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はてなキーワード: 戦後とは

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325232801

でもさ、老人の立場に考えると分からなくもないよ。

戦後がんばって日本を立て直して経済大国にしたのに、年取ってまともな支援受けられないんだもん。

そら自分たちが選んだ政治家、その政治家が作った社会から仕方ないって言っても、それなら現役世代も同じだし。

2017-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20170324214945

一番良いのは、ケンカが強くてケンカをしない。

その次は、ケンカが弱くてケンカをしない。

ダメな方が、ケンカが強くてケンカをする。

一番ダメなのが、ケンカが弱いのにケンカをする人。

国のこと言われてるみたい。日本も当てはまるけど、お隣の国とか、暴言王のいる国とかさ・・・

日本戦前喧嘩が強くて喧嘩をする国だな

戦後喧嘩が強くて喧嘩をしない国

でもそんな最上か?

実際のところ喧嘩が強くて喧嘩をする国にアウトソーシングしてるしなあ




お隣の国はどの判定なの?

自分の印象では喧嘩弱くて喧嘩しない国に見えるけど

巻き込まれ強者の手下になるって意味では喧嘩が弱くて喧嘩をする国でもあった




アメリカは悩むことな喧嘩が強くて喧嘩をする国だ

解釈議論余地がなくていいね!

anond:20170324161050

共産党戦後起こしたテロをみんなで調べようぜ

anond:20170324161050

パヨクには都合の悪い事実だろうけど、共産党公安監視対象なのは事実

戦後在日朝鮮人悪用して数々のテロを起こしまくってましたしね

過去の罪を精算するどころか共産化をいまだに狙っているようだね

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170322001722

まずね、小説映画だとしたら、詩歌写真なの。

旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語のものではなく物語痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつから、詩は本来、書いた本人にしかからないのが普通なんだよ。

から詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。

だったら他人他人詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯CM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。

逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオン大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。

そうやって自分必要情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセス詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品詩歌小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイント抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間勝手想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。

究極的に個人的ものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。


あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!

すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781

2017-03-22 20:42 追記(返信など)

でも現代純文学はそういうツボに反感持ってるよね

自分文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別からね。

でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分表現で押さえることができるかどうかは別として。

青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規小笠原鳥類橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。

だってすべての表現コミュニケーションから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?

今を生きるための現代詩kindleにあったので買ってみました

わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!

入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。

歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。

もっと深く勉強したい人は現代詩手帖特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。

ちなみにわたしの推しは入沢康夫渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。

2017-03-21

anond:20170320150139

戦後まれビビンパ戦前まれの混ぜカレーライス起源にするなよwww

どちらかといえば阪急百貨店の人気メニューだったソースライスの流れだろ

http://anond.hatelabo.jp/20170321001320

一昔前の意識高い系女子向けマンガ無料アプリで読んでるんだけどさ

戦時戦後舞台でも女であるがゆえの苦悩、みたいな主張なのね

結局どこにテーマを置くかっていうのはあると思う

男女差のせいにする人、政治思想のせいにする人、いろいろ

2017-03-19

Tokyo

東京といえば真っ先に浮かんでくるのは、むかし住んでいた山手線内側のアパートマンションという名前だったが4階建てのそれはその前後に住んだアパートと何ら変わりなかった)の管理人をやってたばあさんだ。管理人と言いながらたぶんそのマンションを立てたのはばあさんで、つまり東京土着の地主だ。だが、ばあさんからはそんな裕福な雰囲気は一切漂ってこなかった。土建関係仕事一家でやっていたからそこそこ儲け話もあったと思うのだが、それ以上に出来の悪い孫達の持ち出しが多いようだった。

このばあさん、戦後復興期に男どもに混じって現場叩き上げてきた強者で、30年前の当時でさえ、真っ昼間からもろ肌脱いで船に入れたセメントを捏ねている豪の者だった。垂乳根が丸見えでも気にしないで、通りがかりの私に「おう!」とか声をかけてくる。こっちはビビってしまって声も出ない。

その近所の魚屋で、よく100円のアジのひらきを買った。その魚屋、その周辺の高級住宅の御用聞きで経営を立てていて、別に100円の干物など売る必要はなかった。一心太助のように「今日タイのいいのが入ったからお持ちしましたよ」みたいに訪問してはその場で「お造りしましょう」と包丁さばきを見せる。そういう仕事なのに、律儀に店の前でアジのひらきを干していた。私はその100円のアジ以外買ったことはなかったが、よく「これもってきなよ」と、それ以上に高級なオマケを付けてくれた。

秋に早朝の公園に行くと、銀杏を拾いに来ている人を見た。毎年来るのだそうだ。古木となった銀杏の木と同じくらいむしから、ずっとその公園には銀杏を拾う人がやってくる。

私にとって東京とはそういうところだ。おしゃれな街でも夢が詰まった街でもない。土着の人々がむかしからの暮らしを立てている場所だ。そこに通りすがりとして、私のようなよそ者が数年とか10年とか、あるいは数十年とか一生とか滞在する。その通りすがりが、いつかは東京の一部になるのだろう。

そうやって街は続いていく。


http://anond.hatelabo.jp/20170319001055

2017-03-17

小津の魔法使い

60年の生涯にわたって童貞を貫いた映画監督小津安二郎(1903 - 1963)が30歳前後から「生まれてはみたけれど」「非常線の女」「一人息子」と立て続けに秀作を発表し始めた頃から高齢童貞魔法を獲得したとされる説。小津の童貞魔法戦時中従軍生活によりにさらに力を増し、「東京物語」を頂点とする戦後の傑作群に多大な影響をもたらしたと言われる。

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

なんか車社会感じ悪いよね

振返れば、2000年代前半くらいまでは、高校生バイク禁止時代なので若者鉄道趣味サブカルなどで無軌道さを競い合った。高校大学卒業して社会人になればみんなにわかから本物の「オタク」になり、もっとあか抜けた。当時はいまのようなバイク乗りの高校生みたいなものもなかったと思う。

それがだんだん車社会適応するように強いられ、気づけば高校生バイクのりが許される環境ができあがり、それをすべて適応してしまう人が増えた。合理的理由も、自己選択余地もなく、2010年代になれば、持つ層になれば、年長者になればと環境変化に基づいて装備を切り替えていく。

もっと不気味なのは全体としての車社会人口が減少しているということ。車嫌いは以外にも地方の中高年のほうが多いし、事実30代以上の中には車嫌いの影響で鉄道好きになる者もある。で、若者免許車両取得者が増加しているのだ。今では大都会道路でも無軌道者でないのに若者バイクに乗る。

普通に考えて、車社会や車やバイク洪水ってあんまり楽しい社会ではないよね。外国人車社会限界を感じて鉄道社会にあこがれている。で、日本1980年代公害車社会化の失敗で車社会を一回捨てたはずだった。

それか戦争中の国家連想するんだよな。非常にうざったいイメージ鉄道ファンと言うだけで後ろから指差されて侮辱される。たまに鉄道ファンと言うだけで悪者扱いされるパターンもある。昔の韓国台湾ロシアがそうだったんだけど、正直言って不気味さがあるよね。



日本の「今更な」車社会化やっぱこれ、世界右傾化あるいは日本左傾化が原因じゃないかと思う。今の二代目大日本帝国としての日本の起点にあるGHQは、例えば差別や変わり者嫌いの激しかった連合国のお堅い人達が、植民地政策劣化コピー猿真似日本社会全否定して近代化を進めた歴史がある。なので本来なら非合理や不公正なこともまかり通った。

なので韓国的な非寛容社会社会構造の中で仕組化され、それが問題であることにさえ気づきづらくされてしまう。欧米において時代遅れだった前時代的な交通スタイルである車社会」が何十年も遅れて猛威を振るっている。つまり、つきつめると若造が皆免許取得に走り、日本人が車嫌いを差別する原因はGHQ統治での失敗にあるということではないか

GHQ統治の失敗に対する怒りの感情に基づく行動パターンと照らし合わせれば、暴走族と不良の直結(日本以外では有り得なかった事)やギャルキモヲタヤンキー化は腑に落ちる。そしてGHQ残滓が源流の社会戦後一貫して最右翼で今もその地位にあり、欧米化ぶれする日本人や、右翼になびく日本人批判さらされていることの象徴の一つが、文教利権をめぐる一連の問題だ。

その思想集団に推奨される「人民教育」とは、「常識に反発する」ことを徹底的に去勢するようなものだ。差別偏見奨励で車嫌いの居場所大都会ですら奪い、自己決定権を奪い続け、若いうちに使う使わない問わず免許を取り、欧米目線思想を呑み込ませたり、疑うことの醜さを洗脳されるもの

2017-03-13

[]ジョン・フラム

バヌアツで少数ながら信仰される「カーゴカルト」の一種

元は「伝統的な生活に立ち戻ることで白人がいなくなり島に豊かさがもたらされる」という教えだったが、

第二次世界大戦アメリカ軍バヌアツ駐留し大量の物資供給されると、それが予言の「豊かさ」の成就とみなされ、

戦後は「ジョン・フラムというアメリカ人が財宝を持ってやってくる」という信仰となって今も続いている。

http://anond.hatelabo.jp/20170312190945

深川下町あたりの戦前観光名所歴史遺産震災・戦災で壊滅した上に、当時の人々が「復旧よりも復興」を掲げたため、古老の記憶がその命とともに消え去る前に、元に戻すことができなかった。


歴史的建造物遺産は、災害消失したらそれで終わり、ではない。


ワルシャワ歴史的町並みのように、ナチスに完膚無きまで消滅させられたけれども、戦後、そっくり復元果たして世界遺産にまで登録された例もある。

戦後70年、ようやく「復興」より「復旧」の方が大切(子孫が自らの歴史的アイデンティとなる拠り所がないことがどれほど深刻なことか)と気づいてくれた人がいるのは嬉しいが、いかんせん、あまりに遅すぎた。


同じくナチス廃墟にさせられたアムステルダムのように、「復旧よりも復興」を選択するのなら、そこに住んでいる住民が誇れるような町並みと建築を整える戦略もありだったが、東京はそれすらしなかった。まぁこれは石川栄耀の思想についていけなかった安井誠一郎の頑迷さによるところが大きい(GHQは巷間に言われるほど冷淡ではなかったと思われるけどね。)

今の東北も「復興」を掲げているけど、のっぺらぼうの住宅地に巨大な津波堤防が子孫のアイデンティにどれほどの傷を残すのか、気づくのにあと50年はかかるだろうね。

都市計画、本当に大切よ。とりあえず地元土木事業者政府の金で潤えばいいや、という考え方は100年かけて故郷を蝕むから

まぁ世界中どこも、こういう失敗を経て成長するけど、この手の精神的成長には石造りの街主体ヨーロッパですら数世紀のスパンがかかってるから日本のようなかつて木造主体の街だと仕方ない部分もあると思う。でもいま、ここで精神的成長しないと本当に近い将来、やばいことになるから

2017-03-10

カフカ

海辺のカフカまでの村上春樹は読んだが、その後、しっかりした取材もしたようにも見えないまま、南京大虐殺はあったと言い出したことから、ああこの人は自分の頭の中だけで生きている人なんだ、支那国の主張をプロパガンダとして捉えることが出来ず、米軍戦後の「戦中戦前日本悪者論」にどっぷり浸ってしまった、かわいそうな人なんだということがわかって、この人の本はもう読む気がなくなった。

2017-03-09

村上春樹騎士団長殺し』の南京虐殺記述について

 村上春樹騎士団長殺し』新潮社南京虐殺記述は、この作品登場人物免色渉の台詞として出てきます

(以下引用

「(前略)正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者あいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいますしかしし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」

 もちろん私にはそんなことはわからない。」

引用おわり)

(「私」とは、この作品主人公である画家の「私」のことです。)


「『しか四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?』」と免色渉が言っているにも関わらず、あえて数字について紹介すると、

四十万人」と言っている歴史学者はおそらく加藤陽子氏。(正確には「犠牲者数については、数万人~40万人に及ぶ説がある」)

「十万人」と言っている歴史学者はおそらく笠原十九司氏。(正確には「10万人以上もしくは20万人に近いかそれ以上」)

 他に、中国政府見解は30万人以上(南京軍事法廷判決数字が元)、東京裁判判決20万人以上、秦郁彦氏は4万人上限、板倉由明氏は1万5千人程度としている。

 日本政府見解外務省HP)は、

「1 日本政府としては、日本軍南京入城(1937年)後、非戦闘員殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えていますしかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています

 2 先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。

 3 こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日内閣総理大臣談話の中で明確にしました。」

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307145135

日本朝鮮戦争特需で儲けて戦後復興した

まり半島を食い物にした

って学校で習ったはずだが、学校行ってないんだろう

日本共産主義の南下を防ぐ為に韓国米軍後方支援をしたんだろうがw

北朝鮮人や中国人に憎まれる筋合いならあるが

お前のような在日韓国人に「半島を食い物にした」等と言われる筋合いはない

なんで「おかげで北朝鮮奴隷市民にされずにすみましたありがとう」の一言がいえないんだ

韓国学校在日学校教育は歪みすぎてる

安心してください、東南海が来るまでですよ。

私は日本大好きですがこれはどうかと思う。(BBCあいさつ)


神戸と違って、いつまでも被災地なんだろうなぁ。70年たっても戦後とか言ってるのと同じように

the48the48のコメント 2017/03/06 15:35

http://b.hatena.ne.jp/entry/325623993/comment/the48


16.7メートル津波は、ちょうどこの高さ―― ヤフーが出した防災広告に絶賛の声 - ねとらぼ

http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1703/06/news092.html


東京銀座ソニービルヤフー防災啓発広告を出した。

この記事への衝撃のファーストブクッマでいきなり被災地ガーと言われて、ガツンと頭を殴られた思いがあります

これじゃあ150万円おごりおごられでいじめではなく電気消したのに光らないとバカにされるのも世間では本音なんだろうな、と。

もう東日本大震災から6年も経ちますもんね。

「もはや戦後ではない」(1956年)、終戦から11年。NY9.11を克服したと言われた[要出展]『クローバーフィールド』(2008年)は7年。

短いようで長かった6年、楽しかった運動会小学生卒業しますわ。


被災地増田からちょうど広告で取り上げられている大船渡市現在を報告しますと。

2011年4月小学校入学した子が卒業間際の今年度(2016年)はじめて校庭を使うことができた(校庭に仮設住宅があり使用できなかった)。

災害公営住宅が全戸完成し、市内の仮設住宅が今年度末で全て撤去になる。

仮設商店街が借地期限を迎え取り壊しになる中、土地整備が終わった地区に本設の商店街施設を鋭意建設中。

JR大船渡線鉄路での復旧は諦めてバス専用路線BRTになり数年経過。

防潮堤工事は一部で完成したもの継続中。

こういった状況です。

当初から10単位での復興計画でしたが、広域の災害のため建築土木の資材とマンパワーが足りず、時間がかかるようです。

コンクリから人への流れで建設会社廃業が進み人手が減っていたタイミングだったのもあります

瓦礫で埋まった道路最初に掘り出してくれたのはショベルカー持ってた地元土建屋さんなので、

年度末で道路掘り返してんじゃねーぞ、とイライラする事も最近は少なくなりました。


復興へのご支援には大変感謝しています

義援金支援物資ボランティアはもちろん、直接的な支援をされていなくても、公共工事被災者支援などには税金が使われており

それはすなわち国民血税でありますから国民の皆さんに足を向けては寝られません。太平洋に足を向けています

海外から支援も多く、市役所車両とか三陸鉄道車両とか、○○国の支援と表示されています

復興工事の方や、公務員応援職員も全国から継続的に来ていただいています

神戸の「希望の灯り」は分灯されて隣市、奇跡の一本松陸前高田市にともされています

直接、間接のご支援本当にありがとうございます

衰退地域である三陸沿岸への税金投入のコスパについては自分でも疑問に思う面はあるのですが、それはそれとして。

まりはこれからもどうかよろしくね。


岩手県大船渡市震災時を紹介しますと。

ここより下は家を建てるな、の碑がある吉浜地域

かもめの玉子」さいとう製菓専務ビデオカメラ回して発災時の事務所から高台に逃げて街が飲まれるまでを撮った映像

https://www.youtube.com/watch?v=jbvBsgoEAe0

チリ地震津波もあったので大丈夫です、再建しましょう。の旅館経営おじいさん。

といったもの全国的には有名でしょうか。

震災映像個人証言NHKのものがまとまっています

東日本大震災アーカイブス

http://www9.nhk.or.jp/311shogen/

あの日あの時 アーカイブス

http://www.nhk.or.jp/morioka/archives/anohiArchives.html

NHK仙台局の津田アナ自身被災して「被災地からの声」(東北地域放送)のキャスターを努めています

岩手局に一時居て今は東京あたりに行った魚住アナ浅野温子の息子。支援物資で貰ったレンズ豆は火が通りやすく美味しいけど、

レンズの形だからレンズ豆じゃなくて、レンズ豆が先にありレンズ豆型だからガラスレンズレンズという名になったんですって。(豆知識

(br)

結論としては、避難場所とそこまでの経路を確認しましょう。防災用品を確認しましょう。

9月防災の日と合わせて半年に1度、非常食点検試食補充をしましょう。

重い水Amazonで注文、アレンジ料理クックパッドで調べてね。そんじゃーね

2017-03-03

ベロベロとかい駄菓子

匿名とは言え少し嘘を混ぜさせてもらう。

80のおばあちゃんに話を聞くことがあった。



この年齢の人は子供の頃に過酷体験をしていることが多く、その話を使命感ではないが、どちらかと言うと好奇心で聞きたかった。

壮絶な話を聞いて「だいたいこういう話は蓋されてて話してくれない」ということの上に、話を聞く機会自体も減るのかと思いなんだか勿体無い気持ちになった。




その中でも興味深い内容だったのが「戦後駄菓子

お小遣い毎日5円ほど貰い、駄菓子屋に行っていたそうだ。




2日貯めると小さな羊羹(のようなもの)が買え、食べれたらしい。

我慢できない日は5円で「べろべろ(またはペロペロ)」というお菓子を買ったそうだ。



平たく、円形できな粉を付けて食べた。と聞いた。

早速ググる画像こそ出てこないがそれらしい情報が出てきた。

それを話したら記憶がより鮮明になったらしくもう少し具体的に話してくれた。

小麦粉を練ったものじゃなくて蕨っぽいというところまでわかった。




東京の方もそういう『屋台お菓子』?が消えてしまっていたりしてた話をテレビで見た。



何がいいたいのかよくわからないけれど、ネットでも見つからない情報ガチで消え行く情報に悲しくなった近状。

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302093342

流石に第二次世界大戦までは行ったぞ

(そもそも戦後は色々そういう思想的なものが面倒&どうせ受験に出ないからでわざとスルーしてた気もする)

明治にすらたどり着けないってどんだけ遅れてるのよ

2017-03-01

貧乏性の母にプレゼントを受け取ってほしい

誕生日プレゼントを贈ると「こんな無駄遣いして」と毎度毎度怒られる。

楽しいはずの誕生日なのに、このことで毎年揉めてしまう。どうしたらすんなりと受け取ってもらえるのか。

自然派アロマっていいわねと言う母に、今年はマークスアンドウェブの500円くらいの石鹸詰め合わせを贈った。すると誕生日当日の夜電話がかかってきて、開口一番、うちはこんなの使うようなセレブじゃないから返品してこいと叱られてしまった。500円の石鹸ってそんな怒られるほど高い?

他にもすごい肌荒れで保湿が必要なのに全然スキンケアしようとしないから、無印の1200円くらいのやっすい化粧水買って渡したら、毎日毎日こんな無駄遣いしてたらうちは破産だわ、みんな一体どこにこんな物を使う金があるのかしらと大騒ぎ。母の生活にはスキンケアという概念がないのだ。

母は70代、戦後すぐ田舎で生まれ子供の頃は草履を履いて生活し、洋服教科書兄弟お下がりだったらしい。

でもそんな高齢者は山ほどいる。母だけが頑なに服もコスメアクセサリーも持たないで、外食もせず何十年と貰い物の古着ばかりで生きてきたのだ。

年金受給額は夫婦2人で40万を超える。贅沢は敵という固い信念の元にお金を一切使ってこなかったので貯金もまあまあある。”ちょっといいもの”が憚られる状況でもないだろうに。

そのくせ、子供から誕生日プレゼントを貰ったという友人の話を定期的に私に振ってきては、いいわね、素敵な関係よねと羨ましがる。

「貰い物だから~」で通していた時期もあったけど(ただで手に入れたと言うと喜んで受け取ってもらえる)、毎年は無理だ。どうすればお互い気持ちよく物のやりとりができるんだろう。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228183559

そもそも裁判員制度は「司法市民感覚離れ」が度を越しているという懸念から導入された。

いやこれ違うんだよ。制度を始める前から最高裁の依頼で前田雅英教授ってのが市民アンケート取って、裁判官量刑市民感覚が大して変わらないことはもう分かってた。

それじゃあなんで導入したの?という話になるが、これはもう利権しか言いようがない。もともと刑事事件戦後ずっと減少傾向で、裁判所における刑事部存在感が日に日に減っていっていた。もちろん予算ポストも減らされる一方の中で、刑事部裁判官や関連する官僚ポストを作るための窮余の策が裁判員裁判だった。

2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。


教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。


ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い


今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた


君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。


追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2017-02-24

http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/51052

バカにしてる光景でソッコーでこれ思い出したわ。

noiehoie on tumblr • サヨクって本当にダメだなぁと思った件。

この件、是々非々を許さなカルト的怖さがあるんだが、分からん人には分からん

教育勅語の件、「園児教育勅語」ってバカにしてるが、この事件ってほっといたら 幼稚園小学校中学校〜と進む話だったんだぞ。

そうすると、カルトお墨付きの進学コースで人の上に立つ人材には、教育勅語教義としてたたき込んでおかなければならないという意図が読み取れる。

【戦前教育を幼児に強制する塚本幼稚園】教育勅語の犯罪性について考える。 – お役立ち情報の杜(もり)



ちなみに御真影は、戦前宗教弾圧では神道と毛ほども関係ないキリスト教会・仏寺に御真影が祀られ礼拝されていたわけだが、これは上の件と合わせると

教育機関国歌斉唱の次は御真影を祀らせたい」だ。

それはそれとして、塚本幼稚園

1. 紀元節現在建国記念の日)、天長節(同、天皇誕生日)などの祝祭日に、校長教員児童学校に集まり儀式を行わなければならない(以下、式次第)。

2. 式場中央に奉掲した天皇皇后のお写真の覆いを撤する。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。お写真を拝戴していない学校では、宮城遥拝を行う。

3. 国歌を歌う。

4. 校長が「教育勅語」を奉読する。参列者は奉読開始とともに上体を前に傾けて拝聴し、奉読終了後に敬礼してもとの姿勢に復する。

5. 校長が訓話を行う。

6. 当日の儀式唱歌を歌う。たとえば、紀元節では「紀元節」という唱歌を歌う。

7. 天皇皇后のお写真に覆いをする。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。

のような扱いをしていないから、たんなる戦後二次創作と嗤っていいものだろうか?ちょっと軽すぎない?

皇室グラビア」と「御真影」 : 戦前新聞雑誌における皇室写真通時的分析 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192611/1/kjs_009_093.pdf

に目を通せば、そんな単純な物ではないと思うよ。

イギリスのタイムズより取材を受けました。|新着情報|塚本幼稚園幼児教育学園

笑顔で丁寧な先生、2~5歳の制服を来た子供達は、他の幼稚園と同様愛らしい。しばらくした後、園児たちの“おじぎ”をする光景に気付く。それはお互いにするのではなく、壁の写真に対してである

それらは、天皇画像である。:天皇陛下明仁」、その父「裕仁」、さらに19世紀の明治天皇

題っていう漢字は本当に画数が多くて鬱陶しい

問題の題

手書きするとき鬱陶しい

画数が多すぎなんや!!

なぜ戦後略字を策定するとき

なんとかせんかったんや?

頻回に出てくる字の画数を減らす努力を怠ったために

いままで戦後被ってきた不効率にともなう

経済損失を考えたことがあるのだろうか。>日本

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