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はてなキーワード: 被告人とは

2018-11-26

メンヘラと付き合った男の末路

 昨年5月4日、東京都台東区マンションの一室で火災があり、この部屋に住む高校3年の女子生徒(当時17)が遺体発見された。女子生徒からまれ殺害したうえ、部屋に火をつけたとして、嘱託殺人や現住建造物放火などの罪で起訴されたのは、交際していた同級生少年(当時18)だった。

 今年8月29日、東京地裁裁判員裁判の初公判が開かれた。少年は紺色のポロシャツ灰色ズボン姿。丸刈りが少し伸びたような短髪。身長182センチのがっしりとした体格から事件当時、バスケットボール部部長で、剣道部も掛け持ちしていたという一端が垣間見えた。ただ、被告未成年であることを踏まえ、傍聴席と被告人席の間には仕切りが置かれたため、傍聴人から見えるのは証言台に立った時の後ろ姿だけで、表情を伺うことはできなかった。

 起訴状によると、少年女子生徒に殺害を頼まれ、首を腕で絞めて殺害。翌朝、ライター女子生徒にかかっていた布団に火をつけ、遺体や部屋の一部を焼いた。

 検察官が読み上げた起訴内容について、少年は「間違いありません」と認めた。

2018-11-14

anond:20181114104202

痴漢冤罪ネットワーク代表としてテレビに出まくって政界進出も予定してる時に盗撮して、

捕まったら即座に携帯叩き壊して証拠隠滅図って酔ってて覚えてないとか言う人が、痴漢なんてするわけ無いって信じ込めるのか

何か凄いな

痴漢なんてするわけ無い」なんて誰も言ってないが。「痴漢したとは証明されてない」と言っただけで。

そして、「疑わしきは被告人利益」。

2018-11-11

裁判所って元号縛りなの?

ちょっと裁判に関わることがあったんだけど、書類全部元号しばりなの?

時間があったんで刑事裁判もいくつか傍聴したんだけど、全部、元号しばりだった。被告人が成年月日答えるときも、西暦じゃなくて元号

仕事では西暦しか使わないし、役所書類最近ほとんど西暦OKからちょっと驚き。

やっぱ裁判所「権威」は元号裏付ける、みたいな発想があるのだろうか?

弁護士って、こういうことに敏感な人も多そうだけど、どう思ってんだろ?

西暦やらせろ、いや、それはダメ、みたいなことで裁判所ともめたりする人おらんのかな?

2018-11-08

テレ東

△ 麗

ドクター

◎ 雲が描いた月明かり

キャリー

△ 六龍

△ 青い海の伝説

◎ クムビ

トッケビ

ドクターキム

△ サイムダン、色の日記

△ イニョプの道 ← ムミョン=クムビのパパ

○ 七日の王妃 ← 泣けた

被告人11/9~

2018-10-08

anond:20181008034133

http://taikou-law.jp/blog/sexual/waisetsubutsuhanpujiken-hanreishoukai-seihanzai-tsuyoi-bengoshi

わいせつ頒布事件判例の紹介~

紹介する判例は、平成16年1月13日、東京地方裁判所で開かれたわいせつ図画頒布被告事件です。

事実概要(要約)】

被告人は,株式会社Aの代表取締役であるが,同社編集局長B及び同社と専属契約している漫画家CことDと共謀の上,東京都所在のE株式会社物流センターほか20か所において,同所在の同社(代表取締役F)ほか15社に対し,男女の性交,性戯場面等を露骨描写した漫画印刷掲載したわいせつ図画である漫画本「G」2万544冊を頒布した。

判決

懲役1年

執行猶予3年

2018-10-06

痴漢で捕まったら人生終了、とよく言われるけど

例えば、痴漢冤罪被害者といえば、三鷹バスでの事件http://www.magazine9.jp/article/hourouki/13827/)の被告人が有名ですが、他にもこういう人いますか?

2018-09-21

anond:20180921003112

その一貫性を保つことはフェミニズム系のリベラル派には非常に耐えがたいものらしく、同一人物が性の話になった瞬間、敵対していたはずの厳罰主義、家父長主義、強権的保護主義に転換する事態が度々生じる。

リベラル人間ご都合主義の誘惑に陥ってしまうということだろう。

以下はその一例。

https://twitter.com/isoko_mochizuki/status/934044428959748097?lang=ja

望月衣塑子

@ISOKO_MOCHIZUKI

日本刑法について後藤弘子・千葉大大学院教授刑事司法自体男性中心であるため、女性被害者場合彼女リアリティ無視され『疑わしきは被告人利益に』が適用され、女性にとっての正義は実現しない。刑事司法男性モデルに作られ、強く男性化された性差に基づく偏見の影響下にある」

2018-09-05

anond:20180905113540

男の痴漢冤罪に関しては、すでに相当レベルで救済されてると思うけど?

冤罪の救済とは「一件も起こらない」ことですが。

死んでからかにかわいそがってもらっても「救済」になるんかね?

現状だと、女が声あげて通報しても「冤罪かもしれないし、厄介なことに巻き込まれたくない」って周囲が思って男を捕まえないこと多い。

誰も冤罪に加担したくないからな。今まで冤罪放置してきた自業自得

てか、なんで無関係他人が「何かしてくれる」前提なの?召使じゃないんだよ他人

捕まっても、実際に物証が乏しい場合警察も女に泣き寝入りさせてることが多い。冤罪って騒がれることが怖いから。

それどこ情報ソースあるん?

両手麻痺してても有罪でしたけど。

でも、満員電車で身動きが取れない中、動画撮影したりして証拠残すのはすごく難しいし、やることやっても冤罪だってうまく立ち回れば逃げられるのが男。

ぐうの音も出ない物証を用意しなよ。

逃げられるって思ってるってことは物証ではないんだろうし、そりゃ逃げてるんではない。「疑わしきは被告人利益」。

前、痴漢して捕まえられそうになって逃げた男が死んだ事件で、ネットでは「冤罪被害者だ」って騒がれてたけど、あれも、なにか物証出てきたんだよね。

ネットで「冤罪被害者だ」って騒ぐことが司法にどう影響するんですかね?

物証が出てきたらネットが何言おうが問答無用しょうが

2018-08-29

anond:20180829104035

認定できる事実」に以下のような記述がある

被告人Bは,同年11月初旬ころに,Yに対し知り合いの業者を紹介し,

そのころから同月中旬にかけて,Yに対しても,被告人Aに述べたのと同様

に,下関市長選でX候補をG議員からまれ当選させないよう活動した

のに,G議員秘書にはめられて警察逮捕された,決まっていた仕事も流

れてしまった,その点の補償もさせる,許せんなどと恨み言を言っていた。

これは「恨み言を言っていた」という「事実」を認定しているのであり、「恨み言」の内容が「事実である認定したわけではない。

まりあなた勘違いです

2018-07-08

黙秘権推定無罪、疑わしきは被告人利益罪刑法定主義、。。。

戦後冤罪事件への対応も含め、人権主義左派陣営ベースラインとしてこれらの原則を死守しようとしてきた。

しか最近事件によっては逆に推定有罪を求める言説が左派言論から呈されるケースも散見される。

柔軟に推定有罪も認めた方が、弱者人権を守れる場合もあることにようやく気づいてきたようだ。

2018-07-07

国家意思としての麻原の死刑

 実名でやっているブログツイッターもあるのだが、そこで書くと炎上しそうで怖いため、増田で書くチキン野郎です、どうもすいません。

 さて、まずはこのまとめ。

https://togetter.com/li/1244367

 ブコメでは江川さんを称賛する声が多い。だが、正直に言えば、麻原の処遇に関して江川さんはわりと冷静さを失う感じがする。

 そもそも精神鑑定に関していえば、「行われていない」というデマが流れているというよりも、「まともな精神鑑定が行われていない」という疑問を呈している人のほうが多いのではないだろうか。

 麻原の精神鑑定については、西山医師による鑑定が行われ、「訴訟能力あり」ということになっている。しかし、その一方で、正式な鑑定ではないものの、複数精神科医面談の結果、訴訟能力なしと主張している事実はある。

(参考)

https://diamond.jp/articles/-/8876?page=2

https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/63db65c218a5ee890796ceededb22c87

 上記以外で仄聞するエピソードと併せて考えると、麻原の精神拘禁によって崩壊したのはたぶん事実なのだろうとは思う。「詐病」と判断するには無理がありすぎる。

 だが、麻原の精神崩壊したということになると、とても困る人がいる。それは特定の誰かというより、日本という国家のものなのだろうと思う。

 もし仮に、麻原が「心神喪失状態に陥ったことを認めてしまうと、法律的に彼の裁判処罰が難しくなってしまうからだ。

(参考)

刑事訴訟法314条

被告人心神喪失状態に在るときは、検察官及び弁護人意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪免訴、刑の免除又は公訴棄却裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。」

刑事訴訟法第479条

死刑の言渡を受けた者が心神喪失状態に在るときは、法務大臣命令によって執行を停止する」

 だが、言うまでもなく、麻原は戦後最大のテロ事件の首謀者だ(個人的にはその点に関して疑いはないし、これ以上の「真相解明」にも正直まったく興味はない)。その麻原を裁けないとなると、日本法秩序に対する信頼が根幹から揺らいでしまう。いくら法律的にできない」と言っても、世論はまず納得しないだろう。麻原およびオウム幹部処刑することは日本国家意思だったと言えるのではないか

 「そんな法律は変えてしまえばよい」と言う人もいるだろうが、これは法律における根本的な思想ルール理解している者だけが責任処罰対象となる/理解できない者は対象とはならない)に関わっている問題なので、そう簡単はいかないのではないか愚考する。

 ともあれ、上記刑事訴訟法抵触することなく、麻原を死刑にするためには、麻原に「訴訟能力」「責任能力」があるということにしておかねばならない。だからこそ、形式的精神鑑定をやっただけで終わらせた。しか病気でないことになっているので治療もしない、ということになったのではないか

ここから蛇足だが、小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)には、次のような一節がある(p.157)。

自由から責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから、つまり事件のけじめをつける必要があるから行為者を自由だと社会宣言するのである。言い換えるならば自由責任のための必要条件ではなく逆に、因果論的な発想で責任概念を定立する結果、論理的要請される社会虚構に他ならない。

 要するに、こういうことだ。何か事件が起きたとき社会には大きなストレスが発生する。誰かに責任をとらせ、「落とし前」をつけることで、そのストレスを軽減させなくてはならない。だから、その誰かには「その事件の原因となる行動をしない自由があった(=したがって責任がある)」ということにしておかねばならない。行動しない自由があったか責任が生じるのではなく、誰かに責任をとらせるために、そのような「自由」があったことにされる、というのが上記の指摘ということになる。

 この指摘を今回の件に応用するなら、麻原に「訴訟能力」や「責任能力」があったか裁判死刑になったという理解は必ずしも正しくない。そうではなく、死刑にしなくてはならないから「訴訟能力」や「責任能力」があったということにされた…という疑念が拭いきれない。

 もっとも、その是非については、判断はしない。国家の存続にはそういうフィクション必要だ、という考えも理解できないではないからだ。ただ、それでもモヤモヤした感は残る。

 そういう気持ち悪さが、今回の一件には、ある。

(追記)2018/7/9

https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180708-00088579/

 江川さんのこの記事で、「詐病」とか言っている人がいるけど、この記事でもやっぱり2000年代初頭の話までしか書かれてない。これ以外の詐病を疑わせる記事も、逮捕当初から2000年代初頭までの時点での話しかない。そこから15年以上の期間があるなかで、麻原の精神状態に変化があったとしてもなんらおかしな話ではない。実際、上でリンクを貼っている加賀さんの面談2006年のものだ。

 上で述べられている刑事訴訟法規定は、「犯行時点の精神状態」ではなく「裁判死刑をする時点での精神状態」に関わるもの。したがって、犯行時点において麻原の精神状態責任能力が認められるものであっても、関係ない。

 個人的には日本法制度がそうなっている以上、麻原の死刑もやむを得ないとは思うが(そうでないと他の死刑囚とのバランスが取れない)、「麻原を死刑にしなくてはならない」という発想から、多くの人の事実認識が若干おかしくなっているのではないか、ということが気にかかるだけの話。

https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c34aa02a0f1770deebaa5ceafe30c3b0

さらに追加)http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/06/03/post-416/

id:blueboy詐病」だと言いたがる人は、たとえ命がかかっていようとも、糞尿垂れ流しの強烈な悪臭が漂う空間で、汚物まみれの布団で寝る生活20年耐えられるかどうかを想像してみれば良い。無論、麻原の「宗教者」としての精神強靭さがそれを可能にしたと考えることもできようが、それでは麻原を凡庸な俗人とみなす詐病論」の人物描写との整合性がなくなる。むしろ、麻原が凡庸な俗人だからこそ、長期にわたる収監と死への恐怖によって精神に異常をきたした、というほうが説明としてはよほど合理的だと考える。

死刑が不可逆的であることについての奇妙な反論

死刑存廃問題に関してはいろいろと意見があってもいいと思うし、とりわけこのような凶悪犯罪に関してやはり死刑必要ではないかという意見も当然あってしかるべきだと思う。(EUですでに廃止している国でも、国民意志としては死刑存置のほうが多かったりするし)

今回気になったのは、「死刑は不可逆である」という意見に対する下記のような反応だ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250

懲役10年の後に冤罪わかっても不可逆じゃん。冤罪問題なら懲罰全部無理やんけ。

増田は、わずかな確率であっても、増田増田の大切な人が、冤罪で(長期の)懲役刑になること(受刑中死亡する場合も含む)を許容できますか?許容できないとしたら、(長期の)懲役刑は廃止すべきだと思いますか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250

死刑は不可逆というのがいまいちわかんないんだよな。懲役は可逆なのか?不可逆だよね?

例えば袴田事件。もし日本司法根本から腐っていなければ、きちんと再審して名誉回復は出来たはずだった。実際は高裁再審請求棄却になってしまったけど、それでも袴田さんは二度と収監されることはない。袴田さんの失われた人生はもちろん帰ってこない。45年もの長きに渡って死に怯えながら暮らした日々は不可逆だ。しかし、地裁執行停止判決を下したことで、一定名誉回復された。死刑執行していれば、どうなっていただろうか。

四大冤罪事件といわれる、免田事件島田事件、財田川事件などもそうだ。これらは再審無罪によって正式無罪が確定し、名誉回復されている。

そもそも日本司法は、死刑が不可逆的であることを十分に理解している。名張ぶどう酒事件や、帝銀事件などに関しても、受刑者は結局、死刑執行されないままに獄死している。結果的に、冤罪の疑いがある死刑判決の多くは、刑が執行されないまま事実上終身刑という形になってしまっているのが実情だ。しかも、日々処刑されるという恐怖に怯えながらの終身刑終身刑であれば、常に再審請求のチャンスが有り、DNA鑑定のような新しいテクノロジーの出現により真相が明らかになるチャンスがあるが、死刑執行されたあとの再審開始は極めてハードルが高く、困難であり、そして仮に無罪が確定したところで、釈放されるべき被告人存在しない、ということだ。

実際、冤罪の疑いがあった飯塚事件に関しては、遺族の再審請求却下されている。死刑執行したあと「あれは間違っていました」という判決は、とても下せないだろう。

から死刑廃止しろ、と主張しているわけではない。この増田で書きたいのは、「死刑は不可逆である」という意見に対して「懲役刑も不可逆的である」という反論は成り立たないということだ。常に本人から再審請求のチャンスが有る懲役刑と、刑が執行されたあと事実上再審不可能である死刑イコールではない。

2018-07-06

死刑廃止派の一法曹としての意見

松本智津夫オウム真理教事件の確定死刑囚死刑執行された。

 私は死刑制度自体に反対の立場ですが、なぜそう思っているのかについて簡単に書いておきたい。およそ日本の今の状況で、松本らの死刑執行タイミングほど、死刑制度についての関心が高まることはないと考えるからです。

有罪であるという確証が持てない時に、多くの裁判官はどういう行動を取るのだろうか

 司法制度では疑わしきは罰せず、という原則があるのは、ほとんどの人が知っていることだと思いますしか現実裁判官がそのように行動しているかというと、そういうわけでもないようです。先日twitterである弁護士が、下級審簡裁だったかな)の判決書きで、若干の疑いがあるからちょっと罪を軽くしとくね、というような文面を書いてしまったため、控訴審でそれが棄却された、というものが流れてきました。これは判決書きに書いてしまったおバカな事例ですが、上級審であっても同じような運用がされていないわけではないようです。元裁判官で、刑法学者植松正は「無期懲役誤判の吹き溜まりである」と言いました。事実認定に若干の疑いがあるが、情状は極めて悪く、真に犯人であるのならば、死刑にするしかないというような場合無期懲役にすることが多い、というのです。これは裁判原則に反しています。実際には、情状に関わらず、事実認定合理的な疑いが残るのであれば、無罪とせねばなりません。なぜそれができないのでしょうか。裁判官人間ですから世論はまちがいなく気にしています世間を騒がせた大きな犯罪である場合裁判官のうち一人に合理的な疑いが残っていたとしても、合議の中で、簡単無罪判決を出せるものではないでしょう。つまり裏を返せば、合理的な疑いが残っていたとしても、死刑をいう選択をされてしま可能性は0ではないということです。死刑という刑罰存在する以上、確実に、100%、全くの疑いの余地なく、死刑に値する、と考えられない場合にも死刑選択してしまう例が存在するということです。

死刑制度問題は究極的には被疑者被告人人権問題に帰する

 死刑に値する犯罪を、まさか自分が行うはずはない、とほとんどの人は思っていると思います。ゆえに、とんでもない罪を犯した人間は、死刑でも仕方ないし、死刑が速やかに実行されるべきだ、という考えを持っている人が多いのではないでしょうか。被疑者被告人人権よりも、被害者の応報感情の充足が優先されるべきだ、と考える人も多いでしょう。しか100人死刑囚の中には、1人の無辜人間がいるとしたらどうでしょうか。その人を国家権力が殺す、という不正義をあなたは許容できるでしょうか。99人の”真実犯罪者”の被害者の応報感情社会要請としての死刑制度は、そのリスクを甘受するべきだと考えるでしょうか。

 では自分痴漢として裁判にかけられるかもしれない、と思う人はどれほどいるでしょうか。自分痴漢をやっていないことは天地神明に誓えるけれども、なんの証拠もない。被害者は、あなた痴漢されたと言っている。裁判所はあなたの訴えを合理的な疑いが残るとして認めてくれるでしょうか。捜査機関は、被害者の主張を、合理的な疑いが残らないように、矛盾をなくした形で、調書を作成するプロです。また裁判所は一応独立機関であるとされていますが、かつては判検交流と呼ばれる制度もあり、基本的裁判官検察官親和性の高い人たちですし、基本的検察提示証拠を信用して事実認定をすることが多い組織です。あなたの主張は認められず、あなた有罪判決を受けるかもしれない。あなたはそのリスクを甘受するでしょうか。疑いがかけられた以上は、痴漢という、卑劣犯罪行為に対して、その犯行を認めようとしない犯人であるあなたには、何の反省も見られない、と言われるかもしれません。

 裁判人間が行うものである以上、無謬ではありえません。痴漢冤罪場合、たとえ有罪であっても、人権上の制約は小さいと言えますし(むしろ冤罪であったとしても認めてしまった方が人権は制約をされないという残念な状況にある)、もし防犯カメラなどから無罪証明できた場合名誉回復され、損害賠償請求できる場合もある。しか死刑場合においては、それは究極の人権制約なのです。

団藤重光は以下のように論じています

例えば懲役刑などにしても、長いこと刑務所に入って、後で無実だということがわかって出されても、失われた時間、失われた青春は再び戻ってこないという意味では、これも確かに取り返しのつかないものです。しかし、そういう利益はいくら重要な、しか人格的、その意味主体的利益であろうとも、人間自分の持ち物として持っている利益ですが、生命はすべての利益帰属する主体存在のものです。もちろんこのことと、前述の人間尊厳が人命の上位にあるということとを混同してはなりません。死刑はすべての利益帰属主体のもの存在を滅却するものですから、同じ取り返しがつかないと言っても、本質的に全く違うのであります

 痴漢冤罪による被害を最小化するために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人人権を守りましょう、被疑者実名報道はやめましょう、無意味身体拘束をやめましょう、という主張に対して賛成できる人は、死刑存置を考える人よりも多いのではないかと思いますいかがでしょうか。

 本質的には、これは死刑冤罪による被害をなくすために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人に対する、究極の人権侵害である死刑廃止しましょう、という主張は私には同じものに思えるのです。しか死刑廃止するべきだ、という人はずっとずっと少ないのです。

被害者(周辺を含む)の応報感情を軽く考えるべきではない

 痴漢で捕まった人が、周囲に実は自分自白させられただけで、無罪なんだ、と主張することはよくあると思いますが、特に妻子持ちの人に多いのですが、私の経験上、やってないと強く主張していた人であっても、ここで認めても家族に知らされることはない、ということを教えると、スルッと実はやったんだ、という人が結構ます。ですから冤罪を主張する人たちの中に、罪を逃れるためにそう主張している人が多くいることも事実でしょう。しかし実際に痴漢冤罪によって人生が狂ってしまった、という人は確実に存在します。死刑においても同様のことが起きていないとは、誰にも言えないのではないでしょうか。

 しかし多くの人は、死刑に値するような重大な犯罪で、自分冤罪当事者になることな想像もしないでしょう。それに比べれば、自分たちの周りの大切な人たちが傷つけられたということへの怒りはとても身近で、応報感情に流されてしまいがちです。これは非難されるようなことでありません。前述の団藤は、父ブッシュとデュカキスとの討論で、妻を強姦され、殺害されても、死刑に反対するのか、という質問に、淡々と「それでも死刑には反対だ」と主張したデュカキスに対し、世論は非常に強く反発したと書いています。これがデュカキスの敗因ではないと思いますが、死刑廃止を訴える人に対し、「お前の家族を殺されても、死刑に反対だと言えるのか」という主張はよく向けられます殺害される、などという、およそ通常経験しないことを経験した人たちが、犯人を自ら殺してやりたい、あるいは国家によって同じような目に合わせて欲しい、という感情自然ものであると思いますしかし、当事者でない我々が、そう思うのは当然だ、とその応報感情正当化をする必要は必ずしもないとも思うし、死刑廃止論者であった人が、実際にそのような目にあったときに考えを変えたとしても、それはごく自然な話であると思うのです。その感情否定はできませんが、団藤が述べているように法の論理は、もう一段上の次元で考えるべきはないかと思うのです。

自分は無実なのだと内心で叫びながら絞首台に向かう人の存在を許容できるか

 私は貝になりたい、の主人公床屋は無実ではありませんが、死刑に値する罪を犯しているか、と考えるとそうではないと思います。あの絶望を持って、死刑にされる人間がいる、という不正義を許容できるかどうか、結局はその価値判断なのだと私は思います

 私はその価値判断において、死刑廃止して欲しいと考えていますが、それゆえに、死刑の存置を訴える人の価値判断尊重したいと考えていますしかしその上で問いたいのです。あなたは、たとえわずかな確率であっても、あなたあなたの大切な人が、冤罪死刑になってしまうことを許容できますか、と。

2018-06-16

anond:20180615123703

こんな計画的犯行底辺コピーキャットでは無理だろ。

せいぜい新幹線自分より弱そうな女にナタ振り回すのが限界

裁判

2009年11月26日に初公判が開かれた[12]。検察から被告人パソコン履歴存在したウィキペディア日本語版記事「厚生事務次官[13]」、「横尾和子」のページへのショートカットレンタカー会社などを下調べしたフォルダなどが犯行準備の証拠として提示された。また、供述調書では1995年地下鉄サリン事件2008年6月秋葉原通り魔事件に関して、「恨みに思った奴だけをピンポイントで狙えばよく、一般の人の命を狙うなんて許せない」、「相手組織なのか個人なのかを考え、組織であれば下っ端を狙っても意味がない」と独自殺害論理を展開していた[14]。厚生事務次官家族も狙ったことについては、当初は迷っていたが、山田洋行事件守屋武昌防衛事務次官の妻が逮捕(後に不起訴)が報道されたことを受け、「マモノ家族マモノ」として自己正当化し、厚生省幹部家族殺害を考えるようになったとした。

被告人起訴事実を大筋で認めた上で、「山口家族ターゲットとあるが、ターゲットにはしていない。吉原の妻は抵抗したとあるが、抵抗をしておらず命ごいをしていた。元社会保険庁長官家族ターゲットにし殺害機会をうかがっていたとあるが、事実ではない」とした。吉原夫人殺人未遂については、「命乞いをしたことプライドが高い元次官の妻として不自然と考え、家政婦ではないか」と殺害を留まったと述べた。また、犯行も、「愛犬の殺害をした厚生省幹部マモノであり、殺害をすることは正当である」と無罪を主張した。

2010年3月30日さいたま地裁判決公判が行われ、「犯行は残虐で、社会に大きな衝撃を与えた刑事責任は極めて重い」として求刑通り死刑判決が言い渡された[15]。被告人責任能力妄想障害)が問題視されていたが、さいたま地裁責任能力はあったと指摘した。その上で、「被告人宅配便変装するなど犯行計画的」「更生は期待できない」とした。被告人判決を不服として即日控訴した。2011年12月26日、東京高裁死刑判決を支持し、控訴棄却した[16]。判決理由で「被告人が主張する『愛犬のあだ討ち』という動機筋道において特段飛躍はなく了解できる」とする一方で「被告人動機動物殺処分に限らず、国家行政への怒りや不満から官僚らに対する殺意を抱いたことにある。被告人が主張する動機である『愛犬のあだ討ち』については、公判無罪を主張する計画の中で口実として脚色した疑いが強く、重視するのは適切でない」とした。被告人判決を不服として上告した。

2014年6月13日、最高裁第2小法廷山本庸幸裁判長)は一審・二審の死刑判決を支持して被告人の上告を棄却した。これにより死刑判決が確定した[17]。

2017年平成29年9月22日現在[18]、Kは死刑囚として、東京拘置所収監されている[1]。

2018-06-10

袴田事件検察側の鈴木広一教授は検察の犬。

袴田事件再審可否が明日東京高裁で決定されますが、弁護側のDNA鑑定批判している大阪医科大学鈴木広一教授は検察の犬です。

この鈴木教授検察委託する鑑定人の常連で、検察の言いなりです。

昨年、DNA鑑定を巡るとある事件で、DNA型が犯人被告人と一部一致していないにもかかわらず、「突然変異」というありえない結論大阪高裁無罪になりました。

この事件は最終的に最高裁でひっくりかえり。この「突然変異」で被告人は逆転有罪となりました。

検察最高裁鈴木教授は完全にグルで、この「突然変異事件」は今回判断される袴田事件への布石だと考えられます

大阪高裁明日再審を認めないかも知れません。認められたとしても検察は即時上告し、最高裁で結局再審は認められないと考えられます理由は以上で示したとおり、鈴木教授検察の犬だからです。

こんなずさんで適当検察の味方だということがわかりやすい例は無いのに、新聞マスコミは追及しないなんて、考えられません。

検察メンツ。これが全てです。「突然変異」で冤罪を生む日本検察最高裁は腐りきっています

2018-04-27

anond:20180427113818

痴漢かどうか、セクハラかどうかは本人がそれを認識するかどうかに依存する。

差別主義者の中でも超ド級問題発言だわこれ


これが罷り通ったら何でも「痴漢」「セクハラ」で社会的抹殺できる

女性専用車両どころではない男性差別だわ

やはり、「物証の有るものしか認定しない」方式と「疑わしきは被告人利益」の徹底を求めない

anond:20180427105905

疑わしきは被告人利益原則を遵守して、

物証以外によってのみ有罪を確定する前提なら、去勢もやむなし

2018-04-24

財務省事務次官セクハラ疑惑報道に関して、私が問題に思うこと

長めです。

私は普段からいくつかの報道番組を録画して関心のある部分だけざっと視聴するようにしてるのですが、

今回の事柄テレビ報道問題に感じてる事があります。(新聞は読む習慣がないのでテレビ報道のみについて)

端的にいうと報道番組必要な手順をスキップしてないか?と感じます

まず、私達の住む社会セクハラに対して厳しい態度で臨むという選択に全く異論はありません。

一方でそういった事が起こったとされた場合、何が妥当事実かについて十分な調査検証が行われてない段階で、

誰が加害者で、誰が被害者か、何があったかなどを断定的に語られるのは非常に危険だし、公正な態度ではないと思います

特に報道機関においてではです。

一般の人同士が世間話をするのと、要求される社会役割や影響力が全く違います

私は法律専門家でも何でもありませんが、刑事裁判においては「無罪の推定」という原則があるそうです。(推定無罪という言葉の方が一般的ですが)

検索すればその定義がすぐ出てきますが、以下の文を日本弁護士連合会サイトから引用します。

 「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、

 「刑事裁判有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする原則です。

 (引用ここまで)

法律世界において、一つには刑事裁判の立証責任所在を示す意味もあるそうですが、

もう一つの意味引用文のままで十分理解可能だと思います

今回の事柄は(少なくとも現段階では)刑事事件ではありませんし、民事裁判でもありません。

ですから刑事裁判原則をそのまま法的に適用しようとは全く思いません。

しかしこの原則意図するところは、人と人のトラブルが起こった時には常に留意すべきではないでしょうか。

繰り返しになりますが、特に報道機関においてではです。

被害にあったと一方の側が主張しており他方がその事実否認しており、また提出された証拠妥当性、当時の状況等々に関して

十分な確認検証がなされない内に、「誰が加害者である」「誰が被害者である」といった断定がいくつも見られました。

更には加害者とされた側に対して「事実」を認める事を要求したり、謝罪要求したりする事もありました。(この場合の「事実」は批判する側が想定している事実です)

報道機関においてだけでなく、政治の場において国家議員の方々も同様の言動が見られました。

直接的に「誰某は加害者である被害者である」と言わなくても、「被害にあった女性記者」という表現被害事実であったという事実認定が前提になった言葉です。

セクハラ発言」という表現もある発言セクハラに該当するという事実認定が前提になっています。(「事実認定」という言葉一般的な意味で使っています。私は法律専門家ではないので)

言外のニュアンスといった問題ではなく、ある事実認定が前提になった発言が多々みられました。

「あのような発言はどこで誰に言ってもセクハラである」と考える人いるかもしれませんが、私はそれは状況次第だと考えます

以前読んで個人的に大変参考になったブログ記事を貼ります

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521

中年男性性的発言に対する嫌悪感から即座にセクハラ認定していないでしょうか。

何が妥当事実かを追求するには様々な可能性を想定し、また様々な事を疑わなければならないのではないでしょうか。それには被害を訴えた側の証言も含まれるはずです。

加害者とされる側に対しては検証を経ない粗雑な断定を下す一方で、被害者とされる側に関しては考えうる可能性を述べる事も「被害女性」を更に傷つける行為だと批判する人もいました。

もちろん私もこの場合被害を訴えた女性がいわゆる二次的な被害に合わないように配慮するのは必要モラルだと思います

しかし、であれば、加害者とされる側についても必要検証が終わるまでは当該の事実に関する推測は控えるべきではないでしょうか?

対応についての批評は含みません。あくまで疑いを受けている事実に関してです。) 

一方の側が配慮され推測も抑制された状態で、他方が様々な推測を述べられる状態報道において連日続けば

視聴者の印象はある方向に導かれるのは必然で、その事によって社会的制裁がなされてしまうのではないでしょうか。

必要検証を経ず、報道機関によってです。

それは私は非常に不公正で危険な事だと考えます

念の為、本当に念の為言いますが、私は疑われている事実などなかったと主張するのではありません。

疑われている事柄事実なら、必要謝罪処置が当然行われるべきです。

しかしそれは、繰り返しになりますが、十分な確認検証の後なされるべきではないかと主張しているだけです。

また言うまでもないかもしれませんが、仮に今後の検証によって、この次官が疑われている事柄が全て事実だと判明したとしても、私が申し上げた論点はやはり問題だと思います

例えば、ある刑事事件において警察犯罪を立証する十分な証拠が得られないので、被疑者自白強要を行い裁判有罪が確定したとします。

この時、その被疑者が実際に犯行を行っていたかどうかに関わらず、この警察の行動は違法であり批判されると思います

後に被疑者が本当に有罪だという証拠が見つかった時、「どの道有罪なんだから問題ない」とは法律ジャーナリズムに携わる方達は決して言わないと思います

そこまで悪質なものかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、報道機関の持ってる影響力、言い換えれば実際的権力を考えればそんなに差のある話ではないと私は思います

最後に、上で述べたような性質発言をする人ばかりではありませんでした。

慎重でバランスのとれた発言もあり、被害を訴えた側について疑いを投げかけた発言もありました。

しかし私の視聴した範囲ではそれらは極少数でした。

一人ひとりの発言引用すると、様々な論点が出てきてしまうのでやめました。

論点拡散してしまうと、私が重要だと思ってる論点が見えづらくなるので。

2018-04-20

anond:20180420092440

これが法治国家の基本だろ。疑わしきは被告人利益に。

それが痴漢に有利だというなら確かにそうだろうが、

現状が訴える側に有利すぎて、審判が公平じゃない

2018-04-05

性的虐待を受け義父の子を殺した女性懲役四年の判決を受けた事件以来ずっと憂鬱


乳児殺害虐待受け続けた末 義父の子4度妊娠

https://www.asahi.com/amp/articles/ASL3M5QWDL3MUOHB00P.html?__twitter_impression=true

この判決以来ずっと憂鬱気持ちが抜けない。

まりに救いようがない。裁判官は、17年間も地獄を味わった彼女に、さらなる罰を与えることに対して何も思わなかったのだろうか。そんな必要あるのだろうか?

虐待を受け続け縛られ判断力も逃げる気力も奪われたあげく、「被告人は当時すでに成人しており、手段を尽くして殺害を避けるべきだった」なんて責められて。

この女性のこれまでの、そしてこれから人生を思うと憂鬱絶望しかない。彼女を救わない日本社会にも。

糞親父に人生を奪われ、さらに刑によって人生を奪われた彼女ケアを受けられるのだろうか?幸せになれるのだろうか?日本社会前科者に冷たいのに。

考えれば考える程、世の中を呪いたくなる。憤りの声を上げる人も行動に移すでもなくやがて忘れていくだろう。私も、なにもできない。

幸い世間の反応は割とまともなんだから支援団体だの署名運動だのができれば、私も何かができただろうに。

でも被告控訴しなかったため刑は確定してしまった。反省の弁でまた、どうして罰する必要があるのかと悲しくなる。

こんな世の中では笑えない。呑気に生きることなんかできない。頭から離れない。呑気に笑っている人を見ると「こんな世の中なのに…同じ日本地獄を味わっている人がいるのに…」と思ってしまう。

苦しい。

そういえば、性被害者の力になれる職業に就きたいと思って調べた事もあった。でもコミュ障で口下手で人を無意識に傷つけてしま自分には無理だった。

2018-03-22

性的虐待を受け続け、乳児殺害懲役4年

乳児殺害虐待受け続けた末 義父の子4度妊娠

ツイッター悲惨事件リンクが流れてきた。

とりあえず記事を読んでほしい。

リンク朝日新聞デジタル

https://t.co/ak0RWF9rc0

乳児殺害虐待受け続けた末 義父の子4度妊娠

朝日デジタルだと全文読めないので、全文よめる産経

http://www.sankei.com/region/news/180307/rgn1803070002-n1.html

望まない妊娠乳児を2度殺害 「お母さんにばらすぞ」と義父に追い込まれ

おおまかに説明すると。

被害者は義父から13歳から性的虐待を受け、15歳で妊娠.出産。その時に子供を殺め、成人してから性的虐待によって妊娠出産、そして子は殺めざるを得ない。

その裁判員裁判判決は、執行猶予なしの実刑判決懲役4年。

性的虐待を受け、望まない妊娠をし、おろすこともできずに痛い思いをして子を産み、そして自分の手で殺さざるを得なくなる。これが懲役4年。

ちょっと厳しすぎやしないか

裁判官人間か??

鬼か悪魔じゃなかろうか。

私がこの事件について、こんなにも腹が立っているのには理由がある。

それが昭和48年の尊属殺法定刑違憲事件だ。

またまたリンクを貼らせてもらう

https://matome.naver.jp/odai/2140671323055729801

尊属殺法定刑違憲事件まとめ

おおまかに説明すると、

昭和28年女性当時14歳女性は実父から性的虐待を受けるようになり、17歳の時に妊娠。その後29歳までに実父の子を5人出産(2人は死産)。29歳の時に、結婚したいと実父に打ち明けると実父は(育てていた実父と被害者女性の子)3人の子供を殺すと暴れ出し、耐えきれなくなった女性は実父を絞め殺して出頭した。

この事件では、第一審では刑罰免除最高裁では執行猶予がついた。

どちらも、最大限に情状酌量が認められた結果だ。

当時は、親に対する殺人(尊属殺という)は、普通殺人よりも罰が重く、無期懲役かそれ以上に重い罪にしか該当しなかった。その罰則規定違憲にしてまで、彼女刑罰免除執行猶予を与えた。

本当に画期的裁判だったと思う。

この事件最高裁判決が出たのは

昭和48年

昭和48年だ。

今は何年だ???

カレンダーを見てくれ。

私の持っているものには2018年と書いてある。

そう、今は2018年

平成なら、もう終わりかけの30年だ。

時代は進んだはずだ。それなのに、懲役4年の実刑判決

何度も言うが虐待によって出産せざるを得ない子を殺した。

言い方は悪いがそれだけだ。

運悪くレイプ被害者になり。

そして前科までつく。

無罪放免でも誰も文句は言うまい、義父の判決が相当重いものになるように期待するだけだ。

本当に本当に、心の底から腹立たしい。

前置きが非常に長くなったが、腹立たしさの詳細を語らせてくれ。

まずはこれだ。

実刑理由が、2度目の殺人について、「被告人は当時すでに成人しており、手段を尽くして殺害を避けるべきだった」

13歳から性的虐待を受け、15歳で妊娠出産、そして子殺し、その後も性的虐待を受け続けた被告に、普通の成人と同じように判断できたと思うか。

被告は13歳からずっと義父の支配下にあった。脅迫もあったとされている。そんな状態で、正常な判断はできなかっただろう。

彼女は2度の出産以外にも、何度も妊娠中絶を繰り返しているようだ。

2度目の出産は、中絶費用がなかったのが理由のようで、

中絶費用の工面を、他の人になぜ頼まなかったのか、という検察側の問いに、被告

私自身、諦めてしまった。赤ちゃんの命を軽はずみに扱ってしまった」と答えた。

被告は、中絶の時点で諦めてしまっていた。

諦めるほど、追い込まれていたのだ。

それほど追い込まれていた被告に、

手段を尽くして殺害を避けるべきだった」

などと、よく裁判官も口走れたものだ。

(これは賛否両論あるだろうが、そもそも中絶自体殺人だろうと思う、今回の事件のような例を減らすためにも妊娠中絶には賛成だが)

まずは彼女がこれ以上性的虐待被害を受けることがないことに安心すべきだろう。

腹立たしいポイント2つ目。

裁判長は「体に気をつけて務めを果たし、2人の子供の供養をしてほしい」と被告に声をかけたらしい。

2人の子供の供養???

かに理由もなく殺された子供不憫だ。

事実被告は子を殺したこと良心が痛み、出頭している。

でも、それでもだ。

まず被告がするべきは自分を大切にすることだ。司法判決すら大切にしてくれない被告本人を。

被告がするべき最大で最優先のことは自分の身の上に起こったことに怒り、義父を憎むことだ。

2人の子供の供養なんてその後でいい。

自分タイミングでするかしないか決めればいい。

自分がやりたかったらすればいいし、ましてや裁判官に言われることではない。

そのための実刑判決なんて必要ない。

そもそも2人の子供の供養をするべきは義父だ)

裁判では、裁判官の中では、殺された子が被害者かもしれないが、最大の被害者被告本人だ。

15年以上も性的虐待に耐え、何度も妊娠中絶に耐え、出産しても、耐えた。

耐えて、被告は今も生きている。

その良心を痛めている、死んでしまった子のために。

ここまで読みにくかったと思う。

怒りで文章が読みにくかったら申し訳ない

それでも、読んでくれた人に問いたい。

この女性懲役4年はふさわしいか

2018-03-13

孤独から

誰も何も言わない

自分だけでなんとかするしかない

しか自分は何もできない無力な人間

歩くだけでこれが正しい歩き方なのかさえ不安になるのだ

人前に出るだけでこれで人前に出ていいのかさえわからなくなるのだ

外に出るだけで被告人の気分

何が正しくて何が異常なのか

一人での堂々めぐり

何もかもわからなくなってくる

怖くてたまらない

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