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はてなキーワード: 過呼吸とは

2024-04-11

拘泥がみられる コントロールができなかったとき出会った

優れてないのに俺を差別した 仲間外れにされた

光の下に行ったらだれか狙撃されるんじゃないか 妬みで

変な売り込みをしないほうがいい 等身大自尊心がない

ものを率直に見えるということしてきてない

現実銀魅力の低さ 対処能力不全

褒められたら宇宙一 肥大しすぎでもなければ委縮しすぎでもない僕はこの程度でこれができます

なんでジシンないの なんで過呼吸なの じぶんの中だけのジシンがあって他人評価はない

あなたにとって有意義にしたいんです

我々はこういうとこですっていう会話はあった

人と関わったら一心同体だああ

あそうすね ああそうすね 利益上オタがいい部分があるから暇だから

迷える少年しか会わない 

2024-04-05

ヘルプマーク絶望

二十歳頃から精神科に通って20年弱経つ。時々不安に襲われ、電車パニックを起こすことがあるので、半年前にヘルプマークを駅でもらった。過呼吸が起きる。そもそも他の人より体力もなく、仕事帰りはフラフラだ。席を譲ってくれるものかとカバンヘルプマークをつけている。優先席で立つ。3回は譲ってもらった。半年で、それだけ。

まあ、誰も譲ってはくれないんだな。見た目が人と違うわけではない。40前後、杖もついてない。特別に太っても痩せてもいない。見た目はそりゃ普通だ。パニック起こさない限りは、くたびれたサラリーマン。ただの疲れた人は立っとけ、と。

老いも若きも譲ってくれない。車内で喧嘩が起きて、過呼吸が起きても気にも止めてもらえない。ちらっと見て無視スマホに戻る。または眠る。構わずに談笑する。ただの人扱いなんだ。

JR西武都営

リュックについているヘルプマークをもぎ取られそうになった。改札に向かって歩いていたら、リュックを引っ張るオッサンがいた。振り向いたら恨めしそうにこちらを見ていた。ぶつかりおっさんならぬ、ヘルプマークもぎとりおっさん

不眠のひどい顔をしていたときに、譲ってもらったこともあった。同じくらい疲れてた人。きちんとお礼を言って別れた。何だか申し訳なかった。眠る少しの時間を奪ってしまって。

優しさに絶望したいなら、何日間かつけてみることをお勧めする。500円くらいで売ってる。半年経ってもう私はつけていない。期待をすると裏切られる。かったるい。

ただの人として、パニックに怯えながら、片道40分、電車に乗る。座っていたらヘルプマークの人や、マタニティマークの人に席を譲る。

2024-04-04

anond:20240404113912

ただのパニック障害の人ですらヘルプマークをつけてるんだな。

席に座ったら過呼吸が治るのか?治らねえだろ。

過呼吸が起きたら電車を降りて駅のホームのベンチで頓服でも飲むしかない。

こんな元気な若くて働き盛りの男性が、ヘルプマークワンチャン狙いでつけて、内部障害難病の人たちから座席を奪おうとしてるのが腹がたつ。

いい加減、無料で誰にでもヘルプマークを配布するのをやめてほしい。

障害者手帳指定難病医療券を所持している者にのみ配布する方式に変えるべき。

デザイン一新し、内部障害および指定難病ヘルプマーク知的障害および精神障害者ヘルプマークは色を変えて判別できるようにしてほしい。

障害者手帳カバーでは身体精神とで色で分けられてるんだから可能だろうに。

ヘルプマーク絶望

二十歳頃から精神科に通って20年弱経つ。時々不安に襲われ、電車パニックを起こすことがあるので、ヘルプマークを駅でもらった。過呼吸が起きる。そもそも他の人より体力もなく、仕事帰りはフラフラだ。席を譲ってくれるものかとカバンヘルプマークをつけている。優先席で立つ。

まあ、誰も譲ってはくれないんだな。見た目が人と違うわけではない。40前後、杖もついてない。特別に太っても痩せてもいない。見た目はそりゃ普通だ。パニック起こさない限りは、くたびれたサラリーマン。ただの疲れた人は立っとけ、と。

老い若いも譲ってくれない。車内で喧嘩が起きて、過呼吸が起きても気にも止めてもらえない。ちらっと見て無視スマホに戻る。または眠る。構わずに談笑する。ただの人扱いなんだ。

JR東武都営

何度もリュックについているヘルプマークをもぎ取られそうになった。改札に向かって歩いていたら、リュックを引っ張るオッサンがいた。振り向いたら恨めしそうにこちらを見ていた。

不眠のひどい顔をしていたときに、何度か譲ってもらったこともあった。同じくらい疲れてた人。きちんとお礼を言って分かれた。何だか申し訳なかった。眠る少しの時間を奪ってしまって。

人の優しさに絶望したいなら、何日間かつけてみることをお勧めする。もう私はつけていない。期待をすると裏切られる。かったるい。

ただの人として、パニックに怯えながら、片道40分、電車に乗る。座っていたらヘルプマークの人や、マタニティマークの人に席を譲る。

投稿を繰り返す精神障害者

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2024-03-20

飛べる人が羨ましい

仕事をサボったり、無言で仕事をやめる人のことね。そういう人の軽やかな精神が羨ましいなぁって思ってる。褒めてる。本当に、すごく褒めてる。

おいらは責任感がかなり強いし完璧思考主義者だし、うまくハマれば優秀な結果を残すのだが、それは新しいことを始めるのがめちゃめちゃこわいという臆病者の裏返しなわけだ。必死にしがみついてなんとか仕事をこなして転職しないようにしてるだけで、本当だったらいろいろチャレンジしたいよ……。だけどすごくこわい。こわすぎて真っ暗な部屋で泣き喚いて過呼吸起こして指動かなくなってわらった。

2024-03-17

15日の裁判で、だました男性に対しての反省気持ちを聞かれると――

 「私のうそを信じて善意の心で私を助けようと思って、お金を用意してくれたのに、本当に申し訳ないと思っています」(渡辺真衣被告

 涙を流し、過呼吸のような状態になり、落ち着くまで約2分間中断する場面も

https://news.yahoo.co.jp/articles124077d12531217af37631ffbb3b2bc7ed83836a


若い女の子を泣かすまで追い込むヘル裁判

2024-02-23

ナイチンゲール

長生きした上に名前も残して、しかも自らが考案した看護師育成システム病院運営看護システム現代にも形や技術は変わりつつ残ってるとか羨ましすぎる。

あと数百年は忘れられないだろ。

まりそれだけ生きた証を残したってこと。

俺が育った町はイギリスと何も関係ない海沿いの片田舎だったけど、その近くにある看護学校にもナイチンゲールの像があった。

まりそれだけ多くの人間名前存在を刻み込んでる。

羨ましい…

羨ましい…

ああ、羨ましい…

対比して俺の人生は…

家族や友人以外の誰の記憶にも残らない…

死んで数十年経てば殆ど人間に忘れられている…

悔しい…

悲しい…

虚しい…

ああ!!!!!

過呼吸!!!!!

はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!

日本学士院賞受賞

ノーベル〇〇(平和文学経済学除く)学賞受賞

第〇〇代内閣総理大臣

第〇〇代合衆国大統領

〇年〜〇年の間、世界で一番の億万長者であった(Forbes

こういう誰にも忘れられない、何かしらの記録に残るであろう称号が欲しい!!!!!!

でも!!!!!!!!!

ただの高卒郵便局員の息子で!!!!!!

数学2B挫折してMARCH法学部に入って!!!

地方公務員になった俺には!!!!!

何も手に入らないんだ!!!!!!

死んだらそこで終わり!!!

まれ意味なし!!!!!!

虚しい人生!!!!!!

俺「死が怖いです。どうすれば生きた証をこの世界に残して後悔しない人生を送れますか?」

馬鹿旅行行って良い温泉入って良い焼肉食べなさい。幸せになれるから

はぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???

馬鹿じゃねこいつ?

いや、旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのが嫌なわけではないよ。

それが人類史に刻み込まれて、俺が死んでも俺の生の証がこの世から失われないってなら旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのだって十分幸福だと思う。

でも実際死ぬ前に俺が旅行行って温泉入って美味い焼肉食ってもこの世界の誰の心にも残らないじゃないか

から旅行温泉焼肉じゃどうやっても幸福にはなれないんだよ。

医師から冷徹に「あなた状態だと平均余命は〇〇ヶ月ですね」って言われても「我が人生に一片の悔いなし!」ってその場で自害できるくらい満足できるにはどうすればいいかって聞いとんじゃボケ

どうやったら「自分の生きた証」や「人生モニュメント」を築けるかって聞いてんだよ。

集積回路発明重力波観測免疫チェックポイント阻害因子の発見に並ぶような功績をどうやってこの世に残すことができるかって聞いてんだよ。

俺は何人にも俺の人生を忘れて欲しくないんだ。

ニュートンアインシュタイン大隅良典先生が羨ましい。

結局フォーカスゴールド2B挫折してMARCH法学部から地方公務員になった俺みたいな人間病気になって死んだらすぐにこの世から忘れられてしまうのか?

もしもニュートンアインシュタイン大隅良典先生のような能力と功績がが手に入って歴史名前を刻めるなら、焼肉旅行温泉も含めこの世のありとあらゆる娯楽や享楽快楽を一生禁止されたって構わない。

この世に生きた証が欲しい。

かに今の職場仕事を頑張って区長局長さらに進んで副市長になって、定年後は外郭団体理事代表になることができれば葬式には沢山の人が来てくれるだろう。

婚活して結婚して子供を持てば子孫は受け継がれるし子育てに間違いがなければ子供や孫が墓参りにも来てくれるかもしれない。

でもそれじゃダメなんだ。

途中で俺がこの世で何よりも恐れる癌になったら?

行政官として名前を残したり孫の顔を見るなど「一般的幸せ」を手に入れるには時間がかかり過ぎるし癌というはずれくじを引かずに長生きする必要がある。

途中で死んだら何も残すことができないままこの世から消えてしまう。

最後まで頑張れたって次の世紀には誰にも覚えられていない。

そもそも、お前らはもう小松法制局長や香川財務事務次官のこと殆ど覚えてないだろ?

それじゃダメなんだ。

ニュートンアインシュタインガンジーマロリーナイチンゲールキング牧師

彼らのような自分の生の証をこの世に残してモニュメントを築いて名前を残さなきゃ生まれ意味がないんだ…

郵便局定年退職して一日中刑事ドラマ見て脳梗塞で死んで葬式には家族と友人と元同僚しか来てない父親のようになったら怖いんだ…

白血病でこの世で何も為さないまま大学時代に死んだ従兄のようになったら怖いんだ…

せっかく生まれたんだから

ああ…

怖い…

癌は怖い…

脳梗塞も怖い…

病気が怖い…

事故も怖い…

死が怖い…

いや、ただ単に死が怖いんじゃない…

「この世で何も為さないうちに訪れる死」が怖いんだ…

定年して刑事ドラマ見てたまにゴルフして誰にも知られず90歳で心不全も怖い…

ノイマンマロリーのように世界に名を残してからなら逆に早死にも怖くない

忘れられたくない

消えたくない

せっかくこの世に生まれたんだから

2024-02-20

anond:20240220133723

嘘乙。マジの過呼吸はそうならんから。呼吸が早すぎてまともに息できてない状態やぞ

彼女生理来ない」ワイ「アァッ!!ハッッ!!ハッッ!!!!(過呼吸)」

彼女生理来た」

ワイ「おぉん!生!生えっちしよ!」

彼女生理来ない」

ワイ「ハッッ!!ハッッ!!(過呼吸)」

このループ辛いわ

2024-02-19

anond:20240218211735

釣りにしてもあまりそういうのを馬鹿にするもんじゃないと思うけどね。

萌えキャラを見て過呼吸になってる女性を実際に見たら揶揄する気も起きなくなるよ。

2024-02-11

anond:20240211215526

俺は母親包丁投げつけられたり全身ボコボコに殴られてアザだらけとかになってたり

あんたなんか産むんじゃなかったとかよく言われてるし両親との会話とか小学生高校卒業するまでほとんどしてこなかった

学校プリントテストを渡すだけで過呼吸になって嫌だから川に捨てたり燃やしたりしてたよ

それよりマシじゃねえ?幸せな家庭ではないけど下には下がいる

2024-02-06

椎野カロリーナを「悲劇のヒロイン化」するのは、ブクマカによる二次加害だ

[B! 男女] 「ミス日本」椎野カロリーナさん、事実と異なる説明を謝罪「混乱と恐怖から真実を話すことができなくなりました」

id:Shin-Fedor

「当初は離婚済みと説明されたが、交際が深まった時点で実はまだ既婚と判明」って、川谷&ベッキーの時と同じだ。というか大半の不倫劇がこのパターン相手が既婚と判明した瞬間に関係リセットするのを常識にせよ

感覚リセットすべきのは、したり顔で語っとうお前じゃー! id:Shin-Fedorさん!

経緯

また、「そもそも前田夫妻はインスタ相互フォローであり、奥さんのインスタの方で仲睦まじい写真が多くUPされている。タグ付けもされているか検索も容易。これで最初は既婚者と知らなかったとは信じがたい」という指摘も存在する。

ブクマカはなぜダブスタるのか

先の増田はてブって性差別主義者が多すぎるでは、ブクマカ性差別主義者から椎野カロリーナを庇い、伊東純也を「合意」があったと仮定のもとでもぶっ叩く、ダブスタを引き起こすのだという。一理はある。

けれど、単に今回は「ルーツ外国で、せっかく努力してミス日本に選ばれたのに、限界ネトウヨみたいな輩からいちゃもんつけられる、かわいそうな人だ」という、一度持った先入観

これを、リセットできない、なかなか手のひら返しできない、というところに問題本質が有るのだと思う。伊東純也も、強姦魔だという印象を一度持たれた以上、仮に「合意が合った」と認定されても叩かれ続けることになる。

また、奇遇なことに、この思考回路は、はてなー諸君の慈悲的差別と同じ論理的構造を持つのだ。


いか、お前らはカロリーナに嘘つかれてたの。男に「自分独身」って嘘つかれてた場合と同じく、その時点でカロリーナへの評価はすべてリセット、「他にも嘘付いているかもしれない」から始めるべきなの。

次の言い訳交際が深まるまで既婚者と知らなかった」を真に受けるなんて正気??? 状況証拠暴露を加味して判断すれば、最初から既婚者と知って付き合った可能性は相当に濃い。

ほんと、18越えてもまだ未熟、1020年と歳をとれば精神成熟できるなんて全く幻想だってことがよく分かるね。だからこそ18越えれば責任能力は同等と扱う他ないのだ。

カロリーナは、前田拓摩の奥さんへの立派な加害者だし、責任は夫である前田拓摩と同等にある。

ブクマカはどうすべきか

もともとブクマカは「不倫?個々人の問題でしょ、下らない。ニュースバリューなんてないよ」というスノッブキャラで売っている。

そこに、「数日前庇った被差別者弱者謝罪」という字面が目に入って、ただの芸能ネタ社会派ニュース誤読して、「カロリーナも被害者」などといっちょかみ擁護しだす。

前田拓摩は先に謝罪しているという基本的事実さえ把握せず「女が謝らされる」というブコメトップに上がるし、カロリーナにひどい目にあわされて、憔悴する前田拓摩の妻への視点もない。

芸能ネタいっちょかみするならね、スノッブキャラ辞めて、まず滝沢ガレソ@takigare3でも読みに言ったら良いんだよ。彼、名誉増田民だし。

あいつははちまJINの後継、ゲハブログ2.0だって

くだらん芸能ネタからと見下して、何も調べず「男が女を虐げる社会構造」一本槍でコメントする、そういうブクマカのほうが下らない。

毒親持ちって名乗って良い境界はどこからなのだろう

毒親を持っている人のブログを読んだり話を聞いたりすると思うことがある。

毒親持ちの人の体験談は、それはそれは凄惨で、進学させてもらえないとか仕事もせず家に居座る親が暴力毎日振るってくるとか殺されかけたとか……。親元を離れて立ち直った人もいれば、今なお親の影に苦しんでいる人もいるだろう。そんな彼等を見て自分はこう思うのだ。

「この人に比べれば自分はマシな親を持っているのだろう」

そしてこうも思う。

「だから決して、自分の親が毒親持ちと思って甘えてはいけない」

けれど、ずっとそうして生きてきたのだけれど、最近親と共に過ごすことが辛くなってきた。「おはよう」と話しかけられるだけで動機がして、頭痛がする。眠れない夜が増えた。これは家族間の関係として健全ことなのだろうか。今一度自分の親が毒親ではないのか客観的に整理したくて、文章に起こすことにする。

まず主に頭を悩ませているのは父親存在だ。

彼は毎日仕事に行き、給料もきちんと家庭に還元しているし、私の進学を阻むようなこともなかった。大学まで出してくれて、一戸建てを持っており、ギャンブル浮気経験もない。

もうこれだけで私が数々見てきた毒親像とはかけ離れている。だから私は父に感謝をしなければならないし、軽い気持ち毒親などと言ってはいけないとずっと思っていたのだ。

ではなぜこの男に声を掛けられる度に不愉快気持ちになるのか。それは父の性格に起因している。

単刀直入に言って、父の性格自己中心的で周り、特に家族のことを常に見下している。

例えば「明日出掛ける」と言うと「何時に?」と聞かれる。ここで少しでも返答が遅れると「なんでそんなことも分からないんだ」

例えば私が昼ご飯を食べようとすると「昼ご飯を食べようだなんて悪い奴だな」

例えば私が出社しようとすると「会社にいくのか馬鹿娘」

私は何か悪いことをしただろうか。毎日のようにこういう無意味罵倒をされ、どんどん神経がすり減っていく。もっと酷い人格否定をされたこともある。「子供は親の奴隷なんだから黙って言うことを聞け」と言われたこともある。けれどそれを本人にやめて欲しいと言っても「俺はそんなことは言っていない」「これもコミュニケーション」「冗談もわからないなんて心の狭い奴だ」。話にならない。

ではもし反撃してこちらが「馬鹿親父」などと言ったらどうだろうか。まるでやくざのような気迫で威圧し、怒声を浴びせ激高し、床を踏み鳴らし机を拳で殴る。それでも収まらないときは手近なもの破壊し、最終的には暴力に発展する。さすがに暴力に発展することは稀(というかそうなる前に謝ったり宥めたりしているの)だが、家でも外でもお構いなしに蹴られたり殴られたことがあるし、母に至っては数回骨折沙汰になったことがある。

力ではどうしても勝つことが出来ない。だから何を言われても、私は黙って受け流すしかないのだ。

もうひとつ私を苦しめていることがある。それは父の奇声だ。上記はまだ共感できる人も多いだろうが、これに関しては珍しい上に恥ずかしい話過ぎて誰かに相談することもできず、ずっと悩んでいる。

父は昔から声が大きい。最近耳が悪くなってきて殊更声が大きくなってきた。それは加齢によるものなのである程度は仕方ないのだが、問題は奇声を発することだ。

奇声といっても金切り声でなく、例えばYouTube動画ユーチューバーゲーム実況者が驚いたり興奮した時にスマホが音割れを起こすほどの大声を出して、慌てて音量を下げた経験はないだろうか。あれを、何かの撮影でもなく家の中でやる。還暦をすぎた男が。

誇張なく、いきなりリビングで「うおおおおお!」とか「うぎゃあああああ!」とかいうのだ。病気だとしか思えない。しか時間は問わない。父が叫びたくなった時に叫ぶ。毎日毎日、何度も何度も。

から朝、目覚まし時計より早く父の絶叫で目を覚ますことはざらにあるし、そういう時は心臓が縮み上がる程驚く。

一度気になってデシベル測定をしたことがあるのだが、結果は80~90デシベルだった。これは地下鉄の車内や布団たたき、ブルドーザーの音に匹敵するらしい。

もちろんやめて欲しいと何度もお願いしたし、精神病院は勧めた。当たり前だが病院受診するはずもなく、しつこく言ったところ「頭がおかしいのはお前だ」の言葉からはじまりあとは前述した通りである

他にもおかしいところをあげればきりがないのだが、最後に一つ父の一番理解できない話をしたい。

私は生まれつき肺に病気を患っている。これに関して両親を恨むつもりはないし、長く生きられないと言われていたところを手術を受けさせてくれて、他の人と同じ日常生活を送ることができるようにしてくれたことに感謝をしている。

だが100%なにもかもが健康体になったわけではないし、今でも肺には他人よりもハンデを抱えている。だから掛かりつけのお医者さんには肺や心臓を大切にしてねとさんざん言われているのだ。

の子供を持ちながら、父は平気な顔で紙煙草を吸う。別に隠れて吸うのなら構わないのだが、私が幼いころ(手術前)からキッチンで、リビングで、果ては外食した時に私が食事中でも対面に座ってぷかぷかと吹かす。その量は1日に1箱近い量だ。父が家にいると一日中家が煙草臭くなる。

まりにも臭いのでベランダで吸うようお願いしたら、窓を開け放したまま足だけベランダに出して吸っている。当然窓から副流煙リビングに逆流してくる。だったらせめてと空気清浄機を近くに置いたら「音がうるさい」「俺に対する嫌がらせなのか」と不機嫌な顔をしながら空気清浄機を止める。

キッチンで皿洗いしていると後からやってきた父が「煙草を吸うから退け」と言う。せめて洗い物がキリのいいところまで待ってとお願いしても「待てない」と吸い始めるか、真横でものすごく不機嫌なオーラを出しながら急かしてくる。たった1分ですら待つことが出来ない。

このようなことは言いたくないのだが、私が煙草を吸わないで欲しいとお願いするのは、あなた遺伝子を引き継いで作られた身体に欠陥があったかなのだが、父には何一つ思う所はないようだ。どうも母に聞いたところ、妊娠中も平気で母の前で煙草を吸っていたらしい(母は避けようと頑張っていたようだが、当時狭いアパート暮らしで限度があったようだ)

こんな父だが、ことあるごとに口先だけではこう言うのだ。

「俺はどんな時もお前の味方だからな」

ふざけるのも大概にしろ。人の人格毎日否定して、やめて欲しいとお願いしたことを喜々として余計にやって、泣いて「もうやめてくれ」と言ったことには「人が泣いてるのをみると殴りたくなる」と言い放って、人が買って来たもの許可も取らずに盗んで食べたり使用したりして、電車で数駅のところに遊びに行っただけで土産をせびり、感謝強要し、都合が悪くなると「冗談」「コミュニケーション」と逃げるか激高して無理矢理黙らせるかして、大声で絶叫して、持病もちの前で煙草をやめない。

父の言動を聞いていると、本気で自分は「娘を愛する良い父親」だと思っているようだ。仕事に行って金さえ払えば良い父親なのだろうか。自身の子供が眠れない日が続いて、悔しくて苦しくて涙が零れて、頭痛がやまなくなっても、父にはその姿は見えていない。

結局父には「自分」「自分」「自分」それしか映っていない。

この父を毒親と言っていいのかずっと悩んでいる。この程度で毒親と言ってしまうと、「この程度で毒親持ちの被害者面するな」と言われてしまうのではないかと思ってしまう。

けれどこの男を父として認め普通の親として扱うには、もう精神限界が出てきているようにも感じている。

自分ストレスに強い人間だと思っていたし、実際いわゆる「鬱」に当てはまるような症状や過呼吸胃潰瘍もでていない。だからこの悲しさも辛さも大したことはなくて甘えなのだろうかと思う。身体に大きな不調が出れば、父はなにか変わるだろうか。いや、変わらないだろう。しかし、大手を振って家を出ていくチャンスになることは間違いないだろう。けれどそれもないのなら、もう少し耐えるべきなのだろうか。

家を出ていけばいい。それは間違いなくそなのだが、父と二人きりにしたらいつか母が殺されてしまうのではないかという恐怖もある。両親から「お前は独り暮らしができない」と何度も言い聞かせられて、まるで呪いのように縛り付けられている感覚もある。一人暮らしをしたいと切り出したあとに、激高され毎日不機嫌なオーラを出される中過ごさなければならないのが怖い。踏ん切りがつかない。これは甘えなのだろう。

そういう中途半端な親元に生まれた私は結局今日も、本当の毒親よりはマシと言い聞かせながら父の顔色を窺う、情けない生き方しかできないのだろう。

そういう情けない人間愚痴の吐き捨てだ。

2024-02-04

わたしテレビが見れない

はじめに、特定防止のため下記には一部フィクションを混じえています。ただ被害内容に一切のフィクションはありません。

俳優いじめられていた。

ドラマ映画バラエティCM、いやでも目に入る。

わたしは彼に暴力をふるわれたことがある。

暴言を吐かれたことがある。

それを「いじめ」だとは思いたくない。わたしにとって彼は「加害者」で、いじめなんてそんな言葉で片付けられるほど克服できていない。

名誉を考えるならば、加害者は彼だけでは無い。複数名のうちのひとりであって、主犯でもない。

いじめ」られていたのはもう何年も前で、今更どうこうしたいわけじゃない。いわゆる時効だと思う。

ただ、彼は知っているだろうか。

テレビでお前の名前を耳にするだけで過呼吸になる人がいるということを。

トラウマにも時効があればよかった。

もう何年も耐えたんだから、「時効です。もう無効です」って、トラウマも消えて無くなってくれればいいのに

きっと彼はいじめてた記憶なんてないと思う。わたし存在は1mmも覚えてないだろう。

たとえ思い出したとしても、笑うかもしれない。

「俺だけじゃない。みんながやってたじゃないか

かにそうだ。

「ブス」「○ね」「きえろ」と言ったのもそうだね、お前だけじゃないね

きもい」とお腹や踝を蹴ったのもお前だけじゃないね

「俺だって悪いところだけじゃなかったじゃないか

お前はたまに優しく笑ったし、普通に会話もできた。その前後罵詈雑言暴力があっただけだ。

芸能事務所に入ったらしいという噂を聞いたのは、お前から離れて1年経ったくらいだった。

あんなやつ絶対売れないだろうと思った。

だって、そんなのずるい。

毎月通院し、昔のことを思い出さなくなったころ、とある再現ドラマに彼が出演していた。

優しい先輩とか、そんな感じだった気がする。

NEXT俳優」として彼を応援する声が増えた。

夢を叶えているんだね。

わたしはお前の名前を見るだけで全身が冷たくなって震えて涙が出て、苦しかった毎日に戻ったかのようにしにたくなるというのに。

テレビが好きだった。

ドラマも、バラエティも。

そんなテレビに彼が一瞬うつるだけで頭が真っ黒になる。

わたしが何をした」「この症状ときっと一生付き合わないといけない」

テレビトラウマスイッチになるだなんて想像したことがなかった。

「彼はそんなに酷かっただろうか。他の加害者に比べたら優しかった。会話もした」

そう言い聞かせた時期もあった。だけど心は正直なのか、頭を使って言い聞かせても苦しみは変わらなかった。

好きになりかけたアイドルが彼と仲いいと聞いた。

「そっち側」なのかと思った。

何年も前のことだけど、人はそうそう変われない。

わたしの症状が変わらないなら、いっそそのままお前も加害者らしく生きてくれた方が恨める。

一体彼はどんな顔して活動しているのか気になってネット記事を見たことがある。

学生時代やんちゃをしていたと明かしたらしい。「今の印象とは違うギャップも素敵ですね!」と書かれた一言に心がぎゅっとなった。

誰かが素敵だと思うギャップも、やんちゃだと明かされた過去も、わたしにとっては一生付き合わなければいけないトラウマだ。

いつか誰かが実名暴露をしたとしても「若気の至り」だとか、「何年も前のことを今更言うのはおかしい」って、彼の人生も私の人生責任を取らない人たちは言うだろう。

(追記、実際にこの記事投稿してすぐ嫌味に溢れたコメントがついた)

地に落ちてほしい。

誰よりも不幸になってほしい。(もちろん彼だけではなく加害者全員そうだ)

だけど、きっと彼はこのままもっと活躍すると思う。

国宝級イケメン」と。

から諦めた。

わたしはもうテレビが見れない。それしか自分を守れない。

ただ願う。

わたし好きな芸能人と仲良くありませんように。

ルイヴィトンのショーに招待されませんように。

伊坂幸太郎先生作品実写化キャスティングされませんように。

わたしと同じように被害者だったあの子たちが同じように苦しんでいませんように。

そして、もし暴力暴言に苦しんでいる人がこの記事を目にすることがあれば言いたい。

あなたひとつも悪くない」

「逃げていい。逃げなきゃいけない。逃げたくらいで失うものなんて最初から必要ない」

自分の身を守れるのは自分だけだ。誰よりも自分を愛して大切にして」

2024-01-11

松本人志の文春報道がショックだった弱者男性

正直めちゃくちゃショックでしばらく寝込んでいた

やっと落ち着いてきた

なにがショックだったかっていうと、松本人志ですら非モテなのかというショック

あれだけ金と名声があるのに「セックス?嫌なんですけど😅」って感じで断られちゃってるじゃん

しかも3人中2人に断られるて・・・

しかしかもだよ、高級ホテル取るとか後輩にお膳立てしてもらうとかまでしてもらっているのに断られているんだよ!?

金とか名声とか、いい部屋を用意するとか、なんにも効果ないんじゃん

松本人志ですら非モテって、夢も希望もない

どれだけ努力して金と名声を手に入れても、愛はまったく手に入らないってことじゃん

金と名声って弱者男性が一発逆転する最後の望みなのに

金と名声を手に入れても弱者男性は一発逆転できないっていう現実を突きつけられて過呼吸になった

お前らこの現実、どう思う?

2023-12-31

クラスで一番の嫌われ者だった彼が地方公務員になって無双するお話 part.4/7

前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221402

四つ目だ。(斗比主閲子さんが読んだら)ほっこりできる話を何点かしたい。

そこまで希少な体験をしたつもりはないが、この時はまだ20代後半である感受性は高かったはずだ。

F君が福祉課3年目の頃だった。人事異動職員が何人も代わって、施設グループ内でも経験年数が長くなっていた。彼より長いのは、最初の方で述べた性格キツイ女性のみだった。やはり性格ねじ曲がっていた。例えばF君が職場にあるコードレス電話にかかってきたのを取って、♀宛てに子機を渡そうとすると、手先を拒否的に振って嫌がっていた。

そうなると、F君は「仕方がない」という顔をして、相手方電話を折り返す約束をして♀に電話メモを渡したりしてた。日本人から、『穢れ』というやつを気にしていたのだろう。

この頃になると、F君も♀とだいぶ口論できるようになっていた。1年目の頃は、反論できなくなると、のらりくらりと躱したり、ハラスメント発言が出ると「待ってました!!」とばかりに悪態をついたり、後は会話を普通にスルーしていた。

この頃は、例えば……♀がキレて、「もう私に聞いてくるのやめにしたら? 必要なことでも今後はお前には教えん」みたいなことを言ったとする。そしたら、F君は「いいえ。相談に行きますので、その都度断ってください」と返した。

するとまた「もう来るなって言ったのわからへん?」となって、さらにF君は「その都度行きます。私の相談に答えるのは職員としての義務ですが、その義務を果たさな自由もありますから」と言ってた。メモに取ってるから間違いない。

うまいというか、ズルいというか。職場の慣習やルールと、自分相手課題というか、そういうのを見極めていたと思う。それで、♀はまたキレてしまって、「来るな!!」「いや行きます」の水掛け論になった。

♀「仕事ぐらいちゃんとやれや」

F「ちゃんとやってます

♀「嘘つくな」

F「やっています

♀「マジメにやってるように見えない。仕事はマジメにやらないといけないよね?」

F「答える意味のない質問です」

♀「なぜ?」

F「答えがひとつしかいからです」

♀「じゃー答えろや」

F「答えません。それは私が決めます

♀「……お前をフォローする側にもなれや。お前の後輩が働かんかったらどうする?」

 ※♀側の意見。F君は仕事のものちゃんとやっていた。はず。

F「その状態でも一応は認めます市民利益に関することはフォローします」

♀「認めるなや、そんな屑」

F「ところで、仕事というのはマジメにやらないといけないんですか?」

♀「どういうこと?」

F「別に、マジメにやらなくてもいいんじゃないですか」

♀「何を言ってるの、あなた正気?」

F「仕事ができなくても、別に死ぬわけでもないでしょう。北朝鮮ロシアだったら死ぬかもしれませんが。あと、その人が仕事をしなくても世の中は普通に回りますよね。仕事クオリティが低かったら文句を言われるでしょうが時間が経てば、世の中の評価基準クオリティが低い方にスライドしていきます……それで仕舞いです。恐縮ですけど、労働者仕事をマジメにこなさなくてはならない……まず、そういう基本的思考から疑わないといけないのでは?」

♀「職務専念義務って知ってるよね。さすがのあなたでも。公務員って、身を粉にして働かないといけないって地方自治法に書いてあるよね。民間とは違うの」

F「そんなの壮大な建て前でしょ。第一、それって特別権力関係理論(※)ですよね。すでに否定されています公務員サラリーマン一種であり、自治体雇用契約を結んでいる。その雇用契約の上に公法契約が乗っかってる。それが答えです」

特別権力関係・・・昔は、一般職公務員会社員とは法的に異なる存在だったらしい(法治主義原理適用排除されるべき存在)。今だと、行政法的には公務員民間会社員の仲間という扱いになってる。

「じゃあ、あんたは仕事しなくていいの?」

「いいえ、仕事ちゃんします。ただ、この世界には……仕事よりも大事なことだってたくさんあると思うんです」

♀「この、あっほっがあああぁっ!!!!」

F「ありがとうございます自分存在肯定されている気分です」

空気感としては、F君は別にここまでひどいことを思ってるわけじゃない。けど、♀の叱責のやり方があまり侮辱的で、彼は頭にきてるみたいな、そんな空気だった。

そして、またあの時みたいに、グループリーダーが「お前ら、うるさい!」と♀に怒鳴ったのだ……。その時だった、♀が急に過呼吸を起こしたみたいになって、その場に倒れ込んだ。苦しそうにもがいていて、F君も俺も、ほかの職員も駆け寄った。立ち上がることも難しい様子だった。

その場で救急車を呼ぼうと思ったが、「落ち着くまで待とう」というのが福祉課長グループリーダー判断だった。

一応はF君をフォローしておくが、彼は上のやり取りのような考え方は採用してない。断固として言える。普段仕事振りを見てたらわかる。あくまで、経済社会におけるひとつの考え方(ひろゆき番組で喋ってるみたいな……)に過ぎない。それが、彼も頭にきてたんだろうな……つい、ポロっと口に出てしまったのだ。

♀による日頃からの口撃に腹を据えかねていたのではないか。だから悪態をつくみたいにして、相手大事にしてそうな考えを、スズメハチの針でプチッと刺すみたいなことをしたんじゃないか。俺はそう思ってる。

こんなことを考えて彼に同意してる時点で、俺も公務員には向いてなかったのかもしれない。

それから一年後になるが、その先輩女性左遷された。2010年代が終わる頃で、世の中の動きはハラスメント撲滅に傾いていた。はてなブログとかでも、そういう方向性記事ランキングに上がることがあった。

結局、勤務中に差別的発言すらしていた♀は、上下水道局に異動になった。あそこは基本的に男しかいない。男性職員ばかり40人だったっけ? とにかく女性がいない部署だった。

こういうのは、人事からメッセージひとつだ。「あなたは間違ったことをした」というのと「嫌だったら辞めていい。むしろ辞めていただきたい」という二種類の。

かにも、辞めてほしい職員にはそういう人事異動を行う。1年単位での部署異動とか、逆に掃きだめみたいなキツイ部署10単位で張り付けなど、とにかくいろいろだ。介護家族がいる職員への遠隔地出向などもある。査定の低い職員は、60才になる年に再任用の届け出を出しても当局から拒否される。

ただ、あの♀については可哀そうだった面もあるよ。体質的感覚過敏とか、神経過敏みたいな症状があったのかもしれない。病気とかやってたのかもな。ストレスが溜まってたんだろう。

だって30代半ばだ。気持ちはわかる。けど、俺は勤務中にああい発言をする職員はやはり許せない。青臭い考えかもしれないが。



この頃になると、F君はそこまで悪質な人間ではないのでは? という考えが生まれていた。職員に対して態度が悪いところはあるが、企業や団体を含めた市民の方を向いて仕事をしていたし、結果も出ていた。

エピソード①》

まず例としては……この頃、大きな会議があって都内まで行ったことがあって、その帰りにF君と一緒に電車に乗っていた。で、都内ってやっぱりさ、半グレみたいのが多いじゃん。どこの市区かは地域差別につながるから伏せるけど。

その車両では、3人ほどの半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていた。酒を飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車だ。

まりにうるさいから、ほかに乗っていた主に高校生らもビビっていた。それで、半グレもの1人が、「やってやるからな!」と大声を出したあたりで、F君が立ち上がって――別の車両の方に歩いて行った。

その途中で、目配せをしたんだよな。高校生らに。「この車両、離れろ」って感じで。で、女の子の方から前の車両に移っていった。いやあ、あれには参ったね。たまにはいいことするんだなって思った。俺には思いつかなかった。

半グレ風の男の1人は、気が付いたみたいだった。席を立つと、F君に近づいていって睨みつけた(さっき叫んでいた奴だ)。F君に視線を向けて、何十秒かバチバチとやりあった後で、元の席に帰って行った。途中、俺達が座っていた座席に痰唾を吐き出した。それも2回。

その後は俺達も前の車両に移った。それから何もなかった。無事に庁舎に帰ることができてよかった。

エピソード②》

あとは、高齢者に優しい。公務中に、道端とかで爺さん婆さんに話しかけられることがあったんだが、F君はきちんと対応していたよ。ちょっと話して去るとかじゃなく、じっくり話を聞いてた。五分以上になることもあったかな。親切丁寧だった。ほかの職員にもあれくらい丁寧に接してほしい。

年配とまではいかないが、俺が休日出勤警備員詰め所の前まで来た時、副市長とF君が一緒にいるのを見た。あの知性の鬼で知られる副市長が、F君と和やかな感じで雑談してたんだ。副市長カードキー探してるところに、サッと自分のを差し入れて扉を開けてた。それで、「副市長今日休日出勤なんすねwwwwww」みたいにふざけてた。

エピソード③》

あとは、なんだったかな。福祉事務所の仕事で、虐待を受けてる可能性がある市民保護施設に連れていく仕事があった。暴力沙汰になっても大丈夫なように、若い職員が中心になって家にお邪魔する――虐待者がいない時間帯を見計らって。今回は午前中だった。

古風な家屋だった。半分空き家レベルの。職員数人でお宅の呼び鈴を鳴らすと、ちょっと事情ありげな(詳細は書かぬ...)お爺さんが出てきて、ああ、この人だなと思った。女性職員がお爺さんに説明を始めて、それではさあ保護施設へ……となったところで、虐待者と思しき人が乗った乗用車がこの住宅に帰って来るのが遠目に見えた。この丘陵地帯には家が数件しかなかった。

「まずい」と思った。こういうのは本来、うちの総務グループ仕事ではないから、自分虐待者と直接対応した経験はない。どうしようかと焦っていたら、F君がその乗用車の方に向かって行った。俺達の視界から消える時に「行け!」とジェスチャーした。

お爺さんを公用車に乗せて、無事に門扉を出た後、F君の姿が見えてくると……虐待者を呼び止めて、どこかに行ってた。おそらく何かコミュニケーションを取って、それとない理由でどこかに案内を求めたのだと思う。グッジョブだった。

これはあれだよ、クソ度胸というやつだ。見つかってたら大変だった。前任者によると、運が悪いと連れ去り事案で警察通報されるらしい。お巡りさん事情を話せばわかってくれるが、当然ながら福祉課に対して「もっとうまくやりなよ……」という警察から指導がある。

休みが終わって、F君が福祉課に帰ってきた。徒歩だった。「大丈夫だったか?」とグループリーダーが聞くと、「問題なしです」と言ってた。F君が席に座ろうとする時、胸襟のところを見るとネクタイや胸ボタンダメージを受けていた。

ここまで書いてて気が付いたが、おそらく俺は憧れの感情を抱いていたのだ。F君に対して。

F君は自由だった。俺はといえば、上司や先輩の顔色をうかがってばかりで、いつもへコヘコして、自分仕事肯定するために法律文や引継書類を探してた。承認欲求も満たされてなくて、週に一度は後輩(特に女性)や臨時職員マウントを取ったりして、そんなのばかりだった。

今思えば情けないが、これが普通20代の男なのかもしれない。商人欲求に飢えている。今思えば、俺も弱者男性のひとりだったよ。だって、弱いじゃん。当時の俺は。今もそうかもしれないけど。ここまで読んだあなたも、そう思っただろ。

でもF君は、いつも堂々としてたし、良くも悪くも人の顔色をうかがわないし、法律や引継資料よりも自分ロジック主体勝負してたし、後輩の女の子臨時職員マウント取ってるのを見たことがない。

俺は自由じゃなかった。それは、俺にとって一番ほしいものだった。でもF君は、全部じゃないけど、そういうのを持ってた。俺と同い年なのに。そういうのが歯がゆかった。

次 https://anond.hatelabo.jp/20231231221404

2023-12-20

anond:20231220171237

増田だよ

患者にわざわざ痛い思いさせて意味もなく恨みを買いたい医者が居るかのような被害妄想」じゃなくて、

医者×女患者の組み合わせが一番死亡率高いってマジなんだなって思うぐらい、痛いって言ってんのを矮小化されんのよ

それこそ婦人科検診で痛いぐらい見にしみて思ってるから出産ていうさらに上の痛みも無視されるんだろな…きついな…てなってんの

出産における一切の痛みが無理っていうよりも

内臓や皮膚や骨を切ったり縫ったりするのに「痛い痛いってみんな我慢してんだよ?」「チッ はあーーーじゃあ麻酔準備してー」「こんなのでいちいち叫ばない!」とか言われるが無理すぎるの!!!

婦人科系の検査受けた人ならわかるけど、痛みない検査かいいながら激痛の激痛で血もまんこからでて、人生で初めて過呼吸と迷走反射神経反射おこして受付で倒れたよ 

そんぐらいの痛さで「痛いです!」ていっても「あーはいはい」みたいなの他の検診でありえる?

前立腺検査デフォルト麻酔ついてるの知ってひっくり返ったよ

2023-12-18

毒親を克服できていなかったかもしれない

就職と共に上京したが、半年適応障害発症して爆散した。

今は心療内科に通いつつ緩く働いている。

心療内科カウンセラーと話をしていたら気付いたのだが、もしかして家族のことが深いトラウマになっているかもしれない。

家で両親がずっと喧嘩していて、ナイフとかが平気で出てくるような家庭だった。中学生だった私は、ベッドの中で寝たフリをして震えてるか、スマホ遺書告発文を書いて泣きながら喧嘩が終わるのを待っていた。

高校大学になってから殆ど家族とは話さず、実家にいるけど全員が一人暮らししているような状態だった。学校にも友達はいなくて、インターネットしかまともに繋がれる人がいなかった。

とはいえ普通に大学は出たし就職もできた。だから大丈夫だと思ってたんだよ。学校に通わせてくれない系や虐待する系の毒親でもなかったから、まあ家庭内不和あるあるだよねーと思っていた。

しかし、適応障害になったときダメだと気付いた。

きっかけは仕事のことだったはずなのに、いつも両親の喧嘩記憶がぶり返しては毎晩発狂した。

ベッドに入ると言い合いの様子がフラッシュバックして涙が止まらない。あのとき親が放っていた汚言が怖くてたまらない。いつ自分に火の粉が飛んできて、怒鳴られるかころされるか不安だった緊張に襲われる。

症状のピーク時は、毎夜狂ったみたいに泣き叫んで過呼吸になって死にかけていた。

最近知ったが、子供の前で親が喧嘩をすることを面前DVと言うらしい。今は児相が出てくる事案になることもあるそうだ。

自分ってそこまで傷ついてたんだなーと今、じわじわ理解してきている。

これまでクラスのはみ出し者で、自分は人より生きづらい性格な気がしていたが、それもその通りかもしれないと思い始めた。たとえば認知の歪みが酷かったり、他人基本的に信用できなかったり、コミュニケーションが上手く取れなかったりする。

しかし私が元々変な人間ということじゃなく、要は虐待されてきた子供と同じように、家庭環境に歪められてしまったのかもしれない。

もう生きづらい自分を責めるのはやめようと思った。

傷付いた自分を認め、許して、これまで頑張って生きてきた自分を褒めてあげよう。

これまで当たり前に自分否定して、何もかも自責にして生きてきた。そして、そのことに気付いてなかった。だから私自身を許してあげた瞬間に一気に生きるのが楽になった。

真剣に、世界の見え方が変わった。人生の第2幕が始まってる。

これからは私が1番私に優しくできるよう、存分に私自身を甘やかしてあげたい。

2023-12-16

3人で暮らしている

私、幼馴染、彼氏の3人で暮らしている。

3人とも二十代後半。

私と幼馴染は幼稚園高校卒業までずっと同じだった。

彼氏とは高校で知り合い夏頃から付き合い始めた。2年生になると私は彼氏と別のクラスになり、幼馴染と彼氏が同じクラスになった。

彼氏に「幼馴染と仲良くしてあげて〜」なんて軽く言ったのだが、幼馴染と彼氏両思いになってしまった。私は全く気が付かず2回くらい3人で遊びに行った。

そして付き合い始めて約一年経った夏休み前に彼氏と幼馴染に話があると言われ、彼氏から「幼馴染と付き合いたいから別れたい」と振られた。

2人と絶交しショックで二週間学校を休んだ。

その後絶交したまま大学に進学。

彼氏は嫌いだったけど幼馴染とは仲直りしたいという思いを抱えていて、幼馴染が帰省したタイミングで会ってお互い泣きながら話して仲直りした。

大学卒業間際に高校の同じ学年全体の同窓会企画されて幼馴染と一緒に向かった。しかし、他の女子の陰に隠れて私と一緒にいると気が付かずに幼馴染の所に来て「幼馴染の彼氏」として接する元彼を見たらショックで泣いてしま過呼吸になった。私はなんと元彼がいまだに好きだったのだ。

その後、幼馴染が彼氏に対して「幼馴染と私の両方と付き合うこと。どちらかと別れたいならどちらとも別れる」という条件を突きつけ、彼氏はそれを受け入れた。

それ以来、一緒に暮らしている。

2LDKで私と幼馴染の部屋があり、彼氏は個室がなく私と幼馴染の部屋を交互に使っている。令和の六条院だ。

これからどうなるかはわからないが、私は大好きな幼馴染と彼氏と一緒に暮らせて現状とても幸せなのだ

2023-12-06

病気という免罪符が欲しい

貴方は"普通"だから何も問題ないだろう

って、思われてんの本当にふざけてる

ヘルプを出しても見てくれないだけだろ

みんな、そうですよね

プロが早めに見つけて、「貴方には問題があります」って言わなきゃ

自殺願望の温床をそのまま隠蔽していいと思ってるんだ

障害があると認めて貰ったあの人も

精神の病と認められたあの人も

手帳を持ったあの人も

何かの病院に通ってるあの人も

みんな必死に、見苦しく生きることを許されててムカつく

普通の印を押された人間が泣いてもがいてると「みっともない」なのに、

アイツらが泣いてもがくと「頑張ってる」になる。

私が何かを出来ないと「無能」扱いだが、

アイツらだと「仕方ない」になる。

ただ、健常者と言われたばかりに。出来ないことが罪として課せられていく。

だって苦しい時は発狂したい

泣きたい

人前で騒いで

不満を聞かせて

過呼吸になったら背をさすって貰って

「薬を飲み忘れたの?」って、私じゃない何かのせいにして欲しい

病院に行けば緩和する」って「貴方の苦しみは和らぐものだ」って言われたい

私も「普通の枠では生きにくい人」なんだって認めてもらいたい

普通ができない人」「一部分野ができない人」って認めてもらいたい

「出来なくていい」って許されたい

「私は病気で苦しいからそっちは自分解決してなんで普通なのに悩んでるの?知能に問題は無いからお前が勉強出来ないのはただの馬鹿だ朝に起きれないのは夜に寝ないからだIQ問題はなかった自律神経のせいにするな自分で整えられるでしょ精神的な不安定さは思春期からだ将来を考えなさい今だけ見るのは幼い嫌な記憶なんて忘れればいいのに馬鹿みたいすぐに忘れるのは馬鹿からだなんでこんなこと出来ないんだそういう所が貴方の悪い所でむかつく改善しなさい人になりなさい人間社会に溶け込みなさい普通になりなさい生きなさい老後も将来も考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えてこっちも必死に考えてるのにさあ、固まっちゃって馬鹿じゃないのそれでどうやって生きていくの?ちゃんと考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて」

なんて、さあ

私には「そういう症状」ってつけてくれないなら

良い顔のフリしたいだけなら

相談所も大人も知り合いも友人も、

みんな私の役に立ってくれないなら

認めてくれないなら

否定したいだけなら

全員消えてしま

どこか遠いところで、私が嫌だって思った面だけ消されてきて欲しい

アイツらだけ狡い

アイツらが憎い

私も助けて欲しかった

2023-12-03

真面目な大学生が堕ちて夜遊び、精神疾患になって休学するまでの話

今日は前に進む決意をした。

休学してからずっと「退学して就職」か「復学」の2択しかないと思ってたけど、小さなことがきっかけで「別の大学通信課程に入り直す」という選択肢に気づいた。本当にやりたかった事をもう一度目指す、それがこれからの私の道だと思ってる。

そんな小さな決意をしたついでに、入学してから休学するまでの事を書き留めておこうと思う。これは自己満足備忘録。もしもこの駄文を見る人がいたら、物凄く不愉快にさせてしまうかもしれない。でも許して欲しい、こういう人間が今この世に実在していること、これからやり直そうとしてることを。

私は幼少期から真面目な人間だった。

常識マナーに囚われたつまらない子供で、白黒はっきりしていない物事気持ち悪かったし、嫌いな物はとことん嫌いだった。自分中心に生きていたらいじめられてしまって不登校に。

そこから人間関係が怖くなって、周りの目ばかり気にするようになった。そして地元で最底辺と呼ばれるような高校に入って、友達ができて、恩師と出会った。楽しい高校生活の中で、とある学問勉強したくなり受験を決意した。

…というのは建前で、本音親族からの期待の目だった。「真面目だった私子ちゃんなら良い大学に入れる」「大学に入ってこそ」と古い価値観を幼少期から植え付けられていた私には、失望されるのが怖かった。

必死努力して合格した第一志望の大学

正月の親戚の集まりで褒められて、両親に渡される「合格祝い」と書かれた大金

そして比較される高卒の親戚。「私子ちゃん大学合格してすごいけど、親戚くんは……」

これで良かったはずなのに、気分が悪かった。

そうして低すぎる自己肯定感を背負って、大学一年生が始まった。完璧主義が悪い方向に働き、「全科目A以上は取れないとダメだ」と自分を追い込み、朝6時に家を出て夜の21時に帰宅する生活だった。見た目に関しても周りから浮かないように必死で、服を毎月買いまくり周りと比較しては死にたくなった。

思えばここら辺から異常だったんだと思う。

私は「学校は小さな世界で、その外には大きな世界が広がっているから、学校人間関係に囚われる必要は無い」というスタンス高校生活を過ごしてきた。しかし、大学に入った途端「大学世界の全て」になってしまった。外の世界が見えなくなった。

1人で授業を受けていることに対して何か言われるのが怖くて、友達を作ろうと必死だった。やっとできた友達は授業中にずっとスマホ、周りの人間もみんなスマホ。当たり前の景色なのに、「なんでここの人達大学に入ったんだろう?」と疑問に思ってイライラするようになった。

必死に話を合わせて笑って、「高校の頃はこんなじゃなかったのに」「情けない自分になった」なんて何度も思った。真面目にメモを取ってると、「真面目だね〜〜」なんて言われて、浮くかなって不安になって、メモを取るのが怖くなった。高校時代の友人からの遊びの誘いを断るようになり、大学勉強や浮かないファッションを探すのに必死だった。

がむしゃらに駆け抜けた数ヶ月、前期の終わり前に家族が亡くなり、ショックで2週間ほど外に出られなくなった。ここでS評価が取れないのは確定してしまった。一気にやる気がなくなり、手を抜いてテストを受けた。単位ひとつも落とさなかったけど、Sは2科目しか取れなかった。

そして夏休みに入った直後、はじめてのパニック発作が出る。何か調子が悪いんだろうと思っていたが、その後も大学の事を考えると過呼吸になる。メンタルクリニック受診したら、パニック障害の診断が下った。

そして休む間もなく後期が始まる。

その頃にはSNSで仲良くなった同じ大学の人たちと関わるようになった。6人くらいで形成された学部混合のグループの中で、愚痴や悩みをツイートして、慰め合う。そんな関係だった。

ずっと居場所がないように感じてた大学にようやく居場所を感じた。

ただ、私があまりにも弱すぎた。

その友人たちに合わせて、授業を飛んだりピ逃げするようになり、見た目も勧められるがままに金髪にして、高校の頃の恩師にドン引きされた。

未成年飲酒なんか大っ嫌いだったのに、みんなと一緒にいる為には……! と何度もお酒を飲んだ。周りに合わせて大量に飲んでは、記憶飛ばしたり、帰宅後に吐くような日々。

どんなに楽しんでも孤独感と疎外感が強くて、常にみんなについて行くことに必死だった。授業中Twitterが見れないと不安で、ずっとスマホをいじってた。単位を落としそうになったら救済を求め、行こうとしたら発作が出て、もう滅茶苦茶な生活になってた。

大学以前からの友人たちにもドン引きされてたけど、大学で居場所が無くなるよりはマシだと思った。そしてテストにも遅刻しかけて、修得単位は16。終わったと思った。

そのまま冬休みに入って、また飲みに行ったりする日々。どんどん心の調子が悪くなって、薬を増やした。良くならなくて、また流れるように2年前期が始まる。今期こそ真面目にやろう!と思っていた。

しかし、5月から、本当に大学に行けなくなってしまった。布団から出られない、外にも出られない。ご飯も食べられなくなり、トイレに行くだけで床を這いつくばって10分。自分でも何が起きたかからなかった。情けなかった。死にたかったけど、死ぬ気力すらなかった。

絶望的な2ヶ月をすごして夏休みに入り、休学を決意したが、8月半ばに突然元気になった。あまりにもパワーが溢れるもので、大学に行きたくて仕方がなかった。でも夏休みでやってないし……ってことで、ずっとダンベルを握りしめてた。とにかくトレーニングエアロバイクを漕ぎながらアニメを見る。最高!!!!!元気!!!!!周りが大丈夫なの?とか言ってたけど、全然問題ないと思ってた。やっと素の自分に戻れたと思った。

……で、10月に入り、また死にたくなった。

布団から出られない、ご飯が食べられない。生きてる心地がしない毎日絶望感、希死念慮

飛び降りようとしたタイミングたまたま高校時代の友人が心配して家まで来てくれて、号泣しながら話を聞いてもらったりした。それでも死にたくて、死ぬ手段をずっと考えてた。

大学の友人が1人、物凄く心配してくれていた。

気分転換に飲みに行こう」と言われ、復学後のことも考え何とか準備をして飲みに行った。またいつも通り煽られるまま飲んで、気がついたらその人とラブホテルにいた。訳がわからないまま豪華な天井からぶら下がったシャンデリアを眺めていた、あの光は今でも脳裏に焼き付いている。飲みに行きまくってる癖に男性経験殆どないようなものだったので、相手必死に挿入しようとしても入らなかった。あまりの激痛に叫んでしまい、ハッと酔いが覚めて、もう帰ろうと言ってホテルを出た。最悪の気分だった。本当に死んだ方がいい、このまま電車に飛び込もう、と思ったけれど、山手線にはホームドアがついていた。ここが私のどん底だったと思う。本当に最悪だった。

早く病院に行けよ、という話だが、私はメンタルクリニックの定期受診の日を待っていた。予約の電話をするのがめんどくさかったからだ。

そして定期受診当日、なんとか向かうと、担当先生が見たこともない表情で私の話を聞いてくれて、双極性障害と診断された。

薬を増やして数週間、効いてきたのか調子が良い。躁状態ほど明るくないが、鬱状態ほど暗くはない。

ゆっくりと過ぎ去る日々を落ち着いた気持ちで過ごせている。

落ち着いてる今だからこそ、自分が何故あそこまで周囲の目を気にしていたのかよくわからない。

自分を曲げてまで周りに合わせることも、本来大学目的が見えなくなってしまたことも、何もかも、馬鹿馬鹿しかったなと思う。何より、大学以前の友人は変わらず気にかけてくれて、ずっと仲良くしてくれていたのにそれが見えなくなっていたことが情けない。20歳になってからは、お酒殆ど飲まなくなった。友達と会う時も、着飾りすぎるのをやめて、自然体で公演を散歩するような過ごし方をしている。これからも、目の前のことに必死になって自分本来目的を見失うことがあると思う。でもこんな地獄みたいな経験をしたからこそ、去年〜今までのような事にはならないと思う(思いたい)。

人生は失敗ばかりだけど、失敗から反省することで成長できるとよく聞く。それを信じて、大事ものを見失わずに程よく頑張って生きていきたい。

自分が全てを忘れないために勢いで書いてしまったので、あまりにも駄文だと思う。不愉快にさせていたら申し訳ない。

これを読んでいる人も、読んでない人も、みんなが幸せ毎日を過ごせますように。

2023-10-28

自分を責めるあまり涙が出てしまうことについて

 社会人になって2年目も後半に差し掛かる23歳の女だが、とにかく打たれ弱い。それはもう、とてもひどく。

 

 たとえば、仕事ちょっと失敗をして、他部署の方に迷惑がかかってしまったときそもそもベースとして「私のせいで迷惑をかけた」という申し訳なさを、人一倍強く感じる性質で、これだけでもズン……と見るからに落ち込んでしまうのに、そこに相手から「本当だよ、気をつけてもらわないと」などとほんのりチクッと言われた日には、もう、この世の終わりである。「本当にそうですよね」と自分を責めて責めて責め倒す、精神崩壊ピタゴラスイッチが始まってしまう。

 

 1人で勝手ピタゴラスイッチしている分にはまだ良くて、私の何が面倒かって、涙も勝手に出てきてしまうのだ。これがとにかくたちが悪い。私が「ごめんなさい」と泣いてしまうことによって、本来私が悪いはずなのに、相手方に「自分が泣かせてしまったのではないか」という罪悪感を抱かせ、かえって気を遣わせてしまう。これが本当に困っている。相手パワハラセクハラ常習犯だとか、そんな人間性に難のある人ではなく、ごくごく一般的な良い人だと分かっているので、尚更申し訳なく思う。

 

 相手からしたら知ったこっちゃないだろうが、このとき私としては本当に泣くつもりはなくて、気を遣わせてしまっている最中には、ただただ感情コントロールできない自分に対して嫌悪感を強めている。

 そのくせプライドが高く、いつだって良い子だと思われていたいから「すぐ泣く奴だと思われた」「会社で泣く面倒な奴だと思われた」「今後何かあってもコイツには強く言えないなって思われた、腫れ物のように扱われるかもしれない」というマイナス思考をひたすら誘発し、そのまま「どうして私はこんな人間なんだろう」と自己否定が止められないでいるのだ。

 

 言ってしまうと、この話は昨晩会社で起こったこなのだが、一通り謝罪をしてその場を去り、家に帰ろうと車に乗った瞬間、迷惑をかけてしまった自分が情けなくて、仕事のできない自分が嫌で、涙が出てしま自分も、それで気を遣わせてしま自分も許せなくて、更に激しく涙が溢れ出てきた。そのまま過呼吸になってしまい、手が痺れて動かなかったので暫く運転ができなかった。めちゃくちゃにも程がある。

 

 

 仕事でここまで酷いケースはこれまでなかったが、過去には恋人に対して私の言動で嫌な気持ちにさせてしまったり、困らせてしまったりしたとき上記のような過剰反応を起こしている。

 今はもう別れているが、当時はこんなに不安定彼女相手をさせて、本当に可哀想だったと思う。実際、このような状況に陥ったときには「俺はどちらかと言うと(迷惑をかけられたという意味で)被害者なのに、そっちが泣くから俺が悪いみたいになってる」「あなたにそのつもりがなくても、勝手にそうなっちゃってるんだよ」と、大正論をかまされていた。

 

 ここまで来ると、流石に何らかの病名や症状名がついてしまうような気がして、調べてみたが専門的な用語が多くていまいち自分が何に当てはまるのか、よく分からなかった。ただ拒絶過敏性だとか、白黒思考のようなものは、そのまま私のことだなと思ったけれど。

 病院に行って、診断?を下されたら、この性格を治す方法が分かるのだろうか。涙ばかり溢して人に気を遣わせたり、困らせたりしたくない。自分を責めすぎずに生きられるようになりたい。何から手をつけて、現状を改善していけばいいのかな。

2023-10-01

[]anond:20231001190816

1979年まれ地方出身

1979年に生まれ東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。

出張で不在が多い父、専業主婦の母、祖父、4歳下の弟、私。

母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。

父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。

母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。

はいつも、自分子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。

中学校時代は、優等生で過ごした。

友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。

周囲を見ても、いじめヤンキー障害がある子へのからかい普通にあった。

部活運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。

高校時代部活顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。

大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。

こんな分野の勉強をしても、就職出来るはずがない。

県内大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。

絶望した気分で過ごし、勉強する気持ちも失った。

結局、県内簡単に入れる大学に進学した。

大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。

就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。

パワハラセクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性喫煙可能環境だった。

新卒3年目のころ、ストレス食事が出来なくなったこともあった。

こっそり精神科に通いながら働いた。

あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。

途中、結婚子供も出来た。

家事育児ほとんど自分がしている。

夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児負担することは、今もない。

専業主婦の家庭で育った夫、義母完璧家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。

1970年代まれの夫、そんな家庭はたくさんあっただろう。

育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。

仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。

それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。

負の連鎖を止めたいけど、何故自分ばかりが。

今日はその気分が強くて吐き出した。

いまの中年世代で、同じような人はいるかなと思って。

1979年まれ地方出身

1979年に生まれ東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。

出張で不在が多い父、専業主婦の母、祖父、4歳下の弟、私。

母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。

父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。

母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。

はいつも、自分子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。

中学校時代は、優等生で過ごした。

友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。

周囲を見ても、いじめヤンキー障害がある子へのからかい普通にあった。

部活運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。

高校時代部活顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。

大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。

こんな分野の勉強をしても、就職出来るはずがない。

県内大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。

絶望した気分で過ごし、勉強する気持ちも失った。

結局、県内簡単に入れる大学に進学した。

大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。

就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。

パワハラセクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性喫煙可能環境だった。

新卒3年目のころ、ストレス食事が出来なくなったこともあった。

こっそり精神科に通いながら働いた。

あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。

途中、結婚子供も出来た。

家事育児ほとんど自分がしている。

夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児負担することは、今もない。

専業主婦の家庭で育った夫、義母完璧家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。

1970年代まれの夫、そんな家庭はたくさんあっただろう。

育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。

仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。

それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。

負の連鎖を止めたいけど、何故自分ばかりが。

今日はその気分が強くて吐き出した。

いまの中年世代で、同じような人はいるかなと思って。

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