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はてなキーワード: ポジティブとは

2017-03-23

板東英二新幹線で泣いてる赤子はデッキに出ろ発言マジでムカつく

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170323-00000005-jct-soci

この記事を読んで、(全くの他人事だけども)久しぶりに真剣に腹が立った。



ポジティブに読むのであれば、子供が泣くのは仕方がないけれど、それを親がフォローしないのは如何なものか、公共の場は皆が気持ちよく過ごせるように全員で協力しましょうね」ていう趣旨なんだろうけど、それでも「うるせー」としか思わないし、本当に腹立たしい。



100歩譲って、公共の場から少数の人間特殊事情が大多数の人間迷惑になる場合は、少数の問題を抱えている方が我慢するというルールを受け入れるとしよう。

それで、そのジャッジをするのは誰なの?

「声の大きな人」「会話をしてる人たち」「酒臭い人」「化粧臭い人」「顔が好みじゃない人」「太っている人」「汗をかいている人」「体臭のある人」「口臭のある人」「見た感じ何か嫌な人」「泣いてる赤ちゃん」みんなデッキから追い出すの?板東英二さんはどれにも該当しないの?最終的に新幹線の席に座ってられる人っているの?新幹線トイレ足りる?



要約すれば、ただの「いじめ」じゃないの?



あと、親なんだから子供が泣いていたらあやせばいいんだ、というのが本題なんだろうけども。

それこそ本当に腹立たしい話しだと思う。


やすってなんだよ。

赤ん坊が腹を空かせればご飯をあげる、オムツが汚れたら交換する、怖がっていたら気を紛らわせる。

やってるに決まってるじゃん、赤ん坊が泣いてる親は全員なんもしてないと思ってるの?それ本気かよ???

そんなに育児放棄している親がゴロゴロいたら、もう子供なんて全員死んでるし、児童相談所孤児院も満杯でパンパンだろうよ。

そうじゃなくて赤ちゃんは泣くんだし、板東英二さんだってだってだって、みんな赤ちゃんときは泣いて何かを知らせて、泣くしか出来ないってことでしょ??

こんな発言をを公共放送シラフで出来る、その発言を聞いた人が誰も全力で反論しない、1つの意見として成り立ってしま社会こそがどうかしていると思う。



子供が泣いて親がオロオロする必要なんて全くない、そのまま当たり前に座っていて欲しい、周りの人が協力しろとかでもなく、腹がたっても少しだけ寛容で許しあればいいのに、心からそう思う



いまだに腹が立ったまま書いてるから支離滅裂かもしれないけど、書かずにはいられなかった。

ていうか僕は何にそれほど怒っているのだろうか……。

2017-03-22

無抵抗真相

世の人にとってはどうでもいいことだけど、どこにも吐き出すところがないので書くだけ書いて吐き出そう。

デートドタキャン、実に苦しいものだとは思いませんか。

楽しみにしていた企画が前日の晩にぶっ潰れたその日、意気揚々と散髪して友達と会ってどこでご飯を食べればいいだろうかどこのスポットオススメ?等と宣い、実に嬉しそうに前日を満喫していたのである

体調不良が原因だなんて、何も言えるわけないよ。それは大変だ、気にせずゆっくり休んで!以外何が言えようか。

ごめん…機会があったらまた誘ってだなんて、デスコンボですよお兄さん。勿論!以外何が言えるんですか。

家族には予定を聞かれた時にニヤけてたせいでバレていた上でこのザマだ、ホラと追い打ちをかけられる。

社交辞令だと分かっていても信じたい、そんなことをする子じゃないと信じたい、きっともう一度誘ったら前のように良いですね!と言ってくれるのだ。

三月も末、区切りの次節である

先月初めて仕掛けた時は当たって砕けろ砕けりゃ4月から新生活に没頭よとポジティブに猛進したのだ。

4月から新生活に大いに影響を及ぼしてくれました。

今日祖母の御見舞の道すがら街路樹の桜が咲いているのを見た。

お花見に行こうという口実で一緒に手を繋いであーでもないこーでもないと喋りながらただ歩けるだけで良かったのにもうお終いなのか。

いつもそうだ、追われてる気がして追おうと心を奮い立たせたものの見事に玉砕、そして自信喪失人間不信の再来。

次行け次等と皆は宣うが、良くも無責任にそのような発言ができるものである

まるで我々に車を買わない若者共と言う烙印勝手に押す唾棄すべきご老人方のようだ。皆本当は欲しいのである

ふう、人を批判することでしか思考が成立しないのだ、可愛いおんなのこが寄るはずもない。

ここまで読んでくださった人たちありがとう、僕はタバコ吸ってふて寝をこくこととします。

意思が弱くて禁煙に失敗する人へ

禁煙を失敗する人に、まずは問いたい。

本当に禁煙したいのか?と。

心の底から「本当にやめたい」と思っているのか?と。

煙草麻薬みたいなもので、やめようと思っても、体が求めてしまう。やめたくてもやめられない。」

禁煙失敗した人の常套句だが、そんなことはない。

だいたい、麻薬感覚なんか知らないでしょうよと。

禁煙に失敗する人はね、結局意思が弱いのよ。

意思とか関係なしに、本当にやめたいのに煙草を吸わないと体が震えて死にそうになるとかガチな人はさっさと医者行け。

さて、意思が弱くて禁煙に失敗する人に、改めて聞こう。

心の底から本気で禁煙をしたいですか?

この時点で少しでも気に迷いが生じるようならまず禁煙成功しない。

外的要因によって禁煙をしようとしているなら、絶対成功しない。

自分が本気で「辞めたい」と思わなければやめられないのである

外的要因とはつまり自分本心以外の部分で辞めたいと思っているパターンだ。

・小遣いが厳しいか

健康に良くないか

家族が嫌がるから

・●●にやめろって言われたか

こういったパターンでは、「辞めたい」という気持ちの裏に「本当はタバコをやめたくない」という本心が隠れている。つまり好きなのである

これを恋人に置き換えてみるとわかりやすい。

とても好きな恋人がいる。とても好きなのに別れなければならないとしたら、どれほど辛いことだろう。それこそ簡単理由では別れることはできないのではないだろうか。

たとえ別れることができたとしても、それだけの好意を持ったままだとすれば、簡単に忘れることはできないだろう。

好きなものを辞めるというのは本当に辛いことである

話を煙草に戻そう。

もうすでにおわかりかと思うが、最大の禁煙方法は「煙草を嫌いになること」である

健康に悪い」とか「金がかかる」とか表面的なところで嫌いになるのでは駄目である

親の敵のように煙草を憎み、恨み、蔑むのである

そして煙草を吸う人間嘲笑する。

あん健康に悪いだけの煙を吸う人間頭が悪い

時間無駄。何もプラスにならない。ドブに金を捨ててるのと同じ」

「単純に臭い

タバコミュニケーション(笑)

「狭い喫煙所でモクモク燻されて、おまえらハムかよ(笑)

「何かに依存してる人間ってマジダサいっすよねぇ〜」

喫煙所探してる姿って滑稽だよね」

などなど、とにかく思いつく限りこき下ろす

そして、それを本心として自分自身刷り込み続ける。

あくまで心の中で留め、表に出さないこと。)

とにかく煙草ネガティブイメージを膨らませて、それを本心にしていく。

とっても簡単に言うと、「煙草を吸うやつ=バカカスうんこカスキングカス

という考え方にさえなれればOKなのである

人間とは不思議もので、毎日そう考えて、ときには言葉にしたりしていると、本当にその通りの気持ちになるものである

これは有名な心理学者フロイトだかユングだかニーチェだかも言っていた気がするので、おそらく本当である

タバコポジティブイメージ(かっこいい、大人の嗜み、コミュニケーションツール有名人も吸ってる、など)に引っ張られそうになったときは、自分とは別世界のことだと割り切ればいい。

有名人みたいに金ないし、吸っててかっこよくねーし、タバコを吸わなくたってコミュニケーションは取れるし、大人の嗜みとか似合う人間じゃねーし。

一般人タバコ吸ってても、頭が悪いうんこしか見えないってことを理解する。

第三者から見た自分は、頭が悪いからタバコなんか吸ってる人未満のうんこなのだ。ああなんて恥ずかしいことだ。タバコなんてやめよう。

長くなったが、言いたいことはつまり

「好きなままではやめられない。だから嫌いになろう」ということである

そうすれば必ず禁煙成功する。

これまで数十度の禁煙成功してきた俺(今日禁煙初日からアドバイスである

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321111821

そもそもパートナーに対するポジティブ感情の源泉が「自分子供相手から利益を受け取れることが将来にわたって期待できること」であり

介護要求自分リソースを割けという要求)は恋愛と同根

ファン」とはどういうものか。あるいは、そうなれない人の思考

とあるファンブログを見ててまさにこれだな、と思ったので。

思うに、ファンと「ファン」は重なり合いながら共存している。

 

例えば、デレステルームアイテムとして太鼓の達人の筐体が実装される。

 

ここで、「ファン」なる性質もつ人は、これをおっとりした智絵里に叩かせて、

大空直美(智絵里中の人で、太鼓の達人が上手い)が降臨してるwwwフフフ…」とニヤける。

ただ、そうやってニヤける人も、実は分かっている。

ルームアイテムアクションが1パターンで、どのぷちデレラがプレイしても機敏に弾きこなすということを。

そう分かってもなお、やはり「趣深いな…」と感じられている。

 

その一方で、「ファン」の性質に欠ける人は、何パターンかあると思うが、

  • そもそも、興味を深く広く拡大していくような習慣がない等で、中の人ネタを知らなかった。
  • 知っていたとしても、脳内中の人など、別の事象(時に時事なども)と連結して楽しさを見いだす回路が鈍い。

複合的な楽しみ方を、「こじつけだ」のように冷笑的に捉えがち。

脳がシリアル処理なのか、それ単体としての評価をするのが美徳のように捉えている所がある。

上の例でいうと、「なんで1パターンなんだ、クソだな」「もっと作り込めよ」「好きだからこそ批判してるんだ」などと思いがち。

期待度はやけに高いし貪欲なのだが、楽しんでいる人たちの受け止め方を見せられても、

信者乙」という感情が先にきてしまい、「それはそれ、これはこれ」と忠告目線を変えない。

彼らも、別に批評家ごっこがしたい訳ではなく、楽しもうという気はあるのだと思う。

ただ自分の思ったとおりに楽しませてもらえないことに対して許容範囲シビアだ。

 

それで、2ちゃんだとかtwitterだとかのネット上のファンコミュニケーションの場において支配的になるのは、

どうしても後者のような捉え方になる。コミュニケーションが広く活発になるほどそうなる。

それはもうどうしようもないことなのかもしれないが、

前者のような「fun」の姿勢

日本語でいうならば「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」

という発想の人の肩身が狭くなって、ブログで一人つぶやくだけの世界になるのはつらいなあと思う。

 

ファンの中にも「ファン」と、そうでない人がいる。

それを肝に銘じながら、これからどんな娯楽に触れるときにも、「ファン」側の壊れやす感覚に寄り添っていきたいと個人的に思う。

まあでも、そんなに難しく考えることもないんだろう。

娯楽は楽しむためのもので、楽しさは相対的感覚

絶対的な正解の表現はないし、どんな受け止め方をする人がいてもいい。

それだけ忘れなければ傲慢にはならないで済むし、楽しめない自分に幻滅してしまうこともないだろう。

fun」に至るほどにチューニングが一致する、というのは幸運なことだ。

 

 

余談だけども、某橙色はてな村民の、李徴と袁傪の新作漫画もさっき拝読した。

李徴は、映画前のCMを「これはこれ」として評価したのではなくて、

映画体験」の一部として複合的に、次回への期待も込めて(時系列も含めた複合性)受け取ったかポジティブに楽しめたのだろう。

袁傪は映画通のように思える。通になると一つひとつのパーツにこだわって見るようになりやすい。

それゆえに楽しめなくなってしまう。ありがちだけれど、

それを克服できるほどメタ感覚をもって邁進していける人というのはあまり見ない。

というか、それが出来た時点で人から見えなくなるのかもしれない。

袁傪のような通の認識を持ちつつも、総合的な心情としては李徴のように振る舞えるというのが、私の理想だ。

2017-03-20

ポジティブな人ってほんとに幸せなのか

ポジティブすぎて逆にネガティブな人っているよね。

何事にもポジティブな側面を見出そうとする様が、逆に、世の中は全てポジティブにできていないと納得できない子どもっぽさを表しているように見えるというか。

たとえばお店で料理を頼むのに二択で迷って失敗した、みたいなとき、本当は失敗したと自分でも思っているのに無理やり「まあこの食材は体にいいからね」みたいなことを口に出して言う人。

しか自分も失敗したとき自己正当化のための考えを巡らすことはあるけれども、あんまり口には出さない。だってそれってただの負け惜しみだし。

自己正当化のための言葉を口にすることが我慢できないところに、人間的な未熟さみたいなものを感じてしまう。世の中のありとあらゆることはポジティブにできていないと不安かられるような、ある種の強迫観念にとりつかれてるんだろうな、みたいな。

もしそうだとしたらめちゃくちゃ小さい人間だなーって思う。失敗したって、別にそれ以上でもそれ以下でもないだろうが。なんでそれをありのまま受け入れられないのか。

2017-03-19

鼻歌を書き起こしただけで曲を当てられる人」急募

曲のタイトルを知りたい時、歌詞がアレば歌詞を打ち込めばだいたいタイトルを得ることができるだろう。

しかし何かのBGMだとすれば話が違う。



友達などに知りたい曲がある時「ラララッラララーってやつ!〇〇ってときによく流れる!アレ!」

と持てる情報全てを伝える。ヤフー知恵袋でもよく見かける。大抵「は?」で終わるのだがヤフー知恵袋では

「〇〇ではないでしょうか。http://www.youtub~~」と続くことがある。そしてたいてい当てている。



私も最近無性に気になる曲がある。

ヤフー知恵袋にかけばいいがマルチポストになったりすると嫌なのでココで愚痴として吐き出す。

バラエティなどの回想シーンでよく流れる

回想シーンでは大体、懐かしく、感動したり苦労していたり。とにかくポジティブではない。

・テレッテ テレレレ テレレレ テレレレレレ



最後の音を伝えること、コレが恥ずかしいのだが、やれるところまでやりたくてSoundHound系のあらゆるもの鼻歌を聞かせたが欲しいものは得られなかった。

スマホの前でよくわからない曲を何回も聞かせる私はそこら辺の漫才より面白い姿であった。


今はテレがだめならタタにするべきなのかララにするべきなのか、おかしなところで悩んでいる。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316070227

もう1つわすれてた

けもフレは受け入れてくれる

すると見てるほうもけもフレを受け入れるようになる

昔「ただしイケメンに限る」というのがはやった

同じ事をしてもイケメンブサメンで受け取り方が違うというやつだ

同様に、個性を受け入れてくれる相手と受け入れ手くれない相手に対して、受け取り方は変わる

まりけもフレはポジティブサイクルにはいったので、余程の失態をしないかぎり何をやっても肯定的に見てくれる

ますますけもフレが好きになる

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170314181833

批判的なコメントが思ったよりもついていてびっくりなのですが、いや、なんというか、ヘンな女が愚痴ぐち言ってるようにしか聞こえないのかもしれませんが、

ただ単にバレンタインみたいな行事が好きなだけなのです。誰かにプレゼント渡すのとかお土産とか渡したり渡されたりするの楽しいんです。

そういう行事が好きじゃない奴もおるのです。結構一杯おるのです。

きじゃない奴は大抵得意でも無いのです。

プレゼント受け取るのもお返し考えるのも負担しかないんですよそういう人達には。

あんたが好きで楽しくてもそうじゃない人を問答無用で巻き込んだらあかんじゃないですか。




特にバレンタインなんか、普段まりさない人でも、感謝気持ちを伝えたりとか、そういうことが自然にできる数少ないイベントからかなり楽しみにしてしまうんです。

気持ちはわかりますけどそういうの楽しまない人も居るんです。

渡すとみんな「わー!ありがとー!」みたいなリアクションしてくれるから、やっぱり今年もチョコあげてよかったって思うし、自分彼氏職場からチョコを持って帰ってきたときには、チョコだったり包装のセレクトとかから彼の職場の女の人の気持ちがわかって楽しかったりもするんですよ。

あなたはそういう神経が発達しててチョコからいろんな情報読み取れてしかもそれがポジティブ楽しいんでしょうけど

その神経が発達してない人は受け取ったもの意味も図りかねるし、お返しにどんなもの妥当かもわからないし、

なれないから買うのも大変な労力だし、とにかく負担なんですよ。




お返し目的チョコ配ってるなんて気持ちは一切ないけど、せっかく、たまに聞く「バレンタイン禁止!」みたいな殺伐とした雰囲気職場じゃないのに、もったいないなーっていう感じでした。

あんたは純然たる善意でやってるのは分かるので責めたりしたくないですけど

でもあんたは自分と違う種類の人間に対する察しや配慮が足らんのと違いますか。

あなたチョコにいい反応示さない人は、

別にあなたのことが気に食わないのではなく、あなたと同じ感性をしてないんですよ。

かくいうぼくのとこも法律事務所ですが代表の「虚礼廃止」の方針お中元年賀状もやりとりしません。

代表誕生日にも何にも贈りません。やめろっていわれたので。

サツバツとしてるんじゃ無くて、そういうこと楽しまないだけです。



たぶん、彼には彼なりの主義主張があるのかもしれません(でも、ぽや~とした雰囲気の人なのでそんな感じもしないのですが・・・)。

これもずいぶん人間洞察が浅いなと言う感じがしま

ぼや~とした雰囲気の奴のほうが大体こだわりありますよ(この場合はこだわりの問題じゃ無いけど)

メンタルが強い人間だと思われているのが辛い

学生の頃、所属していたサークルメンバーとうまくいかず、大事な時期に辞めてしまったことがある。

統率力も人望もない自分なのに、立場的に他に適任がいないという理由で、同期の中で自分代表になることになった。

予想通り全くうまくいかず、意見対立するどころか、自分が主張することな無視されてばかりで、「話聞いてよ」と訴えることもよくあった。

頼れる人が誰もいなかった。一番の味方であるはずの同期の友達から見放されていたから、もうどうにもならなかった。

しばらくそんな状態が続いて、ついに、活動があると分かっているのに、どうしても家から出られなくなった。電話が掛かってくるのが怖くて、何日も携帯の電源を切ったまま家に引きこもっていた。

結局、状況をどうにもできず、会費だけ振り込んで辞めますとだけメールで伝えた。本来は謝りに行って頭を下げるべきだ。今でも後悔している。でも当時の自分にはそれができなかった。自分代表なのに何をやってるんだ、という自責の念だけでも死にそうになるくらい辛かった。

サークルを辞めたあと、研究室に配属されて、卒論修論に取り組むことになった。そのときには、上の経験からどのような思考パターンや行動が精神的に良くない結果になるかが経験的に分かっていたので、嫌なことがあってもとりあえず研究室には行く、悩んでも仕方ないことを考えないようにする、辛くてもネガティブなことを漏らさない、こういうことを意識するだけで乗り切れることがほとんどだった。

でも過去体験を引きずっている。いつか、前のような引きこもりのような状態に戻ってしまうかもしれない。そして今も壁に直面している。

何か困難なことが立ちはだかる度に、「今回はダメかもしれない」と、内心、ガクガクに怯えている。そういうときこそ、最悪な状況に自分を追い込まないことが大事だということは分かっている。だからポジティブに振舞う。それでなんとかやっていけている。

ところが、最近、後輩に「メンタル強そうですよね。ストレスの多いところでもやっていけますよ」と言われた。自分がそう見えていたことにびっくりした。行動だけでもネガティブにならないように気をつけてはいたけど、表情とかで周囲には精神的には弱いことが気づかれていると思っていたからだ。

もし周りの人間がみな同じように感じていたとすると、本当は精神的に弱いのに、「あの人は大丈夫」と思われていることになる。その状況が一番まずいのではないか自分がもし折れたときに、助けてくれる人がいないかもしれない。そのことが心配でならない。自分はやっていけるのだろうか。

鬱文を輝かせたい

"糞"が多い文章は"糞"の部分を"星"や"ダイヤモンド"とかに置き換えると輝く。

死ねとか、死にたいとか書かれている文章をナ行変格活用のボジティブな動詞に置き換えたら良いんじゃないかとおもったけど。

ナ変でポジティブ動詞が思いつかない。

"去ぬ"しかないのか?

"死ね"が"去ね"になってもネガティブなままじゃん。

2017-03-11

[]

http://anond.hatelabo.jp/20170310185744

失恋男の魂の叫び。「何がいけなかったのか」

自身に問いかけてみるが、答えは見つからない。

答えはすべて「好きという感情がなくなった」という彼女言葉に集約されている。

「そこに理屈はない」と知りながら、男の悲しい性は理を求めてしまう。

サプライズポジティブな場面だけにしてほしかった」

シニカル言葉で笑い飛ばしてみようとするが、虚しい悪あがきに過ぎなかった。

おそらく好きな人ができたパターンだろう。

参考に、過去の事例を紹介しておく。

http://anond.hatelabo.jp/20160409082108

2017-03-10

3年目に切り出された突然の別れ話で生きるのが辛い

24歳、男リーマン

まれて初めての失恋経験し、うちひしがれている。

一般的解釈すれば、この落ち込みようはひとえに私の恋愛経験の乏しさに尽きるのだが、すべてを失った私にはもう生きていく理由がないように思える。



世界各地で今この瞬間にもカップル誕生し、また別の場所では破局している。

そんな卑近なはずの現象が、まさか自分たちの身に降りかかるなんて思ってもみなかった。

永遠なんてないとは言葉の上では理解していたつもりだったが、それでもこの関係が一生続くと思っていた。



3年もの交際期間があって、先日突然切り出された別れ話。

「好きという感情がなくなった」

私にはまったく理解ができない。



彼女普段からまり不満を口にせず、悩みを溜め込む傾向にはあった。

しかし私は今回の件で、突然別れを告げられるような落ち度があったように思えないのだ。



愛が伝わっていなかった?

言葉が足りなかった?

そんな平凡なミスは侵していない。

今までも、そしてこれからも、二人で順調に楽しい思い出を作っていけるはずだった。



しかにこの1ヶ月ほどのあいだは些細なことからギクシャクした雰囲気になることもあった。セックスレスだった。



しかしこんな停滞期はなにも珍しいことではなく、3年という年月のあいだに何度かはあって、それも二人で一緒に解決してきたはずなのに。

会う頻度だって今までと変わらず、何気ない日常がずっと続いていたはずなのに。

なぜ今回に限って、突然の終わりを告げられたのだろう。






はじめは電話で話を切り出されたが、直接会って話し合う日を設けることにした。



彼女への変わらぬ思いを、こんなギクシャクした空気過去に何度も一緒に乗り越えてきたことを、今回だって近いうちにまた元通りにできる希望が十分にあることを、突然すぎる提案を受け入れることは私には耐えられないことを...

後悔だけは残したくなくて、きっと彼女気持ちを取り戻せると信じて、私は伝えたいことをしっかりと整理してから話し合いに臨んだ。



話し合いの当日、私は彼女にまず思いの丈を語った。後半、私は泣いていた。

男泣きのカッコ悪さなんて、彼女を失ってしまリスクに比べれば塵みたいなものだ。



しかし話し始めてからしばらくもしないうちに、私の言葉彼女の心にまったく響いていないことを悟る。

彼女はひたすら首を降り、ごめんとつぶやくだけだった。



彼女は私の気持ちを聞いて泣いているけれど、私の愛はすでに十分伝わっているけれど、それでも彼女は私のことが好きでなくなってしまっているのだ。

そこに理屈はない。そして彼女のなかではすでに私たちは終わっているのだ。

口にしてくれなかっただけで、彼女自分のなかですっかり整理がついている。もう何を言っても遅いのだ。



どうして彼女はその結論を出してしまうよりも前に、もっと話し合いの場を設けてくれなかったのか。

こちらは相も変わらず絶好調に愛していたのに、なぜ貴女気持ちゼロになってしまうまで黙っているのか。そんなのズルいじゃないか

サプライズポジティブな場面だけにしてほしかった。



私の何がいけなかったのか。

そんなことを彼女から聞き出したところで、この破綻を修復することはできない。

私にはこれ以上、何も言うことができなかった。



フる側とフラれる側でこうも気持ちに差が生まれしまうんだな。

涙が出過ぎて喉が乾く。

フィクション映画で感涙するのとはわけが違う。


別れ際、彼女は泣き張らした目にむしろ晴れやかな表情をたたえ

「今までありがとうね」

と言った。



そんなありがちな台詞が言えるほど、彼女のなかでは気持ちの整理がついているのだ。改めて実感する。

私は視線を落として、せめてそのふざけた空気感にだけでも抵抗しようと思った。



双方合意の穏便な別れ話を済ませたつもりなんだろうな。

私にとっては晴天の霹靂、これまで生きてきて一番残酷時間だったのにもかかわらず。

信じがたいほどの気持ちの隔たりを感じてしまって、また涙が吹き出した。






私はこの先立ち直ることができるのだろうか。



彼女は私のすべてだった。

私は彼女に生かされていた。

友達が少ないのも、無趣味なのも、仕事が退屈なのも、彼女のくれた無償の愛のおかげで、自分はこれで大丈夫だと思えた。

無期限の愛だって根拠なしに思っていた。



友人に愚痴を聞いてもらっているはずが、気づけば在りし日々の彼女との惚気話を披露している始末。

思い出は美化されるから引きずってしまう、とはいうが、私にとって彼女と過ごした日々は、良いことも悪いこともすべてがすべて大切な宝物だった。

然別れ話を切り出された、この理不尽さを除いてすべてが。



どこへ行っても何をしていても彼女のことを考えてしまう。

自宅の回りのほとんどの飲食店彼女笑顔残像が見える。

道を行き交うカップルコンビニに流れるラブソングワイドショー芸能ニュース...

すべての性と男女を連想させる事象が私の胸をざわつかせる。



本当に、何がいけなかったんだろう。

あのときああしておけばよかった、そんな後悔はまるで思い浮かばない。

少なくとも1か月前には百点満点の幸せ関係がそこにあったはずで。



心臓の半分を抉り取られたような、この喪失感は何に代えても埋められない。

何も手元になかった3年前の状態に戻っただけ、そんな風にはとてもじゃないが割り切れない。



今は思い出の品を段ボールに詰めてはまた開封し、彼女LINEブロックしてはまた解除し、「失恋 立ち直り方」でググって質問サイト経験談を読み漁ってはまた号泣している。

http://anond.hatelabo.jp/20170310162325

強要したいとか排除したいとかいう話ではありません。

ただ、相互理解尊重がすすみゲームに対してポジティブに語れる空気ができたらいいなってレベルの話です。



例としても上と下の極端なとこだけを抜き出して中間層無視していると思います

ファンなれば作り手にも関心を持つの自然なことですし、無邪気でも心無い発言に傷ついたりするというのが

ジャンルにくらべて軽視されすぎてるんじゃないかという話です。

そういう立場からすると消費者的な価値観押し付け強要されてるようにすら感じてしまう、というのがたぶんまずいところなのでしょう。



最近は重度のゲーマーでも消費者ゆえの無邪気だからなにいってもいい、と開き直り攻撃につながってるという印象もあったのですが

当人純粋一般人消費者だと考えてるから温度差があるのかもしれません

ネットの普及で一般消費者の声が目立つのは当たり前のことでもあるのでしょうしそのあたり気づけたのは収穫でした。

結局、お互いが攻撃とか排除とか強要とかに敏感すぎてどっちが先みたいな話に終始してしまってるんでしょうね。

それを乗り越えるにはどうしたらいいかってことなのでしょうか



個人的な話をすればパトロンレベルで巨額を使い込めるほどの人間じゃないですが、

気に入ったゲームは数人に布教して一緒に遊んだりとか、ゲーム環境整えるのに投資したりとか趣味範囲お金を惜しまないという程度です。

それでもまだまだゲームコスパが高い、他の趣味と比べても安く長時間遊べすぎると感じているので申し訳なさみたいなのはあるのですが。

http://anond.hatelabo.jp/20170310161857

もちろんそういう人が多数なのは理解してますし、そういう人たちに強要しよう排除しようってわけではまったくないです。



できればゲームポジティブに語れる空気が育ってほしいとは思いますが、

いい意味ゲーム思い入れがあるめんどくさい人もいるってご理解だけでもいただけるだけでもうれしいです。

自分がいい意味でになってるとは言いませんが、そういうのがゲームに限って宗教扱いされて当たり前ってのは悲しいです。

他のジャンルではありがちなファン心理だと思うのですけれど

2017-03-08

教授に教えて貰った考え方(備忘録)(コピエp)

昨年9月にバズった増田コピペだ。

社会人になって10年弱経っても響く言葉があり、時折見返してきた。

これから4月に新社会人になる人は、心のどこかに留めておくだけでも救われることがあると思うので、参考にしてみると良いと思う。



これはコピペなので元増田に敬意を表して(?)、ブクマトラバするなら元増田にしてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20160904214105

教授に教えて貰った考え方(備忘録


とても尊敬する教授に、仕事に関する悩みをぶちまけたら言われたことを、忘れないようにメモしておく。



上司仕事は、部下をうまく使うことである

 うまく君を使えないのは、上司責任である



上司評価がとてつもなく悪かったとして、でも違う上司評価がとてつもなく良かったとしよう。

 上司上司は、これを見て、二人を呼び出して話し合わせるだろう。

 君が本当に使えなければ、君を悪く評価した上司が正しい評価を下した優秀な人ということになる。でも、君が使えれば、そいつは間違った評価をくだした使えない人となる。

 それがどう転ぶかは、君次第だ。



仕事根本は、「どれだけ自分を成長させられるか」だ。

 金をもらって、勉強してると思えばいい。



・「上司の言うことは絶対だ、下はヘコヘコしてろ」という上司もいるだろう。

 個性を殺そうとする上司もいるだろう。

 でも今の時代、言われた通りにやるなんていう、機械にもできることをやるような仕事なんて、やってはいけない。

 本当に頭を使って、クリエイティブな人ほど、これから時代は重宝される。それを殺してはいけない。


 

仕事をしない、使えない上司ほど最高だ。

 なぜなら、上の役職仕事を、責任を負わずに出来るから



・何かを言う時は、いつも根拠を探しておけ。

 根拠さえあれば、相手は何も言えない。



・とりあえず、人のいうことは気にするな。

 10注意されたら、そのうち2治せれば上出来。

 ただ、その重要な2を選ぶのは君だ。重要なことを見分けるスキルを磨け。



・どんだけしくじろうと嫌われようと、最悪クビになるだけだ。

 だったら、「クビにしてみろ」という気持ちで働けばよい。

 一人でも君を気に入っている上司がいる限り、君をクビにはできない。



ロールモデルを持っておけ。

 何か起きたら、「ロールモデルだったらどうするだろう」と考えるんだ。



・人は皆優秀であり、個性があるから素晴らしい。

 良いところを、社会に殺させてはいけないよ。


 

・私は昔から、変わっていると言われていたが、変わっているからこそ評価してくれた人はいた。

 私の人生を変えてくれたのは、そこで評価してくれた上司先生たちである



・結局は運であり、直感であり、縁である

 私も人生がこうなるだなんて、予想もしていなかった。



バカが言ったことを、バカからと言って聞かないのは、バカがすることだ。

 その人にもその人なりに考えがあるはずで、それを考えた上で、正しい部分だけ認めなさい。



・つまらない仕事でも、面白い部分を探しなさい。

 面白い部分がどうしても見つからなかったら、上司に正直に言いなさい。



・自信を持って、ポジティブに生きなさい。


2017-03-06

なぜ女性格差を埋める方法バイオメガで描かれていた

身体改造至上主義」これこそが女性が唯一男性社会破壊し、支配権を握る方法なのである

身体暴力へと変貌させ、脳をアップデートしろ

悲観的に描かれるハードSFの数々は実は風刺ではなく、女性たちのポジティブな願望の具現化なのである

絶対言えないけど

自殺を考えるほど落ち込んだ友達相談され、本心から一生懸命励まして元気付けたり

ポジティブなことを行ったり気分転換に誘ったりするものの、

実は自分自身は死人も同然で元気なフリしてるだけで自分存在を抹消するスイッチがあったら今すぐ押したいと思っている。

http://anond.hatelabo.jp/20170306093653

要するに小沢健二に何か動きがあるたびにファンは『LIFE』のような楽曲活動を求めるのだが、それは叶えられない。

そう、それが叶いそうだからみんな騒いでる。

「Eclectic」の頃は、同窓会で旧友が「昔の俺っちどうかしてたわーw」的なことを言い出す寂しさがあったと思うよ。

ライブもやらないしメディアに顔出さないし、

あの「ブギーバック」をわざわざ歌詞を書き直したりダウナーアレンジに直したりして再録して、

極めつけに「刹那」というタイトルベスト盤出しちゃうんだから

もうチャーリーブラウンばりの渋い顔で、

「『LIFE』の時代は死んだんだ。

いくら呼んでも帰っては来ないんだ。

もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ 。」

と言わんばかりのニヒリズムよ。

そりゃ911後の、冷や水かけられたようなアメリカムード肌で感じてるわけだから

閉塞感満開になっちゃったかもしれないけどさ。

でも結局みんなが小沢健二に求めてたのは「とにかく明るいオザケン」なんだよね。

歌詞だとかまんま洋楽アレンジとか

家柄とか学歴とかちょっと至らない歌唱力とか色々魅力はあるんだけど

第一に求められたのはその明るさだったんだろう。

しか大衆に求められたそのポジティブさが本人の資質によるものでなかったために

彼は海の向こうへ逃げてしまったのだろう。

追記

僕は「Eclectic」が暗い作風だったから不評だったというようなことをいうつもりじゃなかった。

「Eclectic」の前後「LIFE」期との決別を示唆するような言動が多々見られたことが

幾分かファンにとってショックだったのでは?ということがいいたかった。



この頃の小沢健二を見てもう決別を通り越してあの時期を忌み嫌っているのではとすら思う人もいたのでは?

それは「Eclectic」リリース時が半ば休止状態だったことも関係するだろう。

天使たちのシーン」や「ある光」もノスタルジーや切迫感に溢れたものだったが

「LIFE」グラデーションのように継ぎ目なく繋がっているような連続性があった。

(無論「LIFE」の曲から「ある光」の間には「大人になれば」「Buddy」「指さえも」といった作品が連なっている。)

「Eclectic」からライブツアー「ひふみよ」までの期間はそれらのキャリアからは断裂しているように見える。

どうしても「ある光」から「Eclectic」を線で繋いだイメージを持つことは難しいし、

「Eclectic」以後はある程度一貫した思想を強く打ち出した活動を続けてきたので、

「流動体について」発表までは「Eclectic」以前・以後で分けて考える人も多かったと思うんだよ。

「『Eclectic』はその本意をうやむやにしたままフェードアウトしていった小沢健二

それまでのポップスシンガーとしての活動区切りをつけるために一時的カムバックした作品。」

リリース当時はそんな風にみなされても仕方なかったように思うんだよね。



それからファンは結局「オザケン」としてのキラキラ感しか見てないということもいってないよ。

ポップスの一つとして親しんできた消費者マスコミまでもを包括した「大衆」がそれを求めたっていうだけで。

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170304214914

鈍感力が足りないとそうなってしまうのかも。

不確定な事柄を、ともかくネガティブ推定で確定させようとしてしま思考だといずれ精神を病むのではと思う。

不確定な事柄ならばポジティブに考えておこうというのが健常。

ポジティブに考えていたら実害があることまで強引に都合よく思い込む人は逆方向に異常だし迷惑だが、

そういう人に苦しめられたりしたせいで、

ポジティブに考えていても実害がなさそうなことまでネガティブに捉えて勝手劣等感を抱いて卑屈になる人は、

しろその思考のせいで機会をすべて棒に振って、自らを不幸に陥れていることが多々あるわけで。

そういう訳で、古今東西根拠のない自信を持つ人の方がなにかと上手いことやれて世にはばかる道理なんだね。

http://anond.hatelabo.jp/20170304201657

なぜそんなに病的に、物事マイナス評価で見よう見ようとしてしまうのですか?

ネットでそういう斜に構えた見方ばかり見て思考汚染されていることを心配してしまう。

から、同じ作品をみていても、自分が枠に嵌めた見方をしているのに、それを自覚できずに作品が枠に嵌っていると批評してしまうのではない?

そういう姿勢クリエーター他人に対する尊敬謙虚さが著しく欠けて、自我肥大しているせいではないかと本当に心配になる。

作品鑑賞は、ケチをつけて「自分は賢い」「もう知っている」「だからこれは陳腐だ」という事を確認するためではなく、

作者の描くそ世界観思想自分から近づいて、受け入れ、それを以ってまず何より「楽しむ」ためにする、前向きな行為のはずでしょう。

予定調和」と言って倦厭するよりも、王道スポ根展開の中に込められた、

キャラたちが互いの個性尊重する柔らかい受け止めや距離感の取り方に、今時の「らしさ」を感じ取ったり、

主人公巧遅拙速思考回路が叩き潰されるのではなくむしろ周囲に愛されて引き上げられる世界観をみて、

時代に対する風刺を感じ取ったり。

そうやって良さを汲み取ろうという目線で観るほうが、明らかに脳内解像度があがり、

感性アンテナ感度もあがって、感動できることが増え、楽しめると思うのだけど。

もちろんこれも、ある意味ポジティブな型」に嵌めた思考法で、ときには「さすがに無理がある」とか

「作者の意図を逸脱しすぎている」と思われるような状態に陥ることもあるけれど、

楽しみを見出そうとしていて、その人は楽しめているという点では、「ネガティブな型」に嵌めるよりはるか有意義

そういう見方をする気分にはならないものなのですか?

あるいは、「ネガティブな型」に嵌めて、声高らかに叫ぶことで、作者の耳に届けて矯正してやろう、みたいな考えが働いているのではないですか?

そういう発想はものすごく幼稚で非生産的です。そこまで尊大になれるならば、自分制作すればいいのです。

最近アニメに対する批評批評とも言えない病的なネガティブ思考による悪口ばかりで、目を覆うばかりです。

ポジティブ意見なら滅茶苦茶言っても許されると思ってる人種は消えろ

マジで邪魔

滅茶苦茶な事を言うのが駄目なのであって、それがポジティブネガティブかは関係ない。

その事を頼むから理解してくれ。

比較対象に他の物を叩かなければセーフとか、自分が実際に金を出してるならオッケーとかそういう勘違いもいい加減にしろ

大事なのはインターネット現実空間「嘘」をばら撒かないことだ。

誇張表現ってのは結局のところ「嘘」だ。

本来状態とは違う物だと勘違いさせる表現「嘘」なんだ。

その事を理解してくれ。

「嘘」が全て駄目な訳じゃないが、「嘘」だと相手に伝わらない「嘘」は駄目だ。

テレビ映画に出てくる「いい嘘もある」なんて話はネタに困った脚本家のほざくファンタジーに過ぎないんだ。

世の中に「嘘」をばら撒くのをいい加減やめてくれ。

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302125920

自分が何者でも無いというのは不安の一要素でもある、とかポジティブな考え方もできるよ。

人生見積もりがまたひとつくっきりとする

すげーこわいけどどっかで安心してるような気もする

肯定するしかない。

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