はてなキーワード: 趣旨とは
NHKの立花孝志の動画の趣旨は別に、NHK(国営放送)に言ってるわけじゃないし、あれは比喩だし、立花が言ってるのはほとんど国全体に対して言っているので
警察呼んでくれへんか、って言ってるときは、長谷川を呼んでくれへんか、と言ってるだけで、なんか勘違いしとらんか。
あのさー、もう、無店舗型性風俗特殊営業(いわゆるデリバリーヘルス)で、 最近流行りは、 〇× (青いか赤いか)
で、青いところは、期限切れのおばさんが来るので、若い子に来て欲しかったら、赤い方を選択しないといけないわけよ。誰も説明しないだけで。気づけよ
もし映画館で働いていて車椅子ユーザーの方が椅子に移動させてくれて言われたら、やっぱり大変だよなあと思う。
軽い女性でも50キロぐらいはあるだろうし、他のスタッフと協力したとしてもかなりの重労働だろう。
今回車椅子の方を擁護している人で自分がその立場になったのを想像出来ている人はどれくらいいるだろうか。
体重のある介護者を車椅子に乗り降りさせるのはプロでも簡単でもないと思う。
たとえば、常日頃から非常に弱者に寄り添う姿勢を見せているモバイルプリンスさんの例を見てみよう。
彼の所属していた組織で精神疾患のあるK氏がトラブルを起こした際、ケアは無理だということで組織から追放され
精神疾患のある方でも周りがケアし社会活動に参加できるのが理想だが、
モバイルプリンスさんが参加したツイキャスにおいて、犯罪を犯したわけでもないK氏に対し
などという非常におぞましい議論がなされていた。
モバイルプリンスさんはそれらに積極的に賛同したわけではないが、特に注意するわけでもなく黙認するかのような態度をとったことが一部で批判されている。
私も同じ立場だったらケアするのは無理だと思うのでモバイルプリンスさんをそこまで批判する気はないが
彼の様に弱者に寄り添う優しい姿勢を発信している方でも、実際に弱者のケアを実行するのは非常にハードルが高いのである。
参考
https://note.com/msnrjn/n/n14b65a2afb02
https://note.com/msnrjn/n/n502b234c1294#e5Hc2
# 女性を守るという大義は、障害者差別を正当化するか vol.6 モバイルプリンス氏の罪_未必の故意
https://note.com/msnrjn/n/n5f27b13b063a
note著者マスナリジュン氏はコメント欄を封鎖するため有料設定にしていますが(有料記事は買わないとコメントできない)、
noteの売り上げはマスナリ氏が同額を上乗せし寄付しており、売れれば売れるほどマスナリ氏の支出も多くなり、これによって金儲けはできません。
もし映画館で働いていて車椅子ユーザーの方が椅子に移動させてくれて言われたら、やっぱり大変だよなあと思う。
軽い女性でも50キロぐらいはあるだろうし、他のスタッフと協力したとしてもかなりの重労働だろう。
今回車椅子の方を擁護している人で自分がその立場になったのを想像出来ている人はどれくらいいるだろうか。
たとえば、常日頃から非常に弱者に寄り添う姿勢を見せているモバイルプリンスさんの例を見てみよう。
彼の所属していた組織で精神疾患のあるK氏がトラブルを起こした際、ケアは無理だということで組織から追放され
精神疾患のある方でも周りがケアし社会活動に参加できるのが理想だが、
モバイルプリンスさんが参加したツイキャスにおいて、犯罪を犯したわけでもないK氏に対し
などという非常におぞましい議論がなされていた。
モバイルプリンスさんはそれらに積極的に賛同したわけではないが、特に注意するわけでもなく黙認するかのような態度をとったことが一部で批判されている。
私も同じ立場だったらケアするのは無理だと思うのでモバイルプリンスさんをそこまで批判する気はないが
彼の様に弱者に寄り添う優しい姿勢を発信している方でも、実際に弱者のケアを実行するのは非常にハードルが高いのである。
参考
https://note.com/msnrjn/n/n14b65a2afb02
https://note.com/msnrjn/n/n502b234c1294#e5Hc2
話の趣旨とずれてんだろお前のは
@oharan
1時間
ほらな、単なる騙し討ちだっただろ?
@hmakihara
AV被害者救済·防止法の解説本の執筆にもあたった超党派の実務者会議のメンバー議員に聞いたところ、添付新聞記事のように2年の見直し規定は被害救済の拡大および性交禁止を求める一部野党の声を受けたもので、当時の立法趣旨としては緩くする方向の前提はないとのことです。…
さらに表示
巌
@harry_iwao
14時間
これ見て、議員立法なんて2度とやってほしくないと思った。酷すぎるな。
署名活動には参加してるけど、国民にはそれくらいしかできないし。
この状況自体に声あげていかないと、国会議員全員が無責任過ぎるよな。
@hmakihara
AV被害者救済·防止法の解説本の執筆にもあたった超党派の実務者会議のメンバー議員に聞いたところ、添付新聞記事のように2年の見直し規定は被害救済の拡大および性交禁止を求める一部野党の声を受けたもので、当時の立法趣旨としては緩くする方向の前提はないとのことです。…
さらに表示
赤坂正浩氏は「少数の意見」として現行憲法の規定に同性婚を含むという解釈があることを認めてる。
樋口陽一氏は、憲法は「革命的」ではないと言っているだけで、同性婚を許容する意見が6割を超え、すでに「革命的」でもない現在に同じ意見が成立するかは疑問。
高橋和之氏も、憲法が「カバーしてない」と言っているだけで、同性婚を憲法が許容しないと言っているわけじゃない。
何より、これらを踏まえた政府見解自身が「想定していない」と言ってるだけで、「禁止したものと解することができる」なんて言ってはないよね。
これを踏まえて増田は札幌地裁の結論を「相当危険だ」と批判してるけど、その批判は妥当かなあ?
たとえば
憲法24条1項は文言上両性間の婚姻を定めているが、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで憲法24条を解釈することが相当である。(略)
これ。「社会情勢の変化」というのを増田はどうも近年の風潮を指していると理解している節があるけど、こと日本国憲法の解釈について言うなら、明治民法との比較において述べていると理解するのが妥当じゃないかね。つまり、「婚姻には戸主の了解が必要」としていた家父長制・家族制をベースとした明治の民法規定に対して「個人の尊重がより明確に認識されるようになった」日本国憲法における第24条の、両性の合意「のみ」という規定は、「結婚する二人以外の人の了解は(婚姻の成立において)必要とされない」という趣旨の条文であると解釈することが相当だろう、という意見。この点、札幌地裁の見解はきわめて穏当な解釈であり、個人的には十分納得できる意見だ。もちろん、その時点で同性婚が「想定されていなかった」という点については、全く異論はないよ?
でもって、「想定していなかった」事態が起きてきたときに、法の精神に則りどう解釈すべきかと議論するのは、言葉の意味からいって「解釈の変更」ではないんだよ。「解釈の変更」というのは、あくまで従来から「解釈A」があるのに、それに反する「解釈B」と差し替えようとするようなことを指すんだよね。これは、与党が交代しようが何しようが、国家体制が変更していない限り軽々しく変更してよいものではないはずだよ。近年では、慰安婦問題を最終的かつ完全に解決とした見解を、次の政権であっさりひっくり返した韓国さんの対応とか(あれには呆れた)、あと本邦でも大いに批判された「集団的自衛権」に関する解釈変更が記憶に新しい。あれ、世界各国の状況を理由にした強引かつ「危険」でまさに「ド直球」な解釈変更だったよね。これらについては当然増田も同意してくれると思うし、あの時はさぞあれらを批判してくれてたんだろうと思うんだけど。
それに比べれば、「想定していなかった」事態にどう処すべきかというのは、まさに現在の人々の意見・見解や国際的な潮流、そして立法の精神を踏まえつつ、新たに「解釈」を立てるだけのことであって、それ自体はむしろ必要なことだよ。あくまで憲法は「想定していない」。同性婚も、それに対する民意の大きな変化も。そして、「想定していない」事態が生じたとして、私たちの社会はそれに対応しないわけにはいかない。なぜならそれは、そこに厳然と存在する人一人ひとりの権利に関わる問題であり、何よりそれが憲法の他の条文
日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
とバッティングするおそれがある以上はね。
でもって「現在の人々の意見・見解や国際的な潮流、そして立法の精神」を考えた時に、憲法24条をもって同性婚が許容できない、許容しようとする解釈を作るのは「危険」だなんだと騒ぐのは、結局のところ、日本国憲法の条文を勝手に「同性愛差別」に利用しようという魂胆(歪んだ認知)をお持ちの場合だけなのではないかと思うんだ。まあ、増田の意見自体は勘違いによるものではないかと思うけどさ。そもそも憲法は、国民を縛るものではなく政府に対して国民の権利を縛るなよと規定するものだ。だから、24条は「結婚に第三者の意見がいるような法はダメ」、13条は「幸福を追究する国民に、最大限配慮しないとダメ」って条文なんだよね。国民を縛ってるんじゃなく、国民を縛ろうとする政府にストップをかけている。だから、想定されていなかった事態(同性婚)に対して、あたかも公式見解(解釈)がすでに存在するかのようにふるまい、ましてや憲法の条文をタテに国民の幸福追求権を阻もうとするなんていうのは、憲法解釈を大いに歪める行為であり、許せないよね。憲法解釈を大切にする増田なら当然賛成してくれることだと思うんだけど。
ただ、札幌地裁も、まだ同性婚に関する国民の意識が依然として議論の渦中であることを踏まえて、従来の法が憲法13条に現時点で違反しているとまでは言えない、という見解を取っており、これは増田も引用してくれているとおりだよね。個人的に残念ではあるけど、そこにも異論はないんだ。ただ、注意しておきたいのは、判決文に言う国会議論が進まず、同性婚を認める立法が進まなかったことが「憲法違反であることが明白になっていたとはいえない」というのは、当然ながら、国民の意識が高まり議論が成熟した暁には「(同性婚を妨げる法規定は)明白に憲法違反である」という意見と同義なんだよね。この点も、判決文を熟読した増田にはよく分かっていることだろうけど。
だから、「憲法24条で同性婚は認められてませんwお前らの大好きな憲法でなwwww」てやるのは、ちょっと完全アウトな行為であり、地裁判決はそういう連中に「御前ら、違うからね?」とまともなツッコミを入れただけ、その程度のものであって大騒ぎするようなものではないんじゃね?ってのが俺の解釈なんだけど。
両性というのが、男女、というのはゆるがしがたい解釈であったとする。
しかしながら、この条文の立法趣旨は、婚姻の成立条件を、家父長制等とは決別し、意思のみに変更する―――つまり、自由化する、ということである。
決して、「男女2者婚以外の婚姻概念があり、それが一般化したときであった場合であっても、決してそれを婚姻としては認めてはならない」というような立法趣旨ではないのである。
憲法、法律の解釈にあたり、立法趣旨を踏まえる、というのは、法学部レベルであれば必ず学ぶこと。
ちなみに、一部の憲法学者のいう、「同性婚はこの条項のカバー外だ」という主張は、同性婚法制化と矛盾はしない。憲法は、同性婚を禁じてはいない、から。
本件で被疑者被告人は、2ちゃんねるに、50回以上にわたって警察官を殺害する趣旨の文章を掲示しており、その量も膨大であり、所轄の県警が威力業務妨害罪として
取るに足ると判断したから事件化したもので、原判断は相当である。
威力業務妨害罪として取るに足るだけの文章を掲示したのは争わないが、被告人は、2ちゃんねるのスレッドを伸ばすことにあったから、犯罪結果発生のおそれがあることを知らなかった
kjin 漫画云々より今もワイドショーて言葉が若い人に通用するのかが気になった。増田は対応とか好きに思ったらいいしDBで育ったけど鳥山明のマンガに与えた影響とかは思わなかったかなあ。当時自分が夢中になっただけで
元増田に「増田って呼ばれるの嫌」と書いてるのに、増田と書く意図はなんなんだろう?
故意の嫌がらせ?それとも「自称したコテハン」を二人称ないし三人称としてブコメ等に使っても、他のそのブコメを見た人がそのコテハン文字列がどういう文脈を持ってるのかさっぱりわからないことがあるのに対して(固有名詞か慣用句かすらわからないかもしれない)、
「増田」と書けば「増田に書かれた文章の書き手」ということを確実に伝えられるから、っていう配慮の意図が大きいのかな?
それともその趣旨を伝えた最後の文は明らかに本題と独立してるうえに、あまりにも通常の増田の価値観とは異質な文化圏から出てきてる言葉なので「ごちゃごちゃ何言ってるのかわかんねえ」って感じでスルーしてるのかな?
よくある自己紹介的なやりとりがされていたんだけど
男「趣味とかある?」
女「うーん、特に、ないです」
男「そうなんだ、一緒に探していけるといいね」
男「休みの日とかは何してるの?」
女「うーん……なにも」
〜男側の休みの日の話〜
男「YouTubeとか見る?」
ざっくりこんな感じ
引越しの話とか男側の話では盛り上がってたが
男側が女側の理解を深めようと話を展開させるための振りをしても何も出てこない
こういう人、いるんだよなあ
マグロだよね
俺はパパ活おぢだけど
たまに趣味なし、休みの日不明、好きなこと不明、やりたいこと不明、友達少なめ、リアクション薄め、アプリもゲームも漫画もアニメも映画も音楽もアイドルも服もコスメも勉強も反応なし
みたいな人が居る
話のフックがないからどうしようもなくて詰む
自分の話を適当に矢継ぎ早にしても、面白いんだか面白くないんだかよく分からん反応(というか話を理解せずに、驚くべきところで驚いてる風のリアクションをしたりする)
みたいなケースがある
これ、この人と話盛り上がれる初対面男性いるのか?っていつも疑問になる
1人で漫談するか、一般論の話するか、ゲームやアクティビティや占いに誘うか、くらい?初めましてでは厳しい
その点、隣の男性は非常に好感できた
自分のことだけ話さないし自慢もしないしダメ出しもしないし、否定せず相手を気遣ったり未来志向の話ができてた
たぶん、こういうの今回が初じゃないんだろう
去る以外に選択肢ある?
初めましてでマグロなのは誰も得しないからどうにかして欲しい、こっちがおもんない下手くそみたいになるの嫌だ
いや、ていうか会話でマグロなやつはベッドでもマグロだよねたぶん、やっぱり去るしかない
______
個人情報云々と言ってるやつ、それは違う
個人情報を出さなくても雑談はできるだろう、すきなアーティストとか、普段何してるとか、好きなことは何で何をしていきたいとか、どういう関係を築きたいとか
あと俺も自分自身の問題かと少しは思ってたけど、隣で似たようなやり取りが展開されていて「ああこれ誰でもあるんだな」と思ったという話が今回の趣旨
マチアプだろうなって人、よくカフェで隣になるけど、あんまり雑談が盛り上がってないよね
上手い人はもっと盛り上げられるのかな?ホストとかどうしてんだろ
俺は好きなこと、はまってること、得意なこと、何界隈か、悩んでること(お金の使い道)、すきなキャラクター、TikTok/Youtube、時事ネタ、下ネタ、パパ活ネタ、でデッキ組んでる
どうでもいいけど会話とセックスと社交ダンスって共同作業という点で似てるよね
片方が頑張ってもどうにもならないのと、上手くはまった時に楽しい感じ
____
>嫌いなことのほうが解像度高い説
これ薄々思ってたけど
そこを深掘っていくのって怖いんだよね
ちなみに「苦手な食べ物」あたりは話題にすることあるけど「特に・・・」と返ってくる
「スポーツとかやってた?」に対して「やってない、運動苦手」となって、「運動苦手」で展開しようとするけど2手くらいで詰むみたいなのもある
助けてさんまさん
_____
一応言うと男女逆でもあると思う、そういう増田を読んだことがある
令和3年にたかとしが最初に黒い車で出てきたのは司法の事を言っていたら関係者の死体が誓敬寺(仏教寺院)にあるのでそこに行けという趣旨だったように思う。
令和4年2月28日に大手町のサブウェイの閉鎖に伴い、ままがシェアハウスを閉鎖した。
住宅相談員の鈴木が、 ファインズコート6丁目、TOP志村の順に検討したが、 最終的には、小さいものがいいのかしらということで現在のところになった。
なお、住宅相談員の鈴木や、不動産会社の男が、令和4年2月25日頃に、様々な案内をしていたことに関しては、CWの中谷が記録していなく、CWは、年度末で小俣に変わり、
すぐに藤原に変わった。民生委員は従来から決まっていたが家に来ることはなく、民生委員が、見目とみ子になってから、障子に目あり、といわれるようになった。
妊娠出産をコントロールする、というのが女性だけの権利じゃないんじゃね?って趣旨でしょ
それはもう考え方の違いだから、権利として受け入れろ、理解しろって言ってもしかたないよ
強い言葉を使うと断絶するだけだから、権利として認めてもらうには?理解してもらうには?どうしたらいいのか、てところを考えないといけないと思うよ
過去に似た流れがあったことを、世間は忘れているのではないかと思う。
1999年に週刊文春は元ジュニア達による性被害告発を、大々的に報道した。ジャニー氏と事務所は名誉毀損訴訟を起こすが、東京高裁は2002年に性加害の真実性を認める判決を下した。重要なのは、裁判で少年たちへの「性加害の真実性が認められた」にも関わらず、ジャニー喜多川氏は逮捕されることなく、刑事責任を問われることもなかったという事実だ。
「刑事責任を問う」には、被害者が児童であれば直後に加害者の精液等を採取して被害届を出したり、加害者自ら暴行の様子を撮影して映像を保管していたなど、よほどの直接的証拠が残らなければ難しい。文春のA子さんのケースのように、事前にスマホを取り上げられて密室で暴行をされたという流れが事実であれば、そもそも物的証拠は残りようがない。
これに限らず多くの性犯罪がそうで、密室内で行われる暴行は、そもそも物的証拠が非常に残りにくい。そのため警察も性犯罪の被害届は門前払いにしたがる。被害者は精神状態が麻痺しており、トラウマそのものを扱う聴取や裁判に耐えうる人は少ない。結果として、人が人に重い精神障害を負わせるような暴行が起きたとしても、日本では殆どは裁かれることなく野放しになる。刑事事件として被害が認めらるハードルは非常に高い。
文春編集局長の「刑事事件として起訴するための証拠はない」という発言を「今になって証拠がなかったと認めた、デマ記事だった」とするのは単なるミスリードだし、時期尚早だとも思う。民事裁判では状況が異なる。刑事事件として扱うための物的証拠はない=暴行はなかった ではなく、単に証拠不十分で不起訴になるだろうということだ。
先に挙げたジャニーズの裁判のように、刑事事件としての物的証拠がなくとも(そもそも残りようがないが)、民事では、証言や状況証拠も重要視される。双方の主張をつきあわせて矛盾がないか調べ、状況証拠を照らし合わせ、時間をかけて真偽を問うことになる。このとき、もしも報道通りだとしたら、裏付けはそれなりに出せるはずだ。被害を訴える人々の、事件があったとされる日以降の精神科への通院歴、LINE等で友人や家族に被害について相談していた電磁的記録、これらを時を遡って捏造することは難しい。(性的サービスのない)マッサージ店における暴行の件であれば、松本氏に性的要求をされ即退職したという店員、出禁になったにも関わらず翌日に偽名で来店した松本氏に腕力で頭を押さえつけられ暴行を受けたとされる店員、複数の店員が当時その場で対応している。第三者を含めた証人や、状況証拠はそれなりに揃っているはずだ。
刑事事件としての起訴はもとより無理であって、これから民事裁判で真実性が問われるだけの話だと思う。注意点として日本の法律では、内容が真実であっても名誉毀損は成立する。報道内容について「過度に侮辱的な表現がある」「社会的ダメージが大きい」「報道に公益性がない」などを争点にすれば、加害が真実であるかは問わず、松本氏に勝算はある。だからこそ訴訟を起こしたのだろうとも思うが。
そのとき世間は「週刊誌が負けて賠償金を払った」というタイトルしか読まないだろうし、「無実だった」という印象を世間に与えることができる。園子温監督のケースでは、訴訟相手の週刊誌と和解し「事実と異なる内容で、全文削除させた」と強気の表明をしたが、そもそも被害を訴えていた女優さんは自死されていて、真偽は不明のままだ。そうやって何もかもがうやむやになり、忘れられ、また性犯罪の告発があれば、とりあえず疑って全力で叩くことから始める。(いじめやパワハラの告発ではそうはならない、ずっと冷静に話を聞く)建前はどうあれ、性加害の欲求を持つ人が大勢いることを本当は知りながら。
どれだけの人が似たような訴えを起こしても、世間は冷静に耳を傾けることなく、永久に同じことを焼き直し続けるのだと思う。
法務省が実施した性犯罪調査によると、警察が被害届を受理した事件数は、推定被害者数の4.71%しかない。性犯罪に遭った人は、直後は否認と麻痺状態に陥り、すぐに行動できる人は非常に少ない。例えるなら、全身を轢かれて重体になった人に対して「すぐに自力で立ち上がって動けないのはおかしい」と非難しているようなことに近い。PTSDを負えば、一生涯精神科に通院しかねない深刻な後遺症が残るのが、性犯罪だ。警察の聴取、裁判に耐えうる人は少ない。トラウマを受けた人は加害者への恐怖心が非常に強く、再加害の危険を本能的に回避しようとする。どうにか勇気を出して警察に行っても「証拠がないので難しい」と、被害届をつっぱねられるケースも多い。一言でいうと当人の精神状態、環境が整っていない。
相手が日本全国で名が知られ、ファンも大勢いる人であれば、なおさら警察に被害届を出せないだろうと思う。ジャニーズ当事者の会では、激しい誹謗中傷を浴びた男性が自死している。最高峰の弁護士を雇える権力者と、法廷で一般人が対峙できるものだろうか?ただでさえボロボロの状態で。ずっと時間が経ち、(優秀な弁護士を雇うことのできる)大きな週刊誌の後ろ盾があり、かつ他にも同様の被害を訴える人が多いと知らされて、やっと世間に被害を告発をできるようになる心理は、同じ立場に立ったら本当は理解できるはずだと思う。当時泣き寝入りを選択したことを非難し、そのため虚偽であると決めつけるのはあまりにも理不尽だと思う。
「のこのこホテルに行った方が悪い」
立場の上下関係がなく、最初から二人でホテルに行こうと提案されていたなら、あるいはそうかもしれない。しかし新人の立場で「失礼があればこの界隈で歩けなくなる」と事前に脅され、複数の男女の飲み会を「VIPを招いたので、週刊誌対策でホテルの部屋飲みに変更しますね」と当日になってLINEで通知された流れが事実だとしたら、かなり話が違う。その「飲み会」の趣旨が明確でない上に、意思決定をする時間を十分に与えられておらず、芸能界の強固な上下関係からキャンセルしづらい立場に置かれている。
ちなみにこれは不同意性交等罪の構成要件のひとつ「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって、受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること」に当たるが、法律は時を遡って適用されないため、今回の件では問うことができない。単に相手の立場の弱さにつけこんではいけないという話だ。
「スマホを持った馬乗り写真がある、スマホ没収されていないという証言がある」
女性がスマホを持って松本氏にまたがる写真は、性加害を告発された飲み会とは別の飲み会。真逆の印象を与える写真で、ミスリードされている。セクシー女優の霜月るな氏が「記事にあるギャルは私だと思いますが出鱈目です、楽しい飲み会でした」と主張したのも大阪の異なる飲み会。ちなみにこの方は女性を集めるアテンド役をしたと自ら書き、1月14日時点で「松本さんがいないテレビは面白くない、喜んで参加したくせに。告発者はビッチ」といった内容をSNSに投稿している。
デマも多いが、真実を告発した記事も多い。その記事を扱う記者、編集長によって異なる。週刊誌は正義でも悪でもなく、単なる媒体だと思う。
もっともだが、そもそも松本氏は逮捕されていない。告発を信じるも信じないも、世論は割れている。同じような被害を訴える人が沢山いるというだけの状況だ。松本氏は「事実無根である」として名誉毀損訴訟を提起しており、言い分は一方的でもない。片方の主張を鵜呑みにするべきではないが「とりあえず話を聞く」ということをせずに、頭から否定して告発者を叩くことが(日本では)性犯罪においてはお決まりの流れになっているように感じる。伊藤詩織氏、ジャニーズの件でも、ネットは胡散臭い・冤罪だと主張しては熾烈なバッシングを繰り広げたが、最終的に被害を認める判決が出ている。
実際に存在する平成時代の東大法学部とか、その実相をみたら、健康を害するだけで論外だし、この趣旨で、結語としてアスペルガー障害と統合失調症で評価
したというのであらばまだしも、本件診断書は、令和元年10月13日に至ってようやく送付されてきたもので、しかも、そこのように評価されていることについて、
その積極面について誰も説明しなかったので本人が了承していないだけである。むろん、大人は説明しないという前提に立ち、裁判官の実相をみたら論外であるので
法律の道を途絶させて精神障害者として雇用しているのは、相当のようにみえるし、警察官も論外なので、令和6年2月14日に臨場した女性の警察官(なお容姿は見ていないので
不明であり、死相を呈していた)が邪険に扱ったといったものも相当なように思うが、相手方がその趣旨を理解していない以上、難しいという他ない。それ以外にも、自室に幽霊の警官が
出現して、もうどうともならないから、「ちんぽをけつなあなに我慢しろ」「けつなあな確定」というときに、そこに、相手方の生命を維持しようという気持ちが汲み取れない。もしくは
本人がクソ真面目過ぎて理解できないといったような状況である。しかし本人がこのようにクソ真面目になった経緯として、結局、この程度にクソ真面目にならないと、そもそも、
無店舗型性風俗特殊営業(いわゆるデリバリーヘルス)が利用できない実情があること、仮にそれが勘違いであるとしても、 東大法卒として評価されて官僚になると生命に危険な道が
待っているので精神障害者としてデザインし評価して採用しているという積極面が理解できていない状態のまま、令和6年3月5日まで経過したものと認められる。
最近話題になったnoteでの「特権階級」という単語について、 「AI推進派は絵描きのことを特権階級と思っていた。」「結局絵描きが羨ましかっただけ。」「我々を勝手に特権階級にするな。 」などと、note中では用いられていない意味でnote著者やAIの利用者を罵倒したりしている場面を見かけます。
こういった日本語を読み取れない人たちについて、ここで捨て置いたりバカにしかえすのは簡単ですが、 それでもなにかを主張たいから声を上げている彼らと、なんとかしてわかり合う道はないものかと思っています。
彼らの本当の問題意識は何なのか、その問題に対応するには具体的にどのようにしなければならないのか、その場合のメリットやデメリットなど、建設的な話をしていくにはどうすればよいのでしょうか。
今回AIに関連した話題じゃなくても、こうした場面は多く見られます。 どうやって対応していくのがよいのでしょうか。こうした場面を見るたびにいつも悩んでいます。
私は件のnoteについて「 他分野のクリエイターやAI開発者を価値が低い、犯罪者などと罵倒し自分たちの意見だけを主張するのではなく、現在我々全員が置かれている問題を相互に理解、勉強し、明らかにしたうえで、お互いの落とし所を話し合っていきましょう」という趣旨だと思っています。特権階級という言葉は、現在の過激な反AIの方々の行動として、相手をないがしろにし、自分の意見だけを押し通そうと罵倒を繰り返す仕草、を揶揄している言葉だと読み取りました。 日本語が読めてないのが私の方でしたらごめんなさい。
何度も何度も叱っても、かれこれ同じことを10回近く繰り返しているので私も呆れてきました
地味な努力が出来ないならば、塾なんて行かなくて良い
例えばだ、俺の人生の快楽を最大化するという観点において、俺の人生が明日まででだとしたら、今これが仕事の休憩時間なのおかしいだろ。仕事とかやってる場合か? 休んで遊んだほうが快楽は増える。
でも俺の人生が、少なくとも1年後まで続くことが確定しているなら、今日仕事サボるのどう考えても悪手でしょ。今月で仕事クビになったら、あとどうするんだよ。
このように、一口に合理的に考えるといっても、どこまで合理的に考えるかによって、結論は変わるのだ。
時間だけではなく、規模でもそれは起こる。
お前がお前だけの合理性を考えるなら、お前は投票に行かないほうがいい。でも例えば、会社とか仕事のことまで考えたら、投票に行ったほうがいい場合は多いな。当選した議員が仕事をもたらしたり、あるいはインボイスの更に上の悪法を適用するかもしれん。となると投票には行った方が合理的なんだな。
なので、お前は「自分が合理的で、相手は合理的ではない」という趣旨のことを言っているが、実はそうではない。
別にこれは、規模の大きい合理性を選ぶほうが偉い、わけではない。
たとえば真に合理的なだけの行動をするのだったら、俺は中学高校時代に運動部になど入らずに、東大に入る駄目の勉強だけを永遠にしているべきだったが、そうしたかったとは全然思わない。