例える

残業代未払い(サービス残業)が悪である事を分かりやすく示すため

架空の事例で企業モンスター利用者との関係に例えてみた。

見ての通り違法行為をしてはいけませんよ。

架空の事例

A社はチケット行事業に新規参入した企業である。もともとは日用品製造販売を長く行っていた。

BさんはA社システム旅行チケットを購入しようとしたが発行手数料がかかる事が気に入らない。

そこでBさんはこのような詭弁反論した。とする。

A社…サービス残業をしたくない新入社員

発行手数料残業代

Bさん…ブラック会社

元ネタ

サービス残業やらせ上司理屈仕事やりがい」「カネは後からついてくる」

https://news.careerconnection.jp/?p=7828

サービス残業やらせるのが下手な俺

https://anond.hatelabo.jp/20130908230648

お客様が喜ぶ顔を思えば金なんか関係なくなるよな。俺たちは金のためではなく人の幸せのために働いているんだ」

→俺達客が喜ぶ顔を思えば企業側の発行手数料徴収なんてどうでもよくなるので徴収すべきではない。

金はな後からついてくるんだよ。まずは金の事を気にせずがむしゃらに働け。

→まずは金の事を考えずに俺達客に対してがむしゃらにサービス提供するべきだ。収益は後から付いてくる。

から時間がかかって、定時過ぎになってしまうのはしょうがないんだよ。もしそれで残業代を君あげてしまうと仕事が遅い人が得してしまうだろ? だから払えないんだ

→発行手数料を取らないサービスはいろいろあるが、A社に対してチケットの発行手数料を支払うと、

発行手数料徴収している企業が得してしまうので払えない。払うのは不公平だ。

いや、別に残業はしなくていいんだよ? 定時以内に終わるならさ。

→いや、別に発行手数料を取らなくて良いんだよ?ちゃん収益が出るならさ。

お前がどれほどの能力を持っているか判らない内は、給料を上げることはできないよ。そりゃそうだろ? 給料を高くしたのに働きはよくならなかったでは、こっちが困る。

→A社の発券サービスがどれほど良いのか分からないうちは発行手数料を払う事は出来ないよ。

そりゃそうだろ?発行手数料を支払ったのに便利でなかったでは客が困る。

その他の場所で見た詭弁架空の事例に当てはめる

新入社員残業代要求するのはおかしい。

新規参入企業が発行手数料要求するのはおかしい。

やりがいが楽しさがあればサービス残業だなんて言ってこない。

やりがいが楽しさがあれば発行手数料を支払えだなんて言ってこない。

残業代を支払うべきと言う社会常識に合わせるのではなく所属している会社のやり方に合わせるべき

会社は俺達客のやり方に合わせるべき

会社人生をささげるくらいの気持ちが無いと会社員は務まらない。

→客に全てをささげるくらいの気持ちが無いとサービス業は務まらない。

仕事時間給では無くて成果給で働いている人が大半だろうから残業代は出さない方が正しい。

企業は細かな仕事では無くて客の満足度という成果で動いているので発行手数料徴収しない方が正しい(細かな手数料徴収せず固定であるべき)。

サービス残業でも嫌がらずして会社に認められれば目をかけられて成長できる。

→発行手数料ゼロでも嫌がらずに実施して客から認められれば会社が成長できる。

いちいち残業代要求するのは社会をなめている。

→いちいち発行手数料要求するのは社会をなめている。

企業残業代を支払わせることで日本の体力を落とそうとしている勢力存在する。

利用者に発行手数料を支払わせることで客の体力を落とそうとしている勢力存在する。

労働者には金の為に働くようになって欲しくない。

企業には金の為に働くようになって欲しくない。

時間くらいのサービス残業ならば労使間の暗黙の合意善意愛社精神で許容される部分はある。

→数回くらいの発行手数料未払いならば客へのサービスで許容される部分はある

残業代無しでみんな頑張っているのに要求するのは協調性がない。

→みんな客の為に頑張っているのに発行手数料要求するのは協調性がない。

ブラックだと批判する人は、なんでこんなに労働意欲が低いのだろうか。

→発行手数料を払いたくない人をモンスター客だと批判する企業はなんでこんなに労働意欲が低いのだろうか。

残業代を全て支払うと会社倒産する(倒産させないためにはサービス残業を行うべき)。

→発行手数料を毎回支払っていると客がチケットを購入できなくなりA社サービス使用できなくなる。

仕事が出来ない人ほど労働者権利を主張する。

仕事能力が低い企業ほど権利を主張する。

その仕事企業利益になるものでは無いので残業にならない。

→その発券自体は俺が直接満足するものでは無いので発行手数料は払えない。

残業になるのは労働者能力が低いか

→発行手数料必要になるのは企業能力が低いか

残業代請求するなんて裏切られた気分だ。

→発行手数料請求するなんて裏切られた気分だ。

残業代要求する人がいるが企業福利厚生費賞与を支払っているありがたみを感じないのだろうか。

→発行手数料要求しているが、俺がこれまでにA社製品を購入していたことにありがたみを感じないのだろうか?

他、考えられる反論

会社残業を認めておらず社員が残っていたに過ぎないので残業ではない

→俺は発行手数料を認めておらず会社勝手請求しているに正当な手数料ではない。

終わりに

残業代未払いは違法行為である

しか残業代を支払うべきという風潮がおかしいと主張する経営者社畜?は後を絶たない。

そこで残業代未払いを正当化する詭弁いかおかしいかを分かりやすく出来ないかと思って例えてみたが。滑っていたら後免

他に、手数料では無くてPS5やニンテンドースイッチのような商品に例える案とか、旅行チケット追加購入に例える案とかもあった。

もっと分かりやすい例え方があったら教えて欲しい。

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