はてなキーワード: miXiとは
相手が全くわからん所と普段の人となりが見える場所ぜんぜん違うし
気を使うとか嫌われたくない人の言い訳でしょ
そもそも陰口言ってる時点で人に気を使えるような人じゃないよね
違いが分からない
二世代あいだが空いてると、色々言いやすかったり言われやすかったりってのは、ちょうあるあるネタですわ
今の30代40代が云々じゃなくて、単に「世代の間が空いてるかどうか」ってだけのこと
こないだな、みんなで集まってはなししててな「若手でグイグイ引っ張って色々行動起こしてく奴が少ない」みたいな話になったのよ
でな、何でかねって話してておっさんたちが怖いよなって話になってな
なんか率先してやる奴らって色々アンテナ伸ばしたいからさ、フェイスブックとかでも色々おっさんとかとつながるんよ
そしたらさ、地元のイベントとか取り組みについて限定公開でめっちゃ叩いとるわけよ
全体公開ではさ、ほら店とかやってる人とかだからさいい顔してるんだけどさ、影ではボロクソよ
で、頑張ってる若者の知り合いとかも「あーわかってないなこいつ」「残念」とか言ってるわけ
そら何かやろうと思っても影で叩かれるってわかってたら行動できんよな
というか普段いい顔してる人が影でエグいこと言ってるってどうなんて
こないだな、みんなで集まってはなししててな「若手でグイグイ引っ張って色々行動起こしてく奴が少ない」みたいな話になったのよ
でな、何でかねって話してておっさんたちが怖いよなって話になってな
なんか率先してやる奴らって色々アンテナ伸ばしたいからさ、フェイスブックとかでも色々おっさんとかとつながるんよ
そしたらさ、地元のイベントとか取り組みについて限定公開でめっちゃ叩いとるわけよ
全体公開ではさ、ほら店とかやってる人とかだからさいい顔してるんだけどさ、影ではボロクソよ
で、頑張ってる若者の知り合いとかも「あーわかってないなこいつ」「残念」とか言ってるわけ
そら何かやろうと思っても影で叩かれるってわかってたら行動できんよな
というか普段いい顔してる人が影でエグいこと言ってるってどうなんて
都会育ちで、夫の勤務地についていった奥さんのハナシ。
http://anond.hatelabo.jp/20140212113833
そもそも、やりたくてなったわけじゃなくてなった職業が高校教師。
無趣味。
ガーデニングとかは興味ありません。
越してくる前は、都市だけで楽しめる文化的な施設とか行きまくりでした。
十分、遊びは満喫してからの移住だったので、むしろ異文化が楽しいです。
多少田舎だろうがなんだろうか、
日本語通じるだけいいやん。
と思うんだけどな。
とはいえ、開き直って
そういう心境にはなれないから、困ってるんだろうけども。
うーん。
難しい。
夫さんを支えたい気持ちはあるんだろうけど、
人との関わりは欲しいとは思うけど、SNSがどうも好きになれない。
オンでもオフでも自分から話しかけることは苦手だし、話題も続かないことが多いけど、それでも人と話すことは嫌いじゃない。
だけど、別に他人から監視されているわけでもないのに監視されてるかのように妄想してしまう。
mixiも少しやってはみたがどうもなじめなくて2週間ぐらいで使うのをやめてしまった。
そのせいかfacebookは始めてみようとすら思わない。
Skypeもアカウントも持ってはいるけど、「今そこにいる」というのを相手に知られなく無いからもうずっと起動していない。
それと似たような理由で、最近のゲーム機によくある、友達がオンラインになったことを通知する機能すら鬱陶しく感じる。
LINEもほぼ同じ理由ですぐやめた。
Twitterは唯一だらだら続いてはいるけど、たいしたことも書いていないから注目もされない。
それなのに、書き込むときに位置情報だとかパーソナリティに関することは徹底的にぼかす。
位置情報をロギングするサービスとかよくあるけど、そんな余計なことなどして欲しくない。
結局のところ自意識過剰で、自分のことを知られるのが嫌なだけなのかもしれない。
それでも人とのつながりが欲しい、気のあう仲間が欲しいとはよく思う。
これはただの我が侭なんだろうか。
小5から今まで(もうすぐ高2だから、大体6年)ほぼ毎日ネットしてた阿呆。
6年という時間が短いか長いかは人それぞれで変わるだろうが、自分の中ではまだまだ短い。
インターネットとは何か。納得できる答えは、いつまでたっても見つからない。逆に、6年では答えが出ないということが分かった。
短いとは言っても、6年かけて貯めた経験値は自分にまぁまぁな自信をつけた。
例えば、初めて手を出したSNSがLINEという友人(今じゃぁ普通に見られる光景)がいたとして、ローマ字入力もキーボードも情報の時間以外触らないもんだから、短く簡潔にやや遅くちょっと素っ気ない文でリプライが返ってきた時に、あぁかわええのぉ、と、大人ぶった上から目線でその友人と接することができる。勿論、友人はイラつく。
で、数日して、顔文字辞書なんかいれちゃったりして、崩れまくったAAなんかコピペしたりして、ちょっと自信有り気にメッセージを送ってきた日にぁ、初孫が初めて家にやってきた子煩悩ジジィのように愛でて、さらにイラついてる友人を撫で撫でしながら優越感に浸る。
と、まぁ、ネット歴6年の成果といえば、意地汚い優越感と自己中心的な幸せくらいだろうか。
自分は、はてなブックマーク・スペース・ブログもやるし、YouTubeもニコ動もUSTREAMも見る。TwitterにtumblrにGoogle+に(Facebookはやってない)mixiやGREE、もちろんLINEと、大手SNSの殆どを試してみた(殆ど飽きた。tumblrだけ続けてる)。オンゲも幾つかやってるし、もちろん思春期の男子ですから、FC2やxvideosも・・・。
また、自分は一切触れたことは無いので省略したいが、例えば会社が構築したネットワークを介してファイルサーバーにアクセス(適当)とかも、一応ネットである。ネットと聞いて真っ先に思い浮かぶものがそれの人もいるだろう。だが、「小5から今まで」自分がやってきた「ネット」について「思ったこと」を書くスタンスなので、ここではあまり考えたくない。
上記したサービスは自分がこれまでやってきたネットの一部だが、それらは自分にとって娯楽であり趣味であり暇つぶしである。そして、その殆どに実用性なんてものは存在しない。一介の高校生である自分には、不必要なものばかりだ。まぁ、毎晩のようにお世話になっているサービスもあるが、それはそれで、悪友から借りたエ○本を読めば良いだけで、今の時代だと十分実用的な漫画が普通に売られてたりする(某ダークネス)。
思いっきり省略したけど。
ここまで書いてきて最終的な結論が、6年やってきて思ったこと=最近ネットつまんない、とは、阿呆丸出しなのは重々承知の上。ネット自体が変化したのか、自分の現実のほうが面白くなってきた証なのか。きっと後者でしょうけど、つまんないと感じてる人は他にいないのか?淡いが、無駄に補色なもんだから目立ってしまっている期待を胸に、ふらふらと辿り着いたのがここ。見せかけの匿名は、自分が小5くらいに問題となってたことだから、どこか懐かしさを覚えて選んだのかもしれない。
「小5から今までネットやってき」た少年が、結構素直な気持ちで書いた日記。純粋過ぎる心で書いたせいか、読みづらい文になってしまった。
6年やってきて思ったこと、というより、6年やってきた少年が最近思っていること、になっている。この日記自体が、思ったことを伝えようとして、うまくまとめられなくて、失敗した結果だと思えば、表題の答えも自ずと現れるのではないかと、暇人に丸投げにして、夕焼の綺麗な空を眺めながら散歩でもしよう。
今は親元を離れて一人暮らし中。
当然父の記憶は一切無い。
中学生の頃、母の机の引き出しを開けてみたら父に抱かれた私と思われるの写真が出てきてそれを見た記憶はある。
母には聞いていないが、背景は高校を出るまで住んでた家だったし、母の引き出しにあるってことは俺と父親で間違いないだろう。
ちなみに父はパンチパーマで少し怖そうな感じだった。
父を探そうと思ったのは、大学に入ってから子供は絶対にほしくないと言う俺に母がやたら俺に結婚して子供を作れと言うようになったことから始まる。
俺が子供はいらないと言う度に母はもう一度子育てをしてみたいと俺としては考えられないような返事を返される日々が数年間続いた。
母が大変な苦労をして俺を大学院まで進学させてくれたことを考えると、子供を育てるくらいならむしろその分母親に自由は余生を送ってもらうとか、
自分自身が子供に縛られずに生きたいから子供は絶対にほしくないと常々母に言ってきた。
ただ、先日実家に帰った時に母が俺に言った言葉が引き金を引いた。
"子供が居なかったらあんたが死んだときに誰が相続人になるんだ?"と。
正直俺としては死んだ後の世界なんて気にしたこともなかった。
親戚の誰かの手に渡るんだろう程度に考えていた。
でもよく調べてみたら俺に子供が居ないと俺の遺産は父を含めた俺の両親(生きてれば)とその兄弟が手にするらしい。
母はそれを危惧していたんだと思う。
これまで俺は今まで一人っ子として育てられてきた。
俺が死ぬときに両親が生きているなんてなかなか考えられないから、もしかすると俺には兄弟が居るのかもしれない。
異母兄弟かもしれないけど。
そんな感じで、もしかしたら俺に兄弟が居るのかもしれないと思うと父を含め彼らが今どこで何やってるのか気になるようになってしまった。
で、今日ネットサーフィンしてたら父の戸籍謄本を取れると知った。
父の手掛かりは名前、それと当時住んでいたであろう住所。
父の名前は、俺のへその緒の入った木箱に書いてあったのを見て知ったし、
住所は、何だったか忘れたけど俺の住民票が必要になって俺の本籍地が全然記憶にない住所だったからそれを父の手掛かりかもしれないとメモったのが残っている。
つい最近住民票を取ったたときには俺の本籍地は高校まで住んでいた家の住所になってた。
メモってて良かった。
ちなみにmixi全盛期に父の名前を探してみたけど見つけられなかった。
Facebookが流行りだした時にも探してみたけど同姓同名の人がいっぱい居て見つけられず。
どんな返事が帰ってくるのか楽しみだ。
http://blogos.com/article/76019/
的はずれすぎて呆れる。というか文章が意味不明なんだよ。なにを言いたいのかよく分からない。
しかし、社会人になると、少なくとも家族、学生時代の友人、そして同僚、仕事関係の交友など、一気に交友関係が広がる。しかも、同僚以外は日常的に顔を合わせることがなくなるため、何かしらで連絡をとらなければコミュニケーションをとることはできない。実家を出ていれば、家族とさえ顔を合わせる機会が一気に減少する。
別にこれならLINEでもFacebookでもSnapchatでもいいだろ。どう適してるのかが分からん。交友関係の補完ってなんだよ。
学生は、自分の家族と毎日のように顔を合わせる同級生が交友関係の大部分を占める。
学生にとっては交友関係を補完するというニーズはほとんどないのではないだろうか。すぐに顔を合わせることができる交友関係が大部分を占めるからだ。
学生が求めるのは日常のコミュニケーションを補完するサービス。ふざけあったり、2人だけの秘密の会話をしたり、そういったプライベート性の高いものにどうしても傾かざるを得ないのではないか。
学生は交友関係を補完するのではなくて、日常のコミュニケーションを補完したいらしい。たわいもない会話ではなくて、ふざけあったり、2人だけの秘密の会話をしたり、そういったプライベート性の高いものがいいらしい。たわいもない会話ってそういうことじゃないのかよ笑
「10代はなぜFacebookから離れるのか」の本当の理由。
Facebookは日常での出来事を断片的に共有するサービス。
Facebookはイベントが媒体で「今日はこれ食べました!(ドヤッ)」「旅行に行ってきました!(ドヤッ)」「誰々と会いました!(ドヤッ)」がベース。
LINEやSnapchatは今考えていることが媒体で「旅行どこ行く〜?」「次いつ遊ぶ〜?」「今暇〜?」がベースになってるわけ。
「今理科の授業中!」「今日はこれから部活!」「これから給食!」とか周りのヤツも同じだよ笑 そんなこといちいち共有するわけないだろw
スーパーやコンビニしか行ってねぇんだから、冷蔵庫に入るくらいしないと「イベント」にならないんだよ。
ただそれだけの違いだよ。
Facebookが流行ってたって、mixiが流行ってたって、10代はメール使いまくってたんだよ。海外ではSMS使い倒してたんだよ。
というものが私にはない。LINEはつながりを感じなくはないかな。
私も相手との頻度に関わらず適当に連絡をとるほうではあるけれど、つながりを維持するために年賀状を細々と出す。
もともと友達は少ない、人付き合いが良いわけではないから、放っておくとどんどん友達が減ってしまう…
いちいちメールやLINEやfacebookで新年の挨拶をすると、
いやいや改まって何だお前、めんどくさいな!
なんて思われるだろうし、私もそんなふうに感じる。だから年賀状はちょうどいい。
これはあんまりにも簡単にまとめ過ぎだと思った。だから問題点を整理したい。
まず虚構新聞についてだが、虚構新聞に関しては一貫して「態度の問題」だと思っている。
「おもしろくない」「住み分けろ」という批判ははっきり言って無意味なもので、そんな批判が通用してしまうなら
インターネットの人々はみな自分の「おもしろさ」を絶えず気にして、自分の所属するクラスタに閉じも篭もってしまう。
私はずっと健常者のそのような焼き畑農業的な、未来の無くなる、人の行動を制限する言説には反対してきた。
私はインターネットでドヤ顔を見たいのである。カオスを見たいのである。みなが「住み分け」をするのならインターネットをやる意味が無くなってしまう。
ことこそがインターネットをやる喜びだ。それが嫌ならmixiにでも行けばいい。
虚構新聞がいくらつまらなかろうが、釣りをしようが、基本的にそれに罪は無い。
たとえばアグネスちゃんに対する侮辱記事でもそうだが、「あんな記事を書くってことはそれなりの覚悟をしたんだろうな」
と、第三者は思うわけである。「おっ虚構が喧嘩するのか」とテンションが上がって来るのである。
ところがユニセフが「ちょっとー!男子ー!」程度の抗議の声を挙げると虚構は音速のスピードで亀のように首を引っ込める。
その後は自分のホーム(ツイッター)でずぅうううっとグチグチグチグチ、自分の仲間を相手に「おれ悪くないやんな?」「全然ついてへんや~ん」
と愚痴を言うのである。ツイッターは公開されてるので、我々はそれを読める。そうすると我々は「なんと卑劣な男なんだ・・・」という感想を抱いてしまうのだ。
「自称人権家」などと、かなりの侮辱の言葉を使っておきながら、ユニセフが少し腰を上げると「怖い怖い!まったく・・・風刺も許されないのか・・・(困惑)」。とか言ってるのだ。
「その程度の覚悟しかないのなら、最初から名無しでやっとれ!」というのが私の感想だ。
2ちゃんねらーが名無しで自称人権家と揶揄するのは良い。だが名前を出してやるのならそれなりの責任感を持て。
自分を前面に押し出しますけど責任は2ちゃんねらー並みで、なんてのは許されないはずだ。
これは大彗星ショッカーのようなサードブロガーや、体調わる子を筆頭とするはてな女子にも言えることである。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
といった他者disや、無神経で中途半端な思考を、デトックスと称して、世界に公開してるわけである。
もちろん年収○○万円の男も、結婚してない奴も、30代のOLもブチ切れるわけである。
年収○○万円の男や、結婚してない奴や、30代のOLの友人が居る人たちも怒る。「俺の友達はそんなこと言われるほど悪いことしてねぇ!」
するとどうだろう。
「なんかみんな怒ってて怖いぽよ・・・」
「ここは私のブログです。好きなことを言って良いはずです」
ところが、はてなユーザーとしては
「え、それなりのことを言ったんだから喧嘩するつもりだったんでしょ・・・?」と、肩すかしを食らうわけである。
「あれ、え・・・?誰かをdisってそれで終わり・・・?disりっぱなしジャーマン・・・?」
となるのである。はてなユーザーから見れば、彼らはとても不可解な存在だ。
「炎上するのが嫌ならそんなこと言わなければいいのでは・・・?」
しかしはてな女子は懲りずに、誰かをdisる記事を上げ続ける。そして炎上し、「何でみんな怒ってるの・・・?」を繰り返すのである。
これではコントである。だから一部のユーザーは、「PV数を上げるための釣りでは?」と疑念を抱きはじめる。当たり前である。
ところがどうも彼らは釣りをしているようではなさそうだ。
彼らはナチュラルボーンで誰かの悪口を言い、そして殴られて涙目になるのである。
虚構新聞は殴られる前にツイッターに引っ込むが、サードブロガーやはてな女子たちは引っ込まず、殴られるがままである。
はっきり言って頭が痛くなる光景だ。
20、30、40代のオッサンオバサンが、「誰かの悪口を言ったら返ってきますよ」という基本的なこともわからずにインターネットをやっているのである。
つまり、虚構新聞と一部のサードブロガー、一部のはてな女子の問題というのは共通していて、それは「態度の問題」なのである。
「名前を出してそれなりのことを言うのならそれなりの態度を示せ。それが嫌なら匿名で。」というのが私の意見である。
さて、淫夢であるが、これは匿名文化である。そして私のスタンスとしては、「匿名文化とは悪質で無責任で良い」というものだ。
今、かつての2ちゃんねるの匂いを少しでも残しているのは淫夢のみであり、このゴキブリと暴走族を混ぜたような集団を私は愛している。なぜなら
ことを私は苦に感じないからである。全く知らない人から全く知らない知識をブチ込まれる、こういう体験をできるのは実は淫夢文化である。
最近のインターネットはそういう体験をどんどんできなくなっている。健常者が増え、グーグルとアマゾンが幅を利かせている。
「あなたにおすすめ」「あなたに合ってるのはこれ」と押し付けてこられて、視界が狭くなっているのが今のインターネットである。
そういう環境において、淫夢のような集団はとても貴重だと感じている。
ただ、昨今においてはツイッターなどの影響もあり、ゴキブリにも暴走族にもなる覚悟もないのに淫夢民を自称する中高生大学生が増えてきている。
彼らは健常者であり、濃ゆく汚かった淫夢文化をどんどん綺麗に薄めていっているという現状はある。
2ちゃんねるがとても薄い場になってしまったように、淫夢も薄い集団になっていくのだろうという予想は既にしている。
以上が私の考える、虚構新聞と淫夢とサードブロガーの問題点である。
私がインターネットで要求するものは、クオリティでも住み分けでもなく人々の態度や覚悟である。
ところが昨今炎上する虚構新聞、サードブロガー、はてな女子は、いずれも態度や覚悟がなっていない。
態度や覚悟さえあれば、いくらでも好きなことを言って良い世界であるのにも関わらずだ。
「誰かの悪口は言いますけど私の悪口はやめてください」はいくらインターネットでも筋が通らないはずだ(匿名になるしかない)。
体調わる子ももう少しふてぶてしかったら、とても面白いブロガーになったのに、虚構と同じ類のナイーブさを露呈してはてなから退場していった。
今後第二第三のわる子やはてな女子を生み出さないためにも、この「態度と覚悟の問題」は言い続けていこうと思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20131223150721
http://d.hatena.ne.jp/chuunenh/20131211/1386766614
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
承認欲求!
承 認 欲 求!!!!
また懐かしい言葉ですね。shとみたら勝手に指が承認欲求って打ち込んでしまうくらい、書いた記憶がございます。そう、はしごたんがはてな村に君臨していた頃のお話でございます。
はてなダイアリーがはてなブログに変わって人が流入し、何やら色々リセットされたようですが、基本的にやってることは昔のまま。サードブロガーとか洒落た名前を冠しておられるようですが、その昔にはてな村のステージで喧嘩をしていたあの人達が世代交代しただけではないかと村人は思うのであります。
昔のはてな村にはそんなものが溢れておりました。そしてそれこそがイナゴの大好物だったのでございます。隙をみつけたイナゴは、まず先陣三匹が隙から皮を食い破り、続く怒涛のイナゴたちがブロガーの自意識を食い破ってかれらを発狂させます。そうして何人のブロガーが腐海に沈んだことか…
ちなみに隙のない文章はプロでもそうそう書けないものなので、ブログが流行り始めた頃からネットには「隙だらけ」の文書があふれていました。当時のブログはどこもたいていトラックバック機能を有しておりましたが、これが機能していたとはいいがたく、また今よりもサービス間の連結は疎であったため、自浄作用がはたらきませんでした。しかし、2005年、はてなブックマークがリリース。これにより大量発生したイナゴがゴミを食い荒らし、ゴミをまき散らしうるブログを潰していったのです。これこそが、はてな村が敬遠された理由でした。イナゴにとってはゴミですが、ブロガーにとってそれは宝だったからです。
彼らが自分のブログ・文章を批判されると凄く傷ついてしまうのは、
彼らにとって、「自分のブログ・文章」は、「自分そのもの」だからなのではないかと思っている。
対してやまもとのような古参民は違う。「 自分の信念・感情・思考 → (変換) → 自分の文章・自分が提出したデータ 」にしている。
残念ながら、自分の信念や感情と文章を切り離せるのは一部のプロあるいは釣り師のみ。あのumedamochioでさえ書評を批判されて発狂したのです。基本的に人は、文章と自分を切り離せません。切り離せると思っているのは幻想に過ぎず、またかれあるいはかのじょがそれを無視するだけの尊大な人間であるためなのです。
しかしどうも新参ネット民やデジタルネイティブはそうではないようなのだ。
彼らはまず自分の人格・個人をババーン!と世界に大公表して、それから情報のやり取りを始めるのではないのだろうか。
これは明らかに誤謬ですね。
はてなイナゴとともにはてな村で踊り狂った一族は、個人の内面をまずさらけ出していました。イナゴはそれが大好物だったので、あっという間に飛びつき、貪り食ったものです。そしてそれに火を放つものがおり、さらにイナゴがどこかから飛んでくる。それがはてな村でした。この騒動のなかでひとつ残った言葉が、承認欲求。まるで南無阿弥陀仏を唱えるが如く、一時期は承認欲求の文字がどこでもつぶやかれていたことを懐かしく思います。
思うに、はてなブックマーク時代以前は、mixiのようなSNSで個人情報を垂れ流すか、オープンな全く自分の尻尾を掴ませないか、そのどちらかしかなかったのです。mixi似つかれた人々は穴蔵から這い出し、オープンな世界で自由を謳歌したかのように見えましたが、個人情報を守れど自分自身の中核を守るすべは知らなかったのです。個人情報さえ守れていれば、大丈夫。彼らはそんなふうに思い、SNSの中と同じような活動を使用としました。そしてネットイナゴに食いつくされたのでした。しかもネットイナゴは彼らにとって見ればまさに承認であり、欲求を満たしてくれる救いでもあったのです。
データのやりとりのみを行う方法を知っているのは、SNS発生以前、ブログ黎明期よりもまえにオープンな場所でそだった野生児だけでありましょう。野生児と非野生児はコミュニケーションが取れないものです。そして野生児は少数派なのです。
ちなみに2005年のはてなブックマークリリース後、2006年から2007年にかけてはてなが盛り上がった頃、はてな村界隈ではこのような人々が活躍していました。例に出したのは一部です。どこに入れたらいいかわからなかったネコプさんとかは省いています(あとはいろいろ忘れた)。あとはてな村の外側には大学生自治寮やギーク平原、狼集落などが点在しておりました。
この後、はてな村は別都市の興隆や再開発によって解体・分解しております。とくに2007年以降は、突っ込まれるのは面倒だが承認欲求がほしい人々は増田へ、キャッキャウフフしたい人々はTwitterへと移民していき、イナゴも人の流れに従ってあちこちへ分散していってしまいました。そしてはてな村は生き残った強者だけがつぶやく廃村となったのであります。
ココロ社さん
メレ子さん
はまちお兄ちゃん(Hamachiya2):猟師
てらじさん(TERRAZI):Operaの人だがたまにはてな村に絡む
シナ千代兄さんの場合はてなの図解まとめ人なのだが、なんかはてな村とは適度に距離をおいている感じがする。多分メタだからだろう。
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060217/p1
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060912/p1
あたりは今でもそのままって感じ。
パル氏(pal-9999):的の外れた男女論のためたびたびブクマで炎上。思想はマッチョ。本人は炎上商法のつもりではないのかも
萌え理の人(sirout2):ライフハック系。あんまりはてな村ではない気もする
タケルンバ卿(takerunba):ライフハック系。でもなんか非モテあたりと親和性が高かった気がする
にちのさん(nitino):メンタルヘルス
まさおさん(Masao_hate):非コミュ
ulululunさん:こじらせ
republic1963氏:非モテ
フルカツ氏(furukatsu):非モテ急進派
じゃんくま氏(junkMA):単著もないのに
ここらへんが動くとohnosakikoさんがメタエントリを生成
ともむん氏(tomo-moon):ミサンドリ→結婚後おとなしくなってたが最近は鬼女として復活か
えっけんさん(ekken):なんかよくわからないが炎上してるとまとめに飛んでくる人
蟹亭主さん(kanimaster):揉みごとの人
加野瀬氏(kanose):なにしてるかよくわからないが村長らしい ←すみません素で名前間違えました
花見川氏(ch1248):何故か炎上する武闘派。非モテ(非コミュ?)から後にニコ動画系へ
ふぁー/ぴーは/ぴゃーさん(pha):この頃はネオニート一年生だった
の、のぶたんのこと忘れたわけじゃないんだからね!でもなんとなくれぶたんとセットです。
みなさんが、2ちゃんねるを今でも見るのはなぜでしょうか。
みなさんが、ニコニコ動画から一歩引いたのは何時ごろでしょうか。
ソーシャルサービスの先駆けであり、最も世界で何度も終わったと言われたサイトですが終わりません。
以前より終わった感がありますがmixiより終わっていません。
2ちゃんねるを観測していたとき、ネットコミュニティとしての文化の終焉に何度も出会えました。
2ちゃんねるは、時代によって中心となる板が代わり、中心が動くことを繰り返すことで不死性を持った謎のサイトです。
一番最初は、開始1年目ぐらいでしょうか。その時代の中心は、ロビーといわれる場所でした。
ロビーとは、日常の違和感を一般的な問題化することで、無駄にしゃべりあうための場所です。
基本は今のニュース速報の様なものを考えて貰えば良いですが、取り扱う視点の広さは比べ物になりませんでした。
この時代を知っている人は、有名固定(笑)とか、その辺が懐かしい人もいるかもしれません。
さて、そんなロビーもだいたい一年ぐらいでダメになりました。原因は、マンネリ。
抱え込むネタの広さがマンネリとくだらなさを加速させました。今の嫌儲みたいな感じです。
嫌儲以上にひどい部分は、慣れ合いです。
元々は斬新な視点を提供できる人達でしたが、割に合わない思考を放棄するようになり
顔出しても知ってる固定同士でどうでも良い挨拶と雑談を繰り返すようになりました。
そんな感じでロビーは特筆するような最終回もなく、気が付いたら端にいる板になるようになりました。
その時代の結論は、慣れ合い禁止でした。
内輪ネタによる安易なコミュニケーションは、興味の無い他人にとっては「見てほしい」ネタでしかなく、「見たい」ネタではないわけです。
これを経験してる人やこの血を受け継ぐ人達は、内輪ネタや身内性に吐き気を催すように調教されています。
ちょうど良いので話は変わってmixiです。
「見てほしい」ネタと「見たい」ネタのバランスに対して、革命的な答えを提供したのがSNSです。
mixiのようなソーシャルネットワークサービスは、「見てほしい」ネタでしかない内輪ネタを
興味のある人に限定公開することで、「見たい」ネタに昇華させたのです。
好きな人のおならの臭いなら嗅ぎたい。それがSNSの本質であり、勝因でした。
でも、強引に近づけてしまった距離感が、結果的に息苦しくなり、若者のSNS離れを呼びました。。
mixiなので、四行ぐらいでどうでもいいです。
2ちゃんねるの歴史に戻ろうかと思ったのですが、飽きました。mixiのせいです。
ネタのマンネリ化を防ぐために、外部の時事性に依存したニュース速報。
VIP。作り出すことに徹した姿勢や、「見たい」を拡散したまとめサイト、慣れ合いの回帰。
ひろゆきが「まとめサイト」に対して好意的なのは「見たい」を拡散する効果なんですね。
2ちゃんねるの不死性は、少なからずひろゆきの空気の読み方も影響してたと思います。以前は。
で、最近話題のはてなブログのマーケティングは「見てほしい」を拡散してるんですね。
「見てほしい」を「見たい」に「見せかける」ツールとして利用されたのが、はてなブックマーク。
そこには「見たい」人達が集まる。なのに「見てほしい」人達を流れにのせる。
そんな風に利用されれば、反感を買うのはあたりまです。どちらの彼らのせいでもありません。
「見たい」の正体は、コンテンツです。Web2.0とかそんな時代でもそこが大事でした。
そして、コンテンツがマンネリ化した場合、その打開策として利用されるのが
「見てほししい」の無理やりなコンテンツ化です。
なぜかって?新しいコンテンツを作るより、人の欲望を見える化する方が簡単なんです。
ユーザー同士の関連テーブルを作れば終わりです。
それを体現したのが、ニコニコ動画です。ここまで読んだ人には書かなくても伝わる気がします。
で、なぜここまでモチベーションがあがらないかというと、このネタ10年前にみたとか地獄のミサワレベルだからです。
本来その先に時に生まれた異端児のストリーム論があるのです。Twitterですね。
そのネタもかなり古いですが。ストリームコミュニティの衰退を定義化されてるのはまだ見たことない気がします。
まだ、衰退してないからか?
なんでこんな古いをネタを書いたかというと、はてなブログから、すんごい古臭い匂いがするんですね。
「見てほしい」「見てほしい」文化。下手すると、テキストサイト時代のレベル。
なんつうか、うちらの世界によるtwitterの隔離閉鎖理論が、コミュニティ論そのものを衰退させて
古臭い「見てほしい」論に回帰したように感じるのは、僕の観測範囲の狭さでしょう。
時代遅れのブログでどうするか、無理やり考え出した古臭さこそ、nextネットコミュニティのはてなブログ。
なんかすんごい古い感じの、時代遅れな感じで、ループモノは飽きた。
昔なら衰退のトリガになる「見てほしい」のコンテンツ化が、この時代にどうなるか、というのはなんか少しだけ見守りたいけど。
どっちかという、こんなマンネリ論より、新しいコミュニティ論が見たいです。
下を読んでて思いました。