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2017-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20170222215529

概ね友達関係というもの疑心暗鬼と表裏一体の脆い関係性だろ。それはそれで「友達」してるからいいんだよ。

ブロックチェーンを利用することによって浮き上がらせることのできるものは「誰とも関係性のない人間」だよ。

誰とも関係性のない人間は、評価されてないわけだからまり虐められている可能性が高いわけよ。

そういった生存バイアスの裏側にあるデータを引っ張り出してこれるんだからブロックチェーンは結構有用なんだぜ?

(といっても設計次第だけど)

2017-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20170220231925

うっっわ、きっついわーーー

話きいてるだけで胃が痛くなる

お前としては出来る限りのことを精一杯やってるんだろうと思うよ

それは文面からも伝わってくる

それなのに、相手は「それじゃ足らない」とか「そんなんじゃない」って感じなのかな?

確かに、向こうは向こうで求めたいものがあるのかもしれない、

お前が求めているものとは違うのかもしれない、

だけれどお互いパートナーなんだから

相手の望むものをお互いなんとか工夫して受け入れ合おう、

これは受け入れづらいけれど、ここまでなら何とかしよう、とか、

そういう譲り合いがあってお互いのコミュニケーションが図れるものだと思う

だけれど、お前の話を聞いていると、どう考えたってお前の持ち出しばっかりだよな

そりゃ限界が来ると思うよ



これがもしはてブで目をつけられたりしたら、

はてブは大抵女の味方しかしないバイアスが働いているから、

元増田の方にも問題があった【に違いない】」とかゲスパーして、

語られもしない嫁の苦労話を掘り起こしてまでして、

「嫁の気持ち理解しようとしない元増田にも問題があったのでは?」とか、

とんでもないアクロバティックな女擁護を展開してくるからやりきれないよ



一番の問題は、何で嫁が心変わりしたのかというところだよな

子供が生まれると気持ちがそっちに移るというのはよく言われる、

だが、

パートナーそっちのけで子供「ばっかり」にかまけるのは、

そりゃお前が言うように「完全な裏切り」だよな

子供への愛情というのは母・父ともに持つもんだ

だがその一方で、親は親でお互いを子供とはまた別個で愛し合うもののはずだ

お前には妻を愛する気持ちはしっかり持っていたにもかかわらず、

妻はお前を愛そうとしなかった

それはそれはつらいものだと思うよ



子供を産んだ後に女がセックスが疎ましくなる現象があるのだとするならそういう話が世間に溢れて良さそうだが、

子供産んだって睦まじくセックスする夫婦大勢いるんだし、

生理現象としてひとまとめにするのは乱暴な考えだろう

お前の妻は、なぜセックスしたくなくなったのか、

それをはっきりと言語化してお前に伝える義務があると思うよ

何かというと女は察してちゃんだからそこが何より一番話が拗れるところなわけだが



セックスレスって今ではもはや当たり前に存在する現象になりかけているが、

なぜセックスレスが起きるのかって話は誰も話そうとしないんだよな

本気の気持ちを誰もぶつけようとしていないんだわ

不満は抱えているけれどとりあえず言わず我慢しよう、



世の中そんな人間で溢れかえってるわけさ



冷静に考えると、こんな恐ろしい話もねえわな

何より、生まれてきた子供にとんでもねえ悪影響があると思うぜ

2017-02-19

堂々と下ネタが言えるというのは、それを差し引いても余るだけの信用があるか、

顔か金か権力か知らないけどそれで黙らせているかのどっちか

でなければキモいおっさんとして社会的に殺されているので単なる生存バイアスしかない

2017-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20170218162329

五体不満足でもメディア自分を切り売りして金を稼いだり浮気しまくるタイプ人間が極稀にいても、適応できずに他のことができない金もないなんにもやれない状態に陥る人間が大半だってことだろ

成功者バイアス振りかざしても現実からは程遠いというね

2017-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20170214140547

からだけどたまに被害者バイアスが強すぎる派遣のおばちゃんいるからなあ

支給品が満足じゃない時点で派遣元に連絡いれるべきだった

2017-02-13

原子力戦争抑止力

原発関連について思うこと。思考整理のために。

何かと取り上げられる原発関連問題についてですが、「エネルギー資源の点から原発再開・高速炉建設は現状止むを得ない選択肢である」というのが今の私の考え方です。




石油はもって40年」と自分子供の頃からそう言われていて、いまいち危機感が持てなくなっているけれど、少なくとも自分子供のころはレギュラー90円切るようなのが当たり前だったと思うし、確かに昨今の不景気が影響で価格が高騰しているということもあると思いますが、客観的事実として、天井のある資源を使い続ければいずれ枯渇することは当たり前だと思います

エネルギー資源の枯渇が引き起こすのは奪い合いであるといったことは、歴史的に見ればある程度自明だと思います

今の時代簡単資源を巡ってすぐさまに戦争が引き起こされる、といったことは想像しにくいですが、少なくとも産業経済制限がかけられることと思います



そのような情勢において「原子力」というエネルギー源の選択は、再利用技術確立が為されればかなり明るいと思います。(しか3.11のような経済的コストや、使用済み燃料やそれに付随して出る汚染物質の処理のような将来的課題もまだまだあります。)



これらを踏まえ私が感じているのは「戦争への抑止力は、資源生産・確保であり、原子力はその点で抑止力と成り得る」ということです。

漫画の1コマに「戦争は始めるものじゃない。出来る限りの外交手段を尽くした上で結果的に起こるものだ」とありますが、この「出来る限りの外交手段」を選択肢として存在させることが重要であり、エネルギー資源はそこに深く関わっていると思うのです。




一方で原子力の利用は、今の日本の風潮ではかなりシビアものだという感覚をみんな持っていると思います。私は原子力関連においても最もネックなのはその感覚自体と、“安全”を砦に原子力危険ものとただただ批判する人間がいることだと思います

将来のエネルギー安定性と現在安全エネルギー供給を秤にかけることは、個人個人で優先すべき事柄が異なるのでどちらが重きとなるかは一概には言えません。ですが、私は原子力というものに“危険もの”という偏見(バイアス)がかかっているために、秤にかけるまでもなく忌避しているような点があるのではないかと思うのです。そしてそのようなバイアス布教助長している各メディアなどのコメンテーター評論家を見ると、嫌気がさします。「原子力=原子爆弾」という偏見さえも未だに存在するような気もします。




一般に「多少原油輸入にお金はかかっても現在日本の電力は間に合っているんだからいいじゃないか」という意見もありますが、私はこれが対外的には一種侵略(エネルギー侵略)のようなものではないかと感じています



話は変わりますが、2000年代に大きく話題になった「地球温暖化問題」というのがあります温室効果ガスである二酸化炭素が増えることで、地球の保温効果が高まり、平均気温が上昇するという話のものです。(反対論として、地球の平均気温は常に上下を繰り返しており、その周期がいま暖かくなっているだけだとの説はありますが、自分は少なくともCO2の影響で温室効果があるのなら、地球の周期があるにせよ、減らす努力はするべきだと考えていますすみません関係ありません。)



この地球温暖化問題に関して、一部ですが「日本温暖化問題を加速させている」という説があったように記憶しています日本という国は自国には森林がたくさんあるにも関わらず、安価であるという経済性の理由から他国木材を多く輸入しており、その木材アマゾンなどで森林伐採して得られているため、日本温暖化を加速させている原因になっているのではないかというお話です。つまりエネルギー資源においても、自国生産しない代わりに他国から輸入しますがそれは他国資源侵略していることに等しいのではないか、と感じるのです。(確かに資源を輸出するのもその国の自由ですし、対価を払っているのですから問題は無いというのもありますが、自分はあまりこのような動向が良いとは感じません。)



自分はこの地球温暖化問題の点と、化石燃料を輸入してでも国内の電力供給を支えている現在日本の状況に、類似点を感じます

原発を停止し化石燃料を輸入することで国内需要を満たすことは、地球全体の資源をより早く消化してしまうことになっていると考えます。この点で、確かにこれも輸入された燃料ではありますが、再利用することが可能である原子燃料を利用することは、これからの将来を考えて資源的に選択することは仕方が無い、むしろ必要なのではないかと考えています



1国がこの広い世界での資源枯渇を心配する必要があるのかと思われますが、その広い世界資源が枯渇した場合に行われるのは、「その資源を持つものが高い対価で取引要求すること」か、「他国が略奪を行う」か、「新技術によって新たな資源生産する」か、のどれかだと思います

少なくともこの中で一番良いのは「3つ目の資源生産」で、いわゆる「核融合技術が現状あてはまると思いますしかし、現段階で研究ベース技術が商用化され、多くの人に利用されるようになるのはいつ頃かもわからない状態で、「いずれ新技術ができるから化石燃料を使い果たして問題ない」というのは楽観的すぎると思います




再三になります原発関連に関して思うことは、原子力という技術や将来性について議論することをせず、消費者被害者意識だけで言葉を揃えて「安全じゃないものは使えない」「間に合っている」と言うのが、個人的にはあまりきじゃありません。

そして原子力技術者として関わっている多くの人々や、また原子力を使うことを決めた政治家や多くの人々を責め立てることも好きじゃありません。

福島第一事故は確かに人の作り出したものが災いしたものですが、想定されていなかった規模(過去数百年の津波高さの統計による)の津波という自然災害によって起きたという部分が色濃いと思います事故結果論しか語ることはできませんが、これまで原子力を扱ってきた人々が事故を防ぐべく尽力していたこと、またこれから努力なさるだろうことも忘れるべきではないと思います




最後になりますが私は、何か意見をもって議論することが大切だと、EU離脱の時のイギリスを見ていて思いました。その点で思うのは、自分意見を言うことでレッテルを張られる、もしくは感情論批判されるような風潮・雰囲気を壊していくことがいまの日本には大切なんじゃないかなと思います

http://anond.hatelabo.jp/20170202144732

元増田あんまりオススメするから読んだよ、『ソシャゲライタークオリアちゃん』。

これ、普通につまんなくて出来悪くて、普通につまんなくて出来の悪いラノベってなんなの、ということを考えるのにすごくいい素材になってしまっているように感じた。

ラノベなんてみんな同じだろw」というような声がどこからともなく(というか元増田ブコメあたりから)聞こえてくるんだけど、そんなことはない、『クオリアちゃん』はかなり出来が悪いよ、ということをしっかり言っておきたいな、と思って、エントリを起こす。

小説としての出来云々じゃない部分、ソシャゲシナリオライターとしての主人公たちの生き方については

http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000

http://anond.hatelabo.jp/20170203190941

この批判が当たっていると思う。

とりあえず俺はクララ先輩には機を見て空売りを仕掛けていくことをオススメしたい。

さて。

漠然と出来が悪い、と言ってもわかんないと思うので、サンプルを用意する。

と言っても、ここで新城カズマとか古橋秀之とか秋山瑞人とか石川博品とか出してもそういうのは例外と流されるだけだと思うので、もっと普通っぽい奴を見繕いたいところ。

例えば、商業性があると評価された実績のある人が書いた作品、すなわち「アニメ化作家の新作」と、ラノベ業界作品を送り出す人たちが評価して世に出した「新人賞受賞作」……と考えて本屋ラノベ棚を見てたら『勇者セガレ』((アニメ化作品はたらく魔王さま!』の和ヶ原聡司の新作))というやつと『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』((第29回ファンタジア大賞大賞受賞作))というやつが目に入ったので、買ってきた。増田のために『クオリアちゃん』と合わせて2000円くらい課金した計算である

http://dash.shueisha.co.jp/bookDetail/index/978-4-08-631161-8

http://dengekibunko.jp/newreleases/978-4-04-892615-7/

http://fantasiataisho-sp.com/winners/mother/

作品とも試し読みがあるので読み比べてみてほしい。冒頭だけだけど、それでも出来の良さの違いが見て取れるから

一見して『勇者セガレ』のレベルがとびきり高く、『お母さん』がその次、『クオリアちゃん』は論外、と俺は思うけれど、そう思わない人もいるだろう。

説明する。

小説には、概ね、お話が付き物だ。もちろん、お話で引っ張る小説は低級、みたいな話もあるんだけど、一般的エンタメ小説(多くのライトノベル一般的エンタメ小説である)においては、そういう議論はあまり考える必要はない。一般的エンタメ小説じゃないラノベに出くわす可能はいつでもあるので頭のすみっこにはおいておいたほうがいいけれど、でも、今回の三作品は全部一般的エンタメ小説志向なので大丈夫

さて、一般的エンタメ小説にはお話がある、という話だった。

勇者セガレ』なら、父親に異世界を救った勇者過去がある、と知ってしまった少年が、異世界での魔王復活を巡る騒動に巻き込まれお話。『お母さん』なら母親と一緒にMMORPG世界ダイブして冒険しながら親子関係を見つめなおす話。『クオリアちゃん』なら平凡な男が惚れた先輩に巻き込まれる形でソシャゲシナリオライターになる話。

んで、さっき示した試し読みで、そういう話だ、とわかるまでにかかる文字数は大体どれも同じ、5ページくらいなんだけど、その最初のとっかかりまでに与えられる情報無駄のなさを見てほしい。

勇者セガレ』は単刀直入お話全体像テーマ、というやつだ)を提示し、そのテーマについての主人公の開始時点での認識提示し、そして、それが揺るがされる場面が、いい意味で突然始まる。

『お母さん』はそれに比べれば随分もたつく印象だが、それでも母親と息子の関係物語だ、ということは十分手早く、一直線に提示されている、と言っていい。

クオリアちゃん』は無駄だらけだ。同級生に平がからかわれる話とか、いらない。

そもそも主人公の平凡さに何故ここまで言葉を費やすのか。クララ先輩にソシャゲシナリオライターの道に誘われる場面から入っていい。主人公が平凡さを脱して何者かになるお話なんだからスタート地点を明示しなければいけないのでは、というのは罠だ。平凡だ、とは、平凡という特徴がある、ということではない。非凡な特徴がない、ということだ。ならば、クララソシャゲシナリオの道に誘われるまで、何らかの特徴があるかのような描かれ方をしてはいけない。この主人公、狙ってか事故でか、かなり平凡ではないキャラなのだが、それもまあ、いいのだ。普通男子高校生と言って始まった話で主人公がとんでもない過去を思い出す、すげえ設定が明らかになるなんてのはよくある話だ。語り出す位置に変な癖をつけないことで間口を広められることだけが平凡な主人公という設定の美点で、それをこなしたらあとはどんどこヘンな奴にしていっていい。逆に、ヘンな設定をあとから盛りやすくするためにも、平凡さを積極的に描くのは悪手だ。

ここには多分、ライトノベルキャラクター小説である、という誤解がある。

商業性を認められたアニメ化作家も、送り手に評価された新人賞作家も、テーマ登場人物関係性を提示するところから小説を書きだしている。主人公人物像に無駄に筆を費やしたりしていない。主人公人物像を描いてはいけない、のではない。主人公人物像は、この際テーマ関係性よりも後回しにすべきだ、という話だ。

ライトノベルキャラクター小説だと早合点していると、主人公キャラクター性を提示するのが大事だ、と思い込んで、本筋のお話よりも先に名前からかわれるエピソードを入れ込んだりしてしまうのではないか、と思う。

そうした結果、ソシャゲシナリオライターの手伝いを頼まれるという展開の驚きが盛れなくなる。驚きのない掴みは最悪だ。

そもそも、ソシャゲシナリオ仕事を手伝うことになるって普通に考えて驚くような話なのか、という問題はある。

ソシャゲシナリオ仕事の手伝いを頼まれて驚くのは、ソシャゲシナリオに関わることをまったく想定していなかった場合だ。主人公脚本科の学生なんだからゲームであれシナリオ仕事を頼まれるのは、そんなに違和感のある話ではない。先輩に手伝ってと頼まれた、なんてのは、ライターデビュー王道と言ってもいい。

どうすればソシャゲシナリオライターデビューで驚きを演出できるのか。主人公ソシャゲを嫌いだ、という設定にしたらどうだろう……と王我は作者にささやいてはくれなかったのだろうか。

これも、関係性やテーマを後回しにしたことで生じた問題だ。ソシャゲ主人公関係をちゃんと設定していないから、こうなる。

ソシャゲマニア制作現場に関わることで現実を知る、でもよし、ソシャゲ嫌いが制作現場に関わることでソシャゲを認められるようになる、でもいい。ソシャゲどころか物書きとさえ無関係主人公なら(脚本科に在籍し、名作の名台詞を書きぬいてノートを作っている主人公はどう考えても無関係ではない)ソシャゲというものに触れる、というだけでも驚きがあるだろう。

半端にクリエイター志望でソシャゲ特に何も思うところがない主人公、というのは、掴みのインパクトを出すには最悪だ。

テーマ関係性、お話というあたりにあまり気を回さず、四姉弟の設定とかでインパクトを出そうとしている((『涼宮ハルヒの憂鬱』の構造をいただいているつもりなのかなって思いついて、ちょっと戦慄した。あれはハルヒについての話をあの三人がしてくれる構造であって、異能者が三人ただ自分異能を見せてくれるという構造ではないのだ。))んだけれど、そりゃ読者にも驚く理由がないよね、としか言いようがない。『ハルヒ』は、読者と視点を共有しているキョンハルヒ普通少女だと信じる理由があって、だからこそ、超常的な存在なのだ、と語る長門たちの言葉に驚かされることができる。本作では、クララタイムリープしない、オーガが異世界転移しないと信じる理由がどこにもない。だから、平がどれだけ驚いても読者は( ´_ゝ`)フーンとしか思わない。

あとがきラノベ200作品勉強した、って書いてあって、それは感心なんだけれど、でも、勉強する方向を間違えてはいなかったか、そこは疑問。

ライトノベルキャラクター小説だ、とか、男オタク向け作品関係萌えじゃなくて属性萌えだとか、そういう俗説を真に受けて、バイアスをかけた勉強をしてしまったんじゃないだろうか。

結果、普通につまんなくて出来の悪いラノベになってしまったんじゃないだろうか。

 

なお、ソシャゲ周りの設定について付言しておけば、作中作初恋メモリーズ』のシステムは、『プリンセスコネクト』に似ている、らしい。まあ伝聞なので確言はできないんだけど、だとすれば、元増田が言うほどソシャゲとは違うものの話をしているわけではない。とはいえ、『チェインクロニクル』のライターが書いた本で『プリンセスコネクト』の創作秘話を読まされることをみんなが望んでいたかどうかは不明だけれども。

2017-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20170211192830

こういうふうに女叩きにだけ反応するやつのバイアスもわかるし2度楽しめるね!

http://anond.hatelabo.jp/20170211190412

こういうN=1から主語を作る系の話って、どこで切り分けるかによって語り手のバイアスがわかって面白い

仮にこの出来事がそのまま事実であったとして



1.中韓人(らしき人)にはバカが多い。そうでないやつもちょっとはいる。

2.女はバカ。男は利口。(ゆえに日本人も女はバカで男は利口)。

3.そういうバカな行動をするのはX0代によくある傾向。

4.わかりにくいバーコードシステム提示する店はグローバル的に最悪。

5.日本バーコードシステム対応できない外国人は最低。



とか色々切り口はあるだろうに、あえて「女はバカ」にしているところによほどのコンプレックスがあるのだろうと思うね。

かわいそうに。

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170208105212

ダメだ。

そうやって、さも当たり前の共通言語のように、ツイカスだとかクズだとか、品性に欠ける単語を使ってしまっては。そうやってラベリング意識刷り込み他人侮蔑することを当たり前にやるというミーム感染拡大させる、それは増田が嫌うネットの人々がやっていることと何も変わらない。特に、私達のようにWebを見てきた30や40を超えた人間は、ネット空気になじんだような口調になってはいけない。

どんな嘲笑を受けようが、自分高潔さを保ちながら、丁寧な言葉を選びながら誠実に謙虚に核心を突く議論を(たとえ匿名でも)展開していく。そういう事を続けて、わずかでもその姿勢共感して倣ってくれる人を増やしていかないといけない。ただでさえネット上ではみな次第に同じような卑しい口ぶりと思考回路になっていくバイアスがあるのだから、それに抗って「ネットの向こうの人」の多様性を見る者に意識させていく必要性が、今ますます高まっている。

想像してみてほしい。Web言論悪化してみえる大きな原因の一つは、発信者リアルに低年齢化しているからではないか10年以上前の時点ですら、小中学生PCを使ってMMORPGに入ってくることがあった。今の子どもは幼稚園以前からスマートデバイスに触れて、小学生でも大人以上に使いこなす。そうしてネット上で、子ども子どもを「キッズ」だなんだと揶揄しているような中に、そうと気づかず青年中年までも同じようなノリでやれやれと叩きはじめる。現実に、小中学生しょうもないいがみあいをしている所に大人が一緒に混じってやりあうことがあるだろうか。ネット上では、ある。しかも悪いことに、子どもたちは彼らが自称ながらも本当に大人であろうということを知ってしまっている。世の中はそういうレベルものだという認識を強めていってしまう。そんな中で、そういう輪の中に大人たちが立ち入らない(スルーする)ことは賢明ではあるけれども、場合によっては、きちんと良識ポリティカル・コレクトネスをふまえた丁寧な注意をしてあげるべき状況も少なからずあるはずだ。その時ただちに理解されずに、袋叩きにされて逆効果のように思えたとしても、子どもたちが育っていったとき「あの時はアホだと思ったけどマトモな大人が確かに存在した」と思って貰えることが重要だ(ただし上から目線にならないよう相当注意しないと、本当に逆効果になってしまう)。それがないと、ネット同調性に囚われ、低みにとどまり続け、自省能力を失った大人たちが将来多数派になってしまう。その後の未来はもう誰もが薄々感じているような様相になるだろう。実際のところ、ネット上での振る舞いを教えてあげられるのは、教師でも親でもない。彼らはその場に居合わせていないのだから同級生から学ぶことも難しい。この問題を現状で一番どうにかできる可能性があるのは、その場に居合わせ大人だけ。その事実をもう少し重く捉えてほしい。

から、本当に憂いているならば、そう簡単に「さよなら」を言ってほしくない。日本人性質的に無理なんだとか、そういう諦念をバズらせて思考感染させないでほしい。

2017-02-08

愚神礼讃にシームレスバイアスって読ませた西尾威信すっげー!!!

ぐしんをらいさんすることそれすなわち途切れることのない偏見しかない!!!

kkkkkっかあああああああああああああー!!!!!!

かっけーすぎる!!!!!!!!!

いっしょうついてきます

2017-02-06

映画沈黙 サイレンス」に便乗してキリスト教入門を語ってみる

映画沈黙サイレンス‐」がそこそこ流行っているみたいなので、便乗して「映画を見に行きたいけどキリスト教については何にも知らねーよ」という人に向けた「キリスト教とは」みたいな文章を書いてみたいと思う。

私自身は某プロテスタントの家庭に育った人間なので、どうしてもその宗派に寄った解釈というかバイアスは避けられないと思うけど、今回は可能な限りキリスト教最大公約数を目指して当たり障りのない範囲解説をしていきたい。

ちなみにタイトルは半ば釣り。「沈黙」はカトリックベースの話なので、どこまで私の話が参考になるかは分からない。

私自身、原作は読んだことがあるけれど、まだ映画館には足を運べていないので、その点は事前に了承しておいてもらいたい。

 

ポイント1 神様世界をすべて作った

キリスト教神様は全知全能。ミスも犯さないし、世界のすべてを知っているし、できないことも何もない。で、そんな神様が「光あれ!」と言って、世界ができた。「天地を創造された」ってことになってるけど、まあ、宇宙を作ったって解釈問題ないと思う。

 

ポイント2 神様人間自由意志を与えた

神様世界を作った後で、エデンの園って場所地球上のどこか)に最初人間を作った。アダムとイブ宗派によってエバ・エヴァとも)ってやつ。神様人間絶対服従のロボットみたいにすることもできたけど、あえて自由意志を与えた。自分意志神様を敬うようになって欲しかったって解釈でいいと思う。

で、「お前ら基本的に好きに生活していいけど、園の真ん中にある木の実(「善悪知識の実」とか、翻訳によって色々)だけは食べちゃダメよ」って人間約束した。

 

ポイント3 罪の支払う報酬は死

案の定アダムとイブ約束を破って木の実を食べちゃった。

元々、神様人間を「不老不死」で「罪」も犯さな存在として作っていたんだけど、この約束違反をキッカケに人間は罪を犯すようになってしまった。

「罪」の解釈は難しいテーマなのでサラリと流すけど、とりあえずキリスト教的には、人間ってのは普通に生きていれば呼吸をするようなレベルで罪を犯す存在。それくらい厳格な基準で罪と判別されることになっている。要するにキリスト教的には人類100%罪人ってこと。

そして「罪を犯した人間」はワンミスでも即「永遠の命」の権利を失う。理由については宗派によって解釈が違うかも知れないので触れない。ここでは、とにかくそういうルールだと思って貰えばいいと思う。

 

※余談だけど「神様は全知全能なんだからアダムとイブ約束を破るの初めから分かってたんじゃねーの」というツッコミは当然ある。長くなるし議論にもなるところなので端折るけど、この手の分かりやすツッコミどころ(いっぱいある)に関しては、基本、前人たちの手によって何かしらのエクスキューズっていうか言い訳が用意されているので、興味がある人はまずは調べてみるといいと思う。

 

ポイント4 イエス・キリスト人間の代わりに死んでくれた

人間は罪を犯す存在になり、そのために永遠の命を失ってしまったんだけど、神様人間を見捨てなかった。「罪の支払う報酬は死」っていうのがルールなら「罪を犯してないヤツ」が代わりに死ねば、罪を犯した人間の「死」はノーカンになるよね、って理屈で身代わりを送り込んでくれた。それがイエス・キリスト

このイエス・キリストっていうのは、神様本人でありながら神様の息子でもあるという複雑怪奇存在しかも、神様でありながら人間としてこの世に生まれてきた。もう訳が分からんと思うけど、この辺も宗派によって超議論になるところなので、今回はそういうもんだとしてスルーする

とにかくイエス・キリストは、人間として生まれ大人になったけれど、その間、一切罪を犯さなかった。そして、そのまま人間たちの手によって十字架にかけられて殺された。「罪を犯さなければ死ななくてもいい」っていうルールだったのにキリストはあえて死を選んだ、という解釈が正しいかどうかは怪しいけど、まあそう考えると理解やすいだろうか。

 

ポイント5 信じるものは救われる

そんなこんなで、人間の罪はキリストによって帳消しになった。ただし、神様あくまでも自由意志にこだわるので、これを受け入れるかどうかは依然として人間次第。だから人間が罪を帳消しにしてもらって「永遠の命」を取り戻すためには「サンキュー神様、身代わりありがとね」と神様宣言する必要がある。

何をもって宣言したとするかについては宗派によって色々だけど、まあ「洗礼バプテスマとも)」と呼ばれる儀式を受けるのが一般的。「心で受け入れればそれでOK」なんて解釈もある。逆に、あれこれ義務的な内容が追加される宗派もあるけれど、ベースに「身代わり理論」があることは変わらないはず。

 

ポイント6 「永遠の命」「死後」「最後の審判」の解釈は様々

人間個人の罪は身代わりによって帳消しになったけど、依然として人間が罪を犯す世の中は続いている。だから神様はどこかの段階でこの世界を一旦終わらせて、もう一度、罪のない世界を取り戻す(最後の審判)。そのとき、罪を帳消しにしてもらった人間は「永遠の命」が与えられる。とまあ、実のところ、この辺りまでが大体どの宗派でも共通しているだろうっていえるギリギリの線。

じゃあ具体的に「最後の審判のあとどうなるの?」とか「最後の審判の前に死んだ人間はどうなるの?」とか「『永遠の命』を貰えなかった人間はどうなるの?」とか、細かい話は本当に宗派によって色々なので、もうここでは一切触れない。

まあ、「永遠の命」を与えられた人間が、最終的には「天国(あるいは天国的なところ)」で幸せ暮らします、っていうのは多分共通だと考えてもらっていいと思う。あと「永遠の命」を貰えなかった人間は少なくとも幸せな結果を迎えられないってところも、多分共通

 

おわりに

とまあ、後半は特に曖昧表現が多くなったけど、キリスト教最大公約数的な説明をするなら、多分こんな感じになると思う。

本当は、これを踏まえて「一般的日本人クリスチャン意識や考え方が噛み合わない理由」みたいな話もしたかったけど、長文になったので、それはまた次の機会にしたいと思う。

好きなことを仕事するのはやめたほうがいいという忠告

仕事に関する増田が連日賑わってますね。

文章が得意ではないので書こうかやめようか何度も悩んだのですが、でもこれが理由で悩んでいる人を沢山見てきたので、やっぱり頑張って書いてみることにしました。

好きなことが仕事になったらいいなって思っている人が結構いると思うんです。

そうやって好きなことを仕事にして輝いている人を見ると素敵だなって思うし、目の前の仕事自分の好きなことだったらもっと頑張れるのになって思ってるかもしれません。

でも、多分それはやめたほうがいいです。



なぜなら、好きなことを仕事にするということは、自分の魂を切り売りするのと同じだからです。

例えば好きな絵を仕事にしたくて、書いた絵を売りに出すとします。

しかしたら、その絵には高い価格が付くかもしれません。

しかし、その才能にニーズがなければ、その絵には大した価格はつかないでしょう。

その絵が、どれだけ大切に情熱を込めて作り上げたものだとしてもです。

でも、生きていく以上はその絵を売らなくてはいけません。

例えそれが自分が納得できない価格だったとしてもです。



この瞬間に生まれ自分が思う価値と売れたとき価格との差額が、あなたが生きるために魂を売った価格です。

売りたい価格を付けることは自由ですが、売れる価格は世の中が主導権を持っています

どんな価格を付けたとしても売れなければ価値がないのと同意です。

好きなことを仕事にする以上、この事実からは避けて通ることはできません。

これが情熱希望を胸に、好きなことを仕事にしようと社会に漕ぎ出した自分に待っていた現実でした。



好きなことを仕事にして成功した人間も多くいます

しかし、彼らが成功できたかどうかは、結果でしかありません。

成功者の多くは、ただ好きというだけでなく、人よりもずば抜けた才能を持っているかたまたま時代が求めるものに一致した場合かのどちらかです。

好きなことができれば貧しくても幸せだなんていうのも嘘です。

生きていくために自らの魂を切り売りすることは、生きていく意味を見失いかねないほどにむしろ苦痛しかありませんでした。

もし好きという思いが強ければ成功できるなら、世界中には成功者が溢れているはずです。



このままでは暗い話で終わってしまますが、それからいろいろあって、今では自分が好きなこととは全くかけ離れた業界で働いています

全く見ず知らずの業界で働きながら、好きなことに価格をつけることは苦痛しかなくても、得意なことに価格がつくことはむしろ喜びであることに気が付きました。

そうはいっても得意なことを仕事にしようとこの業界に入ったわけではありません。

働いている途中で気付いたことが、自分の得意なことがこの業界でも役に立つかも知れないということでした。



得意なことと言っても、それだってずば抜けた才能が沢山あるわけではありません。

人よりも少し得意な程度のものが2つ3つあるだけで、一つ一つの分野だけで言えば社内には自分より得意な人間がいます

ただ、それぞれを組み合わせた仕事への取り組みは自分しかできないものでした。

それによって生み出せるものを、私以外には作れる人はいませんでした。

それが会社の中で唯一無二な価値になり、今では無くてはならない存在と言われるまでになるようになりました。




これが生存バイアスであることは否定しません。

多分に運の要素も多かったのだと思います

ただ、それをわかった上でお伝えしたいことは、一つ一つが誰よりも優れていなかったとしても、それぞれを組み合わせることで人には真似出来ないものを生み出すことが価値になることもあるということです。

沢山の人が沢山の個性を持って生きていく世界の中では、何かに一番になることと同じくらい、唯一の存在であることでも活躍できるのだと思います

今では生活に少しの余裕もでき、自分の好きなことに再び没頭する時間を持つことができるようになりました。

あの時、好きなことで生きていくことを諦めていなければ、好きなことを好きなままではいられなかったかもしれません。



どんなにプライスレスものでも、売りに出せば価格がついてしまます

もしあなたが好きなものを本当に大切に思うのなら、人に価格をつけさせるかどうかは慎重に考えたほうがよいと思います

2017-02-04

AI人間を超えても人間プロ価値は損なわれない」

これよく聞くけど絶対そんなことないと思うね。

俺達の世代でそうじゃなくても、生まれた瞬間からAI人間に勝っていた時代に生まれ世代にとっては全く別の物が見えてるはず。

人間プロ同士の戦いにAIがやってきたと俺達は見ることが出来るけど、AI人間を倒した後の世代から見たらAI同士の戦いを人間が真似っ子してるように映るんじゃないの。

そしてその世代が今俺達が感じている凄さ人間プロに感じるとは思えないね

そもそもああいった発言をしてる人たちって本当にそうなったら困る人たちばっかじゃん。

そうなるともうバイアスかかりまくりだよね。

つうかもろに正常性バイアスかかってる人間の喋り方なんだよなあ理屈の構築とか情報の取捨選択とかがさ。

2017-02-02

情報操作

世論てどのくらい情報操作出来るものなんだろう?

ネットが発達してきてある程度は抑制が効くようになったのか?それともより左右されやすくなったのか?

大統領選やその後におけるマスコミ報道を見てると、民衆意見は偏っているように報道されているような気がしていたが、蓋を開けてみると実は異なってた。

報道という行為はどれくらい民衆に影響を与えるのか?またはもしかすると、民衆バイアスのかかった報道にさせているのか?

2017-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20170201193539

バブル期は実はこんなにひどいことがあった!」って誇張している本、案外おおいから、バイアス気をつけたほうが良いよ。

まあ、自分は本読まなくても、バブル時代にすでに社会人やってたから、自分身の回りので体験したことならわかるけど。

2017-01-30

誤発注商法について

ちょっと前までは,「生産追いつかなくて販売中止しま商法」が流行っていたけど,

最近コンビニとかが「誤って大量発注しちゃいました買ってね商法」が流行りだしている.

販売中止商法メーカー側の生産体制の見込みが合わなかったという意味で,完全にメーカー側が悪いはずだろ.

これを素直に人気だからと取るか,ひねくれてメーカー故意にやっていると取るかは完全に消費者側に委ねられているので,まぁまだいいかなと思う.

問題誤発注商法の方だ.こいつは本当にたちが悪い.もしも誤発注故意にやっていたとしたら,それは消費者良心を利用しているクズだ.

だいたい誤発注商法誤発注してしまもの賞味期限が短いものに偏りすぎている気がする.これも胡散臭い

賞味期限が短くなければ誤発注しちゃったから買ってくれとアピールしない,というバイアスがかかっていることもあるとは思うが)

そもそも本当に誤発注しているのだとしたら,それを防ごうとしないコンビニチェーンそのものおかしいはずだ.

ミスは誰にでもあるものだとは思うが,だとしたら尚更それを防ぐ対策を立てるべきだ.

なんだかまとまらんけど,誤発注云々は本当に信用できない.

誤発注商法について

ちょっと前までは,「生産追いつかなくて販売中止しま商法」が流行っていたけど,

最近コンビニとかが「誤って大量発注しちゃいました買ってね商法」が流行りだしている.

販売中止商法メーカー側の生産体制の見込みが合わなかったという意味で,完全にメーカー側が悪いはずだろ.

これを素直に人気だからと取るか,ひねくれてメーカー故意にやっていると取るかは完全に消費者側に委ねられているので,まぁまだいいかなと思う.

問題誤発注商法の方だ.こいつは本当にたちが悪い.もしも誤発注故意にやっていたとしたら,それは消費者良心を利用しているクズだ.

だいたい誤発注商法誤発注してしまもの賞味期限が短いものに偏りすぎている気がする.これも胡散臭い

賞味期限が短くなければ誤発注しちゃったから買ってくれとアピールしない,というバイアスがかかっていることもあるとは思うが)

そもそも本当に誤発注しているのだとしたら,それを防ごうとしないコンビニチェーンそのものおかしいはずだ.

ミスは誰にでもあるものだとは思うが,だとしたら尚更それを防ぐ対策を立てるべきだ.

なんだかまとまらんけど,誤発注云々は本当に信用できない.

2017-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20170128133058

横だけど昔はメガネウラとか現代ヤシガニみたいなのもいるし、外骨格以外の小さくなるバイアスがあるんだと思うよ。

亜熱帯熱帯地域比較的でかいからやっぱり気温かな。

それ以上にでかいのを求めているならそうかもしれんが。

2017-01-27

強制性交等罪」

ソース

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/性犯罪厳罰化へ-法定刑引き上げ、非親告罪化-「強姦罪」は「強制性交等罪」に変更/ar-AAmh5qd

罰則を強化するほか、被害者告訴必要となる親告罪だった強姦(ごうかん)罪などについて非親告罪化することも盛り込む。罪名も「強姦罪」を「強制性交等罪」に変更する方針で、女性被害者となることを前提とした名称から性差のない名称に変わる。

誰でも気づく問題点

辞書を参考にする

http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/038.xml


カン [删]
奸と通ず
○よこしま(邪)かたまし、書。堯典「烝烝乂不格─」
○わたくし(私)
○いつはり(詐)
○みだら(淫行)みだる(亂)
○惡人(罪人·淫婦·佞人·惡漢)
【姦意】 カンイ ねぢけたる心。列女傳「舜猶內治、靡有──」
【姦惡】 カンアク わるもの。潛夫論「張湯增定律令、以防──」
【姦勇】 カンイウ 心よこしまにしていさまし。國語「──爲賊」
【姦雄】 カンイウ 心のあしき豪傑。家語、始誅「此乃人之──者也」
【姦强】 カンキヤウ 心かたましくつよし。蘇軾詩「朅來東觀弄丹墨、聊借舊史誅──」
[一部抜粋

https://en.wiktionary.org/wiki/姦

Ideogrammic compound (會意): 女 (“woman”) × 3 – lewd behaviour; vice.

このように、「性差別」的な字源を有してはいるが、皮肉なことに、熟語における形容詞的な使われ方としては、専ら男性に関するそれが圧倒的に多い

まあ、お役所としては、こういう用語時代ごとに置き換えるっていうのは、むしろ伝統的で正しいことなのかもしれないし、最大の社会悪というのは、こうした用語を形作る言語シフトしていくことではなく、性暴力被害が発生し続けることだろうから無用批判なのかもしれないが…。

と思ったら…徹頭徹尾見当外れだった

とか何とか思ったんだが、結局自分にはその語源自体はよく分からないので、そのような臆測もまた十分ではないことに気づいた。

しか熟語解説にはちゃんと「女」という字が入っている

でも逆に語源が分からない以上は納得がいかないことも、熟語つの選び方が変だと思うことも、それが俺の率直な意見だ。…論外だが。

2017-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20170126154745 (改行有り版)

化粧が嫌いだった.

より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.

理由はいろいろある.

第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.

そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.

思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.

大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.

美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.

人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.

顔というのは社会活動必須アイコンからだ.

から人間の顔は美しくはないが面白い.



話がずれた.

雑誌モデルなどについてはどうだろう.

確かに彼らは美しいような顔をしている.

彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.

彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.



彼らは芸術品だ.

相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.

人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.

そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.

おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).

化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.

それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.

芸術品になりたいわけでもあるまいし.

猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.

第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.

それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.

それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.

マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.

そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.

その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.

それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.



生意気は死だ.

思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.

そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.

それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.

それが大人になるということだとしても.

第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.

蔓延似非科学.

薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.

コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.

当たり前だ.

人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.

乾燥していることは肌には負担だ.

なので保湿はメリットがある.

ただそれだけの話.

睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.

たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).

そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.

「化粧をしていないものには死を.

肌が荒れている? 生ぬるい.

それはあなた努力不足だ」.

このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.

とんだ生存バイアスだ.



「この商品が効きました」というレビューがある.

わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.

思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.

しかたのない話だ.

肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.

分かっていないことの方が多い.

結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.

なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.

「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.

なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.

それが基礎化粧品だ.



カルト宗教じみている.

社会悪だ.

吐き気がする.

使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.

そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.

重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.

それは心の平穏に繋がった.

他人を称賛することもできる.

そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.

化粧をした自分の顔は好きだ.

スポンジのように様々な知識収集した.

こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.



けれど問題は,技術稚拙であるということだ.

周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.

熱意はたかが知れている.

そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.

無理をしたって仕方がないのだ.

だいたいなにか目的があるわけでもない.

わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.

ファッションなどもそうだ.

女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.

一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

化粧が嫌いだった

化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動必須アイコンからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延似非科学薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなた努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識収集した.こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.

けれど問題は,技術稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

2017-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20170122114151

主人公価値観とは異なる、怖いしやめとこう、みたいな選択肢を選ぶと殺されて、

こんな無謀なことやったら絶対死ぬだろ、という選択肢選んだら生き残るんだよなぁ・・・

ある意味生存バイアスで士郎はこうなった

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