はてなキーワード: 享受とは
夫婦別姓でわからないのが、自分にとって苗字がどうでもいいからだ。
というか下の名前含めて正直どうでもいい。100万で変えてくれと言われたら全然変える。
前述のとおり諸事情で姓を変えているのだが、実際にそれで何か問題になったことはない。
確かに手続きはクッソめんどうだったが、世の中に面倒なことなどなんぼでもあるので、自分はあまり気にならなかった。
自分が求めるのは結婚できることじゃなくて、外でデートしてるときに気兼ねなく手をつなげるとか、そういうことです。
同性愛者のカップルは共に稼いでいたり、法律婚によるメリットをあんまり享受できないと思うんですよね。
手術の同意書にサインできない、はそもそも本人の手術なのに家族であっても他人の同意が必要な意味がわからないし、
法律上の家族じゃないと面会が出来ないとかは、病院の制度がおかしいんじゃないでしょうか。
どちらも制度があることによって幸せになるひとがいるならとは思うので、国民投票とかあれば普通に賛成には入れるけれど、幸せってそういうことなんだろうか。
相手の知性を軽く見て、未来が読めない愚か者だと決め付けて上から目線で嘲笑するという時点で
氷河期世代の負け組の絶望がどれだけ深いかを全く分かっていない。
20年ほど前に赤木智宏って人が雑誌に載せた「希望は戦争」という文章に対して説教していた人達と同じだよ。
戦争で一番痛い目を見るのは自分達のような社会的弱者だと言われたところで、そんなのとっくに分かっているけれど
それでも平穏無事に幸福を享受している中間層にも少しでも痛い思いをしてほしいという、社会全体を巻き込んだ自殺願望でしょう。
国民民主党に入れている氷河期世代も多分同じような心情なんだろうと思う。
非正規の敵は正社員じゃなくて経営者や資本家だとか言われても、労働運動で自分達だけが利益や身分保障を享受し、非正規を踏みつけてきた時点で正社員労働者も十分に「敵」だよ。
当の赤木智宏はライターとしての職を得て成功したみたいだけど、そんな人ばかりじゃないんだよ
氷河期負け組の殆どは浮上する事などできず、非正規や無職の底辺のまま這いずり回り、
たまに正社員になれたとしても下の世代よりも低い賃金で貯蓄もできずに苦しんでるんだよ。
勿論結婚や子供なんて到底無理なので、自分達が死んだ先の事なんてますますどうでもよくなる。
それでもまあ、男の場合は若い女と結婚して子供を産ませてワンチャン、という夢も見れるけれど
女の場合はどう足掻いてももう完全に手遅れだならな。そんな氷河期負け組の女に対し、
マジで徴兵なり強制労働なりされなきゃ自分達が享受してたものの有り難さなんてわかんねえんだと思う。
他責思考すぎんだよ。お前が政治を変えるっていう意思も行動もしなかったんだよ。
ただの弱虫が沢山いて、ただ死に行くだけの奴隷が沢山いるだけの社会。
そりゃあポスト貴族社会じみますわな、本当は投票権とかいう高等なものなんて思考だけは賢こぶってるカスには扱いきれねえもん。
ここで俺がバカにしてるのは莫大な富を得た経営者とか先祖代々の地主とか富豪とかじゃなくて、労働収入をコツコツためて何%ルールだかで取り崩していこうとしている人ね 自分の最低限度の生活費の何十倍かを用意して、その運用益で生きていこうというわけだ
いや、なんで残りの人生何十年間で自分の生活費が変わらない前提なの?現代経済の最大の問題は世代別人口比の偏りによる生産人口の不足で、要はお金があっても人がいない社会になるわけじゃん
GDPに占める第三次産業の割合が高まり続ける現代では、自分のために何人の人間を金払って働かせられるかが豊かさの源泉になるわけで、人手不足で人を雇うコストが高まれば、当然生活コストのインフレ圧力は加速的に高まり最低限度の生活費はどんどん上がっていく さらに現状住居費が安い田舎の方から人手不足でゴーストタウンになっていくわけで、近い将来大多数の人間は住居費の高い都市部へ段階的に移動せざるを得ない
年金だって、国家の安定を維持するために一定の所得代替率を保とうと思えば、支給開始年齢を後ろ倒しにすることは避けようがないわけで、自己資金で賄わなければならない期間は長くなる一方だ
さらに、FIREしようとする人は当然独身子なしがほとんどだ。少子化が進むなかで、国家が独身老人の社会保障を保つインセンティブはどんどん薄くなるため、自分に介護や高度医療が必要になるころにはそれらを享受するコストが爆上がりする可能性が高い
今後の日本で生き残るのは、金銭のやり取りを介さない人的資本と、社会保険の世話にならない程度の健康体と、70代まで安心して働ける場所を持つ人間になるわけだが、労働の苦しみから逃れようとしてFIREする層がそれらを獲得したり代替する戦略を練ってる感じはしない FIREする人は社会がどんどん悪くなっていくという確定的な未来に目を背けて、もっとも頭も体も元気な時期に金銭収入を得ないツケを老後の自分に払わせることになるだけだと思う
レディースの服を買う人達はポケットがないことで安価に服を買えてる。
すでにそのメリットを享受している状態で、そんなことも考えずに自分の気に入らないことを簡単に差別扱いしている。
そんなのただのクレーマーじゃん
仮に、スカートの両サイドにちゃんとしたポケットをつけるために30秒かかるとして(実際はもっとかかるだろうけど)、それを1000着作ったら30秒×1000着で8時間以上余計に時間がかかる。
海外の工場がどういう勤務体系なのかは知らんけど、9時17時だとしたらその工程を増やすだけで1日以上余計に工場を抑えておかなきゃならなくなる。
それでも、今文句を言ってる人達は買うかもしれないけど、今まで文句を言わずに買ってきた人達は買わなくなるよ。
誰がなんと言おうが、レディースの服のポケットは「なくても売れるもの」だから。
よく「レディースの服はメンズのそれと比べて安い」と言われるけど、そういうところでコストカットしてるからだよ(それだけでなく他にも材料費や需要の違いなどの理由もあるけどね)。
レディースの服を買う人達はポケットがないことで安価に服を買えてる。
すでにそのメリットを享受している状態で、そんなことも考えずに自分の気に入らないことを簡単に差別扱いしている。
そんなのただのクレーマーじゃん。
うむむ…。
Pixiv を眺めていて、素敵なイラストを見つけたので、ふと概要欄を見てみたら
のような事が書かれていた。
ずいぶん迷ったが同族の二次元ロリコンとして、流石に看過できず。
できるだけキツくならないようにコメントで注意した。
悲しい。
女性の根本的な心理的安全性に関わってくるので議論は苛烈になりがちだし、まだまだ結論は出ないだろう。
だけど公衆浴場で他人の裸をジロジロ眺めないことは、流石に必要な態度ではなかろうか。
異性愛者だろうと。
まして子どもはプライベートゾーンの大切さを十分に認識できていないだろうから、より丁重に扱わなければならないと思う。
ブロックされて、まるで悪人のように扱われたのは腹立たしいが、しかし後悔はない。
俺は正義を行なった、と思う。
ロリコンとして、子どもの性を搾取した結果を享受したくはないから。
イラストレーターが反省して態度を改めてくれることを望みます。
でも。
実は、モヤモヤと悩んでいる。
性を搾取?
平均の手取りでは日本は東南アジアに追い付かれつつあるという話を見かけた。まぁこれだけ「衰退」が叫ばれている日本だからそりゃ追い付かれるよなとは思う。
ただ一方で、それでもなお例えば日本から東南アジアに旅行するのって別に「日本と同等の先進性」を求めているわけではなく、言い方は悪いが大抵は「未発展性」を求めるのが一般的だと思う。
じゃあ1人当たりの収入は殆ど変わらないのに日本と東南アジアじゃ何が違うのかというのを考えてみた。
まず一つの側面として「お金で手に入らないもの」の差があると思う。
例えばインフラだったり、公衆衛生だったり、もしくは国民全体の教育レベルだったりという、日本にいればあまりお金のない人でも普通に享受できるけど海外ではいくらお金があってもそもそもアクセスできないというものがある。
つい先日東南アジアの国に旅行に行ってきたが、確かに発展している地域では高層の建物が多いし日本と変わらないレベルで洗練されたお店や若者の先進的な文化が見られる。でも一方で街を歩けばそこかしこに「汚さ」や「雑さ」が見えるし、行きかう車の運転は滅茶苦茶荒いし、日本に生まれ育った身としてはよくこんな環境で生きていけるなと思ってしまう所は正直ある。
もちろん昔の日本もそうだったのだろうと思う。私は平成初期の生まれだが小さい頃はまだ昭和の雰囲気が残っていたし。でも一応は戦争でボロボロになってからも早々に復興して先進国の仲間入りをしてから現在までそれなりに時間が経っていて、その年月の積み重ねによる財産が貧乏になった日本にもまだ残っているという事だろう。その点は急激に発展して追い付いてきた国にはまだ無いのはある意味当然だとも思う。
もう一つの側面として「お金で手に入るもの」の差もあると思う。
日本は平均的には貧乏とは言うが、それでもある程度の年収まではなだらかに分布しているようにも思う。年収300万の人も多いけれど、でも500万、700万、1000万ぐらいもそれなりに多くいて、ほとんどの人が平均年収付近に固まっているという訳ではない。
格差社会とも言うけれど、それでもまだ極端なレベルではなくて、繰り返しになるけど分布はあくまでなだらかだ。アメリカなんかはもっともっと格差が凄いと言うしね。
で、そういう経済構造なのもあって「貧乏~中流~上流」までどの段階にいたとしてもそれぞれの収入に応じたモノやサービスにアクセス可能だ。普通のサラリーマンの収入の範囲なら「これ以上稼いでも使い道が無いよ」ということはほぼ無くて、収入が増えたらそれに合わせてお金を出せば段階的に質の良いものが手に入るようになっている。
これが急激に発展している国では、一部のお金持ち向けのお店を除けばどれも質がイマイチみたいなことが多いように思う。仮に今より稼いだとしても今よりも質の良いものにはアクセスできなくて単に量や頻度が増えるだけだったりとか。
こういう部分もまた日本が豊かだと感じる所だったりする。
https://darioamodei.com/machines-of-loving-grace
・Behavioral interventions. I haven’t much mentioned it given the focus on the biological side of neuroscience, but psychiatry and psychology have of course developed a wide repertoire of behavioral interventions over the 20th century; it stands to reason that AI could accelerate these as well, both the development of new methods and helping patients to adhere to existing methods. More broadly, the idea of an “AI coach” who always helps you to be the best version of yourself, who studies your interactions and helps you learn to be more effective, seems very promising.
(Google翻訳)
・行動介入。神経科学の生物学的側面に焦点が当てられているため、これについてはあまり触れていませんが、精神医学と心理学は、もちろん 20 世紀を通じて行動介入の幅広いレパートリーを開発してきました。AI が、新しい方法の開発と、患者が既存の方法に従うのを支援することの両方で、これらを加速させる可能性もあるのは当然です。より広い意味では、常に最高の自分になれるよう支援し、あなたのやり取りを研究して、より効果的になる方法を学ぶのを手助けしてくれる「AI コーチ」というアイデアは、非常に有望に思えます。
・Everyday problems that we don’t think of as clinical disease will also be solved. Most of us have everyday psychological problems that are not ordinarily thought of as rising to the level of clinical disease. Some people are quick to anger, others have trouble focusing or are often drowsy, some are fearful or anxious, or react badly to change. Today, drugs already exist to help with e.g. alertness or focus (caffeine, modafinil, ritalin) but as with many other previous areas, much more is likely to be possible. Probably many more such drugs exist and have not been discovered, and there may also be totally new modalities of intervention, such as targeted light stimulation (see optogenetics above) or magnetic fields. Given how many drugs we’ve developed in the 20th century that tune cognitive function and emotional state, I’m very optimistic about the “compressed 21st” where everyone can get their brain to behave a bit better and have a more fulfilling day-to-day experience.
(Google翻訳)
・臨床疾患とは考えていない日常的な問題も解決されるでしょう。私たちのほとんどは、通常は臨床疾患のレベルに達するとは考えられないような日常的な心理的問題を抱えています。怒りっぽい人もいれば、集中力に欠けたり眠気を催すことが多い人もいれば、恐れや不安を感じたり、変化に反応しにくい人もいます。今日、覚醒や集中力を高める薬(カフェイン、モダフィニル、リタリン)はすでに存在していますが、他の多くの以前の分野と同様に、さらに多くの薬が開発される可能性があります。おそらく、そのような薬はもっとたくさん存在し、発見されていないでしょう。また、標的を絞った光刺激(上記のオプトジェネティクスを参照)や磁場など、まったく新しい介入方法もあるかもしれません。20世紀に認知機能と感情状態を調整する薬がどれだけ開発されたかを考えると、誰もが脳の働きを少し良くし、より充実した日々を送れるようになる「圧縮された21世紀」について私は非常に楽観的です。
・Human baseline experience can be much better. Taking one step further, many people have experienced extraordinary moments of revelation, creative inspiration, compassion, fulfillment, transcendence, love, beauty, or meditative peace. The character and frequency of these experiences differs greatly from person to person and within the same person at different times, and can also sometimes be triggered by various drugs (though often with side effects). All of this suggests that the “space of what is possible to experience” is very broad and that a larger fraction of people’s lives could consist of these extraordinary moments. It is probably also possible to improve various cognitive functions across the board. This is perhaps the neuroscience version of “biological freedom” or “extended lifespans”.
(Google翻訳)
・人間の基本的な経験は、もっと良くなる可能性があります。さらに一歩進むと、多くの人が啓示、創造的なインスピレーション、思いやり、達成感、超越、愛、美しさ、瞑想的な平和といった特別な瞬間を経験しています。これらの経験の性質と頻度は、人によって大きく異なり、同じ人でも時期によって異なり、さまざまな薬物によって引き起こされることもあります(ただし、多くの場合は副作用があります)。これらすべては、「経験可能な空間」が非常に広く、人々の人生の大部分がこれらの特別な瞬間で構成されている可能性があることを示唆しています。さまざまな認知機能を全面的に改善することもおそらく可能です。これはおそらく、神経科学版の「生物学的自由」または「寿命の延長」です。
発達障害持ちでスペックが低い上、達成感とかの青春な感情を体験できなかった自分からすると夢のようだが、同時にこういうのを人工的に作れて皆良い人間になれるのってなんか怖くもあるな
というのを考えたので駄文投下。
点数の公表は要らない。
点を公表すると、その点数だけで評価する有権者が出過ぎる懸念がある。
大学レベルの勉強が仮に満点で出来ても、それほど大きな意味はない。
足きりで良い。
ともかく、政治家に政治経済に関する最低限の知識と知能を保証しろ。
国民投票で信任を問うな。
国民は素人だ。ほとんどの人は、ほとんどの争点を知ったこっちゃない。
「良い人そうか」、「真面目そうか」くらいでしか素人は評価できない。
それよりも100兆を超える国家予算を適正に運用することの方がよほど重要だ。
例えば「今期、行ったこと」や「来期以降、やるべき課題」を閣僚や野党の党首等の重要な責任を担う議員が45~60分程度でプレゼンし、それを財界のトップ、学者、シンクタンクやメディア出身者などの専門家が批評して、どこか放送しろ。
合計2時間。毎週でも良い。
国営放送でもいい。
現状でも政治の討論番組は多いが、「プレゼン⇒指摘、批判、提案⇒それに対する返答、再批判」という形式はない。
討論はその場の思い付きの話ばかりで、話が発散する。
万が一にでも、うまくこの過程が熟すれば、
ができてくる。
そうでなくとも、プレゼン⇒批判⇒返答のプロセスはエンタメとしても政治的評価としても意味があるからやってみろ。
「更地にするにも金がかかるし」で放置されてる商店や空き家が増えすぎ。
商店街なんて、数件そういう空き商店が出始めたら、客足が遠のき、さらに空き商店が増加する。
この負のループによってシャッター商店街化してる場所が日本全国で多すぎる。
しかも、子育て世代が住みたいと思える駅前の土地が、そういう形態で放置されている。
商店に定額の税金をかけて、「やってない商店を物件として保持し続けるくらいなら、売却しよう」という動きを促せ。
それか補助金をだして、立ち退きを促せ。
また相続が不明になって、空き家として放置されている物件も多い。
今後も増えるだろう。
最近、ようやく相続登記の義務化があったが、刑罰が10万円以下の罰金となってるが、土地を公有地にしてもっと早急に競売にかけることまで制度化したほうがいい。
一般論として、土地の有効活用とか都市の再生計画をもっとマニフェストの前に押し出せ。
そろそろ手遅れだぞ。
その結果がこれだ。
むしろ、既に書いたような都市再生のための規制改革の方が大事だ。
「高校無償化」等、教育費ばかりが政治的争点になってるが、家も子づくりと重要な関係を持つ。
都市部だと、一部屋増やすと、家の価格が数千万上がることだってある。
「3人を上限に、子供一人当たり、住宅ローン0.5%減」くらいが当たり前にならないと、子供を持つ余裕なんてない。
わざわざ子供を作りたいと考えてる世帯のことを全力で支援しろ。
保育園もようやく待機児童がなくなってきたが、次の問題は小学校以降だ。
夏休み等の長期休暇はどうするんだ。
教員は反対するだろうが、託児所的な役割を担ってもらわないと社会が回らなくなっている。
長時間労働を理由に部活動を無くすのは構わんが、長期休暇中といえど平日は通常業務をしろ。
完全な過疎地域は諦めろ。
人口減少社会で過疎地域の地方創生が机上の空論というのは爺婆しかいない地方の人間が分かり切ってる。
もう手遅れだ。
都市圏の郊外のベッドタウンでさえ、上述のように、シャッター商店街問題が続出してる。
地方都市に関しては、長崎スタジアムシティだとか、北海道のエスコンフィールドみたいに、エンタメ+商業施設等で再生するのが昨今の成功事例か?
特にバスケやバレーで使うアリーナは、他のイベントにも使えるから上手く有効活用しろ。
どちらも今、成長産業だ。
芝がサッカー以外で使えない。
過疎地域で起きた大規模災害の被災地の復旧とか夢を見すぎるな。
現実的には、大規模な被災をしたら若い世帯はさっさと転居して、余計にその地域の過疎化は進む。
完全復旧なんて夢物語だ。
どうせ無理だから、被災していない近隣都市部の郊外に公営住宅を準備する方がコスパ良いだろ。
文句は出るだろうが、大規模な災害がある時点で不満が出るのは仕方ないと腹をくくった対応をしろ。
判断力が無い未成年者に投票権がないなら、判断力が低下してる超高齢者に投票権があるのもおかしいだろう。
とりあえず、穏便に100歳以上の投票権を撤廃から、徐々に切り下げていけ。
90歳や85歳くらいまで、引き下げられたら、上述の地方切り捨てをしても、選挙に影響もなくなるはず。
まあ、これを実施するのが実質不可能なのは分かり切ってるから、未成年の子供に投票権を付与するのが代替案だ。
そして、実質的に保護者世代がその投票を担えば、高齢者の影響を薄めることが出来る。
18歳ではなく、15歳、12歳と引き下げていけ。
85歳以上は更新停止だ。
そもそもそうやって、自分たちの良さを自覚できなかったから、例えばガラケーの市場を取れなかったのではないか。
上手くマーケティングすれば、日本の品質改善型・コストカット型ビジネスも世界に出れる余地はないのか。
受験の難問を解けるようになることに、若くて頭の良い人間が労力を割きすぎだ。
ある程度の成績が良い人間は、大学科目の勉強に進めるような形態に変化しろ。
ともかく、難問を解かせるよりも、さっさと受験勉強より上位の科学等に取り組ませろ。
かなり大きな教育改革となるが、受験勉強に割かれている若年層の多大な労力を、より生産的な努力に転換することは重要だ。
アメリカ型のエッセイ+共通テスト+成績でも良いかもしれない。
いまどき、文系でも統計、データサイエンスの知識は最低限必要。
そもそもだが、任意とか存在とか、必要条件と十分条件みたいな数学の基礎概念を理解してないと、論理的な会話は不可能。
日本で頭良いやつを育てられるような教育制度を作るより、頭良いやつを海外に送って教育してもらう方が安上がりかもしれん。
企業も、マイナー競技のスポンサーとかするよりも、ハーバードやスタンフォードに留学する学生を支援するスポンサーがあってもいいんじゃないか。
こんな感じだがどう思う?
『インターネット上の性的な広告の規制を求めます!』という署名がSNSで流れてきたので内容を読みました
85%くらいは賛同できる。
だって、自分もエロ広告「うわ」と思いながらxボタン押してるし
エロが嫌いな訳じゃないし進んでみる分にはなんとも思わないけど そうじゃないときに強制的に見せられるのは眉ピクなんだよな
というか性的かそうでないかというのに関わらず、「こういうタイプの広告ですよ」と広告主がタグ付けする義務とか課して
消費者側が「見たくない表現」をタグごとに設定して避けられるシステムとかあれば自然に拒否されにくい広告が増えていくんじゃないかなとか思った事はあるのだが
この署名ページの「この署名で変えたいこと」の文章で一箇所怪しげな部分があって賛同できない↓↓
>実際に性犯罪者が、漫画や児童ポルノの影響を受けた、ということがあり、歪んだ性的情報は歪んだ性的欲求を引き起こす可能性があります。
これ。
仮にそういう考えを「正しいもの」と主張したいなら、学者が出してる論文や研究結果のデータを引用して出典を明記しないとダメですよ。
無根拠に言うだけじゃただの妄想だし偏見以上のものになり得ないし、出典明記がないとそれこそ「詐欺広告」と同レベルの胡散臭さが付与されてしまう。
いやいやちゃんとそういう論文を読んだし、データも自分自身で見たんです!ということなら今すぐ出典を追加した方がいい。
この一文だけで「もっともらしい賛同しやすい見解に紛れて世論を誘導しようとしてる?」と疑ってしまう。
「『性的創作物は性犯罪を起こす』とこれだけ多くの人が賛同してます!」って。対立煽りの種にしようとしてる??ように見える。
その他の文にはまあまあ賛同できるだけにものすごく勿体無いので、もし何の悪気もなく、かつ無根拠ならこの部分は削除した方がいい。
確かに、自分も「右も左も分からない幼子」にいきなりエロ広告をドカドカ見せるんじゃなくて、ちゃんと「自分の体のことを知って、自分と他者の体も大切にしよう、尊重しましょう」という性教育と「創作と現実を一緒くたにしないようにね」というリテラシー教育をしてから娯楽享受に移る方が順序的に無難と思いますよ。
でもそれって「(性)教育の正常化」の問題であって「消費社会の中の広告表現のゾーニング・コントロール」の話とは微妙にレイヤーが違くないですか?
広告も、ある程度消費者側が見るものを選べるようにシステムが整ったら嬉しいけども、
子供の教育に関しては全ての発信者をコントロールしようとするよりも教育の現場を変える方が現実的だと思うので
もし、単純に「見せられる広告を消費者側がある程度リジェクトできる制度を作りましょう!」って話なら大賛成なので、そういう署名が出たら賛同することにします……
医療機関勤務。
でも、やっぱりついて行けない人は多い。こういう施策を決める人の周りにはいないかもしれないが。
子供の保険証だってお母さんが管理するんだから、目的に対して1つの証明書であったほうが、管理しやすい。みんな、保険証と、受給者証と母子手帳と、お薬手帳を一つにしてる。
受付の仕事が単純に増えた。それぞれはなんてことない操作なのだが、対面でついていないとできない人が多い。いままでは保険証を預かるだけだったのだが。
だから、メリットの大きい人、レジリエンスの大きい人から「保険証廃止、実質義務化」すべきだった。
私の考える、その対象は「社会保険本人(以下、社保本人)」だ。(+職域国保)
それ以外の、社保家族、国保本人・家族、高齢者は、希望者だけにすればよかった。
社保本人は働いているのだから、手続きも自分でできるし、子供や高齢者もいない。そして、様々なマイナ保険証のメリットを受けやすい層だ。
家庭であれば、大黒柱のお父さんがそれで、フルタイム夫婦ならその双方だ。子供や、引退した祖父母などは除かれる。
そういう人が、まず、マイナ保険証に慣れて、メリットを享受することで、家族や親戚に周知することができる。
こうして、ある程度浸透してから、全面的に保険証を廃止しても良かったのではないか。
不正使用を防ぐことが一つの目的だと聞いたことがあるが、どの保険証種別にどれだけの不正があるのか(ありそうなのか)は聞いたことがない。(不正だからわからないのだと言われればそれまでだが、義務化の後には検証されるのだろうか。)
それでも、後期高齢者のなかでも、マイナカードを使えない老人や、家族が受診させるであろう子供の保険証の不正使用はおそらく割合としては少ないのではないか。
個人的にはどちらかというとポリコレには賛成だったんだけど、最近は反対派の気持ちの方が分かるようになってきたんだよなー
以前のポリコレは現実に差別が存在する(した)以上、フィクション作品においてマイノリティを出すならその差別を描くのが普通だったけれど
例えば2017年のアカデミー賞作品賞の「ムーンライト」は黒人のゲイの半生を描いた映画だけど
これに関してポリコレがーという叩きは全然見掛けなかったんだよ
主人公がそのマイノリティ性によって虐げられ苦悩する様子が丁寧に描かれて、設定が物語上意味のあるものになっていたからだと思う
マッドマックス怒りのデスロードも、女性差別とそれに抗う様子が描かれ、設定が意味あるものになっていた
例えば同性愛者の人物がその事で差別されたり思い悩んだりする描写があると作品自体が差別的とされるので
異性愛と同じように扱われ、特に何の葛藤もなく幸せな話しか許されない
設定に意味を求める事はそれ自体が差別であるとのレッテルを貼られる
物語中に差別がないとしても、それならばそれでそういう架空の世界だとかの説明が欲しいものなんたが、あまりない
例えばディズニー最新作のウィッシュでは、中世のヨーロッパにおいて黒人もアジア人も障害者も差別されない理想郷が築かれていたが、登場人物がそれを得難い事として感謝する様子はなく、ごく当たり前の事として享受していた
前の朝ドラの虎に翼でも、当時には珍しく女性で法曹を目指す主人公が侮辱や虐待を受ける事はなく、もっぱら順風満帆にキャリアを重ねていき、それが社会から受け入れられる
このように、最近のポリコレで描かれるのは、当たり前のように差別のない理想郷ばかりだ
そういえば先日完結した僕のヒーローアカデミアでも、悪役の博士に現実の731部隊が行った人体実験に関連した名前を付けていたところ海外からクレームを受けて名前を変更したという
悪を悪と描いて出す事すら許されなくなってしまった