はてなキーワード: リンチとは
下っ端「くっそー俺達の本気を見せちゃるぞー」
偉い人「すごい!やれば出来るじゃないか!」
下っ端「ふふん。見なおしてくれましたか?」
偉い人「実はお前たちのやる気を出すための演技だったのさ」
下っ端「そうだったのか……俺たちのために悪役を演じてくれたのか……ポロポロ」
っていう展開大っ嫌いなんだよね。
相手を煽って自分の思う通りに動かそうとした人間のどこに善人扱いされる要素があるわけ?
「お前のためを思って悪い言葉をあえて投げかけてやってるんだぞ」ってそれネットでリンチを繰り返してるキョロチンピラと何も変わらないじゃん。
フィクションでも吐気がするのに現実でもやってくる人が未だにいるのも参るね。
どっちかという自分が同じ目に合ったらヒステリー起こすような奴ほどこういう事実行してくる気がするんだよね。
一部の馬鹿は自分の脳味噌の中だけで起きてる妄想と現実の区別がつかないから他人からおもいっきり顰蹙を買うような行為をドヤ顔でやるって現象ですかね。
203x年。web村から広告が完全に排除されて10年がたった。
2010年代初頭にヘビーなネットユーザから普及し始めた広告ブロックツールは2010年代後半には一般のネットユーザにまで広がり、広告屋/コンテンツ屋は広告ブロックツール作成者に対してあらゆる理由で裁判をおこした。何人かの作成者は言われの無い理由で葬られたりもしたが、そうした動きがインターネット原理主義寄りの開発者たちに火をつけ、広告ブロックツール開発コミュニティを活性化させることとなった。
202x年、ついに広告と広告ブロックツールのイタチごっこに終止符が打たれる。
広告が排除されて最初に姿を消したのは広告媒体となるために生みだされたサイト群だ。
やがて新聞やTV局が供給するニュースサイトがwebの配信を終了し、紙/TVに回帰し始めた。
新聞の発行部数はweb登場の前と同様までとはいかないものの、かなり取り戻している。毎日新聞などは海外版の変態記事まで復活させた。
TVはチャンネル数が倍になった。広告主がTVに回帰したことに加えて、放送法の改正と放送インフラ整備が進んだため、TV局を開始/運営するコストが大幅に下がり、TVスタートアップのIPOが雨後の筍状態だ。ネット上で独自コンテンツを供給していたサイトの多くがここに参入した。
検索結果の操作や、広告に見えないよう工夫された内容の偽装型広告。ECサイトへのリンクを含むブログなど、しばらく残り続けたものもあった。
しかし、それも長くは続かなかった。
民間レベルでの広告排除の動きに同調した各国政府は、広告主のバイアスを検索結果から排除することを義務付けた検索法を相次いで制定し、googleをはじめとする検索サイト型広告媒体はビジネスモデルの転換を余儀なくされた。
各国で監査機関が設置され(日本では検索庁)、定期的な監査が行われている。
このため、現在yahooは定額制でユーザに直接課金している。
googleは数年前に違法な検索結果を表示したために、世界中の監査機関から総額120兆円に上る制裁金を科せられ、あっけなく姿を消した。
検索法に続き、多くの国でEC法が制定され、ECサイトへのリンクが禁じられた。一部の国はECサイトへのリンクを許可し続けたため、それらの国のドメインを経由するドメインロンダリングが多く行われている。それらの国はECヘイブンと呼ばれ問題視されており、蔵相会議などでたびたび議題に上がっている。ジャネット・イエレンFRB議長(90歳)は大国で唯一ECヘイブンとなっている中国を名指しで非難した。
偽装型広告は、広告を嫌うネット民たちの公告狩りを生み出した。いったん広告とみなされればネット民のリンチにさらさらた。中には広告を含まないサイトまで含まれており、現代の魔女狩りとして社会問題となったが、やがて高度に発達した広告検知アルゴリズムによってかなり正確に偽装広告を排除できるようになり、広告狩りは沈静化している。
SNS型広告媒体は多くが直接課金制となった。直接課金制に移行できたのはタイプごと(テキスト/写真/動画など)に上位1-2社であり、多くのSNSサービスが姿を消した。生き残った数社も直接課金移行時の大幅な利用者減のショックから立ち直れず、リストラを繰り返している。
トラフィック解析などを行うネットマーケティングサービスも姿を消した。リクルートはリクルートテクノロジーズを解散し、再びR25を駅で配っている。
広告配信の停止や広告媒体サイトの撤退、SNSの利用者減などによりインターネットのトラフィックが大幅に低下したため、パケットあたりの通信コストは上昇を続けた。これがユーザのネット離れにつながって、新聞やTVでは「若者のネット離れ」として話題となることもあった。
パケットあたりの金額を値上げしても、トラフィック総量はそれを上回る速度で減少しており、通信キャリア業界は一般ユーザ向けネットワーキング事業の縮小を繰り返し、業界再編の波に襲われた。現在日本では"KDDIソフトバンク"社とNTTグループの2勢力に集約されている。
キャリアの事業縮小のあおりを最も受けたのはネットワーク機器業界だ。戦略を誤り、事業売却とリストラを繰り返したシスコシステムズなどは現在サンノゼのガレージで細々とハンドメイドルータを作っており、マニアの間で高額で取引されている。
webサーバ用途のクラウドサービスを中心に、クラウド業界も事業の転換を迫られた。
アマゾンはwebの縮小を見越して早い段階でAWSなどのクラウドサービスを売却して世界を驚かせた。
クラウド向けサーバの需要が減少したため、サーバ業界も再編を繰り返した。日立のサーバ事業を買収したヤマハは「ますます何の会社なのかわからない」と話題になった。
現在、広告収入に頼っていたサイトのほとんどが放置状態となっており、web村は日に日にアクセス可能なサーバが減っている。
悪しき文化遺産として保存運動なども起こったが、コストが高すぎて全てとん挫した。
web村では多くのサーバが廃墟となって朽ちている。しかし、広告を載せた大きなサーバたちが廃墟となったとしても、web村そのものが失われるわけではない。直接課金に移行したサイトや非営利サイトが継続して存在し、新たな(村民に受け入れられる)エコシステムを形成しようとするサイト群が現れるなどして、web村の日常は続いていく。
はてなのサーバが生きていることを祈って「この内容を登録する」。
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少し加筆修正。
思いついた小ネタをつないで30分ぐらいで書けると思ったら3時間もかかったので、読んでくれた人がいてうれしいっす。ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20150910222900
……はどっちがマシなのかは、結構悩ましいな、と最近思ったりする。
正直どっちも同じくらい同調圧力はある。
ただ、その発露と収束先が違うな、というのは最近気づいて、これ自体は面白いと思う。
男性向け界隈だとまぁ、とにかくどこもかしこも何かにつけてアンチと擁護が大暴れしている。
アンチと擁護が殴り合い、力が拮抗していれば延々と本スレでも無関係に見える所でも、場所を選ばず大暴れが起こる。荒らしがガンガン沸いて誰かを晒しては叩く。
じゃあ同調圧力がないのかというと、逆にこいつは叩いてよい、と決まった相手は、リンチで総叩き。いわゆる村八分だ。ピクシブでもニコニコでもあらゆる場所にアンチタグが乱舞して収集がつかなくなる。
一方女性向けはというと、とにもかくにも「住み分けのやり方で」延々学級会している。
住み分けルール自体は一度出来上がると全員で遵守するため、あちこちで殴り合い、荒らし、みたいなのは起きにくいし、一方的リンチ・村八分もほぼない。
愚痴・悪口系統は専用の場所・アカウントで流れる。要は悪口言う場所も、徹底的に住み分けされている。学級会が行われる場所自体も住み分けられている。
つまり嫌な世界は関わりたくなければ避けられる。ただし逆に避けるためのルールだけはきちんと読み込み、それを遵守するのが必須とも言える。
どちらも利点と欠点はある。
男性向けはとてつもない変態神とでも言うべきか、とにかく突出した萌えの極地に立つ人々が表れるのが利点だと思う。
逆に女性向けは、萌えの多様性がかなり確保されているのが利点だと思う。
ピクシブでは、総合を男性向けが、ルーキーを女性向けが取ることが多い。(ただし小説はやや別世界)
男性向け殴り合いのカオスは、ある種の祭りを生み出し、独特の価値観を突き抜けていくように見える。その流れに上手く乗れ、殴り合いの王者に立った者は俗に「良くも悪くも神」扱いされる領域まで昇華されたネタを作り出す。
逆に女性向けの住み分け統治は、ルールさえ守れば主流派以外も保護されるため、多様な物が守られる。結果中年萌え、非処女童貞など、男性向けでは特殊扱いされる分野が、他と遜色なく普通に扱われる土壌がある。
(中年百合が中年ホモに比べて少ないという増田があったけど、あれはそもそも各萌え界隈の特徴そのものに原因があると思う)
この辺の違いは、ひょっとすると普通の社会でも起こりうる顛末なのかもしれないと最近思ってる。
つまり原始的な自由な殴り合いを求めると、カオスの中から神がかった奴が現れ、住み分けルールを徹底すると多様性が担保され守られる。
「痴漢にあっています、助けてください。今京王線急行の調布、明大前間です。拡散希望。#京王線」
ある月曜の朝、通学途中に覗くスマホの中にそんなツイートがリツイートされてきた。なんとなくだが、嫌な予感がした。
「特定しました。犯人は30代らしき短髪のサラリーマンで、えんじ色のマフラーが首元に見えます。気持ち悪い笑いしてる。明大前駅の人、駅員さんに通報して待ち受けてください。号車は5号車です。あと少しだから頑張って!#京王線」
そんな別人のツイートもリツイートされてきた。ああ、これは炎上するなぁ、そう直感した。
これもリツイート。このリツイートを読んだときに、「次は〜、明大前、明大前〜」というアナウンスが流れてきた。間抜けだが、このアナウンスを聞くまで件の京王線に乗っていることに気がつかなかった。
まさか、と思って辺りを見回したら、いたよ、泣きそうな顔をしている女子高生。その後ろでニヤニヤしながらスマホを覗いているえんじ色のマフラーの男。
修羅場遭遇の予感!
そう思ってるうちにもカシャ!というスマホシャッターの音がどこかでした。それを聞いてすぐに京王線タグを見に行ったら、あった。
というツイート。すでに幾らかリツイートされている。これは大変な現場に立ち会っているかもしれないと思ったとき、明大前に着いてドアが開いた。
「駅員さん、こっちです!」気の強そうな美人が手を挙げる。瞬く間に辺りはざわつき、えんじ色のマフラーの男は捕まり、泣きそうだった女子高生はさっきの美人とは違う女性に肩を抱かれて保護された。ちなみに俺は野次馬になることにした。
「痴漢の現行犯ということで、お話をうかがわせてください」そう言って駅員が男を掴むと、彼はぽかんとした顔でこう言った。「痴漢って、僕がですか?」いまいち事態を把握しきれてないらしい。そのぽかんとした顔を見て、俺はこれは冤罪なのではないかと思った。
そのうち、駅員と男が揉め始める。その間に俺は京王線タグを見に行って、びっくりした。すでにえんじ色のマフラーをした男の個人情報が特定され始めている。本名、会社名、あとツイッターのアカウントも。
そして、最初の方で特定しましたと言っていたアカウントは、こう呟いていた。
「痴漢が捕まってよかったです。学校行かないといけないので、立ち去ります。#京王線」
「そうだ、目撃者、僕はやってないんです、見てた方いませんか!?」男もこう声を上げた。俺は思わず声を上げた。「見てました!」そう声を上げてから俺は気付いた。男がスマホを持っていたということに。そして、男の荷物は手提げ鞄だということにも。
「どんな場面を見ましたか?」「僕がやってないこと、見ててくれてましたよね!?」駅員と男が口々に訊いてくる。
「その人は痴漢をやってないと思います。その人がスマホをずっと眺めてたのを見てました。そして鞄も持ってる。両手が塞がってるから痴漢ができるわけがないと思います」
そう俺が言うと、駅員は怪訝そうな顔になり、男はホッとした顔をした。だが、「でも気持ち悪い笑顔してた、ってツイッターにあったぞ!」「写真もあったけどニヤついてたわ!」と、周りの人々がざわつき始める。その空気があまりにも悪くて、俺は気圧された。一旦はホッとしていた男の顔も再び不安げに曇る。
「男性がスマホを持っていたという証拠はありますか?」駅員が俺にそう訊いてくる。あるわけねーだろ、そんなもん!と叫びたかったが、周りの空気がそれを許さない。いつの間にやら俺は、痴漢と同罪のような扱いを受けそうになっていた。このままだとまずい。
そう、勝手に写メられて今ネット中をリツイートされて駆け巡ってるはずのこの男の写真。それになら男がスマホを持っていることが写ってるはずだ!
「ツイッターにアップって、どういうことですか?」男がまた混乱したといった顔をして聞いてくる。俺は彼に答える。
「この件は最初からツイッターで中継されてるんですよ。その中に電車の中でのあなたの写真もあります。一緒に確認しましょう」
駅員は混乱した様子もなく、一緒に俺のスマホを覗き込み始めた。そういえばこの駅員はツイッターでこの件を見た奴に呼ばれてやってきたのだから、少なくとも実況のことは把握してるはずだ。呼んだ奴が誰だかはわからない。この場にまだいるのかどうかも。
俺のスマホを覗き込んでみると、この件は大炎上しているようだった。この場の写真も多数アップされ、俺の名前も特定されていた。背筋が寒くなる。俺もはっきりと男の冤罪を証明しないと逃げられない、そう思った。
そうしてリツイートされまくっている先ほどの写真を探し出した。が、そこでまた俺は絶望した。写真は男の斜め後ろから撮った写真で、手元に持ってたはずのスマホが写ってなかったのだ。ニヤニヤ笑っている男の顔と、えんじ色のマフラーしか写っていなかった。
「どうやら、証明できないようですね」冷たく駅員が言い放つ。「そんな!」男は悲鳴を上げ、周りの野次馬たちはざわつき始める。
「助けてください!見てたんでしょう!?」男が俺にすがりついてきた。「俺だって助けたいです」これは嘘偽りなく本心だった。さっき見た感じだと、すでに事態は俺の身にも飛び火しているのだ。「なにか、スマホを見ていたと証明できるものはありませんか?スマホでどんなページを見ていたのかとかでもいいです」「いろんなウェブページを見て、ブクマしてました…」「それだと時間が出ないから証明にならない…」俺は途方にくれた。
せめてツイッターをしていてくれたら。ツイッターなら細かい時間が出るのに。俺は心底思った。いや、待てよ。
「もしかしてそのブクマ、ツイッターと連携してますか!?」俺は男の肩を掴んで尋ねる。びっくりした様子の男だったが、徐々に理解の色が広がった。「…!してます、してます!」
「今度はなんなんですか?もう警察が到着しますよ?」そう言う駅員に、俺たちは答えた。「今度こそスマホを使っていたことを証明できるかもしれないんです!」
早速、男のスマホを開いてツイッターアプリを呼び出す。男のツイッターは通知がひどいことになっていた。ちらっとだけ見たが、「死ね」だの「人間のクズ」だの、罵声のオンパレードだった。しかし、それらは無視して男のツイートを呼び出す。そうしたら、あった。ちょうど電車に乗っている時間のブクマツイートが。
「これで証明にならないでしょうか?駅員さんだから、この時間俺たちが乗っていた電車が走っていたことはわかるでしょう?その時間にこのツイートはされているんです。スマホを使っていた証拠です」「面白い申し開きですね。これ以上は署で聞きましょう」突然声が割り込んできた。警察だった。
警察に行ってからがまた長かったが、結論からすると、男は逮捕されずに済んだ。被害者の女性がいつの間にか現場からいなくなっていたからだ。その理由はわからない、とは言わない。家に帰ってから彼女のアカウントを見てみると、鍵付きになっていた。俺が駅で見ていた時点でも、彼女のアカウントには大量のメンションが飛んでいた。それを見てきっと怖くなったのだろう。いろいろと。
この件はトゥギャッターでもまとめられていた。そして幸い、このまとめは男が冤罪であること、俺が善意の第3者であることがわかるようにまとめられていた。そして、真犯人が捕まることを祈るというように〆られていた。
特定しました、と言った後に立ち去った学生のアカウントは、最初は冤罪ではないことを主張していたが、関連ツイートを削除し鍵付きアカウントに移行した。写真を撮って晒した奴は、学生のツイートが悪いと開き直りを見せた後、「めんどくせ」と言い残して鍵付きになった。
男のアカウントは削除されていた。これはもう、仕方がないとしか言いようがない。冤罪だということがネットでも認められつつある今でも、流れ出した彼の個人情報は消えることはない。
俺の個人情報もまた同様だった。男と同じほど拡散されてはいないが、血気にはやった第3者の情報提供がされている。そして同時に、メンションもたくさん届いていた。うまく逃げたな、的なものもあったが、そのほとんどが俺の勇気をたたえるとか、そんな感じのものだった。
俺は、この件について考えあぐねていた。俺が男を助けたのは多分事実だ。今でも十二分にひどい状態だが、俺が出なければもっとひどいことになっていただろう。けれども、俺自身はそれで自分を讃える気にはならない。あのときは思わず声が出ただけで、男を助けようというはっきりした勇気を持っていたわけではない。最後まで頑張ったのは、ネットリンチが怖かったからという理由だ。
ただ、嫌な時代になったな、とは痛感した。今回俺たちの個人情報を晒したりリツイートした奴らの多くは、何も責任らしきものを取っていない。何もなかったかのように今でもツイートしている。俺たちは、彼らに復讐したくとも彼らの顔もわからない。
俺のアカウントは結局どうするのか?それをよくよく考えたが、結局残すことにした。ネットリンチが怖くてがんばり、幸い最後には冤罪が証明できたのだから、ここでアカウントを消してはいけない。リンチされるのが怖いだけではなく、それに屈することになるのは嫌だ。俺を叩いた奴らが何も考えずのうのうとしているのに、自分は思いつめて日常の一部を手放してしまうなんて馬鹿馬鹿しい。
小学校教諭の佐野先生が、教員免許を偽造して就職したことがばれてしまったとします。たまたまそれがバレてちょっと問題になって、そのうち他にも学歴詐称など何件も嘘をついていた事実が見つかって関係者の知ることになり、関係者(ベルギー人)から批判が始まったとします。そのうちそれがネットに取り上げられ社会全体に広まって、某匿名サイトで批判や誹謗中傷を言われてる状況を想像してください。そこにさらに拍車をかけてテレビまで彼への批判に加担している状況、この関係者(ベルギー人)やネット・テレビの対応は今回の五輪ロゴ問題と同じです。増田(この元記事を書いたあなたのこと)のやるべきことは行き過ぎた誹謗中傷を止めること、なぜカンニングが起きたのかの検証、そして再発防止のための対策を考える、その他いろいろありますよね。それなのに、勝手に画像等を盗用された被害者に同情することなく、自らのゆるい著作権意識を自戒することなく、イジメだリンチだとブーブー文句を言うあなたや業界人っておかしくないですか?
私の意見はこうです。本来なら画像盗用などの検証は業界の人間が、業界の健全化・正常化を願って自発的にするべきであり、結局それをしない苛立ちからネットの検証が盛り上がったのだと思います。分りやすく言えば、仮に日本の何処かで殺人事件が起きて、警察が捜査をしなければ、地域住民が自警団を作りますよ。そして勝手に犯人と思しき人を見つけて、私刑にすると思います。良くないことですが、本来責任を果たさない立場の人たちが何もしないことが、そもそも原因だと思います。
誰かが刺激され、現代の若年層における現実の味気なさや不安に対抗するためのよりどころの特徴について考察してくれたら嬉しい
結局、誰もがレールをしかれて機械みたいに生産され続けてると、生きている意味を見失うんだろうな
結局、そういう実存とか生の感覚とかリアルさとかを浮き彫りにするための道具なんだろうな
酒やドラッグやセックス、喧嘩やリンチ暴力やいじめ、犯罪や虐待や戦争や人類の危機などなど
全部が全部、真剣に向き合わざるを得ないような事ばかりで
だからこそ人の目を惹くんだろうが
80年代の砂のような時代からは、どの漫画も希薄な現実を打ち消すような作品が多かった気がする
いわゆるヤンキー的な文化がもてはやされたし、現実でもそういうのが多かった
現実の味気なさに耐えきれない若年層のよりどころとして存在していたんだろうと思う
現実にそれを求めた時にヤンキーになり、作品に求めた時にサブカルチャーになるだけで
00年代ではそれがエヴァや最終兵器彼女のようなセカイ系に取って代わられたわけで
10年代はどういうものが現実の空虚さに耐えるためのよりどころとして存在してるんだろうか
全体的には、おそらく00年代を通過した事で「外出すること」が少なくなった気がする
他者とのつながりに、救いを求めるような傾向が減ってきている感覚がある
行動化をしない代わりに、より鬱屈とした集団が出来上がっている
もしかすると、その源流にある薄ら暗さはオウムであるかもしれないし、酒鬼薔薇かもしれない
原型としては、意外と村上春樹なのかも知れないが
ひたすら自己に潜っていくという意味では、村上作品を聖典とする世代が今の若年層のメインなのかもしれない
そういう意味で、いわゆる00年代から萌芽した新ジャンルスレやSSスレが読み解くカギなのかもしれない
また、小説家になろうなどの小説コミュニティもその一端を握るだろうし
ニコニコ動画でのストーリー付き楽曲についても、影響力があるのかも知れない
それらに共通するテーマこそが、今の若年層のよりどころとなっているのだろう
一部叩いてるid(しかもあんなリンチとは一緒にすんなとか喋ってる系)が時代遅れのデザインだとか、ダサいとか、
でざいんそのものを腐す方向にも容赦ないんだけど、
東京五輪エンブレムの使用中止に、ネット炎上の影響が「無かった」とは言えないと思う。
もちろんこの「思う」は、関係者に取材をあてて話を聞いたわけではないし、感想レベルだ。
でも、まあそうかな。そうだろう?当たり前だろ!というネットの個々人の反応は予想がつく。
何の証明も無く、何の責任も負わず、ただの「感情」のうねりが、エンブレムを使用中止に追いやったのじゃなかろうか。
そうした“リアルの与論”に近い性質を帯びるようになった“ネット世論”が、警察や裁判所や第三者機関を介するでもなく、リツイートやシェアやまとめサイトを経由して増幅し、テレビや週刊誌を先回りするかたちで問題を暴き、批判し、蹂躙していく――その風景が、私にはとても恐ろしく感じられた。
(与論はたぶん世論の誤字なんだろうけど、何箇所も有るし俺の知らない用法なのか……?まあ良いや)
シロクマセンセイの「メシウマしたい個人が大挙して押し寄せて、それが世論になるの怖え」というのは、感覚として判る。
ただ、ネット→マスコミ→世論、という、ワイドショーロンダリングによるお茶の間意思形成に一役買ったのじゃないかとは、思う。
その意味で、ギリギリ一歩踏みとどまって、既存のメディアスクラムというか、メディアリンチまでで済んでいる。
勿論この社会的制裁ってやつだってどうかとは思うが、「捏造確定」のような報道は、少なくともしていない。
まあ老獪とか言うのかもしれないが、流石に法務があるようなところで、無茶はしなかろう。
例えば、シロクマセンセイへのブコメにこんなものがあって、スターを集めてる。
augsUK 盗用や捏造の指摘を「叩き」と言ったり「暗い情念」と表現するのは、単純にその人の倫理観がねじ曲がってんのかなとは思う。そもそも「ネット」が一つの人格で動いているような表現がとても気持ち悪いけど。
ブコメ中で「盗用や捏造」と言っているが、何のことだろうか。立証されただろうか。それasgsUKさん個人が、責任取れるだろうか?
捏造していないと裁判の末に証明されて、名誉棄損で訴えられて、30万くらい払う覚悟でブコメ、してないよね?(してたらゴメンネ)
法治国家における倫理観としては、「疑わしきは罰せず」で、容疑者を犯罪者として扱わないことなのかな、と思う。
で、たぶんこの流れを読んでギョッとしたんじゃないかな。
え、いきなり個別のブコメを取り上げてナンカ言うのかよ、みたいな。
そう思ったのであれば、それは「「ネット」が一つの人格で動いている」となんとなく思っているからだ。多分そうだと思う。
当然、それぞれのネット上の発言は、それぞれ別の人格で、それぞれ別々に各発言に意思と責任があるんだけど、そう思ってないんじゃないかな。
だから、言葉が「軽い」し、覚悟がない。まあそんなもんだとは思うけど。
例えば、ザハ・ハディドの個人攻撃あったよね、ちょっと後味悪かったよね、みたいな記事に、こんなブコメがあってスターを集めてる。
Matsuriame そうかなぁ。競技場に関しては「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし、「ザハのせい」にしたがって、建築家だけに責任を押し付けて降ろしたのはむしろ発注者の人達だったけど。
まあ、「そうかなぁ」って書いときゃ免責みたいな空気感、あるよね?
xevra ザハの物を本当に作ろうとするのはクレイジー。ザハは模型を見て楽しむ物であって実際に作ろうとしちゃダメだ。デザインは素晴らしいからコンペは通過しちゃうが実現性無視してるから到底作れない。
はてブで1000超えってワリと珍しいんだけど、xevraさんの他にも「金かかるのデザイナー(ザハ)のせいなのね」というブコメの大合唱ですね。
他にも記録はイッパイあるけど、Matsuriameさんは、ググったり、ブコメを振り返ったりしない人なのかもしれない。(スターつけてるヒトもね)
そういう自分の発言がホントかどうかの責任を意識しないし、取るつもりもないのは、まあ放言じゃないかなぁ。(無責任話法)
勿論ここでは、「そうかなぁ」って書いてて、強く「いや違う!」とはコメントしてない。
感想だし違ってたらゴメーンネってすれば、別に良いじゃんブコメだし、みたいな空気感、あるよね?
「「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし」って、嘘ついても、いや嘘じゃないよ感想だしそういう言い方はヒドイ、とか思うのではないかな。
見境なく社会的制裁を振るう現状は、褒められたものではない。昔だったら居酒屋談義で終わってしまったはずのネガティブな情緒が、インターネットを介してこんなに繋がり、こんなに盛り上がり、こんな風に“世論”に直結して構わないものだろうか?
「構わないものだろうか?」というか、法治国家ならシステム外のプロセスも経ていない圧力でひっくり返るのはマズイと思うよ。
とはいえ、感情や情緒は大切にしましょうというのは、日本のシステムにはプロセス中に組み込まれているし、拡大傾向にある。
amakanata 今回のシロクマさんの見方はちょっと違うんじゃないかなぁ。世界的な賞を許可を得ずに素材を使ったデザインでごまかし続けた人間の作ったものを神輿にしたくない、という庶民の感情の健全な発露でしょ。
「ごまかし続けた人間の作ったものを神輿にしたくない」という「ネガティブな情緒」で、「庶民の感情の健全な発露」として「“世論”に直結」。
シロクマセンセイの見立てとそう言ってること違うようには思わないけども、amakanataさんの感覚は、ざっと見ブコメの5割くらいの感覚には近いように思う。
(本人の属性で作品の価値が上下するのは日本では良くある話だし、事業に関わる人の身ぎれいさを要求するのは日本だけじゃないしね)
amakanataさんは「ごまかし続けた」という具体例とかそれが真実ごまかしたのかを立証する責任があるとは思ってないだろうし、まあ実質ないんじゃないかな。
ちょっとブコメするのと同じ気軽さで簡単クリックで1万人自動訴訟できる世の中になったら、またちょっと違うんだろうけど、その非対称性の話はまた別の機会に。
ただ、「ホントだったらヒドイ(=嘘でも責任は俺にはない)」みたいなデマ一直線の発言も、居酒屋談義や床屋政談ならアリだと思うし、そこを気にするのは健全ではない気もする。
監視社会じゃねえのにそんな発言まで責任持ってしなきゃいけねえの?みたいな。いやほんとは責任もってしなきゃいけないんだけど。
信頼出来ない上司の業務命令には疑いの目を向ける、ではないけれども、本質的なところに不信感があるのではないか。
つまり、知性主義というエリートのやることに、なんか違うのではないか、どうも信頼出来ない信用出来ないとの思いがあるのではないか。
それが、判りやすい形で出た今回のエンブレム炎上騒ぎで、「普通の市民の道徳的な感覚として、まっとうな結果」と思う人が多いのであれば、
それは「メシウマ」が(ホフスタッターの言う本来の意味での)「反知性主義」として機能し始めたということなんじゃないかな、と思う。
エリートの言うことは信頼出来ないから、市民団体が監視をします、では無く。
一人ひとりの小さな放言や、調査結果や、情緒からくる感覚や感想が、まとめサイトに束ねられてマスコミがすくい上げて拡大する。
そこには警察の捜査も、弁護士や検察官の立証も無く、過去の蓄積からの裁判所の判断もなく、法律もルールも無縁の所で、
そうだろう、そうに違いない、絶対そうだという、責任のない感情的な判断が積み重なることで、「事実」になる。
それはある人から見れば「暗い情念」だし、ある人にすれば「常識的な市民感覚」だろう。
動機が行為を正当化するとも免責するとも思わないけど、そういうものかもしれない。
クリックで参加できる人民裁判だし、結果死人も結構出てるけど、改まらないしね。
(この増田も、5人から訴えられる可能性あるしなあ。たぶんダイジョブだと思うけど。裁判面倒だよなあ)
「反知性主義」判り難いという指摘を直接受けてまあそうかなとおもったので追記。
「知性主義」は、「専門家主義」と置き換えてもらうのが、一番ホフスタッターのニュアンス近いと思う。
「反知性主義」は、「反専門家主義」となって、つまり「専門家の判断ではなく、むしろ専門家ではなく専門的な知識がないからこそ、正しい判断が下せる」という主義とか態度のことね。
模倣の判断や、建築実現性、刑事民事の責任まで、デザイナーや建築士や弁護士でない、知識を持たないヒトが正しい判断をくだせていると考える(またそれを支持する人がいる)というのは反専門家主義(反知性主義)が受け入れられる土壌が育ってきているのではないか、という話。
専門家でない人達の声で(途中に週刊誌や新聞の専門部署を経ずに)、専門的な判断が覆る怖さについての話なのかなと思っている。
まあ、医療や災害に関しては、ネットでもまだ反専門家主義者が批判されるのを見ると、専門家たちが丁寧に説明することが重要なのかな、と思う。
(とはいえ、教育関係のひっくり返らなさを観ていると、今回の炎上は個別事案であって、脇が甘かったからこそってことなのかも知れないけど。ぬ、訴えられる可能性が上がった気がする。熱狂的な個人は手打ちが面倒だからボカスぞ)