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はてなキーワード: ポジティブとは

2012-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20120207034443

ポジティブ感情の動きを得るために金を払う形ではなく、金を払わないとネガティブ感情が生まれる形に持っていくビジネスからね。

あーなるほどね。

ポジティブ感情は善であり

ネガティブ感情は悪であるから社会から撲滅すべき

という価値観ということだ。

これは納得いくね。

http://anond.hatelabo.jp/20120210224606

レス元増田だけど(他にトラバしてる人は別人)、話の方向性も散漫で無駄に長過ぎて、君が言うところの

もともと対象に対してネガティブ感情を持っているからであり、理屈として循環しているようにみえる。

の逆バージョン、つまり「もともとソーシャルゲームを肯定したいと思っていて無理矢理理屈づけしている」ように見える。

そもそも

自分はやっていないので知らないのだが、釣りゲームだと釣り竿が高級になると何か変わるようになっているんじゃないの。

まり「金を払えばポジティブになる」となるのだから、「金を払えば」前後による切り分けはあまり意味が無いように思う。

始めの2行からして俺の意図を完全に勘違いしているので、その後をあまり読む気にならない。頑張ってある程度読んだけど。

もう少し詳しい説明はhttp://anond.hatelabo.jp/20120207043215に書いた通りなんだけど、頭から俺のことを否定したいと思っていて

その上こういう勘違いをしちゃう相手に俺の意図を理解させるまで詳しく説明するのはさすがに無理だ。

なんで

http://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk30-1-3.pdf

この辺でも読んで今の場合にどういうことが起こってるのか考えてみてほしい。

「金を払えばポジティブになる」云々の日本語でやり取りするとカオスになるので、要するに

収益源のメインとなる層がvalue functionの第1象限にいる層」であるビジネス

収益源のメインとなる層がvalue functionの第3象限にいる層」であるビジネス

の違いを言ってると理解してもらえばいい。

2012-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20120210222318

自分はやっていないので知らないのだが、釣りゲームだと釣り竿が高級になると何か変わるようになっているんじゃないの。

まり「金を払えばポジティブになる」となるのだから、「金を払えば」前後による切り分けはあまり意味が無いように思う。

釣竿に喜んで金を払って買っている人には、「金を払わないとネガティブ感情が生まれる形に持っていくビジネスからね」なんてことは通じない。だってこれはまさに前者でしょ。

そんなビジネスモデルだと勝手に思い込んでいる理由は、もともと対象に対してネガティブ感情を持っているからであり、理屈として循環しているようにみえる。



ネガティブな印象を持つ理由が列挙されていて、一理あるものもあるのだが、まあそんなもの時間と共に評価が変わるとも言える。

漫画は昔はバカが読むものだったが(今でもそうだろうか)、テレビも同じだろう(バカが見るものとして再評価されているというべきか)。

ではゲームはすべてそうかといえば、そうでないといっているようにみえる。

じゃあゲームの種類によるのか、ゲームの作っている会社によるのか、ゲームの利用形態によるのか、ユーザー層の属性によるのか、その他なのかは今のところはっきりしていないのではないか



(別の増田かもしれず、そのトラバ先の増田でもないのだが)おそらく女性母親気取りなのかもしれないが、

月々の僅かな小遣いしか持たせない親って居るよね。「大金を持たせたら無駄遣いするから」と。

あいう躾の仕方って貯金の仕方が分からない、金があればあるだけ全て使ってしまう子に育ってしま危険性が高いよなと思う。

しかにそんな考えもあるのもしれない。

多めに与えることで管理を覚えるというのはたしかにそうだが、月々のギリギリ与えて貯金させから購入するという習慣もひとつの躾の手法であり、どちらがいいというものでもないだろう。

いや、どちらも経験したほうがいいのではないだろう。


まり、躾の問題に理由を求めることも、所詮「育ちの悪い子は嫌い」というネガティブ感情からもっともらしい理由を見つけてきたに過ぎず、

そこを保持繰り返しても、それほど生産性の高い議論にはならないだろう。

さらに言えば、躾は失敗を前提にして行なっているもののはずだから、その仮想体験ツールとして使う事もできるだろうし、人生ゲームもそのひとつとして使えるのかもしれない。



追記だが

そして「金があればあるだけ全て使ってしまう」が当たり前だと思っている人は

「後払い=金がないのに金使ってる」と取るんだろう。

トラバしか読んでいないのだが、「「金があればあるだけ全て使ってしまう」が当たり前だと思っている人」という人物がここで想定されているか否かはちょっとからない。

ここも論理が逆になっていて、「「後払い=金がないのに金使ってる」人がソーシャルゲームをしているのだろう」というネガティブな印象を常に持っているので、

「金があればあるだけ全て使ってしまう」という人物像=「まともな躾をされていないオカシナコ」と論理が逆転してしまっている。

そして「ちゃんと躾けられた私とは違う」とね。



まり論理の流れとしては、「オカシナコ」にもつネガティブな印象が源流となっているわけで、こちらも同じなのである

http://anond.hatelabo.jp/20120210221727

ポジティブ感情の動きを得るために金を払う形」と「金を払えばポジティブになる」は同じ意味として書いてます

http://anond.hatelabo.jp/20120207034443

ポジティブ感情の動きを得るために金を払う形ではなく、金を払わないとネガティブ感情が生まれる形に持っていくビジネスからね。

比較対象が間違っているのではないか。「金を払えばポジティブになる」と比較するとどうなのだろう。

2012-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20120209215108

エンジニア世界はよく分からんソーシャルゲー業界技術さえあれば高給が取れる業界らしいから、嫉妬なのかな。

ただでさえ景気が良い業界って嫉妬されて無理矢理叩かれるもんだし。

どうやったらこういうスーパーポジティブシンキング自然にできるようになるんだろう。

厚顔無恥とも言うが…。

人前で身内をこき下ろすこと

先日、友人とその奥さんに会った。

数年前までいつも私と夫(当時はまだ彼氏だったけど)と3人で遊んでたけど、

友人が奥さんと出会ってからは疎遠になってたから会うのは久々だった。

ポジティブで優しくて男らしくて私は彼を結構尊敬してるのに、

奥さんは「単にバカなだけ」とか

「年下だったからいいけどこんな人年上だったら無理」とかけなし放題。

確かにあなたの夫だけど

私の大切な友達なんだから

悪く言わないでよ

と思って悲しかった。

そもそも、大事家族を人前でこき下ろすなんて、

どうしてなのか理解できない。

私の夫もみんなでテレビ見てて、子役が出ると

「目が大きくてすごくかわいい子だね、

  それに比べてうちの息子は...」

なんて笑ったりする。

まわりもそれ聞いて楽しいわけじゃないし、

子ども自尊心が傷つく。

自虐ネタなら自分だけにして。

家族ネタにしないで。

そんなのより、惚気たり親バカっぷり見せつけてくれたほうが、

みんなよっぽど楽しい気持ちになれるのに。

2012-02-08

うつ改善のために

自分メモも兼ねて。いや、最近なんか周りでなんとも抑うつっぽい人が散見されるようになってきたように感じられるのでふと考えることが多くなった。「とりあえず前向きに」は理想としてはほんとそのとおりなんだけど、いやできないから凹んでるわけであってね。というのも自分社会生活に支障は無いまでもちょっときつかった時期があったりしたんだよね。なんかこう上手くいかんという時にわずかでも参考になればと。

以下自分の思う改善法を適当に並べて書くけどツッコミ等あれば是非忌憚なく書いてってくれれば


スポーツする

スポーツするのはすごく効くと強く感じる。じっさい脳内に多幸感物質的なのがでていいらしいね本当に。そういえば体育会だったり普段から運動してる人でうつっぽい人っていなくない?(無口とかおとなしい人ってのは別でね。笑)それって結局これにつながるところだと思うんだよね。まあ脳内から作用するんならそりゃ自然に効くここまでいい薬はないわなと。

で、スポーツの中でも個人的には集団でやるやつ、例えば野球サッカーバスケとかとかをあまり競争的にならずにやるのがいいと思ってるんだ。というのも下の話にも関連するんだけど人とあって話すのはすごい凹んでるのを改善するのにいい。特に競争的にみんなでわいわい談笑しながらでなんかだと本当に効果てきめんだと個人的にも思ったわ。あんまり試合の結果に一喜一憂するのがいいとも思わんしね。(まあ個人差あるかもだけど笑)

水泳とかジョギングとかでもいいとは思う。ただ、ジョギングとか取り入れてみて思ったけどどうにも変化がなかったりすると飽きたりするからそこらへんは要工夫だし、人の輪にいるってのがすごい重要だと思ってるからよりオススメは集団スポーツ。でも個人スポーツ全然OKってスタンス



・人と会って喋る

これも超重要。や、もう本当になんでもいいんだよね。単純に失恋とか仕事うまく行かなくて悩んでるならそれを聞いてもらうでもいいし、あえて全然関係ない趣味花咲かせるのでもいいと思う。個人的には仕事なり実際的な解決方法が欲しい時は人の話を参考にするのもいいかなとは思うけど、基本的にどうにもならない人間関係のこととかはもう全く別の話して気を紛らわすのがいいんじゃないかなと思うことが多いのかなとは思ってる。例えば恋人関係で悩んでる時に共通の知人にいろいろ聞いてもらうよりは、全く関係ない人にその相談みたいなのはもちかけずに自分の好きな趣味音楽映画なり漫画でもなんでもいいけど、の話をしてわーって盛り上がったときのほうが気持ち的には晴れやかなことが多いのかなっては思う。まあこのへんはいろいろケースにはよるかなとは思うけど気の置けない友達とただ話して笑ってみるだけで全然違うっすほんと。

・陽の光を浴びる

これも効く。よく本とかに書いてあることだったりはするんだけどね。メラトニン(だっけ)とかってのが日に浴びることで生成されていろいろポジティブ効果を生むっていう。これも具体的に南国の人とかのうつ率の低さ(ってかほとんどいないんじゃね?笑)をかんがえたらなんとなく納得する話なのかなと。自分も少し取り入れてみたけど朝に一日の段取りでもぼーっと考えながら2,30分散歩してみるだけでもホント違うよ。これなんかは習慣にすべきだと思う。忙しいと30分とかの時間生み出すの大変かもなんだけど、まわりまわって効率良くなって全体のパフォーマンスよくなってるの感じるわ。

・早寝早起きする

これも上に関連。特に日の出てる時にしっかり生活をするのが重要。これ見てる人なんかはパソコン好きが多いだろうからついついモニターの前で夜更かししちゃう、みたいなことありますよね。僕もすごくよくあるのでわかる。笑 でもやっぱり早起きしたらその分有効に使える時間は増えるし、上記の日を浴びられる時間が伸びる。逆に、夜更かししてネットやりながらだらだらしてると無駄な後ろ向きな思索とかがやたら増えてかなりジャンクブラウジングしてる自分に気づいてなんとなく鬱屈としてくる、また生活時間がズレこんでの悪いサイクルが生まれると思うんだ。だからなんとか朝、人と会う予定をいろいろ入れてみたりして、生活習慣を改善してみよう。特に夜更かしをしないってのが重要かなとは思います経験上。

家事とかをしっかりしてみる

は?って感じかもしれんけど小さいながら書いとく。これ結局小さい成功体験の積み重ねに相当するのあかなと。普段面倒だったり忙しかったりして掃除選択皿洗いから細やかな管理なり色々後回しになってたりしない?そういうのをちょっと重い腰を上げてやってみよう。掃除なんかはほんと終わったらすっきりするよ。週ごとにホコリ一掃キャンペーン(一人で)をやってもいいくらいだ。笑 本棚の整理、パソコンファイル整理でも靴磨くのでもどんな小さなことでもいい。無言で集中してるうちに日常の些事なんか薄らいじゃってうことってよくあるよ!

ネット断ちをしてみる

最後ネットヘビーユーザ特に。前述のごとくここ見る人なんて大分ネットに慣れ親しんだ人だろう。最近なんかはネット疲れなんてのが言われるくらいだからなあ…いるでしょ?気付いたらTwitter開いてるみたいな人?笑 自分大分そっち側だからよく分かるんだよ。

でもそれあんまよくない。特にネット一日に数時間もやってる(それこそねらー的な人達が自嘲的に言ってるような人種の人は)一日でもいいから全くネット触らずに外ぶらぶらしてみる時間をとったり、鈍行でふと何か見に行けばいいと思う。これ本当に違うんだよ。割と自分も一日にネットとんでもない時間触れてる時があったんだけど、これってなんかこう、そのまま惰性で続けちゃうじゃん?それをこうアウトドアなのをふと入れてみるとそのネットやってる時間自体の充実度もだいぶ違ったりするから不思議なもんだ。インドアな人には効果てきめんだし、最近よくいう引きこもり気味でネガティブになってる人にはよく効くと思うので是非。







ざっと思いつくままに書いてみたけど、うつ改善のために精神科先生が書いてるのいくつか読んだりWEBで読んだのうろ覚えであったりするのと、自分経験則的なものを合わせた感じだとこんな感じだ。特に自分おすすめするのはスポーツと人と話すことかな。もちろん時間が必要なことではあるので大変かとはおもうけどやっぱりこう人と交流しながらってのが一番効果的だとは思う。そんな友達がいないんだよ!笑 みたいな人はネットオフみたいなの探せば何かしら機会はあるはず、同じような悩みだったり考えしてる人って世の中思いのほか多かったりするよ!

以上とりあえずそんなかんじで、是非参考になれば!

2012-02-07

躁的防衛と命日





今日は父方の祖父の命日です。




喪の作業が

全く進んでいないのだなぁと

痛感しました。




当時を回想してみて

改めて思った。

まだ、否認の段階、なのだ























人間記憶って便利なもの

どうでもいいことは抜け落ちるけど

大事な特定のことははっきりと覚えている。

いや、大事なことがいつ起きても保存して置けるように

日常のどうでもいいことは抜け落ちていくように

設計されているのかもしれない。


9年前の2月7日、

1限に世界史の小テストのことを

そこそこ気にしていた朝を覚えているし

Mステがあったか金曜日なはずで、

GLAYが「いつか」を歌っていた。

いつも一緒に部活の帰りを共にしている3人のうち、

Sくんはデートか何かが一緒に帰らずに

3人で自転車を漕いで帰った事も覚えている。



その帰り道、

帰宅するまで知らされていなかったか

いつもどおり部活をして夜にちょっと集まってゲームをしようという

約束をしていた。

そして、帰り、死去の話を一通り聴いたあと

僕は友達の家でスマブラをいつも通りに

楽しく興じていた。



不思議なくらいに、いつもどおりの楽しさがあったことを

覚えている。

今になって思えば、脆弱な心を保つための

躁的防衛だったのだと理解できるが

当時は、最愛の人がなくなったのにゲームを楽しめる自分って、

とんでもなく冷淡な人間なのではないか…と落ち込んだものだ。











もともとの高血圧だったこともあるだろうが

から回覧板をお隣さんへ届けに行ったところ

倒れてしまったとの事だった。

律儀で真面目な人だった。

そして、真面目さを強さとして昇華させている人だった。



真面目ってのはポジティブイメージがあるかもしれないけれど

他人を疲れさせるだけ。

なぜなら、柔軟性がなくて頑固なだけだから

真面目な人と一緒の空間に居たら安らげないでしょ?




それでも、じいちゃんの真面目さは

圧倒的に優しさと強さを持っている真面目さだった。

多分に美化をしている可能性もあるが…。













ただ、当日のことは克明に覚えているのだが

それからのこと、たとえば

火葬場で骨を焼く作業までの記憶は抜け落ちていて、

どうしても思い出すことが出来ない。

いや、覚えているんだけど、

すごく限定的。たとえば、自分がどこに居たのかは

覚えているがそこで何をして何を話して何を行動したのかは

全く覚えていない、

それに当時の場面を思い返したときに主人公の視点世界を捕らえていないことに

気づく。

自分目線じゃなくて

自分が居る空間を上から自分が観覧している」というイメージでの

記憶しか残っていない。

自分から見た世界じゃなくて、自分がその場全体を見ている感じ。


これも離人とか解離とかっていう一種の

心的防衛なのだと、今になると思う。

そう考えると

自分がそこに居るのに行動の内容が記憶されていないのは

当然のことなのかもしれない。

だって意識自分を上から見ている自分が持っていてしまっているのだから










どれだけ

「大切な人には伝えられるうちに愛しているって伝えろ」みたいな

ご高説をたれられても、やっぱり人間

愛してるって伝えないんですよね。

自分日常永遠に続いていくもの

世界は変わることなく日常を繰り返すものだと、

どれだけ悲痛な別離や死別の話を聴いても


全く他人の痛みからは学べないわけです。

だとすると、できることはたったひとつ

いっきり後悔を背負って生きていくこと。



他人が身をもって示してくれた痛みに

耳を傾けても行動に移さなかった罰を受けるしかないのだ、と。





もしも人間

他人の痛みから学ぶことが出来たのなら、

こんなにも悲しい物語は断続的に永続的に

津々浦々で発生するわけがない。


人間

今を大切にすることなど出来ない。

失うまでは絶対に気づくことは出来ない。

その鞭と無能さの償いとして

後悔という消えない荷物を背負っていくしかないのだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20120207034443

ポジティブ感情の動きを得るために金を払う形ではなく、金を払わないとネガティブ感情が生まれる形に持っていくビジネスからね。

この時点で相当事実誤認してるかと



ソーシャルゲーユーザー友達との関係を維持する為に嫌々金払ってるんだ」と言う珍説を本気にしている人?

http://anond.hatelabo.jp/20120207033920

まぁ結局のところ「世の中はそもそもクソなんだからこれ以上クソになったって何も変わらない」という世界観を持ってるかどうかの違いだと思うんだよね。

俺はこれには同意できないので、積極的にクソを生み出していくビジネスは肯定できない。

ポジティブ感情の動きを得るために金を払う形ではなく、金を払わないとネガティブ感情が生まれる形に持っていくビジネスからね。

「そんなこと言ったらほとんどのビジネス世界をクソにしてるだろ」っていう反論がくるんだけど、それは全くその通りだと思うよ。

数が多いから正しいかあるいは受け入れなければならない、というロジックおかしいと思う。

2012-02-05

自己啓発とはやせ我慢と見つけたり

自己啓発セミナー主催してる人に悩み相談をしたらだいたいこういう答えが返ってきた。



どうやったらモチベーション上がりますかねぇ

→誰か自分モチベーションを上げてくれないかなあ」と待っていてもダメ。他人のモチベーションを高める存在になるべし


もう少しポシティブになりたいです

ポジティブな考え方の人にはポジティブな出来事ばかりが起こり、ネガティブな考え方の人にはネガティブな出来事ばかりが起こる。




仕事効率良くこなせるようになりたいです。

スピードを出すほど世の中の流れにスムーズに乗れる。スピードを出すのを躊躇する人ほど、流れに乗るタイミングがつかめなくて立ち往生する。




わぁい。


でも、これってすごく誠実な答えだと思う。

仕事が出来る人はどういう人間で、できない人はどういう人間である」と言うことはわかっているのだから

後は盗め、背中を見て自分で考えて、それを実行しろ、と。

なりたいものになるための努力もできない奴が、何者かになれるわけがないってちゃんと突き放してくれてるんだよね。




この人のお陰で、二度と自己啓発関係の本やらセミナーはいくまい、と思えたという意味では収穫の多い一日だった。

損切り」は自己啓発の第一歩かも?

2012-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20120201004307

「誠実そう、一途そう、私だけを愛してくれそうだから好き」とも言葉を変えられるわけで、それで十分じゃねーの?

人間結婚できる人と結婚できない人に二分するとすれば

こういうポジティブ脳内変換を易々とやってのけることこそができる側の特質なんだなと、今頓悟した。

2012-01-29

6年つきまとわれて鬱陶しいと思っていた女の子と付き合ってみて

6年間つきまとわれて鬱陶しいと思っていた女の子と1年間付き合ってみて思ったことを書く。内容が内容なので2chと迷ったが2ch怖いしもっと怖そうなこっちに書く。

高校3年生の頃、コースも違うあの子出会ったのは生徒会に入った時だった。小さな身長と独特のしゃべり方が印象に残ったのを覚えているが、当時は授業をサボって生徒会室に入り浸っていたためクラス女の子よりもよく会って話していたなあ程度の思い出しかなく、卒業して大学に入ればお互いに忘れ去るものと思っていた。

しかし実際は大学へ入ってからも度々メールを寄越したりmixiで繋がっていたこともあって、遠く離れた場所に住んでいるのに気付けば年に2度ほどのペースで会っていた。その間になんとなく流され二人で遊びに行ったりついうっかり家にあげてしまったおかげで簡単に童貞を奪われたりした。流されてこういうことをしてしまった自分がすごく嫌だった。

自分はこの子恋愛対象に見ることができなかった。童貞は奪われたが、セックス経験お酒が飲める年になっても心は完全に童貞だったし、恋愛幻想をたくさん抱いていた。それなのに、セックスがしたくなったらあの子を家に呼ぶようになっていた。相当な屑だなと他人事のように思っていた。ただ、付き合うまでは一度もイクことができなかった。

セフレのような関係が1年ほど続いた。自分の屑さに嫌気がさして、俺なんかじゃなくてもっといい人を見つけて欲しい、と言った。その時初めて、あの子彼氏がいることが分かった。それも付き合って3年になるのだという。なんとなく惰性で付き合っている、と言っていたことも深く印象に残っている。そのあと、その彼氏結婚の話が出ていて悩んでいるという相談をされたのをぼんやりと覚えているが、その時はあまりのショックで何を話したか覚えていない。厨二の頭には「私と付き合うなら今のうちだ」というメッセージに聞こえたことだけは覚えている。

それから数ヶ月後に自分はあの子告白した。好きだと言った。内心は「惰性で付き合ってるような男より、自分の方が幸せにできる」「人を幸せにできるなら、自分犠牲になってもいいんじゃないか」というまさに厨二脳だった。何かを認めたくなかったのか、彼氏がいるのに他の男と寝るような女だ、と根に持っていたし、本人もにそう告げた。

の子はすごく喜んでくれた。惰性で付き合ってる彼氏とすぐに別れ、自分のもとに来た。誇張でもなんでもなく、10分に一度くらいのペースで「幸せ」と言っていた。私のことが好きかと問われ、好きだと言った。

言葉にすると不思議なことに、なんだかそんな気がしてくる。就活自分のアピールを盛りまくっていると、就活を終える頃には完璧超人にでもなったかのような気がしているあれだ。自分はなんだか気持ちよくなり好きだ、好きだと言った。時には愛してるとも言った。1ヶ月もすれば、自分は本当にあの子が好きになっていた。

のろけ話を書くのはもういいので、この1年間を簡単に書くと、半年経つ頃にはあの子はとっくに幸せと言わなくなっており、それから数ヶ月後にはあの子は会う度にため息をつくようになっていた。こちらから話し合いを持ちかけ、あの子からフられる形で別れた。フられる直前まで、自分はあの子が好きだった。

センス良いしおしゃれだし優しいしいい男だけど、ごめんなさい。本当に好きだったの。ごめんなさい。

の子なりの優しさだったのかも知れないが、これ以上ない一撃だった。どうせなら後学のために気になる部分をボロクソに言って殴るくらいのことをして欲しかった。


自分はあの子が嫌いだった。自分の理解できないところで怒るし、普段は言いたい放題のくせに肝心なところでため込んで爆発するまで言わないところとか。なにより、人を悪く言うし、何が嫌いかを語るのが好きな、自分が一番嫌いな人種だった。これから付き合うかも知れない男の前で「惰性で付き合ってる」なんてよく言えるなと、付き合う前から別れることを考えるやつはいないとは思うが、もしそうなった時に傷つくのは目の前の男だぞ、と。

自分はあの子が本当に好きだった。変なところで怒っていたがなるほど確かにそういう考えもあるなと何度も思わせられたし、ため込んでいたものが爆発して怒鳴られた時には心から反省できたしもっと普段から頼れて相談できる男になりたいと思えた。嫌いなことについてズバズバと的確に叩くその口にすかっとしたし何度も感心させられた。

結婚妥協が必要なのは妥協してでも一緒にいたいから。

http://togetter.com/li/33383

というのを最近見て、思うところあって勢いで書いた。1年間しか恋愛経験していない未だに頭が童貞のような人間が言ってもかっこわるいが、恋愛において妥協ポジティブなことだ。女の子彼氏を褒めると、そんなことないって心理が働いて別れるのが早まる、みたいなことを聞いたことがあるが、そんなことないけど現在仕方なく付き合ってあげてる、というのは、大きさはどうあれ「妥協してでも一緒にいたい」なのではなかろうか。

恋人が不満でしかたがなく、現在なあなあで付き合っている、という人は、「妥協してもう少し一緒にいてあげてもいいかな」と少しでも思っているなら、バカみたいに好きだ、好きだと言ってみたらどうだろう。いつの間にか相手への不満が変化しているかもしれないし、少なくとも「何それ急にどうした?」って笑い話くらいにはなると思う。

そっか仕方ないね、と簡単に引き下がった自分が別れる前に本当に言いたかった言葉はこんな感じだ。どうだ気持ち悪いだろう。

2012-01-24

よく「厳しい世界では周りの奴らを蹴落とすくらいの気持ちでいけ」って言われるけど、本当にそうなのかなあ

そんなこと気にするより、自分自身に目を向けたほうがいいのではないか

周りの奴らを蹴落とそうとして周りに毒を吐きまくる人がいるが、結局そういうのは自分に返ってきてる

口に出さなくても心のなかでは「あいつを貶めてやろう」と考えればいいのだ、ということなのかもしれないけど結局そういうのは自然と表に出るから一緒だと思う

実際蹴落としたとして、蹴落とされた奴はもちろん、蹴落とされたやつを見た人も「あいつに懐を許してはいけない」という気持ちになるだろう

どんな世界でも、人に信用されないのは不利なことじゃないのか

信用されないと得られない知識や技術もあるはず

それとも全ての人が「蹴落としてやろう」と考えるような集団にいるのなら、それが前提だから悪い方に働かないんだろうか(張り合って頑張れる面は確かにあるだろう)

「蹴落とす」という言葉ネガティブな面ばかり見てしまっているけれど、「自分がすごくなって周りから抜きん出てやる!」というポジティブ意味合いなのかもしれない

でも蹴落とすってやっぱり、周りの競争相手を蹴り落としてるってイメージで考えてしまって、あまり良い印象のない言葉だなあ

2012-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20120109190033

あなたにはぜひ輪るピングドラムというアニメ小説もあるので小説でも可)を見てもらいたい。

正確ではないけれど大雑把には革命と身内が幸せならそれでいいやの両天秤を描いて、二人の主人公がそれぞれどちらを選ぶかを問う作品。

これを若者が見ると全くピンとこなかったらしい。

多くの人は革命についての理解もポジティブな発想もなく、家族が一緒ならいいよね、って価値観が強すぎるから選択するまでもない、と。

監督一生懸命葛藤を描こうとしても、そもそも答えが決まってしまってる若者たちにはまるで訴えなかった様子。

から、逆にあなたのような人がこの作品をみてどう思うのかって聞いてみたいところです。


あるいは、逆にあなたから、今の若者にこういうの読めって言うのを示して欲しい。

共産党宣言は前準備なしでいきなり読んでもコンテクストが理解出来ないから、自分感想を述べるだけになってしまうのはしょうがないだろう。

もうちょっと当時の雰囲気、とくになぜそんなに革命というのに情熱を持てたのか、そのあたりに共感できるような話が読める本を提示してもらえるとありがたい。

2012-01-08

最近勝間本は自己啓発書ではなく女性ライフスタイルである

女性誌によく会って、男性誌には絶対にないもの、それは読者モデルである。(自己啓発書にはあるけどね)

女性誌においてはよく読者モデルファッション変遷がふんだんな個人スナップ思い入れと共に語られる。そこにおそらく「ライフスタイル」のコアがある。

ライフスタイル」とは人生時間軸で見通し、そのいつの局面にも自分らしさを出し、あまつさえそれを他人に認めてもらおうとすること、なのである



ストレス研究家によれば、結婚のしたてというのは、近親者の死と同じくらいかそれ以上にストレス値が高い。それをごまかすため、トレードオフになっている事柄を無理やり加算に見せる。

就活成功して、そのあとストレスフルな生活を送っている人程、学生にいらぬアドバイスをする現象と似てる)



合理性が何を省くかというと時間であり、感情とその成熟であるプロセス飛ばしたことへの心理的補償はどこかでなされなければならない。

それが「自分語り」となる。「私の選択は良かった」「自分で選んだ」という物語を他人に向けて語ることになるのである

自分語りとは、遅れを自覚するモノの自我を埋める作用があるのだ。合理化が取りこぼす微妙な遅れや気持を補うために、生き方語りはもともとあった。

世間的にはいいこと。これが悪い理由は見つけられない」と頭で割り切っている時こそ言葉饒舌になる。

自身に満ちていないことこそ、人に認められたい。心から満たされていることに関して、わざわざ他人の承認を取り付けようとはしない。

しかしそれは自分の選択に不安があるとき、失敗を隠すときに、脳内で流れる言語である言い訳にも似ている。

するとあら不思議自分が騙せる。その間にも本体の被害は拡大している。これ、なんかに似てると思ったら、大本営発表だった。



後発のものにおいては合理化が進んでいる。後発であるということは、それまでその主題を考えて来なかったということである

遅れを一気に挽回しようとすると、いきなりかつて誰も行かなかったほど突き抜けてしまうことがある。

極めて稀で目立つ成功者は、確かに才能と同じくらい決断力にも恵まれ、運も味方につけたといえる人も多いだろう。

しかしそういう人の話を大集合させると、奇妙な統一フォーマットが出来る。それは、変化をむりやりにでも即座によかったという、極度のポジティブ・シンキングである

それをワナビーたちが大量にコピーするのだ。



婚活女子の考えは、染み付いた合理感覚と言うか、しいて言えば男のナンパも同じだけど「不遜な考えを持って、謙遜してことに当たる」ってとこじゃないでしょうか。

目的のために感情を抑えられるっていうのは、男らしいですね。

後発ゆえの突き抜け感、極度なポジティブシンキング読者モデルとしての勝間和代

効率や合理を押しすぎていろんなモノがボロボロ抜け落ちている感、ウザイまでの自分語りワナビー追従。全部当てはまる。



女性ライフスタイル誌はそのまんま自己啓発書である、といったほうが良いかもしれぬ。

しか女性ライフスタイル誌的な売り方は一時的には爆発的に売れるかもしれないが、永続性はない。

この方式は「旬な読者モデルの使い回し」によって成り立っているのであって、飽きが来たら終わりである

勝間さんはどこまで了解の上で最近ライフスタイル誌的な本を出し続けるつもりなのか、非常に興味深い。


個人的には「結局女はキレイが勝ち」「恋愛経済学」をピークとして、徐々に勝間写真は小さくなっていることから見て、

そろそろ路線転換をするか、テレビタレント本業に専念して著者としては目立たなくなるかもしれないと思っている。

ただ、今の芸能人本のエッセイのノリで書かれた新書シリーズはかなりいただけないので、芸人路線で行くのかビジネスマン路線で行くのかはっきりしていただきたい。

2012-01-07

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111219094556

知らないみたいだから伝えるけど、自責の考え方は幸福に生きるうえで有用。知識としては一般的な内容。

すべて、自分の選択や行動で変えられる範囲から変えていく、というポジティブ生き方と、

自分におきていることは人のせいと思うネガティブ生き方ではだいぶ差がある。

事実どうであるかの分析よりも、その心の持ちようでいかようにでもなるということを学んだほうが良いね

ま、詳細に知りたければこの辺でも読んでおけばいいかと。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090306/188296/?rt=nocnt

2011-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20111205054339

そういえば少し前にやってたジョージアの「男ですいません」なんかも、

男性ポジティブメッセージを与えようとしつつも女性に頭を下げてその顔色をうかがう、なんだか卑屈なフレーズでした。

今後さらに女性所得が増えるだろうし、女性が購買の主役、広告メインターゲットであるかぎりはこの傾向は続きそうです

あのCMは明らかに男性向けなんだけど、何だか大幅に勘違いしているのでは…

ジェンダーバイアス』へのご意見ありがとうございました

http://anond.hatelabo.jp/20111203222431を書いたものです

トラックバックしてくださった方、ありがとうございました。

 

容姿による扱いの差も確かに偏ってるな、と思わされますね。

とりわけ女性キャラクターが整った容姿ばかりで、

美人キャラは扱いが悪くなりがちであることについては読んだ本や学校の授業でも触れられてました。

程度の差はあれど男性にも当てはまることではあると思いますが。

 

CMテレビ番組では女性を冷遇できない、というのは傾向として確かにあると思います

そういえば少し前にやってたジョージアの「男ですいません」なんかも、

男性ポジティブメッセージを与えようとしつつも女性に頭を下げてその顔色をうかがう、なんだか卑屈なフレーズでした。

今後さらに女性所得が増えるだろうし、女性が購買の主役、広告メインターゲットであるかぎりはこの傾向は続きそうです

 

ブックマークも多くついててビックリしました。コメント付けてくださった方、ありがとうございます

視野が狭い、自分意見に都合のいい部分にだけ偏ってはいけない・・・というコメントもあって少し凹みました(笑

確かにそうですよね。

ただ、女性に関する問題については多く語られているけど、男性に関してはさっぱり、というのがどうしても気になって。

 

学校の授業やそこで紹介された斎藤美奈子氏の『紅一点論』とか読んで、

少し前にも『バクマン。』はミソジニー描写がある、ということでtwitterなんかですごく議論が盛り上がってたり、

こういう感じで突っ込んでOKなんだ、と思って書いてみたのです・・・

 

バイアスは一方向的ではない、視野が狭い、偏ってる・・・というのは仰るとおりですが、

個人的には、女性側の不利益ばかり語られる現状にも言えることなのでは、と思います

女性の受ける不利益のほうが多いのは確かだと思いますが、だからといってそれしか語っちゃダメというのはちょっと勘弁して欲しいです

 

いろんなご意見ありがとうございました。

知見を広めてバランスのとれた物の見方ができる人間になりたいと思います

2011-12-01

オタク」とか「リア充」等…

造語には定義曖昧であるものが多いと思う。

オタクは何を以ってオタクとするか。PCに大変詳しい人、最近深夜アニメをほぼ全部録画して観ている人間コスプレイヤー同人作家サブカルチャーにどっぷり漬かってるのもある意味そうかとは思う。

では、昨今のPCに大変造詣が深い方にMSXSHARP X1の話、X68000に搭載されていた音源であるYM2151の話。PC-98時代のコンベンショナルメモリがどうだのこうだの、なんて話をしてもきっとわかってはもらえまい。多分。そういった人を捕まえて「お前はPCオタクを名乗るのか。だがMSX TurboRの存在を知らずに何がPCオタクだ」等と罵倒した所で意味はない。知ってたら偉いってモンでもない。

まどマギ」でも「IS」でも「Aチャンネル」でも「いろは」でもとにかく深夜アニメなら任せとけ。という方に「激走!ルーベカイザーって田中真弓アニメデビュー作なんだよな」等という話をしたり「今度の冬コミでナベタケのアニメ楽曲データベースをまとめて発表してみようと思うんだ」という事を言っても、ノってくれるかと言えば人それぞれだが、テンションがあがる人がそんなにいるとは思い難い。

同じ「PC」や「アニメ」というカテゴライズであるが、多分フィールドは違う。

オタクはこうである。こうでなければならない」というのはないのだな、と思う。

リア充はどうか?「リアルが充実している人」という意味はあるものの、「彼女がいる人」「リアルが忙しい」等と言い換えられる事もある。

では、何を以って「リアルが充実している」とするか?

彼女がいる」というステータスは確かに1020代男性にはポジティブ意見が多いかとは思う。

だが、「彼女がいる」だけで、もう1年近く連絡が取っていない冷めた関係であったり逆に毎日50回位携帯に着信があり「電話出てよ」等と大泣きされている留守電毎日の様に入っていて、しまいにゃ「もう死ぬ」と言われての自殺騒ぎで精も根も尽き果てて「リアルで忙しい」人達果たしてリア充なのか?

何がリア充で何がリア充ではないか?「リアルが充実している」というもの曖昧な言い方であり、明確な定義はないと思う。

長々と話してきて、何が言いたいかというと、[こういった言葉に明確な定義はないし、考えるべきじゃないのだろう]という事。


そして分かった事はこんな中身の無い文章を書いている自分今日仕事で大変疲れているという事。

2011-11-29

[] 「なんでやねん」の意義について話したい

いわゆる東京大比較は主題ではない。「なんでやねん」の意義を主張したい。



会話の中で許される応答が否定と肯定の2つしかなかったらと考えると恐ろしい。

私にはとてもじゃないが耐えられない。

きわどい話には、どっかの小鷹さんみたく「え、なんだって?」とスルーするしかなくなるだろう。

阿呆のふりをして、逃げることばかり考えるだろう。

相手の機嫌を損ねたくないばかりに、ヘラヘラ追従するだけになるだろう。

否定の拳をふりあげては、振り下ろす場所タイミングに悩んで頭痛持ちになるだろう。



冒頭の宣言を覆すようでなんだが、やはり東京に出てきて少し戸惑ったことは事実だ。

お互いに肯定ばっかり。だよねー。ですよねー。

ポジティブフィードバックばっかりが繰り返される結果、

あほらしい話がどんどん膨らんでいって、変なノリが形成される。

一度出来上がったノリが、誰も崩せないところまでいって、みんなで赤信号わたるみたいな

「誰も望んでない結末」みたいなのを何度か経験させられた。

相手の会話の途中に異議を挟むと、すぐ喧嘩になってしまうというのもあった。

なんでやねん」さえあれば、と思うことが度々あった。と言うか結局すぐ使うようになった。

こうして俺の大学デビューは結局関西人キャラということになってしまった。




ここからなんでやねん」の意義の説明をする。

ツッコミを期待してのボケとかそういうのは中級者以上の話なのでかんがえなくていい。

もっと初歩的な話だ。「なんでやねん」はそもそもなんのためにあるのか、だ。

なんでやねん」というのは肯定と否定の間にあるものだ。

「貴方の話は聞いていますよ」というメッセージ

「でもポジティブフィードバックは返しませんよ」の2つを兼ねる。

話が脱線したりずれそうになったときに、制止をかける役割を果たす。

その上で、この「なんでやねん」は否定や反論ではないてんが重要である

さらに相づちを打つ側の自己完結的な行動として扱われる。

まり、話し手はこの「なんでやねん」にいちいち応答する必要がない。

否定されたわけでもないから、ただちょっと相手の反応が芳しくないというのを察して、

話のテンポを落としたり、少しコースをかえたりという微調整をすればいい。




なんでやねん」は会話の受けてにとって無くてはならないものだと思う。

なんでやねん」があることによって、相手に相槌を返しやすくなる。

相槌というのはそもそも話し手の会話のテンポコントロールするためのものだ。

「うんうん」「なるほど」「それでそれで」など加速する方向はみなさんもよく使っているだろう。

ただし、減速が必要になる時もあるのだ。

会話の中に、この装置が組み込まれていないと、なにかと困る。

こちらについても「ちょい待ちや」とか「おいおい」とか「そんな阿呆な」とか色々あるけれど

やはり「なんでやねん」が一番便利だ。深く考えずに使っても、あんまりカドが立たない。

漫才とかのせいで、アクション付きの攻撃的な言葉勘違いされているが、

実際は会話のカドを丸め、とんがりにキャップを被せるような使い方をするものなのだ

というような話を今日飲み会で熱く語ってドン引きされました。

話がヒートアップする前に、誰かが「なんでやねん」と言ってくれさえすればこんな事には・・・





余談。

会話が苦手な人は、なぜ自分がそれを苦手としているか、という時に

「心にないアクションをとるのが嫌だ」とか

「相手の意見が理解できなかったり、違和感を感じる時にどう反応すればいいかからない」

ということがないだろうか。特にテンポが速い会話など。

そういう時には、何も考えずに「なんでやねん」という言葉を使うといろいろ捗るぞ。

(もちろん、ポジティブフィードバックのみの会話に親しんでいる方々など、

 少しの制止にも不快感を示す方々もいるけれど、そういう人達とは付き合わなければいい。

 肯定のみの世界で生きるなんて私には息苦しくて耐えられない)



あとね、これはいわないほうがいいと思うんだけどこの際だから言っちゃおう。

他人の話に軽くでも異議を唱えるってものすごい快感なんだわ。最も手っ取り早い自己表現だしね。

逆に、ずっとYesの返答を続けるのってストレスなんだわ。コントロールされてる感じするでしょ。

からなんでやねん」ってのが会話に混じってると聞き手の健康を守る効果があると思うのね。

さらにいうと、「なんでやねん」という反応があるお陰で、話し手側も安心ってのがある。

滑り覚悟ボケてもいいし、ちょっとキツめや喧嘩腰の物言いを「試してみる」ことが出来る。

会話にはいろんな取り組みや駆け引きがあって、はじめて楽しさが生まれる。

予定調和、みんなでニコニコヘラヘラみたいなストレスフルな会話はちょっと私には耐えがたい

2011-11-28

チビ男はデカ女と付き合ってて!

チビ男は「自分の小ささが目立たなくなるから」って理由でチビ女を口説いてくるからうっとうしい!

チビ男は寄ってこないで!

デカ男はチビ女の小ささを「女の子らしくてかわいい」「守りたくなる」とポジティブに受け止めてくれるけど、

チビ男は自分の小ささがコンプレックスで「自分よりずっと小さくてずっと劣った女」を探し求めてチビ女を口説こうとしてくる。

そんなチビ男はこちらから願い下げ!

チビ女はデカ男としか付き合う気はないので、チビ男はデカ女と付き合っててください!

チビ男のチビ遺伝子でも、デカ女と結婚すればデカ男の息子が生まれる可能性もあるから、不幸の繰り返しを防げて絶対そのほうがいいと思う!

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