はてなキーワード: 三兄弟とは
自己愛が強いばかりに、何度も人を傷つけ、それでいて人が離れていくのには堪らない寂しさを覚えるという父親と、病的なヒステリーで、気に入らないことがあれば腹の底に響くような金切り声で怒罵を浴びせてくる母親の間に私たち三兄弟は産まれました。
四股していながらケロリと嘘を突き通し、度重なる暴力とネグレクト(その原因は後にわかるのですが、ギャンブルでほぼ全財産を溶かしたストレス発散、または自己愛が強く「お金が無い」の一言が言えないために"ブチギレている自分"を演じることでお金が無い事を悟られないようにしていた。)を繰り返し、家庭を崩壊させた父親に対しては憎しみよりも無関心が勝っている。あなたのおかげで経済的に恵まれなかった私は学校では臭いと言われ、惨めな人生を送ってきましたが、もうどうでもよいです、どうか私の知らない場所で幸せに暮らしていて下さいと、ペコリ頭を下げて、いっそ幸福さえ祈ってしまいたいような気持ち。一方で、100円引きのファミリー用の牛肉が食卓に並んだ日には思わず「今日は何かお祝いがあるのですか」と聞いてしまうような家庭環境ながら、私たち3兄弟を少なくとも経歴だけなら健常な家庭に育った者のようにしてくれた母には酷い憎しみを覚えるのだ。
ごめんなさい。私は母に憎しみを覚える資格すらないことは十分すぎるほどわかっている。父が失踪してから、悲しい記憶がそこらにある埼玉の実家を飛び出し、単身北海道に渡ったのだが、私がいなくなれば弟がどんなに母からキツイ躾を受けるか、腹の底まで響く金切り声で讒言の限りを尽くした怒罵を浴びせられるか、残酷なほど理解していながら、私は自分の幸せのために逃げました。
弟は私がいない間、兄と母からひどく虐められ、私が半年に一度帰る度に思わず身を引いてしまうほどの涙を流し、最後には「なぜ逃げた」と私を詰るのでした。ごめんなさい。母は病的なヒステリーを、兄は溜まったストレスを弟にぶつけることは深刻に理解していましたが、それでも母と兄の中に必ずある人間らしさに期待している自分も確かにいました。
今では兄と母が傷つけ合い、兄と弟は絶縁し、弟と母は初めて聞くような罵詈雑言で罵り合う。
書きたいことはたくさんあるはずなのに、まとまりません。
あれだけ意を決して家を飛び出したはずなのに、少し心が疲れて、家庭はさらに悪化をしただけでした。
許してほしいとは言いません。
能力・信頼関係とも安定の最強コンビ。秀長死後の秀吉の態度がちょっと怪しいが。信長協奏曲の秀長は新解釈すぎる。なお、秀長は改名する前の名乗りが長秀であり、羽柴長秀では丹羽長秀にパルワールドしすぎである。
他にもたくさんいた兄弟をパージして三人!だから三人の結束は固い?
お前ら本当はそこまで仲良くないだろ?実力も実久以外は…?その実久も統制の面ではちょっと。
ああ短命…。我ら生まれた日は違えども死すときは同じ日・同じ時とまでは行かないが近い時期(3年以内)に死ねたね。
最終的に信勝が誘殺された信長と信勝の争いは有名だが、信広も一度反乱している。一方で信長のために戦って死んだ弟たちも多数。
障害者が子供産んでもほぼ確実に障害があるし、今はもう世間にも当たり前に知られるようになった学習障害だってほぼ遺伝するだろ。
まあ、なんでこんなこと言うのかと、それは俺が、俺の兄弟が全員両親から学習障害を遺伝してるからなんだな。
まー生きづらい、世の中にそういうものがあると知られたって許されるか受け入れられるか認められるかは全くの別問題だしな。俺が生きてきたこれまでの間で、まだそんなに知られてない時と今とどっちがいいかって言われてもどっちも生きづらい。生まれたくなかったって何度も思った。
それでもまだ学習障害なんだって思われて諦められる今の方がまだマシかもしれない、小学生の頃や中学生の頃は何の理由もないようなものだったから、できないことややってしまうことを責められるだけだった。俺もだけど注意する周りもしんどかっただろうなと思う。
しかもうちは両親がどっちも学習障害だ、障害は父親からの遺伝がほぼらしいけど、母親もおかしいから抜け目ない感じで遺伝した。
俺はまだ長男だから頑張れた、もう古いかこれ、次男は頑張ってしまった俺と比較されてダメになった。できないわからないを全部怠けだと言われて引きこもりに、家にいても父親とはうまく行かなかったからその内家を出てしまった。今何をしているのかわからない。
三男は性格が呑気だからか、逆に次男と比較されたせいか、これも障害のせいなのかわからないけど、周りからできないキャラ扱いにしてもらったおかげでうまいことサポートされて生活してた。ただやっぱ人と話す仕事は無理みたいで整備士の仕事をしてる。
俺と三男は親ガチャは失敗したけど周りガチャにはそこそこ成功したおかげで今なんとか仕事してる。でも自覚あるだけ俺ら子供はいいんだ、いっそ肩身が狭い方が楽なんだ、両親は2人とも自分の障害に無自覚で、だから子供のできないを責めるんだけど、もう大人になった今だからこそお前らのせいだよと言いたくなる。何で俺らを産んだんだよ、しかも立て続けに、大した給料もらってなかったのに。障害もやばいけど、本当に貧乏だったなーうちは、障害者だからその辺の算段ができないんだろうな。おかげで俺ら三兄弟は貧乏三兄弟と馬鹿にされることも多かった、キッツい、トラウマ。反動で俺はブランドもの買い漁るようになっちまったwww
三男は満足に食べられなかった反動が強いのかジャンクフード依存で部屋を選ぶ基準がマックとコンビニへの距離だった、いかに歩かずに食えるかとか言っててわろた。いや、笑えんがもう俺らは俺らで死ぬしかないからまあいいんだ、しっかり納税して消費もして好きに生きよう。
優生思想、いいじゃないか、反対してる人はそんな苦労してこなかったか、うちの両親同様自分の障害に無自覚なだけだろう。能力は才能だ、優秀な人にこそ子供を産んでもらうべき、技術と一緒でちゃんと継承すべきと思う。
俺らはいいよ、まだ、これでもっと酷い障害があるような人が子供を産んだらその子供は生まれてから死ぬまで誰かのサポートなしでは生きられない。そう言う人にも生まれたら生きる権利はある、でもその中での苦しみをなかったことにしてしまうのは無責任だと思う。障害なんてわざわざ残す必要はない、生まれてなければ俺はいないのに、生まれる前から俺に生きる権利があるように思うのはそれこそ脳内お花畑じゃないか。己の欲求で誰かに不幸を背負わせる行為だ。
生きててよかった、ないわけじゃない、それでもあるかわからない幸せよりも確実な不幸がわかっているなら、優生思想の方がよっぽど健康的だと思う。
うちは片親だった。
母親は離婚してから、還暦で働けない祖母(母の母)と三兄弟(姉1姉2自分)を女手一つで育ててくれた。
母親は子供に仕事の愚痴を言わなくて、男と食事に行ったりもしなかった。
母親はよく「おばあちゃんがいて兄弟がいて十分幸せでしょ?」って言ってた。
「男なんていないほうが楽」とも言ってた。
自分もそう思ってた。
旦那はお金に苦労したことがない。両親共々ブルーカラーだけど大企業勤め。子供の頃は年1で家族旅行に行ってて、外食で蟹を食べたりしてたらしい。
結婚してからはスーパーで値札見ずに買い物してくるのでよく叱ってる。
子供っぽいとこもあるけど、優しい人だ。一緒にいて落ち着く。
この前親と電話した時、子供の話になった。お金の面とか、旦那の会社の安定性とか不安でしばらくは子供を考えていないって話をした。
その時に、「いざとなったら離婚して帰ってきたら良いよ!男なんて家にいないほうが楽でしょ!」と言われて、素直に受け取れない自分がいた。
片親が幸せなんて嘘だよ。両親がいる子は自分なんかよりよっぽどいい生活してたんだ。
普通の家は、お年玉は何万円単位で貰えるらしい。ゲームだって買ってもらえるし、塾にだって通わせてもらえる。学用品は当然親のお金だってさ。
友達が父親の愚痴を言ってる時や父親いなくて寂しくない?なんて聞かれた時、父親なんていてもいなくても変わんないよ、なんて言ってた自分は、今思えば馬鹿だったんだ。現実は、父親がいる家はウチの家より裕福だったのに。
大学だって親の金の子もいるんだってね。『なんで大学行かなかったの?奨学金あるじゃん』って聞かれて、高校も奨学金借りてたから返せなくなると言うと、みんな思いもよらなかったみたいな顔をする。
自分が信じてた幸せは全部嘘で、実家の暮らしは世間一般的には下の方だった。それがショックでたまらなかった。
母が『いざとなったら離婚すればいい』なんて、どうしてそんな無責任なことが言えるのかと怒りを覚えた。両親が揃ってる環境を知ってしまったから、受け入れられなかった。
でも、母親の言葉に言い返すことはできなかった。だって母は本当に大変だったと思う。朝から晩まで睡眠時間削って働いて、でもきっとお金に余裕がなかったからずっと神経をすり減らしてただろう。母は全力で子供を育ててくれてた。
そんな母の人生を否定するような言葉を言えなかった。言ったところで母が一生の傷を負うだけで、なんの意味もない。
自分の中では、父親がいたらもっと幸せだったと思ってしまっている。
今まで母親には全部話せてたけど、嘘をついてから、母親との心の距離が空いてしまった。価値観の合わない人間になってしまったと、そうはっきり感じた。
きっと母親には一生言わない。実家は貧乏だったけど幸せだったよと、そのスタンスで母には一生接するつもりだ。でもどこかにぶつけずにはいられなくてこれを書いた。
読んでくれてありがとう。