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はてなキーワード: 公立とは

2017-02-21

正規の職歴なし、25歳童貞、あるいは発達障害可能性について。

ツイッターを始めとする個人がわあわあ言ってるインターネッツでは発達障害流行っており、少なくない人人がそれについての経験や知見を述べている。

病院には行っていないけど、俺もそうだと仮定するとあのときのあれはそういうことだったのかと、パズルピースが埋まりビンゴカードに穴が増えていきます

今年で26歳になります

伏線回収するころには凝り固まっててもう今更わかってもどうしようもなく思い出しても辛いだけで、思い出はいつもキレイだけど、なんて言えたらなと思う人生だ。マトリックスみたいに繋がれて夢を見ていたい。

就活をはじめ、人間関係バイトなどさまざまな活動が無理で、大学無い内定卒業、4か月の無職、そして観念し2か月契約の時給900円な工場契約社員となり、2年半単純作業をしている。初日からもう無理だもうやだと思い続けている。辞めると言い出すやり方がわからないので毎日行っている。

コミュニケーションができず、なるべくなにも話したくなく、また話そうとしても言葉が出てこない。ドチャクソ幼稚なので予定調和お約束茶番みたいなもの1ミリ我慢できず、やってられっかよ感丸出しで不機嫌になってしまう。みなさんそう感じながらも我慢してやっておるのだよということ、はい、それは頭ではわかろうとしても俺の幼稚な感情と狭い度量と根拠のないプライドにおいて、受け入れられない。周りの人間は、全員茶番にも気づかないような愚鈍であってほしかった。

俺は我慢できねえのでお前らも我慢しなくていいぞ、でも我慢するのはお前らが好きでやってることだぞみたいな自分に都合のいい考えをしてしまうけども、俺の存在もみなさんの我慢の上で容認というか見て見ぬ振りされていて、とにかく殺されてはいない。

小学生のころはまだ俺はまともな方だと思っていた。小学生レベル勉強は、田舎公立というお察しな環境はいえできないわけではなかった。知能がボーダーラインな子を見下し、言い負かして人気者だと思っていた。実際は彼と同じ地平に立っていたのだと今更気がついた。

中古2種電気工事士テキスト買ったけどお教室先生がいること前提っぽくなにがなんだかわからない。

PS4コントローラボタン押すだけで起動するのお手軽すぎて毎日触ってしまう。

わあわあ言うとりますけど、俺の言いたいこと、なりたいもの、適切、それになりたいということだけです。適切、ざっくりしていて色々な形がありましょうが、とにかく俺はそうなっておらず、それになりたい。

努力ってなんですか。やったことがないのでしろと言われても途方に暮れてしまます

2017-02-19

この世の中に居場所があれば

小さい頃から人見知りでプライドが高い人間だった。

親に聞いても、気難しい子供だったとのことだ。



繊細と言っていいのかわからないが、スーファミストリートファイター

位の暴力的描写が怖かったし、人にいわれた事にいちいち傷ついたりして

自分の内に閉じこもる事が多かった。



小学校くらいの時は友達が多かった様な気がする。

嫌な事があるとその人に暴力を振るったり、それが

できないと親に当たり散らしていたりした。親が自分

気持ちを察してくれないと激昂したたいたり蹴ったりしていた。

比較的楽しく過ごせていた様に思うが、いつも満たされない気持ち

あって辛かった。



中学生地元公立高校に行ったのだが、ここがまあひどかった。

基本的治安が悪く、勉強をちゃんとするやつらがいじめられて

いたり、文化的にひどかった。兄の影響でバスケットボール

始めたが、ここも不良たちばかりで基本的に気に入られる様に

たち振る舞う必要があって自分を押し殺すのが必死だった。

勉強ができればまだ良かったのだが、頭が良くなかったし、

勉強に対するインセンティブも無かった。する意味もわからなかった。

今ならわかるが。

中途半端に不良に足を突っ込んでいたが、真面目になろうと思い

中学3年の初め暗いか生活態度を改めた。勉強ができる訳じゃなかった

ので、真面目にもなれないし、居場所が無かった。このときは本当に

苦しくて何をするにも焦燥感しか無くて生きるのが辛かった。



その後、先生からは無理だといわれていた地元工業高校合格する事が

できた。

工業高校基本的資格を取って、工場勤務者を育てるための学校

そこでも生きる意味が見いだせず、ひたすら日々を無為に過ごしていた。

高校では硬式テニスを始めたがいっさい成績を残す事が出来なかった。

勉強なんてやれば出来て、その勉強が将来につながっているという

事もわからず、何か自分を活かせるものは無いかといつも考えていた。

太っていたし、勉強もできないし、背は高くないし、おでこは広い

性格は暗いし自分に自信を持てる要素なんて一つもなかった。



勉強もできないし何にも興味が持てなかったが、

親が専門学校でもいっとけなんて言ったもんで、

情報処理専門学校に行った。受験すれば受かる様

な所だ。専門学校なんてのは。

専門学校なんてのも基本的には資格を取る様な所だが、

勉強する習慣も仕方もわからなかったし、一個も資格

とれなかった。完全に落伍者だ。



その後、地元会社就職する事が出来て、上司

良い人だったが、自分根本的にだめでいつも自己嫌悪

抑うつ気分だった。仕事をしなくて給料泥棒といわれた

事もあった。

今も7年同じ会社にいる。部署は異動しているが、

基本的自分に自信が無いし、人間関係をうまく築けない。



そしてこれから何かが良くなったりする希望

持てない。30歳くらいになったら自殺したいと

思っている。


努力する習慣があれば。親がもっと教育してくれれば

もっと選択肢がある環境であれば。

自分精神的に強い人間であれば

頭が良い人間であれば

素直な人間であれば

他力本願なのはわかっている。

でも、環境も素質もなしに努力なんて

し続けられる人なんてほとんどいないはずだ。

の子供は日本人でもアメリカ人でもなかった

アメリカ暮らし10年になる。10年ほど前、アメリカ中小企業に誘われて二つ返事で当時結婚していた妻も一緒にアメリカへ飛んだ。

給料も良かったし、アメリカ暮らしも一人なら寂しかたかもしれないが2人でいるということの安心感から結構うまく行った。

その一年ほど後、息子が生まれた。費用会社保険が良かったのかあまりからなくて済んだ。

子育てはあまり手がかからない子だった。流石にアメリカから英語ペラペラ日本語もすこしぐらいなら話せるという感じに落ち着いた。

息子が5歳になった時、アメリカ幼稚園であるキンダーガーテンに入れることになった。そこでは全く問題がなく一年ほどで卒業した。

しかしその後が問題だった。8歳になったときアメリカ公立小学校に通っていた息子が突然「頭が痛いか学校行きたくない」と言い出した。

担任相談した結果、一定の理解を示してくれて学校に行ったり行かなかったりを繰り返した。

詳しく聞いてみるといじめにあっていたようだ。靴を隠されたり、無視されたりと「地味な嫌がらせレベルのことが積み重なっていたらしい。

息子は当然血統的には純日本人だ。それが原因で標的にされ「アジア人から」という理由いじめには行かないまでもからかわれたり暴言を吐かれたりしたらしい。

酷いのは息子が少々内気で細身なのを理由に「ゲイ」だというレッテルを貼られたことだ。アメリカいじめ定番なのがゲイ認定で、とにかくアメリカいじめっ子ゲイ認定したら勝ちだと思っている。対処法はゲイ認定されないように頑張るしかないのだ。

結局いじめ問題は年齢が上がるに連れて解消したが、いまでも恐怖心があり学校に行くのを躊躇うようになっている。

息子の登校が不規則になったところ、担任から精神科に通わせればどうかと提案が来た。今息子は精神科学校に交互に通っている状態だ。最近また学校いかなくなってくる頻度が増えた。

ちょうど最近日本企業にお呼ばれしたこともあり、日本に帰ったらどうか息子に提案したことがある。

答えは曖昧だった。

そう、彼にとって日本外国なのだ。俺にとってはアメリカこそが外国日本自国、正直アメリカで一生暮らす気はないしいつかは帰ろうと思っていたが、彼にとっては全く反対になっていた。

しかアメリカで産まれアメリカで育った俺の息子は日本という国に血統という繋がりしかない。

彼の故郷アメリカなのだ

今更とんでもないことをしてしまったと自覚した。アメリカ社会にもその人種から馴染めず、日本社会でも馴染めず、そして家庭内でも心なしか居づらそうにしている。完全に宙ぶらりんの人間を作ってしまった。

2017-02-16

底辺論」の前に

F欄卒や底辺高卒でもあるまいし、有名私大や中堅国公立卒業して名のある職業についてるくせに底辺自称する「中堅上位層」の意識をどうにかしないと

底辺論」を議論するのにかなりの障壁になるような気がしてならない。

マーチ出て大手企業に努めて30代年収650万円、でも本人の意識からすれば東大落ちの「底辺」かもしれんが

社会全体から見たらそうではないという現実を叩きつけなければならない。

つらい現実を叩きつけるのなら残酷だが、お前は自分が思ってるよりすごいんだよ!と言ってやるのはそこまで悪逆非道行為とも言えないような気がするし。

とにかく、1億2千万人の中で1万人ぐらい除いて全部底辺になりそうな感覚で語ってる人間に、いろいろな観点から中間層という概念を覚えさせずに

底辺云々語るのは不毛ではないか

同じ「東大法学部出でない人」とはいえ中卒ブルーカラー早稲田法卒弁護士を一緒に語るのは無理がありすぎるぐらい頭いい人にはわかってほしいんだが。

2017-02-15

日本民主青年同盟所属してた

日本共産党事実上下部組織

年齢は15~25歳 (だけど普通に30超えも多かった)

週一で数名の班とかい単位で集まって

綱領の読み合わせやらデモ計画とかやってた

高校生が堅苦しい文面の綱領とか読んでも理解できるはずもなく

意味がわからなかった

当時盛り上がってたのは私学助成金廃止への反対

特殊学校かなってレベルの低偏差値私学に通ってる人が多かったので

助成金廃止されると困るからというのがエネルギーだったんだと思う

最初から公立行っときゃいいのにって考えの自分には

よくわからん主張だった

あとは戦争反対平和平和憲法9条云々

別にそれ自体はいいと思うけど

ヒステリック戦争反対を叫ぶだけで生産性0だなとシラけた目で見ていた

民青職員みたいな人(専従)もいていくらもらってるのか知らんけど

どう考えても働いてる時間に見合った給料をもらってるようには見えない人ばかりだったブラック反対を叫ぶ団体ブラックだなとか笑えないなと思ってた

組織としてはとにかく金が無かったのが傍から見てもよくわかった

人数は多かったのか少なかったのかよくわからん

偏差値で半分より上の学歴を持ってるやつはホント少なかった

でもごく一部意識の高いエリートみたいなやつもいた

多分そういうのが議員になるんだと思う

公安に気をつけろとよく言われてた

どう気をつけろっていうんだよと思ってた

公明党創価学会特に話にでてきたことは無いと思う

日本共産党に入らないか勧誘もあったけど断った

結構しつこく勧誘された

長らく幽霊状態のまま民青に籍が残ってたからだいぶ前に抜いてもらった

別に悪い人がいたわけではなく基本的はいい人ばかりだったが

効率が悪く生産性がない組織だったという印象しか残ってない

ひたすら反対を叫ぶばかりで代替提案をしない組織だった

そういうのが好きな人は入ればいいし好きに活動をすればいいとおもうけど

若い人は寄り付かないんじゃないか

まあ自分がいたのは昔なので

今はどうなってるのかまるで知らないけど

授業の見所1 中学授業参観


先ごろ、知人の子もの中学校学校公開に行ってきた。

公立小学校中学校では、年に数回、授業風景を公開するのである

昔で言う父親参観日や日曜参観日と同じことである

目的中学校まで少し距離があるので、朝早く家を出て、9時前に着いた。

まりお客(参観の保護者地域の人)は来ていない。

受付をすませて、さて、どこのクラスで何の授業をしているのかの案内がない。参観者にとって不親切だ。時間表のプリントぐらい、準備するのが常識だ。

ふとみると、下駄箱の横に、B4大で、授業の一覧が貼り付けてある。仕方がないので、それをメモして、まず、全クラス雰囲気を知るために、足早に各教室を覗く。この時点で、学校の落ち着きというか、学習への意欲・雰囲気が、ある程度まで分かる。

時間から、20分程度ずつ各教室に居座って、じっくりと観察する。

我が子の顔さえ見れば満足という人は別格として、授業参観には、やはり見所のようなものがある。

授業では、まず教員(授業者)の技量を見る。力のある教員がいれば、その学校は一流に近づく。そのような教員は、多ければ多いほどよい。中学は学級担任制ではなく、教科担任制なので、各教科とも(国語数学英語に関しては特に)、実力のある教員をそろえる必要がある。

教員の実力は、一言で言うと、その授業が、子ども学力現実的に高めるものになっているのかどうか、という点で判断できる。

これを無視して、子どもに優しいだの、話が分かるだの、生徒指導がどうのこうのだのは、まったくもって、教員仕事を誤解しているとしか言いようがない。

授業あっての教員である。それができなくて、他のことが満足にできるわけがない。

教員技量を見分けるには、参観者自身が、20年以上の教員経験があり、その教科においても授業者以上の学力識見教授技術を持っていることが望ましい。だから、誰にでもできることではない。

しかし、そうも言っておれないので、見所のヒントをいくつか挙げる。


まず、子どもノートを横からちらりと見て、どの子ものノートもある一定の水準を超えていればよしとする(そのレベルについては、具体的なことは言えない。当該授業内容による。とりあえずは普通の字できちんと書いていればよろしい、とでも言っておこうか。ただし、良いノートというのは、知性が感じられるものである)。

ノートを見るには、 教室の後ろの壁に張り付いていてはダメだ。どんどん生徒の机の横にまで行って、覗かなくてならない。そんなあなたの姿を見て、授業者は嫌な顔は、しないはずだ(これは机間巡視と言って、教員の「いろはである)。

次に授業者の声の大きさ、間合い、リズムを聞く。怒鳴り上げたり、いらいらしていたり、不必要な大声や、早口はいただけない。

うろうろと動き回ったり、逆に石のように一つ所にいたりするのも、よくない。

いわば独特の知的リズムによる、動きや声の間合いが必要だ。

業者の字が上手で、板書が多いと、参観者はすぐに感心してしまうようだが、これは大きな間違い。板書は少なければ少ないほどよい。板書なしでもよいくらいだ。

というのも、教員はすぐに板書に頼ってしまう。少なくとも板書していれば、間を持たせることができるし、黒板に書かれたものを、子どもノートに写していれば、なんとなく時間がたつ。一見、授業をしているような気になってしまう。

板書がなくて、しかも生徒のノートがきちんととれているのが一番である

それに、板書している間は、授業者子どもの方を向けない。板書中に、子ども発言を聞くなど、もっての他である発言している子どもの顔を見て、聞いてやって、子ども発言対応するのが原則である

板書は、ここぞと言うときにのみ、無言でするものだ。説明したければ、書いた後、子どもが確実にノートに書いたか確認した上で、真正面を見て(黒板を背にして)するものだ。

続きはまた書く。

2017-02-13

13万仕送り学生の件を見てて、つらい(追記)

地方公立理工だけど

学費も5万近い家賃も含めて12仕送り受けてて

借金バイトを親に認めてもらえず

どうにもならなくて退学して

 

関連記事が出るたびフラッシュバックしてつらい。

バイトできても理工だから時間的にどうせ無理だったんだろうけどさ

 

追記

 ブコメ

 自由な金が月3万あれば暮らせそうなものだけどな。(ただし就活等は除く)/いまなにしてるのか気になる。

 

無理無理

教科書もほしいし服もほしいし

なにより下痢血便が続いても

いくらかかるかわからいか

病院に行けないのがつらかった。

 

やめたあとは働けるところで働くだけで何もいいことはない。

苦しいところから成り上がったみたいなのは表になりやすいけどね。

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212215614

こういうのって学校によって無茶苦茶差があるようだけど、そもそもそんなのが公立で許されるのか??

去年まで高校生だったが、中学も合わせて、先生の講習授業なんて殆どなかったし、

部活顧問がほぼ口出さず勝手にやってるだけで、負けても慰めの言葉の一つもなかったし、

そもそも顧問先生なんて、隣に部屋に座ってるだけで、「指導」された覚えがない。

ものをなくした時は自分が全責任を負ったし、カウンセリングカウンセラーの役目だった。

それが普通だと勘違いしていたし、別にそれで十分だと思ってた。

それぐらいしかやってくれない先生でも、それでも授業などの仕事ぶりを見て尊敬に値すると思ったものだが。

生徒の立場としても、高校教師には授業だけやってもらえれば十分だし、カウンセリングなんてむしろ、言っちゃ悪いがカウンセラーのほうが信頼置ける。

自分学校で友人関係が上手く行かず、いじめのような取扱も受けだが、だからといって先生のせいだなんて全く思えなかった。

どう考えても、いじめはいじめた奴が悪い。先生のせいにするなと思った。

結局、生徒が求めていないことを、保護者が過剰に要求しているんじゃないかと思う。

公立なんだから最低限やってればそれこそ十分だし、それ以上を下手にやられて生徒の負担が増えたって、生徒にとってはありがたくもなんともない。

そういう声を、保護者はキチンと聞いてほしいと思った。

今19歳、高校卒業したのは去年だ。一年でそこまで大きく変わると思えないから、世代の差は関係ないと思うけど

言ってしまえば学校によって、公立なのに此処まで大きく変わるというのはだいぶ問題なのではないかと思う。

僕は大学受験受験先も、教員免許が取れることを第一条件に選んだぐらいだ。

学校先生が、そこまで苦しんでない学校だったから、将来の夢に教員選択肢に入れた。

学校先生がつらそうにしてたら、それは将来教員を志すかもしれない若者に向かって、教員になるなって言ってるようなものだ。

教員なんて、もっともっと、楽そうじゃないといけないと思うんだ。

教師を助けてください。

公立中高の教師に土日はない。

さすがに盆正月くらいは休みなので、

大体360日7時から23時まで働いている。

定時は17時だが、その時間に帰れたのは、何年も働いてきて片手で収まる程度。

仮に定時から1時間後の18時に帰れたとしても、保護者から、私は仕事なのに先生はもう帰ったのかとクレームがあるので、帰ることはできない。

塾に通えないのは差別から学校で見て欲しいという保護者がいるので、夏休み冬休みなどは朝から晩まで部活と塾のような講習授業。


怪我をすれば先生のせい。

喧嘩が起きれば先生のせい。

物がなくなれば先生のせい。

成績が下がれば先生のせい。

部活で負ければ先生のせい。

いじめが起きれば先生のせい。

病院に連れて行くのも先生

休んだ時に手紙を届けるのも先生

部活指導するのも先生

生徒のカウンセリング先生

生徒が自殺した場合ニュースで叩かれ、ネット教師の顔や住所が晒され、周りからは白い目で見られる。

保護者は言う。

先生が話を聞いてあげなかったか先生が何もしてくれなかったからうちの子は死んだと。


40人近くいるクラスの生徒、一人一人と話してもわからないこともある。こちらも人間です。

ラインtwitterなんて言われた場合。見せてと頼んでもプライバシー侵害保護者に言われどうしようもない。

一生懸命頑張っても残業代は出ないし、

土日は何時間働いても、1000円程度のお金しかでない。使う時間もない。残って仕事してるのは、自分意思。と言わされ続ける。

辞められるなら辞めたいですが教師転職活動もできません。360仕事ですから生活できないのです。

みなさん。

教師にまだ望みますか?

公務員からって羨ましいと思いますか?

保護者の皆さんは子どもの将来を壊して〜といいますが私の家庭はもう壊れているんです。子どもをきちんと育てることもできないんです。娘ときちんと話したのは、何日前か覚えていません。旦那に任せきりだから


助けてください。

自殺すれば変わりますか?

とりあげてくれますか?

それなら私は犠牲になります

それで変わるなら。


お願いです。この現状を知ってください。そして、助けてください。

鉄道文化がここまで衰退した理由

週末に親切な大人と会話する機会があったので聞いてみたが、車文化しろバイク文化しろ、一回ボロボロになったのは珍○団といったクソどものせいだと嘆いていた。

私が小学生高学年以来当時趣味の1つにしてた鉄道趣味が滅びつつある理由がまさにそれなんだよ。

無秩序人口が増えたせいで暗黙の了解崩壊した、珍カスならぬDQNオタク名乗りをするようになって、やがて自治がうまくいかなくなった結果、

一般人から企業もろとも白い目で見られるようになり、結果、趣味が衰退していっている。

2000年代前半にはすでにそういった問題が起きていて、2010年代特に東日本大震災以降の車・バイクオタク消費旋風が引き金になって鉄道趣味はひどく腐敗した。



話変わるけど、私の小学校時代で今住んでいる神奈川北東部引越す前の大阪高槻在住時代の思い出を思い出そうと思う。

友人から忘れるように言われたので覚えていないが、今や引越し後とは比べ物にならないように貧しかったのかよく家に引きこもっていた。

1994年以前と言う(私が今年で32才になるから)あまりに昔のことなのか、引きこもり時代趣味について漫画小説アニメ以外覚えていない。

実は両親は以前からつい何年か前まで共働きで、父親地方公立大卒業の中堅か底辺作家で、引越し後はつい十年前前後まで公務員(定年退職)だった。母親は準勝ち組的な職業(定年退職かつ無転職)だったが、いい大学卒業生とは思えないほどのスケバンか不良体質で、男勝りの性格なのか偏差値のいい高校に通っていたときでさえいじめられていたこともある。(無論、不良になったり、なんとか院のお世話になったこともない)ちなみに転校はしていないと言う。

事実小学生時代にまともなドラマの代わりに不良・アウトローものアニメドラマビデオ一家全員で見ていたりしていた。内容は決して小学生に見せるべきものでなかったと思う。父親も内心呆れていたのではないだろうか。

記憶違いもあるかもしれないが、家にある当時の手記を読む限り、2000年代価値観でもオタクといえるほどに一家全員がサブカルにはまっており、ゲームオタク向けアニメなんかは神奈川引っ越した直後から見ていたと思う。

私や妹(1才違い)の幼少期と青春時代もそれで、まともな大学かつ偏差値の低くない高校(ちなみに小学校中学校偏差値はかなり低かったと思う)を出た人とは思えないほど中高生時代ある意味やさぐれており、中二病とかこじらせるような年代とかになれば同級生学校に隠れて所謂不良やギャルサー交際していたりもしていた。(一方的偏見を持たれた母親とは違って私と妹の場合中学生高校生時代の不良によるいじめに便乗したのに何も咎められていなかったというのが不思議。乗り気でなかったから救われたのか?)

要するに、元キ○ガイの子は元キ○ガイだったということ。



ちなみに、私は数年前に自ら当てたギャンブルの当たり金(両親側も過去大金を当てたにもかかわらず)を巡って家庭内トラブルになり、お金と引き換えに住む家を追い出されている。初めは1キロしかその家とは離れていなかったが、旧年の年の瀬に両親側がURに転居したようで5キロも離れてしまったようだ(別居しているだけであって、帰ってくるのは問題ないようだ)

2017-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20170211223628

一応「高等学校」だぞ。公立では、最低限クリアできない生徒何ぞ受け入れる必要なし。

閉校すればよろし。

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

なんでちゃんとした先生が低級な方に合わせなきゃいけないの?

義務教育じゃ無いんだから高校に進学しなきゃいいのにそんな生徒

あと、公立高校がそんな生徒を相手する必要ないわ

そういう連中相手に特化した私立行け、私立

みんなの税金で食ってる、公務員先生相手することな

2017-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20170210114753

そもそも公立や中堅私立高校受験レベルですら無視できない割合の人にとって、私営企業である塾の助けが必要であり

参考書とかもいるってあたりが、日本教育における公教育割合の不十分さを示しているとも思える。

大学受験に至っては、塾の助けまったくなしに受かったとしても、かなりの額を参考書につぎ込まざるを得ない場合も多いわけで。

http://anond.hatelabo.jp/20170210114200

寄付の習慣がアメリカほどない日本だと、公的補助金がないと

公立では出来ない教育サービス享受する権利」が大分縮小されてしまうんじゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20170210113549

加えると、そういう私立を選ぶことで、公立では出来ない教育サービス享受する権利をも市民が受けることができる、ってのも大きい。

まああんまりそういう差を意識してない人がいるってのが事実ってのは認めるけど。

http://anond.hatelabo.jp/20170210113154

私立公立には出来ないような独自の信念に基づく教育を行うのが設立目的だし

方針に従わない者を入学させないのも自由

しろそういう多彩な個性を持つ私学の設立を認めるのが教育多様性

しゅうかつこわい

本格スタートが目前に迫った今、改めて思う。

就活が怖い。

私は、所謂MARCHと呼ばれる学校に通う大学3年の女だ。

とある地方出身で、3年前大学入学のために上京してきた。

就活が怖い。

私は、競争という競争をしないで生きてきた。中学までは地元公立高校ほとんど勉強せずに入れたし、大学指定校推薦で決めた。

年代との「人生をかけた競争」をしたことがないのだ。

就活が怖い。

これが初めての競争になる。右も左も分からない。辛いことは全部避けて生きてきた。そんな自分が1人で戦っていけるだろうか。

就活が怖い。

内定が取れるか取れないかじゃない。

就活を通して自分メンタルがどう崩壊していくか」

これが分からないんだ。


から私は就活が怖い。

書きながらまた眠ってしまった

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

こんばんは、教育困難校に勤務してる増田です。

昨日(エントリを書いた次の日)の昼休みパンかじりながらスマホをチラ見したら、エントリがすごいことになっててうろたえた。目に入ったコメントに泣きそうになったからそれ以上は見なかったよ。

仕事から帰ってきてセブンイレブンおでん食べながら、ざざーっとコメントとか関連エントリを読みました。セブンイレブンおでん白滝が好きです。


読みながらちょっと感動して、いろいろ書きたくなって書いたんだけど、疲れすぎてて気づいたらソファで寝てた。書いたものは消えてた。スマホめ、グーグルアプリめ。


で、仕切り直してもう一回、今日、いま帰ってきて、書いてます。揚げ鶏食べながら。

長くなってしまうかもしれないけど許してほしい。

エントリをたくさんの人が読んでくれたみたいで、東洋経済教育困難校シリーズも読んでくれたかな。そうだったら嬉しい。

こんな状況があるってことを、少しでも多くの人に知っててもらえるだけでも、同じようなしんどい思いをしてる同業者たちにとっては、きっと心強いと思う。


単純な感想としては、まずこんなにたくさん反応をもらえるとは思ってなかったというのと、その中でも好意的というか、問題をすごく深く捉えてくれている人たちが多くて驚いた。あと励ましも。嬉しかった。

自分頑張ってるアピールうざい、みたいにもっと言われるかと思っていた。意外と言われなかった。なんかごめんなさい。


実は、あのエントリの中で書いたことには、私の経験だけじゃなく、私が教員として信頼している人、尊敬している人の経験も混ざっている。全部が全部、私が現在進行形で抱えている事象ではないのでご安心を。まぁ、じゅうぶんしんどいけどね。

だまされたと感じた人がいたらごめんなさい。いろんな形で頑張って、生徒と向き合っている人たちがいることを伝えたかった。もちろん勤務時間外の対応別に義務でもないし、勝手にやってるだけと言われればそれまでなんだけど、生徒の大変な状況を目の前にして放っておけないって人が多いんだと思う。うちの旦那さんとかね。


私はどちらかといえば、職業教員というか、仕事から、って割り切っているほうだと思う。だから、同じようにしんどい思いをしていた旦那さんに肩入れし過ぎだって言ったこともあるし、熱い前担任からクラスを引き継いだときは、やりにくいと思った。


私が生徒に時間をかけて関わるのは、そうしないほうが大変なことになるということを経験してるから。どんなに罵詈雑言を浴びせられても、授業以外でも生徒たちと関わる時間を最低限とって、個別に声をかけて、あなたのことをきちんと認識しているよ、見ているよ、ということを相手にわかるように伝えてあげないと、今よりもっと大変なことになる。そこで少しでも信頼関係がつくれたら、そこを拠り所としてなんとかやっていける。うまくいけば、その子の拠り所にもなれる。


でも、罵詈雑言を浴び続けて、心が折れて、生徒と一切関わらなくなった人もいる。気持ちがわかるだけに、本当につらい。けど、本当にしんどい。

そうなると、その人の授業はさらにひどい地獄絵図になる。その指導巡回を他の教員がすることになって、自分のために使う時間さらに削られる。職員間の関係性も悪くなるという負のスパイラル

つらい。



私が首都圏都市部で勤務しているのでは?という声を見かけた気がするんだけど、地方公立高校国語教員です。都市部で働いたこともありますが、いまは担任分掌仕事や、その他の主任業務も当然かけもちくらいの規模の学校にいます分掌っていうのは、教務とか進路とか、生徒指導とか生徒会とか、授業そのもの以外の学校業務もろもろ。大規模校だと、担任業務分掌業務かどっちかだけで良いパターンもある。


ちなみに、学校絶対にやらなければならない授業以外の業務ってほぼ一律で、絶対量はどんな規模の学校でもほとんど変わらない。

から職員数と授業以外の仕事量はほぼ反比例する。規模が小さくなれば職員数が減るので、単純に一人当たりの仕事量が増える。あと、受け持つ授業の種類も増える。小規模校の先生はどこも大変だと思う。情報共有がしやすいというメリットはあるけど。



から大都市の大規模進学校に行きたい教員が多い。生徒はおとなしいし、仕事量は少ない。自分の得意な分野で勝負できる。定時で帰れる人も多い。

ある程度の進学校にいた人たちは、高校先生って楽そうだな、そんなんでお金もらえるなんていいな、って思ったことあるんじゃないかな。私は思ってた。バカにしてた。

でも全然違ったよ。世の中にはいろんな学校があって、いろんな先生がいた。進学校にも、進学校の良い先生がいる。


脱線した。

私は、辞めようと思ってる。決心したのは本当に個人的理由なんだけど、流産たから。

誤解しないで欲しい、別に生徒に何かされたわけじゃないよ。私の体の問題なんだと思う。

でも、それをきっかけに自分生活大事にしたくなった。自分の子ものことを考える生活をしたくなった。それだけ。ありがたいことに、私が無理して働かなくても生活はしていける環境もある。


辞めるって思ったら、ちょっと楽になった。逃げるは恥だが役に立つ


最初エントリ言葉遣いもひどいし、差別的に感じるところもあったと思うけど、私の正直なところだった。

発達障害については色々思うところあるけど、長くなるからやめておく。

差別と言われればその通りだと思う。たくさんの発達障害の生徒や教員旦那を含む)と付き合ってきた上で、私は差別というか、区別している。人間誰でも苦手なことはあるし、発達障害はその延長線上だし、フォローし合えばいいと思う。でも、コミュニケーション必須、むしろそれが全て、という教員という職業に就いていて、コミュニケーションが苦手なので自分の好きなように授業だけします、っていうのは許されないと思う。どんなに進学校でも、もちろん教育困難校でも。


長いですね。すぐ語っちゃう

誰かに聞いて欲しかったんだな。

この職に就いたばかりの頃にお世話になった先生に、「誘ったらすぐ飲みに行ける異業種の友達がどれだけ居るか、が良い教員かどうかのバロメーター」って言われたこと思い出した。最近、飲みにも行ってない。狭いな。飲みに行きたいなー。



色々、わーわー言いましたが。

お子さんがいる保護者世代の方々、理解してくれている人たちがいると思うと心強いです。ありがとうございます


エントリきっかけに色々考えてくれた方々、心配や励ましをくれた方々、ありがとうございました。勇気付けられたり、気付かされたりしたことがたくさんありました。


教職経験者の方々、共感アドバイスほんとに嬉しかったです。泣いた。

教育困難校勤務の国語教員増田さん。

http://anond.hatelabo.jp/20170208200842

私はこの職に就いた頃にあなたのような尊敬できる教員出会って、たくさんのことを教えてもらったから、ここまで続けてこられたし、教員という職に対して誇りも意味も見出せたと思う。女性教員から難しいこともあるけど、女性教員からこそ得意なこともたくさんありますね。

こういう素晴らしい教員も、現場にはたくさんいて、頑張ってる。それが少しでも伝われば嬉しい。



全国の教育困難校と言われる学校で、磨り減りながら頑張っている先生

しんどいですよね。

でも、理解してくれてる人もいるみたいです。



ちょっとでも、これで心が軽くなる人がいたらいいなと思う。

教員でも、全然違う環境で、見えないところでしんどい思いをしてる人でも。

生徒と一緒で、大人も、誰かが自分の状況を理解してくれてるって思うと安心するよね。

そういう教員でありたかった。いろんな生徒の状況を理解たかった。でももう今はしんどい

とりあえずあと1年、無理しない範囲で生徒と関わって、彼らの人生にとって少しでもプラスになることを残せればと思ってる。


もう絶対教員なんてやらない、という気持ちではないです。いつか、他の学校でまたやるかもしれない。


でもとりあえず、いったん少し休もうと思ってる。今はね。


長くなってごめんなさい。

ありがとうございました。

2017-02-09

ADHD発達障害)の、つまずきながらも終わらずに生きられた半生

ADHD診断済の者です。

ここ最近借金玉氏のブログhttp://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事話題を呼ぶのを見て、にわかはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています

そのコメントとは、id:Outfielder 氏の

知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないか高校受験で詰んでしま人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある

というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。

自分がそれ、と言っても結局中学公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています

でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます

(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD衝動によるもの本心です)


小学生時代中学受験でつまずく)

子供の時から自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります

絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)

問題ポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいか中学受験に向けた塾通いをするようになります

しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験しか提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境自分ストレス耐性がピークに達してしまった気がします。

と同時に、なぜ今の小学校友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。

結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達安心感たるや今でも思い出します。


中学生時代(内申でつまずく)

この公立中学地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…

が、

心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。

まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネット桃源郷見出ししまいました。

テレホタイムは親のPCでこそこそチャット掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)

今思えば、このあたりもADHD衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。


高校時代公立高校でつまずく)

はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。

中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)

そして、1年ももたずその高校を辞めました。

なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。

気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。

多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・

その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校一年から入り直すことになります

ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。

それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)

そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。

特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分特性に合ったジャンル先生見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります


大学時代ADHD完熟期)

その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。

2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクしょうが世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。

そして自分学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います

興味のある授業内容、自由雰囲気キャンパス、そしてどことな普通じゃない人達の集まる文化系サークル出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分人生が本格的に始まった感じがしました。

色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。

就活は例に漏れ苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。


社会人のはじまり(つまずき続けつつそして現在

そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・

といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます会社に数日行けなくなりました。

体が動きません。会社メールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。

それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。

メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。

ADHD的に特にしかったのは、やはり外部とのコミュニケーションスケジュール管理企画書作成といったところでしょうか。

これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。

それがここ1年ほどのことです。

再びクリニック通いを再開し、軽うつ対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。

そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。

それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。

その後、自分ADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります


振り返ると

中学受験高校社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師理解サポートたまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度回復させていけるようになりました。

中学受験成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います

一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。

まぁ、今はどこのクリニックも発達障害の診断で激混みという話も聞きますけど…

空前の発達障害ブーム(?)に備えた人生設計の、一つの参考例にでもなれば幸いです。

2017-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20170208130957

橘玲が、公立は最低の私立よりダメだけど、それは問題児を退学にできないかだって言ってたね。

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170207223033

面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテスト大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。

まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。



しろ今の入試制度は、ペーパーテストだんだん軽視されつつある。

一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。

僕も昨日今出川大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。

地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。



ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。

例えば論文高校生のうちに、仮に稚拙ものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。

あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。




しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。

時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。

就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。



なお、科挙廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、

科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。

今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学学問をやるには役に立つ。あと、科挙あくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。



まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負不安定感も一応軽減している。

形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。

それでもやはり、大学就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。


自分もまだ19歳、よくわかってないところもあるだろうけど、取り敢えず書き立ててみた感想ってことで。

[][][]

保護者職業1970年代から90年代まで、医師弁護士大学教授などの専門職や、大企業官公庁管理職、および中小企業経営者などの「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。

(中略)

20年間に、公立高校から東大入学する者の割合は70%から50%に減少した。一方、私立高校出身者は30%から50%へと増加した。

まり東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者職業構成は全く変わっていないのだ。

貧富の差はどこまで広がった?「格差社会」を読み解く



http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

僕のすべての受験体験

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

これを読んで懐かしくなった。

すべて関西エリアの話です。

幼稚園受験

最初受験記憶はこれ。完全に親の力で決まる受験

高校までエスカレーター私立幼稚園で。周辺の3つの市くらいか金持ちが集まり、お母さんが派手な美人が多い。親が元女優プロスポーツ選手ヤクザ幹部みたいな人も多い。

受験対策というのはほぼ無いので、親の職業年収寄付金なんかで決まる。

受験でしたことと言えばちゃんと記憶にあるのは面接。多動気味だった僕は面接中にもう全身が痒くなって大暴れしたのを覚えている。一応それ以外にも先生と遊ぶ時間もあったから、そこでも見られていたんだろう。

うちは普通サラリーマン家庭だったがバブルで潤っていたこと、母方の祖父母がそれなりの中小企業社長だったこともあってか合格

袖の下も渡したらしいという話は後から聞いた。

キリスト教系だったので、様々なクリスマスハロウィンミサなんかを味わえたのはい経験

小学校受験

エスカレーターで上がれるところを、親の意向で母の母校を受験することに。(幼稚園は人気高い小学校は頭がわるいイメージの強いところだったので、50%くらいの園児が別の小学校に進学する)

受験対策として塾に通わされる。もちろん塾と言っても勉強ということではなく、マナーとかお作法とか創造力があるか、といった試験クリアするためのもの

ひたすら折り紙練習や、箸を正しく持って小豆を皿から皿へつまんで移動できるか、面接で受け答えできるかの練習

そして迎えたお受験日。事前の練習通りやったし、面接もなんとなくだがよく喋れた記憶がある。しかし、結果は不合格。後の親の感想によると、サラリーマン家庭であったことと年収

中学受験

小学校公立に入ることになった僕だが、小2から学習塾に通い出す。小3の夏期講習をきっかけに進学塾へ。

小5の終わりまでは灘クラスにいたものの、常にその中の最下位だったのでワンランク下のクラスへと変更。あと、僕自身の二度と受験したくないという意向を受けて大学までエスカレーター中学第一志望に。

エスカレーター高校までの滑り止め中学合格したものの、第一志望は不合格

正直なところ第一志望は余裕で問題を解けていたが、珍しく内申点を重視する学校だったことが仇になったんじゃないかと見ている。なんせ受験反対派の先生クラス受験のために小学校休みまくっていたので。

高校受験

先述の通りエスカレーターのため無し。

大学受験

普通にすごしていたものの、怠けまくったせいで中学受験第一志望だったところ大学がD~E判定という状態で高3を迎える。まぁ一年留年するか〜と思っていたところにネットAO入試を知り先生相談

さすが私立高校ということで当時は珍しかったAO対策室みたいなところがあり、そこの指導のおかげで、中学受験第一志望だった大学と同ランク大学合格

人生史上一番苦労していない受験

就活

元々行きたい業界は決まっていたので、ちゃんと早めに3年の夏のインターンから就活を開始。3つほどインターンに参加し、そのうちの第一志望だった会社からかなりの早期に内定をもらう。

通常の就活より相当早めのいわゆるインターン裏枠選考だったため、そこで就活終了。なのでちゃんとした就活はしないまま終わった。そして、今も最高の会社だなと思いながら働けている。


うん、やっぱりちゃんと早めに受験対策してりゃ、いい人生送れると思うんだ。

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