はてなキーワード: ROMとは
増田のことはよくわかってないけど、とにかくモヤついた気持ちを吐き出したいがために書いてるので、読んでも楽しくも意味もないことだけ先に書いておく。
私は虹物書き。
これを見て腐ったヤツかよ、と画面を閉じられるかもしれない。実際腐っている。
腐っているが、私は解釈厨でもある。
自分で書きながら人様の話を読みながら、この人たちはこんなことしない……と何度思ったか。正直自分でも面倒くさい。
一応良識ある人間を目指しているので、他人のお話にそう思っても凸したり焼きましゅまろを送りはしない。
ただ、界隈で自分の解釈と違うものが評価されていると、なんだかなぁと勝手に思う。
所謂抜○ネタに近い、性癖で殴るタイプの話の中には、それを優先して、キャラクターが二の次になるものがいくつもある。優しいキャラクターの腹黒化、と言えば分かりやすいかもしれない。
それ以外にも、例えばまるでプロの書いたような素晴らしいお話があったとして、でもそれってこの二人じゃなくていいんじゃないのって思うものもある。
私の作品がそれらと違うとは思わない。その創作者さんたちにとっては、そのお話はその二人だから作りたかったんだろうし、私だってこの二人のこういう一面が好きで強調したいし、二人にこうして欲しいと思って書いているんだから、結局は元のお話を踏みにじってる。私が物語として完成させた中でも、後から二人はこんなことしないと思うものがいくつもあって、修正したりもする。
分かっていて、それでも自分の世界(解釈)に囚われてどんどん面白くなくなって書けなくなって。
一番馬鹿馬鹿しいのは元のお話も楽しめなくなることだ。何が好きだったかすら見失うのは、本末転倒だとも思う。
そして、虹なんて誰に求められてるわけでもない。
読むのが面白くなくなったら、生むのに苦しむようになったら、それがジャンルの潮時で、後ろ足で砂をかける前にジャンル移動でもして終わらせるタイミング。
それを少しでも遅らせたいなら、もはや私は人の作品は読むべきじゃない。自分一人で好きにやって、誰にも知られず自分用の本でも作ってるべきなんだろうな。
それでも私は書いたものを公開して、誰かに知って欲しいと思ってる。今書いてるこれもそう。誰かの解釈を好きだと思ったように自分の解釈も誰かに認められたいと思っている。
ここまで書いといてなんだけど私めんどっっっっっくさいな!!!!!? 頭良くないのになんか理屈付けようとしてさぁ。
この解釈嫌い、ってのが私にもあるんだよ。そんで私の解釈もそう思われることがあるっていい加減腹ァ括れ。
こんなとこでぶちぶち呟くだけなら書くの早よやめろ。やめられないなら解釈縛りなんぞ捨ててしまえ。あと自分がすごい作品で揺さぶられるみたいに、誰かを自分の解釈で殴りたいの認めろや。勝手に自分の解釈が一番だけどね!って思っとけばいいじゃんいい子ぶろうとすんな。すごい作品を読むたび自分の文才の無さに打ちのめされてるのもね!くやしーーーー!!!!私もそう書きたかった!!!!でいいじゃんもっと表に出せ。趣味なんだからさ、もっと自分が楽しめるように勝手に遊びなさいよ。
黄金のマリオ像、というものを知っているだろうか? 1990年代の子供たちの憧れであり、ゲーム屋の怨念を掻き立てるアレのことだ。
任天堂が始めた「任天堂エンタテインメント」というフランチャイズシステムがある。任天堂の卸を担当している初心会に金を払うことで、大作ソフトが多数回してもらえるようになるのだ。通常はゼルダの伝説が20本しか入らないのに、これに入会していると400本入ってくるというわけのわからないシステムだ。かわりに敷地が何畳以上とか、保証金が最低百万だとか、それなりにリスクも追うわけだが。で、入会すると貰えた店用販促物がこの黄金のマリオ像だ。これがおいてある店は結構子供心に輝いて見えたものだ。店主からしたら忌々しさもあったものだろう。
今ではなぜか初心会がかつてゲーム業界を牛耳っていた悪の大組織に扱われ、その象徴としてこのマリオ像がやり玉に挙がることもあるのだが、もうちょっと詳しくここらの事情を書き残すことにする。おっと、私は決して業界内の人間でないので、そんな人間でもわかる範囲内のことと、想像できるものの話ししかしないぞ。
昭和の時代、ファミコンというものが生まれておもちゃ市場は一気に変わっていった。玩具のなかにデジタルデバイスが入り込み、子供たちは夢中でファミコンゲームを買い漁った。マリオ、ドラクエ、ロックマン、スターソルジャー……いろんなゲームが生まれ飛ぶように売れていった。するとどうなるか。街にファミコンショップというものがどんどん増えていった。
任天堂はおもちゃ流通として使っていた初心会を利用してファミコンソフトを全国に出荷した。この初心会とはようするに任天堂と付き合いのあったおもちゃ卸業の親睦会だ。もともとそんな大それた組織というわけではない。
もちろん昭和の時代からすべての小売店が初心会の問屋と取引しているわけではないし、おもちゃ卸業の会社の大多数が初心会に入っているわけではない。そのため初心会に非参加の二次問屋も多数いた。その二次問屋を通ってファミコンソフトを仕入れる小売店もまた非常に多かった。ファミコンが売れると嗅ぎつけた奴らはこぞって店を立ち上げ、夢中でソフトを仕入れ売りさばいた。ゲーム市場がどんどん大きくなり、セガやNECも独自の流通をつかってゲーム市場に乗り込んできた(一部セガは初心会を使ったりもしていたそうだが)。
ファミコンからスーパーファミコンへとプラットフォームを移した頃、いよいよ任天堂と初心会に難題が降り掛かってきた。「小売店が多すぎる」問題だ。
スーパーマリオコレクションを例にあげようか。どうやっても200万本は売れるゲームソフトだ。工場もそれを見込んで確保する。ところが小売店からの注文を吸い上げた初心会への注文は、それを遥かに超える500万本になる。
なぜこのようなことが起きるのか? 小売店が欲しい数をそのまま問屋に注文するからだ。その地方にすむ子供の数を見込んで小売店は注文する。しかし近隣のライバル店も同じ数だけ発注しているのだ。品切れを恐れた小売店の注文は初心会でまとめられたところで重複に重複を重ねた数字になってしまう。
ではそのまま工場をフル生産して500万本作るべきだろうか? 論外だ。そんなことをしたら小売店には大量の売れ残ったマリオコレクションが棚を締めることになるだろう。その結果はどうなるか。値崩れだ。そしてアタリショックの二の舞になってしまう。
よく「クソゲーの氾濫でアタリショックが起きた」といわれるが、事実はまたもうちょっと違う。クソゲーの氾濫の他に「価格の崩壊」もあげられる。小売店は売れなかったクソゲーを値引きする。値引きしたソフトで消費者は買う。そうすると正規の価格ではそもそも見向きがされなくなる。そのため正規の価格が守られなくなりどんどん値下げに走り、撤退・倒産したメーカーが放出した在庫がさらに市場に流れ、価格はさらに落ち込み……というデス・スパイラルが、アタリショックだ。任天堂は絶対にこの現象を起こしてはならなかった。
適正量を見極め適正量の製品を出荷する。その結果は「儲けさせる小売と、そうではない小売とを選別する」必要に強いられる。すべての店に平等にマリオを出荷すべきだろうか? いや、そうではない。不人気ソフトでも買い取ってくれる、不良在庫を引き取ってくれる小売店を初心会は優遇しようと考えた。人気ソフトしか買わない小売店は卸からしたら不要なのだ。そんな店なら上得意の店に回したほうがマシだ、というわけだ。
それまで抱き合わせ販売をして初心会は小売店を選別してきたが、さすがにいよいよ無理がでてきた。この状況を打破するための小売店選別システム。それが上記の任天堂エンタテインメントであり、黄金のマリオ像なのだ。なんなら小売が卸を担当してマージン取って他の小売店にまわしてもよい(まあこれは表向きはNGということになっていたが)。なお、「敷地面積○畳以上」という条件を満たせなかったプレハブのようなファミコンショップも当時は結構あった。
ところがこのシステムもスーパーファミコン末期には崩壊する。任天堂エンタテインメントに参入する小売自体が増えすぎてきたのだ。さらにはその地方に一店も任天堂エンタテインメントに参入していないような状況だとむしろ在庫は拮抗して小売店にとっては不都合がなくなる。そうなると「誰も参入せずに困らない地方」と「全員参入してしまって困っている地方」とが生まれてくる。最終的に「入れば儲かる商材が大量に仕入れられる」から「入らないとそもそも入荷しない」にまで悪化する地方すら生まれたという。小売の選定にも限界が来てしまった。
そうした状況がプレイステーションによって完全に破壊された。ソニーは独自流通で直接小売店に卸たのだ。問屋は不要になった。問屋は今まで選定する立場にいたが、以降は選定される側に回った。初心会内で吸収合併が続き、数をどんどんと減らしていった。初心会外の問屋も潰れるか、吸収されるかになっていった。初心会はいくつかの改革を行ってきたものの、結局プレイステーションの攻勢に太刀打ちできず解散した。解散後も任天堂の意向を汲んだり任天堂に意見をいったりとしてそれなりに機能していたが、岩田社長へと社長交代が行われたあたりでその動きもだいぶ削がれていった。
なおソニー流通でもいくつかのごたごたがあり、最終的にはゲームメーカーが自社独自の流通を持ち直接小売店に卸すようになった。これがPS1後期。今では大手ゲームメーカーの自主流通に、中小サードがぶら下がる形でゲームは流通されている。みんな大好き日本ファルコムはコナミが流通を担当しているぞ。
初心会は決して業界を牛耳っていた悪の組織ではない。アタリショックの幻影に怯えそれを阻止しようと尽力し、結果滅んでいった(厳密にいえば滅びてはいないんだが……)清濁併せ呑む存在だ。黄金のマリオ像は小売からしてみたら忌々しさを覚える象徴だろう。しかし初心会からしてみたら、それなりに自己の正義というものがあったんじゃないだろうか。
※追記
こんなつまらない日記をブックマークしていただけて感謝。すごく嬉しい。いくつかブコメに返信する
>従事る
多数指摘をいただき大変申し訳無い。何分脳が8bit故許してもらいたい
>任天堂を絶賛するやつってこの話題絶対触れないよな。これのせいでメガドライブとPCエンジンのソフトがどれだけ買いづらかったか(入荷数が極端に少ないという意味)
たしかに小売に対して問屋が「他の所とは取引するなよ」と圧力をかけたという証言はあるのだけれど、じゃあ実際どうだったかというとNECがPCエンジンのCD-ROM2ユニットを売り出したときには至るところから寄越せ寄越せの大合唱になったということもあるんで、「上手いこと小売もやっていた」んじゃないかと思う。もしくは問屋も自分のところを経由する形なら文句言わなかったとかかな。
PCエンジンとメガドライブはただただ出荷量が少なかった。めちゃくちゃ売れたイース1・2やソニック・ザ・ヘッジホッグで30万本くらいだ。同時期のスーパーファミコンはミリオンソフトがずらりと並んでいる。小売は当然売れる商材を中心に揃えるわけだから、圧されてしまうのは仕方ないんじゃなかろうか。
そうして売れる商材を揃えている初心会だからこそ、横暴なことをやっても小売は耐えてきたわけだ。単純に販路が弱いっていうのもあるはずだ。スーパーファミコンは初心会とそれに非参加の二次問屋を巻き込んで在庫のやり取りをしていたので品切れをしてもリピートの確保ができた。PCエンジン、メガドライブはそこに余裕がなかったので即メーカー発注になり、そこにも在庫がなければリピート待ちだ。
>権力もってる人間がオトモダチ優遇したりグレーな事やってたりするのを悪の組織と呼ぶべきではないかって言うと・・・
オトモダチ優遇なんて話しじゃないよ。単純なビジネス上の付き合い。ドラクエとマリオしか欲しくない小売は多かっただろうけれど、そんな小売は問屋からしたら何の魅力もない取引先だってことだね。
>ゴールドマリオ像懐かしいな/最近の任天堂絶賛派はこの件を知らないか、知ってても「流石山内組長は商売上手!」みたいに言うのではなかろうか
山内社長から出た案ではないと思う。というか任天堂発案ではないんじゃないかな。マリオ像も販促物も初心会名義だったので、集まった金は初心会で管理していたのだろう。任天堂からしたらどこの小売に儲けさせるか云々はさすがに範囲外だからね。
これに関しても面白い証言があった。確かにROMはリピートに二ヶ月以上かかり、CD-ROMは3週間ほどで生産できたというんだが、「在庫がなくても問屋にある。問屋になくてもメーカーにある。メーカーになかったらいよいよリピート待ちになるが、3週間後でも二ヶ月後でも結局熱が覚めてしまうから同じことだ」というもの。プレイステーションは問屋とメーカーが一体化していたから、初心会内でやりくりしていた任天堂と比較して在庫の数という面では不利になったかもしれない。ファイナルファンタジーみたいなリピート待ち必須の超人気ソフトはさすがに恩恵があっただろうね。
続きを希望されてて嬉しい。実はネタはあるから、気長に待っていて欲しい。初心会から開放された小売がどうなったかというと、あんまり明るい話題じゃないんだけどね。
リアルでもコミ障気味ではあり少しだけ人見知り。
だけど社交的に振る舞うのも苦では無いし、結婚していて子持ち、友達も多少はいて、会社でも年相応のポジションだから現実世界ではあまり困っていない。
パソコン通信時代からのネット住人だけど、ずっとネット上では極度の人見知りで上手くコミニケーションがとれない。
LINEやFacebookで知り合いとやりとりするのは平気だし、Twitterもリアルな知り合いとは普通に会話が成り立つ。
でも、見知らぬ人とか、友達の友達とかから絡まれると、途端にリアクションが下手糞になる。
これがリアルでの顔を合わせだと、平気だし、それなりにこなせてるつもり。
もともとゲームやアニメが好きで引き篭りがちだったから、ネット上の濃いコミニティーに憧れてるけど、それが原因でせいぜいROMるしかない。
これが自分に対してだけなら諦めれば良いだけだけど、親しい身内みたいな人に対しても、ネット上で見知らぬ人と盛り上がってたりすると気持ち悪いなと引いてしまう。
有名SNSのIDを一通り持っているんだが、それをチェックするのが面倒くさい。
特に複数のSNSで同じ人をフォローしている場合なんか、同じネタをあちこちで使い回している人と、特定のSNSにだけ投稿する人がいるので、どこを見てどこで「イイネ!」を押せば良いのか分からない。
私としてはその人がメインとしていると思われるSNSで「イイネ!」とかコメントとかしたいんだが、全部をせっせと見て歩くのも時間の無駄だなぁ…と。
そういうことでここしばらくはインスタを無視して生きていたのだけど、先日インスタのいろいろな機能を教えてもらったので、ちょっと再開したい気分になってきた。インスタはセンスの良い写真をアップする人が多いし、写真好きな人が他のSNSを使わずにインスタだけに写真をアップしていることも多々あるので無視するのはもったいない。が、私のもらえる「イイネ!」は義理とお返しで成り立っているので、人さまの写真をマメにチェックして「イイネ!」を押さないと、自分の投稿に「イイネ!」はつかない。他人からは詳しい「イイネ!」の数は見えない仕様になったらしいけど、やはり投稿するなら全然「イイネ!」がつかないのは悲しい。
一番気楽に見られるのはtwitterで、有名人だとちょっとした発言で炎上したりして大変らしいが、私のようにフォロワーの少ない人が鍵アカでぶつくさ呟いている分には華麗にスルーしていただける。全然知らない人のつぶやきでも気の利いたことを140文字以内でコンパクトにまとめてあると感心する。twitterでの面白投稿をいろいろまとめたサイトを眺めるのも好きだ。
前はSNSで美しい写真を見るのが好きだったけど、最近はコンパクトで面白い文章を読むのが好きだ。写真を撮るのも好きだけど、あまり撮るネタがなかったり、明らかに他の人よりショボかったりすると投稿を躊躇してしまう。
「ROMに徹する」「遡らずにその時流れている投稿だけをチェックする」「『イイネ!』の数を気にしない」など対応策は多々あるが、人並みもしくはそれ以上の承認欲求を持ち、「イイネ!」を押してくれる人にはお返ししたくなるのでやっぱりそれは難しい。自分の性格の問題を棚に上げて、何でこんな面倒なものが出来てしまったんだろうかと思う。