はてなキーワード: miXiとは
読みたい人だってmixiみたいに知り合いの日記を見る、ってんなら別として、
不特定多数に見られるものって、別に、その個人の余計な感情とか書き方とか、はっきり言ってどうでもいいんだよね。
その辺気にしてるのはその辺で生きてこうとかアフィでなんとか儲けたいとか考えてる馬鹿だけで。
もちろん物凄く読みにくいのは困るけど、大概情報として良いのがあれば嬉しい。
だけど、最近はてブやらTwitterで拡散されるのは、下手に「洗練」(馬鹿向けに分かりやすく(嘘でも何でもいい))された文章で、
内容がないものばかり。
世の中バカのが多いから仕方ないんだけど。
隊長に叩かれた辺りからか、サードブロガー達のブックマークから古参のアイコンを見かけなくなった。
単に隊長に擦り寄った駄記事やらいつもの脊髄反射記事だったので避けてるだけなのかと思ったが、
これは、webサービスで言う、アーリーアダプター層が飽きていなくなるフェーズに入ったと言う事なのではないかと思う。
もしこの仮説が正しいとすれば、今後の流れはTVでmixiやらtwitterが紹介されるようになってからの流れにならうはずなので、
内容を解釈してまともな指摘をする人がいなくなり、適当に読み散らかして見当違いのヤジを飛ばすような人間の方が多くなってしまうのだろう。
もしくは、はてなにはその手の層が少ないので、反応そのものが縮小するのかどちらかだ。
ようやく筆者達の望む、身内だけで好きにできる時代が来たということか。
日本人はとかくファッションの一貫性に欠けると叫ばれる。確かに日本文化は和洋折衷、何でもありの文化であるな。例えば、仏教国の1つでありながら、年末になると突然「ジングルベ~ル」などとバカ騒ぎしだすwそしてどういうわけか年明けには神社で初詣。おめでてーな正月。
で、世界的に見れば一貫性がない、主義主張の曖昧なことは「ダサい」「気持ち悪い」とみなされることは知っておいて損はない。これは単なる主観ではなく明確な根拠がある。日本のような画一社会(個人単位では一貫性に欠けるくせに社会単位ではある意味一貫性がある)では想像つきにくいだろうが、欧米は基本的に多民族社会であって、国内の民族間対立や隣国との民族間対立が深刻な問題であるから、こと人間関係においても相手がどんな人間か知ることが差し迫った課題になるわけよ。だから、「はじめまして」の次には「あなたの宗教は何ですか?」などといった話題がポンポン出てくるのが常なわけ。日本じゃ「ご趣味は?」などと言えば「お見合いかよ」と思われる始末で、相手のことはある程度「お察し」するのがお約束になってゐるが、海外のほとんどの国ではまず初対面の人には最初に相手の思想区分を分類する作業がお約束なわけだね。そんなわけだから、日本人のようなスタイルのよく分からない謎タイプのキャラというのは、文字通り「えたいのしれない」人間として扱われるのよ。だから、もし貴方が日本人でこれから国際社会で活躍したいなら、まずスタイルを一貫させること、そこから始まると言って良い。ビジネスで信頼を勝ち得るには、もちろん人間性やコミュ力も大切だが、実はそれと同じくらい明確なスタイルを持っていることが大事なんだ。そもそも日本文化とは何なのか?自分はどんな人間なのか?そこから考えてみたらどうだろう?
それとは別に、一貫性を持つことは実を言えばとても気持ちの良い生き方だということも知っておきたい。一貫性がないとは裏を返せば裏表があるということで、表の時に裏が気になり裏の時に表が気になるという状態だ。遊んでる時に仕事が気になり、仕事の時に遊びが気になる。そんなんではダメだろう?いくら仕事ができてもダメ。遊びがいくら楽しくてもダメ。仕事も遊び、遊びも仕事と思えて初めて一貫し、そこで初めて心の平安が訪れる。断っておくが、ここまで来ると日本人だけの問題ではなく、全人類の存亡がかかった問題とさえ言えるものだ。この先人類が生き残るには、スタイルの一貫性いかんにかかっていると言っても過言ではない。というのも、今の情報社会において「気になる」ことが大きな文明衰退の原動力になっているからだ。最近スマホでソシャゲをやっている人をよく見かける。ソシャゲも一貫したスタイルの一部に組み込まれているなら良いが、多くの人はそうではない。「気になる」から続けてるのだ。古くは「mixi中毒」と言われた社会現象に始まる。本人は「遊び」「気分転換」でやってると主張するがその内実は全くことなる。「気になって仕方ない」のだ。GMailのinboxも気になって仕方ない。ケータイメールも気になって仕方ない。神経症は現代人共通の病と言っても過言ではなかろう。心の整理が我々人類の急務なのである。1つのことに落ち着いて集中できず絶えず気になることに囲まれた生活が本当に健全と言えるのか。それを今こそ問い直すべき時期に来ている。
問題を叫び立てるだけではあまり意味がない。ここに解決策を提案しよう。その前に一貫性の定義を確認しておこう。勘違いされがちなのだが、一貫性とは無駄なものを削って1つに絞ることではない。一貫性一貫性と繰り返していると、近視眼的なイメージを持つ人もいるようだから、このことは強調しておく。例えば、目標を1つ決めてそれに自分の全てを費やす人生はいかにもアメリカ的成功哲学で受け入れられないと拒絶反応を示す人がいるが、そういう話ではないんだな。それはむしろ最初から一貫性を諦めて、一貫性から外れた「気になる」ことがあっても気にすまいと頑張る行為だから、一貫性とはある意味真逆とさえいえる。「仕事一筋」「柔道一直線」と言えば聞えはいいが、それは微粒子レベルのシビアな見方をすれば一貫性とは言えない。なぜなら簡単なことで、厳密には仕事のことだけ、柔道のことだけ考えていては、生きていけないから。もう分かっただろう。そんなまがいものの一貫性を目指してはならない。一貫性というのは、既にあるものに「統合性」をもたせることでなくてはならない。
であるから、解決策もおのずと見えてくる。統合的な目的を持てばよいのだ。目標ではなく目的。低いレベルでは相容れないものどうしを高いレベルで統合させるにはそれしかない。ウメハラが著書において「目標はもたない」と書いている。目標をもたないのに何故彼のスタイルは一貫しているのか?それは高いレベルの目的があるからである。彼の場合、日々の成長がそれにあたる。とても簡単なことにみえる。だが、考えれば考えるほどやればやるほどこれが簡単ではないのが分かってくる。先ほど一貫性の定義を確認したのはそのためだ。ただ単に、成長のために全ての人生をなげうつ、持てるエネルギーの全てを投入するだけではダメ。それだけでも難しいじゃないかと思うかもしれないが、それだけ出来ても1%も出来たことにはならないという話である。無駄な努力乙というやつで、まるで方向性が違う。早い話、今日から成長という統合的な目的のために生きてウメハラになるぞと思った時点で、君は自分の多くの「無駄」を捨てるだろう。それは自分を削って見せかけの一貫性を作っているだけで、実際一貫性でもなんでもない。ハリボテのエレジーである。ハリボテだから必ずしわ寄せがくる。今日からソシャゲをやらないと決めた所で気になるものは気になるのである。ソシャゲ自体は気にならなくても形を変えて繰り返し噴出してくる。だから我々は「捨てずに」統合する必要がある。捨てて統合出来ましたと言ったってそんなの出来て当たり前であって統合でもなんでもない。
さらにもう一点、オレの目的は毎日の成長だといくら声高に主張したところで、中身が伴ってないと意味がない。我々のしないといけないのは広い目的のもとに自分という人間を「再整理」することであって、大風呂敷を広げることではない。何を整理するか?自分の全ての行動と状態である。それをパソコンのファイルを整理するように整理していく。ルートディレクトリにあたるのが先ほどの統合的な目的だ。そこに全部入れてそれでおしまいというわけにはいかない。それでは整理にならない。なぜ整理しないといけないかというと、殆どの人は自分の行動と状態を支離滅裂な判断でしか決めていないからである。人間完全に合理的な生き物ではないが、少しは整合性を持たせないとダメである。それが出来て初めてスタイルが一貫してくるのであって、単に「オレの人生は全てカネのためだHAHAHA」といったところでまるで一貫性は保証されないわけよ。だから、自分の(行動と状態の背後にある)考えを統合的な目的のもとに整理しなきゃ。そうして初めて、1つのことだけを考えれば良くて、他に何も気にしなくて良いタノシイ状態になれるのである。また、「君のこの行動はどんな意味あるんですか?」と聞かれた時につねに論理的に説明ができるので、「ああなんてスタイルの一貫した美しい生き方をした人なんだろう」という感動を呼ぶのである。これを少しゆる~く解釈すると、人生の限定的な場面において一部の価値観しか扱わずに済む時があって、そのときは一時的に1つのことだけを考えれば済むこともある。そういうときは、柔道一直線が真の意味で実現して、一見美しい生き方に見えることもある。ただしそれは一時的であって、まやかしの一貫性だということだな。これを永続化させるのが我々日本人の責務いや人類の責務と言えよう。
まぁ、会社を存続させなきゃいけない中で、重要な決断を早急に行っていかなければならない、そこは理解できる。精々頑張れとしか言い様がない。
でも、初期ユーザであればあるほど、この説明には納得行かないと感じる人が多いだろう。それは、mixiのシステム上で形成されたコミュニティの継続性に対して、微塵も考慮する姿勢が見えないからだ。もし、自分たちのシステムやサービス上で出来たコミュニティについて、それを尊重しようという意識がないのなら、そういうものを大切にしようとするユーザは寄り付かないし、その点で姿勢が変わったと判断した時点でユーザはそのサービスを離れるだろう。
mixiに限らず、もし他のSNSなどでも同様の意識があるのだとすれば、ネット上のコミュニティをインフラ的なサービスで形成させる様な事業は今後廃れるのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20131204005538
釣り針の多さを釣り針だと想定すれば確かに釣り臭が立ちこめてくるが、真偽はともかくとして大量の小姑が釣れたという事実は変わらない。私はこうした潜在的小姑の多さにぞっとする。
だからこそ元増田に限らず、「結婚なんてするもんじゃないよね」的ストックを用意するなど処世術を磨かないと日本では生きていけないのだ。今後も、元増田は公園デビューやママ友の取捨選別など日本ゆえの気苦労が次から次へ降り掛かってくるだろうが、さらりと攻撃からかわしてほしいものだ。この気持に偽りはない。
>>今の旦那は6人目の彼氏だけど、その6人を時系列に並べると、ステータスも外見も人間性も確実にステップアップしていて、自分でも感心する。
>こんなこと言う人今どきいるの?何様だよ。胸糞悪い。
人様のお話にいちいち胸糞悪く感じる者の多さと密度が異常な社会で、ストレートな表現をFBやmixiにさらしたらたちまち発掘されて小姑隊や放火部隊の襲来を招くことになるだろう、だから匿名の場か酒場のような消えてなくなる場でしか気を抜いてしゃべることもできないのだ。窮屈な社会を作ってるやつらの寿命が縮まりますように
知らない人のためにまず解説すると、はてな匿名ダイアリーというサイトがある。
匿名で日記をお届けするという変わった趣旨で運営されているネタサイトだ。
で、最近このサイトが、「虚構新聞問題により、はてな村とサードブロガーが全面戦争に突入」というエントリーを公開した。
虚構新聞問題により、はてな村とサードブロガーが全面戦争に突入
(中略)
ところが最近
その増田さんが、一部のブロガー達からめっちゃ叩かれてることを最近知った。
はてなブックマーク内で僕が確認できただけでも、1記事くらいそういうエントリーがあった。
どれも15ブクマくらい集めてた。
で、今回
それらのアンチ増田の人が、どういう理由で増田を叩いているのかに興味が沸き、それらの記事を一つ読んでみた。
それも一記事がわからないとかじゃなくて、一記事だけしかないんだ。
あまりに意味がわからなすぎて、1度はこのことを増田化することを諦めかけた。
でも頑張って読んでみた。
今日一日、昼の15時15分くらいから15時17分くらいまで、ずっとアンチ増田記事を読んでた。
頭がおかしくなるかと思った。
それでも私は読み続けた!!
その結果、やっと少しだけ彼(?)の言いたいことの片鱗が見えてきた。
どうも今回の虚構を批判している人は、以下の2パターンに分類できるようだ。
それじゃ解説いってみよー。
老人会とか存在すら知らなかったですし、そんな壮大な戦いが始まってることを今知りました。
はてな民もmixi民とさほど変わらないなぁ。 - 大彗星ショッカーのヒマつぶし2
この1記事は、今回の増田の記事を、「id:noabooonを批判(風刺)する内容」と読んだようだ。
えーなんでそうなっちゃうのー?
増田が今回書いた内容は、
「世間でサードブロガーのアクセスの流れが不透明だという批判が高まっている」
「それに対して、id:noabooonがはてなスターボタンを透明にすることを決定☆」
ただのボケだ。
これは別に風刺でもなんでもなくて、ただのブラックジョークとかそういう類いのものだろう。
「今回もはてな村村長を先頭にはてな村の老人会が大爆発」とか、
これだけつっこみどころ満載の記事に対して、
「風刺になってない!これはデマだ!(ドヤァ)」って……。
何を言ってるんだお前は(´・_・`)?
って話だ。
早とちりさんが出ないように、「面白くなることを祈って、30分で書いたよ」なんて一文まで入れてくれてるくらい、明らかにウソであることを前面に出してるジョーク記事に対して、デマもクソも無いだろ。
(中略)
批判するならちゃんと中身読んであげて!!
多分、他のブロガーさん達がなんか語ってたんですよね?
それと当ブログの意見とを、ごっちゃにしないであげてください。
はてな民もmixi民とさほど変わらないなぁ。 - 大彗星ショッカーのヒマつぶし2
これまでの逆パターン。
増田がid:noabooonを「サードブロガー」と表現したのは、全体のネタに対して、この部分だけは「風刺」を込めたかったためだろう。
それは前述の
を読んでも明らかだ。
でも彼はそこを読み取ることが出来ず、
「ネタ(冗談)って言えば、明らかな悪口言っても許されるのかよ!?」
といきり立って、一人で勝手に怒っているのだ。
ここまで書いて、段々この人の思考パターンがわかってきた。
この人、読解力が低いんだ。
あるいは意図的に内容を理解しようとしていないんだ。
だから増田のどこまでがネタで、どこまでが風刺なのかということを、正確に読み取れてないまま、一人で勝手に誤読して怒ってるんだ。
うん、めんどくさい人だなww
批判するにしても、もう少し相手の意図をしっかり把握したうえで批判してほしいですね。
まぁ増田自体が、どこまで本気でどこまで冗談かわかりづらいジャンルなので、こういう人が出てくるのは仕方ないのかもしれないけど……
とりあえず、何かを批判するなら、ちゃんと相手の意図を汲み取った上でしような!
じゃないと話がややこしくなるからな!
っていうお話でした。
ここまで書くのに約22分かかったわ……
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/11/23/204836
参考
ネット上のサービスで何らかのコミュニティを形作るものは、大きくわけて二種類ある。
前者はぼっちでも参加することができるが、後者はできない。この単純な違いがわかっていない開発者が多すぎる。
普通に使っていればその中で0からコミュニティが作られるようなサービス。Twitter、deviantARTやpixiv、ネトゲなどがこれにあたる。
Twitterとpixivには、フォローに相手の承認を必要としない文化が浸透している。言い換えると一方向な段階から双方向な関係に至るステップを自然に踏める。
ネトゲの場合は少し違う。ネトゲには一方向な段階というのは殆ど存在しないし、無理に行動すれば現実世界のストーカーと同じように迷惑になるだろう。ネトゲが現実世界と違いTwitterなどと似ているのは、低いリスクで他者との接点を持つことができる場が豊富にある点だ。マッチングや共闘や敵対が前提となっている場や大規模なグループでは、常識的な挨拶ができるかどうか程度で他者との接点を持つことができる。
このような場は現実世界では少ない。子供のうちはクラスや部活が似た役割を担っているが、友人ゼロのまま一度社会人になってしまうと余程の行動力がなければチャンスがないし、友人ゼロのまま社会人になってしまう奴にそんな行動力があるわけがないので死ぬまで友人ゼロ確定になる。
しかしそんなぼっちでも始められるのが、"一方向な段階から双方向な関係に至るステップを自然に踏める" "低いリスクで他者との接点を持つことができる場が豊富にある" "コミュニティを作ることも視野に入れたサービス" なんだ。
コミュニティがあることを前提としたサービスは、登録すると最初にお友達を探してくださいとなったり、そもそもFacebookでしかログインできず友達リスト利用が前提になっているようなサービスだ。Facebook自身もこれにあたる。
"コミュニティを作ることも視野に入れたサービス"には参加できても、"コミュニティがあることを前提としたサービス"には参加しないという人々はぼっち以外にもいる。例えば、Twitterの知り合い同士でネトゲを始めてみたり、その逆はあっても、ネトゲの知り合い同士でFacebookを始めたり教えあうというケースは殆ど聞いたことがない。たとえオフ会をやるような人々でもこの傾向は強い。
サービスを作っている側の多くはFacebookのヘビーユーザーなので、ここに大きな壁があることに気づいていないと感じることが度々ある。
この壁には"ぼっち属性だから"や"リア充クラスタではないから"で済ませてしまうよりも深い問題があると思う。
Facebookは現実世界のコミュニティに機能を追加するようなものだ。Facebookの友達リストを前提とするようなサービスも同じだ。それをとてもありがたがっている人たちがマジョリティだろうとも思う。それに、似たコミュニティがいくつもあっても仕方ないから、オンリーワンのFacebookを下敷きとして機能追加していったほうが理にかなっているという理由もわかりやすい。開発側にとってもFacebookのコミュニティをそのまま持ち込めることのメリットは計り知れないだろう。
しかしその一方で、Facebookとそれを下敷きとするサービスは現実世界のコミュニティを持ち込めない人々にとっては分厚い壁でしかないし、既存のコミュニティの拡張でしかないサービスには面倒臭さしか感じなくなっている人々にとっては重荷になる。
その辺が、僕がFacebookをできないしやらないし、ずいぶん昔にネトゲの知り合い同士で始めたmixiもすぐに見なくなった理由だ。
せっかく魅力的な機能を持ったサービスがあっても、Facebookの友達リストを使いますとなっているともうそこで脱落してしまう。Facebookで捨てアカウント取って、友達0で始めてもその中で軽いフォローの関係が広がるように作られているのかもしれないが、そうとわかるような配慮があることは殆ど無い。
最近だと、ビートロボというサービスがとても面白そうだったので始めてみようと思ったのだが、ビートロボの中で0から近い音楽の趣味の人と繋がりそうな説明なのにFacebook前提だったので登録以前でドロップアウトしてしまった。本末転倒だと思う。好きな音楽が近い人が好きな音楽を見つけるのに、どうして現実世界の友人関係に依存しなければならないんだろう。リア充開発者はこれが本気でわかってない。現実世界の関係を持ち込めることがメリットにしか見えていない。
サードブロガーとは、はてブスパム問題を引き起こした奴らである。
ようするにmixiと、はてブの違いが区別出来ずに、足跡代わり免罪符で、ホッテントリ狙いのスパム行為した馬鹿である。
http://anond.hatelabo.jp/20131025170009
http://anond.hatelabo.jp/20131008150622
このサードブロガーは、二つに分けることができる。
「はてブスパムとブロガーの呪縛 - あざなえるなわのごとし」
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/10/26/004018
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/10/30/150443
彼の増田への反応の良さは素晴らしく、はてな村への反骨精神は、次第にサードブロガーに受け入れられて行く。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/archive/category/%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA
はてブスパム問題は、彼らの純粋アピールにより、「身内ブクマ問題」という名前に変えられていた。
「身内ブックマーク問題」
http://blogos.com/article/72979/
http://hotentry.hatenablog.jp/entry/2013/11/11/184316
身内ブクマ問題は、はてぶ自重して、スターをやれよ。に落ち着いた。
身内ブクマをやめれば当然アクセス数は減る。それについて文句を言いだした。
彼は、それをすぐに拾い上げる。
「最近、はてなスターが増えてブクマが減った - あざなえるなわのごとし」
http://b.hatena.ne.jp/entry/azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/11/18/171027
でも、彼は既に個人ではなく、サードブロガーの船頭になっていた。サードブロガーは彼に続いた。
「当ブログの「はてなスター」を削除しました。 - 大彗星ショッカ...」
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/11/18/210045
http://anond.hatelabo.jp/20131119003941
彼とは違う彼らは、本音を丸出しにしてしまい、これまでの問題はただのスパム行為だったのが露呈する。
「増田:虚構新聞叩きを煽動してるのは、はてなのid:kanose」
http://anond.hatelabo.jp/20131121174203
「虚構新聞ネタを取り上げるとPVが上がるらしいが、PV乞食じゃないので、時期を間違えないようにとりま時系列でまとめただけのリスト」
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/11/21/154100
「虚構新聞を批判する人々は2パターンに分類できることがわかった【ユニセフ記事の魚拓あり】」
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/11/22/184648
「虚構新聞叩くならアンサイクロペディアも叩けよ - 反社会的な中学生」
http://takeiteasy.hatenablog.jp/entry/2013/11/22/195745
面白くなることを祈って、30分で書いたよ。
古くはmixi、今はLINEもFBもやってない(Twitterは趣味の情報収集用にアカ持ち)と言うと
決まって「えぇ〜…(寂しい人だね」みたいな反応されるのはどうしてなのか。
四六時中連絡取りたい人なんてどこ探してもいないよ。
知られたくないこともあるし、そのために限定公開?とかしてまで公開したくないよ。
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/11/18/210045
http://b.hatena.ne.jp/entry/dshocker.hatenablog.com/entry/2013/11/18/210045
今まで、フィードバックが欲しいだのどうだの繰り返して言い訳したけど
こいつらをよくmixiと例えてたけどやっぱ違うんだよね。
彼らの言い分をまとめよう
それって、本音言い過ぎで
と言ってるようなもんよ?
悪質なスパマーですよ?何が悪質って、悪意が無いあたりが一番悪質。
以上。
http://b.hatena.ne.jp/entry/azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/11/18/171027
俺もそんなに若くはないが、おっさんほどズレてはないと思うから言わせてもらう。
(以下一部引用)
・知る限り中小の社長なんてもっと酷いよー。Apple製品、ソーシャル、医療福祉、海外 これだけ言っておけば何でも金になると思ってんだから。結局代理店か下請けに甘んじるし。自分でやるだけ良いんじゃないかなー
・これが意外とチャラいというかミーハーな方が成功したりするんだよな。というのも、起業とかイノベーションって結局のところ時代の波に乗って波を大きくすることであって、凪から波を起こすことじゃないから。
・若い人には視野の広さなんて求める必要ない気がするんですよねえ。視野が広い人は起業とかあまりしないんじゃないかなあ、と。
それを循環させるエコシステムを作ろうってのが最近よく言われてるスタートアップブームの本質なんだよ。
このエコシステムってのは、今まで自治体や政府がやってきたそれとは全然違うんだよおっさん。
おっさんの言うとおりに人、物、金、を動かすと自治体や政府が人月計算で専門学校やFラン大学上がりのエンジニアを糞みたいにこき使って自転車操業で金を稼ぐしょぼい受託起業に助成金配るのが関の山なんだよ。
それのどこがイノベーションなんだよ。
ネット回線とiPhone売り歩く営業代理店に新規の人材採用の助成金ばら撒いたってイノベーションは起きなかったんだよ。
確実に(一定の)マーケットがある市場ってのは、一定のであってそこに人、物、金を突っ込んでもしょうがないわけだよ。
学生が起業するならバイトの斡旋とか、家庭教師の斡旋とか、ネット回線売り歩いて成果報酬もらったりって、それが言いたいことではないだろ?
おっさんは家庭があって家のローンがあって毎月(一定の)固定費が必要なのかもしれないけど、若者にはそんな心配ねぇんだよ。
だから若者は限りなくセクシーで、ニーズがあるかないかも分かんねぇドメインで博打を張れる。それでいいじゃん。
それを応援してやっても誰も損はしないだろ。若者以外そこに博打は張らないんだから。
若者がセクシーでキャッチーなアイデアしか出せないのは、知識がないのと、どっちにしろリソースがないからだよ。
MacとiPhoneとWindowsとAndroidくらいしかねぇから、そのリソースでレバレッジをバリバリに効かせてんだろうよ。
今のSAPベンチャーもFacebookもGREEもmixiもそうやって生まれてきたんじゃないか。
おっさんの言うとおりにしたら、ソシャゲーとSNSはマーケット自体生まれなかったじゃねぇか。
でも糞みたいなアイデアが多いのは同意する。でも別にいいじゃん。
エコシステムはそういう糞みたいなアイデアをつまみ出して、そこに人、物、金が集まらないようにって意味でのフィルターも兼ねてるんだから。
半年1年すれば金も時間も気力も尽きてどうせ就職活動するからほっとけよ。
おっさんが推奨するような営業代理店も売るものがなくなったら勝手にランサーズに掲載されてる案件売り始めるだろうよ。
いまだにmixiを使ってる。
mixi終わってるとか聞くが
関係ないと思っていた。
思い立ってfacebookでマイミク達を検索してみたら。。。
みんなしっかり利用してて盛り上がっていた。
ガーン。
多崎つくる並の喪失感。
このまま朽ち果てよう。。。
ふと思ったんだけど、結婚とかなんだのとか、そういう、極簡単な一般的な話が跳ねる様になって来たことや
擁護するきれいなことばっかり言うブクマとかが増えてきたけど、
なんか、mixiに一般人が大量に流れこんできた頃を思い出す。
mixiって、最初始まった時、ホントに他の人からの紹介制で一部のちょっとギークっぽい人とか、
その頃に教えてもらって入ったけど、閉じた世界で何が楽しいのかが、正直よく分からなかった。
でも、話題は何らかの事柄に関する深い話で、興味があるモノについては結構色んな深い情報が行き交ったりして面白かった部分もあった。
久しぶりに開いて見ると、なんかキモイ話題ばっか。お前らのそんな私生活別に聞きたくねーよ、的な。
先に始めて居ただけに、なんか乗り遅れ感もあり、特に自分から発信することはほとんど無かった。
日記とかを自分でも書いてみたけど、反応あればまあ、それなりに嬉しいけど、
でも、人のを見てそれに反応する意味がよくわからず、結局自分も人のに反応したくもないんだから
自分で書いてるのも他人が見て同じように思うだけじゃね?とか思い出し、自分からは発信しなくなる
全く同じことがFacebookでも起こった。Facebookに登録したのはまだ日本語版が無い頃。
なんか外国のサイトかなんかで登録する必要があって入った覚えがあるけど、
mixiと同じようなもんだな、と言う感じで、最初から興味を持てず。
それから数年して、いきなり知り合いからフレンド申請が沢山来るようになった。
いつの間に皆始めてたんだ、というくらい、見たら端から端からやっている。(ホント、あれ、誰が仕掛けたんだろう?mixiから奪って利益ある人ってどのあたりの人?電通がなんか利権持ってるの?)
だけど、恐ろしいほどやはり私生活発信。全く興味ない。
恐らく、こういう状態になってから始めた人ってのは、最初から「いいね」を皆にするもんだとか、そういうルールを知らないなりに覚えたりしてくんだろうけど、
逆にそれより随分前からやってると、いまさらいいねとかしないし、と。
mixiでも同じような感じ。
さらに、Twitterについて。Twitterってその昔、有名人が発信するためのものだとばっかり思ってた。
まだ、ブログとかなら分かるけど、短い文章を一般人が流して何が面白いのか、と。
実際、初期の頃は有名人が流すようなのが多く取り上げられてて、それらを追うのが楽しいだけだった。
そのうち、ググると意味不明な短文にひっっかかることが多くなってきて、twitterを馬鹿な一般人がくそみたいな内容を発信することで
何も意味のないtwitterのページが検索で引っかかるように。物凄くイライラする。最近は、さらにユーザー数が増えた割に検索に引っかからなくなってきたから、googleが結構頑張ってる感があってすごい。
で、これも、気付いたら周りが普通にやっていた。
自分は最初にアカウント作ったけど、人を追うだけ。自分で発信することなんてなかった。
だから、いまさら周りの人間が発信してたとしても発信する気にならない。
んで、ブログなんかも同じ。流石にブログを回り全部がやってるわけじゃないけど、
増え方として、ふつーの人が沢山始めてる感じがある。
別に昔やってた人が優れてる人とか飛び抜けてるギークだとか言うつもりはないけど、でも、ブログ書こう、ってなったらちょっと身構えてやるようなもんだったわけだ。
でも、それがなくなってきたから、かたっぱしから何も考えずにやってるような人が増えてくる。
こうなるともう、その界隈に意味のあるものが非常に稀になり、その存在意義に疑問を覚える。
mixiが一般に広がってキモイコメントをお互い交わすようになって来た様なフェーズ感を今、はてなに強く感じる。
で、また一つ思い出した。Second Lifeってあったよね。
あれもはっきり言ってfacebookとかそういうのと同じような匂いを感じてて、一時期流行り始めて、
遂には電通とかも本格的にナニカやらかし始めたから、結構大きなインフラになるのかとおもいきやいつの間にか消えてる。ま、今もあるっちゃあるけど。
結構な金が動いてたりしたんだけど、あのへん、土地とかやってた人、今どうなってるんだろう?逃げた人もいると思うけど、
高値掴んで失敗してる人もたくさんいると思うんだけど、あまり話を聞かない。
それでもう一個思い出したけどBitCoin。これは今最高潮な感じ。ただ、分からん。今がまだ始まったばかりなのか、もう頂点なのか。
ただ、上の様子から見るに、Second Lifeは恐らく馬鹿には敷居が高すぎたから廃れたんだと思う。
そう思うと、BitCoinなんかは敷居がとても高い。まあ、流石に上のソーシャル系とは全く違うものなんで一概には比べられないけど、
どちらかと言うと、どこかで終わる気がする。
他にそういったたぐいのものって今、他にあるかな?沢山ありすぎて分からんというのがホントのとこだけど。
うん、後半完全にぶれたな。
http://anond.hatelabo.jp/20131105233601
えー。過去どれだけのサービスが生まれては消えていったと思ってるの?
mixiは現在進行形で瀕死の状態を晒してるけど、あれが栄えてたのだってほんの数年前の話だぜ。
Facebookすらも離脱する奴が増えて、数年後にはどうなってるか全く見えないだろ。
何の間違いか、はてなはしぶとく生き残ってるけど、ちょっと前のブログ全盛期と現在では参加してる奴の熱量も違うだろう。
ネットでサービスを継続して使った経験が少しでもあるなら、サービスがどこまでも拡大していくなんて話が妄想だって事はわかるだろ。
わかりやすい例として検索エンジンを上げてみます。検索エンジンと言えば、Google、Yahoo!、Bing、日本はこの3つでほとんど全てのシェアを占めるでしょう。
検索エンジンはサービスです。サービスの世界にあるのは利便性とコストパフォーマンスだけです。かなりはっきりと優劣がついてしまいます。
インフラは増田の言うように利便性とコスパが勝負なので、そこに乗っかるサービスを提供していく事でユーザーを誘い込む。
サービスを使うユーザーが増えると、さらにインフラのシェアが伸びる。
アイテム課金ゲームはサービスです。検索エンジンと同じでサービスの良さが勝敗を分けます。
スケールメリットを追求し最高のコストパフォーマンスで達成感を販売するサービスだけが生き残るビジネスです。
これも違うと思う。
ゲームはあくまでコンテンツで、ソーシャルは集客要素にすぎない。
今の課金ゲームはコンテンツが貧弱過ぎてサービス的なものに頼らざるを得なかっただけで、今後はコンテンツが重視されると思う。
事実、スマホの課金ゲームにも3D化やリッチコンテンツ化の流れは来ていて、開発費の高騰はコンシューマーと同じ道を歩もうとしてる。
スケールメリットを追求したアイテム課金ゲームはどんなものになるでしょうか。
スケールメリットのためにはなによりもまず利用者の数です。俺は前の記事でも言ってましたがソシャゲは人口です。人口が全てです。
任天堂の倒し方を知ってるくせに、自分で倒れかけてるGREEを見ても同じ事が言えるのかと。
アレだけ人口を集めたモバグリも、そこに乗っかったSAPも好調だったのはここ3年ぐらいだったじゃん。
キャラクターは老若男女が受け入れられる無難なキャラクターに、ゲームのルールもとにかく無難に、
ゲームの難易度も無難に(誰がどんなプレイの仕方で遊んでもあまり変わり映えしないように)、とにかく無難でありがちな要素で固めつつ、
クオリティは圧倒的に高く、ゲーム画面はとても見やすく、ルールはとにかくわかりやすく、サーバーとの通信はとても高速で快適に、
これって、コンシューマーの現状でもあるよね。
大衆向けに作ったらコンテンツは結局、こういう方向になるって事なんじゃないの?
この先は失笑ものの妄想だらけなのでコメントする気すら起きんけど、一つ言わせてもらうと、
ユ ー ザ ー を 馬 鹿 に す る な 。
仮に増田の言うような状況が発生したとして、その1年後にはこんな記事がニュースになってるだろう
一握りのサービスで満足し続ける程、ユーザーは馬鹿じゃないし我慢強くもない。
こっちでも書いたけどさ。
http://anond.hatelabo.jp/20131105161350
もういい加減、課金ゲームをコンシューマーゲームと比較するのやめようぜ。
過去を懐かしんで現状を否定するのはやめて、新しいプラットフォームでどうやったらユーザーを楽しませるかだけ考えようぜ。
コナミやセガやバンナム、スクエニ、カプコンといった大手は、課金ゲームでの収益化を模索している。
ゲーム業界なりの成功方程式が見えたら豊富なゲーム資産を武器にコンテンツを投入してくるだろう。
ガンホーはパズドラでボーナスステージだけど、脱パズドラ後のスマッシュヒットを作れる体制が作れるかが鍵。
コロプラも同様だが、ライト向け路線でいくのか、リッチ化でゲーム屋に挑むのかはわからん。
ある日、部長はFacebookをやれと僕に業務命令を出した。
他社とコラボレーションした新しいプロジェクトを動かすためという理由だ。
プロジェクトのメンバーとの連絡や意思の疎通がうまくいくし、他社とのコラボとFacebookの組み合わせを今後の成功のモデルケースにしたいとこの業務命令の趣旨が説明された。
ブラック企業を黒字会社と勘違いした上層部は、Facebookを打ち出の小槌のように考えているに違いない。
震災のあとに繊細チンピラになってmixiを卒業した僕にとって、新たにSNSに参加することは百害あって一利なしなのである。
半年ほどたったところで、部長からプロジェクトの停止が告げられた。
マーケティングに使う費用0円でプロジェクトをはじめなくてはならなくなったこととコラボ先がリスクを一切負わない契約を求めてきたからだ。
そんなゲームバランスの悪いクソゲーは勘弁して欲しい。クソゲーというよりむしろ無理ゲーだった。
結局、僕のもとには、使うあてのなくなった企画書と永遠に発表されることがないプレスリリースと疎遠になったコラボ先と目の前にいる部長がつながったFacebookのアカウントが残った。
社命でとったアカウントなので、キャバクラの女の子たちに教えるのも気がひけるし、これといった使い道がない。
部長も昼飯で食べたラーメンの記録にしかFacebookを使っていないようだった。
しばらくして、Facebook社からメールが届くようになった。
○○さんと△△さんがFacebook上で僕のことを検索したのか、友達探しのために会社のメーラーのアドレス帳をFacebookに献上してしまったのかはわからないが、検索された履歴をもとにしてお友達の捜索が毎日のように続いているようだった。
○○さんは、確かに聞き覚えのある名前だ。しかし、この○○さんの会社とは取引停止なのだ。
前の部長が辞めてしまったあとに前の部長のひいきだったこの会社ごとなかったことにされた。
△△さんも同じく前の部長つながりだ。個人的には縁深い間柄なんだけど、社命で取ったアカウントのつながりに会社の選択で切った人たちとの関係性が残るというのは都合が悪いと思うのだ。
どちらの人とも個人的には、仲良くありたいところなのだが、その人たちとつながることは、会社での僕の立場を悪くする要因になりかねないのだ。大変に申し訳ないと思う。
最近は冷蔵庫に入ったりなんかくわえたりするのが流行りらしいです。
このへんのことについては、書こうと思ってうまくいかなくていくつか文章を放置してあったんだけど、今日、どこぞのまとめ見て不意にまとまったので書いてみる。
なおこのエントリは、本来だったらもうちょい精密に考えなきゃいけないところを、自分の経験に引き寄せすぎて、ちょいとざっくりと処理しちまってるので、あんまり論としてはよいものではないです。
さて、件の炎上した人たちについては、バカに見える。現実問題としてアホだなあとは思うわけだが、俺自身の思想によって、バカであるという判断では終わらせられない。もしバカなのだとしたら、過去にも同様にバカはいたはずで、過去のバカと現在のバカはあまり変わらない、彼ら、彼女らだけが特異的にバカなのではない、と考えるわけだ。つまり、彼ら、あるいは彼女らが悪いというのはではなく、環境やら状況やらに理由があってこうなった、ということをまず考える。実際悪くねえかっていったらそりゃ悪いことしてるんだけど、そういう状況に至ったのにはなにがしかの理由があるはずだ、ということだ。
話が錯綜しそうなんで、先にだいたいのところをまとめておく。代名詞はめんどくさいから「彼ら」で統一する。
彼らの社会は「うちら」で完結する。「うちら」の外側はよくわかんないものである。よくわかんないものが干渉してくれば反発する。そして主観的には彼らは「なにも悪いことはしていない」。彼らにとって「悪いこと」とは明確な脱法行為のみである。あるいは「うちら」の結束を乱す行為だ。なにか、よくないことをしでかして、叱られたとする。しかし罰せられない。それは許されているということだ。明確な処罰が下されない限りは許されている。
彼らの感覚としては「所与の権利」の範囲が非常に広い。権利が広いため、たいていのことをしても許される「ことになっている」。許さないものがあるのだとしたら、それは許さない側の理屈がおかしい。「うちらなんにも悪いことしてないのになに文句言ってくるの」ということになる。
彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚である(LINEは使ってないんでよくわからん)。実際にはそれは、インターネットの仕組みの内部で動いているサービスなのだが、ここでSNSと「うちら」の結託が起こる。SNS=うちらとなるわけだ。なんとなくは「インターネット全体」という外部があることは知っていても、それが「うちら」に積極的に介入してくることは考えない。もしそれが容喙してきた場合、彼らの理屈に従えば「うちらなにも悪いことしてないのになに勝手に干渉してくんの」ということになる。ましてネットの場合、リアルとは違い「外部」は完全に可視範囲の外にある。おそらく彼らにしてみれば不意打ちの感覚が強いだろう。
こうして「冷凍庫に入る」という行為が「許され」、それを「うちら」の内部での武勇伝として公表し、しかし外部の存在はまったく意識しないため、炎上する可能性を想像できない。さっき見たラーメン屋のまとめでもこの流れは完全に一緒である。
なぜ想像できないのか、という問題がある。
これについては「あらかじめ許されている」という感覚との関係を考えたい。所与の権利の幅が大きいということは、逆になにやっても自分たちには危害は及ばないということでもある。つまり危機意識の低さだ。その一方で、情報はどんどん入ってくる。情報が入ってくるということは、世界は有限だということでもある。「しょせんこんなもん」という見切りが先に立ってしまう。つまり彼らは「しょせんこんなもん」という有限の世界で、手足をどう動かそうと「許され」、それだけになにをやっても手応えがない。脱法スレスレ(と彼らが考えるところのこと)のことをすれば、それなりのリアクションはあるからおもしろさはある、ということだ。
以上、ざっとまとめるつもりだったが、これだけでかなり長くなった。
俺がなにゆえこういう考えに至ったかというと、そういうものを日常的に見ているからだ。俺のブログを読んでいる人は、はてなのアカウントを持っている人がわりと多いだろうし、そしてはてなはおそらくネットのなかでも特異的に高学歴の人が集まっている場所だと思う。俺はよくこのことに言及するが、根拠は「自分の周囲から聞こえてくる会話」と、ブコメなりなんなりから漠然と把握される「はてなユーザーの平均的なイメージ」との乖離があまりに大きいからだ。
どうオブラートに包んでもうまく表現できないだろうから、あえて露骨な言葉を使う。この世には「低学歴の世界」というものがある。ネットからは非常に可視化されにくい場所だ。ここでは当用漢字ですらも通用しないことが多い。最近では「試飲」という言葉が通じなかったたため「ためしに飲んでもらう」という言葉に言い換えた。特定の個人に通じなかったわけではなく「ああ、これはだいたい通じないな」と思ったから言い換える結果になった。抽象的な概念はかなり通じない。そもそも「概念」という言葉そのものが通じないだろう。個別具体的な事物を束ねて、現象として説明するような言葉では、なにも伝わらない。
そういう場所が現にある。
彼らが「インターネット」というものの全体像が把握できないと気づいたのは、バイトがmixiに個人情報をまるっと書いていて、そのことについて口を酸っぱくして注意してもまったく通じなかったからだ。どころか「コメント欄に知らない人が書いてたけど、悪い人じゃないっぽいから今度会ってくる」と言い出した。
善悪定かでない不特定多数の人間が、自分の名前、ケータイ番号、職場、交遊関係にアクセスしうるということがなにを意味するのか、彼らは理解できない。というより「不特定多数」という「人間一般」を思い浮かべることが難しい。彼らにとって人間とは「知人」か「知人でないもの」の区別くらいしかなく、そして「知人でないもの」は、彼ら自身がそうしたものになんの興味も持たないように、相手も自分に対して興味を抱かない「はず」の存在である。
結局バイトに俺の注意が伝わったのは、実際に俺が自分のPCでmixiの該当ページにアクセスしてみせたからだ。
店頭にたまるお子様たちから学んだこともある。あまり治安がよろしくない彼らだが、こちらが注意すれば、ひとまずはいなくなる。しかしまたすぐ現れる。何度注意しても同じである。こちらが見ている目の前でゴミを捨てる。カップ麺の残りはだばぁする。やりたい放題なのだが、意外にも「出入り禁止」は効果がある。ただ出入りを禁止するだけではだめで「あんたら客じゃないから」というのが効果がある。そう伝えると、彼らは裏切られたような顔をする。彼らの自意識は「客」である。客であり、買い物をしている以上「明確な犯罪でなければ」なにをしてもいい、ということになっている。実際のところ、彼らは意外なほどに万引きなどはしない。
だから「俺ら客だよ?」に対しては「別に買ってもらわなくてもいい」と言う。「ほかの店を利用してくれればいいです。うちのことは利用しなくていいです」と言う。これは彼らにとって、前提となる権利の全否定だから、裏切りにあたるわけだ。しかし諦めはわりと早い。権利を保証しない以上、彼らにとって俺はいてもいなくてもいいものになったからだ。
こういう経験を通じて、最初に書いたような考えに至ったわけだ。
彼らの常識は、いわゆる社会の常識とは異なる。異なっている以上、社会化されていない。俺はエントリとして書いた以上、彼らを社会化する方法について述べるべきだろうが、いまのところちょっとなんの対策も思い浮かばない。特にネットにああいう迷惑行為をアップしてしまうような手合いだと、なにをどうやっても制御できる方法が思い浮かばない。
とはいえ、そういうものはかならずなんらかの制裁を与えられるのがこの日本の社会というものである。よくも悪くもそういうものだ。
で、それがネットの炎上というかたちになって表れているのだと俺は思っている。
この流れは続く。続かない理由が思いつかないからだ。ひとつには彼らが炎上を避ける方法を学習すればいいのだが、それにはたぶん相当の時間がかかる。どこかでの炎上があって、それを見たとしても、それと自分たちの行為が結びつかないからだ。「あれは外部で起きていることであり、うちらとは関係ない」が原則となる。また、炎上させるほうも手を緩めることはないだろう。なにしろ彼らの傍若無人なふるまいは、同世代にとってこそいちばん迷惑になる。ならば、ネットという「力」を活用しない手はない。
俺は、俺の思想にしたがって、彼らの存在を可能な限り正しく把握し、そこに感情的色彩を挟まない努力をしなければならない。「あれはバカで、どうにもならない」でかたづけてしまうのは、俺にとって敗北だからだ。
というような話を、車のなかでうちの奥さま相手にしていた。うちの奥さまいわく、
「だから、子供できるだろ、結婚すんだろ。そうすると落ち着くんだよ。伝統芸だろ」
芸かよ。
「いまでもこの方法は有効だと思うんだけど……でもなあ……昔はそういうのが有効だった理由って、暴れるだけ暴れて、それって反抗するってことだったんだけど、やるだけやれば、反抗してた大人たちはそれなりに大したもん、というところに落ち着いたからじゃん。そういうの、ないからね、いま」
「ないですか」
「ないよ。大人もいなくなりつつあるし、反抗でもない。両方の側面からアウト」
アウトですか。
さて、俺は考える。俺の常識、社会の常識のほうがまちがっていて、彼らの「うちら」感のほうが正しいという可能性をだ。俺には「うちら」と「うちら」が出会ったときにどうなるのか、ということについての知識がない。しいていえば、各コンビニごとに溜まる集団はひとつだけで、住み分けが成立している、ということくらいだ。
俺に考えられるのはこのへんまで。
おそらくこういうのちゃんと論じた本とかはあると思うんだけど。
同じ場所でけっこうな期間にわたって店をかまえていて、彼らが高校生のころから見てたりもするんだけど、昔だったら、男は肉体労働、女は水商売っていう上がりのかたちがあったはずなんだけど、受け皿のほうが少ないせいか「どうやって生活してんだろこいつら」と思うようなのが増えてる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425