なぜ田村ゆかりは世界一かわいいのかって言ったら、世界一かわいいわけじゃないのに、世界一かわいいアイドルをやっているところが、世界一かわいいんだろうな。
世界一かわいいわけじゃないってことは、周りから言われるまでもなく本人が誰よりもわかっているにもかかわらず、それでもなお世界一かわいいという役柄というか役割というか存在をやり続けることが、冗談抜きで、人によってはそれが田村ゆかりを世界一かわいいたらしめるんだろう。
ロンブーの亮が結婚した淳に対して、結婚が似合わないキャラである田村淳が結婚したということは少しさみしさを感じると共に、田村淳個人のことを優先してくれたようで嬉しかった、って話と一緒の感じはある。弟の子どものことを嬉しそうに話したりする田村ゆかりさんじゅうななさいを見ていると。
でもそれも叶わない気がする。確かに多くのファンは同じように寂しがりつつも祝福はしてくれるだろう。一部はCDを割りポスターを破りわめきちらすかもしれない。でもそいつらは比較的軽症だろう。わめいて騒いで疲れていつしか傷は癒える。問題は寂しがりつつも祝福して、心にポッカリと穴をあけて、というか人生にポッカリと穴をあけたまま、静かに去る連中、あるいは、去らずにそれでもファンを続ける連中の方だろう。後者の方が重傷であり、致命傷である。
國府田マリ子のコピペのように熱心なファンは少なからず人生の一部をファン活動にコミットしている。もちろん、そこから多くを得ただろうが、コミットすることで失ったもの、機会や時間や一般的な生活での経験等がある。そこから他の声優の追っかけをするにしろ、他の趣味に没頭するにしろ、そういったのは大した問題ではない。ポッカリと空いた穴を抱えつつ、結婚したゆかりんの話を聞き、ゆかりんが産んだ子どもの話を聞き、静かにラジオを切る。そんなやつらが生まれることが問題であり、それこそが、そういったゆかりんの結婚が叶わないと思う理由である。
ゆかりんはおまえらである。少しでもラジオを聞いたことがある人はわかるだろう。暗くネガティブでいじめられて人見知りで社会と上手くやっていくのが得意な方ではない。時折はさむ自虐ネタでわかるように世界一かわいいわけでもないし、今現在のこの人気が、ファンやスタッフさんにちやほやされているのは、一時的なものでありいつかは終わり誰も見向きもしてくれなくなることを誰よりもわかっている。そんなゆかりんは、おまえらでありおれらであるゆかりんは、そんなやつらを放っておくことができないんじゃないかと思ってしまう。自身だけが幸せになり、人生にポッカリと穴を空けたまま静かにラジオを切るやつらを放っておくことが。
もちろん勝手な、トンデモな妄想である。あっさりと結婚するかもしれないし、その方がずっといいと思ってはいる。弟ネタが実は彼氏の話で、弟の子どもは隠し子だったらいいなとすら思う。でもこの現状が続く限り、この妄想が現実的に否定されえない限り、心のどこかでは、そんな風に思えてしまう。ゆかりんはおまえらと殉じるのではないだろうかと。この物語が続く限り、田村ゆかりは世界一かわいい存在であり続ける。
なぜ田村ゆかりは世界一かわいいのか?世界一かわいいわけじゃないのに、世界一かわいいアイドルをやっているところが、そしてそんな田村ゆかりを世界一かわいいと思うファンのために、世界一かわいいアイドルでいつづけているところが、田村ゆかりが世界一かわいい所以だろう。
参考
なぜ田村ゆかりは世界一かわいいのかって言ったら、世界一かわいいわけじゃないのに、 世界一かわいいアイドルをやっているところが、世界一かわいいんだろうな。 この言い方す...