はてなキーワード: TPOとは
或いは自分の持っている知識=全世界の常識だと思っている視野が狭いタイプとか。
狭い特定分野の話をTPO考えずに誰相手でもやり、相手がついて来れないと「頭悪いから理解できないんだ」と考える奴。
こういうのは日常会話にオタク用語が入る痛いオタクと根本的には同じ。
「それは一般的には常識ではない。それを知っている同類間で話す分にはいいが、それ以外の人の前で出す話題ではない」
「それを知っているかどうかは頭が良いか悪いかとは別の話である」と言う事を理解していない。
これも地雷。
…書いてて思ったけど、元増田と付き合いたいとか書いてる男って
私はじぶんのことをオタクだと思ってはいるけれど、こういうルールを感じたことない。
個人でいる時までこんなこと考える馬鹿っていないわけじゃない。
要するにルールがないと会話できないってことでしょ?お約束以外なにも理解出来ないんでしょ?
どうせ自分が作品とどう向き合うか、なんか最初から真剣に考えてないんでしょ?
わかんないところこそ、パッと理解出来ないところこそ面白いんじゃななかったのかよ。
オタ友とキャッキャウフフしたいってのが本音なんでしょ?
ソーシャルゲームやってる奴らと同じ。
何事も、お友達関係が前提なんだよな。一番大事なのはそっち。女の腐ったような発想だ。
こういう考え方のやつと、アニメやらゲームについて語った所で、
「いかに共有できるか」とか「いかにお約束(=自分が理解できる文法)が守られているか」みたいな話で落ちる。
個々人の信条とか感性、規準なんかと全く関係ないルールを大事にするって
なんというか、弱者の発想なんだよな。
見ていて気持ち悪い。
「オタクのルール」とかまじめに言われるとほんとに吐き気がする。
一般常識はオタクだろうがオタクじゃなかろうがTPOに応じて護るべきだし、
それ以上のことは集団を意識してあーだこーだ言うもんじゃないだろ。
そんな事言ってる時点でもうそれはオタクじゃなくて、ただの隣人部だろ。
ああ、みんなそういうのが好きなのか。
あれ、なんかすごい誤読多い。
多分私のほうが現代の若者だと思ってる。
だからこそ、友達作りのためにオタクの内輪だけで通じる狭いルールで縛ってまで
窮屈そうにオタク同士で友達活動やってる奴ってのが理解出来ない、という話なんだけど。
この文章読んで誤読しちゃう奴って、なんか現実の生活に問題あるんじゃないの?
表現の自由、こればかりは、僕は何があっても否定される訳にはいかないものだ、と思っている、だって、こう僕が言うことも否定されてしまうから。
それは身近な例で、たとえば人殺しという表現について規制されてしまえば、現実に人殺しが在るのに人殺しという表現は無くなってしまう。
醜いものが在った時、見て見ぬフリし、聞いて聞かぬフリし、考えて考えぬフリし、思って思わぬフリするかの如くである。
どうなるか?人殺しについて学ぶ機会すら規制されてしまう、ということだ。
愚、とは間違いの歴史の集積である。何も無かった空間で人が不利益を被ってきて、そういう失敗を成功によって打ち勝つために育ててきた定義たちだ。
愚、という価値観について人は大いに学べばいいと思う。なのに、人殺し、という重大な愚に対して考える機会を奪ってしまうのか?
考える機会がなければ、人は愚に対して準備ができなくなる。
無知であれば無理解となり、無理解であれば人はどうするかわからない、どうしていいかわからない。
そうすれば、曇った思索の中で殺人を犯してしまうかもしれない、この可能性を少しでも積極的に減らそう、とその目的を果たすために人は愚を定義してきたのだ。
愚を表現し、表現された愚を知り、理解し、学ぶこと。これは果たして愚か?間違いか?
そうは思わない。人が最大限の悲しみを払って血を流し、受け継いできた愚を消そうとすること、これは相当な愚であると思う、人殺しとどちらが程度の酷い愚か、それはまた別に考える機会を設けるとしてもだ。
何であれ、表現の自由は何処までも許された方がいいものだ、と思っている。
でも、表現をするにしても、TPOくらいをわきまえた表現の実現は必要。だって、名誉棄損は名誉棄損だ。
ん?待てよ?
表現の有無、既存の表現を消せ、という話ではないか、規制し有罪となる表現の枠を考えよう、という話か。
だから、だとして、実生活と相関のない架空のものを描いた表現は無罪で、実生活と相関のある表現は時に有罪となるのだ、と思う。
だいたい、実生活を営むのは人だ、だから法は人の不利益に関するものが多いはずだ、人の肉体を傷付けたいだとか、人のお金を盗んだりだとか。
でもまあ、不法投棄、という罪もあるが、これもよく考えれば人が不利益を被る可能性がある。
なら、実生活と関連しない空想上の表現、これは人に不利益をもたらす可能性はあるだろうか。
これはもしかしたら、なかなか難しい問題なのかもしれない、さかんに議論されているのもこのためなのかもしれない。
こればかりはもうどうにもならない。
表現が好きか嫌いか、表現でどれ程好い思いをしたか、嫌な思いをしたか、このあたりに大きく関与してくる。
表現は人に好い影響も嫌な影響も与える。
殺人の不利益を学び、それを起こすまいと考える場合、そのまま殺人を犯す場合。
おそらく前者が好い影響であり、後者が嫌な影響だ。
こういう二つの場合が存在する中で、これをどう評価するか、といった問題は
知らない方がいいことがある、これに対する意見、姿勢へ繋がる。
知らないことは知らないままにしておいた方が幸福だ、間違えない、と考える人、
出来るだけ多くのものを知ろうとした方が幸福を掴める、間違えない、と考える人、これはもう個人差であり、一概にどうこう言えない。
醜い現実に対する姿勢はそれぞれだ、強いられてはいけない(ただ、生きるということに知るということは内包される気はする、そこから更に主観に基づく言及もできそうだが、またの機会だ)。
感情が理解の先に来るものと、理解が感情の先に来るものがあるように思える、前者は易しいこと、後者は難しいこと、とか一般に言う。
ふむふむと納得してから、アッ!と感情が湧いてくるものと、アッ!と声を上げてからそれを理解できるもの。
だいたい、感情が生まれるのはアッ!という間である、理解だとかそういう言葉で説明できるような何某が追い付ける暇はない。
だからだいたいの場合、感情の方が先に来るような気がするのである。
性、性交は前者である。この場合、何故、は感情の後に付けたされるものだ。
何故、そういうものに興奮するの?という問いは愚問だ、性的欲情の理由はあってないようなものだ
(先に架空表現が人に不利益をもたらす可能性についてもあってないようなものだ、と言及したのを思い出しただろうか)。
感情の存在に善悪はあるか。それはわからないが、仮に消さねばならぬ存在が悪の感情があったと仮定して、感情の生成を阻止し切ることは可能か。
だいたい不可能である。感情よりも先に言語、などという記号を脳内に流し通すことができなければ幾ら特定の感情を否定しても、生成を防げない。
セックスは感情である。その感情の生成を先に防ぐことなど到底できない。
だから、こういうセックスは悪だ、とか言ってもその感情の発露を防ぐことはできない、その実行を防ぐことができても。
だから、何とかという否定されるべきセクシャリティがあったとして、その生成を阻止することは不可能である。
人は知るものと知らないものを持っている、もっと言えばその程度は、よく知っているもの、少し知っているもの、半端に知っているもの、あまり知らないもの、など様々だ。
だとして、知らないものは知らない方がいい、のだろうか、そもそも知らないものなど消してしまえ、害悪の元凶だから罪にしてしまえ、なのか。
この辺が、表現の影響の善悪が、知らない方がいいことがある、に対する姿勢に繋がると述べた理由だ。
しかし、これはもう解釈の違いでどうとでもとれてしまうので、唯一の解決策などない。あるとして政治的に言えば民主主義のお家芸多数決だ。
結局、架空表現が有罪か無罪かに対しての答えは、すごく曖昧で、有罪でも無罪でもあり、有罪でも無罪でもない、これに尽きる。
架空表現は、人の実生活からは断絶された存在であるから、それでどれだけ好い思いしたか嫌な思いしたか、その違いによって向けられる認識も変わる(断絶されているものが認識を変えるといった矛盾がこのセンテンスには含まれてしまっているが、他にどうしても説明がつかなかったためこうした稚拙な便宜しか思い付かない)。
レイプされた人(※例えば女)は、「あんな表現(※例えばレイプポルノ)に影響された人(※例えば男)がいけないんだから、あんな表現がいけないんだわ、無くなってしまえ」と言うかもしれないし、
レイプポルノでオナニーする人(※例えば男)は、「自分たちがこういう表現で愉しんでるだけなんだから、誰にも迷惑は掛けない、掛けていない」と言うかもしれない。
しかし、全ての罪、というものには基準、法則性など無い。有罪だから有罪なのであり、無罪だから無罪なのだ、理屈など無い、多数決だ。
これの、どちらが多く存在するか、単にこれが結論だ。
今現在、地球には何億の人が居て、それで男女はそれぞれ幾ら存在して、という話よりもここは僕の話をしよう。
僕は、架空表現により傷付いた人の肩を持ち、「性暴力に繋がる表現はよせ」と主張し、
片や、架空表現により笑顔になる人の肩を持ち、「実生活に関係はない、芸術は芸術だ、表現の自由は確保されてしかるべき」と主張し、
「ならお前は賛成反対どちらだ」と聞かれれば以上のような答え方をしてくるような平和主義者、事なかれ主義者、そして自称隣人愛好家だ。
(胡散臭い隣人愛好家だ、それにしてもなんと胡散臭いことか。ほんとに隣人を愛しているのか、それで?甚だ疑問は残る、大いに疑問は残る、そしれそれらは僕の好奇心を大いに揺さぶる。扨、饒舌が過ぎた。)
「成人」で線引きすることに合理的な根拠
何をもって成人とするかという極めて政治的なやり取りで20歳って決まってんだから、数字に大した意味はないよ。
「成人」で線引きすることの実際的な利益
一応、何か問題起こしても本人の問題であって親の問題ではないという事になっとる。
自分で責任とれるから、酒やタバコを飲喫して良い。性的なコンテンツに振れてよい(まぁ、これは18歳か)という事。
18歳解禁にしたとして、不利益受ける人っているんだろうか
アホな飲みかたして、周りに迷惑かける奴が増える。
20年もありゃ、大体の社会倫理は覚えるだろって事になっとるが、
仮に社会倫理の学習が線形で近似するとして、閾値下げて社会倫理の薄いやつを野に放っても仕方ないだろ。
学習効率を上げるか何かして、現在の20歳と今後の18歳で社会倫理の学習が同程度にできるなら、今後の18歳解禁は有り。
オランダとか、ものによっては閾値低いが、あれは社会倫理教育が十分行われているからこそ。
で、学内で酒飲むなってのは、実際は年齢の問題じゃなくてTPOの問題だな。
いくら成人だろうが、職務中に酒飲むなって事でしかないよ。
ただ、それを昼間から飲む野郎が出てきたからの対処じゃないかね?
というか、自治会が体制寄りになったというか。
そこは自治会が抗議するべきだろと思うがw
http://anond.hatelabo.jp/20110803193421
オタク男性は一般人男性と比べると、「口説き」や「気遣い」「TPOに合わせた話題と服装選び」などのスキルが
丸ごと欠落してるビックリ人間の割合がやや多いというだけなので、オタク男性全てを避けるのは賢くないです。
一般人男性以上のスキルを持ちながらオタクやってる男性も普通に居るのです。
その見分け方を言うと…「友達が居ない女の子」を狙う男性は、オタクであろうとなかろうと危険です。
「女性専用車両」や「育児休暇」、「離婚」「両親の介護」などの話題では、
女性の友達とのつながりがある場合は女性から見た利害という視点が持てますが、
友達を持たない女性を狙う男性は、考え方を男性視点・男性に利が多い考え方に矯正しようとします。
これは性生活においても重大な影響を及ぼします。
友達が居ない女性は、頼れる他人が彼氏・夫だけという状況に持ち込むのが簡単です。
親兄弟とも仲が良くないとなればなおさら彼氏・夫しか居ないことになります。
そうなると、モラハラされても暴言を吐かれても、殴られたって別れることが難しくなります。
いっつも「女子会」をやって男性の陰口を言い合っている女性を男性が嫌うのは当然のことですが、
「友達が一人も居ない女の子」をあえて選ぶ男性はDV予備軍といっても過言ではないと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20110721143713 の趣味を男から見た場合
酒癖の悪い奴(暴れる・泣く 絡む 意地汚い どれか一つでも当てはまると誘わなくなる)
風俗(病気うつされるのは自己責任。無理やり誘われるのは勘弁)
ギャンブル馬 (借金は自己責任 誘われても悪い気はしない たかられるのは勘弁)
ギャンブル・パチンコ・スロット(借金ry たかられるry 自慢をするなら飯でもおごれ)
ギャンブル麻雀 (自分が負けたことをくよくよ言い続ける奴は勘弁)
ネットゲーム(生活に支障が出るくらいはまってると心配。激しく誘われたり、意味のわからない自慢をされるのは勘弁。意味がわかるように面白い話にしてくる奴は楽しい)
凌辱系アダルトゲーム(個人の自由 いろんな人がいる場所で声高に叫ぶのは勘弁)
ロリ系アダルトゲーム(個人の自由 いろんな人がいる場所で声高に叫ぶのは勘弁)
泣き系アダルトゲーム(他ジャンルのエロゲーを何故か下に見るのは勘弁)
年上のお姉さんに責められる系アダルトゲーム(おすすめを教えてほしい)
声優(自分の愛する声優を際だたせるために、他の声優を蔑む行為は勘弁)
同人(面白いものを作ってる人は尊敬に値する。ファンだった人がプロになったことをワシが育てたと自慢され続けるのは勘弁。2回くらいなら言われてもいい。)
萌えライトノベル・萌えアニメ(イメージで萌え分類されるのは勘弁 大勢人がいる場所でブヒられるのは勘弁。仲間内でのブヒりが芸の域に達する奴は最高)
猫オタ・犬オタ(動物大好き。動物愛護団体とシーシェパードを一緒にしている時点で…)
特撮(面白さを伝えてくれるのは楽しいが、昭慶爆発とか言われても困る)
格闘系orシューティング系ゲーム(上手い人のプレイはすげえ、ただプレイするのは好きじゃないので巻き込もうとする人は嫌)
鉄道(濃くても常識的なオタなら歓迎、情熱のあまり一般人に迷惑をかけるようなオタはどの分野のオタクでも底辺)
バイク(事故だけには気を付けてほしい、子供が出来たらバイクに跨るかっこいいお父さんをやってほしい)
熱帯魚(水冷PCの冷却水で熱帯魚を飼えるかチャレンジしてほしい)
オーディオ(良い音を確認させるために、好きじゃないジャンルの曲をかけられても困る)
お酒(楽しく飲めれば。自慢するなら俺にも呑ませてほしい)
料理(美味しんぼみたいに人の作った料理を片っ端からけなしまくるのは嫌だけど、来週に呼ばれて本物の〇〇をご馳走されたい。)
非萌えアニメ(自分が好きじゃないアニメを面と向かって否定する奴は何と戦っているのか不思議。2chとか匿名で煽り合うのは全然OK)
スポーツ 旅 楽器演奏 カラオケ 読書 (王道だと思って舐めてると、ものすごい痛い目に合う趣味)
テーブルゲーム(弱かろうと強かろうと、遊びを本気でやらない奴は嫌い)
歴史(何かにつけ故事を言うけれど何もしない奴がいて、過去ってあだ名が付いてた)
登山(死なないでほしい)
アウトプットが面白かったり、迷惑をかけられないのなら何やっててもだいたい大丈夫。
むしろ妻に「レイプされるような服を娘に着せたお前が悪い」と言うんじゃなかろうか。
この元増田の言う「良識的」と言うのは
幼稚園の生活が平穏である確率を高めるためならば、わが子の持ち物を精一杯カワイイものにするという権利を自主的にある程度制限する
事だそうで。
つまりキーホルダーをつけた理由は「娘がカワイイものを持ちたがったから」ではなく「妻が娘の持ち物をカワイイものにしたかったから」だと思ってる。
「娘の意思」というものは最初から無いものとみなしているらしい。
だから増田の例えでも「娘の服=娘が選んだもの」と言う発想はしないだろう。
この辺りがすげー不思議だ。
赤ん坊ならともかく4歳だったらそのキーホルダーは「娘が選んだもの」の筈だよねえ。売り場に連れてったのは妻だろうけど。
それとも妻は一切娘には選ばせず、自分で選んだものを一方的に与えているんだろうか?
服ならともかく(服は幼児に自由に選ばせるととんでもないセンス&TPOまるで考えていないものを選びがちなので親が選ぶ事も多いと思う)
http://anond.hatelabo.jp/20110422235719
ブコメで「エヴァに呪われている」とか「エヴァ脳の恐怖」とか「エヴァをアニメの物差しにしている」といったコメントを見て、なるほど的を得ているなと。
そして残念ながらid:kyo_ju、ネタじゃない。マジで書いた内容なんだ…orz
てか自分でもマジでエヴァ脳だと思う。じゃなきゃ増田で書かない。
俺がこんなコメントを普通のブログに投稿してる奴をみたら、とりあえず全力で叩く。
何でだ?
自分なりに考えてみたんだが、エヴァに前のめりで楽しんでた人達、というか後ろに引いて見ることが出来なかった人達は、
エヴァが終わった後の娯楽としてそれぞれ別個の道に進んで行ったかと思う。
まずアニメという枠に傾倒する道。
アニメは当時の世相を反映してか「自分探し」のような内容か、あるいは「萌え」に特化した内容ばかりだった。
自分探し的な部分は十分エヴァで堪能したし、萌えは視聴者が勝手に後付けするものであって主食として作者が提供するものじゃないものと考えているので無理だった。
SFは─漫画だろうと小説だろうと、作者の設定自慢ばかりで人の営みが希薄なのが多かった。「イカにSの面白さを最大化するか?」が最大の関心事になっている世界だった。
Fだけでいいから人間ドラマが欲しくてSFの道には進まなかった。
※その中で何故か『BLAME!』だけは面白いと思ってた。我ながらかなり謎。
「設定?誰がんなもん語るか。察しろ。」というスタンスがよかったのかも知れない。
あるいは設定の説明がない分、人間(と愉快なクリーチャー達)の営みに思考が集中できたせいかも知れない。
自分は娯楽なしで生きられるような人間ではない。おそらくは他の人もそうだと思う。
大人になって仕事や家事に忙殺されても、アウトドアや人付き合い以外の何かしらの娯楽を大なり小なり楽しんでるんじゃないか。
人によって、それが映画だったり、ドラマだったり、推理モノだったり、歴史モノだったりすると思う。
自分は「エヴァの次の娯楽」として、最終的に「古いモノ」を選んだ。
小説に手をだし、散々色々な誇大広告に騙された結果、最低10年以上「これは良い」と語られる小説は、少なくとも個人の趣味で好き嫌いはあっても外れはないことに気づいたからだ。
そしてこの単純な法則が、小説という枠だけでなく他の枠にも当てはまることを知った。
「古いモノ」を楽しむコツとして、「その当時の世相や時代背景を同時に知る」ということ。
今ではやや物足りない部分があったとしても、当時としては革新的な技術や手法、あるいは独自の視点が盛り込まれていたために長らく語り草になることが多い。
それと同時に他人の解釈をガン無視すること。例えるなら、どれだけ権威ある人が「このキャラはツンデレだから萌え」と言っても自分が「ツインテールだから萌えであってツンデレなのはどうでもいい」なら自分の直感に従って楽しむこと。
こんな風に古いモノ、かつ娯楽として時代の振り落としを生き抜いたモノを、自由気ままなオレオレ解釈で楽しみ、アニメを見なくなった結果、自分はアニメの物差しはエヴァとジブリと千年女優だけになったorz
敢えて弁明、というか開き直らせていただければ…
だって仕方ないじゃん!1年間で1割より少ない程度で面白いアニメは出てると思うよ?
けどその1割弱を探すためだけにアニメの世界に飛び込めば、まさに「渡る世間は萌えばかり」、あるいは「前門の厨二アニメ、後門の監督が厨二の自称芸術unkoアニメ」ばかりじゃん!
アニメの作り手にしても、ちょっと成功して有名になるとすぐ芸術気取りしたり宮崎駿の後継者気取りしてばっかじゃん!
そんな中途半端なことをするくらいなら、いっそワーグナーみたく「アニメはただの芸術じゃない。神聖な祭事だ!」ぐらい突き抜けつつ「よろしい!私に投資する権利をやろう!」的なノリで資金調達&製造とかやれるだけの実力と人間としてゲスな気概を持って挑めよ!>ヤマカン、細田
特に'00年代は酷かったよ!観客の声を聞かずに監督が見たいアニメか、大向うの観客の声しか聞いていないアニメばっかだったよ!
「そもそも今客席にいない人を、どうやって小屋に来てもらうか」を考えている人なんて皆無だったよ!
00年代はまだブロードウェイ- ミュージカルの方が観客を呼ぶためのモノ作りをしてるよ…
例えば「Wicked」はファンタジーで低年齢児を釣り、女の友情で少女を釣り、あげくに社会派的要素で親を釣り上げる万能釣り竿だよ。
「Next to Normal」なんて狂気の中から家族愛を導き出すーそれも母親が主役でーっていう化け物ミュージカルだよ。
ミュージカルってさ、親しみが無い人には「子供が見るモノ」あるいは「軽いモノ」ってイメージがあるんだ。
酷いと「演劇と歌が同居する必要性がないんじゃねーの?」って言われる始末www
まぁ当然だよね。舞台としては戯曲という枠が、歌劇としてはオペラという枠が、ダンスはバレエという枠が、技巧も歴史も名作も持ってる。
けどミュージカルが子供やミュージカル自体にマニアックな人ばかり相手にしてたってお金にならない。
彼らが飯を食っていくためにミュージカルという枠のファンを増やすしか無かった。
かと言って技巧だけで挑めば間違いなく他の枠に負ける。
だから彼らはあらゆるものを取り入れ名作を作り上げた。
例えば古典の悲劇の恋愛をベースに、彼らの身近にあるダンスや風俗、そして身近にありすぎるマイノリティへの差別問題を注入したWSSとかね。
そういったことを繰り返し繰り返し続けた結果、今のブロードウェイミュージカルの地位が出来上がった。
アニメを作ってる側の人からも、「売れない、売れない」という声ばかり聞こえた。
けど自分からしたら、なんでアニメを作ってる人は「今、テレビの前にいない人」を捕まえようとしないんだろうと思ってた。
筋を古いモノから流用し、装飾や人々を今の時代に合わせ、最後の結末に自分たちのメッセージを盛り込む。
これだけでも十分面白いモノが出きるのに。
「守破離」の全部が大事なのに、今のアニメは「守」だけ「破」だけ「離」だけみたいに、個別の実装しかないものが多い気がする。
「魔法少女」っていう小さな視野で見ても、かなり綺麗に守破離してる。もちろん違う角度から見たときにも様々な守破離があるのがまどまぎの魅力。
けど、きっともう後16年くらいは守破離をしっかり出来たアニメは出ないんだろうなぁ…
まどまぎの脚本の人は「ロボットものを書きたい」って言ってるらしいから、おそらくロボットを書くのに夢中になって客席を見なくなるか、大向うの客席しか見なくなる。
そうすると悲劇が好き過ぎる人みたいだし、シェイクスピアを消化しないままシェイクスピアの再発明を得意気にしちゃったりするんだろうなぁ…
かといって他のアニメの作り手は、まどまぎのパラメーターだけみてメソッドを見ず、もっと酷いものを作るんだろうし…
「処女厨がウザい・怖い」的な発言をよく作り手側のコメントで見かけるけど、
なら小デュマみたく処女厨を逆手にとって、ビッチであることが生きるために必然である椿姫を処女厨の目の前に置いて、
「それでもお前らこいつを罵れる?」といけしゃあしゃあと言ってのけるような人は今までいなかったし…
地震が起こった週明け、余震もまだまだ発生している状態で電車のダイアも不安定。
そんな状態なのにスーツ着て革靴履いて9時に出社しようとしてる連中見てゾッとしたの思い出したわ。
そんな状況で会社に来させようとする事自体がイカれてるが、何が起こるか分からない、
電車がいつ止まるか分からない状況で何で普段と同じ格好で来るの?って感じだね。
常識的に考えりゃ少なくとも動きやすい格好をすべきだろ。緊急事態なんだから。
上司に言われなきゃTPOに合わせた格好一つ出来なくなっちまったのかよ日本人は。
上司は上司で自分の裁量で明日は来なくて良いぞとか、今は動きやすい格好で来ても良いぞぐらい言えっつーの。
こんな大災害が起きても何も考えず慣習通りの行動を取る働きアリ達。
馬鹿は死ななきゃ直らないとは正にこのことだよな。
それが本当だったとしても、口にしていい時と悪い時があるじゃないか
それに、過去に人に裏切られて云々は関係ない。
ただのいい訳だろ?
どういった理由があろうが、(裏切られようが)
例えば友人に貸した金があって、それが理由で探したって別にいい。
下心があって探したっていい。
そこに過去の人間は何の関係もない
(何なら友人Bも関係ない)
あと、軽々しく死にたいとか言う奴はうざいよな。
信用されないのってそういう態度じゃねえの?
自分大事!って事は堂々と口にして、
うざいだの死にたいだの言ってたら
そりゃ愛想も付かされるだろ。
洋服はそこ中心に買ったものでも全然いいけど、30代半ばのええ年したおっさんが洋服のTPOにおける使い方が分かってないと、一緒に居る人まで頭の程度が低いように思えるね。例えば山とか海とかに行くならジーンズメイトモノでもいいけど。街の中を一緒に居る時に生地の表面が悪くて体のラインがみっともなくなるのは、ジーンズメイトに行った時ですら店員さんと話して買ってないってことだから。それはコミュ力低い=頭悪い雰囲気につながるよね。はたから見ると「あのカップル頭悪い」ってセットで見られてしまうわけですよ。彼女が物凄く華美だったら別だけど。
あぁ、なるほど。。。多分相手にはそのように思われたと思う。彼女は優秀な人がとにかく好みだったようなので。
確かにこれまで服を買うときは、滅多に店員さんと話すことはなかった。ジーンズとシャツがほとんどだったし、私服にかけるカネは年間合計で5万円くらいしかない。今年に入って一度、別れた彼女が教えてくれた歳相応の洋服が売っているショップに行ってみたんだけど、自分があまり好んで着ない服ばっかり売ってて、さすがに店員さん(男)に相談した。コミュ力の無さを自覚して、もう少しコミュニケーションしないと。
「言われたから買いに行ってみる」という姿勢が、彼女にとってはまた負担になったみたいで、期待に応えようとした自分が虚しかった。。。
「初めて会ったときのスーツ姿はよかったのに、なんで私服がこうなの・・・?」と言う感じだったので、私服のかっこ良さもスーツレベルにしたいもんだけどね。カネもないのでまあ徐々に。
返信感謝。
ファッションが無頓着で、決断力がない男は明らかに嫌なようだった。
(当方、30歳代半ばですが、洋服はジーンズメイトやライトオンで買うのが気楽で好きです。
洋服はそこ中心に買ったものでも全然いいけど、30代半ばのええ年したおっさんが洋服のTPOにおける使い方が分かってないと、一緒に居る人まで頭の程度が低いように思えるね。例えば山とか海とかに行くならジーンズメイトモノでもいいけど。街の中を一緒に居る時に生地の表面が悪くて体のラインがみっともなくなるのは、ジーンズメイトに行った時ですら店員さんと話して買ってないってことだから。それはコミュ力低い=頭悪い雰囲気につながるよね。はたから見ると「あのカップル頭悪い」ってセットで見られてしまうわけですよ。彼女が物凄く華美だったら別だけど。
別に高いものを着ろとは思わない。ただ、シャツの襟首のあたりは見た目きれいですか?その服は今日の目的に敵ってますか?と自分でアセスメントすらとれなかったら絶望的。
デートだったら仮にも大事な人と過ごす時間なんだから、一緒にいる人に心地いい時間や心地いい人生を送ってもらいたいならそこら辺気を使うべき、もしくはおうちデート中心にすべき。
pikoとか安物似非サーファーの代名詞のようなロゴが入ったのなんかをお金の無い若い子が着てたり老人が使ってるのはOKだけどあなたの年ではアウトだ。元増田がそういう人じゃないこと祈る。
で、デート先は好奇心いっぱいに○○に行きたい!とか、別にそんなに気負わなくたっていいと思う。
寧ろあなたの趣味に乗ってあげようとしない閉塞的な彼女だったんだから別れて正解だよ。