はてなキーワード: 伊集院光とは
ツイッターにおいて、望まれないリプライ・的外れなリプライは総じて「クソリプ」と呼ばれる。
ツイッターを含むネット界隈ではすでに人口に膾炙し、よく知られている言葉であるが
なにぶん「クソ」という上品とは言い難い単語が使われているため、ネット以外の場所では使うにはばかられる。
そこでこれを「リプライハラスメント」・「リプハラ」と改称してはどうだろうか。
たとえ内容が同じでも「クソリプについて研究をする」というより「リプハラ問題について研究する」とした方が
そうした研究の成果によっては、あなたがリプハラを受けなくなる日が来るかもしれない。
いまだ多くの人々にとって、マスコミは大きな情報源であり、信頼をされている。
リプハラというものがあり、それはこのようなものであるという周知がなされる意味は大きい。
自分の身を振り返ることのできる人々は、リプライボタンを押す前に一瞬考えるだろう。
「これはリプハラにならないか?」
この一瞬の自省が多くのリプハラを減らす。
ほとんどのリプハラは目にしたツイートに対し、反射的につぶやいているものだからだ。
もちろん、それでもリプハラをする者もいるだろうが、その総量は確実に減る。
「セクハラ」という言葉が知られるようになって、「セクハラ」は減っていっているのだから。
「あなたもリプハラをしているかもしれない!」と恐怖を煽る特集が雑誌に載るだろう。
「リプハラをする人間の脳はこうなっている!」と解説する新書が出るだろう。
人気講師はマスコミに呼ばれ、新たなセレブアイコンになるだろう。
リプハラ専門弁護士が生まれ、マスコミに呼ばれ、新たなセレブアイコンになるだろう。
「伊集院光 深夜の馬鹿力」のYahoo!クソ袋のコーナーに投稿しようと思い書いたのですが、どう考えても採用されないので送らずにこちらで供養します。
日本語が異常に下手ですが読んでいただけたら幸いです。
「よくよく聞くと質問者がただのヤバい奴だった」というコーナーの王道の流れにしたかったのに書いてる自分が気持ち悪い展開になりました。
あれは「出そうと思えば桃鉄出せるんですよ?」とチラチラ見せておきながら使わざるを得ない状況にならない限りは絶対に出さないものなんだよ。
ましてや伊集院光が据置で出せとか言ってたらしいが、据置なんて絶対ありえないね。出す理由がない。アホかと言いたいね。書いたけど。
IPってのは、使うにしろ死蔵するにしろ、手駒でしかないんだから会社の都合で好き勝手使われる道具に過ぎないんだよ。
ゲーマーどもにはっきり言うが、ゲーマーのためのゲームなんて作らないぞ?ゲーム会社はな。
例えば、今の情勢を考えればPS1,2のゲームは3DSと親和性高いゲームが多い。じゃあSCEが任天堂にゲーム出しますか?ゲーマーのために版権売りますかって話だよ。
フェミだの弱者だの言う度に炎上しては発散してブコメ欄が自己紹介の嵐になるわけだが、一回整理したいと思う。
だからなんだという話ではなく、きっと言いたくなった「ソレ」がオマエの脳内の自己紹介になる。
全16セットだな。
もうこの軸で既に炎上しそうだが、「キモくなくてカネのある若い女性」は救われるのか、という話。
まあ、若者のほうが稼げることは少ない。
普通は年の功というか、年功序列でというか、スキルの積み上げというか、
就業年数が長くなればなっただけ、社会的な信用も、賃金も上昇していく。
日本はかなりハッキリ、賃金カーブで見て明らかに女性が冷遇されてる。
つまり、カネのあるオバハンってのは、かなり頑張ったか運が良かったか何にしてもレアだ。
そもそもカネの有る無しで言えば、圧倒的に男性は恵まれた環境だといえる。
これは逆に救いがない。
ワリと残酷なことを繰り返すが、女性の賃金カーブは、一般的に男性よりも低い。
つまり、統計的にみると、年上の方が給料増えたり、しない。年功序列効果薄い。
有り体に言えば、女性は若かろうがオバハンだろうが、給料に差がつき難い。
おもしろ経済学系のセンセが論文書いてたりするが、容姿によって賃金格差がある。
で、統計的に処理したデータみると、全般的に女性ってのは男性よりも給料が低い。
つまりだ、コムスメがオバハンにジョブチェンジしても、給与の変化は微々たるもんだ。
とは言え、どの年代のどんな属性であっても、賃金は常に男性よりも低い。
子供>>>>母子家庭>>>>(超えられない壁)>>>>単身女性>その他
カネがあっても幸せにはなれんかもしれんが、カネがなきゃ死ぬんだよ。
そうすると、「カネを稼ぐ能力が低い」方から、社会は福祉を始める。
まあ、こういう順序で救済されることになる。
つまり、恵まれた境遇に居ながらにして「カネのないオッサン」というのは、努力してないと看做される。
(本当は、個別個別に事情があるかもしれないのにも知れないのにな)
で、何度も繰り返すが日本はまだまだ女性の賃金が低いし職も薄いし、女性の管理職は超レアだ。
すっと、ワリとカネのないオバハンっていうのは、コモン扱いで、それがフツー。
世間の目もまあそんなもんだよね、程度。
あのな、カネ稼ぐ能力のないガキが寒空の下放り出されてるわけじゃない。
キモくてカネのないオッサンとは言え、大抵の場合、「生きていく程度のカネは稼げる」程度には恵まれてる。
ヒラコーがドリフターズで描いてたがな、人間は尊厳がなくても食えれば生きていける、食えなくても尊厳があれば生きていける。
この「食える」っていうのは、時代によって違う。
まさに餓死一直線の文字通りのレベルから、「周りに比べて」という時代まで。
個人の人格を誇りに思えるかどうかのどこまでいっても「自己判断」だ。
「自分がここにいていいんだ」と思えない時に、ヒトはワリと病的になる。
「ああ、カネのないオバハンって、アタシの他にも沢山いるわフツーだわ」と思えるかどうかが、ポイントだったりする。
すると、
その「キモくてカネのないオッサンだと自覚している男」は、それよりも恵まれない境遇の人間がいようがいまいが関係なく、病的になる。
奇抜なファッションはブスの逃げ道と、その昔伊集院光は喝破した。
じゃあ、キモくてカネのないオッサンの極端な逃げ道は、どこに行くんだ?
これは福祉の問題じゃないんだよ。別に食えてないわけじゃないわけだし。優先度低いし。
どちらかというと、治安の問題で、キモくてカネのないオッサンの矜持を保てる程度の世間の目というのをつくり上げるのが重要なんだと思う。
が、まあ、子供の居ない夫婦というロールモデルですら拒否しかねない日本社会で、そんなオッサンは放置されては極端に走って逮捕されるのかねえ。
中二病の定義が伊集院光氏が提唱したものから異能バトル系の妄想を好む人達も含まれるようになった、みたいな詳細な経緯は割愛
「中二病でも恋がしたい!」「異能バトルは日常系の中で。」など、最近やたらと中二病を題材にしたアニメをよく見るようになった気がする
なんていうか、「邪気眼が疼くうわあああ!!」とか言ってるキャラクターの滑稽な様子を笑い飛ばすだけならなんとも思わないのだけれど、中二病を題材にした作品というと必ずと言っていいほど「中二病とは幼児性と承認欲求が云々~」みたいな的外れすぎる考察をしだすから「何言ってんだこいつ?」ってなことになってしまう
異能バトル系妄想をリアルで披露しちゃうレベルで罹患しているという、その手の漫画にしか存在しないレベルで患っている後天的に付与された意味の方の中二病患者を伊集院光氏が提唱した方の中二病に中途半端に当てはめて考察しようとするからこのような齟齬が生まれるのだと私は考える
うまく言えないけど、アパート住まいの気の短い壁ドン常習犯のオッサンに「現実と少女漫画を勘違いしてる痛い男」とか言っちゃったり、逆に少女漫画の肉食系イケメンキャラの壁ドンを「怒りすらコントロールできない犯罪者予備軍」とか言っちゃったり、今のアニメやラノベ等での中二病の扱いというのは大体こういう頓珍漢で食い違ってる感じなんだと思う
自分も日本語ラップは伊集院光のARBくらいから眺めてるアラフォーの音楽好き
iTunesのライブラリは70日程度だけど、ヒップホップ系は好きでないので多くない
ラップって黒人DJが野太い声で英語でまくし立ててるとそれだけでなんかカッコいいんだけど
ヒップホップってのはメロディーもなしに直接メッセージの洪水を叩きつけるって
のも重要な要素なので、正しくヒップホップをするなら、母国語ですべきで
とすると、日本語という言語でラップをするという困難な問題が出てくる
日本語のアクセントは、英語のような強弱ではなく音の高低で表現する
「こんにちは」は日本語話者だと「こ↓ん↑にちは」と音程で表現するけど
「コ"ニ"チワ」と「ニ」に音程ではなく強勢を付けた発音をするのは
よく聞くところ
日本語をメッセージが明瞭に伝わる発音で音楽に乗せると、音程差があり
普通に喋るとオケと不協和音になる。英語でも厳密にはそういうのあるけど
不協和音の1音が鳴り続けてもあまり気にならないし、気にするラッパーは
ベースとかに合わせてるみたい
とりあえず日本語ラップの解決法の一つとして、高低の最低2音をオケに乗った
音を選択するというパターン。普通に歌える歌手が曲中にラップを混ぜる場合は
この解決法が多い。バリエーションとしてペンタトニックに乗せて
最初、なるほどその手があったかと思ったけど、しばらく聞いてて
アレ、これってラップというよりお経じゃね? とか思った
中国語だと音程が厳密なのでこの手が使えないとか書いてると話長くなるので飛ばして
本格ラッパーはこっちを選択したみたい
アドリブとかで歌詞考えつつ、オケのコードまで意識してたら死ぬもんね
発声の問題の解決法が色々探られる一方、それでどういうメッセージを伝えるのか
いわゆるリリックの問題。なんか英語のラップは社会問題とか叫んでるらしいけど
日本のポップシーンは伝統的に政治的メッセージと非常に相性が悪くて云々。
で、色々試行錯誤あったらしいのを思い出して書くのがめんどくさいし
結論はネットでネタになってる通り、有線で流れるような商業ラップは
親に感謝、ダチに感謝、お前に感謝って「メッセージ」になりましたとさ
もう疲れてきたので論旨ボロボロだけどまとめると
90年代~00年代くらいで日本語ラップの発声面、リリック面での模索で色々進歩はあったけど
そういう積み重ねを知ってか知らずが、有線で流れる商業色強いヒップホップは
音程を無視したダミ声でダジャレで絆を主張するリリックばかりになりましたとさ
てかね、もうこのご時世。いや、今も昔も、作り手がものっそカネかけて売ろう!
それってたくさん売りたいから、どうしてもマス向けのうっすい曲になっちゃってる
ずっとそればっか聞いてればいいと思うよ。てか俺はそうしてる
GoogleGlassを覚えてるだろうか。メガネだよメガネ。
で、ちょっと話は飛ぶんだが、おれは伊集院光の深夜の馬鹿力が大好きだ。
エアチェックしたものを大量にmp3化して、iPodに入れて聞いてた。今も聞いてる。
で、家にはAppleTVがあって、外で聞いてた伊集院を、家に帰ったらAirPlayで飛ばして家のスピーカーで聞いてる。
でだ、メンドウなんだよ画面操作するの。
たかだか、AirPlayに変更するだけのために、鞄からiPhone出して操作してって、なんだかなあといつも思う。
そりゃあ、Macと連携してTodoリストが管理できるのは便利さ。
でもな、なに買うんだったっけって、いちいち鞄からiPhone出して操作して、
それからやっと味醂と片栗粉を買うのを思い出すとか本当に面倒くさい。
スケジュール管理が紙ベースから圧倒的に楽になったことは認めよう。
iPhoneでいつでも確認できるし、ネットでダイオウイカが出ると聞きゃスケジューラに打ち込めば忘れないし、リマインダもある。
歯医者の予約も、次に床屋に行くべきタイミングも全てチェックできる。
でもな、電車の待ち時間にずっとiPhone弄ってるのって、なんだかバカっぽいだろ。
オレだって人間だ。注意も散漫になりゃ、ゲームだってやりたくなる。
ツムツムやったり数独やったり、ニュースみたりボケて観たりとかな。
そういう、「ちょっとスケジュール確認しようかな」からシームレスにゲームができちまうのって問題だと思うわけだよ。
そういう、スマホの画面を見なきゃいかん、スマホ弄らにゃいかんって生活から、
AppleWatchは開放してくれる気がするんだよ。あくまでも気だが。
醤油買い置き切れてたっけ?と腕時計をいじれば良いだけなら、圧倒的に楽だ。
今日はゴミ出しの日だと腕時計をつけるときに出てれば、出し忘れもなくなる。
そろそろ歯医者だエヴァの放映日だって出れば、会社を出ようって気にもなる。
腕時計で写真なんか観ねえよ。Twitterをいちいち追っかけたりしない。
でも、オレが帰り際に聞いてた深夜の馬鹿力を、AirPlayで切り替えるぐらいはできるだろ。
終電三十分前だと、腕時計が小さく震えて教えてくれたりするわけだろう?
どうせ脈拍はかるのにしか使えなくて、酸素飽和度計が付いてるわけじゃ無えだろうけど、
つまりこれは、いつものアップルさんの想定顧客ど真ん中向けで出してるんじゃねえのか。
金持ってて生活が安定してる、ホワイトカラー。休日や出勤前にジム行ったり近所をジョギングする。
健康志向でちょっとした手間を惜しむ、ルンバを持ってて全自動洗濯乾燥機と食器洗い機が家にあるヤツ向け。
賭けてもいいが、Todoリストもスケジューラも株価にもニュースにも興味が無くて通勤すらしてないヤツが買っても無駄だぞ。
ずっとディズプレイの前に座ってるニートがiPad買っても無駄なのと同じだ。
パソコンを外に持ち出すよりもずっと楽に、ブラックベリーよりもできることが多いから、iPhoneをみんな持ってんだ。
でも、パソコンが必要なくなるわけじゃない。空港でノートPC広げてる奴はまだまだ多いぞ。
同じように、ついにiPhoneを取り出すのすら面倒臭くなったヤツが、AppleWatchを買うんだよ。
値段?機械式腕時計に比べりゃバカ安だろ。スーツ着てる連中でTIMEX付けていいのは変人だけだ。
だから、学生には売れねえしギークにも評判悪いだろうが、シティで働くスーツのオッサン連中がこぞって買うぞ。
(んで仕事中とアフターで同じバンドしてるとバカにされんだよ。あいつはTPOを考えねえダセエヤツって)
後は、クソ長え会議中にモールスで同僚で会話できるようになってりゃ最高だ。素数を数えてくれても良い。
4万程度で悩む奴は4~5年待てば、きっと縮小してなかったコトにされてるか、2万で電池が一週間持つとか廉価版が出るから待て。
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(親指シフトの練習で月曜JUNK伊集院光深夜の馬鹿力2014年7月21日の「今週気づいたこと」を書き起こしてみました)
今週気づいたこと。
池袋バッティングセンターっていうバッティングセンターがあるんですけど、今もあんだけど。
でここが、金曜日と土曜日だけ終夜営業をやってて。朝の五時ぐらいまでやってんの。
んで、ま、俺はここが大好きで。
金曜日とか特に夜中、このラジオのネタ選びみたいなことをするんですよ。
何日かに分けてやるんで。月曜日の番組の直前ぐらいまでやってるんですけど。
夜中の三時ぐらいバッティングセンター行ってバッティングしてから、
またちょっと二十四時間(営業)の大塚ってとこにある本屋さんに寄って、
でさらにファミレス行ってパソコンでこうネタ選んだりしてるんです。
でここがびっくりするくらい夜中の金曜日でも土曜日でも夜中の三時にお客さんがいないの。
俺以外が打ってることをまず見たことがないわけ。
俺ん中では、なんでやってんだろって思ってたんだけど。
ま、そういうもんなんだろうなみたいな。
もしかしたら、あそこで俺が、こう汗をかきかき打って
たまに垂れた汗から抽出された何かがすごい金額で売れてるのに俺が気づいてなくて
そのための、まあその、ファイザー製薬の作った施設なのかもしれないっていう。
ずーっと、どんなに異常でもずーっとあり続けるとそういうもんなんだなって思ってるから。
あって当たり前って感謝もなくなってきて。
月に一回、三ヶ月に二回三回のペースで行く、行ってたの。
そしたら何月かね、近くにスポッチャが出来たのが。
池袋バッティングセンターの下にはずーっと昔からボーリング場があって。
夜中は人いないけど昼間はそのバッティングセンターは繁盛してたんですよ。
そしたらラウンドワンのスポッチャみたいなラウンドワンのすげーでかいのが池袋にできて。
春先かね、できて。
あれよあれよという間にこのボーリング場がつぶれちゃったの。
でなぜかボーリング場はつぶれたんだけどそのバッティングセンター、池袋バッティングセンターは残ってて。
でしかも終夜営業やってんだ。金土は。あ、なんだやってんだなと思って。なんか。
もうやるもんなんだなと思って。
んで、三ヶ月ぐらい経って。こないだの金曜日行ったら突然なくなってて。
突然終夜営業やめ、池袋バッティングセンターはあります。
これあの、池袋バッティングセンター自体のファンの人、あるんですけど。
俺以外の人が利用しているのを見たことがない金曜土曜日の営業、夜中の営業が終わって。
終わっちゃってて。
びっくりしたっていうかちょっとびっくりしたけど、そりゃそうだよなって。
十年は行かないけど昔あのそばに勉強部屋を借りてて、あれ何年前かな、仕事部屋を借りてて、八年ぐらい前で。
八年ぐらい前から深夜営業行ってるけど八年ぐらい前から俺しかいないんだから、客が。
だからなくなって当たり前、まして本体に近い方のボウリング場もなくなって。
なくなって当たり前なんだけど。
変な感じだなっていうのと。
じゃあなんか、分かんないけどタレントが声を上げて「あの池袋バッティングセンターの金曜土曜日の終夜営業を
何卒みんなで盛り上げて復活させましょう」ってはならないのは、あの俺しかいない感じが好きだから。
そこが俺の勝手なところで。「ひなびた喫茶店が無くなっちゃうんです、是非署名運動を」みたいなこと言われても、
「ひなびたままじゃなきゃ要らねえから」っていうわがままな感じで。
結果、池袋バッティングセンターの金曜土曜の夜中の営業は、今まで俺だけのためにありがとうございましたっていう。
もう、仕方がないってことになりましたとさ。
•あれってテレビで深夜ラジオ的グダグダ感をやってるだけだし、それなら普通に伊集院をはじめとする深夜ラジオ聞いた方がよっぽど面白い。
•旅行番組として見てもやっぱりつまらない。乗り物に乗ってるだけ。ちょっと面白い素人のyoutube動画レベルのクオリティ。大体おっさんが深夜バスに乗ってる絵のどこが面白いのか一度冷静に考えた方がいい。
•普通の感性の持ち主が見ると、大泉洋の軽薄さが鼻につく。初期は知らないが、途中からは俺大物オーラと俺面白いでしょオーラがウザい。あのチリチリとニヤニヤで面白そうな雰囲気を醸し出してるだけだが、実際は若手のひな壇芸人レベル。(つまり、吉本の若手のひな壇芸人も、あのガチガチの体育会系に埋れてるだけでノビノビやれば化ける奴は多いと思う。そういう意味では吉本は罪。年功序列で一定のレベルまでの成長しか許容しない。だからポストダウンタウンはもう吉本からは生まれない。)
•大泉洋は芸人じゃないし、水曜どうでしょうはお笑い番組ではない、というツッコミには、「大泉洋は自分をお笑い芸人レベルで面白いと思ってるし、そのファンもお笑い芸人と比較したがる傾向がある。旅番組だとしたら、旅ではない企画が多すぎる。それでも成立するのは、水曜どうでしょうの本質は旅ではなくお笑いにあるからだ。」と答える。
•実際ダウンタウンの番組に大泉洋が出てた時は松本にトークの仕方を揶揄されてた。松本はああいう調子乗りを嫌いなんだと思う。伊集院光も同じく嫌いだと思う。ハマタとは太鼓持ちだから気が合いそう。
•もし見るなら、夜食食べながらとか勉強しながらとかがベストで、集中して見ることには耐えられないレベルのつくり。そういう意味では、ラジオのように声を聞いてるだけで状況を把握できる作りは当時は新しかった。しかしそれは面白さとは別。
•最初と最後のネタが笑い声被せてるだけであまりにもつまらない。おっさんが仮装して変なことしてるだけ。滑っても笑い声が入るぬるま湯。ああいう雰囲気を楽しむものだとしても、やはりつまらなすぎる。吉本の養成学校の入学当初に披露してボコボコにされてトラウマになるレベル。
•タレントにただキツイことさせてれば面白いと思ってるあたりがやはりつまらない。大学生で卒業すべきノリ。
•水曜どうでしょうは、どんなにつまらなくても笑い声を被せれば面白風味になるということを発明した画期的な番組とも言える。吉本や東京の芸人ならば、このクオリティのものは世に出さないから、そこは盲点だったのだと思う。
•そんな水曜どうでしょうを惰性で見続けるファンはやっぱりつまらない。水曜どうでしょうに対するお笑いファンの正しい姿勢は、「うわー昨日夜更かししてたらたまたまやっててさ〜、面白いとは思わないけど人気あるし一応見とかなきゃお笑いファン名乗れないかな〜って思ってさ、まあ見たけどさ、ああ〜これは雰囲気だけだわ〜ロジックないわ〜って思って、まあ勉強しながら耳が寂しい時にはまあナシじゃないかな〜ってぐらいな感じだった〜」ぐらいが正しい。深夜ラジオならケンコバレベル。下の上くらいだ。
•個人的な経験としても、水曜どうでしょう好きは松本の一人ごっつやVISUALBUMはおろか、伊集院の深夜の馬鹿力、爆笑問題カーボーイなども見てない人ばかりだった。多分水曜どうでしょうは面白くない人の面白い番組なのだろう。
•番組がつまらないのにファンが面白い、なんてことはあり得ない。だから水曜どうでしょうファンはつまらない。はいQ.E.D。
『アナと雪の女王』を、「これまでのディズニー映画の範囲を一切出ない、毒にも薬にもならない映画」とかdisってた伊集院光が、同じ番組内で褒めてたものだから、『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』を観てきた。
まあ、クソほども面白くなかった。
そもそも、「親父力、全開!」っていうキャッチコピーをはじめ、宣伝の段階で無理だった。
何で今、親父なの?
散々「日本の親父は実はすごい」みたいなキャンペーンしてきて、まだ背中を押して貰い足りないの?って感じで。
内容も内容。
『アナと雪の女王』と比べて何でこんな下品で、男の子にしかウケないギャグばかりなんだろうと情けなくなった。
伊集院は「日本でしかウケない」っていってたけど、それは日本の男性にしかウケないってことのはず。
それがどれだけ情けないというか後進的というか……「日本の男ってこういうの好きそう」って言うフレーズを冷静に見つめてみたらわかる。
悪口じゃん。
小説とか漫画とか書いて「あー日本の男の子ってこういうの好きそうだよね」って言われたら泣くって。
あと、何か気持ち悪かったかって、まあ、一緒に見に行った父や兄がやっぱり泣いてたこと。
というか、根本的に差がある。
『アナと雪の女王』のあのきれいな雪景色と、尻突き出して倒れたロボとーちゃんにポンプ挿して油補給してる様子。
こうやって並べるともう、何で同じ時期に上映したのかってレベルにさえ見える。
海外の子供は『アナと雪の女王』を見て、日本の子供は『ロボとーちゃん』を見て育つ。
そりゃこれだけ残念な国になるよ。
程度が低い。
太田光の言うとおり「日本がすっかりおかしくなっちゃった」現状があるとしたら、それはみんなで歌う上映会の出現ではもちろんなくて、『アナと雪の女王』が公開されてる横で、一週間とはいえ『ロボとーちゃん』なんかがランキング一位をとってしまう状態が今になっても続いていることだと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.lovepiececlub.com/news/2014/05/01/entry_005132.html
この発言があったラジオ番組、今週放送の「爆笑問題カーボーイ」と「伊集院光の深夜の馬鹿力」はどちらもpodcastを配信しているし、ネット上にいくらでもアップされている。その元の音源も聞かずに、お手軽に炎上させることを目的としたネットニュースを読んでこれだけ批判的な記事を書く事は短絡的だ。もともと持っていた自分の主義主張を周りに撒き散らすためのネタぐらいにしか思っていないのだろう。この記事を読むだけだと、太田光と伊集院光の発言について誤解する部分があると思うので、ラジオを聞いていない人にもわかるように解説したい。
まず、太田光の発言についてだが、太田光はそもそも映画を観ていないし、映画の中身については一言も発言していない。「今すごいヒットしているから」と話題にあがっただけだ。その上で「映画館で皆が一緒になって歌を歌うらしい」という話を聞いてキモイと発言しただけである。「アメリカではそういう文化は昔からあるが、日本には根付かなかった。時代は変わってしまったのか?」とも発言している。「ブサイクが~」のくだりは深夜ラジオではよくあるリア充批判というか、浮かれた世間批判であって女性批判ではない。もしこの映画館で歌う客が、男女半々くらいで、それなのに上の発言をしたならばそれは偏見に満ちた女性批判だと言えるが、実際は圧倒的に女性の方が多いので女性批判とは言えない。性別に関係なく間違ったリア充的な態度を批判しているのである。男が同じことをしていても同じように批判するのが太田光だ。太田光は昔から村上春樹や宮崎駿に対しても「なぜあんなに売れるのかわからない小太りのブサイク」と発言していて、特に女性だから批判しているわけではない。
もちろん、これらの悪口は下品だしラジオの与太話だからって許される話ではないと思う。だがその批判は、フェミニズムや女性差別とは基本的に無関係である。
次に、伊集院光の発言だ。伊集院がこの映画を見たきっかけは、「松たか子の歌と、声優の沙也加の素晴らしさにしか言及しないメディア」と、「1時間のドラマを観てそのストーリーについて2時間も語ってくる」という伊集院の奥さんが、「まったくストーリーについて話さずに歌を口ずさんでいる」ことに興味が沸いたからだ。その上で映画を観て、ストーリーに関しては「悪いところは一切ないが、良いところも一切ない、毒にも薬にもならない映画」と発言している。その後の発言も含めて意訳すると、伊集院は「ディズニーの文法に全てのっとった、そこから一歩もはみ出すことのない映画」と言っているのだ。
この批評が的を射ているかどうかはわからないが、少なくともミソジニーなフェミニズム批判ではなかろう。
つまり、両名とも「女は馬鹿だ」などとは一言も言っていないのである。この批判記事を書いた人は、自分の好きな映画を否定されたことに単純に怒っているだけだ。それなのに自分の単純な怒りを正当化するための武器としてお手軽にフェミニズムを持ち出してきて、まるで自分が全女性の代表であるかのように語るのはいかがなものか。あなたはフェミニストではなく、男性差別主義者だよ。
最高にバカだな。ここまでガックリ来るのも珍しい。
「世間でいう“女性らしさ”に抵抗を感じ、生きづらさを感じている女性」(毎日新聞)を指す言葉ですが、この世の中、男子も普通にこじらせます。
知ってるよバーカ!!
こんなのエヴァンゲリオンブームの頃から散々語られてきたことでしょうが!!
いやいやいや、大槻ケンヂとか伊集院光とか本田透とか、はてな非モテ論壇とかがさ、男性性こじらせて面倒くさいことになる苦しみを散々主張してきたでしょ???
それに対して「童貞だけじゃなく処女もこじらせますよ!」とか「女に生まれりゃみんなハッピーって訳じゃねえよ!ブスは死ぬほど苦しんでるよ!」とか「美人でもコミュ障だとなんやかんやで不幸だし、不幸なままどんどんババアになっていって地獄なんですよ!」っていうアンサーソングが出てきた、それがこじらせ女子ブームなわけじゃん???
ほんと、バカじゃねえの???なんでそんなに「男の方が苦しんでいる、女は男と比べれば楽しているんだ」ってことにしたいの???なんで「現代の男性」が苦しんでいることにしたいわけ?団塊男もバブル男も苦しんでる奴は苦しんでるし、楽してる奴は楽してるよ!「現代の男性」も苦しんでる奴は苦しんでるし、楽してる奴は楽してるよ!ブスも美人もJCもババアも、苦しんでる奴は苦しんでるし、楽してる奴は楽してるよ!
この言い方すごくしっくりくる。
そして、それを周りが「是認」している限り、
そこは、そこ以外のところといくら価値観が異なろうと、
そこで「是」とするものは「是」であり、
そこにいるすべての人がそれを「是」として受け入れていた。
正直のそこがとっても甘美で愛おしくなった。
こんなとこ、世界のどっかにあったっていいじゃないかって思った。
このコピペの人は10年、フルスイングで棒に振って絶望したけど、
私は3,4年で良かった。
マリ姉のファンだったら、
確実に「後者の方」だろう。
私は年数が3,4年ってことで「前者の方」となった、
でも、マリ姉も好きだった。
マリ姉の方が夢を見せてくれた気がする。
「理想の年上のお姉さん」ってああいう人のこというんだと思う。
「これなんだよおお、ホントこれなんだよおおお」とぐだぐだするし。
は、正鵠を射ていないように思う。
「『ゆかりんはおまえらである』という部分を膨らませる(演じる)ことが得だということをはっきりと認識している」
ではないだろうか。
これは、前例がある。
彼は、アイドルを嫁にもらいながら、
うそぶいており、リスナー全員がそれにまんまとだまされた、いや、のっかって楽しんだ。
ちなみに、この頃この手法を「ゆかり姫」は目の当たりにしている。
日記に「伊集院さんのラジオを聞いている」と書かれたはじめがこの頃。
ちなみに、私は今ではエントリーの中に出てきた人達は大好きだ。
結構思う。
でも、本当に現れたら「黒うさぎ」はしばらく聞かないだろうな、って確信はある。
だって、最近で言うと、まあまあ好きだった千和さんが結婚してからこっち、
ツンピリラジオ聞いてないし。
あれは、あれで、もう結婚間近だって作り手側は分かっていながら、
作り手側の面の皮には脱帽だった。
(結婚以降、ツンピリラジオ聞いてないけど、まだ理想の男性像のやつやってんのかな?)
閑話休題。
甘い嘘や甘い夢を見せられなくなったとき、アイドルは僕らの前から去るべきだ。
「田村ゆかり」が僕たちに甘い嘘や夢をまだまだ見せてくれるっていうのならば、