はてなキーワード: youtubeとは
やれ。
言い訳は聞きあきた。
やってないだけだろ。
動け。できることを今やれ。
遅くてもいいから動き続けろ。
今やっていれば、断然楽なのは十分なほど理解しているだろ。
やれることを考えて、それ以外は考えるな。
ネットでいちいち頭を消耗するな。
お前の頭はそんなに器用じゃない。
分からなかったら人に聞け。
苦しかったら助けを求めろ。
恥ずかしいとか、相手が迷惑だとか、怒られるとか考えるな。
なりふり構うな。それぐらいが丁度いい。
何事も気にしすぎ。少しぐらい手を抜いて、とりあえず完成させろ。
60%が目標。余裕があれば80%ぐらいの気持ちで行け。
間に合わないなら、その旨を相手に伝えろ。そして、怒られろ
我慢ゲームだと思え。
辛抱強く作業を続けるほど、報酬が増えると思え。
やり始めれば、頭は回ってくる。やり始めることから逃げるな。
これを楽しいと思うことはあっただろう。その気持ちを思い出せ。
やらなかったら後悔することは明白。
妙な理論でやらない理由を探すな。やる理由を探せ。
手を動かせ。体を動かしてから、頭を動かせばいい。
iPhoneをいじるな。まとめサイトを巡回するな。ニコニコ動画のランキングをチェックするな。
Youtubeでお気に入りのPVを見直すな。いちいちはてなを覗くな。FXは今日はやめとけ。
休憩でお前は疲れ果ててる。
あとに回して良かったことなんてほとんど無いだろう。
やれ。今すぐ手を動かせ。今やらないでいつやる。
最近、ピロウズ(the pillows)を聴き始めたんだけど、ちょっと言いたいことがある。
ピロウズはカーニバルとかストレンジカメレオンだとか「孤独」を唄うことが多いんだけど、
その「孤独」というのが「あー俺、彼女いるけど孤独だわー」って感じばっかりなんだ。
あのな、そんなもん孤独でもなんでもないんだよ?
Youtubeのコメントで「ストレンジカメレオンは悲しい歌なのに…」的なコメントを見て
一人でも自分を認めてくれる人がいれば、それで十分なのに。
あの歌詞の何が悲しいんだよ。むしろ、うらやましいんだよクソボケが。
ピロウズファンってみんなリア充ばっかなんだろうな、とか思った最近。
ちなみに今まで聴いた中では「サリバンになりたい」が一番好きです。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
添削:
「全ての国民を代表する国会議員の皆様。→選挙で選んだのはyoutubeの君であって今の君ではない。
志を立てた初心に立ち返ろうではありませんか。→戻ってねーし。ほんとに戻るの?!
困難な課題を先送りしようとする誘惑に負けてはなりません。→じゃあ天下り改革よろしく!
次の選挙のことだけを考えるのではなく、→これは少しは考えた方がいいよ。
次の世代のことを考え抜くのが『政治家』です。→こんなことしたらまた若者選挙いかなくなるやんけ。
「政治を変えましょう。→確かに変わったね。
苦難を乗り越えようとする国民に力を与え→君では無理だ。全国民脱力乙。
この国の未来を切り拓くために、今こそ『大きな政治』を、『決断する政治』を、共に成し遂げようではありませんか。→抽象的すぎ。
日本の将来は、私たち政治家の良心にかかっているのです。→えーーーーーーーーーーーー!!
AKBはCD買うほどはまってないけど、テレビで流れてれば見るし、ヘビーローテーションはカラオケで必ず歌う。あとYouTubeで検索してライブとかトーク番組とかドキュメンタリー見てると結構胸に迫る。
がんばってる女の子はやっぱりかわいいし、素直に応援したいなと思う。顔のパーツ寄っていると評判の前田さんも、ライブでキラキラ笑って踊っているのは十分かわいい。
AKBでよく言われるのは「がんばってる姿が良い」って意見。で、それを否定する「がんばってんのはお前らだけじゃねぇ」って意見や「ごり押しで売れてるだけ」って意見も多い。
たしかに寒空のストリートで歌ってる人だって、海外に渡ってダンスの修行してる人だって彼女たち以上にがんばってるのかもしれない。彼らだってスポンサーがつけば売れるかもしれない。実力があるのに運がないだけなのかもしれない。AKBの成功はごり押しのおかげかもしれない。
だからといって彼女たちの努力の価値が下がるわけではないと思う。
努力は必ず報われるわけじゃない。がんばれば優勝できるわけじゃない。甲子園に行けない学校もある。だけど私は努力が報われる姿を見たいと願ってしまう。世の中に少しくらい、努力が報われることがあったって良いじゃないかと。
そしてそんな願いを、たぶんあの女の子たちにも同じように託してる。
AKBは甲子園どころか弱小チームぐらいの力で、それがズッタズタのボロボロになりながら努力と団結と涙で乗り越えていこうとするんだから、スポコンだよね。応援したくなる。
あとK-POPも中々嫌われてるけど、政治的な話を抜きにすればそこまで酷くないと思う。
私はどちらかというと個性的な濃い目の顔が好きなので、韓流グループは見た目で区別できないんだけど(みんな薄味で似て見える)、踊りなどのパフォーマンスはやっぱり計算し尽くされてて魅力的だと思う。ショービジネスを極めようとするとこういう風になるのかなとか。
ドラマも、なんだかんだいって日本の少女マンガやハーレクインみたいな展開は王道にして正道に決まってる。それをまじめに丁寧に作るんだから、面白いにきまってる。かといって日本人がおんなじ演技をしたら暑苦しくて受けないと思う。あくまでも「外国人がやってる」ことがウケたんだろうなー。吹き替えとか字幕だと、暑苦しさも自然と受け止められるし、わざとらしいのも許される気がする。
なんか支離滅裂になったわー
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
ちょっとはてブだけを貶める形になってしまったので、これはよくないな、と改めて、ネット各地で戦うコメンテーター達の特徴を、ウェブ上の争い事なんかに興味のない女子にもわかりやすく、戦国大名に例えてみたよ!
(※あくまで戦う人をツール全体で捉えたものであり、利用者個人の特徴を言い当てているものではないです。)
勢力が非常に広範かつ多岐に渡るため、一括りにすることが最も難しい国ですが、強いていうのであれば謙信タイプでしょうか。屈強な武将がフォロワーという軍隊を従え、RTという名の十文字槍で取るに足らない足軽兵を駆逐していく様はまさに軍神と呼ぶに相応しく、各地での転戦の多さや、持久戦を得意とせず、短期戦で勝敗を決めるあたりも謙信型ツールといえます。当然、国民の大多数は争いを傍目に見ている農民か、無言のRTで追随する足軽や小物であり、武将クラスは100人に1人も満たないということは付け加えておきます。
ネット界古豪。上杉家を「馬鹿発見器」と称し、馬鹿を発見し次第、少数の精鋭部隊が煽動した後、住人全員で場所を厭わず突撃する様は、まさに信玄が得意とした啄木鳥の戦法そのもの。ターゲットにされた者は、最初は「ネット弁慶が」と油断しているものの、知らず知らずのうちに追い込まれ、気づいた時には過去の悪行を洗われ、身分バレ、職場に電話、の三段撃ちで後の祭りとなります。戦国最強と謳われることも多いですが、一人一人は取るに足らない雑兵なので、軍師や精鋭部隊を抑えることが鍵となります。
疑り深い性格のため、誰にでもとりあえず謀反の疑いをかけて追い込んでしまう彼らは信長タイプです。一時は天下を取るかと思われましたが、それも遠い昔の話。新しいもの好きで、策略や心理戦に長けていながら、非常に威圧的かつ冷酷であるが故、敵を多く作ってしまい、四面楚歌に。うつけを演じ続けて終わる三文役者も後を絶ちません。心ない皮肉を投げ捨ててばかりいると、仕舞いには部下に焼き討ちに遭ってしまうのが世の常というものです。
国内レベルの些細な小突き合いに満足するのではなく、世界を舞台に闘いたい。いつまでもJリーグで満足している俺じゃない。そんな野心溢れる猛者達が集う場所です。これは天下統一を成し遂げた後、世界に目を向け、手始めに朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉タイプと言えるでしょう。世界規模で文化や宗教が入り乱れているのでやや面倒な状態になっていますが、10年前のワールドカップの審判買収をネタにコリアを叩けばヨーロッパ各地から賞賛されるレベルなので、知略戦は必要ありません。英語は必須です。
国内では圧倒的な勢力を誇っていながら、今ひとつ目立った武勇を残せていないその戦果は信長の噛ませ犬となった今川義元と重なるものがあります。仕様上、与えられた情報のみに食いつく受け身の性質であるため、そもそも誇り高い戦闘民族とは言い難く、戦国武将に例えることも躊躇われるのですが、場合によってはストレートな物言いで集団で牙を見せる気概も持ち合わせているので油断は禁物です。しかし、基本的には騎乗もできない貴族体質であるため、あまりにも鋭い逸材は埋没してしまうことが多い反面、「そう思う」「思わない」の二択の統治の安定感には光るものがあります。
とにかく流行の場所に乗っかっていく浮気者。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」をモットーに、あらゆるSNSを使い倒し、寝返りを繰り返した挙げ句に争いに疲弊し、落ち着いた人間が多く集う安寧の地。人を疑わないことを是とし、終始、当たり障りのない会話といいね!の笑顔でお茶を濁す。揉め事などとは無縁の太平の世ではありますが、ぬるま湯の居心地が悪くなればいつでも次の主君に仕える準備はできている、節操のない集団といえるでしょう。
http://itunes.apple.com/jp/app/xochi/id451940189?mt=8
YouTube上に違法アップロードがあるのを前提に作られたアプリとか色々あるけど、その作者はその点何も気にならないのかな。
「音楽はYouTubeで楽しんでます」みたいなことを平気で言えるような人達が、「このXochiってアプリ神だわーiPhoneでも音楽タダで聴き放題だわー」みたいなことをTwitterでツイートしたのをその開発者がリツイートしまくってたりしてて、見ていて「節度ねぇなぁ」と思う。
最近の音楽業界もねー自分が歳くってきたからかおもしろいものが減ってきていると思ったりもするけどねー、CDが売れるかどうかが死活問題な人達もいるわけで、そういう人たちの生活蝕んでるって意識とかないのかな。そういえば「君のラジオ」にも随分前に同じような事感じたなぁ。
まぁ悪いのは違法アップロードをしている連中なわけなんだけど。それを広めることに加担することへの意識というかなんというか。
かたやTwitterやってるミュージシャンがYouTube上の違法アップロード音源動画やMVを平気でツイートしてたりもするし。自分のもの、他者のもの含めて。そういうものへの考え方も色々だし単純でもないねぇ。
違法アップロードしてる連中全員いなくなれば良いし、代わりにミュージシャンオフィシャルチャンネルでMVフル視聴とかライブ映像一部視聴みたいなコンテンツがもっと増えて、そういうものを楽しむためのポータブルデバイスアプリなんかが出てきたら素敵なんだろうけどなぁ、と夢想する。
点数を貰うのや馴れ合いが大事って意味じゃない、そこを勘違いするからおかしなことになる
ちょっと長文になるが
絵にかかわらずなんでも他者がいてはじめて力がわかる
文章読んでもらう、料理食ってもらう、プログラムを使ってもらう、格闘で相手と戦う
それで自分のできる事が素晴らしいんだ!って客観的に思えるようになる
一人でも理論的には上達できるが、哲学者や仙人にでもならないと精神的にもたない!普通は無理ッ!
人にみてもらう事で精神的な燃料は補充できるし、自分の表現で他者に燃料を補充することもできる
これを馴れ合いだ自己愛だといって否定するやつは表現むいてない
上手い下手の問題じゃねえ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/cg/1323767312/742
「上手くなりたいだけなら (ニコニコ|Youtube|pixiv|tinami|Twitter|その他なんちゃらいろいろ) にうpったり張ったりしなくていいよね。点数欲しいだけだよね。ちやほやされたいだけだよね。」
ネットという舞台でだれもが気軽に表現できるようになって、こういう批判をしたがる人が本当に増えたと思う。誰にも見せてないけど満足してるよって人は、自分が第一の観客なことに気づいていないだけじゃないか。
人にいくらパワーを与えてもオリジナルが磨り減る事はないのが表現。一つのオリジナルから、受け取り手それぞれの中で様々な形でパワーになるのが表現のすごい所だし、面白い所だ。
自分の表現で他人が心を動かすのは、ものすごくエクスタシーを感じる。これほど気持ちのいいことはないよ。本能的なものを満たしてくれる。他人を動かすのが他人に与えるのが気持ちいいからしている。俺はモチベーションを維持するのにこれほど質の良いドラッグを他に知らない。馴れ合いだと頭から否定する人は仙人にでもなれってんだ。
オープンソースってなんで成り立ってるの?無償でなんでわざわざ参加するの?と知人が言ってたがこれも似たようなもんじゃないのか?自分の仕事で他人が何かを与えられるのは、エクスタシーを感じることだからじゃないのか。もっと言えば、自分がやったことが文化に還元されるのはエクスタシーを感じることだからじゃないのか。この気持ち良さは金で買えることじゃない。
この気持ち良さを一切理解しようとしない、消費するだけの人とは分かち合うのが難しい気がする。
http://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q
このCM動画だけど、Googleがミクを取り上げたとかで、一部で話題。だけど、僕にはこれがGoogle衰退の一歩に思える。
Googleは、ご存知の通り、ウェブサイトに配信する広告収益で非常に大きな利益を出している。これは、開発者にとって、夢のような環境をもたらした。収益部分と製品開発が分離することで、顧客の要望に煩わされることなく、収益性を考慮することなく、コンピュータサイエンスの粋を尽くせばそれでいいという環境ができた。ぶっちゃけ、広告を貼るスペースを出しておけば、何を作っても良かった。そんな単純でないけど、例えばGoogle Docsなどは、未だに広告がない。Gmailにも、昔風な広告フッタがない(作成画面にはあるけど)。こういう環境のおかげで、ユーザも開発者も誠意だけで仕事ができた。
そこで出て来たのが、先のCMだ。これはミクが世界に広まる様子を表現したものと思っていい。でも、これ、Google ChromeのCMだって知ってた? アカウントがChromeになっているの、気づいた? このCMからChromeの良いところって理解できた?
僕はわからなかった。スキンとかアプリとか出てくるのかと思ったけど、全然出てこなかった。要するに、焦点がぼけているのだ。
僕にはこれは怖い気がする。だって、Googleは、自分たちが何をしたいのか、何を売っているのか、理解してないんだぜ? 個人のお遊びならともかく、会社の名前でCM作って、何も伝えられなかったんだぜ?
ここでひとつ思考実験する。「もしGoogleが広告収益以外で利益を得る必要が出て来た時に、どうやって収益を得ることができるのか」。検索アプリを有償化するか? 無理でしょう。無料で獲得した利用者が、いくら不可欠だからって、有償化でついてくるとは思えない。一応有償アプリの販売プラットフォームになるよう努力しているけど、結局広告収益のほうが良すぎて、力が入っているとは思えない。いわゆる「イノベーションのジレンマ」というやつだ。収益の上がりすぎている事業があるために、次なる収益探しに力が入らないのだ。現にYouTubeは広告がベタベタだ。
奇跡的過ぎる例だけど、アップルはそれをやってのけた。アップルは、元の名前を「アップルコンピュータ」と言って、要するにパソコンを作る会社だった。それで一度大当たりをして、その会社として20年パソコンに力を注いだ。で、最初の10年はともかく、あとの10年でどんどんだめになった。でも、恐らくはアップルコンピュータでパソコン以外を自分たちのコア事業にしようだなんて夢想した人はいなかっただろう(Newtonとかあるのは知っているけど、結局コアにならなかった)。そこで、ジョブズがやってのけたのは、「アップルコンピュータを パソコン以外の会社にすること」だった。音楽プレーヤーを始め、今ではモバイルの先進となっている。だから、社名から「コンピュータ」を消した。
このように、Googleが、もし広告がダメになった時に、どういうことをするのか。それをGoogleは考えていないのではないか。特に日本法人。僕には、先の焦点のボケたCMが、そういうことを考えてない、ダメなGoogleの象徴に思えてならない。
特に近頃、空気が冷え込んで来てからは、二人に一人くらいはマスクを着けていると言って良いだろう。
「冬だね!マスクしてもいいよね?」
と言わんばかりにだ。
マスクの一般的な使い方として知られているのは、咳などで風邪を他人に移さないことと、外部からの菌等を防ぐための2つだと思う。
風邪を患うといっても2人に1人という高い割合になることはさすがに無さそうので、予防の為の着用というのが説得力がある方だと私は思うが、
果たしてそれがどれほど効果が期待できるのかは懐疑的である。つまり、予防の為に着けてると言うには着用してる人の数が多過ぎ、又効果の程も怪しいのである。
特に電車内でマスクを着ける人は多いと思うが、ではつり革に触ったあとで必ず石鹸で手を洗う人はどれ程いるのだろうか。
ニコニコ動画やyoutubeで個人作品を見ている人は分かると思うが、アップしている人達の半数はマスクを着用している。
もちろん、ネットに顔を晒すことと日常生活におけるそれは全く異なることだけれども、動画上でマスクを着けるのも不思議なことに日本人だけなのである。
日本人には明らかに、自分の顔をさらけ出すこと対して抵抗を覚えるという、国民的ともいえる性質があると思う。
例えば今も存在しているのか分からないが、日本のヤンキーの象徴の一つはマスクである。
私は、これは彼ら自身を強く見せる為に着けているのではないかと思っている。
表情を読まれることは、自分の弱みを悟られることに等しいからだ。
で、結局のところ一般人がマスクを着ける理由もヤンキーのそれと大差無いのではないかと思う。
日本人は感情表現に乏しく自己主張が弱いと外国人に揶揄されことがある。
個を前面に出してゆくのは日本人の苦手とするところで、常に周りに同化していたいと感じ没個性を望む。
まさしくこれが日本人らしさで、これを適えるのにうってつけなのがマスクなのである、と私は考える。
といってもこれらは全部私一人が考えたことなのでこんなふうにネットで意見すると色々有意な反論も貰えると思うので、
皆さんの意見をお聞かせ願いたい。
使う媒体によって見え方も変わる
twitter、Youtubeを使う人もいればTimeやクーリエとかの雑誌を使う人もいる。
その時の手段は沢山ある
この違いは何なのか。
確かに2chで取り上げられる韓国の反日事情が100%嘘とは言えないし
ただでさえ韓国の歌手やドラマに全く興味無い人にはメディアのおかげで少し嫌になる部分もある。
でも、まだ中国事情を比較的中立に立って紹介する大陸浪人のようなブログは現れない。
サーチナの韓国ブログ紹介、ニュースはパソコンの翻訳機能使えば分かる通り故意的な部分が多すぎる。
なんで韓国に対しての中立な立場からのネット紹介ブログがないのか。
思いついた理由は以下
中国語に比べ韓国語を学ぶ男性は少ない。海外事情翻訳ブログは男性が作る事が多い。
ビジネスでも在日韓国人の方などが韓国語を話せ、韓国語要員ポジションにいることが多いので新たに学習しようと思わない。
韓国語を学ぶ人は政治やビジネスなどよりエンターテイメント目的であり、
そもそもそういう人は政治的に何か考えている訳ではなく2ch的思考もあまり縁がなく、
韓国に行っても生活を楽しむ。こういう人達は自分の周りの日常はブログに書くけど国全体として考える事は少ない。
サーチナなどによく騙されるのは根拠のソースがハングルで読めないから。
つまり思いっきり反韓ブログと思いっきり自分の日常生活in韓国に別れる
今までニュートラルな立場の韓国ネット事情ブログを見た事がない。
誰か作って下さい
できれば働きたくないけど、先のことを考えると就職したいタイプです。
正社員にはなりたい、でもやっていける自信がない、怖い、年下にアゴで使われるのも嫌、多分精神壊れる。
正直言って、残業は嫌、サービス残業はもっと嫌、休みが少ないのも嫌。
ウィンウィンで働けるなら良いのだけど。
甘いのはわかってる、でもこの社会構造がおかしいこともみんなわかってるよね。
オランダのワークシェアをyoutubeで観たけど、あんな感じになればもっと幸せになれるんじゃないかと思うんだけど。
どうやってそういう風に変えていくか。中心になるのは俺みたいな奴等じゃないかと思う。
ニート100人会議とかいうのがあったらしいけど、ニートも100人いればなんとかならんのかしら。
100人いれば色んな才能いるはずだし、全員で一緒に起業できないかな、みんなニートだから誰にも劣等感抱かないし。
あ、でも誰も営業やりたがらないだろうな、営業は委託かな。
酔った勢いで書く。
適当に読み流してくれ。
ちなみに学校ぐるぐる周ってパソコンとかのメンテしてるみかか様の下請け業者の社畜です。
職員室とかよく出入りしてる。
痛いニュース(ノ∀`) : 【ニコニコ動画】 プレイ動画投稿にゲームメーカー激怒…投稿者、示談金支払う - ライブドアブログ
上の記事で407が言ってること。
これその通りです。
先生が普通に「昨日見逃したドラマを帰ったらyoutubeで探してみよう」とか言ってる。
堂々と言ってる。
さもそれが普通なように。
今はそういう時代なんだと。
何を言ってるんだ。
「youtubeで探してみよう」
あほかと。
ばかかと。
でもどの学校にもパソコンに詳しい先生は必ずいて、その人はある程度問題のある行為だという認識を持ってる。
違法だとわかってても、実際問題便利なので「言わなきゃバレないし」となって結局注意まではいかないんだと思う。
まぁ大人はそれでいいと思いますよ。
たとえそれで捕まったとしても自ら責任を取れるので。
私が本当に悲しく思うのは、そんな先生たちに教育を受ける生徒たちです。
彼らは間違った認識を「普通」として義務教育の過程でナチュラルに仕込まれて、
彼らは「テレビとしてもう全国放映したんだから、別にネットに流しても問題ないじゃん」と本気で思ってるし、
その考えが間違っているという認識も全くない。
恐らく言っても理解できない。
正直ゾッとします。
著作権ってなんでしょうかねー。
どの学校もパソコン室には必ず著作権についてのポスターが張ってありますが、
パソコン室なんかどうでもよくて、先生全員の机に貼ってほしいです。
どうせあんな硬っ苦しいポスター、生徒は見ないだろうし。
各テレビ会社も、違法アップロード・ダウンロードの取り締まり強化とかそんなイタチごっこするくらいなら、
文科省と組んで先生たちの情報意識の向上に取り組んだほうがいいと思います。
最近ふとしたきっかけでツイッターで見つけたキチガイの人がすごい。
ツイートの最初と最後に0とか"フ"とか死とか後とか書いてあって
よく見ると0→0、フ→2(かな入力)、死→4、後→5ってなってて
「フよろしく死」だと2の人格が4の人格に話しかけているという事になってるっぽかった。
今はまた別の方法に切り替わっているよう。
その人が最近YouTubeにWebカメで撮ったっぽい早口の独り言の動画をUPしていて
その名前で検索してみると、色んなPC関連の書籍を出している人だった
有名LinuxOSの開発にも関わってる人だった。
実家から少し離れた所に家を買って、毎日デリヘルを呼んで過ごしている
誰も自分を分かってくれないため孤独で辛く、まともな人間になりたいが
神(一番強い人格)に怒られるのが怖くて薬が飲めないのだそうだ