はてなキーワード: ROMとは
https://www.town.aisho.shiga.jp/material/files/group/38/gangu_tirashi.pdf
展示資料 https://www.town.aisho.shiga.jp/material/files/group/38/gangu_reppin.pdf みるかぎり、懐ゲー系の展示が多そう。おっさんホイホイな予感。
バンダイのRX-78とかMSXのLD-ROMとかちょっと伝説すぎるぞ・・・。
これから行ってくる
行ってきました。愛荘町立 歴史文化博物館の 令和2年度 夏季特別展。
思ったよりも規模は小さかったけど展示品はなかなかの曲者揃い。趣味の世界だねえ・・・。
ゲーム機関連が半分くらい。充実してる。
世界初の伝説のTVゲーム機オデッセイとか、Atariの伝説のクソゲーE.T.とか PONとか、
https://www.youtube.com/watch?v=X8nL0_47EaM Arariにあまり詳しくない人は このあたりで予習していくとよいだろう。
懐ゲーに詳しい人、初代ファミコンからゲームやってたオタク諸氏ならツッコみどころ満載で、できれば複数人で行くと盛り上がること必至だとおもう。
「いやよりによってMSX用のLD-ROMとか、誰もそんなん存在すら知らんわ!」
「これがしくじり先生でやってたメガドラタワー!マジでそろえたのか」(さすがに通信カラオケはないけど)
「いやそれQ・・・」
ちなみに写真撮影OK、SNS投稿もOKだそうです。(学芸員さんに聞いた)
こういう催し大好きなので近場のひとはぜひ。人口少なそうだけど。
あとマスク持ってないと入れないらしいのでお忘れなく。
どういう気持ちでいるん?
なんかTwitterでバズってる同人女の愛と憎しみとemotionalをリアルに描写してるおもしろい漫画。
おけけパワー中島がタイムラインに颯爽と現れみんなの話題をかっさらって行ったとき、「つらい」と言ってミュートワードをガチ決めたり、その話やめてと嘆いている同人女がタイムラインに散見された。
おけけパワー中島の漫画はそのあとも回を連ね、更新されるたびに話題をかっさらって行っているが、そのたびに「やっぱり合わない」「無理になってきた」「いっそイライラし始めた」いう同人女(ROM含む)がちらほら爆誕し始めている。
無理だと言う女たちはだいたい全員、
進行形でどこかの神を愛したり憎んだりSNSの評価に怯えたり鍵垢で見ず知らずの気に入らない絵師や字書きを叩いている共通点があったけど、やっぱりそういうことなのだろうか。
私のタイムラインだけだろうか。
どこにも吐き出せなくて苦しい気持ちをここに吐き出させて欲しい。
最近ハマったジャンルは超がつくほどマイナーで、今までこういったところに書いたらジャンルの人が見たら特定できるんじゃないかと思って書かなかった。
逆にもうこのジャンルの人に知れようとどうでもいい気持ちになれたのでここに記す。
私のいたジャンルは今時とは少し違ったスマホゲームで、人と争うタイプのゲーム。
チュートリアルが不親切すぎてなかなか新規は増えないし、二次創作をする人間なんてもっといない。
二次創作BLともなればなおさらで、ジャンルの人間を全員かき集めても50人いるかいないかレベルの村ジャンルだ。それはたぶん今も変わらない。
唯一開催された有志によるオンリー(コロナ前)も普段別ジャンルの人間が参加しても20サークルくらいしかなく、同一カプはほぼ存在しない。
そんな村ジャンルだから、ゲームを好きなだけの人ともTwitterでは繋がらないとやっていけない。そんな土地だった。
もちろんTwitterをやってない人もいたんだろうと思うけど、知る限りでは何らかの創作をしてる人はだいたいTwitterアカウントを持っていたし、支部に投稿してる人はフォロワーを辿ればすぐに見つかった。
そんな中、私はTwitterはやっていたけど鍵垢で、支部に投稿されている作品を眺める所謂ROMだった。
オンリーが開催された時は恥ずかしながらジャンルの存在を知らず、今となってはもっと早くハマれていたらと思うばかりだ。
もともと公式の接点は明示されていないカプで、最初見た時はマイナーだと思った。
もっと接点のあるE×Dの方がカプとしては自然だと思ったからだ。
しかし、C×Dはジャンルの中では書き手に恵まれている方で(それでも3人くらいしかいないんだけど)
私がハマるきっかけになった作品の作者をAとする。Aは字書きで、仲の良い絵描きのBと2人でCDの作品を増やしていた。
Twitterをフォローして知ったのだがCDはBが最初にこの組み合わせが良いのではないかと提案し、Aもそれに便乗する形で創作をしていた。
だから公式で接点がほぼないカプだったCDの作品が溢れていたのだ。Eとのカプもちらほら存在していたが、CDほどの数はなかった。
Aはとても活動的な人で、CDの同人誌を何冊も出し、その上で支部に作品を投稿し、オンリーの主催をやってジャンルを盛り上げようとしていた。
Bもその手伝いをしていたらしい。AとBは仲が良いように見えた。少なくとも私からは。
しかし、いつからかAが何をツイートしてもBが無視するようになり
Bはその事に触れることもなくAを無視し続けていた。
Aはジャンルを去り、気づいたらAとBのTwitterは繋がっていなかった。
きっと2人の間で何かがあったのだろうことは想像に難くない。
Aが作品を消した時に支部のメッセージで遅くなったけれどと前置きをして作品の感想を送ってみたものの、迷惑だったのかもしれない。
Bは最近になって動き始めた公式絵師のアカウントにフォローされたことを嬉々として自慢し、出すと言い続けた同人誌を結局出すことなくジャンルに居座りつづけている。
Aの作品を素晴らしいと言っていたBはお気に入りのCD作品を作るもう1人の作家だけを褒めるツイートを続けている。
どこにも吐き出せなくて苦しい気持ちをここに吐き出させて欲しい。
最近ハマったジャンルは超がつくほどマイナーで、今までこういったところに書いたらジャンルの人が見たら特定できるんじゃないかと思って書かなかった。
逆にもうこのジャンルの人に知れようとどうでもいい気持ちになれたのでここに記す。
私のいたジャンルは今時とは少し違ったスマホゲームで、人と争うタイプのゲーム。
チュートリアルが不親切すぎてなかなか新規は増えないし、二次創作をする人間なんてもっといない。
二次創作BLともなればなおさらで、ジャンルの人間を全員かき集めても50人いるかいないかレベルの村ジャンルだ。それはたぶん今も変わらない。
唯一開催された有志によるオンリー(コロナ前)も普段別ジャンルの人間が参加しても20サークルくらいしかなく、同一カプはほぼ存在しない。
そんな村ジャンルだから、ゲームを好きなだけの人ともTwitterでは繋がらないとやっていけない。そんな土地だった。
もちろんTwitterをやってない人もいたんだろうと思うけど、知る限りでは何らかの創作をしてる人はだいたいTwitterアカウントを持っていたし、支部に投稿してる人はフォロワーを辿ればすぐに見つかった。
そんな中、私はTwitterはやっていたけど鍵垢で、支部に投稿されている作品を眺める所謂ROMだった。
オンリーが開催された時は恥ずかしながらジャンルの存在を知らず、今となってはもっと早くハマれていたらと思うばかりだ。
もともと公式の接点は明示されていないカプで、最初見た時はマイナーだと思った。
もっと接点のあるE×Dの方がカプとしては自然だと思ったからだ。
しかし、C×Dはジャンルの中では書き手に恵まれている方で(それでも3人くらいしかいないんだけど)
私がハマるきっかけになった作品の作者をAとする。Aは字書きで、仲の良い絵描きのBと2人でCDの作品を増やしていた。
Twitterをフォローして知ったのだがCDはBが最初にこの組み合わせが良いのではないかと提案し、Aもそれに便乗する形で創作をしていた。
だから公式で接点がほぼないカプだったCDの作品が溢れていたのだ。Eとのカプもちらほら存在していたが、CDほどの数はなかった。
Aはとても活動的な人で、CDの同人誌を何冊も出し、その上で支部に作品を投稿し、オンリーの主催をやってジャンルを盛り上げようとしていた。
Bもその手伝いをしていたらしい。AとBは仲が良いように見えた。少なくとも私からは。
しかし、いつからかAが何をツイートしてもBが無視するようになり
Bはその事に触れることもなくAを無視し続けていた。
Aはジャンルを去り、気づいたらAとBのTwitterは繋がっていなかった。
きっと2人の間で何かがあったのだろうことは想像に難くない。
Aが作品を消した時に支部のメッセージで遅くなったけれどと前置きをして作品の感想を送ってみたものの、迷惑だったのかもしれない。
Bは最近になって動き始めた公式絵師のアカウントにフォローされたことを嬉々として自慢し、出すと言い続けた同人誌を結局出すことなくジャンルに居座りつづけている。
Aの作品を素晴らしいと言っていたBはお気に入りのCD作品を作るもう1人の作家だけを褒めるツイートを続けている。
ここでの「描けなくなった」というのは中傷されて、とか攻撃されてとかじゃなく、ただただ描けなくなったという話だ。
1か月前ツイッターアカウントを消した。フォロワーは4桁そこそこいるアカウントで、4年そこら二次創作を楽しんでいた。
そこではBLのカップリングの萌え語り、絵をあげることを主にやっていた。たまに同人誌を出したりなんかもしていた。しかし私生活や今のコロナ流行、オタクたちの学級会に疲れ果てて消した。
ただ普通に仲の良いオタクとは別の連絡手段があったし、そのジャンルのことも好きだったから二次創作をやめるつもりはなかった。気持ちが落ち着いたらまたすぐ戻ろう、と思ってたからアカウントでのあいさつなんかも特にしなかった。
しかし3日経っても1週間経っても1か月経っても二次創作はできなかった。
最初の方はROM垢やpixivで他人の二次創作を見て楽しんでいた。でもそこで目に入るジャンルへの不平不満が嫌でその頻度も減っていき、1週間くらいする頃には全く見なくなってしまった。
時間ができたから絵を描こうとした。でも今まで描いてきた推しキャラクターの絵がどうしてもうまく描けない(リハビリと称してほぼ初めて描く創作イラストは、普段よりも力を込めて完成させることができた)。
次にあるかもしれないイベントに向けてあった描きかけの同人誌も、もうどうやって描いたらいいのかわからなかった。
一度書いてみたかった小説も、以前は得意でよく描いていた簡単なデフォルメイラストも、全部だめだった。二次創作ができなくなった。
しかし、こうなってしまっていても原作のことは相変わらず好きで、この期間も原作を追い続けている。ストーリーやキャラクターたちの心情に心揺さぶられる。でも以前よりはフラットに作品を見るようになったと思う。そこから考察を練ったり、空白の間を妄想したりということはしなくなった。
もしかしたらツイッターアカウントがあることでジャンルや推しキャラやCP等に強い感情を向けることを自分に強いてたのかな、と思う。
確かに今でも私はそれらが好きだしその気持ちが軽くなったとは思いたくないけれど、その「好き」を表現してツイッターアカウントという他人に見せるものとして昇華する際に、自分を必要以上に削っていたのかなと思う。
多分、私はとっても疲れていてコンテンツに強い気持ちをぶつけられる体力がなくなってしまった。
昨日、部屋中の推しのグッズ(公式、同人どちらも)と同人誌を段ボールにまとめ、封をした。飾られているこれらを見ることにもなんだか疲れを感じるようになってしまってた。
以下は別のところに投げようとしてやめた文章を直したものなので脱線している部分もあるが許してほしい。
ワイはリバや逆カプは基本的に生産も消費も無理なROM時々二次創作小説を書いてる腐女子。歴は15年以上。
ここからはワイ個人の話をしてるのを留意して読んでほしいのだが、なんで左右or左or右固定派がリバ逆カプが無理かというと
これにより自分の中のキャラの解釈がぶっ壊れるからと思われる。
固定派の中でも攻めと受けは、お互いに対して何かしら思ってることがあるわけだ(これをカブ解釈やキャラ解釈と言っている気がする)
これがリバ逆カプの場合、わかりやすい露骨な例をあげると、元受けが元攻めにチンコを突っ込みたいと思うにいたるための解釈を固定派は追加しなければならなくなる。
このチンコを突っ込むために必要な解釈がそれまでしていた解釈と整合性が奇跡レベルに取れない限りはワイは許容できない(原作の読み込みや進行とともに整合性が取れてしまって最終的に逆カプや受けが攻めになってるカップリングに落ち着いたことも大昔にはある)
エンジニア風に言うと、綿密なシステムの要件定義して実装もしたのに突然の仕様変更要求されて反発を覚える、という感じだろうか。
カップリングの左右が腐女子によって異なるのは、極端に言うと、年上は攻めvs年下は攻め、恵体は受けvs細身は受け、のような個人の性癖の結果みたいなところもある。
もちろん実際カップリング左右の決定までは見た目の属性プラス原作での言動などを踏まえるからもう少し複雑。
原作で表現された攻めと受け、ふたりのキャラクターそれぞれに対してフォーカスあててる場所が腐女子ごとに違うから、左右なり右なり左の固定派としては信じがたいカップリングが存在し、同カプでも解釈地雷ということがあるのだと思う。
逆カプほどのキャラクターの解釈変更をする必要がないので、ABとCB両方行ける、という人はそこそこいるという印象。けれどABとCBが両方行けると言っても、同一空間で一妻多夫状態の場合を許容できるかどうかは別れたりする。複雑。腐女子は一人一派。
だから逆に攻め受けのキャラ解釈が同じないし許容範囲ならリバ逆カプを許容するという腐女子も存在する。というかリバ逆カプが平気と言ってる人の多くはこのへんの腐女子では? と私は思っていたのだが元増田を読んで自信がなくなった。
性表現があるリバ逆カプも平気な腐女子はよくわからん。どっちでも行ける攻め受け解釈採用してるか、独立してる突っ込む突っ込まないという2つの解釈を臨機応変に切り替えてるのかね。……と思っていたのだが元増田を見るとキャラ解釈が全部違うそうなので、はい。
まず元も子もない話なのだが基本的にエロ要素がある方が閲覧数が伸びる。腐向けに限らないが。
そして推しカプというか二次創作全てはセックスの有無に関わらず、オタクのオナニー(比喩)のためのオカズだ。セックスやエロがあるほうが抜ける。
あとは腐向けがセックス前提なのではなく、セックスを前提としない作品を腐向けとは呼ばない、と言う可能性はある。ブロマンスとかキャラ単体タグとかA+B表記とか。
AB・BA・ABAの作品内におけるキャラクター解釈の傾向を書き連ねたが、「BAで多用されるキャラ解釈でセックスの時はAが攻め」の場合、カップリングタグはどちらをつけるべきなのだろう。
これも経験に基づいた話でなんの裏付けもないのだが、そういう作品にはたいていキャプションやワンクッションのページに注意書きがついている。
本番はA×Bですがそれ以外はB×Aにも見えるかもしれません、とか。何でも許せる方向け、心の広い方向け、というやつ。(この場合タグはABは必須でBAは界隈の傾向と内容踏まえた個人判断かなと思う)
カプ要素がなかったとしても(作者はAB派の腐女子)と注意書きをする人たちもいる。
素晴らしき腐女子の注意書き文化。ものによっては注意書きがないと叩かれるまである(実際に見た)
注意書きが書いてさえあれば注意書きを読んでない方が悪いので、なにか思うところがあるなら書いとくほうが安全。レンジに猫を入れないでくださいと同じ理屈。
特殊なプレイとかもそう。スカトロなんかは当然として、例えば攻めから受けへのフェラはR-18ついてれば個人的に注意書きなしでいいと思うが、注意書き必要不必要のアンケートをとっているツイートを見たことがあるので書いとくほうが後々面倒が起こることがない。
ダ・ダ・恐山のTwitterで「近寄るな……解釈が混ざる……」という発言があった(正確にはこのセリフを含むツイート)。
このツイートを最初見たときはなんとなくわかる〜くらいの気持ちだったから、全然意識してなかったんだけど、今になって急にめっちゃこれ……ってなってる。
現在めちゃくちゃに流行っている、多分みんなわかるので名前は伏せるけどでっけーやつが大元のソシャゲに、私も爆ハマりしてしまった。
爆ハマりした後、腐女子である私はいわゆる「推しカプ」ができて、最初はROM垢でその推しカプを描いている人たちを見ているだけだった。
しかしそのうちに自分でも描きた〜い生産した〜いとなってしまい(私は絵描きです)、新しくアカウントを作りそこで自由に自分の好きなカプを描いたりキャラを描いたり、語ったりしていた。
アカウント作りたてのこの時はフォロワー数10人とかでほぼROM専状態。フォローしている人はみんな大好きな絵を描く人たちだけ。みたいな。
でもそのうち、仲良くお話出来る人とか推しカプについていっぱい語ってくれるフォロワーみたいなのほしいな、という欲が出てきてしまった。
人間なので仕方ないと思うけど、やっぱり絵を褒められると嬉しいし、描いたらいっぱい見てほしいし、もちろん推しカプ仲間が増えるのは嬉しい。
そうして私は繋がりたいタグ云々あれこれに手を出した。推しカプは結構大きいカプ(少なくともマイナーではない)なので、すぐにタグはそれなりに広まって相互の人数も増えた。
そこまでは良かった。それなりに話せる人も増えたし、楽しかった。絵を描いたら細々といいねをもらい喜んでもらえた。嬉しかった。
だんだんRTとかで絵が回って、フォロワーが増えてきた。といっても最近話題の神とか何千人フォロワーとかじゃない。
それに比べたら本当に少ないけど、それでも普段ひっそり暮らしている私にとってはめちゃくちゃ多いフォロワー数になってしまった。
※何度も言いますが普段から表で活動している人に比べたらマジで少ないです
相互の人数もめちゃくちゃ増えた。もちろん全員好きな絵を、文字を書く人だから、見ているだけでも楽しい。
毎日推しカプがどこかで更新されるタイムラインは、あまりにも私の精神を豊かにした。
けど、このあまりの豊かさに、私の心がキャパオーバーしてしまった。
というか大半がそういう人(オタクは考察をよくするので当たり前かもしれない)で、毎日いろんな解釈や考察が流れてきた。
ここで本題の「解釈が混ざる」という話になるのだが、推しカプ、マジでびっくりするほど考察がある。解釈がある。
すごい。口開けてれば賢い人たちが考え出した考察や解釈が流れ込んでくる。マジ?
これやばいな……マジですごい……天才か?って頭悪い発言しかできないんだけど、本当に毎日そんな感じだった。
そうしてそんなふうに垂れ流される考察たちを与えられるまま飲み込んでいるうちに、自分の解釈や考察がなんだったか分からなくなっていた。
いや、元々そんなに考察するタイプじゃないけど、それでも自分の中のカプ観とか解釈とかそれくらいはあったはずなんだ。
少なくともこんなにフォロワーが増えるまでは。
それが今では、自分の見ているカプ観は他人のものなのか自分で考え出したものなのか分からなくなってしまっていた。
新しい情報が出されて、自分なりに咀嚼して解釈を出すのが基本だったんだけど、今はそれをする前にタイムラインに考察・解釈が溢れるからまずそれを咀嚼してしまう。多分これが良くないんだと思う。
だからタイムラインを見るのをやめました。やめたというか、あんまり見ないようにした。解釈が混ざるから。
もう混ざってしまった解釈を一旦まっさらにしたい。まっさらな状態で推しカプに触れて、もう一度解釈し直したい。それを自分のものにしたい。
半年ROMるという概念を美徳として共有するのは、もはや昭和生まれの俺たちの間だけなのかもしれない。
スマホ・SNS以後の人類は、未熟さをさらけ出すこと、それをコンテンツにすることを当然として認識している。
各種SNSでそうした作法を習得した若者が目指すのはYouTuberやVtuberといった「さらけ出す道のプロ」である。自分自身をコンテンツにすることが希望なのである。ヤバいですね。
未熟でプロに準ずる覚悟もないけど発信していいんだ、というカルチャーは良し悪しだ。
ここ増田では悪しき面である衝突が多発するという部分で躓いた者が、その躓きを呪詛へ変えて軽率に発信する。さらにその呪詛が直撃して躓く者を生む連鎖を起こしている。しかしそれはそれで承認を得てしまうのだ。こうなればもう、従来のタフに生きるという選択のメリットは理解されなくなっていく。人類総夢見りあむ化だ。
現代人は息を吸うという動作を感じないほどに浅い呼吸で生活している。
結果、肺が小さくなっている状況にあり、そこで深い呼吸をしろと言ったところで、やり方の想像もつかなければ実行することも不可能なのが道理である。
なぜなら、タフになって大人しく過ごしている間は、死んでいるも同然の振る舞いに見えるから。死ぬことには耐えられない。何かしら吠えていないと、存在を忘れられてしまう。生きている証拠を残さないと。そういう恐怖に駆られる世界では、匿名ですら落ち着くことはできなかろう。