はてなキーワード: ROMとは
コロナ禍においてテレワークをバリバリやってる(嘘、ほどほどにサボっている)この頃だが、この度課内でリモート飲み会をやろうということになった。
zoomでミーティングは毎朝やっているからよくわかる。でもあれは形式が決まっているし、いわゆるターン制だからF2Fと変わりない。
しかしリモート飲み会とは如何なものか。飲み会は自己紹介とか挨拶を除けばまあ自由で、誰に注目とかだれが話すとかは決まっていない。リモート飲み会となれば、お互いの顔を数時間見つめ合ってなければいけないのか。顔合わせというくらいだからカメラもONになるんだろうか。猫がフレームインする家に住みたかった。
自分は雰囲気酔いする方で、話題の輪の端で話聞いているだけでも満足(話ふられれば応える)なのだが、ルームは1つで固定だろうし全員見つめ合いながらの会になるのではないか。それならボイチャしながらゲームした方がまだ分かりやすい気もするが、そもそもボイチャどころかグループチャットも発言するタイミングが分からなくて敬遠してたのを思い出した。もう映画見ながらTwitter実況でよくないか。よくないな。自分呼べば応えるんでROMってていいすか。第一印象としてはよろしくないか。
あと、同僚とはいえそこまでプライベートには興味ないし興味をもたれたくないというのもある。いわゆる360度評価が導入されたおりには「あの人ってなんかしてたっけ……」と他人への関心のなさを再認識してしまった。また、自宅なぞはプライベートの極地のようなもので、背景は誤魔化せてもこの空間に他者が一定時間割り込んで拘束されるという時点で受け入れがたい。そうでなければ進んでテレワークなぞ望まない。
とまあ愚痴ったが自分もいい歳なので、やれ嫌だとかナンセンスだとかは言わない。言わないが「新しい生活様式」に自分が躓くとは思わなんだ。だって電話とか苦手だし。意義はわかるし社交性が足りてないのは重々承知。店で飯食いながらのおつき合いならまだ対応できるが、これはなんともめんどくさい。酒くらい好きに飲ませて欲しい。飲めないけど。
私は欲しくないんだけど……
でも以前いたジャンルが歴史系で炎上が多かったのと、小学生のときにはじめて二次創作に触れたジャンルが某国擬人化だったので、炎上がすごく怖くて小説のキャプションに質問箱を置いてる。
表向き「誤字脱字のご指摘はこちらまで」、実際「ここで何か言われたら速やかに撤退しよう」って理由で。pixivのコメントってネガティブなこと書くひとは少ないイメージだったので。
そこに、たま〜に感想が入る。体感としては100ブクマつくごとに1個感想来るくらいだから、実際そんなに多くはないのかもしれないけど、こっちはビビる。こわい。
最初は長文コメントついたり感想来るたびに消してたんだけど、そのうち「もう再掲はされないのでしょうか?」みたいなのも来るようになってなきながら再掲載した。
エロ小説の喘ぎ声に詳細な分析されても困る。CP観を語られても困る。
私は自分が書いた二次創作を見てほしいだけで交流とかしたくないコミュ障の露出狂なのに……
ツイッターでさらされるのとかもこわいので、エゴサもするしROM垢TLの絵師が私の小説のリンクをツイートしてるのも見てる。
単純に露出魔なので、肯定的な気持ちで共有してもらえるのは嬉しい。
でも感想を語られるのが怖い。
私はジャンル垢などはつくらないで、鍵のROM垢でリストを作って、ジャンル別ТLをつくっている。
本垢(趣味垢)はあるけど、そこで推しジャンルの話をすることはあっても二次創作はあげない。
当然自分が書いているジャンルやCPの鍵垢は全く把握できないし、今書いてるジャンルの友達もいない。よって感想なんかも完全に私ではなくて小説に対するものなわけで、感想が来るたびに「こんな分量の感情を私の小説にぶつけてくる人間がいる」という事実に恐怖している。
この熱量がマイナスの方向に向くのが怖くて堪らないし、下げたときに「再掲はされないんですか?」って言われるのも別ジャンルを書いたときに「もう○○は書かれないんですか?」って言われるのも怖い。
なのに二次創作小説を書くのをやめられない。露出魔なので書いたら人に見せたい。でも見せたらコメントが来る。怖い。
ぶっちゃけ二次創作は著作権の侵害だし、他人の作ったキャラクターと世界観を使ったお人形遊びである。
お人形遊びの話を誰彼構わずしたいだけの3歳児の肩を掴んで「君の作った物語はすばらしい!」って叫んでみろ。泣くぞ。
という、私のコミュ障自体は私の問題だってわかってるんだけど、感想屋とかおけけパワー中島とかのせいで「やっぱり作者さんに直接感想を伝えた方がいいよね!」って風潮になるの、正直めちゃくちゃ怖い。
ただただ私が泣く。人間に怯えて泣く。助けてくれ。
ソシャゲをやっている。高校生のヒーローたちに指示を与える指揮官となって彼らを導き、世界を救うゲームである。ポチポチゲーだけど絵はキレイだし何よりストーリーが良い。世界観は重厚だしキャラの心境変化や成長の描写が丁寧で、終末に向かう世界の謎がだんだん解けていくという展開も面白い。大好きだ。
金と引き換えにレビューを書く感想屋というやつが話題になった。当人がどういおうとそういう形態であることは否定できない。
感想屋がそのソシャゲのメインストーリー一章を読んで書いた感想のタイトルがこれだ。なお※には作品名が入るが削除した。
キャラクターを貶めている。
多少なりとも注目を集めた(ツイッターを開設して一週間足らずのうちに900人近いフォロワーを獲得した)身として、個人的な感想だから何を言っても構わないだろうとか、見たくなければ見なければいい、といった言説は受け入れがたい。(そういった弁明すらないわけだが)
感想屋がこのゲームをやっているという内容をつぶやいた時点で戦々恐々とし、いざ感想が公開されれば推しへの言及が少なかったことに胸をなでおろしつつ、他担に対する罪悪感と雑で下品な内容に怒りが湧いた。
これは感想屋自体には直接は関係ないことだが、自ジャンルが炎上に巻き込まれてる時点ももうめちゃくちゃ悲しいしめんどくさい。別で言ってるがこのサービスは問題がありまくりだ。
それにひとつも気づかずサービスをおっぱじめた感想屋も憎ければ依頼した人間も憎い。できれば平穏に過ごしたいと思うのはどんなオタクもそうだろうが、とくにこのゲームはサ終が決まっていて本編もクライマックスであり、金で感想を書く配慮の足りないサービスに荒らされるのは時期もあいまって不快極まりない。
布教だの感想を書けだの、そういったことは片道フォローだろうがROMだろうがどうでもいいがとにかく自発的な行動が契機となっていなければ中身を伴わない。金で書かれたレビューはサクラだ。その人が自分で「いい」と思ってくれるから嬉しいのに。
感想の内容によってはそれが誠実であればまた気分も違っただろうがよりによって「むちむちメイド」だの「カーセックス」だの下品なジョークがウケると思ってるイタイオタクの日記以下の言葉が並んでは、原作が好きと言う立場から肯定できる要素は皆無である。
月並みな言い方になるがゲームに登場するキャラクターたちは魅力的で、それは彼らが世界観に基づく血筋や派閥、家庭環境、才能といったそれぞれのハンデを背負いながらそれでも世界を救うために戦おうとするからである。その姿勢は文字通り命がけだ。
私はこのゲームが大好きで、彼らの戦う姿をかっこいいと思うし、尊敬する気持ちすら抱く。そして彼らがまだ高校生であることを思い出して、背負うものの大きさ思って胸が苦しくなる。しかしそういった同情心もまた、彼ら自身によってある者は無粋である、ある者は不要であると跳ねのけていく。
それを「キャラが割と見た目と中身にギャップがある子たちなので、そういうのが好きな人は結構好きだと思います」とかいうクソみたいな定型文でまとめられたのクッソ腹立つわ。ふざけるのも大概にしてほしい。ポジティブな感想とか言いながら影が薄いだの印象がないだの他キャラsageしないと自分の目が引かれたキャラの話もできてないし。
というかカーセックスより原作名を隠せ。「人の心がない」のは感想屋の方だろう。せめてこのゲームの話をしているときにたかだかCVつながり程度で他ゲーのリンク貼るのはいろんな意味で無礼だからやめてくれ。できればサービスもやめてほしいけど。
では。
【追記】
なんか「一般向け」と称して感想の第二弾が出てたが腐るほど言われているように一度ネットに上がったものは消えない。まあもとの記事も消してないから何がしたいのかよく分からんが。内容も読書感想文にネットで探してきたあらすじ切り貼りする小賢しい小学5年生レベルでキャラ紹介は公式サイト見ればよっぽど分かりやすい。500円だか1000円だかで書いてもらったあらすじとしては妥当なんじゃないですかね。
火消しのつもりなら火消しの体をなしていないしアレが対価としてお出しされるのに金払うやついるの?
はからずもこのゲームがサンプルのようになってしまったこと本当に悔しくてたまらない。地獄の果てまで忘れん。一生恨んでやるからな。
手書きブログからツイッターに移動してきた頃、自分はけっこうな流行ジャンルにはまった。
私はこのジャンルで初めて半ROM状態から絵を描く側に回った。この時の私は社交性がかなりあり、どんな人でもフォローしていたしリプして話かけていたしフォロワーの日常ツイートにも反応したりしていた。とにかくオタクとしての交友が楽しい時期でありジャンルも性癖にあっていたのかどんどん二次創作をした。
そのうちフォロワーも相互フォロワーを介して広まっていき、この頃の自分はCPが合致していれば誰とでも話せるようなそんな人間だった。
そんな中、仲が良かったフォロワーに「スカイプをしないか」と誘われた。
いつもは文字を通して話してるフォロワーと直接言葉を交えて会話できるスカイプは革命的であった。
最新話の感想を語ったりBのいいところ、A×Bのカプ観を時間の制限もなく話した。
リアルの友達とはジャンル自体がかぶらない私にとってその空間はとても幸福なものだった。
基本は仲がいいフォロワーとスカイプをしてそこにフォロワーの友人や自分の仲良い人を誘い、ツイッターでつながっていない人ともスカイプを介して仲良くなった。
週に何回か深夜から朝までスカイプをして萌え語りからリアルの話、ほかのゲームの話や参考になりそうなサイトの話などたくさんの情報を交換した。
そのうちにどんどんスカイプのメンバーは固定化し、いつメンで集まって定期的に雑談するような深い関係になった。
ある日一人の仲がいいフォロワーがヘラりはじめた。きっかけはその人が一番仲良しだった人と喧嘩したからだった。
日に日に自虐的なツイートが増え、スカイプでも自虐がはじまり、自分も励ましはするものの根本的な解決も当事者ではないからできずにいた。
仲が良かったフォロワーは日に日に喧嘩したフォロワーに粘着質になり、匂わせるような発言が増え、その人がいるうちはネガティブなツイートがツイッターに増える為私にとってツイッターは居心地が悪いものになった。
しばらくして活動ジャンルも最終回を迎えフォロワーもちょくちょく次のジャンルに移り始めた。
自分もフォロワーとは関わり続けるのに疲れてしまっていたので逃げるようにジャンルを変えた。
次のジャンルでは自分はあまり積極的に交流はしなくなっていた。
前回のこともあり、自分が好きなジャンルで人間関係のごたごたに巻き込まれたくなかった。
だからフォローも簡単にしなくなったし、相互フォロワーを厳選した。そんな中でも仲良くしてくれる人はいたし、萌え語りを一晩ツイッターでしたりもした。
でも以前のようなスカイプに誘ったりだとか定期的にリプを送りあったりだとかそういうのが目に見えて減りフォロワーと関係を深く保たないようになった。
絵を投下して萌え語りをして去っていく。そんな感じだった。別に気取っているわけではなく、それくらいしかできなくなっていた。
たまにフォロワーが萌え語りに反応してくれてうれしくてリプでリレーをしたりそれだけだった。
でもフォロワーがほかのフォロワーと楽しく話しているのを見かけるたびに、なんでこんなに交流がうまくできなくなったんだろうと思った。
そんな活動をしていく中である日ぱたっとSNSでの二次創作に疲れてしまった。
たまに感想もくるし、フォロワーと交流だってするし、評価に満足してなかったわけではなかった。
前のジャンルの楽しかった頃を思い出してしまうのか、フォロワー間の内輪ノリを見るたびにひどく疎外感を感じてしまい、一人で勝手に疲れてしまっただけだった。
交流するために二次創作を描いていたわけではないが、SNSを続けていたのは交流がしたかったからだ。
だけどそれを理解していてもしばらくの間交流という交流を断っていた自分は今では立派なネットコミュ障になってしまった。
たぶんこれからもずっと、自分は前のジャンルの一番楽しかった頃と今の自分を比較してしまうのだろうと思う。
我ながらめんどくさい腐女子になったと思う。
最後に、二次創作してる人で近場に定期的にヘラるフォロワーがいたら近寄らないほうがいい。
メンヘラはわりと感染するし、自分の精神衛生上すごく良くない。
めちゃくちゃな文章だが吐き出したかっただけなのでここに書く。
おわり。
そういうわけで、1975年生まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。
それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。
俺にとっては、ヴィデオゲームの魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。
結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。
今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。
『カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク風大学生たち)でひしめきあい、
当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。
忍び込むようにして入ったこのゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。
『パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。
キャラクター、BGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。
消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。
それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。
もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、
「ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、
中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。
推理小説よりもゲームブックよりも面白い「推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。
シナリオ・堀井雄二/制作・チュンソフト。ゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。
本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。
けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である。
子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。
初プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。
作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体とUIがポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。
そういえば、ここに挙げたゲームは殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。
それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲームの凄さによるものだったのかは知らん。
ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。
「RPG」というジャンル/概念を意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。
「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか?
もろ鳥山明なドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター(末弥純デザイン)たちに慄いた。
寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。
ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。
おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。
あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、
バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律は羽田氏ならでは。
タイトル画面、カント寺院、キャンプBGMは永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。
当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。
当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードをファミマでバイトして購入した。
膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。
トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。
インターネットなき時代に本作を自力でクリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。
ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGやウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。
ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。
つい最近まで「自分はローグライクなゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。
当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず、文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。
タクティクスオウガもドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、
朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲームは自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。
後期SFCらしい完璧なドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作とUIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、
ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。
手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。
「フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。
中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜
「昨年ついにSwitchで配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから、絶対やっとけ!!!」
それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。
数多の熱狂的ファンや批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。
俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である。
あるいはクラブカルチャー、サブカル、世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM。
本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。
人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物。
もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。
世代的にゼルダはディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。
『神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。
正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。
あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからもクローズドワールドで結構。
なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームだから。
BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。
エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。
夕暮れ時、ロンロン牧場でマロンちゃんとオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。
『moon』ディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。
『moon』が作り出したうずたかい第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。
エンディングではいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後のゲーム)。
坂本教授がBGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。
内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。
(ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)
おまけにリメイクもアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。
だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲームの趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。
とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。
しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。
本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。
本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。
それまでスタンドアローンでしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘でしか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。
その体験は視界を塗り替え、時間感覚を刷新し、現実を異化した。
これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMS』しか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。
『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。
汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。
※※※※※※※※※※
俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝。
何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。
※※※※※※※※※※
【追記】
ブコメ全部読みました。
こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事なゲームの思い出とか括りでは語れない気持ちを排除するみたいで、
あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、
初カキコ失礼します。ほぼ一年間のもやもやを衝動に任せて詰め込んだので支離滅裂です
私は一次創作と言う物をしてました。そこで自分のキャラの話や設定を話す、所謂「世界観や設定だけ作ってる人」でした。もちろんたまに絵も描いてましたが、いつの間にか月に一度しか絵が描けなくなりました
でもそれじゃダメだと気付いて、何度か本編を書きましたが公開しては消してました
それで去年の夏あたりにそれっぽい本編(一話だけですが)が完成しましたがまだ何か物足りず、身内のグループチャットにのみ公開してました
ストーリーとしてはよくあるファンタジー物に専門知識を足した物だったのですが、後日ネットサーフィンをしてたら商業で既にやってる方(しかもその専門知識ガチ勢!)がいて自信を失ったのと、その創作での敵の名称が「鬼」だった(その時鬼滅の存在は知らなかったです)と言う事もあり、自分はパクリしか作れないんだなぁ。と思いました
その後なかなか創作が煮詰まらず、私は【人に嫌われやすい設定や描写】が気になるようになりました。その時は確か、青い鳥でそういうタグが流行ってる時期で、元々自分の好きな物があまりよく思われてない事をいつも経験してきたので「世間の需要」を考えてみようと思いました
私はそれ以降自分の創作にて、出来る限りあまりよく思われなさそうな設定や描写は重要でない所のみ消すように心がけました。でもなんか、楽しくなったんですよね「人の嫌いな物を知る事」が。そこで暇人だった私は、元うちの子厨(今もですが……)だったのもあり、自身を戒めるためにアンチスレを定期的に覗くようになりました
昔の自分にも心当たりのある事だらけで、気をつけなきゃなぁと思いながらROMってました。それで「いつの間にか自分のいる界隈は(迷惑行為してないとしても)厨だらけなのでは?」と思うようになりました
本編書くかーと言って身内のキャラ借りて世界観がよくわからん事になってたり、軽率にうちよそ()してたり、なりチャしてたり、タグやテンプレで自キャラ語りしたり、呟きでカギカッコ使って創作なりしてたり
いくつか自分のしてきた事もありましたが、だんだんとそれらに嫌悪感を覚えました。そしていつの間にか「キャラ属性で推しを語るオタク」までもに嫌悪感を覚え「どうして属性で説明するんだ。そんな事してると嫌われてしまうぞ」とも思いました
けれど、私はあまりストーリーを読むのが好きではないんですよね。低レア帯のキャラばかり推す人なので、ストーリー見ても「どうしてあの子を好きになったんだろう」と自己嫌悪してしまうんです
幼少期から自身の悪趣味さは自覚してたので、どうして世間一般の供給に不満を吐く悪趣味な奴が創作なんてやっているんだろう? どうして世間一般の需要に合わせられないんだろう? とずっと考えてました
それである時、私は気付いてしまいました。所謂ソシャゲが元凶なのでは? と
ストーリーがあるから厨じゃないと厨はよく言いますし、プロとアマ比較するのも間違いだとは思います。けれど一部のソシャゲはキャラを作るだけ作って、属性や声優でゴリ押ししているじゃないですか。創作者もどきがそれ(声優ゴリ押しは不可能ですが……)をしてたら明らかに距離を置かれるじゃないですか
そして所謂なろう系(一部除く)も問題だと思いました。あれは最強設定文化を語る上で外せませんし、当然だろうとは思いました。空っぽな世界観、空っぽな設定、空っぽな登場人物、そんな中にとりあえず入れとけばいいと思ってる世界観無視の媚び描写。想像するだけで嫌になる。それが世間の需要と分かっていても、私はあれに嫌悪感を持ってました
商業だから許されるけど同人ではやっていけない創作があると私は思ってます。なぜそれを人はまとめて記事にしないのかといつも思ってます
最近のアニメにすら「明るすぎてつらい、ストーリーが長すぎて見れない」と思うようになってる。唯一まともに見れてる作品すら途中から酷評の嵐でしんどい
前の話に戻るが、私は本当に趣味が悪すぎる。幼少期好きだった作品も酷評が多かった。趣味の悪い奴が創作してはいけないと、自治厨でもいいからそういうまとめを作って欲しい
私は何度か「本編無い方が幸せなのでは」とも思った。けれど「書かないと人権が無くなる」とも思っていた。だから本編を書いた、一話書きあげた程度で満足してはいけないと思った。ちゃんと完結させなきゃ、ちゃんと書かなきゃ。もう厨だと思われたくない、馬鹿にされたくない、厨創作だと言われたくない
でも筆は動かなかった。やる気がほぼ消えてると言うべきだろうか。今まで創作サボってやってたゲームすらめんどくさくなっていた
それではダメだと思っていた。今まで自分より絵の上手い、それか文章力のあるフォロワーを見下してたんだから、ちゃんと書かないといけない。妄想をつぶやこうとする度に本編を思い出さないといけない
そう言い続けてたらフォロワーに怒られた
でも私は「そんなに嫌だと思うなら本編書けば? 学校忙しいのはわかるけど、馬鹿にされたくないでしょ? ゲームするくらいなら本編書けば?(まぁでもセンスが無ければ人権も無いけどさ……)」と思った。本編書けばいいだけの事なのにみんなどうしてそれをやらないんだろう、でも本編書いてるアピールしてる私みたいな厨もうざいんだろうな
やっぱ厨は死ぬまで厨なんだろうな
あと最後に、どうでもいいけど「敷居が高い」をハードルが高いって意味で使われるとすごくもやもやするんですよね。あれって確か「無礼をしてしまったために申し訳なくなってる」とかそう言う意味だったはずですし
一生できなくていいよ。その代わり二度と創作者名乗るなよ
以上、私が一年間で感じたもやもやでした。支離滅裂ですいません
ここではソシャゲと言いましたが、キャラゲーや恋愛ゲームの類も一部説明で含んでいました。申し訳ございません。そしてコメントありがとうございます。実際これ書いた時「これ書く時のコストを本編に使えばよかったのになぁ」って自己嫌悪してたので、励ましの言葉嬉しいです。もやもやが吐き出せて少し満足したのでゆっくり休もうと思います
朝起きれば前日寝る前にしたブクマにスターがついてるのを確認し、仕事前には朝のブクマを済ませる
仕事中はときどきはてなをスマホで開きトレンドや人気記事をチェック(ブクマ側のコメントを先に読んでから記事を開く)
仕事が終わったら朝のブクマのスターを確認し、夕食前のブクマをする
その後就寝まで勉強や娯楽に時間を使いつつ30分おきくらいに気の利いたコメントをブクマに添えつつ増田にも記事を投稿する
寝る前には一日についたスターを確認し、お休み代わりに適当な記事にスターの付きそうなコメントをして寝る
ブログやツイッターと違って知名度が出たからと言ってお金がもらえるわけでもないのにやめられない
自分と似たような人間らしきユーザをほかに見つけた時も、こんな人たちと同じなんだからバカにしちゃいけないと思うと人としてのランクが落ちた気がしてむかむかしてくる
アカウントを作らすただROMるだけの存在だったアウターはてなに戻りたい、こんなことに時間を使ったところで本当に人生にプラスになる事なんてないのにやめられないでこんなクソ増田を書いたり読んだりしてる今の俺達って何のために生きてるんだろうな
ジャンルの規模は中規模くらい
今は新規が入ってくることも少なく、だいたい見たことのあるメンバーでゆるーく続いている
私は自分で言うのもなんだけど、そのジャンルの中ではかなり絵の上手い方だと思う
今まで描いていたジャンルが大きいジャンルばかりで、まわりにはほとんどプロみたいな人もいた
自分より上手い人がいて当たり前、敵わなくて当たり前、っていう感覚だったから、自分が誰かに嫉妬するイメージは今までわかなかった
アンソロには引っ張りだこだったし、作品のブクマやRT自体は前ジャンルより少なくても、とにかく感想がたくさんもらえた
不思議なことは、pixivでのブクマ数が前ジャンルより少ないのに、イベントでは前ジャンルより多く本が売れた
自惚れでなく、同じCPの人はほとんど自分の本を買っていたと思う
プレゼントがもらえることも多かった
Twitterも、これまで絵以外は嫌がられるだろうと思ってあまり呟かないようにしてたけど、日常の愚痴にすら励ましのリプライが来て、自分は今人気者なんだと錯覚した
とにかく毎日が充実していた
それもHさんのことを知るまでの話だ
神と呼ばれている文字書き、仮にHさんは、私と逆カプだった
だからHさんの作品は読んだことがなかった(そもそもR18以外の小説はあまり読まないというのもある)
Hさんのことは、skypeでジャンルの友達と話しているときに知った
好きな二次創作の話になって、一人が「正直、解釈が一致すれば逆でも読める」と言って、みんながそれに賛同した
私も、好きな二人だったら左右はわりとどちらでも良かった
リバはあまり好かれないという頭があったし、自分のCP(Hさんの逆CP)の方が圧倒的に数が多かったから、わざわざ逆CPを描こうという頭がなかっただけだ
「正直、解釈が一致すれば〜」と言い出した一人が、「特にこの人が好き」と言って作品のURLを貼った
驚いたのは、私以外のその場の全員が「読んだことある」「好き」と口々に言ったことだ
私はかえって読んだことがないと言うのが恥ずかしくて、黙っていた
その後しばらく、みんなHさんの作品のすごさについて熱弁していた
プロフィールに左右固定過激と書いている人もいるのに、みんな逆も読んでるんだなあ、と意外な気持ちで聞いていた
Hさんの作品がなかったらここまでこのジャンルにはまらなかったと言っている人もいた
さすがに気になって、通話が終わった後でHさんの作品を読んでみた
正直、私には良さがよくわからなかった
何というか、起承転結から文体から何から何まで、私が今まで読んできたCP小説とあまりに違っていて、まずすごく読みづらかった
話の内容は、なんか道徳の教科書を読まされてるみたいな気分になった
正直説教くさい
キャラクターについて断定的に書かれていて鼻につくというか
文豪みたいな雰囲気を予想していたけど、淡々と事実だけが書かれている感じで、文章がすごく綺麗!とも感じなかった
ちょっとすごいな、と思うところがあるとすれば、キャラクターの台詞がすごくリアル
「ああ、このキャラこういうこと言うよね」っていう、再現率の高さ?
ただ、一方でやっぱり、私が読みたい二人の話じゃない
合わないなーと思って、読むのをやめた
私がそんな冷めた感想を持った一方で、よく通話しているメンバーたちは、事あるごとにHさんの話をした
逆CPということで、今まで話題に出せず、我慢してた分爆発した感じ
話を聞いてると、やっぱり皆Hさんの作品の「セリフのリアルさ」が好きみたいだ
「ほぼ原作」とまで言う子もいた
私は勇気を出して「暗い話が多いよね」と言ってみた
私はどんなCPでも、ハピエンが好きだったので、そのせいでちょっとHさんの作品は合わないのだということを細やかに主張したかった
最後にハピエンになるための当て馬とかじゃなくて、ガチで浮気する
説得力があるだけに辛かった
Hさんも逆とはいえ同じ二人が好きなはずなのになぜこんなことをするのだろうと思った
「暗いけど、これが真実だという気がする」
と誰かが言った
「Hさんは原作を正しく読んで、キャラクターを正しく書いている」
というのがみんなの共通認識みたいだった
正しい二次創作って何?と私は鼻で笑いそうになった
とにかくみんなが急に言葉の通じない人になったみたいで怖かった
HさんはTwitterをやっていた
私はどんな人か気になって、Hさんのことを検索してみた
私はブロックされていた
何もした覚えがなかったのでちょっとショックだった
けど、他の子もブロックされてるからROM垢で追ってる、といっていたので、
私もHさんの作品は好きにならないし、このままお互いによく知らないままで終わればいいやと思っていた
あるイベントの後、いつものメンバーでアフターをすることになった
Twitterでも呼びかけたので、知り合いが知り合いを呼ぶ感じで、いつもより大規模な集まりになっていた
一人が、Hさんに声をかけたらしい
Hさんはどんな人なのだろうと少し気になった
はじめての人も多いということで全員自己紹介をした
そのときにHさんのことをはじめて見た
顔は超美人というわけではないけど、小綺麗にしていて、彼氏がいると言われても驚かないレベル
あととっつきにくい人だと思ってたけど、かなりよく喋るし笑顔も多い
寡黙で怖い人が来ると思っていたので意外だった
いつも通話している子たちと引っ付いて行動していた
フリータイムになると真っ先にみんなHさんのところに向かった
みんな口をそろえて似たようなことを言った
Hさんは作品が始まったばかりの頃に一度だけサークルで出て、そのあとはしばらく新刊を出してなかったらしい
本楽しみに読みますという人たちに「すごく直したいところ多くて 恥ずかしい」とはにかんでいた
空気が変わったのは、Hさんが一人に「新刊買いました」と伝えたときだ
「私逆CPなのに…いいんですか?」と声が震えていた
一方で、周囲の子たちが100%笑顔じゃなくなったのを私は感じていた
作品見せてくれるだけで嬉しい、とみんな言っていたけれど、やっぱりどこかでHさんと絡める逆CPの人が羨ましかったんだと思う
Hさんはpixivだと、正直絵があんまり上手くない人でも、自分と同じCPならよくコメントしたりしていた
たぶんそれを狙って、全年齢の話に両方のCPのタグをつけ始めたことがいるのも私は知っていた
みんなHさんが自分の作品に興味がないことを、「逆CPだから仕方ない」で誤魔化していた
Hさんは「サンプル見て、これは買おうって決めてたので」と言った
空気を感じたのかわからないけど、「逆CPの人には、自分のツイートとか地雷だったら申し訳ないなって、ブロックさせてもらってるんです」という説明も付け加えた
嘘だ、と私は思った
私はつい気になって、別ジャンル用のアカウントでHさんのアカウントを見たことがあった
Hさんは作品で選んでいる
極めつけは、Hさんに新刊を買ってもらったと知って舞い上がるその子の一言だった
「Hさんに読んでもらえるなんて、認められた感じがする」
その場ではみんなに合わせて笑っていたけど、あの瞬間のこと、私は一生忘れられないと思う
たぶんあの場にいた子の中に、私の他にも同じこと考えた人がいるんじゃないかと思う
「私たちは失格ってこと?」
もちろん、Hさんに悪気があったわけじゃないのはわかっている
正直、このジャンルに来てから人との距離が近くなったから、身内買いに疲れていたところはあるし
誰が悪いわけでもないんだけど
そのあとHさんは他の人と話し始めたので、私たちグループはHさんから離れた
「○○さんの新刊は〜だったし〜」とお互いの作品をほめ合う空気の中で、誰かが私の作品について触れた。
「○○さんのはとにかくかわいい二人って感じ!」
だけど今の私には、Hさんの小説と違って、中身のない、BLのテンプレにキャラを当てはめただけの話、と罵倒されたように聞こえた
だけどHさんみたいな人はきっとどこかで私のことを、チープで人に媚びてる絵師だと馬鹿にしてるんだろう
一言だってそんなこと言われたわけじゃないのに、私の気持ちはどんどん沈んでいった
しばらくすると、次のイベントの告知があった
私は一瞬、参加するか迷った
以前ほどは楽しめない気がしていた
こないだのイベントが楽しかったのか、新刊を出せるかわからないけど次もたぶん出ますと書いていた
私は迷った末、出ることにした
誰かへの嫉妬をこんなに強く感じたのははじめてだった
イベントがないのに原稿を完成させる気にもなれなくて、全てが有耶無耶になってしまった感じがした
私はなんとなくやる気がなくなって、ジャンルの友達とは絡むけど新しい作品をあげたりはしない、落書きをたまに描くくらい、って感じでやっていた
Hさんに対する気持ちも、関わることがなければすっと消えていった
だけど最近、私たちのグループの内の1人(仮にFちゃん)がある告知を上げていた
Fちゃんは、前のイベントのときにHさんに新刊を買ってもらって喜んでいた子です
告知の内容は、FちゃんとHさんが合同誌を出すというものだった
Fちゃんとは、あれからもグループで頻繁に通話してたけど、合同誌のことは私たちの誰も、一言も聞いてなかった
だから何、って感じなんだけど
Fちゃんの中で、やっぱりHさんは私たちより上なんだ、と思った
表紙と告知絵をFちゃんが描いていたけど、いつものFちゃんより丁寧に描いてるな、と私はわかってしまった
Fちゃん結構めんどくさがりだし、前にアンソロの原稿もミスを指摘したけど所詮二次創作だからいいよって直してなかったし
ここまで書いて改めて自分が嫌になった
こんなに難癖をつけなきゃ生きてられない人間だだっけ?
同人ってこんなに苦しくなってまでやること?
アカウントを消そうと思ったけど、
簡単に切るなんてできなかった
こないだ、Hさんの感想箱に「ずっとこのジャンルにいてほしいです」というメッセージが来ていた
私は早く消えてほしい
もうやだ
ごめんなさい
以上でした
もう何回も繰り返された、コピペみたいなやりとりをするのは幼稚すぎやせんか、と指摘しただけで、ニュー速で見たから飽きた俺に配慮しろと言ったつもりではないのだがw
そうだとしても、こっちも思ったことを書いているだけなので文句を言われる筋合いはないのだがwだがw?
まあ、落ち着いて回線切ってさ。半年ROMったらどうだね。学校が無くてヒマなのは分かるが、ここで時間を潰して、万一俺を論破したとて何の得にもならんよw 実際には顔真っ赤にされている訳だから本当に損でしかないw
TPOの話だが、話題を振るときには政治・個人の信条にあたる話題はこれまで暗黙のルールで避けて来たと思う。
政治の話をしたい場合は、そういうアジェンダや場を設定してやってくれと言ってたはずだ。
これは、その話題をし始めると合意形成に至らず、時間だけ過ぎていくのを避けるためだったはずだ。
昨今のTwitterを見ると、混ざってしまっているというか、政治の話をしたい側が動員したがって垣根を超えているように見える。
タレントが政治の話をするのは個人の主張だが良いが、政治用のアカウントを作ってくれという、用途ごとのアカウントを作るというのがここ2,3年の流れだったはずである。
どうして混ざってしまっているかは、Twitterの話題になっているタグにあり、政治の話題がしたくないのにごちゃ混ぜなのだ。
半年ROMれ、という古いネット民なら聞いたことがあるアドバイスだが、今のTwitterはフラット化し過ぎている。もう板ごとの暗黙のルールなんてないので、半年ROMろうが、ある日炎上する。
もう一つは消費が圧倒的に早くなった。