はてなキーワード: 問題点とは
個人的には、ディープフェイク等の問題からAI規制は当たり前だと思っているが、SNS(X)を中心とした反AI運動は何か気持ち悪いものを感じて近寄れない。
この感じは何なんだろうと考えていたが、どうやらそもそも彼らは「連帯」という言葉の意味を理解していない、あるいは歪めているのだと気がついた。
連帯とは何か。
例えば反AI運動なら、「私は著作権問題でAIに規制を求めたい」「私はディープフェイク問題でAIに規制を求めたい」「私たち両方に利益のある規制を求めて協力していこう」とこういう会話ができることである。
まかり間違っても、「ディープフェイクを理由にAIを問題視しているなら、同じように著作権問題にも注意を払わなければいけない」などと迫ることではない。
ある問題が問題視される理路は一つではなく、それはどれかひとつが正しいというものでもなければ、ひとつが正しければ他のすべてが正しいというものでも、そうでなければいけないというものでもない。
連帯するということはその多様な問題点を問題視するそれぞれが、同じ対象に問題を感じているという一点だけで協力することであって、わざわざ邪魔をするようなことはあってはならないが、互いに必要以上に理解を求めあうものでもない。
しかしどうも、Xの反AI運動に熱心な、「クリエイター」意識が強い面々は、そういうことがわかっていないように思える。
彼らは「著作権問題は正直どうでもいいけど、AI規制は必要だよね」という意見の人を最初から想像もしてないように見えるし、たぶんそれを認めさせようとすれば反発すらしそうな気配がある。協力しようなんて気はさらさらないだろう。
というより、彼らにとって「協力」「連帯」とは、「クリエイター」の悲惨な境遇を認め、共感あるいは畏敬の念をもって憤怒の情にかられることであって、「クリエイター」に全く同情的でないがAIには問題を感じるなどという意見を持つのはその方がおかしい、矛盾してるくらいに感じているのだろう。
つまり、彼らにとっては運動ということが敵とやりあうためにクレバーに立ち回ることではなく、とにかく自分の立場の支持者を増やすことにすり替えられてしまっているのだ。
そうやって考えてみると、SNSの運動家には一般にこの性質が見られる。
「フェミに問題があると思うなら日本が女尊男卑だとも認めろ!」
とか
「表現の自由戦士に問題があると思うならオタク文化も全否定しろ!」
とか。
通常の人が通常の範囲で問題があると思うものに声をあげるために、それ以上の過激な立場でいることを何故か強制されるのだ。
「いや、そこまでは言うつもりはないんだが…」と躊躇していると、「だったら黙ってろ」と言われてしまう。
これって何か、「連帯の輪を広げる」という建前からはどこまでも離れたものになっている感がある。
独断と偏見でこういった排他性の心理を分析するなら、やはりそもそも彼らの望むものは問題の解決とか、合理的な利害の処理というところにはないのだろうと考えざるを得ない。
では何を求めているのか。
結局、それはSNSというサービスの本来の目的そのものなんだろう。
どちらかというと、そこまで極端な自分の主張を肯定してくれる、真の仲間、くらいのすごいものを求めているのだ。
そうでもなければ、些細な違いに目をつぶりつつ、なあなあで連帯することにあそこまで目くじらたてて拒否反応は示さないだろう。
彼らは、敵を設定することで、敵の敵は味方理論で自分を理解してくれる人を増やそうとしている、というのが本当のところなのだろう。
松山洋平
職名 准教授
専修課程 イスラム学専修課程
専門分野 イスラム学専門分野
神学と法学を中心にイスラーム教スンナ派思想の研究をしている。博士論文では、「マイノリティムスリムのためのイスラーム法学」を唱導する現代の論客の理論を比較し、現代イスラーム法学の言説的特徴を考察した。加えて、マートゥリーディー派という神学派の「信仰・信心」概念に関連する問題群の分析も行っている。古典的学説の研究だけではなく、現代のイスラーム教徒が、古典的学説をどのように理解しているのかということも中心的関心事である。著書に、『イスラーム神学』(作品社、2016年)、『イスラーム思想を読みとく』(筑摩書房、2017年)などがある。『イスラーム神学古典選集』(編訳、作品社、2019年)などの著作では、イスラーム学の原典を翻訳し、日本に紹介している。その他、日本社会のイスラーム教認識にも関心がある。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jorient/61/1/61_74_78/_article/-char/ja
本書は,クルアーンとイスラム法の論理を解説しながら,イスラム教の本来的な教義が,「イスラム国」をはじめとする「過激派」の活動の内在的要因であることを示すものである。著者によれば,「イスラム国」の掲げる理想が「イスラム教徒全員にとっての理想」(4頁)であることは,イスラム教の教義を「正しく」理解したのであれば当然の帰結として導き出されるという。イスラム教の「異質性」,「対話不可能性」を示しながら,著者は,楽観的な態度で「イスラム教徒との共存」を可能と考える日本人に警鐘を鳴らしている。
本書の最大の特徴は,イスラム法の理論に依拠して議論を展開する点にある。著者は,イスラム教の教義とイスラム教徒による「テロ」や「暴力」との連関の有無を論じるためには,イスラム法学をはじめとするイスラム教の理論的枠組みに言及することが不可欠であることを十分に強調した上で(6–7頁),イスラム教の「論理」を考察の中心に据えるスタイルを全体を通して貫いている。著者の言うように,イスラム教の行為規範の主だった問題はイスラム法学の中で論じられる。
したがって,イスラム教徒の行動の宗教的背景を説明する際にイスラム法の知識が求められるという著者の主張は極めて妥当である。この方針は,本書に高い画期性を与えていると評することができる。
ただし,いくつか問題点も指摘できる。
第一の問題点は,著者がイスラム法学の諸理論について正確な理解を欠いていることである──これは本書の基盤にかかわる重大な問題点と言える。
イスラム法の論理に依拠して議論を進めるという本書の方針は,当然ながら,イスラム法学にまつわる本書の記述が正しく,正確であることで初めて実現する。
しかし残念なことに,著者がイスラム法の論理に言及する多くの部分に,理解が誤っている部分や不正確な表現を見出すことができる。
第二の問題点は,著者の(イスラム教以外の宗教を含む)宗教全般についての先入観と無理解である。
これが,本書がイスラム教の特殊性を無用に強調する背景にある。
著者は随所で「イスラム教はイスラム教だけを真実と考える」(だから特殊だ)と強調するが,他の宗教は違うと言うのだろうか。
仏教,キリスト教,イスラム教のような,特定の「世界観」を教義に内包する宗教全般は,他宗教の真実性を承認することは本質的にあり得ない。
殊更イスラム教だけに限った話ではない。
第三の問題点は,本書の全体的な論の進め方・レトリックについてである。
著者はいたるところで,①イスラム教ではジハードは正当な行為である→②「イスラム国」はジハードを行っている→③故に「イスラム国」はイスラム教の正しい実践者である,という議論展開を行う。
しかし,このような三段論法は,その過程で多くの要素を意図的にそぎ落として初めて成立する。
例えば,ジハードの定義や,クルアーンで命じられているジハードと「過激派」のジハード理解の異同等の問題は,本書では一切検討されない。
「イスラム教では異教徒は殺害の対象とされる」,「イスラム教は世界を戦いに駆り立て,世界征服を目論む宗教である」といった命題も,同様の論法で「イスラム教の論理」として紹介される。
本書は,イスラム教徒──特に「過激派」──の思想・行動とイスラム教の本来的教義との連関をイスラム法の論理に依拠して論じようとしている。
このこと自体は,法学や神学への言及なしに「過激派」とイスラム教の教義の(無)関係性を説明しようと試みるその他の一般書と一線を画す,極めて正当な方針と言える。
しかしながら本書は全体にわたって種々の問題が散見される。そのため,イスラム法学の知識,クルアーン解釈(tafsīr)の知識,昨今の「過激派」と「穏健派」の解釈の異同についての知識等を備えたうえで注意深く読まなければ,イスラム教についての誤った理解をもたらす可能性が高いと言わざるを得ない。
最近、客先常駐から社内SEに転職することが決まった。忘れないうちにこの転職に関する備忘録を残しておきたい。
この理由に至った現職の内容を話そう。
なってしまった、とネガティブに書いているが全否定するつもりはない。新卒で入った会社は客先常駐であることだけが悪かった。COBOLも別に悪い言語とか思っているわけじゃあない。
ただし『客先常駐とCOBOL』という組み合わせは、将来の展望を描けなかった。これから新卒の人にはあまりお勧めできない。
なぜか。
まず、『客先常駐』。
これは全くもって良くない。責任が少ない仕事で十分で、人間関係を適度にリセットしたい人には向いていると思う。もしくは、よっぽどのニッチかつ高スキル保持者くらいだろうか。
問題点を述べていこう。
問題点そのいち。
常駐先ガチャが待っている。どんな地獄の案件が待っているか行かないと分からない。しかも、客先と戦わない営業マンの方が給料が高いなんてやっていられない。最近はSier側が強気に出られるパターンも小耳に挟むが、まだ稀な印象である。
問題点そのに。
上流工程に携われるかは運である。そもそも要件定義とか予算とかを他所から来た人間に任せることは難しい。底辺下請けにはもってのほかである。よって、下流工程のみの経験でスキルは身につかないまま、30代に突入する可能性すらある。
問題点そのさん。
契約形態によるが1ヶ月の勤務時間が決まっている。1ヶ月最低〇〇時間以上勤務となっている。これがネックとなり連休を取ることが非常に難しい。さらに、GWや年末年始休暇があると残業必須になる月が発生する。勤務時間縛りプレイ未経験者は大したことではないと思うかもしれないが、ワークライフバランスにおいてストレスになる。
次に、『COBOL』。
先ほども書いたが悪い言語だとは思っていない。
ただし、大型新規開発は今後ないと思えと言いたい。必然的にCOBOLを書き書きしていた時代のおじさま方には、技術の点で一生勝つことはない。彼らがくたばるまでは。
それと、たまに聞く「コボラーはこれからずっと需要があるし、新規参入者も減っているから将来安定だよ」なんて話。この嘘、ほんと?
確かにCOBOLは自分が死んだ後も生き残るだろうが、それほど大きなパイが残るだろうか。元請けか自社の社員にしか仕事が残らないのではないか。あったとしても金がどの程度分配されるというのだ。
個人的には、将来の選択肢を増やすためにCOBOL以外"も"経験した方がいいのではないかと思った。加えて、COBOLしか経験がないと求人が少なく30代以降の転職のハードルが高いため、その前に一度足抜けした方が安牌だと判断した。まあ、逃げ切れる世代には関係ございませんけれども。
悪魔合体させるといけない。
まず、COBOLはほぼ金融業界でのみ生き残っておりコボラーの生息範囲は限られることとなる。結果的に、客先常駐していると別の常駐先で出会った人かその関係者とかち合う可能性が非常に高くなる。個人情報や噂が一気に広まってしまうわけであり、一回でも社会からすってんころりんしたら戻りにくい。
なにより、両者ともに揃うと別業界や別ポジションに転職しにくくなる。客先常駐コボラーから客先常駐コボラーに転職する人が結構いるのが現実。コボラーになりたいなら最初からIT土方ピラミッドの頂点コボラーにならなければならない。
という様々な思いがあって、
客先常駐の働き方はこの先これ以上は無理だなとなり、COBOLだけではない肩書きを持ちたいと思って転職を決意したわけである。
現職の忙しさで心も身体もすり減っており、スケジュール管理や企業とのやり取りなんてとても無理だったからである。
さて、ステマなし・エージェント会社名無記載の個人的なエージェントの印象を述べていく。
まず、当初は大手のエージェントに登録していたが、こいつは全く使えなかった。自社開発か社内SEを希望しても、客先常駐とずっと求人出している営業職と介護職の求人票を寄越してくる。
最終的には、客先常駐コボラーは美味しくないため全くフォローされなくなり、ついにはエージェントの気配が消えた。
経歴に自信がある人か自主的に転職活動を進められる人以外は、大手向きではない。
次に中規模のエージェントに登録した。疲れて自主的に動けない自分向きであった。
エージェントの対応としては、大手より転職希望者が少ないためか連絡が頻繁かつ口調が砕けたものであり、転職活動の並走者感を演出することを意識されていたように感じた。
そのため、マメに連絡欲しくない人には向いていないと思う。
なお、結果的にこちらで内定まで到達したが、登録してから内定まで平均より1ヶ月ほど長かったようである。これも客先常駐コボラーの呪いか。
面接対策については、2つ目の中規模エージェントで書類添削及び面接対策の申し出があって実施していただいた。それに従えばおよそ間違いないと思うが、参考として面接経験を書き残す。
面接での質問は、これまでの仕事のことを深掘りされることが多かった。
一問一答で準備しておけるようなものではないため、成功したこと・失敗したこと・仕事中に心がけていることなどを整理しておくことが必須である。新卒からコボラーの人間に技術は期待されないから、アピールできるところが仕事の進め方や考え方だけだからだ。
また、気になるITの話題や自己研鑽の質問への回答をそれぞれ2〜3くらい用意しておくとベスト。
志望理由は、表向きの転職理由と求人票の職務内容を結びつけて言えばいい。ここを起点に他の話に発展していくことも多く、嘘の理由であっても結びつきをブレさせない意識を持つといいだろう。
企業研究はインターネットで調べて、事業内容と今後数年の計画を口で語れれば十分かと思われる。新卒と違って会社説明会なんてものはなかったが、面接担当者が面接中にどのような会社か親切に語ってくれるから、そこから志望動機にも繋げていくことができた。
そして、自分と同じく経歴がクソだと思う転職希望者たちには次のことを言いたい。
たとえ転職先で希望のキャリアや待遇が手に入れられなくても足がかりになるような経験が得られるか、でエントリーしていくといいと思う。
もしかしたら、転職した後に「失敗した」「隣の芝生が青いだけだった」なんてことになっているかもしれないが、そのときはまた転職活動を頑張る所存。
採用と教育のコストを考えろよというご意見には、退職されないように経営しろと回答させていただく。
ここまで来て一点大きな訂正をさせて欲しい。
コボラーを名乗っているが、実際はCOBOLよりJCLに触る時間の方が多かった。なんなら、JCLで一番動かしたものは読めないアセンブラのツールだったかもしれない。汎用機バンザイ。
もう30手前になるんだけど、就職関係の話を見るたびに俺の選択はどうだったんだろうと思うから書き下す。
ガキの頃から建築が好きで、通学路に新築の一軒家が建とうとしている現場があれば眺めていたり
当時は劇的ビフォーアフターが流行っていたのもあって小学生の頃から「一級建築士になる」
ことを将来の夢にしていた。ちょうど、中学の頃に叔母が新築を建てる際に建築家の先生に依頼することになり
仕事の様子をよく見せてもらっていた。また施工中の現場もよく見に行っていた。
この段階では将来はこの仕事をして飯を食うことになんの疑問も抱いていなかった。
まず、一級建築士を取るためにはその前の二級建築士を取らないといけないため、高専の建築科を卒業するのが最短ルートだった。
幸い、地元に高専もあったのでそのまま卒業し、地元ではないが県内の有名なゼネコンに入社することにした。
今思うと最初からどこか個人か組織系の設計事務所に行けばよかったが、そこのゼネコンは医者等の高所得者向けの注文住宅のシェアが非常に高かったのでいろんなことが出来そうというのが理由だった。
まあ入社して最初から希望配属ではなく、定型的に公共建築やショッピングセンター等の不特定多数が使用する施設or大規模建築の部署の現場監督のほうに回されて
現場を見てきてね!ってことになった(ここに関しては文句はない、現場を知らずに設計すると大体あとからツッコミが入るのはどこの業界でも共通だと思っている)。
現場は楽しかった。何もない所を重機で整備して、図面をもとに指示出しをして・・・などなど、大変なりに現場の職人達とコミュニケーションを取りつつ仕事をすることと
だけども、監督業というのは当然ながら現場を監督する役割のため、朝は誰よりも早く現場に来て鍵を開ける。パトロールをする。書類関係(役所に申請するものも非常に多い)。
工事写真を撮る、職人からの質問や要望に応じる等、朝から晩まで動き回るし、図面をみてアレコレ指示出しもするし身体も頭も結構使う仕事。
特に明日の準備なんて今日の現場が終わって職人が帰ってからじゃないと出来ない。
あと、工期の短縮=コスト削減のため土曜日は基本的に出勤(最近になって完全週休二日制の現場が増えてきたよね。職人からは不評だそうだけど)です。
施工に関しては施工要領書があり、当然それを満たすように作る必要がある。
そしてそれを確認するために工事写真を撮って、ちゃんとやってますよという証拠にする。
ただ、全箇所撮るのは人が足りなくて無理だったりするので写真を撮ったところ以外はテキトーだったり…。
コンクリートの養生後の圧縮強度が規定未満だったり、エトセトラ。
昨年話題になった大成の札幌の精度不良の件、あんなの表沙汰になっただけで偉いよマジで。
当然、監督業とはいえ1年目のペーペー、当然、現場代理人というこの世の神みたいな扱いの最高司令官が上司にいます。
基本その人から仕事をもらうというか、指示があって動くので上司次第で現場は変わります。
上司より早く出勤し掃除して上司より遅く帰るのが絶対。いつの時代?
割と学生時代からチクり魔で(嫌な奴)、これ以外にも沢山問題点はあったので都度会社にこれっておかしくない?
って相談しましたがいやいやそんなもんだよ。スタンダードだよってあしらわれて終わりでした。
まあ残業代も出なければ週休二日制ですって労働条件なのに毎週土曜日出勤して振替休日もなく
好きで選んだ仕事、自分で選んだ会社、こんなもんか~って思っていましたがあまりにも無理すぎて大体半年で体重が15kg落ち病んでその半年後に退職しました。
退職する時もモメにモメて散々暴言も吐かれたしコーヒーカップを投げつけられる(一応平成と令和の境目くらいの話です)なんてこともありましたが無事退職&転職しました。
さて、無事に退職出来たら段々と会社に対してムカついてきたので労基に行き申し立てをしました。
残業代未払いその他の労働基準法違反が疑われることに関して告発を行いました。
結果から言うと残業代は払われましたが、立ち入り検査があったとか、是正勧告があったとかは聞いていないです。
でも泣き寝入りせずに告発したことで、お金と残業代を払っていなかったことを認める書面を手に入れたので
それをもって母校に行き「今後かわいい後輩たちをこんな会社に入れないでくれ。就職斡旋するな」と言いました。
これは受け入れられたようで後輩たちが入ったという話は聞いていないです。被害者が増えなくて良かった。
ダメ元でも不正に関して窓口があるならとりあえず行くべきだと思います。
そしてニート期間を挟まず再就職をしました。子供の頃からの夢はここで終わり、縁もゆかりもない地方の縁もゆかりもない職種に就くことにしました。
別会社の同じような職種やそれこそ設計職に就けばよかったかもしれませんが、業界に対して絶望していたので全然違う職にしました。
転職後はマテハン業界に入りました。全然畑は違うものの、もともと趣味でバイクに乗ってイジっていたこともあり
工具はわかるし、建築を専攻していたので図面もなんとなく読める(公差は未だにわからない)。
PLCも元々興味はあったので軽く勉強して少し修正するくらいならできるようになったり、
最近は文系職種から「手に職つけたい」とこの業界に来て右も左もわからない状態で辞めていく人間も少なくないので
最初からある程度なんとかなると踏めば知らない業界でも飛び込んで努力すればいいと思う。
盆やら正月やら帰省して、たまに同級生と会って飲んで近況報告をすると驚きの事態が起こっていました。
「建築科卒業同期約30名のうち、約1/3は建築・建設業界を辞めている」
最初から建築業界を選んでいない人間も確かにいます(女子とか、テキトーな地元の携帯ショップとかに就職してそのまま結婚したやつ)。
少なくとも27人ほどは何かしらの建築・建設業(ゼネコン、サブコン、役所、設計事務所、大学出てコンサル等の建築にかかわりのある仕事)をしていました。
早い人間でやはり1年ほどで辞める(俺)か3年ほどで辞めるパターンが聞いてみると多い。
話を聞いた当時社会人5年目、同期で建設業に残っていた人間はなんと「8人」だけでした。
・建設業に残っている奴
自身の事を建築の奴隷だと自称して設計事務所に就職後、大学に戻って学び直している奴。
上司から怒られていてもプロテインシェイカーを振るくらい神経が図太い奴。
・辞めた奴
ゼネコン入社後1年でパワハラを苦に飛び降り自殺をした奴(幸い助かっている)。
会社で被災し(労災案件)、もみ消されて大暴れしクビになった奴(ニュースにもなってない。地方のデカい会社は怖いね)。
病んだ奴多数
それ以外にも業界はそのままだけど転職を繰り返している奴、休職中の奴、転職を考えている奴とかはいる。
地方で就職した連中だけでなく首都圏で就職した人間も同じ悩みを抱えている。
会社に対して何か指摘しても会社側は「好き・憧れてこの業界に入ったのに何言ってんの?」ってスタンス。
ただ当然、最近は世間の目があるのでデカい会社から変わりつつあるそうだが…根本的には変わらないだろうのが同級生たちとの共通認識。
建設業の人間はどこの会社も奴隷労働、お金が出るかどうかは会社次第。
ワーカホリックが生き残っている。寝ても覚めても建築一辺倒の人間かONOFFのスイッチがかなり明確な人間。
好きなことをして稼げているならいいじゃんって話ではなく、必要な労働をした結果の対価を求めているだけなんだけどな。
現在、就職活動をしている人たちは社内の事情や業界についてはよくわからないはずので
実際にその会社に就職している先輩に聞く、ネットで情報を集める(バイアスがキツいと思うけど)は当然必須。
ただ本当に覚悟してほしいのは、まだまだ昭和体質が抜けていない時代錯誤な業界だということ。そしてそれは地方に行けば行くほど
目も当てられないくらいヒドいということ。
ちなみに転職後、都内で某オレンジ色の●林組と1年ほど仕事をしたときに思ったのは
タブレットを使っているとか電子化・スマート化が進んでいるだけで書類関係やらは却って数は多いし品質面はうるさいし
現場事務所が24時間灯りがついている(と警備が言ってた)らしいからあんまり変わらないかもね。
最終的に就職に関しては他の皆は応援するだけで責任は自分で取るしかないから。
なるべく良いところを探して就職できるように頑張ってください。
そしてもしそこでダメだと思ってもなるべく悲観せずに転職してください。
飛び降りるような真似はやめてね。
自分語りのほうが長くなったけど以上です。
業界の先輩が書かれていましたが「楽しい」のは確かにそうです。現場も楽しかったこと、良い思い出は沢山ありました。
ネガティブ面ばかり書いてしまいましたけどね。これもモノづくりの一端なので好きな人はハマるとおもいます。
設計志望でもいざやってみたら現場もいいな!って思ったくらいなので。
でも、好きでもこれは許せないって出来事が積み重なり、ラインを超えたら…。
あとキャリア形成間違えたんじゃないって話。確かに。大学院までいけばもっとやりたいことも出来たよなあ。
自分のキャリアが高専卒というマイナーな存在なので参考になるのか?と言われれば微妙なところですが
就活生には少しでも自分に合った会社を見つけてほしいと願うばかりです。
米国のスタートアップやビッグテックといえば高給取りやワークライフバランスとセットにしてレイオフについて語られることが多い。レイオフする側についてはあまり出回らないので、米国のスタートアップで働く開発チームのマネジャーの立場から書いてみたいと思う。
まず、レイオフにも種類がある。大きく分けて組織改編に伴うものと、個人のパフォーマンスないしは行動規定違反によるものがある。今回は個人のパフォーマンス起因のレイオフについて書く。
個人のパフォーマンスによるレイオフの場合、通常は事前に何度かフィードバックがマネジャーからある。ビッグテックの場合はPIPという再トレーニングプログラムがあるが、昔いたテックカンパニーでは自分の周りでPIPを受けている人を見かけたことがなく、その後は中堅 - 小規模なスタートアップにしか勤めたことがないので、詳しくない。
ともかく、フィードバックの後に改善が見られない場合、レイオフということになる。これはリーダーシップ層の判断が入る。
レイオフが決まると、まずはオフボーディングのための準備が行われる。基本的にAt will employment (理由を示さずに雇用契約を解消できる)なのだけど、雇用契約で2 weeks noticeにしている場合が多いので、残りの給与支払いの計算や保険に関する書類の用意など、人事やアシスタントを通じて行う。
開発チームとしては、スムーズに引き継げるようにすることと、各種ツールなどへのアクセスを無効化する段取りなどを行う。
パフォーマンスによるレイオフの場合、そもそも影響のあるタスクが割り当てられてないケースが多いので、引き継ぎはそれほどない。マネジャーとして最近のコミットなどをチェックし、どの程度カバー必要か確認する程度。
ちなみにレイオフが決まってから実施されるまでは非常に短い。チームで活躍できないと判断されたら、極力コストを減らすためだ。
そしてもう一つ大事なのが伝えるメッセージを考えること。レイオフは覆らない。簡潔にすみやかに解雇を伝え、オフボーディングプロセスを終わらせるように文言を検討する。
次に、レイオフのためのミーティングをセットアップする。1 on 1 という形にすることもあれば、ミーティングのインバイトに気づかれないこともあるので、定例の時間を調整して(他のメンバーには来ないでもらって)、レイオフの告知に使うこともある。ちなみに会社の規模によってはHRも一緒にミーティングに参加する。
レイオフの告知はいい気分ではない。先方が入室したときにすでに察していることもあれば、こちらの顔ぶれをみて何が起こるんだ?という顔をしているときもある。
今日が会社での最後の日であること、パフォーマンスに問題があったこと、などなど、淡々と伝える。
一通り伝えた後に、向こうの顔を見る。数秒間の気まずい沈黙。
この後の反応は人によりさまざまだ。ただただ茫然自失として、わかりました、という人もいる。
具体的に何が問題だったのか、と聞いてくる人もいる。先日のxyzプロジェクトのことか、あれはこういう理由で問題があったり、時間がかかったんだ、など説明を始める人がいる。デリバリー速度も品質もどちらもいくらでも問題点を指摘できるのだけど、それをしたところで何も変わらないし、それに関する言い訳が出てきて平行線をたどるのが目に見えるので、"われわれの基準を満たしてなかった" 以上の返答はしないようにしている。
"x年間も一緒にやってきたのに、急にこれか!"と言われたこともある。逆にx年やってきて、改善するチャンスはあったのに変わらなかったからこうなったんです...。
あと、最後に "We appreciate your contribution" と"これまでどうもありがとうございました"的なノリで言うことがあったんだけど、"感謝してるならこんなことにはならないだろ" と言われたことがあるので、パフォーマンス理由のときは言わないほうがいい気がする。正解がよくわからない。
とにかくこちらは感情を無にして伝えることが肝要。同情もしんどいなという気持ちも見せる必要はない。
2,3個質問には答えて、適当に wrap up する。時間にするとおよそ15分くらい。
ミーティングはどっと疲れるが、一方でチームの面倒事が一つ減ってほっとする気持ちもある。あとは各種ツールの無効化や備品の返却といった事務作業が残る。
これは会社やチームによるのだろうけど、自分は事前にチームメンバーに周知する。その際は明確に理由を説明し、ちゃんと活躍しているメンバーには関係ない事象であることを明確にする。ちなみに、毎回割とあっさりとした反応しか返ってこない。(もしかしたら裏で噂などしているのかもだけど)
この小稿は、愚痴を言う人はアドバイスを求めておらず、話を聞いていて欲しいだけなんだ、という状況について意見するものです。
まずおかしいのは、愚痴を聞く側の人権を無視しているということだ。
愚痴を言う側は、相手を強制的に黙らせて、相手の思考を停止させ、ただ話を効くマシンとして使役している。
おまえそれカントの前でできんの?
改めて考えて欲しい。
相手に対し、「黙れ・考えるな・意見を言うな・ただ私の話を聞け」としているのは恐ろしいことではないか。
まずそこを考えて欲しい。愚痴を言う人はそうしたある種の傲慢さを持っている。
そしてそんな高度なことは、きっとお金を払って占い師やコンサルティングやスナックのママその他夜のお店の人にするべきではないか。
じゃあお前は愚痴を言わないのか?
だから前段のような極論を言える。
仕事のことは仕事で解決するべきだ。仕事の愚痴は直接その愚痴の根源を解決しない。
ただこれは、私が恵まれているからそんなことを言えるだけなのかも知れない。
仕事はある程度裁量があるし、周囲に恵まれており問題点を仕事の中で解決できる。
それは最初のパラグラフで書いた通り、相手を隷属させる構造が嫌だからだ。
だから相手から愚痴を言われても絶対に自分の意見を言うようにしている。
失敗も多かったが、愚痴を言う相手にウザがられない回答というものがある。
答えはない。その人の状況による。高校国語の問題の、その応用の先にある感じだ。
私の自由意志で相手に合うコメントをしても相手を嫌がらせない。
そんな文言がある。
まあこれが私の自由意志がどうかは難しいところがある。
ニック・チェイター 著、高橋達二・長谷川珈訳『心はこうして創られる「即興する脳」の心理学 』(講談社選書メチエ、2012)であった議論だ。
結局相手に合わせているに過ぎないのかも知れない。
"妻が有業である世帯においても、夫の「家事関連時間なし」の割合が半数を超えています”(内閣府)
https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/hyouka/report-19/h_pdf/s3-4-3.pdf
"6歳未満の子どもを持つ夫の育児・関連時間は、2011年から16分増加し83分。2006年の結果と比較すると10年間で23分、1996年の結果と比較すると20年間で45分増加。”(内閣府)
"共働きの世帯で、約8割の男性が家事を全く行っておらず、約7割の男性が育児を全く行っていない”(内閣府)
https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/hyouka/k_42/pdf/s1-2.pdf
上記は一例ですが、過去の統計分析において政府が公式に「妻(女)が働いてても夫(男)はろくに家事や育児をしやがらねぇ」(意訳)と認めています。こうした傾向は現在も劇的には変わっていません。女性が下方婚をしたがらない理由は様々でしょうが、上記の「家事や育児に関する男性の非協力姿勢」も前提としてあることは容易に想像できます。
こうした事実がある以上、いくら「専業主夫」を受け入れると主張する男性が増えてもそれがどこまで本気なのか、また実際の家庭生活においてどこまで頼りになるのか未知数な部分が多いのだと思います。
ただ少しずつ変わる兆しは見えていて、特に若い世代の意識は大きく変わっています。例えば令和5年版の男女共同参画白書はこんな感じです。
”女性の8割以上、男性の7~8割が、女性に家事・育児等が集中していることが、職業生活において女性の活躍が進まない理由と考えている。”
"子供がいる世帯では、女性は家事・育児時間を減らしたいと思い、男性は、仕事時間を減らし、家事・育児時間を増やしたいと思う傾向にある。若い世代でその傾向が強い。”
"家事・育児等について、女性では年代が高い方が、男性では年代が低い方が、「自分が率先してするべきことである」と回答する割合が大きい傾向にある。同年代の男女で比較すると、50~60代では男女で10%ポイント以上差異があるが、年代が低くなるほど男女の差異が小さくなり、20代では、ほとんど差異が見られない(女性70.1%、男性69.8%)”
"「男性による育児・家事などについて、職場における上司や周囲の理解を進めること」、「労働時間の短縮や休暇制度、テレワークなどのICTを利用した多様な働き方を普及することで、仕事以外の時間をより多く持てるようにすること」は、男女ともに、年代が低い方が割合が大きい傾向にある。”
"男性は年齢が低いほど、家事・育児参加に関しては抵抗を感じておらず、職場等、周囲の環境を改めることがより必要と考えている。”
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/gian_hokoku/20230616danjogaiyo.pdf/$File/20230616danjogaiyo.pdf
このように若い世代であるほど男性・女性ともに現在の問題点を的確に捉えていることがわかります。
なので「女性が結婚を躊躇う理由のひとつとして育児休暇の取得なども含めた男性側の家事・育児負担の低さがあるよ。現状は女性にその負担やデメリットが重くのしかかってる状況だよ。」という指摘に対して「女は下方婚をしたがらない」みたいな的外れな反応をしてしまうミソジニー丸出しのお馬鹿の認識と実社会のそれはどんどんズレたものになっていくのだと思います。
ヒプノシスマイク、略してヒプマイ。多分はてなの皆さんでも名前くらいは知っているでしょう。
キングレコードが大々的に立ち上げ、リリース直後から人気爆発した二次元男性アイドルラッププロジェクトです。アイドルは最初は4グループ×3人で12名、その後2グループ追加されて16名です。
私のヒプマイについての知識は「女性だけが偉くて男性は奴隷兼肉バイブ扱いを受ける恐ろしい世界を打倒する物語だと謳うわりに実際のストーリー展開はそうなってない」と増田に書いてあったのを見て「ライター馬鹿すぎwwww」と思ったのを見て止まっていたのですが、最近ひとつの疑念がわきました。
ダンガンロンパシリーズはご存じでしょうか。シリーズ全体の国内売り上げが数十万程度のゲームで、一応メディアミックスでクソアニメもやっていましたが知名度はヒプマイに遠く及ばないだろうと思います。ヒプマイが出る頃にはもう女性人気は下火でした。
そんなダンガンロンパのキャラクター名をヒプマイが真似しているような気がするのです。
←左がダンロン 右がヒプマイ→
こんな偶然ある??
まあまあ珍しい苗字の入間、人名としてはそこそこレアな兎が偶然揃うとはちょっと思えないです。
ちなみに入間美兎はめちゃ下品な痴女発明家、入間銃兎は悪徳警官で性格も見た目も全然似てません。
単純にぱっと見で似てるというのもありますがもう一つ。
フィクションのキャラクターの名前は、苗字・下の名前・キャラクター性の3つが全て関連付けられていることがあります。セーラームーンの月野うさぎや幽白の浦飯幽助などが有名でしょう。
しかしダンガンロンパはキャラクターの苗字と下の名前、キャラクター性と名前にあまり関連がありません。切札勝利はいかにもカードゲームが強そうですが、小泉真昼がどんな人間なのかは知らなければわからないでしょう。(実は軽音学部の澪田唯吹のようにパロネタでがっつり関連性があるのは多いですがパロ元知らなければわかりません。アナグラムの人もセルフパロと捉えれば然り)
ヒプマイは苗字-キャラ性、名前-キャラ性はあっても3つ揃っているのは1人だけです。
その例外というのがマジシャンの夢野秘密子であり、ホラ吹き小説家の夢野幻太郎です。
性格と見た目は似てません。
(魔法使いサリーちゃんが夢野サリーだったのは知らなかったです)
山田一二三はステレオタイプなアキバ系オタクキャラで、山田三兄弟も全員がアニメ・ゲームのオタク。性格と見た目は似てません。
ちなみにヒプマイには伊弉冉一二三もいます。キャラはたった12名だったのに派手に漢字を被らせるとは珍しい。
ここまでで「たまたまじゃないの」と思った人も多いでしょう。
だいたいヒプマイがダンガンロンパのキャラ名を真似る商業的メリットがないです。
パルワールドがポケモンのキャラデザをパクるのは ”圧倒的知名度と好感度を借りる” & ”アイディア出しを楽に済ませる” の二兎をgetできるからですが、鳴り物入りの巨大プロジェクトが旬を過ぎた露悪厨二ゲームのキャラ名などパクったってどちらも叶いません。それも入間美兎や山田一二三(どちらも下品で気持ち悪く、それとは別に重大な問題点もあって嫌う人がそこそこ多いキャラ)を使って集客なんて気が狂っている。入間美兎、夢野秘密子、山田一二三のファンが名前被りキャラに流れてくることも考えられません。名前しか共通点ないんですから。
以上のことからキングレコードがダンガンロンパのキャラ名を真似る経営判断をするとは思えないので、あるとすれば誰か1人愉快犯がいたのでしょう。
ただ、ダンガンロンパには女性に人気が出たイケメン・美少年キャラもいます。
なによその読み!!
ヒプマイに変わった読みの名前は数あれど、ローマ字ですらない読みを当てているのは有栖川のみ。乱数と書いてらむだと読む人でもRamudaです。
王馬は女性人気の高いキャラで、ヒプマイリリースの頃だと恐らく女性ファン数がダンガンロンパシリーズ内で一番多いでしょう。
そしてこの王馬の設定がこちら→https://static.wikia.nocookie.net/danganronpa/images/4/49/NDRV3_Art_Gallery_Kokichi_Ouma.png/revision/latest?cb=20170927210800
.
https://images.app.goo.gl/E8axXWgbBGvJFgX97 (公式画像うまく貼れないのでこのURLです。申し訳ありません)
白いズボン、ふとももあたりから左右に伸びるベルト(名称がわからない)、紫の長髪、破れ加工の服、人を率いる立場(有栖川は未だ可能性止まりだが) などが王馬と共通しています。性格は似てません。
ちなみに有栖川には、緑のフード付きロングコート、胸元の赤いワンポイント、メタルチェーン、強運という特徴もあります。
…こうなると隣の飴村乱数が実年齢のわりにショタっぽい容姿で緑パーカ着てるのも怪しく思えてk
仮に本当にダンガンロンパから取っていたとしても怒りは少しだろうと感じています。なぜなら似ているのは名前やちょっとした特徴などキャラの魅力と直接関係ない部分ばかりだからです。言い方を変えると、ダンガンロンパから客を奪おうとする意志を感じません。性格くらい似せてもよかったのに似てないんですから。
ダンガンロンパは欧米ではなぜか日本国内の比でない人気があるのでもしや欧米人気を狙ったのかと少し思ったのですが、英語版表記だと苗字しか被ってないんですよね。海外の人はIrumaやYumenoという苗字は日本ではレアだから被りづらいということも知らないでしょうし。
全然関係ないですが王馬は公式でOmaというスペルなのにもかかわらず英語圏ファンコミュニティでは7割くらいOuma表記です。なんでや
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言の曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現がいかに配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現が配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的な脆弱性の分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言の文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定のグループを過度に保護し、そのグループを弱者として固定化する結果を招きかねない。
抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け:朝日新聞デジタル
これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。
浄化できるというのも幻想でしかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念が形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。
政治家の発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来の意図や文脈が歪められる恐れがある。
特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。
自由な表現が妨げられることで、社会全体の健全な議論が損なわれることになる、ということの不利益をちゃんとマスメディアは理解しておくべきだ。
昭和58年生まれだけど世田谷区立小学校はこの平成令和の給食そのままだったぞ(牛乳は瓶だったけど)。給食は美味しくて大好きだった。
たまにここに載ってる昭和初期の給食みたいなのを見せられて「昔は貧しかったんだなぁ……」って思ってた。
当時テレビで昔の給食の話題が出ると「脱脂粉乳がいかに不味かったか」という話が必ず出てた。
・隣接する浜離宮庭園をつぶして築地市場跡地と合わせると、小さめの原子力発電所1基ができる面積になりそう。
・送電ロスも最小。
ドームや複合施設を作ると報道で見ましたが、そんな物より原発を1基造れば、東京の電力関連のほとんどの問題が解決すると思います。
ここより他に最適な場所があるでしょうか。
また実現すれば、日本国内はもとより、世界中に、電力を享受するとは、という意味や覚悟を示せると思います。
ちなみに私は、すぐ隣の勝どきという所に住んでいますが、建設されても一向に構いません。
これを知人に言うとブラックジョークとしか聞いてもらえませんが、本当にそう思っているのです。
2024年から活動を開始した霞ヶ浦北浦資源保護協議会という団体がある
この団体は、一見すると霞ヶ浦や北浦の漁業資源を持続可能にするために活動しているように見える
(ただし、「環境」や「生態系」という言葉は意図的に一切使っていないようだ 怪しい)
また、この団体が保護対象とする「資源」とは何なのかについても、意図的に曖昧にしている 怪しい
この団体についてwebサイトから読み取れることを書いていこうと思う
何を保護しているのか
上にも書いたが、この協議会は「資源保護」を謳っているものの、具体的に何を保護しているのかは明確にしていない
ただ、バス釣りをする人からすれば一目瞭然で、実際にはブラックバスという外来魚の保護に力を入れていることがすぐに分かる
その根拠を書き出してみよう
1.協議会のメンバーを見てみると、その多くがバス釣りに関連する業者や団体であることが分かる 具体的には、レンタルボート店、釣具店、そしてバス釣りのトーナメント運営団体が名を連ねている
2.協議会メンバーの開催するバス釣り大会のルールに言及があり、魚体保護などの呼びかけを行っている
3.霞ケ浦水系でバス釣りをする人には有名な「ブラックバスのスポーニングエリア(産卵場所)」での釣り自粛を、ブラックバスの産卵時期に合わせて呼びかけている
これだけでもう根拠としては十分だろう
どのような活動内容なのか
以下のようなことを実現するために活動していく、と書かれている
(保護対象がブラックバスであることをこの団体は建前上隠しているようだがここでは補足して書く)
・遊漁券の収入で漁協に「ベイトフィッシュ(バスの餌となる魚)」を放流してもらう
・バスの産卵期に、一般の釣り人に対して、ブラックバスの産卵エリアでの釣り自粛を呼びかける
ブラックバス保護という目的を前面に出すつもりがないのに漁協に放流してもらいたい魚を「ベイトフィッシュ」と表現してしまうあたり、残念さを隠しきれていない
問題点を書いておく
ブラックバスは生態系、漁業資源に悪影響を及ぼすため特定外来生物に指定されている
1993年に発効した世界の環境保全を目的とした国際条約「生物多様性条約」に日本は批准した
条約に基いて国は「生物多様性国家戦略」を作成し、実効性のある法として特定外来生物法が作られた
根絶を目指していくことには、国家戦略として30年前から社会的合意が得られていた
そんな生物を、目的を意図的に隠して保護活動をするなど控えめに言っても反社会的だ
密放流の横行が前提で築かれ拡大した業界にはそもそも存在の正当性がない
奴らは一部の心無い放流とか言うが、バス釣り業界の人間が組織的に放流していたことを告白した文献も多数ある
釣り具の市場規模はバス釣りが最も大きい それゆえマナーを呼びかける他魚種のプロアングラーも業界に忖度してバス釣りにモノを言えない
こんな奴らの提灯記事を書いている雑誌が釣り文化を語りだす 狂っている
そんな外来魚の漁業被害で霞ケ浦水系の漁協は困窮し、霞ケ浦の漁業文化は風前の灯火である
その困窮の原因を作ったやつらが、困窮した漁協の頬を札束でたたいてバスを増やすために「バスの餌」を放流させる
狭い趣味の業界の目先の利益のために共有財産たる自然環境を食いつぶし、それを経済効果だと言って行政や漁協を懐柔し、「餌」の放流に協力させようとしている
わたしは少し前までとある男性声優Aを応援していた。アニメコンテンツに声優が強く結びつけられ売り出されている今、キャラクターからそれを演じている人を好きになって他の作品も観るようになって個人イベントなどにも参加して〜、とまあよくある話だと思う。
が結果、色々と疲れて降りてしまった。またとんでもなく苦手な人Bができていまだに自衛(本人はなにも悪くなく全く身勝手な言い方だが、わたしにとってBを避けることは自衛としか言いようがないためそのような語を使わせて欲しい)に苦労している。
ここでは特定の個人を批判したいのではなく、またこの先声優を好きになるかもしれない人への注意喚起などという大それた目的があるわけでもなく、ただ自分のどういうところが問題でこうなってしまったのか整理をしたい一心でこの文章を綴っている。色々と未練がひどく見苦しいので、「降りたければ勝手に降りろ、後からごちゃごちゃ言うな」という考えの人はこの先読まないことをおすすめしたい。
最も根本的な問題は、声優はとっても競争の厳しい業界だということである。
なんだ、そんなことか。まあそんなことである。アニメや吹き替え、ナレーションなどぽんぽん新たな仕事が入るような人間はごく僅かで、さらにそのように売れて見える人でもオーディションをものすごい数受けてようやくひとつ掴み取っているくらいの競争率の激しさだという話は有名である。そのため、まあそこそこアニメオタクに名が知られている程度の声優だと、アニメや映画の吹き替えよりイベントがメインの仕事になることもざらであった。ちなみに声優のイベントとは、キャラクターを背負わずに本人がそのオタク向けにトークをし、場合によっては企画をこなしたり朗読劇を行ったりするというものである。
わたしが応援していたAもそんな感じだったので、ある程度情報を追うようになってからはイベントに参加すべく遠征するようになった。しかしここで(わたしの中で)問題が発生する。
第一に、イベント仕事はわたしにとって望ましい(見たい)仕事ではなかった。わたしはAの声と演技に惹かれてファンになったので、特別イベントで動いたり喋ったりしているところが見たいわけではなかった。本当はもっとアニメに出たり映画に出たりして欲しい。しかしオーディションに受からなければ仕方のない話なので、せめてイベントの売り上げに貢献して次の仕事に繋がれば、という気持ちで参加していた。とはいえ、初めの頃はAの話を聞けるのが興味深くまた生朗読などもあったためそれなりに楽しんでいたと思う。それでも、あまりにもイベントの仕事ばかりが入ると次第に不満に思うようになっていく。はあ? またイベント? ということはこの時期の収録の仕事はないのか。来期は期待できない? このように、イベント仕事が入る=その日のスケジュールが空いていた=きっと何らかの作品のオーディションに落ちたのだろう、という思考になり、イベント仕事の予告を受けるのが苦痛になった。
そもそもどうしてこんなに事務所はイベント仕事を詰め込むのか。もっとオーディションに力を入れたら。あるいはオフを作ってでも演技に繋がるようなインプットをすべきでは。お喋りをして既存のファンの相手をするイベント仕事では演技力が向上し次の仕事に繋がるとは到底思えなかった。
さらに金銭面。遠征費、イベントのチケ代、グッズ代などは決してバカにならない。ただでさえ積極的に参加しているわけではないイベントなのに、こんなに出費がかさむなんて。もっと売れっ子の声優のオタクは無銭でも十分な供給があるのに(というか気楽に口を開けて待っているだけで新たな出演作を次々享受できるのに)? わたしはAの声と演技がもっと見たい(聞きたい)だけなのに。こんな風にしてどんどん不満は大きくなっていった。それじゃ、興味のないイベントには参加しなければ良いのでは。この話を聞けば誰だってそう思うだろう。でも当時のわたしはそうするわけにもいかなかった。とにかくイベントの席が埋まっていなかったからだ。
ここに第二の問題がある。イベントに行くと、ひとりで応援していただけの時は知らなかったような情報が嫌でも入ってくる。例えば、Aの熱心なオタクがどの程度いて、Aにどのくらいの動員力があるか。例えば古参のオタクの人間関係がどんな感じで誰が疎まれているか。わたしはイベントに行った結果、応援しているAがなかなかイベントを埋められず他の共演者の力を借りてようやくチケットがはけたという話や、煙たがられている古参がいることを知った(ちなみにこの古参オタクにグッズへの金銭のかけ方でマウントを取られるなどしたが、それでも他のオタクたちに陰口を言われているのは可哀想だと思った)。正直ショックだった。好きな声優を応援する上でこんな余計なモヤモヤを覚えることがあるとは想像もしていなかった。特に人間関係については深く首を突っ込まなければスルーできたかもしれなかったので、ちょっとでも社交的に振る舞おうとした自分はバカだったと思うし普通に後悔している。ただし声優イベントは昼夜公演の間に数時間程度の空き時間が挟まることが多く、この時間で交流が生まれやすいというのが罠だと思う。
とまあこんな感じで、いつしかわたしはAの仕事にものすごい不満を覚えるようになっていった。なんでオーディションに受からないのか。イベント仕事ばかりで、そのイベントの席さえ埋められないとはどういうことなの。イベントを埋めるためには知名度と熱心な新規ファンの獲得が必要で、そのためにはやっぱり作品に出演するしかない。それなのに作品の仕事がないからといってイベントばかり出て、それで肝心のオーディションには落ち、やっぱり空いたスケジュールの穴をイベントで埋める(かといって席は埋まらないが)という悪循環に陥っている気がした。さらにファンの関係だって、新規がいないから過度に煮詰まってしまって疲弊したり拗れたりしているところがあったように思う。ここでも、新規ファンがいないために固定のファンダムが形成され、それによって新規ファンがより参加しづらくなりさらにファンダムが固定化され、結果としてただただ現在の固定層が金銭、体力的に疲弊していくという悪循環がある気がした。とにかく何でもいい、作品に出て、お願い。そういった気持ちで新しくアニメ化する作品に望みをかけ、このキャラクター演じてくれないかなあと公式発表日をドキドキして待ち、玉砕。こうやって勝手に裏切られるような気持ちになることが増えていった(個人的にかなり期待していた一大プロジェクトのキャスト発表を2年近く待ち、結果そこに名前はなくてショックで4kg痩せたこともあった)。
このように現状へ不満を持つと次第にどのような感情が生まれるか。他の声優への嫉妬である。これは第三の問題であると同時に最も厄介な問題だった。
先述の通り、声優は多くの場合、作品出演権利をオーディションで勝ち取ることが求められる。つまり、わたしのようなただひとりをがむしゃらに応援している人間にとっては、同じ業界の人間は全員ライバルに見えるのである。さらに実はこの役を受けていて(落ちた)〜、のような裏話は意外と聞こえてくるものであり、だんだんと同じような声質で同じポジションの役柄を争っている人たちがどういったメンツかということなどが分かってきてしまう。Aを応援する気持ちが大きくなればなるほど、その他の同業の人への複雑な気持ちも堪えられなくなっていった。
また声優は共演した相手と仲良し売りをすることがしばしばあり、他の声優と掛け持ちするオタクがかなり多いように見受けられた。わたしのようなアンチオンリー(Aしか好きじゃない、むしろA以外はうっすら嫌い)状態と化した人間にとって、同じスタンスのオタクを探すことはなかなか難しく愚痴や鬱々とした気持ちを共有することもできない。
さらにそのような状況で、とっても苦手(マイルドに言えば苦手だが本当は嫌いと言いたい)な声優Bができてしまった。苦手になった詳しい経緯は省略するが、主に以下である。
・応援していた声優Aと同世代、かつめちゃくちゃ活躍しておりそしてわたしにはその良さが分からない
・応援していた声優Aと仲良しアピしていたくせに自分が売れた途端もっと売れている声優にすり寄るようになった(ようにわたしには見える)
・応援していた声優Aの演技を幾度となくイジる、Aのオタクも集まっている個人イベントでAの過去のやらかしエピ(大御所に演技のことでガチ怒られしたというあまり笑えないもの)をなぜか話すなど、気のおけない仲良しアピにしても度が過ぎているのでは?という発言が目立った
・わたしがAがらみで唯一仲良くなったオタクがBに担降り、しかも顔から入ったリアコらしくAを応援していた時とは明らかに違う応援の仕方(Bくゅよちよち、みたいな感じ)をしている
つまり嫉妬である。100%見苦しい嫉妬だ。自分でも分かっている。なのに一度苦手意識を待ってしまった今、本当に苦しくなってしまった。
結局、わたしは好きだった声優Aを応援するのを辞めた。費やしたお金や時間が無駄だったとは思わないし楽しい瞬間もそれなりにあったが、これ以上新規の仕事に勝手に期待して勝手に裏切られる気持ちになる、あの感じを繰り返すことに耐えられなかった。何よりAのこれ以上の活躍を信じられなくなった。
そして、Bへの強い嫉妬心と苦手意識だけが残った。Bの出演作や関連するもののSNSアカウントは全てブロックしているしワードも出来るだけミュートしている。もちろん悪口などを書き込んだことなどなく、誰にも迷惑はかけない形で最大限自衛しているつもりだ。それでも、Bを思い出させるもの(出演作の主題歌とそのアーティスト、キャラクターのグッズ、コマーシャルなど)は日常の中で幾度となくすり抜けてわたしの目の前に現れ、その度に鬱々とした気持ちになる。また新たな出演作が決まった時が最もひどい気分で、Aへの熱量はもう手放したはずなのにどうしていまだにこんなに落ち込むのだろうと泣きたくなる。現在は声優オタク界隈から離れAもBも関係ない作品にハマっていて以前よりも心穏やかにいるのだが、これから万が一にもBが関わってきたら本当にどうしようか、ということが心底恐ろしい。いっそもう何もアニメにならないで欲しい。声がつかないで欲しい。どうか、わたしの好きなものをノイズなく好きなままでいさせて欲しい。
とはいえ全てわたしが異常なのでありAもBもその他のオタクたちも誰ひとり悪くない、ということは十二分に分かっている。結論としてわたしの反省すべきところと学びを記してまとめにしたい。
・生身の人間は文字通り人格のある生きている人間であってわたしの思い通りにはならない。そりゃ仕事のない時期だってある。生きた人間に理想を重ねて夢を見るときはそのことに自覚的にあるべきだ
・お金を払うのは常にその時に受けるサービスへの対価である。例えば虚無のイベント代を払うことを将来の投資と思ってはいけない
・生身の人間たったひとりに自分の人生レベルで体重を乗せて応援することは危険。せめてそのような相手をふたり以上作り、テンションの浮き沈みに対応できるようにした方が良い。あるいは他にも趣味を作ろう
・アンチオンリータイプの人間に声優のオタクは向いていない(目に見えて競争の世界、イベントなどで嫌でも絡みを見せられるなどの理由から)
【余談】
最後に、キャラと声優を同一視することについて補足するが、もちろんその問題点については理解している。ただ一度声優のオタクになるとキャラを見てどうしても声優がチラつくという頭になってしまい、これは普通に嫌だな〜と今になって思う。本当に自分勝手な話だが、キャラクターを見ているはずなのに中の人の雑念みたいなものが入ってきてしまいアニメが苦手になった。もっとフラットにアニメを見ていたあの頃に戻りたいよう。
https://anond.hatelabo.jp/20240509195934
だって男からすれば痴漢なんてしないしされないし純粋に関係ないぜ?
俺は未だに見たことがない。
別に痴漢を死刑にするのは賛成してもいいけどそれだってなんかおもしれーからとかちょっとでも電車止まると迷惑だからってことなんよな。
車内で体調崩して救護されるカスも一緒に死刑にして欲しいし。体調悪いなら降りれる駅で降りてホームで休憩するか死ぬかしてろよカスって話だし。
線路に立ち入って急ブレーキ踏ませるカスも死刑にして欲しい。九族皆殺し晒し首で構わない。
でも痴漢無くすためになんか莫大なコスト発生させてそれが必要だろとかいいだされたら寝ぼけんなカス以外の感想がない。
いや、なんで俺がそんなコスト負担せならんの?常識的に考えろよ。俺ら関係ないじゃん。痴漢されないし。しねーし。その不合理な措置になんの得もねえし責任もねえの。
俺たちに莫大な犠牲はらって痴漢撲滅するインセンティブなんかねえの。それぐらい理解してくれよ。自分以外の人間の利害や立場くらい理解するようにしろよ。子供じゃないんだから。
逆にお前は自分に得も責任もない話に巨額のコスト負担してるわけ?しねーだろ。してたら具体的に言ってみな。なにも出てこねーから。復興特別税だって納得してる奴いねーだろ。
お前はお前となんの関係もないキモいおっさんとかが現場仕事で労災死してるって話聞いたとき「私の可処分所得削っても社会保障を手厚くしよう!」なんて考えるか?考えねーだろ。俺もだよ。
なのになんでお前の事情には関係ない社会全員が巨額のコスト払うんだよ。頭腐ってんのか?
お前だれかを説得したり扇動したりできたことリアルである?ねーだろ?全然そういう風に頭使ってる感じしねーもん。
俺正直痴漢どうでもいい。
女も自分と関係ない男だけが困る案件どうでもいいはず。その為に負担しろ言われたら切れるだろ。
ギリギリのラインで俺が損しなくて俺が楽しめる提案なら乗る。痴漢晒し首はオーケー。でも首台設置代金とか俺に負担させたらキレる。それならやらんでいい。
人のインセンティブ考えて話をしろ。それが出来ないからガキなんだよお前は。
differential
この人が痴漢冤罪や男性への痴漢(ブコメにも被害男性複数いたよね)などにも怒らないなら、一応、倫理観はゼロだが整合性はある。
でもその理路がお前はわかってないな
俺にとって痴漢冤罪とかホモの痴漢とかの話は「北海道の住宅地で人がクマに噛まれてます」って話と同じなわけ
俺が当事者になる可能性が現実的にないし俺に責任も無いから関係ないわけ
痴漢と間違われやすいポジショニングの人だとかホモに好まれる人だとか
俺はそうじゃないってことよ
同じように女性車両がある端っこを俺は利用しないから関係ないわけどうでもいいよ
お前に本当に言いたいんだけど、お前って人の話を理解する能力や習慣が全く無いだろ?
俺が開示してる俺の処理フローを全く理解出来なくて、お前の頭の中にある「痴漢と痴漢冤罪はセットだから言い返す時はセットが有効!」みたいな偏見を参照しただけ
何を聞いてもお前の雑な整理棚とお前の感情で言い返してるだけだから
お前が他の人と話するのって無駄だし、他の人もお前と話するの無駄なんだよ
俺は俺の考え方や論理を開示したし、その論理はアホみたいにシンプルなんだから
せめてそれにそって「その考え方ならこうなりますね?」ってレスをしろよ
・・・・・みたいなことをこれまでの人生で誰かに言ってもらったことない?ねえか
俺はこのエントリで「人のインセンティブを理解しろ」「自分と違う他人の立場や思考を把握しろ」
つったのによくまあ俺が罵った通りのクオリティの思考でレスをしてくるよな
本当にどうかしてると思う
お前は何か考えたり人と会話したりするの無駄
お前はひたすら自分の偏見自分の感情を参照してるだけで考えてないしやりとりしてないから
お前の身体は社会の中で生きていてもお前のおつむは無人島みたいに孤立して漂流している
僅かなリスクでも0にしないと不安だし0にすることに莫大なコスト支払える?
じゃあ自動車廃止運動をしたらいいと思うよ お前が自動車にはねられる確率を「ごくわずか」から「ゼロ」に出来るよ
お前の考え方ならやるんでしょそれを
お前さ、なにが「マジレス」なんだよ お前にマジレスなんて言葉を使う資格ねーよ
真面目にもの考える能力ないんだから真面目なレスポンスなんかできるわけねーじゃん
maedashi 痴漢の許容は女性の就労、就学、移動へ著しい制限を加える事と同義なので、極東にISIS並みの野蛮国家が爆誕する事になる。
2024/05/10
ここから多大なコスト支払って0にするというアホ見て―なプロジェクトについて、俺の得と責任を説明してみてくれよ
ちなみに俺は「俺にコスト負担させねーなら痴漢は斬首刑でいいよ」つってるけど俺は痴漢許容派なの?
人の話読めてるのかなこいつ
つかなんか不思議なレスする奴がいるけど、俺は警察要らないとか犯罪を取り締まるなとかそんなブラックライブズマターみたいなこと一回も書いてないよな?
俺の住む社会の治安は俺に関係があるし俺の税金から警察予算が出ているし泥棒だって痴漢だって逮捕されてる
つかあなたは違うの?
あなたは本当に元エントリのアイデアが自分にとって得だと思ってんの?やる覚悟マジであるの?
というか男女分断が進むのはマイナスと思わない?
それはネットで変なことやってるヒマ人たちがやってることであって、俺と俺が付き合いのある女にとって何一つ関係ないだろ。
あとそれを進めてるのは俺じゃなくて元エントリの奴じゃね?
planariastraw
こういう感覚の人は多いのかもしれないが、自らもまた現在進行形で社会の中で誰かの厚意や善意によって助けられ、生かされているという認識が抜けているので、世間知らずのそしりは免れまい。
2024/05/10
俺がいつ社会の一員の義務を果たさぬアウトローになったんだよどこをどう読んだか言ってみろ
「世間知らずのそしりは免れまい」笑 頭悪いのにその気取った言い回しやめてくれ鳥肌で髪型変わるわ
読んで考える能力がないのにそんなことばっかやったって無駄だしそのていどのことを誰にも教えてもらえなかったお前はどんな階層で生きてるんだろうな
mike24 中江兆民が「わが邦人は利害に明にして理義に暗らし、事に従ふことを好みて考ふることを好まず」と百年前に述べています。よりよい社会を作るために自分の利害だけではなく社会正義を考えるべきではないでしょうか。
2024/05/10
中江兆民の文の気迫も国語的功績も全く解さないのにこういう「誰かの悪口」「日本人の悪口」として使えるパートだけ覚えてるんだぜこいつ。
有難い教典見つけてもやぶいて人の家に火をつける焚きつけにでもするんだろう。豚と言うか小人というか。こういう奴には本も言葉も無駄。
こういうやつって文化溢れる日本に住んでること自体が無駄。それを使いこなす能がないもんね。
rci だから痴漢が発生するたびにきっちり警察を呼んで犯人が見つかるまで電車を止めればいいんですよ。そうすれば増田にも鉄道会社にも痴漢絶許・撲滅のインセンティブが発生するでしょ?
いいえ?必要なく電車止める奴やムーブメントがあって俺が迷惑をこうむったら必ずそいつに出来る限りの復讐をします。同志は必ず沢山いると思います。だってその場合俺に迷惑かけてるのは痴漢じゃなくて電車止めてる奴だから。
俺は「電車止めるカスは死刑でいい」ってのはマジで言ってるんだけど、お前も覚悟があって人を脅迫してるってことでいいな?
「自分の要求が通るまで関係ない人間に嫌がらせして取引迫ったろ」というソリューションを本気で提唱してると受け取っていいんだな?
eringiman 本当に撲滅させたいならこういう人にどう行動させるかだと思うので貶すのはなんの意味もないどころか逆効果だよね…というか近くに女性がいれば理解できるはずってのも傲慢すぎやしないか
2024/05/10
えっ・・・
ていうか、「痴漢撲滅という目標自体目指す価値なんかねーぞ」という前提が共有されない感じなの?
俺が協力するしないに関わらず元エントリは完全に相手する値打ちの無いただのバカなんだけど、それも理解されてない感じ?
・関係ない人間に嫌がらせをすることで達成するというロードマップもバカ丸出し
元エントリの奴も何一つ真面目に考えてないだろ?
痴漢被害のこと考えてるうちに被害者気分が膨らんでその不快感を関係ない人間にぶつけたくなったってだけでただの八つ当たりで子供の発作
痴漢なんて同じ奴が繰り返しやってんだからこれ以上社会にどうこう言ったってしょうがねーだろ
反社会的な解決法に憧れてるなら有罪になった痴漢を殺すまで追い込んで再起不能にすりゃいいんだよ
泥棒とかと違って治安や貧困によって現れてるんじゃねーし少数一定確率で生まれてくる病気や障害みたいなもんなんだから、一人一人を社会復帰できないくらいにぶっ潰しゃいい
撲滅したいなら一番近い道はそれ
猫オタなんかマジでそれをやったぞ
猫虐待でネットで有名で逮捕されて執行猶予ついたやつをほんとに二度と社会復帰できないくらい追い込んだ
顔整形して改名して何度も引っ越してるのにすぐ撮影されて情報さらされるし家族にも容赦ない
全国どこにでも気合いの入った構成員がいる組織だから逃げ場がないわけ
子供の小学校に行って「こういう家庭の子が転校してきたって知ってますか?私こわくって!」ってやるんだぜ
猫虐待して個人情報割れたら本当に殺されるんだぞ殺すぞっていうことを気迫持って示したわけ
そこまでやっても猫虐待の撲滅は無理だけど虐待する側のリスクもはね上がったよな
完全に反社会的な連中の話だが
公共交通機関の値段十倍にするってアイデアも十分反社会だからな?
とにかく痴漢撲滅したいなら一人一人追い込むことだよ
そんなに頭数いないんだから確実に被害が減るし残りのやつも震え上がるだろ
関係ない人間に嫌がらせする話よりは妄想としてまともな方の妄想だ
……という程度のことも考えない検討しないで元増田の程度低い妄想に批判も入れられない人間が何を真面目に考えてるっつーんだよな
kiku-chan
これ、弱者問題でもこういう奴いるからな。自分に関係ないことに関わりたくないし、少しでも自身の思考の負担にしたくないってやつ。単にケチなんだろうな
2024/05/10
これ興味深い
精度悪くて人の役に立つ結論も出ないくそみてーな思考もどきをすることがこいつのなかではなにか人に飯でもおごったくらいの認識になってるのがわかるよな
お前どう見てもなにもしてないけど自画像としては気前がいい人間なんだな
hate_flag ゲバラは子供にあてた最後の手紙で「世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。 それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだ」と書いている。増田も見習え
2024/05/10
子供が可哀想とかじゃなくて「能力低い兵士がいると部隊に損害の方が大きいぞ」っていう現場の実感の話な。
「痴漢を撲滅するまでコストをぶっこむ」とかバカ丸出しの感情論が出てくるだけだったろ。
ゲバラはきちんと「低能は配備しない方がマシ」と言いきっている。
上の中江兆民野郎と同じで、誰かに突き付ける紋所にするだけだから。
非難や罵倒ぐらい自分の言葉でやれって話だが国語が苦手なので難しいんだろうな。
中江の値打ちもゲバラの値打ちもわかりゃしない。わかる能が無いからね。
ゲバラが子供にあてた手紙だって大勢いる子供の中の話になるひとつまみに向けて言ってんだ。
大多数の話なんかわからない奴には向けてない。
出来ない奴は戦列に加わらない方がいいってことをはっきり実感して発言してたんだからゲバラは。
youtanwa 痴漢が蔓延してる社会は治安が悪いぞ???痴漢が許容される社会は痴漢する奴にしかインセンティブないんだが???
2024/05/10
「痴漢撲滅に賛成しない」と「痴漢を許容する」の区別もつかないし
こんなのが何を読もうと考えようと誰の役にもたちゃしねえ。
お前の思考や発言の全てが社会にとっての邪魔な騒音でしかない。
読めもしないのに考えるな。考えられないのに書くな。
ぺんぺん草の方がお前よりスコアがいいだろぺんぺん草は騒音たてねーし。
shower-of-glass 暴力犯罪を止める、抑制するために警察がいてそのために皆で税金払ってるんだったら別の犯罪になった途端に「俺が取り締まって欲しい犯罪じゃない、金がもったいない」はゆるされないでしょ
2024/05/10
「警察は痴漢を捕まえるな」とか俺が書いたなら具体的に引用して示せ。書き換えたりしねーから。
許されないのは母国語も読めねえのに人がましいツラするウンコ製造機だよ
clapon 「自分に迷惑がかかるわけじゃないからどうでもいい」という考えなら、何も口出ししないでほしいのだけど。「撲滅するメリットない」とわざわざ主張する必然性とは。
2024/05/10
特定の犯罪を撲滅するというナンセンス目標にいくらでも税金を投入しろとか馬鹿なこと言ってるからそれは俺に迷惑かけるだろって話をしました
日本語も読めねえのに何が「必然性とは。」だ お前に物事の必然性の有る無しなんて判断がつくわけねーだろ
atoshimatsu 社会を構成する半数の人が不安に思ったり、実際に標的にされたりしてるんだから、治安維持の意味でも必要だと思うけどな。社会は結局持ちつ持たれつなんだし。
2024/05/10
公共交通機関の価格を十倍にして利用者を激減させるらしいけどマジで本当にお前はその負担を負えるのか?
もうなんかこいつらを文字で疎通できる人間だと考えるのすらバカバカしいな
無茶言うなwikiみたいになるぞ
seachel マクロ視点がない人間は恐ろしいほど多いので、まぁこういう人もおるやろなという。子持ち様概念も大体一緒。個人が実感出来るほどの利益を社会全体だ実感させるのは難しいのもある。 コメ
どんなマクロ視点なら特定の犯罪を撲滅するまでコストぶっこむべしになるんだ
天然痘じゃねえんだぞ
日本人特有の反応だという声も見られるが、youtubeのコメントを見る限りそうでもないらしい。
増田自身は特にどうとも思わなかったが、アップルに対するアンチの多さを考えると燃えるだろうなぁということは容易に想像できた。
あの映像は、CGであれリアルであれ、制作にはかなりの人数が関わっていることは間違いないだろう。
そうなれば、その関わったうちの誰一人としてあの映像の問題点を指摘できない空気であったとするならば、今のアップルは心理的安全性がとても低いであろう状況が予想される。
携わった映像クリエイターのうち一人として、楽器やカメラ、デジタルガジェットに精通する人間がいないだなんてことは考え難い。
それなのに、誰一人として、自分が大切にしているかもしれない道具が(きれいな壊れ方ながら)ボロボロにされる姿を見て不快に感じないわけがないのだから。
そうなれば答えは一つ。
誰一人として、あのプロモーション映像のディレクションに対して文句を言うことができない状況だったというだけのことだ。
権威あるディレクターがこれを作れと言えば中の人間は従わざるを得ず、炎上するかも知れない結果が目に見えていたとしても、ディレクターの前では口に出せないまま、むしろディレクターの才能を称賛しながら自分の地位を守る。
すでにアップルにはそういったYESマンしか残っていないのではないかとすら感じられるような、ひどいプロモーションだった。
クリエイターや道具の作り手のことをバカにしているとまでは思わなくても、「今のアップルの状況はひどい」ことをアピールするためのプロモーション映像だったと言ってよいだろう。
その視点から発表されたiPadを見てみると、円安という状況ももちろんありながらも、あまりにも市場価格から乖離した強気の価格帯でアップルオリジナルのMのつくCPUシリーズを強気に押し出す姿勢にも、それを誰も止めることができないような状況を垣間見ることができる。
nintendo switchとPS5を比べるべきではないのと同じように、iPadとゲーミングPCを比べるべきではないことはわかっているが、仮に今のnintendo switchの定価が6万円だとしたら、誰もがその強気な価格に驚くことだろう。
ipadにはipadにしかできないことや楽しみ方があることは十分に理解しているつもりであるが、それにしたって汎用性の少ない独自アーキテクチャで動く端末に、そこまでの投資をできるのはもはや信者しか残されていない。
特に今回は、proと廉価版(と言っても無印よりは高性能ラインアップではあるが)であるairの同時発表だったにも関わらず、どちらも庶民には手に届かないような価格設定だったことに、多くのユーザーは落胆したに違いない。
これがproと無印13インチの同時発表で、半年~1年後にair13インチの発表だったらまだ違ったのではないだろうか。
こうした事態さえも、アップル社内において声が上がらなかったとは到底考えられない。
しかしその声が届かなかったことを考えれば、そこに心理的安全性は皆無であり、独善的な経営判断が隠しきれていないと言えるだろう。
こうした強気な経営姿勢と相まって、既存の価値観をぶち壊すようなあの映像は世の中の反感を買って当然の結果だったと言える。
しかし、これから更にストア・ロイヤルティを強めようと一致団結するアップルの内側からの視点では、そうした世の中の冷めた視線は予想できなかったかも知れない。
それ自体は悪いことではないのだが、もしそこに心理的安全性が働いておらずそうした危機感を誰一人口にすることができない状況にあったのだとしたら、やはりこれは企業の危機管理意識の欠如によって引き起こされた当然の炎上であったと言えるのだろう。
アップルほどの大企業であっても、容易に心理的安全性が脅かされる状況に陥るという現状は、心理的安全性を研究(学習)している増田にしてみるとリアルタイムで参考にできる稀有な教材であり、これから先アップルが立ち直るのかこのまま崩壊していくのか、どちらにしても興味深い教材といえる。
皆さんも心理的安全性の観点からアップルの行く末を楽しんでみてはいかがでしょうか。
増田本人は今回のことでアップル製品に対する夢が冷めたので、同じ予算で14インチのゲーミングノートを買うことに決めました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ソーカル事件の問題点を要約すると、「自分を賢いと思ってる/賢いふりをしたい馬鹿は、シンプルで普通にわかる話よりも、複雑でわかりにくい話をわかったように振舞うのを好む」という話。
つまり、お前らだ。
イスラエルがガザの無差別虐殺をしていることを理解するのに「ユダヤ2000年の歴史」を得々と語る必要はないし、Appleの動画炎上に「文化が違う」なんて説明をする必要もない。
イスラエルは単純に政治的野心がある西欧最後の植民国家だし、Appleの動画はカートゥーン的な表現をリアルにしたものに過ぎない。
でもお前らはそういうシンプルで合理的な答えを好まない。ものごとの裏には何かもっと「面白い話」があってくれと願っている。
だから常にSNSや増田では「面白い話」が伸びる。そしてそれを「面白い話」としてだけ受容してるならともかく、もちろんそうやって拡散されてしまった話は普通に信じられて常識みたいになっていく。
そうやって出来上がっていくお前らの世界こそがネット右翼やQアノン、デマ・妄想・歴史捏造の温床なのだと何故気づけない?
ソーカル事件も知らないのか?
…とこんな風な話をすると、お前らはたいていこう返してくる「ソーカル事件くらい知ってらい」いや、知ってるなら余計に問題なのだという話をしている。
ソーカル事件をソーカル事件という「面白い物語」のひとつとして覚えてるだけだからお前らは駄目なんだ。
ソーカル事件という教訓から「シンプルでレトリックの少ない話を尊ぶ」という学びを得てないから駄目なんだ。
本当に論理的で嘘のない文章は、面白くない。これは断言できるが、お前らが「面白い」と判断するようなものには絶対にならない。それが面白いという場合は、数学や物理の教科書を読むように、一行一行一言一言のつまらなそうな単語の裏にどれだけ綿密なロジックの準備があるかを紐解いて初めて面白いと感じるときのみである。そんな読み取るのに時間のかかるものはネットでバズらないし、それをバズるような価値観の変化を望むのは流石に不可能である。
だから、お前らが誠実で「賢い」人間でありたいなら、できるのは「バズるような物には中身がない」と自分を客観視することだけだ。
中身のないものをバズらせるのは良い。バズったものを面白いと感じるのも良い。しかし、バズったものは、自分が面白いと感じたことには、面白いだけで中身がないと自覚だけはするべきだ。面白いから知的だ価値もあるはずだというのは認知バイアスでしかない。本当に賢くなりたいなら認知バイアスを自覚しろ。
自分は賢い話も理解できるが、中身のない話も面白がるしバズったら読んだりしちゃうという程度の人間だと客観視できるのが、本当に賢い人間だ。
ソーカル事件のような例がどんなに歴史に積み重なっても、それを教訓でなく只の面白い話としてしか消費しないオタクのような受容では、賢い人間が歴史から学んだ教訓というようなものには決してならない。人類は成長しないままだ。