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はてなキーワード: 共働きとは

2017-03-28

もう部活って限界だよね

自分小学生の時は、部活といえば3年生から参加出来る1時間放課後クラブ活動か、保護者も一緒に参加するスポーツ少年団がメインだった。親が共働きだったので、スポ少には入れなかった。保護者は平日や土日に子供練習に参加してマネージャーのようなことをする必要があった。

放課後クラブでは卓球選択した。温泉旅館友達と打ち合うような感じですごく楽しかった。

中学に進学したら本格的な部活になった。

かっこいいからという理由剣道部に入った。

半年くらいで退部した。

理由

休みが月に1回しかない。

朝練時に顧問道場タバコを吸う。

楽しくなかった。

物理的に辛い。

くさい。

こんな感じ。

進学ちゃんとしたいので辞めますと言った。

顧問はアッサリ引いてくれた。

社会人経験した今だから思うけど、あの顧問どういう気持ち部活指導してたんだろう。

月一しか休みがないのは顧問もだ。

大会があれば遠征するし、ゴールデンウイーク練習だった。あそこの家庭崩壊してないか心配になる。

誰も幸せにならないんじゃないかなぁ。

痴呆症祖母と私

ある日、就職活動をして自宅に帰ってきた私に

「財布が見当たらなかったんだけどあなた知らない?」

父方の祖母にそう言われた。

祖母痴呆が入っていたため家を引き払い実家で一緒に同居していた。

一緒に暮らすことになる半年前、財布やお金がない、鍵がない、まさか誰か泥棒が入ったのではと執拗に父に電話をかけてきていたので父は不安に思い病院に連れていった。

診断結果は痴呆症だった。

同居しても痴呆症は進行するばかり

家族の事や親戚の事をたまに忘れたり

デイケアセンターで貰ったみかん饅頭などの食べ物タンスや引き出しに隠したり。

タオル使用済みの下着をいたるとこにしまい込んでいた。

今、自分が置かれている状況をよく理解してない、一泊くらいの泊まりだと思っていて明日自分の家に帰るからと夕食を食べながら父によく言っていた。

しかし翌日にはけろっと忘れていた。

そんな時うちにきて初めてお金がないと言い始めた

次第にどんどん回数も増えていった


私には兄弟がいる

姉が二人、弟が一人

三女として生まれた私は昔の考えが凝り固まった父方の祖父からしたらあまり期待されていない孫だったと思う。

現に姉達は初孫で幼少期よく可愛がられ、弟は初めての男なのでとてもよく可愛がられた

うすうすは気づいていたが子供心にそれ以上嫌われたくないと私は思っていたのだろう。

まり祖父母とは会話をせず周りの話を聞きニコニコただ笑っていた事が多かった。

私がお腹にいた時、かすかにまた女かと思われたんだろう。

祖母が嫌いな母には悪い事をした。

痴呆症になっても私には気にもとめない祖母。逆に楽だった。

歳を重ねて私も嫌われたくないという気持ちもなくなり、極力顔を合わせたくなかったので助かった。



そんな時、祖母にいきなり財布がないと言われた。

続けてどこにあるか知らないかと言われた。

たまたま帰ってきてリビングにいた私はすぐリビングに入ってきた祖母から久しぶりに話しかけられたのでびっくりした、内容にも理解がすぐできずとっさの言葉が出なかった

知らないという一言すら出なかった。

たまたまそれを聞いていた姉が間髪入れずものすごい剣幕で祖母を叱りつけた



うちに泥棒はいないよ!もう一回探しなよ!



私は姉の大きな声にはっと我に返った

うちにきて財布がないとは言いつづけていたがどこにあるか知らないかというのは誰も聞かれた事がなかった

父母、他の兄弟には聞いたこともなかった質問が私にだけぶつけられていた。

姉は祖母言葉から私が盗んだと思っているのを感じ取ったのだ。

から声を荒げた。

叱りつけられた祖母バツが悪そうな顔をしてそそくさと自室に戻っていった。

就職活動用のスーツのまま呆然と立っていた私に姉は痴呆症から、仕方ない、気にするなと言った

姉は精一杯フォローしてくれた。

でも私はなんだか惨めな気分だった。

あとから悲しい気持ちが追い上げるようにきてカッと顔が熱くなって目が痛くなった。


祖母はしばらくして老人ホームに入所した。共働きの両親の世話では限界がきたからだ、

私は就職が決まり親を説得させ無理やり実家をでた。

万が一でも祖母暮らしたくなかったからだ。

から話を聞くに老人ホームに入所してから財布については話すことはなくなった。日に日に私たち兄弟名前を忘れ娘である叔母の名前最近思い出せなくなっていた。

顔は少し穏やかになったそうだ。



私は今でもよくあの時の言葉祖母の顔を思い出す。

シワシワの顔、目も落ちくぼんで、ぎっと私の顔を睨んでいたようだった。

祖母はあれが正気だったのかたまたま痴呆症でいった言葉だったのか今でもよく分からない。

私はそんな祖母を憎みきれないのだ。病気から、と諦めていた気持ちが時たまふつふつと怒りが湧き上がっては急激に冷めていくその繰り返しだった。

憎みきれたらどんだけ楽なのだろうと思いながらぶつけようのない怒りを持って生活を送っている。

ずっとずっと永遠に祖母がいつか死んでも私の心には深く残るのだろう。

2017-03-27

金の使い方が分からない

30代サラリーマン年収1200万円。既婚、子供なし。共働き世帯年収は2000万越え。鳥貴族、安安、ユニクロGAPで十分満足。ただ世の中の楽しいことに全然金使えてない自覚あって、どうしたらいいかからない。。

2017-03-26

共働きと片親では長寿アニメにはなれない

なにが哀しくて毎週飯食いながら一人で帰ってきた餓鬼冷蔵庫に入った飯チンしてゲームする話みなあかんねん

長寿アニメが悪い

女性が家のことをやるべきだという刷り込みはご長寿アニメのせいだ。

ちびまるこ、サザエドラえもんクレしん、全て母親専業主婦だ。

いい加減ご長寿アニメ母親も働きに出て、父親(ただしヒロシを除く)は家事積極的に手伝うべき。

でなければそろそろ共働きアニメに取って代わらせた方がいいんじゃないか。

2017-03-25

男って生きづらいか

男の生きづらさってほとんど自分自分を縛ってる系のものじゃないの?

別に今のご時世、男は独身を満喫してても良いし、女を養いたくないなら共働き希望でいれば良い。

「男は〇〇すべき」みたいな発言に対して「それはセクハラだ」とネットで主張できる風潮もでてきた。

男が昼間にぶらついてると不審者扱いされるというが、俺は平日昼間にぶらついても特に不審者扱いされたことはないし、ぶらついてるおっさんなんていくらでもいる。

これでもまだ「男は生きづらいわ〜」と思うならそれはお前自身が「男なんだから俺は〇〇しなきゃ」と勝手に思い込んでるだけで、暗黙の義務を一つ一つ放棄していけばすごい楽に生きられる。

と思う男であった。

爆サイ

初めて知ったので、さっそくうちの市の板を見てみた

パチンコはやってないのでその手のスレスルー

なんとなく婚活スレを開けてみたが

2chまとめと同じように「女の社会進出ガー」「専業主婦ガー」「高望み女ガー」って女叩きレスがたくさんあってびっくりした

うちの市はド田舎賃金が安いけど物価普通に高くて夏は熱くて冬は豪雪から

金銭的にも精神的にも余裕ある生活してる人があんまいない

うちの母親も働いてるし近所のおばちゃんも親戚のおばちゃんもみんな働いてて

職場には女性が多いし買い物に行けばおばちゃん店員がたくさんいて

共働きが当たり前。そうしないと生活していけないか

ネットはなんだかんだで都会出身で裕福な暮らししてる人が多いか

お父さんが高給取りでお母さんが専業、

身近な若い女は東京の高級で有名なおしゃれなお店で買い物したり飲み食いしたりして

ハデな暮らししてるっていうパターンの方がなじみがあって、

から女叩きに走るんだと思ってた。田舎の人は働くおばちゃんとモサ女に囲まれてるから

女=高慢ちきでケバくて男をATMにしようとたくらんでいる!みたいな感覚は持ってないと思ってた

でもそうじゃなかった

女性専用車両どころか電車もないこの田舎で。2両編成の汽車が走るこの田舎

不思議。どうやったらそんな考えになるんだろ

2017-03-24

幼稚園より保育園のほうが高い意味・・

わけわからん

なんで楽々で暇な専業主婦の使う私立幼稚園のほうが圧倒的に安いんだ?

ほとんど倍じゃん。

共働き生活苦いか子供保育所に預けなきゃならないのに給料の半分保育料に持ってかれる。

しか保育所は狭いビルの一室で園庭の代わりに近所の公園を間借り、いっぽう近所の幼稚園は小奇麗で広々園庭でカラフルで楽しそうな遊具なのに料金半値。

保育所高けーのにサービス悪すぎ。需要が圧倒的に少ないから完全に足元見られてる。

ふざけんなっつーの。

毎月残業30時間でどうやって共働き子育てと両立しろ

毎月残業30時間(平均)てどうやって共働き子育てと両立しろ

おばあちゃん召喚術使わないと無理だわ

2017-03-21

仕事をやめられない理由がまた増えた

夫婦共働き年収1500万円くらい。

早期リタイアしてのんびり暮らすのが夢だったのに、8000万円くらいの家買ってしまった。

あれ?子どもが出来たら、実質こっちしか働けないか収入減るな。

子どもにもお金かかるのにローン払うのがこっちだけになるのか…。


つらいな…。

2017-03-19

家賃って、割りと20万くらい出せば高級物件っぽいの引っかかるんだな

東京の割とど真ん中で

割りと安い?

 

って思ったけど

年収1200万くらいは必要になるのか

共働きでもキツイ額だな

2017-03-18

妻が料理の分担を強要してくる

当方子無し共働き夫婦。最近妻が料理の分担を強要してきて辛い。

もともとうちは両方とも家事が好きでなく、家事負担を減らすために家では料理をしない方針だった。

だけど、1年ほど前ぐらいに妻が「外食に飽きた。二人で家で食べたい。」と言い出してさ。

その時は、「私が食べたいだけだから私が全部やるし家事の分担外でいいよ」って話だったから、こっちは

反対する理由もないし別にいかと受け入れた。

それが、最近急に家事の分担がおかしいと文句を言い始めてね・・・

あんたも料理を分担しろ、しないなら私がやってる料理時間分お前が別の家事をやれ」だって

何かおかしない、これ?仕方ないから下手くそ料理やってるけどさ。詐欺られた気分だよ。

こっちは別に社食に飽きてないし、そっちが家で食べたいっていったから家で食ってただけなのに。

クソが。

2017-03-17

男は生きづらいっていうけどさ

男の生きづらさってほとんど自分自分を縛ってる系のものじゃないの?

別に今のご時世、男は独身を満喫してても良いし、女を養いたくないなら共働き希望でいれば良い。

「男は〇〇すべき」みたいな発言に対して「それはセクハラだ」とネットで主張できる風潮もでてきた。

男が昼間にぶらついてると不審者扱いされるというが、俺は平日昼間にぶらついても特に不審者扱いされたことはないし、ぶらついてるおっさんなんていくらでもいる。

これでもまだ「男は生きづらいわ〜」と思うならそれはお前自身が「男なんだから俺は〇〇しなきゃ」と勝手に思い込んでるだけで、暗黙の義務を一つ一つ放棄していけばすごい楽に生きられる。

と思う男であった。

http://anond.hatelabo.jp/20170317130333

子育てを楽にする施設利用に最も関係性のあるのは精神でも体力でもなく金

男よりも仕事ができる女性が増えれば解決するんだよ

問題日本女性側に獲物を取ってくるアマゾネス根性が産まれつき欠けてること

副業レベルで稼いでくるだけじゃ解決にならない

専業主婦を作れるような男レベルで同額稼がないと

それができない男と女共働きしたらいいけど女の限界点共働きレベルに設定しすぎ

結婚したら辞めるって風潮を男女どっちサイドでも未だに許してるから役職に就けないんだよ

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-15

子供っていた方がいい?

結婚してもうすぐ6年経つ。夫への愛情は変わっていない。

だけど子供はいない。今のところ作る選択をしていない。

愛する人の子供が欲しいって思うのが一般的らしいけど、どっちでもいいというのが本音

夫さえいれば十分なんだよね。

こういう考えの人ってどれくらいいるんだろ。

結婚して子供いないって人たちは自分の周りだと2割くらい?

でもそれぞれ事情があるんだろうし。

子供作った方がいいんだろうかって悩むこともある。

共働きでそれなりの暮らしはできているけど、なんか虚しくなるときがあったりね。

周りはすでに二人目ラッシュで、焦る気持ちもあるんだよねー。(当方30代前半)

このまま作らなかったらいつか後悔するのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20170314195053

遠い記憶

曖昧だが、覚えてる限り記しておこうと思った。



中学校1年夏、当時住んでいた部屋は広くなかったが

寝室代わりに使っている

天井の低いロフト秘密基地のようで大好きだった。



両親は共働きだったので、学校から帰り、ヒマな時は

ロフトに上がって布団の上で漫画を読んだりしていた。

その日は、とても暑かったので

パンツ一丁で、クーラーガンガンに付け、

ロフト漫画を読んでいたが

ふと、股間がもぞもぞしたので触っていたら

急にちんちん構造が気になりだしたんだ。

恐る恐る、包皮をめくると

ピンク色の亀頭が表れたので、そっと触ってみた



衝撃だった。



ビリッ!と

頭の先からつま先まで

電気が走るような衝撃に

気持ちさよりも、刺激が強くてツラかったことを覚えている。

なんだこれは。

ツラいんだが…また触ってしま

さわ…ビリッ!




それからしばらくは

学校から帰ると、急いでロフトに上がり

亀頭へ加える刺激にすっかり虜になった。

何度か繰り返しているうちに

オーガズムが訪れたが、射精はしなかった。


初めてのオナニー病み付きになった

数週間経つ頃には

射精もするようになり

ティッシュの消費が激増した。

それまでは、ティッシュ無しだったのが

今思うと驚くばかり。





あぁ、中1の頃と比べて

どれだけ鈍感になってしまったのだろうか。


あの電気ショックを味わえる日は

もう来ない。

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

メンヘラたちよありがとう

結婚して2年になる。

3年間付き合った末の結婚ということだが、2年目から同棲していたので新鮮味はないが、今でも毎日「こいつと結婚できてよかった」と感じる。

妻は私を「気が利いてなんでもしてくれる優しい旦那」というようだが、そんな自分になったのも、これまで付き合った2人のメンヘラ元カノたちのおかげだろうと考えている。

1人目は高校生の頃だったろうか。

背丈は小さいが、しっかり者でクラスのまとめ役をこなせる、適度に発達した胸が特徴的な女性だった。

彼女と付き合いはじめた当初は、部活終わりに一緒に帰って彼女の家の近くの公園で談笑したり、週末に繁華街へ出かけたりと、普通生活をしていた。

私はしっかり者の彼女が時折見せる甘えた表情が好きだった気がする。

そんな彼女を(高校生ながら)愛おしく感じ、日々一緒にいる時間を増やしていった。

そうして付き合ってから数ヶ月たったある日、家に呼ばれる。可愛らしい妹が迎え入れてくれ、「実は両親が共働きしているが離婚寸前で家庭内DVも当たり前なのだ」というを話をされた。

ショックを隠し切れないながらも話してくれたことに感謝し、泣きそうな顔をする彼女を受け入れると「あなたなしでは生きていけない」と言われ、そのままベッドへ。

そこから毎日電話なりメールなりは必須で、連絡を少しでも怠るとすぐに着信が10件ほど入る。

これは困った、と思い別れを告げると、「今すぐ話がしたい」と言われ、よく訪れた公園に呼び出される。

最後からと向かうと(その日は確か夏で、大雨だった)、裸足で泣き崩れている彼女がいた。

さすがに鬼畜野郎ではないので落ち着くまで隣にいて、その場はとりあえず収めようと、別れないという選択肢を取ったが、そんなもの一時的なそれなだけであって、

すぐに別れた。



2人目は大学生ときだ。

彼女もまた、小柄で胸のふっくらした子だった。顔は少しきつく、その顔に見合った性格であった。

1人目と同様、対大勢と対自分での態度の違いに優越感を感じていた。


そんな彼女とは大学が同じで、かつ彼女大学近くに一人暮らしをしていたので、彼女の家に行き泊まることも多かった。

しかし、情緒不安定というか、自分の思い通りにならないことがあると、すぐに不貞腐れする部分に、少し疲れを感じざるを得なかった。

ある日、私が自宅から大学に向かっている途中、彼女寝坊をしてしまったようで、自分遅刻してもいいから一緒に大学へ行こう、というと、

「先に行って」

と言われ、そのとおりにした。すると、10分後くらいに

「どうして先に行っちゃうの?」

という。

仕方なく大学講義は諦め、彼女の家に行くと、それはそれでイライラが募るようで怒り出し、しばらくしてから泣いて詫始める。

そんなことがあった。

ただ、それでも可愛らしく見えてしま自分もおり、なんだかんだで2年は付き合った気がする。



2人のメンヘラ一部の人からするとメンヘラではないと思われるだろうが)を通じて、この程度が女性スタンダードだと感じるようになり、

相対的に軽度であれば耐えられるし、それが女性側の期待値であれば、比較的良好な関係を作れるようになった。

自分女性経験豊富にあるわけではないが、優しい彼氏としての立ち位置をしっかりと確立できるようになったのは、彼女たちのおかげと言っても過言ではない。

ただやはり、女性経験豊富にあるわけではなく、セックスも一人の女性と何度も、というスタイルが多かったので、その点においては改善する余地があるだろう。


今の妻はメンヘラとは程遠いも、やはり女性は甘えたい生き物なのだろう、甘えたいときには思いっきり甘えさせてあげるようにしている。

妻を見ていても、元カノたちの付き合う前を思い返しても、メンヘラに落ちるまでのあと一歩というのがあり、その瀬戸際を見極めるのは、男性側にも責任が大きかろうと思うのである

まりは、メンヘラは男を育てることに寄与する部分が多分にあると考える。

否定論者はそもそも付き合わないのだろうが、多少の耐性がありそうな男性は、一度メンヘラと付き合っても良いだろう。

取り返しのつかないことにならない限りは、後々感謝する場面が、現れることもある(かもしれない)のだから

2017-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20170310074309

金がいると考えるのは、嫁を専業主婦にして家事育児全部押し付けたいと考えるからだろうに



共働きなら新卒給料でも生活に困るという事はないだろ

(それでも困るのもいるだろうが、そこまでの貧困層となると年食った所で収入が増えるとは思えん)

家事育児平等に分担し、育休も男女両方が同じだけ取るようにすれば金銭面は解決するけど、男はそんなのやりたくないか

2017-03-06

家買うって無理ゲーじゃね?

26歳手取り20万くらい、ボーナス4ヶ月。

社宅だから家賃からないけど月10万円くらいしか貯金できない。私の両親もたぶんこれくらいで結婚して子供まれてってやってたけど既に家持ってた。20年くらいでローンは完済。

これは無理ゲーじゃなかろうか。結婚を機に社宅出て1LDK借りるけど、これ以上のものは望めなさそう。共働きなのがまだ救いかな。

田舎地元はやっぱり、両親と同居が多い。家買おうって人は尊敬する。

2017-03-05

保育園の布オムツカバー高すぎる

夫婦共働きで妻が育休を終えるので子供保育園にいれることにした。

応募したら保育園になんとか入ることが出来た。

そこの保育園は布オムツ使用している。そのためオムツカバーが1日4枚も必要だという。

しかしこのオムツカバーが何処にも売っていない。自転車10分でいける保育園だが、その周りをさらに15分ぐらい自転車で行ける店にも取扱が無い。

旦那休みの日に車で30分、アカチャンホンポでようやく見つけたが

そのオムツカバーか1枚1400円もする。

高すぎるだろう…

毎日 洗濯をしても2日分で8枚、11200円

1日分 多く買うと16800円

ほかにも保育園で決められた服やら、タオルやら揃えなきゃならんのに

オムツにしてくれよ…

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170303184252

期待値、ってのは「共働き家庭よりは生活レベルが高い可能性が高いだろう」的な意味か?

旦那地位」って書いてんだろ。ちゃんと。

ただ「専業主婦」と聞いたら後者を思いうかべる人が多いのでは

それはねーわ。

それはお前が貧困家庭側にいるからそう思うだけじゃね?

2017-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20170303183254

期待値、ってのは「共働き家庭よりは生活レベルが高い可能性が高いだろう」的な意味か?



専業家庭って金持ち家庭か貧困家庭か両極端、ってな所があるし

数としては後者の方が多いわけで

ただ「専業主婦」と聞いたら後者を思いうかべる人が多いのでは

誰か個人を見て前者か後者かってなら、生きてる環境とか生活っぷりで分かるだろうけど

http://anond.hatelabo.jp/20170303173403

なれないことはないけど、普通共働きだろ。

専業主婦であるという時点で、少し期待値が高い。

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