はてなキーワード: これは普通とは
嫁と子どもを連れて実家に帰るのだが、うちの子どもは(私の)兄の部屋によく行く。漫画が目当てだ。
兄は実家暮らしであり、子ども時代から同じ部屋を使い続けている。部屋には漫画がたくさんある。
子がどんな漫画を読んでいるかはわからなかったが、正月にそれを確かめることになった。
うちの子ども(小学校の中学年)が兄の部屋から、ストーブのある居間へと漫画を持ち帰って読んでいたのだ。
『聖闘士星矢』だった。よりにもよって。
当方、暴力的なコンテンツが嫌いである。単純にグロ耐性がないのもあるが、今の時代は暴力的なコンテンツを子どもに見せたくないのもある。子どもに買い与える漫画やアニメも選んできたつもりだ。
ニチアサだと、プリキュアは見せているが、仮面ライダーは見せていない。仮面ライダーの時間はニュース番組に切り替える。
いま子どもが読んでるのは、わりと序盤の方だった。自分が小学生の頃、二~三巻のあたりだったか、けっこうバトルが盛り上がっている中、戦闘シーンがいっぱいあって、その中で……ウルフの那智が鳳凰幻魔拳で五体バラバラになってしまうシーンとか、内臓や首の切断面などの絵に、「うぇっ…」となって吐いてしまった。
今、うちの子どもが読んでる本は、まさに当時、小学生の頃の自分が手に取っていた巻だった。
その場ですぐ、子に伝えたよ。「その巻を読んだら終わりにしなさい。その漫画はね、将来のあなたにとって毒になるんだよ。後悔するよ」って。
子はブスッとした様子だったけど、「もう二度とここに来ないよ」と伝えると、しぶしぶな様子だった。聞いたところ、兄がこの本を勧めたようだった。しかも、もう全巻の半分以上を読んでいるらしい。
その場(居間)にいた兄をにらみつけると、目が泳いでいた。今の時代、(80年代の)聖闘士星矢が有害なコンテンツであることをわかっているみたいだった。「兄さん。一応は社会福祉の仕事をしてるんだろ。こんな暴力的なものを子供に推奨して、それでいいと思ってるの」って、夜にあった飲みの場で、オブラートに包まないで伝えたよ。
妻の方は、特にコメントはないようだった。私の味方をするわけでもなく、兄の味方をするわけでもない。当たり障りのないことをずっと言っていた。「漫画くらい自由に……」とはいうが、これは教育上の重大な問題である。
それで思い出した。以前、うちの子と同じ小学校の子が遊びに来てる時、子がこんなことを叫んでいた。
「ガキどもよ。お前たちに今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」
みたいな寸劇をやってるのを思い出した。当時は「そんな漫画が流行ってるのかな……」と思っていたが、今思えば、あれは間違いなく、おとめ座(ヴァルゴ)のシャカの必殺技だった。
いや、悪い描写ばかりじゃないのはわかってる。星矢にはギャグもバトルも熱血もあって、当時は割と楽しく読んでたかな。うろ覚えだけど。
でも、小学生の頃の自分はたしか、10巻のあたりでギブアップしたんだった。みずがめ座(アクエリアス)のカミュと、キグナス氷河が師弟で決着をつけるシーンがあった。心が繋がった師弟同士で殺し合いをして、最後は両方とも相打ちで死んでしまうんだよな。その直後に読むのをやめた。
当時の俺は泣いた。なんでこんなことになるんだって。作者は鬼ではないかと感じた。展開があまりに鬼畜すぎる。それ以来、聖闘士星矢は読んでいない。本屋とかインターネットでチラッと見ることはあったが、それくらいだった。
今の時代って、昔に比べれば人権が尊重される時代だろう。だったら、これからの時代に適合できるように、子どもにはそういう書籍を読ませたい。人生の奴に立つ必読本を読んでもらいたい。
具体的には、子が中学生~高校生くらいになったら、「二コマコス倫理学」「論語」「完全なる経営」「道は開ける」「現代政治の思想と行動」「百年の孤独」「わたしを離さないで」「枯木灘」といった名著を読ませたい。
漫画だったら、「火の鳥」とか「プラネテス」とか「家栽の人」などを推奨する。現在進行形だったら、「君たちはどう生きるか」を読ませてる。
あと、これは少し前なのだが、息子が私のパソコンで、ニコニコ動画で高橋邦子のゲーム作品を見ているのを確かめた後は、ブラウザの接続設定をいじってログインできないようにした。高橋邦子の作品群は、基本的に反人権である。現代社会に生きる子どもに見せたくない。
そりゃあさ、あれらは高橋邦子が中学生~高校生くらいの時に作った作品だから、アンチヒューマニズム的な作風になるのはしょうがないかもしれないが、あの人はもう50代が近いわけだろう。きっと今では、ヒューマニズムに溢れた作品を創造してるよ。あの人なら。たぶん。
時代にあった漫画作品というのがあると思う。聖闘士星矢は、自分が生まれる前の作品である。
あの時代だと、世間の往来では暴力を行使するのが当たり前だったという。口汚い言葉はもちろんだし、性風俗も今よりヤバかったと聞く。そんな殺伐とした時代なら、ああいう作品が流行るのもわかる。
しかし、今は人権と多様性の時代である。暴力的なコンテンツは流行らない。存在自体が許されなくなる時代もやってくるだろう。コンビニエンスストアに、エロ漫画とか反社系の雑誌が置けなくなっているみたいに。
しかし、悩むところではある。世の中には、今でも暴力性のある行為をする連中がいる。そんな連中への耐性がゼロなのはまずい。
一つ目だが、子どもがまだ小学校に入る前に、南武線か中央線のどちらかに乗っていた。その車両では、3人の半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていたのだ。お酒も飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車である。
あまりにうるさかった。自分達のほかに乗っていた乗客も彼らを気にしている様子だった。そしてある時だった、半グレどもの1人が、「やってやる、あいつは○す!」と大声を出したところで、車両を移ろうかと思った。が、必然的に半グレ達の前を通ることになる。
迷っていると、付近に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、別の車両の方に歩いて行った。その人は、私やほかの乗客に視線で合図を送っていた。「この車両は離れた方がいい」というメッセージだった。そして、多くの人は別の車両に移っていったのだが……。
いつの間にか、半グレ風の男の1人と、スーツ姿の男性がにらみ合いになっていた。視線をバチバチとやりあっていたが、やがて半グレは元の席に帰って行った。だが、そいつは、スーツ姿の男性が座っていた席に向かって痰唾を吐き出したのだ。何度も。
私は勇気ある彼のところを通り過ぎる時、「ありがとうございました」と伝えた。子どもは何もわかってない様子だったが、それでも会釈をさせた。
二つ目だが、私がまだ学生の頃、新宿で一番大きいクラブ(踊る方)で学生仲間と楽しんでいると、ガラの悪そうな人たちが来て、仲間の1人を無理やりにステージ付近まで連れていったのだ。一体、何が起きているかわからなかった。その人たちは、ステージの上まで仲間を引きずっていくと……クラブの客が見ている前で、堂々とリンチを始めた。殴ったり蹴ったりしていた。
「やばい!」と思って、クラブにいたスタッフに声をかけたが、見て見ぬふりだった。入口付近にいた馴染みの警備スタッフに声をかけて助けを求めると、こんなことを言ってた。
「あの連中は、やめとけ。お前らの父ちゃんが言っても聞かねえぞ。慶應のボンボン学生にはいい勉強だったな。わからないけど、悪いことしたんだろ?」
といった返答で、とにかく助ける気がないのはわかった。
※その学生仲間は、女癖が確かに悪かった。相当悪かったよ。でも、ここまですることはないだろうと思った。あの時、私にもっと勇気があれば、外に出て警察を呼べたのかもしれない。
東京都内ですらこういうことがあるのだから、ある程度は暴力性にも慣れさせた方がいいのかもしれない。だがしかし、漫画やアニメに影響されて、人権感覚を無くしてもらっては困る。難しいところだ。
子供の頃にたまに親に連れてってもらって喜んでた、郊外にある焼肉とか寿司とかが食べ放題でランチ2000円の店に、ふと20数年ぶりに行ってみた
で、自分は何を食っても味なんてろくにわからない貧乏舌だと思ってたんだけど、意外とそうでもないのかなって思った
まず焼肉がどれも味気なくて不味い、とまでは行かないまでも少なくとも美味くはなかった
肉の旨味がないのか、水っぽいわけじゃないのに水っぽい味がするというか…肉を食べた気がしない
寿司はネタはまあこんなもんかと思ったけど、シャリがおはぎの米みたいにねちょっと固まっててシャリとは別の何かだった
スーパーの半額寿司でもまあまあ満足できる自分がこんなに寿司を酷評する日が来るとは
他の惣菜は唐揚げやパスタなんかもあったけど冷めてるものばかりで論外
今まで自分は高級な飯なんて食ったことなくて無駄に歳だけ食った子供だと思ってたけど、もう子供の頃の自分とは違うのね
あとデザートにはソフトクリーム(という名のバニラアイス)と一口サイズのちゃちいケーキがあったんだけど、これは普通に美味かった
バニラアイスはさっぱり冷たくて3杯食べたし、ケーキはパサついたりもしてなくて15個くらい食ったね
白玉のお汁粉も美味いしホイップクリームが絞られたバナナもうめえの
あと串かつをセルフで揚げるコーナーもあるんだけど、あれは揚げ物をするという体験が楽しかったし、揚げたての揚げ物は無条件で美味い
ラーメンを自分で湯で上げるコーナーもあって面白そうだったけど、炭水化物は腹に溜まるので惜しみつつも見送った
…子供かお前は
職場では絶対口に出せないが、中国人の従業員がご飯を食べるときの姿勢が悪いなあという気がする。
屈んで食器に口を近づけるいわゆる犬食いの人を見かける。片足の足首あたりをもう一方の足にのせて、半分座禅みたいにして食べる。
あと、姿勢じゃないけどくちゅくちゅ音をさせる。
台湾の人はこうではないと思う。
中国人のエンジニアは多いから、姿勢のいい人も悪い人もいるのかも。
2.中国ではこれは普通のマナー。それを悪いと思うのは自分の偏見
これもそうかもしれない。自分がうどんすすってるのだって、他の国の人から顔しかめられてるのかも
3.中国から米国に来て働くような人は、子供の頃からしつけそっちのけで勉強ばかりしてきたからこうなった。勉強もできてしつけも行き届いている人は出稼ぎみたいな事はしない。
さあ、正解はどれ?
または、他に正しい説明はある?
あれが説明文であるというのは正しい。だが約束を守ったというのは半分間違っている。
なぜならあの説明文を出さざるを得なかったのは、脚本家サイドから脚本家交代に関して「困惑」「残念ながら」「苦い経験」という言葉がでたからだ。
これは普通に考えれば交代に関して脚本家サイドには不服があったということだろう。
だから事前に約束していたんだよ、と本人がわざわざ説明しなくてはならなくなった。
その約束を取り交わしたのは現時点では日テレ(あるいは小学館)であると考えられている。
原作者と脚本家の間に入った者が約束を履行するとは、普通に考えれば双方を納得させることだろう。
例えばあなたが適正に仕入れられているはずの商品を買った時に、実は盗品で盗まれた先の相手から恨まれたとして、民法上は商品の所有権はあなたに移行するが、それが正常な契約の履行と言えるだろうか。
この事件の因果関係を調べるなら、なぜ脚本家があのようなポストをするに至ったのか、間に入った者はそれを説明する必要があると考えるのは妥当。
ただしそれは事実関係確認のためであり、調査の段階で脚本家や日テレや小学館が悪いのではないかという決めつけは当然間違っている。
これで不満ある人ってなにしに映画館行ったの?
つうかマリオの知識ゼロで見に行ってもこれは普通に楽しめるだろ。
もしかして「映画を見に行くことで哲学的だったり知的だったり政治的だったりするなにかこう凄い啓蒙を受け取って人生というものに対して何らかの意識が高い知見を得て成長しよう」みたいな事考えてました?
まあ色んな人がいて良いとは思うけどさ。
俺はアマプラで見たからまあ月に4本ぐらいしか見ないとしても100円ぐらいで見れてるから楽しけりゃいいんだけどさ。
まあね映画館のない地域から近くの大きなショッピングモールまで行ってそこで4DXとかで見たら全部足して5000円とかするのかな?
それぐらいだしてする体験だったらなんかこう人生に対して強烈な意味をもたらすものとか期待しちゃうのかな?
よく分かんないけど、大変だね。
俺は映画館でこれ見ても満足してたと思うな。
じゃあなんでアマプラ待ったねんって言えば賛否両論みたいな所があったからなんだけどさ、これに否を述べてる人、マリオの映画に何期待してたんだろうね
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221402
そこまで希少な体験をしたつもりはないが、この時はまだ20代後半である。感受性は高かったはずだ。
F君が福祉課3年目の頃だった。人事異動で職員が何人も代わって、施設グループ内でも経験年数が長くなっていた。彼より長いのは、最初の方で述べた性格がキツイ女性のみだった。やはり性格がねじ曲がっていた。例えばF君が職場にあるコードレス電話にかかってきたのを取って、♀宛てに子機を渡そうとすると、手先を拒否的に振って嫌がっていた。
そうなると、F君は「仕方がない」という顔をして、相手方に電話を折り返す約束をして♀に電話メモを渡したりしてた。日本人だから、『穢れ』というやつを気にしていたのだろう。
この頃になると、F君も♀とだいぶ口論できるようになっていた。1年目の頃は、反論できなくなると、のらりくらりと躱したり、ハラスメント発言が出ると「待ってました!!」とばかりに悪態をついたり、後は会話を普通にスルーしていた。
この頃は、例えば……♀がキレて、「もう私に聞いてくるのやめにしたら? 必要なことでも今後はお前には教えん」みたいなことを言ったとする。そしたら、F君は「いいえ。相談に行きますので、その都度断ってください」と返した。
するとまた「もう来るなって言ったのわからへん?」となって、さらにF君は「その都度行きます。私の相談に答えるのは職員としての義務ですが、その義務を果たさない自由もありますから」と言ってた。メモに取ってるから間違いない。
うまいというか、ズルいというか。職場の慣習やルールと、自分と相手の課題というか、そういうのを見極めていたと思う。それで、♀はまたキレてしまって、「来るな!!」「いや行きます」の水掛け論になった。
♀「嘘つくな」
F「やっています」
♀「マジメにやってるように見えない。仕事はマジメにやらないといけないよね?」
♀「なぜ?」
♀「じゃー答えろや」
F「答えません。それは私が決めます」
♀「……お前をフォローする側にもなれや。お前の後輩が働かんかったらどうする?」
※♀側の意見。F君は仕事そのものはちゃんとやっていた。はず。
F「その状態でも一応は認めます。市民の利益に関することはフォローします」
♀「認めるなや、そんな屑」
F「ところで、仕事というのはマジメにやらないといけないんですか?」
♀「どういうこと?」
F「仕事ができなくても、別に死ぬわけでもないでしょう。北朝鮮やロシアだったら死ぬかもしれませんが。あと、その人が仕事をしなくても世の中は普通に回りますよね。仕事のクオリティが低かったら文句を言われるでしょうが、時間が経てば、世の中の評価基準がクオリティが低い方にスライドしていきます……それで仕舞いです。恐縮ですけど、労働者は仕事をマジメにこなさなくてはならない……まず、そういう基本的な思考から疑わないといけないのでは?」
♀「職務専念義務って知ってるよね。さすがのあなたでも。公務員って、身を粉にして働かないといけないって地方自治法に書いてあるよね。民間とは違うの」
F「そんなの壮大な建て前でしょ。第一、それって特別権力関係の理論(※)ですよね。すでに否定されています。公務員はサラリーマンの一種であり、自治体と雇用契約を結んでいる。その雇用契約の上に公法契約が乗っかってる。それが答えです」
※特別権力関係・・・昔は、一般職の公務員は会社員とは法的に異なる存在だったらしい(法治主義の原理の適用が排除されるべき存在)。今だと、行政法的には公務員は民間の会社員の仲間という扱いになってる。
「いいえ、仕事はちゃんとします。ただ、この世界には……仕事よりも大事なことだってたくさんあると思うんです」
♀「この、あっほっがあああぁっ!!!!」
F「ありがとうございます。自分の存在が肯定されている気分です」
空気感としては、F君は別にここまでひどいことを思ってるわけじゃない。けど、♀の叱責のやり方があまりに侮辱的で、彼は頭にきてるみたいな、そんな空気だった。
そして、またあの時みたいに、グループリーダーが「お前ら、うるさい!」と♀に怒鳴ったのだ……。その時だった、♀が急に過呼吸を起こしたみたいになって、その場に倒れ込んだ。苦しそうにもがいていて、F君も俺も、ほかの職員も駆け寄った。立ち上がることも難しい様子だった。
その場で救急車を呼ぼうと思ったが、「落ち着くまで待とう」というのが福祉課長やグループリーダーの判断だった。
一応はF君をフォローしておくが、彼は上のやり取りのような考え方は採用してない。断固として言える。普段の仕事振りを見てたらわかる。あくまで、経済社会におけるひとつの考え方(ひろゆきが番組で喋ってるみたいな……)に過ぎない。それが、彼も頭にきてたんだろうな……つい、ポロっと口に出てしまったのだ。
♀による日頃からの口撃に腹を据えかねていたのではないか。だから、悪態をつくみたいにして、相手の大事にしてそうな考えを、スズメハチの針でプチッと刺すみたいなことをしたんじゃないか。俺はそう思ってる。
こんなことを考えて彼に同意してる時点で、俺も公務員には向いてなかったのかもしれない。
それから約一年後になるが、その先輩女性は左遷された。2010年代が終わる頃で、世の中の動きはハラスメント撲滅に傾いていた。はてなブログとかでも、そういう方向性の記事がランキングに上がることがあった。
結局、勤務中に差別的な発言すらしていた♀は、上下水道局に異動になった。あそこは基本的に男しかいない。男性職員ばかり40人だったっけ? とにかく女性がいない部署だった。
こういうのは、人事からのメッセージのひとつだ。「あなたは間違ったことをした」というのと「嫌だったら辞めていい。むしろ辞めていただきたい」という二種類の。
ほかにも、辞めてほしい職員にはそういう人事異動を行う。1年単位での部署異動とか、逆に掃きだめみたいなキツイ部署に10年単位で張り付けなど、とにかくいろいろだ。介護家族がいる職員への遠隔地出向などもある。査定の低い職員は、60才になる年に再任用の届け出を出しても当局側から拒否される。
ただ、あの♀については可哀そうだった面もあるよ。体質的に感覚過敏とか、神経過敏みたいな症状があったのかもしれない。病気とかやってたのかもな。ストレスが溜まってたんだろう。
俺だって30代半ばだ。気持ちはわかる。けど、俺は勤務中にああいう発言をする職員はやはり許せない。青臭い考えかもしれないが。
この頃になると、F君はそこまで悪質な人間ではないのでは? という考えが生まれていた。職員に対して態度が悪いところはあるが、企業や団体を含めた市民の方を向いて仕事をしていたし、結果も出ていた。
《エピソード①》
まず例としては……この頃、大きな会議があって都内まで行ったことがあって、その帰りにF君と一緒に電車に乗っていた。で、都内ってやっぱりさ、半グレみたいのが多いじゃん。どこの市区かは地域差別につながるから伏せるけど。
その車両では、3人ほどの半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていた。酒を飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車だ。
あまりにうるさいから、ほかに乗っていた主に高校生らもビビっていた。それで、半グレどもの1人が、「やってやるからな!」と大声を出したあたりで、F君が立ち上がって――別の車両の方に歩いて行った。
その途中で、目配せをしたんだよな。高校生らに。「この車両、離れろ」って感じで。で、女の子の方から前の車両に移っていった。いやあ、あれには参ったね。たまにはいいことするんだなって思った。俺には思いつかなかった。
半グレ風の男の1人は、気が付いたみたいだった。席を立つと、F君に近づいていって睨みつけた(さっき叫んでいた奴だ)。F君に視線を向けて、何十秒かバチバチとやりあった後で、元の席に帰って行った。途中、俺達が座っていた座席に痰唾を吐き出した。それも2回。
その後は俺達も前の車両に移った。それから何もなかった。無事に庁舎に帰ることができてよかった。
《エピソード②》
あとは、高齢者に優しい。公務中に、道端とかで爺さん婆さんに話しかけられることがあったんだが、F君はきちんと対応していたよ。ちょっと話して去るとかじゃなく、じっくり話を聞いてた。五分以上になることもあったかな。親切丁寧だった。ほかの職員にもあれくらい丁寧に接してほしい。
年配とまではいかないが、俺が休日出勤で警備員詰め所の前まで来た時、副市長とF君が一緒にいるのを見た。あの知性の鬼で知られる副市長が、F君と和やかな感じで雑談してたんだ。副市長がカードキー探してるところに、サッと自分のを差し入れて扉を開けてた。それで、「副市長、今日も休日出勤なんすねwwwwww」みたいにふざけてた。
《エピソード③》
あとは、なんだったかな。福祉事務所の仕事で、虐待を受けてる可能性がある市民を保護施設に連れていく仕事があった。暴力沙汰になっても大丈夫なように、若い職員が中心になって家にお邪魔する――虐待者がいない時間帯を見計らって。今回は午前中だった。
古風な家屋だった。半分空き家レベルの。職員数人でお宅の呼び鈴を鳴らすと、ちょっと事情ありげな(詳細は書かぬ...)お爺さんが出てきて、ああ、この人だなと思った。女性職員がお爺さんに説明を始めて、それではさあ保護施設へ……となったところで、虐待者と思しき人が乗った乗用車がこの住宅に帰って来るのが遠目に見えた。この丘陵地帯には家が数件しかなかった。
「まずい」と思った。こういうのは本来、うちの総務グループの仕事ではないから、自分は虐待者と直接対応した経験はない。どうしようかと焦っていたら、F君がその乗用車の方に向かって行った。俺達の視界から消える時に「行け!」とジェスチャーした。
お爺さんを公用車に乗せて、無事に門扉を出た後、F君の姿が見えてくると……虐待者を呼び止めて、どこかに行ってた。おそらく何かコミュニケーションを取って、それとない理由でどこかに案内を求めたのだと思う。グッジョブだった。
これはあれだよ、クソ度胸というやつだ。見つかってたら大変だった。前任者によると、運が悪いと連れ去り事案で警察に通報されるらしい。お巡りさんも事情を話せばわかってくれるが、当然ながら福祉課に対して「もっとうまくやりなよ……」という警察からの指導がある。
昼休みが終わって、F君が福祉課に帰ってきた。徒歩だった。「大丈夫だったか?」とグループリーダーが聞くと、「問題なしです」と言ってた。F君が席に座ろうとする時、胸襟のところを見るとネクタイや胸ボタンがダメージを受けていた。
ここまで書いてて気が付いたが、おそらく俺は憧れの感情を抱いていたのだ。F君に対して。
F君は自由だった。俺はといえば、上司や先輩の顔色をうかがってばかりで、いつもへコヘコして、自分の仕事を肯定するために法律文や引継書類を探してた。承認欲求も満たされてなくて、週に一度は後輩(特に女性)や臨時職員にマウントを取ったりして、そんなのばかりだった。
今思えば情けないが、これが普通の20代の男なのかもしれない。商人欲求に飢えている。今思えば、俺も弱者男性のひとりだったよ。だって、弱いじゃん。当時の俺は。今もそうかもしれないけど。ここまで読んだあなたも、そう思っただろ。
でもF君は、いつも堂々としてたし、良くも悪くも人の顔色をうかがわないし、法律や引継資料よりも自分のロジックが主体で勝負してたし、後輩の女の子や臨時職員にマウント取ってるのを見たことがない。
俺は自由じゃなかった。それは、俺にとって一番ほしいものだった。でもF君は、全部じゃないけど、そういうのを持ってた。俺と同い年なのに。そういうのが歯がゆかった。
無神経に女性に対してプレゼントを渡す男性は本当に多い。で、それが4℃。はい昨日もらいました。
別に4℃とか特定のブランドが悪いというわけじゃないと思うんだよね。
1番の問題は『女性にプレゼントを渡すことの加害性』だと思う。
よく「断ればいい」なんていう人もいるけど、普通に考えて怖いでしょ。「いや、あなたのこと好きじゃないし要らないです…」とか言ったらぶん殴られるかもしれないし。だから気持ち悪いと思いながらも笑顔で受け取るしかない。これは本当にストレスになる。
これは4℃であるから、とかは関係ないと思う。よく贈られる手頃なプレゼントの代名詞だから槍玉に挙げた。
例として、私が今までもらったプレゼント一覧
・ピアス(100均に売ってそうなヤツ):いやそもそも耳に穴空いてないし
意味不明。避難所氏とColaboの双方にインタビューしているし、流出した文章にはColaboの名称もある。であるならば避難所氏もColaboも両方とも被害者だろう。
避難所氏へはColaboよりもずっと先に謝罪した旨の報道が出ていて優先対応されていた。写真が出ないのは避難所氏が匿名アカウントだから当たり前。
取材対応はNHKじゃなくて、なんだかっていう女性ライターの書いたWeb記事で対応完了しているよね?
NHKの取材も含めて二重に和解条項で示した取材の対象になっていると考えること自体はギリ可能だけれど、避難所氏がColaboを誹謗中傷した裁判の結果、双方合意の上で和解して決定された内容なのだから、この上なく民主的だよね。何がダメなの?どういう法律に違反しているんですか?
つまりはインタビューと称しながら監視の眼があるし、またそれをNHKなんて準国営放送でやろうとして、失敗したらNHKに頭下げさせてるんだから
どこの独裁者だよって話だよ
えー、つまり、根拠は特にないけれどColaboは実は日本を裏から操る独裁者で、巨大な組織NHKをコントロールする超強力な権限を持っている、とあなたは信じていると。
もう本当に統失だね
あれのおかしいのは、インタビューの情報漏洩なんだから、シンプルにインタビュワーが加害者でインタビュイーが被害者だろ
なのにインタビュイーへの謝罪はちょろっと文面で触れただけ(普通これで終える)に対し、
インタビューに直接関係ないはずのColaboへの謝罪が、がっつり写真付きで記事化して報じられたことだろう
これはきな臭いだけだぞ
で、そこで何故出張って来たのかと言うと、あの和解条件以外にないんだよ
Colaboが指定した取材を受けることとし、同時に、勝手な言及は許さないとしたやつ
つまりはインタビューと称しながら監視の眼があるし、またそれをNHKなんて準国営放送でやろうとして、失敗したらNHKに頭下げさせてるんだから
どこの独裁者だよって話だよ
少し前にBさん関連の話が盛り上がったけど、弊社にもBさんはちらほらいる。
いるけど何もしないならまだいい。弊社最悪のBさんはやっていない仕事をやった事にしてほぼ毎日在宅で遊んでいる(かはわからないが同僚はそう言っていた)。いつも仕事が終わっていないことに気づいたBさんの上司や同僚、関連部署の人が慌ててカバーしてなんとかしている。
稀にプロジェクトで何をしないといけないかレビューする打ち合わせがあってもBさんは「なんもしなくていいって〜」と終始ヘラヘラ。いや仕事を減らしたいとか効率化したいなら理解するけど、なんもチェックも仕事もしなかったら最悪顧客に賠償とか、我が身にかかってくるんだけど。
(Bさんに何かを決めさせるのかと思われるけど、ヘラヘラサボり常習のBさんは現場にとても出せる人間ではないため、開発職ということになっている)
なんならBさんが止めてる仕事のせいで他部署の上長にめちゃくちゃ怒られる。これは普通にその人がパワハラ気味だけど。
で、さすがにBさんの上司もほとほと困り果ててる様子。私も同僚たちもBさんは上司の指導とかいうレベルではない悪意のあるクズだと認識している。
だからときたま妄想するけど、重要なタスクを任せないでBさんの面倒を別のBさんに見させる部署ってできないのかなって。
よく言えば相互補助、悪く言えば蠱毒。クズにクズって言われてショックを受けて立ち直れるほうのマシなクズだって出てくるんじゃないかな。
まあ、人権の問題で実現は難しいだろうね。はっきりと悪意のある人、そうでない人は分けられないだろうし。
あーあ、どうにかならないかな。
でもこれは違うんだよ!!
色もアーモンド色
https://www.nikankitchen.com/ja/products/3336/allgroo-udon-cup-spicy-chilli-173g
現行のポッキーはこれ
https://www.pocky.jp/products/index.html
みんなはどれが好き?(好きだった?)
==== 追記 ====
書いた直後に全然反応がなかったのに、今見たら色々コメントがついていて驚きました。
ブコメを読んだら、結構な数の人が怒っていて、私の中の善良な市民感覚が、「悪いことをしてしまった」という後悔の念を自然と抱かせましたが、落ち着いて考え直してみると、別にそう悪いわけでもないなという気もしています。とりあえず、これが率直なところです。
・「不快」で他人の発言を抑圧しようとするのを表現規制って言うんじゃなかったっけ
・自分の意思にそぐわないからと言って他人の言動を制限しようという発想かー。上手くいきそう?
・自分の不快感のために他人の自由を制限できると思ってるんかな
・不快に思うのは勝手だが、人の発話の自由を制限しようとするのは何様のつもりだろうと思うし、方言の利用を咎めることも更に最悪って感じがする(私は方言コスプレをポジティブにとらえている)
これらの意見は大きくは、自分の不快を理由に他人の行動を制限するのは駄目だ・許されていないという意見だと理解しています。この「制限」というのが、肉体的な拘束や洗脳のように、相手の権利を蹂躙するものならば許されないと思いますが、「不快だからやめろ」と言ったり、ネットに書いたりするのは全く正当な権利だと思っています(アホとかいうのは良くないですが)。こういう自由はむしろ私たちに与えられている非常に重要な権利だと思いますし、これを封じる方がよっぽど表現規制でしょう。一応誤解のないよう言っておくと、私は他人の自由を規制できるとは思っていません。ただ「やめろ」と言うのはありということです。
「上手くいきそう?」については、無理そうって感じです。本文に書いたように、たまたま「なんよ」に連続で遭遇した勢いで書いたので、見通しは特にありません。
・たった100文字のブコメでネイティブの「なんよ」と非ネイティブの「なんよ」の見分けがつくんか!すごいのう〜!うち岡山出身じゃけどようわからんわ〜!!日本人口のほぼ半分は西日本に住んどるって知っとる?
仰る通りで、つきませんね。ただ私の観測してきた「なんよ」使用者数からいって、ノンネイティブが使っているのは間違いないと思ったので、それらの人に届けばいいと思いました。誤算としては、私が思っていたより「なんよ」圏が大きかったことです。でも一定数のノンネイティブには届いたと思います。
他のブコメも含め、関西全域で使われているみたいな主張もありましたが、流石にそれはないんじゃないのとは思います。私は十年ほど関西に住んでいましたが、ほとんど出会ったことがありません。とはいえ私は交友関係が狭いのであれですが。局在しているってのが一番ありそうな気がします。
・「他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪」「「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ」露骨なブーメランだし釣りなんよな?
これはつまらない意見ですが、トラバにも同様の内容があったので返答しておきます。読めば明らかなように私は不快に思う理由をメインで書いています。そして、他人の意見を参照しているのは論理の補強のためです。つまり、他の人たちも嫌悪しているようだから、その嫌悪は必ずしも独りよがりではないはずだという論理です。これは普通に読めばわかることだと思いますし、こんなのは本筋からずれた瑣末な部分です。もうちょっと文章を大局的に捉える訓練をしては?
・他者への解像度を想像だけで上げようとするとそれは自分の投影になると思う。そういう人なのであろうという想像は自身の内面を紹介するような感じがするので私はしたいとは思わないかな。
==== 以上追記 ====
前から気になっているんだけど、ここ数年「じゃないんよ」とか「違うんよ」とか「必然なんよ」みたいに「〜んよ」と言う語尾(?)を使う人をよく見る。元々は九州とか中国地方あたりの方言なんだろうけど、そうじゃない人も多く使っていると思う。私はこの語尾が嫌いで、見聞きするたびに少しイラっとくるんだけども、今日はてブを見ていたら短時間に三度ほど見てしまって、これは警鐘を鳴らすべきだと思った。
この語尾を使っている人たちが、なんの影響で使い始めたかは知らないけれど(千鳥の影響だと推測しているが)、これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒い。ネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないかと懸念を抱く。
「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい:
2. どのような人の前でそのような言葉遣いができるか?
1で無意識に流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?小中学生の頃に、無意識に他人の口調や言葉遣いを真似したり、お笑い芸人のギャグを真似したりする人がいただろう。子供なら無邪気で済むかもしれないが、大人がしていたら見苦しい。あなたがしているのはそういう無分別な子供じみた振る舞いだ。
2については、そもそもカジュアルな言葉遣いだから目上の人には使わないだろうが、ただ、例えば立場としては対等でも、適切に自分を評価して欲しいと思う相手に、そのような言葉遣いをするだろうか?ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなたは一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?
ここまで書いて思ったけれども、私が「なんよ」を不快に思う理由の根っこは、他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪感にあるのではないかと思った。同じ特徴的な言葉遣いでも、例えば一人称に「おいら」を使ったり、語尾が「〜なのさ」の人にこれまで出会ったことがあるが、全く不快には思わず、単にそういう人なのだと感じた(多少面食らったが)。しかし、「なんよ」は私には同じような特徴としてではなく、自分が他人からどう見えるかを認識する能力(メタ認知能力)の欠如、他人と自分を簡単に同一視してしまう自他の境界の曖昧さとして映る。これが一面的な見方であることは重々承知しているけれども、限られた情報から他人を判断する必要上、一定程度は合理的だとも思う。私のような考えを持つ人がどれだけいるかは分からないけれども、google で「なんよ」と打つと「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ。なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。