はてなキーワード: 忖度とは
“不自然なまでの「障害者バッシング」や「高齢者バッシング」の背景には、こういったことも繫がっているんじゃないかと思う。厚労省はわかっていながら放ったらかすハラだったのでは?”
なんかイラクの3バカ祭り思い出すのよな。スロープ作り付けておくべきところを人力頼りにしてるとかの類の。
“末端の労働者に負担を押し付けて解決すべきなんてことは誰も言ってないのでそもそも負担を考えろなどというのは的外れな指摘だしそういった所で自分らが表現の自由だの言って権利を主張する癖に他人に対しては我儘と言ってしまうその都合の良さを説明できていない。”
“経営者や政治が解決すべき問題を末端の労働者の負担云々に矮小化して無効化しようとするような権力者に忖度し基本逆らわないというような奴隷根性の座ったような輩が表現の自由などと言って戦っているようなつもりになっているのだから笑わせる。”
“「そこまでの対応をするとなると、他の仕事に使う時間を減らさないとダメなので、今の報酬のままではできません」と学校側にお伝えすることはある。あとは経営側の判断である。不思議なことに「では報酬を加算しますので合理的配慮を実施してください」と言われたことは一度もないのだけど。”
先日、
オッペンハイマーという話題の映画が日本に帰る機内の新作映画にラインナップされていたので早速みてみた。
日本で賛否両論が起こりうるということで、昨年、日本での公開が見送られていた映画だ。
もっとも来週あたりようやく公開されるようだけど。
当初、配給会社が忖度して日本人向けには見せてくれなかった、となると、一体どんだけ鬼畜な内容なのか?などと、
妄想が先行していた分だけ、みた印象としては、拍子抜けとなった。
オッペンハイマー個人のパーソナリティを軸に、冷戦など彼をとりまく社会が興味深く描かれていた。
政府や社会が科学者一個人を利用し、偶像化してゆく構造的な背景をのぞかせるような映画だった。
ネタばれになるので、詳しくは書かないけど、水爆開発の反対と公職追放、このあたりの描写が映画としてはクライマックスだ。
ステレオタイプにオッペンハイマーをみれば、彼の道義心と公職追放がセットになって語られがちであるが、実際にはいろいろな経緯が絡まり合っていた。
原爆投下という途方もない人道的な問題に対して、誰かに代表させてそれらしい答えを出させようとする世間(みている観客も含めて)の空気が鏡のように反射してみえる映画だった。
この映画では終始、オッペンハイマーのパーソナリティを軸に展開していたので、その摩擦が却って浮彫にされた形だ。
そもそも歴史上の人物は、未来のことなどわかるはずないのだから、後世の人権感覚など何も知らないで生きている。
しかし、後世の進歩的な歴史観は、歴史上の人物の善意悪意をそれぞれ振り分けてして断罪・総括してしまう。ヒットラーを絶対悪にするみたいにね。
しかし、特定の個人の悪人面しかみたがらないような歴史観では、非人道的な行為の実像はみえるはずもない。
その点、本映画では、本人をよそに、後世の歴史観にとって都合の良いレッテルやらロールモデルが押し付けられてゆく、
という構造が見え隠れするという意味ではよい出来映えだったと思う。
しかし、結局のところ、一体何が日本で賛否両論を巻き起こしそうな映画なのか、分からなかった。
プロットが複雑なこともあって、一度見て全部を理解できるような映画でもない。
ただ、映画を見終わったあと、そういえばトルーマンがそれほど登場しなかったな、と自分の不満ともいえる感情がくすぶり、ふと、
でもそれって、ヒール役の邪悪なトルーマンをみてカタルシスを得たいだけだよな、と我にかえって気が付いた。
日本で賛否両論を巻き起こしそうだという忖度って、まさにこういうことだろうと思った。
忖度そのものが、原爆投下が非人道的でありその野蛮さが強調されるべきだとする歴史観に知らず知らずのうちに飲み込まれていることが想像できた。
原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーが主人公の映画なら、ぜひ彼に原爆開発を後悔させたい、苦悩させたい、とする心情、そういう懺悔がなければカタルシスが得られないとする心情ー
そういう道徳的な片鱗を少しでも見出したいとするのは、結局のところ未来がどこに向かっているか知る由もない歴史上の人物の顔を無理やり後世の人が考える正しい方向へ振り向かせようとする努力のようなものだ。映画のなかで彼に反省させてステレオタイプなオッペンハイマー像に満足したい、というのが日本で起こりうる「賛否両論」の実像だとすれば、それこそ、オッペンハイマーに何かの役割を担わせようとする自分を反省する意味でもこの映画をみるべきだ。
映画に描かれなかった広島や長崎を強調させたいとする空気があるとすれば、皮肉にも、それこそが本映画で見てとれる構図、
歴史上の人物を自分の持っている史観に都合のいいようにヒール役にしてみたり、ヒーローにしてみたりする空気の元凶だということを再認識した。
ドラレコがここまで普及したことにより、自動車に対して冤罪カツアゲが出来なくなったから自転車に矛先が向いた、
という経緯を考えるとビシバシに取り締まるだろうね。
相手が子連れ主婦だろうが老人だろうが高校生だろうが(要するに自動車の違反と同じになる。自動車の違反取締を法を曲げてナシにするのなんて国会議員や外交官絡みしかないし。世界的大企業社長なんかでも忖度されない)。
一時不停止とか逆走とかスマホながら運転とか遮断機降りてきてる踏切に突っ込んで行くとか健常な自動車運転手はしないからな。
自転車乗りは杓子定規に交通ルール守らないと痛い目見る世の中が来ると思うよ。
幼児を乗せながら一時停止線ガン無視で爆走する一方で子供の食事とか教育とかに細心になってる健常者"風"ママさんはここらで自分を省みたほうがいいですよー。
この度、節を曲げてNovelAI(以下NAIと呼称する)のサブスクを契約してしまった。
筆者はバチコリの生成AIユーザーであるが、あまり特定のサービスプラットフォームに依存することをよしとはしていない。
いつ何時ユーザーに不利な形で仕様の変更が行われるかわからないし、サービスが終了してしまえば利用の術は失われてしまう。
よって、NAIと契約するのは正直に言えば業腹である。この円安の時代、何が悲しくてわざわざドル決済の外国サービスなどサブスクして国富を流出させなければならないのか。
しかし悲しいかな、現状満足度はとんでもなく高いのである。以下、その理由について分析していきたい。
なお、本稿では生成AIに関わる法的、倫理的議論は行わないものとする。一消費者としての意見を述べるうえでは、あまりにも意見が取っ散らかりすぎるからである。
言うまでもないことだが、skebにせよ他の手段にせよ、イラストを依頼するということはその向こうには人間がいる。
生身の人間相手に自分のえげつない性癖をさらけ出すというのは、かなりハードルが高く業の深い所業ではないだろうか。
性的欲求というのは三大欲求の中でもっとも表沙汰にしにくいものである。
見も知らぬ相手であろうと望むところを赤裸々に語るのは憚られるし、知っている相手に対してはなおさらそうである。
別に健康な成年男女が互いに好き合ってイチャラブおせっせしてるだけなら大したことはないのだが、残念ながら欲望渦巻く快楽の園こと現代日本に生れ落ちてしまった我々はそうはいかない。
性癖は枝分かれし細分化してヘンテコな方向にひねくれねじ曲がってしまっている。浮気NTR快楽堕ち程度ならかわいいものだ。
平たい胸族にスイカサイズの乳をぶら下げさせ、原作のキャラを無視して脈絡なく尻軽ビッチギャル化させる。
下手をすると(生命の有無を含めて)人間でなくなる。ゾンビ化とかキョンシー化ぐらいであれば人間の形を保っているからまだいいだろう。
筆者は大体何でもいける口であるが、ただ蟲化だけはどうにもいけない。好きな人がいるというのはわかるので否定するつもりはないが、ただ個人的にはどうにもあれでは致しかねる。
なんにせよ冒涜的ではあるが、それで興奮するというのはわかってしまうのでどうしようもない。中にはそのキャラである必要は果たしてあるのか?くらいの物もあるのだが、何と仰る兎さん。そのキャラでなければ駄目なのだ。
たれさえ旨ければ別にかば焼きにするのは鰻でなくてもよさそうなものだが、鰻のかば焼きだと思うからこそ旨いという一面は間違いなくあるのである。
閑話休題。ともあれ、人間相手に依頼をする場合にはどうしても一定のブレーキが意識的にであれ無意識的にであれかかってしまう可能性がある。
というかそもそも、人間相手に一定の節度と形式を保った文章を書くのは疲れる。相手の気分を害さないようにしなければと考えただけでキーを叩く指がおぼつかなくなる。
他方で、NAIに画像を出力させようとしてプロンプトを打ち込むにあたっては、そこに遠慮を差し挟む余地はない。
ただただ己の欲望に忠実に思い付く限りのリビドーを込めて単語を羅列すればよいのである。
別にNAIは内容を考えて画像を生成する訳ではないのでヘンテコな画像になることも多々あるが、少なくともそこには遠慮も忖度もない。互いの本音と本音のぶつかり合いである(NAIに意識はないので本音も何もないが)。
あとはNAIがいい感じの画像を出してくれるようにプロンプトを調整していけばいい。
「大和国はそんな事しねぇ~~~...!!」というシチュエーションの時ほどこれは効く。
上等の料理にマヨネーズと醤油をぶっかけて旨い旨いと言っているようなものなのでそのキャラが好きな人に依頼するのは憚られるし、かといってミリしらな人に話を持っていくのも完成度という点で不安がある、というような場合にNAIはうってつけなのである。
なんといってもNAIは絵が出てくるのが早い。確かSDXLベースのモデルだったと思うが、1024×1024のサイズで生成にかかる時間というのは10秒程度だろうか。
ローカル環境ならもっと短い時間で作れるという話はあるだろうが、ベッドの上でスマホぽちぽちするだけでいいという点ではNAIにアドがあるといっていいだろう。
人間相手とはもう比較すべくもない。下手をすれば既存の絵をPixivやらで探すよりよほど手間がかからない。
息子はシコりたくなったときがシコり時である、という事実を考えた時、プロンプトさえあれば見たいものをそれなりに再現した画像がほぼ即時に作れるというのは実に実用的であると言わざるを得ない。
早さという点では特にこれ以上言うべきことはないため、早々に次の項目へ移りたい。
現在筆者がサブスクしているのはOpusプランである。これはNAIのプランの内では最も高額であり、月額25ドルかかる。ぶっちゃけサブスクとしては安くない。
例えば動画配信サイトのU-NEXTは月額2,189円(税込)であり、電子書籍の読み放題を提供しているAmazonのKindle Unlimitedは月額980円(税込)である。
月に4000円弱(筆者決済時点の実績値による)というのは明らかに高い。
……が、こうしたサブスクとNAIとではサービスの種類が異なる。動画配信や電子書籍の読み放題というのは、つまるところ既存のコンテンツの中から自分が観たり読んだりしたいものを探して、(運よく)それがあったら楽しむ、というタイプのサービスである。
楽しめそうなものがなければそれまでだし、探すにも時間はかかる。
キンリミの場合は複数冊あるシリーズのうち最初の1巻、もしくは数巻だけ無料で続きが気になったところであとは購入してね♡というものも多い。
最初の1巻だけが無料ならまだいい方で下手すると最後の1巻だけ有料という場合もある。起承転まで読ませて結は単品で買えということであり、そうすると最後の1巻だけ買っておいてもしょうがないので他の巻も結局揃えることになる(ずっと借りっぱなしにしておいてもいいのだがそうするとその分だけ読み放題で借りられる枠が埋まることになる)。まったくもって商売上手だ。これだからビッグテックは恐ろしい。
いや、キンリミの商業戦略の話はこの際どうでもいい。要はこうしたコンテンツ提供型のサブスクにおいては契約者は受け身の立場だということを言いたいのである。
ちなみにFANBOXなどもこうした受け身型のサブスクと言ってよいのではないかと思う。クリエイターの創作活動を応援云々とは言い条、実態としてはどう考えてもイラスト等のコンテンツを見たいがために支援ボタンを押している人が大多数ではなかろうか。
それに対し、NAIは契約者自らがコンテンツを作り出す立場である。実際に作っているのはNAIだが、どういうコンテンツを作り出すか、指示するのは契約者である。結果として、提供されるコンテンツは常に契約者が見たいもの、もしくは少なくともその方向性に沿おうとしたものということになる。
更に、Opusプランの場合一定の大きさ以下の画像については作り放題、つまり生成に必要なポイントであるAnlasを消費しない。本プランでは一か月につき10000Anlasが付与されるが、ぶっちゃけ使わなくても十分実用性のある画像は作れる。普通サイズ(1024×1024の正方形を基本として、832×1216の縦長や横長を含む)のAnlas消費量が確か20だったと思うので、500枚作れば元は取れる計算である。500枚も作らないだろ!と思うかもしれないが、このくらいはすぐに消費してしまう。ちなみに本プランで付与されるAnlasには一か月の使用期限があるので、ラストエリクサー症候群に陥らないよう余裕を持って消費するようにしておきたい。
さて、25ドル……日本円換算で4000円としよう。4000円を500枚で割ると、1枚あたりの金額はいくらになるだろうか。そう、8円である。1枚あたり8円である。安い。今調べたところ緑豆もやし200gのパックが19円(税込8%)だったが、それよりも半額以上安い。某もやしパーティーアイドルも納得の価格であろう。こんな低価格でオカズを賄えて家計も大助かりである。
まあ上記はあくまでも計算上の話であって25ドルの支出は25ドルの支出なのだが、リターンを考えればそれだけの意味のあるサブスクということにはなるだろうと思う。パッケージングされたサービスではなく利用コンテンツに対する金額ということで考えればこれほど費用対効果の高い課金はそうはない。
AIによる画像生成サービスを提供しているプラットフォームはNAIに限られない。国内でもAIのべりすと(本来は小説執筆がメインというところでNAIと似ている)が有名どころだし、筆者は使ったことはないがPixAIやそれ以外にもなんかいろいろとサービスは存在する。CivitAIでも生成は出来る。
が、こと既存キャラの二次創作という点ではNAIを超えるものは現状ないのではないだろうか。よくも悪くも他のサービスを使う場合には一定の習熟が要求されるが、NAI、特に現状の最新モデルであるv3は概ね直感的な生成が可能である。キャラ名と登場作品名、シチュエーションあたりをぽちぽち入れて生成ボタンを押せばそれでいい。不要な要素が出てきたらそこで初めてネガティブプロンプトを使用するくらいであろうか。逐一LoRAを作ったり探したり適用したりせずともいいのは実に強い。なんだったらいい感じの画像が見つからないキャラはNAIで作った画像でLoRAを作ったらいいんじゃないかと思えるくらいにはいい雰囲気の画像が出る。
無論、画像生成AI、もしくはSD系の現時点での宿命として、あくまでも出てくるのは「それっぽい」キャラの画像に過ぎない。例えばニニンがシノブ伝のシノブの画像を生成しようとすると、シノブの鉢巻きの顔マークがなんかよく分からない点が4つくらいある黄色の丸になってたりする。人間、特に熱心なファンや「神絵師」による二次創作には及ぶべくもない。しかしそんなことはどうでもいいのである。シノブの二次創作なんぞ今日日誰がどれだけ描いてくれるというのか。最近PixivでもTwitterでも流れてくる絵と言えばVTuberかブルアカか、ぐらいの感じである。なんか一時期飽きるほど見たアズレンの絵も最近はさっぱり見ない気がする。単に筆者のTL構築のせいかもしれないが。
いや、別にそれが悪いというつもりはない。みんな好きなものを好きなように描けばよいのである。ただ、筆者のように最近の流行に今一つ乗れておらず、さりとてSkebでわざわざ依頼したり自分で描いたりするには熱量も根気も足りないというような者にとって、NAIv3は確かに一服の清涼剤であり、また福音である。ギャルのパンティーよりもドロワーズが好きな者は間違いなくいるのだ。
つらつらと駄文を書き連ねてきたが、つまるところ、NAIというのはファストフード、もしくはジャンクフードなのだ。早くて安くて、それなりのクオリティのオカズが出てくる。スマホ程度の画面で見るなら画質も十分である。多少瞳がぐちゃってようが服と髪が癒着してようがどうせシコるときに見てるのはちちしりふとももと全体の雰囲気くらいのものである。なんならよく出てくるセリフとか擬音っぽいなにかですらシコリティを高めてくれる。つくづく人間の業は深い。
息子は正直である。実用に足る、自分の性癖に正直な絵をいくらでも出せるとなれば4000円弱の月額課金などはした金に過ぎない。
露出の多いダンサーを呼んだことについて「多様性に反してる」と言うのは悪手でしょ。
それにDJSORAの件を踏まえるなら「女性が露出の多い恰好することを他の人と差別しない」ことが多様性でしょ。
「露出の多いダンサーを呼んだ」ことを問題視してる時点で、他の女性と線引きしてることになってるよね。
なにより妙なのは、番組のコメンテーターでこういうことを言う人が一人もいないこと。
みな問題や人に対して「肯定か」「否定か」は同じで、どうしてその立場をとるのかという根拠を変えてるだけなんだよね。
みんながみんな同じ党派性を共有してるって、そんなわけないでしょ。
忖度程度じゃあ、ごく自然に、天然に、俺みたいなやつによる肯定意見も否定意見もでてくるもんだよ。
でなければ帰れ。
ここ最近、「絵師の特権意識」がTwitter上で議論されている。
諸悪の根源はこのイキリnoteだ(https://note.com/magic_clover2991/n/n0ec2827346af)。このnote自体にもいろいろ言いたいことはあるが、今言いたいのはこのnoteから波及した「特権意識」にコメントしてる奴らに対して。AI肯定派もAI反対派も中立派も「興味ないよ」派もさ、ちょっと聞いてくれや。
・絵師はイラストAIを潰そうとしてるくせに翻訳AIを肯定してる。つまり翻訳家より絵師のが偉いと思っている。
・お前はただ絵がうまいだけの一般人であって、特権とかないから自惚れるな
の3つだ。
つまり、「絵師は他の職業より守られるべき!(他の職業は知らん)」という態度を「特権意識」と言ってるわけだ。
「絵師はただの貧乏人で、特権なんかないですよ」「絵師は他の職業よりフォロワー増えやすいし発言力があるよね」「モザイクかける前を見れるのは特権だね」「紙とペンがあれば君も特権階級だ!」「神絵師を妬んでるだけのnote」「努力してないだけ」
アホか?会話成り立ってないやん。
たぶんTwitterでこういった意見を述べてる人たち、note読まずに見出しと切り抜きと「特権」の二文字だけで中身決めつけてるだろ。ただのヤバイ奴じゃんこれ。そういう「ニュースやはてなを見出しだけ読んで批判する」みたいな行動するなよ。ダメだろ。
あるいは読んだけれど意味を理解できてないアスペ。1ミリも言ってないことに対してキレてるのはシンプルにヤバイ奴だろ。
違うじゃん。このnoteに対して反論するとしたらさ、「自分の分野が他の業種に侵されてるのを指摘するのは、特権意識じゃなくてポジショントーク。誰だってそうする」とか「翻訳家や税理士と違ってイラストレーターは外貨を稼げる職なんだから、国から優先的に守られるべき(こんなこと言ったら絶対炎上するが)」とか「イラストAI自体は肯定してる。あくまで無断学習とか現状の法整備をdisってるだけ。クリーンなイラストAIなら良いと思ってる」とか
そういう方向性の反論が正しいじゃん。なんで発言力とかモザイクの話になるんだよ。意味わかんねえよ。
せめて日本語読んでからご意見してくれ。できないならコメントなんかするな。
補足。
俺は音楽業界に勤めている。
編曲メインだから作曲家ほどクリエイティブじゃないが、クリエイターの端くれとして生成AIには思うところがある。
が、それと同時に絵師にも思うところがある。絵師、俺ら音楽業界のこと内心バカにしてない?
例えば漫画村が流行ったとき、いろんなイラストレーターが漫画の違法アップロードに怒ってた。
それは正しいと思う。俺も漫画村はクソだと思うし、漫画村使ってた奴とは距離を置いたよ。
でもさ、お前らイラストレーター、作業用BGMとか聴いてるよな?お絵かき配信でゲームのBGM流したりしてたよな?音楽は違法アップロードして良いのか?俺マジでキレそうになったよ。イラストレーター全員がそうじゃないってわかってるし、今は配信BGMに気をつけるかもしれないけど、ハッキリ言って印象は良くないよ
「イラストはクールジャパンで外貨を稼いでる!日本の誇る文化!」とか言ってたのも嫌いだ。外貨稼いでりゃ偉いのか?じゃあ外貨稼いでない音楽業界のことどう思ってるんだ?
そういう経験のせいで、音楽AIを否定してたのも擦り寄りを感じて喜べない。「確定申告AIほしいな〜」とか「背景描くAIほしいな〜」とか言ってた人が本心から音楽AIを否定してると思えないし。てかその発言、税理士や背景担当の人をナチュラルに見下してるじゃん。
X見てると「天才だから返ってきて欲しい」「いないとつまらない」「いつまでも待ってる」
などのファンの言動が見受けられるが誰も、文春記事の真偽についてはいってないんだよね
そもそも事実無根って言ってたのがトーンダウンして強制的ではなかった、とか言い始めてる時点で怪しさ満載なんだけど
「美女と飲み会したのは事実と思うけど、強制上納はなかったと思うし帰ってきて欲しい」
「文春の記事は事実と思うけどすごい芸人だから帰ってきて欲しい」
なんだろうかどれなんだ?
個人的には、松本が無理矢理強姦したとかはなかったと思ってるし、多分王様に対する忖度の末に女性が献上され
大企業の上層部でも「そこまでしなくても」ってくらい上を持ち上げるおじさん達をよく見るが、同じ理屈だろう
この前放送作家が老害になってると言ってやめていたがあれと同じ現象だったんだと思う
まああの放送作家は自分で気づいたが松本は気づいていないんだろう今も
誰も「王様が裸」なんて言えないし、王様が軽い気持ちで「あれがほしいな」などと言おう物なら何が何でも手に入れて目の前に差し出すんだろう
これはどのコミュニティでもそうだが、愚かな馬鹿の意見というのは無視されがちだ
まるでオオカミ少年の如く愚かな馬鹿はその存在を無視され、場合によっては積極的に排除の対象にすらなる
人類は太古の昔からそうすることで己のコミュニティから有害な人物を取り除き、それが一種の自浄作用だった
愚かな馬鹿の存在を無視せず、寧ろ積極的に仲間に取り入れようとする場所は劣化した政治だけである
かつて歴代の自民党政権の中でも高い支持率を誇った小泉政権が、自身の政策である郵政民営化に関する宣伝企画の立案を広告会社に依頼した際に
その広告会社は「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する比較的IQが低い層」、所謂「B層」が小泉政権の最大支持層である事を突き止めた
劣化した政治で競うのは知性や能力ではなく愚かな馬鹿への忖度力であり