はてなキーワード: 保育園とは
妊娠おめでとう
地域によって違うかもしれないけど、窓口行くと自分が何点で近くの保育園はどこにあって大体何点あれば入れるか教えてくれた(ネットに出してくれよ)
保育園によって0歳から3歳までしか預けられなかったり(小規模園はだいたいそう)、3歳以降しか入れなかったりするけど、そういう一覧表も役所でもらえた
自分は妊娠中期に役所に相談→産休入ってから1〜2軒見学して1歳クラスで入れたけど、隣の市の友人は一軒も見学せずに余裕で入れてた
地域によっては0歳クラスじゃないと入れないみたいなところもあるらしいので、その辺は早めに確認したほうがいいかも
お金のことは本屋行って「赤ちゃんができたら読むお金の本」みたいなのがあるからそれ読めばいいと思う
出産すると出産育児一時金というもの50万出るけど分娩費用で消えます
赤ちゃんグッズはたまひよとかプレモとか読んでたけど、個人の生活環境で全然違うので旧Twitterで育児垢をフォローするのがいいです
最初から色々揃えすぎても全然使わずにメルカリに流すこともあるので、どういう商品があるのか知っておいて出産してから買ってもいいと思う
アカホン西松屋が近くにあったら行ってみるとイメージつきやすくなるよ
あと11年前の記事だけど出産前も今もこのブログを参考にしています
https://nejiko.hatenadiary.com/entry/20130121/p1
妊娠中はただでさえ妊娠しているという事実が脳内を占めて情報が頭に入らないくせに大量の情報が入ってくるのでだんだん辛くなります
私の周りには下方婚は自分と友達のふたりで、その二人が二人とも夫(元夫)に苦労したからついつい一括りにしたくなったんだよ、すまん。
あと、一部ブコメは読み違えてるけど別に元夫に時短してほしかったわけじゃない。書いてるように協力しあえれば良いと思ってた。それなのに平等じゃないのが嫌だった。元々負担が不公平なのに不倫されたらそりゃ離婚でしょ。
以下、元の文
---------------------------------
https://anond.hatelabo.jp/20240518234534 とか話題になってるけど
それなのに夫側が仕事を減らす気も育児負担を平等にする気もないからうまくいかない。
私の体験談を投下。
私、外資系ホワイト企業、年収1000万以上。土日祝休みで残業はほぼなしか家でできる。
元夫、機械いじる系の専門職、年収500万。土日祝関係ないシフト勤務、勤務時間もマチマチで夜勤もある。
30歳手前で結婚したくなった時、収入、見た目の好み、性格、清潔感が合うか等の条件のすべてを満たす人はいないと気づいたため、収入は関係なく真面目に仕事をしていれば良いと思って元夫と結婚。
産後に育休を取ったのは当然女である私、職場復帰後も子どもの保育園送迎は8割私、子の発熱等で仕事を休むのも私、元夫は土日仕事が多かったため土日のワンオペ負荷が高く、子どもの行事(運動会など)と元夫の仕事が重なると私一人で参加。
元夫に仕事の調整を頼んだけど、皆こうだから、皆シフトだから、仕方ない、できない。と。
挙句の果てに元夫は不倫し、私ブチ切れ、子育てのパートナーとしてやっていこうとしたけど子育ての負担も平等ではなく、これならシンママと変わらんわと思って離婚。
喫緊の課題である期間が短すぎるのと、数年で状況変わるのと、個人特定されやすくなるから、近隣の保育園情報ってネット上にほぼ無いんだよね。
元々地縁もなく、産まれてないからママ友ネットワークもない状況で情報集めるの無理だったから説明会行くのと外から眺めるのと自宅からの距離で申し込んだな。
産まれた後も同じように子どものこと考えて動くことになるから、それが始まっただけなんだけどね。
まぁ慣れるよ。
保育園は自治体次第なので市境越えたら別世界だったりするのよね
増田は働いてるみたいなので
・0歳で入れるのか、1歳で入れるのか
・つまりいつまで育休をとっていつ復帰するのか
を考えてから、住んでる自治体の保育課に電話して申込みの流れとか手続きとかを聞く
病児保育とかはまだ考えなくていいよ
長いです。
コロナ禍初期で、業績悪化や県をまたぐ移動の制限により内定取り消しのあおりを食らったのだが、受け入れてくれる会社が富山にあった。友達には閉鎖的だと心配されたが、そうも言っていられないし、今は令和だし同じ日本だし、大したことはなかろうと思っていた。
スキルを積ませてもらったことは感謝すべきだが、私は二度と富山に住みたくないし観光で行くこともない。友達が住むと言ったら止める。
以下の理由は、あくまで私が関わった地域のみであると思いたいが、外から来た人は本当に馴染みにくく噂されること前提なのを事前に知っていたら来なかったのに。
閉鎖的で噂好き
私のような県外出身の独身女は本当に珍しい。とにかくジロジロ見られるし、日中歩いていたらバイクでつけられたことが何度かある。そして噂好きで詮索好き。どこで生まれたのか何歳なのかどこに住んでいるのかどこの高校を出たのか結婚しているのか子供は何人か何歳かどこの学校に通っているのか親はどういう人か同居かどうか。
全く関わりのない人があれこれ聞きまわりつつも私本人には聞かないのもどうかと思うし、聞いた話を広めるのもどうかと思うし、そういう人ばかりなのもどうかと思う。こんな文化だと思わなかったため、話したらまあ広まる。
〜さんって〜なんやってー。えーそうなん?こんな田舎来るぐらいだからよっぽどおかしい人なんやねー。
〜らしいよ。えー休みの日とかずっと家におるんやろうね〜怖いねー。
そしてその尾ひれのつきまくった噂が〜さんって〜なんやろ?と帰ってくるというオチである。
基本的に自分と違う価値観で生きていることは間違っている、だから噂するし、目障りならいじめて追い出す。それが当たり前の環境であった。
本当に地域によると思いたいし、30代以下の世代は共働きで支え合っているという話もきく。
ただつい最近まで、中小企業では女の給料はフルタイムでも男より低く、手取り10万を割っていた会社もあったらしい。共働きが昔から多いからこそなのだと思う。男は家計を支えるために稼ぐ、女は家計を助けるため家事育児の片手間に働く程度だから、それほど払わなくてもいい。
さすがに最近は減っていると思いたいが、今でも家事育児は女がやる。働きながらだから保育園や学童保育は充実しており、子育てしやすい地域だと謳われている。昔は仕事をして家事をするために一旦抜け、また仕事に戻って残業、帰って残りの家事をやり、ということもあったらしい。
男は、うん。畑持ってればその世話はしているんじゃないでしょうか。さすがに。
これだけやるべきことを女に押し付けて自由にしていれば、男の幸福度(県の幸福度)も上がると思う。
天気が悪い
本当に最悪。これだけでも脱出できて嬉しい。とにかく曇りが多く、その雲が分厚すぎて空が低く、光が届かない。冬は大雪だし夏は灼熱。雪国なのに公的除雪が入らないところもある。夏はフェーン現象により、9月まで蒸す暑さが続く。富山は立山連峰が自慢らしくよく宣伝しているが、あの晴れた景色を撮るには大分スケジュール調整を要すると思う。
富山の人はすごく自虐的で積極性がないと感じる。一部の話なんだろうか?
石川は格上、福井は格下、新潟は仲間じゃない。新潟を北陸に含めたり含めなかったりする説があるらしい。
それ以外の県はよそもので嫌い。
コンプレックスが強く、なにもない田舎だと卑下する。別に上だか下だかどうでも良いが、卑屈も身内ネタの一つなのだろうか?
米や魚が美味く富山特有の産業もあるのだから、比べずに自分は自分だと思えば良い。また、不満があるなら相談するなり、調べて折り合いをつけるなりすれば良いし、知らない人に興味があるなら、噂を聞こうとせず本人に聞けば良い。こうなんだろう、こうらしい、と話しやすい人と憶測で話すのは楽しいようだが不毛だし、反感を買う。
間違っている、こうすればよいのではと指摘する人を排除するから、経済的発展ができなく田舎化するのではないか。
富山の良さ
よく富山の良さとしてあげられるが、持ち家率は日本一だったと思う。土地を持っている人が多いらしい。結婚したら親の近くに家を建てるのが当たり前のため、TVをつけると「お家を建てるなら〜」のCMがとても多い。近くの親が親か義親かはさておき。
そのため、一人暮らし用物件を探そうとすると選択肢が少ない。が、首都圏などに比べたら圧倒的に安いのは事実であり、場所を選ばなければ5万以下で、人目を気にしなければ一人暮らしはできる。
また、世帯年収も高いらしい。3世代同居だと自動的に稼いでいる人数が増えるのだから、平均が上がるのは当たり前だと思う。貯蓄額が多いのもそれはそう。お金を使わない妻が理想的な妻なので。
この数年は、人の目を気にし陰口を恐れ、非の打ち所がない人間として振る舞うことに力を尽くしすぎた。関わってわかったのだが、彼らに明確な悪意はない。ただ自分と違うことはおかしくて、モラルとかコンプラとかいうものはそもそも学ぶ機会が少ないのだろう。
地元のひとなら、そういう面もあるからと流せるかもしれないが、外から来た人間はどうしてその土地を愛せるだろう。
非難する権利はよそものにはないので、棲み分けが必要なのだとわかった。
最後にひとつだけ。電車で向かい合わせの座席に足のせるのやめろ。靴を脱げばいいという問題ではない。見るのも、座るのも不愉快。
長いです。
コロナ禍初期で、業績悪化や県をまたぐ移動の制限により内定取り消しのあおりを食らったのだが、受け入れてくれる会社が富山にあった。友達には閉鎖的だと心配されたが、そうも言っていられないし、今は令和だし同じ日本だし、大したことはなかろうと思っていた。
スキルを積ませてもらったことは感謝すべきだが、私は二度と富山に住みたくないし観光で行くこともない。友達が住むと言ったら止める。
以下の理由は、あくまで私が関わった地域のみであると思いたいが、外から来た人は本当に馴染みにくく噂されること前提なのを事前に知っていたら来なかったのに。
閉鎖的で噂好き
私のような県外出身の独身女は本当に珍しい。とにかくジロジロ見られるし、日中歩いていたらバイクでつけられたことが何度かある。そして噂好きで詮索好き。どこで生まれたのか何歳なのかどこに住んでいるのかどこの高校を出たのか結婚しているのか子供は何人か何歳かどこの学校に通っているのか親はどういう人か同居かどうか。
全く関わりのない人があれこれ聞きまわりつつも私本人には聞かないのもどうかと思うし、聞いた話を広めるのもどうかと思うし、そういう人ばかりなのもどうかと思う。こんな文化だと思わなかったため、話したらまあ広まる。
〜さんって〜なんやってー。えーそうなん?こんな田舎来るぐらいだからよっぽどおかしい人なんやねー。
〜らしいよ。えー休みの日とかずっと家におるんやろうね〜怖いねー。
そしてその尾ひれのつきまくった噂が〜さんって〜なんやろ?と帰ってくるというオチである。
基本的に自分と違う価値観で生きていることは間違っている、だから噂するし、目障りならいじめて追い出す。それが当たり前の環境であった。
本当に地域によると思いたいし、30代以下の世代は共働きで支え合っているという話もきく。
ただつい最近まで、中小企業では女の給料はフルタイムでも男より低く、手取り10万を割っていた会社もあったらしい。共働きが昔から多いからこそなのだと思う。男は家計を支えるために稼ぐ、女は家計を助けるため家事育児の片手間に働く程度だから、それほど払わなくてもいい。
さすがに最近は減っていると思いたいが、今でも家事育児は女がやる。働きながらだから保育園や学童保育は充実しており、子育てしやすい地域だと謳われている。昔は仕事をして家事をするために一旦抜け、また仕事に戻って残業、帰って残りの家事をやり、ということもあったらしい。
男は、うん。畑持ってればその世話はしているんじゃないでしょうか。さすがに。
これだけやるべきことを女に押し付けて自由にしていれば、男の幸福度(県の幸福度)も上がると思う。
天気が悪い
本当に最悪。これだけでも脱出できて嬉しい。とにかく曇りが多く、その雲が分厚すぎて空が低く、光が届かない。冬は大雪だし夏は灼熱。雪国なのに公的除雪が入らないところもある。夏はフェーン現象により、9月まで蒸す暑さが続く。富山は立山連峰が自慢らしくよく宣伝しているが、あの晴れた景色を撮るには大分スケジュール調整を要すると思う。
富山の人はすごく自虐的で積極性がないと感じる。一部の話なんだろうか?
石川は格上、福井は格下、新潟は仲間じゃない。新潟を北陸に含めたり含めなかったりする説があるらしい。
それ以外の県はよそもので嫌い。
コンプレックスが強く、なにもない田舎だと卑下する。別に上だか下だかどうでも良いが、卑屈も身内ネタの一つなのだろうか?
米や魚が美味く富山特有の産業もあるのだから、比べずに自分は自分だと思えば良い。また、不満があるなら相談するなり、調べて折り合いをつけるなりすれば良いし、知らない人に興味があるなら、噂を聞こうとせず本人に聞けば良い。こうなんだろう、こうらしい、と話しやすい人と憶測で話すのは楽しいようだが不毛だし、反感を買う。
間違っている、こうすればよいのではと指摘する人を排除するから、経済的発展ができなく田舎化するのではないか。
富山の良さ
よく富山の良さとしてあげられるが、持ち家率は日本一だったと思う。土地を持っている人が多いらしい。結婚したら親の近くに家を建てるのが当たり前のため、TVをつけると「お家を建てるなら〜」のCMがとても多い。近くの親が親か義親かはさておき。
そのため、一人暮らし用物件を探そうとすると選択肢が少ない。が、首都圏などに比べたら圧倒的に安いのは事実であり、場所を選ばなければ5万以下で、人目を気にしなければ一人暮らしはできる。
また、世帯年収も高いらしい。3世代同居だと自動的に稼いでいる人数が増えるのだから、平均が上がるのは当たり前だと思う。貯蓄額が多いのもそれはそう。お金を使わない妻が理想的な妻なので。
この数年は、人の目を気にし陰口を恐れ、非の打ち所がない人間として振る舞うことに力を尽くしすぎた。関わってわかったのだが、彼らに明確な悪意はない。ただ自分と違うことはおかしくて、モラルとかコンプラとかいうものはそもそも学ぶ機会が少ないのだろう。
地元のひとなら、そういう面もあるからと流せるかもしれないが、外から来た人間はどうしてその土地を愛せるだろう。
非難する権利はよそものにはないので、棲み分けが必要なのだとわかった。
最後にひとつだけ。電車で向かい合わせの座席に足のせるのやめろ。靴を脱げばいいという問題ではない。見るのも、座るのも不愉快。
小学生の時、夏に暑くて「先生、暑いです」って言ったら「みんな暑いんだから我慢しなさい!」って言われた。教室に冷房は付いてるし、よくネタにされるけど職員室は涼しくて、なんで教室はダメだったんだろう。クラクラするくらい暑かった。
それから水道の水は冬に冷たすぎて手が痛かった。ショッピングモールのトイレは温水だったから、大人っていいなあと思っていた。授業参観で来た親が水道で手を洗って悲鳴を上げて、「いつもこんなんで手洗ってんの」と驚いていた。
トイレはタイル張りで、和式ばかりだった。1階のトイレには1室だけ洋式があって、なるべくそこに行くようにしていた。学校の教えではなるべく和式を使うようにと言われていたけど、トイレ掃除の時の和式の汚れ方にはゲンナリしていたので、全室洋式にしてほしいと思っていた。
中高は私立に進学したので綺麗だった。
国立大学に進学した時、そこの講堂もかなり年季が入っていて昔を思い出したものの、空調設備もトイレも水道も大人基準になっていたので特に困ることはなかった。投票権という言葉が脳裏によぎった。
世の中が大きく変化していく中で、小学校だけは何十年も前のままだ。生活の中に嫌な思い出がたくさんあって、もし記憶を引き継いだままあの頃に戻って人生をやり直せるとしても戻りたくない。学区を選べば最新式の綺麗な校舎の小学校に通わせられるだろう。しかしそもそもそういうガチャ要素が国や自治体の施策で用意されているのが気に入らない。親が工夫すれば解決するということは、親が無頓着な限り子どもは苦しむのだ。かといって、調べればクリアできる課題を一つ一つ潰していくなんて面倒くさい。
子どもを持たない理由が一つ増えてしまった。その他にも性犯罪教師の存在や、PTAのめんどくささ、旗振り当番のめんどくささ、オムツの値段、食費のこと、保育園のこと、時短勤務のことなど考えることは山積みで、もうどうしようもない。どうでもいい。犬や猫でも飼って心穏やかに暮らしたい。
オタクになりたい!
オタクになりたいなと思う。ツイッターを見てても思うし、友達と話してる時でも。
まあ確かに、自分はオタクだとは思う。なぜなら二次元キャラを好きだしアイドルが好きな頃もあった。二次創作もしてるし...
何より、仕事とか恋愛とかそういう”普通の人”ができること、どんなものより志向が向いているものに対して、自分は全く向いていないから。
でも、しかし、中学生頃に抱えた気持ちがいまだに全く薄れず、二十近くなった今でもまだ私はオタクになりたいと思っている。
田舎の子供だった。小学校入学と同時に違う地域から引っ越してきて、保育園からそのまま持ち上がりのような形で小学に上がってきた同級生達にうっすら疎外感を感じたまま遊んだ。運よく虐められるとか小学校六年間ぼっちで終了とかはなかったけど、みんなのノリに無理やり合わせていたとかが正しい表現かもしれない。でかい道路沿いの、都会と田舎の中間のどちらかと言えば田舎寄りで、遊ぶところも大して無く、親は仕事で周りともノリが合わない。そんな(まあ、普通にぼっちだね)子供だったので、案の定インターネットにはまり込んだ。ちっさい白色のノーパソで初音ミクの消失を聴きまくった。本当に幼少期の記憶はYouTube、3DS、着せ替えゲーム、あとマジックキャッスル(ドットの方ね。懐かし!)とかしか思い出せない。で、順当に行けば普通にオタクになる。ゆっくり実況、音楽はボカロしか聞かない、パソコンのタイピングがなぜか比較的早い、絵を描くのが好きではあったので、コピックも買ってもらった。小学校高学年から中学にかけての私は、その趣味に、...
その自分に、オタクであることについて、誇りを持っていた。インターネットだけが居場所だったしアイデンティティだった。めちゃくちゃ孤立してたわけでもないのになんでだろうとも思うが、めちゃくちゃ孤立してたわけでもなかったから気づけなかったんだろうなとも思う。
で、オタクっていうのは、固まる。中学美術部女子が教室の奥の方で腐オタトークをするように、私にもオタクの友達ができた。そこら辺からか、だんだん気付き始める。
というのも、私は全くと言っていいほど、アニメも漫画も見ないのである。
幼少期からのめり込んだのはYouTube、唯一読んだことがあるのは日常とドラゴンボール、それだけだった。
アニメを観まくり、商業BLを読み漁り、これこそオタク、女オタクの教科書みたいなオタク友達と、趣味が合わなかった。シンプルに言うとただそれだけなんだけども、
私は自分がオタクではないという烙印を押されたような気分になった。今でもそう思っている。
だってオタクが観るのはYouTubeじゃなくてニコニコ動画で、深夜アニメは録画して全部観て、たくさんの漫画を読んでいてその話で他のオタクと盛り上がれる、それをオタクと言うんだから。(今はちょっと違うだろうと思う。自分のトラウマの話をしています)私はオタクじゃなかった。
それと同時にオタクのことも少しずつ嫌いになり始めた。私個人の僻みもあるだろうけど、私が好きなもののことを他のオタク友達に話すと酷いことを言われたり、(例えば私が昔から好きなボカロpの話をしたら「まだ好きなの?」って言われたり)同じグループを推してる友達に私の好きなアイドルを「でもダンス下手だよね」って言われたりした。(トラウマすぎて涙出てきたw)こんなことみんなは言われ慣れてるのかもしれないけど、私は自分の好きなものを面と向かって小馬鹿にされたのがかなりショックで、しかもそれをパンピーじゃなく、仲間だと思っていた同じオタクに言われたもんだから、裏切られたとかではなく、ああ、私オタクじゃないんだ、って思った。逆に全然オタクじゃない、パンピーの友達の方がひどいことも言わずによく聞いてくれたと思う。
そんな感じだったので、元々早口オタクの話を聞く側の人だった私は、ますます自分の好きなものの話を他人にするのが怖くなった。もう否定されたくなかった。自分自身のことを否定されるより自分が好きなもののことを否定される方がきつかった。
で、今。私は女オタクという括りになるんだろうけど、そういうオタクへの憧れは女オタクへの憧れに変わっていった。正直満足に女オタクできてるわけじゃない。というかできてない。
誰かとぬいを持ち寄って写真撮ったり、ヌン活したり、アクスタと飯を撮る、新調したネイルの画像をあげる。私は現代のオタクに必要な『グッズが欲しい』という欲さえ持ち合わせていない。貢ぎたい欲もない、タイムライン上で名前を呼び合ったり、一生誰かとスペースしてたり。私はそのどれもクリアできていない。オタクになれない、オタクできてない、オタクとして失格。私は、オタクとして、女オタクとしてのノルマを、何一つとしてクリア出来なかった。私は女オタクにもなれずに、当然パンピーにもなれない。
じゃあ私は何の人なんだろう。私は何に属している人なんだろう。私は誰の話もわからない。誰にも私の話をわかってもらえない。私もみんなみたいに、誰かと好きなものを分かち合ってみたかった。結局何かのコミュニティに属してみたかっただけ。私はずっとひとりぼっちで...
今わたしは女児です!って言ってる成人女性は一人もいないのに、元女児という事実とともにあの頃言えなかったNOを発信するのはそんなにおかしいの?成人女性は誰もが元女児なのに?あなたもそうだったのに?
女性は元は女児なので、てのを笑ってる人ら、現女性が元女児なのはまんまその通りの意味しかないのに「女児」とか「女の子」にミーム的な変な意味を勝手に乗っけてるからウケてるのかな?て思うけどつまりは文脈が読めないんだね
大人の女性が元女児であることを主張するのはキツいってなんかで見たけど
大人の女性が私は女児です!女児の扱いをしてください!って言いだしからヤバいやつだけど元女児だからこそ現女児を不快な状況から未然に防ごうとしてるだけでしょ
元女児を名乗のがキショいって意味がわからない。男女関係なく、みんな元・児童でしょうに。
子どもの頃(年齢的に女児だった頃)、嫌な思いをした経験を覚えているから、今の女児たちが同じ思いをしないように「大人になった今」現状を変えたくて声を上げてるだけだよ。あくまで今は大人です。 今、大人になってる女性を女児として扱えなんて一言も言ってないのに、なんでそんな誤解するのか本当に意味がわからない。
読解力がないのか、それとも元ポストの人にあわよくば男児として甘やかされたい欲があるのか。
でないとそんな発想にならないよ………
そもそも男児母が「子供なんだから仕方ないでしょ」って男児に女子トイレを使わせてて、男児に怖い思いさせられた女児や元女児がいい加減女に我慢しろはやめてくれ、って言ってるの。それに対して「産めばわかる」って黙らせようとしたのが子持ち。もともと子無しを下に見てるくせに何が母親叩きだ。
自分が知る限りでは保育園、幼稚園時代に性被害に遭ったという方がおられますので2〜3歳くらいから起こるのではないでしょうか(当事者に加害の意図はなくてもです)。厳密に○歳だから、というわけでなくとも男児を見たら不意に思い出したしまうということもあるのではないかと推察します。
増田は男。時短勤務。4歳娘と2歳息子がいる。二人とも保育園児。
よって育児時間は増田のほうが妻より長い。土日に出掛けるときは増田+子2人。移動は息子ベビーカー+娘手つなぎか、息子ヒップシート+娘手つなぎのいずれか。
Xで時折議論になる男児の女子トイレ利用について、意見を言っているのはほぼ女性な気がする。
反対派は
・男児も性加害をする
・男親がトイレに連れて行け
賛成派は
・子供は性加害なんてしない
・性加害をすると考える女はおかしい
…みたいな感じだ。
増田の場合、2歳1ヶ月息子はオムツが外れていないので、息子のおむつ替えの時はベビールームか多目的トイレのおむつ台を使う。
4歳娘がトイレの時も多目的トイレを使う。そのついでに増田も用を足す感じだ。
というわけで外出時には多目的トイレを使っているが、特にトラブルはない。多目的トイレから出た時に誰かが待ってたこともない。外出時に多目的トイレが無かったこともない。ちなみに東京在住ではない。政令指定都市でもないので都会ってわけでもない。
増田は息子が生まれる前も、娘を男子トイレに連れて行ったことはない。ずっと多目的トイレ。何の不自由もない。
たまに風呂問題でも議論されているが、娘は女湯に母親が連れていき、息子は男湯に父親が連れて行く、で良いと思う。それが出来ないなら部屋風呂のある旅館に泊まればいい。
それ以外の選択肢はないだろと思う。
と言ったとこで
無いので「???」みたいな顔される
やめよう
嬢は内心「頭おかしいよこの人」と思う
だけですし
やめよう
家電量販店じゃあるまいし、値引きしてくれませんよ。
やめよう
思えませんし、例えマウントとったとして
だらけのデモに連れ出すのは無謀です
数合わせも大概にしましょう
大半です
やめよう
「他人とすれ違う原因ってなんだと思う?」
「実存主義ってどう思う?」
「てかイデア論知ってる?笑」
などと嬢に言ったところでキャバ嬢はキリストでも仏様でもありません。そんな話は大学でやりましょう。
「お注射こわいよぉ」などと髭が生えたおっさんがするのは気持ち悪い以外何者でもありません
やめよう
獲得したのは分かります、だけどキャバクラ嬢全員が匿名はてなを知ってるとは限りませんし
としか思われません
やめよう
最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。
もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。
転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。
断っておくと、それ自体が苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分で安心したところだ。
全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。
私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。
機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育ての領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。
結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。
そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。
まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。
離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。
余裕のない人間のコミュニケーションは、可能な限り効率化される。
視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。
今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。
仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。
育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。
保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児を自分のタスクとして捉えてしまっているんだろう。
そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。
そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。
自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存。
健全な関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。
ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。
私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別なものなのだと感じる。
元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)
自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。
でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機でしかない。
ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己の欲求というものが欠如していた。
求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。
人間というのは現金なもので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。
相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからこそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。
結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。
私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。
けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。
生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。
車でバカな単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。
客観的に見ると、完全にメンヘラかヤンデレの対応で笑うしかないのだが、これが精神的依存の真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手をコントロールしようとするのはとても良くない。
けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。
私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。
いずれにせよ、核家族の共働きで子供ができるというのは大変なことだったということだ。
子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。
そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。
こうして、何かしらの形で出力しないと自分の気持ちに整理がつかなかった。
端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。
今までよく理解していなかった、シャア・アズナブルの迷言が頭をよぎる。
たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。
その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。
俺が所属していた団は集会場所に近所のカソリック系の教会の敷地を借りていたので
日曜日の朝礼拝に宗教上の理由がない限りは参加する決まりだったし
その協会が所有している保育園のクリスマス会やイースターイベントの手伝いをよくさせられていた。
俺が所属していた団の隣の団は金光教の支部の敷地を集会場所に借りていたので
子供が保育園、幼稚園に通ってて、自分が老けたお母さんになってるの嫌だわ
子供が大学生くらいになってたら自分が初老でちょっとよぼよぼしてても仕方ないと思えるけど
子供が保育園、幼稚園なのに母親が老けまくってたらほんと悲しい
今自分が一人目の子供を園に通わせてて、数年下の子と間をあけたもんだから
自分の理想の人数分の出産を20代のうちに済ませて、美容に力を入れて、美人なママとして子育てを楽しんでいく人生したかったです。
産むまでわからなかった
どうしてあんなに種類が多いんだ
1番安いやつで充分じゃん
基本3時間おきに替える新生児なんてタイミング悪ければ10枚ぐらい余裕で行くよ
2022年に子ども産まれて、当時はまだ1袋税込み1100円くらいだった
今は税込1500-1600円だよ
必ず割引デーに買ってるけど、高いんだって
1歳から保育園に預けて働いて生活費稼ぎながらせっせと税金納めてるが??
おむつ高い。
Lサイズ14kgまで、XLサイズ22kgまでと書いてあるがあれは目安にしかすぎない
トイレ?まだ2歳になったばかりだが
早くても炎上するし、遅くてももっと早くからやれと言われるし、タイミングぐらい親が決めるわ 放っておけ
必要があると医師に認められた老人のおむつは医療費控除になって、必要がある子どものおむつが医療費控除にならないのなんで??
4歳までとか、3歳まででもいいさ
医療費控除にしてくれ早急に
私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語の背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。
しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。
礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。
二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性の教頭先生だった。
学校の体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女の写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。
三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子ししまる。
母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。
私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からあまり積極的に関わろうとはしなかった。
高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。
なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。
私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。
数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしかに写真や映像でうんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。
四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいたものの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。
祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所で飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車やパトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。
父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。
私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。
その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるまで玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。
諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。
以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。
死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。
そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。
ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母はあの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である。
そんな祖母の葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格も道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議で自分に腹が立ってしょうがなかった。
祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。
五度目はまだ起きていない。
母方の祖母は癌治療中で、祖父はボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。
いつか絶対に五度目がくる。
何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。
みんな死んでほしくないな、死にたくないな。
昨年育休より復帰
が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま
私がほぼリモートの一方で夫は地方の役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態が半年以上続いてました
仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直しの相談を持ちかけました
ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました
うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました
今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました
(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)
更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました
ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです
今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣に相談したかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした
その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました
それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴も相談もできなくなりました
今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います
本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたときが決断のときかなと思います
(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまたイラつきが再発してきました、、)
いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合が最近増えてきました
直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした
子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後の負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです
年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です
吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断のときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます
世の中の人間は仕事やキャリアに関してとても真摯に考えているんだな。
自分も電気系の理系で運良く余ってた推薦を使って大手のメーカーに入れたけど、仕事なんてクビにならない程度に頑張って後は楽することしか考えてない。