はてなキーワード: 後だしジャンケンとは
で、悪くなかった。
確かにアラは目に付きまくるが、まあ本来2時間で終わるさらば宇宙戦艦ヤマトを、2クールで作れと言われたらあれ以上にやるのは難しいだろうな、という感はあった。
自分は「2」は見てないのでそっちとの比較はしないが、個人的には2199よりも満足感が高かった。
というか、自分は2199の随所に不満があり、そっちで期待値を爆下げしてたので、2202が意外と悪くなく感じたのだろう。
2199の何に不満を持ったかと言えば、真っ先に思い浮かぶのが「波動砲封印」。これである。
なんかイスカンダル姉妹が二人とも波動砲嫌いで、何でも昔イスカンダルが波動砲で宇宙に覇を唱えた事を悔いているからとか。
しらねえよアホ。それをやったのはイスカンダルであって地球じゃねえ。
なんでお前らの反省で地球が縛りプレイしなきゃなんねーんだよ。
波動砲封印したせいで外敵に敗れて地球が滅びたらお前責任取れんのか?
沖田艦長は何か使わない約束しちゃったけど、あれほとんど戦争終わってたからOKしただけだろ。バラン星より前にそれ言われてたらOKしたかよ。沈むぞヤマト。
まあそんなこんなで波動砲封印しちゃって、その悪影響が2202まで引きずってたわけだが、
ご存じのとおり、2202の後半なんて数百発の波動砲が飛び交う波動砲天国である。(というか、波動砲くらいしか相手に有効な攻撃が無い)
2202の冒頭では、「波動砲を使いたくない古代と、波動砲を使いたい地球連邦軍」という対比になっていたが、
「波動砲がなきゃ敵に勝てないと骨身にしみてる古代と、かすっただけでも比喩抜きで地球が木端微塵になりかねない波動砲を封印したい地球連邦」という図式の方が自然だ。
波動砲撃ちまくりになったら困るのは地球なのだ。この辺、旧作のさらばでも何も考えずに波動砲艦隊作った辺り、幾ら核兵器の比喩とはいえ扱いが雑だなあという感が強い。
まあ、それはともかく、通常兵器では殺していいけど波動砲では殺しちゃダメ、というイスカンダル姉妹の独特の価値観は、普通の空襲で死んだ人は特集しないくせに広島長崎で死んだ人は毎年特集して語り継いでる日本へのオマージュかと思われるがとにかくアホらしい。
人道を掲げるならいっそのこと「兵器は何一つ使うな」くらい言えば良いものを、そこまで言えない辺りに底の浅さがにじみ出ている。
だいたい、あの姉妹はイスカンダルの座標すら地球に教えてくれず、試練とかふざけたことを言ってて、本当に地球を救う気があるのかも怪しいのだが、
この辺の高貴なるイスカンダルの高貴なるお遊戯は旧作には出てこないわけなので、2199で追加された新設定であると思うと腹立たしさも倍率ドンである。
まあ、リメイク作品の作り手の常として、「旧作を極力リスペクトしつつ、旧作の矛盾点は解消したい」という欲があった事は想像に難くないので、「なんでイスカンダルとガミラスが二重星だと最初に言っといてくれんのや」という旧作の不満点を解消しようとしてそうなったのだろうが、
そんなちまい矛盾を解消するためにスターシャを人類に試練を課す女みたいな妙な位置づけにして世界観をぶっ壊してしまうのは本末転倒ではないのか。
旧作のひおあきら版なんて、スターシャ様はイスカンダルを爆破してガミラスを巻き添えにする烈女ぶりを見せており、そこまで献身的に助けてもらっちゃうと、さらばで地球連邦の増長ぶりに腹を据えかねた古代の怒りも理解できるのである。
イスカンダルは自分を犠牲にしてまで地球を救ってくれたのに、テレサのメッセージを他人事としてブッチするとか、地球はそこまで恩知らずかという古代の怒り、失望、そういったものも理解できるわけで、それがさらばのラストで「今度こそ地球は目覚めるだろう」という、地球文明自体の成長と、そのためのヤマトの犠牲という図式に収まるわけなのだが、
リメイク版では2199のイスカンダル女がイスカンダル価値観を押し付けてくる傲慢さを見せつけているせいで、その辺の図式がパァである。
というか、イスカンダルもガミラスも本来異星人であり、地球と理解し合える部分なんて「点と点」でしかないのが当たり前なのだが、2199では何を血迷ったのかガミラスと地球の戦いを、ガミラスが恒久平和を目指してるとか、地球側から先制攻撃したとか、お前、「戦争はどっちにも正義がある」的なDD論を持ち込もうとしてるやろというSFも糞もない地球的価値観を設定をぶち込んできたのだ。
このガミラスの地球人化は話が進むにつれてどんどん進行し、なんかドメルが良い家庭人的な扱いになってたりとか、かわいい少女宇宙人がでてきたりとか、もう目も当てられないほど地球的なガミラス像が展開されている。
旧作も最終的にそういう方向に行ってしまうのだが、少なくともデスラーが「愛」とか馬鹿な事を言い出すのは新たなる旅立ち以降の話であって、話が通じないから大砲で会話するという異文化コミュニケーションの基本は旧作の方が押さえていたと言えるだろう。
あと古代守の特攻シーンもなあ。旧作の、負け続けて逃げ続けて、負け疲れた人がとうとうブチ切れて「死んでやる」と言い出したような救い難さがなりを潜めて、皆で笑顔で軍歌を合唱しながら特攻である。戦争やった事ない人の軍人ロマンやな、という感が強い。(私も戦争やった事なんてないけど)旧作の方が「負けっぱなしの軍人が死に場所を求めた」感があって、良い感じにやるせなかったのだ。この辺は「バカめ」も同じで、あれは本来、指示を受けた通信手の方でも真意が理解できないタイプの、どんだけ負けまくっても諦めない男・沖田十三がどんな人間かを示すセリフのはずなのだが、2199では部下の方も心得顔で得意満面の返答である。スタッフにバカめと言ってやれ。
あとはもう、戦争やってんだか青春やってんだか分からんお前ら本当に軍人かと言いたくなるようなヤマト学園ぶり(これは2202にも引き継がれている)とか、まあ色々あって2199には大変失望させられた。
テレサの位置づけが微妙過ぎて、なんなのあの人って感が強かったのとか、なんか「一日稼げば一日分の艦隊作って持ちこたえられる」みたいな事言ってた割に、最後バルゼー艦隊が何の抵抗も受けずに地球上空を押さえちゃったの何でなのとか(なんか私が見落としたんだろうか・・・)、トランジット波動砲とかいうの、他の地球艦にも装備して2,3発撃ち込めば終わってたんじゃないのとか、斎藤の名セリフとか無理やりねじ込んでキーマンとか華々しく死なせた割に、あの特攻なんも意味ねーじゃんというかもう、そこで死なせるなら加藤と同じ場所でも良かったじゃんとか、加藤も加藤で、お前そんな選択はいくら何でも無いやろとか、お前そんな死亡フラグ立てまくる事ないやろとか、まあ、色々言いたいことはあるのだが、
旧作の海原雄山みたいな傲慢な爺さんであったズォーダーや、キャラ立ってたくせに退場シーンすら存在しないサーベラー(関係ないけど、アメリカだと古代×サーベラーのカップリングが割と鉄板だとか20年ばかし前に聞いた覚えがある)なんかに大胆な設定を付与して、旧作とは全然別物ながら「異質な異星人」として存在感出しまくってたのが大変良かった。この辺、地球人化が著しいガミラス人とは対照的である。
旧作で存在した「アンドロメダを征服した帝国が首都星一個破壊されたくらいで終わるわけないやろ」という矛盾点(これはガミラスもそうだけど)を、ゴレムとかいうシステムで解消した事とか、旧作の地球連邦艦隊のあまりにアレな負けっぷりが解消されてたのも良い。
時間断層とかいう取って付けたような設定も、当初は「一年でそんなに復興するわけないだろ」という旧作の矛盾点を解消するためだけのギミックかと思ったら、終盤ではそれをフル活用して「勝てないけど負けない」という異形の戦術を編み出す所までSFしてくれたのは意表を突かれて大満足だった。独自の設定を前提として、現実ではありえない合理性を編み出してこそSFである。小賢しいワームホールとか波動なんちゃら理論なんか幾らそれっぽいのを出そうが、そんなものはSFではない。別の合理性を構築してこそSFなのだ。
2202については、双方の戦法がデタラメである事を批判する声もあるようだが、もともと「知らない文明同士の戦争」でまともな戦法なんてあるわきゃ無いのである。とりあえず隠し玉を用意しつつ、ちまちま突っついて相手の手の内を探る以外の何ができる。相手がどんな兵器持ってるか分からないのに、陣形とか笑止である。密集陣形が良いのか、散兵戦術が良いのか、機動戦術が良いのか、野戦築城が良いのかなんて、相手がどういう兵器を持っててどんくらいの数がいるのか分からなければ、判断できるわけもないのだ。
ガミラス戦争でガミラス側が陣形を多用できたのは、ガミラスが地球側の戦力を読み切っていたからと、相手がヤマト1艦だけだったからであろう。
そもそも、地球もガトランティスもワープ持ってるのだから、先に手の内を晒した方が著しく不利なのだ。どこでもドア持ってるやつ同士の戦いで陣形が何の意味があるというのか。
有効な戦法があるとすれば、「あとどれだけ増援が来るか分からない」という状態を維持することで、相手方に全力を出させない事くらいだろう。全力攻撃で目の前の相手を殲滅しても、その隙をついた後だしジャンケン攻撃で我が方が殲滅を食らっては意味がないからだ。要するに戦力の逐次投入が最適解だ。
という事で、ガトランティスの戦法のなさっぷりは別に不満は無い。
山南も良いキャラしてて、特に前半の「イスカンダルに行った連中は浮世離れしてて・・・」みたいな発言は良かった。確かに、あの世界では銀河系の外まで行った地球人はヤマトの諸君だけであり、ほとんどの地球人は太陽系の外どころか、生まれた星の外に出た経験がある人すらどれだけいるか怪しいレベルなのだ。
そのせいで、ヤマトの諸君の感覚と、一般的な地球人の感覚にはかなりのズレがあると考えるべきで、上記の発言はその辺の地球人側の感覚を端的に表している。
何か悪いことが発生してから、歴史上で似たような事例を拾ってきて偉そうな顔してるだけに感じる。
逆に、歴史に無いことが発生した場合は、歴史にどう学ぶのだろう。「想定外」とは、歴史に対する過学習の結果ではないのだろうか。
また、歴史にある失敗が新たな成功の種を潰している(失敗の隣りにある成功を見えなくしている)ということもある。歴史が未来を妨げることもあるのだ。
それらのことも語ってこそ、正しく「賢者」は学べるのだと思う。
もっと言うなら、そういう一面的な視野に陥らないよう「賢者は何にでも学ぶ」のが正しい。
歴史の重要性は、その「何にでも」の一部分としての重要性でしかない。One of them 以上のものはない。
歴史だけを特出しして「賢者は歴史に学ぶ」という言い方は、まさに「愚者は経験に学ぶ」のと同じくらい、誤解のある言い方である。
(追記)
トラバの通り、この慣用句が誤解から生まれたのだとしても、それが人口に膾炙するうちは、その誤りを述べ続ける必要があると思う。
さらに上記に付け加えるなら、「歴史」は未来の事象に直接結び付かないし、その膨大な蓄積を学ばないといけない
(「歴史に学ぶ」っていうけど、あれだけ膨大な蓄積があれば、何かしらヒットするものがあっても当然。
しかし、そのごくたまにあるヒットに掛ける学習コストがもったいない。歴史はコスパで劣る)
という点で、むしろ、愚者の学習対象とされる「経験」にさえ劣る。
教訓を得たい事象が決まっているのであれば、歴史という膨大な蓄積を学び直すより、その事象に関わる人間の経験を付き合わせた方が、効率よく教訓が得られるだろう。
そうやって、過去の膨大な蓄積に悩まされるという点では、歴史は若い人間にとって、まさに「呪い」に他ならない。
古い歴史というものが、若い人の経験の邪魔をする。むしろ経験こそ、これからの未来に直接結び付くものなのに。
だから、「歴史を学ぶ意味がわからない」という意識が、子供たちから表現されることがあるのも当然だと言える。
それなのに社会は、歴史を「学ぶ」べきものだと押し付ける。趣味や娯楽でなく、教訓の素材として「学ぶ」べきだと押し付ける。
それだから、若者にとって歴史は、スレッドに昔から居るコテハンみたいに見えるのだ。
学ぶべき存在というよりも、理由もない謎のルールを押し付ける目障りな存在になってしまっているのだ。
(過去がそうだったから。って、その結果は合理的なの?倫理的なの?最善手なの?)
また、遺跡発掘のせいで都市開発が遅れていくように、歴史的事物は人々に存在のための負担を強いる。
それのみならず、現代人が生きるための資産(子育て支援の費用、新しい技術への投資 等)を、歴史的事物の維持管理費用として食い潰す。
だから、今生きる人間のために、残すべき歴史的事物を今より厳選していくべきではないのか。
古い建物だから、古い遺跡だからと何でも残そうとするのは、若者に与える予算を残すために辞めるべきではないのか。
歴史的事物の押し付けは結局、世代間抗争に繋がるのではないか。
まとめると、歴史は現代人が生きるための資産を食い潰し、代わりに理由のないルールを押し付け、それでいて、後だしジャンケンの道具にしかならない。
だから私たちはまず、歴史というものを、教訓事項を得る素材なんかではなく、例えば数学などと同じように、社会から遊離した学問のひとつとして遠目に眺めるようにし、
そして、例えばスポーツのような個人的な趣味や娯楽のひとつとして扱うところから始めるべきなのだ。
最近思ったんだけれども、私って一作品に対して冷めるスピードが早い気がする。はてブでホッテントリに入った漫画だけ読んでいる人を基準にするなら、私は恐らくその倍くらいのスピードで冷めやすい。
読んだものの数が多い上に、それらの感想を文章化するために多少の分析が必要だから、パターンやカテゴリに気づきやすいんだろうね。それに気づいたとき「これぞこの漫画の醍醐味」と思うか、「作家の持ち札が全部見えたな」と思うか。私の場合、よほどハマった作品じゃない限り後者になりやすい。時代劇的な面白さを求めてない作品で、パターン化が見えるとウンザリしてしまう。
例えば『王様ランキング』とか、感想もツイッターとかで毎話たくさん書いてたんだけれども、最近は明らかに文量が減ってしまった。キャラクターたちが無言で喜怒哀楽を表現するだけのコマを頻繁に挟むんだよ、あの作品。それを「コマ稼ぎして展開を遅らせてる」って思ったとき、ああ私この作品に冷めてきてるんだなって実感した。
あと厳密にはWEBコミックじゃないけれども『チェンソーマン』とかも。初期は作家の持ち味いい感じに出てるなあと思っていたけれども、最近はちょっと限界が見えてきたなっていうか『ファイアパンチ』の頃の悪癖が出てきた感じ。行き当たりばったりで、こけおどし的な展開の乱用。私の場合『ファイアパンチ』の頃の蓄積もあるから、より慣れるのが早かったってのもある。
同誌の作品だと現在ぼく勉は先生ルートやってるけれども、他のヒロインでやってた展開をまたやってて、ツケがもろに出てるじゃんと思った。特に新規サブキャラの舞台装置っぷりと、後だしジャンケン的ファクター。これまでの話に出てきたキャラクターの関係性の蓄積を無視してる。まあマルチルート展開前から、繊細なところはすごく繊細だけれども雑なところは割かし雑な作品ではあった。強引な引き伸ばし企画のせいで、それが顕著に感じただけで。
ただ、まあこれらの理由は「なぜ冷めたかをあえて言語化するなら」以上の意味を持たないんだけれどね。個人の感想なんて所詮そんなもん。私が挙げた理由だって読者次第では気にならないか、むしろ好意的に読み取ることも可能だろうし。或いは私が気づいていない、評価していない部分から魅力を感じとったり。そういう可能性を広げ、間接的に分かち合えるという点で、SNSで漫画の感想が飛び交う現代は摩擦のリスクを加味しても意義はあると改めて思う。
https://www.walkingtora.com/entry/2019/01/27/011630
結局それかよ、という感じ。
男は無神経で、女は繊細
男は消費し、女は搾取される
男は
男は
男は
で、女性が本当に主人公のアニメって呟きに、きらら系だとか、ラノベモノだとかを返答すると
男の視点で女を客体化し性的消費してるから駄目なんだと後だしジャンケン大会を開催
最初の返答が、男のマウンティングになるんだってさ、男のトンチンカンになるらしい
で、【本当の】女主人公だと、男が疎外感を感じたり、男が荒らしたりするらしく
男が受け入れてる、プリキュアとかは駄目と
バカジャネーノ
世の中にはそんなの気にせず萌アニメを消費したり、がっつり男を消費してる女オタクとか沢山いて
男はー、男はー、男はー
男は前提が判ってない
男はー、男はー、男はー
んで、アニメ列挙したり、後出しジャンケンを揶揄したりしてる人を、リンチと呼び
そうすりゃお前の意見が正しくなるのか?
バッカジャネーノ
特段の新情報の無い、GetNaviというメーカー上げ製品上げの媒体での、「日本デビュー5周年で改めて思う
けどAnkerってイイよね」、という記事のブコメでちょっとした行き違いが起こっている。
新興家電メーカー、アンカー・ジャパンがたった5年で急成長を遂げた理由 | GetNavi web ゲットナビ
https://getnavi.jp/homeappliances/275218/
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/getnavi.jp/homeappliances/275218/
ブコメの流れ(AUKEYに詳しい方がブコメを消されてしまったので、idはナシにしました)
Ankerは似たような中華系と比べて、比較的規格にきちんと適合してたり、表記(例えばモバブの容量とか)で嘘ついてなかったりして、だんだん信用を勝ち得てきた印象。凄いと思う。正直今の日本の販売元のがこの辺雑。
↓
トップブコメの“比較的規格にきちんと適合”ってマジで言ってんの? AUKEYのCB-CD7は「USB Type-Cの規格を無視してeMarkerを内蔵しない」という画期的な方法でコストを削減 https://hanpenblog.com/7043/
↓
Ankerとその辺のパチもんメーカーごっちゃにしている人がいて草。 Benson LeungさんによるAnkerのUSB互換ケーブルに対する評価は...完璧ですね。 https://www.amazon.com/review/R3DGG0QBAYCT1N
Ankerは他の中華系の新興メーカーと比較して規格適合性などに気を使っている。そのとおり。
一方でその辺筆頭のAUKEYはかなりいい加減。おっしゃる通り。そしてAUKEYの方が古株。
参考記事
AukeyはAnkerの劣化コピーではない!後だしジャンケンはAnkerの方だ!
http://gadgety.hatenablog.com/entry/aukey-history
急速充電器やモバイルバッテリーで必ず目にするAnkerって何だ、中国企業って知ってた?Anker成功の秘密
http://gadgety.hatenablog.com/entry/anker-history
AUKEY 徳国傲基国際公司
Ankerは日本においてガジェットマニアからの信頼を勝ち得た、と言っていいと思う。
増田もAnker製品は好きだし、今数えてみたら10個のアイテムを持っていた。
1.キャッチコピー
元Google社員が創業した米Amazonで充電器分野No.1のブランドAnker
強い。
Amazonで初めて買った時は中華メーカーとは知らずに買いました。
中華隠しといえばそうでもあり、またそれだけでもない。
今中国メーカーは、戦後の日本の電気メーカーが、粗悪品の代名詞だったmade in japanを、信頼の
made in japanに変えていった過程を再現しているように思う。
国際進出する時にSONYとかSHARPとかSANYOとか英字ブランドをつけるのは当然の話。
中国は広大だからパチもん売り抜けメーカーは後を絶たないし、政府の関与やらもあるから
中国メーカー=技術・安全・信頼、ではなく個別の企業がブランド力を得ていくのだろう。
2.信頼性
Anker日本デビューの頃はバッタモンの中華製品も多く、安い大容量モバイルバッテリーの中を開けると
バッテリーセルは1本だけで重りが接着してある容量詐欺だとか、USBメモリの容量偽装が話題になった。
そんな時に、容量詐欺も無く、製品保証もあり、強いキャッチコピーで安価に華麗に登場したAnker。
同程度に安い中華製品はあったけど、それほど値段が変わらないなら、確実なものが買われるわけで。
Apple製品と並んでも感性を阻害しないデザインの10000mAhのモバブや、4個口のUSB充電器を国内メーカー
はそれまで出してなかった。今はどうだろうか?
4.安さ
5年前のAmazonでは、タイムセールでAnkerとcheeroのモバイルバッテリーがかわるがわる出てきては
国内大手メーカーがモバブを高い値段で売っている中でAmazon専売とはいえmAh比で半額以下、さらに
タイムセールどん!と、騙されたつもりで買ってみるかと手を出した人をファンに取り込んでいった。
ブランドが定着した頃からか、それともAmazonがタイムセールの割安感を弱めた時期からか、激安感
はなくなるが、それでも十分にコスパがいいし、競合他社より少し上の値付けで売れている。
5.流通
製品をファブレスで作るのはよくある話だけど、BtoCの流通を全面的にAmazonに委ねるビジネスモデルに
真っ先に入って安く売りブランドを確立し、その先行者利益で後から来たのには容易に追い越されない。
インタビュー記事で触れてるように、小ロットで売り出して人気があれば増産、売り切れてしまっても
新製品が買えないことがSNSで話題になる。廃盤製品はセールで売ればいい。倉庫はAmazon。
先行予約販売が結果的に一番安いケースはクラウドファンディングのようなもので、中華スマホの販売
チャネルでもリリース前のセールが(最終処分以外では)最安ということもよくある。
Ankerのような形でビジネスを始めるにはいい場所だったけど、先ごろ話題になった、店側が高評価を手軽
に買えて売り抜けられる問題や、信用できないサクラレビュー、販売製品のType-C規格の検証していた
ユーザーをBANした問題、安値で釣って住所氏名を集めて国内出品IDに使われてしまう問題など、買う側に
とって安心できる場所ではなくなりつつある。AmazonはEvilだと元から思っているけど、売れにくくなる
のはAmazonにとって見過ごせないだろうから何かしらの対処はしてくれると期待したい。
増田も去年ゴミを掴まされ、怒りのレビュー投稿したら、消してくれたら代替品発送と返金するよメール
が2度来たがシカトした。今年見たら販売者のアカウントはなくなっていた。
大阪の部品メーカーが、何の拍子かモバブを作ってAmazonで売り、あれよと言う間にダンボーやIngressと
過酷すぎ? モバイルバッテリーを釘刺し、火あぶりに Cheeroの「安全性試験」がガチすぎる理由 (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1803/15/news117.html
モバブがPSEの対象でなかったことが、モバブ出身ブランド躍進の一因とも言え、そしてPSE規制が入ったらそこ
からデビューするのは難しくなる。最初から衛生関連法規をクリアして手続き費用払ってから好きな服を買う
費用を稼ぐためのホットドッグ屋を開店する少年くらいのレアケース。タイミングに恵まれたといえる。
Ankerと比較するべき会社は、パナソニックやソニーではなく、IOデータ・バファロー・エレコム。がんばって。
Wifiルーター分野ではASUSとかTP-Linkが入ってきてるのでがんばれ。
UPQとかFREETELとかVAIOとか、日進月歩のIT機器でこけちゃって残念。
新興ではないが、ジェネリック家電で技術者引き抜いてるアイリスオーヤマなど。
Xiaomiもそうだけどちょっと売れると手を出したくなるんですかねえ?
先週買ったタブレットが傷物にされ沈んでいます。ここで吐き出してすっきりしたいです。
端的に言うと、小1の甥がマイタブレットを持ったまま部屋駆け回り、戸棚にぶつけてしまったわけですよ。即座に甥を呼びつけ確認すると、ガラス製のフィルムがバキバキに。え?フィルム?本体じゃないの?と思ったあなたもブラウザキープでよろしくどうぞ。
これはいかんと甥を叱りつけるも、ずっきらぼうなごめんなさい。甥の父つまりマイブラザーにかくかくしかじかかく伝えても、「叱っておくよ」と言うのみで、私のモヤ度はじわりと上昇。
小1なんて元気な盛り、体力の限り走ります。ブラザーの気持ちもお察しします、「子供のしたこと~」 「子供が触れる場所に置いておく方が~」と思いたくなりますよね。分かるんですけど、やっぱりちょっぴりモヤモヤですよ。謝罪と賠償を求めて激しく詰め寄る、なんてつもりはないけれど、私にとっては大切なタブレット、悲しい気持ちが袋小路をぐーるぐるなわけですよ。
そうですよね、たかがタブレット、しかも本体ではなくアクセサリー。気にしない人にとっては「大したことないよね?問題なく使えるよね?」ってなってしまうの分かるんです、分かるんですけどね。相手にとっては「そんなこと」でも、私にとっては「辛く悲しいこと」なんです。
価値観の相違から、このギャップが埋められないことは分かっています。だからモヤっとするんです。
先程フィルムを剥がしたところ、割れ目の下に光の具合で分かる程度の小傷を見つけ、モヤモヤが黒く大きく膨らんでしまい筆をとったのでした。でもしかし、「こんな小傷」も気にならない人にとっては瑣末な話と思うと、ねぇ。結局本体もやられてたってオチ、後だしジャンケンすみません。
気付いているんです、モヤモヤの正体。多分きっと、ちゃんと謝って欲しかっただけなんです。それは兄でも甥でも兄嫁でも、誰からでも良かったんだと思うんです。私のお気持ち問題なんです。埋められない溝を飛び越えるためにカロリー消費しない私がデブなんです。ここでゲロっと吐き出せたことが私にとって魂の救済です、ゲッソリ。
今回は少年ジャンプ+
相変わらずシーンの切り取り方と繋げ方が無頓着なきらいもあるけれども、今回はアクションも比較的分かりやすい。
やり取りも簡潔かつ明瞭で、例えば「俺はアグニじゃない」のくだりとか。
ここでいう「アグニ」っていうのは偶像として民衆の拠り所になっていた頃の彼のことではあるんだけれども、それを否定することと行動の結果(目的)が繋がっている。
まあ、戦闘シーンのくだり自体は蛇足感が強くて、前回で消化しきってて欲しかったかなあと思わなくもないが。
主人公が自分の置かれた状況と照らし合わせて、デスゲームそのものをメタ的な視点から分析している場面が興味深い。
で、それを踏まえて「どこまでメタ的な視点から読み取ればいいのか」っていうのを、後半の展開で読者に提示しているのも良い。
とある劇中マンガに主人公たちはドン引きするんだけれども、視点を変えればあれは所謂「シリアスな笑い」なわけで。
主人公の「どこに続くんだよ」っていうツッコミはギャグの領域だ。
柱のコメント含めて、この作品をどの程度メタ視点で読み取ればいいかと混乱させている。
あと、「ヒロイン観察漫画」っていう俗称が作中で出てくるのも大概ネタだなあ(なにせジャンプの各WEBコミックサイトは、その系統の作品を大量に世に出している)。
この時点で、良くも悪くも本作の流れや作風を完全にモノをしているという印象。
なにせキャラの設定とか話の流れそのものは、既存の学園コメディモノで有名なのがいくつかあるからね。
その状態で構成まで似ていたら、細部では別の作品だとしてもほぼ同じ作品だという印象を持たれる。
ちょくちょく挟まれる先生の自分語りや、モブたちの独特な実況は良いアクセントになっているけれども、特筆して個性があるのはそこだけだから、その部分にうんざりされたら読み続けるモチベを保つフックがなくなるかもしれない。
感想は書いていないけれども、色んなWEBコミックサイトを巡回しているんだよね。
といっても網羅しているわけじゃなくて、基本は16ちょいのサイトを回って、気が向いたら別のサイトもって具合。
それでも週に100作は読んでいるわけで、そんなに頻繁に見ていると作品を構造的に読んでしまうことが増えてくる。
で今回も、RPGものや異世界ファンタジーものをモチーフにしたコメディで、それはもう割と手垢まみれなんだよなあと改めて認識した。
勇者じゃなく敵側のモンスター役が主人公とか、クズと善良なキャラの掛け合いだとか、そのあたりがもはや紋切り型になってしまう現代は、ある意味で本当恵まれているなあ、と。
仮にやる場合は既存のものより洗練されているか目新しい何かがないと厳しいんだけれども、それが難しいからキャラで勝負するしかないんだろうね。
で、そのキャラはというと、個人的にはあまり刺さらなかったかなあ。
失礼かつ身も蓋もないこと言わせて貰うなら、主役のゾンビか勇者をセクシーな女の子にするか、マスコット調のファンシーキャラとかにしたら一定のファンは獲得できると思うよ(冗談のつもりで言っているけれども、そういうのが効果的であることは否定できないからなあ)。
まあ私は、もうその系統は食傷気味なので読みたいかといえば読みたくないけれども。
なんか我ながらすごく投げやりな感想だ。
今のところバトル部分が盛り上がりに欠けるというか、だまし討ちとか不意打ちとか瞬殺で終わりとかばかりで。
じゃあ、キャラクターたちの掛け合いとかバックボーンのストーリーとかが重点かといえば、掘り下げも甘いまま死ぬから何の感慨もないしで。
今後も、能力の後だしジャンケンとか、不意打ちだまし討ちばっかりで決着がつくようならうんざりするけれども、さすがにそんなことしてくるようなストーリーテラーなわけがないと思いたい。
二転三転して、恐らく十二支以外の第三勢力とか裏に隠された大きな陰謀が露にとか、それ以上の展開はしてくる、と思いたい。
というか作品に深みを持たせるための練り込みが甘いから、そういった展開部分で惹かせるしか期待しようがない。
ただ、まあ、そういう展開を六話の時点で予想&期待している時点で、私の中で本作の評価はかなり低い水準になってしまっているんだなあ、と。
>実は、ここでいう2名とは、「自己」と「他者」のことである。「他者」は複数でもいいが、一貫して「1名」と同じふるまいをすることが必要となる。
なんだこの後だしジャンケンは。それはさておき、
>たとえば、カルテルは、「他者」が1名として同じ行動を取ることが要請される。仮に、「他者」が分裂して、複数の行動を取るなら、カルテルは成立しなくなる。「カルテル破り」が出て、カルテルが崩壊するからだ。
>この意味で、通常2名という単純化(モデル化)が、ゲーム理論では必要となる。一種の前提のようなものだ。
完全に間違っている。いや、間違えるのは勝手だか知ったかぶりをしないでほしい。
嫌いなことに対して、初めから周囲に「嫌い」と言っておけば、きっと物事は好転する気がする。少なくともこんな悪くはならなかっただろう。
自分はダメだ。自分の立場を考えてばかりいて、気が付くと今更「嫌い」と言い出せない雰囲気になってしまっている。
最初から「嫌い」を公言していた人は「○○が嫌いな○○さん」みたいな扱いで、自然と「嫌い」が遠ざかっていく。
なんだろう。臆面もなく嫌いなこと・嫌いなものを「嫌い」と言える人の強さは。羨ましさは。
彼らや彼女らは、嫌いなものを「嫌い」と言うのが最初から許されているように感じる。
一方、自分は、嫌いなものを「嫌い」と言うことが許されていないように感じる。
あれが嫌いだなんて、これが嫌だなんて。そんなのお前のわがままだ。そう言われているように感じる。
本当は嫌いなのに今さら「嫌い」と言い出せない。喉まで出かかる「嫌い」を必死で押さえ込んで生きてる。
この、仕事が、死ぬほど、嫌い、です。でも心理的に逃げ出せない。だってまだ任されて三ヶ月だから。
一日3ミスくらい失敗量産してるけど、これからもっと慣れてくるから。
同じこと何度も何度も何度も何度も聞くし、意味も無く従来のやり方を変えてしまうし、「分からない」と正直に言って嫌な顔をされるのが嫌で問い合わせや頼まれごとについ適当なことを言ってあとでクレームになりかねない状態になるし、絶対機嫌を損ねてはまずい相手の機嫌を損ねる(人違いするとか)ので、先輩が日々不機嫌になっているけど、仕方が無いから。
後釜が居ないし整う準備もないから。
辞めても他に職のアテもないから。カネだけは残業代とか含めてキッチリ出る職場だから。
嫌いなものを「嫌い」だということを知られないように、わざと何とか楽しんでるふりして生きてる。
すごく辛い。
好きなことに対して、初めから周囲に「好き」と言っておけば、きっと物事は好転する気がする。
自分はダメだ。自分の気持ちを画してばかりいて、気が付くと今更「好き」と言い出せない雰囲気になってしまっている。
最初から「好き」を公言していた人は「○○が好きな○○さん」みたいな扱いで、自然と「好き」がいっぱい集まってくる。
なんだろう。臆面もなく好きなこと・好きなものを「すき」と言える人の強さは。羨ましさは。
彼らや彼女らは、好きなものを「好き」と言うのが最初から許されているよういに感じる。
一方、自分は、好きなものを「好き」と言うことが許されていないように感じる。
本当は好きなのに今さら「好き」と言い出せない。喉まで出かかる「好き」を必死で押さえ込んで生きてる。
好きなものを「好き」だということを知られないように、わざと無関心を装って生きてる。
すごく辛い。