はてなキーワード: モチとは
小学生のころ、子供会かなにかの行事で、近所にある通称「400年窯」っていう場所(地元は陶芸が盛んで窯がたくさんあった)で祭りみたいなのがあったんだよ
冬場で、けっこう人が集まってんだけど、これと言ってスペクタクルはなく、なんとなくウロウロしつつ遠くから聞こえるマイク越しの声を聞く、そんな感じのゆるい祭り
で、なんか分かんねえけどぜんざい配ってたんだよな ポリ容器に入った小さめのポーションでさ
俺は当時わりとアンコ嫌いで、受け取ったときはウゲッとすら思ったんだけど、寒い中口をつけてみるとバツグンにうまかったんだよな
あったかいし甘さが染みるしモチの食感は快いし、会場の片隅に立って田舎には珍しい人混みを見つつぜんざいを啜るのは本当に良い体験だった
たぶんぜんざいそのものが特に良いものだったってことはなく、ふつう程度だったとは思うんだけど、それにしてもうまかった
ありゃ何だったんだろうなあ 祭りが大事なのか野外であることが大事なのか
どっちもかなあ それとも子供時代特有の何かが作用してたのかな
餃子を包むのが面倒だ。
50個くらいあっという間に食べ終わってしまう。
その前に50個なんて一度には焼けないから、焼いてフライパンを洗ってまた焼いてフライパンを洗ってもう一回焼かないといけない。
更にその前にキャベツやニラや生姜をみじん切りして挽肉と捏ねて皮に包むわけだが、一個20秒で包むとして17分弱、一個30秒なら25分かかる。
ので、包まない餃子。
フライパンに肉ダネを敷き詰め、その上に餃子の皮を隙間なく並べる。その上にまた肉ダネを押し広げ、皮を。そうやって皮は3層に、肉ダネは4層にして一番上が肉になるようにする。
フライパンを火にかけ、蓋をしてまず強火、1分半ほどしたら50CCの水を入れて、弱〜中火にして10分焼く。
皮を一番上に並べると、焼き上がりに巨大餃子感が出て良いのだが、水を入れるために皮がふやけてしまい食感がフニャフニャしてよろしくない。かといって水を入れないと、水分が足りずに皮がカピカピして粉っぽく、やはりよろしくない。ちょうどいい水の量を試行錯誤するよりは皮を埋めてしまった方が解決が簡単なので、肉ダネを一番上にしている。なおこの場合も水は入れないと、皮が今ひとつモチモチしないので水50CCは入れた方がよい。
焼き上がる頃には挽肉から出た脂で割とギトギトになっている。フライパンの底に肉ダネが焦げついているが、しばらく放置すれば比較的焦げごと剥がれやすくなる。あくまでも比較的であって、スルリとキレイに剥がれるわけではない。テフロン加工のフライパンならスルリと剥がれるかもしれないが、うちのフライパンはテフロン加工ではないのでわからない。
フライパンの大きさにもよるが一人あたり1/8ほどをヘラで切りながら皿に載せる。ピザのような細い扇型のままでは食べにくいので、4、5切れに切る。気にしなければ切らなくてもいい。
酢と醤油とごま油とラー油を適当に混ぜたタレをかけて、いただきます。
一回で材料全部焼けるのでらくちんらくちん。
衝動的に手持ちの物を売り払う癖がある。
両親共働きで鍵っ子、家に誰もいない中私の遊び相手になってくれたのはゲームだった。
スイミングクラブの上級試験に受かったご褒美に買ってもらったマゼンタのゲームボーイカラーと、ポケットモンスター銀。
近所の金持ちにいちゃんが貸してくれたゲーム機が自分の家にあって、しかも自分の持ち物になるなんて!箱から出したてピカピカのランドセルを背負った時と同じくらい嬉しかったものだ。
それから「いつかは卒業するだろう」と思いつつ中学ではファイアーエムブレムやMOTHER1+2に出会い、高校では星のカービィUSDXのタイムアタックに熱を上げ、大学でポケモンXYに出戻りし……
現在も私はswitchとスマホを握り締めてゲームと向き合っている。
むしろアダルトゲームができるようになると名作ADVを男女BLの境なくやりまくったし、今はSteamやらDLsiteでプロ・アマチュアの垣根なく無限に面白いゲームを購入することができるのだ。
幼い頃のように没頭できる時間はなくなったけれど、購入本数は増えたと思う。
しかし、先述した通り私には売却癖?がある。
高校の時だ。私は手持ちのゲームをポケモン銀とプラチナを残しすべて売ってしまった。
きっかけは正直思い出せない。ただ、私の高校生活はお世辞にも楽しいものとは言い難い。
友人とは一度も同じクラスになれないのに、とんでもない女(教師にカマキリをくっつけておおはしゃぎする等)とは二年同クラスな上修学旅行の班も同じ。
本命に落ちて来た学校だったので授業のモチベも終わっていて、ついでに入学時両親が離婚した。
そしてゲームをすることもやめた。親が禁じた訳でもなく、ほかに趣味がある訳でもない。受験勉強に打ち込むでもなく、高校生活を惰性で消費していった。
そして大学、私はふとゲームをやりたいという感覚に襲われた。高校から抜け出したことでメンタルに余裕ができたのだろう。
衝動的におもちゃ箱(というかゲーム箱だが)を漁って手にしたのは、折りたたみ式のゲームボーイアドバンスSP。早速何かやろうとカセットを入れていた巾着をひっくり返した。出てきたのは、ポケットモンスター銀。それだけ。
そこからはもう怒涛だった。
「お母さん!ポケモンの古いゲーム捨てた!?」「アンタが売って良いっていったんでしょ!?」とかいう迷惑極まりないやりとりをして私は中古屋に走り、探していたものを見つけた。
ポケットモンスターサファイア、不思議のダンジョン青の救助隊、闇の探検隊、ポケモンコロシアム、ポケモンチャンネル………それからカービィ鏡の大迷宮にUSDX、MOTHER1+2、トマトアドベンチャー。ここに書ききれないくらいの私の思い出は、そこにあった。
けれど悲しいかな、大1でバイトもろくに始めていない私には全てを買い戻すことはできなかった。いつか絶対買い戻そう、そう胸に誓って500円箱なしのトマトアドベンチャーだけを手に私は店を出た。
帰ってきてすぐ、私はポケットモンスタープラチナを起動した。本当はサファイアをやりたかったのだが、私が手元に残しデータが飛んでいないソフトはそれだけだった。
すごく、面白かった。何をして良いのかわからず各街に飛んで聞くBGMも、適当に組んだパーティでレベル80代のライバルにボコボコにされたことも。
あの時得た端金で買った名前も知らないスナック菓子にかえていいものじゃなかった。何年越し、何十回目の殿堂入りを果たした時、私は泣いた。
人生初のアルバイトは苦痛の方が多かったが、おかげでソフトのほとんどは一年以内に買い集めることができた。FE系のソフトと一部のハードが大学生の懐には痛かったけど、ようやく自分を取り戻せたような気がした。
……自分を取り戻せたような気がした?
ここに来て私はゲームに相当な依存心を持っていることに気がついたのだった。
職場でゲーム趣味について弄られると「まあゲームに育てられたようなもんなんで!w」と冗談で返したことはあったが、どうやら真実(マジ)らしい。
というのはよくある話だけど
30代でもうそこまで来ると思わなかった
もうBAD ENDということで電源落としたいんです
それでいいじゃないですか
でもそれも許されないみたいなんです
____
詳しく
単純に趣味が楽しくなくなったのが大きいと思う
前から言われてるけど、30代以上の男性が楽しいように世の中はできていない
仕事人間だけど、ある種の到達点まで一旦来てしまった、この次は社長になるしかない、そのモチベがわかない
旅行や飯には元々興味がない、興味があるふりをしてるけど本当は無い
体作りや人脈づくり、これも同じ
ゴミクズ人間なので友人もできない、作ろうとする気力もわかない
それでもネット徘徊したりゲームしたり楽しく生きてる人も居るんだけど、何か辛いことがあった瞬間に本性が出てしまう
何もないことに気づく
次に何をしたら良いかもうわからず、最近は誰かに言われるがまま生きている
その人もやがて消えるだろう
辞めてぇよ
今はまだお盆休みあるからモチベ保てるけど、終わったら何を楽しみに仕事しろってんだよ
はやくベーシックインカム導入されて週休三日になんねえかな
それか宝くじ当たんねえかな
買わなきゃ当たらねえからな
○ご飯
朝:なし。昼:素麺。納豆。夜:冷しゃぶとレタスとネギと大根おろし。間食:じゃがりこ。歌舞伎揚。(同じ食事を繰り返すのが好きなの)
○調子
○グラブル
まずはサイドのガチャチケ回収ずいぶんサボってたのでたんまり入手。
次に、マグナ石5凸に向けて六龍の準備。
まずは土のガレオンのソロの方。スロウ、ディスペル、マウント、リスキャの短いデバフが大事みたいなので
ウォロジータ 、アンチラ、ティアマト、研究の成果さんの杖パで攻略。
V2の仕組みがわかって無くて事故ること数回、無事クリアできた。これは装備よりもキャラが大事だなあ。奥義ディスペルと消去不可デバフとベホマズンのアンチラ、回復とスロウとマウントのティアマト、研究の成果とスロウとディスペルのユリウスと、高難易度適性が凄まじくとても安定してプレイできた次に水のクラゲさんに挑戦。ランバージャックジータ、マキラ、水着ヴィーラ、浴衣ジェシカの回復マシマシパで攻略。
ジータのゼノウォフ琴奥義、マキラのポーション、水着ヴィーラの2アビ、回復いっぱい持ちの浴衣ジェシカと全員回復持ちなのに加えて土はゴブロ刀と両面マグナ石でHPが伸びるのでとても安定してクリアできた。限定たくさん入れてるだけあってここもキャラパワーかしら。
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僕は高校3年生(男)だ。
今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的な勉強をほとんどしていない。
代わりに、大量のネット上の記事とブログと無料の音楽と漫画とヤフコメとはてなブックマークと増田を摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分と関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。
僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大の理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在の体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。
起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーでChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分とネットを見る以外に何もしたくない自分が綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態。現実からの逃避。
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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京の男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。
それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生が大学受験を意識する様子が目立ってきた。
高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキストを自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。
ここら辺から、勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範に齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃんと勉強していた。
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そうしているうちにコロナが流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか。
学校が休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。
しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強のストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。
日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。
学校がGoogle Classroomを使い始め、zoom配信や動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。
ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。
更に、zoomやGoogleClassroomを使うためにパソコンやスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合、ネットを開きはてブや増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。
こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。
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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強をブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みとはてブと増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強をサボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。
この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。
最初は勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。
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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。
確かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。
しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しい日であると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。
登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。
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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。
友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初は順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。
7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホでブログやら何やらを見てしまった。
当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日はだるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。
・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。
罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。
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そこからの堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強の約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。
▼学校の課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる
▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる
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こうやって家に籠って自堕落な生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分の思考や言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。
「今日はだらけていてもしょうがないが、明日からは毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・だから、今スマホを見てもいいんだよ」
みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。
言うまでもなくこれは未来に責任を押し付けて現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。
僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃんと勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。
あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月にアンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DSは今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~
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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神はもっと健全で勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。
他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年生まれ元司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます。
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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分の気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづつ
やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメもトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。
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経済死が多発するって言うけどさ、コロナの影響で経済的に命を断った人って何人いるんだろう?
モチガーとか、インフルエンザガーとか言って経済殺すな派は経済死の少ない現状をどうお考えなのかな
エグい熱量のオタクが本買うために世界各地から集まり、サークルはその日の為に仕事や日常の合間に狂いながら本を作り、スタッフはエナドリガンギメで人波を捌き、裏では全国の印刷所から早駆けしてきた搬入トラックが新刊満載して列をなすあの世界が好きなんだよな あれは通販で代替できないんだよな
https://twitter.com/abu0705/status/1289895866220679169?s=19
あとは印刷所の生死と通販売上減や締め切り消滅なんかでモチベ死んでる創作者の問題かね。後者はそのうち解決しそうな気もするけど。
○ご飯
朝:なし。昼:パン。夜:おにぎり、納豆、大根と人参とタマゴとカニカマの味噌スープ。間食:葛餅。
○調子
むきゅーはややー。仕事はそれなりー。
散歩しゅきしゅき……
散歩がしゅきすぎて散歩しかできてないけど、散歩は気持ちいいからちかたないね。
○ポケマス
大型アップデートが来てたので色々してた。
スタミナ制は僕みたいな薄薄超ライト勢には程良くてむしろモチベが上がった。
手持ちの全開放ぐらいはちまちま遊ぼうかしら。
id:bearcubです。一介のブクマカにお返事ありがとうございます。
ブクマコメントでは文字数が足りないのでここに書かせていただきます。
私のコメント、怒りに任せて書いたひどいものでしたがあえて再掲します。
この自称「やさしい」学者の方も数百人の「米国在住の『黒人』」と個人的に交流を持ってみたらいいかもね。他人がまるで自分のゼミの学生のように格下だと思ってふるまう学者ってたまにいるよね。
先生は「交流を持っても意見は変わらないと思います」とのことですが、まったく同意です。
私は先生の書いた文章に対して、違う位置から違う方向へ反応してしまいました。
自分は十代の頃、米軍基地で『黒人』の友人と二人で歩いていた時に、複数の『白人』の同世代の少年達に囲まれて脅されたことがあります。
その時に(リンチされかねない状況だったので)恐怖感で彼らに反撃などできるわけもなく、なんとか大事に至らず背中から暴言を受けながらも脱出し、その後友人と一緒にずっと悔しい思いをしながら無言で歩きました。(しかもこの時友人が「これはもう(暴力で)やるしかない」と私にささやいたものの、当時日本の刑法の適用対象年齢に達したばかりの私は、「そ、それはだめだよぅ~~」と怖気づいてしまって逃げるしかなかったのです。)
今回のジョージ・フロイドさんの動画を見て、真っ先に思ったのは、かつての友人の事です。
友人は今頃どうしているだろうか。少なくともこの動画を見て怒るか、あるいは恐怖を感じているのではなかろうかと。
浅沼さんの記事に共感を感じたのも、「まあ、親しい人に『黒人』がいたら、こう考えるよね」というものでした。
一方、先生の記事の表現に反感を感じたのは、「ああ、なんであの怖い状況を、こういうある種反感を呼び起こす表現で議論するかな」というもどかしさでした。
私の反応は議論とか意見とかではなく、あくまでも個人的な体験に基づく感情的なものです。
そういう意味で、先生の学者としてのものの見方は、これまでの文書の蓄積で解釈・検証できるということや、学会での多数の議論に耐えられるということで成り立つものでしょうから、私やその他多くの方の個人的な体験に影響を受けるべきではないのだろうと思いますし、そうであるからこそ価値があるのだろうと思います。
ということで、要は私の反応は立場も方向性もすれ違ったものであり、意見や「論」を示唆するものでもないということです。
先生はいくつかの論点を提供した、自分は枝葉の表現に感情的にかみついたという状況です。
ここから以下は自分の(特にあまり多くの勉強・調査にも裏打ちされていない)意見です。なんなら「なんとなくそう感じている」レベルのものです。
『黒人』『白人』さらには『黄色人種』のような言葉で世界を切り取ること、その切り取り方(と、それで生み出される構造的差別や差別感情)を一層強めようとすることは自分も反対です。
しかし、これは差別に立ち向かう二つある方法のうちの一つだと思います。(これは自分があるマイノリティに属しているため日々痛感している個人的な考えです。)
一つは、先生のいうような「ものの見方を変える」。それにより根本的に構造的差別や差別感情を解消することになると思います。これは哲学的戦いだと思います。
もう一つは、まず差別によって生じている「実害をなくす」。それにより差別感情は残るものの、ひとまず当事者の安全は確保されます。これは法の整備や、嫌な言葉で言えばいわゆる「ポリコレ」での強制だと思います。
私は『黒人』ではありませんので、あくまで自分のマイノリティの属性の立場からの連想でしか考えることができませんが、BLM運動は後者の色合いが濃い状況で始まったと思います。(ここらへんは本当に素人考えなので、先生的にはツッコミどころもいろいろあろうかと思います。)
当事者としては両方が進んでほしいです、是が非でも。
しかし、ジョージフロイドさんの動画を見せられたりしたら、どうしても後者の「実害をなくす」を優先したくなると思います。
しかも感情的にもなると思うし、浅はかな論を展開してしまうかもしれません。だって明日この差別によって自分や友人が死ぬかもしれないんだから。
その時に学者の方々には浅はかな点はぜひ指摘してほしいし、暴走を止めてほしいし、前者の構造的差別や差別感情の解消への道を見つけてほしいと思っています。(学者の影響力は素晴らしいというのは4月にコロナ封じで西浦先生を見て改めて思いました。)
そういう意味で今回、先生にあの記事を公開してもらって本当に感謝しています。
『黒人』でも『白人』でもない多くの人にとってBLMをきっかけに考えるべきことの多い良記事だと思います。
特に今まで何の気なしに黒人/白人/黄色人種と世界を区分していた人に(枝葉の表現にとらわれず)ぜひ読んでほしいし、黒人というものがあるという前提で話しを進めがちなマスメディアにも目を通してもらって、できれば今後注意して用語を使ってもらいたいし、西洋中心主義とこれまたなぜか西洋で発展した脱・西洋中心主義から漏れて何かもどかしい感じがしている国に住んでいる自分にとっても良い論点を提示していただきました。(例えば、華人/マレー人を「人種」ととらえる社会があるというのは自分も知らない事実でした。知るべき事が多いことに驚くばかりです。)
今後もこのはてなから茶々を入れるとは思いますが、実は記事を期待しているはてなーも(私のように)多いと思います。暖かく見守っていただければ幸いです。
コメント後半の嫌味「格下だと思って振舞う」(←ひどいですね)これはすいません、冗談にステレオタイプてんこ盛りの中傷で返してしまいました。
大学でデザインやってるんだけど、オンライン授業だからか講評とかが全体じゃなくて選抜メンバーのみって形式になったんだけど選ばれる人達、よく考えたら固定だなーと思ったら心折れた
デザインが良いのはもちろんだけど、そもそも全体通して表彰されるような成績優秀者ばかりなんだよね その人達は成績優秀者が優遇される抽選の授業も当たり前に選択できてる(自分は落ちた)
オンラインになる前は選ばれなくても自分のデザインが1番良いし!ってモチベ保ててたけど、ここに来て 選ばれない=全体に見てもらえない だからマジで心折れた
まあ選ばれない理由(どこがダメ、足りないのか)も分かってるし、オンラインを言い訳になってしまうけど課題溜め込みすぎて忙しさを理由にギリギリで提出したりしてたし
こんな底辺じゃこれから就活だけど内定も決まらなさそうだしもうやだ でも頭が悪いからこの道以外に進みたくない...ていうか進めない
プチ炎上した一回目の動画はただ単に噛み合ってないだけのお笑い動画に思えた。
しかし、二度目の朝倉と塩田のコラボはひどいというほかなかった。
朝倉はいつもの朝倉節で本気か嘘かもわかりにくい舐めプドッキリから入った。
後半の塩田の動画は大量の特典と豪華な肉を用意して朝倉を歓待する、というへりくだりようだった。
しかも、肉の前後には朝倉に合気道の秘伝技を伝授し、祖父の塩田剛三と縁を持つ刃牙の作者、板垣恵介を紹介するという接待ぶりだ。
問題は舐めプの朝倉ではなく、腰が引けまくっている塩田の方だ。
彼は朝倉に対して、敵にも愛を、という本質から外れた愛を語った。
当たり前だが実践派で路上の伝説の朝倉がそんなふやけた言説を聞くはずもない。
愛がどうのこうのはまともにやりあった矢地と朝倉が言うぶんには問題がない。
祖父の塩田剛三なら一度手合わせしてわからせてやろう、程度はかましたはずだ。
あの動画を見て少なからず直感的に意見した人がいて、見ていてギスギスヒヤヒヤすると述べていた。
自分もほぼ同意見だ。他にもこれは愛ではなく媚だと述べている人もいたが、賛同しか感じない。
朝倉は歓待に関わらず終始会話が進んでいなかったし、相手動画の撮れ高をあげていたことがむしろ印象的だった。
そして動画の内容は殆どスタッフ佐々木くんが撮る未来チーム風の動画に仕上がっていた。
もはや塩田そっちのけで、自分たちが滑ってはならないという雰囲気すらある。
実際塩田はノリがうまくつかめず、場を静かにするばかりだった。
何でも本心の朝倉からすれば塩田は最も理解から遠い人間だろう。
塩田将大は祖父の塩田剛三を何度も出して口先で勝負しようとするみっともなさ、刃牙の作者である板垣恵介という先人の縁を使おうとする情けなさなど、見どころがまるでなかったと言ってもいい。
朝倉兄弟の動画は見ているものを暴力的な不安にさらして再生数を稼いでいる部分が多少ある。
例えば煙草のポイ捨てを注意する弟、朝倉海の動画はビジュアルから怖いニーチャンが出てくるし、それにプロの海が素人を怪我させないかと不安にさせる(前田日明すらあの動画は選手生命に関わるかも、と不安だったらしい)。
未来が地元で焼肉食っているだけの動画でも、冗談めかしつつ同級生に真顔で凄んだりする。
正直面白みはなく、怖い以外のなにもんでもない。
あのトークも軽快な武井壮がかなり緊張気味で対談していたことからも、彼のプレッシャーの「嫌な感じ」がわかろうというものだ。
お笑い芸人コラボも持ち味を殺された人のほうが圧倒的に多い。なんとか乗り越えたのはいじられ芸のパンサー尾形くらいだ。
そんな朝倉未来でも瓜田純士には丁寧に接する。理由は簡単で、瓜田が愚連隊の頃、モノホンの筋者とケツモチ交流があった過去を持つからだ(ただし、朝倉は現役不良時代にヤクザ事務所に乗り込んでいる。瓜田にビビっているわけではない)。
瓜田独自の文章の才や人を見抜く才能もあり、また朝倉が不良の世界で生き抜いていたこともあってのことだろう。
ともあれ、塩田が自分から頼み込んでへりくだる意味はなかった。
それなら他の武術系の人たちとコラボしたほうが塩田にとってメリットがあったはずだ。
一時間ガッツリ見てしまっただるさもあったし、一時間ヒヤヒヤしたという心臓への悪さもあってとても印象に残ってしまった。
動画コメントもほとんど当たり障りのないものばかりだった点も気になった。
不穏な空気を率直に書いた人のほうが素直だと思う。