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はてなキーワード: ポジティブとは

2016-09-21

君の名は。という大ヒット映画をどう見るか

遅れて鑑賞。若い子も多かったがカップル以外の客も増えていて、結構年齢層も公開初週よりは上がって来たのではないだろうか。以下、長い。



さて、売れている映画には二つの心配が付きまとう。

年間とかではなく今までの興行収入ランキングみたいなものを見たら分かると思う。

何故売れたのか?と疑問に思うものまでさまざまだ。

その点において、君の名は。はよくできた映画だったと思う。

少なくとも「スカスカ映画ではなかったし「何故売れたのか」という点でも完璧ではないが、ある程度説明つくのではないか

ステマだけではなく本当に評判が良い映画自分に響かないと、ただ普通にまらない映画を見たとき以上にガックリくる。

というわけで心配1、2はクリアした。



さて、増田自身のことを話すと、結構映画が好きだ。

この映画を見る今日まで、映画通やら映画通という名のアニメファンやら映画通という名のやり○ん騒動男やらの、いろんな批判を見た。

映画が好きな自分からすると、「そうか。食いつける映画なんだな」ということで、自分にとっては逆宣伝になった。

(まぁ信頼する映画通たちは結構試写時点で絶賛してたんだけど)

映画が好きだと書いたが、アニメ映画に関してはもっぱら円盤待ちの人間なので、その自分映画館に行かせたという効果は絶大だ。



映画を見て、その批判を改めて見た。

まず自称新海ファン評の「新海らしくない映画」だが、しっくりこない。

しろ海監督のファンサービスがちりばめられていて、過去作好きこそ振り回される映画ではないだろうか。

キャラストーリー構成から唐突感だったり、詩的な部分だったり、感覚的な部分。とても「新海らしい映画」だと感じた。

しろ新海らしくないというのなら、何らしいのか。

思いつかないので、やっぱり新海らしい映画だった。



次に「若い世代向け」という話。

隣りで見てた50オーバー号泣し、終わった後感想を熱弁していた。50オーバー若い世代という世界には住んでいない。

しかし確かに今まで見てきたアニメ映画とは、一味もふた味も違うのかもしれない。

ニュージェネレーションに対するギャップが、ある人にとっては大きかったのかもしれない。

例えば主役が高校生から高校生しか感動しない。というのは馬鹿な話である

じいさんが主役でも、子供が主役でも、感動するものは感動するだろう。無理なら想像力が欠如している、と言っているようなもんである



次に「RADWIMPSファンしか褒めない」という暴論。

RADWIMPSは嗜む程度だが、あまりRADWIMPSらしくもなかったので、激烈RADファンからすると絶賛はしにくいんじゃないか

自分のような嗜む程度のやつに、ちょうどよかった。

歌もしっかりはまっていたし、劇判にも仄かにRADらしさがあった。しかしやっぱりそんなにRADらしさは無かったかもね。

まりファン以外も満足しているということだ。(ファンもある種の初期RAD感が出ていて嬉しいのかもしれないが)

音楽映画は噛みあえば化学変化を起こす。

ここはとても「邦画」感が溢れていた。秒速~以外に、自称映画通なら何作品か思い浮かべたいところだ。

こういう音楽映画邦画は得意のはず。邦画の好きなところだ。



次に「物語薄っぺらい」という話。

昨今の邦画は設定を詰め込み、それを全て説明しようとしてくる。故に物語に勢いが無くなったりする。

しかしそこまで説明されずとも作りこまれている映画に傑作が多い。本家アカデミー賞受賞作などを見ると、設定をしっかりした上でとにかく勢いが凄くて、設定なんてどうでもよくなる。

その部分がエンタメ邦画には足りないなぁと常々思っている。(無いとは言わないし、説明カットし過ぎてダメなのも邦画あるある

結局作りこみすぎると、ヲタク解説したくなってしまうのだ。(ヲタク脚本家監督

君の名は。はその絶妙バランスにたどり着いた。日本人が受け入れられる塩梅での。勢いと説明狭間だ。

例えば、見てない人には分からないだろうネタバレだが、三つ葉が父を説得するシーンが今作には無い。しかし説得した、と分かる。

映画を見ている最中は、他の展開が忙しくてそこに気付けない。

でも後々…もしかしたら見終わった後で、もしかしたら2回見た後で「あ、そういえば説得してたな」と気付く仕組みになっている。

彗星軌道云々という批判があった。

見ても無い自分が「フィクションからさぁ…」と突っ込みたくなるような批判だったが、見た今なら「あれはこういう意味があったんじゃないかな?」と推測できる部分がしっかりある。むしろちりばめられている。突っ込んだ人はもっとストーリーをみるべきだった。

途中で出てくるラーメン屋おっちゃんも、ナイスだ。

きっとリピーターは血眼で探しているだろうし、他のそういう手品トリックみたいな演出も、多分2回見たいと思わせる構成だ。

男女入れ変わりと聞いたら、転校生を始めいろんな作品が頭をよぎるだろう。使い古された設定に見えるかもしれない。ボーイミーツガール王道だし。

その設定を使ったこういう構成脚本を、薄っぺらいと言うのか。本当にそう思ったのなら絶望的な感覚である。とまで言っちゃう

薄っぺらい」ではなく「説明なさすぎ」の言い間違いじゃないのかなあ。

これくらいで良いと思うけどね。商業映画は。(もう一度見て理解したいと思わせる技は必須



次に萌えヲタ向けという話。

おっぱい揉んだりパンツが見えたりしただけでヲタク向けになるのか。

パンチラは角度的にどうしても見えてるだけであって、逆に見えないのはあの画の中では大きすぎる嘘になってしまう。

パンツが見えないのはギャグだ。リアリティがない。むしろ日常萌えアニメミニスカ絶対見えるパンツを描かないことで、フィクション感をだしている。

ていうかパンツ一瞬しか見えない。コンマ何秒とかしか見えない。騙された。

この理屈と同じで、実際あの状況なら胸は揉むだろ。



そんなわけであがっている批判を見ても、「え?なんでそんな批判があがるの?」というものばかり。

(例えば漫画原作のように<漫画という神>と違うからという批判は、心情的に良く分かる。調理した方と見た方の問題根深い。)

是非まだ見てない人に、見てから判断してほしいと頼みたい。別に批判をする人がわるいわけではない。的外れ批判が溢れているだけだ。

どうも売れすぎて、色んな雑音が耳に飛び込んでくる状況になっている。

だけど是非ポジティブスイッチを使ってほしい。

これを読んでる人は、君の名は。のことが気になっているはずだ。素直に、自分がどう感じどう思うか?と映画で考える良いチャンスなのだ



君の名は。面白かったです。

絶望感と閉塞感。あれを思ってはいけない、感じてはいけない。

そういう空気が付きまとう世界情勢で、映画界、とくに邦画界にもある時点から閉塞感があった。

いつだって現実が向かってきたし、夢物語は無い。そう示してくる話が多く、心の片隅が窮屈な想いをしていた。

若者たち経済が少し上向いても無駄遣いをしない世代になった。夢を見るやつは、馬鹿だと思っていた。

でも「君の名は。」は希望のある夢を見せた。ここまでの大きな夢は、もしかしたらあの時の自粛ムードと共にタブーになっていたたのではないかと思う。

ずっとこんな映画を見たかった気がする。

フィクションからアニメから、一つの大きな嘘を内包することができた。

なにかの穴を埋めてくれたのかもしれない。

その功績はでかいし、言いたい。こういう映画を見せてくれて、本当にありがとう

2016-09-19

知り合いに人の悪口しかいわない人がいるんだが

その人にとって悪口ネガティブ行為ではなく

ポジティブ行為自己原動力になっているように見える

その代わり周囲から悪口しかいわない人としか見てもらえてないけどね

そして悪口言う割りに本人はそれほど何かが出来るというわけでもないことがバレバレだったりする

知り合いに人の悪口しかいわない人がいるんだが

その人にとって悪口ネガティブ行為ではなく

ポジティブ行為自己原動力になっているように見える

その代わり周囲から悪口しかいわない人としか見てもらえてないけどね

そして悪口言う割りに本人はそれほど何かが出来るというわけでもないことがバレバレだったりする

2016-09-18

秒速5センチメートル』は皆が思っているような作品じゃないんです

大ヒット公開中の『君の名は。』、スゴイ人気なので僕も観に行ってボロクソに批評してやろう!と思い、バンダイチャンネル配信中の新海誠作品を観ています


言の葉の庭』は面白かったです。『ほしのこえ』も、これぞセカイ系新海誠はこういうのが好きなんだな!って感じでした。


次は何を観ようと考えていたところで、アタマに浮かんできたのは『秒速5センチメートル』でした。


この作品は以前にも視聴していて、その時は半分寝ながら観ていたので殆ど内容を覚えていませんでした。

クソ作品だった気がするな~絶対クソ作品だよな~僕はこういう雰囲気だけアニメが嫌いなんだよな~とモヤモヤしていたので、もう一回ちゃんと観てみるか~、と視聴を開始しました。

そして最後まで観てみたら思っていたよりずっと良い作品で、モヤモヤしていたものが全部スッキリしたので少し語りたくなりました。


「切ない」「バッドエンド」「男は~女は~」、そんな文脈で語られることが多い本作ですが、この作品で描かれているモノはもっとポジティブなモノなのではと思います

ラスト踏切のシーンでの遠野君の表情がそれを物語っています


彼らはお互いに過去のことは子供時代の思い出として完全に吹っ切れているんですよ。

「あぁ思い返してみれば若かったなァ」、そんな感じなんです。

結婚して幸せな日々を過ごしている明里は言わずもがなですが、

明里への思いが完全に消えていることに気づき会社を辞めて寂しい日々を過ごしている遠野君も何だかんだで未来に目を向けているんですよ。


作品テーマとしては、「子供の時に考えていたほど人生は思うようにはいかなかったけれど、それでも、僕らはこれからも生きていくんだぜ」みたいな感じが近いと思います


過去を思い出して鬱になった!」っていうのは単純に自分らが引きずっているだけです。


バッドエンド!鬱作品!って煽るのは違うと思います


特にオチは無いのですが、そういう事を思いましたという話です。


あと今回語りたかったコトと直接の関係はないのですが、

遠距離手紙(メール)、時間子供時代宇宙

ほしのこえ』、というかセカイ系のような感じもしましたね。

新海誠ホントにそういうのが大好きなんでしょうね。

君の名は。』も後で観てきます。なんかこれもセカイ系エッセンスが入っていそうな感じするので楽しみです。

 

http://anond.hatelabo.jp/20160918013446

ごめん全部読んでないけど、それだけチャレンジできる行動力すごいし、ぜんぶにケチつけられる感性ある意味おもしろいよ、もっとポジティブなほうが周りは困らないだろうけど。きっといつか、心から楽しめる何かに出会えると思う。

2016-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20160916110440

彼女は(実際がどうかにかかわらず)自分より優れてるとか恵まれてるとか思う人に

全力でマウントをかけに行く。そりゃもう急に、理性を失ったかのように。どうしてああなっちゃうんだろう?

ってことは逆説的に、彼女は内心京都を「マウントをかけるに値する」恵まれ環境であると感じてるってことかも?(全力でポジティブに受け取ってみた)

2016-09-15

ナコルルを「アイヌ」と呼ぶ理由

格ゲーを遊んでいる人にとって、ナコルルはいわばアイヌ代表選手だ。

例えばオリンピック中国人選手がすごい活躍をしたら、「中国は強かったぞ」という感想つぶやく人がいるだろう。いちいち個人名を呼ばないのはよくあることだ。ナコルルアイヌと呼ぶのはそれと同じである

今回は「アイヌ殺す」だったか問題になったけれど、「アイヌは強すぎだわw」とか、「やっぱりアイヌナンバーワン」とか、ポジティブな内容だったらどうであろうか。

  

  

  

ところで、これは格ゲーに限った話ではないが、日本には直接に人の名前を呼ぶことを避ける文化がある。

特に「殺す」「死ね」とか「うざい」「むかつく」というネガティブワードをつけるとき、はっきりと名指しすることは憚られる。そういうとき職業服装民族性格などの属性を表す隠語を使う。

まり、「ナコルル殺す」と言ってしまうと、ナコルルに対する悪意がむき出しとなり、それを言う方も聞く方も抵抗があるのだ。ゲームキャラクター愛着があればこそ、ナコルルを名指しで殺すという言い方にはひっかかると思う。

ブコメ等では「アイヌと言わずナコルルと言えばいい」という意見を見かけたが、私は全く賛成できない。もちろん「アイヌ殺す」はヘイトスピーチとの混乱をまねいて不適切というのも分かるが、直接に名指しするのは無粋だからやりたくないというゲーマーは多いと思う。解決策があるとすれば、「べつの隠語を使ってください」というところではないか

長嶋有「愛のようだ」感想

長嶋有の「愛のようだ」を読んだ。

感想を言う相手も書く場所もないので、ここに書くことにする。



作中で言及されている通り、登場人物が"ちゃんと疲れる"ロードムービーだった。

その手口は「水曜どうでしょう」に似ている。

どこで読んだか忘れたが「水曜どうでしょう」の面白さを分析した文章で、

「あれは出演者の"疲れて何をやっても面白い状態"に視聴者を巻き込むことで成立している」

的なものを読んだことがあるが、それを思い出した。


水曜どうでしょう」ばりの徒労と混乱とハイテンションを経て、"疲れているか面白い"、ではなく、"疲れているから感じ入る"。

作中一番の盛り上がり。第四話のラスト、「愛のようだ」という詩的(俳句的)でストレートで派手なタイトル言葉を、

語り手の友人がそのまま呟くという凄い場面。

ここは語り手も読者も、道中で疲れているからこそ、「愛のようだ」と、感じ入るのだ。



ところで、この作品の帯には

"大切なものを失う悲しみを、まっすぐに描いた感動作。"

"最初最後の「泣ける」恋愛小説"

という、なかなか凄いコピーが載っていたが、なるほど作者の「感動的な恋愛小説をちゃんと書こう」という気概を感じる作品だった。


まり主人公(=語り手)に好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話なのだ

世界の中心で愛を叫ぶ」であり「ノルウェイの森なのだ

こうやって書くと何だか馬鹿にしているような感じになってしまうが、

何と言うか、本当に「主人公好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話」をちゃんと書いているのだ。


作家が「主人公好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話」を書くことが

どれほど恥ずかしい(照れ臭いことなのかわからないが、

その恥ずかしさから逃げることなく、と同時に読者が引いてしまわないよう配慮して、

手続きを踏んで、抑制の効いた方法で、その「悲しさ」がきちんと書かれていた。

とてもかっこいいと思う。


前述の友人が「愛のようだ」と呟く場面は、とても感動的でポジティブで素敵な場面だった。

が、そこで語り手はあくま第三者で、言ってみれば読者と似たような立ち位置だった。

友人が愛のようであることに気付く場面に(第三者的に)立ち会ったその余韻が残るエピローグで、

死んでしまった好きな人から最後メッセージを受け取る。

それは、映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿とさせるような、チャーミングで切ないメッセージなのだが、

そこで語り手に訪れる悲しさは、とことん「当事者になれなかった悲しさ」なんだと思う。



それと、この小説を語る上で外せないのが、全編通して大量に登場する固有名詞だ。

漫画アニメテレビCM映画、J-POP(歌謡曲? その辺の区分けがよくわからない)といった

サブカルチャーポップカルチャー(この辺の適切な総称もよくわからない)から引用べらぼうに多い。

作者は、以前からエッセイ小説内の固有名詞の使い方について論じたりしているし、

というか、そんな前情報がなくても一目見て明らかなくらい大量の固有名詞意図的意識的に使っている。


これが、例えばキン肉マンを知っている人に「ほら、キン肉マンだよ」とサービスするための符牒じゃないことは明らかで、

じゃあ何のための引用なのかと言ったら、キン肉マン自体を書きたいわけではなくて、

「会話の中ですぐに"そういうの"を引用する人(達)」を書きたかったんだと思う。(当たり前か)


世の中やら自分やらを見て把握して語るときに、ごく自然漫画登場人物ポップス歌詞

重ね合わせがちな人が(特にある世代以下には)たくさんいる。

それは、ふざけているわけでも遊んでいるわけでもなくて、その方が断然実感があるからだ。


フィーバー状態伊勢神宮に願掛けに行く、っていうふざけたような言い方なんかも、

切実な思いを実感のこもった正直な言葉で表した美しい祈りの言葉なのだ

長嶋有が描くそういう言語感覚は、読んでいて楽しいし、時にとてもぐっとくる。



最後に、この小説長嶋有にしては珍しくとてもマッチョ小説だったと思う。

「この人のこと女だと思ってたわ」作家で上位にくる長嶋有だが、

「愛のようだ」に関しては、知らない人が読んでも男の人が書いた小説だと思うんじゃなかろうか。

2016-09-13

仕事

新卒として半年弱働いてきたけど、入社前に覚悟していたほど忙しく無い。


IT業界に入るということでそれなりに覚悟をしていたけど肩透かし


説明会研修で「うちほどホワイトITもないぞ」と言われていたのは真実だったのか。




そうした状況で他社のベテランから新卒とは思えない」と褒めてもらえるような仕事ができているのは、


恐らく身体的にも精神的にもストレスが無いからだろうと思う。




「どうしてストレス無く仕事ができているのか」と考えてみて、思い当たる理由は以下。


要は「心身ともに健康な時にする仕事」はストレスが溜まりにくいのではないだろうか、と思った次第。


当然能率も高くなるだろう。




新人のみならず先輩上司でも心身を壊して仕事が出来なくなった人がほとんどいない。


当日会議があろうと風邪を引いたら休む、という姿勢には衝撃を受けたし、


夏休みとして9月を丸々休む人もいる。(私も2週間ほど夏休みを取った)


ましてや「家族の体調が悪い」という理由出張キャンセルすることが許される会社があるとは思っていなかった。




そんな恵まれ環境にも関わらず転職する人が多いという話を聞いた。


でもよく考えると自身時間管理できる環境からこそしっかりと業務に向き合って技術力を磨けるし、


新しい環境に目を向ける余裕も生まれるということなのだろう。


(転職話もよくよく聞くと転職先は誰でも聞いたことある外資系企業だったりする)




逃げるための転職ではなく、自分キャリアを考えたポジティブ転職なのでみんな笑って送り出すし、


「将来のお客さんになるかもしれないから」と、上司も嫌な顔ひとつしない。



なんというか、「こうあるべき」会社労働者の姿がそのまま形になったような錯覚を覚える。




...どう書いても自慢話にしかならないけど、他の会社もすべてこうなったらいいなあ。

2016-09-12

顔が可愛いこと

なんだかんだ言って可愛い顔や美しい顔はそれだけで武器だし、顔が可愛いことによって人から肯定されて育つ中で培われたポジティブさとか自信はそれ以上に武器だと思う。

2016-09-10

ライバル1964年』ってCM気持ち悪い

2016年度全国キャンペーン:ライバルは、1964年|ACジャパン

ACジャパンが今年7月1日より開始した『ライバル1964年』というCM

自分がよく聴く民放ラジオ基本的TBSラジオ)では結構な頻度でこのCMが流れている。

自分はこのCMを耳にする度に、得も言われぬ不快感に襲われる。

何故不快感を催すのか、自分なりに少し考えてみることにする。

はいえ単なる根拠に乏しい繰り言でしかないので、そこは留意してほしい。

 

その1.いたずらな過去の美化

あの頃の日本人に、笑顔で負けるな。

見る夢の大きさで、人を思いやる気持ちで、心の豊かさで、絶対負けるな。

ライバル1964年テレビCMより

このCMにおいては、「笑顔」「夢」、「思いやり」といった根拠の不確かな理由過去を美化している。

加えてこのCMには「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢、思いやり、心の豊かさで負けているのではないか」という言外の意味も込められていると考えられる。

そうでなければ、律儀にあの頃の日本人と今の日本人を比べる必要なんてないはずだ。

まり居酒屋談義としての「昔はよかった」の変奏でしかない。

また、この10年ぐらい俗流の「昔はよかった」に対するカウンター的な言説も勃興している。

これらのカウンター的な言説の場合、だいたいは統計などのデータを用いた上で「昔はよかった」的言説の欺瞞を浮き彫りにしている。

ライバル1964年』で提示される「昔はよかった」を構成する要素のうち、「思いやり」は犯罪件数の推移をもとに論駁が可能であるかもしれない。

しか「笑顔」「夢」場合犯罪統計のような定量データ存在しない。そのため、「笑顔」や「夢(の大きさ)」を昔と今とで比較するのは至難の業である

結果「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢で負けているのではないか」というCMメッセージに論駁することすら叶わなくなる。

論駁不可能概念を持ちだすということは、それだけ「昔はよかった」ことをゴリ押ししたいのだろう。そこにはある種の狡猾さすらも感じさせる。

 

その2.政治的意味合いが強いCMを流すACジャパンへの違和感

このCMにおいては、東京五輪が行われた1964年東京五輪が再度行われる予定の2020年とが対比されている。

2020年に向けて日本を考えようというのは、東京五輪に向けた行動をとれというメッセージを婉曲して表現しているということは容易に推測できる。

また、ACジャパン公式サイト記載より、「日本を考える」ことは具体的に「(東京五輪に向けた)ポジティブモチベーションと、日本人の活力を高める」を指すようだ。

今の日本において、五輪政治的意味合いが強いイベントとして意識されているようである

例えば、2012年に取りまとめられた「スポーツ基本計画策定について」には以下のような文言がある。

4.国際競技力の向上に向けた人材養成スポーツ環境の整備

(中略)

国際競技大会等における我が国アスリート活躍は、国民日本人としての誇りと喜び、夢と希望をもたらし、国民意識を高揚させるとともに、社会全体に活力を生み出し、国際社会における我が国存在感を高めるものである我が国アスリートによるメダル獲得は、その一つのあらわれである

4.国際競技力の向上に向けた人材の養成やスポーツ環境の整備:文部科学省

また、2009年には塩谷立文部科学大臣(当時)が以下のような発言を行っている。

2016年オリンピック招致については、立候補ファイル2月12日までに国際オリンピック委員会に提出することになっていまして、そのために今準備を進めているところですが(中略)やはり、国威発揚ということも含めて、ぜひ、招致を実現したいと思っています

大臣会見概要(1月27日):文部科学省

これらのことを踏まえると、今の日本において五輪政治的意味合いが非常に強いイベント位置付けられているようだ。

特に国威発揚」や「日本人の誇り」といったナショナリスティックな意識の醸成のための手段として強く意識されているようである

これは、IOCの掲げる「政治的商業的利用がなされない五輪」という理想とは大きくかい離したものである

さて、ACジャパンの行うCMの特徴として、政治的宗教的事柄は一切扱わないということがある。

実際にACジャパンの会則の中にも、以下のような文言がある。

<その4 団体活動について>

(中略)

4.特定政治的党派的、宗教的主張を標榜する団体支援しない。

支援キャンペーン実施諸規則|広告キャンペーン|ACジャパン

一方『ライバル1964年』においては、政治的意味合いが強いイベントである五輪に向けた行動をとれというメッセージ提示されている。

解釈によっては、「日本人の活力を高める」ということもナショナリズムと連関したかたちで捉えられる可能性もある。

このことから、『ライバル1964年』は政治的宗教的事柄は一切扱わないというAC方針とは大きくかい離したCMであるといえる。

このようなかい離が何故発生したかについては分からない。

可能性として一番高いのは、制作者サイドがIOC提示した「政治利用されない五輪」という理念を無邪気に信じ込んだということである

一方、五輪の持つ「国威発揚」や「日本人の誇り」といった事柄政治的事柄ではないと誤認している可能性も完全には捨てきれない。

愛国心の醸成といったイデオロギー丸出しの教育が「偏向ではない」と見做される時代である

 

なお、2002年にも公共広告機構(当時)は『ニッポン人には、日本が足りない』というCMを放映していた。

しかしこれは国際交流の推進を目的とするものであり、『ライバル1964年』とは似て非なるものである

 

その3.新聞広告

ACジャパン公式サイト新聞広告画像データ掲載されている。

小学生が作ったような(プロとしては)粗雑なコラージュに、テレビCMナレーション文章としてこれみよがしに綴られている。

そのくせ「昔はよかった」オーラ瘴気?)はびんびん流れ出てくるからまらない。

高畑裕太でさえ擁護してくれる人が結構いる

どんな奴でもどんな状況でも味方になってくれる奴は必ずいるということだ

ポジティブにいこうぜ

2016-09-09

キンコン西野って,よくあんリスキーなことできるな

あれで全然売れなかったら赤っ恥もいいとこじゃん

自信があるんだろうけど,リスクを侵しても得られるものほとんど無いよね

(若干の宣伝にはなってるんだろうけど)

叩いてた奴を見返して悦に浸りたいっていうんなら売れてから言えばノーリスクなのに

自分のことを追い込むようなことをよーやるわ,とホント思う

セルフハンディキャップと逆のことを堂々とやるってのが心理学的に見てもホント凄いわ

石田相方名前忘れた)のやってる営業ポジティブシンキングより全然ポジティブやと思うわ.マジで

ナコルルの件 あの人にとてもガッカリした話

http://anond.hatelabo.jp/20160908185445

デ、デター!

ついにこういうのきちゃったかあ。

とっても残念ですはてこ氏。





元のゲーマーも、この増田も、要は無自覚ボンボン普通に世間で苦労してる社会人に怒られて逆ギレしてる、それだけの話。



この場合ボンボン」とは、ただ「日本人」として生まれ島国の中で特段「民族」を意識することなく育ったことを指している。「自民族中心」どころかそもそも圧倒的に無自覚に日々を安穏と暮らしてるこの子らは、自分という存在立場暴力性やら何やらに対しても全く無自覚だ。過去歴史も知らず、「日本人であること」が「アイヌの人々」に対して何を意味するのか全くわかってない。そのせいで、「ドイツ人ユダヤ人」というごく分かりやすいたとえを出されても理解できず、それが「ヘイトスピーチになり得ること」の意味が分からない。「日本人であること」の上であぐらをかいているのに、「民族性とかオレたち知らないしかんけーない」が通用すると思っている。

へ~~~~~~え。



私が述べたのは

ゲームの話してるメンションに突っ込んでいって、「殺す」のような言葉遣いを咎めるならまだしも、

アイヌ民族へのヘイトスピーチとして起訴するのは違いますよね?

実在アイヌ民族への悪意なんか無かったのわかってる以上はさ。

という論理ね。




これに理屈で言い返せなくなったら

ジャップアイヌ様では身分が違うのだから!」

身分の違いも弁えないものを知らない子供が!」

って言い出しちゃったよ。

これ反論になってるか?知性終了のお知らせしかねーだろ。




理屈で言い返すなんて生意気だぞう!」

ってか。

ダメだこりゃ。




まさしく「踏んだ人には踏まれた人の痛みは分からない」。だから「踏まれた人の反応」から推測するべきなんだよね。

ああもう私ははっきりこれには反対だ。

だってそれもう「踏まれた人」を無敵の王様にせよってことじゃん。

しかも今回のゲーマーは踏んでねーだろって話だしそもそも。




踏んでねーだろに反論できず

「「論理反論するな、身分が違うのだぞ、弁えろ!無制限のマーダーライセンスをよこせ!」

ってか。

それが通用すると思ってる方が妄想に生きてる一種ボンボンなんじゃないの。

私はこうやって逐一突っ込むけど、世間殆どの人は冷笑して通り過ぎると思うけどね。




凍結されたゲーマーポリコレ寄生虫への敵意と軽蔑だけを持ったと思うよ。

私みたいに寄生虫を解剖してその腐った了見を深く知ろうとする人間世間では少数派。




この件について、アイヌの人の側から、当該発言者の余りの無思慮・無思想っぷりについて、むしろ知らないがゆえに/知らないことそれ自体批判されるのは、全く当然のことと思うし、知らないで許されるという筋のことではない。

当該発言実在人物や実在民族への悪意や抑圧を企図表現したものではなく

それどころかナコルルというキャラ自体への敵意ですらなく

ナコルルを使って嫌がらせをする」と述べた友人への言い返しでしかない。




それはアイヌおじさんも、くたびれはてこ氏も理解出来ることだし、理解していた。

はてこ氏が理解してるということはこの増田理解してる。

ゲーマー氏はその言葉遣いについて「おじさんアイヌから字面だけでギョッとしたな」という抗議は受けてもいいが

アイヌ民族ヘイトスピーチを行ったという起訴をするのは無茶苦茶だ。




この当然の論理を非論理的威圧と脅しでひっくり返そうっていうその了見から腐ってんだよお前らは。

お前等のその了見や活動によって実在アイヌの人が何か助かる訳ですらない。

お前らが誰かを攻撃して説教したいだーーーけーーーー

ってもうバレバレからな?w




アイヌの人がどのような目に遭ってきて、いまどのような境遇にあるか、そのことへの想像力私たちがもたないで「よい」という主張であれば、これはもう政治的主張だ。本人がどういう意図で語っているのであれ、増田と元のゲーマーの彼の言っていることやっていることは、そういう政治的意味なる。その上で批判されているのだ。

なりません。

実在アイヌを全く指していないのが明らかでも「アイヌ」という文字を使っただけで政治主張になるのだー

アイヌ様側から論理破綻した滅茶苦茶なヘイトスピーチ認定に一切反論はまかりならんのだこの身分の低いニッポンジンが!

っていうルールはお前らポリコレ寄生虫オナニーオカズ生産以外のなんのポジティブ意味も持たない。

差別されてるかわいそうな人を救う効果すらない。

お前等のような邪悪人間の為だけのルールには善良な市民コミットする意義がない。





アイヌ様」側に立つことの権威パワーを過大評価してるみたいだが

権威ってのは冷笑する相手に誇示すればするほど裸の王様になっていく。

私は困ってる人を助けたいし、社会をよくしたいし、差別には大反対だけど、

悪いけど「アイヌ様」の風下に立つ気はねーわw

人類平等って信じてるからね。




さいごに

とっても残念ですはてこ氏。

あなたは理性に踏みとどまれなかったな。

自分達を批判してくる奴は全部差別者」。らくちんだねー。




もう堕ちていくだけだね。

2016-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20160906153847

「俺が積極的に行動しないことで物事好転する」という自信を持ち、控えめに生きよ。

「自信を持つ=ポジティブに動き回ること」ではない。

http://anond.hatelabo.jp/20160904214105

上司仕事は、部下をうまく使うことである

部下を使うとか使わないとかそういう問題でなく、目標を達成するのが上司仕事です。

目的に達するのがその上の役職仕事で、直接労働担当員とその上司のセクタはその日の仕事をうまくやるが

目標になりがちですが、目的達成のための目標に達する調整をするのが実働部の仕事です。



上司評価が~成長させられるか」だ。

仕事根本は「成果を生み出す」ことです。だれかを育てたりするのは学校でのお仕事です。

評価なんて、というのに一理あるのは社内価値生産物価値は等しくないし労働量に見合った成果が

評価につながるわけでもないからです。そのためできない人の救済とできる人の安定供給のために

拘束時間労働と完全歩合制にわかれ多くは前者になっているのです。

時間労働の方にも成長を必要としている部分はたしかにありますが、それは基本給外の評価制度

それが基本給の何割に当たるか、また教育制度などにより節税対策をしているなど両立しているところに

おいても、それらが基本給の何割か、基本給という「成果を生み出す義務」の量と「成長の必要用」の

割合を一度、給与明細から計算してみてください。

成果をあげることをしている中だけでも教育期間にも劣らない学びがあることに気が付かないとしたらそれは災いである。



・「上司の言うことは~それを殺してはいけない。

上司のいうことに従わないのに上司の下にいる意味、それは伏兵のしているそれとまったく同じでしょう。

クリエイティブな、という言葉で指示を無視し道をはずれることを善しとするのはただの害悪です。

したいのであれば、すべきところですべきで、それは部下からみて上司にもさんざん乞いているでしょう。

「○○する上司は」と上司のあり方を狭義に断罪しているそれを今一度振り返ってみてください。



仕事をしない~に出来るから

なぜ上司仕事あなた仕事が同じものだと思ってしまったのか。



・何かを言う時は~、相手は何も言えない。

根拠関係ないです。それを証明できる事柄があったとして説得できなければ何の役にも立ちません。

とても似ているのでこれと間違えているのではないかと思うのですが、判断の起因となる根源的な過去事例

のことを真実かなにかと思っているのではないでしょうか。

勘違いだとしても、歪曲された過去でもそうだったと思い違いでも、相手の根源的な情報で言い伏せることもできます

逆に、どれだけ真実であっても逆効果しかならない正義真実もあります



・とりあえず~を見分けるスキルを磨け。

なにが重要なのかを相手任せにした時点でそれは助言でもなんでもないですよね。

多くの公的な事例と成功例をあげて、「それはあなた次第だ」と言ってみてはどうでしょう

なにかのアドバイスになりましたか

とりあえず、人のいうことは聞きましょう。聞き流すという意味ではなくて気に掛けるという意味で。

ここまでさんざん他人の行動を気にしていたのにいきなり自己中心的に反転してびっくりしてしまます



・どんだけしくじろう~君をクビにはできない。

嫌われと上司に好かれるの意味がわかりません。

その好かれているというのは何なのでしょうか。



ロールモデルを~うするだろう」と考えるんだ。

仮想することをしない人はいないと思うのだけど言い換えたら新発見になりましたか

転ばぬ先の杖、というのはそういう意味だったのですが、ご存じ、ありませんでしたか



・人は皆優秀であ~せてはいけないよ。

何を言っているのかよくわかりません。



・私は昔から、変わ~司や先生たちである

人のいうことを聞かない変わり者を好んでくれたセレブ自分成功に導いた、というストーリー

何の意味があるのでしょうか。



・結局は運であ~していなかった。

予想どおりな人は一人もいないでしょう。だから仮想して予定して準備をするわけです。

その予想と予定を立てるべき場所相対的に割り出すために、人に話を聞くのです。



バカが言った~い部分だけ認めなさい。

認める、と言い換えてはいますが、やっぱり人の話は聞きましょうね。



・つまらない仕事~司に正直に言いなさい。

仕事基本的にすべてつまらないものです。楽しくするのは自分次第。

仕事が楽しくなるように見つけたり励んだりするのではなく、楽しい作業仕事に混ぜたりするんです。

メモかわいいものにするとか、付箋をきれいなものにするとか、ペンお気に入りにするとか。

のし作業の上につまらない仕事がのっかっている状態を心がけるのです。

野菜のきらいな子がたべやすいように、ごちそうにわからないようにまぜるように。



・自信を持って、ポジティブに生きなさい。

そうですね。

2016-09-05

非モテ

誘いを断った女は、その相手に対してポジティブなことを言うべきではない。

少なくともその女にはモテなかったわけであり、非モテ肯定である

非モテを行動で肯定しておきながら、口では「そんなことない」と言うのは、断った自分への言い訳しかない。

「私はあなたにまったく魅力を感じないけど、感じる人もいるかもね。頑張ってね」

ひどい話だ。

2016-09-04

教授に教えて貰った考え方(備忘録

とても尊敬する教授に、仕事に関する悩みをぶちまけたら言われたことを、忘れないようにメモしておく。



上司仕事は、部下をうまく使うことである

 うまく君を使えないのは、上司責任である



上司評価がとてつもなく悪かったとして、でも違う上司評価がとてつもなく良かったとしよう。

 上司上司は、これを見て、二人を呼び出して話し合わせるだろう。

 君が本当に使えなければ、君を悪く評価した上司が正しい評価を下した優秀な人ということになる。でも、君が使えれば、そいつは間違った評価をくだした使えない人となる。

 それがどう転ぶかは、君次第だ。



仕事根本は、「どれだけ自分を成長させられるか」だ。

 金をもらって、勉強してると思えばいい。



・「上司の言うことは絶対だ、下はヘコヘコしてろ」という上司もいるだろう。

 個性を殺そうとする上司もいるだろう。

 でも今の時代、言われた通りにやるなんていう、機械にもできることをやるような仕事なんて、やってはいけない。

 本当に頭を使って、クリエイティブな人ほど、これから時代は重宝される。それを殺してはいけない。

 


仕事をしない、使えない上司ほど最高だ。

 なぜなら、上の役職仕事を、責任を負わずに出来るから



・何かを言う時は、いつも根拠を探しておけ。

 根拠さえあれば、相手は何も言えない。



・とりあえず、人のいうことは気にするな。

 10注意されたら、そのうち2治せれば上出来。

 ただ、その重要な2を選ぶのは君だ。重要なことを見分けるスキルを磨け。



・どんだけしくじろうと嫌われようと、最悪クビになるだけだ。

 だったら、「クビにしてみろ」という気持ちで働けばよい。

 一人でも君を気に入っている上司がいる限り、君をクビにはできない。



ロールモデルを持っておけ。

 何か起きたら、「ロールモデルだったらどうするだろう」と考えるんだ。



・人は皆優秀であり、個性があるから素晴らしい。

 良いところを、社会に殺させてはいけないよ。

 


・私は昔から、変わっていると言われていたが、変わっているからこそ評価してくれた人はいた。

 私の人生を変えてくれたのは、そこで評価してくれた上司先生たちである



・結局は運であり、直感であり、縁である

 私も人生がこうなるだなんて、予想もしていなかった。



バカが言ったことを、バカからと言って聞かないのは、バカがすることだ。

 その人にもその人なりに考えがあるはずで、それを考えた上で、正しい部分だけ認めなさい。



・つまらない仕事でも、面白い部分を探しなさい。

 面白い部分がどうしても見つからなかったら、上司に正直に言いなさい。



・自信を持って、ポジティブに生きなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20160903074101

[長文なのよ]自分が思う一重の有名人

大久保加代子の左目(右目は奥二重)

深澤真紀名前知らないからぐぐった、こんなはっきり一重の人でもテレビに出られる時代になったんと驚嘆した記憶がある)

豊川悦司

澤穂希メディアに登場する中では、スポーツ選手相対的に一重を多く見る。アイプチとか邪魔なんでしょうね。でも視界は広い方が有利になりそう)



木村佳乃とか寺島しのぶとか広末涼子とかは奥二重なのでは。奥二重かつ黒目が大きく見える人は珍しいと思う。

ちなみに山口小夜子はしっかり二重。



一重だから不細工になるということもないけれど、一重なのに不細工じゃないという奇跡は本当に珍しい。すでにブコメにもあるように、大きな目(大きな黒目、黒目が閉める割合の多さ)は多くの動物にとって保護欲を喚起させるので、幼さ、愛らしさに通じるという研究がある。ご承知のとおり「妻と畳は新しい方がいい」という伝統を守りロリ文化を誇るわが日本では、黒目がちであることが可愛らしさに通じる。アイプチはもちろん、黒カラコンの隆盛の理由はそれ。最近アイドル写真はどれもこれも黒カラコンばかりで、CGもしくはオリエント工業みたいでちょっと怖い。

ロラン・バルト彫刻刀で切れ込みをうっすら入れたような目とかなんとか形容したアジア人の目が、増田が嘆いていて、ハリウッドパリコレで「アジア人らしさ!」と押し付けてくる、シャルリー・エブドみたいなところに嬉々として描かれる、日本でも「狡賢そう」「起きてる?」「ブサイク」などと形容されるタイプの目なのであって、黒目がそれなりに見えている一重(奥二重)はこういった印象をあまり与えない。



余談だけれど、「黒目がちょっと大きい(く見える)」アイドルはそれだけでアドバンテージがあったのに、いまでは技術で埋められてしま時代なのだなあと、芸能人ワナビー苛烈さを思って心をいためている。(広末涼子とか、松田聖子とか、「目おっきい!」と思わせた筆頭だと思うのだけど、どうでしょうか?)



ところで自分10代のころもアイプチ(的なもの)はあった。びっくりするくらい不自然だったから、「あいあんなブスなのに見た目気にしてんだぜwww」という嘲笑の的になることが目に見えているので手を出したことはない。

昔は一重がもてはやされていたというわけではなくて、大きすぎる目はギョロ目って言われていただけ。なんか平安時代でも、目がぱっちりしてて涙袋かわいい、的な記述があったはず。

ブコメで「家族はみんな二重」って言っているのは、「家族はみんな白人」て言ってるようなもの。(両親白人で実子のケースなら当たり前だろってことと、『差別なんて気のせいじゃない? 気にしなけりゃいいよ!』という無神経さなんだよ、ってこと)



またまた話がそれるけど、自分のまぶたを手でちょっと持ち上げて、友人のあいつは黒目がこのくらい出ているなと試してみると、いやもう視界が広いのね。びっくりする。羨ましい。自分では自分の視界しか知らないからちゃんと見えていると思っているけれど、例えばインド人なんかと比べたら確かに半分くらいしか見えていないのかもしれない。もちろん、焦点の合う範囲は変わらないんだけどさ、上のほうに高圧電線がある場合なんか、インド人のほうが早く気づけるんじゃないの?

そんでインドに行ったときに、会う人会う人すれ違う人すれ違う人、というか私の狭い視界に入る人みんな、とにかく目玉がでかい。おめめぱっちりとかい可愛いらしいものじゃなくて、目玉がでかい。もうね、同じくらいの身長であっても、虹彩の大きさがぜんぜん違う。瞳の色は千差万別なんだけど、虹彩も、白目も、「目玉」感を圧倒的に押し出してくる。目玉に負けて値切り心が折られそうだった。いや、人種によって目玉あるいは虹彩サイズが違うということはあるのだろうか。誰か教えてください。



まあアラフォー独身自分からしてみれば、非モテの原因に一重は関係ないと思うけど、二重なら出発点は少し底上げできたというのは確か。多くのブコメのように世の人は「あいつ一重でブスw」とは思わず、単純に「あいつブスw」としか思わないから、アイプチでもカラコンでも、解決できる術は利用しちゃって心の平穏を得られればそれでいいよね。

自分のことで申し訳ないけど、人生で一度くらいは、お世辞でもいいから、せめて「馬子にも衣装ね!」で充分なので、容姿に関してポジティブ発言を耳にしたかったなー、と30代くらいまでは思っていました。ババアになると等しく世間は冷たいから、婆も不細工な婆も非人間扱いだからいっそ気楽。でもババアになるまで呪縛は解けない。

容姿人種も生まれも厳然たる差別存在するので、そこから脱せない人は呪うしかないし、恵まれた人は呪いを目にすると不快になるだけで配慮してくることもほぼないので、まあ他人を気にせず自分の心を保つほうが健康的ですよね。健康であることと、世人から求められることとは一致しないことも多々ありますが。

2016-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20160903120357

関係あるかどうかわからないが、今朝NHKの週間ニュース深読みでリオ・オリンピック予算不足の話やってた。

リオのオリンピック準備予算が膨らんで、開催直前になって予算が230億円ほど足りなことがわかったんだと。

その時に出てきたスローガンが「ガンビアーハ」。あとで何とかする、という意味だそうな。

なんでもカウントダウン電光掲示板廃止競技施設以外の予算を削りまくってなんとかしたんだと。

なんかそれが番組好意的に取り上げられてて、ゲスト山田まりやがイエーイって乗ってたけど、誰にしわ寄せが来るかわからないまま「何とかする」ってのはすごく怖いことなんじゃないのって思うんだよね。ラテン気質らしいとも言えるけどさ。ポジティブガンバリズムでやり抜きました結果オーライ良かったねで済むとは思えないわけ。だってカネがないならボランティアでなんとかしろって言いそうな人、こっちの国にはたくさんいそうじゃない。

逃げた結果どうなるかを言えない「何とかなる」もそうだし、誰が泣きを見るのかわからない「何とかする」も手放しで褒めちゃいけないと思うんだ。

「何とかなる」っていう言葉

もののけ姫の「生きてりゃ何とかなる!」という台詞のようにポジティブ意味で使われることが多いけど、

 

はてブ)逃げればいいとか簡単に言う大人が信じられなかったので募集したら逃げた人はほんとうにめちゃくちゃいた - Togetterまとめ

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/1018934

 

↑これみたいな感じで、既に経験してきた人生に対して「何とかなった」と言われるとどうもネガティブな印象しかない。

奥歯に物が挟まった言い方というか。本当に逃げて良かったと思えるならその言葉は出て来ないんじゃないか

何とかなったの「何とか」部分を列挙してみたら、実は元の環境で耐えた方が明らかにマシだったということはない?

というか、逃げた後にさら悲惨未来が待っていたけどそれはそれとして何とかなったというのは、逃げという選択自体は間違ってたってことだからね?

 

まあそれはあくま結果論だし、生きているかラッキーだとはっぱ隊も言っている。

でも逃げた結果「何とか」部分を具体的に言えないような苦しみを味わった人が「逃げても何とかなるよ!」と誰かの背中を押すようなこと言うのは、

無責任というか過去自分に失礼というか、喉元過ぎた熱さを忘れすぎじゃないかと思う。

もちろん逃げ出した相応の大変さを指して「何とかなった」と言っているなら話は別だけどね。

2016-08-30

正しいことをしていると、一点の曇りもなく信じて行動している人が怖い

人間なんて大したことがないし、誰にだって間違いはある。

正しいことをしたいとは思うけど、往々にして、意図しない結果を招くことがある。

から自分は正しいことをしているという風に全身からオーラを放っているような人を見ると、生理的に受け付けない。

しかしたら間違っているかもしれないと、一ミリでも自分省みることなしに、堂々と行動する人が怖い。

なんでそう振る舞えるのだろうかと、どこか別の世界の生き物を眺めるかのような眼差しを向けてしまう。

具体的に言えば、被害者の肩を持って熱心に主張する第三者とか、街頭で声を張り上げて募金活動している人とか。

それは、自信とか積極性とか、そういう美談として消化できる話ではなくて、もっと得体のしれない何かなんだと思う。

おそらく、仮に話し合う機会を持てたとしても、彼らには何ら変容を期待できないだろうっていう絶望感なのかな。

まるで、話が通じない肉食獣に対して抱く漠然とした恐怖心のような何か。

それでもやっぱり、そうやって自信に満ちた振る舞いの方が、ポジティブに受け止められるというのが、世間では一般的なのだろうか。

2016-08-25

瞑想」について

瞑想」――言葉だけは誰しも聞いたことあると思う。なんとなく、座って目を閉じて心をリフレッシュできるもの?というくらいの一般認識はそこそこ広まっているとしていいのだろうか。

かくいう私も今年になってから始めたのがこの瞑想。寝る前に15分くらい実践している。例として挙げるには恐れ多いけれど、アップルコンピュータ創始者であるスティーブ・ジョブズ氏や、京セラ名誉会長でありJALを再建させたことも記憶に新しい稲盛和夫氏も実践しているらしい。

今やブームになっているとまでは言いがたいが、知っている人はやっている、心身のリフレッシュ方法だ。瞑想はいったい何なのか?その実践方法瞑想による効果について私なりにお伝えしたい。

■「自分思考自分の考え」というのは誤り

細かな歴史や背景については検索すればいっぱい出てくるのでここでは省略するが、発祥はもちろんインド仏教からだ。しかし、現代人の多くが実践している瞑想はそういう宗教的目的ではなくて、強いて分かりやすく言えば、雑然とした頭の中をすっきり整頓させることを目的としてやっている。

まずこの「雑然とした頭の中」について理解するための方法として、あなたにもぜひ試してみてほしいのだが、「10秒間、何も考えないでみる」をやってみてほしい。いかがだろうか。みな、「気づくと何かを考えて」いないだろうか。たった今、自分で何も考えないと決めてかかったにもかかわらず、気づくと何かしら考えているのだ。

まり人間思考というのは一見自分制御しているようで、実際はそうではないことが分かる。あなたに今思い浮かんだその思考は、あなた自身制御によって浮かんだ思考ではない、という点だけはまず基礎知識として知っておいてほしい。

ストレスの源である自我と関わりのない時間もつ

この自らの意思とは無関係自動的に湧いてくる思考のことを自我と呼ぶ。人間ストレス精神的な苦しみはこの自我によってもたらされる。つまり自我自分自身と捉えてしまうことによって、日々嫌な思いや嫌な気持ちを味わってしまっていると理解していただければと思う。

釈迦様ですら、この自我のことを悪魔と呼んだくらい、人間にとって厄介な存在ものなのだ瞑想とはそんな自我と関わりのない時間もつための手段ひとつになる。

基本はリラックスして座る、鼻でゆっくりと呼吸する、呼吸に集中する

瞑想をする理由が分かったらあとは実践あるのみとなる。実践と言っても学校勉強ビジネススキルアップのように小難しいことは一切ない。基本は、

リラックスして座る

鼻でゆっくりと呼吸する

意識を呼吸に集中させる

の3つだけ。本を読んでみるとマントラを唱えるとか色々あるけど、要点としては変わらない。最初のうちは自宅のベッドなど静かな場所でやった方がいいだろう。慣れたら昼休み中のカフェでもできたりするそうだ。

基本はリラックスして座る、鼻でゆっくりと呼吸する、呼吸に集中する

座り方も写真のようないかにもな座り方があるがそれにあまりこだわらなくてもいい。大事なのは自分が本当にラクできる座り方であること。ラクに座れたら、次にゆっくり鼻から息を全部吐く。吸う時は鼻に任せる感じで、またゆっくりと吐く、これを繰り返す。

最後に何より難しい「意識を呼吸に集中させる」だが、自分の呼吸を五感で感じるつもりでスーハーする呼吸音に耳を傾け、肺に入る空気を体で感じる。慣れるまではこの呼吸に集中するのが難しく感じるが、集中してしばらく続けるとコツがつかめるはずだ。

■頭に浮かぶ雑念とは戦わない

無事、瞑想の態勢に入れたあなたに改めて伺いたいが、いかがだろうか。慣れるまでは先ほどの「思考の大群」が頭に押し寄せては来ないだろうか?

私も始めたばかりの頃は、あまりにこの思考邪魔すぎてとても瞑想どころじゃなかった。しかし、ここで超大切なコツをひとつ。その邪魔思考を決して消そうと思ってはいけない。なぜなら、その消そうとしているあなたの思いですら、あなた思考から出てきているものからだ。

非常にややこしく感じるかもしれないが、ここではそういう思考に決して立ち向かってはいけない。ただただ、浮かんでくる思考を、映像を眺めるかのように傍観し続けてほしい。

■まずは1日15分から。何が変わるかは人それぞれ

瞑想はやり過ぎはいけないと言われている。また、非常に集中力を要するものなので、最初タイマーをセットして15分を目安に実践してみるといい。上手くやれれば最初の1回目から効果を感じることができるかもしれない。他にも、実践している人の声として、

集中力記憶力が向上する

まらないことで怒らなくなる

考え方がポジティブになる

熟睡できるようになる

自信がつく

などがある。私も始めてから3~4ヵ月ほどだが、昼間の集中力は明らかに向上した(気がする)。科学的に集中している時間を計ったわけではないので断言はできないが、実感できるレベルにまでは十分向上している。

あなたは何が変わるだろうか?やり過ぎに注意しながらも、楽しみながら実践していただきたい。

2016-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20160822195524

謙虚になって、上には上がいる、と想像してごらんよ。

自分よりもっと多くを感じ取って

もっと深く感動している人だっているだろう。

そういう、ネトゲで言うなら「廃人レベルの人が、

自分未満のファンを不真面目だ、なってない、楽しむ資格がない、

などと侮蔑言葉自分にぶつけてきたら、どう思う?

twitterを覗かれて、良さを理解してる様子がない、と言われる。

 (思ったことをすべて逐一twitterやらに書き記すわけがないのに。

 そうやって他のファンのことを気にして、うざったいな)

と思うだろう。

 (そんな風に驕りたかぶらずに、

 「他のファンたちもきっと自分が思うより愛している部分があるし、

 いろんな形の愛し方があるんだ」

 くらいに好意的に、他人に敬意をもって解釈してくれたらいいのに。

 俺は俺なりに愛してるんだよ、俺なりの器量の範囲で最大限。

 ポジティブに楽しんで何が悪いんだ。)

とも思うだろう。

 (だいたい他人の練度を気にしている時点で、

 純粋コンテンツを楽しむ姿勢となにかズレているんじゃないか

と思いもするだろう。

そういう見下される側の気持ちを、

自分が見下そうとしている人たちにも適用してみる。

それができる程度に想像力を働かせる習慣さえあれば、

増田のような猜疑心は、

湧いたそばから蒸発させてしまうことができるんだよ。

シンゴジラを加点法で見ても

そこまで点数高くなかったんだよなぁ個人的には。

マッドマックスもだけど。

批判する人は減点法で見てるから〜 みたいなのマッドマックス以降よく見る言い回しだけど、加点法でもそこまで?みたいな人は「そもそもお呼びじゃない」みたいなカウンターが用意されてて、

一見ポジティブに見えつつ全体主義だなぁって思う。

ちなみに加点法で見て自分が見て高かったのは

コンタクトインターステラー

ネタバレ

2個はねえだろ とか そのインチキ日本何だよ とか色々減点箇所はあるけど、もう冒頭の電波解析してるシーンだけで24000点くらいテンションが上がった。鉤十字で一同がヤバってなるところで+6000点。

インターステラーも細かいとこよくみりゃ色々SF的に穴だらけだけど、重力波バイナリを送るってとこだけで在来線の2000倍ニヤニヤしてしまった。

ま好みの違いといえばそれまでだけど、在来線の箇所で100ポイントくらい自分もあがりつつも「あ、ここでテンションが1000点くらい上る人が一定数いるな」っていうメタ思考が入り込むくらいには没入できてなかったし、

うおおおおおってならなかったんだよなぁ。映画としてとにかくワクワクさせる、テンション高く駆け抜けるってのがこの手の映画の最大の目標だと思うから、ここが達成されてなかったのでうーん という気持ちです。