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2016-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20161202200044

知識層は必要だが、だからと言ってそれほど人数が必要なわけじゃない

Fラン大学いって大量の無職まれ問題になってるでしょ?

「なんでもいいか大学池行け」とやりだしたバカ親のせい、解決策は「もっといい大学へいけ」なんてバカ回答しかない

勉強させないのも無理して大学行かせるのもどちらもバカ

2016-11-29

みな早く結婚して、子育てしようよ

私は32、妻は31になって第一子をもうけた。

子育ては大変だが、育てていく幸せの方が圧倒的に勝っている。


なんというか、「動物は子孫を残すために生きている」という本能プログラムを発動している気がして、本能的な満足感のようなものを感じる。


子供が嫌いって思ってた人(私の妻)も、なんだかんだ育て始めたら可愛くてしかたなくないとずっと言っている。

子育てが大変だし嫌だかな〜って思ってた人(私の妻)も、(実際大変だけども)満足感のある暮らしが出来ると話している。




そんなことを思いながら、自分大学時代女友達を見渡すと、まだ結婚していない人がとても多い。


特に東京バリバリ働いている女子の未婚率は恐ろしいものがある。


バリバリ働いているといっても、勝ち気なタイプ女性じゃなくて、言葉は悪いがキラキラ感にややかける、真面目系の女性だ。

うちの大学は、トップクラス大学で、女子でも地方から来ている人が多い。勉強は出来るし、優しいけど、少し垢抜けない感じがずっと残っている。まぁ、私もそうだけど。。

端的に彼女らを説明すると、「妻として優秀になるだろうが、セクシーさ/可愛さに欠ける」といった感じだ。

見た目や雰囲気がやや劣るくらいで、性格はかなりいいし、賢さもある。一緒に学生時代学園祭とかイベント運営をやったからよくわかる。

何よりの問題は、彼女らには結婚願望があるし、経済的にも余裕があることだ。

あんなに優秀で真面目で、育ちもよく、結婚願望がある女性が30半ばにもなって独身/子無しというのは、社会的に損失としか思えない。


彼女らが結婚できない原因は、



の二つだと思う。



一方男性は、かわいさ/セクシーさがある女性を求めるから彼女らにはたどり着きにくい。


婚活サービス登録しても、もはや、34歳を超える女子は、いくら人間的に優秀でも、20代女子市場価値で負けてしまう。そうすると、プライドの高い彼女らがどうにか妥協するしかなくなってくる。けど、できない!みたいな。これってまさに東京タラレバ娘か。


彼女らに(言えないけど)いいたいことは、

  • ほとんど巡ってこないいい出会いを期待するんじゃなく、攻めに攻めて結婚して、40歳までに2人くらいの子供を産んで欲しい。
  • 男選びでは、性格のよさ以外、基準に入れるな。
  • おごってくれる男じゃなく、割り勘のケチな男を選べ。
  • 優しい気持ちがあればそれでいい。

くらいかなぁ。。とにかく最終的な幸せを手に入れられればそれでいい。大事なのは性格の裏の裏の見極めだよ、と強くいいたい。



あと、この現象から後世に引き継ぐことがあるとすれば、



なんじゃないだろうか。

知らぬ間に、自分自身が人をみる目が変わっていくんだよ、そして年も取るんだよと、今の若者には言っておきたい。


読み返すと、何か見下しているような文章なっちゃったけど、彼女らの方が自分より性格もよいし、賢いし(だいたい現役組)、仕事もできるし、いい会社にもいっている。人間的には格上だ。

ほんと、みなに幸せになって欲しい。

就職活動の考え方の一例

就活で苦しんでいる方々のエントリーが多いので、就活生の気持ちが軽くなればと思って書いてみる

ちょっとした上場企業事業部長ですが、個人的意見なので参考程度に。



運を抜きにすれば

一流大でも汎用性の高い文系学部とか出ると、面接が不得意なら一流企業就職とか難しい。

一流大でも電通とかの大手広告代理店とかテレビ局就職したくても、コネとかよっぽどの実績ないと無理。

そんなことは、そういうところ就職活動した人達はみんなわかってるのに、大学就活生は毎年毎年、同じ問題精神疲弊させている。

こんなにいい大学を出たのにとかい状態になる。

それでいて、プライドもあるし、友達とかがちょいちょい内定ちゃうから、また焦ってドツボ。

もう、そうなるなーって人は銀行とか、国家公務員とか最初から目指した方が良いと思います



はいえ、一流大の人のごろごろいるところにいると、やっぱり、なんだかんだ言って、相対的には一流大の人たちって優秀だと思いますが、もちろん専門卒でも、高卒でも立派な人はいます専門職にはなるかもしれませんが。



また、一般企業目指す人も、なんか頑張ってリクルートとかの出す本読んでそれっぽいこと言うトレーニングしてるんだろうけど

正直あまりそういうことをしない方が良いと思います。参考程度に読んでもマネしない方がよいと思います

本当に思ってないことって、伝わってしまうんですよ。面接って。みんな同じようなこと言うので。

もちろん内容が完全に同じわけではないのですが、思考がここで止まってるんだなってポイントがあります

自分面接に関わる前は、本当に思ってないことを面接しのぎでできる人の方が大多数だと思っていました。

それが全然しのげていない人が多いことに驚きました。

自分オリジナルだってどこかで勘違いちゃうんでしょうね。面接やればやるほどそれが見えてくるのです。

本心じゃなくても勘が鋭ければ乗り越える人もいます。でも、本心で語る方にはそのちょっと先の意識垣間見れることがあります

嘘でも深掘りされても対応できるならそれは実力なのかもしれませんが、結局、競争は続くわけで、就職後にギャップに苦しんでいく人が多いように感じます



そして、就活のやり方がわかってないし、やり方を知るための努力している就活生が少ないように感じます

全然社会のこと知らないのに、なぜ自分の力だけで就活しようとするのだろう?

知っていると思ってしま勘違いがあるような気がします。

就活っていろいろなところにポイントがあるのに、たくさん受ければなんとかなるって思ってる就活生はなんなんだろう。(いや、違ったらごめんだけど)

友達と話し合ってやり方さぐるとか、ちょっと無駄だと思う。(コミュニケーション無駄なわけではないが)

もし何かするなら、社会人スキルの高い人にいろいろ聞いてまわるべきだと思います

それぞれの業界にいろいろやり方はあるのだと思いますよ。



それが、二流大、三流大ならなおさら苦しむわけで、今回はそういう人に向けて書いてみようと思っています

かく言う私は三流大を卒業したうえに就職氷河期だったので、非常に苦しい就活を15年ほど前にやったわけです。

もちろん、私はその時はぱっぱらぱーで、何もわかっていない全然ダメ人間でした。



そこで作戦転換したわけですが、まずターゲット企業への転職のゴールの年齢を自分で決めて

自分のやりたい仕事をまず明確に定めてから動き始めるわけです。

その仕事必要だと思われる同じ業界仕事をいくつか経ます。それぞれの会社専門性を培います(同じ業界でも完全に同じ職種ではなく)。

この間は遊ばずに、何年か本当に死ぬ気で働きます

転職しながら、途中で軌道修正しながらステップアップして、業界知識自分しかできない能力、働くスタンス自体を身につけていきます



私はそれで30歳くらいで、上場企業就職できまして、そこではヒラからスタートでしたが、そこで今5年くらい年経て、課長部長、そして今は事業部長になりました。

(これは、プロパーでは学べない領域を、転職を通じて学べたことが評価されたように思います

ちゃんと業界経験積んで、少しづ企業ステップアップさせれば誰にでも可能だと思います

新卒就活の1回はちょっと特殊採用形態会社もあるので大事にした方がいいと思いますが、ダメならすぐに目標をそのままにやり方を変えれば良いと思います



というようなことで賛否両論あると思いますが、三流大出ても、苦しい新卒就活しなくても

今は昔よりよっぽど就職は開けていると思うので

就職活動精神やられちゃうようになる前に、こういう考え方もあるんだと思ってもらえたら幸いです。



~~以下追記

なんかおっさんの自慢話みたいなコメントがついていたので、若干傷ついてしまっております

多少は経験則に基づいているのだなと思って貰えればという部分の記載が鼻につく感じなのでしょうね。すみません

本心としては、新卒けがすべてではないんだというか、こんなやつでもなんとかなってるんだからまぁ大丈夫か。と思って頂ければと。



1つ気になったのは、気持ちなんて伝わらないってコメントについてです。

嘘でも乗り越えられたよみたいなのは社会人の勘があるってことだと思うので努力の賜かもしれませんが、入っても苦労してしまうし、辛くなりがちでそれこそ精神を病んでしまいかねない

逆にどうしても入りたいと夢見ていた会社があったのに、気持ちが伝わらなかった。ということも当然あると思います

もちろん気持ちですべて乗り越えられるわけでもなく、原因を気持ちだけに持っていくのは違うと思います



途中、死ぬ気で頑張れみたいなくだり

まぁこれは言い方ですけど、私の場合は人より才能がないものですから、少しでも状況をよくするにはそれしか手がなかったわけです。

同じことをやった方が良いとも思いませんが、できる人の努力より早いスピードで成長する方法は、私にはそれしかできなかったのです。

現在、それを現在強要もしていませんよ。

ただ、人にあった働き方があると思うので、精神が壊れるような働き方はしないで欲しいなと思うわけです。



また、こんなことを書いてます

仕事は増えるし、就職がすべての幸せ提供してくれるものでもありません。

あくまでも考え方の一例に留めて頂ければと思います

2016-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20161115002102

筆記試験あってないようなとこもあるし、1教科で入れるところもあるし。

今はしらないけど、他は全部捨てて1教科だけ頑張れば、世間でいういい大学には入れるよ。

2016-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20161112014247

悪いけど、ちっとも同情はできない。言い訳ばかりしてるから余計にドツボにはまってるように見える。

他者迷惑をかけないための努力がずっと失敗に終わり続けた。そんな中で努力をする気力すらもなくなった。

他者に一切迷惑をかけずに生きていくことなんて誰にもできないわけで、マナールールを守ることは大事だけど、迷惑をかけないようにしようっていう意識本質的無駄なんだよね。ここに大きな言い訳が表れてる。

他人迷惑をかけないようにしたから上手く行かなかったんだ」

ってね。努力が失敗したのは他人迷惑をかけないようにしたからじゃない。自分ができなかったから。ただ失敗したから。それ以上でもそれ以下でもない。

大学を辞めたからってそれが何だ?確かに学歴っていうアドバンテージを失ったかも知れないけど、ただそれだけのことじゃね。そもそも助けてくれる親が居るようだし、親に頼って自立への道を探れば良いんじゃないか?そのほうが死ぬよりよっぽどマシだ。もちろん親にとっても。

幸せになれると社会に思い込まされて、奨学金借りて進学したのに社会不適合者の自分はやっていけなくなって辞めるはめになって

これも随分な言い訳高校生にもなれば自分で将来の選択ぐらいしっかりやるべきだったし、そもそもちゃんと卒業できていればこんな恨み節を吐く必要もなかったでしょ。全部自分が悪い。それを分かっていて目をそらして社会のせいにしてるから、余計に辛さから抜け出せないでいる。自分の失敗を見つめて反省しないと、全然前に進めないと思うよ。

なんて、ちょっと踏み誤れば反社会的集団に入ってしまいそうなくらいにメンタルボコボコにされてます

これもねー。幼稚な言い訳しか見えんよ。

反社会的なっちまうから部屋から出ないんだーって、引きこもる言い訳にしてるだけでしょ。そんなに引きこもってたいなら、別に言い訳せずに引きこもってりゃいいのに。言い訳でもしないと親に申し訳ないとか思ってるんでしょ。そう思ってるなら「反社会的集団に入ってしまいそうな」とか歪んだ考えを持つんじゃなくて、さっさとひきこもりを止めるべき。だいたい根性がないヤツにヤ○ザなんてできるかっつーの。ヤク○の社会だって厳しいんだぞ。

確かに僕にも悪いところはあるんだけど、僕だけが悪いのかな、なんて感じちゃうんですよね。

断言しよう。自分のせい以外の何者でもない。

そりゃ社会なんて不公平ものだけど、その上で自分人生には自分責任を持つもの。人のせい、社会のせいにしていたら何も始まらない。

だいたい大学なんて真面目に授業出てレポート書いてりゃ誰だって卒業できる。卒業できないような能力しかない人はそもそも試験で落ちるしね。それをやらなかったのは単なる怠惰。そんなの自分でわかりきってるでしょ。

いくら言い訳を重ねても、大学を辞めて引きこもってる事実は変わらないし、前に進んで実際に状況を改善しない限り、心も絶対に晴れない。引きこもってる限り辛さから逃れることはできない。

自分が失敗した現実を受け入れて、少しでもいいか自分ができることを探して、そして前を向いて生きていくようにしない限り、心が晴れることはないよ。ダメなのは自分が一番知ってるから

自分ダメなところを認めろ。お前はダメなヤツなんだ。

ただ勘違いしないで欲しいのは、ダメから直ちに「生きる価値がない」っていうわけではないよ。人間誰しもダメダメなんだ。ダメななりに精一杯努力や工夫をして乗り切ってるんだよ。最初からデキるヤツなんて居ない。だから自分ダメなヤツだということを認めるのを、恐れないで欲しい。ダメだってことを認識しないと、前に進むことも成長することもできないから。

自分が優秀でなければイケないっていうのは幻想だと言っていい。多分家族や親戚の期待を浴びせられたからそう思い込んでるんだろうけど、別に人間は優秀である必要はない。ただ自分なりに一生懸命生きれば良いだけ。

そもそも人の価値能力の優劣で測るっていう発想がダメ。優劣なんてまやかしテストの点が良くても、単にそのテストで点を取るのが上手いだけ。いい大学を出ていたって、単に受験勉強大学単位を取るのが上手いだけ。人間価値はそれだけじゃない。人と自分を見比べて、上か下かみたいなふうに考えてるから自分ダメなヤツだと思うと引きこもっちゃうんだ。どんなにダメ人間でも、誰しもひとつぐらいは他人より秀でてることはあるよ。そういう良いところを見つけて、ダメなところは抑えて、社会と折り合いをつけてやって行けばいいんだよ。そうすれば十二分に生きる価値はある。お前はダメなヤツかも知れないけど、生きる価値はあるんだ。

長くなってしまったのでまとめると・・・

以上だ。

2016-11-08

女と学歴

東大A判定も、全国模試で優秀者に選ばれることも、幸せには繋がらなかった。



日本一偏差値の高い女子校に通っていた。生徒の半分は東大国立医学部、残り半分も大多数は早慶私立医大に進んだ。



学校名を言うと小々波のように男性が引いていく。褒めてくれるのはドMヒモ志望。生きてるだけで非人ならぬ非女の扱いを受ける。お前は女に非ず。



自分容姿がまずいだけかとも思ったが、コミュ力のある美人同級生たちは、むしろ学校名を聞くまでは男性にちやほやされ、学校名を言った途端手のひらを返したような態度を取られていた。



入学したときは誇らしかった学校も、人に聞かれたら学校名を誤魔化すようになっていた。初めて袖を通したときは嬉しくてたまらなかった制服も、着ると罪人のような気持ちになった。



どうして同じ難易度男子校は同じように勉強をしたはずなのに、学校名だけでも箔がつくのだろう。



元々リードしてもらい、可愛がられることが好きだったので、「違う、恐れられる存在になんてなりたくない。ドMヒモ志望に『引っ張って欲しい』なんて言われたくない!」と強く感じていた。



男性から評価ばかり書いたが、女性から評価も似たようなものだった。「あん勉強ばっかする学校行ったところで、何の得にもならないのに。そこそこ出来ればいいのよ。」と言われているようだった。



受験前はあれだけ優秀な人達に囲まれることを望んでいたのに。最初の志も霞むくらい、自尊心が削られていた。大好きで尊敬している学校の友人らが貶されるのも辛かった。



高校の半ば、東大を受けないと決めた。



通っていた学校東大国立医学部を志望するのが当たり前だったが、自分がそういう学校に進んだところで、また学校名を隠し、自尊心が削られたまま生きなくてはいけないことが耐えられなかった。特に出身大学は一生経歴としてついて回る。



私は経歴ロンダリングをすることにした。受けのいい大学入学し、受けのいい会社就職した。



もう所属を隠すこともない。むしろステータスになるくらいだ。信念は曲げられ、大事ものは失った気がするが、今は望み通りの環境にいれて、満たされている。



明確な将来のキャリアプランがあるひとにとってはトップ学歴有意義かもしれない。でも、「いわゆる女の幸せ」が欲しい人間トップ学歴を持つことの意味は、まだわかっていない。

2016-11-07

なんで叩く前に似た名前のと混同してないか調べないの?

以前高校いじめ事件があった時、当該高校と似た名前高校いじめやらかしたのだと誤解して広めている人がいて非常に問題だと思った。

他の件では山本太郎が直訴事件を起こした時、やまもといちろう謝罪しろ要求する人が発生した事がある。



で、今度は日本工業大学不祥事起こしたか東工大を叩くと。確かに日工大のやらかしたことは重大事件だし、批判せねばとの気持ちが強くなるのはわかるが、重大事件だからこそきちんと調べてからモノを言うべきだろ。常日頃東工大東大と並ぶぐらいの最難関なのにF欄扱いされるなど、世間からの風当たりが厳しい大学だが、なぜ似た名前大学不祥事にかこつけて限度を超えた非難を受けなければならないのか。




自分文系な上低能だし細かい事情なんて知らないから、東工大は単純に偏差値の高い頭のいい大学ぐらいの価値観しかないが、そこまで恨みを買うほどなにかひどいことをしてきた大学なのか・・?

2016-11-05

不登校だったこと

 10年以上むかしのことだけど、わたし不登校だった。

 不登校とか、登校拒否というと、「学校がいやなんだな」「いじめとかがあるんだろう」と思われるかもしれないが、わたし場合はそんなことはなかった。記憶にあるかぎりいじめられた経験はなく、仲のいい友達もいて、勉強も好きだったし、先生は完ぺきではなかったけれどやさしかった。

 でもわたし学校に行けなくなった。

 当時わたしの家では、父母が険悪で、まだ子どもだったわたしふたりあいだのことにかなり気をもんでいた。

 学校から家に帰る途中、「家でお母さんが泣いてないかな」「落ち込んで死にたいって言ったらどうしよう」「また変な宗教みたいなのにお金をつかうのかなあ」と考えていた。

 家に帰ってからは、「お父さんは今日、機嫌よく帰ってきてくれるかなあ」「またけんかになったらどうしよう」「怒ってたらどうしよう」と考えていた。

 まわりの友達に、そんなことを悩んでいるような子はいなかった。いたとしてもわたしのように隠していたからわからなかった。毎日毎日、「帰ったらお母さんが自殺していたらどうしよう」、「帰って来たお父さんに殴られるかもしれない」と悩んでいることなんてだれにどういえばいいのかわからなかった。というか、家のなかのことを、だれかに相談するという発想じたいがなかったかもしれない。

 だから、そんな悩みを抱えてないふつうの子たちに混ざって、ふつうの子のふりをして、なんの心配ごともありませんよ、という顔で、楽しく小学生中学生をやろうとしていた。楽しいこともたくさんあった。学校でも、家でも。

 そしてだんだん学校に行けなくなっていった。

 ふつうの子ですよ、なんの心配ごともないですよ、なんて嘘だったからだ。友達先生もやさしい。でもわたしは嘘をついていて、嘘を演じることにも、嘘をついていることじたいにも苦しさを感じるようになっていった。

 学校楽しい。でも苦しい。学校に行ったところで、どうせ家に帰ってこなきゃいけなくなる。だったら家にずっといたほうがまし。

 そういう感じの思考回路だった…と思う。たぶん。

 両親はわたしがどうして学校に行きたがらなくなったのか理解できなかったと思う。もしかしたらしようとしなかったのかも。ふたりにとっては学校に行くことは当然すべき義務であって、なぜとかどうしてとか考えるところではなかったのかもしれない。

 とにかく、両親は、わたしをどうにか学校へ行かせようとした。父親はかなり強硬母親は表面上わたし理解しているような、気遣っているようなことを言うけど、正直者だからわたしほど嘘がうまくなくて、わたしを、というかわたし状態をだいぶ鬱陶しく思っていることがビンビンに伝わってきた。というか、わたし不登校であるということに母親が追い詰められている感があった。

 で、どうにかこうにか、中一? 中二? くらいまでは行ったり行かなかったりをくりかえしていたけれども、ある朝、制服に着替えて、それでも気分が悪いとか学校行きたくないとかごねているわたしを、父親が殴った。

 わたしが逃げると、追いかけてきて、もう一発殴り、「殴らなきゃわからないやつだ」「絶対学校に行け」と言って出勤していった。

 そしてその日だか、そのつぎの日だかに、顔の腫れがひかないまま、みんな見て見ぬふりをしてくれないかな~などと願いつつ、教室に入った。

 みんなやさしかったので、見て見ぬふりなどせず、女子男子関係なく、わたしのところへ来てくれて、「大丈夫!?」「どうしたの?」「保健室に行ったほうがいいんじゃない?」と口々に気づかってくれた。その友達に対し、「大丈夫だよ」「転んだ」「消毒はしてある」と返事している途中でどうしてもこらえられずに泣き出してしまって、そのあとをどうやり過ごしたのかさっぱり記憶にない。

 いまだに唇にはそのときの傷が残っている。見た目にはわからないのだけど、さわると傷口の痕跡がわかるような感じで、ときどき、否応なく当時のことを思いださせてくれる。


 わたし勉強が好きで、けっこう成績もよかったので、もし不登校になることなふつうに進級し、ふつうに進学していたら、けっこうまともな人生を歩めたのじゃないかな、とたまに思うことがある。

 あのときがんばっていれば、いい高校に入り、いい大学に行って、みたいなことを思うこともある。小学生のころからやりなおしたいとか。

 ただ、そう思うのは漠然と昔を思い出しているときだけで、当時のことを詳細に思いだすと、そんなのは無理だと理解する。

 精いっぱいやったわけでもなかったし、最善を尽くしたわけでもないし、もっとできることが、もっといい方法があったかもしれない。

 でも、もういちど繰り返したいと思えない日々をちゃんと生き抜いたんだからいいじゃないか、と考えて、いまを生きようと思っている、という、覚え書き。

2016-10-31

日本大学にいるときは、人生絶望していた。

留学しようと思ったのは、もう嫌だったからだ。とにかく何もかもがうんざりだった。もともと、死にたいと思ったのはそのずっと前のことで、その感情の波にも起伏があって、中学生の頃が最悪だった。その山を乗り越えて、大学生になったけど、もう、うんざりだった。最悪じゃないということは、十分いいということではなかった。

もう十分だと思った。これからかいいことがあるかもしれないと思っても、とにかくもう嫌だった。忍耐の問題だったかもしれない。耐えれば報われるとわかっていても、ずっと耐えられるわけではない。その上、報われるなんていう保証はどこにもなかった。

から俺にとって留学は、辛くて苦しくて勇気のいる自殺をする前の、お試しバージョン自殺だった。完全にドロップアウトしてしまう前に、少しだけそれに近いことをしてみよう。もしかしたら、何か違う人生が見えるかもしれない。

そんな気分だったから、留学志望動機は嘘を並べた。だって、「自殺したいけど、死ぬ前に念のため留学して、本当に死ななければいけないのか確かめたい」なんて言えるわけがない。どこかに行ければどこでもいいと思っていたから、勉強も準備もろくにしなかった。何もかも適当にやった。最低限の書類だけ揃えればいいと思った。もし向こうについて何か不備が見つかっても、別に構わないと思った。歯医者にも行かなかった。だって虫歯なんて、死ぬことに比べたら大したことじゃない。とにかく、もう嫌だった。楽がしたかった。

英語だけは得意だったから、必要スコアはすぐに取れた。簡単だった。大学の成績は特別良くはなかったが、悪くもなかった。一つだけ悪かったのは、面接の時「留学先であなた大学のことを話すとしたら、いい点として何を挙げますか」という質問に、ろくに答えられなかったことだ。だから一番人気の大学には行けなかった。もっとも、大したことじゃない。いい大学に行くのは目的じゃなかった。とにかく、違う世界に行きたかった。

実際、書類には不備があった。もっとも、向こうの大学必要書類には不備はなかったから、大した問題にはならなかったけど。

合格通知が出てから出国するまでの期間、短い人生で唯一構ってくれる、数人の友達と出かけたりした。

芸術にはあまり関心がなかったけど、唯一絵を見て感動した、細田守さんの最新作を、3人で見に行った。

こんな友人がいるなら、もう少し生きてみてもいいかもしれないと思わなくもなかったけど。でも、やっぱり頑張ってみようって思うほどではなかった。

しかしたら気分が変わるかもしれないっていう希望はあった。

***

初めて留学したいと言ったのは、中学校いじめられて、自殺しようと思って家出をして、警察に捕まって、家に連れ帰られて、病院に連れて行かれて、うつ病だと言われた時。

しばらく母と病院に通って、いよいよ高校のことも考えなければいけないと言われていた頃、海外高校に行きたいと思った。だって、もう、嫌だったから。

その時は本音が口をついて出てしまった。「どうせもう嫌なんだから、もし向こうに行って、もし同じように苦しんで、自殺してしまっても、別に構わないと思っています。」「そんな気持ちだったら行かせられない」と母親に泣かれてしまった。

それ以来、あまりネガティブなことは言わなかった。親の言う通りにサポート校のある通信制高校に行った。本当はあまり乗り気じゃなかったけど、逆らうのは嫌だった。もう疲れてたから。

高校に行って、数人の友人と彼女ができた。幼稚園でよく遊んでいて、中学受験の時に同じ塾にも行った昔の親友と、まさかの再開をした。そいつは昔から頭が良くて、それは相変わらずで、むしろ差が開いているような気がして、辛くなった。こいつは早稲田付属中に行ったのに、どうしてこんな所に来ることになったんだろうと気になって、もしかしたら自分と同じような経緯で落っこちてきたのかもしれないと思うと、聞けなかった。だって俺は聞かれたくなかったから。

彼女最初可愛いと思ったけど、付き合い始めてだんだんまらなくなった。結局何もしないまま別々の大学に行って、それからしばらくはあったりもしてたけど、彼女だんだんヒステリーを起こすようになって、辛くなって、嫌になった。語学留学に行くと行ったら、「嫌だ」と言われた。「別れよう」と言った。「考え直さないと自殺する」と言われた。「俺を脅して無理やり言うことを聞かせて、それで何になるのか」と言った。そのまま別れた。

語学留学は、悪くなかった。とにかく何もかもが違いそうで、ここに長く住んだら、違う気分になれるかもしれないと言う気がした。海外に出てみるといいかもしれないと言う直感は、それほど外れていないかもしれないと思った。

一緒に行った大学グループの中では俺が一番英語ができた。だからリーダー格になって、頼られて、それは少し楽しかった。でもやっぱり友達にはなれなかった。

***

それからしばらく、今度は語学留学なんかじゃなくて、交換留学しようと考えていた。大学職員とのコミュニケーションがうまく取れなくて、俺が行きたかった年よりも1年遅れてしまった。

でも、まあ、なんとかなった。

死ぬ気分で飛行機に乗って、何か大事忘れ物とか、書類の不備とかあるかなあとか、まあダメだったら自殺すればいいかな、とか考えて、機内の時間を過ごした。

現地に到着すると、もう死んだような気分だった。ああ、これから少なくとも10ヶ月は、現実を忘れられる。最高の気分だった。10ヶ月現実に帰らなくていいと言うだけで、こんなにも気分が救われるとは思わなかった。

空港について、大学からシャトルバスを探していたら、黒人タクシー運転手が話しかけてきた。事情説明した。外国から来て、大学に行きたい。大学からシャトルバスが出ているとこの書類には書いてある。でもここに書いてあるこの場所が、空港のどこなのかわからない。彼は、インフォメーションセンターに案内してくれた。そこで書類を見せて、場所を教えてもらって、無事にたどり着いた。なんて楽なんだろうと思った。

必要最低限の荷物の他に持って来たのは、昔好きだった女の子が紹介してくれた、宮部みゆきの「火車」の文庫本だった。死ぬなら、好きな人の好きなものを持って死にたかった。

それを片手に、ベンチに座ってシャトルを待っていると、アジア系女の子が話しかけて来た。同じ大学に行く子だった。

俺が持っている文庫本を見て「日本人?」と日本語に切り替えて聞いて来た。中国から名古屋大学留学していて、さらにそこからアメリカ大学に来ている子だった。中学の時からこっちに来たかったのに、ここまで来るのに6年かけた俺とは大違いだと思った。

の子とはそれっきりだった。

大学アパートに着いたら、ルームメイト中国人だった。日本人じゃなくてよかったと思った。アパートの部屋は、びっくりするくらい綺麗だった。自宅よりもいい生活ができると思った。

寝具とか、何も持ってなかったから、一緒に買い物に行った。ルームメイト友達女の子と合流した。可愛い子だと思った。

俺は寝具なんか買ったことなくて、何を買えばいいのかわからなかった。その女の子が選んでくれた。嬉しかった。

ルームメイトの彼は、すごいやつで、中国数学オリンピックの省代表だったらしい。清華大学から留学生だった。いい大学なんだと言うことは知っていた。話していても知的面白かった。

オリエンテーションの期間にする手続きで、日本人正規学生と知り合った。その子が教えてくれた、日本人学生交流会に行って、他の日本人学生や、日本人留学生と知り合った。それまで見て来た現地の学生たちと比べて、日本人はおしゃれだなと思った。自分全然おしゃれする方じゃないから、浮いた感じがして、少し嫌だった。

正規日本人学生の中に、ぱっと見日本人っぽくない風貌のやつがいて、そいつ英語自己紹介をした。日系アメリカ人かなと思った。にやにや笑っていて、少し怖かった。でもこいつが、最高の友人になってくれた。こいつのことは「リョウタ」と書くことにする。

そいつ大学の近くの、オフキャンパスアパートに住んでいて、日本人学生を集めて飲み会を開いてくれた。日本人の集まりから、またあの現実が戻って来るかもしれないと思って、少し怖かった。

そうやって知り合った日本人学生の中に、九州出身女の子がいて、どう言うわけかわからないけど、色々と世話を焼いてくれた。それはもう、学期に渡って、俺の何がダメなのか教えてくれたし、イベントとか、友人同士の集まりにも連れ出してくれた。一人になりがちな俺を誘って、一緒にスターバックスに行ってくれたり、ご飯を食べに行ったりもしてくれた。俺がダサい格好をしていたから、俺のために服を選んでくれたし、髪がボサボサだから髪を切ってくれて、スタイリングもしてくれた。ドライヤーヘアアイロンワックスを使って、どうやって整えればいいのかも教えてくれた。俺が格好よく見えるように、考えながら写真を撮ってくれた。

の子のことは、「アイ」と書くことにする。

アイがやってくれたことはとてつもなくて、感謝してもし足りないけど、いつもエネルギーに満ち溢れていて、グサグサと人を刺し殺すような話し方をするから、一緒にいてだんだん疲れるようになって、会いたくなくなった。冬休みに一緒に旅行をしようと誘ってくれたけど、ドタキャンしてしまった。飛行機チケットも取ってあったから、とても申し訳ないと思っている。ごめんなさい。

***

秋学期の途中に、夜の授業が終わって夕食を食べに寮の食堂に向かうところで、日本人学生が駄弁っているのを見つけたから、足を止めて少し一緒に喋った。そうしている時に、突然リスのような顔をした小柄な女の子が割って入って来た。

の子韓国出身だけど、小さい頃にアメリカに来た子で、とても綺麗な英語を話していた。声が甘ったるくて、聞いているだけでくすぐったかった。

中学いじめられて不登校になってから、俺は自室でスカイプで話し相手を探すようになった。スカイプは当時、あまり日本では普及していなくて、同年代の話し相手韓国人だった。なぜって、韓国人日本語ができる人が多かったから。

彼らは日本ドラマアニメや、日本流行のことをよく知っていて、日本語も上手で、とても楽しかった。

辛くて寂しかった頃に一緒に話して遊んでくれたのが韓国人グループだったから、韓国には思い入れがあった。

ハングルがわかるとか、韓国語を少し知っていると言うと喜んでくれた。その子名前韓国語で書いてもらって、発音してみせると、驚いてくれた。俺の名前も、ハングルで書いて見せた。

それ以来、なぜだかその子毎日のように俺を見つけて、声をかけてくれた。仮に、「スミン」とすることにする。

ある土曜日勉強しようと大学カフェがあるスペースに行くと、スミンがアジア系女の子と一緒に勉強していた。スミンは見たことないくらいの美人だったけど、その子もっと美人だった。その子名前は難しくて、最初はなかなか聞き取れなかった。「スー」とする。

一緒に座って、それぞれがそれぞれの勉強をして、しばらく時間を過ごした。俺は二人が気になってあまり集中していなかった。でも、スミンはもっと気が散っていたようで、「集中できないから、遊びに行こうよ」と言った。俺は遊ぶところなんてどこも知らなかった。でも、とりあえず大学の外を見に行ってみることはできる。3人で出かけることにした。

スーとスミンは姉妹みたいに仲が良くて、イチャイチャしていて、見ていると楽園感があった。

スーが俺に気を使って、「荷物、私のところに置いていよ」と言ってくれた。俺のバッグには教科書パソコンが入っていたから、それなりの重量だった。スーの寮の部屋に荷物を置いて、大学の外にある、ショッピングビルに行った。

スーとスミンは帽子を試着したりして、楽しそうだった。スミンが帽子をかぶっているのが可愛かったから、俺はおどけて「写真撮ろうか」と行ってスマホカメラを向けてみた。スミンが顔を隠すのが最高に可愛かった。

***

しばらくスミンと仲良くしていたけど、デートするような仲にはなれなかった。押せば行けたのかもしれないけど、俺は全然そんなこと、わからなかった。

一度、アイと二人で外食しているところをスミンに見られた。

スミンとスターバックス勉強している時に、スミンは俺のケータイ勝手に取って、待ち受け画面を見た。アイの写真だった。アイと付き合っているのかとスミンは聞いた。

ノー、この写真はアイが勝手に設定したんだと俺は正直に言った。なんの言い訳にもなっていない。でも嘘つかないことには、そうとしか言いようがなかった。アイは俺のボスみたいなもんだったから、逆らいたくなかった。だからアイがこうしろと言ったものを、戻すことはしなかった。

スミンは、だんだん会ってくれることが少なくなった。俺がスミンを好きだと自覚したのは、そのあとだった。

***

秋学期はどうにか乗り切ったけど、春学期は全然ダメだった。

アイと一緒にいるのが嫌になって、部屋にこもることが多くなった。スミンはだんだん会ってくれないようになって、そのことが俺を憂鬱にさせた。

気分が悪くて、授業にもついて行けなくなって、成績は散々だった。

そんな時リョウタが時々遊びに誘ってくれた。最初の印象は悪くて、それ以来あんまり仲良くしてなかったけど、話してみると、とても気があう奴だということがわかった。日本にいてもこっちにいても周りに馴染めないということに、親近感が湧いた。

大学は毎週ボーリング無料の日があったから、毎週のようにボーリングをした。自分でも信じられないほど、ボーリングが上達した。

虫歯がひどくなって、歯が欠けて、激痛に襲われたけど、俺は気づかないふりをして放置した。

スミンは会ってくれなくなって、時々すれ違う時の笑顔は相変わらず天使のようだったけど、もう自分に関心がないんだと気づいて、辛かった。

虫歯に気づかないふりをして、コーヒーショップで甘い飲み物を買って、気分をごまかしていた。それがますます虫歯をひどくさせたと思う。

日本に帰ったら自殺するかもしれないと、まだ考えていた。だって現実が嫌になって、現実から逃げてきたんだから現実に戻ることになったら自殺するかもしれない。シンプルロジックだった。

***

結局、自殺しなかった。現実に戻って、現実大学に行って、また辛くなって、メンタルクリニックに行くようになった。でもこの時は、ずいぶん冷静だった。少なくとも、逃げる場所があるんだということがわかったと思った。自殺することはないんだと。何もかもダメだったら、自殺する前に、またあそこに逃げれば生きていけると思った。

冷静だったから、自分の症状をネット検索して、放置したらまずそうだと思って、メンタルクリニック自分で探して、予約した。

メンタルクリニックで初めて、家出する前、学校で何が会ったか家出した時に何があったのか、話した。何を思ったか話した。親にも、まだ言っていないし、まだここに書く気にもなれない。いつか、親には話すと思う。

薬をもらって、ずいぶん楽になった。大学留年したが、卒業した。

またあそこに逃げ込んでやると決意して、卒業から準備して、再びここに戻ってきた。

***

ずいぶん健康になった。体調もいいし、友達もできるようになった。彼女はまだできていないけど。

精神が落ち着いていれば、ちゃんとできるんだという自信がついた。

忍耐力もずいぶん回復した。1日8時間コンスタント勉強に使っていた小学生時代には、適う気がしないけど。

***

大事なのは環境だったんだ。フィットだったんだ。そう思った。

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161018220725

同じレベルの実力評価だったら、最後は顔で選ばれる。


大企業を通るような学生は、清潔感ある見た目の作り方を学習している。

また、生まれ育ちの段階から歯の矯正、肌の手入れ等、親の学歴が高かったり経済的裕福だったりするほど、見た目が良くなり、いい大学大企業に入る。

2016-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20161006152658

元増田程の良い生活は出来てないけど、それなりに良い給料を貰って良い生活が出来ている同じ世代の独り語り。

収入民間給与実態統計とかで上位10%に入るくらい。

自分勉強出来なくて底辺高校出身高卒だけど、同じくラッキーだったりが続いて転職の結果、

年収ランキングに入る一部上場IT企業に中途で入り、今の生活に至る。

インターネット誕生して発展していく時代に生まれたから、ゲームオタクパソコンオタクであることが武器になって、

好きなことを仕事にできる業界に進んだことが大きいとは思う。

(プログラム弄ってたり、適当ミドルウェアを入れて環境を構築したりが遊びになる)

ただ、そうなれたことの一端に

>でもそれも、そんなカードも、両親が必死になって繋いで手渡してくれた大切なカードだった。

これが大きいんだと思う。

親が好きに生きさせてくれたことで今があるんだなぁと言うこと。

思い返せば、小さい頃から勉強ができなくてテレビゲームばっかりやってたけど、親がそれを怒ることは無かった。

怒られることが無いから、勉強別にしなくて良いものと思っていた。授業中は「なんでこんなことしてるんだろ。学校先生ってのはうるさい人だ」位に思っていたと思う。

勿論勉強しなくちゃいけない時期にテレビゲームばっかりやってたから、wikipedia底辺高校と書かれるような高校に入って

名も無き零細ITしか就職できなかったけど、それも自分の行動の結果だから人のせいにしたり後悔するようなことは無かった。

どちらかと言うと大学に行けなかったことで、人より4年早く就職できたことのほうが大きかったと思う。

当時の現場が良かったのもあるけど、単調なコーディングテスト手順書ばかりではなく、いろんなことをやらせてもらえた。

2000年問題の前はまだ中小規模の会社でも元請け結構あって、今みたいに頭数揃えて人海戦術ばかりな業界じゃなかったしね。

エンタープライズIT業界労働集約産業になっていく中、インターネットが発展したくさんの技術が生まれたことで、

オタク知識武器になる時代が続いている。

結果として、少なくとも現時点では学歴が無くても良い生活が送れている。

何か幸せかってのは生きてみなくちゃ分からいね

いい大学に入って良い学歴を持つことは武器にはなるけど、別に成功約束されているわけでは無いので、

生きていく力や生きる目的を探すことも大事時代になってきてるのかなと言うこと。

2016-09-30

環境変化」からくる認識齟齬問題

http://anond.hatelabo.jp/20160930221521

へ。

 僕も浪人生だし、同じように早稲田に落ちた。浪人していることとマイナスとか考えてしまうけど、こういうたぐいの考えは抱かない。僕の周りで遠くへ行ってしまって、地元批判する人はあまりいない気がするし。それはそれで新天地地元比較する意欲に欠けて問題だって意識高い人に言われそうだけど。なんだかんだ遠くで大学生活送りつつも、地元もいまだに好いてる人が多い。

 いい大学に行こうが行くまいが、そもそも大学自体に行こうが行くまいが、自分に属する属性を、自分が味わっている苦しみを知らぬもの─この場合は先に抜けた、か。─にああだこうだいわれて不快になる権利は十分にある。

 それはそうと、たぶんこの増田の周りの問題って、浪人したこととかではなくて、周りの人が「地元批判」をしてるからってだけでなのではとかおもった。地元批判されて腹立つって気持ちは、マイナスを埋める優秀さがあろうとなかろうと別に普通に持って良いものだと思う。自分らが新しい環境いるからと言って、古い環境適当馬鹿にすれば、そりゃあ馬鹿にされた方は怒る。べつに当然のごとくあって良いことだと思う。そして、怒って当然のバカにされ方をしたら、それを覆すような自分の利点を探したくなるのも、また自然だと思う。

 大学に行った人は、現役で行こうと浪人で行こうと、「別のパラダイム」へと渡ったものだ。特に遠くの大学へ行ったもので、そこでの大学生活が大変楽しいというのならば、その時の「現在」を無条件に肯定し、それまでの自分、すなわちまだ「楽しい大学生活」となっていないもの否定しがたるということではないか。そして、かつての地元を、「古き批判すべきもの」の記号として消費しているのではないか。「商品記号体系を表すだけで、現実を示してはいない。」消費者キティちゃんという「記号」を消費するように、また古き悪しきものと、「別の環境に行けたもの」がやってるんだろうなあと思う。

 でも、キティグッズが「現実からかけ離れたものであるのと同じように、この地元批判もまた、記号としての価値があるだけで現実的地元敵愾心があるわけでもないんだろうから、まあそうやって捉えて気にしないでおいて置くべきだと思う。「古き悪しきもの記号」としての批判であって、地元のもの、「増田のもの」への攻撃のつもりではないんじゃあないだろうかなあと思う。

2016-09-19

よくよく考えてみると、自分もありきたりのサラリーマンになるのが嫌だった

http://anond.hatelabo.jp/20160918170303

自分も思い返してみれば、16歳頃進路を決める時(この時期こそが石田君との最大の違いなんだが)

漠然

「そこそこいい大学入れて、そこそこいい会社に入っても、

そこでまた満員電車乗って競争頑張って、それでもまあ多分社長なんてなれないだろうから

60歳まで会社にいて、50代くらいになってやっと部長くらいになれても……しれてる人生だよなぁ」

などと考えていると、底知れぬ不安を感じたのを覚えている。

何の事はない。時期の違いこそあれ自分石田君と大して違わない。

(ちなみにその当時の自分にとって、良い会社代表として何となくイメージしていたのは「ナショナル」だった。なんと言う世間知らず!

パナソニック部長が当時の自分にとっては「そこそこ」のオジサンだったのだ)

  

  

…で、医者になる事にした。

から約30年前世間の景気は良く、今ほど医学部人気は高くなかったので、駅弁医学部偏差値関西で言えば(医学部を除いた)阪大京大の間の偏差値くらいだった。

なんとか現役でいわゆる駅弁医学部に入って、留年しない程度に勉強して 卒業して 国試を受けて 医師になった。

勤務医労働環境はとてもブラックだったが、まぁ何とか体をつぶさない程度に頑張って、そこから開業して、

開業してから軌道に乗るまで少し苦労したが、おかげさまで小金持ちと呼ばれる程度の生活は送れている。

部下の数や権限の大きさはともかく、自分より給料の高い「ナショナル部長さん」はいないだろう。

それに開業医と言うのは、人助けの点から見ても経営と言う視点から見ても、とてもやり甲斐のある仕事だ。

ただ、開業医と言うのは事業主であるのは確かだが、医師全体の中では少数派でもなんでもなく

レールに乗っかっている仕事とも言える。

  

石田からみて、自分のような人間は「起業が上手くいった成功者」に見えるのか、それとも「レールに乗っかっただけのつまらない小金持ちのオッサン」に見えるのだろうか…?

まぁどっちにせよ今の医学部偏差値は高騰しすぎていて、医師と言う仕事普通の家の 普通に利口な子供の目指せるものではなくなってしまった。

それはとても残念な事だ。

18歳中退ブロガーについてみんなが勘違いしてること

「レール」とか言ってるからいい大学行ってたと思うだろ?

関外関内みたいに慶応とか辞めちゃってるんだと思うだろ?

実際には名古屋学芸大学かい偏差値40台の

まりどんな馬鹿でも入れるF欄だよ

なんならまた簡単に入れる

http://anond.hatelabo.jp/20160918170303

2016-08-26

両親・親戚の拝金主義

がひどい。



幼いころからいい大学に行き、いい企業就職するというのが至上命題で育ってきた。

結婚観も偏っており、とにかく金のないところに幸福はない、愛は存在しないという考え。

最近だと北川景子DAIGO結婚を見て、「どうしてDAIGOみたいな10年後どうなってるのか分からないタレント結婚するのか」と不思議がっていた。



親戚も似たような価値観であり、スポーツ選手を見ながら「この人は年収○○万円だ」という話ばかりしている。

親戚同士顔を合わせれば年金保険の話ばかりしている。



こういう環境で育てられた結果、それなりにいい大学に行ったが、そこでトルストイバルザックマルクスを読んで拝金主義ほとほと愛想が尽きたのは皮肉

こういう家庭はうちだけなのか、それともそういう人が多いのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20160826010858

競争社会の徒花みたいな奴だな。適当進学校からでもいい大学は行けるから大丈夫予備校次第だよ。

それより、こういう価値観で将来挫折したとき心配だよ。進学、就職出世のどっかで挫折絶対経験する。優秀でないことを自覚してるならなおさら

競争社会で敗北した人間の生きざまが書かれた本とか読んでおかないとそういうとき辛いよ。トルストイとか内村鑑三とか、簡単なやつでいいから読んでおいた方がいいぞ。

2016-08-21

人権派JKホームレス差別する

あなた、昨日のテレビ見たわよー。すごかったわー!」

その日の朝、私は放送部の顧問先生にそう声をかけられた。

「昨日の大会の様子ですか?」

昨日と言えば、新聞社主催する弁論大会に本校放送部として出場し、個人の部で金賞をもらった日だ。きっとその様子が新聞社系列テレビで夜のニュースとして放送されたのだろう。

「そうそう。きりっとしてて立派だったわ。内容もよかったし」

ありがとうございます

私はそう答えた。昨日の大会で発表した原稿の内容は、この先生とつきっきりになって詰めたもの、と言えば聞こえはいいが、ほとんど先生意見ばかり採用したものだった。曰く、人々が平等であることは普遍の真理であり、それを阻害する社会はいけない、社会構成員は我々一人一人であるのだから、まず自分から実践することが大事なのだ、という内容を、自分シングルマザーの娘であることで受けてきた差別があるということを通して飾り立てたものだった。

正直、この原稿内容は嫌だった。私の母は確かにシングルマザーであったし、それがもとで嫌な思いをしたこともなくはなかったが、そんなことで母を心配させるのは嫌だったからずっと黙っていた。それをこの先生は私がシングルマザー家庭の子供だから何かあっただろうと掘りこんできて、仕方なしに軽いエピソードを話すとそれを元にあっという間に筋書きを作ってしまった。それでも私は我慢した。なぜなら、本校放送はいわゆる強豪であり、その実績はこの顧問の手腕、というか趣味実践によるものだと知っていたし、それで大会で賞をとれれば、私の大学進学に有利に働くと計算たからだ。

本当を言うと、こんなパワハラみたいな手段可哀想シングルマザーの娘という筋書きを作られてしまうことこそ差別だと叫びたかった。が、そこは我慢するしかない。

そうして実際に金賞が取れて、私は一安心していた。これで大学推薦の道は堅い。勉強で手を抜くつもりは当然ないが、受験機会が増えるということは単純にチャンスが増えるということなのだから

しかし、地獄はこの日から始まった。

授業中にスマホが鳴り始め、その頻度が徐々に頻繁になってきたのが最初だった。授業中は当然バイブにしているけれど、それでもこんなに頻繁になると少しは迷惑になってくる。実際、近くの席の何人かはこちらをチラ見したりした。緊急の連絡かもしれない気持ちと周りに迷惑をかけている気持ちで焦った。そしてようやく休み時間になり、私は急ぎながらスマホ確認した。電話の着信は残っていない。けれども、SNSの通知欄がひどいことになっていた。

「最低ですね」

「偉そうなこと言わないで」

「屑だなお前」

知らないアカウントからそうした罵倒がたくさん届いていた。混乱したなかで次に目に入ったメッセにはこう書かれていた。

JKのくせに似非人権派なクソのアカウントはこちらですか?」

それでなんとなくわかってきた。たぶん、昨日のニュースに何らかの形で火が付いたのだ。

そこから情報を整理するまで時間はかからなかった。こういう時はとりあえずまとめサイト火付け役だ。拡散されているまとめサイトを見れば、私がどう思われているか簡単に分かった。

まず、テレビ放送があった。その内容について賛否両論あったらしいが、今日の午前中に

巨大掲示板で私のSNS個人アカウントが晒された。その晒しには、私が以前に書き込んだつぶやきが添えられていた。

電車が来て、妙に空いてるなと思ったらひどい悪臭がした。どうやら席で寝そべっているホームレスの人のものっぽかったので、急いでほかの車両に移った』

これに、人権派JK差別意識wwwというコメントがつき、まとめサイト拡散されていたのだ。私は、人権を語りながら人を差別する許せないやつ、という立場にされてしまった。

とりあえず、私は深呼吸をして落ち着こうと努めた。その間にもガンガンSNSの通知が来るのでそれはオフにした。それからしたのは、一番炎上しているつぶやきを消すことだった。そして、先生相談しなければと思った。と、思ったところで先生に呼ばれた。もうすぐ休み時間が終わって授業が始まるところだったが、それはいいらしかった。

「困るのよね、こういうのは」

部の顧問先生は開口一番こう言った。呼ばれた面談室では、担任先生、部の顧問先生教頭先生がいた。

まあ先生方の話をかいつまむと、昨日のテレビ学校名と個人名は既に出ている、そして、私がつぶやいた内容について外部から問い合わせが絶えず、仕事にならない状況になっている、とりあえず早退して自宅謹慎しろ、とのことだった。

先生方の態度は一貫して、私が問題を起こしそれが悪いことだ、というものだった。正直、力になってもらえると思っていたがそんな気配は全くなく、私は真っ先に進学のことについて先生方に聞いた。答えは、

「こうなった以上推薦は考え直すことになる」

ということだった。

自宅に帰って、私は母になんて言おうかとずっと考えていた。私は母を尊敬している。シングルだけど大手会社バリバリキャリアとして働いて、わたしは何不自由な思いをさせられたことはない。母子家庭なのに、みたいなことを言う人はいないでもなかったが、それはそう言う人が悪く、母のせいではない。

そんな母は常々私にこう言っていた。

勉強は本当に大事だよ」と。

父が亡くなっても、今自分大手企業バリバリ働いて、満ち足りた衣食住を手に入れることができるのは勉強をしていい大学に行ったおかげだと。

から私も一生懸命勉強していい高校に入ったし、そこから大学に向けて頑張っていた。そうした私を母は全力で応援してくれていた。そんな母に、今回のことはどうやって話したらいいんだろう?

しかし、悩む間もなく母から電話が入った。

「今先生から連絡もらったよ。大丈夫?すぐに帰るからね。ネット絶対に見ちゃだめだよ」

そんな母の声に、私はうん、と答えるしかできなかった。その答えと一緒に涙があふれてきた。

ネットは見てはいけない、そういう母の言いつけを守りながら母の帰りを待った。ネットを見て現状を確認たかったけど、今までネットで見かけた炎上では、こういう時に大したことを言っている人は実はいないので、今回も同じだろうと思って我慢した。それに、こういう時こそ母の言いつけを守って心配をさせないようにしなければ、と思っていた。

母はすぐに帰るといっていたけど、帰ってくるまでにだいぶ時間がかかった。でも、帰ってきたときの母はまるで戦士のような顔をしていた。

「大変なことになったけど、あなたは私が守るから安心してね」

そう言って、優しく私を抱きしめてくれた。私は不安と安堵でまた泣いた。

母の守る宣言は決して表面上のものではなかった。帰ってくるまでの間にすでに弁護士を頼んでくれたらしい。大学時代友達が紹介してくれた、信頼できる人だと言っていた。

これからネット上の誹謗中傷について、弁護士さんが各所に問い合わせをして事実関係をまとめてくれるそうだ。素早い相談だったので、これから起こることについても出来事をまとめていけることが強みだと。そしてその結果次第で、訴えるべきところは訴えるといっていた。

ただ、これをしたからと言ってネット上の誹謗中傷が消えるわけではないこと、今回の件を拡散した全員を訴えることは不可能だということを説明された。「あなたダメージはどうやっても避けられない。それは本当にごめんね」と母は涙をこらえた様子で言った。私は「お母さんが味方をしてくれるから大丈夫」と答えた。それは本心だった。

そのあとのことはまるでジェットコースターみたいだった。弁護士さんから住所が晒されているので不審者に注意し警察相談を、という一報が入り、実際に警察相談しに行った帰りに変な人に遭遇して警察にお持ち帰りしてもらったり、一番最初に私のつぶやき晒した人物がクラスメートだったことが発覚したり、高校から学校を辞めるようにする圧力がかかったり、母子家庭なのに裕福すぎるとか言う人まで現れ始めて、本当にいろいろあった。

結果として、私は高校を辞め、大検を受けて大学進学を目指すことになった。

母は最初は納得しなかった。私がしたつぶやきは確かにあまり褒められたものではなかったのかもしれない。でも、それに対しての代償が大きすぎる、と。

だけれども、私はもうこの件で何か騒ぐのは馬鹿らしくなってしまった。学校に行くのだってあん先生方やクラスメートがいる学校で頑張るのは意味がないと思ったし、むやみに私を誹謗中傷していた人たちを訴えるのも不可能だ。出回った私の個人情報を消すのも。

から私は一つだけ母と弁護士さんにお願いした。自分名前改名できるようにしてほしい、と。

自身は今回の件について全方位に憤っていたが、私の気持ちを汲んでくれて、振り上げたこぶしを下してくれた。そして、改名の件も了承してくれた。ただ、今は亡きお父さんがくれた私の名前を捨てさせることには相当葛藤があったようだ。私だって、今の名前を捨てたくない。でも、これは私がこれから普通に生きていくには避けられないことだと思ったのだ。

けれども、今回の件への恨みは深い。その深い恨みはネットに吐き出すことはできない。リアルで人に話すこともできない。私と母の腹の底で、マグマみたいに滾り、身を焼き続けている。

恨みを溜めることはこんなにも地獄なのか。

だが、地獄であっても生きていかねばならない。私は私の人生を取り戻す。

それだけが、私を叩いた悪鬼たちに負けない道だと信じて。

2016-08-19

生きる上で必要以上に稼ぐやつの資産没収するべきなんだ。

子どもを育てる病気を治すなら許す。

でも贅沢したいために稼ぐやつから没収するべきだ。

贅沢というのは生きる上で必要不可欠なものではない。

なのにそいつが富を独占するせいで

弱い人間たちが

飢えたり

病気になったり

自殺している。

ういせまい。

公的に考えると富を独占するもの

弱者を死に至らしめている。

なので贅沢するために富を蓄えている人間

資産没収するべき。

贅沢のために人が死ぬなどありえない。

人命は地球より重いのだから

そもそも人間に贅沢は必要なのか。

人よりも良い服を着るために

人の冨を奪うことは許されるのか。

汗水たらして働いてない人間

何億も稼いでしまっていいのか。

一年中贅沢の限りを尽くすなんて

人間はみな平等なのに許されるのだろうか。

みんな苦労しているのに一部の人間だけが

楽をして生きていいのだろうか。

特権階級は金を増やす手段知識を使って

永遠に金持ちのままだ。

一方、貧乏人のこどもはまともな教育財産もないか

貧乏なままだ。

ちょっと勉強していい大学にいってもコネも何もないか

また貧乏に逆戻りだ。

一代で財を築くにしても、働いて死ぬほど働いて

やっと肩を並べたとしても、

まれた時から金持ち特権階級人間たちには勝てない。

結局、個人として貧乏人に産まれたらどうあがいても

苦労するしかない。

宝くじに当たるくらいの確率で救われたからといってなんだ?

俺にいつその宝くじがくる。

俺は貧乏人だ。

死ぬまでずっと貧乏人だろう。

親も貧乏だし周りの人間貧乏だ。

何のチャンスも無い。

死ぬまできっとこのままだ。

同じ工場で働いていても大卒給料が違う。

俺の方が働いてるし頭も回る方だとしても

大学に行くだけの金がなかっただけでこの差だ。

しかも俺はどれだけ長く勤めてもライン工のまま。

工場長には大卒しかなれないか絶対なれないのを約束されている。

今日も俺の人生は何なんだろうかと疑問とすら呼べない

言葉を頭の中で反芻させていた。

一方が豊かになることを約束されているのに

俺にはチャンスも何もないし努力することすら許されていない。

実らないからだ。

とにかく家が貧乏だったか高卒ですぐ働いた。

勉強する時間もなかったし勉強はできるほうじゃなかった。

勉強しないといけないことにも気づかなかった。

誰も教えてくれなかった。

親を恨んではいない。

感謝している。

ここまで苦労して育ててくれたのに恩返しすらまともにできない自分を恨む。

頭が悪いことが悲しい。

貧乏が悔しい。

買ったパソコン増田愚痴を書きこむことで吐き出してる。

いつまで続くのか。

どうやって終わるのか想像できない。

想像したくもない。

こんな俺にもテレビ政治家結婚して子どもを育てろという。

ふざけるな。

どうやって幸せにしたらいいんだ。

彼女にも呆れられて別れた。

辛い。

俺が暗い顔してるから愛想をつかしたんだろう。

最近死ぬことばかり考えている。

どうして俺はこんなに苦しいのに世の中には毎日楽しく暮らしてるやつがいるんだ。

何がそいつと違うんだ。

まれだ。

まれたところが違っただけだ。

人間の偉さには関係がないはずなんだ。

投票にもいかなかった。

幸せになれるイメージがない。

何も分からない。

金が無い。

死ぬことばかり考えている。

2016-08-03

3大欲求のうち性欲だけ迫害されすぎでは?

人間の欲求は3大欲求プラスその他、その他というと、例えば大きいものでは知的な欲求や社会的な欲求とか、そういうものだろう

そのうち性欲だけ異常に迫害されるのってなんでなんだろうな

美食にこだわったりたくさん食べることは悪いことではないし(太っているのになお食べすぎている場合否定されることもあるけど)

睡眠に関しても、睡眠時間が短いことが美徳とされる国(日本など)もあるけど基本的に質・量ともに十分な睡眠をとることは良いことだ。

本を読む、実験をする、勉強をするというのも良いこと。出世したいとか、いい大学に行きたいというのも露骨過ぎなければ良いことだ。

このように性欲以外の欲求って行き過ぎなければ基本的に良い物とされるわけだけどなんで性欲だけ迫害されるんだろう。

コンビニエロ本置くなとか、声優AV出演経験があったか炎上とか、政見放送チンコ主義ってなんだって言っただけで無音に修正されたり、ほかの欲求と比べると過剰反応感が否めない。

あのレストラン感想を言うのと同様に堂々とオナホ感想を言い合ったり、民主主義ってなんだって言うのと同様にチンコ主義ってなんだって大声で言っても別にいいはずなのに

別に公然コンビニエロ本売ることを肯定しているわけでもないし、俺自身オナホ感想言うのは恥ずかしいし、大声でチンコ主義ってなんだって叫ぶのは絶対嫌なんだけど、そういう恥ずかしいとか絶対嫌っていう感情の根源はどこにあるんだろう、っていう話な

ほかの欲求にあって、性欲だけに無いものとはなんなんだろう

2016-07-29

大学行ってる意味いかもって思った

高校では勉強そこそこ頑張って東京大学に入った。

大学では正直勉強する気が全く起きなかった。

よく高校では大学入学から人間大学入学までの人間がいる、なんて話を聞かされていたけど、まさか自分がその後者になるとは思っていなかった。

サークルにも入らないでインターネットで作った友達と毎週のように遊んだせいで大学の中には仲の良い友達ができなかった。

案の定というか、1年目で留年した。1年目はまだクラスの中に、めちゃくちゃ仲が良いわけではなかったけど多少交流がある程度の友達がいたし、クラス共有GoogleDriveとかも見れたし、よくあるような「友達がいなくて過去問が手に入らなくて留年」とかそんな感じではなかったと思う。

単純に勉強しなかった。授業に出席もしなければ独学もしなかった。それだけ。

2回目の1年生でもあんまり学校に行かなかった。そもそも1回目でほとんどの単位をとっていて、あとは数単位補うだけだったので、あまり行く気にもならなかった。

結局、進級はできたけど1年目にとれなかった科目が1つ取れなかった。2年の前期で再履修して、もし取れなかったらまた留年だ。

そしてその2年の前期の再履修のテスト明日、というかもう今日か、今日あるわけだが。

こんな時間増田日記を書いてるってことはわかると思うけど、今年もダメそうなんだよね。

今年も同じように授業に行かなかった。勉強も直前しかしなかった。だから当たり前なんだけど。

言い訳させて貰うと、ホントに今やってることって将来何の役に立つのかわからないっていうか、俺が将来生きていくうえで大学以降の勉強がどう活かされるのかわからないんだよね。

勉強モチベーションが全く上がらない。

勉強すればいい就職先が見つかる? そもそも就職したいところなんてない。勉強してもしなくてもいい就職先なんてあるわけがない。まず自分が本気でやりたいことを見つけるのが先であって、それからじゃないとどうしようもない。

でも今までずっと考えてきたけど本気でやりたいことも見つからない。趣味中途半端しか続かないから、仕事にするのは違うなあとなるし。

みんなよく進級してるなあ、って思って周りのよくわからない私立大学に通ってるような人たちに話を聞くと、講義に出席さえすれば単位がもらえたり、簡単レポートさえ出せば単位がもらえたり、特別難しい問題じゃないのに持ち込みアリのテストだったり、差に愕然としちゃったわ。

そういう人たちにとりあえず大学までは出なよ、とかモラトリアム楽しめよ、とか言われるともうなんとも言えない気持ちになってしまう。

ちょっといい大学入ったからって俺は凄いやつなんじゃないかって勘違いしちゃったんだよね。

凄いやつでもなんでもなかった。能力もなければコミュ力、人脈もない。

大学2年半通ったけど能力を伸ばそうとも友達を増やそうともしないままだらだら過ごして気がつけばテストのために徹夜してるのになぜか増田書いてて、ホントになんで大学通ってんだろうなあってなった。中退した方がマシ。

結局やりたいことが見つからいからだらだら大学に在学してるんだけどね。やめてもやりたいことがあるわけでもないし。だったらモラトリアム(笑)有効活用させてもらうわ。

また書いてるうちに着地点がわからなくなってしまった、けど根拠もなくとりあえず大学まで出なさい出たらわかるからみたいな反応とか、大学在学中遊べるならいいじゃんみたいな反応は要らないのでよろしくお願いします。

2016-07-28

若いころって毎日楽しい」と言う大人(7/29追記)

中学生のころ、部活で軽いいじめに遭っていた。いじめなんていうほどのものでもない、と言われたらそれまでかもしれないけど、「された側がそう感じたらいじめはいじめ」という論理に従えばいじめになるだろう。実際、それが原因で部活を辞めた友達もいた。

友達も少なかった。25分の昼休みを誰とも話さずに過ごすこともあった。授業の間の休み時間はすることがないからとりあえずトイレに行っていた。そんな生活から部活いじめられていることを話せるような人もいなかった。

本当に辛かった。自分で選んで入った部活いじめにあっているということの責任自分にあるような気がして、親にもなかなか話せなかった。今日こそ誰かに話そうと思いながら朝を迎えて、結局何もできずに一日が終わり、ベッドの中で泣く、そんな日が続いていた。

今思うと、よく毎日ふつう学校に通えていたな、と思えるくらい、何も楽しいことがなかった。ただ、勉強がある程度できた(といっても田舎公立中学校の中で上位だったというレベルの話だけど)ので、テストでいい点を取ることだけを楽しみに学校に通っていた。

そんな生活を送っていたある日、自分中学校卒業生であるという男女二人が学校に来て、体育館で講演をしたことがあった。

その二人はシンガーソングライターとして生計を立てているらしく、どちらかがギターを弾いて、もう一人が歌う、そんな形の二人だったと思う(当時の自分音楽ほとんど興味がなかったのでよく覚えていない)。何曲か披露したあとで、後輩である自分たちメッセージを届けようという思いだったのだろう。

おそらく女性のほうだったと思う。こんなことを言った。

中学生であるみなさんのように若い頃は、毎日楽しいことばかりで、未来希望に満ちていると思います。今が一番楽しい時期です。今の生活を思いっきり楽しんでください」

この言葉に、当時の自分奈落の底に突き落とされるような思いをしたのを、今でもよく覚えている。

今のこの何も楽しみのない生活が、楽しいことばかりの毎日なのか、と。

これから人生で、今が一番楽しくて、これからはこれ以上に辛い生活が待っているのか、と。

今になってみれば、自身の思い出を美化しようとする大人価値観押し付けしかない、そんなものは気にする必要はない、と思えるけど、当時の自分にとってはその言葉が全てであるように感じられた。

そのあとの自分人生は、その言葉のようにはならなかった。高校に入ったら友達ができたし、放課後他愛もない話で盛り上がって、気が付いたら2時間以上経っているような経験を通して、「友達と話すのはこんなに楽しいものなのか」と気づいたのも高校生になってからだった。

大学生になってからも、辛いことはあったけど、今になって振り返るといい思い出だったと思うし、少なくともあの暗黒の中学校時代とは比べ物にならない。

高校大学は「自分の母校」と誇りを持って言えるけど、中学校についてはそうは言えない。

自分のなかで中学校の3年間というのはそういうもので、その生活さなかに「今が一番楽しい時期」と自分価値観押し付けてくる大人に辛い思いをさせられた。

中学校時代が一番楽しかった、という人はたくさんいるだろう。というか自分のような人間のほうが少ないのかもしれない。

それにしても、自身楽しい生活を送ったからといって、そのことを美化して押し付けてくるような大人に、自分絶対になりたくはない。

その言葉で、当時の自分のように未来絶望してしま少年少女いるかもしれないから。


(7/29追記)

まだ匿名日記を書き始めて間もないのに、予想以上に多くの人に読んでもらっている。今までtwitterはてなブログでもここまで反響があったことはないので、自分の書く文章を読んでくれる人がこんなにいるとは嬉しい限りだ。

その中でも特に驚いたのが、「中学時代なんて楽しくない、大人のほうがずっと楽しい」と共感してくれる人の声の多いこと。

偶然なのかもしれないけど、自分の周りには「中学時代に戻りたい」と言っている人が何人かいる(その逆はあまりいない)ので、感覚としてはブコメの反応は意外だった。

その中の一人、自分の姉は、「そこまで大学に進学して何かを勉強したい、いい大学に入りたい」という意思も強くないのに地元進学校に進学してしまったせいか、「高校はあまり楽しくなかった」「中学のほうが友達がたくさんいた」と言っていた。対して、自分は、ある程度いい大学工学部に入りたいという気持ち高校入学ときにはあったし、一つの話題についていろいろな視点から話をするのが好きだった(入学当時は自分でも気づかなかったけど)ので、そういう話のできる友達がいる進学校雰囲気がとても合っていたのだと思う。勉強部活一生懸命取り組んでいる人が尊敬されて、友達も多い、そんな環境にいられたことは今になってもよかったと振り返っている。姉のほうは、勉強ばかりやっていて、身だしなみに気を使わないような人を少し敬遠するようなところがあったので、そういう意味であまり合わなかったのかもしれない。

このような経験を踏まえて自分がもし現役の中学生高校生を前にしたときに何ができるかというと、「今が楽しい時期だよ」と言うことは当然しないし、「大人楽しいよ」と言うこともしない。ただ、よりよい未来のために今できることに励んで欲しい、と言うことくらいしかできないだろう。

※「追記から突然、。じゃなくて,.になっている」という指摘をされたので修正しました(学生の頃、レポートを書くために,.がデフォルトで表示されるようにPCを設定していて、そのPCを使って追記したため)。

2016-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20160724145930

いや、違うんだよ。

肉体的には、デブの方がいいんだ。

ところが、いい大学出てるいい収入持った男と同等の女は、たいてい痩せてるんだよ。

これはどういうことかというと、彼女らは痩せてることにコンプレックスを感じており、頭でそれを補ってきたんだ。

から、男はできればデブがいい。バカではないぐらいの大学を出ながら、タプタプした二の腕、抱き心地の良さそうなお腹愛嬌のあるほっぺ、

男は求めてる。君を。痩せたら駄目だ。それは篠崎愛からおっぱいを取り除く行為に等しい。

2016-06-28

自分が嫌

親族大学出てるやつなんて1人もいないのに、自分はそこそこいい大学を出て、大企業就職したんだけど、へんな見栄を貼ってしまって、家族のこと知られるのが恥ずかしいなんて思うようになってしまった。

Facebook家族コメントしたりいいねしたりすると、家族のこと知られる気がして、凄く嫌なんだ。

家族のこと好きなんだけど。

そういう自分が大嫌いだ。

2016-06-16

anond:20160616021555

K大学京都大学ことなら、京都大学退学エントリ、っていうのが参考になると思う

anond:20151115183959

京大教員のやる気がないorやる気があるけど下手な授業が多かったな。

制度的な不満ではクラス指定で取りたい授業がとれないこともあった。

授業に期待していると腐ってしま大学だったと思う。


結局自分で学べということなんだろう。

まり、多分あなたがO大学に不満を覚えた教育機関としての役割という意味で、

K大学いい大学かは分かりません。

2016-06-04

頑張って勉強してお金を稼いだら自分の好きなように生きられると思っていた

頑張っていい大学に行ってお金をいっぱい稼いだら、地方にいても自分好きな物に囲まれ生活や丁寧な生活

自分好きな人とだけ交流ができるのかと思っていたけれどそんなことはなかった。

高学歴高収入の女が気ままに楽しく生きるのを咎める人間が身近にこんなにいると思わなかったし、

ブランドのバッグや洋服を好きで着ているのに男性から怖がられるし、職業名だけで交際相手として倦厭されて悔しいし、

若いうちに頑張って資格を取ったから今があるのに、特に努力もしなかった人間にずるいと責められるのは意味がわからない。

資本主義に則って強者になったことと人の心は違うということを先に教えて欲しかった