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はてなキーワード: 用法とは

2024-04-25

anond:20240425134049

飯間だろ。これか?

https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/1386827829623410689

これは単純に「取り急ぎととりあえずは同じ意味」という話ではないよな。

他にあるんだったら示してくれ。

たとえば「的を射る/的を得る」のように、誤用を指摘する側は「普通に考えると的は射るものであって得るのはおかしい」と考えて「的を得るは誤用だ」と言っているにすぎないわけだが、それは「不失正鵠から言葉の由来や、「得る」という言葉が持つ意味あい、人々がどのようにそれらの言葉を使ってきたか、というグラデーションを塗り潰しているわけだ。

使い方に幅のある言葉について「唯一の正解はこの用法だ!」と言ってるのが誤用を指摘する側なのは明らかだよな。

2024-04-24

anond:20240424231542

女性に受ける吐息交じりの喋りを意図的に演技に盛り込んだの塩沢兼人発祥だと思う

ある意味戦犯というか

緑川光あたりの世代が継いで女受けする演技=吐息イケメン役の声優がみんなやり始めたイメージがある

ただそれって塩沢レベル演技力があって成立してる手法で他の声優が上っ面で喋り方だけ真似たらそりゃ違和感しかないよなと思う

使いすぎたらダメ禁忌の技というか

若本のあの演技みたいなもので上手い人が用法・容量を守ってこそだと思う

個人的山寺宏一イケメン役演ってると吐息交じりだなーと思うけど演技力あって使い分けてるから違和感ない

2024-04-23

anond:20240423115254

教えてgooなんかに騙されるなよ…

その回答も「「以」にはいくつかの意味がありますが」と書いているとおり、以には非常に多くの意味があって、その中には以の前を含む用法も含まない用法もある。

「以=より・から」なんてのは、「より・から」と意味で使う場合の読み下しから遡っただけの、循環論法に過ぎない。

以の基本的意味は承接。A以Bは「AそしてB」とかそういう意味で、そこから、Aの目的語を受けたりする何らかの意味を生じていく。あまりに便利に・何となく使われてるものから翻訳文脈を読んで適当に訳してる。

以上・以下にAが含まれ以外にAが含まれないのは、明治中期の数学者がそう読むことに決めたからに過ぎない。

anond:20240423084804

日本語の話をしているのか数学の話をしているのかを明確にするべきだ。

日本語としては「n以上」は「nより上」とまったく同じである

から日本語において

「n以上」も「n以下」も「n」を含む

というのは自明ではない。

たとえば「期待以上の活躍をする」は「期待どおりの活躍」を含まないし、「平均以上の得点を取った」は「平均と同じ得点」を含まない。

もちろん「二人以上で来てください」は「二人組」を含むので、必ずしも「n」を含まないわけではない。

しかし、数学においては「n以上」と「nより上」は異なる、とされる。

「n以上」は「more than or equal to」で、「nより上」は「more than」なのである

そうした使い分けをされるときの「以上」はいわば数学用語であると言える。

では「以外」にも数学的な用法があるのか?

おそらくはそうではない。

から本来日本語意味しか使われていないのだろう。

はてな民って賢ぶってバカだよなってほんと痛感するのが

こういう、ちょっと文芸的なレトリックを少しでも入れた記事を書いたときの反応なんだよな。

このタイトルを見て、本文を眺めて、ラストの〆までをサラッと目でなぞれば、「ああ、このタイトルの「有害な」は制限用法か非制限用法かと謎かけをして、最後に答え合わせをしてるんだな」くらい一瞬で理解して欲しいんだけど、その程度のよくある遊びも気づけない、気づけないほど文章を全体的に把握する訓練ができてないのがここで読書ぶってインテリぶってるアホどもなんだよな。

そういうの相手に、ついつい自然にこういう文章を書いちゃうから失望けがたまる

進学校高校一年生くらいの方がお前らの何百倍も理解力は高い。

はてなより高校文芸誌に書きたい。

プロでもない大人のための進学校文芸レベルコミュニティってどっかにないのかね。

有害日本らしさの問題について

 

 日本語は非論理的言語である

 …とは思わないが、(他の多くの言語と同じように)注意して使わなければまったくナンセンス議論を平気で生み出してしま言語ではある。

 

 自分最近特に気になっているのが、修飾部の制限用法と非制限用法の無節操混同である

 

有害な男らしさ』という言葉がある。

 これは英語のtoxic masculinityの訳語なので、当然この「有害な」という修飾は制限用法であり、「無害な男らしさ」の存在も暗に示すものである

 しかし、これを日本語にした言葉自体には、非制限用法解釈もあり得てしまう。再翻訳すれば、"masculinity, which is toxic"(この有害なる男らしさ、とでも再々翻訳しようか)という解釈可能だということである

 これが、時には無意識に、時には意識的に、日本語議論を混乱させているのを昨今切に感じる。

有害な男らしさ」を語る議論は、「男らしさの肯定否定か」ということではないはずだ。

「何が有害な男らしさで、何が無害な(または有益な)男らしさか」を弁別することであるはずだ。

 それが、現実的にはどうなっているか

 後者議論なんてどこにもない。

有害な男らしさ」の定義なんてしないまま、前者の極論に持っていきたいことが丸見えのくだらない対立しかメディアにはない。

 

    (以下略

 

 飽きた。

 ここからハリウッド映画の「依頼人」を例に、海外では女にも「有益な男らしさ」が求められること、「有益な男らしさ」がなければ誠実に議論する社会はあり得ないという話をしようと思ったが、そんなことはここまで読んで、わかる奴は既にわかってる話だし、わからない奴は何を言ってもわからないだろう。

 非論理的自然言語からこそ論理的に使うのだという発想が社会になく、学校で教えてもいないから、良い大学を出ても平気でこの程度の基本的文法事項も注意しないで使う、それどころかそういう詭弁で煙にまくのを賢いとすら思っている「インテリ瀬川深)」がいっぱいいるような国では、保守リベラルもないのである

 そして、こんな根本的にその議論の誠実さを証明するようなトピックをもこそこそと避け、あわよくば自分が何を言ってるかも曖昧なまま、反撃されずに気持ちよく他人を叩ければ良いという国民性こそ、日本のすべての凋落元凶なわけである

 

 ああ、この有害なる日本らしさ、日本の男らしさ、日本の女らしさよ。

2024-04-22

anond:20240422214544

づらい警察です

〜しずらい、という用法は誤りです

〜する+つらい、なので、〜しづらいが正解です

正しい用法を守っていただきますようお願いいたしま

チー牛女という用法が許されていていいのかお前ら!!!!!!?????!?!???

[]顔なくなった

2010年代から「泣きすぎて顔なくなった」「ニヤけすぎて顔なくなった」といった用例が見られる。

表情の筋肉限界を迎えた、といったような意味だと思われる(腹筋崩壊だとかに類似?)。

その後、音ゲー界隈で「感情を失う」「真顔になる」といった意味で「〜〜で顔ない」という表現が広まった。

この二つの関係不明

意味や由来が曖昧なまま広まったので、人によって微妙用法が異なっている可能性がある。

2024-04-21

anond:20240421170554

オタクロリコンとかオタクアニメ漫画と結びつけられてレッテル張りに使われていた昭和末期や平成初期には、

デコトラ勢・トラック野郎暴走族オタクと呼ぶ用法一般的じゃなかったと思うんだけどどうかな

2024-04-20

チー牛と言う蔑称、その攻撃性について

近年、特にいわゆるツイフェミ的な文脈男性への蔑称として使われる言葉、チー牛についてなんとなく思ったこ

・チー牛とはなにか

かい説明検索に譲るが、そもそもは「チーズ牛丼を頼みそうなやつ」みたいな意味合い蔑称で、その対象本来意味では支援必要障害を持つ人を揶揄する言葉である

広く男性全般を指す言葉ではない。そもそも用法が間違っている

しかし、なぜか特にツイフェミ的な文脈において、チー牛は男性特に根暗オタク男性揶揄する言葉として非常に多用され、大変不思議に思ったのでぼんやり考えた

そもそも攻撃力が低い

そう言った文脈で使われる言葉といえば、古くはキモオタ(気持ち悪いオタク)、引きニート(引きこもりニート)、近年ではこどおじ(子供部屋おじさん。いい歳して実家の子供の頃に与えられた部屋で暮らすおっさん)など、多岐にわたって存在する。

そう言った蔑称に対して、「チーズ牛丼頼んでそう」は明らかに攻撃力が低い。と言うか無い。誰かに刺さるのか?これ。

どう考えてもキモオタの方がチクチクしてるだろ。

範囲がよくわからない

個人的チーズ牛丼が好きでないからと言うのもあるが、まず誰を攻撃しているのかよくわからない。チーズ牛丼好きな人はこのワードネガティブな印象がまずない気がするし、チーズ牛丼を頼まない人も「チーズ牛丼を頼みそうだなんて、なんて酷いことを言うんだ…」とはならんだろう。いや頼まないけど…で終わりだ

誰の図星も付けていない。「トランプ武器にしそうな奴」の方がまだ攻撃範囲が広い。

・にも関わらず、言った側の満足度は高い

インタビューした訳ではないが、個人的に最大の疑問点なのがここで、書いてる側はまさに「痛いところをついてやった」「効果的な侮辱だ」と思っているような印象を受ける。

温度差がありすぎる。

スイーツ(笑)と言われていた時の若い女性の気持ちもそうだったのかもしれない。もうすっかり菓子スイーツになったしスパゲッティパスタになってしまったな…。

言う側は満足して言われる側は傷つかないのである意味ウィンウィンの関係だが、言う側は侮辱してダメージを与えるのが目的のはずなのでやはりなんだがおかしい気がする。

そもそも、なぜキモオタではダメなのか

例えば最近騒いでいる着替え中のフィギュア、「チー牛はこう言うのが好きなカス」より「キモオタは…」の方がどう考えてもいい。

攻撃的だ。

ただ、これには欠点があって、例えば高校中退した人は「低学歴」と言うレッテルを人に対して使いにくい(使う人がいないとは言わないが)。貧乏人は底辺と言う攻撃を使いにくい。

自分がそのラベルの中にいるとダメージが入るから

同様に、キモいオタクキモオタと言うラベルを使えないし、無職引きこもりで親の脛を齧ってると引きニートやこどおじもレッテルとして使いにく…

あ。ああ…。

……。

チーズ牛丼があまり好みではないので蔑称としてピンとこない。

合わねーでしょ、チーズ牛丼

2024-04-19

anond:20240419113416

経済的身体的の方が本来用法から、それ以外で使う時はちゃんとそうやって書こうね、と言う話なんだけど

もしかしてわかってない?

anond:20240419091651

おもしろい。

さて、ここで適当検索して既存言論を調べてみる…

信頼(しんらい)とは、相手対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性信頼度という。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%A0%BCtitle=]

(wikipediaには信用の項目は無し)

イマイチ要領を得ない。社会心理学用語として載せられている。ここで調べる先を間違っていたことに気づく。

信頼(しんらい)

1. 信じて頼りにすること。

  • 彼は蝗を捉へるには、それに巧でない方の犬にくらべてもずつと下手であつた。それにも拘はらず、犬どもはそんな事にまで主人の優越を信じて、主人を信頼して居るらしかつた。

信頼 - ウィクショナリー日本語版

信用 (しんよう)

1. 信じて任用すること。

2. 相手言葉を間違いないと見込んで頼ること。

3. それまでの業績などから人や物に対して与えられる評価

4. 支払能力があることを土台にして成立っている、貸借関係

信用 - ウィクショナリー日本語版

wiktionary定義によれば、信頼は一種感情的ものでさえある。しかし信用は、例えば"信用取引"などという言葉があるように、感情ではなく、どちらかと言えば"合理的な期待"に類似することが分かる。

/* だが、信用と信頼を、意識して使い分けている人が、どれほどあるのか?あるいは、ごちゃまぜに認識している人も、いるのではないか?というのも、私もイマイチ意識していなかったために、こうして調べているのだから

例えば「そんな人のこと、信用しちゃダメだよ」この文がどちらの意味を(感情か、合理的な期待か)持って信用という語を使っているのか?それは発言及び人物の背景を見ないと分からないと感じる。

形而上の言葉というのはそういうものだろうか。(哲学初心者)*/

辞書から離れ、では市井の使い方を観察してみる。

信頼とは裏付け担保もなく相手を信じること。 これもアドラー言葉です。 信用というのは条件つきで相手を信じること。(引用元)

アドラー用語として。感情契約という対比がある。

「信用」と「信頼」では微妙意味が違う。前者は損得を計算した上で相手を信じる行為を指すが、後者は利害を超えて相手に身を委ねる気持ちがあらわれている。違いを意識した上で英語に訳すと、「信用」は「give credit to s.b.」、「信頼」は「rely on s.b.」というのが適当かと思う。

 藤田達蔵著「ガイドとの交信マニュアル」の第5章「交信のコツ」の「5自信を持つ」から以下抜粋する:

 一般社会においても、信用と信頼は別ものですね。

 「必ず期日までに返済するならお金を貸してやろう」というのが信用です。それに対して、「きっと返済してくれると信じているかお金を貸してあげよう。もしも返してくれなくてもそれはこちらの責任。君を信頼しているから貸すよ」というのが信頼です。

---

 村上春樹氏は、『村上さんのところ』に収められた読者への返事に自らの考えをまとめた:

 長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。

「信用」と「信頼」、「信任」を使い分ける | Web Pages Japanese-English And English-Japanese Wiki | Fandom

やはり対比するときは信頼に感情的な側面がある。

木浦 幹雄 / KIURA Mikio @ANKR DESIGN

@kur

イベント配信を通して下記のような学びを得たので共有します。

https://x.com/kur/status/1780169101731852737

HDMIケーブルはモノだから、信頼は不適当

テツロー

@punpupuuuun

·

返信先:

@bombombomb2017

さん

事例あります(ドヤァ)で終わること多いですよね。。。なんで?って聞くと、信頼性コスト納期ぐらいしか皆さん言わないですし。。。

ただ当方メーカー業界にいるため、そういう形になることが他の業界と比べても多い気がします。

https://x.com/punpupuuuun/status/1781122882816655462

ここで"信頼性"という語を思い出す。これは「reliability」の訳語だろうか。統計やモノ、サービスがどれほど"そうである"という期待を持てるか、というところか。この概念信憑性、確実性とも言いかえられる。やや"信頼"からは離れた言葉のようだ。


話が逸れた。まあ、ここまでの感じを見ると、「聞いた話を元に株を買うことと、株を買うために金をそいつに預けること。」は、双方、信用した結果の行動というところか。

信頼は、信用に先立ち、其の者を信用する理由として働く概念

信用は、必ずしも信頼を必要とせず、例えば過去の実績や、業績などを理由に行うことができる。という感じだな。

で、これは人間法人/組織に対して使うとき用法

モノに使う場合は、"機能を発揮することの期待"(0/1)が信用で、"可用性、もしくは妥当性を期待すること"(1が継続すること、あるいは1が1であること)が信頼かもしれないが、調べたりないし、もう飽きたのでまたいつか。

今日も一つ勉強。君よ、機会を与えてくれてありがとう

2024-04-14

禁止事項の無い公園混沌だったぞ

近所の公園には禁止事項があまりにもない

球技おっけ 自転車おっけ バイクおっけ

禁止されてるのは花火と野外セックスぐらい

んで今日久しぶりに行ってみたら歩きにくい

そこらかしこ子供ボール遊んだ

三輪車遊んだりするもんだから道を歩く度に何かにぶつかりそうになる。人生かよ

川は川で魚釣りしてるやつとか川で遊んでるやつとか色々いるけど流されそうで不安になるぐらい

自由に遊んでるし、草原には肩を組んでイチャイチャするアベックもいて「ああ数年経ったらコイツらもガキ連れて公園来るんだな」って

遊具もまあ撤去されてないもんが多いもんで

子供同士で仲良く遊んでたわ。案外喧嘩とか無いけれど結構危ない利用法はしてた。

ちなみに健康遊具もあるけどベンチとしか思われてない。こんなんで近所からうるせぇ!とか苦情来ないんかと思うが、楽器吹いてもOKだし

前に珍走族いたし大丈夫なんやろ(適当

でもやっぱりあれやな、子供がいる夫婦ってのは

ある程度容姿がいいもんで、漫画で見る様なブサイクは誰も子連れで来ないわ。二人とか三人とか連れてくる夫婦はまあパパの方かママの方かどちらかが美人 イケメンでな

そりゃセックスしまくりって思う

俺もこんな人間とならセックスしたいよ

ゲートボールしてるジジイ ババアは日曜はには

おらんが、平日ならおるで

土日は全くいない

とにかく今どきにしては子供多すぎるし

元気凄すぎるし混沌のものだったわ

2024-04-12

anond:20240412020956

そもそもは「役に対して不足(=不満)を言う」という意味であり、

まり役ではなく役者(の力不足)に対して不満を言う用法は誤りでは?

誤用だと言われていたけど誤用じゃなかった言葉

爆笑

本来意味は「大勢が笑うこと」なので一人で笑うときに「爆笑」を使うのは誤用である、とされることもあったが、実際には「爆笑」という語が使われはじめた昭和初期からすでに一人で笑う場面でも用いられていた。「大勢が笑うこと」説のほうに根拠がない。

的を得

「的は射るもの」なので「得る」は誤用である、とされることもあったが、もとを辿れば「不失正鵠」すなわち「正鵠を失わず」という慣用句であり(正鵠=的の中心)、それが「正鵠を失う」と肯定形で使われるようになり、その対義語として「正鵠を得る」という言葉が生まれ、そして明治末には正鵠を的に置き換えた「的を得る」や「的を射る」といった表現が出てきた、といったややこしい変遷があったもので、少なくとも「的を得るは誤りで的を射るが正しい」とはされなくなっている。

汚名挽回

汚名返上して名誉挽回すべきだ」とされることもあったが、もともと「挽回」という言葉は「回復」などと同じく「(悪い状態から)元に戻す」という意味なので、「病気回復する」などと同様に「不振挽回する」「衰運を挽回する」など、マイナス意味言葉と組み合わせて用いられることも多く、よって「汚名挽回」についても誤用でないとされる。「汚名挽回する」という表現明治末にはすでに見られる。

全然〜〜だ

全然」は「全然〜〜ない」のように否定形で受けなければならないので「全然〜〜だ」というような書き方は誤用である、とされることもあったが、実際には明治の頃から否定を伴わない形で多く使われており、「否定で受けなければならない」というルールには根拠がない。

敷居が高い

本来は「後ろめたいことがあって相手に会いづらい」という意味なので「高級店に入りづらい」などの意味で使うのは誤用である、とされることもあったが、この表現の要点は「後ろめたい」よりも「相手に会いづらい」という部分であり、そこから考えれば「高級店に入りづらい」などもあくま自然な応用の範疇で、誤用と言えるほどの意味の飛躍はない、とされるようになった。

役不足

本来意味は「能力に対して役目が軽すぎること」なので「役目に対して能力が不足している」という意味で使うのは誤用である、とされることもあったが、そもそもは「役に対して不足(=不満)を言う」という意味であり、「こんな難しい役目は私には無理だ」と不満を言うことも「役不足」の範疇だった。「彼には役不足だ」などと言って不満を含まない用法本来の使い方でない、とは言える。それも明治末にはすでに例があるので最近まれ用法ではない。ちなみに「役者不足」という言葉最近造語であると言われることもあるが、こちらも少なくとも昭和初期には現在意味での用例がある。

他には?

2024-04-11

3度目の正直 anond:20240411132315

2度あることは3度あるってことわざ矛盾してる! みたいな言われ方をすることがあるけど、本来はよく似た意味だ。

3回同じことを聞いて3回とも答えが同じなら正直だと認めよう、あるいは

偶然と思われることでも3度続いたなら必然性正当性があることだ、というような意味だ。

2回ウソついて3回目にホントのことを言う、あるいは2度失敗して3度目に成功したという用法は間違い。

anond:20240411153957

辞書いちばん上に書いてある用法は「振り当てられた役に対して不満を抱くこと」「俳優などが割り当てられた役に不満を抱くこと」で、つまり元々は力量と役目のどっちが上かとかは関係ない。「俺はこんな端役は嫌だ」も「俺では主役に相応しくない」も「俺は悪役には向いてない」も、とにかく役に対する不満はすべて「役不足」。

anond:20240411132315

役不足現在の「力量に対して役目が軽いこと」がそもそも本来意味から変化した用法だよ。

anond:20240411132315

  • 返す刀
  • 吶喊
    • 音もなく風のようにカッコよく敵に突撃するさまに使われがち(なぜか「突貫」ではなくこっち)
  • 号泣
    • それを言うなら滂沱たる涙とかだろ?大声出してねーじゃん、な泣き方に用いられる
  • おもむろに
    • 「だしぬけに」「にわかに」と同義と思われているっぽい
  • 天引き
  • おもたせ
    • 持参する側が用いる言葉じゃない
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