はてなキーワード: 自覚的とは
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/__juttoku__/n/n640a01208f53
これらを読んで思ったことなどを書く
他者への視線に価値観として介在する事で、時に差別を生みだしてきた
だが、【だからどうした】というのだ?
とか言ってしまうのだが
スポーツ全般、芸術全般、娯楽全般、世の中のなにもかもについて
誰かが本気で取り組み
誰かの救いになり
誰かを攻撃している
スヤスヤ教のノリがキツいのはともかく、乗ってるひとはいわゆる「冗談宗教」自体が持つ宗教そのものへの攻撃性に対して自覚的であるべきだとは思う。そういう意味ではスヤスヤ教は恒心教未満。「茶化し」の攻撃性よ
なぜ茶化してはいけないんだ?
特定の文化を、宗教的観点で低俗と言うのは茶化してないから攻撃性があっても良いのか?
世の中で低俗と見做されるモノであれば茶化しても良いのか?
なぜ「宗教に対する茶化し」というのは特別に遇されねばならないんだ?
多くの人を死から救っている(言葉の綾ではなく本当に救っている)漫画やアニメ、それを愉しむ人間は茶化して良いが
宗教はダメだとする境界線は、誰が、どこで、何の権限で、決めたんだ?
これ反差別と同じなんだよ
自分を一段上に置いちゃてるの
よろしい、ならば特別に、あなたへの侮蔑を差別として禁止してやろう
みたいなものなんだよ
だから「本当に苦しんでスヤスヤ教と言っているなら認めてあげるけどさ」みたいになっちゃうの
とかどの口がって思うんだよね
別の人の記事だが
愚劣なダブルスタンダード
との言及もある
これらを言う人は、本当に自身にそれを言うだけの揺るぎないスタンダードがあるのか?
本当に他者の文化を浅慮や無知によって踏みにじっていないと言えるのか?
自身のそれは指摘されたら謝罪します、とでも考えてるのなら最悪だぞ
以下のような人には非推奨です。前のページに戻ろう。
・文章の雑さ・誤脱が気になる
・内容に関わらず否定をするために斜めに読もうと思っている
・自分の思う通りの内容でなければならないと思っている
これは某協会トップをドチャクソにけなしたいとかいう話ではなく、こういうところが
引っかかっていつか会員になりたい~からやっぱいいわになってしまった原因を挙げ、
どこがダメなのか、どうしたらいいのかを自分なりに考えて書き散らしたものである。
だがトップの方が作家が必死で出したヘルプに対しろくに発言の前後を調べもしないで
まず
一番に
「交渉できますよ。すればいいんです。僕はずっとしてきた。やればいいのに知らないの?
まあでも決めるのは出版社ですけどね」(意訳)
と、ヘルプ内容を「大したことではない」「行動が足りないからだ」「無知だからだ」と受け取れる
発言をすることでヘルプを出した作家さんが晒し上げになるのを見るのがストレスすぎるからだ。
このような発言をされると、作家は今後なにか困りごとがあっても必ず漫画家協会のトップの
目に止まった瞬間まず
と言われ(本人がそういったつもりはなくても大半の人間はそうとらえる)、その周りの
先輩漫画家たちが「間違いない」と賛同しているところを見せられるのだと考えてしまう。
というか見ている。
発言を追っているといずれ話は聞いてもらえるのかもしれない。なにか対策を教えて
貰えるのかもしれない。それでも安くないお金を払っていて、いざ助けてもらいたいと
いう時、全世界に向かって自分の所属している組合のトップとそこに追随する立場の人々に
「まあこの人の言ってることで私は困ったことないんですけど。なぜなら行動したので」
「そうだそうだ!」
って枕に言われるのはしんどすぎる。
あらゆる行動、交渉が実現する時に、自分の、またその作品の価値が出版社の考慮に
入っていることは当然として、だが彼はあえてそれは言わず「出版社次第」と言う。
実力の世界での「相手次第」というのは「交渉しようとしている『お前の価値』次第」と
「お前が売れてるなら払ってもらえるかもね。知らんけど」
と言っているのと同じである。
助けてと言ったら(なんならまだ助けてとも言っていない)必ず一度は(直接的、自覚的でないにしろ)
確定でパワハラモラハラされるのが分かっていて、何故金を払ってまで所属せねばならないのか?
穿った見方をすれば、
「そんなことで文句言うなんてお前本当に漫画を描くのが好きでやっているのか?漫画を愛して
いないのか?だからそんな不満が出るんだ」
まで言われて責められてるような気持ちになる。
(だいぶ穿っているがそのような方は多いと思っている。ただこれも印象である)
別に全面的に味方して欲しいとかではない。してくれれば嬉しいがそういうものではないことは
わかっている。金払ってるんだから何もかも解決して欲しい、都合のいいようにしてくれないと
困る、などという寝言のためにこんなくどくど言っているわけではない。
作家が決死の思いで出したヘルプに対して「自分は困ってない」とわざわざ宣言するな、と言いたいのだ。
無関係な有象無象が言っているのは構わなくはないがまだいい。よくはないが。
そんなつもりはないと言うだろうが実際そうとしか解釈できないし、そう解釈したから
有象無象が困っている作家にクソリプをし、出版社が「大御所先生が困ってないと
なのでこの人だけは言ってはいけないと思っている。言ってはいけないに該当する人は他にも
いるが誰も彼もが人格者ではないだろうからそこまでは求めない。せめて総括トップ(と世間的には思われている)
そりゃ困ってないだろう大御所爆売れ作家で協会のトップなんだから。なぜ言ってはいけないかが
分からないのなら、このたとえでいいかわからないが財産を漫画家の年収中央値にして自分の
ブランドが通用しない業界で、世の中や法律では対価を払うようになっているし他の人は払って
もらっているのに仕事相手がここぞという時になると「慣習で支払ってない」と返してくる現場に10年
くらいいればいいのではないか。よほど器用で頭が良い体力のある若者でなければうまくはいかないだろう。
なにもその困ってないことをこの世の道理を捻じ曲げてでも変えてほしいと言っているのではない。
主張をするのにも順番があるだろうということだ。
「困っている」と言ったのに対して一番最初に言って欲しいのは
「どういうことで困っていますか」
ではないだろうか。
原因はなにか、どのような対策をしたか、結果どうなったか。聞き取りしたうえでどうすれば良いかアドバイスし、
必要なら人を紹介する。どうしても無理なことならそれを専門家に説明してもらう。
自分の主張や感想は後でいいだろう。少なくとも他人を助けようという立場にいるのならそうするの
ではないだろうか。
転んで膝を擦りむいた者に「俺はつまづいた時は手を先に出します。それで体を支えて怪我を
しないようにします」と道端で大衆に向かって叫んで「そうだ、俺だってそうしてる」「昔からの慣習で
そうやってる」とかいう人が集まってきたところで「ここで怪我してる人がいるって聞いたけど」と
手をさしのべられても「ありがたい!やはり頼りになる」となるだろうか。
※ありがたいと思われたいからやっているわけじゃないだろうというのもあるだろうがこの辺のニュアンスが
わからない人には永遠に分からない課題だろうから今のうちに離脱した方がいいと思う
我々の時代は、とか自分の場合はこうだった、とかは後でまとめていえば良いだろう。まず困っている
人の話を聞くのが先だ。なぜ自分のことを言いたい気持ちを一旦飲み込んで困っている相手に
何があったか、わかる範囲ですら調べず衝動で余計なことを書いてしまうのだろう。その衝動が
漫画家の口を塞ぐことになると考えないのは何故なのか。
ご本人は全く悪気はないようなので、自身の発言の内容(主に言い方)、タイミングがいかに
衝動で発言している。今自分が思ったことをすぐに発信しなければと思いたち行動に移してしまう。
それによってどのような人がどういう気持ちになるのかを一切考えない。なぜなら自分の考えを
発信することで頭の中がいっぱいだから、他人のことを考える余裕などないのだ。
結果、困っている作家は彼とそれに追随する作家たちに自分の困り事を(事情も知らないのに)
否定され、なんなら
「こいつ売れてないくせに文句だけ言ってる」と外野に嘲笑されさらにストレスを抱えるることになる。
ところでこういう放言に関して、気にしなければいいとか売れている売れていないが本当か
どうかが問題ではない。その言葉が相手を傷つけようとして言われているということそのものに
ストレスを感じるのだ。禿げていなくてもハゲと罵られたら傷つく。美人でもブスと言われたらムッと
するだろう。言葉の意味よりなんのためにそれを言われたかが問題なのだ。
話を戻す。そもそもSNSやWeb上で告発するのならそのようなことを言われるのは承知の上では
あろうが、それを招いたのが自分が所属している協会のトップだったらたまらない。彼が基本に
則った正しい対応をしてさえいれば避けられた出来事なのに、自覚すらもないのだ。
そして「僕は自分が知っていることを言ったまで」と発言の責任を取ろうとはしない。
それは言葉だけを見れば事実かもしれないが、時と場合によっては受け取る側の捉える意味は
変わってくる。
ここで渾身のこのセリフを、このタイミングでこのシーンを、半生をその采配に費やしているはずの
人間が分からないはずがないと思うが、一切反省も取り繕いも改めることがないのだから、
そこのところがもう手遅れなのだということだけはわかる。
最終的には手を差し伸べているのだから意地悪をしたくて余計なことを言っているわけではないの
だろうとも思う。ただただ衝動が抑えられないのだと思う。新聞やネットニュースの見出しだけで
こうだろうと予測し引用してしまうのと同じなのだと思う。でも彼が言及するその出来事は、
彼ならすぐに解決できた大したことではない出来事は、できる限りの手を尽くしたけれど及ばなかった、
という悔しい思いをした作家が心の持っていき方を知りたくて、なにかもっといい方法が
なかったのか知りたくて出したSOSなのかもしれない、ということを考えてほしいと思う。
あと、会費がいくら余ってて今まで何に使ったのか今後何に使う予定なのか一年に一回
くらいまとめて各所で公開したらどうでしょうか。出版社からも一編集部につき1万円ずつ
徴収していると聞きましたが、それでものが言えなくなるなら徴収するのはやめたほうがいいと
思います。
出版社については資本の大小や方針に色々あるでしょうから法律に違反していたり法律に
違反していないからとギリギリのラインで倫理のないことをしていなければ漫画家の言い分
ばかり押し通すのも無理な話だということは重々承知しています。良い関係でWINWINで
やっていける、譲れるところは譲りもらえるところはもらうで柔軟にやっていきたいところです。
いろいろな作家がいるなか絶対的な答えはないと思いますが、互いに尊敬しあえる関係で
いたいと考えています。
ですが漫画家の総括トップ(のような位置にいる人物)は漫画家寄りでいてもらわないと困ります。
もし仮にこの文章が彼の目に入り衝動にかられたらとき、自身の行動の問題性を全く自覚する
つもりがないなら、彼はタイトルだけ見てこの元ネタは何なのか調べもしないでまずこう言うのでは
ないだろうか。
ジェンダーとは社会的・文化的な性規範のことであり、時代や地域ごとにそれぞれ存在しうるものだ
そのはずなのだが、トランスジェンダーを名乗る人々が存在の前提に掲げるジェンダーは、なぜだか彼らの中では共通かつ一義的な概念である 現代のトランスジェンダーが言う「ジェンダー」とは、西欧の・もしくは既に西欧化されたジェンダーにほかならないのだ
これは異文化の透明化であり、本来各時代・地域に存在したジェンダーの淘汰と抑圧でもある そのうえで、トランスジェンダーの多くは、このことに対して特段の説明を避けており、無自覚ですらある
(説明すれば彼らは連帯のための一つのよすがを手放し、彼らの存在根拠である「性自認」の概念までも揺るがすことになるので、触れたくない気持ちは十分に理解するが)
トランスジェンダーは性的マイノリティだが、その一方で西欧文化というマジョリティのもとに存在していることに自覚的な必要があるだろう
生きる実感とか情熱とかそういうのを求める気持ちって、実際にそれを手にするか追い求めてるか、そうでなきゃ蓋でもしない限り一生まとわりつくんだろうなって思う。10代だろうがそこをとっくに過ぎようが。
でもそれときちんと向き合えるバイタリティある人間って実はそんなにいないのかもしれない。働き始めでもしたタイミングで、余裕のない中で自然と忘れてしまうもんなのかもしれない。そうやって曖昧に忘れていると、少し余裕が出てきた頃にまたぶり返してしまうのかもしれない。それこそが中年の危機というやつなんだろうなって思った。こんな言葉が存在するくらいにはそういう連中も珍しくないんだろう。
その歳になって初めてそんな悩みを抱えるなんて、それまで何考えて生きてたんだ?そういう事抜かす奴は?って今まで思ってたけど。
自己実現とかそういう話題を「そんな思春期じみたナイーブな悩み!」とか強く毛嫌いする奴に限って、案外同族嫌悪なのかもしれないなって思った。
その人が、高齢出産は出生率がどうのこうのとかダウン症がどうのこうの、というコピペを貼り付けて面白がってたのを知って
不妊治療中の身としては、やっぱりセンシティブな部分だし、傷ついたというかガックリきたというか、やるせなくなっちゃったんだよね
ああ、Colaboを支持する人達は、こうやって「自分達とは違う」人間の価値観や、思想や、希望を、簡単に踏み躙って嘲笑う事を楽しめる人達なんだなって
どこまで自覚的にやってるのか分からないけど、他人が大切にしているものや、願いを、平気で愚弄できる人達なんだなって思わされた
別にその熱心な支持者だけがそうでは無く、似たような傾向・言動の人が多いだけに、尚更
政治とか党派性とか、思想関係ない所でこうなのだから、それらが異なる人達、「自分達」以外の人間がどう扱われるかなんてのは、自ずと想像がつく
自分がいつそのカテゴリに放り込まれて、いつ尊厳を傷つけられるのかが分からない、それが怖いし恐ろしい
確かに、Colaboや関係者を支持する事を表明している、ブクマカや増田は、「自分達」以外の思想、価値観、願い、希望、存在異議を認めない様な人間が多いなって感じた
そんな人達が支持している、いや支持「出来る」存在は、気持ち悪いとか信用出来ないとか、そういったネガティブな感情を超えて、ただ只管に「恐ろしい」
支持している人達も含めて
たとえば暑苦しい気候で会社員がそれでもジャケットを羽織るのは、全くもって気が狂っているとしか思えない。自分もそれは望まない。
さりとて環境にそぐわない服装を要求される場面は多々ある。良い悪いの問題ではなく、いくら暑くともTシャツ一枚で冠婚葬祭に赴くのがズレているのは間違いない。
自覚的であれ無自覚であれ、そういう場面でズレてるとつまらない損をする。馬鹿げたナッシュ均衡でも、崩そうとするよりはそれに従ってテキトーにやり過ごそうとするのはそうおかしな心理でもない。
人生の時間も、(大抵の人間にとっては)一日に絞り出せるやる気も有限だ。アイデンティティなりポリシーなり生きがいなり、よほど強い関心がある訳でもなければラクな方を選ぶ。こういう態度が現状を補強するんだろうなという自覚に蓋をしながら。
「普通」ではない人間を炙り出す対象となるのは自分だけではない。自分の選択だけではなく、鬱陶しいと思っている風習であってもそこから逸脱した他人を白眼視する事さえある。馬鹿げたコードだとは思いつつ、それに敢えて反発するのもラクではない。
ある種のコードだけでは見極められないヤバい奴だっていくらでもいるだろうけれど、少なくともそこで擬態すらしないような人間は判別出来る。逆にそういうとこばっかり見てるとヤバい奴が「まとも」に見えてもしまう。
無自覚でやってるのなら物を知らない奴という事だし、自覚的にやっているのならメンドクサイ奴なんだろう。現状を変える勝ち筋が見えているのならともかくとして。
安全圏の部外者が画面越しである種の内輪ノリを非難するのと、自分の身を以て抗議するのはまるで違う。おれはその手の「メンドクサイ」人間に対する忌避感はあまりない。単に現状を変えようとするコスト(怠惰という錘も含め)が変えて得られるものよりも高くつくと見積もっているのだと思う。
ただその手の奴を強く嫌う人間も少なからずいるようで、そういった連中はむしろ積極的にその構造を補強しようとしているのかもしれない。おれは「べき」に抗議するよりも、そうやって「べき」をそれとなく支持する奴の方がめんどくさいと思う。
TPOに応じたコードには煩わしさと、良い悪いは別にしてこういう特定の機能がある。どこまで共有されているのか分からないような美意識も。
実在するかは知らんけど、初デートでサイゼリヤを選ぶの選ばないのというのもそういう事なんだと思う。
単純にケチであるとか見栄の感覚のギャップだとかの問題ではなく、よりメタ的な部分で品定めするのもそうおかしな事ではない。
初めてのデートで格安チェーンを選ぶという、コードからのズレをどう評価するのかという。
ただデートなら集団ではなくあくまでタイマンな訳で、そこはやっぱり「社会のマナー」と違うよなって思う。
双方が「普通」のデートの作法を煩わしいと感じたのなら、日本中の会社員がいっせーのでスーツを脱ぐよりも遥かに簡単だ。
私はもうかれこれ数年家で仕事をしている。時間には縛れていない。
しかし忙しい。余暇がない。部屋が片付かない。仲の良かった友達とももう1年以上会っていない。
軽い鬱なのかもしれない。少なくとも今メンタルがいいとは思えない。
私は1日の時間の使い方がどうしようもなくとっ散らかっているのではないか。
1日の中には毎日繰り返しやらなきゃいけないことがある。顔を洗ったり歯を磨いたり薬を飲んだり洗濯機を回したり買い物に出掛けたり。
こういうタスクを1日のスケジュールの中に無作為に詰め込んでいくと時間がどんどん細切れにされてしまう。
細切れにされるとどうなるか。長時間集中したりどっしり腰を据えて取り組むべき仕事や作業が手につかなくなっていく。
すると長時間集中して取り組めば得られるはずのスケールメリットが失われる。
1つの仕事を2分割や3分割にすることで1回で済むはずのやる気スイッチを2回も3回も入れ直す必要が出てくる。
効率を意識するなら毎日の些細なルーティーンに気を取られず過集中気味に一つ仕事に没頭する時間を長く取るべきではないか。
見渡せば部屋が散らかっている。私は余裕がなくなるとよく部屋が散らかる。
部屋が散らかるとはどういうことか。
空間を整えるのがうまくいっていない…?
ふと思う。このようにx,y,z軸方向の制御がうまくできていないことにはなんとなく自覚的でいられる。
こまごましたルーティーンを1日のあちこちに挿入して集中できるはずのまとまった時間をいたずらに分割している今の私は空間のみならず時間軸方向にも散らかし癖を発揮してしまっている。
時間軸方向への散らかりは部屋のように俯瞰することができない。
散らかっていることが他人にバレにくい。だが同時に私は自分でも気付けていなかった。
若い頃、26時間ぶっ通しで仕事の資料に向き合い完成と同時に眠りについたことがあった。
極端だがああいう日のスケジュールには整理された本棚やごみ一つない床のような清々しさがあったと思う。
時間と空間を切り分けることなく同じように扱い整理することができれば私はもう少し余裕を持って生き、人と会ったりできるのかもしれないと思った。
さて、私はどうすればいいのか。
・毎日のルーティーンを減らす(洗濯や買い物の頻度を2~3日に一度にする。風呂も2~3日に1回でいいかもしれない)
・毎日のルーティーンを仕事時間前にできるだけまとめて行い仕事の途中に割り込ませない
・やらなくていいことを洗い出す(具体的にはまだ思いついていない)
僕が人を殺している時、一番最初に殺すのはもちろん僕自身だ。自覚的である時もあれば、そうでない時もある。朝、目が覚めたあとにすべき事の全てが面倒くさい。洗面所の窓からはメジロの鳴き声が聞こえる時もある。たまに(本当にたまに)、恋人のことを考える。それから好きな人のことを考える。綺麗に重ね合わせようとしても、いつもわずかにずれてしまう。その差異さえも愛せてしまえたし、それが心底嫌だった。三日坊主をどうにかしようとする試みは三日で終わる。時々、近くの川でキジが羽を休ませている。君の好きな人のことを考える。君が吐き出すみじめな嘘は僕をバターのように簡単に切り裂く。泣きたくなるほど美しいと思うこともある。しかし、君は僕が涙を流すのを許さなかった。恋人に否定されると悲しくなる。君の悪事を見ているだけの僕は言葉を上手く話すことができない。君は気まぐれに誰かを僕のところに引きずり込もうとする。しかし結局逃げられる。あるいは自ら放り出す。僕はそれを黙って見ている。勝手に再生された曲は思いのほか耳触りがよくて、なんだか負けた気分になった。屋上でカラスが鳴く。うまく出来ている、と強がってしまう。芸術には必ず嘘が含まれる。しかし、チラシの裏は君の落書きで埋まっている。僕が死角の足音に怯えている間に先に行ってしまった人がいた。待っていてくれた人もいた。僕はこびりついた恐怖心を払拭することができない。弱っていると、普段は嫌っているものにも縋ってしまう。一つのベッドで二人の別々の人間が眠ることもある。そこに必然的に生まれる孤独を僕は当然のこととして認めてしまう。まるでそんなものは無いかのように振る舞うあなたがよく分からない。同時に、この断絶に気付かれた時のことを思うとひどく恐ろしい。恋人に否定されると悲しくなる。そして少し安心する。ずっと君の嘘のせいだと思っていたのに、君は黙って僕を指さした。僕の好きな人のことを考える。それは幼稚で盲目的で一方通行な偏愛だ。与えられてばかりの僕が彼(彼ら?)にだけは一方的に与えることが出来る。何故なら彼には名前がないから。それが許されていることがたまらなく嬉しい。彼に身を委ねるのは心地がいい。こうして僕は沈んでいく。洗面所の窓からはメジロの鳴き声が聞こえる。
僕が人を殺している時、一番最初に殺すのはもちろん僕自身だ。自覚的である時もあれば、そうでない時もある。朝、目が覚めたあとにすべき事の全てが面倒くさい。洗面所の窓からはメジロの鳴き声が聞こえる時もある。たまに(本当にたまに)、恋人のことを考える。それから好きな人のことを考える。綺麗に重ね合わせようとしても、いつもわずかにずれてしまう。その差異さえも愛せてしまえたし、それが心底嫌だった。三日坊主をどうにかしようとする試みは三日で終わる。時々、近くの川でキジが羽を休ませている。君の好きな人のことを考える。君が吐き出すみじめな嘘は僕をバターのように簡単に切り裂く。泣きたくなるほど美しいと思うこともある。しかし、君は僕が涙を流すのを許さなかった。恋人に否定されると悲しくなる。君の悪事を見ているだけの僕は言葉を上手く話すことができない。君は気まぐれに誰かを僕のところに引きずり込もうとする。しかし結局逃げられる。あるいは自ら放り出す。僕はそれを黙って見ている。勝手に再生された曲は思いのほか耳触りがよくて、なんだか負けた気分になった。屋上でカラスが鳴く。うまく出来ている、と強がってしまう。芸術には必ず嘘が含まれる。しかし、チラシの裏は君の落書きで埋まっている。僕が死角の足音に怯えている間に先に行ってしまった人がいた。待っていてくれた人もいた。僕はこびりついた恐怖心を払拭することができない。弱っていると、普段は嫌っているものにも縋ってしまう。一つのベッドで二人の別々の人間が眠ることもある。そこに必然的に生まれる孤独を僕は当然のこととして認めてしまう。まるでそんなものは無いかのように振る舞うあなたがよく分からない。同時に、この断絶に気付かれた時のことを思うとひどく恐ろしい。恋人に否定されると悲しくなる。そして少し安心する。ずっと君の嘘のせいだと思っていたのに、君は黙って僕を指さした。僕の好きな人のことを考える。それは幼稚で盲目的で一方通行な偏愛だ。与えられてばかりの僕が彼(彼ら?)にだけは一方的に与えることが出来る。何故なら彼には名前がないから。それが許されていることがたまらなく嬉しい。彼に身を委ねるのは心地がいい。こうして僕は沈んでいく。洗面所の窓からはメジロの鳴き声が聞こえる。
自身の容姿が好印象を与えることが、人生においてプラスの作用を齎していたかもしれないと今更気づいた話。
自身の容姿を良いと捉えるナルシシズム的発言が多々あることを承知の上で読んでください。
きっかけは、Xで見かけた女性活躍に関するポストだった気がする。詳細は覚えていないが、「女性活躍などで台頭し意見を述べる女性は見目が華やかなことが多い。それは、意見を聞いてもらえる・発言しやすい土台があったからではないか」といった内容だった。
これには心当たりがある。仕事柄、社会で一定程度の地位を獲得している女性と出会うことが多いが、同性として魅力的だと感じることが多かったからだ。
勿論、皆優秀であり努力も重ねられている人々で、容姿のお陰で登り詰めたと言いたいわけではない。
ただ傾向としてそういったことはあるかもしれないとは思った。
一方、自分自身のこと。
振り返ると、褒められることは比較的多い方ではあった(そのほとんどは世辞、というかコミュニケーションの一環だとは思う)。ただ幸か不幸か、そうした褒めを糧に優れた容姿を持つ女性といった自意識を持ち、自分を磨くということをしてこなかった。
卑屈に受け流していたわけではない。褒められればその時は嬉しいので素直に反応したり、人が多い場では困惑し流したりしていた。いずれもその場限りの反応だった。
メイクやファッションは好きだし、自身で鏡を見て「今日は盛れている」と気分が上がることもあったが、なぜかそれと他者評価は結び付かず、すべてが自身の中の絶対評価で完結していたように思う。
それは私が子どもの頃からオタクであったからかもしれない。今でこそ市民権を獲得し、オタクと非オタの垣根は随分なくなったものの、当時のオタクは隠れるべき存在でありどこか恥ずかしいことと捉える風潮があった。
日陰のものである、日陰の人格を内包している、という感覚が女性性を意識する自意識の育成を阻んでいたのかもしれない。
そんな状態であった自分が自己を顧みたのは、先述のXのポストを見た時に、以前オタク友達に言われたことを思い出したからだ。
オタクは隠すものと述べたが、自分はそうではなかった。隠すことがあまり得意ではなかったので、非オタの友人の前ではわざわざ話題を持ち出さないだけで隠してはいなかった。
そうしたことを友人に伝えたら「それは隠さなくても立場が揺らがない容姿や自信があったからでは」と言われた(親しい友人であり、糾弾されたわけではない。あくまで一意見である)。
そして、「それはあなただから言えるんだよ」といったようなことを言われたことは、この時、この友人からだけではなかったことを思い出した。
私は昨今の自己責任を強調する風潮には反対であり、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』なども共感を覚えながら読んだ。機会は均等ではなく、どのような環境に生まれるかといった運による要素も考慮しなくては、能力不足は努力不足=自己責任といった風潮が加速する。
こうした思想を持つ自分にとって、容姿という運による要素に対し無自覚でいるのは問題なのではないかと今更思い至った。
美醜の価値観は時間や場所により変動するものであり、絶対的な価値があるとは思わない。ただたまたまその場所では良しとされる傾向があるのではないかと思う。
それが優位に働いてきたかもしれないと気づくことは、ナルシシズムという悪性の萌芽であると同時に、「運良く、要領よくやってきたから」と考ええいた自分への驕りを見直す機会でもあった。自分が運だと思っていたものでさえ、更なる運により齎された可能性があるのだ。
とはいえ容姿に関する話題は非常に繊細であり、この話を人にすれば不快にさせることは理解している。だからこれは匿名で投稿することにする。
もしかしたらこの問題を突き詰めると自身も人も不快にさせる可能性があるとわかっていたので、これまでの人生で自覚的にならないようにしていた可能性さえあると気づく。
自身の発言はどこに立脚しているのか、無自覚の驕りはないかを疑うことは、してもし過ぎることはないのかもしれない。
最後に、これまで無遠慮な発言をしてしまっていた人々には申し訳なくなる。自己責任主義のようになりたくないと思っていたが、近い傾向が自分の中にもあった。多分まだ沢山あるのだと思う。自戒。
現在は少年画報社の漫画雑誌ヤングキングで、ひとでなしのエチカという漫画を連載している
基本的にそれだけだ。少なくとも私にとっては。スパイスとして暴力と巨乳が少し。
ではその話の内容とは?
普段から気になっていたが議論したことはない、そういう議題をかなりの頻度で提示してくれることだ
キャラはピエール手塚さんの普段思っていることを代弁しているだけに思う。
よってキャラ立ちや物語の大きな流れやその場その場の演出は特に優れているとは思わない。
彼の優れている点は議題のチョイスそのものにある。
だからと言って社会的に答えの出ない問題に対して、彼の漫画が完璧な答えを出してくれるわけではないが、
キャラクター同士の口喧嘩を通して各々の視野を垣間見せてくれる
ピエール手塚さんはネット上にたくさんの作品を無料公開しており、私は読めるものは全て読んだ
彼の全ての作品を好きになったわけではないが、多くの作品のファンになった
特に暴力の存在をテーマにしつつも笑わせてくれる暴力太郎という作品が大好き
好きと愛してるの違いをテーマにした恋のニノウチも最高。恋のニノウチは彼の作品には珍しくアクション作画も楽しかった!
その作品がなんだったのかはもう覚えていない
公開されている無料漫画、連載されている有料漫画、漫画皇国という彼のブログ、人生思考囲いというネットラジオ。
この辺りを中心に彼を追いかけた
彼の関わっているコンテンツで一番好きなのはネットラジオ人生思考囲い。
なんと漫画が一番ではない!
私にとって刺激的でエキサイティングなのは彼の問題提起力と視野の広さに触れること。
連載作品は説教臭くて読むのをやめてしまったが(ほんとごめん。悲劇だ。でも合わないものは合わない)彼の考えに触れることが大好きだ。
漫画が好きで描こうとしたが若い頃は一作品も描きあげることができなかった
スカウトを受け多くの読み切りを掲載し連載を勝ち取り現在に至る…
私は彼の人生を美しいと思った!とても強く!!
逆境に負けず、社会人として自立し、家族を助けつつ自分の好きな漫画を連載する!
本当に憧れたし尊敬した
彼のように強く美しく生きたいと思った
彼の読み切り漫画が好きだし彼のトークが好きだし彼の生き方が好きだ
私がピエール手塚さんをネットで耳にするとき、大抵は作品ではなく彼自身のライフスタイルが話題になっている。
通勤退勤電車でiPadで漫画制作、友達とカラオケしながらiPadで漫画制作、会社役員昇進、少し前は連載も2本で読み切りもちょくちょく載せていた。
凄まじい生産力。
どうすれば彼みたいになれるのか?ヒントはないか?ネットラジオを聞いただけでは全てはわからない
そしてついに直接的なインタビューが行われ、記事が掲載された。
これをきっかけに彼の元には少なくない批判が寄せられたことがネットラジオで彼自身から語られた
ラジオにおけるピエール手塚さんの反論と、私自身がネットで探した彼に対する批判を要約すると以下。
批判者「彼のパフォーマンスは彼が体力があるから可能なのだ。管理能力云々はその次。しかも本当に体力があるかも疑問。健康を犠牲にした愚かなスタイルなのでは?(以下人格攻撃するものも少数ながらいた)」
ピエールさん「私は善意でインタビューに応じたのだし、仮に不健康だったとして私の勝手である。だが健康診断は良好だ。あなた方の批判は主に口調が失礼だ。」
この時の収録でピエール手塚さんはかなり感情的になっていたが言っていることはまともだと思った。
彼は一時的に不調に陥っているのかもしれない。
……
人格批判は不快だろうけど、普段冷静で多角的な視野を持つ彼がここまで怒っていることを私はとても不思議に思った
こういうふうに捉えられる記事内容だったかもねと軽くあしらうのが、私が思うピエール手塚。
一方ピエール手塚さんはラジオパーソナリティから自ら降りてしまった!!
私は8月8日のインタビュー記事の批判を皮切りに彼が怒っていたのだろうと思っていたがそうではないようだ
これを裏付けるトークが2024年7月19日のラジオ第371回で行われていた
ファンからの投稿を読み上げ、それに対しピエールさん含む三人のパーソナリティが話を展開するのがこのラジオの基本形式
この回の私の注目した投稿の内容を要約すると
「ピエール手塚さんは2024年初頭から元気がないようである。加えてここしばらく自身のブログに対する批判に怒っており、このネットラジオでその怒りを発散するのはやめてほしい」
この指摘を受けたパーソナリティたちは、自分たちの身に降りかかった出来事を振り返って笑っていた。
身に降りかかった、という表現をしていたので良いことではないのだろう
彼らは投稿者の洞察に驚きつつ笑っていた。大筋で疲弊していたことを認めていた
7月19日の時点で彼はすでにブログ上で批判を受けていたようだ。インタビューは8月8日なのに。
加えて異常な繁忙期だったとも言っていた。
つまりインタビュー記事以前に、忙しく弱っており泣きっつらに蜂でブログが批判に晒されていたということか。
2024年の傾向としては会社員としての気づきに関する記事が多かったので、繁忙期だというのは間違いないと思う
ブログへの批判はこちらからは見えないダイレクトメールなどで行われていたのかもしれない
さらに中止の発表から新規で2件の映画や漫画に対する普通の感想記事が投稿されていることもわかった
それまで会社員としての記事が多い中娯楽に関する感想記事に内容が移っている
うーん
元気なのか弱っているのかよくわからない
推理ゲームで彼の心の機微に触れようとした私の行動はそもそも良くないですね
客観的に確かなことは
②インタビューと関係なくブログが批判に晒されさらに疲弊していた
の4点
爆発も自発的にしたわけではなく投稿者のメッセージがきっかけだった
メッセージ自体はピエールさんを傷つける内容ではなかったが弱った体には少々厳しいトピックだったかもしれない
ブログを読むに彼は会社の過酷な労働環境を改善したいと普段から努力している側だが
しかし自分の生活は過酷であり、さらにその点が世間から評価されインタビューまで受けているのだ
その生活を生き抜く工夫はもはや工夫ではなく彼の作品だと私は思う
それを善意で公開して批判されたら傷つくのは自然なことなのかも
その手法が賞賛される社会に単純になって欲しくないと私は思う。
ピエールさんは個人の頑張りとして話しているのだから強制なんてしてないけど
褒めるな止めろということだが、そんなことしたから本人は鬱陶しがってるわけだ
ラジオの共演者たちも彼の疲弊には気づけていても、彼の怒りには気づいていなかったのだと思う
メッセージを選ぶ立場のパーソナリティは爆発回のアーカイブでこう言っていた
「手塚さんがこんなに傷ついているなんて知らなかった」
身近にいても気づけないのはピエール手塚さんが自分の不機嫌をある程度隠せる我慢強さを持っていたからだろう
私もラジオを聞き返してここまで真剣に怒っているとは最後の爆発回まで気づけなかった
他の過去回を遡ると、忙しすぎてやばいので会社をさっさと辞めろと言われている回もある
これは半分冗談のように聞こえたが半分本気で心配していることでもある
批判者から見ても共演者から見ても無理のある生活を続けているように見えるのだろう
私も無理だろうなと思う
健康診断が大丈夫なら肉体は大丈夫なんだろうが、精神面での無理が爆発を招いたのだろうか
以上の結論は
ピエール手塚さんのように強くなれない脆弱な私が、ピエール手塚さんの強さを封じ込めようとした呪いだと思う
その側面は間違いなくある!
ファンを自認している私ですらこれだ!
認めたくない汚い部分!
認めたくはないが、彼のスタイルがもしスタンダードになった場合、私は間違いなく社会から落第する体力しかない…
彼は強く私は弱い
出る杭は打たれる
私と批判者の間にある違いは、杭を打つ力を心配と呼ぶか批判と呼ぶかだけだ
彼は強さの秘訣を弱者に開示しようと努めてインタビューに応じてくれたのだろう
でも弱者のいる後ろを振り返らずに高いところまで走って逃げるべきかも
その力も強さも持ち合わせているように思う
でもきっとなれないと自分でわかってる
その弱い自分に自覚的になりつつ、強い人へのやっかみをしないようにしたい
かっこわる
おわり
すごいびっくりした‼️‼️‼️
この記事が思った何倍も色んな人に読まれて、色んなコメントを貰っていることにいまさっき気が付きました。増田のことはいつも「自分の思ったことをノンストップで書きてえ〜」っていう壁打ち程度の感覚でしか使ってなかったので、どんな意見でも形として頂戴できたことが純粋に嬉しいです。皆さんどうもありがとう‼️
というわけで親記事に付いていたコメントにいくつか勝手に触れさせていただこうかと。
・「そのためのタイミー」
→これは私自身もめちゃくちゃ実感してます。隙間バイトアプリの存在って色んな意味で大きいんですよね。どうでも良いけど個人的にはシェアフルの方がUIとか検索条件の相性とか金払いが良いので気に入ってます。オススメ。
実は接客・非接客に関係なくこの類のアプリで単発シフトに何回か入っていると、雇用元の担当者から「うちで正式にシフト入らない?」っていう勧誘が発生し得るというケースがあるんですよ。私自身も今の勤務先はそういう経緯で働くようになりましたし、別の非接客単発でも同じような事があって社員になったよ〜っていう人と遭遇したので、まあまああることなのかもしれません。
隙間単発は良くも悪くも特定の雇用とか固定のシフトがあるわけじゃないので、色んな場所の色んな仕事をちょっとずつ試せると思えば、正式な仕事とかアルバイトを新しく探すまでのステップとして案外有効かもしれないですね!良い時代になったな〜
→そうですよ‼️‼️‼️金貰えないのに40,000字の感想文提出したこともあります私‼️‼️‼️
多分こういう誰にも求められてなくて金にもならない、一見すると無意味に思えることに矢鱈集中してしまうのも、言ってしまえば特性のひとつなのかもしれません。「テストが近いと部屋の片付けに身が入りがち」っていうあるあるの過剰版だとでも思ってください…
ところではてなと専属契約すると金銭が発生するのは知りませんでした。ブロガーみたいな感じですかね?ただお金のために長文書くのは、少なくとも私には無理かなあ
・「分量から本物感が否応なく伝わってくるからタイトル読んだだけでタイトルの内容を信じられるわ」
→パンチラインが絶妙なコメントでちょっと笑っちゃいました。私自身も「自分は誤魔化しの効かないホンモノだろうな」とは自覚してるのですが、それを医学的に証明してくれる人を探すのって本当に大変なんですよね…。「診断して欲しい」って言っても抗うつ薬だけ渡して突っ返しちゃうお医者さんばかり、もう何軒たらい回しにされたか分からないくらいです。
余談ですが5軒目くらいで漸くWAIS-Ⅳのテストを受けさせてもらうことが出来まして、結果的に「情報処理能力だけ他の能力よりIQが30以上低い」という事実上のホンモノ判定をちゃんと獲得してます…!それでも確定診断は出してもらえなかったんですけどね……どうしようねこれ。
そんなわけでホンモノのホンモノによるホンモノのための増田なので、元記事のことはちょっとくらいなら信じてもらってOKです!専門家じゃないし、後のコメントにもありますけど「スペクトラム」なので、過信は禁物ですけど。
・「スペクトラムなのでできる人もいればできない人もいる。なんか、千差万別なのに一律にこうみたいな印象持ってる人が多いのなんでだろう」「『スペクトラム』のことを考えると『場合によっては』というのは正確でない 増田はただできるスペクトラム位置に属する脳」
→これは読んで個人的にハッとさせられるコメントでした。いけませんね……昔からかなり気を付けないとどうしても視野が狭くなりがちなんです。しかし同時に、こういう狭量な物の見方って発達障害の人によく見られるような気もするんですよね。決めつけが早過ぎるというか…
自閉症とアスペルガーが全く別物の障害なのでなく、それぞれ他の特性と共にグラデーションで繋がっている。「場合によって」というより、「人によって」「特性次第で」という方が正確なのでしょうかね?少なくとも私個人に関しては、結構な歳になって自覚的になるまで、あまり周囲から深く疑われた試しがない程度には、仰る通り「できるスペクトラム」の者なんだと思います。
本当に、発達のバランスって千差万別だな〜って思いますね!「我々はちょっとピーキーなだけで、やれることだって沢山ありますよ!」っていうことを、出来れば多くの人に知ってもらえたらな……という思いは昔からあったりします。そういう多様且つ寛容な見方を持てるように、発達民も定型民も隔てなく皆で努めていけたら良いですよね!
・「支離滅裂なクレームつける人が店員側になったら支離滅裂なことを言ってクレームを跳ね除けるよ」
実際こういうタイプの人ってどうなるんでしょうかね?個人的に思うのは、支離滅裂なクレーマーというのは「お客様は神様だから従業員は強く返してこられないだろう」という身勝手な優劣関係への甘えから発生する人が圧倒的に多いような気がするので、店員側になると今度は己の立場の弱さを自覚して緘黙的になっちゃうんじゃないかな〜と思ったり。客の立場であっても、私ら従業員が毅然と正論と誠意を向けて「あくまでも対等な人間同士なんだぞ」ということを言外に突き付ければチキって急にしおらしくなる人、めっちゃいます。何なら今の職場はゴネ得の爺さん婆さんばかり来るので、そんなのばっかりかもね…笑
支離滅裂なクレームに対して同様に無茶苦茶な返しができる人って結構レアじゃないですか?うまく説明できないのですが、クレームっていちいち反応してたらキリがないので「自分自身に直結すること」「直結はしないが店舗側に非のあること」「駄々捏ねてるだけ」くらいの脳内選別は発生するわけですよ。まあこの辺の線引きもその人次第なので、全てのクレームに傷付いて泣きながら謝る人がいれば、逆に「はぁいすんませーん」で済ませちゃう人も勿論いる。んで多分危惧されるタイプの人種はこの場合「何言ってるかよく分からない人の喚きに勝手に傷付き勝手にキレてる」ってことになるわけですよね…?え、怖
そんな地雷原の擬人化みたいな人も、この広い世の中なら稀にでも居るんだろうなあ…と思えちゃうのが何とも…って感じですけどね。ただ間違いなく、接客という場面でこのムーブをかましたら誰がどう見てもヤバい奴でしかないのは明白なので、第三者の判断によって即刻クビになるんだろうな。それで「お前は仕事をクビになるくらい他者への応対が最悪なんだぞ」という自身に捺された烙印を自覚してくれれば良いんですけどね……ああ多分こういう人たちには無理なんだろうな…。いや全く、仰る通りです。
・「お得意様への継続的且つきめ細かいサービスはASDに期待しないこと」
→そうこれが言いたかった!コメントしてくださった方ありがとうございます。
これが必要なのってまさにアパレルの店員とか、或いはBAさんとか百貨店の外商さんなんかもそうなのかもしれないですね。この類のお仕事は物を合ってるように見えて実際は付随する体験とか、そういう実体化しない部分の価値を体現するための職業なので本当に高度というか、一般的な接客業とは別種の何かとして捉えた方が良さそうだとさえ思いますね。本当に脱帽です。
・「家電店の店員さんでASD的なぎこちなさの人いるけど、こちらからたずねると各社ごとの傾向とかスペックの違いとか聞きたいことは詳しく解説してくれるのでとても良いと思う」
→私が家電2社で働いていた感じですと、若い社員のお兄さんとか委託派遣で来てる販売員のおじ様方にこういう感じの人が多かった覚えがありますね。商品に詳しいのもそうですけど、特性的にいつも余裕がないお陰で変なものを売り込んでくるとか無理なサービス付帯を勧めてくるとか、そういうのがかなり少ないのも、家電系ASD民の良いところなんじゃないかなと私は思います。
家電業界って不思議ですよ。ギークっぽい人と体育会系っぽい人が同じフロアで勤務しているなんてザラですからね。但しその割合は扱う家電の種類によって結構変わったりもするので、広くて品揃えの良い店舗に行くと毛色の違いが見えてきたり…するかもしれません。主観ですけど前者が多いのはカメラとオーディオ、PC等のガジェット系コーナー、後者はテレビとか白物系みたいな大型家電のコーナーに多かったような。
・「『自分(ASD)ですらできるから皆できるだろう』みたいな感覚も断絶を生むっていう視点も忘れないでほしい。生理が軽い人が重い人を怠慢だって糾弾するみたいな」
→これ、先ほども似たような内容に触れましたけど、自戒としても忘れたくないですね。私は女性なので生理の例えが本当に分かりやすくて。
生理にしても発達障害にしても、症状には個人差が勿論あって、そのいずれにしても「その人だけの痛み」が必ずあるんですよね。そこに優劣は決して存在し得ないわけで。
「この程度のことどうしてできないの?」という考え方は自己肯定感の低さから生まれやすいのだとよく聞きます。そして特に発達民は生きてる中でのやりづらさから自己肯定感が低くなりがちなのだということも、自身の感覚からしてもよく分かります。だからどうしても陥りやすい罠みたいな感じなんでしょうけれども、それぞれの苦しみにたとえ寄り添えなかったとしても否定だけは絶対しないように、気をつけていこうと思います。
・「ASDの身内は商品知識が豊富になるゆえ営業や接客の成績良かったけど、社内の人間関係が崩壊して鬱になるを繰り返していたな...」
→これはちょっと実感として思い当たるところあるんですよね…。これもまた人によるのだとは思うのですが、例えば「同僚の談笑の輪に入れなくて孤立する」とかはあるあるだったりします。反対に首を突っ込み過ぎて衝突が絶えなくなるタイプの人もいると思います。
お客さん方と違って、同じ職場で働く人たちは何度も顔を合わせることになるわけですけど、そういう全くの赤の他人と言い切れなくなる微妙な間柄の人たちに、どんな話、どんな行動をどこまでして良いのかとか、そうやって距離感を推し測ることが、少なくとも私はかなり苦手ですね。
そういえば最近「学生さんは友達作りのためにバイトを始める場合がある」という話を聞いてめちゃくちゃ驚いてしまったことを思い出しました。私じゃあ絶対思い付かない動機ですって…
・「マクドみたいなマニュアルちゃんとあるところの方が向いてそうかなと」
→ごめんなさい、これはマジで仰る通りです。ただ私が元増田で「個人経営いいよ〜」と言った気持ちも嘘ではないです。でも確かに、ちゃんとマニュアル化されているか否かというところは、ASD持ちにとって働きやすさに直結する重要な事項であることは間違いないですよね。またテキトーなこと言っちゃったな…。
個人的な意見ですが、マニュアルの細かさと同じくらい重視したいのは「行動の二者確認をしてくれる人を調達しやすい」という点ですね。私の場合往々にしてメモとか忘れてしまうので、どうすれば良いか分からなくなった時、やろうとしていることが正しい手順を取れているのか確認したい時に「どうでしょうか?」と気軽に訊きに行ける人が居るか居ないかでは働きやすさが明らかに変わる気がします。規模感の小さな店は大型店舗よりも店内がのんびりしていることが多いですし、従業員の距離感が比較的近かったりもするので、仮にマニュアライズが進んでいなくても「誰かに訊く」ということがやりやすいから働きやすいよね、という感じの意味合いで書いたんだと思います。
ただこれは本当に私個人のケースって感じですよね…。私は他人に指示を仰ぐことに慣れていますし、取り敢えず誰かに声を掛けようとすることに抵抗もないからそう言えるだけであって、発達民は寧ろ質問の不得意な人の方が多いまであるかもしれないわけですから…。
・「逆に多動気味の自分に、不特定多数のマルチ接客を繰り返すホテルは向いてた。」
→こういう事例をいただけたことが今回本当に有り難かったです。私は自身の特性の感じからして「自分にホテル接客は難しいだろうな」という風に昔から思っていたのですが、こちらの方はご自身の特性とホテルのお仕事が見事にマッチしていたんですね!
特性に合った職業を見つけるのって、やはり大切なことなんですね。
・「発達障害大好きはてな民笑 発達障害ならなんでも飛びつくw」
→はてな民に限らず、ネットの人って発達障害の話が好きというか、どんな形であれ関心があるのって、一般社会の空気感の中では特異な感じがしますよね。身近に発達障害者がおらず、且つSNSとかもあまりやらないタイプの人だと「発達障害というワードすらピンとこなかったりするよ」と身内に言われた時はちょっと悲しくなりましたね。「ああ…私らの生きづらさを理解してもらうのに先ずそこから説明しなきゃならないのね…」的な。
・「ASDの人は証券会社がいいですよ。資本主義の者たる証券会社は人間性云々ではなく、金になるか金にならないかだけが価値なので、ASDでも勝てます」
→すごい、一見すると「人の心ないんか?」っていうコメントで笑っちゃいました。
しかしこれは間違いないかもしれません。ASDに人の心が存在しないのは、まあ…多分高確率でそうなのだろうという自覚はありますからね。
露悪的に振る舞うつもりはないんですけどね、元増田でも言った通り他者をある意味モノのように扱いやすいきらいがあるので…。
大体のコメントには触れられただろうか!
これを書いている時点でも41件もコメントをいただいていたらしくて相変わらずびっくりしてるんですけど、一つひとつ読ませていただくうち、あんな長ったらしくブツクサと書き殴ったような文章だったのに、それでも真剣に読んでご意見を寄せてくださった方がとても多いことに気がつきました。
いや本当、皆様お読みいただき、コメントも寄せていただき誠にありがとうございました‼️‼️
そして今回の増田もアホみたいに読みづらくてごめんなさい‼️‼️許して
本当は全く別の何かを書き込もうとしてログインした筈なのに、感極まってお返事コーナー(?)やってるうちにすっかり忘れてしまいました。
細身フェチの男にとって、155cm48kgの女性と結婚するのは、かなり危険な賭け。
体型以外の相性が良いから結婚に踏み切ったのだろうが、その決断の裏には、「愛する男を喜ばせるためなら、ダイエット位してくれるだろう」という甘い見通しがある。
できれば42kg位まで絞ってほしい、せめて45kgは切ってほしいといった、期待を抱いていたのだろう。
しかし、いざ結婚生活がスタートすれば、妻は減量はおろか40kg台の維持すらできず、6kg太ったわけだ。そして夫は絶望してしまった。
日に日に太く重くなる相手から「愛している」と言われても、「じゃあなぜ太るんだ…。愛があるなら体型でも示してほしい」と思うだろう。
「体型ごときで愛情が揺らぐなんて」という罪悪感があったとしても、まだ30代前半なのだ。がっちり性欲はある。それなのに妻は欲情しがたい身体になっていくばかり。浮気をしない限り、自慰等でごまかしながら老いて死んでいくしかないという状況。これは辛い。
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細身フェチ既婚男性なので、夫側に同情して書いた。とはいえ夫側が悪いが。
結婚の時点で、もっと体型や体重を重視して相手を選ぶべきだった。性癖はなかなか矯正できないから。
妻が、最低でも結婚時の体重まで戻し、できれば更に絞れれば、夫の「離婚したい」という気持ちは失せるだろうし、夜の営みも回復する可能性は高いとは思う。妻の心身が「私はもう無理」とならない限りは。健康リスクがそれなりに高いので推奨はしがたい。
[B! 山田太郎] 山田太郎議員、クレカ規制の撤回に成功。次回参議院選挙の出馬は白紙…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2419641
クレカ規制の本質は大したことではないのだが、その簡単なことを理解してないアホが多すぎる。
GAFAMにしろ、クレカ会社にしろ、こうした企業が行なっているのは、犯罪に関連するものにはサービスを使わせないのが利用規約、それだけだ。
殺人、詐欺、麻薬などの犯罪に関わるものにはサービスを提供しない。ここに異を唱えるバカはいないだろう。
このところ頻発しているクレカ規制は、単にそうした犯罪である非同意性行為や児童ポルノを扱っているので、プラットフォーマーにサービスの利用を拒否されたに過ぎない。
ワード規制は行わないと言質をとった?アホすぎる。最初からプラットフォーマーはワード規制など行なっていない。違法コンテンツにサービスを提供してないだけだ。今回、VISAのVP(Vice President)は、そもそもやってないことを、やってないと明言したに過ぎない。
ところで、VPは副社長と訳されることがあるが、日本人のイメージする副社長とは全然違う。何人もいる事業責任者の1人に過ぎない。欧米の大企業ならVPと名乗る人は2桁は必ずいる。VisaのVice ChairはKelly Mahon Tullierでこの人が日本語でいう副社長に近いと思うが、山田太郎が会ったのはVice President Payments Policyだと言っており、単に支払いポリシー部門のトップということだろう。少なくとも以下の経営陣のメンバーではないように思われる。名前を出してくれたらわかるのだが、突っ込まれたくないから敢えて名前を出してないという見方もできる。
https://investor.visa.com/corporate-governance/board-of-directors/default.aspx
話は戻るが、結局プラットフォーマー基準で犯罪だから、使わせない、それだけに尽きる。直近だと、とらのあなのニュースがわかりやすい。
「とらのあな」で作品掲載停止、作家の報告か話題 決済会社の「児童性的虐待コンテンツに該当」削除要請が背景か(オタク総研) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce62d6bb70e3dc04c102220587b154ec3bacd94f
先日、決済会社様より貴サ一クルの下記作品が児童性的虐待コンテンツ(CSAM)に該当するとの通知があり、販売停止ならびに通販ペ一ジの削除の要請がございました
国際的に犯罪だとみなされるCSAMを扱っているから止められる、それだけである。
同記事にまた的外れなコメントが載っていて、ただ、これが日本で一番誤解されている、理解されてない部分だと思う。
該当作品は年齢制限付きのアダルトコンテンツとなっているが、アーカイブページなどを参照した限りでは記録物ではなく、イラストによる架空の創作物だった。そのため、この報告を見た一部ユーザーからは「CSAMには該当しないのでは」と決済事業者側の要請内容に疑問を呈したほか、とらのあな側が「要請内容の伝達ミス」の可能性も指摘するなど、さまざまな意見が飛び交っている
架空の創作物ならCSAMでない、そんな常識は世界的にはない。イラストであろうとCSAMはCSAMである。
例えば以下はGoogleの一部のポリシーだが、「子どもの性的虐待のすべての画像(漫画も含む)や、子どもを性的に表現したすべてのコンテンツ」と明言されている。
https://support.google.com/faqs/answer/7425194?hl=ja
子どもの搾取に関連するコンテンツ: 子どもを搾取または虐待するコンテンツは禁止されています。これには、子どもの性的虐待のすべての画像(漫画も含む)や、子どもを性的に表現したすべてのコンテンツが含まれます。Google ではこのようなコンテンツを削除し、アカウントの無効化や関係当局への報告など適切な措置を講じます。
ここが世界と日本のギャップを生んでいるところなのだが、日本では実在の児童に関わるものでなければセーフとされている。しかし、それは世界では非常識なのだ。日本でコンテンツを楽しんでいるあなた方には文句があるだろう。しかし世界的には犯罪とみなすのが標準なのだから、あなたが要望しなければいけないのは「ワード規制をするな」ではない。そもそもワード規制はされていないのだから。
あなたが要望しなければいけないのは、犯罪とみなす基準を変えろ、である。
あまりいい例ではないかもしれないが、覚醒剤やコカインは麻薬だから規制されてしかたないが、マリファナは麻薬じゃないと主張するようなものかもしれない。ちなみに欧米を始めとしてマリファナが合法化された国や地域が増えているが、クレカ決済は使えない。おそらく合法でも、プラットフォーマ基準では麻薬だからだと思う(これに関しては完全に推測)
なので、クレカ規制をされたくないのなら、マリファナはハードドラッグではないので麻薬とは区別して扱ってくれ、と主張するような努力が必要なのだ。イラストや漫画のような非実在の児童ポルノはCSAMではない、という国際的な合意をとらない限り、今後も日本の各サービスではクレカ規制が発生すると断言する。
山田太郎のやったことは何の意味もない。ワード規制はそもそも行われていない。今後もイラストや漫画であっても、国際的にCSAMとみなされるコンテンツを扱うサービスは、クレカ規制を必ず受けるだろう。
id:coper 「山田が聞いてきた現状の説明のことを執拗に“言質”と言い張る世間知らずがここにも登場している」言質を取ったと言ってるのは私ではありません。このポストは https://togetter.com/li/2419641 に対する投稿であり、まとめの中で言質とおっしゃられている方々がいるので、それを引用しています。なので「“言質”と言い張る世間知らずがここにも登場」と書かれていますが、「ここ」ではなく、該当Togetterと書きたかったのですよね?そちらにもコメント残されているようですし
id:proverb 「本当に犯罪ならクレカ会社の前に警察が動いてる」警察が動いてなければプラットフォーマーが何もしないなら意味のあるコメントかもしれませんが、そんなことないですよね?例えばGoogleに垢BANされた人は警察に追われていたのですか?CSAMが取り締まられる理由を犯罪だから、と雑に括ったからこういう反応が出てると思うが、とらのあなが具体的に明かしてくれたように現実としてCSAMだからクレカ規制は行われている。
id:Winston_Smith2b 「非実在が合法なのは日本だけでは無い。台湾やアメリカなども合法」アメリカが合法とも言い切れません。 https://en.wikipedia.org/wiki/Legal_status_of_fictional_pornography_depicting_minors プラットフォーマーの利用規約は違法行為にはサービスを提供しないことを謳っていますが、無駄なリスクを取ってもしかたないので、グレーゾーンは厳しめに扱うのが一般的です。合法な国があるからOKとはならないのがこの問題。
色々コメントいただいてますが、一部に緩い国があっても、非実在でもCSAMっていうのが流れで、この流れは全体的には進む方向なので、山田議員が何をしようとクレカ規制の現状は変わらない。DL.Getchu.comにしてもこのポストがぶら下がっている anond:20240817073400 が指摘するようにCSAMコンテンツは復活していない。
このポストは国際的なプラットフォーマーがCSAMに非実在を含むことの是非は問うていません。私個人としては被害者なき案件は表現の自由を鑑み慎重に扱うべきとは思いますが、現実として国際的なプラットフォーマーがCSAMに非実在を含めている以上、解決策はローカルな手段を使うか、プラットフォーマーに縛られない手段を使うことしかない、ということになります。
本人が自覚的か否かは知りませんが、山田議員のやっていることは問題解決に何ら貢献しないという事実を指摘したまでです。意味がなくても支持者向けにパフォーマンスする人もいるよね。
あれってまず自覚してああいうマジカルバナナ方式のコメントをしているのかっていうのがまず一つ。
「自覚してやっている」ならネットでも、リアルであっても、読解力のないように見える発言をしても深刻な問題ではない。
ただ真剣に意思疎通する気があるのに無自覚に外してしまっているなら、否応なく「こいつは話が通じないやつ」と周囲から評価され孤立してしまうよね。
ただたとえ読解能力がアンコントローラブルだとしても、そこでちゃんと読解できないと自分が致命的な損をするという場面ではきちんと読める人なら、全然ましだろう。
自分も仕事のときは当然朝起きれるけど、休日は全然寝床から上体を起こせないから。
本当は休日も充実した一日を過ごしたいという気持ちもあるけど、まあ起きなくても深刻なことにはならないやってセーブがどこかでかかっているからなのか、どうしても起きられない。
こういうセーブって、セーブ自体があることとは認識していても、自覚的にコントロールできるものではない。
これと同様なことがネットで読解力がないように見えるコメントをしている人には起こっているのかもしれない。
ただ本当に、上記のいずれでもない場合、そういう人がネットのそういうコメントの大多数を占めていたとしたら。
この国の労働力ってどうしてなんとかなっているんだろうと不思議に思う。
だってそんなレベルの読解力の人からどうやって労働力を取り出せばいいというのか?ってならない?
仕事って指示通りに理解してこそ成立するわけだけど、そのためには読解力がなきゃ…
もしかすると言葉を言葉で返すのが苦手なだけであって、言葉で期待されたことを行動で示すのは健常レベルでできるっていう可能性もあるのだろうか??
自覚的にでも無自覚にでも美味しんぼ的なフィクションの受け売りを喋ってる人間って割といる気がする。中高年に多いんだろうか。それこそ味の素がどうのとか、ウニのミョウバンが云々とか。タバコを吸う料理人は二流三流、なんてのもあるのかな。
マンガの世界では万人に適用される美味しさの理屈が存在出来るし、好き嫌いを超えて人を感動させる「本物」もあるし、生産段階で人がゴチャゴチャ手を加えたものよりもそうでない食材の方がよりよい美味しさを持つ。
でも我々が生きているのはマンガの世界ではないのだから当然話が違う。全ての人間が同じ好みを持つ訳ではないし、科学的に定義される美味しさも傾向レベルに留まるはず。
まあ美味しさを感じる時に思い込みが関わるのもままある事だろうし、他人の受け売りで楽しみ方の角度を新たに発見する事もあるとは思う。
そもそもあの手のマンガは知らんけど自分の感覚でそう思ってんだよ、って人もいるのかもしれん。ただ味の素で舌が痺れるとかはもう病気の類じゃない?
いや間違いなく真の美味しさは存在して、理性だか経験だかでそれを見定められる人間がいる。そうでない人間も啓蒙によって目覚めるポテンシャルはある。理解出来ない馬鹿舌の蛮族もいる。
みたいな中近代の欧米めいた考えもあるのかもしれない。こうなってくるともう理屈ではなく世界観の問題だよね。
まあ自分で食えば感じられるような事なのに「知識」を参照するのは我が無さすぎないかって思う。人とズレてるならズレてるで別にいいのにね。
あとラーメン発見伝のアレとかも、実績のある経営者の台詞じゃなくてマンガ家の考えた台詞でしかないよね。よしんば本当にそういう立場の人間が言ってたとして、それは何も黄金率でなく実績によって遡及的になんとなく説得力を与えられた個人の世界観でしかないよねって思う。